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リガわんたたか

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リガわんたたか
だいいち世界せかい大戦たいせんなか

ロシア帝国ていこく戦艦せんかんスラヴァ(1915ねんごろ
とき1915ねん8がつ8にちから8がつ20日はつか
場所ばしょバルト海ばるとかいリガわん
座標ざひょう: 北緯ほくい5745ふん00びょう 東経とうけい2330ふん00びょう / 北緯ほくい57.7500 東経とうけい23.5000 / 57.7500; 23.5000
結果けっか 連合れんごうぐん勝利しょうり
衝突しょうとつした勢力せいりょく
ロシアの旗 ロシア帝国ていこく
イギリスの旗 イギリス
ドイツ帝国ていこく
指揮しきかん
ロシアの旗 ワシリー・カニン ドイツ帝国の旗 エールハルト・シュミット
戦力せんりょく
戦艦せんかん 1
装甲そうこう巡洋艦じゅんようかん 1
駆逐くちくかん 16
砲艦ほうかん 4
機雷きらい敷設ふせつかん 1
潜水せんすいかん 6
戦艦せんかん 4
めぐよう戦艦せんかん 3
装甲そうこう巡洋艦じゅんようかん 2
けい巡洋艦じゅんようかん 5
魚雷ぎょらいてい 56
掃海そうかいてい 14
被害ひがいしゃすう
死者ししゃ負傷ふしょうしゃ捕虜ほりょ 150
砲艦ほうかん 2 撃沈げきちん
戦艦せんかん 1 損傷そんしょう
駆逐くちくかん 1 損傷そんしょう
死者ししゃ負傷ふしょうしゃ 65
魚雷ぎょらいてい 1 撃沈げきちん
掃海そうかいてい 2 撃沈げきちん
戦艦せんかん 1 損傷そんしょう

リガわんたたかは、1915ねん8がつバルト海ばるとかいリガわんにおいてドイツ帝国ていこく大洋たいよう艦隊かんたいロシア帝国ていこくバルチック艦隊かんたい相手あいてった海戦かいせんである。中央ちゅうおう同盟どうめいこくにおけるこの戦闘せんとう目的もくてきは、1915ねんはる東部とうぶ戦線せんせんゴルリッツ=タルヌフ攻勢こうせいつづき、リガ湾内わんないのロシア艦隊かんたい撃破げきはし、リガを陥落かんらくさせるためにドイツぐん上陸じょうりくさせることであった。しかしドイツ艦隊かんたい目的もくてき達成たっせいできずに基地きちへの帰還きかん余儀よぎなくされ、リガは1917ねん9がつ1にちにドイツぐん陥落かんらくするまでロシアの手中しゅちゅうにあった。

背景はいけい

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1915ねん8がつ上旬じょうじゅん、ドイツの大洋たいよう艦隊かんたいバルト海ばるとかい移動いどうし、リガわんへの進攻しんこう参加さんかすることになった。その目的もくてきは、ぜんいしゆみきゅう戦艦せんかんスラヴァふくむこの海域かいいきのロシア艦隊かんたい撃破げきはし、掃海そうかいていドイッチュラント英語えいごばんによりスール海峡かいきょう機雷きらい封鎖ふうさすることであった。フランツ・フォン・ヒッパーの指揮しきにあったドイツ海軍かいぐんは、ナッサウきゅう戦艦せんかん4せきヘルゴラントきゅう戦艦せんかん4せきめぐよう戦艦せんかんモルトケフォン・デア・タンザイドリッツおよび多数たすう小型こがた艦艇かんていふくんでいた[1]

交戦こうせん

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リガわん戦場せんじょう

8がつ8にちわん一掃いっそうする最初さいしょこころみがおこなわれた。ぜんいしゆみきゅう戦艦せんかんブラウンシュヴァイク英語えいごばんエルザスはスラヴァを牽制けんせいし、掃海そうかいてい機雷きらいばらとおみちつくった。このあいだのこりのドイツ艦隊かんたいバルト海ばるとかいまり、ロシア艦隊かんたいほか部隊ぶたいたいする防御ぼうぎょてっした。しかし、日没にちぼつちかづくと、ドイッチュラントはスール海峡かいきょうくちへの機雷きらい敷設ふせつわなくなり、作戦さくせん中断ちゅうだんされた[2]

