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キュビスム

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キュービズムから転送てんそう
フアン・グリス『ピカソの肖像しょうぞう』(1912,油彩ゆさい)

キュビスムふつ: Cubisme; えい: Cubismキュビズムキュービズム」、立体りったい)は、20世紀せいき初頭しょとうパブロ・ピカソジョルジュ・ブラックによって創始そうしされ、おおくの追随ついずいしゃんだ現代げんだい美術びじゅつおおきな動向どうこうである。多様たよう角度かくどからものかたちひとつの画面がめんおさめるなど、様々さまざま視覚しかくてき実験じっけんすすめた。

歴史れきし[編集へんしゅう]

キュビスムの出発しゅっぱつてんは、ピカソが1907ねんあきえがげた『アビニヨンのむすめたち』(Les demoiselles d’Avignon)である[1]。このをピカソはごく一部いちぶ友人ゆうじんにだけせたが、反応はんのうかんばしいものではなかった。アンリ・マティスはらて、ブラックは「さん食事しょくじあさクズとパラフィンせいになるとわれたようものだ」とい、アンドレ・ドランはピカソがそのうちくびるのではないかと心配しんぱいしたという。

しかしブラックはピカソの仕事しごと重要じゅうようせいにすぐにづき、ひそかに『おおきな裸婦らふ』(1908ねん)をえがいてそのあとをった。またポール・セザンヌゆかりのエスタック地方ちほうたびし、『エスタックのいえ』をはじめとする7てんの「セザンヌてきキュビスム」の風景ふうけいえがき、1908ねんあきダニエル=ヘンリー・カーンワイラー画廊がろう公開こうかいした[1]。これを批評ひひょうルイ・ヴォークセル英語えいごばんが『ジル・ブラス紙上しじょうで「ブラックは一切いっさい立方体りっぽうたい(キューブ)に還元かんげんする」といた。これがキュビスムのこりとわれている。もっともこの言葉ことばは、サロン・ドートンヌ審査しんさせきでマティスがさき使つかっている(ブラックはこの展覧てんらんかいに7てん作品さくひんんだが5てん展示てんじ拒否きょひされ、これを不服ふふくとしてぜん作品さくひんげている)。「キュビスト」という言葉ことば1909ねんの『フィガロ』初出しょしゅつである。

よく1909ねんからピカソとブラックは共同きょうどうでキュビスム追究ついきゅうはじめた。1911ねんごろの作品さくひんはどちらに帰属きぞくするのか判別はんべつしがたいほどよくている。このころ、ふたりはフランス国内こくないにおいては、カーンヴァイラーの画廊がろうをのぞいて、ほとんど作品さくひん公開こうかいしていない(国外こくがい展示てんじかいでは展示てんじ機会きかいおおいことには注意ちゅうい必要ひつよう)。ピカソとブラックの共同きょうどう作業さぎょうは、ブラックがだいいち世界せかい大戦たいせんでフランス陸軍りくぐん召集しょうしゅうされる1914ねんまでつづいた。

キュビスムがはじめてられることになった契機けいきは、1911ねんだい27かいアンデパンダンてんである。ピカソとブラックの仕事しごとからも影響えいきょうけながら独自どくじ表現ひょうげん模索もさくしていたピュトー・グループ画家がかたちが会場かいじょう一室いっしつ占拠せんきょし、キュビスムの一大いちだいデモンストレーションをおこなった[1]観衆かんしゅうはそれらの「みにく作品さくひん」を衝撃しょうげきけ、口々くちぐち非難ひなんびせた。参加さんかした画家がかアンリ・ル・フォーコニエロベール・ドローネー、マルセル・デュシャンなど。デュシャンは『自転車じてんしゃ車輪しゃりん』などのレディ・メイドダダイスム先駆せんくしゃとなる。

ル・コルビュジエ(シャルル・エドゥアール・ジャンヌレ)とアメデエ・オザンファンによる『キュビスム以降いこう』 (Après le Cubisme) は、1918ねん刊行かんこうされている。

フランス語ふらんすごではキュビスム (cubisme) と、「ス」がんだ発音はつおんであるが、英語えいごではキュービズム(キュービズム) (cubism) と、「ズ」とにごった発音はつおんになる。日本語にほんごでは、「立体りったい」とやくされ、現在げんざいでも一部いちぶ文献ぶんけんたとえば、高校こうこう世界せかい教科書きょうかしょなど)ではこのわけもちいられている。しかし、正確せいかくやくすのであれば、「立方体りっぽうたい」とすべきであり、このことから「立体りったい」というかた誤解ごかいむのでけるべきであるという意見いけんがある。しかし、語源ごげんそくすのではなく、平面へいめんをしないという趣旨しゅしそくすのが妥当だとうであり、そのためには平面へいめんたいするに立方体りっぽうたいとするのではなく、立方体りっぽうたいふくめた立体りったい全体ぜんたいえるのでよい。

