クラフトワーク
クラフトワーク KRAFTWERK | |
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![]() | |
![]() ノルトライン=ヴェストファーレン | |
ジャンル |
シンセポップ テクノポップ クラウトロック ニューウェイヴ プログレッシブ・ロック エクスペリメンタル・ロック |
1970 | |
レーベル |
KLING KLANG パーロフォン EMI Astralwerks キャピトル マーキュリー・レコード ヴァーティゴ フィリップス |
KLING KLANG | |
コニー・プランク (アルバムプロデューサー) エーミール・シュルト ( フランソワ・キヴォーキアン (ミックスプロデューサー) ウィリアム・オービット (ミックスプロデューサー) | |
メンバー |
ラルフ・ヒュッター (ヴォイス、シンセサイザー、キーボード) ヘニング・シュミッツ (キーボード、サウンド・エフェクト) ファルク・グリーフェンハーゲン ( ゲオルク・ボンガルツ (ビデオオペレーター) |
フローリアン・シュナイダー (ヴォイス、シンセサイザー、フルート) カール・バルトス ( ヴォルフガング・フリューア ( フェルナンド・アブランテス ( クラウス・レーダー (エレクトリック・ヴァイオリン、ギター) ミヒャエル・ローター (エレキギター) クラウス・ディンガー (ドラム) シュテファン・プファフェ (ビデオオペレーター) フリッツ・ヒルパート ( | |
クラフトワーク(
クラウトロックの
2014
来歴
[結成 と初期
[1960
-
ラルフ・ヒュッター
この
アウトバーンのヒット・最初 の全盛期
[![](https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/a/a3/Kraftwerk_by_Ueli_Frey_%281976%29.jpg/240px-Kraftwerk_by_Ueli_Frey_%281976%29.jpg)
ヴィジュアルや
セックス・ピストルズのジョン・ライドンはクラフトワークのファンである
思 わぬ脚光 ・知 られざるドラマ
[![](https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/6/60/Wir_sind_die_Roboter.jpg/220px-Wir_sind_die_Roboter.jpg)
コンピューター・ワールド・ツアーの
ほとんど
しかしながら
新 活動 とラルフ・ヒュッター体制 へ
[90
ライヴ
フローリアン
90年代 以降 の影響 等
[その
なお、70
演奏 ・舞台 形態 の変化
[コンピューター・ワールド・ツアーに
略歴
[- 1967
年 、ラルフとフローリアンによりクラフトワークの前身 ともいうべきグループ、オルガニザツィオーンが結成 される。 - 1969
年 、実験 的 アルバム『トーン・フロート』(Tone Float) を録音 。翌 1970年 英国 のみリリース。 - 1970
年 、グループ名 をクラフトヴェルク (Kraftwerk) に改称 。世界 的 には英語 読 みの「クラフトワーク」で通用 している。 - 1974
年 、アメリカのラジオ番組 から火 がつき「アウトバーン」が世界 的 にヒット、一躍 有名 に。世界 で多 くのフォロワーを生 み出 す。 - 1980
年代 半 ば〜音 づくりへのこだわりやラルフの自転車 事故 などからアルバム制作 は滞 り、メンバーの脱退 もあってグループとしての活動 も次第 にペースが落 ちて行 く。 - 1990
年代 後期 〜 ワールドツアーライヴを中心 に、徐々 に精力 的 な活動 を再開 。 - 1996
年 、ウェブサイトwww.kraftwerk.comが申請 される。 - 2000
年 、ドイツハノーファー万博 のテーマ曲 としてシングル「EXPO2000」(オービタルら他 のアーティスト達 のリミックスを更 にリミックスしたライヴパフォーマンス用 トラックPlanet of Visionsの原形 )をリリース。 - 2003
