この項目 こうもく では、戦争 せんそう 神経症 しんけいしょう として知 し られる症状 しょうじょう について説明 せつめい しています。
シェルショック (英 えい : Shell shock )は、第 だい 一 いち 次 じ 世界 せかい 大戦 たいせん 中 なか にイギリス の心理 しんり 学者 がくしゃ であるチャールズ・サミュエル・マイヤーズ (英語 えいご 版 ばん ) によって命名 めいめい された造語 ぞうご [ 2] 。戦時 せんじ 中 ちゅう に多 おお くの兵士 へいし が罹患 りかん した心 しん 的 てき 外傷 がいしょう 後 ご ストレス障害 しょうがい (PTSD) の一種 いっしゅ である症状 しょうじょう を表現 ひょうげん するためつくられた[ 3] 。爆 ばく 撃 げき や戦闘 せんとう の激 はげ しさに対 たい するストレス反応 はんのう となり、パニック や恐怖 きょうふ 反応 はんのう 、逃避 とうひ 行動 こうどう 、理性 りせい の欠如 けつじょ 、睡眠 すいみん や歩行 ほこう 障害 しょうがい 、会話 かいわ 不能 ふのう など様々 さまざま な形 かたち となって現 あらわ れ、無力 むりょく 感 かん を引 ひ き起 お こす[ 4] 。ドイツ語 ご 圏 けん では震 ふる えの症状 しょうじょう からKriegszitterer(「戦争 せんそう 震 ふる え」の意 い )と称 しょう され、日本語 にほんご では戦場 せんじょう ショック 、砲弾 ほうだん ショック とも表記 ひょうき される[ 5] 。
大戦 たいせん 中 ちゅう 、シェルショックの概念 がいねん は明確 めいかく には定義 ていぎ されておらず、「シェルショック」の症例 しょうれい は肉体 にくたい 的 てき または精神 せいしん 的 てき な傷害 しょうがい として、あるいは士気 しき 欠如 けつじょ (LMF)として解釈 かいしゃく されていた。シェルショックという言葉 ことば は、今日 きょう においてもアメリカ合衆国 あめりかがっしゅうこく 退役 たいえき 軍人 ぐんじん 省 しょう がPTSDの一 いち 側面 そくめん を説明 せつめい するため使用 しよう しているが、ほぼ歴史 れきし 的 てき 用語 ようご であり、第 だい 一 いち 次 じ 世界 せかい 大戦 たいせん に特徴 とくちょう 的 てき な障害 しょうがい であると考 かんが えられている。
第 だい 二 に 次 じ 世界 せかい 大戦 たいせん 以降 いこう 、シェルショックの診断 しんだん は戦場 せんじょう や砲撃 ほうげき のトラウマ に対 たい する、似 に て非 ひ なる反応 はんのう となる「戦闘 せんとう ストレス反応 はんのう 」の診断 しんだん に置 お き換 か えられた。
1914年 ねん の第 だい 一 いち 次 じ 世界 せかい 大戦 たいせん の初期 しょき 段階 だんかい で、イギリス海外 かいがい 派遣 はけん 軍 ぐん の兵士 へいし は、戦闘 せんとう 後 ご に耳鳴 みみな り 、健忘症 けんぼうしょう 、頭痛 ずつう 、めまい 、震 ふる え、騒音 そうおん 過敏 かびん 症 しょう などの医学 いがく 的 てき 症状 しょうじょう を報告 ほうこく し始 はじ めている。これらの症状 しょうじょう は、脳 のう に物理 ぶつり 的 てき な損傷 そんしょう を負 お った後 のち に予想 よそう される症状 しょうじょう に似 に ているが、これらの症状 しょうじょう を報告 ほうこく した大半 たいはん の兵士 へいし が頭部 とうぶ に傷 きず を負 お った兆候 ちょうこう を示 しめ さなかった[ 6] 。また、1914年 ねん 12月 がつ までに、英国 えいこく 将校 しょうこう の10%と下士官 かしかん 兵 へい の4%が「神経 しんけい と精神 せいしん のショック」を経験 けいけん している[ 7] 。
「シェルショック」という用語 ようご は、ロースの戦 たたか い (英語 えいご 版 ばん ) 中 なか に、症状 しょうじょう と砲弾 ほうだん の爆発 ばくはつ の影響 えいきょう との関連 かんれん 性 せい を反映 はんえい してつくられている[ 8] 。この用語 ようご は、1915年 ねん に出版 しゅっぱん された医学 いがく 誌 し ランセット の中 なか でチャールズ・マイヤーズによって初 はじ めて使用 しよう された。シェルショック患者 かんじゃ の約 やく 60から80%は急性 きゅうせい 神経 しんけい 衰弱 すいじゃく を示 しめ し、10%は緘黙 かんもく 症 しょう や遁走 とんそう 症 しょう など、現代 げんだい における転換 てんかん 性 せい 障害 しょうがい の症状 しょうじょう を示 しめ した[ 7] 。
