ポー・グランプリ

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
ポー市街地しがいちコースから転送てんそう
Grand Prix de Pau
ポー=ヴィル・サーキット
レース情報じょうほう
周回しゅうかい 16
コースちょう 2.760 km (1.714 mi)
レースちょう 91.1 km (56.562 mi)
開催かいさい回数かいすう 73
初回しょかい 1933ねん
最多さいた勝利しょうり
(ドライバー)
イギリスの旗 ジム・クラーク (4)
最多さいた勝利しょうり
(コンストラクター)
イタリアの旗 ダラーラ (12)
最新さいしん開催かいさい2023ねん):
ポールポジション カナダの旗 ケヴィン・フォスター
FFSA
1:24.426
決勝けっしょう順位じゅんい 1. フランスの旗 エンツォ・プジョー
FFSA
00:46:06.988
2. フランスの旗 Evan Giltaire
FFSA
+2.750 s
3. ベルギーの旗 Yani Stevenheydens
FFSA
+6.007 s
ファステストラップ 日本の旗 山越やまこしようゆう
FFSA
1:18.852
Circuit de Pau-Ville
所在地しょざいちポー, フランス
標準時ひょうじゅんじCET (UTC+1)
CEST (DST)
座標ざひょう北緯ほくい4317ふん33びょう 西経せいけい00021ふん47びょう / 北緯ほくい43.29250 西経せいけい0.36306 / 43.29250; -0.36306座標ざひょう: 北緯ほくい4317ふん33びょう 西経せいけい00021ふん47びょう / 北緯ほくい43.29250 西経せいけい0.36306 / 43.29250; -0.36306
FIAグレード3
オープン1933ねん2がつ19にち (91ねんまえ) (1933-02-19)
おもなイベント過去かこ開催かいさい:
TCR Europe (2023)
フランスF4 (2011–2019, 2022–2023)
FIA ETCR (2022)
FFSA GT (1999, 2001–2003, 2005, 2017–2019)
WTCR Race of France (2022)
Euroformula Open (2019, 2022)
WTCC Race of France
(2007–2009)
フォーミュラ・ルノー・ユーロカップ (2017)
ヨーロッパ・フォーミュラ3選手権せんしゅけん (2011–2012, 2014–2018)
F3ユーロシリーズ (2003–2005, 2008)
FIA ヨーロピアンF3カップ (1999–2003)
国際こくさいF3000 (1985–1998)
ヨーロッパF2選手権せんしゅけん (1964–1984)
Grand Prix Circuit (1935–present)
コースちょう2.769 km (1.721 mi)
コーナーすう15
レコードタイム1:09.788 (ドイツの旗 Maximilian Günther, ダラーラ・F316, 2017, F3)
Original Circuit (1933)
コースちょう2.649 km (1.646 mi)
コーナーすう14
レコードタイム2:04.000 (フランスの旗 Philippe Étancelin, Alfa Romeo Monza, 1933, フォーミュラ・リブレ)

ポー・グランプリ (Grand Prix de Pau) は、フランス南西なんせいピレネー=アトランティックけんポー市街地しがいちコースで開催かいさいされる自動車じどうしゃレース。フランスグランプリとして1930ねんにポー市街地しがいち開催かいさいされたあと、1933ねんより毎年まいとし恒例こうれいのポー・グランプリとして開催かいさいされるようになった。だい世界せかい大戦たいせんなかと、2020ねん-2021ねん新型しんがたコロナウイルス感染かんせんしょうのパンデミック期間きかん開催かいさいされなかった。

概要がいよう[編集へんしゅう]

中心ちゅうしん一般いっぱん公道こうどう閉鎖へいさし、市街地しがいちコースとして開催かいさいされ、長年ながねんにわたりフォーミュラ1フォーミュラ2フォーミュラ3000フォーミュラ3様々さまざまなルールに準拠じゅんきょして開催かいさいされてきた。

2021ねんイギリス・Autocar magazineにて「世界せかいのストリートサーキット BEST10」のひとつであるとひょうされた[1]

コース[編集へんしゅう]

