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古事記こじき」のはんあいだ差分さぶん

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==概論がいろん==
==概論がいろん==
成立せいりつ経緯けいいしるしているじょによれば、[[稗田ひえた阿礼あれい]]が暗誦あんしょうしていた『[[みかど]]』(天皇てんのう系譜けいふ)・『[[きゅう]]』(ふる伝承でんしょう)を[[太安万侶おおのやすまろ]]がきし、編纂へんさんしたものである。
成立せいりつ経緯けいいしるしているじょによれば、[[稗田ひえた阿礼あれい]]が暗誦あんしょうしていた『[[みかど]]』(天皇てんのう系譜けいふ)・『[[きゅう]]』(ふる伝承でんしょう)を[[太安万侶おおのやすまろ]]がきし、編纂へんさんしたものとされている。


古事記こじき』はふる書物しょもつしめ一般いっぱんめいであり正式せいしきめいではないとわれている。書名しょめいやすまん侶がけたのか、後人こうじんけたのかはあきらかでない。みは「フルコトブミ」とのせつもあったが、今日きょうでは一般いっぱんに「コジキ」とおとんでいる。
古事記こじき書名しょめい、もともと固有名詞こゆうめいしではなくふる書物しょもつしめ一般いっぱんめいであり正式せいしきめいではないとわれている。書名しょめいやすまん侶がけたのか、後人こうじんけたのかはあきらかでない。みは「フルコトブミ」とのせつもあったが、今日きょうでは一般いっぱん音読おんよみで「コジキ」とばれている。


『[[日本書紀にほんしょき]]』のような勅撰ちょくせんの[[正史せいし]]ではないが、序文じょぶん天武天皇てんむてんのう
『[[日本書紀にほんしょき]]』のような勅撰ちょくせんの[[正史せいし]]ではないが、序文じょぶん天武天皇てんむてんのう
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本文ほんぶんはいわゆる変体へんたい漢文かんぶん主体しゅたいとしつつも、古語こご固有名詞こゆうめいしのように漢文かんぶんでは代用だいようしづらい微妙びみょう部分ぶぶんいちいちおと表記ひょうきしるすという表記ひょうきスタイルをっている。いちいちおと表記ひょうき箇所かしょには、まれにみぎはたに「うえ」「」のように漢語かんごの[[声調せいちょう]]をあらわす文字もじはいして、当該とうがいの[[アクセント]]をしめすこともある。いずれも、いかに正確せいかくにかつ効率こうりつよく記述きじゅつするかでなやんでいた(序文じょぶん参照さんしょう編者へんしゃ太安万侶おおのやすまろなみだぐましいまでの苦心くしんあとである。歌謡かよう部分ぶぶんはすべていちいちおと表記ひょうきしるされており、本文ほんぶんいちいちおと表記ひょうき部分ぶぶんふくめて、[[上代じょうだい特殊とくしゅ仮名遣かなづかい]]の研究けんきゅうかせないものとなっている。
本文ほんぶんはいわゆる変体へんたい漢文かんぶん主体しゅたいとしつつも、古語こご固有名詞こゆうめいしのように漢文かんぶんでは代用だいようしづらい微妙びみょう部分ぶぶんいちいちおと表記ひょうきしるすという表記ひょうきスタイルをっている。いちいちおと表記ひょうき箇所かしょには、まれにみぎはたに「うえ」「」のように漢語かんごの[[声調せいちょう]]をあらわす文字もじはいして、当該とうがいの[[アクセント]]をしめすこともある。いずれも、いかに正確せいかくにかつ効率こうりつよく記述きじゅつするかでなやんでいた(序文じょぶん参照さんしょう編者へんしゃ太安万侶おおのやすまろなみだぐましいまでの苦心くしんあとである。歌謡かよう部分ぶぶんはすべていちいちおと表記ひょうきしるされており、本文ほんぶんいちいちおと表記ひょうき部分ぶぶんふくめて、[[上代じょうだい特殊とくしゅ仮名遣かなづかい]]の研究けんきゅうかせないものとなっている。


上代じょうだい特殊とくしゅ仮名遣かなづかいの「モ」のけは『古事記こじき』のみにられるものである<ref>[[上代じょうだい特殊とくしゅ仮名遣かなづかい]]とは、上代じょうだい文献ぶんけんられる万葉仮名まんようがな特殊とくしゅ使つかけのことである。本来ほんらい仮名遣かなづかいとは現代げんだい仮名遣かなづかいの「お」と「を」のように同音どうおんのものをことなる文字もじけることであるが、上代じょうだい特殊とくしゅ仮名遣かなづかい場合ばあい音韻おんいんちがいをあらわしているので、特殊とくしゅ仮名遣かなづかいんでいる。通説つうせつによれば、上代じょうだい日本語にほんごはキヒミ・ケヘメ・コソトノモヨロの13音節おんせつとこれらの濁音だくおんぶしがそれぞれ甲乙こうおつるいけられている。ただし、「モ」のけは古事記こじきのみにられるものである。[[邪馬台国やまたいこく]]畿内きないせつ論拠ろんきょとしてこの上代じょうだい特殊とくしゅ仮名遣かなづかいげる研究けんきゅうしゃもいる。</ref>。
上代じょうだい特殊とくしゅ仮名遣かなづかいの「モ」のけは『古事記こじき』のみにられるものである<ref>[[上代じょうだい特殊とくしゅ仮名遣かなづかい]]とは、上代じょうだい文献ぶんけんられる万葉仮名まんようがな特殊とくしゅ使つかけのことである。本来ほんらい仮名遣かなづかいとは現代げんだい仮名遣かなづかいの「お」と「を」のように同音どうおんのものをことなる文字もじけることであるが、上代じょうだい特殊とくしゅ仮名遣かなづかい場合ばあい音韻おんいんちがいをあらわしているので、特殊とくしゅ仮名遣かなづかいんでいる。通説つうせつによれば、上代じょうだい日本語にほんごはキヒミ・ケヘメ・コソトノモヨロの13音節おんせつとこれらの濁音だくおんぶしがそれぞれ甲乙こうおつるいけられている。ただし、「モ」のけは古事記こじきのみにられるものである。</ref>。


===改竄かいざんせつ===
===改竄かいざんせつ===

2008ねん2がつ28にち (木)もく 14:09時点じてんにおけるはん

古事記こじき(こじき、ふることふみ)は、そのじょによれば、和銅わどう5ねん712ねんふとし朝臣あそんやすまん侶(おほのあそみやすまろ、太安万侶おおのやすまろ)によって献上けんじょうされた日本にっぽん最古さいこ歴史れきししょうえなかしたぜん3かんかれる。

