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クラフトワーク

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
クラフトワーク
KRAFTWERK
えいロンドン公演こうえん(2017ねん
基本きほん情報じょうほう
出身しゅっしん ドイツの旗 ドイツ
ノルトライン=ヴェストファーレンしゅうデュッセルドルフ
ジャンル 電子でんし音楽おんがく
前衛ぜんえい音楽おんがく
シンセポップ
テクノポップ
クラウトロック
ニューウェイヴ
プログレッシブ・ロック
エクスペリメンタル・ロック
活動かつどう期間きかん 1970ねん - 現在げんざい
レーベル KLING KLANGドイツばん
パーロフォン
EMI
Astralwerks
キャピトル
マーキュリー・レコード
ヴァーティゴ
フィリップス
事務所じむしょ KLING KLANG
共同きょうどう作業さぎょうしゃ コニー・プランク
アルバムプロデューサー
エーミール・シュルトドイツばん
作詞さくしイラストレーション
フランソワ・キヴォーキアン英語えいごばん
ミックスプロデューサー
ウィリアム・オービット英語えいごばん
(ミックスプロデューサー)
公式こうしきサイト
メンバー ラルフ・ヒュッター
ヴォイスシンセサイザーキーボード
ヘニング・シュミッツ
(キーボード、サウンド・エフェクト)
ファルク・グリーフェンハーゲン
電子でんしドラム
ゲオルク・ボンガルツ
(ビデオオペレーター)
きゅうメンバー フローリアン・シュナイダー
(ヴォイス、シンセサイザー、フルート
カール・バルトス
電子でんしドラム、キーボード、ヴォイス)
ヴォルフガング・フリューアドイツばん
電子でんしドラム)
フェルナンド・アブランテス
電子でんしドラム、キーボード)
クラウス・レーダードイツばん
エレクトリック・ヴァイオリン、ギター)
ミヒャエル・ローター
エレキギター
クラウス・ディンガードイツばん
ドラム
シュテファン・プファフェフランス語ふらんすごばん
(ビデオオペレーター)
フリッツ・ヒルパートドイツばん
電子でんしドラム
クラシック音楽おんがく
カールハインツ・シュトックハウゼン
タンジェリン・ドリーム
ビーチ・ボーイズ
シルバー・アップルズなど

クラフトワークどく: Kraftwerk ドイツ発音はつおん[ˈkʀaftvɛʁk] クラフトヴェルククラフトヴェァク発電はつでんしょ(Power Plant)の)は、ドイツ電子でんし音楽おんがくグループ[ちゅう 1]

クラウトロック代表だいひょうかくであり、テクノポップ開拓かいたくした先駆せんくしゃとしてられる。同系どうけい音楽おんがく多大ただい影響えいきょうあた[ちゅう 2]、メディアからは「エレクトロニック・ダンス・ミュージックビートルズ (the Beatles Of Electronic Dance Music)」ともひょうされた[1]

2014ねん2015ねん2018ねんに「グラミーしょう」を受賞じゅしょう2021ねんロックの殿堂でんどうり。

来歴らいれき

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結成けっせい初期しょき

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1960年代ねんだいなかば、西にしドイツデュッセルドルフ近郊きんこう レムシャイト芸術げいじゅつアカデミーでクラシック音楽おんがく教育きょういくけていたラルフ・ヒュッターフローリアン・シュナイダーがデュッセルドルフ音楽おんがくいん即興そっきょう音楽おんがくクラスで出会であ[ちゅう 3]、インダストリアル・ミュージックへの関心かんしんからジャム・プロジェクトOrganisationひとし[ちゅう 4]1970ねん結成けっせいする。

当時とうじえいまいによってもたらされた文化ぶんか音楽おんがく安易あんいまることをしとしなかったクラウトロック(ジャーマン・ロック)のいちグループであったかれらは、戦後せんごそだちのドイツじんとしての自覚じかく[ちゅう 5][ちゅう 6]つよっており、ケルン出身しゅっしんのバンド、カンとも親交しんこうがあった(カンのはつ公演こうえんはクラフトワークの楽器がっきりておこなわれた[2])。ひがしドイツのデューナモ・ドレスデン(ドレスデンの発電はつでん)というサッカークラブの名前なまえ触発しょくはつされグループめい[3]もあくまでドイツ[ちゅう 7]表現ひょうげんしている。リズム・マシンやオルガン、電気でんきフルートとう使つかったかれ初期しょきのインダストリアルで即興そっきょう実験じっけんてき作風さくふう[ちゅう 8]バズコックススージー・アンド・ザ・バンシーズ にも影響えいきょうあたえた[4]当時とうじおも演奏えんそう会場かいじょう大学だいがく美術館びじゅつかん[ちゅう 9]などであった。

幾度いくどかのメンバーチェンジをるも、結局けっきょくラルフとフローリアンが中心ちゅうしんになり3まいのアルバムを制作せいさくする。アルバムジャケットのデザインをみずか手掛てがけるほか楽器がっき改造かいぞう開発かいはつ[ちゅう 10]ひとし、グループ初期しょきから現在げんざいいたるまでのDIY精神せいしんはこのグループをじょうかせない特徴とくちょうえる。

この時期じきのメンバーで、脱退だったいしたクラウス・ディンガーミヒャエル・ローターつづけて加入かにゅうするヴォルフガング・フリューア[ちゅう 11]以前いぜんおなじバンドのメンバーであった)はのクラフトワークとはべつ方向ほうこうせいおな工業こうぎょう都市としデュッセルドルフのいちめん表現ひょうげんしクラウトロックを代表だいひょうするグループのひとつとなるノイ!結成けっせいすることになる。この時代じだい楽曲がっきょくは70年代ねんだいなかばをぎてからはまった演奏えんそうされなくなり、正規せいきばんのCDも存在そんざいしない[ちゅう 12]

アウトバーンのヒット・最初さいしょ全盛期ぜんせいき

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スイス・チューリッヒ公演こうえん(1976ねん3がつ

初期しょき活動かつどうられた資金しきん投入とうにゅうしゅれたミニモーグ使用しようし、しんメンバーヴォルフガング・フリューア自作じさく電子でんしパーカッションとう駆使くしし、以前いぜん音楽おんがくあらたなる次元じげん昇華しょうかさせた1974ねん発表はっぴょうの4まいのアルバム『アウトバーン』がえいべいでヒット。とりわけ同名どうめいのシングルきょくはそれまでのおおくのミュージシャンがシンセサイザーを観念かんねん瞑想めいそうてき音楽おんがく使用しようしたり楽曲がっきょくものとして使用しようしていた方法ほうほうとはおおきくことなり、きょくながさが20ふんえ、そく物的ぶってきでありながらもあくまでもそれ自体じたい主体しゅたいとしたポップ・ミュージック[ちゅう 13]という手法しゅほうによるひとつの完成かんせいがたえるものとなった。フローリアンの知人ちじん音楽おんがく学校がっこう教授きょうじゅ生徒せいとであり、クラシックはたけ様々さまざま仕事しごとをこなしていたカール・バルトスくわわりアメリカ横断おうだんツアー[ちゅう 14]おこなわれた(カール自身じしんげんでもあるが以後いごのクラフトワークの楽曲がっきょくおも特徴とくちょうとしてファンキーなリズムミュジーク・コンクレートポップ・ミュージックのミックスがげられる)。

英国えいこくでもおこなわれた当時とうじのライヴ演奏えんそうのち 興奮こうふんあま楽屋がくやおとずれたというわかオーケストラル・マヌーヴァーズ・イン・ザ・ダークひとし初期しょきのクラフトワークのほかのグループへの影響えいきょう以上いじょうられていることだがおもにエレ・ポップ、シンセ・ポップとしてのニュー・ウェイヴニューロマンティックばれるミュージシャンたちにもおおきな影響えいきょうあたえた。独創どくそうてきなステージング[ちゅう 15][ちゅう 16][ちゅう 17]注目ちゅうもくされ、当時とうじからクラフトワークの熱狂ねっきょうてきなファンであり、のちかれらと親交しんこうちスタジオ・ワークによる創造そうぞうてき絶頂ぜっちょうベルリンさんさくむかえたデビッド・ボウイ[ちゅう 18][ちゅう 19][ちゅう 20]がコンサートの最前さいぜん列席れっせきめたことや、イアン・カーティス愛好あいこうしていたことがジョイ・ディヴィジョン使用しよう機材きざい[5]ニュー・オーダー音楽おんがくせい影響えいきょうあたえたことなどもられている。

