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ツィンメルマン電報でんぽう

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ワシントンからメキシコへおくられたツィンメルマン電報でんぽう

ツィンメルマン電報でんぽう(ツィンメルマンでんぽう、ドイツ: Zimmermann-Depesche)は、だいいち世界せかい大戦たいせんなか1917ねん1がつ16にちに、ドイツ帝国ていこく外務がいむ大臣だいじんアルトゥール・ツィンメルマンによってメキシコ政府せいふ急送きゅうそうされた電報でんぽう。この電報でんぽうはイギリスがわ傍受ぼうじゅされたのちアメリカ合衆国あめりかがっしゅうこくつたわることとなり、1915ねん5月7にち発生はっせいしたルシタニアごう撃沈げきちん事件じけんたいどく関係かんけい悪化あっかしていたアメリカの参戦さんせん決定けっていづけた。

概要がいよう

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電文でんぶんイギリス海軍かいぐん諜報ちょうほう、ウィリアム・R・ホール提督ていとく指揮しきされた「ルーム40」の暗号あんごう解読かいどくしゃナイジェル・デ・グレイおよびウィリアム・モントゴメリーによって傍受ぼうじゅ解読かいどくされた。暗号あんごう解読かいどくは、技術ぎじゅつによって解読かいどくされていたコード0075が、傍受ぼうじゅした電文でんぶんもとメッセージに使用しようされていたため可能かのうとなった。ツィンメルマンの電文でんぶんは、もしアメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく参戦さんせんするならば、ドイツはメキシコと同盟どうめいむすぶという提案ていあんだった。さらに、アメリカへのメキシコの先制せんせい攻撃こうげきはドイツが援助えんじょし、大戦たいせんでドイツが勝利しょうりした場合ばあいには、かつてべいぼく戦争せんそうによってアメリカにうばわれたテキサスしゅうニューメキシコしゅうアリゾナしゅうをメキシコに返還へんかんするというものであった。また、メキシコにドイツと日本にっぽん仲裁ちゅうさいと、日本にっぽんたいべい参戦さんせん説得せっとくうながすものであった。

メキシコの回答かいとう

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そのメキシコ大統領だいとうりょうベヌスティアーノ・カランサ軍事ぐんじ委員いいんかい設立せつりつし、それらきゅうメキシコりょうりの現実げんじつせい評価ひょうかさせたが、実現じつげんせいひくいという結論けつろんたっした。すなわち、3しゅうることは、米国べいこくたいして、将来しょうらい問題もんだい、さらにはおそらく戦争せんそうこすだろうことは、ほぼ間違まちがいなかった。しかし、メキシコは独力どくりょくではアメリカにてず、ドイツも戦闘せんとう必要ひつよう武器ぶき提供ていきょうすることはできないだろう。たとえてたとしても、メキシコはその国境こっきょう以内いない膨大ぼうだいなアングロじんささえることができないだろうし、1914ねんナイアガラフォールズ平和へいわ会議かいぎでの成果せいかすることになり、南米なんべいとの外交がいこう関係かんけいもこじれるだろう、という結論けつろんである。

こうしてカランザは4がつ14にちにツィンメルマンの提案ていあんことわった。そのときすで米国べいこくはドイツに戦争せんそう宣言せんげんしていた。

英国えいこく傍受ぼうじゅ

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ルーム40によって解読かいどくされたツィンメルマン電報でんぽう

この電報でんぽうは、ウィリアム・R・ホールうみしょう指揮しきにあるえい海軍かいぐん情報じょうほうルーム40の暗号あんごう解読かいどくはんナイジェル・デ・グレーおよびウィリアム・モントゴメリーによって、その要点ようてんをつかむには十分じゅうぶんなほど傍受ぼうじゅされ解読かいどくされた。

外務省がいむしょう使用しようした暗号あんごう(0075)の解読かいどく可能かのうだったのは、アフガニスタンやイランをイギリスにたいして宣戦せんせんさせるべく中東ちゅうとううごいていたドイツのエージェントヴィルヘルム・ヴァースムスから鹵獲ろかくしたふるはん暗号あんごう使つかわれた平文へいぶんコードブックや、その技法ぎほうもちいて部分ぶぶんてき暗号あんごう解読かいどくされていたためだった。

英国えいこく政府せいふ告発こくはつする電報でんぽう暴露ばくろしたかったが、ジレンマに直面ちょくめんした。もし露骨ろこつ実際じっさい電報でんぽう提示ていじすれば、ドイツはかれらの暗号あんごう解読かいどくされたことにかんづくだろうし、また公表こうひょうしなければ、だいいち世界せかい大戦たいせんにアメリカを有望ゆうぼう機会きかいのがすだろう。ドイツの潜水艦せんすいかん攻撃こうげきやく200にん人命じんめいうばわれアメリカのはんどく感情かんじょうとくたかぶっていたとき、この電報でんぽうおくられたのだった。

