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鉄道省 - Wikipedia

鉄道てつどうしょう

大日本帝国だいにっぽんていこくにおいて鉄道てつどういん前身ぜんしんとする行政ぎょうせい機関きかん

鉄道てつどうしょう(てつどうしょう、きゅう字体じたい鐵道てつどう󠄁しょう)は、かつて日本にっぽん存在そんざいした、鉄道てつどうかんする業務ぎょうむ管轄かんかつしていた国家こっか行政ぎょうせい機関きかんひとつである。国有こくゆう鉄道てつどう官営かんえい鉄道てつどう事業じぎょう所管しょかんし、地方ちほう鉄道てつどうおよび軌道きどう監督かんとくした[1]運輸省うんゆしょう国土こくど交通省こうつうしょう公共こうきょう企業きぎょうたい日本にっぽん国有こくゆう鉄道てつどうおよびJRグループ前身ぜんしんたる。

日本の旗 日本にっぽん行政ぎょうせい機関きかん
鉄道てつどうしょう
Ministry of Railways
日本の国有鉄道のマーク。最初の所管官庁である工部省の「工」から採られている(上) 鉄道省新庁舎(後の国鉄本社ビル旧館)(下)
日本にっぽん国有こくゆう鉄道てつどうのマーク。最初さいしょ所管しょかん官庁かんちょうであるこうしょうの「こう」からられている(うえ
鉄道てつどうしょうしん庁舎ちょうしゃ国鉄こくてつ本社ほんしゃビル旧館きゅうかん)(した
役職やくしょく
鉄道てつどう大臣だいじん 元田もとだはじめ初代しょだい
八田はった嘉明よしあき最後さいご
概要がいよう
所在地しょざいち 日本の旗 日本にっぽん 東京とうきょう麹町こうじまち
設置せっち 1920ねん大正たいしょう9ねん5月15にち
改称かいしょう 1943ねん昭和しょうわ18ねん11月1にち
前身ぜんしん 鉄道てつどういん
後身こうしん 運輸うんゆ通信つうしんしょう 鉄道てつどう総局そうきょく
テンプレートを表示ひょうじ
鉄道てつどうしょう車両しゃりょう銘板めいばん現在げんざいJR北海道ほっかいどう苗穂なえぼ運転うんてんしょ所蔵しょぞう

日本にっぽん鉄道てつどう開業かいぎょう以来いらい、さまざまな省庁しょうちょう鉄道てつどう行政ぎょうせい所管しょかんしてきたが、それらを鉄道てつどうしょう1920ねん大正たいしょう9ねん5月15にち設置せっちされた[2][3]

1943ねん昭和しょうわ18ねん)11月1にち運輸うんゆ通信つうしんしょう鉄道てつどう総局そうきょく改組かいそされ、1945ねん昭和しょうわ20ねん)に運輸省うんゆしょう鉄道てつどう総局そうきょく継承けいしょうしたが、1949ねん昭和しょうわ24ねん6月1にち鉄道てつどう監督かんとく行政ぎょうせい運輸省うんゆしょう鉄道てつどう監督かんとくきょく国有こくゆう鉄道てつどう民営みんえい鉄道てつどう)に、国有こくゆう鉄道てつどう事業じぎょう公共こうきょう企業きぎょうたい公社こうしゃ)の日本にっぽん国有こくゆう鉄道てつどうにそれぞれ分離ぶんりされた[2]。さらに鉄道てつどう行政ぎょうせい所管しょかん1991ねん平成へいせい3ねん7がつ1にち運輸省うんゆしょうない再編さいへん運輸省うんゆしょう鉄道てつどうきょく移行いこうし、現在げんざい2001ねん平成へいせい13ねん1がつ6にち中央ちゅうおう省庁しょうちょう再編さいへん発足ほっそくした国土こくど交通省こうつうしょう鉄道てつどうきょく所管しょかんしている[2]

英語えいご名称めいしょうは、省庁しょうちょうとしての「鉄道てつどうしょう」を場合ばあいは"The Ministry of Railways"、鉄道てつどうもうとしての「鉄道てつどうしょう」を場合ばあいは"Japanese Government Railways"である(名称めいしょうImperialかんするケースもあった)。

戦前せんぜん日本にっぽんにおける、鉄道てつどう行政ぎょうせい所管しょかん省庁しょうちょう推移すいい以下いかとおりである。

鉄道てつどうりょう鉄道てつどうきょく

編集へんしゅう
 
日本にっぽん鉄道てつどう開業かいぎょう(1872ねん10がつ14にち

日本にっぽん鉄道てつどう所管しょかん官庁かんちょう1870ねん明治めいじ3ねん)に設置せっちされたみんしょう鉄道てつどうかけ最初さいしょである[4]のちこうしょう鉄道てつどうかけ改組かいそされ[5]翌年よくねんの1872ねん10がつ14にちには、新橋しんばし - 横浜よこはまあいだ鉄道てつどう開業かいぎょうむかえた(日本にっぽん鉄道てつどう開業かいぎょう[2]

1877ねんにはこうしょう鉄道てつどうきょく改組かいそされ[8]1885ねん明治めいじ18ねん)にこうしょう廃止はいしされると鉄道てつどうきょく内閣ないかく直属ちょくぞくとなった[2][9]1890ねん明治めいじ23ねん)には内務省ないむしょう外局がいきょく鉄道てつどうちょう改組かいそされたが[2][10]1892ねん明治めいじ25ねん)には逓信ていしんしょう外局がいきょく移管いかんされ[11]、その翌年よくねんには内局ないきょくされ逓信ていしんしょう鉄道てつどうきょくとなった[2][12]

どう時期じきには、ドイツ帝国ていこく帝国ていこく鉄道てつどう会計かいけい陸軍りくぐんしょうによって研究けんきゅうされ[16]1897ねん明治めいじ30ねん)には逓信ていしんしょう鉄道てつどうきょく監督かんとく行政ぎょうせいのみをつことになり、現業げんぎょう部門ぶもん逓信ていしんしょう外局がいきょく鉄道てつどう作業さぎょうきょく分離ぶんりされた。

他方たほう1901ねん明治めいじ34ねん)には、外交がいこうかんだったぬさはら喜重郎きじゅうろうベルギー状況じょうきょう官報かんぽう報告ほうこくした。報告ほうこくによれば、アンウェルス市街しがい鉄道てつどう馬車ばしゃ鉄道てつどうから電気でんき鉄道てつどう切替きりかえて重要じゅうよう都市とし延長えんちょうする計画けいかく成立せいりつし、民間みんかん会社かいしゃ1945ねん昭和しょうわ20ねん)までの営業えいぎょう認可にんかされ、また、その契約けいやく内容ないようには、学生がくせいおよ労働ろうどうしゃ保護ほごするためのひく運賃うんちん労働ろうどう条件じょうけん賃金ちんぎん昇給しょうきゅう休憩きゅうけい時間じかん保険ほけん)、会社かいしゃは「けん」に毎年まいとし一定いっていがく納付のうふすること、営業えいぎょう開始かいしから15ねん以降いこうくに好条件こうじょうけん事業じぎょう買収ばいしゅう国営こくえい)しること、また買収ばいしゅうがく計算けいさん方法ほうほう規定きていされている[17]