概論がいろん

成立せいりつ経緯けいいしるしているじょによれば、稗田ひえた阿礼あれい暗誦あんしょうしていた『みかど』(天皇てんのう系譜けいふ)・『きゅう』(ふる伝承でんしょう)を太安万侶おおのやすまろきし、編纂へんさんしたものとされている。

古事記こじき』の書名しょめいは、もともと固有名詞こゆうめいしではなくふる書物しょもつしめ一般いっぱんめいであり正式せいしきめいではないとわれている。書名しょめいやすまん侶がけたのか、後人こうじんけたのかはあきらかでない。みは「フルコトブミ」とのせつもあったが、今日きょうでは一般いっぱん音読おんよみで「コジキ」とばれている。

日本書紀にほんしょき』のような勅撰ちょくせん正史せいしではないが、序文じょぶん天武天皇てんむてんのう

せんろくみかど 討覈きゅう そぎにせ定實さだざね よくりゅう後葉こうよう

みかどせんろくし、きゅうを討覈して、いつわりをけずさだめて、後葉こうようながれ(つた)へむとほっ(おも)ふ

みことのりしていることから、勅撰ちょくせんかんがえることも出来できる。

構成こうせい

古事記こじき』は、みかどてき部分ぶぶんきゅうてき部分ぶぶんとからり、天皇てんのう系譜けいふが『みかどてき部分ぶぶん中心ちゅうしんをなし、初代しょだい天皇てんのうからだい33だい天皇てんのうまでの天皇てんのう后妃こうひ皇子おうじ皇女おうじょ、およびその子孫しそん氏族しぞくなど、このほか皇居こうきょ治世ちせい年数ねんすうくずしねん干支えと寿命じゅみょう陵墓りょうぼ所在地しょざいち、およびその治世ちせい大事だいじ出来事できごとなどについてしるしている。これらは朝廷ちょうてい語部かたりべ(かたりべ)などが暗誦あんしょうして、天皇てんのう大葬たいそう(もがり)の祭儀さいぎなどで誦みげるならいであった。それが6世紀せいきなかばになると文字もじによってあらわされた。『きゅう』は宮廷きゅうていない物語ものがたり天皇てんのう国家こっか起源きげんかんするはなしをまとめたもので、おなごろかれたものである。

みかど』や『きゅう』は、6世紀せいき前半ぜんはんないし中葉ちゅうようごろまでに、天皇てんのう日本にっぽん支配しはいするにいたった経緯けいい説明せつめいするために、朝廷ちょうてい貴族きぞくによって述作じゅっさくされたものであり、それらをもとにして作成さくせいされたものである以上いじょう民族みんぞくつたわった歴史れきし伝承でんしょうではないとの主張しゅちょうもある。一方いっぽうひろ民衆みんしゅうれられる必要ひつようもあったはずで、とく上巻じょうかん部分ぶぶんは、それらを反映はんえいしたものが『古事記こじき』ではなかったかとの主張しゅちょうもある。

構成こうせいは、

  1. うえまきじょ神話しんわ
  2. なかまき初代しょだいからじゅうだい天皇てんのうまで)
  3. したまきだいじゅうろくだいからさんじゅうさんだい天皇てんのうまで)

の3かんよりっている。内容ないようは、神代かみしろにおける天地あまち(アメツチとまれる)のはじまりから推古天皇すいこてんのう時代じだいいたるまでのさまざまな出来事できごと神話しんわ伝説でんせつひとしふくむ)を収録しゅうろくしている。またすうおおくの歌謡かようふくんでいる。

なお、日本にっぽん神話しんわでの「高天原たかまがはら」という用語ようご多用たようされる文書ぶんしょは、「祝詞のりと以外いがいでは『古事記こじき』のみである。

表記ひょうき

本文ほんぶんはいわゆる変体へんたい漢文かんぶん主体しゅたいとしつつも、古語こご固有名詞こゆうめいしのように漢文かんぶんでは代用だいようしづらい微妙びみょう部分ぶぶんいちいちおと表記ひょうきしるすという表記ひょうきスタイルをっている。いちいちおと表記ひょうき箇所かしょには、まれにみぎはたに「うえ」「」のように漢語かんご声調せいちょうあらわす文字もじはいして、当該とうがいアクセントしめすこともある。いずれも、いかに正確せいかくにかつ効率こうりつよく記述きじゅつするかでなやんでいた(序文じょぶん参照さんしょう編者へんしゃ太安万侶おおのやすまろなみだぐましいまでの苦心くしんあとである。歌謡かよう部分ぶぶんはすべていちいちおと表記ひょうきしるされており、本文ほんぶんいちいちおと表記ひょうき部分ぶぶんふくめて、上代じょうだい特殊とくしゅ仮名遣かなづかい研究けんきゅうかせないものとなっている。

上代じょうだい特殊とくしゅ仮名遣かなづかいの「モ」のけは『古事記こじき』のみにられるものである[1]

改竄かいざんせつ

古事記こじき本文ほんぶん記述きじゅつ以外いがいには編纂へんさん記録きろく直接ちょくせつ見当みあたらず、最古さいこ写本しゃほん南北なんぼくあさ時代じだいのもの(#写本しゃほん参照さんしょう)であるため、それより以前いぜん姿すがたをそのままにとどめているかどうかに疑義ぎぎいだ改竄かいざんせつされているが、考古学こうこがくてき反証はんしょう主張しゅちょうされている(#『古事記こじき偽書ぎしょせつ参照さんしょう)。

古事記こじき』の研究けんきゅう

古事記こじき』の研究けんきゅうは、近世きんせい以降いこうとくにさかんにおこなわれてきた。江戸えど時代じだいほんきょ宣長のりながによるぜん44かん浩瀚こうかん註釈ちゅうしゃくしょ古事記こじきでん』は『古事記こじき研究けんきゅう古典こてんであり、厳密げんみつかつ実証じっしょうてき校訂こうてい後世こうせいおおきな影響えいきょうあたえている。宣長のりながした国学こくがくによる「もののあはれをる」合理ごうり研究けんきゅうは、かんしき構造こうぞうてき論理ろんりでは救済きゅうさい不能ふのう日本にっぽん固有こゆう共感きょうかんによる心情しんじょう浄化じょうかプロセスの追及ついきゅうであった。しかし「からごころ」排撃はいげきは、のちに国粋こくすい主義しゅぎてき皇国こうこく史観しかん神話しんわ絶対ぜったい変容へんようされたとの見方みかたもある。

だい世界せかい大戦たいせんこうは、倉野くらの憲司けんじ西郷さいごう信綱のぶつな西宮にしのみや一民かずたみ神野かみのこころざし隆光りゅうこうらによる研究けんきゅう注釈ちゅうしゃくしょ発表はっぴょうされた。とくに倉野くらの憲司けんじによる岩波いわなみ文庫ぶんこはんは、1963ねん初版しょはん刊行かんこう以来いらい通算つうさんやく100まんたっするロングセラーとなっている。

