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リガ攻勢こうせい

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リガ攻勢こうせい
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1917ねん9がつ3にちにリガを進軍しんぐんするドイツぐん
戦争せんそうだいいち世界せかい大戦たいせん
年月日ねんがっぴ1917ねん9月1にち - 9月4にち
場所ばしょ:ロシアのリガ
結果けっか:ドイツぐん勝利しょうり
交戦こうせん勢力せいりょく
ロシアの旗 ロシア臨時りんじ政府せいふ ドイツ帝国の旗 ドイツ帝国ていこく
指導しどうしゃ指揮しきかん
ロシアの旗 ドミトリー・パルスキーロシアばん ドイツ帝国の旗 オスカー・フォン・フーチェル
戦力せんりょく
ロシアだい12ぐん
192000
ドイツだい8ぐん
~60000
損害そんがい
~25000 ~5000
東部とうぶ戦線せんせん (だいいち世界せかい大戦たいせん)

リガ攻勢こうせい(リガこうせい)は、だいいち世界せかい大戦たいせんにおけるたたかいのひとつ。4日間にちかん戦闘せんとうでドイツぐんリガ占領せんりょうし、ロシアぐん撃退げきたいした。

背景はいけい[編集へんしゅう]

1915ねん8がつドイツぐんがリガ前面ぜんめん停止ていしして以来いらいロシアぐんはリガにはしあたま陣地じんちき、えずどく東方とうほうぐんきたつばさ脅威きょういしていた。

がつ革命かくめいでロシア帝政ていせいたおれたのちの1917ねんなつケレンスキーぐんガリツィアにおいて攻勢こうせいったが(ケレンスキー攻勢こうせい)、中央ちゅうおう同盟どうめいこくぐん反撃はんげきにより撃退げきたいされる。ドイツ野戦やせんぐん参謀さんぼう次長じちょうルーデンドルフ東方とうほう大軍たいぐん参謀さんぼうちょうホフマン大佐たいさに、ガリツィア方面ほうめんから抽出ちゅうしゅつした兵力へいりょく東部とうぶ戦線せんせんめておくので、これをリガ橋頭堡きょうとうほ攻略こうりゃくのため使用しようしてもよいとげ、ホフマンはただちに攻勢こうせい準備じゅんびかった。

ほん攻勢こうせいのドイツ最高さいこう統帥とうすいいだ企図きとは、サンクトペテルブルク街道かいどう付近ふきんにおいてロシアぐん決定的けっていてき勝利しょうり、かつこれによりだい8ぐんせんめん短縮たんしゅくして東部とうぶ戦線せんせんから西部せいぶ戦線せんせん転用てんようできる兵力へいりょく増大ぞうだいさせることにあった。べついちめんにおいては、リガを攻略こうりゃくすればガリツィアで敗北はいぼくしていたロシアぐん厭戦えんせん気分きぶんをさらに助長じょちょう促進そくしんし、ロシア国民こくみん講和こうわかたぶかせられるとの思惟しいがあった。

作戦さくせん計画けいかく[編集へんしゅう]

ドイツぐん作戦さくせん計画けいかく概要がいよう以下いかとおりである。

急襲きゅうしゅうてきドビナがわ渡河とかしてその迅速じんそく攻撃こうげき敢行かんこうし、ロシアぐんをプレスコウ(プスコフ)につうじる鉄道てつどうおよ大街道おおかいどうから遮断しゃだんする。
このために十分じゅうぶん兵力へいりょくをもって東方とうほう援護えんごさせるとともに、リガ西北せいほくかたつうじる道路どうろじょう予期よきされるロシアぐん抵抗ていこう打破だはするため迅速じんそく前進ぜんしん敢行かんこうさせる。
北方ほっぽう前進ぜんしんする兵団へいだんは、リガ橋頭堡きょうとうほにある軍師ぐんしだん包囲ほうい殲滅せんめつする決戦けっせんてき任務にんむゆうする。
この目的もくてきたっするためには、もちろん東北とうほくかたから予期よきされるロシアぐん増援ぞうえん部隊ぶたい防止ぼうしする必要ひつようがある。
リガ付近ふきんにあるロシアぐん予備よびたい戦場せんじょう到着とうちゃく攻撃こうげき開始かいしすうあいだないには予期よきしない。
陽動ようどう渡河とか攻撃こうげき右翼うよくフリードリヒシュタット付近ふきん実施じっしし、東方とうほう隣接りんせつ地区ちくにおけるぐん吸引きゅういんする。
ウェンデン(リガ東方とうほうやく80km)方面ほうめんからぐん予備よびたい来援らいえんするであろうが、その到着とうちゃくには鉄道てつどうをもって輸送ゆそうするも時間じかんがかかるであろう[1]

