藤原ふじわらあつしただし

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藤原ふじわらあつしただし
藤原敦忠
藤原ふじわらあつしただし
狩野かの尚信なおのぶにち狩野かの尚信なおのぶ作品さくひんさんじゅう六歌仙ろっかせんがく
さんじゅう六歌仙ろっかせん
百人一首ひゃくにんいっしゅ歌人かじん
時代じだい不同ふどう歌合うたあわせ歌人かじん
時代じだい平安へいあん時代じだい
出生しゅっしょう延喜えんぎ6ねん(906ねん
逝世てんけい6ねん3がつ7にち(943ねん4がつ18にち
にち假名がなふじわら の あつただ
うまFujiwara no Atsutada
本姓ほんせいにち本姓ほんせい藤原ふじわら
家系かけいにち家系かけい藤原ふじわらきたりょうぼうりゅう
別名べつめい枇杷びわ中納言ちゅうなごん
土御門つちみかど中納言ちゅうなごん
ほんいん中納言ちゅうなごん
位階いかいしたがえさん
官位かんいけんにちけんかん中納言ちゅうなごん
敕撰30しゅ
はつつぎ收錄しゅうろくこうせん和歌集わかしゅう
家集かしゅうにち家集かしゅうあつしちゅうしゅう
父親ちちおや藤原ふじわらひらた
母親ははおや在原ありわら棟梁とうりょうにち在原ありわら棟梁とうりょうこれおんな
兄弟きょうだい藤原ふじわらたもつただしにち藤原ふじわらたもつただし
藤原ふじわらあらわちゅうにち藤原ふじわらあらわちゅう
あねいもうと藤原ふじわら褒子にち藤原ふじわら褒子
藤原ふじわらひとし善子よしこにち藤原ふじわらひとし善子よしこ
藤原ふじわらみのるよりゆきつま
あつしじつ親王しんのう
克明こくめい親王しんのう
つま北之きたのかた藤原ふじわらげんじょうにち藤原ふじわらげんじょうこれおんな
みなもとひとしこれおんな
藤原ふじわら明子あきこ藤原ふじわら仲平なかひらにち藤原ふじわら仲平なかひらこれおんな
藤原ふじわら貴子たかこにち藤原ふじわら貴子たかこくしげ殿どの
藤原ふじわら助信すけのぶにち藤原ふじわら助信すけのぶ
藤原ふじわらたすく
あきらあきら
おんなみなもとのべこうにちみなもとのべこうつま藤原ふじわら朝光ともみつにち藤原ふじわら朝光ともみつ繼室けいしつ
親戚しんせきそとおい
藤原ふじわらよりゆきただし
みなもと雅信まさのぶ
みなもと博雅ひろまさ

藤原ふじわらあつしただしにち语:藤原ふじわらあつしただしふじわら の あつただ Fujiwara no Atsutada */?,906ねん—943ねん4がつ18にち日本にっぽん平安へいあん時代じだい前期ぜんきいたり中期ちゅうきてき公卿くぎょう歌人かじん官位かんいにち官位かんいこれしたがえさんけんにちけんかん中納言ちゅうなごん藤原ふじわらきたりょうぼうりゅう出身しゅっしん父親ちちおやせい左大臣さだいじん藤原ふじわらひらたあにちょう分別ふんべつためせいさん大納言だいなごん藤原ふじわらたもつただしにち藤原ふじわらたもつただし以及したがえ右大臣うだいじん藤原ふじわらあらわちゅうにち藤原ふじわらあらわちゅうあつしちゅうさんじゅう六歌仙ろっかせんかず百人一首ひゃくにんいっしゅ歌人かじんいちゆう30しゅ作品さくひん收錄しゅうろく敕撰和歌集わかしゅう愛知あいちけん個人こじん收藏しゅうぞうてき其畫ぞうかみほん着色ちゃくしょくさんじゅう六歌仙ろっかせんきりにち佐竹さたけほんさんじゅう六歌仙ろっかせんきりかずかみほんちょしょく藤原ふじわらあつしちゅうぞうじょうたたみほん分別ふんべつざい1935ねん4がつ30日和びより1957ねん2がつ19にち文化廳ぶんかちょう指定していため重要じゅうよう文化財ぶんかざい[1][2]