20世紀せいき後半こうはんより、『古事記こじき』の研究けんきゅうはそれまでの成立せいりつろんから作品さくひんろんへとシフトしている。成立せいりつろん代表だいひょうとしては、津田つだ左右吉そうきち石母田いしもたただしがあり、作品さくひんろん代表だいひょうとしては吉井よしいいわお西郷さいごう信綱のぶつな神野かみのこころざし隆光りゅうこうがいる。こと神野かみのの『古事記こじき達成たっせい』は、それまでの研究けんきゅう革新かくしんしたといってよい。イザナミしんりょう比較ひかく研究けんきゅうでは、安本やすもとよしてんの「邪馬台国やまたいこく出雲いずも神話しんわ」などが有名ゆうめいである。

古事記こじき偽書ぎしょせつ

古事記こじき』には、近世きんせい以降いこう偽書ぎしょうたがいをものがあった。賀茂真淵かものまぶち宣長のりながあて書翰しょかん)や沼田ぬまたじゅんよしちゅう沢見さわみあきらいかだくん松本まつもと雅明まさあき大和やまと岩雄いわお大島おおしま隼人はやとらは、『古事記こじき』の成立せいりつおおやけ史書ししょしるされていないことなどの疑問ぎもんてん提示ていじし、偽書ぎしょせつとなえている。

偽書ぎしょせつには大体だいたいとおりあり、序文じょぶんのみが偽書ぎしょであるとするせつと、本文ほんぶん偽書ぎしょであるとするせつかれる。概要がいよう以下いかしるす。

  1. 序文じょぶん偽書ぎしょせつでは、『古事記こじき』の序文じょぶん上表じょうひょうぶん)において『古事記こじき』の成立せいりつ事情じじょうかたられているが、それをしょうする外部がいぶ有力ゆうりょく証拠しょうこがないことなどをもって序文じょぶん正当せいとうせい疑義ぎぎ指摘してきし、偽書ぎしょ可能かのうせい指摘してきしている。
  2. 本文ほんぶん偽書ぎしょせつでは、『古事記こじき』の神話しんわには『日本書紀にほんしょき』よりあたらしい神話しんわ内容ないようふくんでいるとして、より時代じだいくだ平安へいあん時代じだい初期しょきころの創作そうさく、あるいは岡田おかだ英弘ひでひろのように伊勢いせこく国学こくがくしゃほんきょ宣長のりながによって改作かいさくされたものであるとする。

しかし偽書ぎしょせつは、上代じょうだい文学ぶんがくかい歴史れきし学界がっかいにはれられていない。上代じょうだい特殊とくしゅ仮名遣かなづかいのなかでも、『万葉集まんようしゅう』・『日本書紀にほんしょき』のなかではすでに消失しょうしつしている2種類しゅるいの「モ」の表記ひょうきじょう区別くべつ[2]が、『古事記こじき』には残存ざんそんしているからである。これは偽書ぎしょせつ否定ひていする重要じゅうよう論拠ろんきょである[3][4]

なお、序文じょぶん偽書ぎしょせつ論拠ろんきょひとつに、『古事記こじき以外いがい史書ししょ(『ぞく日本にっぽん』『ひろしじん私記しき』『日本にっぽん竟宴和歌わか』など)では「ふとしやす麻呂まろ」とかれているのに、『古事記こじき序文じょぶんのみ「太安萬侶おおのやすまろ」ということなる漢字かんじ表記ひょうきになっているというものがあった。ところが、1979ねん1がつ奈良なら此瀬このせ(このせ)まちより太安万侶おおのやすまろ墓誌ぼしめい出土しゅつどし、そこに

左京さきょう四條四坊従四位下勲五等ふとし朝臣あそんやすまんみずのと
としなながつろくにちそつ 養老ようろうななねん十二月じゅうにがつじゅうにちおつ[5]

