「古事記 」の版 間 の差分
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2008年 2月 28日 (木) 14:09時点 における版
概論
『
撰 録 帝 紀 討覈舊 辭 削 僞 定實 欲 流 後葉
帝 紀 を撰 録 し、旧 辞 を討覈して、偽 りを削 り実 を定 めて、後葉 に流 (つた)へむと欲 (おも)ふ
と
構成
『
『
上 つ巻 (序 ・神話 )中 つ巻 (初代 から十 五 代 天皇 まで)下 つ巻 (第 十 六 代 から三 十 三 代 天皇 まで)
の3
なお、
表記
改竄 説
『
『古事記 』の研究
『
20
『古事記 』偽書 説
『
序文 偽書 説 では、『古事記 』の序文 (上表 文 )において『古事記 』の成立 事情 が語 られているが、それを証 する外部 の有力 な証拠 がないことなどをもって序文 の正当 性 に疑義 を指摘 し、偽書 の可能 性 を指摘 している。本文 偽書 説 では、『古事記 』の神話 には『日本書紀 』より新 しい神話 の内容 を含 んでいるとして、より時代 の下 る平安 時代 初期 ころの創作 、あるいは岡田 英弘 のように伊勢 国 の国学 者 本 居 宣長 によって改作 されたものであるとする。
しかし
なお、
とあったことが
内容
序 を併 せたり
序 第 1段 稽古 照 今 (古 を稽へて、今 に照 らす)- ここでは
天地開闢 からはじまる『古事記 』の内容 の要点 を挙 げ、さらにそれぞれの御代 の事跡 は異 なるがほぼ政治 に誤 りはなかった、と述 べている。臣 安 萬 侶言す。それ、混 元 既 に凝 りて、気象 未 だ效 (あらは)れず。名 もなく為 も無 し。誰 れかその形 を知 らむ。・・・(臣 安 萬 侶言夫 混 元 既 凝 氣象 未 效 無名 無爲 誰 知 其形)- ・・・
歩 驟(ほしゅう)各 異 (おのおのこと)に、文 質 同 じくあらずと雖も、古 を稽(かむが)へて風 猷を既 に頽 れたるに縄 (ただ)し、今 に照 らして典 教 を絶 えむとするに補 はずといふことなし。(雖歩驟各異 文 質 不同 莫不稽古 以繩風 猷於既 頽 照 今 以補典 敎 於欲絶 )
序 第 2段 『古事記 』撰 録 の発端 - ここではまず、
天武天皇 の事跡 を厳 かに述 べた後 、天武天皇 が稗田 阿禮 に勅語 して『帝 記 』・『旧 辞 』を暗誦 させたが、時世 の移 り変 わりにより文章 に残 せなかった経緯 を記 している。- ・・・ここに
天皇 (天武 )詔 (の)りたまひしく「朕 (われ)聞 きたまへらく、『諸家 のもたる帝 紀 および本 辞 、既 に正実 に違 ひ、多 く虚偽 を加 ふ。』といへり。今 の時 に当 たりて、其 の失 (あやまり)を改 めずは、未 だ幾 年 をも経 ずしてその旨 滅 びなんとす。これすなはち、邦家 の経緯 、王化 の鴻 基 なり。故 これ、帝 紀 を撰 録 し、旧 辞 を討覈して、偽 りを削 り実 (まこと)を定 めて、後葉 (のちのち)に流 (つた)へむと欲 (おも)ふ。」とのりたまひき。時 に舎人 (とねり)ありき。姓 (うぢ)は稗田 (ひえだ)、名 は阿禮 (あれ)、年 はこれ二 八 。人 と為 り聡明 にして、耳 に度 (わた)れば口 に誦(よ)み、耳 に拂 (ふ)るれば心 に勒(しる)しき。