「死 し 」の定義 ていぎ 及 およ び判定 はんてい に関 かん する諸 しょ 問題 もんだい
編集 へんしゅう
どのような状態 じょうたい になったことを「死 し 」とするのかという事 こと については、各 かく 地域 ちいき の文化 ぶんか 的 てき 伝統 でんとう 、個人 こじん の心情 しんじょう 、医療 いりょう 、法 ほう 制度 せいど 、倫理 りんり 的 てき 観点 かんてん などが相互 そうご に対立 たいりつ しており、複雑 ふくざつ な様相 ようそう を呈 てい している。例 たと えば、医学 いがく 的 てき な見解 けんかい の一 ひと つに着目 ちゃくもく してみた場合 ばあい でも、そこには様々 さまざま な見解 けんかい がありうる。養老 ようろう 孟司 たけし は次 つぎ のように指摘 してき した。
生死 せいし の境目 さかいめ というのがどこかにきちんとあると思 おも われているかもしれません。そして医者 いしゃ ならばそれがわかるはずだと思 おも われているかも知 し れません。しかし、この定義 ていぎ は非常 ひじょう に難 むずか しいのです。というのも、「生 い きている」という状態 じょうたい の定義 ていぎ が出来 でき ないと、この境目 さかいめ も定義 ていぎ できません。嘘 うそ のように思 おも われるかも知 し れませんが、その定義 ていぎ は実 じつ はきちんと出来 でき ていない。
医療 いりょう 現場 げんば での死 し の判定 はんてい 方法 ほうほう
編集 へんしゅう
医療 いりょう で用 もち いられる「死 し の三 さん 兆候 ちょうこう 」で、次 つぎ の三 みっ つから成 な る。
臓器 ぞうき 移植 いしょく の問題 もんだい が出現 しゅつげん するまで、こう考 かんが えておけば基本 きほん 的 てき には問題 もんだい はなかった。
現代 げんだい の医療 いりょう の現場 げんば では、基本 きほん 的 てき にまずバイタルサイン を見 み て生命 せいめい の状態 じょうたい を判断 はんだん している。つまり心拍 しんぱく 数 すう ・呼吸 こきゅう 数 すう ・血圧 けつあつ ・体温 たいおん である。そしてバイタルサインによる生命 せいめい 活動 かつどう が確認 かくにん 出来 でき なくなり、且 か つ瞳孔 どうこう 反射 はんしゃ を調 しら べ、それも無 な い場合 ばあい に死亡 しぼう したと判断 はんだん する方法 ほうほう である[ 注 ちゅう 1] 。
死 し を厳格 げんかく に定義 ていぎ するのは困難 こんなん だが、医療 いりょう の現場 げんば では前述 ぜんじゅつ の「死 し の三 さん 兆候 ちょうこう 」を用 もち いる事 こと で一応 いちおう の解決 かいけつ を見 み ていた。ところが、臓器 ぞうき 移植 いしょく の登場 とうじょう により、事態 じたい が複雑 ふくざつ 化 か した。
米国 べいこく などで一部 いちぶ の医師 いし によって臓器 ぞうき 移植 いしょく の試 こころ みがなされるようになると、こうした医師 いし はできるだけ状態 じょうたい の良 よ い臓器 ぞうき を使 つか うため、少 すこ しでも早 はや く臓器 ぞうき を摘出 てきしゅつ したいと考 かんが えるようになった。そのほうが移植 いしょく された人 ひと の予 よ 後 ご は良好 りょうこう になる傾向 けいこう があるからである。だが、早期 そうき に臓器 ぞうき を摘出 てきしゅつ する手術 しゅじゅつ をした事 こと によって患者 かんじゃ が死亡 しぼう したと見 み 做された場合 ばあい 、その一連 いちれん の行為 こうい は(一種 いっしゅ の)「殺人 さつじん 」になってしまう。そこで、臓器 ぞうき 移植 いしょく を行 おこな いたい医師 いし たちなどが、意識 いしき の有無 うむ を生死 せいし の線引 せんひ きに用 もち いることを提唱 ていしょう し、「脳死 のうし 」という概念 がいねん が生 う まれた。それによって、脳 のう が死 し んだ状態 じょうたい でも、残 のこ りの臓器 ぞうき は新鮮 しんせん な状態 じょうたい を維持 いじ したまま臓器 ぞうき を移植 いしょく することが可能 かのう になるとされた。脳死 のうし という概念 がいねん では、「脳 のう の電気 でんき 的 てき 活性 かっせい の停止 ていし が意識 いしき の終 お わりを示 しめ す」とした。つまり、脳 のう の電気 でんき 的 てき 活性 かっせい が止 や んだ時 とき 、人 ひと は死亡 しぼう したとされる。
脳死 のうし に対 たい する見解 けんかい は分 わ かれている。そもそも「脳死 のうし 」という概念 がいねん 自体 じたい 、線引 せんひ きは様々 さまざま であり、(脳 のう のどの部分 ぶぶん が死 し んだ段階 だんかい で「脳死 のうし 」とするか意見 いけん は分 わ かれ)、「脳 のう の神経 しんけい 細胞 さいぼう が全部 ぜんぶ 死 し んだ時点 じてん が脳死 のうし 」とする人 ひと もいる。しかし、仮 かり にこの論法 ろんぽう を取 と る場合 ばあい でも、一体 いったい どの時点 じてん で神経 しんけい 細胞 さいぼう が全部 ぜんぶ 死亡 しぼう したと言 い えるかは明確 めいかく ではない[ 注 ちゅう 2] [ 注 ちゅう 3] [ 注 ちゅう 4] [ 注 ちゅう 5] [ 注 ちゅう 6] [ 注 ちゅう 7] 。日本 にっぽん 臓器 ぞうき 移植 いしょく ネットワークでは、脳死 のうし を「脳幹 のうかん を含 ふく む、脳 のう 全体 ぜんたい の機能 きのう が失 うしな われた状態 じょうたい 」と定義 ていぎ しており、所謂 いわゆる 植物 しょくぶつ 状態 じょうたい とは明確 めいかく に異 こと なるとしている[ 6] 。