とあったことが判明はんめいし、漢字かんじ表記ひょうき異同いどうという論拠ろんきょ否定ひていされることとなった。

内容ないよう

じょあわせたり

撰者せんじゃであるふとし朝臣あそんやすまん侶(おおのあそみやすまろ)が、天子てんし奏上そうじょうする形式けいしきならってしるした序文じょぶんである。

じょだい1だん 稽古けいこあきらいまいにしえを稽へて、いまらす)
ここでは天地開闢てんちかいびゃくからはじまる『古事記こじき』の内容ないよう要点ようてんげ、さらにそれぞれの御代みよ事跡じせきことなるがほぼ政治せいじあやまりはなかった、とべている。
しんやすまん侶言す。それ、こんもとすでりて、気象きしょういまこう(あらは)れず。もなくためし。だれれかそのかたちらむ。・・・(しんやすまん侶言 おっとこんもとすんでしこり 氣象きしょうこう 無名むめい無爲むい だれ其形)
・・・驟(ほしゅう)かくこと(おのおのこと)に、ぶんしつおなじくあらずと雖も、いにしえを稽(かむが)へてふう猷をすでくずおれたるになわ(ただ)し、いまらしててんきょうぜっえむとするにはずといふことなし。(雖歩驟各 ぶんしつ不同ふどう 莫不稽古けいこ以繩ふう猷於すんでくずおれ あきらこん以補てんきょう於欲ぜっ
じょだい2だん古事記こじきせんろく発端ほったん
ここではまず、天武天皇てんむてんのう事跡じせきおごそかにべたのち天武天皇てんむてんのう稗田ひえた阿禮あれい勅語ちょくごして『みかど』・『きゅう』を暗誦あんしょうさせたが、時世じせいうつわりにより文章ぶんしょうのこせなかった経緯けいいしるしている。
・・・ここに天皇てんのう天武てんむみことのり(の)りたまひしく「ちん(われ)きたまへらく、『諸家しょかのもたるみかどおよびほんすで正実まさみたがえひ、おお虚偽きょぎふ。』といへり。いまときたりて、しつ(あやまり)をあらためずは、いまいくねんをもずしてそのむねほろびなんとす。これすなはち、邦家ほうか経緯けいい王化おうかおおとりもとなり。これ、みかどせんろくし、きゅうを討覈して、いつわりをけず(まこと)をさだめて、後葉こうよう(のちのち)にながれ(つた)へむとほっ(おも)ふ。」とのりたまひき。とき舎人とねり(とねり)ありき。せい(うぢ)は稗田ひえた(ひえだ)、阿禮あれい(あれ)、としはこれはちひと聡明そうめいにして、みみ(わた)ればくちに誦(よ)み、みみはらえ(ふ)るればしんに勒(しる)しき。すなはち、阿禮あれい勅語ちょくごしてみかどすめらぎつぎ(すめらみことのひつぎ)およ先代せんだいきゅう(さきつよのふること)を誦み習はしめたまひき。・・・(於是天皇てんのうみことのり ちん聞諸これしょ みかど及本 すんでたがえ正實まさみ 虚僞きょぎ 當今とうこんこれ あらため其失 けいいくねん 其旨よくめつ 斯乃邦家ほうか經緯けいい 王化おうかおおとりもとおもんみせんろくみかど 討覈きゅう そぎにせ定實さだざね よくりゅう後葉こうよう ゆう舍人とねり せい稗田ひえだめい阿禮あれい みのる廿にじゅうはち ためじん聰明そうめい 度目どめ誦口 はらいみみ勒心 そく勅語ちょくご阿禮あれい れい誦習みかどすめらぎつぎ 及先だいきゅう
じょだい3だん古事記こじき』の成立せいりつ
ここでは、元明もとあき天皇てんのうとなってやすまん侶にみことのりくだり、稗田ひえた阿禮あれい暗誦あんしょうせんろくした経緯けいいべ、最後さいご内容ないよう区分くぶんについてしるしている。経緯けいいでは、言葉ことば文字もじえるのに非常ひじょう苦労くろうしたむね具体ぐたいてきしるされている。
・・・ここに、きゅうあやまりたがへるをしみ、さきの謬り錯(まじ)れるをせいさむとして、和銅わどうよんねんきゅうがつじゅうはちにちをもちて、しんやす麻呂まろみことのりりして、阿禮あれい阿禮あれいの誦むしょ勅語ちょくごきゅうせんろくして献上けんじょうせしむるといへれば、つつしみてみことのりむね(おおほみこと)のずい(まにま)に、子細しさいりひろひぬ。しかれども、上古じょうこときげん(ことばこころ)ならびにほお(すなお)にして、ぶんを構ふること、におきてすなはちかたし。・・・(於焉惜舊あやませいさき紀之のりゆき謬錯 以和どうよんねんきゅうがつじゅうはちにち みことのりしんやすまんせんろく稗田ひえた阿禮あれいしょ誦之勅語ちょくごきゅう獻上けんじょうしゃ 謹隨みことのりむね 子細しさいしか上古じょうことき げんなみほお 敷文しきぶみ構句 於字そくなん
・・・大抵たいていしるところは、天地開闢てんちかいびゃくよりはじめて、しょう治田はるた(をはりだ)の御世みよに訖(をは)る。てん御中おんちゅう主神しゅしん(あめのみなかぬしのかみ)以下いか日子にっしなみげんけん草葺くさぶきごういのち(ひこなぎさたけうがやふきあへずのみこと)以前いぜん上巻じょうかんとなし、かみやまと伊波いはあや毘古天皇てんのう(かむやまといはれびこのすめらみこと)以下いかしなへび御世みよ(ほむだのみよ)以前いぜんちゅうまきとなし、だいすずめ皇帝こうてい(おほさぎのみかど)以下いかしょう治田はった大宮おおみや(をはりだのおほみや)以前いぜん下巻げかんとなし、あわせてさんかんろくして、つつしみてけんじのぼる。しんやすまん侶、まこと惶誠おそれ頓首とんしゅ頓首とんしゅ。(大抵たいていしょ記者きしゃ 天地開闢てんちかいびゃくはじめ 以訖于小治田はった御世みよ てん御中おんちゅう主神しゅしん以下いか 日子にっしなみげんけん草葺くさぶきごうとうと以前いぜん ため上卷じょうかん しんやまと伊波いはあや毘古天皇てんのう以下いか しな御世みよ以前いぜん ためちゅうまき だいすずめ皇帝こうてい以下いか しょう治田はった大宮おおみや以前いぜん ため下卷げかん 并録さんかん 謹以獻上けんじょう しんやすまんまこと惶誠おそれ頓首とんしゅ頓首とんしゅ
和銅わどうねん正月しょうがつじゅうはちにち せい五位上勲五等太朝臣安萬侶

上巻じょうかん(かみつまき)

天地開闢てんちかいびゃくから日本にっぽん列島れっとう形成けいせい国土こくど整備せいびかたられ、天孫てんそん降臨こうりんやま幸彦さちひこまでの神代かみよはなししるす。いわゆる「日本にっぽん神話しんわ」である。

天地開闢てんちかいびゃくとともに様々さまざまかみまれたとあり、その最後さいごイザナキイザナミまれた。二神にかみ高天原たかまがはらてん)から葦原よしわら中津なかつこく地上ちじょう世界せかい)にり、結婚けっこんしてむすばれ、そのとして、だいはち島国しまぐにみ、ついでやまかみうみかみなどアニミズムてき様々さまざまかみんだ。こうしたくに途中とちゅう、イザナミはかみんだため、火傷かしょうんでしまった。そのなきがらは出雲いずも伯耆ほうきさかい比婆ひばさん(げん島根しまねけん安来やすぎ)にほうむられた。イザナキはイザナミをこいしがり、黄泉よみくに死者ししゃ世界せかい)をおとずもどそうとするが、もどせず、くにみは完成かんせいのままわってしまう。

イザナキは、黄泉よみくにけがとすため、みそぎおこない、左目ひだりめあらったとき天照大御神あまてらすおおみかみ(アマテラスオオミカミ)、右目みぎめあらったとき月読つきよみいのち(ツクヨミノミコト)、はなあらったとき須佐すさおとこいのち(スサノオノミコト)をむ。これらさんかみは、三貴子みきこばれ、かみ々のなか重要じゅうよう位置いちをしめるのだが、月読つきよみいのちかんしては、その誕生たんじょう記述きじゅつ一切いっさいない。スサノオノミコトは乱暴らんぼうしゃなため、あね天照大御神あまてらすおおみかみ反逆はんぎゃくうたがわれる。そこで、天照大御神あまてらすおおみかみとスサノオノミコトはしん潔白けっぱく調しらべる誓約せいやくおこなう。その結果けっか、スサノオノミコトは潔白けっぱく証明しょうめいするが、調子ちょうしって狼藉ろうぜきはたらいてしまう。我慢がまん限度げんどえた天照大御神あまてらすおおみかみは、天岩屋戸あまのいわやどじこもるが、あつまったしょかみ知恵ちえすことに成功せいこうする。

