(Translated by https://www.hiragana.jp/)
遜色急行 - Wikipedia コンテンツにスキップ

遜色そんしょく急行きゅうこう

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』

遜色そんしょく急行きゅうこう(そんしょくきゅうこう)は、 急行きゅうこう列車れっしゃ使用しようすることを想定そうていしていない鉄道てつどう車両しゃりょうもちいて運転うんてんされた、車両しゃりょう一段いちだんかくちの急行きゅうこう列車れっしゃ揶揄やゆした、おも鉄道てつどうファンによる俗称ぞくしょう

この呼称こしょう鉄道てつどうともかい『railfan』1978ねん8がつごう[ちゅう 1]初出しょしゅつではないかと推測すいそくされており[1]、その鉄道てつどうともかい会員かいいん寺本てらもと光照みつてる自著じちょ鉄道てつどう書籍しょせきぶつないでの記事きじ多用たようするようになってから、一般いっぱんられるようになった。

とう項目こうもくでは以下いかのものについても解説かいせつする。

概要がいよう

[編集へんしゅう]

1960年代ねんだいから1970年代ねんだいにかけては、準急じゅんきゅう急行きゅうこう列車れっしゃおお設定せっていされており、急行きゅうこうがた車両しゃりょう不足ふそく気味ぎみであったため、普通ふつう列車れっしゃよう一般いっぱんがた近郊きんこうがた車両しゃりょう定期ていき優等ゆうとう列車れっしゃ使用しようされることがあった。また、国鉄こくてつ内部ないぶで「波動はどう輸送ゆそう」とばれる、帰省きせいラッシュとき運転うんてんされる臨時りんじ急行きゅうこうにも、かくきゃく貨車かしゃからかきあつめられたスハ32けいをはじめとする戦前せんぜんせい経年けいねんしゃや、居住きょじゅうせい心地ごこちおとる「はがねたい客車きゃくしゃ」やロングシート改造かいぞうしゃてられることがあった[2]

しかし、通常つうじょうなら料金りょうきん不要ふよう車両しゃりょうたいして急行きゅうこう料金りょうきんすことは、接客せっきゃくサービスの低下ていか意味いみする。かつての準急じゅんきゅう列車れっしゃ到達とうたつ時分じぶんみじかさ(はやさ)を一番いちばんのセールスポイントとし、車両しゃりょうしつちることの代償だいしょうとして、急行きゅうこう料金りょうきんくらべて安価あんかじゅん急行きゅうこう料金りょうきん設定せっていされていた経緯けいい考慮こうりょしても、これらの代用だいよう車両しゃりょう列車れっしゃはなおそれ以下いか水準すいじゅんとみられたことから、このようにばれるようになった。

要因よういん

[編集へんしゅう]

このような急行きゅうこう列車れっしゃ運転うんてんされることにいたったおも要因よういんとしては、以下いかのことがげられる[3]

1.急行きゅうこうがた車両しゃりょう絶対ぜったいすう不足ふそく

[編集へんしゅう]

ダイヤ改正かいせいごと急行きゅうこう列車れっしゃ増発ぞうはつ新設しんせつおこなわれてたが、急行きゅうこうがた車両しゃりょう製造せいぞうはほとんどが1970年代ねんだい終了しゅうりょうしており[ちゅう 3]車両しゃりょう需給じゅきゅう関係かんけいから充当じゅうとう可能かのう車両しゃりょう絶対ぜったいすう不足ふそくしていた。この時代じだい以後いご優等ゆうとう有料ゆうりょう列車れっしゃでの使用しよう前提ぜんていとしてしんせいされた一般いっぱんがた車両しゃりょうは、北海道ほっかいどう急行きゅうこう礼文れぶん」・「大雪おおゆき」(新造しんぞう臨時りんじのみ)に使用しようされたキハ54かたち急行きゅうこう仕様しようしゃ急行きゅうこう陸中りくちゅう」に使用しようされたJR東日本ひがしにっぽんキハ110けい0番台ばんだい程度ていどとなる。

2.単行たんこう運転うんてん可能かのう急行きゅうこうがた車両しゃりょう不在ふざい

[編集へんしゅう]

急行きゅうこうがた車両しゃりょうは、それまで使用しようしていた在来ざいらいがた客車きゃくしゃえる目的もくてき誕生たんじょうし、長大ちょうだい編成へんせいでの使用しよう前提ぜんていとしたため[ちゅう 4]カル線かるせんでの輸送ゆそう需要じゅようちいささに対応たいおうできる優等ゆうとう列車れっしゃけの適当てきとう車両しゃりょうがなかった。1りょうでの運転うんてん単行たんこう運転うんてん)となる場合ばあい1980年代ねんだい以前いぜん急行きゅうこうがた気動車きどうしゃには単行たんこう運転うんてん可能かのうりょう運転うんてんだい車両しゃりょう存在そんざいせず、必然ひつぜんてき単行たんこうでの運転うんてん可能かのう一般いっぱんがた気動車きどうしゃ使用しようすることになる[ちゅう 6]以後いごも、単行たんこう運転うんてん可能かのうで、かつきゅう行列ぎょうれつしゃてきする水準すいじゅん接客せっきゃく設備せつびそなえた車両しゃりょうは、前述ぜんじゅつのキハ54かたち急行きゅうこう仕様しようしゃとキハ110けい0番台ばんだい・300番台ばんだいしか製造せいぞうされていない[ちゅう 7]

3.おく運用うんようとの

[編集へんしゅう]

首都しゅとけん特有とくゆう事情じじょうとして、ラッシュターミナルえき発着はっちゃくする優等ゆうとう列車れっしゃおくりこむさい、1ほんでも営業えいぎょう列車れっしゃおお設定せっていしたいがために回送かいそう列車れっしゃ設定せっていむずかしく、また急行きゅうこうがた車両しゃりょうはデッキづけ2とびらしゃということもあり、ラッシュ輸送ゆそうにはてきさない[ちゅう 8]ことから、やむを一般いっぱんがた車両しゃりょう充当じゅうとうせざるをない事情じじょうもあった。

4.特定とくてい乗客じょうきゃくそうへのしぼ

[編集へんしゅう]

本来ほんらい快速かいそく設定せっていするような列車れっしゃであっても、その列車れっしゃのターゲットとなる乗客じょうきゃくそうへのしぼみをおこなう(目的もくてき旅客りょかく以外いがい制限せいげんする)ため、料金りょうきん必要ひつよう急行きゅうこうとして運転うんてんしたケースも、臨時りんじ列車れっしゃ中心ちゅうしんられた。JR九州きゅうしゅうでは臨時りんじ急行きゅうこう「ふるさとライナー」に715けい811けい電車でんしゃ使用しようしたことがあるほか、JR西日本にしにほんでも221けい電車でんしゃ落成らくせい当時とうじ臨時りんじ急行きゅうこうとして使用しようしたれいがある[ちゅう 9]

5.急行きゅうこうよう車両しゃりょう陳腐ちんぷ

[編集へんしゅう]

本来ほんらい急行きゅうこうけに製造せいぞうされた車両しゃりょう急行きゅうこう列車れっしゃ使用しようしていても、サービス水準すいじゅん時代じだいにそぐわなくなっていったケースもある。この場合ばあいは「時代遅じだいおくれの急行きゅうこう」としてあつかわれるケースもおお[ちゅう 10]

6.普通ふつう快速かいそく列車れっしゃよう車両しゃりょう水準すいじゅん向上こうじょう

[編集へんしゅう]

見解けんかいかれるが、上記じょうきとはぎゃくに、普通ふつう快速かいそく列車れっしゃよう一般いっぱん近郊きんこうがた車両しゃりょう接客せっきゃく設備せつび従来じゅうらい急行きゅうこうよう上回うわまわ水準すいじゅん当然とうぜんとなった時代じだい一般いっぱん近郊きんこうがた車両しゃりょう急行きゅうこう充当じゅうとうしたため、すぐれた車内しゃない設備せつび走行そうこう性能せいのうっている車両しゃりょうであるにもかかわらず、遜色そんしょくあつかいされる場合ばあいがある。1970年代ねんだい登場とうじょうしたキハ66・67かたち転換てんかんクロスシートをそなえた近郊きんこうがた車両しゃりょう国鉄こくてつではまだめずらしい時代じだいであったため、急行きゅうこうとして使用しようしても遜色そんしょく急行きゅうこうあつかいされなかったのにたいし、当時とうじ車両しゃりょうよりしつ向上こうじょうしているはずのキハ75かたち使用しようされた「かすが」が遜色そんしょく急行きゅうこうあつかいをけていたケースがある。その理由りゆうは、前任ぜんにん58けい気動車きどうしゃ時代じだい末期まっきリクライニングシート改造かいぞう施工しこうした専用せんよう車両しゃりょう使つかわれていたことと、キハ75かたち車両しゃりょうが「かすが」に充当じゅうとうされることとなった当時とうじすで普通ふつう列車れっしゃ設備せつび水準すいじゅんがり、中京ちゅうきょうけん関西かんさいではJRでも転換てんかんクロスシートや空気くうきばね台車だいしゃ一般いっぱんしていたことによる。