帝国ていこく鉄道てつどうちょう

編集へんしゅう
 
動輪どうりんマーク(1909ねん制定せいてい

鉄道てつどう事業じぎょう逓信ていしんしょう外局がいきょく鉄道てつどう作業さぎょうきょくすべ移管いかんされてからも、鉄道てつどう敷設ふせつほうおよび、北海道ほっかいどう鉄道てつどう敷設ふせつほう事業じぎょう公債こうさい条例じょうれいなどによって運営うんえいされていたが、1906ねん明治めいじ39ねん)に帝国ていこく議会ぎかい鉄道てつどう国有こくゆうほうおよ帝国ていこく鉄道てつどう会計かいけいほう成立せいりつ[18]1907ねん明治めいじ40ねん)3がつみことのりれい帝国ていこく鉄道てつどうちょう官制かんせい公布こうふされ、同年どうねん4がつ1にち鉄道てつどう作業さぎょうきょく改組かいそした帝国ていこく鉄道てつどうちょう設置せっちされ、帝国ていこく鉄道てつどう開業かいぎょうした[2][14]

いで逓信ていしんしょうは、「帝国ていこく鉄道てつどうちょう民事みんじ訴訟そしょうこく代表だいひょうす」、「帝国ていこく鉄道てつどうちょう多度津たどつ工場こうじょう増置ぞうち」など法規ほうき公布こうふして、土地とち収用しゅうようおよ路線ろせん増設ぞうせつすすめた[19]

この鉄道てつどう運営うんえいには当初とうしょから特別とくべつ会計かいけい設置せっちされていたが(西園寺さいおんじ公望きんもち内閣ないかく)、さらに1909ねん明治めいじ42ねん)には帝国ていこく鉄道てつどう会計かいけいほう全部ぜんぶ改正かいせいにより、資金しきん不足ふそくさい帝国ていこく鉄道てつどう会計かいけい負担ふたんによる公債こうさい発行はっこう、または特別とくべつ会計かいけいからの借入かりいれをおこなるようになった(だい2かつら内閣ないかく[20]

1909(明治めいじ42)年度ねんど予算よさんによれば、同年どうねんくに歳入さいにゅう予定よていは3おく2,053まん4,132えんであったところ[21]、この鉄道てつどう1908明治めいじ41)年度ねんどまでの2年間ねんかん建設けんせつおよ改良かいりょうとして6268まん4226えん支出ししゅつしており、1909ねん明治めいじ42ねん)から1913ねん大正たいしょう2ねん)までの5年間ねんかん支出ししゅつ予定よていは1おく180まん6584えんで、年間ねんかん予算よさんのうちの6 %から18 %以上いじょう帝国ていこく鉄道てつどう事業じぎょうめていたことがかる[22]。なお、帝国ていこく鉄道てつどうほかに、外地がいちであった中国ちゅうごく関東かんとうしゅうみなみまんしゅう鉄道てつどう)や朝鮮ちょうせん朝鮮ちょうせん総督そうとく鉄道てつどう)の鉄道てつどう事業じぎょう予算よさんもかかっている。

鉄道てつどういん

編集へんしゅう
 
鉄道てつどういん 組織そしき(1920ねん

相次あいつ鉄道てつどう行政ぎょうせい所管しょかん変更へんこう監督かんとく組織そしき現業げんぎょう組織そしき分離ぶんりによる混乱こんらんは、1906ねん鉄道てつどう国有こくゆうをきっかけに社会しゃかい問題もんだいとなった。このため政府せいふは1908ねん12月5にち鉄道てつどうきょく帝国ていこく鉄道てつどうちょう統合とうごうした鉄道てつどういん新設しんせつし、ふたた内閣ないかく直属ちょくぞく機関きかんとした(だい2かつら内閣ないかく[2]

初代しょだい総裁そうさい後藤ごとう新平しんぺいであり、そのした総裁そうさい官房かんぼう総務そうむ運輸うんゆ建設けんせつけいの4鉄道てつどう調査ちょうさしょかれた。北海道ほっかいどう北海道ほっかいどうおよび青函せいかん航路こうろ所管しょかん札幌さっぽろ)、東部とうぶ東北とうほくせん所管しょかん上野うえの)、中部ちゅうぶ東海道とうかいどうせんおよび中央ちゅうおうせん所管しょかん新橋しんばし)、西部せいぶ山陽さんようせん四国しこくおよび関門かんもんせきがま航路こうろ所管しょかん神戸こうべ)、九州きゅうしゅう九州きゅうしゅう所管しょかん門司もじ)に鉄道てつどう管理かんりきょく設置せっちされ、各地かくち運輸うんゆ事務所じむしょ保線ほせん事務所じむしょ(そのいち廃止はいしされ1913ねん復活ふっかつ)、工場こうじょうなどを統括とうかつした。このほか関東かんとうちょうおよび拓殖たくしょくきょくとともにみなみまんしゅう鉄道てつどうまんてつ)の監督かんとくけん所管しょかんし、同社どうしゃ鉄道てつどう事業じぎょうかんして監督かんとくした。

そのすう官制かんせい改正かいせいによって、1913ねんに4技術ぎじゅつ運輸うんゆきょく監督かんとくきょく経理けいりきょくへの再編さいへん1915ねん鉄道てつどう管理かんりきょく区域くいき一部いちぶ見直みなおし(ひがしかんちゅうかん西にしかんきょくかい変更へんこう[23][24]1918ねん建設けんせつきょく新設しんせつおこなった。また1919ねん5月1にちには鉄道てつどう管理かんりきょくだい規模きぼ再編さいへんおこない、札幌さっぽろ仙台せんだい東京とうきょう名古屋なごや神戸こうべ門司もじの6鉄道てつどう管理かんりきょく発足ほっそくした[25]

なお、1920ねん3がつに、鉄道てつどう路線ろせん沿線えんせんべつ温泉おんせん所在しょざいをまとめた『温泉おんせん案内あんない』をはじめて編纂へんさんして発行はっこうした。これ以降いこう鉄道てつどうしょうわってからも『温泉おんせん案内あんない』を編纂へんさんした。