生平おいだいら[编辑]

かみほんちょしょくさんじゅう六歌仙ろっかせんきりあつしただし

あつしちゅうてき出生しゅっしょうねん份雖しかざい資料しりょうじょうぼつ有明ありあけかく記載きさいただしよし於他てき逝世とくねんひとしゆう記載きさい通過つうか計算けいさん以得他生たしょう延喜えんぎ6ねん(906ねん[3]。按《尊卑そんぴ分脈ぶんみゃく記載きさいあずかちゅう同母どうぼ兄弟きょうだい兩人りょうにんははひとしこれれん子女しじょおうにちれん子女しじょおう同時どうじたたえあつしちゅう可能かのう在原ありわら棟梁とうりょうにち在原ありわら棟梁とうりょうこれおんな[4],而《さんじゅうろくにん歌仙かせんでんにちぐんしょ類従るいじゅうかず公卿くぎょう補任ほにんのり記載きさいあつし忠之ただゆきははため在原ありはら棟梁とうりょうおんな[5][6]在原ありわら棟梁とうりょうじょ本身ほんみ藤原ふじわらこくけいにち藤原ふじわらこくけいこれつま後來こうらいざいくにけいてき侄子たいらきょう搶納ため妻子さいし吉海よしうみ直人なおとにち吉海よしうみ直人なおと指出さしで當時とうじ她已けいふところ孕,いん此實ぎわじょうあつしちゅうこくけい之子ゆきこ[7]はや於《世繼よつぎ物語ものがたり便びんゆう懷疑かいぎあつしちゅう可能かのうこくけい之子ゆきこてき說法せっぽう,其後《じゅういちだい才子さいしでん》、《幽齋ゆうさいしょうかず大和やまと物語ものがたり鈔》とうせきさら直接ちょくせつ斷定だんていこくけいあつし忠之ただゆきちちたい此鹽しましょう以懷孕周らい否定ひてい此說ほう[8]。此外,《和歌わか文學ぶんがく辭典じてん[9]、《和歌わかだい辭典じてん[10]、《日本にっぽん古典こてん文學ぶんがくだい辭典じてん》以及《國史こくしだい辭典じてんひとしあつしちゅうためたいらてきだいさん[11][12]

按《日本にっぽんりゃく記載きさいざい延喜えんぎ16ねん3がつ5にち(916ねん4がつ9にちぜんじんひさし殿どのにちじん寿ひさし殿どのなみ且於醍醐天皇だいごてんのう面前めんぜんひょうえんじまい[13]。按《さんじゅうろくにん歌仙かせんでん記載きさいざい延喜えんぎ17ねん2がつ25にち(917ねん3がつ20日はつかじゅん昇殿しょうでんにち昇殿しょうでん[5],《日本にっぽんりゃくしょうざい延喜えんぎ21ねん正月しょうがつ25にち(921ねん3がつ7にち叙爵じょしゃくにち叙爵じょしゃくためしたがえしたなみ且同ざい殿上てんじょう元服げんぷく[13],按《はしらしょう記載きさい儀式ぎしきゆかり藤原ふじわらにち藤原ふじわらせめ[3],《さんじゅうろくにん歌仙かせんでんのり指出さしであつしちゅうてきわらわめいぼくひらたきみ[5],《公卿くぎょう補任ほにん》另記載きさいざい同年どうねん2がつ7にち(3がつ18にち昇殿しょうでん[6],《さんじゅうろくにん歌仙かせんでんのりゆびざい翌年よくねん2がつ17にち(922ねん3がつ18にち昇殿しょうでん[5]延喜えんぎ23ねん正月しょうがつ12にち(923ねん1がつ31にち),就任しゅうにんため侍從じじゅうにち侍從じじゅう延長えんちょう6ねん正月しょうがつ7にち(928ねん2がつ1にちますしたがえじょう同年どうねん6がつ29にち(7がつ18にちだしにんひだり兵衛ひょうえ延長えんちょう8ねん9がつ22にち(930ねん10がつ16にち),ざい朱雀すざく天皇てんのう即位そくいくび昇殿しょうでん同年どうねん12がつ17にち(931ねん1がつ8にちだしにんみぎ衛門えもんにち衛門えもん,《さんじゅうろくにん歌仙かせんでんかず公卿くぎょう補任ほにん》雖然ひとし記載きさいためみぎ衛門えもんただし公卿くぎょう補任ほにん》也提いた可能かのう左衛門さえもん翌年よくねん3がつ30にち(931ねん4がつ20日はつか) ,《公卿くぎょう補任ほにん記載きさい就任しゅうにんひだり近衛このえけん少將しょうしょう,《さんじゅうろくにん歌仙かせんでんのりひだり近衛このえ少將しょうしょう[6][5]