このレースは、まち公道こうどう利用りようしてレイアウトされた全長ぜんちょう 2.769 km (1.721 マイル) の公道こうどうコース「ポー=ヴィル・サーキット」でおこなわれ、おおくのてんモナコグランプリ特徴とくちょうっている。西にしやく 20 km (12マイル) にあるシルキュイ・ポー=アルノサーキット(ながさ3.030 km、1986ねん開業かいぎょう)とはまったべつのレーストラックである。

ポー・グランプリでは、路面ろめん起伏きふくおお一般いっぱん舗装ほそうでの走行そうこうによる影響えいきょう最小限さいしょうげんおさえるために、くるまはレース専用せんようのサーキットでのセッティングよりもおおきなサスペンション作動さどうりょうでセットアップされる。

歴史れきし[編集へんしゅう]

フランスグランプリ (1930ねん)[編集へんしゅう]

フランスグランプリの舞台ぶたいとしてポー市街地しがいちコースが使用しようされた。

グランプリ・ド・ポーのはじまり[編集へんしゅう]

1933ねん2がつ、まだゆきのこなかだい1かいグランプリ・ド・ポーは開催かいさいされた。ブガッティるマルセル・ルフーが優勝ゆうしょうしゃとなった。1934ねん開催かいさいされず、1935ねんにボーモント・パークを迂回うかいするルートでイベントが再開さいかいされた、以後いごおなじコースレイアウトが踏襲とうしゅうされている。

ポーグランプリはほぼ毎年まいとし定期ていきてき開催かいさいされたが、だい世界せかい大戦たいせん中断ちゅうだん戦争せんそうわったあと1947ねん再開さいかいされた。1949ねんにはファン・マヌエル・ファンジオポールポジションファステストラップ達成たっせいする完全かんぜん優勝ゆうしょうでイベントをせいした。

大会たいかい不幸ふこう歴史れきしとして1955ねん4がつ11にちマセラッティるイタリアじんレーサーのマリオ・アルボゲッティがレースちゅう事故じこにより死亡しぼうした。かれはレースちゅうにコースわきくさたわら接触せっしょくしたのち、ベダル操作そうさあやまった。1956ねん予定よていされていた大会たいかいは、前年ぜんねんル・マン24あいだレースで発生はっせいした悲劇ひげきてき事故じこ発生はっせいけて開催かいさい見送みおくられた。1957ねんにグランプリの再開さいかいのため、参加さんかレーサーと観客かんきゃく安全あんぜんせい快適かいてきせいたかめるコースの改良かいりょうおこなった[2]

これまでF1グランプリにじゅんずる規定きていもとづいて運営うんえいされたあと、1958ねんから1960ねんはフォーミュラ2規定きてい車両しゃりょう開催かいさいされ、1961ねんからフォーミュラ1のエンジン規定きてい変更へんこうけモナコグランプリと同様どうよう注目ちゅうもくをポーグランプリもびるようになった。1960年代ねんだいジャック・ブラバムジム・クラークモーリス・トランティニアンなど著名ちょめいなドライバーがポーでの勝利しょうりった。

F2開催かいさい (1960-1980年代ねんだい)[編集へんしゅう]

1964ねんからポーグランプリはフォーミュラ2規定きてい車両しゃりょうあらそわれることとなったが、つづいてジム・クラークが連続れんぞく勝利しょうりうばった。1967ねん大会たいかいではジャン=ピエール・ベルトワーズアンリ・ペスカローロがポーでデビューし、ヨッヘン・リントジャッキー・スチュワートなどあらたな世代せだいのドライバーがポーで勝利しょうりかざってげた。

1973ねん公道こうどうサーキットの公認こうにん(ホモロゲーション)にかんする問題もんだいによって大会たいかい開催かいさいあやぶまれたが、当時とうじ市長しちょうであるアンドレ・ラバーレールの個人こじんてき介入かいにゅうによって事態じたい収束しゅうそくし、中止ちゅうし回避かいひされた。無事ぶじ開催かいさいされた同年どうねんのレースではフランソワ・セベール勝利しょうりげた。