遜色そんしょく急行きゅうこうばれた定期ていき列車れっしゃ

[編集へんしゅう]
  • 「しれとこ」・「くなしり」・「らうす」釧網標津線しべつせんけい準急じゅんきゅう列車れっしゃ
    「らうす」新設しんせつ当時とうじの1962ねん5がつから、よく1963ねん10がつ液体えきたいしき気動車きどうしゃへのえまでのあいだ普通ふつう列車れっしゃ共通きょうつう運用うんよう戦前せんぜんがた機械きかいしき気動車きどうしゃキハ05かたち使つかわれていた。国鉄こくてつ機械きかいしき気動車きどうしゃ有料ゆうりょう優等ゆうとう列車れっしゃ使つかわれた唯一ゆいいつのケースである。車体しゃたい座席ざせきはばせまずりもひくいうえにその間隔かんかく大正たいしょう時代じだい木造もくぞう客車きゃくしゃレベルという状態じょうたいで、トイレ設置せっち改造かいぞうかろうじて長距離ちょうきょり運用うんよう対応たいおうしていたが、1960年代ねんだい初頭しょとうとしても優等ゆうとう列車れっしゃよう車両しゃりょう水準すいじゅんからいちじるしく逸脱いつだつしたものであった。なお、以後いごもキハ22かたち共通きょうつう運用うんようキハ21かたち気動車きどうしゃ充当じゅうとうされることがあった。
  • いなわしろ
    会津線あいづせん只見線ただみせんへの編成へんせいがキハ52かたち気動車きどうしゃ単行たんこうであった。当時とうじ鉄道てつどう関係かんけい書籍しょせきでは、「たった1りょう急行きゅうこう」として珍重ちんちょうされていたふしもある。このために、当時とうじ国鉄こくてつ一般いっぱんがた気動車きどうしゃ首都しゅとけんしょくすすめながら、「いなわしろ」の運用うんよう小牛田こごた機関きかん所属しょぞくのキハ52 126 - 128・143に識別しきべつのためえて朱色しゅいろとクリームしょくというきゅう国鉄こくてつ標準ひょうじゅんしょくのこしたとはなしもある。事実じじつこれらのキハ52かたちは、いずれも盛岡もりおか転属てんぞくまできゅう国鉄こくてつ標準ひょうじゅんしょく維持いじした[ちゅう 11]キハ23かたち気動車きどうしゃ只見線ただみせんない単行たんこう運転うんてん急行きゅうこう「いなわしろ」のぶし列車れっしゃ使つかわれていた。
  • ときわ
    本来ほんらい451・453けい充当じゅうとうすべきところ、しんせい455けいりょうすう不足ふそく冷房れいぼう改造かいぞう工事こうじによる車両しゃりょう不足ふそくから、1968ねん10月1にちから1978ねん10月1にちまで、臨時りんじ列車れっしゃ定期ていき列車れっしゃ1往復おうふくに「あかでん」こと近郊きんこうがた401けい・403けい電車でんしゃ使用しよう。コイルばね台車だいしゃ心地ごこちわるさや冬季とうき隙間風すきまかぜくわえ、車内しゃない騒音そうおんおおきい、座席ざせきちいさいうえにシートピッチがせまい、冷房れいぼうかくりつたか[ちゅう 12]、もとより座席ざせきすうすくなかった。また設定せってい期間きかん長期ちょうきであったことと、利用りようきゃくおお首都しゅとけんでの運転うんてんであったことから悪評あくひょうんだ。
  • 弥彦やひこ」・「佐渡さわたり
    1962ねん6がつ10日とおか信越本線しんえつほんせん長岡ながおかえき - 新潟にいがたえきあいだ電化でんか完成かんせいし、80けい電車でんしゃ153けい編成へんせい運行うんこうされていた準急じゅんきゅう「ゆきぐに」2往復おうふく(ただし153けい使用しようくだり2ごうのみ東京とうきょうえきはつ)のうち、80けい使用しようの1往復おうふく上野うえのえき - 新潟にいがたえきあいだ延長えんちょううえ急行きゅうこう格上かくあげし、くだり「弥彦やひこ」・のぼり「佐渡さわたり」とした。
    この編成へんせい新前橋しんまえばし電車でんしゃげん高崎たかさき車両しゃりょうセンター配属はいぞく上野口かみのぐち普通ふつう列車れっしゃよう編成へんせい共通きょうつう運用うんようで、シートピッチのせまい200番台ばんだい以前いぜんの80けい[ちゅう 13]おおふくまれていたほか、車両しゃりょう不足ふそくにより戦前せんぜんがたでデッキもとびら付近ふきんはロングシートのクハ47かたちサハ48かたちまれるなど、かなりの遜色そんしょくぶりであった。一方いっぽう急行きゅうこう格上かくあげと新潟にいがたれが見送みおくられた準急じゅんきゅう存置そんちした1往復おうふく[ちゅう 14]にはつづき153けい7りょう運用うんようしたため、急行きゅうこう弥彦やひこ」「佐渡さど」よりも準急じゅんきゅう「ゆきぐに」のほう設備せつびうえであると逆転ぎゃくてん現象げんしょうしょうじた。
    戦前せんぜんかたちきゅう性能せいのう電車でんしゃが、料金りょうきん必要ひつよう急行きゅうこう列車れっしゃ使用しようされた唯一ゆいいつ事象じしょうである。
    1963ねん3がつには、153けいふくめてしんせいの165けい電車でんしゃ[ちゅう 15]えられて解消かいしょうした。
  • なすの」・「日光にっこう
    1968ねん10月1にちから1976ねんまで、くだり1ほん115けい電車でんしゃ使用しよう小金井こがねいえき運転うんてん停車ていしゃうえ付属ふぞく編成へんせい一部いちぶはなしをおこなっていた。このうち「日光にっこう」は、わずか半年はんとしあまりのあいだではあるが、165けい電車でんしゃによる通常つうじょう急行きゅうこうのほか、157けい電車でんしゃによる「とく急行きゅうこう」と、この115けい電車でんしゃによる「遜色そんしょく急行きゅうこう」の両方りょうほうおな時期じき設定せっていされていたきわめてめずらしい事例じれいであった[ちゅう 16]
  • あかぎ」・「ゆけむり
    1968ねん10月1にちから1976ねんまで、くだり1ほんで115けい電車でんしゃ使用しよう
急行きゅうこう「かいじ」に使用しようされたこともある115けい写真しゃしんは2012ねん運行うんこうされた「なつかしの115けいかいじ」)
  • かいじ」・「かわぐち
    1968ねん10月1にちから1978ねん10月1にちまで、1往復おうふくに115けい電車でんしゃ使用しよう当時とうじ中央ちゅうおう本線ほんせんでは70けい電車でんしゃやオールロングシートの72けい電車でんしゃがまだのこっていたことから、115けい電車でんしゃ別格べっかくあつかいで、遜色そんしょく急行きゅうこうなかでも位置付いちづけはうえのほうであるとわれていた[ちゅう 17]。また、1970ねん10月1にちから1972ねん10月1にちまでの2年間ねんかんは、165けい電車でんしゃグリーンしゃ(サロ165-14と15)をんでいたが、グリーンしゃかんしては急行きゅうこうとして遜色そんしょくはなかった。
  • 天竜てんりゅう
    1978ねん5月24にちから10月1にちまで115けい使用しようした(くだり1ほんのみ)。80けい電車でんしゃから165けいへの過程かてい充当じゅうとう車両しゃりょうがなくなったための暫定ざんていてきなものだった。ただし、115けいの1000番台ばんだいだったため、シートピッチにかんしては急行きゅうこうとして遜色そんしょくかった。また80けい時代じだいはもともと中央西線ちゅうおうさいせんのローカル列車れっしゃ間合まあ運用うんようだったため、200番台ばんだい以前いぜんのシートピッチのせま車両しゃりょうはい場合ばあいおおく、165けい[ちゅう 18]使用しようしている「きそとうくらべると遜色そんしょくがあった。
  • 能登のと
    七尾線ななおせん電化でんかとともに、415けい800番台ばんだい列車れっしゃ登場とうじょう。この改造かいぞう車両しゃりょうはクロスシート部分ぶぶんのシートピッチを1,700 mm従来じゅうらいのボックスシートよりも280 mm拡大かくだいしており、めんもバケットしき交換こうかんされているが、座席ざせきはば近郊きんこうがたしゃ両用りょうようのボックスシートであるはば880 mmのものをそのまま流用りゅうようしているために、急行きゅうこうようのものよりせまく、3とびらしゃかつくるまはしがロングシートであった。なお準急じゅんきゅうとして運行うんこう開始かいしした当時とうじは、キハ20けい気動車きどうしゃ気動車きどうしゃ急行きゅうこう車両しゃりょうキハ58かたちキハ65かたち気動車きどうしゃ主流しゅりゅうになったのちも、形式けいしき全体ぜんたいたいして全車ぜんしゃ冷房れいぼうされなかったキハ55かたち・キハ26かたち気動車きどうしゃ使用しようされていた。JRになって七尾線ななおせん気動車きどうしゃがキハ58けい統一とういつされたのちも、車両しゃりょう需給じゅきゅうじょう関係かんけいから普通ふつう列車れっしゃけに一部いちぶロングシート改造かいぞうされた車両しゃりょう急行きゅうこう運用うんようはいもあるなど、線区せんく急行きゅうこうよりも遜色そんしょくおおきかった。
キハ48形使用の急行「つやま」 車両リニューアル前 車両リニューアル後
キハ48かたち使用しよう急行きゅうこうつやま
車両しゃりょうリニューアルまえ
車両しゃりょうリニューアル
  • つやま
    2003ねん10がつ1にちからキハ40けいにより運転うんてん。2007ねん7がつからは、JR唯一ゆいいつひるぎょう急行きゅうこう列車れっしゃとなったが、2009ねん3がつ廃止はいし急行きゅうこう運用うんようさいして原則げんそくデッキき・へんひらとびらのキハ48かたち限定げんていてき充当じゅうとうされ、両開りょうびらとびらでデッキなしのキハ47かたち充当じゅうとうしないなど、一応いちおう配慮はいりょはされていた。のち車両しゃりょうのリニューアルがおこなわれたものの、座席ざせきはセミクロスシートのままでJR北海道ほっかいどうキハ400・480かたち気動車きどうしゃのように座席ざせきのグレードアップ(回転かいてんクロスシートなどへの交換こうかん)はされなかった。地元じもとでは「遜色そんしょく急行きゅうこう」と同義どうぎの「ぼったくり急行きゅうこう」とばれていた[5]並行へいこうする快速かいそく「ことぶき」もほぼ同等どうとうのキハ40けい・キハ47かたち使用しようし、停車駅ていしゃえきが1つおおいだけである。なお、「ことぶき」にも当初とうしょ指定していせきしゃ連結れんけつされていたが、車両しゃりょうについては自由じゆうせきまったおな車両しゃりょう使用しようしていた。
    元々もともとは1997ねん急行きゅうこう砂丘さきゅう」を智頭ちず急行きゅうこう智頭線ちずせん経由けいゆ特急とっきゅういなば」にえて廃止はいしすると同時どうじ設定せっていされた列車れっしゃである。高速こうそく運転うんてん可能かのう智頭線ちずせん経由けいゆすることで岡山おかやまえき - 鳥取とっとりえきあいだ所要しょよう時間じかん大幅おおはば短縮たんしゅくをはかるとともに、「いなば」が経由けいゆしない岡山おかやまえき - 津山つやまえきあいだ急行きゅうこう快速かいそく格下かくさげしてえることが打診だしんされたところ、地元じもと商工会しょうこうかい中心ちゅうしんとした急行きゅうこう砂丘さきゅう廃止はいしたいするはげしい反対はんたい運動うんどうこり、その結果けっか1往復おうふくだけが急行きゅうこうとしてのこされた結果けっか誕生たんじょうしたものであった。しかしこの反対はんたい運動うんどう利便りべんせいよりも地元じもとのイメージダウンを阻止そしするためのものであり、「急行きゅうこうはしまち」「1まちに1えき急行きゅうこう停車ていしゃ」といった「地元じもとのメンツ」によるものであったとわれている[6]
  • ぎんなん
    1968ねん10がつ1にちから1972ねん3がつまで、くだり1ほん421けい・423けい電車でんしゃ使用しよう
  • ゆのか
    1968ねん10がつ1にちから1972ねん3がつまで、1往復おうふくに421けい・423けい電車でんしゃ使用しよう

遜色そんしょく急行きゅうこう範疇はんちゅうからはずれることがあるもの

[編集へんしゅう]

列車れっしゃ

[編集へんしゅう]
キハ40かたち使用しよう急行きゅうこうえりも
  • えりも
    1985ねん3月14にちから1986ねん10月31にちまで、走行そうこう区間くかん普通ふつう列車れっしゃにももちいられるキハ40けい気動車きどうしゃ使用しようされることがあり、末期まっきはほとんどキハ40けいだった。洗面せんめんしょやテーブルと窓側まどがわせき肘掛ひじかけ以外いがい座席ざせき台車だいしゃちがいから、むしろ心地ごこち従前じゅうぜんもちいられていた急行きゅうこうようキハ27かたちよりもく、暖房だんぼう能力のうりょくもそれらをおおきく上回うわまわっているため、JRの「つやま」の事例じれいとはことなり、遜色そんしょくがあるかどうかは見解けんかいかれる。
キハ75けい使用しよう急行きゅうこうかすが
  • かすが
    1999ねん12月4にちから廃止はいしまでキハ75かたち使用しようしていた。ただしはし装置そうち特急とっきゅうがたキハ85かたち同等どうとうであり、走行そうこう性能せいのうでの遜色そんしょくはなく[ちゅう 19]居住きょじゅうせいかんしてもデッキし、乗降じょうこうとびらは3とびら、さらにつりかわがあるというてんはあるものの、ぜん座席ざせきクロスシートでくるまはしとびら付近ふきん以外いがい転換てんかんしきとなり、一般いっぱんてき急行きゅうこうよりも車内しゃない設備せつび進化しんかしたものとなっていた。それにくわえ、まど日除ひよけはよこきカーテンとなり、蛍光けいこうとうにはカバーがき、とびら部分ぶぶんにも風除かざよよう簡易かんい仕切じきりが設置せっちされるなど、有料ゆうりょう列車れっしゃへの使用しよう考慮こうりょした313けい8000番台ばんだい同様どうよう設備せつびとなっていた。快速かいそく普通ふつう列車れっしゃよう新造しんぞう車両しゃりょう従来じゅうらい急行きゅうこうがた上回うわまわ車内しゃない設備せつび製造せいぞうされるようになった時代じだいに、快速かいそくどう形式けいしき車両しゃりょう投入とうにゅうしたがゆえ遜色そんしょくあつかいされたという時代じだい背景はいけいちがいがあったことが遜色そんしょく急行きゅうこうとはことなるてんであり、それゆえとう列車れっしゃは「遜色そんしょく急行きゅうこうには該当がいとうしない」という見解けんかいものすくなくない。運転うんてんさいしては、3とびらのうちちゅうとびらあつかいとし、ぬののヘッドカバーを独自どくじ用意よういするなど快速かいそく運用うんようとは接客せっきゃくめんをつける配慮はいりょられた。
  • 陸中りくちゅう
    1990ねん3がつ10日とおかから快速かいそく快速かいそくはまゆり」)にともな廃止はいしまでキハ110かたち0番台ばんだい運転うんてんされた。性能せいのうめん先述せんじゅつの「かすが」同様どうよう遜色そんしょくはなく、ぜん座席ざせきクロスシートでくるまはし以外いがいはリクライニングシートとなり特急とっきゅうがたにも匹敵ひってきする設備せつびではあったが、JR東海とうかい373けい同様どうよう出入でいりだい客室きゃくしつ仕切しきるデッキとびらがなかった。なお、快速かいそくおな車両しゃりょう使つかわれたため、後述こうじゅつ列車れっしゃになった。