うけたまわひらた2ねん正月しょうがつ27にち(932ねん3がつ6にち),兼任けんにんかい同年どうねん11がつ16にち(12月16にちますせいしたとま中宮ちゅうぐう御給ごきゅうにち御給ごきゅう加階かかい)。翌年よくねん正月しょうがつ12にち(933ねん2がつ9にち),轉任てんにん近江おうみけんかい[6]うけたまわひら4ねん正月しょうがつ7にち(934ねん1がつ24にち),ますしたがえよんした。按《さんじゅうろくにん歌仙かせんでん記載きさいざい正月しょうがつ12にち(934ねん1がつ29にち昇殿しょうでん翌年よくねん3がつ8にち補任ほにんにち補任ほにん藏人くろうどあたま[5]しか而《公卿くぎょう補任ほにんのり記載きさいざい正月しょうがつ12日出ひのでつとむ藏人くろうどあたまにち蔵人くろうどあたま同年どうねん12がつ21にち(935ねん1がつ28にち就任しゅうにんためひだり近衛このえけん中將ちゅうじょううけたまわひら6ねん正月しょうがつ29にち(936ねん2がつ24にち),兼任けんにん播磨はりまもりてんけい 2ねん正月しょうがつ7にち(939ねん1がつ29にち),ますしたがえよんじょう同年どうねん8がつ27にち(939ねん10がつ12にち任命にんめいため參議さんぎなみ且續にんひだり近衛このえけん中將ちゅうじょう[6]同年どうねん10がつ26にち(12月9にち),昇殿しょうでん[5]てんけい4ねん12月18にち(942ねん1がつ7にち),兼任けんにん近江おうみ權守ごんもり翌年よくねん3がつ29にち(942ねん4がつ17にち),ますしたがえさん就任しゅうにんためけん中納言ちゅうなごん中將ちゅうじょうろう)。てんけい6ねん3がつ7にち(943ねん4がつ18にち),あつしちゅう死去しきょとくねん38さい[6][5]。按《だいかがみ記載きさいざい生前せいぜん曾經たい其妻北之きたのかたせつ:「わが一家いっか短命たんめい一定いっていかいはや逝。わが死後しご一定いっていかい藤原ふじわら文範ぶんぱんにち藤原ふじわら文範ぶんぱんざい一起かずき[ちゅう 1]。」雖然當時とうじ其妻否認ひにんただし最終さいしゅういち如敦ちゅうしょりょう兩人りょうにんざい死後しごゆいため夫婦ふうふ[14]