すでみずからのスタジオKLING KLANG[ちゅう 21]かまえており、初期しょきころからの協力きょうりょくしゃであったコニー・プランクから独立どくりつしたクラフトワークはみずからの成功せいこうによって経験けいけんした出来事できごととうにインスピレーションを作品さくひん次々つぎつぎ発表はっぴょうする[ちゅう 22]たとえば自分じぶんたちの音楽おんがくがラジオでながされたことインタビューを自身じしんせたロボットにけさせるという空想くうそう[ちゅう 23]等々とうとう)。とく翌年よくねん発表はっぴょうされた5まいのアルバム『放射能ほうしゃのう』(どく: Radio-Aktivitätえい: Radio-Activity以降いこうかれらのほぼすべてのアルバムは作品さくひんごとなんらかのコンセプトをヴィジュアルとわせて提示ていじしているのが特徴とくちょう[ちゅう 24]であり、感情かんじょうかんじさせない無機むきてき禁欲きんよくてきなぞめいた印象いんしょうかれらの意図いとしたとおりに確立かくりつされた。これはどう時期じきおこっていたパンク・ムーヴメント[ちゅう 25]へのアンチテーゼである[ちゅう 26]ともわれ、また衝動しょうどうてきなパンクと大作たいさく主義しゅぎてきなプログレの中間ちゅうかん[ちゅう 27][ちゅう 28]であるとかんがえるものもいる。

ヴィジュアルや歌詞かしとうのイメージにかんしてはアウトバーン以前いぜんからのステージにはないメンバーであった詩人しじん画家がかエーミール・シュルト貢献こうけんおおきく、当時とうじのヴィジュアル・コンセプトには表現ひょうげん主義しゅぎ大戦たいせんによって中断ちゅうだんされた1930年代ねんだいのドイツ・モダニズムエル・リシツキーひとしロシア構成こうせい主義しゅぎ意識いしきしたものなどがある。アルバム『人間にんげん解体かいたい』ではあかくろ基調きちょうとしたイメージがナチズム連想れんそうさせながらも東側ひがしがわいていることや楽曲がっきょくコンピューター・ワールド』にける歌詞かしなどが政治せいじてきにも多様たようなものととらえられた 。なお後年こうねんのラルフを筆頭ひっとうにしたサイクリングへのたか関心かんしんもスタミナのあったエーミールにおしえられたことがきっかけであった。

作品さくひん発表はっぴょうのペースからしても一般いっぱんてきには1980年代ねんだい初頭しょとうにかけてがかれらの最初さいしょ全盛期ぜんせいきなされている[よう検証けんしょう]現在げんざいいたるまでのライヴの定番ていばんきょくおおくもこの時期じきされたものである[ちゅう 29]

日本にっぽんでは1978ねん発表はっぴょうの7さくのアルバム『人間にんげん解体かいたい』によってディーヴォとともにテクノポップ成立せいりつさせるきっかけとなり、イエロー・マジック・オーケストラいてはアウトバーン以前いぜんころから関心かんしんっていた坂本さかもと龍一りゅういち[ちゅう 30]によるのメンバーへの紹介しょうかいにより結成けっせい当初とうしょのコンセプトに影響えいきょうあたえることとなる[ちゅう 31]

セックス・ピストルズジョン・ライドンはクラフトワークのファンであること公言こうげんしており、とくパブリック・イメージ・リミテッド結成けっせい当初とうしょはクラフトワークからけた影響えいきょうのぞかせている。テレックスダン・ラックスマンは、最初さいしょにクラフトワークのアナログシンセサイザーによるドラムのおとかれたとかた[6]、デビュー以前いぜんに『人間にんげん解体かいたい』に衝撃しょうげきけ、かれらに一目いちもくいていたU2ボノ[ちゅう 32]は2011ねん公開こうかいされたドキュメンタリー映画えいがフロム・ザ・スカイ・ダウン英語えいごばんかれらの方向ほうこう転換てんかんてき大作たいさくとしてられるアルバムアクトン・ベイビー制作せいさく当時とうじ、クラフトワークからの影響えいきょうがあったとあかし、ジ・エッジは「リズムをまなうえかれらは無視むしできない」と発言はつげんした[ちゅう 33]1981ねんの8さくのアルバム『コンピューター・ワールド』の発表はっぴょうともない、あたまにターバンをいた観客かんきゃくたちをも熱狂ねっきょうさせたインド公演こうえんとうふくはつだい規模きぼなワールド・ツアーを敢行かんこうする(はつ来日らいにち[ちゅう 34]公演こうえんたす)。

おもわぬ脚光きゃっこうられざるドラマ

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「ロボットが音楽おんがく演奏えんそうする」コンセプトを導入どうにゅう

以前いぜんくら活動かつどう表面ひょうめんてきには停滞ていたいしていくかたわら、1982ねんには以前いぜんヒップホップ定義ていぎしたアフリカ・バンバータがクラフトワークのきょく当初とうしょ無断むだん利用りようして「エレクトロ・ファンク」というあたらしいサウンドを[ちゅう 35]とく楽曲がっきょく『ヨーロッパ特急とっきゅう』の一部いちぶれられたPlanet Rock英語えいごばんローリング・ストーンのえらぶオールタイム・グレイテスト・ソング500なかばにランクインするひとし、ヒップ・ホップファン以外いがいからも非常ひじょうたか評価ひょうかされている。

さらどう時期じきホアン・アトキンスわかデリック・メイにクラフトワークとイエロー・マジック・オーケストラをおしえ、影響えいきょうあたえたことがハウス・ミュージックたいするよりスピリチュアルなアティチュードをあらわテクノデトロイト・テクノ[ちゅう 36])の起源きげんとなるひとし黒人こくじんミュージシャンたちしたあたらしい音楽おんがくジャンルへのおもわぬ影響えいきょうによってダンス・ミュージックをふくめたクラブ・カルチャーからもリスペクトされるようになり、以後いごクラフトワークもすくなからず音楽おんがくてきにその影響えいきょうけるようになる。これにより元々もともとたかかったラルフの国際こくさい感覚かんかく[ちゅう 37]一層いっそうたかいものになっていった。これらべいえいのテクノミュージシャンたちとのコラボレーションはExpo 2000英語えいごばんのリミックスやライヴヴァージョンでのリ・リミックスでたされる。

コンピューター・ワールド・ツアーの経験けいけんから、彼等かれら長期ちょうきてきなツアーをよりたくましくこなすための体力たいりょくづくりに菜食さいしょく主義しゅぎサイクリング(やがて生死せいし境目さかいめをさまよう事故じこにまでつながってしまったラルフの熱中ねっちゅうぶり[ちゅう 38]のメンバーをはるかにしのいでいた)をはじめた。これらあらたな経験けいけん有名ゆうめい自転車じてんしゃ競技きょうぎ大会たいかいから着想ちゃくそうされた楽曲がっきょくツール・ド・フランス英語えいごばん映画えいがブレイクダンスで使用しようされアメリカでヒットする。

ほとんどられていないことだが音楽おんがく業界ぎょうかい各所かくしょにいたなんらかのかたちでクラフトワークの協力きょうりょくほっしていた人間にんげん一人ひとり[ちゅう 39]かれらのだいファンであったマイケル・ジャクソン[ちゅう 40]がいた。マイケルにザ・マン・マシーンのオリジナル・マルチ・トラックの使用しようもうまれたがグループのスポークスマンであるラルフはマイケルの生前せいぜん、それを正式せいしきにはみとめなかった[ちゅう 41]余談よだんだがニューヨークにマイケルが所有しょゆうしていたビルにまねかれたラルフは「マイケルの“フェイク”が3にんも4にん存在そんざいし、クラフトワークよりもクラフトワークらしかった」とかたった[7]

