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シェルショック

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
シェルショック
別称べっしょう ブレットウィンド (Bullet wind)
兵士へいし心臓しんぞう (soldier's heart)
戦闘せんとう疲労ひろう (battle fatigue)
作戦さくせん疲労ひろう (operational exhaustion[1])
関連かんれんする症状しょうじょうである1000ヤードの凝視ぎょうしせる兵士へいし(1917ねんイープルのオーストラリアぐん包帯ほうたいしょにて)
概要がいよう
診療しんりょう 精神せいしん
分類ぶんるいおよび外部がいぶ参照さんしょう情報じょうほう

シェルショックえい: Shell shock)は、だいいち世界せかい大戦たいせんなかイギリス心理しんり学者がくしゃであるチャールズ・サミュエル・マイヤーズ英語えいごばんによって命名めいめいされた造語ぞうご[2]戦時せんじちゅうおおくの兵士へいし罹患りかんしたしんてき外傷がいしょうストレス障害しょうがい (PTSD) の一種いっしゅである症状しょうじょう表現ひょうげんするためつくられた[3]ばくげき戦闘せんとうはげしさにたいするストレス反応はんのうとなり、パニック恐怖きょうふ反応はんのう逃避とうひ行動こうどう理性りせい欠如けつじょ睡眠すいみん歩行ほこう障害しょうがい会話かいわ不能ふのうなど様々さまざまかたちとなってあらわれ、無力むりょくかんこす[4]ドイツけんではふるえの症状しょうじょうからKriegszitterer(「戦争せんそうふるえ」の)としょうされ、日本語にほんごでは戦場せんじょうショック砲弾ほうだんショックとも表記ひょうきされる[5]

大戦たいせんちゅう、シェルショックの概念がいねん明確めいかくには定義ていぎされておらず、「シェルショック」の症例しょうれい肉体にくたいてきまたは精神せいしんてき傷害しょうがいとして、あるいは士気しき欠如けつじょ(LMF)として解釈かいしゃくされていた。シェルショックという言葉ことばは、今日きょうにおいてもアメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく退役たいえき軍人ぐんじんしょうがPTSDのいち側面そくめん説明せつめいするため使用しようしているが、ほぼ歴史れきしてき用語ようごであり、だいいち世界せかい大戦たいせん特徴とくちょうてき障害しょうがいであるとかんがえられている。

だい世界せかい大戦たいせん以降いこう、シェルショックの診断しんだん戦場せんじょう砲撃ほうげきトラウマたいする、なる反応はんのうとなる「戦闘せんとうストレス反応はんのう」の診断しんだんえられた。

起源きげん

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1914ねんだいいち世界せかい大戦たいせん初期しょき段階だんかいで、イギリス海外かいがい派遣はけんぐん兵士へいしは、戦闘せんとう耳鳴みみな健忘症けんぼうしょう頭痛ずつうめまいふるえ、騒音そうおん過敏かびんしょうなどの医学いがくてき症状しょうじょう報告ほうこくはじめている。これらの症状しょうじょうは、のう物理ぶつりてき損傷そんしょうったのち予想よそうされる症状しょうじょうているが、これらの症状しょうじょう報告ほうこくした大半たいはん兵士へいし頭部とうぶきずった兆候ちょうこうしめさなかった[6]。また、1914ねん12がつまでに、英国えいこく将校しょうこうの10%と下士官かしかんへいの4%が「神経しんけい精神せいしんのショック」を経験けいけんしている[7]

「シェルショック」という用語ようごは、ロースのたたか英語えいごばんなかに、症状しょうじょう砲弾ほうだん爆発ばくはつ影響えいきょうとの関連かんれんせい反映はんえいしてつくられている[8]。この用語ようごは、1915ねん出版しゅっぱんされた医学いがくランセットなかでチャールズ・マイヤーズによってはじめて使用しようされた。シェルショック患者かんじゃやく60から80%は急性きゅうせい神経しんけい衰弱すいじゃくしめし、10%は緘黙かんもくしょう遁走とんそうしょうなど、現代げんだいにおける転換てんかんせい障害しょうがい症状しょうじょうしめした[7]

1915ねんから1916ねんにかけシェルショックの症例しょうれいすう増加ぞうかしたが、医学いがくてきにも心理しんり学的がくてきにもあまり理解りかいされていないままであった。一部いちぶ医師いしは、砲弾ほうだん炸裂さくれつによる衝撃波しょうげきは大脳だいのう病変びょうへんつくり、それが症状しょうじょうこし致命ちめいてきになる可能かのうせいがあるとかんがえ、のうへのかくれた物理ぶつりてき損傷そんしょう結果けっかであると考察こうさつした。また、爆発ばくはつによってしょうじた一酸化いっさんか炭素たんそによる中毒ちゅうどくがシェルショックの原因げんいんであるというせつもあった[9]