脳死 のうし の議論 ぎろん は、科学 かがく の分野 ぶんや というよりは、社会 しゃかい が一致 いっち して決 き める「死 し 」が問題 もんだい の中心 ちゅうしん になっているようだと養老 ようろう 孟司 たけし は指摘 してき した。臓器 ぞうき 移植 いしょく を巡 めぐ る「脳死 のうし 」概念 がいねん では、臓器 ぞうき 移植 いしょく をしようとする医師 いし 、臓器 ぞうき を摘出 てきしゅつ される人 ひと とその家族 かぞく 、臓器 ぞうき を受 う け取 と る人 ひと の立場 たちば 等々 とうとう により意見 いけん が異 こと なる。養老 ようろう は、人体 じんたい というのは様々 さまざま な種類 しゅるい の細胞 さいぼう で出来 でき ていてそれらが全体 ぜんたい で生 い きているのに、そうした数 すう 多 おお くの細胞 さいぼう の中 なか から脳 のう の神経 しんけい 細胞 さいぼう だけを特別 とくべつ 視 し するほどの明確 めいかく な根拠 こんきょ があるわけではないと主張 しゅちょう した。
脳 のう の神経 しんけい 細胞 さいぼう だけを特別 とくべつ 視 し するということは、皮膚 ひふ や筋肉 きんにく の細胞 さいぼう を軽視 けいし しているのではないかと養老 ようろう は指摘 してき している。また、筋肉 きんにく は「脳死 のうし 」の判定 はんてい 後 ご でも電気 でんき 刺激 しげき を与 あた えるとよく動 うご くことから、「生死 せいし の境目 さかいめ 」や「死 し の瞬間 しゅんかん 」は厳格 げんかく に存在 そんざい しているとする考 かんが えは、思 おも い込 こ みにすぎないのではないかと養老 ようろう は主張 しゅちょう している。
「臓器 ぞうき 移植 いしょく 法 ほう 」では、脳死 のうし は死 し であるなどとは書 か かれていない。単 たん に、脳死 のうし 状態 じょうたい の患者 かんじゃ からは臓器 ぞうき を移植 いしょく してもよい、としか書 か かれておらず、解釈 かいしゃく は分 わ かれている。
村上 むらかみ 陽一郎 よういちろう は「脳死 のうし 」という概念 がいねん はかなり不適切 ふてきせつ だ、と指摘 してき している[ 11] 。村上 むらかみ は、「脳死 のうし 」という概念 がいねん が作 つく られたのは、医学 いがく が人間 にんげん をパーツの集 あつ まりとしか見 み なくなったからであり、そこには一人 ひとり 一 いち 人 にん の人間 にんげん としての患者 かんじゃ への視点 してん が欠如 けつじょ していると主張 しゅちょう した[ 11] 。一方 いっぽう で、臓器 ぞうき 提供 ていきょう によって救命 きゅうめい 出来 でき る患者 かんじゃ も存在 そんざい しており、脳死 のうし という概念 がいねん 及 およ び臓器 ぞうき 移植 いしょく への評価 ひょうか は分 わ かれている[ 12] 。
臓器 ぞうき 移植 いしょく と脳死 のうし を巡 めぐ って議論 ぎろん が活発 かっぱつ だった時 とき に、死 し (脳死 のうし )を「これから先 さき は死 し に向 む かって、不 ふ 可逆 かぎゃく 的 てき に進行 しんこう する過程 かてい になる状態 じょうたい である」とした人 ひと もいる。法医学 ほういがく の教員 きょういん でも、「人 ひと の死 し は、心臓 しんぞう ・肺 はい ・脳 のう 、それら全 すべ ての不 ふ 可逆 かぎゃく 的 てき な機能 きのう 停止 ていし 」という人 ひと がいる。「生命 せいめい 活動 かつどう が不 ふ 可逆 かぎゃく 的 てき に止 と まる事 こと 」などとも言 い われた[ 14] [ 注 ちゅう 8] [ 注 ちゅう 9] 。
法律 ほうりつ 上 じょう 、
何 なに をもって
人 ひと の
死 し とするかという
問題 もんだい については「
人 ひと の終期 しゅうき 」も
参照 さんしょう
以上 いじょう のように、立場 たちば によって見解 けんかい は異 こと なるため、21世紀 せいき 現在 げんざい でも「死 し 」の判定 はんてい や定義 ていぎ については議論 ぎろん がある。
法 ほう 制度 せいど の要請 ようせい による医師 いし の判断 はんだん
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前述 ぜんじゅつ のように実際 じっさい には生 なま と死 し の境目 さかいめ は明確 めいかく にある訳 わけ ではない。ただ、言葉 ことば として「生死 せいし 」という言葉 ことば があり用 もち いられている以上 いじょう 、「間 あいだ に切 き れ目 め がある」という前提 ぜんてい が置 お かれており、また社会 しゃかい の制度 せいど としては、どういう形 かたち にせよ、生死 せいし を明確 めいかく にする事 こと は求 もと められる。そうした背景 はいけい から死 し を規定 きてい する必要 ひつよう があるため、医師 いし は死亡 しぼう 診断 しんだん 書 しょ の「死亡 しぼう 時刻 じこく 」欄 らん に死亡 しぼう したと判断 はんだん される時刻 じこく を書 か くことで対象 たいしょう がいつ死亡 しぼう したかを一応 いちおう 明確 めいかく にしている。それによって、「死 し の瞬間 しゅんかん 」が形式 けいしき 的 てき にではあるが決定 けってい される。しかし、これはあくまで文書 ぶんしょ の上 うえ で決 き めたにすぎず、実体 じったい としての「死 し の瞬間 しゅんかん 」は前述 ぜんじゅつ のように見解 けんかい が様々 さまざま に存在 そんざい する。
死亡 しぼう 判定 はんてい 関連 かんれん の書類 しょるい と法的 ほうてき な手続 てつづ き
編集 へんしゅう
多 おお くの国 くに では人 ひと の死 し は医師 いし による死亡 しぼう 診断 しんだん 書 しょ 、場合 ばあい によっては死体 したい 検案書 けんあんしょ によって法的 ほうてき な死 し とする。なお、日本 にっぽん では死亡 しぼう 診断 しんだん 書 しょ は医師 いし だけでなく歯科 しか 医師 いし も作成 さくせい できるが、死体 したい 検案書 けんあんしょ については医師 いし のみである。
医師 いし に死亡 しぼう を宣告 せんこく された後 のち 、生 い き返 かえ ったとされる事例 じれい が存在 そんざい する[ 16] 。