現在げんざいクラフトワークの音楽おんがくジェームス・ブラウンいでもっともDJようのレコードにサンプリングされているとわれてひさしいものの、あたらしいアルバムの発表はっぴょうとツアー[ちゅう 42]、そのあらたなこころみにえていたヴォルフガングとカールは苦悩くのうしつつも80年代ねんだいまつと90ねんにグループから離脱りだつしてしまう(グループの実権じっけんにぎっていたのはあくまでも創立そうりつしゃであり所謂いわゆるマネージャーをとうとはしないラルフとフローリアンであった)。

しかしながら自身じしんのソロ公演こうえんでクラフトワークに在籍ざいせきしたころ作曲さっきょくしたきょく現在げんざいでも演奏えんそうするカールはグループ脱退だったいもラルフとフローリアンを尊敬そんけいしており、先述せんじゅつしたようにおおくのアーティストとのまたとないようなコラボレーションのチャンスをことごとく拒絶きょぜつしたことを「けない連中れんちゅう」とも「ドラマチック」とも表現ひょうげんした[8]

一方いっぽうヴォルフガングはのち自身じしん半生はんせいともにクラフトワークでの日々ひびつづった「ICH WAR EIN ROBOTER (クラフトワーク ロボット時代じだい)」を発表はっぴょう内容ないようめぐりラルフ・フローリアンと訴訟そしょう沙汰ざたにまでなる(もっとも、かれ自身じしんについても赤裸々せきららえがかれているが)。ファンにとってはプライベートの詳細しょうさいをほとんどかたらないクラフトワークをるための貴重きちょう情報じょうほうげんともなった(かれらのパブリック・イメージをしんじていたファンにとってはすくなからず抵抗ていこうもあったようである)。

しん活動かつどうとラルフ・ヒュッター体制たいせい

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電気でんき音楽おんがく音楽おんがくであり頂点ちょうてん、という評価ひょうかがゆるぎないものとなったクラフトワークはライヴ・パフォーマンス[ちゅう 43]での2人ふたり穴埋あなうめを最終さいしゅうてきにKLING KLANGで以前いぜんからはたらいていたエンジニアであったフリッツ・ヒルパートヘニング・シュミッツとし、そのも1992ねんセラフィールドかく燃料ねんりょうさい処理しょり工場こうじょう反対はんたいする[ちゅう 44]野外やがいイベント[ちゅう 45]出演しゅつえん。1998ねんのワールド・ツアー(度目どめ来日らいにち公演こうえんたす)とう活動かつどうほか世界中せかいじゅうのいくつもの音楽おんがくフェスティバルでヘッドライナー[ちゅう 46]現在げんざいまでつとつづけることになった。

90年代ねんだいTHE MIXのような過去かこきょくしんアレンジ[ちゅう 47]やクラブミュージックに影響えいきょうけたあらたなきょく演奏えんそうしてはいたものの完全かんぜん新作しんさくアルバムとしては結実けつじつしてはいなかった。しかし2000年代ねんだいはいりシングルExpo 2000がドイツハノーファー万博ばんぱくのテーマきょくとして、2003ねんには完全かんぜんなオリジナルアルバムとしては17ねんぶりとなる11さくのアルバム『ツール・ド・フランス』がツール・ド・フランス100ねん記念きねんとして発表はっぴょうされた(同名どうめいシングルのリテイクも収録しゅうろくされた)。[ちゅう 48]。これにともなふたたおおきく注目ちゅうもくされた新生しんせいクラフトワーク(下記かき演奏えんそう舞台ぶたい形態けいたい変化へんか参照さんしょう)としてのワールド・ツアー[ちゅう 49]おこなわれ、その様子ようす日本にっぽんでの演奏えんそうふくめたはつ公式こうしきライヴばんミニマム・マキシマム』に収録しゅうろくされる。

脱退だったいしたフローリアン・シュナイダー(2005ねん
唯一ゆいいつのオリジナルメンバーとなったラルフ・ヒュッター(2005ねん

ライヴ活動かつどうつづけるなか、2009ねん突然とつぜん ラルフをのぞ最後さいごのオリジナルメンバーであるフローリアンの脱退だったいほうじられた[ちゅう 50]。ラルフは今後こんごかれにエールをおくるが40年来ねんらいわた長年ながねんのコンビ[ちゅう 51]解消かいしょうされたことにおおくのファンが衝撃しょうげきける。

フローリアン脱退だったいはじめてのライヴがマンチェスターおこなわれたさい、ツール・ド・フランスの演奏えんそうともないGreat Britain (GB) Cycling Team(オリンピックやツール・ド・フランスに出場しゅつじょう経験けいけんのある自転車じてんしゃレーサーたちからなる団体だんたい)のメンバーが設置せっちされたステージの周囲しゅういにあるコースを周回しゅうかいつづけるという特殊とくしゅなイベントがもよおされた。あたかもフローリアンきラルフをはげますかのようにレーサーたちはし観客かんきゃく熱狂ねっきょうするなか、ツール・ド・フランス-エタップ2の自転車じてんしゃレースの熱狂ねっきょうつたえる記号きごうてき構成こうせいされた歌詞かしをラルフがくちずさむさい、デビュー以来いらいほぼ一貫いっかんしておおやけ感情かんじょうあらわさなかったラルフがなみだこたえるようにこえまらせ、となりにいたヘニングがうなずいた様子ようすつたえられた。フローリアンのわりにはおもにスクリーン映像えいぞう担当たんとうするシュテファン・プファフェ[ちゅう 52]がステージにつことになった。

現在げんざいは3Dをテーマにしたツアーをおこなっており、各地かくちまわりながら活動かつどうしている(後述こうじゅつ参考さんこう)。2017ねんにはアウトバーン以降いこうのアルバムをあたらしくリメイクした「3-D The Catalogue英語えいごばん」を発表はっぴょうした。

90年代ねんだい以降いこう影響えいきょうとう

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その、1990年代ねんだいから現在げんざいいたるまで、思想しそう過去かこ楽曲がっきょく、ヴィジュアル・コンセプト、ヴィデオ、ライヴ・パフォーマンスのスタイルとうのアイディアの影響えいきょうを、レディオヘッドレッド・ホット・チリ・ペッパーズ[ちゅう 53],システム・オブ・ア・ダウン[ちゅう 54],コールドプレイ[ちゅう 55],ダフト・パンク,ドクター・ドレー[5],フランツ・フェルディナンド,デュラン・デュラン[ちゅう 56]ケミカル・ブラザーズ[ちゅう 57]エイフェックス・ツイン,LCDサウンドシステムデジタリズムLFOBUCK-TICK電気でんきグルーヴPOLYSICSなど分野ぶんや表現ひょうげんたねわない[ちゅう 58]長期ちょうきてき影響えいきょうりょくつづけている[ちゅう 59]

なお、70年代ねんだいから現在げんざいいたるまでにかれらの音楽おんがく映画えいが度々どど使用しようされている[ちゅう 60]個性こせいてき手法しゅほう明確めいかく主題しゅだいたない映像えいぞう作品さくひんではかれらの音楽おんがく存在そんざいかんとの相性あいしょうくない、適合てきごうせいないためかけっして乱用らんようはされない。ちなみに、日本にっぽんのテレビ番組ばんぐみとうでBGMとして使用しようされるさいは、アウトバーン以後いごのものしか使つかわれず、クイズや統計とうけい表示ひょうじする映像えいぞうとう思考しこうりょくもとめられるような場面ばめんでの使用しよう非常ひじょうおおい。また、ストリートダンスのきょくとしても幅広はばひろ使用しようされている。

演奏えんそう舞台ぶたい形態けいたい変化へんか

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アルバム『アウトバーン』の映像えいぞう投影とうえい(2013ねん1がつ