按《こうせん和歌集わかしゅうかず拾遺しゅうい和歌集わかしゅう記載きさい藤原ふじわらいん藤原ふじわら清正きよまさとうひとひとしゆうぜん往他ざい比叡ひえいまと西坂本にしさかもとげん京都きょうと京都きょうと左京さきょう修學院しゅうがくいんにち修学院しゅうがくいんむら一乘寺いちじょうじにち一乗寺いちじょうじ (京都きょうと地名ちめい)一帶いったい音羽川おとわがわにち音羽川おとわがわてき山莊さんそうところはるふところ故人こじんにんしおからま繹不ぜっえいねんはや逝的あつしちゅう此後變成へんせい大和やまと物語ものがたり》以及《今昔こんじゃく物語ものがたりしゅうとう說話せつわにち説話せつわうらてきあるじかく[15][9][16]。此外,せい管絃かんげんにち唐楽とうがく,按《だいかがみ記載きさいざい死後しご宮中きゅうちゅうごととう舉辦管絃かんげんてき御遊ぎょゆう便びんかい邀請あつしちゅうてきそとおいみなもと博雅ひろまさ參加さんか[ちゅう 2]いん無法むほう出席しゅっせき結果けっか御遊ぎょゆう直接ちょくせつ取消とりけし後來こうらいざいつぎ召見最終さいしゅうかえにゅうみや出席しゅっせき老人ろうじん們對此議ろん紛紛ふんぷんなみ且稱どう:「世界せかい末日まつじつふとし悲哀ひあいりょうあつしちゅう中納言ちゅうなごんひさしざいせいてき時候じこうまたゆうだれおもえざい音樂おんがく方面ほうめんみなもと博雅ひろまさこれりゅう居然きょぜんかい天皇てんのう召見,かえよう受人景仰けいこう呢?」(すえこそあはれなれ。あつしちゅう中納言ちゅうなごんのいますかりしおりは、かかるみちに、このさん、おほやけをはじめたてまつりて、大事だいじおもひはべるべきものとこそおもはざりしか[14]

あつしちゅう作為さくい政治せいじてき名聲めいせいとお及其公子こうし哥兒てき份來どく著名ちょめい[18]曾經あずかくしげ殿どのにち藤原ふじわら貴子たかこあるたたえくしげ殿どの別當べっとう)、右近うこん齋宮いつき雅子まさこ內親おうにち雅子まさこ内親王ないしんのうとうひと交往[11],其中あずかくしげ殿どのてき戀情れんじょう她的父親ちちおやあつしちゅうてき叔父おじ藤原ふじわら忠平ちゅうへい拆散。另外,あつしちゅうざいひゃくにん秀歌しゅうかちゅうあずか右近うこんなりたい,於《大和やまと物語ものがたりちゅうそく描繪なり拋棄右近うこんてき男性だんせいいん此他てき早死はやじに也可以視ため遭到神罰しんばつにちばっところ致,而非菅原すがわら道真みちざねてきのろい[ちゅう 3]。另外,あつしちゅうあずか雅子まさこ內親おうゆう一段いちだんてき伊勢物語いせものがたりしき戀情れんじょう最終さいしゅう她卻よめきゅう忠平ちゅうへい之子ゆきこ藤原ふじわら[7]

和歌わか[编辑]

あつしただしそう共有きょうゆう30しゅ和歌わか收錄しゅうろく敕撰和歌集わかしゅう[18],其中10しゅ收錄しゅうろく於《せん和歌集わかしゅう[10]てきうたふう以人作為さくい題材だいざい,其中ゆう其精於戀愛れんあい題材だいざいざい作品さくひん方面ほうめんそくゆう多用たよう緣語えんごにち縁語えんご掛詞かけことばにち掛詞かけことばとう技巧ぎこうてき和歌わかまたゆう相對そうたい較直りつてき抒情じょじょう[9]延長えんちょう8ねん(930ねん),ざい醍醐天皇だいごてんのうくずしどき曾經以歌悼念。てんけい初年しょねんのりゆうあずか紀貫之きのつらゆきてき贈答ぞうとう[ちゅう 4]。此外,伊勢いせ中務なかつかさひとし曾經いたおとずれてき山莊さんそうなみ且以該處てき瀑布ばくふてき岩石がんせきため題材だいざいらい創作そうさく和歌わか[10]