  • 特徴とくちょう影響えいきょう
  1. ルネサンス以来いらいの「単一たんいつ焦点しょうてんによる遠近えんきんほう」の放棄ほうき(すなわち、複数ふくすう視点してんによる対象たいしょう把握はあく画面がめんじょうさい構成こうせい
  2. 形態けいたいじょう極端きょくたん解体かいたい幾何きかがく抽象ちゅうしょう
  3. セザンヌの構成こうせいてき筆触ひっしょくしん印象いんしょう主義しゅぎ筆触ひっしょく分割ぶんかつ実験じっけんてき応用おうよう

おも特徴とくちょうとする。フォーヴィスム色彩しきさいによる革命かくめいであるのにたいして、キュビスムはせんによる革命かくめいである、といういいかたをされることもあるが、実際じっさいにはフォーヴィスムの革命かくめいもキュビスムの革命かくめいもそうしたいちめんせいからだけではとらえることはできない。

プラハのキュビズム建築けんちく

キュビスムの美術びじゅつ分野ぶんやにおける影響えいきょうおおきく、絵画かいがにとどまらず、彫刻ちょうこくデザイン建築けんちく写真しゃしんにまでその影響えいきょうおよんでいる。とくに、未来みらいロシア構成こうせい主義しゅぎ抽象ちゅうしょう絵画かいがへの影響えいきょうおおきい。また、パピエ・コレ (papier collé) やコラージュ (collage)は、コンストラクション(construction)やアッサンブラージュ (assemblage)といった立体りったい作品さくひん へとつながっていく。

難解なんかい理論りろんは、一般いっぱんには理解りかいされがたいものだったものの、フランス内外ないがいおおくの芸術げいじゅつたちの関心かんしん合致がっちするところがあり、キュビスムの様々さまざま芸術げいじゅつ動向どうこうからインスピレーションを作品さくひん制作せいさくする芸術げいじゅつおおくいた。なお、キュビスムの経験けいけんはピカソ自身じしんにとってもおおきく、「キュビスムの時代じだい」をえたあともしばしばピカソの作品さくひんなかにキュビスムてき技法ぎほう使用しようされている。ピカソもブラックも、キュビスムから抽象ちゅうしょうかうことはなく、具象ぐしょうにとどまった。

おも作家さっか[編集へんしゅう]

フランス
日本にっぽん
中国ちゅうごく

時代じだい区分くぶん[編集へんしゅう]

以下いか時代じだい区分くぶんは、ピカソとブラックのキュビスムについてであり、その作家さっかたちについてはかならずしもあてはまらない。またピカソやブラックとどう時代じだい存在そんざいした区分くぶんではなく、後世こうせい批評ひひょう美術びじゅつ史家しかさだめた区分くぶんである。

プロトキュビスム英語えいごばん(Proto Cubism)
『アヴィニョンのむすめたち』以降いこう、ピカソとブラックの作品さくひんは、人物じんぶつ静物せいぶつ風景ふうけいのいかんにかかわらず、立方体りっぽうたいのような単純たんじゅんかたち還元かんげんされてゆく。この時期じきえがかれたとく風景ふうけい)はセザンヌてきであるので、セザンヌてきキュビスムということがある。ちなみにこの時期じきつぎの「分析ぶんせきてきキュビスム」にふくめるかんがかたもある。
分析ぶんせきてきキュビスムフランス語ふらんすごばん (Analytical Cubism)
1909ねんなつごろ以降いこう対象たいしょう分析ぶんせき解体かいたいすすみ、作品さくひん平面へいめんちかづく。なにえがかれているか判別はんべつがつきにくいという意味いみでは、もっと難解なんかい時期じきといえる。代表だいひょうさくとしては、「ウーデの肖像しょうぞう」(1910ねん)、「カーンワイラーの肖像しょうぞう」(1910ねん)(いずれもピカソ)がある。
総合そうごうてきキュビスムフランス語ふらんすごばん(Synthetic Cubism)
1912ねんはるごろ以降いこう形態けいたい分析ぶんせき解体かいたい一段落いちだんらくし、わりに平面へいめんてき部分ぶぶん構築こうちくする技法ぎほうもちいられはじめる。この時期じき特徴とくちょうとしてげられるのはパピエ・コレ、文字もじ導入どうにゅう、シェイプト・キャンバス、色彩しきさい復活ふっかつである。

キュビスムと写真しゃしん[編集へんしゅう]