コンピューター・ワールド・ツアーにられるシンセサイザーが「巨大きょだいはこ」だった時代じだいのコンサートなどでの演奏えんそう風景ふうけいでは、ステージにところせましとならべられた機材きざい[ちゅう 61]印象いんしょうてきであったが、パリで2002ねん9がつひらかれたシテ・ド・ラ・ミュージックのライブ以降いこう各人かくじんまえにノートPC (VAIO) がちいさなたくがあるのみで演奏えんそうスタインバーグしゃせいデジタルオーディオワークステーション (DAW) ソフト・Cubaseによって楽曲がっきょくをリアルタイムでコントロールしバックには映像えいぞう投影とうえいするというスタイルになっている[ちゅう 62]

おも楽曲がっきょくはクラブミュージックに接近せっきんする以前いぜん以後いごのアレンジもしくはそれらをぜたものが演奏えんそうされる。結成けっせい当初とうしょからかれらの活動かつどう重要じゅうよう要素ようそだったヴィジュアル・コンセプト[ちゅう 63]せる映像えいぞう[ちゅう 64]年々ねんねん重要じゅうようせいしており(とくに2002ねん以降いこうかれらのだいいち印象いんしょうをも刷新さっしんした)、近年きんねん観客かんきゃく専用せんようメガネを使用しようしてステージを鑑賞かんしょうする3Dコンサートが世界せかい各地かくち開催かいさいされ絶賛ぜっさんはくしている。

略歴りゃくれき

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  • 1967ねん、ラルフとフローリアンによりクラフトワークの前身ぜんしんともいうべきグループ、オルガニザツィオーンが結成けっせいされる。
  • 1969ねん実験じっけんてきアルバム『トーン・フロート』(Tone Float) を録音ろくおんよく1970ねん英国えいこくのみリリース。
  • 1970ねん、グループめいをクラフトヴェルク (Kraftwerk) に改称かいしょう世界せかいてきには英語えいごみの「クラフトワーク」で通用つうようしている。
  • 1974ねん、アメリカのラジオ番組ばんぐみからがつき「アウトバーン」が世界せかいてきにヒット、一躍いちやく有名ゆうめいに。世界せかいおおくのフォロワーをす。
  • 1980年代ねんだいなかば〜 おとづくりへのこだわりやラルフの自転車じてんしゃ事故じこなどからアルバム制作せいさくとどこおり、メンバーの脱退だったいもあってグループとしての活動かつどう次第しだいにペースがちてく。
  • 1990年代ねんだい後期こうき〜 ワールドツアーライヴを中心ちゅうしんに、徐々じょじょ精力せいりょくてき活動かつどう再開さいかい
  • 1996ねん、ウェブサイトwww.kraftwerk.comが申請しんせいされる。
  • 2000ねん、ドイツハノーファー万博ばんぱくのテーマきょくとしてシングル「EXPO2000」(オービタルのアーティストたちのリミックスをさらにリミックスしたライヴパフォーマンスようトラックPlanet of Visionsの原形げんけい)をリリース。
  • 2003ねん、17ねんぶりの新作しんさくアルバム『ツール・ド・フランス』リリース。
  • 2005ねんはつの2まいぐみライヴアルバム『ミニマム・マキシマム』、同名どうめいのライヴDVDリリース。
  • 2006ねん、1974ねんから2003ねんまで発表はっぴょうしたきょくのベストアルバムをリリースする予定よていであったが、諸般しょはん事情じじょうにより中止ちゅうしとなる。
  • 2008ねん、フローリアンがツアーへの参加さんか引退いんたい制作せいさくのみにたずさわることとなる。代役だいやくとして映像えいぞう技術ぎじゅつ担当たんとうしていたシュテファン・プファフェがステージにつ。同年どうねん11がつ21にち、フローリアンのグループ脱退だったいほうじられた。
  • 2009ねん、オフィシャルファンサイトで正式せいしきにフローリアンの脱退だったい発表はっぴょうされた[9]。また11月にはアウトバーン以降いこうのスタジオアルバム8まいをリマスタリングし、ジャケットデザインを変更へんこうしてさいリリース。
  • 2012ねんニューヨーク近代きんだい美術館びじゅつかん(MoMA)にてアルバム アウトバーン以降いこう連続れんぞく8作品さくひん全曲ぜんきょくかくセット・リストにんだ8にち連続れんぞく特別とくべつ公演こうえん「Retrospective 1 2 3 4 5 6 7 8」がもよおされる。マイケル・スタイプ、アフリカ・バンバータらとともに3にち(Trans-Europe-Expressかい)の観客かんきゃくであった坂本さかもと龍一りゅういち紹介しょうかいによりはん原発げんぱつイベントNO NUKES2012に出演しゅつえん福島ふくしま原発げんぱつ事故じこ意識いしきした「Radioactivity」の歌詞かし日本語にほんご披露ひろうし、そののコンサートでもうたつづけている。
  • 2013ねん、「Retrospective 1 2 3 4 5 6 7 8」を地元じもとであるドイツ・デュッセルドルフのノルトライン=ヴェストファーレン州立しゅうりつ美術館びじゅつかんロンドンテート・モダンでも開催かいさい東京とうきょう赤坂あかさかBLITZ日本にっぽんでは9ねんぶりの単独たんどく公演こうえんとなる)やシドニー・オペラハウスでもこの形態けいたいでの公演こうえん実現じつげんした。
  • 2014ねん、「グラミーしょう特別とくべつ功労賞こうろうしょう生涯しょうがい業績ぎょうせきしょう」を受賞じゅしょう。8月、サマーソニックのセカンドステージのトリをつとめる。また、カサビアンとともにSONIC MANIAにも出演しゅつえん
  • 2017ねん既存きそんのアルバムをリメイクした「3-D The Catalogue英語えいごばん」を発売はつばい[10]
  • 2019ねん4がつ来日らいにち公演こうえん[11]
  • 2020ねん4がつ創設そうせつしゃ一人ひとりフローリアン・シュナイダーが死去しきょ[12]
  • 2021ねん、「ロックの殿堂でんどう[13]

メンバー

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※2024ねん6がつ時点じてん

げんラインナップ

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  • ラルフ・ヒュッター (Ralf Hütter) - ボーカル/シンセサイザー/キーボード (1970– )

クラフトワークの創設そうせつしゃ学業がくぎょう優先ゆうせんするため1971ねん一時期いちじき離脱りだつしたが、フローリアン・シュナイダーの要請ようせいにより同年どうねん復帰ふっき

  • ヘニング・シュミッツ (Henning Schmitz) - サウンド・エフェクト/キーボード (1991– )[14]

加入かにゅう以前いぜんにもエンジニアとしてクラフトワークとかかわっていた。

  • ファルク・グリーフェンハーゲン (Falk Grieffenhagen) - 映像えいぞうテクニシャン (2012–2022)、電子でんしドラム(2023-)[14][15]
  • ゲオルク・ボンガルツ (Georg Bongartz) - 映像えいぞうテクニシャン (2023-)

きゅうメンバー

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  • フローリアン・シュナイダー・エスレーベン (Florian Schneider-Esleben) - シンセサイザー/フルート/ヴォコーダー/ヴォーカルなど (1970–2008)

クラフトワーク創設そうせつしゃ一人ひとり。2020ねん4がつ21にちがんのため逝去せいきょ。73さい[16][17]

  • トーマス・ローマン (Thomas Lohmann) - ドラムス (1970)

1970ねんきょく初期しょき在籍ざいせきしたジャズミュージシャン。

ファーストアルバムにも参加さんかしている。

2008ねん3月21にち心不全しんふぜん逝去せいきょ。61さい

  • エバーハルト・クラネマン (Eberhard Kranemann) - ベース/チェロ/スティール・ギター (1970–71)(脱退だったい→ノイ!→FRITZ MÜLLER→Bluepoint Underground)

シャーリー・ヴァイスとフローリアンとともにライブ活動かつどうおこなっていた。2017ねんハラルド・グロスコフとともにアルバム「Krautwerk」を発表はっぴょうしている。かねてからクラフトワークの起源きげん自身じしんのバンドPissoffにフローリアンが参加さんかした時点じてんであると主張しゅちょうしており、自身じしんのFacebookでもクラフトワークの在籍ざいせき期間きかんを1967-1971と記載きさいしている。[18]