按《今昔こんじゃく物語ものがたりしゅう記載きさい英俊えいしゅん瀟灑而且骨格こっかくせい性格せいかく也很このみ世人せじんたいてき評價ひょうか也很このみかたち有様ありさま美麗びれいニナナムゆうケル。人柄ひとがらきちカリケレバ、おもえヘモはなヤカニテナム),なみ且指藤原ふじわらみのるよりゆきたいてき和歌わかしょうどう:「此歌わが實在じつざいなん以返[ちゅう 5],如果わが以一首更差的和歌來回應的話,很有可能かのうのこぐさまんねんはなし雖如此,わが也無ほう創作そうさくいちしゅさらこのみてき作品さくひんぼつ辦法りょうただこう以舊搪塞いちらいじゅう面子めんつ。」しかじつよりゆき便びん藤原ふじわらただしぼうぜんからあさどき所作しょさてきいちしゅかいおう。(此ノかえしシ、さら不為ふためシ。れつタラムニ、ちょうキ名きめいナルベシ。しかリトモ、ぞうサラムごとゆうごとニモズ」トテ、「ただきゅううたおもええきサム」トおもえきゅうヒテ、ちゅうぼうとうくだりクトテ読タリケルヲナムきゅうケル。),《今昔こんじゃく物語ものがたりしゅう編者へんしゃざい該段結尾けつび歸納きのうどう:「流傳りゅうでん其和どおかち他人たにん世人せじんたい於他のう夠創作出さくしゅつ此歌いち事大じだいひょうたたえしょう。」(和歌わかことひとしょうタリケルニ、此ルヲ読出タレバ、ごくさんケリ、トナムでんヘタルトヤ。[22]

百人一首ひゃくにんいっしゅてき入選にゅうせんさく

新編しんぺん國歌こっか大觀たいかん版本はんぽん[23] 全日本ぜんにほんぱい協會きょうかい版本はんぽん[24] 嵯峨さが嵐山あらしやまぶんはなかんにち嵯峨さが嵐山あらしやまぶんはなかん版本はんぽん[25] ちゅうやく[26]
あひけんての
のちのしん
くらぶれば
むかしもの
おもはざりけり
みての
しん
くらぶれば
むかしもの
おもはざりけり
あひけんての
のちのしん
くらぶれば
むかしもの
おもはざりけり
赴佳
相思そうしさらてん
曾言ふところねん
はじめしんじ來由らいゆ

這首和歌わか收錄しゅうろく於《拾遺しゅうい和歌集わかしゅうまきだいじゅうこい」,《新編しんぺん國歌こっか大觀たいかんへんごう710,詞書ことばがきだい不知ふち」(だいしらず[ちゅう 6],《拾遺しゅういしょうのり記載きさいため初次はつじ女性じょせい住處すみかざい翌日よくじつはやじょうはなれひらき」(はじめてをんなのもとにまかりてまたあさにつかはしける[23],《古今ここん和歌わかろくじょうにち古今ここん和歌わかろくじょうのりはた此歌おけ於「ざつおもえ」內的上部じょうぶぶん[30],這代表だいひょう此歌本來ほんらいいちしゅ後朝きぬぎぬてき作品さくひん[ちゅう 7]ざい拾遺しゅういしゅう變成へんせいりょうだい不知ふち」,藤原ふじわら定家さだいえざいはちだいしょうのりはた此歌おけ於「こいさん部分ぶぶん見當けんとうなみ一定就將其視為後朝的作品。此歌ざい中世ちゅうせいどきじゅうしん解讀かいどく,按《東山ひがしやま文庫ぶんこにち東山ひがしやま文庫ぶんこほん註》記載きさい,此歌以解讀成しょう逢之てき戀愛れんあい[7]意思いしゆびあずか女性じょせい交往よし於種しゅ原因げんいん而無ほうさい聚,這比かえぼっめんまえかえようらいとく痛苦つうくあるいんため交往後產あとざんせいりょう以前いぜんぼつゆうてき各種かくしゅ煩惱ぼんのう[32]契沖けいちゅう以及賀茂真淵かものまぶち也持同類どうるい立場たちば整體せいたいらいせつ以後いごあさためぬししんちゅうそく以相逢之てき戀愛れんあいためぬし。此外,此歌也收ろく藤原公任ふじわらのきんとうてきぜんじゅうばん歌合うたあわせ》、《さんじゅうろくにんせん》以及定家さだいえてきだい簡要》[7]