年 、17年 ぶりの新作 アルバム『ツール・ド・フランス』リリース。 - 2005
年 、初 の2枚 組 ライヴアルバム『ミニマム・マキシマム』、同名 のライヴDVDリリース。 - 2006
年 、1974年 から2003年 まで発表 した曲 のベストアルバムをリリースする予定 であったが、諸般 の事情 により中止 となる。 - 2008
年 、フローリアンがツアーへの参加 を引退 、制作 のみに携 わることとなる。代役 として映像 技術 を担当 していたシュテファン・プファフェがステージに立 つ。同年 11月 21日 、フローリアンのグループ脱退 が報 じられた。 - 2009
年 、オフィシャルファンサイトで正式 にフローリアンの脱退 が発表 された[9]。また11月にはアウトバーン以降 のスタジオアルバム8枚 をリマスタリングし、ジャケットデザインを変更 して再 リリース。 - 2012
年 、ニューヨーク近代 美術館 (MoMA)にてアルバム アウトバーン以降 の連続 8作品 の全曲 を各 セット・リストに組 み込 んだ8日 連続 の特別 公演 「Retrospective 1 2 3 4 5 6 7 8」が催 される。マイケル・スタイプ、アフリカ・バンバータらと共 に3日 目 (Trans-Europe-Express回 )の観客 であった坂本 龍一 の紹介 により反 原発 イベントNO NUKES2012に出演 。福島 原発 事故 を意識 した「Radioactivity」の歌詞 を日本語 で披露 し、その後 のコンサートでも歌 い続 けている。 - 2013
年 、「Retrospective 1 2 3 4 5 6 7 8」を地元 であるドイツ・デュッセルドルフのノルトライン=ヴェストファーレン州立 美術館 やロンドンのテート・モダンでも開催 。東京 の赤坂 BLITZ(日本 では9年 ぶりの単独 公演 となる)やシドニー・オペラハウスでもこの形態 での公演 が実現 した。 - 2014
年 、「グラミー賞 ・特別 功労賞 生涯 業績 賞 」を受賞 。8月、サマーソニックのセカンドステージのトリを務 める。また、カサビアンとともにSONIC MANIAにも出演 。 - 2017
年 、既存 のアルバムをリメイクした「3-D The Catalogue」を発売 [10]。 - 2019
年 4月 、来日 公演 [11]。 - 2020
年 4月 、創設 者 の一人 フローリアン・シュナイダーが死去 [12]。 - 2021
年 、「ロックの殿堂 」入 り[13]。
メンバー
[※2024
現 ラインナップ
[- ラルフ・ヒュッター (Ralf Hütter) - ボーカル/シンセサイザー/キーボード (1970– )
クラフトワークの
- ヘニング・シュミッツ (Henning Schmitz) - サウンド・エフェクト/キーボード (1991– )[14]
- ファルク・グリーフェンハーゲン (Falk Grieffenhagen) -
映像 テクニシャン (2012–2022)、電子 ドラム(2023-)[14][15] - ゲオルク・ボンガルツ (Georg Bongartz) -
映像 テクニシャン (2023-)
-
ラルフ・ヒュッター (2018
年 ) -
ヘニング・シュミッツ (2013
年 ) -
ファルク・グリーフェンハーゲン (2018
年 )
旧 メンバー
[- フローリアン・シュナイダー・エスレーベン (Florian Schneider-Esleben) - シンセサイザー/フルート/ヴォコーダー/ヴォーカルなど (1970–2008)
- トーマス・ローマン (Thomas Lohmann) - ドラムス (1970)
1970
- アンドレアス・ホーマン (Andreas Hohmann) - ドラムス (1970)(
脱退 →Ibliss→The Alex Parche Band)
ファーストアルバムにも
- クラウス・ディンガー (Klaus Dinger) - ドラムス (1970–1971)(
脱退 →ノイ!→La Düsseldorf→La! Neu?)