  • シャーリー・ヴァイス (Karl „Charly“ Weiss) - ドラムス (1970)(脱退だったい→El Snyder und Charly McWhite)

エバーハルトとフローリアンとともにライブ活動かつどうおこなっていた。2009ねん12月31にち長期ちょうき療養りょうようちゅうのところ逝去せいきょ。70さい

  • ペーター・シュミット (Peter A. Schmidt) - ドラムス (1970)
  • ホウシェンク・ネヤデポワー (Houschäng Néjadepour) - ギター (1970–71)(脱退だったい→the Eiliff→the Guru Guru

エバーハルト、シャーリー、フローリアンとともにライブ活動かつどうおこなっていたイランじんせいインドふうのギタータッチであったという[19]

  • ミヒャエル・ローター (Michael Rother) - ギター (1971)(脱退だったい→ノイ!→Harmoniaドイツばん→ソロ活動かつどう

ラルフが一時いちじ離脱りだつした時期じきやく半年はんとしあいだ在籍ざいせきした。1975ねんのクラフトワークのべいえいツアーにあたり再度さいど参加さんか要請ようせいされたが、自身じしんのバンド「ノイ!」および「ハルモニア」の活動かつどう多忙たぼうなため丁重ていちょうことわりをれたとのちかたっている[20]結果けっかとしてツアーにはカール・バルトスが参加さんかすることになったが、近年きんねんはオーディオ機器ききメーカーがスポンサーとなったバルトスのアルバムの試聴しちょうイベント[21]つうじて友人ゆうじんとなり交流こうりゅうつづけている。2019ねんのインタビューでローターはバルトスがクラフトワークで経験けいけんについてうらや気持きもちはないとかたっている[22]

  • エーミール・シュルト (Emil Schult) - ギター/電子でんしヴァイオリン (1973)(脱退だったい→グラフィック・デザイン、作詞さくし

ラルフ、フローリアンらとともにライブ活動かつどうおこなっていた。

  • プラート・コスティック (Plato Kostic Riviera) - ベース (1973)

ラルフの学生がくせい時代じだい友人ゆうじんギリシアじん[23]

  • クラウス・レーダー (Klaus Röder) - ギター/電子でんしヴァイオリン (1974)(脱退だったい→ソロ活動かつどう音楽おんがく教師きょうし

アルバム「アウトバーン」に参加さんか自身じしんのウェブサイトでクラフトワークに加入かにゅうしたことは事故じこのようなもので、ポップミュージックをやりたいわけではなかったとかたっていた[24](2012ねん削除さくじょ[25])。ラルフとフローリアンに音楽おんがくせいちがいから脱退だったいもうたところしんメンバーの人選じんせんつよう慰留いりゅうされたが、その連絡れんらくもなくカール・バルトスの加入かにゅうのちになってったとインタビューにこたえている[26]

  • ヴォルフガング・フリューア (Wolfgang Flür) - 電子でんしパーカッション (1973–1987)(脱退だったい→Yamo→ソロ活動かつどう
  • カール・バルトス (Karl Bartos) - 電子でんしパーカッション/キーボード (1975–1991)[27]脱退だったい→Elektric Music (Electric Music)→ソロ活動かつどう
  • フェルナンド・アブランテス (Fernando Fromm-Abrantes) - 電子でんしパーカッション/シンセサイザー (1991)(脱退だったい編曲へんきょく・プロデューサー→ソロ活動かつどう

アルバム「The Mix」および1991ねんのツアーに参加さんかしたドイツけいポルトガルじんミュージシャン。

  • シュテファン・プファフェ (Stefan Pfaffe) - 映像えいぞうテクニシャン (2008–2012)

加入かにゅう以前いぜんにもクラフトワークとはかかわっていた。

  • フリッツ・ヒルパート (Fritz Hilpert) - 電子でんしパーカッション (1989–2022)[14]

「THE MIX」のころから参加さんか。2023ねんからはじまったツアー以降いこうからは参加さんかしておらず脱退だったい引退いんたい)とおもわれるが、2024ねん5がつ時点じてん公式こうしきサイトからはなに公表こうひょうされていない。

メンバーのタイムライン

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ディスコグラフィ

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スタジオアルバム

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コンピレーション

  • The Mix』 - The Mix(1991ねん)『アウトバーン』から『エレクトリックカフェ』までに収録しゅうろくされた楽曲がっきょくのリミックスコンピレーション。
  • 『The Model (Retrospective 1975-1978)』 - The Model (Retrospective 1975-1978)(1992ねん
  • 『Remixes』 - Remixes(2020ねん)シングルばんにのみ収録しゅうろくされていたリミックスバージョンの楽曲がっきょくとMusic non stopのリミックスバージョン(Non Stopとして収録しゅうろく)のコンピレーション。デジタル/ストリーミングのみでのリリース。[30]

ライブアルバム

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備考びこう補足ほそく

なお、『放射能ほうしゃのう以降いこう楽曲がっきょく一部いちぶのぞ一般いっぱんバージョンの英語えいごばんとドイツけんけのドイツバージョンの2種類しゅるい存在そんざいする。そのため、おなじアルバムでも基本きほんてきえいどく2バージョンリリースされる(『ツール・ド・フランス』は1バージョンのみ)。例外れいがいとして「ポケットカルキュレーター」(『コンピューター・ワールド』収録しゅうろく)のようにえいどくふつにちの4カ国かこくや「ショウルーム・ダミー」(『ヨーロッパ特急とっきゅう収録しゅうろく)のえいどくふつの3カ国かこく、「セックスオブジェクト」(『エレクトリック・カフェ』収録しゅうろく)のえいどくとスペインばん初回しょかい限定げんてい収録しゅうろくされたスペインばんの3カ国かこく、1983ねんたシングル「ツール・ド・フランス」(日本にっぽん発売はつばい)の独語どくごとタイトルにちなんだ仏語ふつごの2カ国かこくといった例外れいがいもある(ツール~は現在げんざい仏語ふつごのみうたわれている)。

特殊とくしゅなバージョンちがいのれいとしては、通常つうじょう6きょく収録しゅうろくである1986ねんのアルバム『エレクトリック・カフェ』は、韓国かんこくばんのみ儒教じゅきょう社会しゃかいあたえる影響えいきょう考慮こうりょして「セックス・オブジェクト」をカットしたぜん5きょく収録しゅうろくとしてリリースしている。『ミニマム・マキシマム』CDは台湾たいわんでもおびづけ現地げんちばんとして発売はつばいされたがアーティストめいは「電力でんりょく站樂だん」と標記ひょうきされている。

世界せかいてき販売はんばいもうは、1975ねんの『放射能ほうしゃのう』から1980ねんごろまではEMI系列けいれつだったが、1981ねんの『コンピューター・ワールド以降いこうから北米ほくべいのみワーナーブラザース(ワーナー⇒エレクトラ)に移行いこうした(地域ちいきつづきEMI)。パーロフォン・レーベル・グループのワーナーによる買収ばいしゅうともな[ちゅう 65]、2013ねん以降いこうぜん世界せかいでアウトバーン以降いこうぜんタイトルがワーナー系列けいれつ(パーロフォン・レーベル)での発売はつばいとなった。