また、べつ問題もんだいから、それらを秘密裏ひみつりのうちにアメリカ政府せいふせることもできなかった。ドイツは、その内容ないよう重要じゅうようせいから、3つの別個べっこのルートを使つかい、ベルリンからワシントン駐在ちゅうざいのドイツ大使たいし、ヨハン・フォン・ベルンシュトルフあてにメッセージをおくっていた。そこからさらにメキシコ駐在ちゅうざいのドイツ大使たいしフォン・エックハルトのもとへ転送てんそうされた。

英国えいこく入手にゅうしゅしたのはこれらのうち1つだけだった。アメリカは、ウィルソン大統領だいとうりょうがドイツの和平わへいにおける主導しゅどうけんるため、ドイツ自身じしん非公開ひこうかい外交がいこう通信つうしん米国べいこく通信つうしんもう利用りよう許可きょかしていた。メッセージは暗号あんごうされており、また原則げんそくてき当時とうじ米国べいこく他国たこく外交がいこう通信つうしんんでおらず、かつ米国べいこく英国えいこくのような暗号あんごう解読かいどく能力のうりょくっていなかったので、ドイツじんはそれを使用しようすることをおそれていなかった。電信でんしんケーブルはベルリンの米国べいこく大使館たいしかんからコペンハーゲンへ、さらに英国えいこく経由けいゆでアメリカへ海底かいていケーブルによってつながっていた(この途上とじょう英国えいこく通信つうしん監視かんししていた)。

つまり、英国えいこくがアメリカに電報でんぽう出処しゅっしょらせるということは、英国えいこく米国べいこく外交がいこう通信つうしんをも傍受ぼうじゅしていたことを白状はくじょうするにひとしかった。

英国えいこく解決かいけつさく

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翻訳ほんやく解読かいどくされたツィンメルマン電報でんぽう

英国えいこく政府せいふは、ワシントンD.C.のドイツ大使館たいしかん商用しょうよう電信でんしんシステムによってメキシコ大使館たいしかんてのメッセージをおくるだろう、したがって、そのコピーがメキシコシティの公共こうきょう電信でんしんきょく存在そんざいするだろうと推測すいそくした。コピーをれることができたならば、メキシコでのスパイ活動かつどうによってそれを発見はっけんしたと説明せつめいしてアメリカ政府せいふ手渡てわたすことができるのだ。

そこで、かれらは「H」とのみられるざいメキシコの英国えいこくエージェント(現在げんざいでは、のちにハンガリー大使たいしつとめたトーマス・ホーラーThomas Hohler)だとされている)と連絡れんらくをとり、Hはどうにかコピーを入手にゅうしゅした。英国えいこく暗号あんごう解読かいどくはんよろこばせたことに、このメッセージはヴァースムス暗号あんごうしょ使つかわれたふる暗号あんごう使用しようして、ワシントンのドイツ大使館たいしかんからメキシコへおくられており、したがって完全かんぜん解読かいどくすることができた。おそらく、メキシコのドイツ大使館たいしかん最新さいしんのコードブックをっていなかったためと推測すいそくされる。

この電報でんぽうはホールうみしょうによって英国えいこく外務がいむ大臣だいじんアーサー・ジェームズ・バルフォア配達はいたつされ、かれ英国えいこく駐在ちゅうざい米国べいこく大使たいしウォルター・ページと連絡れんらくをとった。また2がつ23にちかれ電報でんぽう配達はいたつした。2にちに、かれウッドロー・ウィルソン大統領だいとうりょうへそれを中継ちゅうけいした。

アメリカでの影響えいきょう

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当時とうじのアメリカの国民こくみん感情かんじょうは、はんドイツとおなじくらいはんメキシコだった。ジョン・パーシング将軍しょうぐんは、国境こっきょうえた襲撃しゅうげきなんかいおこなった革命かくめいパンチョ・ビリャっていたが、これは米国べいこく政府せいふにとって多額たがく出費しゅっぴだった。また、ウィルソンはメキシコであらたな選挙せんきょ実施じっしされ、しん政府せいふ設置せっちされ、またあたらしい憲法けんぽう発布はっぷされるまで、捜索そうさく中止ちゅうしすることにかたむいていた(のち1917ねん憲法けんぽう採択さいたくすることになる憲法けんぽう代表だいひょうしゃ会議かいぎがそのとき進行しんこうちゅうだった)。この電報でんぽうのニュースはアメリカ・メキシコのあいだ緊迫きんぱくした対立たいりつ悪化あっかさせた。もしドイツとメキシコの同盟どうめい実現じつげんした場合ばあいあたらしいメキシコ政府せいふ選挙せんきょ米国べいこく国益こくえき沿うような結果けっかになることを妨害ぼうがいしていただろうからだ。