- エバーハルト・クラネマン (Eberhard Kranemann) - ベース/チェロ/スティール・ギター (1970–71)(
脱退 →ノイ!→FRITZ MÜLLER→Bluepoint Underground)
シャーリー・ヴァイスとフローリアンと
- シャーリー・ヴァイス (Karl „Charly“ Weiss) - ドラムス (1970)(
脱退 →El Snyder und Charly McWhite)
エバーハルトとフローリアンと
- ペーター・シュミット (Peter A. Schmidt) - ドラムス (1970)
- ホウシェンク・ネヤデポワー (Houschäng Néjadepour) - ギター (1970–71)(
脱退 →the Eiliff→the Guru Guru)
エバーハルト、シャーリー、フローリアンと
- ミヒャエル・ローター (Michael Rother) - ギター (1971)(
脱退 →ノイ!→Harmonia→ソロ活動 )
ラルフが
- エーミール・シュルト (Emil Schult) - ギター/
電子 ヴァイオリン (1973)(脱退 →グラフィック・デザイン、作詞 )
ラルフ、フローリアンらと
- プラート・コスティック (Plato Kostic Riviera) - ベース (1973)
- クラウス・レーダー (Klaus Röder) - ギター/
電子 ヴァイオリン (1974)(脱退 →ソロ活動 ・音楽 教師 )
アルバム「アウトバーン」に
- ヴォルフガング・フリューア (Wolfgang Flür) -
電子 パーカッション (1973–1987)(脱退 →Yamo→ソロ活動 ) - カール・バルトス (Karl Bartos) -
電子 パーカッション/キーボード (1975–1991)[27](脱退 →Elektric Music (Electric Music)→ソロ活動 ) - フェルナンド・アブランテス (Fernando Fromm-Abrantes) -
電子 パーカッション/シンセサイザー (1991)(脱退 →編曲 家 ・プロデューサー→ソロ活動 )
アルバム「The Mix」および1991
- シュテファン・プファフェ (Stefan Pfaffe) -
映像 テクニシャン (2008–2012)
- フリッツ・ヒルパート (Fritz Hilpert) -
電子 パーカッション (1989–2022)[14]
「THE MIX」の
-
フリッツ・ヒルパート (2013
年 )
メンバーのタイムライン
[
![](https://upload.wikimedia.org/wikipedia/ja/timeline/m1l2h9h3ts39bk1nee9kji654um42sl.png)
ディスコグラフィ
[スタジオアルバム
[- 『クラフトワーク』 - Kraftwerk(1971
年 ) - 『クラフトワーク 2』 - Kraftwerk 2(1972
年 ) - 『ラルフ&フローリアン』 - Ralf & Florian(1973
年 ) - 『アウトバーン』 - Autobahn(1974
年 ) - 『
放射能 』 - Radio-Activity(1975年 ) - 『ヨーロッパ
特急 』 - Trans-Europe Express(1977年 ) - 『
人間 解体 』 - The Man Machine(1978年 ) - 『コンピューター・ワールド』 - Computer World(1981
年 ) - 『エレクトリック・カフェ』 - Electric Cafe(1986
年 )2009年 11月発売 のリマスター版 から『テクノ・ポップ』(Techno Pop) に改題 - 『ツール・ド・フランス』 - Tour de France Soundtracks(2003
年 )
コンピレーション
- 『The Mix』 - The Mix(1991
年 )『アウトバーン』から『エレクトリックカフェ』までに収録 された楽曲 のリミックスコンピレーション。 - 『The Model (Retrospective 1975-1978)』 - The Model (Retrospective 1975-1978)(1992
年 ) - 『Remixes』 - Remixes(2020
年 )シングル盤 にのみ収録 されていたリミックスバージョンの楽曲 とMusic non stopのリミックスバージョン(Non Stopとして収録 )のコンピレーション。デジタル/ストリーミングのみでのリリース。[30]
ライブアルバム