同時どうじに、シェルショックは肉体にくたいてきというよりむしろ精神せいしんてき傷害しょうがいであるとするべつ見解けんかいもあったが、この見解けんかい根拠こんきょとなったのは、砲撃ほうげきされたことのない兵士へいし割合わりあい増加ぞうかしていることであった。爆発ばくはつする砲弾ほうだん近接きんせつしていない兵士へいし症状しょうじょうあらわれることから物理ぶつりてき説明せつめいあきらかに不確ふたしかなものであった[9]

このよう状況じょうきょうにもかかわらず、イギリス陸軍りくぐん爆発ばくはつぶつへの曝露ばくろ症状しょうじょうもの兵士へいし区別くべつつづけている。1915ねんフランス駐屯ちゅうとんするイギリス陸軍りくぐんではつぎのような通達つうたつされている。

  • シェルショックがてきによる砲弾ほうだん場合ばあい負傷ふしょうしゃリストのあたまに「W」(Wounded、負傷ふしょう)がくわえられる。その場合ばあい患者かんじゃ負傷ふしょうしゃとして位置付いちづけされ、うで負傷ふしょうストライプ英語えいごばんけることができる。しかし、そのもの症状しょうじょう砲弾ほうだん爆発ばくはつによるものでない場合ばあいは「てきによるもの」とは做されず、シェルショックまたは「S」(Sickness、病気びょうき)と位置付いちづけられ、負傷ふしょうストライプおよび障害しょうがい年金ねんきんける権利けんり発生はっせいしない[10]

しかし、死傷ししょうしゃ砲弾ほうだん爆発ばくはつちかかったかどうかという情報じょうほうほとん提供ていきょうされなかったため、どのケースが該当がいとうするのか特定とくていすることは屡々しばしば困難こんなんであった[9]

臆病者おくびょうもの

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戦争せんそうによるストレスが兵士へいし衰弱すいじゃくさせることは認識にんしきされていたが、これらの神経症しんけいしょう根本こんぽんてき人格じんかく欠如けつじょによるものであると做されがちであった[11]いちれいとして、ゴートきょう戦後せんご王立おうりつ委員いいんかいでの証言しょうげんで、シェルショックは弱点じゃくてんであり、「い(つよい)」部隊ぶたいにはられないとべている[12]。シェルショックの医学いがくてき認識にんしきけるための継続けいぞくてき圧力あつりょくは、それ自体じたいみとめられる抗弁こうべんとは做されないことを意味いみした。一部いちぶ医師いし衛生えいせいへい兵士へいしのシェルショックをなおそうと処置しょちをとったが、それはまず残酷ざんこく方法ほうほうおこなわれた。医師いしはショック療法りょうほうこころみており、兵士へいしたい電気でんきショック[よう曖昧あいまい回避かいひ]あたえることで、以前いぜん正常せいじょう自分じぶんもどれることを期待きたいした。カナダ心理しんり療法りょうほうであるルイス・イェーランド英語えいごばんは、その著書ちょしょ戦場せんじょうにおけるヒステリー障害しょうがいHysterical Disorders of Warfare)』のなかで、緘黙かんもくしょう症例しょうれい紹介しょうかいしながら、9ヶ月かげつわた緘黙かんもくしょう治療ちりょうなんおこなったが上手うまかなかった患者かんじゃれいげている。このなかには、のどつよ電気でんきながしたり、のついたタバコの吸殻すいがら舌先したさきてたり、くちおくねっせられた鉄板てっぱんれたりする治療ちりょうふくまれていた[13]

イギリスぐんにおける自国じこく兵士へいし処刑しょけい一般いっぱんてきなものではなかったが[14]、18めいのイギリスへいが「臆病者おくびょうもの」として処刑しょけいされた。このほかに266めいが「脱走だっそう」、7めいが「許可きょか離任りにん」、5めいが「正当せいとう命令めいれいへの服従ふくじゅう」、2めいが「武器ぶき放棄ほうき」したことで処刑しょけいされた[15]。 2006ねん11月7にち、イギリス政府せいふ死後しご全員ぜんいん条件じょうけん恩赦おんしゃあたえている[16]