1915年 ねん から1916年 ねん にかけシェルショックの症例 しょうれい 数 すう は増加 ぞうか したが、医学 いがく 的 てき にも心理 しんり 学的 がくてき にもあまり理解 りかい されていないままであった。一部 いちぶ の医師 いし は、砲弾 ほうだん の炸裂 さくれつ による衝撃波 しょうげきは が大脳 だいのう に病変 びょうへん を作 つく り、それが症状 しょうじょう を引 ひ き起 お こし致命 ちめい 的 てき になる可能 かのう 性 せい があると考 かんが え、脳 のう への隠 かく れた物理 ぶつり 的 てき な損傷 そんしょう の結果 けっか であると考察 こうさつ した。また、爆発 ばくはつ によって生 しょう じた一酸化 いっさんか 炭素 たんそ による中毒 ちゅうどく がシェルショックの原因 げんいん であるという説 せつ もあった[ 9] 。
同時 どうじ に、シェルショックは肉体 にくたい 的 てき というよりむしろ精神 せいしん 的 てき な傷害 しょうがい であるとする別 べつ の見解 けんかい もあったが、この見解 けんかい の根拠 こんきょ となったのは、砲撃 ほうげき されたことのない兵士 へいし の割合 わりあい が増加 ぞうか していることであった。爆発 ばくはつ する砲弾 ほうだん に近接 きんせつ していない兵士 へいし に症状 しょうじょう が現 あらわ れることから物理 ぶつり 的 てき な説明 せつめい は明 あき らかに不確 ふたし かなものであった[ 9] 。
この様 よう な状況 じょうきょう にもかかわらず、イギリス陸軍 りくぐん は爆発 ばくはつ 物 ぶつ への曝露 ばくろ 後 ご に症状 しょうじょう が出 で る者 もの を他 た の兵士 へいし と区別 くべつ し続 つづ けている。1915年 ねん 、フランス に駐屯 ちゅうとん するイギリス陸軍 りくぐん では次 つぎ のような通達 つうたつ が出 だ されている。
シェルショックが敵 てき による砲弾 ほうだん の場合 ばあい 、負傷 ふしょう 者 しゃ リストの頭 あたま に「W」(Wounded、負傷 ふしょう )が付 つ け加 くわ えられる。その場合 ばあい 患者 かんじゃ は負傷 ふしょう 者 しゃ として位置付 いちづ けされ、腕 うで に負傷 ふしょう ストライプ(英語 えいご 版 ばん ) を付 つ けることができる。しかし、その者 もの の症状 しょうじょう が砲弾 ほうだん の爆発 ばくはつ によるものでない場合 ばあい は「敵 てき によるもの」とは見 み 做されず、シェルショックまたは「S」(Sickness、病気 びょうき )と位置付 いちづ けられ、負傷 ふしょう ストライプおよび障害 しょうがい 年金 ねんきん を受 う ける権利 けんり は発生 はっせい しない[ 10] 。
しかし、死傷 ししょう 者 しゃ が砲弾 ほうだん の爆発 ばくはつ に近 ちか かったかどうかという情報 じょうほう が殆 ほとん ど提供 ていきょう されなかったため、どのケースが該当 がいとう するのか特定 とくてい することは屡々 しばしば 困難 こんなん であった[ 9] 。
戦争 せんそう によるストレスが兵士 へいし を衰弱 すいじゃく させることは認識 にんしき されていたが、これらの神経症 しんけいしょう は根本 こんぽん 的 てき な人格 じんかく の欠如 けつじょ によるものであると見 み 做されがちであった[ 11] 。一 いち 例 れい として、ゴート卿 きょう は戦後 せんご の王立 おうりつ 委員 いいん 会 かい での証言 しょうげん で、シェルショックは弱点 じゃくてん であり、「良 よ い(強 つよ い)」部隊 ぶたい には見 み られないと述 の べている[ 12] 。シェルショックの医学 いがく 的 てき 認識 にんしき を避 さ けるための継続 けいぞく 的 てき 圧力 あつりょく は、それ自体 じたい が認 みと められる抗弁 こうべん とは見 み 做されないことを意味 いみ した。一部 いちぶ の医師 いし や衛生 えいせい 兵 へい は兵士 へいし のシェルショックを治 なお そうと処置 しょち をとったが、それはまず残酷 ざんこく な方法 ほうほう で行 おこな われた。