鉄道てつどうしょう

編集へんしゅう

交通こうつう運輸うんゆ施策しさく拡充かくじゅうかかげる立憲りっけん政友せいゆうかい原内はらうちかくによって1920ねん鉄道てつどう事業じぎょう権限けんげん強化きょうか独立どくりつ目指めざして[26]鉄道てつどうしょう昇格しょうかくした[2]。1920ねん5がつ15にち鉄道てつどうしょう官制かんせい」(みことのりれい144ごう)にもとづいて設置せっちされた[1]

だいいちじょう 鉄道てつどう大臣だいじん国有こくゆう鉄道てつどうおよぼその付帯ふたい業務ぎょうむ管理かんり地方ちほう鉄道てつどう及軌どう監督かんとくす。鉄道てつどう大臣だいじんみなみ満州まんしゅう鉄道てつどう株式会社かぶしきがいしゃ鉄道てつどう及航かんする業務ぎょうむ監督かんとく

だいさんじょう 鉄道てつどうしょうひだりろくきょく
     監督かんとくきょく 運輸うんゆきょく 建設けんせつきょく 工務こうむきょく 工作こうさくきょく 経理けいりきょく

鉄道てつどうしょう官制かんせいていム(みことのりれい144ごう[1]

初代しょだい大臣だいじん元田もとだはじめ中央ちゅうおう大臣だいじん官房かんぼう監督かんとく運輸うんゆ建設けんせつ工務こうむ工作こうさく経理けいりの6きょく地方ちほう鉄道てつどう管理かんりきょく改組かいそした鉄道てつどうきょく教習所きょうしゅうじょ改良かいりょう建設けんせつ事務所じむしょ鉄道てつどう病院びょういん設置せっちされた。

発足ほっそく当初とうしょは、立憲りっけん政友せいゆうかいによるしょう幹部かんぶ大量たいりょう更迭こうてつなど、当時とうじ端緒たんしょについたばかりの政党せいとうないかくとのあいだ鉄道てつどう敷設ふせつ利権りけんからんだ混乱こんらんられ、社会しゃかい批判ひはんびた[27][28] が、のち国内こくない経済けいざい発展はってんともな交通こうつう需要じゅよう増大ぞうだいけ、昭和しょうわ初期しょきにかけて国鉄こくてつ私鉄してつをはじめとする陸上りくじょう交通こうつう全般ぜんぱん近代きんだい推進すいしんする母体ぼたいとなった。

1921ねん大正たいしょう10ねん路線ろせん
 
鉄道てつどうしょう 組織そしき(1938ねん12月1にち時点じてん

鉄道てつどうきょくは、鉄道てつどういん鉄道てつどう管理かんりきょく継承けいしょうした札幌さっぽろ仙台せんだい東京とうきょう名古屋なごや神戸こうべ(1928ねん5がつ大阪おおさか鉄道てつどうきょく改称かいしょう大阪おおさか移転いてん)、門司もじの6きょく体制たいせいでスタートした。また欧米おうべいくらおくれが指摘してきされていた電化でんか推進すいしんするため、1921ねん電気でんききょく設置せっちし、各地かくちはぶけ営の発電はつでんしょ新設しんせつした。1928ねんからは逓信ていしんしょうあつかっていた自動車じどうしゃなどのほか陸上りくじょう交通こうつう部門ぶもん管轄かんかつした。一方いっぽうまんてつ鉄道てつどう事業じぎょうかんする監督かんとくけん1929ねんひらけつとむしょううつされた。

1927ねんには、貨物かもつ輸送ゆそう需要じゅよう増大ぞうだいするなか複雑ふくざつ運賃うんちん制度せいど小規模しょうきぼ運送うんそう事業じぎょうしゃ乱立らんりつ混乱こんらんまねいていた小口おぐち貨物かもつ業界ぎょうかい対策たいさくとして、あつかいを鉄道てつどうしょう直営ちょくえいとして鉄道てつどう民間みんかん運送うんそう業者ぎょうしゃ協調きょうちょうして運送うんそうすることとし、各地かくち鉄道てつどうきょく運送うんそうてん商工しょうこう関係かんけいしゃ参加さんかした「運輸うんゆ委員いいんかい」を全国ぜんこく37かしょ設置せっちした[29]。この仕組しくみが鉄道てつどう利用りよう運送うんそう事業じぎょう通運つううん事業じぎょう)のもととなった。

このほか、鉄道てつどう利用りようしやすくするために運送うんそう規則きそく旅客りょかく運賃うんちん割引わりびき制度せいど柔軟じゅうなん[30][31] したり、いわゆる「戸口とぐちから戸口とぐちへ」方式ほうしき宅扱たくあつかい貨物かもつあつかいをはじめる[32] など、制度せいど近代きんだいとサービスの拡充かくじゅうんだ。また国際こくさいてき旅客りょかく需要じゅよう喚起かんきしようと、1930ねんには外局がいきょくとして国際こくさい観光かんこうきょく設置せっちされた[2]

鉄道てつどうもう整備せいびわせて、鉄道てつどういん時代じだいから再三さいさん政治せいじ論議ろんぎされてきた鉄道てつどうきょく新設しんせつおこなわれた。1935ねん広島ひろしま大阪おおさか門司もじから分離ぶんり)、1936ねん新潟にいがた仙台せんだい東京とうきょうから分離ぶんり)のりょう鉄道てつどうきょく開設かいせつ。さらに1943ねんには樺太からふと鉄道てつどうきょく樺太からふとちょう鉄道てつどうから編入へんにゅう)が発足ほっそくした。

しかし次第しだい戦時せんじしょくくなると、鉄道てつどうしょう組織そしきおおきく影響えいきょうけた。1935ねんには全国ぜんこく運輸うんゆ委員いいんかいが、軍部ぐんぶ参加さんかした鉄道てつどうきょくべつの「交通こうつう協議きょうぎかい」に改組かいそされ、かく地方ちほう陸上りくじょう輸送ゆそう統制とうせい組織そしきわった[33]1938ねんにはまんしゅうこく鉄道てつどう総局そうきょく朝鮮ちょうせん鉄道てつどうきょく関係かんけい鉄道てつどう会社かいしゃおよび船舶せんぱく会社かいしゃとともに「うち鮮満ささえ貨物かもつ連絡れんらく運送うんそう規定きてい」を制定せいていし、朝鮮半島ちょうせんはんとう大陸たいりくとの輸送ゆそう体制たいせい強化きょうかはかった[34]。さらに1941ねんには戦時せんじ体制たいせい強化きょうかともなって需品じゅひんきょく設置せっちした。