イギリス のビクトリア時代 じだい のそのような逸話 いつわ では、あるものは防腐 ぼうふ 処理 しょり を始 はじ めた時 とき に、あるものは死 し の数日 すうじつ 後 ご に棺 かん の中 なか で意識 いしき を回復 かいふく するなどして動 うご き回 まわ ったりする[要 よう 出典 しゅってん ] 。当時 とうじ のイギリスでは、このような早 はや すぎた埋葬 まいそう を、強迫 きょうはく 観念 かんねん 的 てき に恐 おそ れるようになる人 ひと がいた。同 どう 時代 じだい 以前 いぜん には、ペスト などの伝染 でんせん 病 びょう 流行 りゅうこう 時 じ に、感染 かんせん を恐 おそ れて杜撰 ずさん な検死 けんし がしばしばあったとされ、これが死者 ししゃ 復活 ふっかつ (→吸血鬼 きゅうけつき やゾンビ ・グール など)の伝承 でんしょう となったと考 かんが える者 もの もいる[要 よう 出典 しゅってん ] 。
これらは、その当時 とうじ の検死 けんし 技術 ぎじゅつ が完全 かんぜん ではなく、ショック 状態 じょうたい における体温 たいおん の急激 きゅうげき な低下 ていか や、呼吸 こきゅう 量 りょう の著 いちじる しい減少 げんしょう 、あるいは血圧 けつあつ 低下 ていか による脈 みゃく の微弱 びじゃく な状態 じょうたい を死亡 しぼう と誤 あやま って判定 はんてい したケースや、一時 いちじ 的 てき な心肺 しんぱい 停止 ていし 後 のち に偶発 ぐうはつ 的 てき に心臓 しんぞう の鼓動 こどう が正常 せいじょう に戻 もど るなどして「生 い き返 かえ った」とみなされたとされる[要 よう 出典 しゅってん ] 。このため近代 きんだい 的 てき な検死 けんし では、最初 さいしょ のチェックから一定 いってい 時間 じかん 後 ご に生命 せいめい の兆候 ちょうこう がないかを再 さい 確認 かくにん するようになっている。
検死 けんし 技術 ぎじゅつ の発達 はったつ 以前 いぜん における土葬 どそう では、このように生 い きているにもかかわらず埋葬 まいそう される可能 かのう 性 せい があった。そのため発明 はつめい 家 か たちは被 ひ 埋葬 まいそう 者 しゃ の状態 じょうたい を棺 かん 外 がい に伝 つた える方法 ほうほう を発明 はつめい した。地表 ちひょう にはベルと旗 はた があり、それが棺 かん 内 ない に紐 ひも で繋 つな がっていた。棺 かん の蓋 ぶた には金槌 かなづち や滑車 かっしゃ 装置 そうち で壊 こわ せるガラス の仕切 しき りがあった。しかしこれは気休 きやす めでしかなく、この滑車 かっしゃ 装置 そうち が棺 かん にかけられた土 ど のため機能 きのう し得 え ず、棺 かん を破壊 はかい したところで割 わ れたガラスと土 ど が被 ひ 埋葬 まいそう 者 しゃ の顔 かお を覆 おお う事 こと になる。(安全 あんぜん な棺 かん も参照 さんしょう )
WHOによる人口 じんこう 百 ひゃく 万 まん 当 あ たり死者 ししゃ 数 すう (2012年 ねん ) 1,054–4,598
4,599–5,516
5,517–6,289
6,290–6,835
6,836–7,916
7,917–8,728
8,729–9,404
9,405–10,433
10,434–12,233
12,234–17,141
世界 せかい においては1日 にち あたり、おおよそ15万 まん 人 にん が死 し を迎 むか えるが、そのうち2/3は高齢 こうれい による加 か 齢 よわい 関連 かんれん が死因 しいん である[ 17] 。先進 せんしん 国 こく になるとその割合 わりあい は高 たか く、90%ほどが加 か 齢 よわい 関連 かんれん である[ 17] 。また日本 にっぽん では、およそ23秒 びょう に1人 ひとり が死亡 しぼう しており、悪性 あくせい 新 しん 生物 せいぶつ (腫瘍 しゅよう )が死因 しいん の最多 さいた を占 し める[ 18] 。
日本 にっぽん における月別 つきべつ 死亡 しぼう 数 すう の割合 わりあい [ 19] [ 20] 。日本 にっぽん では、近年 きんねん では、冬 ふゆ に死亡 しぼう する例 れい が多 おお く、それ以外 いがい の時期 じき の死亡 しぼう 数 すう は比較的 ひかくてき 少 すく ない。暖房 だんぼう 、冷房 れいぼう が普及 ふきゅう していなかった明治 めいじ 時代 じだい には冬 ふゆ と夏 なつ に2つの死亡 しぼう のピークが認 みと められる。
人 ひと が死 し に至 いた る原因 げんいん を死因 しいん と言 い う。
直接的 ちょくせつてき に死亡 しぼう に繋 つな がった原因 げんいん の事 こと を「直接 ちょくせつ 死因 しいん (direct cause of death)」と言 い い、直接 ちょくせつ 死因 しいん を招 まね いた原因 げんいん を「原 はら 死因 しいん (underlying cause of death)」と言 い う。[要 よう 出典 しゅってん ]
喫煙 きつえん するアメリカ人 じん の少年 しょうねん 、1910年 ねん 。タバコ の喫煙 きつえん は、20世紀 せいき に推定 すいてい 1億 おく 人 にん の死亡 しぼう を引 ひ き起 お こした。
(一般 いっぱん 的 てき な死因 しいん の分類 ぶんるい と必 かなら ずしも一致 いっち するわけではないが参考 さんこう までに)死亡 しぼう 診断 しんだん 書 しょ での「死因 しいん 」の分類 ぶんるい では次 つぎ のようになっている[ 21] 。
子宮 しきゅう 内 ない の胎児 たいじ が死亡 しぼう した状態 じょうたい で産 う まれる事 こと を、死 し 胎検案書 けんあんしょ では「自然 しぜん 死産 しざん 」や「人工 じんこう 死産 しざん 」と分類 ぶんるい する[ 24] 。厳密 げんみつ には胎児 たいじ そのものの死因 しいん を表 あらわ すものではないが、胎児 たいじ が死亡 しぼう した際 さい に用 もち いられる。
なお病死 びょうし に関 かん しては、近年 きんねん の日本 にっぽん では癌 がん ・心 こころ 疾患 しっかん ・肺炎 はいえん が3大 だい 要因 よういん となっている[ 25] 。
2018年 ねん (平成 へいせい 30年 ねん )では癌 がん ・心 こころ 疾患 しっかん ・老衰 ろうすい が上位 じょうい 3つを占 し めており、以後 いご 脳 のう 血管 けっかん 障害 しょうがい 、肺炎 はいえん 、不慮 ふりょ の事故 じこ と続 つづ く[ 26] 。