原因げんいん

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ジョンズ・ホプキンス大学だいがくによる2015ねん研究けんきゅうでは、即席そくせき爆発ばくはつ装置そうち(IED)にさらされた戦闘せんとう帰還きかんへいのう組織そしきが、意思いし決定けってい記憶きおく推論すいろんにな領域りょういき損傷そんしょうパターンをしめすことがあきらかにされた[17]。この証拠しょうこから、研究けんきゅうしゃたちは、だいいち世界せかい大戦たいせん被災ひさいしゃしめした症状しょうじょうがこれらの損傷そんしょう酷似こくじすることから、シェルショックはたんなる精神せいしん疾患しっかんではないと結論けつろんけている[18]。 シェルショックには、非常ひじょうおおきな圧力あつりょく変化へんか関与かんよしているとされ、天候てんこうによる軽度けいど気圧きあつ変化へんかでさえ、行動こうどう変化へんか関連かんれんしている[18]

また、兵士へいし直面ちょくめんする戦争せんそう種類しゅるいが、シェルショック症状しょうじょう発症はっしょうするかくりつ影響えいきょうすることを示唆しさする証拠しょうこもある。1918ねんのドイツぐん攻撃こうげきふたた戦時せんじ動員どういんされると、このような症状しょうじょう発生はっせいりつ減少げんしょうしたと当時とうじ医師いしたちが報告ほうこくした。1916ねんから1917ねんにかけては、もっとたかかくりつでシェルショックが発生はっせいしているが、これは塹壕ざんごうせんとく包囲ほういせん経験けいけんがこれらの症状しょうじょうつながった可能かのうせい指摘してきされている[19]

治療ちりょう

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非常ひじょうおおくの将校しょうこう兵士へいし砲撃ほうげきけていたため、19箇所かしょ英国えいこくぐん病院びょういんがシェルショックの治療ちりょう専念せんねんしている。最終さいしゅうてきに28施設しせつ、24,000しょう戦争せんそう神経症しんけいしょう患者かんじゃ治療ちりょうてられており、入院にゅういん患者かんじゃすうは138,000めいにまでふくがっている[20]。また、視察しさつおとずれたアメリカ軍医ぐんいによる証言しょうげんでは除隊じょたい理由りゆうの1/7、戦闘せんとう死傷ししょうしゃ除隊じょたい理由りゆうの1/3が戦争せんそう神経症しんけいしょうによるものであった[20]戦後せんご10ねん経過けいか英国えいこくでは65,000にん退役たいえき軍人ぐんじん継続けいぞくてき治療ちりょうけており、フランスでは、1960ねん高齢こうれいとなったシェルショック患者かんじゃ収容しゅうようする病院びょういんへの訪問ほうもん可能かのうとなった[4]

対処たいしょほうとして当時とうじ薬草やくそうからつくられた睡眠薬すいみんやく処方しょほうすることが精一杯せいいっぱいであったなかイギリスぐん医療いりょう部隊ぶたい英語えいごばん志願しがんし、従軍じゅうぐんしたスコットランドじん精神せいしんヒュー・クライトン=ミラー英語えいごばんは、ジークムント・フロイト提唱ていしょうした心理しんり療法りょうほう効果こうかをあげており、この成果せいかから一般人いっぱんじん同様どうよう治療ちりょうけられるべきであるとして、戦後せんご国内こくないタヴィストック・クリニック開所かいしょしている。貧困ひんこんがい精神せいしん女医じょいとしてはたらき、だいいち世界せかい大戦たいせんにはセルビア軍医ぐんいとして従軍じゅうぐんしたヘレン・ボイル英語えいごばんもまた同様どうように、戦後せんごだい規模きぼ精神せいしん治療ちりょう施設しせつ建設けんせつするため資金しきんあつめに奔走ほんそうし、1920ねんにはレディ・チチェスター病院びょういん開所かいしょしており、戦後せんごイギリスにおける精神せいしん医療いりょういしずえきずいた[21]

精神せいしん医学いがく発展はってん

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だい世界せかい大戦たいせんはじめに、シェルショックという用語ようごはイギリス陸軍りくぐんによって禁止きんしされ、同様どうよう外傷がいしょう反応はんのうあらわす「のう振盪しんとう症候群しょうこうぐん英語えいごばん」というフレーズが使用しようされた[22]

現代げんだいせんでのシェルショック

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イラクアフガニスタン展開てんかいしたべいぐんやく38まんにん展開てんかいしたぜん部隊ぶたいやく19%にあたる)は、即席そくせき爆発ばくはつ装置そうちによるのうへの損傷そんしょうけたと推定すいていされている[23]。このため、国防こくぼう高等こうとう研究けんきゅう計画けいかくきょく(DARPA)は、人間にんげんのうたいする爆風ばくふう影響えいきょうについて総額そうがく1,000まんドルの研究けんきゅう開始かいしした。この研究けんきゅう結果けっかにより、ていレベルの爆風ばくふうによる影響えいきょうけた直後ちょくごのう初期しょき状態じょうたいたもっているが、その慢性まんせいてき炎症えんしょう最終さいしゅうてきにシェルショックやPTSDなど、おおくの症状しょうじょうつながることが研究けんきゅう結果けっかからあきらかとなった[24]