医師 いし はショック療法 りょうほう を試 こころ みており、兵士 へいし に対 たい し電気 でんき ショック[要 よう 曖昧 あいまい さ回避 かいひ ] を与 あた えることで、以前 いぜん の正常 せいじょう な自分 じぶん に戻 もど れることを期待 きたい した。カナダ の心理 しんり 療法 りょうほう 士 し であるルイス・イェーランド (英語 えいご 版 ばん ) は、その著書 ちょしょ 『戦場 せんじょう におけるヒステリー障害 しょうがい (Hysterical Disorders of Warfare )』の中 なか で、緘黙 かんもく 症 しょう の症例 しょうれい を紹介 しょうかい しながら、9ヶ月 かげつ に渡 わた り緘黙 かんもく 症 しょう の治療 ちりょう を何 なん 度 ど も行 おこな ったが上手 うま く行 い かなかった患者 かんじゃ を例 れい に挙 あ げている。この中 なか には、喉 のど に強 つよ い電気 でんき を流 なが したり、火 ひ のついたタバコの吸殻 すいがら を舌先 したさき に当 あ てたり、口 くち の奥 おく に熱 ねっ せられた鉄板 てっぱん を入 い れたりする治療 ちりょう も含 ふく まれていた[ 13] 。
イギリス軍 ぐん における自国 じこく 兵士 へいし の処刑 しょけい は一般 いっぱん 的 てき なものではなかったが[ 14] 、18名 めい のイギリス兵 へい が「臆病者 おくびょうもの 」として処刑 しょけい された。この他 ほか に266名 めい が「脱走 だっそう 」、7名 めい が「無 む 許可 きょか 離任 りにん 」、5名 めい が「正当 せいとう な命令 めいれい への不 ふ 服従 ふくじゅう 」、2名 めい が「武器 ぶき を放棄 ほうき 」したことで処刑 しょけい された[ 15] 。 2006年 ねん 11月7日 にち 、イギリス政府 せいふ は死後 しご 全員 ぜんいん に条件 じょうけん 付 つ き恩赦 おんしゃ を与 あた えている[ 16] 。
ジョンズ・ホプキンス大学 だいがく による2015年 ねん の研究 けんきゅう では、即席 そくせき 爆発 ばくはつ 装置 そうち (IED)にさらされた戦闘 せんとう 帰還 きかん 兵 へい の脳 のう 組織 そしき が、意思 いし 決定 けってい 、記憶 きおく 、推論 すいろん を担 にな う領域 りょういき で損傷 そんしょう パターンを示 しめ すことが明 あき らかにされた[ 17] 。この証拠 しょうこ から、研究 けんきゅう 者 しゃ たちは、第 だい 一 いち 次 じ 世界 せかい 大戦 たいせん の被災 ひさい 者 しゃ が示 しめ した症状 しょうじょう がこれらの損傷 そんしょう と酷似 こくじ することから、シェルショックは単 たん なる精神 せいしん 疾患 しっかん ではないと結論 けつろん 付 つ けている[ 18] 。 シェルショックには、非常 ひじょう に大 おお きな圧力 あつりょく 変化 へんか が関与 かんよ しているとされ、天候 てんこう による軽度 けいど の気圧 きあつ の変化 へんか でさえ、行動 こうどう の変化 へんか と関連 かんれん している[ 18] 。
また、兵士 へいし が直面 ちょくめん する戦争 せんそう の種類 しゅるい が、シェルショック症状 しょうじょう が発症 はっしょう する確 かく 率 りつ に影響 えいきょう することを示唆 しさ する証拠 しょうこ もある。1918年 ねん のドイツ軍 ぐん の攻撃 こうげき で再 ふたた び戦時 せんじ 動員 どういん されると、このような症状 しょうじょう の発生 はっせい 率 りつ は減少 げんしょう したと当時 とうじ の医師 いし たちが報告 ほうこく した。1916年 ねん から1917年 ねん にかけては、最 もっと も高 たか い確 かく 率 りつ でシェルショックが発生 はっせい しているが、これは塹壕 ざんごう 戦 せん 、特 とく に包囲 ほうい 戦 せん の経験 けいけん がこれらの症状 しょうじょう に繋 つな がった可能 かのう 性 せい が指摘 してき されている[ 19] 。