りょうぐん態勢たいせい[編集へんしゅう]

攻撃こうげき担当たんとうしたドイツだい8ぐんは、自軍じぐん正面しょうめんからだい19予備よび師団しだんだい203りょうへい師団しだんだい202りょうへい師団しだんの3師団しだん抽出ちゅうしゅつし、これを突破とっぱ正面しょうめん増援ぞうえんとしておくった。

東方とうほう大軍たいぐん司令しれいかんしゅとしてガリツィア戦場せんじょうからだい4軍団ぐんだんだい1後備こうび軍団ぐんだんだい23予備よび軍団ぐんだんの3軍団ぐんだん司令しれいはじめ、だい1近衛このえりょうへい師団しだんだい2近衛このえりょうへい師団しだん近衛このえ補充ほじゅう師団しだんだい20りょうへい師団しだんだい42りょうへい師団しだんだい14バイエルンりょうへい師団しだんだい75予備よび師団しだんだい77予備よび師団しだんならびに必要ひつよう十分じゅうぶんほう工兵こうへい部隊ぶたいほん作戦さくせんのためだい8ぐん増援ぞうえんした。そのだい8ぐんだい1騎兵きへい師団しだんのほか1個いっこ騎兵きへい旅団りょだん増加ぞうかされた。

ドイツぐんサイドの塹壕ざんごう背後はいごもりには、おも迫撃はくげきほう100もんちゅう迫撃はくげきほう130もんけい迫撃はくげきほう320もん配備はいびされ、A~Dの砲兵ほうへいぐんとして編成へんせいされた。これらの指揮しきかんゲオルク・ブルフミュラー大佐たいさ直接ちょくせつ報告ほうこくする。ブルフミュラー大佐たいさ突破とっぱ正面しょうめんぜん砲兵ほうへい指揮しきしていた。

1917ねん8がつごろどくだい8ぐんたいするロシアぐんはパルスキーの指揮しきするだい12ぐんであった。その陣容じんようだい6シベリア軍団ぐんだん(歩兵ほへい4師団しだん1個いっこ旅団りょだん)、だい2シベリア軍団ぐんだん(歩兵ほへい4師団しだん1個いっこ旅団りょだんおよ騎兵きへい1個いっこ師団しだん)、だい13後備こうび軍団ぐんだん(歩兵ほへい3師団しだん)である。だい12ぐんをもってリガきょうあたまを、だい21軍団ぐんだんをもってイックスキュール方面ほうめんドビナかわ北岸ほくがん占領せんりょうしていた。ロシアだい12ぐんはこのほかにぐん予備よびとして歩兵ほへい2師団しだん騎兵きへい1個いっこ師団しだんゆうし、べつ1個いっこ師団しだん迅速じんそく招致しょうちできる情況じょうきょうにあった。

ロシアぐん陣地じんちせん大体だいたい3たいけられる。だい1じん地帯ちたいはフリードリヒシュタットからドビナかわ右岸うがんてリガ西南せいなんかたはしあたま陣地じんちあいだにおいて3せん構築こうちくされていた。だい2じん地帯ちたいだい1じん地帯ちたい後方こうほう2~3kmのせんに2せん構築こうちくだい3じん地帯ちたいしょうエーゲル河北かほくがんせんもうけられた。

経過けいか[編集へんしゅう]

8がつ26にちどくだい8ぐん司令しれいかんフーチェル攻撃こうげきを9月1にちさだめ、これを下達かたつした。しかし9がつ1にち直前ちょくぜん天候てんこう気象きしょうは、専門せんもん観測かんそくによればガス攻撃こうげき適当てきとうではないとの報告ほうこくがあり、攻撃こうげき時期じき延期えんきすべきか司令しれいない論議ろんぎこった。しかしながら9がつ1にち以後いごにおいても天候てんこう回復かいふくしないのみならずさらに悪化あっかするであろうとの観測かんそくにより、9月1にち予定よてい渡河とか攻撃こうげき決行けっこうすることをめた。

9月1にち[編集へんしゅう]