すなはち、阿禮 に勅語 して帝 皇 日 継 (すめらみことのひつぎ)及 び先代 旧 辞 (さきつよのふること)を誦み習はしめたまひき。・・・(於是天皇 詔 之 朕 聞諸家 之 所 帝 紀 及本辭 既 違 正實 多 加 虚僞 當今 之 時 不 改 其失未 經 幾 年 其旨欲 滅 斯乃邦家 經緯 王化 之 鴻 基 焉故 惟 撰 録 帝 紀 討覈舊 辭 削 僞 定實 欲 流 後葉 時 有 舍人 姓 稗田 名 阿禮 年 是 廿 八 爲 人 聰明 度目 誦口拂 耳 勒心即 勅語 阿禮 令 誦習帝 皇 日 繼 及先代 舊 辭 )
- ・・・ここに
序 第 3段 『古事記 』の成立 - ここでは、
元明 天皇 の世 となって安 万 侶に詔 が下 り、稗田 阿禮 の暗誦 を撰 録 した経緯 を述 べ、最後 に内容 の区分 について記 している。経緯 では、言葉 を文字 に置 き換 えるのに非常 に苦労 した旨 が具体 的 に記 されている。- ・・・ここに、
旧 辞 の誤 りたがへるを惜 しみ、先 紀 の謬り錯(まじ)れるを正 さむとして、和銅 四 年 九 月 十 八 日 をもちて、臣 安 麻呂 に詔 りして、阿禮 阿禮 の誦む所 の勅語 の旧 辞 を撰 録 して献上 せしむるといへれば、謹 みて詔 旨 (おおほみこと)の随 (まにま)に、子細 に採 りひろひぬ。然 れども、上古 の時 、言 意 (ことばこころ)並 びに朴 (すなお)にして、文 を敷 き句 を構ふること、字 におきてすなはち難 し。・・・(於焉惜舊辭 之 誤 忤正 先 紀之 謬錯 以和銅 四 年 九 月 十 八 日 詔 臣 安 萬 侶撰 録 稗田 阿禮 所 誦之勅語 舊 辭 以獻上 者 謹隨詔 旨 子細 採 手 庶然 上古 之 時 言 意 並 朴 敷文 構句 於字即 難 ) - ・・・
大抵 記 す所 は、天地開闢 より始 めて、小 治田 (をはりだ)の御世 に訖(をは)る。故 、天 御中 主神 (あめのみなかぬしのかみ)以下 、日子 波 限 建 鵜 草葺 不 合 命 (ひこなぎさたけうがやふきあへずのみこと)以前 を上巻 となし、神 倭 伊波 禮 毘古天皇 (かむやまといはれびこのすめらみこと)以下 、品 蛇 御世 (ほむだのみよ)以前 を中 巻 となし、大 雀 皇帝 (おほさぎのみかど)以下 、小 治田 大宮 (をはりだのおほみや)以前 を下巻 となし、併 せて三 巻 を録 して、謹 みて献 上 る。臣 安 萬 侶、誠 惶誠恐 、頓首 頓首 。(大抵 所 記者 自 天地開闢 始 以訖于小治田 御世 故 天 御中 主神 以下 日子 波 限 建 鵜 草葺 不 合 尊 以前 爲 上卷 神 倭 伊波 禮 毘古天皇 以下 品 陀御世 以前 爲 中 卷 大 雀 皇帝 以下 小 治田 大宮 以前 爲 下卷 并録三 卷 謹以獻上 臣 安 萬 侶誠 惶誠恐 頓首 頓首 )和銅 五 年 正月 二 十 八 日 正 五位上勲五等太朝臣安萬侶
- ・・・ここに、
上巻 (かみつまき)
イザナキは、
上巻 に出 てくる主 な神 々
別天 (ことあま)つ神 五 柱 (いつはしら)独 神 (ひとりがみ)天 之 御中 主神 (あめのみなかぬし)独 神 、天 原 の中心 の神 高 御産 巣 日 神 (たかむすび)独 神 、生成 力 の神格 化 神 産 巣 日 神 (かみむすび)独 神 、生成 力 の神格 化 宇摩 志 阿 斯詞備比古 遲 神 (うましあしかびひこぢ)独 神 天 之 常 立神 (あめのとこたち)独 神