くびてきあひけんてのてき意思いし男女だんじょ結合けつごう、交往,鈴木すずき日出男ひでおにち鈴木すずき日出男ひでおはたあひ(逢ふ)」(あい逢)かずて(る)」(めんぶんひらけ指出さしで兩個りゃんこぞく於同るいてき用語ようごゆう強調きょうちょうてき效果こうか[33]しょう町谷まちやあきらのりみとめためあひけん動詞どうしあひてき連用形れんようけいにち連用形れんようけいゆび男女だんじょあいだてき關係かんけいへんとく深厚しんこう[34]島津しまつ忠夫ただおにち島津しまつ忠夫ただお以及有吉ありよしたもつにち有吉ありよしたもつひとし採用さいようあひてき說法せっぽう[32][35]せき於第てきのちのしん」,鈴木すずきかず有吉ありよしひとしみとめためひょうたち現時げんじてき心情しんじょう鈴木すずきみとめためゆびたい交往對象たいしょうてき感情かんじょう有吉ありよしのりみとめため交往成功せいこうある後朝きぬぎぬかいいた家時いえときてき心情しんじょう[32][33]しょう町谷まちやかず島津しまづそくみとめためゆび兩人りょうにん交往不斷ふだんぞうゆたかてき感情かんじょう[34][35]だいさんてきくらぶればてき意思いし交往前後ぜんごてき心境しんきょう變化へんか[33]ためしただん動詞どうしくらぶ」(比較ひかくてき已然いぜんがたにち已然いぜんがた[32]だいよんむかしものちゅうてきむかしゆびざい交往まえあずかくび形成けいせい對比たいひ實際じっさいじょう昨日きのうてき事情じじょう卻用うえりょうむかし」(很久以前いぜんらいひょうたち過去かこ現在げんざいてき心情しんじょうやめけいてんども,「もののりせっまつ,《拾遺しゅういしゅう》、《ひゃくにん秀歌しゅうか》、《よんだいしゅう》、《小倉おぐら色紙いろがみにちだかじゅうしゅかずだい簡要》ひとし採用さいよう此寫ほうため此歌てき原始げんしうつしほう後來こうらい室町むろまち時代ときよ中期ちゅうきこれえんじ變成へんせいもの」,《はちだいしょう》、《おうながしょう》、《百人一首ひゃくにんいっしゅためにち藤原為家ふじわらのためいえほん堯孝にち尭孝ぎょうこうほん兼載けんさいにち猪苗代いなわしろ兼載けんさいほんとう手抄しゅしょうほん以及全日本ぜんにほんぱい協會きょうかいひとし採用さいよう此說ほう[32][35][36]すえおもはざりけりてき意思いしぼつゆうえびす思亂おもいみだれおもえ配合はいごうぜんてき意思いし就如過去かこぼつゆうえびす思亂おもいみだれそういちよう言外げんがい就是現在げんざいてき心境しんきょう相當そうとう苦惱くのう[37]ゆび程度ていど過去かこ實在じつざい無法むほう比較ひかく[33],「おもは動詞どうしおもふてき未然みぜんがたにち未然みぜんがた意思いしゆび苦惱くのう,「ざり否定ひていてき助動詞じょどうしにち助動詞じょどうし (国文法こくぶんぽう)てき連用形れんようけい,「けりのりひょうたち過去かこてき助動詞じょどうし終止しゅうしがたにち終止しゅうしがたゆう感嘆かんたんてき意思いし[34]。此外,中務なかつかさゆう一首作品與此歌的概念非常相近,たに知子ともこにちたに知子ともこみとめため受到此歌てき影響えいきょう,該作品さくひん收錄しゅうろく於《中務なかつかさしゅう》(《新編しんぺん國歌こっか大觀たいかんへんごう135)[38]