1942ねんには、政府せいふ行政ぎょうせい簡素かんそ方針ほうしんにもとづく官庁かんちょう機構きこう整備せいびまえに、だい規模きぼ組織そしき統合とうごうおこなった。本省ほんしょう機構きこう総務そうむ要員よういん監理かんり業務ぎょうむ施設しせつ資材しざいの6きょく体制たいせい縮小しゅくしょうしたほか、地方ちほう組織そしきについても大幅おおはば変更へんこうした。3月14にち鉄道てつどう技術ぎじゅつ研究所けんきゅうじょ設立せつりつされた(みことのりれい)。

さらに1943ねん11月1にち戦時せんじ体制たいせいともな官庁かんちょう統廃合とうはいごう一環いっかんとして逓信ていしんしょう合併がっぺいし、運輸うんゆ通信つうしんしょう改組かいそされた。

1942ねん地方ちほう組織そしき再編さいへん

編集へんしゅう

1942ねん9月11にちおこなわれた鉄道てつどうしょう組織そしき統合とうごうは、兵役へいえきなどにともな鉄道てつどう職員しょくいん欠員けついん増大ぞうだい理由りゆう[35]。この再編さいへん発足ほっそくした「管理かんり」は、戦後せんご日本にっぽん国有こくゆう鉄道てつどうにおける「鉄道てつどう管理かんりきょく」および国鉄こくてつ分割ぶんかつ民営みんえいかく旅客りょかく鉄道てつどうの「支社ししゃ」の母体ぼたいとなった。

  • かく鉄道てつどうきょくは8総務そうむ運輸うんゆ運転うんてん工務こうむ工作こうさく電気でんき経理けいり監督かんとく)を4総務そうむ業務ぎょうむ施設しせつ資材しざい)に統合とうごう東鉄ひがしてつだいてつ列車れっしゃ電気でんきの2べつ新設しんせつこうてつさつてつ船舶せんぱく存続そんぞく)。236あったすうも67げんの169整理せいりした。
  • 鉄道てつどうきょく地方ちほう官署かんしょのうち保線ほせん事務所じむしょ運輸うんゆ事務所じむしょ原則げんそくとして統合とうごうして「管理かんり」に改称かいしょうし、そのした総務そうむ輸送ゆそう施設しせつの3設置せっち。110の地方ちほう官署かんしょを40げんの70に整理せいりした。高松たかまつ高知こうち徳島とくしまの3出張所しゅっちょうしょ高松たかまつ管理かんり運輸省うんゆしょう改組かいそ1945ねん6月19にち四国しこく鉄道てつどうきょく昇格しょうかく)に、稚内わっかない運輸うんゆ事務所じむしょおよび名寄なよせ保線ほせん事務所じむしょ稚内わっかない管理かんりにそれぞれ統合とうごう広島ひろしま管理かんりおよび下関しものせき管理かんりはややおくれて10がつ1にち発足ほっそくした。
  • 新橋しんばし上野うえの大阪おおさか運輸うんゆ事務所じむしょ保線ほせん事務所じむしょ電力でんりょく事務所じむしょについては統合とうごうせず事務所じむしょ改称かいしょう国府津こうづ保線ほせん事務所じむしょ新橋しんばし保線ほせん統合とうごう)。各部かくぶはのち新橋しんばし上野うえの大阪おおさかかく管理かんりさい統合とうごうした。
  • かく鉄道てつどうきょく工場こうじょうはすべてこう改称かいしょうした。

陸送りくそう転移てんいへの適応てきおう

編集へんしゅう

1941ねん昭和しょうわ16ねん)12月に太平洋戦争たいへいようせんそう勃発ぼっぱつすると一部いちぶ車両しゃりょう海外かいがい占領せんりょうでの軍事ぐんじ輸送ゆそうなどに使用しようするため内地ないちからおくられた。また、貨物かもつ輸送ゆそう優先ゆうせんされたため貨物かもつ列車れっしゃけの機関きかんしゃ増強ぞうきょう実施じっしされ、旅客りょかく輸送ゆそう民需みんじゅ物資ぶっし輸送ゆそうは、しつりょうども低下ていかしていった。貨車かしゃ自体じたいぞう実施じっしされ、輸送ゆそう効率こうりつはかられた。

うち航海こうかいうんてられていた船舶せんぱくそとこうへの転用てんようはかられたため、内地ないちよう船舶せんぱくすうはさらに逼迫ひっぱくし、日本にっぽん近海きんかい輸送ゆそう水運すいうんから陸運りくうん[注釈ちゅうしゃく 1]える「陸送りくそう転移てんい」がすすめられた。山陽本線さんようほんせんなど一部いちぶ幹線かんせんでは輸送ゆそうりょく増強ぞうきょうさくはかられ、関門かんもんトンネル開通かいつうなどは陸送りくそう転移てんい促進そくしんした。陸送りくそうへの完全かんぜん転移てんいのぞめない場合ばあい一部いちぶ陸送りくそう転移てんいする「中継ちゅうけい輸送ゆそう」がられた。中継ちゅうけい輸送ゆそうれいとして、阪神はんしん地域ちいきにおいててき潜水せんすいかん襲撃しゅうげきけにくい日本海にほんかいがわ航路こうろ利用りようされたことがげられる[36]。これらの施策しさくにより国鉄こくてつ設備せつび酷使こくしされ、事故じこ多発たはつしていった。レール代表だいひょうされる、安全あんぜん安定あんてい輸送ゆそう必要ひつよう資材しざい不足ふそくした。

太平洋戦争たいへいようせんそうによる被害ひがい

編集へんしゅう

1944ねん昭和しょうわ19ねんまつ以降いこうになると、日本にっぽん本土ほんど空襲くうしゅう激化げきかしていった。1944ねん昭和しょうわ19ねん)10がつ、100B-29ひきいてサイパンとう着任ちゃくにんしたアメリカ陸軍りくぐん航空こうくうたいだい20空軍くうぐん 隷下れいかだい21ばくげき集団しゅうだん司令しれいかんヘイウッド・ハンセルじゅんしょうは、高々たかだかたび精密せいみつ爆撃ばくげきによる「ろくろく産業さんぎょう攻撃こうげきろんしゃであった。ろくとは東京とうきょう川崎かわさき横浜よこはま名古屋なごや大阪おおさか神戸こうべし、ろく産業さんぎょうとは鉄鋼てっこう航空機こうくうき造船ぞうせん港湾こうわん倉庫そうこボール・ベアリング電機でんきす。一方いっぽう、その後任こうにんとして1945ねん昭和しょうわ20ねん)1がつ20日はつかにグアムに着任ちゃくにんしたカーチス・ルメイ住宅じゅうたくふく焼夷弾しょういだん差別さべつ爆撃ばくげき論者ろんしゃであり、攻撃こうげき対象たいしょう全国ぜんこく都市とし拡大かくだいした。