神 世 七 代 (かみよななよ)三貴子 (みはしらのうずのみこ)天 之 忍 穂 耳 命 大国 主神 - 邇邇
芸 命 火 遠 理 命 鵜 葺草葺 不 合 命
中 巻 (なかつまき)
中 巻 に出 てくる主 な人物
- 1
代 神武 天皇 神 倭 伊波 禮 毘古命 (かむやまといはれびこのみこと)、畝 火 の白 檮原 宮 (かしはらのみや)に坐 してまして、天 の下 治 (し)らしめしき(奈良 県 畝 火山 の東南 の地 )。一 百 三 十 七 歳 (ももあまりみそぢまりななとせ)で没 。御陵 (みはか)は畝傍山 の北 の方 の白 檮(かし)の尾 の上 にあり(奈良 県 橿原 市 )。- 2
代 綏靖天皇 神 沼 河 耳 命 (かむぬなかはみみのみこと)、葛城 の高岡 宮 に坐 してまして、天 の下 治 (し)らしめしき(奈良 県 南 葛城 郡 )。四 十 五 歳 (よそぢまりいつとせ)で没 。御陵 は衝田(つきだの)岡 にあり(奈良 県 高市 郡 )。- 3
代 安寧天皇 師 木津 日子 玉手 見 命 (しきつひこたまでみのみこと)、片鹽 の浮穴 宮 に坐 してまして、天 の下 治 (し)らしめしき(奈良 県 南 葛城 郡 )。四 十 九 歳 (よそぢまりここのとせ)で没 。御陵 は畝傍山 の御陰 (みほと)にあり(奈良 県 橿原 市 )。- 4
代 懿徳天皇 大倭 日子 鉏友命 (おほやまとひこすきとものみこと)、軽 の境 岡宮 に坐 してまして、天 の下 治 (し)らしめしき(奈良 県 南 葛城 郡 )。四 十 五 歳 (よそぢまりいつとせ)で没 。御陵 は畝傍山 の真名子 (まなご)谷 の上 にあり(奈良 県 橿原 市 )。- 5
代 孝昭 天皇 御 眞 津 日子 訶惠志 泥 命 (みまつひこかゑしねのみこと)、葛城 の掖 上宮 に坐 してまして、天 の下 治 (し)らしめしき(奈良 県 南 葛城 郡 )。九 十 三 歳 (ここのそぢまりみとせ)で没 。御陵 は掖 上 (わきがみ)の博多 (はかた)山 の上 にあり(奈良 県 南 葛城 郡 )。- 6
代 孝安 天皇 大倭 帯 日子 國 押人命 (おほやまとたらしひこくにおしびとのみこと)、葛城 の室 の秋津島 に坐 してまして、天 の下 治 (し)らしめしき(奈良 県 南 葛城 郡 )。一 百 二 十 三 歳 (ももあまりはたちまりみとせ)で没 。御陵 は玉手 (たまで)の岡 の上 にあり(奈良 県 南 葛城 郡 )。- 7
代 孝 霊 天皇 大倭 根子 日子 賦 斗 邇命(おほやまとねこひこふとこのみこと)、黒田 の廬 戸宮 (いほどのみや)に坐 してまして、天 の下 治 (し)らしめしき(奈良 県 磯城 郡 )。一 百 六 歳 (ももあまりむとせ)で没 。御陵 は片岡 の馬 坂 の上 にあり(奈良 県 北葛城 郡 )。- 8
代 孝 元 天皇 大倭 根子 日子 國 玖琉命 (おほやまとねこひこくにくるのもこと)、軽 の境原 宮 に坐 してまして、天 の下 治 (し)らしめしき(奈良 県 高市 郡 )。五 十 七 歳 (いそぢまりななとせ)で没 。御陵 は剣 池 の中 の岡 の上 にあり(奈良 県 高市 郡 )。- 9
代 開化 天皇 若 倭 根子 日子 大 毘毘命 (わかやまとねこひこおほびびのみこと)、春日 の伊 邪 河 宮 (いざかはのみや)に坐 してまして、天 の下 治 (し)らしめしき(奈良 市 )。六 十 三 歳 (むそぢまりみとせ)で没 。御陵 は伊 邪 (いざ)河 の坂 の上 にあり(奈良 県 生駒 郡 )。- 10代