脚注きゃくちゅう

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注釈ちゅうしゃく

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  1. ^ 1970年代ねんだい後半こうはん以降いこうのラルフ・ヒュッターはクラフトワークの音楽おんがくこのんで“ロボ・ポップ”としょうしたほか、やがて20世紀せいきのクラシック、またはインダストリアル・フォークソングともしょうしている パスカル・ビュッシー『クラフトワーク―「マン・マシーン」とミュージック』 美馬みま貴子たかこ/佐久間さくま秀夫ひでお 製作せいさく THE KRAFTWERK CHRONICLE 年表ねんぴょう TOCP-88224
  2. ^ 音楽おんがくライターでレコード制作せいさくしゃのパスカル・ビュッシーは1994ねん著書ちょしょ『クラフトワーク―「マン・マシーン」とミュージック』の前書まえがきで「クラフトワークに影響えいきょうけたグループがあまりに膨大ぼうだいかずにのぼるので、その列挙れっきょしたり、インタビューをするのがとても無理むりなことがかった」としるしている。
  3. ^ 植物しょくぶつえん出会であったという。 ストレンジ・デイズ2004ねんNo.55 P66 クラフトワーク・ストーリー [大鷹おおたか俊一しゅんいち]
  4. ^ クラフトワークとしたしいジャーナリスト ポール・アレッサンドリーニは「面白おもしろいことににん上層じょうそう中産ちゅうさん階級かいきゅうだしなんだ。かれらはだいブルジョワ出身しゅっしんのインテリで、それとはちがった世界せかい発見はっけんしようとしたんじゃないか。それでロックの世界せかいはいんでみようとしたわけだ」と推察すいさつしている。パスカル・ビュッシー『クラフトワーク―「マン・マシーン」とミュージック』P23
  5. ^ ラルフやのち加入かにゅうするカールは「クラシックや行進曲こうしんきょく英語えいごうたわれるポップスでは自分じぶんたちの音楽おんがくとうとおもった」とことあるごとにかたっている。もっともそれらの音楽おんがく否定ひていしてはおらず、70年代ねんだいなか以降いこうラルフは「ぼくたちがやっているのはクラシックだから、きょくもクラシックになる」と発言はつげんしていた。またのちにレコード会社かいしゃかれらを担当たんとうすることになるマクシム・シュミットは「グループとしてのちから、クラシックせいつよさ、すべてがクラフトワークのなかにはあった。それはラルフによってあたえられたものだ」と発言はつげんしている。パスカル・ビュッシー『クラフトワーク―「マン・マシーン」とミュージック』P143ほか
  6. ^ クラフトワークの音楽おんがく根底こんていには伝統でんとうてきなドイツ特有とくゆうのリズムかんがあるとも発言はつげんしている。シンコーミュージック ディスク・ガイド・シリーズ#016テクノ・ポップ 美馬みま貴子たかこ監修かんしゅう
  7. ^ ドイツのグループでありながら英語えいご名乗なのタンジェリン・ドリームなどとのちがいが意識いしきされていた。ラルフいわく「ドイツはとてもメカニカルで、それを音楽おんがく基本きほん構造こうぞうとして使つかっている」パスカル・ビュッシー『クラフトワーク―「マン・マシーン」とミュージック』P42 また全盛期ぜんせいきから現在げんざいまでライヴの開幕かいまく使つかわれる如何いかにもロボチックな人工じんこう音声おんせいによるアナウンスもおもにドイツ使用しようされる
  8. ^ ピンク・フロイドからの影響えいきょうをインタビュアーに指摘してきされたラルフは「ぎゃくだ。かれらこそフランスのしん古典こてん主義しゅぎ音楽おんがくやドイツの電子でんし音楽おんがくからおおくをている」とかえした。パスカル・ビュッシー『クラフトワーク―「マン・マシーン」とミュージック』P33
  9. ^ 40ねんにニューヨーク近代きんだい美術館びじゅつかん(MoMA)で回顧かいこてんおこなわれたことについて結成けっせい当時とうじからアート・シーンにかかわりがあったことにラルフはインタビューで言及げんきゅうしているほか、フローリアンは「自分じぶんたち友人ゆうじんには音楽家おんがくかよりも医者いしゃやコンピューターの専門せんもん心理しんり学者がくしゃ作家さっか画家がかなど分野ぶんやひとほうおおい」と発言はつげんしたこともある パスカル・ビュッシー『クラフトワーク―「マン・マシーン」とミュージック』
  10. ^ 楽器がっき発案はつあん人工じんこう音声おんせい制作せいさく得意とくいとしたフローリアンについてのち加入かにゅうするカールは「音楽家おんがくかというよりはアーティストにちかい」と形容けいようしている。またグループの共同きょうどう作業さぎょうしゃであったエーミール・シュルトは「つねやくだったのはフローリアンで、あたらしい展開てんかいをするだんになると、フローリアンが物事ものごとまえすすめた。気性きしょうからいってかれはみんなと速度そくどちがっていた。音楽おんがくみがきがかかっていたら、それはフローリアンのおかげだ」と発言はつげんしている。パスカル・ビュッシー『クラフトワーク―「マン・マシーン」とミュージック』P142ほか
  11. ^ おもザ・フーなどに影響えいきょうされていたヴォルフガングは、当時とうじ長髪ちょうはつだったラルフの外見がいけんドアーズからの影響えいきょうかんじたと著書ちょしょロボット時代じだいかえっている
  12. ^ 2013ねんのインタビューでラルフのくちから「当時とうじのアルバムはコレクターけ」と位置付いちづけられた 月刊げっかんrokin'on MAY2013 P93
  13. ^ ラルフは「我々われわれ頭脳ずのうてきなことばかりを意味いみするエレクトロニック(ミュージック)にからだみき(ハート=筋肉きんにく)をくわえた」と表現ひょうげんしている 1982ねんマーク・クーパーによるインタビュー
  14. ^ フローリアンは「自分じぶんたちのヒーローであるビーチ・ボーイズおなてて光栄こうえいだ」とかたった。また楽曲がっきょくアウトバーンの歌詞かし"Wir fahr'n fahr'n fahr'n auf der Autobahn"は正確せいかくなドイツ若干じゃっかんくずしておりビーチ・ボーイズの楽曲がっきょくファン ファン ファン英語えいごばんのフレーズを意識いしきしたとわれている(ヒットした要因よういんにもあげられる) パスカル・ビュッシー『クラフトワーク―「マン・マシーン」とミュージック』
  15. ^ 演奏えんそうしゃ音楽おんがくのダイナミズムを表現ひょうげんするためにステージじょう情熱じょうねつてきになることおおいのにクラフトワークは徹底てっていしてクールですね」とのインタビューにたいしラルフは「音楽おんがく我々われわれにとってより精神せいしんてきなものなんだ。ボタンの操作そうさあやまってしまうわけにはいかないのでステージじょうではくらやたらにまわことはできない。電子でんし機材きざい非常ひじょう繊細せんさいなもので、その操作そうさはミクロ単位たんいでメスをうごかすようなものなんだ」とこたえている。また「オーディエンスの反応はんのうにしていますか?」とかれ「もちろんだ、我々われわれは20にんから2まんにんまえ演奏えんそうするがオーディエンスの反応はんのうはいつだってライヴの重要じゅうよう要素ようそさ」とこたえている。ストレンジ・デイズ2004ねんNo.55 P69 ヴォルフガング・フリューア『クラフトワーク ロボット時代じだい
  16. ^ フローリアンの発案はつあん制作せいさくされた光電管こうでんかんせい巨大きょだいおりがた電子でんしドラムは反応はんのうきわめて確実かくじつであったものの、なんらかの面倒めんどうなトラブルに見舞みまわれたのステージにかぎって何故なぜ上手うま作動さどうしたとヴォルフガングは著書ちょしょロボット時代じだいかえっている
  17. ^ メンバーの名前なまえがあしらわれたネオンは専門せんもんてんはたらいていたフローリアンのいもうと用意よういしたものであった
  18. ^ 当時とうじラルフはボウイとのコラボレーションについて示唆しさしたことがあったがグループの独自どくじせい優先ゆうせんするため実現じつげんはされなかった
  19. ^ パンク・ロックの一人ひとりとされながらも知的ちてきいちめんでもられるイギー・ポップとも楽曲がっきょくヨーロッパ特急とっきゅう歌詞かし登場とうじょうしている(これもボウイをつうじて実際じっさい面会めんかいした経験けいけんもとになっている。イギーは当時とうじラルフとフローリアンに夢中むちゅうだった) パスカル・ビュッシー『クラフトワーク―「マン・マシーン」とミュージック』P123
  20. ^ ボウイはとくにフローリアンのかわいたユーモアを評価ひょうかしておりアルバム英雄えいゆう夢語ゆめがたり (ヒーローズ)かれかんしたV-2 シュナイダーなる楽曲がっきょくおさめた
  21. ^ アルバム放射能ほうしゃのう制作せいさく当時とうじのスタジオないではキンクスあい聴されていた パスカル・ビュッシー『クラフトワーク―「マン・マシーン」とミュージック』
  22. ^ 初期しょきからアルバム人間にんげん解体かいたい以前いぜんのクラフトワークは日本にっぽんなどでは「ジャーマン・プログレッシブ・ロック」として紹介しょうかいされていた
  23. ^ アウトバーン・ツアーでのヘヴィースケジュールから喚起かんきされたと同時どうじかれらにたいするイメージがやがて“マン・マシーン”なるコンセプトへとつながっていった パスカル・ビュッシー『クラフトワーク―「マン・マシーン」とミュージック』
  24. ^ 2012ねんより開催かいさいされている『Retrospective 1 2 3 4 5 6 7 8』ではこの特徴とくちょうがそのままかされているとえる
  25. ^ ちなみにクラフトワークを脱退だったいしノイ!で活動かつどうした時期じきのクラウス・ディンガーのボーカルがパンクてき歌唱かしょうとするせつもある
  26. ^ すくなくともヴォルフガングはそう意識いしきしていたと著書ちょしょロボット時代じだいしるしている
  27. ^ アルバムヨーロッパ特急とっきゅうのドイツ国内こくないばんのジャケットで使用しようされたモノクロの写真しゃしんラモーンズのデビューアルバムのジャケット写真しゃしんられる現実げんじつ重視じゅうしがたのアプローチからの影響えいきょう反映はんえいしている。これはクラフトワークのよう高価こうか機材きざいあつかうバンドとしては異例いれいのアプローチであった パスカル・ビュッシー『クラフトワーク―「マン・マシーン」とミュージック』P123
  28. ^ パンクの興隆こうりゅうともにプログレッシヴ・ロック・シーンはいきおいをよわめていったが クラフトワークはその確信かくしんはんてき人間にんげんせい観念かんねんせいによって糾弾きゅうだんまぬかれたのみならずパンク~ニュー・ウェイヴムーヴメントのなかでも特殊とくしゅ磁力じりょくはっすることとなった