家集かしゅう[编辑]

あつしちゅうてき家集かしゅうにち家集かしゅうあつしちゅうしゅう》,またたたえけんちゅう納言なごんあつしちゅうきょうしゅう》,いちさつゆかり他人たにんせんうつし而成,ゆかり於卷まつしょ表明ひょうめい和歌わか於《こう撰集せんしゅうかず拾遺しゅういしゅう》,いん推測すいそく正文せいぶんなりしょ於《こう撰集せんしゅう時期じき前後ぜんこうさんじゅうろくにんしゅういち收錄しゅうろくりょう大量たいりょうあつしちゅうあずか雅子まさこ內親おうてき贈答ぞうとう收錄しゅうろくすう最多さいたてき西本願寺にしほんがんじほんさんじゅうろくにん家集かしゅうにち西本願寺にしほんがんじほんさんじゅうろくにん家集かしゅう系統けいとうそう共有きょうゆう145しゅあつしちゅうあずか女性じょせいてき贈答ぞうとうゆかり於書ちゅう多用たようかえし」「また顯示けんじ連續れんぞくいくしゅてき贈答ぞうとう也相とうおびゆううた物語ものがたりにちうた物語ものがたりてき特質とくしつ家集かしゅうたいあつしちゅうてき描述,ゆう地方ちほう採用さいようりょうにち敬語けいごただしなみ全部ぜんぶいん此編しゃ可能かのうあずかあつしちゅう親近しんきんてきじんあずか西本願寺にしほんがんじほんどう系統けいとうてきなおゆう收錄しゅうろく141しゅてきみや內廳しょりょうぞうさんじゅうろくにんしゅう以及收錄しゅうろく130しゅてき冷泉れいせんにち冷泉れいせん時雨しぐれてい文庫ぶんこぞうでん藤原ふじわらこうなりにち藤原ふじわらこうなりふでほん,三版本的詞書與和歌的用字雖然有相當多的差異,ただし配置はいち順序じゅんじょだい致相どう不同ふどうてき部分ぶぶんざい於卷まつ部分ぶぶん西本願寺にしほんがんじほん增補ぞうほこう撰集せんしゅうかず拾遺しゅういしゅう》,而書りょう本則ほんそく增補ぞうほ西本願寺にしほんがんじほん。這兩個りゃんこ版本はんぽんちょくいたりだい131しゅためどめ各自かくじかけしつさんしゅ和歌わか西本願寺にしほんがんじほんかけしつりょうしょりょうほんてきだい40しゅだい66しゅだい126しゅしょりょう本則ほんそくかけしょうりょう西本願寺にしほんがんじほんてきだい25しゅだい56しゅだい87しゅ西本願寺にしほんがんじほんしたがえ藤原ふじわら賴通よりみち時期じきいたり院政いんせいぜんためとめ於後撰集せんしゅう增補ぞうほりょう9しゅ,其中6しゅあつしちゅうてき作品さくひん大輔だいすけてきおくうた[ちゅう 8]詠人よみびと不知ふちにちよみじんしらず以及藤原ふじわら朝忠ちょうちゅうてき作品さくひんかくいちしゅゆかり於朝ちゅうあずか大輔だいすけてき關係かんけいてき和歌わかおう該是あやまおさむしん家集かしゅう內,於《拾遺しゅういしゅうてきのりゆう4しゅ,其中いちしゅ詠人よみびと不知ふち最後さいごてきだい145しゅそく出處しゅっしょ不明ふめいしょりょうほんだい132しゅいたりだい141しゅそく推測すいそくざい平安へいあん時代じだい末期まっき增補ぞうほ西本願寺にしほんがんじほんぜん5しゅためりょうわたる補缺ほけつしつてき作品さくひんじょうりょうさんしゅてき同時どうじ,卻另がい重複じゅうふく收錄しゅうろくりょういちしゅ和歌わかあましたてき一首則是差異之處甚多,5しゅそく於西本願寺ほんがんじほんてきだい138しゅいたりだい142しゅ。此外,かえ有精ゆうせい簡自西本願寺にしほんがんじほん系統けいとうてき正保まさやすはん歌仙かせん家集かしゅうほんそうきょう收錄しゅうろくりょう46しゅ和歌わかあずか西本願寺にしほんがんじほん系統けいとうてき收錄しゅうろくぜんすうじゅう叠。儘管如此,ゆかり於第18しゅだい42しゅ分別ふんべつ西本願寺にしほんがんじほん以及しょりょうほん各自かくじかけしつてき和歌わかいちいん歌仙かせん家集かしゅうほんおう該是せい簡至西本願寺にしほんがんじほん系統けいとう以前いぜんてき版本はんぽん底本ていほん方面ほうめん西本願寺にしほんがんじほん收錄しゅうろく於《私家しか集大成しゅうたいせいかず新編しんぺん國歌こっか大觀たいかん》,しょりょうほん收錄しゅうろく於《御所ごせほんさんじゅうろくにんしゅう》,冷泉れいせん家藏かぞうでんくだりなりにち藤原ふじわらこうなりふでほん收錄しゅうろく於《日本にっぽん名筆めいひつ全集ぜんしゅう》,歌仙かせん家集かしゅう本則ほんそく收錄しゅうろく於《ぐんしょ類從るいじゅう》、《こう註國大系たいけい》、《私家しか集大成しゅうたいせいかずぞく國歌こっか大觀たいかん[40][10][41][29]