崇 神 天皇 御 眞木 入日 子 印 惠 命 (みまきいりひこいにゑのみこと)、師 木 (しき)の水垣 宮 (みずがきのみや)に坐 してまして、天 の下 治 (し)らしめしき(奈良 県 磯城 郡 )。一 百 六 十 八 歳 (ももあまりむそぢまりやとせ)で没 。戌 寅 の十二月 に崩 りましき。御陵 は山邊 (やまのべ)の道 の勾(まがり)の岡 の上 にあり(奈良 県 磯城 郡 )。- 11
代 垂 仁 天皇 伊 久米 伊 理 毘古伊佐 知命 (いくめいりびこいさちのみこと)、師 木 の玉垣 宮 に坐 してまして、天 の下 治 (し)らしめしき(奈良 県 磯城 郡 )。一 百 五 十 三 歳 (ももあまりいそぢまりみとせ)で没 。御陵 は菅原 の御 立野 の中 にあり(奈良 市 )。- 12
代 景 行 天皇 大 帯 日子 淤斯呂 和氣 天皇 (おほたらしひこおしろわけのすめらみこと)、纏 向 (まきむく)の日代 宮 に坐 してまして、天 の下 治 (し)らしめしき(奈良 県 磯城 郡 )。一 百 三 十 七 歳 (ももあまりみそぢまりななとせ)で没 。御陵 は山邊 の道 の上 にあり(奈良 県 磯城 郡 )。倭 建 命 (やまとたけるのみこと)能 煩 野 (のぼの、三重 県 鈴鹿 郡 )に至 りまし、歌 ひ竟(を)ふる即 ち崩 りましき。御陵 を作 る。ここに八尋 白 智 鳥 (やひろしろちどり)に化 りて、天 に翔 りて濱 に向 きて飛 び行 でましき。………河内 国 の志 磯 (しき)に留 まりましき。故 、其地に御陵 を作 りて鎮 まり坐 さしめき。すなわちその御陵 を号 けて、白鳥 の御陵 と謂 う。
- 13
代 成 務 天皇 若 帯 日子 天皇 (わかたらしひこのすめらみこと)、志賀 の高 穴 穂 宮 (たかあなほのみや)に坐 してまして、天 の下 治 (し)らしめしき(滋賀 県 大津 市 )。九 十 五 歳 (ここのそぢまりいつとせ)で没 。乙 卯 の年 の三 月 十 五 日 に崩 りましき。御陵 は沙紀 の多 他 那 美 (たたなみ)にあり(奈良 県 生駒 郡 )。- 14
代 仲哀 天皇 帯 中日 子 天皇 (たらしなかつひこのすめらみこと)、穴 門 (あなど、下関 市長 府 )、また筑紫 の詞 志比 宮 (かしひのみや)に坐 してまして、天 の下 治 (し)らしめしき(福岡 市 香椎 )。九 十 五 歳 (ここのそぢまりいつとせ)で没 。壬 戌 の年 の六 月 十 一 日 に崩 りましき。御陵 は河内 の恵 賀 の長江 (ながえ)にあり(大阪 府 南河内 郡 )。神功 皇后 息 長 帯 日 (比 )売 命 (おきながたらしひめのみこと)。皇后 は御 年 一 百 歳 にして崩 りましき。狭 城 の楯 列 の稜 に葬 りまつりき(奈良 県 生駒 郡 )。
- 15
代 応神天皇 品 蛇 和氣 命 (ほむだわけのみこと)、軽 島 の明 宮 (あきらのみや)に坐 してまして、天 の下 治 (し)らしめしき(奈良 県 高市 郡 )。一 百 三 十 歳 (ももあまりみそとせ)で没 。甲 午 の年 の九 月 九 日 に崩 りましき。御陵 は川内 (かふち)の恵 賀 の裳 伏 (もふし)の岡 にあり(大阪 府 南河内 郡 )。