ポーでの勝利しょうりはフランスのわかいレーサーの登竜門とうりゅうもんとなり、ジャック・ラフィットパトリック・デパイユルネ・アルヌーなどがポーでの勝利しょうり評価ひょうかたかめてフォーミュラ1へと進出しんしゅつしていった。

F3000開催かいさい (1985-1998ねん)[編集へんしゅう]

1985ねんより、これまでのフォーミュラ2にわってF3000選手権せんしゅけんがF1直下ちょっかのカテゴリーとなり、ポーグランプリはヨーロッパF3000選手権せんしゅけんカレンダーにまれた。また、現役げんえきのF1パイロットでフランス出身しゅっしんアラン・プロスト大会たいかい共同きょうどう主催しゅさいしゃ就任しゅうにんした[3]

1988ねん国際こくさいF3000選手権せんしゅけん遠征えんせいし、ポーの公道こうどうコースをはじめてはしった鈴木すずき久里くさとはこれ以前いぜん1985ねんのマカオグランプリ出走しゅっそうしており海外かいがい市街地しがいちコースの経験けいけんっていたが、ポーでのはつ走行そうこうに「すごいコースですね、とにかくせまいです。あと路面ろめん全部ぜんぶ強烈きょうれつなかまぼこじょうで、常識じょうしきてきなコーナリングラインはとおれないかんじです。アウトがわたとたんにガードレールへすべってくんだけど、日本にっぽんにはない街道かいどうレースで面白おもしろそうってかんじもあります。そういうかたち路面ろめんなんですぐに車体しゃたいのおなかこすってしまってアンダーステアる。でもマカオよりもすこしコーナーのさきほうえるし、事前じぜん大丈夫だいじょうぶかなとおもっていた高速こうそくコーナーもはしってみると結構けっこうけた。ゆうべから体調たいちょう万全ばんぜんじゃなくなっていたのでしんどかったです。」とコースの特徴とくちょうべている[4]。なお、よく1989ねんにもフットワーク・フォーミュラ(ムーンクラフト)のオリジナルマシンMC041で片山かたやま右京うきょう参戦さんせんしたが、車体しゃたい熟成じゅくせいひく[5]予選よせん通過つうかすることが出来できなかった[6]

1989ねん大会たいかいではスタート直後ちょくご接触せっしょくという展開てんかいすうつづき、けい4かいさいスタートが必要ひつようとなるれた展開てんかいジャン・アレジせいすると、かれ直後ちょくごティレル契約けいやくしF1デビューをたす。

1994ねんは4がつから5がつにかけてF1で死亡しぼう事故じこ重大じゅうだい事故じこつづいたが、ポーのF3000でもフランスじんドライバーのNicolas Leboissetierがヴィラージュ・ドゥ・ラ・ガールでおおきな事故じここし、会場かいじょうがショックにつつまれた。しかしかれ一命いちめいをとりとめて1かげつにレース復帰ふっきすることが出来できた。1993ねんからはサポートイベントとしてフランス・スーパーツーリング選手権せんしゅけんが2000ねんまで併催へいさいされた。

1998ねんまつ国際こくさいF3000選手権せんしゅけんのすべてのレースはヨーロッパで開催かいさいされるF1グランプリと併催へいさいされる決定けっていがFIAによって発効はっこうされたため、ポーグランプリはF3000での開催かいさいができなくなった。

2000年代ねんだい以後いご[編集へんしゅう]

ブラジルじんレーサーのÁtila Abreuがドライブするポーのコース (2005)

おな時期じきにFIAはあたらしいフォーミュラ3カップの創設そうせつうごいており、ポーグランプリはヨーロッパF3カップにまれることになった。しかし以前いぜんよりフランスF3選手権せんしゅけんやF3000のサポートレースとしてF3レースはポーで開催かいさいされており、くわえて、メインレースとしてはレース距離きょりみじかいため(F2-F3000開催かいさいは1あいだ30-40ふん設定せっていされていた)、ふるくからのポーの熱心ねっしん観客かんきゃくから不満ふまん感想かんそうがもたらされた。

