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農学のうがく

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農学のうがく(のうがく、えい: agricultural science、または略称りゃくしょうとしてagriscience[1])は、農業のうぎょう林業りんぎょう水産すいさんぎょう畜産ちくさんぎょうなどにかかわる、応用おうようてき学問がくもん農産物のうさんぶつ栽培さいばい育種いくしゅ生産せいさん技術ぎじゅつ向上こうじょう生産せいさんぶつ加工かこう技術ぎじゅつなどや、生産せいさんかかわる社会しゃかいてき原理げんり環境かんきょう保全ほぜんなど、だいいち産業さんぎょうかかわる幅広はばひろ事柄ことがら研究けんきゅうし、産業さんぎょう改良かいりょう発展はってん目指めざす。広義こうぎ自然しぜん科学かがくぞくし、化学かがく生物せいぶつがく地学ちがくなどを基礎きそとするが、社会しゃかい科学かがく基盤きばん一部いちぶす。

農学のうがく

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ドイツの農学のうがく

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ドイツではさんじゅうねん戦争せんそうによる国土こくど荒廃こうはいからの回復かいふく人口じんこう食糧しょくりょう需要じゅよう増加ぞうかから18世紀せいきまつ農業のうぎょう技術ぎじゅつてき社会しゃかい経済けいざいてき改革かいかく運動うんどうがりをみせた[2]

1727ねん、ウィルヘルム1せい(Friedrich Wilhelm I)によってハレ大学だいがくフランクフルト大学だいがくはじめて農業のうぎょう官房かんぼうがく(Kameralwissenschaft)の講座こうざ設立せつりつされ、どう世紀せいきまつまでにおおくの大学だいがくでもこのような講座こうざひらかれた[2]

ゲッティンゲン大学だいがく官房かんぼうがく講座こうざ教授きょうじゅのベックマン(J.Beckmann)は、1769ねんに『ドイツ農業のうぎょう原理げんり(Grundsatzeder deutschen Landwirtschaft)』をあらわし、農学のうがく体系たいけい一般いっぱん農学のうがく(Allgemeine Theil)と特殊とくしゅ農学のうがく(Besondere Theil)にけ、特殊とくしゅ農学のうがくたがやせしゅやしなえ畜、施肥せひ一般いっぱん農学のうがく農場のうじょう農業のうぎょうぶつ雇人やといにん分類ぶんるいした[2]。ベックマンの分割ぶんかつ農業のうぎょう体系たいけいは、その農学のうがくしゃ決定的けっていてき影響えいきょうあたえたが、ベックマンの著書ちょしょでは一般いっぱん農学のうがくわずかにべているのみで農学のうがく官房かんぼうがくから自立じりつさせるのに成功せいこうするにはいたらなかった[2]

ドイツにおける近代きんだい農学のうがくはテーヤ(A.D. Thaer)とされており、農学のうがく官房かんぼうがく体系たいけいからはなして自立じりつてき学問がくもんとして科学かがくてき体系たいけいした[2]。テーヤは主著しゅちょ合理ごうりてき農業のうぎょう原理げんり』の最初さいしょ基礎きそろんで、農業のうぎょう動植物どうしょくぶつたい生産せいさん(またそれらの加工かこう)によって収益しゅうえき(Gewinn)をあげることを目的もくてきとするひとつの営業えいぎょうで、完全かんぜん農業のうぎょうとは出来できるだけたか持続じぞくてき収益しゅうえきしょ事情じじょうおうじて、その経営けいえいから農業のうぎょうであると「合理ごうりてき農業のうぎょう概念がいねん規定きてい」をしめした[2]。テーヤにより、農業のうぎょう経営けいえい家父かふがく(Lehre von der Haushaltungskunst)の課題かだいとしてあつかわれるにすぎなかった段階だんかいから、営業えいぎょう(Gewerb)としてわれる段階だんかい発展はってんした[2]。ただし、テーヤの経済けいざいろん大半たいはん地力じりき維持いじろん(フムスせつ)を根幹こんかんとしており、組織そしき管理かんりろんについて経営けいえい管理かんり能力のうりょく向上こうじょうさせるための農業のうぎょう教育きょういく必要ひつようせい指摘してきしているが、具体ぐたいてきにはほとんど展開てんかいされていないという指摘してきがある[2]

19世紀せいきのドイツでは農学のうがくひとつの体系たいけいゆうする学問がくもんとして成立せいりつしうるとかんがえられるようになったが、テーヤの農学のうがく農芸のうげい化学かがくしゃ台頭たいとうした19世紀せいき中葉ちゅうよう一時期いちじき影響えいきょうりょくうすれた[2]