太平洋戦争たいへいようせんそうによる国鉄こくてつ車両しゃりょう損害そんがい[37]
項目こうもく 損害そんがい 廃車はいしゃ ちゅうやぶ 小破しょうは 被害ひがいりつ
(%) [注釈ちゅうしゃく 2]
機関きかんしゃ 891 17 279 595 14
客車きゃくしゃ 2228 913 461 854 19
電車でんしゃ 563 361 36 166 26
貨車かしゃ 9557 2190 7367 8
合計ごうけい 13239 10

しかし、当時とうじ日本にっぽん国内こくない近代きんだいてき陸上りくじょう交通こうつう機関きかんとしては絶対ぜったいてき地位ちいめていた鉄道てつどうもうぐんとして明確めいかく攻撃こうげき対象たいしょうとすることはく、鉄道てつどうもうたいする組織そしきてき攻撃こうげきは1945ねん昭和しょうわ20ねん)8がつ15にち岩国いわくに機関きかんたいするばくげき最初さいしょにして最後さいごであった。なお、国鉄こくてつによって運用うんようされていた航路こうろについては日本にっぽん保有ほゆう船舶せんぱくけた壊滅かいめつてき損害そんがい同様どうようおおきな損害そんがいけ、いずれも切断せつだんされている。

このため、空襲くうしゅう周囲しゅうい市街地しがいちごとえき車庫しゃこなどの設備せつび焼失しょうしつしたり、洋上ようじょう航空こうくう母艦ぼかんから発進はっしんした艦上かんじょう機銃きじゅう掃射そうしゃ[注釈ちゅうしゃく 3]けた列車れっしゃなどがあったほかは、国鉄こくてつ輸送ゆそうもう完全かんぜん機能きのう不全ふぜんおちいることはかった。こうして、終戦しゅうせん国鉄こくてつ列車れっしゃ運行うんこうされつづけたのである。こういった事実じじつから、青木あおき慶一けいいちドイツぐんによる組織そしきてき輸送ゆそうもう要点ようてん攻撃こうげき対象たいしょうになった国々くにぐに事例じれいしめしたのち、(被害ひがいは)「ポーランドフランス足許あしもとにもおよばない」とべている。また、終戦しゅうせんまんしゅうこくドイツられたようなソ連それんぐんによる線路せんろふく設備せつびりもかった。

1966ねん昭和しょうわ41ねん)2がつ26にち参議院さんぎいん運輸うんゆ委員いいんかいにおいて公明党こうめいとう浅井あさいとおる議員ぎいん当時とうじ日本にっぽん国有こくゆう鉄道てつどう総裁そうさい石田いしだ礼助れいすけたいし「国鉄こくてつ戦争せんそう壊滅かいめつてき打撃だげきけたが、これにたいして、充分じゅうぶん復興ふっこう措置そちられたのか」と質問しつもんした。青木あおき慶一けいいちは「壊滅かいめつてき打撃だげきけた事実じじつがない」「日本にっぽん国鉄こくてつ輸送ゆそうりょく貧弱ひんじゃくである現状げんじょうを、その原因げんいんべいぐん乃至ないし米国べいこくるとしょうして、つみ米人べいじん転嫁てんかしようとしている」と批判ひはんしている[37]

服部はっとりたく四郎しろう著書ちょしょにおいてつぎのようにべている。

鉄道てつどう交通こうつうなながつ [注釈ちゅうしゃく 4] 以降いこうみなみ九州きゅうしゅう地区ちく昼間ひるま運行うんこう漸次ぜんじ困難こんなんとなり、また青函せいかん連絡れんらく切断せつだんされた以外いがいは、中小ちゅうしょう都市としばくげきともな一時いちじてき障害しょうがいのぞき、なお本土ほんど一貫いっかん運行うんこう維持いじすることができていた。べい空軍くうぐん鉄道てつどうたいする本格ほんかくてき攻撃こうげき延引えんいんしたことは、日本にっぽんのためにしん僥倖ぎょうこうであった。巨大きょだい本土ほんど決戦けっせん兵力へいりょくと、軍需ぐんじゅひん展開てんかいができたのも、戦時せんじ産業さんぎょう活動かつどう国民こくみん生活せいかつかろうじてささたのも、じつにそのためであった。戦後せんごになってからべいばくげき調査ちょうさだんは、べい空軍くうぐんのこの戦略せんりゃくてき過失かしつするど指摘してきしている。 — 服部はっとりたく四郎しろうだいいちしょう 本土ほんどにおける防空ぼうくう作戦さくせん」『だい東亜とうあ戦争せんそうぜん

運賃うんちん

編集へんしゅう

1928ねん昭和しょうわ3ねんごろさんとう旅客りょかく運賃うんちん以下いかであった。

官営かんえい鉄道てつどう さんとう旅客りょかく運賃うんちんひょう (1928ねん

歴代れきだい大臣だいじん

編集へんしゅう
  日本にっぽん
鉄道てつどう大臣だいじん
Minister of Railways
 
担当たんとう機関きかん鉄道てつどうしょう
任命にんめい天皇てんのう
根拠こんきょ法令ほうれい大日本帝国だいにっぽんていこく憲法けんぽう
創設そうせつ1920ねん6月12にち
初代しょだい元田もとだはじめ
廃止はいし1943ねん11月1にち

鉄道てつどう大臣だいじん(てつどうだいじん)は、鉄道てつどうかんする事業じぎょう所轄しょかつしていた国務大臣こくむだいじん鉄道てつどうしょうながであった。略称りゃくしょうてつしょう(てっしょう)。