午前ごぜん4計画けいかくしたがいドイツぐんはガス砲撃ほうげき開始かいしあおじゅうだんみどりじゅうだんぜたどくガスだんけい20,650はつにもたっした[2]。また地上ちじょう停滞ていたいした濃霧のうむはガスの効果こうか増大ぞうだいさせた。捕虜ほりょげんによれば、ロシアへいおおきく動揺どうようして多数たすう砲兵ほうへい陣地じんち放棄ほうきし、さらに最前線さいぜんせん歩兵ほへい陣地じんちもを放棄ほうきしたという[3]

午前ごぜん6ロシアぐん歩兵ほへい陣地じんちたい効力こうりょくしゃはじめた。ロシアぐん砲兵ほうへいはガスだんによって完全かんぜん制圧せいあつされ、応射おうしゃするものすくなかった。架橋かきょう開始かいしまえにはロシアぐんぜん砲兵ほうへいはほとんど沈黙ちんもくしてしまった。午前ごぜん840ふん、ドイツぐん一部いちぶへいをもってボルコウィッツとう攻撃こうげきし、援護えんご射撃しゃげき陣地じんち占領せんりょうした。午前ごぜん912ふん、ドイツぐんかく師団しだん歩兵ほへい火炎かえん放射ほうしゃはんともなって渡河とか開始かいし。ドイツぐん戦闘せんとう低空ていくう飛行ひこう機関きかんじゅうでロシアぐんへいごう砲兵ほうへい集合しゅうごうしている部隊ぶたいなどを射撃しゃげきし、歩兵ほへい援護えんごした。午前ごぜん10には、ドイツぐんだい一線いっせん師団しだん先頭せんとう部隊ぶたいはリガ―オーゲル鉄道てつどうせんえ、ドイツぐん飛行機ひこうきはロシアぐん部隊ぶたい退却たいきゃくちゅうであるのを発見はっけんした。

ドイツ中央ちゅうおう兵団へいだん先進せんしん部隊ぶたいであるだい14バイエルンりょうへい師団しだんちょうv.Rauchenberger中将ちゅうじょうは2連隊れんたいだい一線いっせんとし、重点じゅうてんをそのうちつばさ師団しだん連携れんけいることなく北方ほっぽう突入とつにゅうした。師団しだん両側りょうがわは、つづ上陸じょうりくするしょ大隊だいたいをもってこれを援護えんごした。師団しだん午前ごぜん1035ふんはやくもSchwanenみずうみ両側りょうがわのロシアぐんだいせん陣地じんち奪取だっしゅのこりの1個いっこ連隊れんたいをもって午後ごご1イックスキュール停車場ていしゃじょう付近ふきんまで進出しんしゅつした。だい14バイエルンりょうへい師団しだんちょう軍命ぐんめいれい趣旨しゅしにより、さらに一部いちぶしょうエーゲルかわせん進撃しんげき渡河とかてん占領せんりょうするため師団しだん騎兵きへい歩兵ほへい1個いっこ大隊だいたい火砲かほう1もんをつけて先遣せんけんさせた。このあいだ師団しだんひだり連隊れんたい方面ほうめんでロシアぐん反撃はんげきてんじたが撃退げきたいされた。このころ左右さゆう両翼りょうよくだい2近衛このえりょうへい師団しだんだい19予備よび師団しだんだいいち占領せんりょうせん到達とうたつした。だい14バイエルンりょうへい師団しだん午後ごご9ごろしょうエーゲルのせんたっしたが、渡河とかてんをロシアぐんから奪取だっしゅできなかった。

9月2にち[編集へんしゅう]

ドイツぐんによる早朝そうちょう空中くうちゅう偵察ていさつ濃霧のうむのため妨害ぼうがいされたが、その実施じっしした結果けっかリガきょうあたま陣地じんち撤退てったいみとめ、ところどころにロシアぐん退却たいきゃく徴候ちょうこうともいうべき火災かさいこっていた。リガ―ウェンデンあいだ、ペテルブルクにいたる鉄道てつどうじょうでは列車れっしゃ往復おうふく頻繁ひんぱんでリガから東北とうほく方面ほうめんつうじる道路どうろじょうにもロシアへい退却たいきゃくする縦隊じゅうたい発見はっけんした。