[- 『アウトバーン・ツアー』 - Concert Classics (live; released late 1990s but recorded 1974 or 1975)
- 『ミニマム・マキシマム』 - Minimum-Maximum(2005
年 ) - 3-D The Catalogue(2017
年 )
備考 補足
なお、『
脚注
[注釈
[- ^ 1970
年代 後半 以降 のラルフ・ヒュッターはクラフトワークの音楽 を好 んで“ロボ・ポップ”と称 した他 、やがて20世紀 のクラシック、またはインダストリアル・フォークソングとも称 している パスカル・ビュッシー『クラフトワーク―「マン・マシーン」とミュージック』美馬 亜 貴子 /佐久間 秀夫 製作 THE KRAFTWERK CHRONICLE年表 TOCP-88224 - ^
音楽 ライターでレコード制作 者 のパスカル・ビュッシーは1994年 の著書 『クラフトワーク―「マン・マシーン」とミュージック』の前書 きで「クラフトワークに影響 を受 けたグループがあまりに膨大 な数 にのぼるので、その名 を列挙 したり、インタビューをするのがとても無理 なことが分 かった」と記 している。 - ^
植物 園 で出会 ったという。 ストレンジ・デイズ2004年 No.55 P66 クラフトワーク・ストーリー [大鷹 俊一 ] - ^ クラフトワークと
親 しいジャーナリスト ポール・アレッサンドリーニは「面白 いことに二 人 は上層 中産 階級 の出 なんだ。彼 らは大 ブルジョワ出身 のインテリで、それとは違 った世界 を発見 しようとしたんじゃないか。それでロックの世界 に入 り込 んでみようとしたわけだ」と推察 している。パスカル・ビュッシー『クラフトワーク―「マン・マシーン」とミュージック』P23 - ^ ラルフや
後 に加入 するカールは「クラシックや行進曲 、英語 で歌 われるポップスでは無 く自分 たちの音楽 を持 とうと思 った」と事 あるごとに語 っている。最 もそれらの音楽 を否定 してはおらず、70年代 半 ば以降 ラルフは「僕 たちがやっているのはクラシックだから、曲 もクラシックになる」と発言 していた。また後 にレコード会社 で彼 らを担当 することになるマクシム・シュミットは「グループとしての力 、クラシック性 、強 さ、全 てがクラフトワークの中 にはあった。それはラルフによって与 えられたものだ」と発言 している。パスカル・ビュッシー『クラフトワーク―「マン・マシーン」とミュージック』P143他 - ^ クラフトワークの
音楽 の根底 には伝統 的 なドイツ特有 のリズム感 があるとも発言 している。シンコーミュージック ディスク・ガイド・シリーズ#016テクノ・ポップ美馬 亜 貴子 監修 - ^ ドイツのグループでありながら
英語 で名乗 るタンジェリン・ドリームなどとの違 いが意識 されていた。ラルフ曰 く「ドイツ語 はとてもメカニカルで、それを音楽 の基本 構造 として使 っている」パスカル・ビュッシー『クラフトワーク―「マン・マシーン」とミュージック』P42 また全盛期 から現在 までライヴの開幕 時 に使 われる如何 にもロボチックな人工 音声 によるアナウンスも主 にドイツ語 が使用 される - ^ ピンク・フロイドからの
影響 をインタビュアーに指摘 されたラルフは「逆 だ。彼 らこそフランスの新 古典 主義 音楽 やドイツの電子 音楽 から多 くを得 ている」と返 した。パスカル・ビュッシー『クラフトワーク―「マン・マシーン」とミュージック』P33 - ^ 40
年 後 にニューヨーク近代 美術館 (MoMA)で回顧 展 が行 われた事 について結成 当時 からアート・シーンに関 わりがあった事 にラルフはインタビューで言及 している他 、フローリアンは「自分 達 の友人 には音楽家 よりも医者 やコンピューターの専門 家 、心理 学者 、作家 、画家 など他 分野 の人 の方 が多 い」と発言 した事 もある パスカル・ビュッシー『クラフトワーク―「マン・マシーン」とミュージック』 - ^
楽器 の発案 や人工 音声 の制作 を得意 としたフローリアンについて後 に加入 するカールは「音楽家 というよりはアーティストに近 い」と形容 している。またグループの共同 作業 者 であったエーミール・シュルトは「常 に引 っ張 り役 だったのはフローリアンで、新 しい展開 をする段 になると、フローリアンが物事 を前 に進 めた。気性 からいって彼 はみんなと速度 が違 っていた。音楽 に磨 きがかかっていたら、それはフローリアンのおかげだ」と発言 している。パスカル・ビュッシー『クラフトワーク―「マン・マシーン」とミュージック』P142他 - ^