歴代れきだい大臣だいじん一覧いちらん
だい 氏名しめい 内閣ないかく 在任ざいにん期間きかん
鉄道てつどう大臣だいじん
1 元田もとだはじめ 原内はらうちかく
高橋たかはし内閣ないかく
1920ねん5がつ15にち-1922ねん6月12にち
2 大木たいぼくとおよし 加藤かとう友三郎ともさぶろう内閣ないかく 1922ねん6がつ12にち-1923ねん9月2にち
3 山之内やまのうち一次かずつぐ だい2山本やまもと内閣ないかく 1923ねん9がつ2にち-1924ねん1がつ7にち
4 小松こまつ謙次郎けんじろう 清浦きようら内閣ないかく 1924ねん1がつ7にち-1924ねん6月11にち
5 仙石せんごくみつぐ 加藤かとう高明こうめい内閣ないかく
だい1若槻わかつき内閣ないかく
1924ねん6がつ11にち-1926ねん6月3にち
6 井上いのうえただし四郎しろう だい1若槻わかつき内閣ないかく 1926ねん6がつ3にち-1927ねん4がつ20日はつか
7 小川おがわ平吉へいきち 田中たなか義一ぎいち内閣ないかく 1927ねん4がつ20日はつか-1929ねん7がつ2にち
8 江木えぎつばさ 濱口はまぐち内閣ないかく
だい2若槻わかつき内閣ないかく
1929ねん7がつ2にち-1931ねん9がつ10日とおか
9 はらおさむ次郎じろう だい2若槻わかつき内閣ないかく 1931ねん9がつ10日とおか-1931ねん12月13にち
10 床次とこなみ竹二郎たけじろう いぬやしなえ内閣ないかく 1931ねん12月13にち-1932ねん5月26にち
11 三土みつち忠造ちゅうぞう 齋藤さいとう内閣ないかく 1932ねん5がつ26にち-1934ねん7がつ8にち
12 内田うちだ信也しんや 岡田おかだ内閣ないかく 1934ねん7がつ8にち-1936ねん3月9にち
13 前田まえだ米蔵よねぞう 廣田ひろた内閣ないかく 1936ねん3がつ9にち-1937ねん2がつ2にち
14 どう卓雄たくお 林内りんないかく 1937ねん2がつ2にち-1937ねん6月4にち
商工しょうこう大臣だいじん兼任けんにん
15 中島なかじま知久平ちくへい だい1近衛このえないかく 1937ねん6がつ4にち-1939ねん1がつ5にち
16 前田まえだ米蔵よねぞう 平沼ひらぬま内閣ないかく 1939ねん1がつ5にち-1939ねん8がつ30にち
17 永井ながい柳太郎りゅうたろう 阿部あべ内閣ないかく 1939ねん8がつ30にち-1939ねん11月29にち
18 永田ながた秀次郎ひでじろう 阿部あべ内閣ないかく 1939ねん11月29にち-1940ねん1がつ16にち
19 松野まつのづるひらた べい内内うちうちかく 1940ねん1がつ16にち-1940ねん7がつ22にち
20 村田むらたしょうぞう だい2近衛このえないかく 1940ねん7がつ22にち-1940ねん9がつ28にち
21 小川おがわごう太郎たろう だい2近衛このえないかく 1940ねん9がつ28にち-1941ねん7がつ18にち
22 村田むらたしょうぞう だい3近衛このえないかく 1941ねん7がつ18にち-1941ねん10月18にち
23 寺島てらしまけん 東条とうじょう内閣ないかく 1941ねん10がつ18にち-1941ねん12月2にち
逓信ていしん大臣だいじん兼任けんにん
24 八田はった嘉明よしあき 東条とうじょう内閣ないかく 1941ねん12月2にち-1943ねん11月1にち
逓信ていしん大臣だいじん兼任けんにん

鉄道てつどう次官じかん

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鉄道てつどう部門ぶもん幹部かんぶ

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局長きょくちょう一覧いちらん
運輸うんゆ局長きょくちょう
だい 氏名しめい 在任ざいにん期間きかん
1 中川なかがわただしひだり 1920ねん5がつ15にち-1923ねん9月8にち
2 玉橋たまはし一三かずみ 1923ねん9がつ8にち-1923ねん10月27にち
3 村井むらい二郎じろうきち 1923ねん10がつ27にち-1924ねん12月3にち
4 種田たねた虎雄とらお 1924ねん12月3にち-1927ねん5月16にち
5 かけい正太郎しょうたろう 1927ねん5がつ16にち-1929ねん7がつ12にち
6 久保田くぼた敬一けいいち 1929ねん7がつ12にち-1931ねん9月12にち
7 中山なかやま隆吉りゅうきち 1931ねん9がつ12にち-1932ねん1がつ20日はつか
8 日浅ひあさひろし 1932ねん1がつ20日はつか-1934ねん6月1にち
9 前田まえだみのる 1934ねん6がつ1にち-1934ねん8がつ4にち
10 新井あらい堯爾 1934ねん8がつ4にち-1937ねん7がつ14にち
11 山田やまだしん十郎じゅうろう 1937ねん7がつ14にち-1939ねん7がつ24にち
12 長崎ながさき惣之助そうのすけ 1939ねん7がつ24にち-1941ねん12月23にち
13 堀木ほりきがまさん 1941ねん12月23にち-1942ねん11月1にち
監督かんとく局長きょくちょう
だい 氏名しめい 在任ざいにん期間きかん
1 佐竹さたけさんわれ 1920ねん5がつ15にち-1920ねん8がつ26にち
2 井出いでしげる三郎さぶろう 1920ねん8がつ26にち-1923ねん9がつ10日とおか
3 伊藤いとう常夫つねお 1923ねん9がつ10日とおか-1923ねん10月27にち
4 岡田おかだいち 1923ねん10がつ27にち-1924ねん5月16にち
5 かけい正太郎しょうたろう 1924ねん5がつ16にち-1926ねん6月15にち
6 斎藤さいとうしん 1926ねん6がつ15にち-1927ねん5月16にち
7 ぶくとみ正男まさお 1927ねん5がつ16にち-1929ねん7がつ12にち
8 丹羽にわたけしあさ 1929ねん7がつ12にち-1931ねん9月12にち
9 喜安きやす健次郎けんじろう 1931ねん9がつ12にち-1934ねん8がつ4にち
10 前田まえだみのる 1934ねん8がつ4にち-1937ねん7がつ14にち
11 鈴木すずき清秀きよひで 1937ねん7がつ14にち-1940ねん8がつ6にち
12 大山おおやま秀雄ひでお 1940ねん8がつ6にち-1941ねん12月23にち
13 佐藤さとう栄作えいさく 1941ねん12月23にち-1942ねん11月1にち
監理かんり局長きょくちょう
1 佐藤さとう栄作えいさく 1942ねん11月1にち-1944ねん10月31にち