農学のうがく通説つうせつではテーヤ農学のうがく批判ひはん急先鋒きゅうせんぽうリービッヒ(Liebich)としている[2]。ヨーロッパで進展しんてんした自然しぜん科学かがく農学のうがく進展しんてんあたえた影響えいきょうおおきく、そのひとつにリービッヒが植物しょくぶつ生長せいちょうに、炭酸たんさんガス、みず窒素ちっそリンカリ重要じゅうようであることを発見はっけんしたこともげられている[3]一方いっぽうでリービッヒは自然しぜん科学かがくてき合理ごうりせい無視むしした掠奪りゃくだつこう地力じりき収奪しゅうだつこう)こそが、国家こっか物質ぶっしつてき政治せいじてき精神せいしんてき基盤きばん弱体じゃくたいさせるもので、人類じんるい存亡そんぼうにかかわる回避かいひすべき問題もんだいとみていた[2]。また、当時とうじもっと合理ごうりてきかんがえられていた輪栽りんさいしき農法のうほうもリービッヒは掠奪りゃくだつこうにあたるとかんがえており、地力じりき均衡きんこう農学のうがくにおいておおきな議論ぎろんとなった[2]

リービッヒの農学のうがく思想しそう自然しぜん科学かがくてき認識にんしきただしさと好景気こうけいき背景はいけいれられるきもあったが、徐々じょじょ批判ひはんはじめてだい不況ふきょうはいると批判ひはん決定的けっていてきとなって急速きゅうそくわすられ、以後いごたん化学かがくしゃとして位置いちづけられるようになった[2]

その、カント哲学てつがく影響えいきょうつよけたシュルツェ(F.G. Schultze)がドイツ農学のうがく主流しゅりゅうでテーヤにつぐ第一人者だいいちにんしゃひょうされるようになった[2]じゅうきゅう世紀せいき前半ぜんはんからドイツ各地かくち農業のうぎょうアカデミーが開校かいこうしたが、イェーナ大学だいがくせい教授きょうじゅになっていたシュルツェは1826ねんにイェーナにのう学校がっこう創設そうせつした[2]。イェーナののう学校がっこうのう学校がっこうとはことなり、大学だいがく有機ゆうきてきつよむすびつきをもち、そののドイツの農業のうぎょう教育きょういく制度せいど決定的けっていてき影響えいきょうおよぼした[2]

イギリスの農学のうがく

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イギリスはヨーロッパもっとのうしょあらわされたくにとされ、18世紀せいきから19世紀せいき農業のうぎょう革命かくめいにイングランドで技術ぎじゅつてき側面そくめん普及ふきゅうのためにのうしょ必要ひつようとされていたことによる[4]農業のうぎょう革命かくめいによる変化へんかは、休閑きゅうかん廃止はいし飼料しりょう作物さくもつ導入どうにゅう農作物のうさくもつ組合くみあわせによる地力じりき維持いじ家畜かちくしゃ飼との結合けつごうによるこくくさしき農法のうほう輪栽りんさいしき農法のうほうなどであり、中世ちゅうせいにおける穀物こくもつ生産せいさんりょく播種はしゅりょうの4ばいだったが、18世紀せいきには10ばい飛躍ひやくてき増加ぞうかした[4]農作業のうさぎょう機械きかいはそれよりおそく、19世紀せいき収穫しゅうかく作業さぎょう機械きかいはじまり、機械きかいすすんだのは20世紀せいき初頭しょとうのことであった[4]

農業のうぎょう革命かくめいにはしん農法のうほう導入どうにゅうによる土地とち生産せいさんせい向上こうじょうと、しん農法のうほうれる農村のうそん社会しゃかい確立かくりつの2つが基本きほんてき要素ようそになっているが、のうしょしん農法のうほう普及ふきゅうさせるための媒体ばいたいとなった[4]

イングランドののうしょ歴史れきしは、13世紀せいき後半こうはんにウォルター・オブ・ヘンリー(Walter of Henley)があらわした『農業のうぎょうろん』にはじまるといわれており、中世ちゅうせい農業のうぎょう生産せいさん技術ぎじゅつ一端いったんることができる[4]

17世紀せいき中頃なかごろにはだい1かこおこなわれ、その個人こじんゆうこくくさしき農法のうほう普及ふきゅうしつつあったが、1652ねんにはブライス(W. Blith)がクローバーなどの作付さくづけを奨励しょうれいする『イングランドの進歩しんぽてき改良かいりょうしゃ』をあらわしている[4]

18世紀せいきはいり、タル(Tull)が『うま耨農ほう』をあらわし、休閑きゅうかん無用むようせつ飼料しりょうようカブの中耕ちゅうこう除草じょそうき、輪栽りんさいしき農法のうほう時代じだいはじまったといわれているが、中耕ちゅうこう除草じょそうせいにより使用しようすることができなかったため普及ふきゅうせず、農作業のうさぎょう機械きかいは19世紀せいき後半こうはんまでたねばならなかった[4]

18世紀せいき後半こうはんから19世紀せいき前半ぜんはんにかけて輪栽りんさいしき農法のうほうおもにイングランド東部とうぶ普及ふきゅうしたが、その提唱ていしょうしゃ一人ひとりがアーサー・ヤングであり、資本しほん主義しゅぎてき農業のうぎょう経営けいえい萌芽ほうががみられる[4]