主 にザ・フーなどに影響 されていたヴォルフガングは、当時 長髪 だったラルフの外見 にドアーズからの影響 を感 じたと著書 ロボット時代 で振 り返 っている - ^ 2013
年 のインタビューでラルフの口 から「当時 のアルバムはコレクター向 け」と位置付 けられた月刊 rokin'on MAY2013 P93 - ^ ラルフは「
我々 は頭脳 的 なことばかりを意味 するエレクトロニック(ミュージック)に体 幹 (ハート=筋肉 )を加 えた」と表現 している 1982年 マーク・クーパーによるインタビュー - ^ フローリアンは「
自分 たちのヒーローであるビーチ・ボーイズと同 じ地 に立 てて光栄 だ」と語 った。また楽曲 アウトバーンの歌詞 "Wir fahr'n fahr'n fahr'n auf der Autobahn"は正確 なドイツ語 を若干 崩 しておりビーチ・ボーイズの楽曲 ファン ファン ファンのフレーズを意識 したと言 われている(ヒットした要因 にもあげられる) パスカル・ビュッシー『クラフトワーク―「マン・マシーン」とミュージック』 - ^ 「
演奏 者 は音楽 のダイナミズムを表現 するためにステージ上 で情熱 的 になる事 が多 いのにクラフトワークは徹底 してクールですね」とのインタビューに対 しラルフは「音楽 は我々 にとってより精神 的 なものなんだ。ボタンの操作 を誤 ってしまう訳 にはいかないのでステージ上 では無 暗 やたらに飛 び回 る事 はできない。電子 機材 は非常 に繊細 なもので、その操作 はミクロ単位 でメスを動 かすようなものなんだ」と答 えている。また「オーディエンスの反応 は気 にしていますか?」と聞 かれ「もちろんだ、我々 は20人 から2万 人 の前 で演奏 するがオーディエンスの反応 はいつだってライヴの重要 な要素 さ」と答 えている。ストレンジ・デイズ2004年 No.55 P69 ヴォルフガング・フリューア『クラフトワーク ロボット時代 』 - ^ フローリアンの
発案 で制作 された光電管 製 の巨大 な檻 型 電子 ドラムは反応 が極 めて不 確実 であったものの、何 らかの面倒 なトラブルに見舞 われた日 のステージに限 って何故 か上手 く作動 したとヴォルフガングは著書 ロボット時代 で振 り返 っている - ^ メンバーの
名前 があしらわれたネオンは専門 店 で働 いていたフローリアンの妹 が用意 した物 であった - ^
当時 ラルフはボウイとのコラボレーションについて示唆 した事 があったがグループの独自 性 を優先 する為 に実現 はされなかった - ^ パンク・ロックの
祖 の一人 とされながらも知的 な一 面 でも知 られるイギー・ポップと共 に楽曲 ヨーロッパ特急 の歌詞 に登場 している(これもボウイを通 じて実際 に面会 した経験 が元 になっている。イギーは当時 ラルフとフローリアンに夢中 だった) パスカル・ビュッシー『クラフトワーク―「マン・マシーン」とミュージック』P123 - ^ ボウイは
特 にフローリアンの乾 いたユーモアを評価 しておりアルバム英雄 夢語 り (ヒーローズ)に彼 の名 を冠 したV-2 シュナイダーなる楽曲 を収 めた - ^ アルバム
放射能 制作 当時 のスタジオ内 ではキンクスが愛 聴されていた パスカル・ビュッシー『クラフトワーク―「マン・マシーン」とミュージック』 - ^
初期 からアルバム人間 解体 以前 のクラフトワークは日本 などでは「ジャーマン・プログレッシブ・ロック」として紹介 されていた - ^ アウトバーン・ツアーでのヘヴィースケジュールから
喚起 されたと同時 に彼 らに対 するイメージがやがて“マン・マシーン”なるコンセプトへと繋 がっていった パスカル・ビュッシー『クラフトワーク―「マン・マシーン」とミュージック』 - ^ 2012
年 より開催 されている『Retrospective 1 2 3 4 5 6 7 8』ではこの特徴 がそのまま活 かされていると言 える - ^
因 みにクラフトワークを脱退 しノイ!で活動 した時期 のクラウス・ディンガーのボーカルがパンク的 歌唱 の祖 とする説 もある - ^
少 なくともヴォルフガングはそう意識 していたと著書 ロボット時代 に記 している - ^ アルバムヨーロッパ