鉄道てつどう部門ぶもん幹部かんぶ鉄道てつどうしょう以前いぜん

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こうしょう
  • 鉄道てつどうあたま
    • 兼務けんむ井上いのうえまさる:明治めいじ4ねん8がつ15にち(1871ねん9がつ29にち) - 明治めいじ5ねん7がつ4にち(1872ねん8がつ7にち
    • 代理だいり井上いのうえまさる:明治めいじ5ねん7がつ4にち(1872ねん8がつ7にち) - 1873ねん7がつ22にち
    • 太田おおたせい:1873ねん7がつ22にち - 1874ねん1がつ10日とおか
    • 井上いのうえまさる:1874ねん1がつ10日とおか - 1877ねん1がつ19にち
  • 鉄道てつどう局長きょくちょう
    • 井上いのうえまさる:1877ねん1がつ19にち - 1885ねん12月28にち
内閣ないかく
  • 鉄道てつどうきょく長官ちょうかん
    • 井上いのうえまさる:1885ねん12月28にち - 1890ねん9がつ6にち
内務省ないむしょう逓信ていしんしょう
  • 鉄道てつどうちょう長官ちょうかん
  • 鉄道てつどう局長きょくちょう
    • 兼務けんむまつ本荘ほんじょう一郎いちろう:1893ねん11がつ10日とおか - 1897ねん8がつ18にち
逓信ていしんしょう
  • 逓信ていしんしょう鉄道てつどう局長きょくちょう
  • 鉄道てつどう作業さぎょうきょく長官ちょうかん
    • まつ本荘ほんじょう一郎いちろう:1897ねん8がつ18にち - 1900ねん6がつ1にち
    • 心得こころえ鈴木すずきだいあきら:1897ねん8がつ18にち - 10月2にち
    • 心得こころえ古市ふるいちこうたけし:1900ねん7がつ23にち - 10月8にち
    • 代理だいり平井ひらいはれ二郎じろう:1900ねん10がつ8にち - 1901ねん2がつ18にち
    • まつ本荘ほんじょう一郎いちろう:1900ねん10がつ2にち - 1903ねん3がつ19にち死去しきょ
    • 心得こころえ平井ひらいはれ二郎じろう:1903ねん3がつ20日はつか - 1903ねん3がつ31にち
    • 古市ふるいちこうたけし:1903ねん3がつ31にち - 1903ねん12月28にち
    • 心得こころえ平井ひらいはれ二郎じろう:1903ねん12月28にち - 1904ねん10がつ10日とおか
    • 兼務けんむ平井ひらいはれ二郎じろう:1904ねん10がつ10日とおか - 1907ねん4がつ1にち
帝国ていこく鉄道てつどうちょう

鉄道てつどう作業さぎょうきょく改組かいそ

  • 総裁そうさい
    • 平井ひらいはれ二郎じろう:1907ねん4がつ1にち - 1908ねん12月5にち
  • ふく総裁そうさい
    • 兼務けんむ山之内やまのうち一次かずつぐ:1907ねん4がつ1にち - 1908ねん12月5にち
鉄道てつどういん

逓信ていしんしょう鉄道てつどうきょく帝国ていこく鉄道てつどうちょう統合とうごう

脚注きゃくちゅう

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注釈ちゅうしゃく

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  1. ^ 当時とうじ道路どうろ整備せいびすすんでおらず、また自動車じどうしゃ性能せいのう信頼しんらいせいひくく、石油せきゆ貴重きちょうであったことから、自動車じどうしゃによる水運すいうん代替だいたい不可能ふかのうであり、長距離ちょうきょり大量たいりょう輸送ゆそう実質じっしつてき鉄道てつどうのみがになっていた
  2. ^ 保有ほゆう車両しゃりょうたいする
  3. ^ 代表だいひょうれいとしては下記かき
    はなトンネル列車れっしゃ銃撃じゅうげき事件じけん
    大山口おおやまぐち列車れっしゃ空襲くうしゅう
    筑紫つくしえき列車れっしゃ空襲くうしゅう事件じけん
    那賀川なかがわ鉄橋てっきょう空襲くうしゅう
  4. ^ 1945ねん昭和しょうわ20ねん)7がつす。