ドイツぐん右翼うよく兵団へいだんはドビナかわ渡河とか後続こうぞく部隊ぶたい合流ごうりゅうして早朝そうちょうから前進ぜんしん開始かいしした。部隊ぶたいはオーゲルガール―ツルカインあいだ展開てんかいし、右側みぎがわ援護えんごについた。ロシアぐんはこれに反撃はんげきくわえたが、ことごとく撃退げきたいされた。

ドイツ中央ちゅうおう兵団へいだん後続こうぞくたい合流ごうりゅうして前進ぜんしん開始かいしし、しょうエーゲルかわ地区ちく森林地帯しんりんちたいではロシアぐん激烈げきれつ戦闘せんとうおこなった。ドイツ中央ちゅうおう兵団へいだん右翼うよく地区ちくかっておこなわれたロシアぐん逆襲ぎゃくしゅう騎兵きへい師団しだん協力きょうりょくして撃退げきたいしつつ前進ぜんしん。ベルシンをてローデンボイスにかった。ロシアぐんはローデンボイス地区ちくには数個すうこ決死けっし大隊だいたい[4]のこし、ぐん主力しゅりょく退却たいきゃく援護えんごさせた。決死けっし大隊だいたい勇敢ゆうかんたたかい、熾烈しれつ白兵戦はくへいせんいどんだが、ついに撃退げきたいされてしまった。

ドイツ左翼さよく兵団へいだん早朝そうちょうからリガを目標もくひょう前進ぜんしんした。しかしその前方ぜんぽう、キルヒホルム―マッシインあいだにはロシアぐん堅固けんご援護えんご陣地じんちがあり、しかもドビナかわ北岸ほくがん一帯いったい湿地しっち前進ぜんしん困難こんなんだった。またダーレンとうやドビナかわ西岸せいがんからのロシアぐん砲撃ほうげき左翼さよく兵団へいだん前進ぜんしんはばんでいた。そのため左翼さよく兵団へいだんは、その左翼さよく部隊ぶたいにロシアぐん右翼うよく方面ほうめんたいして砲撃ほうげき中心ちゅうしんとした攻撃こうげきおこない、そのあいだ右翼うよく部隊ぶたいしょうエーゲルかわりょうきし前進ぜんしんさせようとした。ロシアぐんはリガ、ビッケルン方面ほうめんから逆襲ぎゃくしゅうこころみたが成功せいこうわった。こうしてドイツ左翼さよく兵団へいだんかく縦隊じゅうたい先頭せんとう夕方ゆうがたにはリガに接近せっきんしつつあった。

ロシアだい12ぐん司令しれいかんパルスキーは、ドイツぐんがエーゲル河畔かはん進出しんしゅつしたとの報告ほうこくけるやぜんぐん退却たいきゃくめいじた。このためリガの西方せいほう地区ちくにある兵団へいだんをすべて後退こうたいさせ、リガ中央ちゅうおうながれるドビナかわだい橋梁きょうりょう爆破ばくはしてドイツぐん使用しようさまたげた。

9月3にち[編集へんしゅう]

ドイツ右翼うよく兵団へいだん前日ぜんじつせんにとどまって守備しゅびてっした。ドイツ中央ちゅうおう兵団へいだんは、ロシアぐん抵抗ていこう除去じょきょして前進ぜんしんし、夕方ゆうがたにはツンシユッペかわせんたっした。さらに夜間やかん北方ほっぽうかい鉄道てつどう線路せんろえて、兵団へいだん右翼うよく縦隊じゅうたいはヒンゼンブルクへかい、ひだり縦隊じゅうたいはビルスネックに前進ぜんしんした。

ドイツ左翼さよく兵団へいだん前進ぜんしん継続けいぞくし、午前ごぜん11ついに先頭せんとう部隊ぶたいがリガを占領せんりょうした。

9月4にち[編集へんしゅう]

ドイツ中央ちゅうおう兵団へいだんはさらに前進ぜんしんし、早朝そうちょうロシアぐん退路たいろであるリガ―ウェンデンの大街道おおかいどうたっして多数たすう鹵獲ろかくひんた。ロシアぐん東北とうほくかって潰走かいそうし、これらはビルスネック付近ふきんでドイツぐん追撃ついげきにあい多数たすう車両しゃりょう火砲かほう、そのぐん需品じゅひんがドイツぐんちた。

結末けつまつ[編集へんしゅう]