車両しゃりょう

[編集へんしゅう]

車両しゃりょう区分くぶんじょうでは一般いっぱんがた近郊きんこうがた車両しゃりょうであるものの、設定せってい段階だんかい急行きゅうこうにも使用しようされることを想定そうていしていた形式けいしき場合ばあい鉄道てつどう雑誌ざっしなどでは「遜色そんしょく急行きゅうこう」の一種いっしゅとして紹介しょうかいされることがある一方いっぽうで、設備せつびめんにおいては遜色そんしょくあつかいされていないこともあり、現状げんじょうでは遜色そんしょく急行きゅうこう定義ていぎがあやふやであり、明確めいかくでないことからこれらの車両しゃりょう充当じゅうとうされた場合ばあい遜色そんしょく急行きゅうこう範疇はんちゅうふくめるかどうかは見解けんかいかれるものである。また、設備せつびによっては、急行きゅうこう使用しようする場合ばあい遜色そんしょく急行きゅうこうとなっても、準急じゅんきゅう使用しようする場合ばあい遜色そんしょくではないこともある[ちゅう 20]

  • キハ22かたち気動車きどうしゃ
    分類ぶんるいじょう一般いっぱんがたであるが、北海道ほっかいどうではキハ55けい一部いちぶ例外れいがいのぞいては配属はいぞくされなかったため、道内どうない幹線かんせん以下いかでの急行きゅうこう準急じゅんきゅう列車れっしゃ新設しんせつ目的もくてきせられていた。窓側まどがわせき肘掛ひじかけがく、ロングシートが客室きゃくしつはしそなわる。冬季とうき保温ほおん目的もくてきとしたデッキきの車体しゃたい構成こうせいやシートピッチは急行きゅうこうがた同様どうようで、便所べんじょひろ出入口でいりぐちもデッキがわ客室きゃくしつがい)であるなど、準急じゅんきゅうでの使用しよう場合ばあい遜色そんしょくはほとんどなく、急行きゅうこうでの使用しようであっても遜色そんしょく比較的ひかくてきすくない。また、はし装置そうちも1エンジンの急行きゅうこうがた同等どうとうである。座席ざせき指定していよう座席ざせき番号ばんごうひょうそなえる。照明しょうめい蛍光けいこうとうとなった後期こうきがたの200ばん台車だいしゃはさらに遜色そんしょくすくなかったため、急行きゅうこうには200ばん台車だいしゃ使用しようされることがおおかった。
  • キハ24かたち,キハ46かたち気動車きどうしゃ
    キハ20けい気動車きどうしゃのちから製造せいぞうされた近郊きんこうがた車両しゃりょうキハ45けい気動車きどうしゃの,酷寒こっかんよう車両しゃりょうで,ほぼキハ22かたちどう形状けいじょうために,急行きゅうこう列車れっしゃにも使用しようされ,指定していせきよう座席ざせき番号ばんごう貼付ちょうふけられていたが,この車両しゃりょうほう通勤つうきん通学つうがく時間じかんたいでのラッシュ輸送ゆそう考慮こうりょしたため、座席ざせき寸法すんぽうせまかった.
  • 711けい電車でんしゃ
    すうから分類ぶんるいじょう近郊きんこうがたとなっているが、当初とうしょから急行きゅうこう(「かむい」など)にも使用しようすることが前提ぜんていとなっており、455けい電車でんしゃじゅんじた車体しゃたいに、キハ22かたちキハ56けいなどの北海道ほっかいどう車両しゃりょう標準ひょうじゅんとなっていたじゅうまど構造こうぞう採用さいようして製造せいぞうされ、便所べんじょのほかに独立どくりつした洗面せんめんしょそなえ、ロングシートもしんせい戸袋とぶくろゆきしつまわ[ちゅう 21]のみであった。窓側まどがわ肘掛ひじかけが以外いがい、シートピッチも急行きゅうこうがた同様どうようで、座席ざせき指定してい対応たいおうした座席ざせき番号ばんごうひょう窓側まどがわ栓抜せんぬきテーブルもしんせいよりそなわっており、急行きゅうこうから撤退てったいしたのちもこれらはのこされていた。キハ22かたち同様どうよう出入口でいりぐちもデッキがわであり、このため準急じゅんきゅうでの使用しよう場合ばあい遜色そんしょくはほとんどなく、急行きゅうこうでも遜色そんしょくすくなかった。また心地ごこち急行きゅうこうがた気動車きどうしゃよりもく、電車でんしゃ特急とっきゅう運転うんてん開始かいしされる以前いぜんは、静粛せいしゅくせい速達そくたつせいでも80けい気動車きどうしゃ使用しようした特急とっきゅうをも凌駕りょうがしていた[ちゅう 22]
  • キハ66・67かたち気動車きどうしゃ
    ほん形式けいしき転換てんかんクロスシートの接客せっきゃく設備せつびは、ボックスシート当然とうぜんであった当時とうじ急行きゅうこうがた車両しゃりょうをしのぐ水準すいじゅんであった。ロングシートは戸袋とぶくろにしかなく、座席ざせき空調くうちょうめんでは、一時期いちじき新幹線しんかんせんリレーごう」にも充当じゅうとうされた「名目めいもく特急とっきゅう」の185けい電車でんしゃくらべても遜色そんしょくい。
臨時りんじ急行きゅうこう「いよ52ごう機関きかんしゃ次位じいにオハフ61がはいった編成へんせい(1985ねん)。
  • 10けい以前いぜん客車きゃくしゃきゅうかたち客車きゃくしゃ
    10けい以前いぜんきゅうかたち客車きゃくしゃについては正式せいしき意味いみ急行きゅうこうがた一般いっぱんがた分類ぶんるいされる車種しゃしゅもうけていないが、20けい客車きゃくしゃ以降いこうしん系列けいれつ客車きゃくしゃとの対比たいひや1970年代ねんだい後半こうはん以降いこう優等ゆうとう列車れっしゃへの充当じゅうとう減少げんしょう普通ふつう列車れっしゃ充当じゅうとうされることがおおくなったことから、便宜べんぎてきに「一般いっぱんがた」(「在来ざいらいがた」とも)と呼称こしょうされているが[7]、10けい以前いぜん客車きゃくしゃ製造せいぞうされた時点じてんでの規定きていじょうではこの呼称こしょう存在そんざいせず、正式せいしきかたではない[8][9]普通ふつうしゃについては戦災せんさい復旧ふっきゅうしゃである70けい客車きゃくしゃ以外いがい幹線かんせん長距離ちょうきょり列車れっしゃ使用しようすることを前提ぜんていにしていたため、独立どくりつした便所べんじょ洗面せんめんしょそなえた、デッキきの2ドアクロスシートで製造せいぞうされ、普通ふつう列車れっしゃから特急とっきゅう列車れっしゃまで使用しようされた。特急とっきゅう急行きゅうこう列車れっしゃへの使用しよう列車れっしゃ性質せいしつじょう実質じっしつ普通ふつう列車れっしゃようとされた70けい客車きゃくしゃはがねたい改造かいぞうしゃである60けい客車きゃくしゃ以外いがい状態じょうたい車両しゃりょう優先ゆうせんてき使用しようされた[2][ちゅう 23]。1960年代ねんだい後半こうはん以降いこうは10けい客車きゃくしゃ近代きんだい改造かいぞうおよ体質たいしつ改善かいぜん工事こうじけた[ちゅう 24]35けい客車きゃくしゃ43けい客車きゃくしゃ、が実質じっしつてき急行きゅうこうようとして使用しようされた[2][ちゅう 25]。ただしはがねたい客車きゃくしゃである60けい客車きゃくしゃ普通ふつうしゃ普通ふつう列車れっしゃへの使用しよう前提ぜんていであったため、居住きょじゅうせい心地ごこちおとることからロングシート改造かいぞうしゃとともに遜色そんしょくあつかいされることがある[2]
  • 80けい電車でんしゃ
    きゅう性能せいのう電車でんしゃについては車両しゃりょうじょう区分くぶんさだめていないが、80けい電車でんしゃ元々もともと長距離ちょうきょり普通ふつう列車れっしゃようとして登場とうじょうした。ロングシートは戸袋とぶくろにしかなく、300番台ばんだいについては準急じゅんきゅう列車れっしゃへの使用しよう想定そうていして製造せいぞうされ、照明しょうめい蛍光けいこうとうとなり、座席ざせき指定していよう座席ざせき番号ばんごうひょうそなえるが[13]普通ふつうしゃには独立どくりつした洗面せんめんしょがないことや、80けい唯一ゆいいつ優等ゆうとうしゃであったサロ85かたちはシートピッチや座席ざせきはばひろくて座席ざせきやわらかめのすわ心地ごこちとはいえ固定こていしきのボックスシートであったこと、駆動くどう騒音そうおん性能せいのうめんにおいておとることから、準急じゅんきゅうであれば問題もんだいはないものの、急行きゅうこうへの使用しようについては遜色そんしょくあつかいされることがある。

私鉄してつ有料ゆうりょう急行きゅうこう列車れっしゃにおける事例じれい

[編集へんしゅう]
東武とうぶ5700けい使用しよう快速かいそく急行きゅうこう「だいや」
キハ52かたち使用しようするいすみ鉄道てつどう観光かんこう急行きゅうこう列車れっしゃ