參考さんこう資料しりょう[编辑]

註釋ちゅうしゃく[编辑]

  1. ^ 當時とうじ文範ぶんぱんあつしちゅうてきいえ[14]
  2. ^ 按《古今ここん著聞ちょぶんしゅう》以及《ゆうしょうとう記載きさいあつしちゅう曾經せめ吹笛,なみ且向博雅はくが傳授でんじゅ和琴わごん[14]ゆうゆびざい宮中きゅうちゅう舉行てき管絃かんげん大會たいかい[17]
  3. ^ あつし忠之ただゆきちちひらた同樣どうよう早死はやじにみなもと於時ひら誣告ぶこく菅原すがわら道真みちざね造成ぞうせい後者こうしゃ左遷させんいたり大宰府だざいふにちあきらたいへんところ[19]
  4. ^ 贈答ぞうとうゆび兩人りょうにんあいだ互相通過つうか和歌わからいみぞどおり[20]
  5. ^ 返歌へんかゆびとう他人たにんおくうたきゅう自己じこてき時候じこう以和かいおくたいかた[21]
  6. ^ 詞書ことばがきゆび該和てき主題しゅだいうつし作動さどうとう相關そうかんごとよろし[27]だい不知ふちそくゆび相關そうかんごとむべ不明ふめいまたゆう可能かのういんためぼつゆう記錄きろくてきあたい值而省略しょうりゃく[28]。《あつしちゅうしゅうてき詞書ことばがきそくくらうらあずかくしげ殿どのべつとう交往遭她てき父親ちちおや發現はつげん而被逼分離ぶんり」(みくしげどののべたうにしのびてかよふに、おやききつけてせいすとききて[29][7]
  7. ^ 後朝きぬぎぬゆび男女だんじょどもいちてき翌日よくじつはやじょう[31]
  8. ^ 大輔だいすけこれみなもとにちみなもと保明ほうみょう親王しんのう乳母うばこれおんな[39]

引用いんよう[编辑]

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外部がいぶ連結れんけつ[编辑]