一方いっぽうスサノオノミコトはかみ々の審判しんぱんけて高天原たかまがはら追放ついほうされ、葦原よしわら中津なかつこく出雲いずもこくくだる。ここまでは乱暴らんぼうなだけだったスサノオノミコトの様相ようそう変化へんかし、英雄えいゆうてきなものとなって有名ゆうめいヤマタノオロチ退治たいじおこなう。つぎに、スサノオノミコトの子孫しそんである大国たいこく主神しゅしん登場とうじょうする。大国たいこくぬしいねうさぎ因幡いなば白兎しろうさぎ)や求婚きゅうこん受難じゅなんはなしつづき(大国たいこくぬし神話しんわ)、スクナヒコナきょうくにづくすすめたことがしるされる。国土こくどととのうとくにゆず神話しんわうつる。天照大御神あまてらすおおみかみは、葦原よしわら中津なかつこく統治とうちけん天孫てんそん委譲いじょうすることを要求ようきゅうし、だい国主こくしゅ子供こども事代ことしろ主神しゅしんはそれを受諾じゅだくする。しかし、けん御名ぎょめいかたしんは、はじめは承諾しょうだくせず抵抗ていこうするが、のち受諾じゅだくする。葦原よしわら中津なかつこく統治とうちけんると高天原たかまがはらかみ々は天孫てんそんニニギ日向ひなた高千穂たかちほ降臨こうりんさせる。つぎにニニギの子供こどもやま幸彦さちひこうみ幸彦さちひこ説話せつわとなり、浦島うらしま太郎たろう説話せつわのルーツともわれる、海神わたつみ宮殿きゅうでん訪問ほうもんことぞく服属ふくぞく由来ゆらいなどがかたられる。やま幸彦さちひこ海神わたつみむすめ結婚けっこんし、かれまご神武じんむ天皇てんのう誕生たんじょうすることをもって、上巻じょうかんわる。

上巻じょうかんてくるおもかみ

ちゅうまき(なかつまき)

初代しょだい神武じんむ天皇てんのうから15だい応神天皇おうじんてんのうまでをしるす。神武じんむ東征とうせいはじまり、ヤマトタケル神功じんぐう皇后こうごうはなしなど神話しんわてき説話せつわおおく、かみひとあいだ時代じだいであることをしめしている。2だいから9だいまではかけはちだいばれ、系譜けいふなどの記述きじゅつにとどまり、説話せつわなどは記載きさいされていない。そのため、このはちだい後世こうせい追加ついかされた架空かくう存在そんざいであるとかれているが、実在じつざいせつ存在そんざいする。なお、「神武じんむ天皇てんのう」といったかく天皇てんのうかんふう諡号しごうは、『古事記こじき編纂へんさん時点じてんではさだめられていないため、国風くにぶり諡号しごうのみでしるされている。なお史実しじつせい確認かくにんされているのは応神天皇おうじんてんのう以降いこうである。神功しんこう皇后こうごう卑弥呼ひみこ同一どういつないし関連かんれんづけるせつもあるが、一般いっぱんれられるにはいたっていない。