キュビスムは写真しゃしんたいしてもおおきな影響えいきょうあたえているが、未来みらいダダシュルレアリスムのように、キュビストそのものが、キュビスムてき写真しゃしん作品さくひんのこしているということはまずない。たとえば、ピカソが、写真しゃしん作品さくひんおお制作せいさくしているのは有名ゆうめいだが、キュビスムの写真しゃしん作品さくひんべるようなものではない。

一般いっぱんに、「キュビスムの写真しゃしん」とばれるような作品さくひんは、キュビスムの影響えいきょうけた作品さくひんのことで、人物じんぶつ風景ふうけい自然しぜんのもの、人工じんこうてきなものをわず)とう撮影さつえいしていながら、ひかりかげ対比たいひ幾何きかがくてき形態けいたい(まる、三角さんかく四角よつかど水平すいへいせん垂直すいちょくせん対角線たいかくせんなど)の重視じゅうし対称たいしょう構成こうせいてき配置はいちとうに、つよ特徴とくちょうをもった作品さくひんであり、構成こうせい主義しゅぎてき写真しゃしんへと直結ちょっけつするような位置いちにある。キュビスムの写真しゃしんへの影響えいきょうは、むしろ、ストレートフォトグラフィにおいて、顕著けんちょだといわれることがおおいようであるが、実際じっさいにはそれにとどまらず、ピクトリアリスム未来みらい、ダダ、シュルレアリスムそれぞれの写真しゃしん作品さくひんにもそのあとることができ、いわゆる「バウハウス写真しゃしん」にもおおきな影響えいきょうあたえている。

この範疇はんちゅうふくまれる具体ぐたいてき写真しゃしんとしては、ヨーロッパでは、アンドレ・ケルテスアレクサンドル・ロトチェンコフランティセック・ドルティコルなど、アメリカでは、ベレニス・アボットイモージン・カニンガムエドワード・ウェストンポール・アウターブリッジ・ジュニアポール・ストランドなど、日本にっぽんでは淵上ふちがみはくよう中心ちゅうしんとしたいわゆる「構成こうせい」の写真しゃしんたち(松尾まつおざいろう高田たかだみなよし英語えいごばんさかあつし西にし亀久かめひさなど)がげられる。とく日本にっぽんでは、静物せいぶつでも人物じんぶつぞうでも、たんなる影響えいきょうにとどまらず、「キュビスムそのもの」というような作品さくひんすらあり、また、くろしろ効果こうかてき使つかかた顕著けんちょられる。

関連かんれん分野ぶんや[編集へんしゅう]

1910年代ねんだい前半ぜんはんのレジェのキュビスムの作品さくひんを、チュビスムとぶことがある。とく人物じんぶつにおいて、チューブじょう物体ぶったい解体かいたいされた作品さくひんおおく、ルイ・ヴォークセルがレジェの作品さくひんて、それらの作品さくひんに「チューブ」のような形態けいたい見出みいだしたことが、この由来ゆらいとなっている。
キュビスムの影響えいきょうけて、1913ねんに、パリにおいて、スタントン・マクドナルド=ライト英語えいごばん1890ねん - 1973ねん)とモーガン・ラッセル英語えいごばん1886ねん - 1953ねん)の2人ふたりのアメリカじんにより主張しゅちょうされた絵画かいが形式けいしき基本きほんてきにはキュビスムの影響えいきょうにより抽象ちゅうしょうせいした作品さくひんだが、色彩しきさいゆたかな作品さくひんで、オルフィスムちかい。抽象ちゅうしょうせい徹底てっていしている作品さくひんばかりではなく、再現さいげんてき作品さくひんもあり、そのてんでも、オルフィスムにちかい。短命たんめいであり、1918ねんごろには、ほとんど具象ぐしょう作品さくひん回帰かいきした。やはりパリにいた、パトリック・ヘンリー・ブルース1880ねん - 1937ねん)の作品さくひんふくめてかんがえる場合ばあいもある。また、シンクロミズム自体じたいを、オルフィスムにふくめてしまうかんがかたもある。

  • ニール・コックス(田中たなか正之まさゆきやく)『キュビスム(岩波いわなみ世界せかい美術びじゅつ)』(岩波書店いわなみしょてん、2003)ISBN 4000089714

ISBN 4805502339

参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]

  • John Pultz and Catherine B. Scallen, Cubism and American photography 1910-1930, The Sterling and Francine Clark Art Institute, 1984. ISBN 0931103045
  • 秋山あきやまさとし田中たなか正之まさゆき へん西洋せいよう美術びじゅつ美術びじゅつ出版しゅっぱんしゃ、2021ねん 
  • モーリス・セリュラス ちょ西沢にしざわ信弥しんや やく『キュビスム』文庫ぶんこクセジュ、1964ねん 

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]

  1. ^ a b c 秋山あきやま田中たなか 2021, p. 108-109.