南北戦争 なんぼくせんそう での南 みなみ 軍兵 ぐんびょう の死体 したい (1865年 ねん 、ピッツバーグ )
死 し に至 いた った場合 ばあい 、生物 せいぶつ 体 たい は次第 しだい に崩壊 ほうかい に至 いた る。これは主 しゅ として二 ふた つの作用 さよう による。
一 ひと つは、生物 せいぶつ 体 からだ 自身 じしん が自 みずか らを分解 ぶんかい することである。たとえば消化 しょうか 酵素 こうそ のように、生物 せいぶつ 体 たい を分解 ぶんかい することが可能 かのう な酵素 こうそ は生物 せいぶつ 体内 たいない のあちこちに存在 そんざい しており、これによって生物 せいぶつ 体 たい が分解 ぶんかい されないのは、生命 せいめい 活動 かつどう のひとつとして、それらを隔離 かくり した状態 じょうたい にする活動 かつどう があるからである。死 し によってそれが止 と まれば、生物 せいぶつ 体 たい は自 みずか ら分解 ぶんかい を始 はじ める。
もう一 ひと つは、他 た の生物 せいぶつ に分解 ぶんかい されることである。生物 せいぶつ の体 からだ は、それ以外 いがい のさまざまな生物 せいぶつ にとって有益 ゆうえき な栄養 えいよう 源 げん である。特 とく に微生物 びせいぶつ は常 つね に空気 くうき 中 ちゅう や地面 じめん などから侵入 しんにゅう を試 こころ みている。これが成功 せいこう しないのは、生 い きた生物 せいぶつ には免疫 めんえき の働 はたら きがあるからである。死 し によってその活動 かつどう が止 と まれば、たちまちそれらの侵入 しんにゅう と繁殖 はんしょく が始 はじ まる。
原則 げんそく として単細胞 たんさいぼう 生物 せいぶつ には寿命 じゅみょう (老化 ろうか )による死 し という概念 がいねん が無 な い。
多 た 細胞 さいぼう 生物 せいぶつ はテロメア によって細胞 さいぼう の分裂 ぶんれつ 回数 かいすう が制限 せいげん されており、分裂 ぶんれつ 回数 かいすう の限界 げんかい が老化 ろうか をもたらすが、真 ま 核 かく 単細胞 たんさいぼう 生物 せいぶつ は例外 れいがい なくテロメラーゼ によってテロメアを修復 しゅうふく することで、無限 むげん に増 ふ えることができる。
単細胞 たんさいぼう 生物 せいぶつ に寿命 じゅみょう なるものをさがそうとしても、ゾウリムシ の分裂 ぶんれつ 制限 せいげん ぐらいしか挙 あ げられない。ゾウリムシ を人為 じんい 的 てき に一 いち 個体 こたい ずつに隔離 かくり する事 こと を繰 く り返 かえ して、自家 じか 生殖 せいしょく もしくは接合 せつごう を行 おこな わせないよう注意深 ちゅういぶか く飼育 しいく したところ、350回 かい 程度 ていど の細胞 さいぼう 分裂 ぶんれつ の後 のち に死 し を迎 むか える。これはゾウリムシは自家 じか 生殖 せいしょく もしくは接合 せつごう による核 かく の融合 ゆうごう がテロメラーゼを働 はたら かせるスイッチになっているからである。故 ゆえ に、自然 しぜん 界 かい で寿命 じゅみょう を迎 むか えることは、ありえないと言 い って良 よ い。
多 た 細胞 さいぼう 生物 せいぶつ では細胞 さいぼう ・組織 そしき ・個体 こたい の死 し は区別 くべつ される。
一般 いっぱん 的 てき には、呼吸 こきゅう が停止 ていし し、脈拍 みゃくはく が無 な くなると、死 し の過程 かてい が開始 かいし される。日本 にっぽん では心肺 しんぱい 停止 ていし 、国際 こくさい 的 てき には心 しん 停止 ていし (Cardiac arrest)と呼 よ ばれる。
通常 つうじょう の細胞 さいぼう 機能 きのう は、不可欠 ふかけつ な細胞 さいぼう 代謝 たいしゃ のために必要 ひつよう なエネルギー と、酵素 こうそ と構造 こうぞう タンパク質 たんぱくしつ の生産 せいさん 、細胞 さいぼう の化学 かがく 的 てき および浸透 しんとう 的 てき 恒常 こうじょう 性 せい の維持 いじ 、などを含 ふく む。通常 つうじょう に機能 きのう している細胞 さいぼう は、酸素 さんそ 、リン酸 さん 塩 しお 、カルシウム 、水素 すいそ 、炭素 たんそ 、窒素 ちっそ 、硫黄 いおう 、栄養 えいよう 的 てき な基質 きしつ 、ATP 、などを摂取 せっしゅ する必要 ひつよう があり、また無傷 むきず の細胞 さいぼう 膜 まく と酸素 さんそ を消費 しょうひ する不変 ふへん の活動 かつどう も必要 ひつよう とする。これらの要素 ようそ のうちどれが遮 さえぎ られても、細胞 さいぼう 死 し は起 お こりえる。心肺 しんぱい 停止 ていし で細胞 さいぼう 死 し が急速 きゅうそく に進行 しんこう することになる。
心肺 しんぱい 停止 ていし の状態 じょうたい になると、大量 たいりょう の酸素 さんそ を必要 ひつよう とする脳 のう が速 すみ やかに破壊 はかい される。人間 にんげん の身体 しんたい の中枢 ちゅうすう であるため、意識 いしき の回復 かいふく や、身体 しんたい の恒常 こうじょう 性 せい の維持 いじ も期待 きたい できなくなる。
レンブラント 『ニコラス・テュルプ博士 はかせ の解剖 かいぼう 学 がく 講義 こうぎ 』(1632年 ねん )
死後 しご に人体 じんたい におこる変化 へんか を死後 しご 変化 へんか と言 い う。まず、心拍 しんぱく が停止 ていし した時点 じてん を死亡 しぼう 時間 じかん とし、その後 ご 見 み られる現象 げんしょう は以下 いか の通 とお りである。死亡 しぼう 後 ご に見 み られる明 あき らかな変化 へんか の多 おお くは、血 ち 流 りゅう の停止 ていし によってもたらされる。 [要 よう 出典 しゅってん ]