2001ねんからはフランススーパーツーリングカー選手権せんしゅけん(FFSA)が2004ねんまでサポートイベントとして併催へいさいされ、FFSA GT選手権せんしゅけんやイギリスGT選手権せんしゅけんもポーグランプリのサポートレースとして2006ねんまですうめいのゲストドライバーとともにポーを訪問ほうもんした。

2007ねんからは世界せかいツーリングカー選手権せんしゅけん(WTCC)がポーグランプリのメインレースとなり、2009ねんまでどう規定きてい開催かいさい。2010ねん自治体じちたい財政ざいせい問題もんだいにより中止ちゅうしされた。

2011ねんからはフォーミュラ3でのレースを復活ふっかつさせ、フォーミュラ・ルノー2.0や電気でんきパワーユニットのマシンであらそう「グランプリ・ド・ポー・エレクトリック」を併催へいさいイベントとして開催かいさい。このあらたな電気でんきパワーのカテゴリにはすでにおおくのレースキャリアをオリビエ・パニスフランク・ラゴルスソエイル・アヤリ参戦さんせんした。

2012ねん大会たいかいイギリスF3選手権せんしゅけんのラウンドとして開催かいさいされたが、このイベントにはポーでの開催かいさいにもかかわらず、フランスじんドライバーが1人ひとりもいないという事態じたい発生はっせいした。しかし併催へいさいされたポルシェ・カレラカップ・フランスにセバスチャン・ローブ参戦さんせんし、後続こうぞくに10びょう以上いじょう大差たいさをつける内容ないようせいしたことで、観客かんきゃく満足まんぞく大会たいかいとなった。観客かんきゃく動員どういんは22000-23000にんあつまり、2011ねんより10-15%やすことが出来できた。2013ねんのMitjet 2Lカテゴリーにはローブにくわえてジャック・ヴィルヌーブ参戦さんせん主催しゅさいしゃより発表はっぴょうされた。また、2013ねんのみメインフォーミュラがF3ではなく、フォーミュラ・ルノー2.0での開催かいさいとなった。

2014ねんから2022ねんは、FIAヨーロッパF3選手権せんしゅけんおよびFIA F3選手権せんしゅけんのカレンダーにまれた。2019ねんのポーグランプリF3では、レッドブル・ジュニアチーム角田つのだひろしあつしリアム・ローソン出走しゅっそうし、最終さいしゅうメインレースで角田つのだはフロントロウからスタートしたが、スタートはじめたあめのためタイヤ交換こうかん必要ひつようとし、ローソンに先行せんこうされる。しかしローソンはまえはしるチームメイトのユリアン・ハンゼスのきに失敗しっぱい追突ついとつ、リタイアした。優勝ゆうしょうはスタートピットにはいりレインタイヤへと交換こうかんする戦略せんりゃくこうそうしたビリー・モンガーがり、モンガーにとって2017ねん両足りょうあし義足ぎそくとなって以後いごはつ栄冠えいかんでありポーはメモリアルレースの舞台ぶたいとなった[7]

2020ねんと2021ねんはCOVID-19のパンデミックにより大会たいかい開催かいさいされなかった。

2023ねんからはフランスフォーミュラ4選手権せんしゅけん大会たいかいのメインフォーミュラレースとなり、TCRヨーロッパツーリングカーシリーズが併催へいさいレースとなっている。イベント期間きかんちゅうには1960年代ねんだいからのヒストリック・フォーミュラカーが走行そうこうするグランプリ・ヒストリック・ポーもおこなわれている。

かくとし優勝ゆうしょうしゃ[編集へんしゅう]

フォーミュラ1[編集へんしゅう]