特急 のドイツ国内 盤 のジャケットで使用 されたモノクロの写真 はラモーンズのデビューアルバムのジャケット写真 に見 られる現実 重視 型 のアプローチからの影響 を反映 している。これはクラフトワークの様 に高価 な機材 を扱 うバンドとしては異例 のアプローチであった パスカル・ビュッシー『クラフトワーク―「マン・マシーン」とミュージック』P123 - ^ パンクの
興隆 と共 にプログレッシヴ・ロック・シーンは勢 いを弱 めていったが クラフトワークはその確信 犯 的 な非 人間 性 ・非 観念 性 によって糾弾 を免 れたのみならずパンク~ニュー・ウェイヴムーヴメントの中 でも特殊 な磁力 を発 する事 となった - ^ これはビートルズやチャック・ベリー、ローリング・ストーンズなどのファンでもあったカールのメロディセンスに
因 るところも小 さくない パスカル・ビュッシー『クラフトワーク―「マン・マシーン」とミュージック』 - ^
初 来日 時 に親交 を持 った坂本 龍一 が後年 にリリースしたシングルZERO LANDMINEにサウンドロゴを提供 した。またNO NUKES2012で初 披露 された福島 第 一 原発 事故 を意識 した日本語 の歌詞 も坂本 龍一 の監修 である SIGHT特別 号 NO NUKES (ノーヌークス) 2012 2012年 09月 号 - ^
細野 晴臣 は「クラフトワークをき込 むほどドイツとかヨーロッパの歴史 の深 さに圧倒 されるばかりだったんです。これは僕 らにはできない。彼 らに対抗 する方法 論 が見 つけだせなかったそんな時 に北京 の楽団 が自分 たちは東洋 人 であるという意識 を刺激 してくれた」と語 っている Yellow Magic Orchestra USA(2003リイシュー時 のインタビューより) - ^ クラフトワークを「ヨーロッパ
的 ソウル」と評 し、16歳 の頃 に後 に妻 となったアリソンに『人間 解体 』のLPをプレゼントした事 もフロム・ザ・スカイ・ダウンで語 られる - ^ U2はシングルヴァーティゴにネオン・ライツのカヴァーを
収録 している - ^ メンバー
全員 にとって気配 りの行 き届 いた日本 は心地 よく「絶対 にまた来 よう」と確約 し合 ったという。またヴォルフガングは著書 ロボット時代 に“日本 の都市 における秩序 と相互 の生活 への気配 りに関 して、私 たちヨーロッパ人 はまだまだ学 ぶことがある”と記 している。 - ^ これは
以前 ブライアン・イーノが想像 していたクラフトワークとPファンクを組合 わせたロボ・ファンクなる発想 と同 じ物 であった - ^ これら“テクノ”という
呼称 は日本 で使 われだした上述 のテクノポップという呼称 をクラフトワークが気 に入 り自 らの楽曲 ・歌詞 として使用 した物 を更 にデリックが部分 的 に使用 したものである - ^ クラシック
音楽 や現代 音楽 のみならずジョン・コルトレーン、チャールズ・ミンガスなどのモダン・ジャズの知識 に加 え、音響 的 な側面 でMC5やザ・ストゥージズにも関心 があったラルフはドイツ語 ・英語 に加 えフランス語 とスペイン語 にも堪能 である パスカル・ビュッシー『クラフトワーク―「マン・マシーン」とミュージック』 - ^ ラルフ
曰 く「これこそ私 だ。マン・マシーンだ」 パスカル・ビュッシー『クラフトワーク―「マン・マシーン」とミュージック』 - ^ エルトン・ジョンもその
一人 である パスカル・ビュッシー『クラフトワーク―「マン・マシーン」とミュージック』P203 - ^ マイケルはアルバムバッド
以降 サウンドのエレクトロ化 を深 め、楽曲 『ダーティー・ダイアナ』では『Abzug』に酷似 したサウンドが使用 されている - ^ ラルフはマイケルに
対 してライバル心 を持 っていたとも言 われ、またデビッド・ボウイの時 と同様 にグループの独自 性 や孤高 性 を優先 した為 であるとグループに近 い人物 は推測 している パスカル・ビュッシー『クラフトワーク―「マン・マシーン」とミュージック』P204 - ^
機材 の進歩 の速 さが制作 のペースを追 い越 してしまったと言 われるエレクトリック・カフェの発表 によるツアーは行 われなかった。またこの時期 のクラフトワークはクイーンを思 わせる作風 に接近 したが、しばらくして以前 の作風 に戻 ったという パスカル・ビュッシー『クラフトワーク―「マン・マシーン」とミュージック』 - ^
以前 は楽曲 ロボットの演奏 時 に登場 していたマネキンは主 に上体 が遠隔 操作 出来 るロボットに取 って替 わられた。ラルフはこの事 をとても喜 んでいた。 パスカル・ビュッシー『クラフトワーク―「マン・マシーン」とミュージック』 - ^ ラルフはクラフトワークが