ちゅうまきてくるおも人物じんぶつ

1だい神武じんむ天皇てんのう
かみやまと伊波いはあや毘古いのち(かむやまといはれびこのみこと)、うねしろ檮原ゆすはらみや(かしはらのみや)にましましてまして、てんしも(し)らしめしき(奈良ならけんうね火山かざん東南とうなん)。いちひゃくさんじゅうななさい(ももあまりみそぢまりななとせ)でぼつ御陵ごりょう(みはか)は畝傍山うねびやまきたかたしろ檮(かし)のにあり(奈良ならけん橿原かしはら)。
2だい綏靖天皇てんのう
かみぬまかわみみいのち(かむぬなかはみみのみこと)、葛城かつらぎ高岡たかおかみやましましてまして、てんしも(し)らしめしき(奈良ならけんみなみ葛城かつらぎぐん)。よんじゅうさい(よそぢまりいつとせ)でぼつ御陵ごりょうは衝田(つきだの)おかにあり(奈良ならけん高市たかいちぐん)。
3だい安寧天皇あんねいてんのう
木津きづ日子にっし玉手たまてみるいのち(しきつひこたまでみのみこと)、片鹽かたしお浮穴うけなみやましましてまして、てんしも(し)らしめしき(奈良ならけんみなみ葛城かつらぎぐん)。よんじゅうきゅうさい(よそぢまりここのとせ)でぼつ御陵ごりょう畝傍山うねびやま御陰おかげ(みほと)にあり(奈良ならけん橿原かしはら)。
4だい懿徳天皇てんのう
大倭おおやまと日子にっし鉏友いのち(おほやまとひこすきとものみこと)、けいさかい岡宮おかみやましましてまして、てんしも(し)らしめしき(奈良ならけんみなみ葛城かつらぎぐん)。よんじゅうさい(よそぢまりいつとせ)でぼつ御陵ごりょう畝傍山うねびやま真名子まなこ(まなご)たにうえにあり(奈良ならけん橿原かしはら)。
5だい孝昭たかあき天皇てんのう
しん日子にっし訶惠こころざしどろいのち(みまつひこかゑしねのみこと)、葛城かつらぎわき上宮かみみやましましてまして、てんしも(し)らしめしき(奈良ならけんみなみ葛城かつらぎぐん)。きゅうじゅうさんさい(ここのそぢまりみとせ)でぼつ御陵ごりょうわきじょう(わきがみ)の博多はかた(はかた)やまうえにあり(奈良ならけんみなみ葛城かつらぎぐん)。
6だい孝安たかやす天皇てんのう
大倭おおやまとたい日子にっしこく押人いのち(おほやまとたらしひこくにおしびとのみこと)、葛城かつらぎしつ秋津島あきつしまましましてまして、てんしも(し)らしめしき(奈良ならけんみなみ葛城かつらぎぐん)。いちひゃくじゅうさんさい(ももあまりはたちまりみとせ)でぼつ御陵ごりょう玉手たまて(たまで)のおかうえにあり(奈良ならけんみなみ葛城かつらぎぐん)。
7だいこうれい天皇てんのう
大倭おおやまと根子ねっこ日子にっし邇命(おほやまとねこひこふとこのみこと)、黒田くろだいおり戸宮とみや(いほどのみや)にましましてまして、てんしも(し)らしめしき(奈良ならけん磯城しきぐん)。いちひゃくろくさい(ももあまりむとせ)でぼつ御陵ごりょう片岡かたおかうまざかうえにあり(奈良ならけん北葛城きたかつらぎぐん)。
8だいこうもと天皇てんのう
大倭おおやまと根子ねっこ日子にっしこく玖琉いのち(おほやまとねこひこくにくるのもこと)、けい境原さかいはらみやましましてまして、てんしも(し)らしめしき(奈良ならけん高市たかいちぐん)。じゅうななさい(いそぢまりななとせ)でぼつ御陵ごりょうけんなかおかうえにあり(奈良ならけん高市たかいちぐん)。
9だい開化かいか天皇てんのう
わかやまと根子ねっこ日子にっしだい毘毘いのち(わかやまとねこひこおほびびのみこと)、春日しゅんじつよこしまかわみや(いざかはのみや)にましましてまして、てんしも(し)らしめしき(奈良なら)。ろくじゅうさんさい(むそぢまりみとせ)でぼつ御陵ごりょうよこしま(いざ)かわさかうえにあり(奈良ならけん生駒いこまぐん)。
10代たかしかみ天皇てんのう
眞木まき入日いりひしるしめぐみいのち(みまきいりひこいにゑのみこと)、(しき)の水垣みずがきみや(みずがきのみや)にましましてまして、てんしも(し)らしめしき(奈良ならけん磯城しきぐん)。いちひゃくろくじゅうはちさい(ももあまりむそぢまりやとせ)でぼついぬとら十二月じゅうにがつくずれりましき。御陵ごりょう山邊やまべ(やまのべ)のみちの勾(まがり)のおかうえにあり(奈良ならけん磯城しきぐん)。
11だいたれじん天皇てんのう
久米くめ毘古伊佐いさ知命ちめい(いくめいりびこいさちのみこと)、玉垣たまがきみやましましてまして、てんしも(し)らしめしき(奈良ならけん磯城しきぐん)。いちひゃくじゅうさんさい(ももあまりいそぢまりみとせ)でぼつ御陵ごりょう菅原すがわら立野たちのなかにあり(奈良なら)。
12だいけいぎょう天皇てんのう
だいおび日子にっし淤斯りょ和氣わき天皇てんのう(おほたらしひこおしろわけのすめらみこと)、まといむかい(まきむく)の日代ひしろみやましましてまして、てんしも(し)らしめしき(奈良ならけん磯城しきぐん)。いちひゃくさんじゅうななさい(ももあまりみそぢまりななとせ)でぼつ御陵ごりょう山邊やまべみちうえにあり(奈良ならけん磯城しきぐん)。
やまとけんいのち(やまとたけるのみこと)
のうはん(のぼの、三重みえけん鈴鹿すずかぐん)にいたりまし、うたひ竟(を)ふるすなわくずれりましき。御陵ごりょうつくる。ここに八尋やひろはくさとしとり(やひろしろちどり)にりて、てんかけりてはまきてぎょうでましき。………河内かわちこくこころざしいそ(しき)にまりましき。、其地に御陵ごりょうつくりてしずまりさしめき。すなわちその御陵ごりょうごうけて、白鳥はくちょう御陵ごりょうう。
13だいなりつとむ天皇てんのう
わかおび日子にっし天皇てんのう(わかたらしひこのすめらみこと)、志賀しがこうあなみや(たかあなほのみや)にましましてまして、てんしも(し)らしめしき(滋賀しがけん大津おおつ)。きゅうじゅうさい(ここのそぢまりいつとせ)でぼつおつとしさんがつじゅうにちくずれりましき。御陵ごりょう沙紀さき(たたなみ)にあり(奈良ならけん生駒いこまぐん)。
14だい仲哀ちゅうせつ天皇てんのう
おび中日ちゅうにち天皇てんのう(たらしなかつひこのすめらみこと)、あなもん(あなど、下関しものせき市長しちょう)、また筑紫つくし志比しひみや(かしひのみや)にましましてまして、てんしも(し)らしめしき(福岡ふくおか香椎かしい)。きゅうじゅうさい(ここのそぢまりいつとせ)でぼつみずのえいぬとしろくがつじゅういちにちくずれりましき。御陵ごりょう河内かわうちめぐみ長江ながえ(ながえ)にあり(大阪おおさか南河内みなみかわちぐん)。
神功じんぐう皇后こうごう
いきちょうたいうれいのち(おきながたらしひめのみこと)。皇后こうごうとしいちひゃくさいにしてくずれりましき。せまじょうだてれつりょうほうむりまつりき(奈良ならけん生駒いこまぐん)。
15だい応神天皇おうじんてんのう
しなへび和氣わきいのち(ほむだわけのみこと)、けいしまあかりみや(あきらのみや)にましましてまして、てんしも(し)らしめしき(奈良ならけん高市たかいちぐん)。いちひゃくさんじゅうさい(ももあまりみそとせ)でぼつかぶとうまとしきゅうがつきゅうにちくずれりましき。御陵ごりょう川内かわうち(かふち)のめぐみふく(もふし)のおかにあり(大阪おおさか南河内みなみかわちぐん)。

下巻げかん(しもつまき)

仁賢天皇にんけんてんのうから推古天皇すいこてんのうまではかけじゅうだいともいわれ、かけはちだいおなじく系譜けいふなどの記述きじゅつにとどまり具体ぐたいてき著述ちょじゅつすくない。これは、かれた当時とうじにおいては、時代じだいちか自明じめいのことなのでかれなかったなどとわれている。