  29. ^ これはビートルズやチャック・ベリーローリング・ストーンズなどのファンでもあったカールのメロディセンスにるところもちいさくない パスカル・ビュッシー『クラフトワーク―「マン・マシーン」とミュージック』
  30. ^ はつ来日らいにち親交しんこうった坂本さかもと龍一りゅういち後年こうねんにリリースしたシングルZERO LANDMINEにサウンドロゴを提供ていきょうした。またNO NUKES2012ではつ披露ひろうされた福島ふくしまだいいち原発げんぱつ事故じこ意識いしきした日本語にほんご歌詞かし坂本さかもと龍一りゅういち監修かんしゅうである SIGHT特別とくべつごう NO NUKES (ノーヌークス) 2012 2012ねん 09がつごう
  31. ^ 細野ほその晴臣はるおみは「クラフトワークをききこむほどドイツとかヨーロッパの歴史れきしふかさに圧倒あっとうされるばかりだったんです。これはぼくらにはできない。かれらに対抗たいこうする方法ほうほうろんつけだせなかったそんなとき北京ぺきん楽団がくだん自分じぶんたちは東洋とうようじんであるという意識いしき刺激しげきしてくれた」とかたっている Yellow Magic Orchestra USA(2003リイシューのインタビューより)
  32. ^ クラフトワークを「ヨーロッパてきソウル」とひょうし、16さいころのちつまとなったアリソンに『人間にんげん解体かいたい』のLPをプレゼントしたこともフロム・ザ・スカイ・ダウンでかたられる
  33. ^ U2はシングルヴァーティゴネオン・ライツ英語えいごばんのカヴァーを収録しゅうろくしている
  34. ^ メンバー全員ぜんいんにとって気配きくばりのとどいた日本にっぽん心地ここちよく「絶対ぜったいにまたよう」と確約かくやくったという。またヴォルフガングは著書ちょしょロボット時代じだいに“日本にっぽん都市としにおける秩序ちつじょ相互そうご生活せいかつへの気配きくばりにかんして、わたしたちヨーロッパじんはまだまだまなぶことがある”としるしている。
  35. ^ これは以前いぜんブライアン・イーノ想像そうぞうしていたクラフトワークとPファンク組合くみあわせたロボ・ファンクなる発想はっそうおなぶつであった
  36. ^ これら“テクノ”という呼称こしょう日本にっぽん使つかわれだした上述じょうじゅつテクノポップという呼称こしょうをクラフトワークがみずからの楽曲がっきょく歌詞かしとして使用しようしたものさらにデリックが部分ぶぶんてき使用しようしたものである
  37. ^ クラシック音楽おんがく現代げんだい音楽おんがくのみならずジョン・コルトレーンチャールズ・ミンガスなどのモダン・ジャズの知識ちしきくわえ、音響おんきょうてき側面そくめんMC5ザ・ストゥージズにも関心かんしんがあったラルフはドイツ英語えいごくわフランス語ふらんすごスペインにも堪能かんのうである パスカル・ビュッシー『クラフトワーク―「マン・マシーン」とミュージック』
  38. ^ ラルフいわく「これこそわたしだ。マン・マシーンだ」 パスカル・ビュッシー『クラフトワーク―「マン・マシーン」とミュージック』
  39. ^ エルトン・ジョンもその一人ひとりである パスカル・ビュッシー『クラフトワーク―「マン・マシーン」とミュージック』P203
  40. ^ マイケルはアルバムバッド以降いこう サウンドのエレクトロふかめ、楽曲がっきょくダーティー・ダイアナ』では『Abzug』に酷似こくじしたサウンドが使用しようされている
  41. ^ ラルフはマイケルにたいしてライバルしんっていたともわれ、またデビッド・ボウイのとき同様どうようにグループの独自どくじせい孤高ここうせい優先ゆうせんしたためであるとグループにちか人物じんぶつ推測すいそくしている パスカル・ビュッシー『クラフトワーク―「マン・マシーン」とミュージック』P204
  42. ^ 機材きざい進歩しんぽはやさが制作せいさくのペースをしてしまったとわれるエレクトリック・カフェ発表はっぴょうによるツアーはおこなわれなかった。またこの時期じきのクラフトワークはクイーンおもわせる作風さくふう接近せっきんしたが、しばらくして以前いぜん作風さくふうもどったという パスカル・ビュッシー『クラフトワーク―「マン・マシーン」とミュージック』
  43. ^ 以前いぜん楽曲がっきょくロボットの演奏えんそう登場とうじょうしていたマネキンはおも上体じょうたい遠隔えんかく操作そうさ出来できるロボットにってわられた。ラルフはこのことをとてもよろこんでいた。 パスカル・ビュッシー『クラフトワーク―「マン・マシーン」とミュージック』
  44. ^ ラルフはクラフトワークが原子力げんしりょく発電はつでんしょ反対はんたいする理由りゆうに「放射ほうしゃせい廃棄はいきぶつ最終さいしゅう処分しょぶんについてだれにも納得なっとくのいく説明せつめいができない」ことげている 月刊げっかんrokin'on MAY2013 P93
  45. ^ U2やパブリック・エナミー出演しゅつえんした
  46. ^ 97ねんにイギリスのレイヴイベント トライバル・ギャザリング英語えいごばん出演しゅつえんしたさいはデトロイト・テクノの出演しゅつえんしゃのブースが全員ぜんいんクラフトワークをるために閉鎖へいさされた。ストレンジ・デイズ2004ねんNo.55 P72 中野なかの泰博やすひろぶん
  47. ^ カールらととも自然しぜんとグループをはなれたエーミール・シュルトは5ねんちかくにおよんだ作業さぎょうからまれたこのアレンジにたいして「ダヴィンチモナ・リザ撤回てっかいしてふたたえがなおすだろうか?」と懐疑かいぎてきであった パスカル・ビュッシー『クラフトワーク―「マン・マシーン」とミュージック』P228
  48. ^ 彼等かれら新作しんさくアルバムの発表はっぴょう予告よこくはラルフ自身じしんくちから場合ばあいであってもけっして信頼しんらい出来できないほどあまりにもながあいだ実現じつげんしないままであった
  49. ^ 当時とうじ MTVヨーロッパ・ミュージック・アワードでライヴパフォーマンスをおこなさいカイリー・ミノーグは「どんなアーティストだってかれらの影響えいきょうけているわ!」と紹介しょうかいした
  50. ^ 本人ほんにんは「クラフトワークとしての活動かつどう興味きょうみてなくなった」とかたり、ラルフは、ヴォルフガングの著書ちょしょにも詳述しょうじゅつされているフローリアンの長年ながねん長期ちょうきてきなツアーぎらいについて言及げんきゅうした
  51. ^ 以前いぜんラルフは自身じしんとフローリアンの関係かんけいを「いうなればかげミスター・クリングとミスター・クラングさ」といいあらわしていた。ストレンジ・デイズ2004ねんNo.55P70 シンコーミュージック ディスク・ガイド・シリーズ#016テクノ・ポップ 美馬みま貴子たかこ監修かんしゅう 掲載けいさいのインタビュー
  52. ^ 同年どうねんおこなわれたクラフトワーク自身じしん認知にんちするかれ最大さいだいきゅうのファン・サイトが運営うんえいされていたブラジルをふく南米なんべいツアーでかれらをスペシャル・ゲストにむかえたレディオヘッドジミ・ヘンドリックスのファンであった。
  53. ^ ちなみにギタリストのジョン・フルシアンテはアウトバーン以前いぜんにクラフトワークを脱退だったいしノイ!を結成けっせいしたミヒャエルのギタープレイに影響えいきょうけており、ジャムセッションをおこなったこともある
  54. ^ かれらのアルバム『Hypnotize』『Mesmerizeない楽曲がっきょくはビーチ・ボーイズ,ゾンビーズともにクラフトワークからの影響えいきょうけているとダロン・マラキアンかたっている[1]
  55. ^ 楽曲がっきょくTalkComputer Loveのリフが使つかわれているけんについてクリス・マーティンは「Computer Loveのリフをいたとき、“おれたちがつくったんだったらかったのに”っておもったよ。かれらがコールドプレイをってるかどうかもわからなかったから、自己じこ紹介しょうかいからはじめなきゃならなかったんだ。15さい少年しょうねんみたいだよ。ラルフさまぼくはコールドプレイというバンドでうたっています・・・・・・とかなんとかさ。みんなにかれらがOKしてくれたのは奇跡きせきだってわれてるよ」とべた[2]。これ以降いこうクラフトワークもしばらくライヴで演奏えんそうしていなかったComputer Loveをセット・リストにくわえた。
  56. ^ ライブ・パフォーマンスにおける視覚しかく効果こうかのパロディーはデビュー当時とうじデペッシュ・モードにもられた
  57. ^ デビューシングルで「Ohm Sweet Ohm」の冒頭ぼうとうをサンプリングしている。
  58. ^ とくに2000ねんアトム・ハートドイツばんによって発表はっぴょうされたクラフトワークのラテン・カヴァーしゅうプレイズ・クラフトワーク英語えいごばん」は注目ちゅうもくをあつめ、さいリリースのさいにはフローリアンが直々じきじきにコメントをせるなどかずあるクラフトワークカヴァーのなかでも特筆とくひつあたいする作品さくひんえる
  59. ^ ラルフは2013ねんのインタビューで「あらゆる世代せだいのエレクトロニック・ミュージシャンたちからのフィードバックには本当ほんとう勇気ゆうきづけられる。それはまさに自分じぶん楽曲がっきょくロボットでいたとおり “バッテリーをチャージしてエネルギーはまんタン”という具合ぐあいなんだよ」とはなしている[3]
  60. ^ クリス・ペティット英語えいごばん監督かんとくさくの『Radio On英語えいごばん』や近年きんねんではデンマークの監督かんとくMichael Madsenによるオルキルオト原子力げんしりょく発電はつでんしょ放射ほうしゃせい廃棄はいきぶつ処理しょりじょうについてのドキュメンタリー・フィルム『100,000ねん安全あんぜん』などがあるほか、クラフトワークのレコードを撮影さつえい現場げんばでもかさなかったというライナー・ヴェルナー・ファスビンダーは70年代ねんだい後半こうはん作品さくひんでクラフトワークの音楽おんがく使用しようしている
  61. ^ ラルフいわく「我々われわれはスタジオを演奏えんそうする」「我々われわれ活動かつどうはスタジオがすべてに優先ゆうせんする」 パスカル・ビュッシー 『クラフトワーク―「マン・マシーン」とミュージック』
  62. ^ 過去かこ使つかわれた楽器がっきとうすべてKLING KLANGに安置あんちされているとのこと
  63. ^ これにってラルフはクラフトワークを“マルチメディアなKLING KLANG(プロダクト)”と表現ひょうげんしている
  64. ^ THE MIXでのツアーからは楽曲がっきょくヨーロッパ特急とっきゅう組曲くみきょくのエンディングにKLING KLANG MUSIK FILMなるロゴが表示ひょうじされるまでにいたった(ミニマム・マキシマムでも確認かくにんできる)
  65. ^ この売却ばいきゃくなかにグループの活動かつどう拠点きょてんのドイツがふくまれていなかったため、おそらく元々もともとはイギリスEMIとの直接ちょくせつ契約けいやくだったとおもわれる。

