カシモビアン

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地質ちしつ時代じだい - あらわせいだい[* 1][* 2]
累代るいだい だい きの 基底きてい年代ねんだい
Mya[* 3]
あらわせいだい 新生代しんせいだい だいよん 2.58
しんだい三紀みき 23.03
ふるだい三紀みき 66
中生代ちゅうせいだい はく亜紀あき 145
ジュラ紀じゅらき 201.3
さんじょう 251.902
古生代こせいだい ペルム 298.9
石炭せきたん 358.9
デボン 419.2
シルルおさむ 443.8
オルドビス 485.4
カンブリア 541
原生代げんせいだい 2500
太古たいこだい始生代しせいだい 4000
めい王代おうだい 4600
  1. ^ 基底きてい年代ねんだい数値すうちでは、このひょう本文ほんぶんちゅう記述きじゅつでは、ことなる出典しゅってんによるためちが場合ばあいもある。
  2. ^ 基底きてい年代ねんだい更新こうしん履歴りれき
  3. ^ ひゃくまんねんまえ

カシモビアンえい: Kasimovian)は、国際こくさいそうじょ委員いいんかいによってさだめられた地質ちしつがく用語ようごである、地質ちしつ時代じだいひとつ。3おく700まんねんまえ誤差ごさ10まんねん)から3おく370まんねんまえ誤差ごさ10まんねん)にあたる、石炭せきたんペンシルバニアン亜紀あき英語えいごばん後期こうき石炭せきたん)の後期こうき二分にぶんした前期ぜんきである。まえ後期こうき石炭せきたん中期ちゅうきモスコビアンつづ後期こうき石炭せきたん後期こうき後期こうきグゼリアン[1]かたぎしきロシアのモスクワ盆地ぼんち位置いちする[2]

環境かんきょう[編集へんしゅう]

後期こうき石炭せきたん前期ぜんきペンシルバニアン亜紀あきバシキーリアン)から中期ちゅうきペンシルバニアン亜紀あき前期ぜんき前期ぜんきモスコビアン)まで繁栄はんえいしていたみやつこ礁生ぶつ普通ふつう海綿かいめんつな chaetetids は、後期こうきモスコビアンで急激きゅうげき衰退すいたいし、カシモビアンでは産出さんしゅつ確認かくにんされていない。ぎゃく高緯度こういど生息せいそくした Palaeoaplysina などの石灰せっかい藻類そうるい繁栄はんえいせており、当時とうじ地球ちきゅう寒冷かんれい進行しんこうしていたこと、みやつこ生物せいぶつ群集ぐんしゅうがそれをけて変遷へんせんしつつあったことが示唆しさされている[3]

寒冷かんれいはゴンドワナごおりゆか拡大かくだい相関そうかんする。日本にっぽん山口やまぐちけん分布ぶんぷすることとなる秋吉あきよし海山みやま位置いちしていたパンサラッサうみは、パンゲア大陸たいりくあたりえんてい緯度いど地域ちいきよりもおくれてその影響えいきょうけたことが示唆しさされている[4]秋吉あきよし石灰岩せっかいがんでは後期こうきカシモビアンに海水かいすいじゅん低下ていか記録きろくされている[5]

日本にっぽんにおいて[編集へんしゅう]

日本にっぽん山口やまぐちけん美祢みね分布ぶんぷする秋吉あきよしたい石灰岩せっかいがん研究けんきゅうによると、黒褐色こっかっしょく方解石ほうかいせき結晶けっしょう生物せいぶつ遺骸いがいへんふく灰白色かいはくしょく石灰岩せっかいがん銘柄めいがらとしては山口やまぐち更紗さらさくろりゅう)は、その石灰岩せっかいがん発達はったつするそうじゅん石灰岩せっかいがんちゅうから産出さんしゅつしたフズリナ化石かせきから、山口やまぐち更紗さらさ中期ちゅうき - 後期こうきカシモビアン、くろりゅう後期こうきカシモビアン前期ぜんき見積みつもられた[6]

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

出典しゅってん[編集へんしゅう]

参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]