ドイツぐんはリガを占領せんりょうし、ロシアぐん完全かんぜん退却たいきゃくをもって作戦さくせん終了しゅうりょうした。ドイツぐん捕虜ほりょ8000にん火砲かほう262もん機関きかんじゅう150てい戦果せんか獲得かくとく[5]。ドイツぐんのリガにおける損失そんしつだいいち大戦たいせん基準きじゅんからすれば軽微けいびなほうで、死傷ししょうしゃ42,000にんだった[6]。フーチェルのこの勝利しょうり最高さいこう統帥とうすいふか印象いんしょうあたえた。ルーデンドルフはこの作戦さくせん着想ちゃくそう西部せいぶ戦線せんせんでのだい攻勢こうせい計画けいかくすることとなる。フーチェルとブルフミュラーはこのだい攻勢こうせい準備じゅんび参加さんかするため西部せいぶ戦線せんせん異動いどうした。

ほん作戦さくせんちゅう砲兵ほうへいとくどくガスだんおおきな効果こうかげた。ドイツぐん使用しようしたガスだん総計そうけいは116,400はつにもたっする[7]砲兵ほうへい部隊ぶたい活躍かつやくはブルフミュラーによるところがおおきい。ある歩兵ほへい将校しょうこうはブルフミュラーをひょうして、「砲兵ほうへい射撃しゃげき正確せいかく適切てきせつであったので、歩兵ほへいのドビナかわ渡河とかふねゆうにもひとしかった」と証言しょうげんしている[8]。しかしフーチェルかブルフミュラーがリガであたらしいスタイルの戦争せんそう実施じっししたといわれるのは誇張こちょうがある。リガのたたかいは、砲撃ほうげき突破とっぱ包囲ほういという大戦たいせん初期しょきにおける東部とうぶ戦線せんせんのドイツぐん作戦さくせんパターンに沿ったものだったからである[6]

リガのたたかいは、戦術せんじゅつレベルというよりは作戦さくせんレベルでのちのドイツぐん攻勢こうせいのモデルとなる。てき部隊ぶたい奇襲きしゅうし、てき配置はいち弱点じゃくてんたい精鋭せいえい部隊ぶたい集中しゅうちゅうさせ、てき部隊ぶたい一部いちぶ包囲ほういするためたてふか突破とっぱおこなうことの価値かち証明しょうめいした。しかしリガのたたかいの様相ようそうはん世紀せいき以上いじょうにもわたるドイツぐん作戦さくせんじゅつ性格せいかくをもあらわしている。したがって、おそらくリガのたたかいがこっていなくても1918ねんのドイツぐん攻勢こうせいおなじような作戦さくせんてき性格せいかくゆうしていただろうとブルース・グドムンドソンはべている[9]

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ 石田いしだたもつせい欧州おうしゅう大戦たいせん研究けんきゅうだい7かんp.130
  2. ^ Bruce I. Gudmundsson. Stormtroop Tactics: Innovation in the Germany Army1914-1918 p.117
  3. ^ 石田いしだたもつせい欧州おうしゅう大戦たいせん研究けんきゅうだい7かんp.146
  4. ^ ロシアぐん突撃とつげきたい英語えいごではStorm Battalions、Shock battalionsやBattalions of Deathなどとばれる。
  5. ^ 石田いしだたもつせい欧州おうしゅう大戦たいせん研究けんきゅうだい7かんp.158
  6. ^ a b Bruce I. Gudmundsson. Stormtroop Tactics: Innovation in the Germany Army1914-1918 p.120
  7. ^ Nik Cornish. The Russian Army and the First World War p.184
  8. ^ 参謀さんぼう本部ほんぶへん瓦斯がす戦史せんし』p.143
  9. ^ Bruce I. Gudmundsson. Stormtroop Tactics: Innovation in the Germany Army1914-1918 p.121

参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]

  • 石田いしだたもつせい欧州おうしゅう大戦たいせん研究けんきゅうだい7かん陸軍りくぐんだい学校がっこう将校しょうこう集会しゅうかいしょ、1938ねん
  • 参謀さんぼう本部ほんぶへん瓦斯がす戦史せんし偕行社かいこうしゃ、1932ねん
  • Bruce I. Gudmundsson (1989). Stormtroop Tactics: Innovation in the Germany Army1914-1918. Praeger. ISBN 0275954013 
  • Nik Cornish (2006). The Russian Army and the First World War. Spellmount. ISBN 1862272883