原子力 発電 所 に反対 する理由 に「放射 性 廃棄 物 の最終 処分 について誰 にも納得 のいく説明 ができない」事 を挙 げている月刊 rokin'on MAY2013 P93 - ^ U2やパブリック・エナミーも
出演 した - ^ 97
年 にイギリスのレイヴイベント トライバル・ギャザリングに出演 した際 はデトロイト・テクノの出演 者 のブースが全員 クラフトワークを見 るために閉鎖 された。ストレンジ・デイズ2004年 No.55 P72中野 泰博 文 - ^ カールらと
共 に自然 とグループを離 れたエーミール・シュルトは5年 近 くに及 んだ作業 から生 まれたこのアレンジに対 して「ダヴィンチがモナ・リザの絵 を撤回 して再 び描 き直 すだろうか?」と懐疑 的 であった パスカル・ビュッシー『クラフトワーク―「マン・マシーン」とミュージック』P228 - ^
彼等 の新作 アルバムの発表 予告 はラルフ自身 の口 から出 た場合 であっても決 して信頼 出来 ない程 に余 りにも長 い間 実現 しないままであった - ^
当時 MTVヨーロッパ・ミュージック・アワードでライヴパフォーマンスを行 う際 にカイリー・ミノーグは「どんなアーティストだって彼 らの影響 を受 けているわ!」と紹介 した - ^
本人 は「クラフトワークとしての活動 に興味 が持 てなくなった」と語 り、ラルフは、ヴォルフガングの著書 にも詳述 されているフローリアンの長年 の長期 的 なツアー嫌 いについて言及 した - ^
以前 ラルフは自身 とフローリアンの関係 を「いうなれば陰 と陽 、ミスター・クリングとミスター・クラングさ」とい表 していた。ストレンジ・デイズ2004年 No.55P70 シンコーミュージック ディスク・ガイド・シリーズ#016テクノ・ポップ美馬 亜 貴子 監修 掲載 のインタビュー - ^
同年 に行 われたクラフトワーク自身 も認知 する彼 ら最大 級 のファン・サイトが運営 されていたブラジルを含 む南米 ツアーで彼 らをスペシャル・ゲストに迎 えたレディオヘッドやジミ・ヘンドリックスのファンであった。 - ^
因 みにギタリストのジョン・フルシアンテはアウトバーン以前 にクラフトワークを脱退 しノイ!を結成 したミヒャエルのギタープレイに影響 を受 けており、ジャムセッションを行 った事 もある - ^
彼 らのアルバム『Hypnotize』『Mesmerize』内 の楽曲 はビーチ・ボーイズ,ゾンビーズと共 にクラフトワークからの影響 を受 けているとダロン・マラキアンは語 っている[1] - ^
楽曲 TalkでComputer Loveのリフが使 われている件 についてクリス・マーティンは「Computer Loveのリフを聴 いたとき、“俺 たちが作 ったんだったら良 かったのに”って思 ったよ。彼 らがコールドプレイを知 ってるかどうかもわからなかったから、自己 紹介 から始 めなきゃならなかったんだ。15歳 の少年 みたいだよ。ラルフ様 、僕 はコールドプレイというバンドで歌 っています・・・・・・とかなんとかさ。みんなに彼 らがOKしてくれたのは奇跡 だって言 われてるよ」と述 べた[2]。これ以降 クラフトワークもしばらくライヴで演奏 していなかったComputer Loveをセット・リストに加 えた。 - ^ ライブ・パフォーマンスにおける
視覚 効果 のパロディーはデビュー当時 のデペッシュ・モードにも見 られた - ^ デビューシングルで「Ohm Sweet Ohm」の
冒頭 をサンプリングしている。 - ^
特 に2000年 にアトム・ハートによって発表 されたクラフトワークのラテン・カヴァー集 「プレイズ・クラフトワーク」は注目 をあつめ、再 リリースの際 にはフローリアンが直々 にコメントを寄 せるなど数 あるクラフトワークカヴァーの中 でも特筆 に値 する作品 と言 える - ^ ラルフは2013
年 のインタビューで「あらゆる世代 のエレクトロニック・ミュージシャン達 からのフィードバックには本当 に勇気 づけられる。それはまさに自分 が楽曲 ロボットで書 いた通 り “バッテリーをチャージしてエネルギーは満 タン”という具合 なんだよ」と話 している[3] - ^ クリス・ペティット
監督 作 の『Radio On』や近年 ではデンマークの監督 Michael Madsenによるオルキルオト原子力 発電 所 の放射 性 廃棄 物 処理 場 についてのドキュメンタリー・フィルム『100,000年 後 の安全 』などがある他 、クラフトワークのレコードを撮影 現場 でも欠 かさなかったというライナー・ヴェルナー・ファスビンダーは70年代 後半 の作品 でクラフトワークの音楽 を使用 している - ^ ラルフ