とし ドライバー 車両しゃりょう エントラント
1947ねん イタリアの旗 ネッロ・パガーニ マセラティ・4CL スクーデリア・ミラノ
1948ねん イタリアの旗 ネッロ・パガーニ マセラティ・4CL エンリコ・プラーテ
1949ねん アルゼンチンの旗 ファン・マヌエル・ファンジオ マセラティ・4CLT/48 オートモビルクラブ・アルヘンティノ
1950ねん アルゼンチンの旗 ファン・マヌエル・ファンジオ マセラティ・4CLT/48 スクーデリア・アキーレ・ヴァルジ
1951ねん イタリアの旗 ルイージ・ヴィッロレージ フェラーリ・375F1 スクーデリア・フェラーリ
1952ねん イタリアの旗 アルベルト・アスカリ フェラーリ・500 スクーデリア・フェラーリ
1953ねん イタリアの旗 アルベルト・アスカリ フェラーリ・500 スクーデリア・フェラーリ
1954ねん フランスの旗 ジャン・ベーラ ゴルディーニ・T16 エキープ・ゴルディーニ
1955ねん フランスの旗 ジャン・ベーラ マセラティ・250F オフィス・アルフィエリ・マセラティ
1956ねん 前年ぜんねんのル・マン24あいだ事故じこけコース安全あんぜんせい向上こうじょうのため開催かいさい
1957ねん フランスの旗 ジャン・ベーラ マセラティ・250F オフィス・アルフィエリ・マセラティ
1961ねん イギリスの旗 ジム・クラーク ロータス・18 クライマックス チーム・ロータス
1962ねん フランスの旗 モーリス・トランティニアン ロータス・18/21 クライマックス ロブ・ウォーカー・レーシング
1963ねん イギリスの旗 ジム・クラーク ロータス・25 クライマックス チーム・ロータス

フォーミュラ2 (1958-1984)[編集へんしゅう]

とし ドライバー 車両しゃりょう エントラント
1958ねん フランスの旗 モーリス・トランティニアン クーパー・T43 クライマックス ロブ・ウォーカー・レーシング
1959ねん フランスの旗 モーリス・トランティニアン クーパー・T51 クライマックス ロブ・ウォーカーレーシング
1960ねん オーストラリアの旗 ジャック・ブラバム クーパー・T45 クライマックス エキップ・サンビーム
1964ねん イギリスの旗 ジム・クラーク ロータス・32 コスワース ロン・ハリス チーム・ロータス
1965ねん イギリスの旗 ジム・クラーク ロータス・35 コスワース ロン・ハリス チーム・ロータス
1966ねん オーストラリアの旗 ジャック・ブラバム ブラバム・BT18 ホンダ ブラバム・レーシング
1967ねん オーストリアの旗 ヨッヘン・リント ブラバム・BT23 ホンダ ロイ・ウィンケルマン・レーシング
1968ねん イギリスの旗 ジャッキー・スチュワート マトラ・MS7 コスワース マトラ
1969ねん オーストリアの旗 ヨッヘン・リント ロータス・59 コスワース ロイ・ウィンケルマン・レーシング
1970ねん オーストリアの旗 ヨッヘン・リント ロータス・69 コスワース ヨッヘン・リント・レーシング
1971ねん スウェーデンの旗 レイネ・ウィセル ロータス・69 コスワース LIRA・チーム・ロータス
1972ねん イギリスの旗 ピーター・ゲシン シェブロン・B20 フォード シェブロン・レーシング
1973ねん フランスの旗 フランソワ・セベール アルピーヌ・A367 フォード エルフ・ジョン・クームス
1974ねん フランスの旗 パトリック・デパイユ マーチ・742 BMW M12/7 マーチ・レーシング
1975ねん フランスの旗 ジャック・ラフィット マルティニ・Mk16 BMW M12/7 オートモビル・マルティニ
1976ねん フランスの旗 ルネ・アルヌー マルティニ・Mk19 ルノー オートモビル・マルティニ
1977ねん フランスの旗 ルネ・アルヌー マルティニ・Mk22 ルノー エキュリー・ルノー・エルフ
1978ねん イタリアの旗 ブルーノ・ジャコメリ マーチ・782 BMW M12/7 BMWジュニアチーム
1979ねん アメリカ合衆国の旗 エディ・チーバー ラルト・RH6/80 ホンダRA260E ラルト・レーシング
1980ねん フランスの旗 リチャード・ダーレスト AGS・JH17 BMW M12/7 エキュリー・モチュール GPA
1981ねん イギリスの旗 ジェフ・リース ラルト・RH6/81 ホンダ RA261E ラルト・レーシング
1982ねん ベネズエラの旗 ジョニー・チェコット マーチ・822 BMW M12/7 マーチ・エンジニアリング
1983ねん オーストリアの旗 ヨー・ガルトナー スピリット・201 BMW M12/7 EMCOスポーツ
1984ねん ニュージーランドの旗 マイク・サックウェル ラルト・RH6/84 ホンダ RA264E ラルト・レーシング