まず、体 からだ 表 ひょう 温度 おんど が速 すみ やかに室温 しつおん に近 ちか づいていく。死後 しご 、体 からだ 芯 しん 温度 おんど は体 からだ 表 ひょう 温度 おんど と異 こと なり、緩 ゆる やかに気温 きおん に近 ちか づく。多 おお くの場合 ばあい 、気温 きおん は体温 たいおん より低 ひく いため、低下 ていか する(死 し 冷 ひや )。体温 たいおん の低下 ていか 速度 そくど は、死亡 しぼう 時 じ の体温 たいおん や死体 したい の大 おお きさ、環境 かんきょう や着衣 ちゃくい など、いくつかの要因 よういん によって変化 へんか する。周囲 しゅうい の湿度 しつど が低 ひく い場合 ばあい 、指 ゆび 尖 とんが 、鼻 はな 尖 とんが 等 とう の突出 とっしゅつ 部位 ぶい から速 すみ やかに乾燥 かんそう し皮膚 ひふ の収縮 しゅうしゅく がみられ、ミイラ化 か が始 はじ まる。生理学 せいりがく 的 てき には、血 ち 流 りゅう 停止 ていし 後 ご 、酸素 さんそ の供給 きょうきゅう が途絶 とだ えた全身 ぜんしん の細胞 さいぼう の内 うち 、神経 しんけい 細胞 さいぼう などの脆弱 ぜいじゃく な細胞 さいぼう から、数 すう 分 ふん 以内 いない に不 ふ 可逆 かぎゃく 的 てき な変化 へんか が始 はじ まり、最後 さいご に筋繊維 きんせんい などの一番 いちばん 疎 うと 血 ち に強 つよ い細胞 さいぼう が死滅 しめつ する。末梢 まっしょう の、上皮 じょうひ など血液 けつえき 以外 いがい から酸素 さんそ を得 え られる細胞 さいぼう では血 ち 流 りゅう の停止 ていし による水分 すいぶん の不足 ふそく (乾燥 かんそう )、電解 でんかい 質 しつ の異常 いじょう などを原因 げんいん に細胞 さいぼう 死 し が始 はじ まる。乾燥 かんそう から免 まぬか れ、周囲 しゅうい の空気 くうき から何 なに とか酸素 さんそ が供給 きょうきゅう されている場合 ばあい 、毛根 もうこん などの細胞 さいぼう はしばらく生存 せいぞん する可能 かのう 性 せい もあるが、死体 したい の髭 ひげ や髪 かみ が伸 の びると言 い われる場合 ばあい 、多 おお くは表皮 ひょうひ の乾燥 かんそう による収縮 しゅうしゅく のため、毛髪 もうはつ がより露出 ろしゅつ して見 み えることによる錯覚 さっかく であるとも言 い われている。また、まばたきが行 おこな われないため、角膜 かくまく の乾燥 かんそう 、角膜 かくまく の細胞 さいぼう 死 し による蛋白 たんぱく の変性 へんせい による白濁 はくだく が速 すみ やかに進行 しんこう する。[要 よう 出典 しゅってん ]
死体 したい が腐敗 ふはい するより前 まえ に死後 しご 硬直 こうちょく が始 はじ まる。死体 したい 硬直 こうちょく の発現 はつげん までの時間 じかん とその持続 じぞく 期間 きかん は、死亡 しぼう 時 じ の筋肉 きんにく の温度 おんど と気温 きおん に影響 えいきょう を受 う ける。死体 したい 硬直 こうちょく は通常 つうじょう 、死 し の2 - 4時 じ 間 あいだ 後 ご に始 はじ まり[要 よう 出典 しゅってん ] 、筋肉 きんにく はこの過程 かてい で、筋 すじ 原 げん 線維 せんい 内 ない にあるATP の減少 げんしょう と乳酸 にゅうさん アシドーシスのため、徐々 じょじょ にこわばっていく。死後 しご 9 - 12時 じ 間 あいだ 経過 けいか すると、筋 すじ 原 げん 繊維 せんい の機能 きのう が失 うしな われるため死体 したい 硬直 こうちょく は解除 かいじょ される。死後 しご 硬直 こうちょく 中 ちゅう に他動的 たどうてき に関節 かんせつ を屈伸 くっしん させると死後 しご 硬直 こうちょく は解除 かいじょ される。また気温 きおん が十分 じゅうぶん に高 たか ければ、死体 したい 硬直 こうちょく は起 お こらない。[要 よう 出典 しゅってん ]
仮死 かし 状態 じょうたい から医学 いがく 処置 しょち などで蘇生 そせい した人 ひと の4 - 18%が仮死 かし 体験 たいけん の状態 じょうたい で体験 たいけん した出来事 できごと を報告 ほうこく する。つまり、医師 いし などによって死亡 しぼう したと判定 はんてい されたのに、時間 じかん を経 へ て再 ふたた び生 い き返 かえ る人 ひと がいる。別 べつ のい方 いかた をするなら、仮死 かし 状態 じょうたい から生 い き返 かえ る人 ひと である。ゆえに「臨死 りんし 体験 たいけん 」と呼 よ ばれている。
有史 ゆうし 以来 いらい 、「臨死 りんし 体験 たいけん 」をした人々 ひとびと が多 おお くいたようであり、西洋 せいよう でも東洋 とうよう でも類似 るいじ の内容 ないよう が様々 さまざま な文献 ぶんけん に記録 きろく されているという。ハーバードで宗教 しゅうきょう 学 がく の講義 こうぎ を担当 たんとう するキャロル・ザレスキーは、中世 ちゅうせい の文献 ぶんけん は臨死 りんし 体験 たいけん の記述 きじゅつ であふれていると指摘 してき した。また、日本 にっぽん でも『今昔 こんじゃく 物語 ものがたり 』『宇治 うじ 拾遺 しゅうい 物語 ものがたり 』『扶桑 ふそう 物語 ものがたり 』『日本 にっぽん 往生 おうじょう 極楽 ごくらく 記 き 』などに臨死 りんし 体験 たいけん そっくりの記述 きじゅつ があるという[ 27] 。
近年 きんねん では医学 いがく 技術 ぎじゅつ により、停止 ていし した心臓 しんぞう の拍 はく 動 どう や呼吸 こきゅう をふたたび開始 かいし させることも可能 かのう になったため、死 し の淵 ふち から生還 せいかん する人 ひと の数 かず は過去 かこ に比 くら べて増 ふ えている[ 28] 。
臨死 りんし 体験 たいけん の研究 けんきゅう というのは、欧米 おうべい では地質 ちしつ 学者 がくしゃ のアルベルト・ハイム が登山 とざん 時 じ の事故 じこ で自身 じしん が臨死 りんし 体験 たいけん したことをきっかけに行 おこな い1892年 ねん に発表 はっぴょう し先鞭 せんべん をつけ、その後 ご 1910年代 ねんだい - 1920年代 ねんだい に数 すう 名 めい により研究 けんきゅう が発表 はっぴょう されたが一旦 いったん 途絶 とだ え、1975年 ねん にキューブラー=ロス とレイモンド・ムーディ という医師 いし があいついで著書 ちょしょ を出版 しゅっぱん したことで再 ふたた び注目 ちゅうもく されるようになった[ 27] 。1982年 ねん には、やはり医師 いし のマイクル・セイボムも調査 ちょうさ 結果 けっか [ 29] を出版 しゅっぱん した[ 27] 。