出典しゅってん

[編集へんしゅう]
  1. ^ By NEIL STRAUSS: Call Them the Beatles Of Electronic Dance Music 1997
  2. ^ パスカル・ビュッシー『クラフトワーク―「マン・マシーン」とミュージック』P30
  3. ^ パスカル・ビュッシー『クラフトワーク―「マン・マシーン」とミュージック』P40
  4. ^ パスカル・ビュッシー『クラフトワーク―「マン・マシーン」とミュージック』P114
  5. ^ ドキュメンタリー映画えいがジョイ・ディヴィジョン
  6. ^ 「ベルギーのクラフトワーク」テレックス・インタビュー
  7. ^ パスカル・ビュッシー『クラフトワーク―「マン・マシーン」とミュージック』 P204
  8. ^ パスカル・ビュッシー『クラフトワーク―「マン・マシーン」とミュージック』 P224、ヴォルフガング・フリューア『クラフトワーク ロボット時代じだい
  9. ^ KRAFTWERK.TECHNOPOP.COM.BR - LAST NEWS - 2009-JAN-7 - ウェイバックマシン(2009ねん1がつ7にちアーカイブぶん
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  12. ^ クラフトワークの共同きょうどう創設そうせつしゃ、フローリアン・シュナイダーが73さい死去しきょ”. Rolling Stone Japan (2020ねん5がつ7にち). 2020ねん5がつ8にち閲覧えつらん
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参考さんこう文献ぶんけん

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  • ヴォルフガング・フリューア ちょ明石あかし政紀まさのり わけ『クラフトワーク ロボット時代じだいシンコー・ミュージック、2001ねん3がつISBN 4-401-61678-2 
  • レコード・コレクターズ 1997ねん3がつごう 雑誌ざっし19637-3
  • 美馬みま貴子たかこ/佐久間さくま秀夫ひでお 製作せいさく THE KRAFTWERK CHRONICLE 年表ねんぴょう TOCP-88224
  • シンコーミュージック ディスク・ガイド・シリーズ#016テクノ・ポップ 美馬みま貴子たかこ監修かんしゅう ISBN 4-401-61851-3
  • ストレンジ・デイズ2004ねんNo.55 ASIN 053010404
  • 月刊げっかんrokin'on MAY2013 雑誌ざっしコード09751-05

関連かんれん項目こうもく

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テキサス・インスツルメンツのSpeak & Spell

外部がいぶリンク

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