F3000 (1985-1998)[編集へんしゅう]

とし ドライバー 車両しゃりょう エントラント
1985ねん ドイツの旗 クリスチャン・ダナー マーチ・85B コスワース DFV オニクス・レースエンジニアリング
1986ねん ニュージーランドの旗 マイク・サックウェル マーチ・86B コスワース DFV マールボロ・オニクス・レースエンジニアリング
1987ねん フランスの旗 ヤニック・ダルマス マーチ・87B コスワース DFV マールボロ・レーシング・フランス
1988ねん ブラジルの旗 ロベルト・モレノ レイナード・88D コスワース DFV ブロムレイ・モータースポーツ
1989ねん フランスの旗 ジャン・アレジ レイナード・89D コスワース DFV CAMELエディ・ジョーダン・レーシング
1990ねん ベルギーの旗 エリック・ヴァン・デ・ポール レイナード・90D コスワースDFV GAモータースポーツ
1991ねん フランスの旗 ジャン=マルク・グーノン ラルト・RT23 コスワースDFV 3001インターナショナル
1992ねん イタリアの旗 エマニュエル・ナスペッティ レイナード・92D コスワースDFV フォルティ・コルセ
1993ねん ポルトガルの旗 ペドロ・ラミー レイナード・92D コスワースDFV クリプトン・エンジニアリング
1994ねん ブラジルの旗 ジル・ド・フェラン レイナード・94D ザイテック・ジャッド ポール・スチュワート・レーシング
1995ねん イタリアの旗 ヴィンセンツォ・ソスピリ レイナード・95D コスワース DFV スーパーノヴァ・レーシング
1996ねん ドイツの旗 ヨルグ・ミューラー ローラ・T96/50 ザイテック RSMマルコ
1997ねん コロンビアの旗 ファン・パブロ・モントーヤ ローラ・T96/50 ザイテック RSMマルコ
1998ねん コロンビアの旗 ファン・パブロ・モントーヤ ローラ・T96/50 ザイテック スーパーノヴァ・レーシング

フォーミュラ3 (1999-2022)[編集へんしゅう]

とし ドライバー 車両しゃりょう エントラント
1999ねん フランスの旗 ブノワ・トレルイエ ダラーラ・F399 ルノー シグナチュール・チーム
2000ねん フランスの旗 ジョナサン・コシェ ダラーラ・F399 ルノー シグナチュール・チーム
2001ねん イギリスの旗 アンソニー・デビッドソン ダラーラ・F301 無限むげん MF204A カーリン・モータースポーツ
2002ねん フランスの旗 ルノー・デルロ ダラーラ・F302 ルノー シグナチュール・チーム
2003ねん ブラジルの旗 ファビオ・カルボーン ダラーラ・F302 ルノー シグナチュール・チーム
2004ねん フランスの旗 ニコラ・ラピエール ダラーラ・F304 ルノー シグナチュール・チーム
2005ねん イギリスの旗 ルイス・ハミルトン ダラーラ・F305 AMGメルセデス ASMフォーミュラ3
2006ねん フランスの旗 ロマン・グロージャン ダラーラ・F305 メルセデスHWA シグナチュールプラス
2011ねん ドイツの旗 マルコ・ヴィットマン ダラーラ・F308 VW シグナチュール・チーム
2012ねん イタリアの旗 ラファエレ・マルシエロ ダラーラ・F312 メルセデス プレマパワーチーム
2014ねん スウェーデンの旗 フェリックス・ローゼンクビスト ダラーラ・F312 メルセデス Mücke Motorsport
2015ねん イタリアの旗 アントニオ・ジョヴィナッツィ ダラーラ・F315 VW JagonyaAyam withカーリン
2016ねん イタリアの旗 アレッシオ・ロランディ ダラーラ・F315 VW カーリン
2017ねん ドイツの旗 マクシミリアン・ギュンター ダラーラ・F316 メルセデス プレマパワーチーム
2018ねん エストニアの旗 ラルフ・アロン ダラーラ・F317 メルセデス プレマパワーチーム
2019ねん イギリスの旗 ビリー・モンガー ダラーラ・F317 VW カーリン
2020ねん COVID-19の世界せかいてき流行りゅうこう影響えいきょう開催かいさい
2021ねん
2022ねん フランスの旗 ウラジスラフ・ロムコ ダラーラ・320 CryptoTower Racing