人 ひと は死 し に臨 のぞ んで、まばゆいばかりの光 ひかり 、美 うつく しい景色 けしき などを見 み たり、この世 よ を去 さ って久 ひさ しい身内 みうち などが現 あらわ れたりするという。自分 じぶん が宙 ちゅう に浮 う き上 あ がり、その後 ご に肉体 にくたい の中 なか に戻 もど ってきたことを思 おも い出 だ すこともあるという[ 28] 。臨死 りんし 体験 たいけん は様々 さまざま に解釈 かいしゃく されている。スピリチュアルな解釈 かいしゃく と唯物 ゆいぶつ 論 ろん 的 てき 解釈 かいしゃく があり、医師 いし や科学 かがく 者 しゃ の間 あいだ でも解釈 かいしゃく は分 わ かれている[ 30] [ 31] (臨死 りんし 体験 たいけん にて詳説 しょうせつ )。
死 し のシンボルとされる人間 にんげん の骸骨 がいこつ
骸骨 がいこつ での表現 ひょうげん
自然 しぜん 言語 げんご はその成 な り立 た ちからして基本 きほん 的 てき にメタファー で出来 でき ているものであり、死 し という表現 ひょうげん も、何 なに かしら生命 せいめい に擬 ぎ せられる存在 そんざい が、その比喩 ひゆ 的 てき な「命 いのち 」を失 うしな うような場合 ばあい にも使 つか われる。「ロ ろ ーマ帝国 まていこく の死 し 」、「星 ほし の死 し 」などである。
OSの死 し 、ブルースクリーン 。ソウルの地下鉄 ちかてつ にて
現在 げんざい [いつ? ] では、機械 きかい 装置 そうち などが破損 はそん した場合 ばあい に「死 し んだ」などと形容 けいよう されることもある。とくにコンピュータ に対 たい しては、電源 でんげん が切 き れた、クラッシュした、あるいはプロセス が停止 ていし したなどの状態 じょうたい を比喩 ひゆ 的 てき に「死 し んだ」と表現 ひょうげん することがあり、その延長 えんちょう で「プロセスを殺 ころ す」(進行 しんこう 中 ちゅう の処理 しょり を停止 ていし させる)などといった比喩 ひゆ 表現 ひょうげん も使 つか われる(一 いち 例 れい を挙 あ げれば、UNIX系 けい オペレーティングシステムでは単 たん なる比喩 ひゆ に止 と まらずプロセス停止 ていし コマンドとして'kill'コマンドが存在 そんざい している)。生命 せいめい の不 ふ 可逆 かぎゃく 的 てき な死 し とは異 こと なり、これら機械 きかい の比喩 ひゆ 的 てき な死 し では破損 はそん した部品 ぶひん を交換 こうかん するなり修理 しゅうり して、コンピュータの場合 ばあい はクラッシュしたプログラムに関 かん するメモリを破棄 はき して記憶 きおく 媒体 ばいたい から読 よ み出 だ しなおすなど復旧 ふっきゅう させる方法 ほうほう は幾 いく らでもある。特 とく に技術 ぎじゅつ 筋 すじ にもなると「異常 いじょう や故障 こしょう が手 て に負 お えなくなり、それを破棄 はき して異常 いじょう のないものに入 い れ替 か えする以外 いがい に対処 たいしょ 方法 ほうほう がない」場合 ばあい に「死 し んだ」と表現 ひょうげん する。
相撲 すもう の「死 し に体 たい 」、野球 やきゅう の「死球 しきゅう 」などの表現 ひょうげん でも用 もち いられている。また、一定 いってい の職業 しょくぎょう に就 つ いていた者 もの が、様々 さまざま な諸 しょ 事情 じじょう によってその職務 しょくむ が著 いちじる しく困難 こんなん になった場合 ばあい などはたとえ生物 せいぶつ 学 がく 的 まと には生 い きてはいてもマスメディア などでは「○○生命 せいめい が絶 た たれる。 」などと表現 ひょうげん される。また、政治 せいじ 家 か や芸能人 げいのうじん 、ジャーナリスト など社会 しゃかい 的 てき に注目 ちゅうもく される職業 しょくぎょう に従事 じゅうじ する者 もの が、自身 じしん が運営 うんえい しているブログ のいわゆる「炎上 えんじょう 」などによって事実無根 じじつむこん の様々 さまざま な風評 ふうひょう 被害 ひがい を受 う けることにより、上記 じょうき のような社会 しゃかい 的 てき 活動 かつどう を行 おこな えなくなったものなども職業 しょくぎょう 人 じん としては「死 し んでいる」もしくは「殺 ころ された」ようなものであるため「社会 しゃかい 学 がく 的 てき な死 し 」とみなされる。
なお、「死 し ぬ」や「死 し にそうなくらい辛 つら い」など、「もうだめだ」と弱音 よわね を吐 は く時 とき に、死 し を比喩 ひゆ や誇張 こちょう 表現 ひょうげん の道具 どうぐ として、主 おも に若者 わかもの が使 つか うネットスラング に「タヒる 」「タヒぬ」というのもある。これは、半角 はんかく で書 か かれた「タヒ」が「死 し 」という字 じ に似 に ていることが語源 ごげん である[ 32] 。
コンピュータゲーム では、主 おも にプレイヤーストック制 せい を採用 さいよう しているゲームにおいて、ミスをして自 じ 機 き が1つ減 へ ることを「死 し ぬ」と表現 ひょうげん されることがある。
英語 えいご やフランス語 ふらんすご では、兵士 へいし が敗北 はいぼく を喫 きっ したときに「ほこり(土 ど )を噛 か む(英語 えいご :bite the dust、フランス語 ふらんすご :mordre la poussière)」、ドイツ語 ご では、「草 くさ を噛 か む(Ins Gras beißen (ドイツ語 ご 版 ばん ) )」という表現 ひょうげん が使 つか われる。土 ど を噛 か むという表現 ひょうげん は、古代 こだい ギリシアのイーリアス (2, 418)などにも見 み ることができる。
日本語 にほんご では、砂 すな を噛 か むは感情 かんじょう が湧 わ かないような時 とき の表現 ひょうげん で、意味合 いみあ いは異 こと なる。コンピュータゲームでは、敗北 はいぼく を喫 きっ するときに使 つか う表現 ひょうげん として「床 ゆか ペロ」という言葉 ことば が使 つか われる[ 33] 。