下巻 (しもつまき)
下巻 に出 てくる主 な人物
- 16
代 仁徳天皇 大 雀 命 (おほさざきのみこと)、難波 の高津 宮 に坐 (ま)してまして、天 の下 治 (し)らしめしき(大阪 市 )。八 十 三 歳 (やそぢまりみとせ)で没 。丁 卯 の年 の八 月 十 五 日 に崩 りましき。御陵 は毛 受(もず)の耳原 (みみはら)にあり(大阪 府 堺 市 )。- 17
代 履中天皇 伊 邪 本和氣 命 (いざほわけのみこと)、伊波 禮 (いはれ)の若櫻 宮 に坐 してまして、天 の下 治 らしめしき(奈良 県 磯城 郡 )。六 十 四 歳 (むそじまりよとせ)で没 。壬 申 の年 の正月 三 日 に崩 りましき。御陵 は毛 受にあり(大阪 府 堺 市 )。- 18
代 反 正 天皇 水 歯 別命 (みづはわけのみこと)、多治比 (たじひ)の柴垣 宮 に坐 してまして、天 の下 治 らしめしき(大阪 府 南河内 郡 )。六 十 歳 (むそとせ)で没 。丁 丑 の年 の七 月 崩 りましき。御陵 は毛 受野(もずの)にあり。- 19
代 允恭天皇 男 淺 津 間 若子 宿禰 命 (をあさづまわくごのすくねのみこと)、遠 飛鳥 宮 (とほつあすかのみや)に坐 してまして、天 の下 治 らしめしき(大和 の飛鳥 )。七 十 八 歳 (ななそぢまりやとせ)で没 。甲乙 の年 の正月 十 五 日 に崩 りましき。御陵 は河内 の恵 賀 の長 枝 (ながえ)にあり(大阪 府 南河内 郡 )。- 20
代 安康天皇 穴 穂 御 命 (あなほのみこと)、石上 (いそのかみ)の穴 穂 宮 (あなほのみや)に坐 してまして、天 の下 治 らしめしき(奈良 県 山辺 郡 )。五 十 六 歳 (いそぢまりむとせ)で没 。御陵 は菅原 の伏見 の岡 にあり(奈良 県 生駒 郡 )。- 21
代 雄略天皇 大長谷 若 健 命 (おほはつせわかたけのみこと)、長谷 (はつせ)の朝倉 宮 に坐 してまして、天 の下 治 らしめしき(奈良 県 磯城 郡 )。一 百 二 十 四 歳 (ももあまりはたちまりよとせ)で没 。己 巳 の年 の八 月 九 日 に崩 りましき。御陵 は河内 の多治比 の高 鸇(たかわし)にあり(大阪 府 南河内 郡 )。- 22
代 清 寧 天皇 白髪 大倭 根子 命 (しらにのおほやまとねこのみこと)、伊波 禮 (いはれ)の甕 栗宮 (みかくりのみや)に坐 してまして、天 の下 治 らしめしき(奈良 県 磯城 郡 )。没年 、御 年 の記載 なし。- 23
代 顕宗 天皇 - 袁・
之 石 巣 別命 (をけのいはすわけのみこと)、近 飛鳥 宮 (ちかつあすかのみや)に坐 してまして、天 の下 治 らしめすこと八 歳 なりき(大阪 府 南河内 郡 )。三 十 八 歳 (みそぢまりやとせ)で没 。御陵 は片岡 の石 坏(いはつき)の岡 の上 にあり(奈良 県 北葛城 郡 )。 - 24
代 仁賢天皇 意 ・命 (おけのみこと)、石上 の廣 高宮 に坐 してまして、天 の下 治 らしめしき(奈良 県 磯城 郡 )。没年 、御 年 の記載 なし。- 25
代 武 烈 天皇 小長谷 若 雀 (おはつせのわかささのみことぎ)、長谷 の列 木宮 (なみきのみや)に坐 してまして、天 の下 治 らしめすこと八 歳 なりき(奈良 県 磯城 郡 )。没年 記載 なし。御陵 は片岡 の石 坏のおかにあり。- 26