便宜上べんぎじょう派生はせいてき種別しゅべつふくめて解説かいせつしている。

秩父鉄道ちちぶてつどう
有料ゆうりょう急行きゅうこう秩父ちちぶ」が、急行きゅうこうがた車両しゃりょう3000けい6000けい)が検査けんさ入場にゅうじょうなどで車両しゃりょう不足ふそくしたときにオールロングシートの5000けい過去かこにはもとJR101けい電車でんしゃ1000けいも)で運用うんようされた実績じっせきがある。
東武鉄道とうぶてつどう
伊勢崎いせさき日光にっこうせん系統けいとう急行きゅうこうだいや・おじか」においてセミクロスシート車両しゃりょうである6000けい特急とっきゅうから格下かくさげされた5700けい使用しようされていたが、国鉄こくてつ特急とっきゅうがた車両しゃりょうちか接客せっきゃく設備せつび1800けい使用しようする伊勢崎線いせさきせん系統けいとう急行きゅうこうりょうもう」にくらべて[ちゅう 26]冷房れいぼうがなく、6000けいについては料金りょうきん不要ふよう快速かいそく列車れっしゃでも使用しようされ、ボックスシートでとびら付近ふきんにロングシートがあり接客せっきゃく設備せつびめんで、5700けいについては6000けい比較ひかくして車内しゃない設備せつびうえであったものの、駆動くどう性能せいのうめんにおいて遜色そんしょくがあった。1976ねん以降いこう快速かいそく急行きゅうこう種別しゅべつ変更へんこうしたが、他社たしゃ快速かいそく急行きゅうこうとはことなり、急行きゅうこうのスピードアップというより車両しゃりょう接客せっきゃく設備せつび性能せいのうめん格差かくさによるものであり、列車れっしゃ種別しゅべつとしても遜色そんしょくがあった。1985ねんから1986ねんにかけて6000けい車体しゃたい更新こうしん冷房れいぼうけるかたち6050けい改造かいぞうされ、順次じゅんじえられたが、ボックスシートでとびら付近ふきんにロングシートがあること自体じたいは6000けい時代じだいわらなかった。1991ねん300・350けいえられ、ふたた急行きゅうこうもどり、急行きゅうこう「きりふり・ゆのさと・南会津みなみあいづ」に格上かくあげされた。ただしその2006ねんにはこれらの急行きゅうこう特急とっきゅう格上かくあげされた[ちゅう 27]
快速かいそくにおいても1963ねんから1975ねんあいだ一部いちぶ車両しゃりょう指定していせきしゃ設定せっていしたが、6000けい充当じゅうとうされた場合ばあい指定していせきしゃにもロングシートがあったため、座席ざせき指定してい車両しゃりょうとしては遜色そんしょくがあった[ちゅう 28]
秋田あきた内陸ないりく縦貫じゅうかん鉄道てつどう
有料ゆうりょう急行きゅうこうもりよし」には専用せんよう車両しゃりょうであるAN-8900かたち気動車きどうしゃ使用しようされていたが、2012ねん3がつのダイヤ改正かいせい以降いこう経費けいひ削減さくげんのため、一般いっぱん車両しゃりょうであるAN-8800かたち気動車きどうしゃ充当じゅうとうされている。

特急とっきゅうにおける事例じれい

[編集へんしゅう]

特急とっきゅう列車れっしゃ場合ばあい列車れっしゃ性質せいしつじょう露骨ろこつ格下かくした車両しゃりょう充当じゅうとうするケースがないため、「遜色そんしょく特急とっきゅう」といわれるケースは急行きゅうこうよりはすくない。しかし、特急とっきゅう列車れっしゃ快適かいてきせいほか速達そくたつせいめん重視じゅうしされていることから[14]車内しゃない設備せつび特急とっきゅう相応ふさわしくても走行そうこう区間くかん全部ぜんぶまたは大半たいはんカル線かるせんでスピードがせず、所要しょよう時間じかん急行きゅうこう時代じだい大差たいさないことを理由りゆうに「遜色そんしょくあつかいをける場合ばあいがあるほか、車内しゃない設備せつびたいしても通常つうじょう特急とっきゅうがた車両しゃりょうよりランクがおと場合ばあい遜色そんしょくあつかいされることがあり、改善かいぜんしにつづ特急とっきゅう列車れっしゃ使用しようしている場合ばあい線区せんくからの転用てんようしゃばかりの列車れっしゃにも「時代遅じだいおくれの特急とっきゅう」とあつかわれるケースがある[ちゅう 29]

日本にっぽん国有こくゆう鉄道てつどう・JR

[編集へんしゅう]

国鉄こくてつ・JRでは、

  • 転換てんかんクロスシート時代じだい185けいキハ185けい(キロハ186かたち
  • 分散ぶんさん電源でんげん方式ほうしきのため電源でんげんエンジンしゃ騒音そうおん問題もんだいとなる14けい寝台しんだいしゃ(スハネフ14・スハネフ15)による寝台しんだい特急とっきゅう
  • 1960 - 70年代ねんだい製造せいぞうされた「時代遅じだいおくれの車両しゃりょう」による特急とっきゅう固定こていしきクロスシート581・583けい電車でんしゃによるひるぎょう特急とっきゅうぐんなど)
  • 普通ふつうしゃ固定こていクロスシートである253けい(200番台ばんだいのぞく)
  • 座席ざせき自体じたい特急とっきゅうようとして遜色そんしょくないものの近郊きんこうがた同様どうよう両開りょうびらとびらでデッキも設置せっちされていない(客室きゃくしつへの騒音そうおん遮断しゃだんするとびらい)373けい
  • 485けい運転うんてんの「くろしお[ちゅう 30]
  • 当時とうじさんとうしゃにボックスしき固定こていクロスシートの急行きゅうこうよう客車きゃくしゃ使用しようしていた客車きゃくしゃ時代じだい末期まっき山陽本線さんようほんせん特急とっきゅうかもめ」、および設定せってい最初さいしょの「あさかぜ」。

などが「遜色そんしょくあつかいされたケースにたる。これらは、元来がんらい急行きゅうこう列車れっしゃとして走行そうこうしていたものを特急とっきゅう格上かくあげしたケース、あるいは設計せっけい段階だんかい急行きゅうこう列車れっしゃへの使用しよう想定そうていしていた車両しゃりょうおおい。

ほかにキハ40けい運転うんてんされる「はやとのふう[ちゅう 31]や「指宿いぶすきのたまてばこ」、キハ125がた運転うんてんされる「うみこう山幸やまさち[ちゅう 31]車内しゃない設備せつびこそ特急とっきゅう相応ふさわしい水準すいじゅんではあるものの、一般いっぱんがた車両しゃりょうたねしゃ改造かいぞうした車両しゃりょう使用しようしているためデッキがく、心地ごこち速達そくたつせいなんがあるという理由りゆうで「遜色そんしょくあつかいをけることがあるなど、一部いちぶ特急とっきゅう列車れっしゃにおいても「遜色そんしょくあつかいされるケースがられる[ちゅう 32]。また「いさぶろう・しんぺい」は元々もともと普通ふつう列車れっしゃようとして設計せっけいされたボックスがた固定こていしきクロスシート主体しゅたい一部いちぶ車両しゃりょうはセミクロスシートでありながら2017ねん3がつのダイヤ改正かいせいにより熊本くまもとえき - 人吉ひとよしえきあいだ特急とっきゅうとして運転うんてんされるようになり、指定していせき区画くかく大半たいはん急行きゅうこう近郊きんこうようよりもシートピッチを若干じゃっかんひろげたテーブルきのボックスシート、自由じゆうせき区画くかくロングシートであるにもかかわらず特急とっきゅう料金りょうきん徴収ちょうしゅうしている。

これとはべつ特急とっきゅうがた車両しゃりょう不足ふそくしていた時期じき急行きゅうこうがた車両しゃりょう使用しようされる場合ばあいもあり、1969ねん10月1にちから1970ねん2がつ28にちまで「北斗ほくと」の1往復おうふくキハ56けい使用しようされ、1970年代ねんだいに14けい座席ざせきしゃ登場とうじょうするまで12けい客車きゃくしゃ臨時りんじ特急とっきゅう列車れっしゃ使用しようされたりしたが、これらは接客せっきゃく設備せつびおとることから特急とっきゅう料金りょうきんかれたほか、JR発足ほっそくには「エーデルきた近畿きんき」などにキハ65かたちたねしゃ改造かいぞうした車両しゃりょう充当じゅうとうされたり、一般いっぱんがたキハ110けい300番台ばんだいにリクライニングシートとデッキを装備そうびした「秋田あきたリレー」がいち年間ねんかん暫定ざんてい特急とっきゅうとしてはしったこともある。