芸術 げいじゅつ 作品 さくひん が、人 ひと の目 め に触 ふ れぬようになったり(死蔵 しぞう )、作者 さくしゃ の意図 いと した事柄 ことがら が部分 ぶぶん 的 てき にすら受 う け取 と られなくなった場合 ばあい 、その作品 さくひん は意味 いみ をなくし" 死 し ぬ "とされる。
古代 こだい ギリシャ 、古代 こだい ローマ において人間 にんげん は死 し すべきものと呼 よ ばれ、神 かみ 々 、則 のり ち不死 ふし なるものの永遠 えいえん 性 せい との対比 たいひ によって、時間 じかん 的 てき に限 かぎ られたものとイメージされ、芸術 げいじゅつ 家 か や詩人 しじん とは、この限界 げんかい を乗 の り越 こ え人間 にんげん と神 かみ 々を媒介 ばいかい するものと考 かんが えられた[要 よう 出典 しゅってん ] [ 34] 。現在 げんざい [いつ? ] でも芸術 げいじゅつ 作品 さくひん は "不死 ふし 性 せい " と結 むす び付 つ けられて捉 とら えられることが多 おお い。
ヴァルター・ベンヤミン (1892年 ねん - 1940年 ねん )はすでに"死 し んでしまった"芸術 げいじゅつ 作品 さくひん の「救済 きゅうさい 」が歴史 れきし 家 か の使命 しめい であると考 かんが えた。
20世紀 せいき 後半 こうはん には、クンデラ や大江 おおえ 健三郎 けんざぶろう らが、「小説 しょうせつ の死 し 」、「文学 ぶんがく の死 し 」といった言葉 ことば を用 もち いた。
実 じつ は死 し んでいない - シャーロック・ホームズのライヘンバッハの滝 たき での死闘 しとう 後 ご からの復活 ふっかつ 。「ギャグキャラじゃなければ死 し んでいた」など、人気 にんき キャラクターを作者 さくしゃ やファンが殺 ころ せなくなったり、作風 さくふう として生 い きている、もしくは作品 さくひん を盛 も り上 あ げるために一時 いちじ 的 てき に死 し んだように装 よそ われるプロット・デバイス 。
^ 死 し の判定 はんてい をする医療 いりょう 者 しゃ について。原則 げんそく として医師 いし と歯科 しか 医師 いし 以外 いがい の者 もの が患者 かんじゃ の死亡 しぼう を宣言 せんげん する権限 けんげん はない。消防 しょうぼう 機関 きかん の救急 きゅうきゅう 業務 ぎょうむ 規程 きてい の中 なか では、「明 あき らかに死亡 しぼう している場合 ばあい 」や「医師 いし が死亡 しぼう していると診断 しんだん した場合 ばあい 」には、救急 きゅうきゅう 隊 たい は患者 かんじゃ を搬送 はんそう しないと定 さだ められている。すなわち、それ以外 いがい の場合 ばあい では、患者 かんじゃ が生存 せいぞん している可能 かのう 性 せい があるものとして取 と り扱 あつか うことが求 もと められている。「明 あき らかに死亡 しぼう 」とは、断頭 だんとう 、体 からだ 幹部 かんぶ の離 はなれ 断 だん 、死体 したい 硬直 こうちょく 、死斑 しはん 、腐敗 ふはい 、炭化 たんか 、ミイラ 化 か その他 た の明 あき らかに生存 せいぞん 状態 じょうたい とは矛盾 むじゅん する身体 しんたい への損害 そんがい (いわゆる社会 しゃかい 死 し 状態 じょうたい )をいう。社会 しゃかい 死 し 要件 ようけん を満 み たさない場合 ばあい 、救急 きゅうきゅう 隊員 たいいん は救命 きゅうめい 措置 そち を開始 かいし 後 ご に、医師 いし の診断 しんだん を受 う けるまでそれをやめてはならない。病院 びょういん 到着 とうちゃく 時 じ の診察 しんさつ で死亡 しぼう が確認 かくにん されることを、DOA(Dead on arrival = 病院 びょういん 到着 とうちゃく 時 じ すでに死亡 しぼう )という。
^ 実 じつ は意識 いしき の有無 うむ の判定 はんてい も容易 ようい ではない。意識 いしき の停止 ていし は睡眠 すいみん 中 なか や昏睡 こんすい 中 なか にも起 お こりえるため、停止 ていし は一時 いちじ 的 てき なものではなく、永続 えいぞく 的 てき で回復 かいふく 不能 ふのう なものでなくてはならない。意識 いしき の停止 ていし がたんなる睡眠 すいみん であった場合 ばあい は脳波 のうは 計 けい で比較的 ひかくてき 簡単 かんたん に確認 かくにん できる。
だが、脳 のう の一部 いちぶ の機能 きのう が失 うしな われたと外的 がいてき にモニタできた場合 ばあい でも、その状態 じょうたい で意識 いしき があるのか無 な いのか、判断 はんだん できない場合 ばあい が多 おお い。
^ 一部 いちぶ の人 ひと は、脳幹 のうかん が生 い きているかどうかを線引 せんひ きに使 つか えばいい、と主張 しゅちょう している。だが、脳幹 のうかん の機能 きのう が停止 ていし しているにもかかわらず、聴覚 ちょうかく のほうは生 い きて機能 きのう を保 たも っていて、周囲 しゅうい の人 ひと の言葉 ことば を理解 りかい している患者 かんじゃ の事例 じれい も発見 はっけん された。
^ 一部 いちぶ の人 ひと は、「人間 にんげん の意識 いしき に必要 ひつよう なのは脳 のう の新 しん 皮質 ひしつ だけである」と主張 しゅちょう している。こうした人 ひと は「新 しん 皮質 ひしつ の電気 でんき 的 てき 活性 かっせい だけを基準 きじゅん に死 し の判定 はんてい をすべきである」とする。"大脳皮質 だいのうひしつ の死 し によってもたらされる認識 にんしき 機能 きのう の永続 えいぞく 的 てき で回復 かいふく 不能 ふのう な消失 しょうしつ が、死 し を判定 はんてい する基準 きじゅん となる"と述 の べる人 ひと もいる(関西医科大学 かんさいいかだいがく 大学院 だいがくいん 法医学 ほういがく 生命 せいめい 倫理 りんり 学 がく 研究 けんきゅう 室 しつ による関西医科大学 かんさいいかだいがく 法医学 ほういがく 講座 こうざ )。"人 じん の思考 しこう と人格 じんかく を回復 かいふく する望 のぞ みはないから"と考 かんが えるのである。