代 継 体 天皇 哀 本 柕(おほとのみこと)、伊波 禮 の玉穂 宮 (たまほのみや)に坐 してまして、天 の下 治 らしめしき(奈良 県 磯城 郡 )。四 十 三 歳 (よそじまりみとせ)丁未 の年 の四 月 九 日 に崩 りましき。丁未 の年 の四 月 九 日 に崩 りましき。御陵 は三島 の藍 の御陵 なり(大阪 府 三島 郡 )。- 27
代 安閑天皇 広 国 押建金目 (ひろくにおしたけかなひのみこと)、勾(まがり)の金 箸 宮 (かなはしのみや)に坐 してまして、天 の下 治 らしめしき(奈良 県 高市 郡 )。乙 卯 の年 の三 月 十 三 に崩 りましき。御陵 は河内 の古市 (ふるち)の高屋 村 にあり(大阪 府 南河内 郡 )。- 28
代 宣 化 天皇 建 小 広 国 押楯(たけおひろくにおしたてのみことのみこと)、檜 垌(ひのくま)の廬 入野 宮 (いほりののみや)に坐 してまして、天 の下 治 らしめしき(奈良 県 高市 郡 )。没年 、御 年 の記載 なし。- 29
代 欽明天皇 天国 押波流 岐広庭 (あめくにおしはるきひろにわのみこと)、師 木島 の大宮 に坐 してまして、天 の下 治 らしめしき(奈良 県 磯城 郡 )。没年 、御 年 の記載 なし。- 30
代 敏 達 天皇 沼 名倉 太 玉 敷 (ぬなくらふとたましきのみこと)、他 田宮 (をさだのみや)に坐 してまして、天 の下 治 らしめすこと、十 四 歳 なりき(奈良 県 磯城 郡 )。甲 辰 の年 の四 月 六 日 に崩 りましき。御陵 は川内 の科 長 (しなが)にあり(大阪 府 南河内 郡 )。- 31
代 用 明天 皇 橘 豊 日 (たちばなのとよひのみこと)、池邊 宮 に坐 してまして、天 の下 治 らしめすこと、三 歳 なりき(奈良 県 磯城 郡 )。丁未 の年 の四 月 十 五 日 に崩 りましき。御陵 は石 寸 (いはれ)の掖 上 (いけのうえ)にありしを、後 に科 長 の中 の稜 に遷 しき(奈良 県 磯城 郡 )。- 32
代 崇 峻 天皇 長谷部 若 雀 (はつせべのわかささぎのみこと)、倉橋 の柴垣 宮 (しばかきのみや)に坐 してまして、天 の下 治 らしめおと、四 歳 なりき(奈良 県 磯城 郡 )。壬 子 の年 の十一月 十 三 日 に崩 りましき。御陵 は倉 椅の岡 の上 にあり(奈良 県 磯城 郡 )。- 33
代 推古天皇 長谷部 若 雀 (はつせべのわかささぎのみこと)、小 治田 宮 (をわりたのみや)に坐 してまして、天 の下 治 らしめすこと、三 十 七 歳 なりき(奈良 県 高市 郡 )。壬 子 の年 の十一月 十 三 日 に崩 りましき。御陵 は大野 の岡 の上 にありしを、後 に科 長 の大 き稜 に遷 しき(奈良 県 宇陀 郡 )。
歌謡
『
写本
刊行 本
岩波 日本 古典 文学 大系 『古事記 ・祝詞 』(倉野 憲司 ・武田 祐吉 校 注 ) 1958年 朝日新聞社 日本 古典 全書 『古事記 』上 ・下 (太田 善麿 ・神田 秀夫 ) 1962年 小学館 日本 古典 文学 全集 『古事記 ・上代 歌謡 』(荻原 浅 男 ・鴻巣 隼雄 ) 1973年 岩波 文庫 『古事記 』(倉野 憲司 ) 1963年 ISBN 4003000110原文 、注釈 。巻末 に歌謡 の索引 がついている。古典 文学 大系 に則 る。