そのあいだに、ドイツの装甲そうこう巡洋艦じゅんようかんローンプリンツ・ハインリヒサーレマーとう南側みなみがわにあるソルベ半島はんとうにあるロシア陣地じんち砲撃ほうげきかった。すうせきのロシア駆逐くちくかんがソルベ半島はんとうおき停泊ていはくしており、そのうちの1せき砲撃ほうげきにり損傷そんしょうけた。めぐよう戦艦せんかんフォン・デア・タンとけい巡洋艦じゅんようかんコルベルクウトしま砲撃ほうげきかった[3]

8がつ16にち、2かい湾内わんないへの侵入しんにゅうこころみられた。いしゆみきゅう戦艦せんかんナッサウ英語えいごばんポーゼンけい巡洋艦じゅんようかん4せき魚雷ぎょらいてい31せきわん防衛ぼうえい突破とっぱした[3]。17にち、ナッサウとポーゼンはスラヴァと砲撃ほうげきせんおこない、スラヴァに3はつ命中めいちゅうだんあたえ、撤退てったいうながした。3にち、ロシアの機雷きらいばらのぞかれ、ドイツ艦隊かんたいは8がつ19にちわんはいったが、この海域かいいき連合れんごうぐん潜水せんすいかんがいるとの報告ほうこくけ、翌日よくじつわんから撤退てったいした[4]

1915ねん8がつ17にち、リガわんにおける駆逐くちくかん「ノヴィク」とドイツ駆逐くちくかん「V-99」および「V-100」の戦闘せんとう

作戦さくせんちゅう、ドイツの戦艦せんかんバルト海ばるとかいまり、リガわんへの突撃とつげき援護えんごおこなった。8月19にちあさ、モルトケはイギリスのEきゅう潜水せんすいかんE1によって魚雷ぎょらい攻撃こうげきけた。魚雷ぎょらいやく180メートルの距離きょりまで発見はっけんされなかったため回避かいひ行動こうどうわず、船首せんしゅ魚雷ぎょらいしつ被弾ひだんした。この爆発ばくはつ船内せんないすうほん魚雷ぎょらい誘爆ゆうばくしたが、沈没ちんぼつまぬかれた。8めい死亡しぼうし、船内せんないへの浸水しんすいは435トンであった。モルトケは8がつ23にちから9がつ20日はつかにかけてハンブルクブローム・ウント・フォス修理しゅうりされた[5]

8がつ20日はつか、ドイツぐんせた4せき大型おおがた揚陸ようりくていがペルナウに上陸じょうりくしようとしたが、ロシアの小型こがた戦艦せんかん撃退げきたいされた。ロシアの砲艦ほうかんシヴーチはドイツのけい巡洋艦じゅんようかんアウクスブルクと8せき駆逐くちくかんとの交戦こうせんにより破壊はかいされ、損害そんがいけたドイツの掃海そうかいていアルバトロスは中立ちゅうりつこくであるスウェーデンゴットランドとう上陸じょうりくさせた。その、ロシアの巡洋艦じゅんようかんリューリクのこりのドイツ部隊ぶたい撤退てったいさせた[6]

交戦こうせん艦艇かんてい

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  • 戦艦せんかん スラヴァ
  • 装甲そうこう巡洋艦じゅんようかん リューリク
  • 砲艦ほうかん 4せき
  • 機雷きらい敷設ふせつかん 1せき
  • 駆逐くちくかん 16せき

脚注きゃくちゅう

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  1. ^ Halpern, p. 196
  2. ^ Halpern 1995, pp. 196–197
  3. ^ a b Halpern 1995, p. 197
  4. ^ Halpern 1995, pp. 197–198
  5. ^ Staff 2006, p. 15
  6. ^ Halsey, Francis Whiting (1920). The Literary Digest History of the World War. X: The Naval Battles Off Heligoland, South America, the Dogger Bank, and Jutland.... New York: Funk & Wagnalls Company. pp. 35–37. OCLC 1101507660. https://archive.org/details/literarydigesthi10halsiala 

参考さんこう文献ぶんけん

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外部がいぶリンク

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