^ 酸 さん 欠 かけ によって大脳皮質 だいのうひしつ の機能 きのう が失 うしな われた場合 ばあい でも、脳 のう の電気 でんき 的 てき 活性 かっせい が脳波 のうは 計 けい が感知 かんち するにはあまりに低 ひく かった場合 ばあい 、何 なに も存在 そんざい しなくても、脳波 のうは 計 けい はノイズ (見 み かけの電気 でんき 信号 しんごう )を感知 かんち することがある。(病院 びょういん では、脳波 のうは 計 けい を使 つか って死 し を判定 はんてい をするときは、病院 びょういん 内 ない で広 ひろ く空間 くうかん を隔 へだ てるなどの精巧 せいこう な実施 じっし 要綱 ようこう があるという。)
^ 米国 べいこく では、2005年 ねん に、植物 しょくぶつ 状態 じょうたい におちいったテリー・スキアボ の尊厳 そんげん 死 し を巡 めぐ る事例 じれい が、アメリカの政治 せいじ を脳死 のうし と人為 じんい 的 てき な生命 せいめい 維持 いじ の問題 もんだい に直面 ちょくめん させた。一般 いっぱん 的 てき に、そのように死 し の判定 はんてい を巡 めぐ って争 あらそ われた事例 じれい で、脳 のう の死因 しいん は無 む 酸素 さんそ 状態 じょうたい によって起 お こる。大脳皮質 だいのうひしつ はおよそ7分間 ふんかん の酸 さん 欠 かけ で死 し に至 いた る。
^ 人工 じんこう 心肺 しんぱい などの医療 いりょう 技術 ぎじゅつ が登場 とうじょう したことによって、心肺 しんぱい 停止 ていし 状態 じょうたい でも恒常 こうじょう 的 てき に脳 のう を生 い かし意識 いしき を保 たも つことも可能 かのう になった。また、脳 のう 機能 きのう のみが廃絶 はいぜつ しても心肺 しんぱい 機能 きのう を人工 じんこう 的 てき に維持 いじ することが可能 かのう となり、心肺 しんぱい 機能 きのう が保 たも たれているが脳 のう の活動 かつどう を示 しめ す所見 しょけん がない状態 じょうたい を「脳死 のうし 」、心肺 しんぱい 停止 ていし による心肺 しんぱい 脳 のう 全 すべ ての停止 ていし を「心臓 しんぞう 死 し 」と呼 よ ぶようになった。また、人間 にんげん の心臓 しんぞう や肺 はい に代 か わる生命 せいめい 維持 いじ 装置 そうち 、あるいはペースメーカー などによって生命 せいめい を保 たも つことが可能 かのう な場合 ばあい が現 あらわ れた。また、心肺 しんぱい 蘇生 そせい 術 じゅつ と迅速 じんそく な細 ぼそ 動 どう 除去 じょきょ の発達 はったつ によって、鼓動 こどう や呼吸 こきゅう は再開 さいかい させることができる場合 ばあい も現 あらわ れ、死 し に関 かん する従来 じゅうらい の医学 いがく 的 てき な考 かんが え方 かた でも割 わ り切 き れなくなってきた。そして心拍 しんぱく や呼吸 こきゅう の停止 ていし を「臨床 りんしょう 死 し 」と呼 よ びわけることも行 おこな われるようになった。「死 し 」をめぐる状況 じょうきょう は複雑 ふくざつ 化 か してきているのである。
^ こういう提案 ていあん をする人 ひと は、「不 ふ 可逆 かぎゃく 的 てき 」の意味 いみ を理解 りかい するには人間 にんげん の例 れい で考 かんが えるとわかりやすい、と言 い う。人間 にんげん の髪 かみ の毛 け や爪 つめ は心臓 しんぞう ・肺 はい ・脳 のう が全 すべ て停止 ていし していても、数日 すうじつ 間 あいだ は伸 の び続 つづ ける。この間 あいだ は毛根 もうこん 細胞 さいぼう は生 い きているが、心肺 しんぱい 脳 のう が全 すべ て停止 ていし している場合 ばあい 、やがては毛根 もうこん の活動 かつどう も停止 ていし してゆくことは免 まぬか れない。こう考 かんが えて、「個体 こたい の状態 じょうたい の不 ふ 可逆 かぎゃく 的 てき な活動 かつどう 停止 ていし への変化 へんか が死 し 」だと言 い う。この考 かんが え方 かた では、逆 ぎゃく に事故 じこ などで心肺 しんぱい 停止 ていし 状態 じょうたい に陥 おちい っても心肺 しんぱい 蘇生 そせい によって息 いき を吹 ふ き返 かえ した時 とき には、この間 あいだ の心肺 しんぱい 停止 ていし は可逆 かぎゃく 的 てき なので死 し とは言 い わない、のだという。(出典 しゅってん :関西医科大学 かんさいいかだいがく 大学院 だいがくいん 法医学 ほういがく 生命 せいめい 倫理 りんり 学 がく 研究 けんきゅう 室 しつ による関西医科大学 かんさいいかだいがく 法医学 ほういがく 講座 こうざ
^ 養老 ようろう 孟司 たけし は、このような「死 し に向 む かって不 ふ 可逆 かぎゃく 的 てき に進行 しんこう する過程 かてい になる状態 じょうたい 」が死 し だ、とする定義 ていぎ は、もっともらしく聞 き こえはするが、根本 こんぽん 的 てき に問題 もんだい がある、と指摘 してき している。というのは、そもそも人間 にんげん は全員 ぜんいん 死 し ぬ。つまり、人間 にんげん は全員 ぜんいん 、生 う まれた時 とき から死 し に向 む かって不 ふ 可逆 かぎゃく 的 てき に進行 しんこう する存在 そんざい であり、後戻 あともど りできない。そもそも人 ひと は誰 だれ でも、最初 さいしょ からその状態 じょうたい で生 い きているのに、「不 ふ 可逆 かぎゃく 的 てき に……」といったことを定義 ていぎ として持 も ち出 だ す論者 ろんしゃ は、ある人 ひと が、論者 ろんしゃ がイメージする"死 し に向 む かって不 ふ 可逆 かぎゃく 的 てき に進行 しんこう する過程 かてい " なるものに、いつから入 はい ったのか、どうやって判定 はんてい するのか? と、養老 ようろう はその定義 ていぎ ・論法 ろんぽう の問題 もんだい 点 てん を指摘 してき している。(養老 ようろう 孟司 たけし 2004 , p. 69)
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引用 いんよう 句集 くしゅう があります。