私鉄してつ

[編集へんしゅう]
特急とっきゅう充当じゅうとうされたこともある小田急おだきゅう1600がた写真しゃしん戦時せんじちゅう撮影さつえい
小田急電鉄おだきゅうでんてつ
新宿しんじゅく - 小田原おだわらあいだにノンストップ特急とっきゅう1948ねん昭和しょうわ23ねん)に運行うんこう開始かいししたが、当初とうしょ車両しゃりょうロングシートしゃである1600かたち使用しようされ、中央ちゅうおうとびらって補助ほじょせきき、座席ざせきしろいカバーをかけたうえ通路つうろ灰皿はいざらならべただけの代物しろものであり、便所べんじょ洗面せんめんしょすらないなど、かならずしも特急とっきゅうにふさわしい車両しゃりょうとはいえず、接客せっきゃく設備せつびとしては遜色そんしょくがあった。1949ねん昭和しょうわ24ねん)には特急とっきゅうよう車両しゃりょうである1910がたの2000かたち登場とうじょうしたが、中間なかましゃには喫茶きっさカウンターと便所べんじょ設置せっちされたものの、座席ざせき通勤つうきん輸送ゆそうとのいからセミクロスシートとされ、こちらも接客せっきゃく設備せつびとしては国鉄こくてつモハ42けい電車でんしゃおなじで遜色そんしょくがあった。1959ねん昭和しょうわ34ねん)には料金りょうきん不要ふよう座席ざせき定員ていいんせい列車れっしゃであるサービス急行きゅうこう格上かくあげするかたち有料ゆうりょうの「じゅん特急とっきゅう」が特急とっきゅう補完ほかん列車れっしゃとして週末しゅうまつ運行うんこうされ、停車駅ていしゃえき新宿しんじゅく - 小田原おだわらあいだをノンストップで運行うんこうしていたが、車両しゃりょう名目めいもくじょうじゅん特急とっきゅうようとされた2320かたちおよ特急とっきゅうから格下かくさげされた2300かたち使用しようされ、接客せっきゃく設備せつびはセミクロスシートであり、平日へいじつには料金りょうきん不要ふよう列車れっしゃにも充当じゅうとうしていたため、ロマンスカーより遜色そんしょくがあることから料金りょうきん制度せいど割安わりやす設定せっていされ、「じゅん特急とっきゅう」の種別しゅべつ使用しようされた[ちゅう 33]。1963ねんにNSEこと3100かたちぞう備されたため、特急とっきゅう増発ぞうはつけてじゅん特急とっきゅう廃止はいしされた。
開運かいうんごうようとして使用しようされた京成けいせい3200かたち3298編成へんせい写真しゃしんは2007ねん1がつのリバイバル運転うんてん撮影さつえい
京成電鉄けいせいでんてつ
1963ねん昭和しょうわ38ねん)から1974ねん昭和しょうわ49ねん)まで開運かいうんごうにおいて3150かたち3200かたちのセミクロスシートしゃ使つかわれたことがあり、接客せっきゃく設備せつびめんでは他社たしゃ有料ゆうりょう特急とっきゅうよう車両しゃりょうくらべて冷房れいぼうがなく[ちゅう 34]座席ざせきにおいても先代せんだい車両しゃりょうである1500かたち1600かたちよりおとるものの、ぎゃく性能せいのうめんでは上回うわまわっていた。この車両しゃりょうAEかたち登場とうじょう格下かくさげされることを前提ぜんてい一般いっぱんしゃ同様どうよう3とびらとしたが、座席ざせき指定してい維持いじするためにセミクロスシートとしていた[ちゅう 35]運転うんてんさいしては、3とびらのうちちゅうとびらあつかいとし、ちゅうとびら部分ぶぶんには車内しゃない販売はんばいのためのスタンドを設置せっちしていた[16]
特急格上げ後も急行時代の車両を使用する「きりふり」 スカイツリートレイン
特急とっきゅう格上かくあ急行きゅうこう時代じだい車両しゃりょう使用しようする「きりふり」
スカイツリートレイン
東武鉄道とうぶてつどう
前述ぜんじゅつの「きりふり・ゆのさと・しもつけ」は急行きゅうこう列車れっしゃとして運行うんこうしていたが、2006ねん平成へいせい18ねん)には特急とっきゅう格上かくあげされたものの、車両しゃりょうめんでは急行きゅうこう時代じだい車両しゃりょう(300けい・350けい)がつづ使用しようされ、100けいくらべて性能せいのうめん接客せっきゃく設備せつびめんおとる(リクライニングシートではないなど)ことから、急行きゅうこう時代じだい料金りょうきん適用てきようされた。
2012ねん平成へいせい24ねん)から2017ねん平成へいせい29ねん)まで運行うんこうしていた「スカイツリートレイン」は快速かいそくよう車両しゃりょうである6050けい改造かいぞうした634がた使用しようされており、車内しゃない設備せつびこそ特急とっきゅうにふさわしい接客せっきゃく設備せつび改造かいぞうしているものの、デッキがなく、料金りょうきんめんにおいても「きぬ・けごん」と同額どうがくである。
また、東上とうじょうせんの「TJライナー」も特急とっきゅうじゅんずる有料ゆうりょう定員ていいんせい列車れっしゃとして運行うんこうされているが[ちゅう 36]車両しゃりょうめんでは特急とっきゅうがた車両しゃりょうではなく通勤つうきんがた車両しゃりょうをベースに座席ざせききを一方いっぽうきクロスシート配置はいちとロングシート配置はいち変換へんかんすることが可能かのう座席ざせきデュアルシート)をそなえた車両しゃりょう50090けい)を使用しようしており、料金りょうきんめんでも特急とっきゅう料金りょうきんではなくホームライナーおなじような乗車じょうしゃ整理せいりけん方式ほうしき適用てきようされている。なお、くだりTJライナーよう車両しゃりょう森林公園しんりんこうえんけんおさむからおくむために運転うんてんされる快速かいそく急行きゅうこうはクロスシート配置はいち固定こていして運用うんようされるため、「とく列車れっしゃ」としてげられることがある。
TJライナーと同様どうよう列車れっしゃとして2020ねんれい2ねん)からは伊勢崎いせざきせん東京とうきょうメトロ日比谷線ひびやせん直通ちょくつうする座席ざせき指定していせい列車れっしゃTHライナー」も運行うんこうしている。
首都しゅとけん私鉄してつ他社たしゃでもTJライナーやTHライナー同様どうようのデュアルシート装備そうび車両しゃりょうによる座席ざせき指定していせい列車れっしゃ増加ぞうか傾向けいこうにあり、西武鉄道せいぶてつどうの「S-TRAIN」と「拝島はいじまライナー[ちゅう 37]東急とうきゅう電鉄でんてつ大井おおいまちせんの「Qシート[ちゅう 38]京王けいおう電鉄でんてつ京王線けいおうせんの「京王けいおうライナー[ちゅう 39]といった列車れっしゃ運行うんこうされている。
南海なんかい1000けい四国しこくごう」(1985ねん
南海電気鉄道なんかいでんきてつどう
高野たかのせん特急とっきゅうこうやごう」は専用せんよう車両しゃりょう絶対ぜったいすう不足ふそくから21000けい代走だいそうぶし列車れっしゃ充当じゅうとうされたことがある。ただし座席ざせき指定してい維持いじ観点かんてんから原則げんそくとして転換てんかんクロスシートしゃ充当じゅうとうされた。
本線ほんせんにおいても特急とっきゅう四国しこくごう」はセミ転換てんかんクロスシートしゃである11001けい・12001けい・1000けい初代しょだい使用しようされ、1963ねんから一部いちぶ指定していせきしゃ設定せっていしたが、当該とうがい車両しゃりょう和歌山わかやまえき発着はっちゃく全車ぜんしゃ自由じゆうせき特急とっきゅう急行きゅうこうなどの料金りょうきん不要ふよう列車れっしゃにも使用しようされ、自由じゆうせきしゃ料金りょうきん不要ふよう列車れっしゃへの充当じゅうとうかんしては遜色そんしょくはないものの指定していせきしゃ座席ざせき一部いちぶにロングシートがあったため、指定していせきしゃとしては遜色そんしょくがあった。国鉄こくてつ直通ちょくつう特急とっきゅう[ちゅう 40]「きのくに」も国鉄こくてつキハ55けい同型どうけいしゃであるキハ5501かたち・キハ5551かたち使用しようされ、国鉄こくてつがわ車両しゃりょうがキハ58けいえられたのちつづ使用しようされ、ボックスシートであり、2エンジンしゃのみで冷房れいぼうすら困難こんなん車両しゃりょうであったため、遜色そんしょくがあった。
モ681 鳥羽とっぱえき写真しゃしん一般いっぱんしゃ格下かくさ、1980ねん
近畿日本鉄道きんきにほんてつどう
1964ねん東海道新幹線とうかいどうしんかんせん開業かいぎょう近鉄きんてつ自社じしゃエリアない点在てんざいする三重みえ奈良ならけんうち中小ちゅうしょう都市とし観光かんこうさいよせ新幹線しんかんせんえきむす方針ほうしん転換てんかんし、その一環いっかんとして京都きょうと - 大和西大寺やまとさいだいじ - 橿原神宮かしはらじんぐうえきげん橿原神宮前かしはらじんぐうまえ)をむす有料ゆうりょう特急とっきゅう運行うんこう開始かいしされたが、この時点じてんでの京都きょうと橿原線かしはらせん系統けいとうしょう断面だんめん建築けんちく限界げんかいのままであり、しかも架線かせん電圧でんあつ直流ちょくりゅう600Vのままであったことなどからひとまず在来ざいらいしゃからの改造かいぞうによってまかなわれ、きゅう奈良ならでんしゃ特急とっきゅうしゃ改造かいぞうした680けい登場とうじょうしたほか車両しゃりょう検査けんさ予備よびしゃとして、団体だんたいしゃとしての使用しよう中心ちゅうしんとした軽微けいび改造かいぞうませただけの683けい登場とうじょうし、当時とうじ大阪おおさかせん近鉄きんてつ特急とっきゅうしゃ設置せっちされていたものと同一どういつ特急とっきゅう標識ひょうしき設置せっちして京都きょうと - 橿原神宮かしはらじんぐうえきあいだおよび京都きょうと - 近畿きんき日本にっぽん奈良ならげん近鉄きんてつ奈良ならあいだ特急とっきゅうしゃとして運行うんこう開始かいしされた。
680けい車内しゃない大阪おおさかせん特急とっきゅうしゃじゅんじた設備せつび改造かいぞうされ、冷房れいぼう固定こていまどなどもおこなわれたのにたいし、683けい駆動くどうのままで冷房れいぼうやオール転換てんかんクロスシート固定こていまど見送みおくられるなど、最初さいしょから遜色そんしょくおおきかったうえ、そのせまはばながらも回転かいてんしきリクライニングシートを装備そうびした18400けい登場とうじょうすると683けい特急とっきゅうしゃとしての存在そんざい意義いぎはなくなり1972ねんには一般いっぱんしゃ格下かくさげされた。一方いっぽうの680けいもWNドライブを採用さいようした高性能こうせいのうしゃではあるものの、搭載とうさいブレーキが旧式きゅうしき自動じどう空気くうきブレーキでそもそもそくでんせいそなえていないことと、奈良ならでん引継ひきつぎしゃ改造かいぞうしゃであるがゆえのアコモデーションめん見劣みおとりすることなど、18400けい登場とうじょう次第しだい遜色そんしょくあつかいされるようになった。その1975ねんには特急とっきゅうしゃ仕様しようのままで一般いっぱんしゃ格下かくさげされマルーンレッド1しょく一般いっぱんしゃ塗装とそう変更へんこうされ志摩線しません活躍かつやくするようになったが、転換てんかんクロスシートや冷房れいぼう維持いじしたことから、特急とっきゅうしゃ時代じだいとは一転いってんして車両しゃりょうとしてあつかわれていた。

日本にっぽん国外こくがい優等ゆうとう列車れっしゃにおける事例じれい

[編集へんしゅう]

日本にっぽん国外こくがい優等ゆうとう列車れっしゃ日本にっぽん列車れっしゃ種別しゅべつ明確めいかくてはめることはむずかしいが、同類どうるい列車れっしゃとして以下いかのものがある。

韓国かんこく

[編集へんしゅう]
ムグンファごう改造かいぞうされた9501けい気動車きどうしゃ

韓国かんこく韓国かんこく鉄道てつどう公社こうしゃでは9501けい気動車きどうしゃ登場とうじょうから2004ねんまでは優等ゆうとう列車れっしゃであるトンイルごうのち通勤つうきん列車れっしゃ格下かくさげ)に使用しようされたほか、その日本にっぽん普通ふつう列車れっしゃ同類どうるい種別しゅべつである通勤つうきん列車れっしゃ廃止はいし削減さくげんにより、通勤つうきん列車れっしゃよう気動車きどうしゃであるムグンファごう転用てんようされるケースがあらわれている。まど大型おおがた座席ざせきのリクライニングシートなど優等ゆうとう列車れっしゃにふさわしい接客せっきゃく設備せつび改造かいぞうしているため、かならずしも遜色そんしょくがあるといえるかどうかについては見解けんかいかれる。

2018ねん5がつには、既存きそんセマウルごう車両しゃりょう引退いんたいにより、ムグンファごう車両しゃりょうがセマウルごう昇格しょうかくされたが、シートはムグンファごうそのままである。

インドネシア

[編集へんしゅう]

インドネシアKRLジャボタベックでは急行きゅうこう近似きんじする種別しゅべつとしてEkspresが存在そんざいした。普通ふつう近似きんじする種別しゅべつであるEkonomiとは運賃うんちん格差かくさがあり、Ekonomiの乗車じょうしゃけんではEkspresには乗車じょうしゃできないものであった。Ekspresはロングシートしゃであったが、原則げんそくとして冷房れいぼうしゃ充当じゅうとうされた。2013ねん現在げんざいではEkspresは廃止はいしされている。

列車れっしゃ

[編集へんしゅう]

遜色そんしょく急行きゅうこう」にたいして「列車れっしゃ」(のりとくれっしゃ)という言葉ことば存在そんざいする。特急とっきゅうがた車両しゃりょうもちいた普通ふつう列車れっしゃなど、本来ほんらい特別とくべつ料金りょうきん必要ひつようとする設備せつびゆうする車両しゃりょう普通ふつう乗車じょうしゃけんのみもしくは低廉ていれん追加ついか料金りょうきん利用りよう可能かのうとした列車れっしゃとく列車れっしゃ場合ばあいがある。特別とくべつ急行きゅうこうにちなみ特別とくべつ鈍行どんこうなる俗語ぞくごがある。

国鉄こくてつ・JR

[編集へんしゅう]

特急とっきゅう列車れっしゃ急行きゅうこう準急じゅんきゅうとは一線いっせんかくし、使用しよう車両しゃりょうについても、車両しゃりょう基地きち始終しじゅう着駅ちゃくえきあいだでの回送かいそうでは客扱きゃくあつかいをしないことながらく通例つうれいとなっていた。しかし外房線そとぼうせん全線ぜんせん電化でんか開業かいぎょうともな1972ねん7がつ15にちのダイヤ改正かいせい安房鴨川あわかもがわえきちゃくの「わかしお9ごう」を翌日よくじつかえし「わかしお2ごう」(183けい)とするさい館山たてやまえき夜間やかん留置りゅうちするための往復おうふく普通ふつう列車れっしゃとして客扱きゃくあつかいがおこなわれたのがはじめとされている[ちゅう 41]