非常 ひじょう に多 おお くの将校 しょうこう と兵士 へいし が砲撃 ほうげき を受 う けていたため、19箇所 かしょ の英国 えいこく 軍 ぐん 病院 びょういん がシェルショックの治療 ちりょう に専念 せんねん している。最終 さいしゅう 的 てき に28施設 しせつ 、24,000床 しょう が戦争 せんそう 神経症 しんけいしょう 患者 かんじゃ の治療 ちりょう に充 あ てられており、入院 にゅういん 患者 かんじゃ 数 すう は138,000名 めい にまで膨 ふく れ上 あ がっている[ 20] 。また、視察 しさつ に訪 おとず れたアメリカ軍医 ぐんい による証言 しょうげん では除隊 じょたい 理由 りゆう の1/7、非 ひ 戦闘 せんとう 死傷 ししょう 者 しゃ の除隊 じょたい 理由 りゆう の1/3が戦争 せんそう 神経症 しんけいしょう によるものであった[ 20] 。戦後 せんご 10年 ねん 経過 けいか 後 ご も英国 えいこく では65,000人 にん の退役 たいえき 軍人 ぐんじん が継続 けいぞく 的 てき に治療 ちりょう を受 う けており、フランス では、1960年 ねん に高齢 こうれい となったシェルショック患者 かんじゃ を収容 しゅうよう する病院 びょういん への訪問 ほうもん が可能 かのう となった[ 4] 。
対処 たいしょ 法 ほう として当時 とうじ は薬草 やくそう から作 つく られた睡眠薬 すいみんやく を処方 しょほう することが精一杯 せいいっぱい であった中 なか 、イギリス軍 ぐん 医療 いりょう 部隊 ぶたい (英語 えいご 版 ばん ) に志願 しがん し、従軍 じゅうぐん したスコットランド人 じん 精神 せいしん 科 か 医 い ヒュー・クライトン=ミラー (英語 えいご 版 ばん ) は、ジークムント・フロイト が提唱 ていしょう した心理 しんり 療法 りょうほう を取 と り入 い れ効果 こうか をあげており、この成果 せいか から一般人 いっぱんじん も同様 どうよう に治療 ちりょう が受 う けられるべきであるとして、戦後 せんご 国内 こくない にタヴィストック・クリニック を開所 かいしょ している。貧困 ひんこん 街 がい で精神 せいしん 科 か の女医 じょい として働 はたら き、第 だい 一 いち 次 じ 世界 せかい 大戦 たいせん にはセルビア に軍医 ぐんい として従軍 じゅうぐん したヘレン・ボイル (英語 えいご 版 ばん ) もまた同様 どうよう に、戦後 せんご 、大 だい 規模 きぼ な精神 せいしん 治療 ちりょう 施設 しせつ を建設 けんせつ するため資金 しきん 集 あつ めに奔走 ほんそう し、1920年 ねん にはレディ・チチェスター病院 びょういん を開所 かいしょ しており、戦後 せんご イギリスにおける精神 せいしん 医療 いりょう の礎 いしずえ を築 きず いた[ 21] 。
第 だい 二 に 次 じ 世界 せかい 大戦 たいせん の初 はじ めに、シェルショックという用語 ようご はイギリス陸軍 りくぐん によって禁止 きんし され、同様 どうよう の外傷 がいしょう 反応 はんのう を表 あらわ す「脳 のう 振盪 しんとう 後 ご 症候群 しょうこうぐん (英語 えいご 版 ばん ) 」というフレーズが使用 しよう された[ 22] 。
イラク やアフガニスタン に展開 てんかい した米 べい 軍 ぐん の約 やく 38万 まん 人 にん (展開 てんかい した全 ぜん 部隊 ぶたい の約 やく 19%にあたる)は、即席 そくせき 爆発 ばくはつ 装置 そうち による脳 のう への損傷 そんしょう を受 う けたと推定 すいてい されている[ 23] 。このため、国防 こくぼう 高等 こうとう 研究 けんきゅう 計画 けいかく 局 きょく (DARPA)は、人間 にんげん の脳 のう に対 たい する爆風 ばくふう の影響 えいきょう について総額 そうがく 1,000万 まん ドルの研究 けんきゅう を開始 かいし した。この研究 けんきゅう 結果 けっか により、低 てい レベルの爆風 ばくふう による影響 えいきょう を受 う けた直後 ちょくご は脳 のう は初期 しょき 状態 じょうたい を保 たも っているが、その後 ご の慢性 まんせい 的 てき な炎症 えんしょう が最終 さいしゅう 的 てき にシェルショックやPTSDなど、多 おお くの症状 しょうじょう に繋 つな がることが研究 けんきゅう 結果 けっか から明 あき らかとなった[ 24] 。
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