フォーミュラ4 / フォーミュラ・ルノー2.0[編集へんしゅう]

とし ドライバー 車両しゃりょう エントラント
2013ねん イタリアの旗 ルカ・ギオット タトゥース・FR2.0/13 ルノー プレマ・パワーチーム
2023ねん フランスの旗 エンツォ・プジョー ミゲール・M21-F4 FFSAアカデミー
※ 2013ねんはフォーミュラ・ルノー2.0での開催かいさい。2023ねんからフォーミュラ4での開催かいさい

ラップレコード[編集へんしゅう]

非公式ひこうしき歴代れきだい記録きろくでは1992ねんポー・グランプリ予選よせんちゅうに、レイナード・92Dにったアンドレア・モンテルミーニによって樹立じゅりつされた1:08.600である。公認こうにん記録きろく以下いかひょうにて。

カテゴリー タイム ドライバー マシン イベント
Grand Prix Circuit (1935–present): 2.769 km
F3 1:09.788[8] マクシミリアン・ギュンター ダラーラ・F316 2017 Pau F3 European Championship Race 2
F3000 1:09.820[9] エマニュエル・ナスペッティ レイナード・92D 1992 Pau Grand Prix
ユーロフォーミュラ・オープン 1:10.608[10] Oliver Goethe ダラーラ・320 2022 Pau Euroformula Open Race 1
インターナショナル・フォーミュラ・マスター 1:11.703[11] Fabio Leimer タトゥース N.T07 2009 Pau Formula Master round
F2 1:12.370[12] ケニー・アチソン ラルト・RH6/82 1982 Pau Grand Prix
フォーミュラ・ルノー2.0 1:13.812[13] Martin Kodrić タトゥース FR2.0/13 2015 Pau Formula Renault 2.0 Alps
F4 1:17.091[14] Enzo Peugeot ミゲール M21-F4 2023 Pau French F4
GT1 (GTS) 1:18.346[15] ボリス・デリチェブール[16] クライスラー・ヴァイパーGTS-R 2003 Pau FFSA GT
TCRツーリングカー 1:21.331[17] Mikel Azcona ヒュンダイ・エラントラ N TCR 2022 FIA WTCR Race of France
GT4 1:21.806[18] Simon Gachet アウディ・R8 LMS GT4 2019 Pau FFSA GT
シルエットレーシングカー 1:22.130[19] アンソニー・ベルトワーズ フォード・モンデオ シルエット 2002 Pau French Supertouring
GT3 1:22.158[20] Arnaud Peyroles[21] ダッジ・バイパー コンペティションクーペ 2006 Pau FFSA GT round
スーパー2000 1:22.682 アウグスト・ファルフス BMW・320si 2008 FIA WTCC Race of France
eツーリングカー 1:23.894[22] トム・ブロンクビスト セアト・レオン Cupra e-Racer 2022 Pau FIA ETCR
ルノー・クリオCup 1:28.255[23] Nicolas Milan ルノー・クリオR.S. IV 2017 Pau Renault Clio Cup France
F1 1:33.400[24] ジム・クラーク ロータス・24 1962 Pau Grand Prix
グループ3 1:43.100[25] Olivier Gendebien フェラーリ・250GT 1958 3Hours of Pau
GP 1:46.800[26] マンフレート・フォン・ブラウヒッチュ メルセデス・ベンツ・W154 1939 Pau Grand Prix
Formula Libre 1:51.700[27] タツィオ・ヌヴォラーリ アルファロメオ・ティーポB 1935 Pau Grand Prix
Original Circuit (1933): 2.649 km
Formula Libre 2:04.000[28] Philippe Étancelin アルファロメオ・モンツァ 1933 Pau Grand Prix