下巻げかんてくるおも人物じんぶつ

16だい仁徳天皇にんとくてんのう
だいすずめいのち(おほさざきのみこと)、難波なんば高津たかつみやすわ(ま)してまして、てんしも(し)らしめしき(大阪おおさか)。はちじゅうさんさい(やそぢまりみとせ)でぼつちょうしげるとしはちがつじゅうにちくずれりましき。御陵ごりょうもう受(もず)の耳原みのはら(みみはら)にあり(大阪おおさかさかい)。
17だい履中天皇りちゅうてんのう
よこしま本和氣ほんわけいのち(いざほわけのみこと)、伊波いはあや(いはれ)の若櫻わかさみやましましてまして、てんしたなおらしめしき(奈良ならけん磯城しきぐん)。ろくじゅうよんさい(むそじまりよとせ)でぼつみずのえさるとし正月しょうがつさんにちくずれりましき。御陵ごりょうもう受にあり(大阪おおさかさかい)。
18だいはんせい天皇てんのう
みず別命べつめい(みづはわけのみこと)、多治比たじひ(たじひ)の柴垣しばがきみやましましてまして、てんしたなおらしめしき(大阪おおさか南河内みなみかわちぐん)。ろくじゅうさい(むそとせ)でぼつちょううしとしなながつくずれりましき。御陵ごりょうもう受野(もずの)にあり。
19だい允恭天皇いんぎょうてんのう
おとこあさあいだ若子わかこ宿禰すくねいのち(をあさづまわくごのすくねのみこと)、とお飛鳥あすかみや(とほつあすかのみや)にましましてまして、てんしたなおらしめしき(大和やまと飛鳥ひちょう)。ななじゅうはちさい(ななそぢまりやとせ)でぼつ甲乙こうおつとし正月しょうがつじゅうにちくずれりましき。御陵ごりょう河内かわうちめぐみちょうえだ(ながえ)にあり(大阪おおさか南河内みなみかわちぐん)。
20だい安康天皇あんこうてんのう
あないのち(あなほのみこと)、石上いしがみ(いそのかみ)のあなみや(あなほのみや)にましましてまして、てんしたなおらしめしき(奈良ならけん山辺やまべぐん)。じゅうろくさい(いそぢまりむとせ)でぼつ御陵ごりょう菅原すがわら伏見ふしみおかにあり(奈良ならけん生駒いこまぐん)。
21だい雄略天皇ゆうりゃくてんのう
大長谷おおながたにわかけんいのち(おほはつせわかたけのみこと)、長谷ながたに(はつせ)の朝倉あさくらみやましましてまして、てんしたなおらしめしき(奈良ならけん磯城しきぐん)。いちひゃくじゅうよんさい(ももあまりはたちまりよとせ)でぼつおのれとしはちがつきゅうにちくずれりましき。御陵ごりょう河内かわうち多治比たじひこう鸇(たかわし)にあり(大阪おおさか南河内みなみかわちぐん)。
22だいせいやすし天皇てんのう
白髪はくはつ大倭おおやまと根子ねっこいのち(しらにのおほやまとねこのみこと)、伊波いはあや(いはれ)の栗宮くりみや(みかくりのみや)にましましてまして、てんしたなおらしめしき(奈良ならけん磯城しきぐん)。没年ぼつねんとし記載きさいなし。
23だい顕宗けんそう天皇てんのう
袁・これせき別命べつめい(をけのいはすわけのみこと)、きん飛鳥あすかみや(ちかつあすかのみや)にましましてまして、てんしたなおらしめすことはちさいなりき(大阪おおさか南河内みなみかわちぐん)。さんじゅうはちさい(みそぢまりやとせ)でぼつ御陵ごりょう片岡かたおかいし坏(いはつき)のおかうえにあり(奈良ならけん北葛城きたかつらぎぐん)。
24だい仁賢天皇にんけんてんのう
いのち(おけのみこと)、石上いしがみこう高宮たかみやましましてまして、てんしたなおらしめしき(奈良ならけん磯城しきぐん)。没年ぼつねんとし記載きさいなし。
25だいたけれつ天皇てんのう
小長谷こながやわかすずめ(おはつせのわかささのみことぎ)、長谷ながたにれつ木宮きみや(なみきのみや)にましましてまして、てんしたなおらしめすことはちさいなりき(奈良ならけん磯城しきぐん)。没年ぼつねん記載きさいなし。御陵ごりょう片岡かたおかいし坏のおかにあり。
26だいつぎたい天皇てんのう
あいほん柕(おほとのみこと)、伊波いはあや玉穂たまほみや(たまほのみや)にましましてまして、てんしたなおらしめしき(奈良ならけん磯城しきぐん)。よんじゅうさんさい(よそじまりみとせ)丁未ていみとしよんがつきゅうにちくずれりましき。丁未ていみとしよんがつきゅうにちくずれりましき。御陵ごりょう三島みしまあい御陵ごりょうなり(大阪おおさか三島みしまぐん)。
27だい安閑天皇あんかんてんのう
こうくに押建金目かねめ(ひろくにおしたけかなひのみこと)、勾(まがり)のかねばしみや(かなはしのみや)にましましてまして、てんしたなおらしめしき(奈良ならけん高市たかいちぐん)。おつとしさんがつじゅうさんくずれりましき。御陵ごりょう河内かわうち古市ふるいち(ふるち)の高屋たかやむらにあり(大阪おおさか南河内みなみかわちぐん)。
28だいせん天皇てんのう
たてしょうこうくに押楯(たけおひろくにおしたてのみことのみこと)、ひのき垌(ひのくま)のいおり入野いりのみや(いほりののみや)にましましてまして、てんしたなおらしめしき(奈良ならけん高市たかいちぐん)。没年ぼつねんとし記載きさいなし。
29だい欽明天皇てんのう
天国てんごく押波りゅう岐広にわ(あめくにおしはるきひろにわのみこと)、木島きじま大宮おおみやましましてまして、てんしたなおらしめしき(奈良ならけん磯城しきぐん)。没年ぼつねんとし記載きさいなし。
30だいさとしたち天皇てんのう
ぬま名倉なくらふとしだまじき(ぬなくらふとたましきのみこと)、田宮たみや(をさだのみや)にましましてまして、てんしたなおらしめすこと、じゅうよんさいなりき(奈良ならけん磯城しきぐん)。かぶとたつとしよんがつろくにちくずれりましき。御陵ごりょう川内せんだいちょう(しなが)にあり(大阪おおさか南河内みなみかわちぐん)。
31だいよう明天めいてんすめらぎ
たちばなゆたか(たちばなのとよひのみこと)、池邊いけべみやましましてまして、てんしたなおらしめすこと、さんさいなりき(奈良ならけん磯城しきぐん)。丁未ていみとしよんがつじゅうにちくずれりましき。御陵ごりょういしすん(いはれ)のわきじょう(いけのうえ)にありしを、のちちょうなかりょううつしき(奈良ならけん磯城しきぐん)。
32だいたかしたかし天皇てんのう
長谷部はせべわかすずめ(はつせべのわかささぎのみこと)、倉橋くらはし柴垣しばがきみや(しばかきのみや)にましましてまして、てんしたなおらしめおと、よんさいなりき(奈良ならけん磯城しきぐん)。みずのえとし十一月じゅういちがつじゅうさんにちくずれりましき。御陵ごりょうくら椅のおかうえにあり(奈良ならけん磯城しきぐん)。
33だい推古天皇すいこてんのう
長谷部はせべわかすずめ(はつせべのわかささぎのみこと)、しょう治田はるたみや(をわりたのみや)にましましてまして、てんしたなおらしめすこと、さんじゅうななさいなりき(奈良ならけん高市たかいちぐん)。みずのえとし十一月じゅういちがつじゅうさんにちくずれりましき。御陵ごりょう大野おおのおかうえにありしを、のちちょうおおりょううつしき(奈良ならけん宇陀うだぐん)。

歌謡かよう

古事記こじき』は物語ものがたり中心ちゅうしん記述きじゅつほうであるが、そのなかにおおくの歌謡かよう挿入そうにゅうされている。これらの歌謡かようのなかには、もと民謡みんよう俗謡ぞくようであったものが、物語ものがたりわせるかたち適宜てきぎはめこまれたというものが相当そうとうすうふくまれている可能かのうせいたかい。