3月1にちに、米国べいこく政府せいふはプレスに電報でんぽう平文へいぶんあたえた。アメリカの大衆たいしゅう最初さいしょは、その電報でんぽう同盟どうめいがわとのたたかいをもたらすためにつくられた偽電ぎでんであるとしんじた。この見解けんかいは、連合れんごうこく同盟どうめいこくである日本にっぽん外交がいこうかんのみならず、ドイツの外交がいこうかん、メキシコの外交がいこうかん、そしてアメリカの平和へいわ主義しゅぎしゃおよびドイツ支持しじロビーによって支持しじされた。こうしたひとはすべて偽電ぎでんとして電報でんぽう非難ひなんした。

アルトゥール・ツィンメルマンの演説えんぜつ

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しかしながら、ツィンメルマンは1917ねん3がつ3にち、および3がつ29にち演説えんぜつなかでその真実しんじつせい確認かくにんした。これは予期よきしないうごきだった。その演説えんぜつは、かれがわについての状況じょうきょう説明せつめいすることを意図いとしていた。かれはカランザに手紙てがみかなかったが、ある「安全あんぜんであるようにおもわれたルート」を経由けいゆしてドイツの大使たいし指示しじあたえた、とかれかたはじめた。

さらにかれは、潜水艦せんすいかん攻撃こうげきにもかかわらず、アメリカが中立ちゅうりつのままであることをのぞむとべた。メキシコ政府せいふへのかれ提案ていあんは、米国べいこく戦争せんそう布告ふこくした場合ばあいにのみ実行じっこうされることになっていたこと、またかれがこの指示しじを「米国べいこくたいしては絶対ぜったい忠実ちゅうじつである」としんじているとべた。実際じっさいには、かれ電報でんぽう傍受ぼうじゅされたのち、「異常いじょう粗野そやなやりかたで」ドイツとの関係かんけい中止ちゅうししたこと、およびドイツの大使たいしが「もはやドイツの姿勢しせいについて説明せつめいする機会きかいあたえられないまま米国べいこく政府せいふ交渉こうしょうことわられた」てんについてウィルソン大統領だいとうりょう非難ひなんした。

かれには電報でんぽうのインパクトに対応たいおうする機会きかいがあったので、かれのスピーチには正直しょうじきさがあった。一方いっぽう、そのになおかれは、電報でんぽう本来ほんらいかんがえをしめ準備じゅんびをしていた。しかしながら、それは、そのみなみ隣人りんじん比較ひかくしたときのアメリカの実際じっさいつよさにかんしてかれ重大じゅうだいあやまりをつたえられていたことをあきらかにした。それはドイツの情報じょうほう失点しってんだった。

宣戦せんせん布告ふこく

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電報でんぽうは、ドイツがアメリカの船舶せんぱく攻撃こうげきしている一方いっぽうでアメリカの中立ちゅうりつ維持いじすることにもっと興味きょうみっているとべることによりはじまったが、その基礎きそてき対立たいりつ確認かくにんしたことがはんドイツ感情かんじょう発露はつろこした。ウィルソンは、アメリカせん潜在せんざいてきなドイツの潜水せんすいかん攻撃こうげきをかわすことができるように武装ぶそうさせてくれるように議会ぎかい依頼いらいすることで、米国べいこくへのドイツの敵意てきい明示めいじ応答おうとうした。

数日すうじつの1917ねん4がつ2にちに、ウィルソンは、ドイツに宣戦せんせん宣言せんげんするように議会ぎかい依頼いらいした。そして4がつ6にちに、議会ぎかいだいいち世界せかい大戦たいせんへのアメリカ参戦さんせん承認しょうにんした。

ドイツの潜水せんすいかんは、以前いぜんはイギリス諸島しょとうちかくの米国べいこくせん攻撃こうげきしていた。したがって、電報でんぽう米国べいこく参戦さんせん唯一ゆいいつ原因げんいんではなかったが、米国べいこく世論せろんうごかすさい重大じゅうだい役割やくわりたした。その電報でんぽうは、メキシコへわたされるまえにベルリンの米国べいこく大使館たいしかんからワシントンD.C.のドイツ大使館たいしかん最初さいしょ送信そうしんされたことが、とく背信はいしんとしてめられた。

ひとたびアメリカの大衆たいしゅう電報でんぽう本物ほんものであるとかんがえた以上いじょう、もはやアメリカが世界せかい大戦たいせん参戦さんせんすることはけられなくなった。

参考さんこう文献ぶんけん

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バーバラ・W. タックマン 『決定的けっていてき瞬間しゅんかん暗号あんごう世界せかいえた』 (ちくま学芸がくげい文庫ぶんこ)

サイモン・シン『暗号あんごう解読かいどく』(新潮社しんちょうしゃ