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ The 10 best street circuits in the world” (英語えいご). Autocar. 2021ねん5がつ26にち閲覧えつらん
  2. ^ La domination italienne en grand prix: 1947–1959” [Italian domination in the Grand Prix: 1947–1959]. grandprixhistorique.com. 2009ねん3がつ4にち時点じてんオリジナルよりアーカイブ。2017ねん3がつ10日とおか閲覧えつらん
  3. ^ Génération F3000”. grandprixhistorique.com. 2009ねん3がつ6にち時点じてんオリジナルよりアーカイブ。2013ねん2がつ16にち閲覧えつらん
  4. ^ THE Next One グランプリエクスプレス 1988メキシコGPごう12-13ぺーじ 1988ねん6がつ18にち発行はっこう
  5. ^ Mooncraft MC-041 in Birmingham Superprix 1989 ムーンクラフト スタッフブログ 2020ねん6がつ22にち
  6. ^ 1989PAU-Circuit-de-pau-ville motorsport stats
  7. ^ 事故じこから2ねん両脚りょうきゃく義足ぎそくのドライバーが復帰ふっきはつ優勝ゆうしょうかざ フランス通信つうしんしゃ 2019ねん5がつ20日はつか
  8. ^ 2017 Pau European F3”. 2023ねん1がつ13にち閲覧えつらん
  9. ^ 1992 Pau Grand Prix”. 2023ねん1がつ13にち閲覧えつらん
  10. ^ 2022 EuroFormula Open Pau (Race 1)”. 2022ねん11月28にち閲覧えつらん
  11. ^ 2009 Pau Formula Master”. 2022ねん6がつ29にち閲覧えつらん
  12. ^ 1982 Pau Grand Prix”. 2022ねん5がつ7にち閲覧えつらん
  13. ^ 2015 Formula Renault Alps Pau (Race 2)”. 2022ねん7がつ14にち閲覧えつらん
  14. ^ 2023 French F4 Pau Race 1 Statistics”. 2023ねん5がつ13にち閲覧えつらん
  15. ^ FFSA GT Championship Pau 2003”. 2023ねん1がつ3にち閲覧えつらん
  16. ^ Boris Derichebourg - Driver Database”. 2023ねん1がつ3にち閲覧えつらん
  17. ^ WTCR 2022 » Pau Round 2 Results”. 2022ねん5がつ8にち閲覧えつらん
  18. ^ Championnat de France FFSA des Circuits - Grand Prix de Pau 2019 FFSA GT - GT4 France Race 2 Final Classification”. 2022ねん4がつ18にち閲覧えつらん
  19. ^ 2002 French Super Touring Championship Round 3: Pau, 19th-20th May, Race 1”. 2023ねん1がつ13にち閲覧えつらん
  20. ^ FFSA GT Championship Pau 2006”. 2023ねん1がつ3にち閲覧えつらん
  21. ^ Arnaud Peyroles - Driver Database”. 2023ねん1がつ3にち閲覧えつらん
  22. ^ FIA ETCR France 6-8 May 2022 Pool Fast - Quarter Final 1 - 300 kW Final Classification”. 2022ねん5がつ8にち閲覧えつらん
  23. ^ Championnat de France des Circuits - Grand Prix de Pau 19-21 May 2017 Clio Cup Series Race 2 Provisional Classification” (2017ねん5がつ21にち). 2023ねん7がつ31にち閲覧えつらん
  24. ^ 1962 Pau Grand Prix”. 2022ねん5がつ7にち閲覧えつらん
  25. ^ 3 h Pau [GT+2.0 1958]”. 2023ねん1がつ5にち閲覧えつらん
  26. ^ 1939 Pau Grand Prix”. 2022ねん5がつ7にち閲覧えつらん
  27. ^ 1935 Pau Grand Prix”. 2022ねん5がつ7にち閲覧えつらん
  28. ^ 1933 Pau Grand Prix”. 2022ねん5がつ7にち閲覧えつらん

関連かんれん事項じこう[編集へんしゅう]