さらに1980年代ねんだいになると、この年代ねんだいはじめにしんせいされた185けい特急とっきゅう列車れっしゃ普通ふつう列車れっしゃ双方そうほうでの使用しよう想定そうていしており、どう系列けいれつ普通ふつう列車れっしゃ運用うんよう常態じょうたいする。暫定ざんていてき使用しよう開始かいしした急行きゅうこう伊豆いず」の間合まあいの普通ふつう列車れっしゃ運用うんよう1981ねん10月1にち登場とうじょうしたエル特急とっきゅうおど」でもぎ、東北とうほく上越新幹線じょうえつしんかんせん暫定ざんてい開業かいぎょうによる「新幹線しんかんせんリレーごう」や東北とうほく高崎たかさきせん系統けいとう登場とうじょうしたしん特急とっきゅう末端まったん区間くかんでの普通ふつう列車れっしゃあつかいなどが相次あいつぐこととなる。とく末端まったん区間くかん普通ふつう列車れっしゃあつかいは地方ちほう路線ろせん特急とっきゅうにも拡大かくだいするようになった[ちゅう 42]。また、近畿きんきけんでは117けいが1980ねん1がつ22にちより一部いちぶ快速かいそくしん快速かいそく運転うんてん開始かいしし、1982ねんには名古屋なごやけん一部いちぶ普通ふつう快速かいそくにも投入とうにゅうされたが、117けい近郊きんこうがた車両しゃりょうではあるものの、本来ほんらいであれば設備せつび水準すいじゅん近郊きんこうがた車両しゃりょうよりも上位じょういであるはずの急行きゅうこうがた車両しゃりょう標準ひょうじゅんてき水準すいじゅんよりもはるかにうえであり、デッキがなく両開りょうびらとびらであるてん[ちゅう 43]およびグリーンしゃがないてんのぞけば特急とっきゅうがた電車でんしゃ匹敵ひってきする破格はかくのものであった。このため、117けい使用しよう列車れっしゃ国鉄こくてつ時代じだいには列車れっしゃとしての評価ひょうかもされていた。

1984ねん6月1にちに、特急とっきゅう列車れっしゃ回送かいそう客扱きゃくあつかいすることで運行うんこうはじめた「ホームライナー大宮おおみや」はまもなく各地かくち通勤つうきん線区せんく拡大かくだいすることとなり、また初期しょき一部いちぶ列車れっしゃにおいてはグリーンしゃ普通ふつうしゃとして一般いっぱん開放かいほうされたためとくかんたかいとされた。また、北海道ほっかいどうでは14けい座席ざせきしゃ定期ていき急行きゅうこう列車れっしゃへの投入とうにゅうにより1981ねん2がつには、しん系列けいれつ客車きゃくしゃ[ちゅう 44]では北海道ほっかいどうはつ運用うんようとなる「ニセコ」に投入とうにゅうされた。当時とうじ道内どうない特急とっきゅう列車れっしゃには、経年けいねんが20ねんむかえた80けい気動車きどうしゃ多数たすうのこっており、14けい居住きょじゅうせいはそれらにっていた。この「ニセコ」は札幌さっぽろ運転うんてんしょへの回送かいそうさい普通ふつう列車れっしゃとして運転うんてんされ「豪華ごうかかくとま」や「特別とくべつ鈍行どんこう」として話題わだいとなった。

2004ねん10がつ16にちから宇都宮線うつのみやせん高崎線たかさきせん湘南しょうなん新宿しんじゅくラインで、2007ねん3がつ18にちから常磐線じょうばんせん普通ふつう列車れっしゃグリーンしゃのサービスが開始かいしされたが、それぞれ開始かいしまえすうげつあいだ、グリーンしゃ普通ふつうしゃあつかいとしていた。グリーンしゃ普通ふつうしゃあつかい(グリーン開放かいほう)は国鉄こくてつ時代じだいより東北本線とうほくほんせん高崎たかさきせん信越本線しんえつほんせん普通ふつう列車れっしゃに165けい・185けい運用うんようされたさいにもおこなわれていた。

JR東日本ひがしにっぽんでは地方ちほう快速かいそく列車れっしゃ特急とっきゅうがた車両しゃりょう充当じゅうとうするケースが存在そんざいした。快速かいそくくびき」(新潟にいがたえき - 新井あらいえきあいだ運転うんてん)・普通ふつうみょうだか」(長野ながのえき - 直江津なおえつえきあいだ運転うんてん)・快速かいそくあいづライナー」(郡山こおりやまえき - 会津若松あいづわかまつえきあいだ運転うんてん)は特急とっきゅうがた車両しゃりょう運転うんてんされていたが、これらは2015ねん3月14にちのダイヤ改正かいせいを以って廃止はいしされた。そのほか津軽つがるせんにおいても2010ねん12月3にちまでは特急とっきゅうよう車両しゃりょう間合まあいで普通ふつう列車れっしゃとして運用うんようされていた[ちゅう 45]

現状げんじょう

[編集へんしゅう]

2020ねん4がつ現在げんざいにおいて一般いっぱんに「とく」とされる、特急とっきゅうがたもしくはそれにじゅんずる内装ないそう列車れっしゃ以下いかとおり。

内装ないそう高級こうきゅうによるもの
  • キハ54かたち500番台ばんだい使用しようする列車れっしゃどう番台ばんだい一部いちぶ0けい新幹線しんかんせんキハ183けい789けい同型どうけい座席ざせき装備そうびしている(後者こうしゃ2つはリクライニングも可能かのう)。
  • キハ110けい0番台ばんだい使用しようする列車れっしゃ同車どうしゃはかつて急行きゅうこう陸中りくちゅう」で運用うんようされていたため、特急とっきゅう大差たいさない車内しゃない設備せつびゆうしている。
  • キハ185けい3100番台ばんだい使用しようする列車れっしゃ。リクライニング機構きこう停止ていしされているものの、どう番台ばんだい特急とっきゅう時代じだいとほぼ同一どういつ内装ないそうゆうしている。
  • 713けい使用しようする列車れっしゃ同車どうしゃは485けい廃車はいしゃ発生はっせいひんのリクライニングシートをそのまま装備そうびしている。
特急とっきゅうがた車両しゃりょう間合まあ運用うんようによるもの
非常時ひじょうじのもの
人身じんしん事故じこなどでダイヤがおおきくみだれた場合ばあい原則げんそくとして無料むりょう開放かいほうされる。無料むりょう開放かいほうのままAシートの設定せっていのない湖西線こせいせん直通ちょくつうしたり、通常つうじょうはAシートしゃ設定せっていがない快速かいそく電車でんしゃにも使用しようされる。

私鉄してつ

[編集へんしゅう]
東武鉄道とうぶてつどう

多客たきゃく前述ぜんじゅつの300けい・350けいたねしゃとなった1800けいによる臨時りんじ急行きゅうこう(2017ねんまでは臨時りんじ快速かいそく)が2018ねんまで運行うんこうされていた。どう列車れっしゃは「きりふり・ゆのさと・しもつけ」とおな車両しゃりょう設備せつびながら、特急とっきゅう料金りょうきん不要ふようとなっていた。なお、2017ねん4がつまで運行うんこうしていた快速かいそく/区間くかん快速かいそくはセミクロスシートの6050けいもちいられたことから、デッキづけ回転かいてんクロスシートの1800けい臨時りんじ快速かいそく/臨時りんじ急行きゅうこう料金りょうきん設備せつび両面りょうめんで「とく列車れっしゃ」となっていた。過去かこ(2001ねん - 2006ねん)には佐野線さのせん小泉線こいずみせん普通ふつう列車れっしゃに1800けい格下かくさげのかたち転用てんようされた車両しゃりょうもあり、こちらも座席ざせき一部いちぶとデッキ・便所べんじょなどが撤去てっきょされ、つりかわ設置せっちされたほかは座席ざせき固定こていされた程度ていどであり、それまで運用うんようされていた5000けいよりも格段かくだんにグレードのたか車両しゃりょうであった。前述ぜんじゅつの5700けい特急とっきゅうから格下かくさげされたかたち伊勢崎いせさき日光にっこうせん快速かいそく列車れっしゃにも使用しようされたが、他社たしゃ格下かくさ車両しゃりょうのようにとびら増設ぞうせつやロングシートなどされることなく[ちゅう 46]設備せつび特急とっきゅうしゃ時代じだいのままで当時とうじ料金りょうきん不要ふよう列車れっしゃとしては格別かくべつなものであった[ちゅう 47]。なお、東武鉄道とうぶてつどうでは500けいリバティ使用しようした特急とっきゅう列車れっしゃで、鬼怒川温泉きぬがわおんせんえき - (がん鉄道てつどう経由けいゆ会津あいづ鉄道てつどう会津田島あいづたじまえき相互そうごあいだのみ乗車じょうしゃする場合ばあい[ちゅう 48]特急とっきゅうけんなしでの利用りよう可能かのうであるため、これら区間くかんにおいては列車れっしゃといえる[ちゅう 49]

中小ちゅうしょう私鉄してつ

大手おおて私鉄してつ有料ゆうりょう特急とっきゅうよう車両しゃりょう譲受じょうじゅしゃ普通ふつう列車れっしゃ使用しようされることがあり、大井川鐵道おおいがわてつどうでは近鉄きんてつ16000けい電車でんしゃ譲受じょうじゅしゃ普通ふつう列車れっしゃ使用しようされたり、富山とやま地方ちほう鉄道てつどうでは西武せいぶ5000けい電車でんしゃ譲受じょうじゅしゃである16010かたち電車でんしゃどう10000けい電車でんしゃ譲受じょうじゅしゃである20020かたち電車でんしゃ有料ゆうりょう特急とっきゅう[ちゅう 50]だけでなく、普通ふつう列車れっしゃなどの料金りょうきん不要ふよう種別しゅべつにも使用しようされている。

脚注きゃくちゅう

[編集へんしゅう]