写本しゃほん

現存げんそんする『古事記こじき』の写本しゃほん最古さいこのものは、1371ねんからよく1372ねんにかけて真福寺しんふくじ[6]そうけん瑜によって書写しょしゃされた真福寺しんふくじほん古事記こじきさんじょう国宝こくほう)である。奥書おくがきによれば、ほんうえ下巻げかん大中おおなかしんていほんちゅうまき藤原ふじわらどおりみやびほんである。みちはてほん上巻じょうかん前半ぜんはんのみ。1381ねんうつし)、みちさちほん上巻じょうかんのみ。1424ねんうつし)、はる瑜本(上巻じょうかんのみ。1426ねんうつし)のみちはてほんけい3ほん真福寺しんふくじほんちかく、ともに伊勢いせほん系統けいとうをなす。その写本しゃほんはすべて卜部うらべほん系統けいとうぞくし、ほん卜部うらべ兼永かねなが自筆じひつほん上中かみなか3かん室町むろまち後期こうきうつし)である。

刊行かんこうほん

  • 岩波いわなみ日本にっぽん古典こてん文学ぶんがく大系たいけい古事記こじき祝詞のりと』(倉野くらの憲司けんじ武田たけだ祐吉ゆうきちこうちゅう) 1958ねん
  • 朝日新聞社あさひしんぶんしゃ日本にっぽん古典こてん全書ぜんしょ古事記こじきじょうした太田おおた善麿ぜんまろ神田かんだ秀夫ひでお) 1962ねん
  • 小学館しょうがくかん日本にっぽん古典こてん文学ぶんがく全集ぜんしゅう古事記こじき上代じょうだい歌謡かよう』(荻原おぎわらあさおとこ鴻巣こうのす隼雄はやお) 1973ねん
  • 岩波いわなみ文庫ぶんこ古事記こじき』(倉野くらの憲司けんじ) 1963ねん ISBN 4003000110
    • 原文げんぶん注釈ちゅうしゃく巻末かんまつ歌謡かよう索引さくいんがついている。古典こてん文学ぶんがく大系たいけいのっとる。
  • 角川かどかわ文庫ぶんこしんてい古事記こじき』(武田たけだ祐吉ゆうきち中村なかむらあきらしん) 1977ねん
  • 講談社こうだんしゃ学術がくじゅつ文庫ぶんこ古事記こじき ぜん訳注やくちゅう上中かみなか下巻げかん 真幸まさき 1977ねん ISBN 4061582070
    • 原文げんぶん現代げんだいやく注釈ちゅうしゃく解説かいせつ
  • 角川かどかわ鑑賞かんしょう日本にっぽん古典こてん古事記こじき』 1978ねん
  • 新潮社しんちょうしゃ日本にっぽん古典こてん集成しゅうせい古事記こじき』(西宮にしのみや一民かずたみ) 1979ねん
    • 注釈ちゅうしゃくかみめい釈義しゃくぎかみめい索引さくいん
  • 岩波いわなみ日本にっぽん思想しそう大系たいけい古事記こじき』 1982ねん
    • 注釈ちゅうしゃく補注ほちゅうるい一覧いちらんどうくん異字いじ一覧いちらん
  • 小学館しょうがくかん新編しんぺん日本にっぽん古典こてん文学ぶんがく全集ぜんしゅう1『古事記こじき』(山口やまぐちけい神野かみのこころざし隆光りゅうこう) 1997ねん ISBN 4096580015
    • 口語こうごやく注釈ちゅうしゃく解説かいせつ人名じんめい索引さくいん
  • おうふうしゃ修訂しゅうていばん古事記こじき』(西宮にしのみや一民かずたみ
  • 文藝春秋ぶんげいしゅんじゅう口語こうごやく 古事記こじき三浦みうらたすくこれ ISBN 4163210105
    • 現代げんだいやく注釈ちゅうしゃく解説かいせつ

注釈ちゅうしゃくしょ

  • 古事記こじきでん』(ほんきょ宣長のりなが
  • 古事記こじきしんこう』(つぎじゅん
  • 古事記こじきぜん註釈ちゅうしゃく』1~7(倉野くらの憲司けんじ
  • 古事記こじき注釈ちゅうしゃく』1~4(西郷さいごう信綱のぶつな
  • 古事記こじき注解ちゅうかい』2・4(山口やまぐちけい神野かみのこころざし隆光りゅうこう

朗読ろうどく

脚注きゃくちゅう

  1. ^ 上代じょうだい特殊とくしゅ仮名遣かなづかいとは、上代じょうだい文献ぶんけんられる万葉仮名まんようがな特殊とくしゅ使つかけのことである。本来ほんらい仮名遣かなづかいとは現代げんだい仮名遣かなづかいの「お」と「を」のように同音どうおんのものをことなる文字もじけることであるが、上代じょうだい特殊とくしゅ仮名遣かなづかい場合ばあい音韻おんいんちがいをあらわしているので、特殊とくしゅ仮名遣かなづかいんでいる。通説つうせつによれば、上代じょうだい日本語にほんごはキヒミ・ケヘメ・コソトノモヨロの13音節おんせつとこれらの濁音だくおんぶしがそれぞれ甲乙こうおつるいけられている。ただし、「モ」のけは古事記こじきのみにられるものである。
  2. ^ 発音はつおんじょう相違そういといいかえてもつかえない。
  3. ^ ちなみに偽書ぎしょせつ場合ばあい、その製作せいさくしゃとして有力ゆうりょくされているじんちょうの『ひろしじん私記しき』(ひろしひとし4ねん813ねん))では、上代じょうだい特殊とくしゅ仮名遣かなづかい完璧かんぺき再現さいげんされている。
  4. ^ ただ「偽書ぎしょ」とは著者ちょしゃ執筆しっぴつ時期じきといった来歴らいれきいつわった書物しょもつのことであり、『古事記こじき』の場合ばあいその来歴らいれきかれている序文じょぶんいつわりであるなら『古事記こじきすべてを偽書ぎしょとみなすことに問題もんだいい。もし序文じょぶんければ『万葉集まんようしゅう』とおなじくたん来歴らいれき不明ふめい古書こしょとしてあつかわれていただろう。
  5. ^ 太字ふとじ引用いんようしゃ
  6. ^ もともと古事記こじき所蔵しょぞうしていたのは現在げんざい岐阜ぎふけん羽島はしま存在そんざいする真福寺しんふくじであったが、徳川とくがわ家康いえやすいのちにより真福寺しんふくじ一院いちいんである「宝生ほうしょういん」が名古屋なごや城下じょうか移転いてんされ、写本しゃほん同時どうじ移転いてんさせられた。これが現在げんざい大須おおす観音かんのんである。詳細しょうさい当該とうがい項目こうもく参照さんしょう

外部がいぶリンク

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