脚注きゃくちゅう

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出典しゅってん

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  1. ^ Post-traumatic stress disorder (PTSD) – Doctors Lounge (TM)”. www.doctorslounge.com. 2022ねん11月28にち閲覧えつらん
  2. ^ A Short History of The British Psychological Society”. www.bps.org.uk. British Psychological Society. 9 November 2019閲覧えつらん。 “Although he later came to regret it, it was Myers who coined the term ‘shell shock’”
  3. ^ Is Shell Shock the Same as PTSD?”. Psychology Today (2011ねん11月20にち). 2022ねん11月28にち閲覧えつらん
  4. ^ a b Hochschild, Adam (2012). To End All Wars – a story of loyalty and rebellion, 1914–1918. Boston & New York: Mariner Books, Houghton, Mifflin Harcourt. pp. xv, 242, 348. ISBN 978-0547750316 
  5. ^ シェルショック」『ブリタニカ国際こくさいだい百科ひゃっか事典じてん しょう項目こうもく事典じてんhttps://kotobank.jp/word/%E3%82%B7%E3%82%A7%E3%83%AB%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%83%E3%82%AFコトバンクより2022ねん11月28にち閲覧えつらん 
  6. ^ Jones, Fear and Wessely 2007, p. 1641
  7. ^ a b McLeod, 2004
  8. ^ Robson, Stuart (2007) (英語えいご). The First World War (1 ed.). Harrow, England: Pearson Longman. pp. 37. ISBN 978-1-4058-2471-2. https://archive.org/details/firstworldwar0000robs_r5x1 
  9. ^ a b c Jones, Fear and Wessely 2007, p. 1642[よう文献ぶんけん特定とくてい詳細しょうさい情報じょうほう]
  10. ^ Shephard, Ben. A War of Nerves: Soldiers and Psychiatrists, 1914–1994. London, Jonathan Cape, 2000.
  11. ^ BBC Inside Out Extra - Shell Shock - March 3, 2004”. 2020ねん8がつ24にち閲覧えつらん
  12. ^ Wessely 2006, p442
  13. ^ Yealland, Lewis (1918) (英語えいご). Hysterical Disorders of Warfare. London : Macmillan. pp. 7-8 
  14. ^ Wessely 2006, p440
  15. ^ Taylor-Whiffen, Peter (2002ねん3がつ1にち). “Shot at Dawn: Cowards, Traitors or Victims?”. 2022ねん11月28にち閲覧えつらん
  16. ^ War Pardons receives Royal Assent”. ShotAtDawn.org.uk. 2006ねん12月6にち時点じてんオリジナルよりアーカイブ。2022ねん11月28にち閲覧えつらん
  17. ^ Combat Veterans' Brains Reveal Hidden Damage from IED Blasts” (2015ねん1がつ14にち). 2016ねん8がつ12にち閲覧えつらん
  18. ^ a b Dabb, C (May 1997). The relationship between weather and children's behavior: a study of teacher perceptions. USU Thesis. https://digitalcommons.usu.edu/cgi/viewcontent.cgi?article=3651&context=etd 
  19. ^ van der Hart, Onno (2001). “Somatoform Dissociation in Traumatized World War I Combat Soldiers: A Neglected Clinical Heritage”. Journal of Trauma & Dissociation 1: 38. 
  20. ^ a b てん, 高林たかばやし (2010). だいいち世界せかい大戦たいせんイングランドにおける戦争せんそう神経症しんけいしょう. 西洋せいよう史学しがく 239: 41. doi:10.57271/shsww.239.0_41. https://www.jstage.jst.go.jp/article/shsww/239/0/239_41/_article/-char/ja/. 
  21. ^ だいいち世界せかい大戦たいせん教訓きょうくんにメンタルヘルスケアの基礎きそきずいた医師いしたちとは?”. Gigazin (2020ねん9がつ22にち). 2022ねん11月29にち閲覧えつらん
  22. ^ Jones, Fear and Wessely 2007, p. 1643
  23. ^ The Shock of War” (英語えいご). Smithsonian. 2019ねん2がつ13にち閲覧えつらん
  24. ^ Preventing Violent Explosive Neurologic Trauma (PREVENT)” (英語えいご). www.darpa.mil. 2019ねん2がつ13にち閲覧えつらん

参考さんこう文献ぶんけん

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関連かんれん項目こうもく

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外部がいぶリンク

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