注釈ちゅうしゃく

[編集へんしゅう]
  1. ^ 「いぶり」深浦ふかうらキハ22かたち「うおの」キハ52かたち運用うんようされたれいげている。
  2. ^ 料金りょうきん不要ふよう急行きゅうこう列車れっしゃにおいても専用せんよう車両しゃりょう使用しようしている事業じぎょうしゃでは一般いっぱん車両しゃりょう充当じゅうとうされる事例じれいもあるが、とう項目こうもくでは省略しょうりゃくする(急行きゅうこうがた車両しゃりょう#料金りょうきん不要ふようの「急行きゅうこう」を主体しゅたいとする車両しゃりょう参照さんしょう)。
  3. ^ 当時とうじ国鉄こくてつ急行きゅうこう列車れっしゃ廃止はいしし、「特急とっきゅう大衆たいしゅう」のした急行きゅうこうからの「格上かくあげ」をふく特急とっきゅうだい増発ぞうはつおこない、おもった運賃うんちん値上ねあげととも収益しゅうえき改善かいぜんはしらとした急行きゅうこうがた接客せっきゃく設備せつびそなえた車両しゃりょうは、165けい電車でんしゃ1970ねん昭和しょうわ45ねん)、457けい電車でんしゃ1971ねん昭和しょうわ46ねん)、キハ65かたち1972ねん昭和しょうわ47ねん)までに製造せいぞう終了しゅうりょう。これ以降いこうは、ていコストな波動はどう輸送ゆそうよう車両しゃりょうとして12けい客車きゃくしゃのみが1978ねん昭和しょうわ53ねん)まで製造せいぞうされた。
  4. ^ 一等いっとうしゃはもちろんのこと、急行きゅうこうがた電車でんしゃはんしつ食堂しょくどうしゃ製造せいぞうされたのも、客車きゃくしゃ列車れっしゃ時代じだいのサービスをなるべく維持いじするため。
  5. ^ 機関きかん出力しゅつりょくひくさを各部かくぶ軽量けいりょうおぎな設計せっけいのため、座席ざせきちいさく、とくもたれが非常ひじょうひくい。
  6. ^ とく北海道ほっかいどうにおいては、一般いっぱんがた気動車きどうしゃでも1958ねん昭和しょうわ33ねん登場とうじょうキハ22かたち以降いこうデッキきであり、独立どくりつした洗面せんめんしょのないこと、窓側まどがわせき肘掛ひじかいこと、デッキちかくに若干じゃっかんロングシートがあること以外いがい急行きゅうこうがたとの設備せつび差異さいすくなく、機関きかん出力しゅつりょく台車だいしゃ急行きゅうこうがた共通きょうつうであり、心地ごこちにも遜色そんしょくがなかった。もっとも例外れいがいはあり、旧式きゅうしき居住きょじゅうせいわるキハ12かたちや、デッキしで冬季とうき耐寒たいかんせい不足ふそくするキハ21かたちもちいた事例じれい1970年代ねんだい以前いぜんにはられた。なかでももっと遜色そんしょくのあった列車れっしゃ実例じつれいられているのは、1960年代ねんだい戦前せんぜんせい機械きかいしき気動車きどうしゃ[ちゅう 5]のためであるキハ05かたちもちいて運転うんてんされた、釧路くしろえき発着はっちゃく標津線しべつせん直通ちょくつう準急じゅんきゅう一部いちぶである[4]
  7. ^ 北海道ほっかいどうでは国鉄こくてつ末期まっきに、急行きゅうこうがたであるキハ56がた改造かいぞうによりキハ53かたち500番台ばんだい登場とうじょうし、一部いちぶ急行きゅうこう列車れっしゃにももちいられたこともあるが、むしろ地域ちいき輸送ゆそうようとして、深名線しんめいせん廃止はいし)・札沼線さっしょうせん学園都市線がくえんとしせんまつはし気動車きどうしゃ区間くかん廃止はいし)などの閑散かんさん豪雪ごうせつ線区せんくりょう運転うんてんだい利便りべんせいと、余剰よじょう出力しゅつりょくによるはいゆき能力のうりょく両立りょうりつさせることが、本来ほんらい製作せいさく目的もくてきであった。
  8. ^ 1973ねんの「上尾あげお事件じけん」の発生はっせいには、デッキづけ2とびらしゃ急行きゅうこうがた車両しゃりょうをラッシュ輸送ゆそう使用しようしていたことも一因いちいんとされる。
  9. ^ 221けい登場とうじょうの811けいはデッキ両開りょうびらき3とびらではあるものの転換てんかんクロスシートをそなえ、蛍光けいこうとうにカバーもいていたため、急行きゅうこうとして運転うんてんしても遜色そんしょくすくなかった。
  10. ^ 1970年代ねんだい後半こうはん - 1980年代ねんだい初頭しょとうまで冷房れいぼうのない43けい客車きゃくしゃ使用しようされていた列車れっしゃや、たてれと冬期とうきのすきまかぜ問題もんだいとなっていたナハ10けいもこのケースに該当がいとうする。また、58けい気動車きどうしゃもちいた急行きゅうこうでは、1970年代ねんだい後半こうはん以降いこう電源でんげん問題もんだいから冷房れいぼうのまま運用うんようされていたケース(キハ65かたち配属はいぞくされない東北とうほく地方ちほうおおかった)も同様どうようである。 その1998ねん平成へいせい10ねん)2がつ開催かいさいされた長野ながのオリンピックさい運転うんてんされた臨時りんじ急行きゅうこう安曇あずみ」が、アコモデーション改善かいぜん165けい電車でんしゃ運行うんこうされたれいがある
  11. ^ さらに128は1983ねん事故じこしゃ補充ほじゅう米子よなご転出てんしゅつ、その最後さいごきゅう国鉄こくてつ標準ひょうじゅんしょくしゃとしていちしゅのイベントしゃてき存在そんざいになり、JR西日本にしにほんも2000ねん廃車はいしゃになるまでこのいろ維持いじした。
  12. ^ 末期まっき415けい冷房れいぼう改造かいぞうしゃ(1977ねんまでに完了かんりょう)としんせい冷房れいぼうしゃ運用うんようはいることもあった。
  13. ^ 正面しょうめん3まいまど最初さいしょしゃさえ充当じゅうとうされることもあった。
  14. ^ 2往復おうふく時代じだいにおけるくだり2ごうのぼり1ごう。この改正かいせいでの1往復おうふくごうすう付与ふよ廃止はいしされ、くだりの東京とうきょうえきはつ列車れっしゃ上野うえのえきはつとなった。
  15. ^ 急行きゅうこうとしての必須ひっす設備せつびであるリクライニングシートき1とうしゃとビュフェしゃ連結れんけつ
  16. ^ 1968ねん10がつ1にちより1969ねん4がつ24にちまでのあいだ、このくだり1ほんの115けい電車でんしゃ基本きほんの165けい電車でんしゃのほか、全車ぜんしゃ指定していせき列車れっしゃの1往復おうふくで157けい使用しよう。1969ねん4がつ25にちより165けい車種しゃしゅ変更へんこう
  17. ^ 1975ねん以降いこうとく夏期かきにはおなじ115けいでも冷房れいぼうきの300番台ばんだい充当じゅうとうされることもおおかった。
  18. ^ その当時とうじすで冷房れいぼう改造かいぞうずみ
  19. ^ キハ75かたち使用しようの「かすが」のさい高速度こうそくどはキハ58・65時代じだいの95 km/hから120 km/hにげられている。なお、キハ58・65時代じだいの「かすが」のさい高速度こうそくどは、キハ75(120 km/h)はおろか、キハ75かたち投入とうにゅうされる以前いぜんのキハ58・65の高速こうそく改造かいぞうしゃ(5000番台ばんだい。110 km/h)の快速かいそく「みえ」よりおそかった。
  20. ^ たとえばキハ55けい気動車きどうしゃや153けい電車でんしゃの1とうしゃ(1960ねん6がつまでは2とうしゃ)において、シートピッチがせまくリクライニング機能きのうのない回転かいてんしきクロスシートの車両しゃりょうがあり、それらの車両しゃりょう準急じゅんきゅうだけでなく急行きゅうこう使用しようされたケースもあり、準急じゅんきゅうでの使用しようであれば問題もんだいないものの急行きゅうこうでの使用しようでは遜色そんしょくがあった。そのため急行きゅうこうがた1とうしゃ冷房れいぼうすすむにつれて、2とうしゃ格下かくさげされたり、普通ふつう列車れっしゃようである近郊きんこうがたの1とうしゃ格下かくさげされていった。
  21. ^ あるじ電動でんどう冷却れいきゃくふうから粉雪こゆき分離ぶんりする区画くかく
  22. ^ 当時とうじ近郊きんこうがた電車でんしゃさい高速度こうそくどが95 km/hであったなか、711けいさい高速度こうそくど唯一ゆいいつ110 km/hと急行きゅうこうがた電車でんしゃなみほこっており、しん設計せっけい空気くうきばね台車だいしゃ装備そうびあいまって、1980年代ねんだい中期ちゅうきまで100 km/h以下いかとどまっていた気動車きどうしゃ上回うわまわ性能せいのうゆうした。また、札幌さっぽろ - 旭川あさひかわをノンストップの1あいだ38ふん設定せってい当初とうしょくだりは1あいだ36ふん)でむすび、おもててい速度そくど83.8 km/h(国鉄こくてつ・JRをつうじ、定期ていき急行きゅうこう列車れっしゃ最高さいこう記録きろく)を記録きろくした急行きゅうこう「さちかぜ」も設定せっていされた。後年こうねん、この列車れっしゃ格上かくあげしたかたちエル特急とっきゅう「いしかり」では、おなじ6りょう編成へんせい電動でんどうしゃかず倍加ばいかした485けい1500番台ばんだい投入とうにゅうされたが、接客せっきゃく設備せつび簡易かんいリクライニングシートなどで向上こうじょうしたものの、所要しょよう時間じかんのみでれば、わずか2ぶん短縮たんしゅく最初さいしょ急行きゅうこう「さちかぜ」とおなじ)にしかならなかった。
  23. ^ これら優等ゆうとう列車れっしゃ使用しようされた車両しゃりょう後継こうけい車両しゃりょう登場とうじょうにつれて普通ふつう列車れっしゃ格下かくさ使用しようされた[10]
  24. ^ 陳腐ちんぷ対処たいしょするための改造かいぞうで1962ねん開始かいしされ、室内しつないとう蛍光けいこうとう・ドアと内張うちばりのえ・まどのアルミサッシ扇風機せんぷうきけなどがげられる。1964ねん以降いこう施工しこうされた車両しゃりょうあお15ごう塗装とそうされた。
  25. ^ これら客車きゃくしゃはその用途ようとから急行きゅうこうがた分類ぶんるいされることもあるが[11]岡田おかだ旧型きゅうがた客車きゃくしゃ製造せいぞうされた時代じだい客車きゃくしゃには正式せいしき意味いみ急行きゅうこうがた分類ぶんるいしたものではないことを言及げんきゅうしている[12]
  26. ^ 1970年代ねんだい時点じてんでの有料ゆうりょう急行きゅうこう列車れっしゃとしては格別かくべつなものであった。
  27. ^ 東武とうぶでの急行きゅうこう列車れっしゃ種別しゅべつは、同年どうねん改正かいせい東上とうじょうせん大手おおて私鉄してつ同様どうよう一般いっぱんしゃ使用しようした列車れっしゃ転用てんようされた。
  28. ^ 私鉄してつ快速かいそく列車れっしゃでは運賃うんちんのほかに座席ざせき指定してい料金りょうきん徴収ちょうしゅうする異例いれい存在そんざいでもあった。
  29. ^ 非常ひじょう特殊とくしゅなケースではあるが、「こだま」に使用しようされていた151けいわりに急行きゅうこうがたである153けい使つかわれた事例じれい存在そんざいする。これは、151けいすべ田町たまち電車でんしゃ所属しょぞくであり大阪おおさか地区ちく予備よび編成へんせい存在そんざいしていなかったことによるもので、事故じことうのダイヤみだれやゴールデンウィークとう繁忙はんぼうさいには153けいもちいた運用うんようおこなわれた。しかし車内しゃない設備せつび急行きゅうこうようであったため、これにより151けい目当めあてであった子供こどもれの利用りようきゃく落胆らくたんさせ、「えだま」と揶揄やゆされたとされる[15]。なお、だい一富士いちふじ脱線だっせん事故じこ発生はっせいしたさいには、ダンプカーに激突げきとつした先頭せんとうのクロ151-7が大破たいはさら予備よび編成へんせいかったため、一時期いちじき臨時りんじでこちらの代走だいそう運用うんようにもてられた。
  30. ^ しき車両しゃりょうによる運転うんてんひょうてい速度そくどはや381けい「くろしお」と比較ひかくしてしきてい重心じゅうしん構造こうぞうでもないため所要しょよう時間じかん相当そうとうがあった。2012ねん3がつから充当じゅうとうされている287けい電車でんしゃと2015ねん4がつから充当じゅうとうされている289けい電車でんしゃしきではないが、こちらはてい重心じゅうしん構造こうぞう採用さいようし、車両しゃりょう性能せいのう向上こうじょうしているため、所要しょよう時間じかん最大さいだいやく10ふん前後ぜんこうびた程度ていどとどまっている。
  31. ^ a b 「はやとのふう」が運行うんこうされる鹿児島かごしま中央ちゅうおう吉松きちまつあいだ、「うみこう山幸やまさち」が運行うんこうされる宮崎みやざき南郷なんごうあいだ急行きゅうこう料金りょうきんより低廉ていれん特定とくてい特急とっきゅう料金りょうきん設定せっていされている。
  32. ^ ただし、これらの列車れっしゃは「観光かんこう列車れっしゃ」であり、一般いっぱん特急とっきゅうにおける心地ごこち速達そくたつせいもとめられるものではないため、単純たんじゅんな「遜色そんしょくあつかいは営業えいぎょう実態じったい利用りようきゃく指向しこう考慮こうりょしない見方みかたである。
  33. ^ じゅん特急とっきゅう」という種別しゅべつのち近畿日本鉄道きんきにほんてつどう京王けいおう電鉄でんてつでも使用しようされ、こちらは特急とっきゅうより停車駅ていしゃえきおお設定せっていしものであり、近鉄きんてつのものは主要しゅようえき停車ていしゃタイプの特急とっきゅうおつ特急とっきゅう)の前身ぜんしん種別しゅべつとして使つかわれた。京王けいおうのものは元々もともと急行きゅうこうおよ通勤つうきん快速かいそく速達そくたつ目的もくてきとしたもので他社たしゃ快速かいそく急行きゅうこう同格どうかく種別しゅべつであったが、2013ねん2がつのダイヤ改定かいてい以降いこう高尾線たかおせんうち各駅かくえき停車ていしゃ有無うむによるものであり、急行きゅうこうとは停車駅ていしゃえき逆転ぎゃくてん現象げんしょうしょうじている。
  34. ^ 一般いっぱんしゃ格下かくさ後年こうねん更新こうしん工事こうじさいして冷房れいぼうされた。
  35. ^ 3200かたち一般いっぱんしゃとの差異さいおおきく、とびらかたひらきで便所べんじょそなえていた。
  36. ^ かつては一般いっぱん車両しゃりょう使用しようした料金りょうきん不要ふようの「特急とっきゅう」として運行うんこうされていた。
  37. ^ ともに既存きそん有料ゆうりょう特急とっきゅうとは別途べっと設定せってい
  38. ^ 路線ろせんことなるが西武鉄道せいぶてつどうのS-TRAINが休日きゅうじつダイヤでれ。
  39. ^ 運行うんこう開始かいしまで同社どうしゃでは座席ざせき指定していせい列車れっしゃ設定せっていはなかった。
  40. ^ 南海本線なんかいほんせんでは特急とっきゅう国鉄こくてつせんないでは急行きゅうこうとして運行うんこう
  41. ^ 設備せつびめんだけでるなら、1959ねん9月22にち日光にっこうせん電化でんか開業かいぎょうにあわせてしんせいされた157けいが、準急じゅんきゅう運用うんよう間合まあいに、おく回送かいそうねた日光にっこうえき - 黒磯くろいそえき快速かいそく列車れっしゃとして1往復おうふく客扱きゃくあつかいしたれいがある。157けい準急じゅんきゅうがた車両しゃりょうではあるものの、本来ほんらいであれば設備せつび水準すいじゅん準急じゅんきゅうがた車両しゃりょうよりも上位じょういであるはずの急行きゅうこうがた車両しゃりょう標準ひょうじゅんてき水準すいじゅんよりもはるかにうえであり、冷房れいぼうがないてんのぞけば特急とっきゅうがた電車でんしゃ匹敵ひってきする破格はかくのものであった。157けいはこうした破格はかく設備せつび水準すいじゅんであったため、準急じゅんきゅう列車れっしゃはおろか、急行きゅうこう列車れっしゃへの充当じゅうとうでも、いわゆる“準急じゅんきゅうとく急行きゅうこうであったが、運用うんよう都合つごうじょう設定せっていしたたん区間くかん運転うんてんで、かつ1往復おうふくのみの運転うんてんであったとはえ、この設備せつび水準すいじゅん料金りょうきん不要ふよう快速かいそく列車れっしゃにも充当じゅうとうされたことは、当時とうじとしてはきわめて異例いれいなものであった。
  42. ^ しかし185けいがわまど開閉かいへい可能かのう座席ざせき1990年代ねんだい中盤ちゅうばんごろまで転換てんかんクロスシートで、特急とっきゅうには不足ふそくられていたため「おど」はぎゃく遜色そんしょく特急とっきゅうあつかいをけた。
  43. ^ キハ66・67かたちことなり戸袋とぶくろ座席ざせきもクロスシートとなっていた。
  44. ^ 荷物にもつしゃ郵便ゆうびんしゃのぞく。
  45. ^ グリーンしゃ連結れんけつしていたため、首都しゅとけん以外いがいではめずらしくなった普通ふつう列車れっしゃ自由じゆうせきグリーンしゃ設定せっていされていた。
  46. ^ 優等ゆうとう列車れっしゃとく特急とっきゅう列車れっしゃよう車両しゃりょう状態じょうたいくても後継こうけい車両しゃりょうくらべて見劣みおとりがする車両しゃりょう一般いっぱん車両しゃりょう格下かくさ改造かいぞうされることがあった。とく料金りょうきん不要ふよう特急とっきゅう運行うんこうしている京浜急行電鉄けいひんきゅうこうでんてつ名古屋鉄道なごやてつどう阪急電鉄はんきゅうでんてつ京阪電気鉄道けいはんでんきてつどう阪神電気鉄道はんしんでんきてつどう西日本鉄道にしにっぽんてつどうでは旧型きゅうがた特急とっきゅうよう車両しゃりょう通勤つうきんがたちかかたち改造かいぞうした車両しゃりょう見受みうけられた。また、有料ゆうりょう特急とっきゅうでも近畿日本鉄道きんきにほんてつどう駆動くどう時代じだい車両しゃりょう2250けい6421けいひとし)は一般いっぱん列車れっしゃよう格下かくさ改造かいぞうされているし、小田急電鉄おだきゅうでんてつでもSEしゃ登場とうじょう以前いぜん車両しゃりょうじゅん特急とっきゅうよう2320かたち通勤つうきんがたへの格下かくさ改造かいぞうおこなわれている。
  47. ^ なお、性能せいのう駆動くどうであり、前述ぜんじゅつのとおり、急行きゅうこう快速かいそく急行きゅうこう充当じゅうとうされた場合ばあい性能せいのうめんにおいて遜色そんしょくがあった。
  48. ^ 運行うんこう開始かいしした2017ねんから2021ねん3がつ改正かいせいまでは下今市しもいまいちえき - 東武とうぶ日光にっこうえきあいだおよび下今市しもいまいちえき - 鬼怒川温泉きぬがわおんせんえきあいだふくんでいた。
  49. ^ 空席くうせきがあればすわれるが、座席ざせき指定してい必要ひつよう場合ばあい特急とっきゅうけん必要ひつようとなる[18]空席くうせき着席ちゃくせきにその座席ざせき指定していしている特急とっきゅうけん乗客じょうきゃく乗車じょうしゃしてきた場合ばあいは、せきゆずらなければならない。
  50. ^ 2022ねん4がつ15にちダイヤ改正かいせい定期ていき運行うんこうりやめ[19]