角川 文庫 新 訂 『古事記 』(武田 祐吉 ・中村 啓 信 ) 1977年 講談社 学術 文庫 『古事記 全 訳注 』上中 下巻 次 田 真幸 1977年 ISBN 4061582070原文 、現代 語 訳 、注釈 、解説
角川 鑑賞 日本 の古典 『古事記 』 1978年 新潮社 日本 古典 集成 『古事記 』(西宮 一民 ) 1979年 注釈 、神 名 の釈義 、神 名 索引
岩波 日本 思想 大系 『古事記 』 1982年 注釈 、補注 、類 義 字 一覧 、同 訓 異字 一覧 、
小学館 新編 日本 古典 文学 全集 1『古事記 』(山口 佳 紀 ・神野 志 隆光 ) 1997年 ISBN 4096580015口語 訳 、注釈 、解説 、人名 索引
- おうふう
社 修訂 版 『古事記 』(西宮 一民 ) 文藝春秋 『口語 訳 古事記 』三浦 佑 之 ISBN 4163210105現代 語 訳 、注釈 、解説
注釈 書
- 『
古事記 伝 』(本 居 宣長 )筑摩書房 「本 居 宣長 全集 」9~12)
- 『
古事記 新 講 』(次 田 潤 ) - 『
古事記 全 註釈 』1~7(倉野 憲司 ) - 『
古事記 注釈 』1~4(西郷 信綱 ) - 『
古事記 注解 』2・4(山口 佳 紀 ・神野 志 隆光 )
朗読
脚注
- ^
上代 特殊 仮名遣 とは、上代 の文献 に見 られる万葉仮名 の特殊 な使 い分 けのことである。本来 、仮名遣 とは現代 仮名遣 の「お」と「を」のように同音 のものを異 なる文字 で書 き分 けることであるが、上代 特殊 仮名遣 の場合 は音韻 の違 いを表 わしているので、特殊 仮名遣 と呼 んでいる。通説 によれば、上代 日本語 はキヒミ・ケヘメ・コソトノモヨロの13音節 とこれらの濁音 節 がそれぞれ甲乙 の二 類 に書 き分 けられている。ただし、「モ」の書 き分 けは古事記 のみに見 られるものである。 - ^
発音 上 の相違 とい換 えても差 し支 えない。 - ^ ちなみに
偽書 説 を採 る場合 、その製作 者 として有力 視 されている多 人 長 の『弘 仁 私記 』(弘 仁 4年 (813年 ))では、上代 特殊 仮名遣 が完璧 に再現 されている。 - ^ ただ「
偽書 」とは著者 や執筆 時期 といった来歴 を偽 った書物 のことであり、『古事記 』の場合 その来歴 が書 かれている序文 が偽 りであるなら『古事記 』全 てを偽書 とみなすことに問題 は無 い。もし序文 が無 ければ『万葉集 』と同 じく単 に来歴 不明 の古書 として扱 われていただろう。 - ^
太字 引用 者 - ^ もともと
古事記 を所蔵 していたのは現在 の岐阜 県 羽島 市 に存在 する真福寺 であったが、徳川 家康 の命 により真福寺 の一院 である「宝生 院 」が名古屋 城下 に移転 され、写本 も同時 に移転 させられた。これが現在 の大須 観音 である。詳細 は当該 項目 を参照 。
外部 リンク
国立 国会図書館 ホームページ- http://www.ndl.go.jp/
電子 図書館 の蔵書 >近代 デジタルライブラリーで古事記 が閲覧 できる。
古事記 物語 -青空 文庫 にある鈴木 三重吉 による現代 語 訳 。全文 が閲覧 できる。再 配布 可能 なフリーライセンス。新 訂 古事記 日本 古代 史 参考 史料 古 籍 古事記 学会