出典しゅってん

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  1. ^ a b c 内閣ないかく鉄道てつどうしょう官制かんせいていム(みことのりれい144ごう国立こくりつ公文書こうぶんしょかんデジタルアーカイブ、1920ねん5がつ15にちるい01341100https://www.digital.archives.go.jp/item/1680416 
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v 鉄道てつどうきょく鉄道てつどう主要しゅよう年表ねんぴょう』(レポート)国土こくど交通省こうつうしょう、2012ねん11月1にちhttps://www.mlit.go.jp/tetudo/tetudo_fr1_000037.html 
  3. ^ a b 組織そしき 施設しせつ建設けんせつ組織そしき変遷へんせん』130ぺーじ
  4. ^ a b 組織そしき 施設しせつ建設けんせつ組織そしき変遷へんせん』113ぺーじ
  5. ^ a b 組織そしき 施設しせつ建設けんせつ組織そしき変遷へんせん』114ぺーじ
  6. ^ 組織そしき 施設しせつ建設けんせつ組織そしき変遷へんせん』115ぺーじ
  7. ^ 日本にっぽん鉄道てつどう じょうへん』53-54ぺーじ
  8. ^ a b 組織そしき 施設しせつ建設けんせつ組織そしき変遷へんせん』117ぺーじ
  9. ^ a b 組織そしき 施設しせつ建設けんせつ組織そしき変遷へんせん』119ぺーじ
  10. ^ a b 組織そしき 施設しせつ建設けんせつ組織そしき変遷へんせん』120ぺーじ
  11. ^ a b 組織そしき 施設しせつ建設けんせつ組織そしき変遷へんせん』121ぺーじ
  12. ^ a b 組織そしき 施設しせつ建設けんせつ組織そしき変遷へんせん』122ぺーじ
  13. ^ 組織そしき 施設しせつ建設けんせつ組織そしき変遷へんせん』124ぺーじ
  14. ^ a b 組織そしき 施設しせつ建設けんせつ組織そしき変遷へんせん』125ぺーじ
  15. ^ 組織そしき 施設しせつ建設けんせつ組織そしき変遷へんせん』126ぺーじ
  16. ^ 帝国ていこく陸軍りくぐん管理かんり海軍かいぐん管理かんりおよ帝国ていこく鉄道てつどう管理かんりかかいち時限じげん支出ししゅつ支弁しべんなみ帝国ていこく要塞ようさい建築けんちく資金しきんより受領じゅりょうせる前払まえばらいきんいち補填ほてんのため募集ぼしゅうすべき国債こくさいかんする法律ほうりつ」『独逸どいつ陸軍りくぐん経理けいり大要たいよう』。陸軍りくぐんしょう経理けいりきょく、1894ねん。89ページ。doi:10.11501/843735
  17. ^ 公使館こうしかん領事館りょうじかん報告ほうこく アンウェルス市街しがい鉄道てつどう』、官報かんぽう本号ほんごう5422ごう、1901ねん7がつ30にち。なお買収ばいしゅうがくは、買収ばいしゅう直前ちょくぜんの5年間ねんかんもっとこうきょうな3年間ねんかん平均へいきんじゅん収入しゅうにゅう(これはそう収入しゅうにゅうの5わり以上いじょうである必要ひつようがある)を115 - 125 %にしたがくで、会社かいしゃ事業じぎょう譲渡じょうとのち認可にんか期限きげん終了しゅうりょういたるまで毎年まいとしこくから同額どうがく支払しはらわれることになり、はや譲渡じょうとするほど割増わりましりつたかい。報告ほうこくにはまた、どう鉄道てつどうの「みなみ停車場ていしゃじょう」を利用りようしていた日本郵船にっぽんゆうせんについての言及げんきゅうもある。
  18. ^ 帝国ていこく鉄道てつどう会計かいけいほう』(明治めいじ39ねん4がつ11にち法律ほうりつだい37ごう)。官報かんぽう施行しこう期日きじつ1907ねん4がつ1にち
  19. ^ 鉄道てつどういん業務ぎょうむ調査ちょうさ会議かいぎ過熱かねつ機関きかんしゃ形式けいしき選定せんていかんする調査ちょうさ国立こくりつ公文書こうぶんしょかんデジタルアーカイブ、1909ねん鉄道てつどうおよ事業じぎょう買収ばいしゅう価額かがくひょうhttps://www.digital.archives.go.jp/img/3565918 
  20. ^ 帝国ていこく鉄道てつどう会計かいけいほう』(明治めいじ42ねん3がつ22にち法律ほうりつだい6ごう
  21. ^ 官報かんぽう』、1909ねん3がつ22にち
  22. ^ 官報かんぽう』、1909ねん3がつ22にち
  23. ^ 鉄道てつどういん新制しんせい発布はっぷじゅうさんにち官報かんぽうにて官制かんせい時事新報じじしんぽう、1915ねん6がつ24にちづけ
  24. ^ 鉄道てつどういん告示こくじだい49・50」『官報かんぽう』1915ねん6がつ23にち国立こくりつ国会図書館こっかいとしょかんデジタルコレクション)
  25. ^ 鉄道てつどういん官制かんせい改正かいせい五月ごがついちにち実施じっし中外ちゅうがい商業しょうぎょう新報しんぽう、1919ねん4がつ21にちづけ
  26. ^ 鉄道てつどうしょう鉄道てつどういん拡張かくちょうあん大阪毎日新聞おおさかまいにちしんぶん、1919ねん4がつ25にちづけ
  27. ^ 鉄道てつどうしょう政党せいとううえなかした)」報知ほうち新聞しんぶん、1920ねん9がつ3 - 5にちづけ
  28. ^ とうしゅうたつぷりの鉄道てつどうしんせん計画けいかく政友せいゆうかいせん廿にじゅうはちせん筆頭ひっとうに・年度ねんどくり断行だんこう東京とうきょう朝日新聞あさひしんぶん、1927ねん12月15にちづけ
  29. ^ 全国ぜんこくさんじゅうななヶ所かしょ鉄道てつどう運輸うんゆ委員いいんかい設置せっち官民かんみん双方そうほうから委員いいん選任せんにんする」大阪おおさか朝日新聞あさひしんぶん、1927ねん1がつ11にちづけ
  30. ^ 鉄道てつどうしょう英断えいだん運送うんそう規則きそく大改革だいかいかく杓子定規しゃくしじょうぎをやめてひたすらお客様きゃくさま本位ほんいに」中外ちゅうがい商業しょうぎょう新報しんぽう、1932ねん4がつ8にちづけ
  31. ^ 乗客じょうきゃくだいいち主義しゅぎ鉄道てつどうしょうだい英断えいだん途中とちゅう下車げしゃ制限せいげん賃銀ちんぎんはらえもど学生がくせい団体だんたい割引わりびき変更へんこうなど・なながついちにちから実施じっし神戸こうべ新聞しんぶん、1932ねん3がつ19にちづけ
  32. ^ 汐留しおどめ梅田うめだあいだをブツばす・宅扱たくあつかい貨物かもつ弾丸だんがん列車れっしゃ新設しんせつ中外ちゅうがい商業しょうぎょう新報しんぽう、1937ねん1がつ18にちづけ
  33. ^ かく鉄道てつどうきょくべつだい規模きぼ交通こうつう協議きょうぎかい軍部ぐんぶ官民かんみん網羅もうら現在げんざい運輸うんゆ委員いいんかい廃止はいし大阪毎日新聞おおさかまいにちしんぶん、1935ねん11月23にちづけ
  34. ^ うち・鮮・みつるささえ連絡れんらく貨物かもつ運送うんそう規定きていまんしゅう日日ひび新聞しんぶん、1938ねん10がつ2にちづけ
  35. ^ 保線ほせん運輸うんゆ統合とうごう部課ぶかだい縮減しゅくげん鉄道てつどうきょく規程きてい改正かいせい明後日みょうごにちから実施じっし大阪毎日新聞おおさかまいにちしんぶん、1942ねん9がつ9にちづけ
  36. ^ 古川ふるかわ由美子ゆみこだいしょう 陸送りくそう転移てんいアジア・太平洋戦争たいへいようせんそうちゅう日本にっぽん海上かいじょう輸送ゆそうりょく増強ぞうきょうさく一橋大学ひとつばしだいがく大学院だいがくいん経済けいざいがく研究けんきゅう 2004年度ねんど査読さどく結果けっか
  37. ^ a b 空襲くうしゅうによる損害そんがいについては青木あおき慶一けいいち国鉄こくてつ運賃うんちん問題もんだいいち考察こうさつ」『政策せいさく月報げっぽう』1966ねん4がつ 自由民主党じゆうみんしゅとう
    どう記事きじでは損害そんがい一覧いちらんを『今次こんじ戦争せんそうによる国富こくふ被害ひがい算定さんてい方法ほうほう経済けいざい安定あんてい本部ほんぶ 1947ねんより引用いんようしている。なお、石田いしだ占領せんりょうぐん自動車じどうしゃ優先ゆうせん政策せいさく日本にっぽん強要きょうようしたむね答弁とうべんしたため、青木あおきはそのてん事実じじつではいとして石田いしだ批判ひはんしている。

参考さんこう文献ぶんけん

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  • 鉄道てつどうしょう へん日本にっぽん鉄道てつどう じょうへん鉄道てつどうしょう、1921ねんdoi:10.11501/2127152 
  • だいいち東京とうきょう工事こうじきょく組織そしき 施設しせつ建設けんせつ組織そしき変遷へんせん」『ひがしこう』37(147)(特集とくしゅうごう)、日本にっぽん国有こくゆう鉄道てつどう、1987ねん1がつ、111-167ぺーじdoi:10.11501/2358853 
  • はたいく へん日本にっぽん官僚かんりょうせい総合そうごう事典じてん:1868 - 2000』東京大学とうきょうだいがく出版しゅっぱんかい、2001ねん 

関連かんれん項目こうもく

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外部がいぶリンク

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