曰 く「我々 はスタジオを演奏 する」「我々 の活動 はスタジオが全 てに優先 する」 パスカル・ビュッシー 『クラフトワーク―「マン・マシーン」とミュージック』他 - ^
過去 に使 われた楽器 等 は全 てKLING KLANGに安置 されているとの事 - ^ これに
依 ってラルフはクラフトワークを“マルチメディアなKLING KLANG(プロダクト)”と表現 している - ^ THE MIXでのツアーからは
楽曲 ヨーロッパ特急 組曲 のエンディングにKLING KLANG MUSIK FILMなるロゴが表示 されるまでに至 った(ミニマム・マキシマムでも確認 できる) - ^ この
売却 の中 にグループの活動 拠点 のドイツが含 まれていなかったため、おそらく元々 はイギリスEMIとの直接 契約 だったと思 われる。
出典
[- ^ By NEIL STRAUSS: Call Them the Beatles Of Electronic Dance Music 1997
- ^ パスカル・ビュッシー『クラフトワーク―「マン・マシーン」とミュージック』P30
- ^ パスカル・ビュッシー『クラフトワーク―「マン・マシーン」とミュージック』P40
- ^ パスカル・ビュッシー『クラフトワーク―「マン・マシーン」とミュージック』P114
- ^ ドキュメンタリー
映画 「ジョイ・ディヴィジョン」 - ^ 「ベルギーのクラフトワーク」テレックス・インタビュー
- ^ パスカル・ビュッシー『クラフトワーク―「マン・マシーン」とミュージック』 P204
- ^ パスカル・ビュッシー『クラフトワーク―「マン・マシーン」とミュージック』 P224、ヴォルフガング・フリューア『クラフトワーク ロボット
時代 』 - ^ KRAFTWERK.TECHNOPOP.COM.BR - LAST NEWS - 2009-JAN-7 - ウェイバックマシン(2009
年 1月 7日 アーカイブ分 ) - ^ “クラフトワーク(Kraftwerk)アルバム
再現 ライヴ『3-D The Catalogue』が映像 作品 &CD化 ”. TOWER RECORDS (2017年 5月 9日 ). 2019年 1月 29日 閲覧 。 - ^ “クラフトワーク、
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全曲 公開 [4] 2020年 12月27日 閲覧
参考 文献
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著 、明石 政紀 訳 『クラフトワーク―「マン・マシーン」とミュージック』水声 社 、1994年 3月 。ISBN 4-891-76297-7。 - ヴォルフガング・フリューア
著 、明石 政紀 訳 『クラフトワーク ロボット時代 』シンコー・ミュージック、2001年 3月 。ISBN 4-401-61678-2。 - レコード・コレクターズ 1997
年 3月 号 雑誌 19637-3 美馬 亜 貴子 /佐久間 秀夫 製作 THE KRAFTWERK CHRONICLE年表 TOCP-88224- シンコーミュージック ディスク・ガイド・シリーズ#016テクノ・ポップ
美馬 亜 貴子 監修 ISBN 4-401-61851-3 - ストレンジ・デイズ2004
年 No.55 ASIN 053010404 月刊 rokin'on MAY2013雑誌 コード09751-05
関連 項目
[![](https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/1/1e/Speak_%26_Spell_%28original_style%29.jpg/100px-Speak_%26_Spell_%28original_style%29.jpg)
- en:Texas Instruments LPC Speech Chips
- en:Speak & Spell (toy)
- ホット・チップ
- ウィッチクラフトワークス -「クラフトワーク」という
単語 が出 ている他 、アニメ版 ED「ウィッチ☆アクテビティ」等 のジャケットはクラフトワークのアルバムのパロディである。
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年 8月 11日 アーカイブ分 )