彼女は、他の聖者および殉教者の例にもれず、若い頃から父、セペダのアロンソ・サンチェス勲爵 (the knight Alonso Sánchez de Cepeda)、そしてとりわけ母のベアトリス・ダビラ・イ・アウマダ (Beatriz d'Ávila y Ahumada) による教えを受けて、非常に信仰深く禁欲的な理想をしっかりと植え付けられていた。彼女の父の家系はおそらくユダヤ教からの改宗者だった。テレサは聖者の生き様に魅了されていた。そして、少女時代に何度か家出をし、荒野の殉教地を探した。1534年のある朝、問題児の収容施設をこっそり抜け出して、彼女はアビラにあるカルメル会の御托身女子修道院に入った。
修道院では、彼女は病気に苦しんだ。病気の初期には、彼女は信仰書『信仰入門書』(Abecedario espiritual) を読む中で、崇高な宗教的恍惚感を繰り返し経験した。その書はとりわけ「第三の書」あるいは"spiritual alphabet" (1537年 - 1554年に6部に分け刊行)として広く知られているものである。中世の神秘家たちの同様の著作の例に並ぶこの本は、神秘主義の術語では、「回想話法」(oratio recollectionis)もしくは「心情話法」(oratio mentalis)として知られる方法で自制心を試し、霊的自己への集中および内面の熟考を促す内容で構成されている。これに加えて、彼女は他の神秘的な苦行も行った。それは例えば、アルカンタラのペテロ (Peter of Alcantara) の
Tractatus de oratione et meditatione や、おそらくイグナチオ・デ・ロヨラの『霊操』(Excercitia) そのものではなく、それにならった多くの人々の例を参考にしたようなものである。
彼女が内部の原動力を、外部への実際的な表現としようと考えたきっかけは、アルカンタラのペテロである。1560年の初頭、彼は偶然創立者としての彼女と知り合った。そして、彼女の精神的な指導者・カウンセラーとなった。彼女はその時、カルメル会女子修道院を創立し、彼女が気付いた御托身修道院(Cloister of the Incarnation)のだらしなさを改革しようと決心した。Guimara de Ullonという金持ちの友人の女性が、資金を提供した。
1567年、彼女はカルメル会の長、ルベオ・デ・ラヴェンナ (Rubeo de Ravenna) の特別な許しを得て、彼女の指示で複数の新しい修道院を創立した。そしてこの努力を続ける中で、後に彼女はほとんど全てのスペインの地方を訪問する長い旅を行った。これらの旅を続ける中で、彼女は『創立の書』(Libro de las Fundaciones, a late ed., Madrid, 1880; Eng. transl., Book of the Foundations, London, 1871) を著した。1567年から1571年にかけて、改革修道院がメディナ・デル・カンポ、マラゴン、バリャドリド、トレド、パストラナ、サラマンカ、アルバ・デ・トルメスに建てられた。
彼女の精神を手本にして、十字架のヨハネによって男子修道士に向けた同様の運動が始められた。テレサのもう一人の友人、ヘロニモ・グレシアン(Geronimo Grecian, 彼はアンダルシアでカルメル会の旧来の修道規則の視察官、ローマ教皇庁の長官、そして後にはテレサによる改革派の大司教を務めた)は、セゴビア (Segovia, 1571年)、ベガス・デ・セグラ (Vegas de Segura, 1574年)、セビリャ (Sevilla, 1575年)、カラバカ・デ・ラ・クルス(Caravaca de la Cruz, ムルシア地方、1576年)に修道院を創立するにあたって、彼女に強力な支援を行った。そしてその一方、徹底的な神秘主義者のヨハネは、教師・説教師としての権力によって、この運動の精神生活を普及させた。
テレサの人生の最後の3年間の間、彼女はアンダルシア地方の北西部にあるビリャヌエバ・デ・ラ・ハラ(Villanueva de la Jara)(1580年)、バレンシア(1580年)、ソリア(1581年)、ブルゴスとグラナダ(1582年)に修道院を創立した。全部で17人の女子修道院は、1つを除いて彼女によって創立されたものだった。そして、同じ数の男子修道院も彼女の20年間の改革活動のおかげで創立されたのだった。彼女の最後の病気は、ブルゴスからアルバ・デ・トルメスに旅する途中に突然起こった。
第二段階は「静寂」(devotion of peace)であり、その段階においては少なくとも人間の意志は失われ、神から与えられたカリスマ的、超自然的な状態に基づいて、神の中にいる。その一方で、記憶、理性、想像力などの他の働きは、まだ現世の喧騒から守られてはいない。部分的な注意散漫は、祈りの反復や霊的な事柄を書き記すような外部に向けての行動のために起こる。しかし、その一方で次第に一種の静けさの状態が心を占めるようになる。
第三段階は「合一」(devotion of union)であり、これは超自然的なだけではなく本質的に宗教的な意味での恍惚状態(訳注:法悦)である。この段階においては、神への信仰に理性までも没頭するので、ただ記憶と想像力だけが取りとめもなく広がって行くに任せられる。この状態は、この上ない平和、(最上ではないにしても)より高次の魂の働きの甘いまどろみ、現実との接点を残した状態での神の愛への歓喜、などとして描写される。
第四段階は「恍惚あるいは歓喜」(devotion of ecstasy or rapture)という受動的な状態であり、ここでは身体が存在するという感覚が消滅する(「コリントの信徒への手紙二」12.2-3)感覚の働きが消えるということは、つまり、記憶や想像力までもが神にすっかり夢中になってしまう、あるいは、酔ったような状態になってしまうということである。身体と精神は、甘美な激痛、幸せな苦痛、恐ろしいまでに激しい輝きと完全な無能・無意識との間の交替現象、そして、しばしの窒息状態の中に置かれる。そしてそれは、身体が文字通り宙に浮く恍惚の浮揚のような現象によって時々中断される。半時間ほどこうした現象が続いた後、数時間の気絶のような衰弱状態の中で反動の弛緩を味わう。この時、神との合一の全ての働きを否定する気分を伴う。ここから、主体は自分の涙に気付く。つまりそれが神秘体験の絶頂、恍惚状態の創出なのである。
The "Autobiography", written before 1567, under the direction of her confessor, Pedro Ibanez (La Vida de la Santa Madre Teresa de Jesús, Madrid, 1882; Eng. transl., The Life of S. Teresa of Jesus, London, 1888);
Camino de Perfección, written also before 1567, at the direction of her confessor (Salamanca, 1589; Eng. transl., The Way of Perfection., London, 1852);
El Castillo Interior, written in 1577 (Eng. transl., The Interior Castle, London, 1852), comparing the contemplative soul to a castle with seven successive interior courts, or chambers, analogous to the seven heavens;
Relaciones, an extension of the autobiography giving her inner and outer experiences in epistolary form.
いくぶん小規模な作品として、『愛の概念』(Conceptos del Amor)と『感嘆』(Exclamaciones)の2つがある。さらに、342通の手紙とその他の87の断片から成る『書簡集』(Cartas、サラゴッサ、1671年)がある。テレサの散文的な文章には気取らない品の良さ、極度に修辞的なこぎれいさ、うっとりさせるような表現の力がある。それは、彼女がスペイン語文学の書き手としても非常に優れていたことをも示す。さらに、彼女が書いた数少ない詩の『全詩集』(Todas las poesias、Munster、1854年)は、彼女の優しい感情とリズミカルな思考を顕著にするものである。