出典しゅってん

[編集へんしゅう]
  1. ^ 鉄道てつどうピクトリアル』768ごう電気でんきしゃ研究けんきゅうかい、2005ねん11月、10ぺーじ 
  2. ^ a b c d 季刊きかん Jトレイン』Vol.25、イカロス出版いかろすしゅっぱん、2007ねん4がつ、27ぺーじ 
  3. ^ 鉄道てつどうピクトリアル』768ごう電気でんきしゃ研究けんきゅうかい、2005ねん11月、13-14ぺーじ 
  4. ^ 鉄道てつどうピクトリアル』768ごう電気でんきしゃ研究けんきゅうかい、2005ねん11月、9ぺーじ 
  5. ^ “「ぼったくり」とばれ…JR最後さいご昼間ひるま急行きゅうこう廃止はいしへ”. 朝日新聞あさひしんぶん. (2008ねん11月2にち). オリジナルの2008ねん11月1にち時点じてんにおけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20081106065551/https://www.asahi.com/kansai/kouiki/OSK200811010100.html 
  6. ^ “JR最後さいご昼間ひるま急行きゅうこう「つやま」でしょう旅行りょこう. 朝日新聞あさひしんぶん. (2008ねん3がつ19にち). https://www.asahi.com/komimi/TKY200803140281.html 
  7. ^ 『Rail Magazine』No.355、ネコ・パブリッシング、2013ねん2がつ21にち、120ぺーじ 
  8. ^ 岡田おかだ誠一せいいち国鉄こくてつこうせい客車きゃくしゃⅠ』JTBパブリッシング、2008ねん11月28にち、239ぺーじ 
  9. ^ 『Rail Magazine』No.336、ネコ・パブリッシング、2011ねん7がつ21にち、9ぺーじ 
  10. ^ 塚本つかもとみやびけい戦後せんご日本にっぽん鉄道てつどう車両しゃりょう』グランプリ出版しゅっぱん、2002ねん4がつ1にち、90ぺーじ 
  11. ^ 塚本つかもとみやびけい戦後せんご日本にっぽん鉄道てつどう車両しゃりょう』グランプリ出版しゅっぱん、2002ねん4がつ1にち、88ぺーじ 
  12. ^ 鉄道てつどうファン』No.413、交友こうゆうしゃ、1995ねん9がつ、50ぺーじ 
  13. ^ 福原ふくはら俊一しゅんいち国鉄こくてつ急行きゅうこう電車でんしゃ物語ものがたり』JTBパブリッシング、2006ねん8がつ29にち、58ぺーじ 
  14. ^ 梅原うめはらあつし雑学ざつがく3分間ふんかんビジュアル図解ずかいシリーズ 特急とっきゅう列車れっしゃのすべて』PHP研究所けんきゅうじょ、2010ねん7がつ23にち、78ぺーじ 
  15. ^ ほしあきら回想かいそう旅客りょかくしゃ じょうとくロ・ハネ・こだまの時代じだい学習研究社がくしゅうけんきゅうしゃ、2008ねん3がつ1にち、97ぺーじ 
  16. ^ 石本いしもと祐吉ゆうきち京成けいせいあかでんものがたり』ネコ・パブリッシング、2012ねん5がつ21にち、41ぺーじ 
  17. ^ a b “「かく特急とっきゅう」ってなにだ?青春せいしゅん18きっぷで特急とっきゅうたのしめる「とく列車れっしゃ」が話題わだいに”. アエラ: p. 2. (2019ねん8がつ2にち). https://dot.asahi.com/articles/-/33213 
  18. ^ 東武とうぶ時刻じこくひょう 2020ねん3がつ14にちごう』、4ぺーじ 
  19. ^ 富山とやま地方ちほう鉄道てつどう,4がつ15にちダイヤ改正かいせい特急とっきゅう運転うんてん休止きゅうし”. 鉄道てつどうファン. 交友こうゆうしゃ (2022ねん4がつ12にち). 2022ねん11月27にち閲覧えつらん

参考さんこう文献ぶんけん

[編集へんしゅう]
  • 電気でんきしゃ研究けんきゅうかい
    • 鉄道てつどうピクトリアル』671ごう(1999ねん7がつごう)「国鉄こくてつ近郊きんこうがた電車でんしゃ使用しようした急行きゅうこう列車れっしゃアラカルト」
    • 鉄道てつどうピクトリアル』768ごう(2005ねん11がつごう)【特集とくしゅう遜色そんしょく急行きゅうこう
    • 鉄道てつどうピクトリアル』805ごう(2008ねん7がつごう寺本てらもと光照みつてる「キハ40けい優等ゆうとう列車れっしゃ