19世紀せいき室内しつないでの科学かがく実験じっけんからのアプローチが農業のうぎょう信頼しんらいできるものになるには、圃場ほじょうにおける検証けんしょう実験じっけん方法ほうほうろん確立かくりつされる必要ひつようがあった[3]。ドイツのリービッヒのもとに留学りゅうがくしたことのあるイギリスじんのギルバート(Gilbert,J. H.)は、ロザムステッド農事のうじ試験場しけんじょう実験じっけんおこない、植物しょくぶつ大気たいきちゅうから窒素ちっそ獲得かくとくしているというリービッヒのせつ反駁はんばくして窒素肥料ちっそひりょう効果こうか実証じっしょうした[3]

イギリスじんのギルバート(Gilbert,J. H.)の実証じっしょう実験じっけんダラム大学だいがくのジョンストン(Johnston,J. F. W.)による試験しけん厳密げんみつせい反復はんぷく必要ひつようせい主張しゅちょうから、近代きんだい農学のうがくでは科学かがく実験じっけん知見ちけん圃場ほじょうでの観察かんさつつうじて検証けんしょうするスタイルが確立かくりつした[3]

アメリカの農業のうぎょう

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アメリカでは南北戦争なんぼくせんそうのち国有こくゆう付与ふよされた大学だいがく設置せっちされたが、農学部のうがくぶ関心かんしんたれるようになったのは、1880年代ねんだい農学部のうがくぶ農事のうじ試験場しけんじょう整備せいびされ研究けんきゅう成果せいか蓄積ちくせきするようになってからである[3]

1890年代ねんだいには農学部のうがくぶ積極せっきょくてき構外こうがい教育きょういく活動かつどうおこな農業のうぎょう拡張かくちょう事業じぎょうおこなうようになり、大学だいがくかようことのできないだい多数たすう農民のうみん知的ちてき資源しげん提供ていきょうするになった[3]

18世紀せいき後半こうはんには農業のうぎょう改良かいりょう関心かんしん人々ひとびとあつまって議論ぎろんすることがさかんになっており、アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく独立どくりつ、これらは各地かくち農事のうじ協会きょうかい発展はってんした[3]

農学のうがくかいではイギリスのギルバート(Gilbert,J. H.)やジョンストン(Johnston,J. F. W.) のもとでまなんだ留学生りゅうがくせい研究けんきゅうすすめ、とくにノートン(Norton,J. P.)やポーター(Porter,J. A)が所属しょぞくするイェール大学だいがく土壌どじょう分析ぶんせきなど農芸のうげい化学かがくられるようになった[3]

1853ねんにドイツにわたったジョンソン(Johnson,s.w.)は、帰国きこく化学かがく肥料ひりょう研究けんきゅうのかたわら農事のうじ試験場しけんじょう設立せつりつ運動うんどうみ、1870年代ねんだい後半こうはんにはコネチカットしゅうやニューヨークしゅうなどに独自どくじ農事のうじ試験場しけんじょう設置せっちされた[3]

19世紀せいきまつから20世紀せいき初頭しょとうにかけての農事のうじ試験場しけんじょうでは、化学かがく中心ちゅうしん分析ぶんせきほうかんする研究けんきゅう進展しんてんし、土壌どじょう肥料ひりょう植物しょくぶつ食糧しょくりょう、および飼料しりょうなど農学のうがく専門せんもん分野ぶんやのそれぞれに応用おうようされ、学問がくもん進展しんてん加速かそくした[3]

中国ちゅうごく農学のうがく

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中国ちゅうごくのうしょ歴史れきし紀元前きげんぜん3世紀せいきあらわされた『りょ春秋しゅんじゅう』が最初さいしょとされている[4]。『りょ春秋しゅんじゅう』はりょかかえる知識ちしき集団しゅうだんによって編纂へんさんされ、じゅうはちらんろくろんの26構成こうせいされており、ろくろんちゅうの「ようろんだいさんへんの「うえみのり」では農業のうぎょう政策せいさくだいよんへんの「任地にんち」では土地とち利用りよう原則げんそくだいへんの「弁士べんし」では土地とち改良かいりょう原則げんそくだいろくへんの「しん」では適時てきじ作業さぎょう原則げんそくについてべられている[4]

紀元前きげんぜん1世紀せいきには『氾勝これしょ』があらわされたが現存げんそんしておらず、後代こうだいのうしょにある引用いんようから、耕作こうさく原則げんそくじゅうすうしゅ農作物のうさくもつ耕作こうさくほう種子しゅし選別せんべつほう保存ほぞんほうしるされていたとみられる[4]

そのこうかんちぇまこと歳時記さいじきがたのうしょである『四民しみんがつれい』をあらわした[4]

540ねんごろには賈思勰の『ひとしみんようじゅつぜん9かん刊行かんこうされ、内容ないようは『りょ春秋しゅんじゅう』ののうほん思想しそうぎ、だい6かんまでは『氾勝これしょ』の形式けいしきかく農産物のうさんぶつごとに農法のうほう技術ぎじゅつべ、だい7かんからはは『四民しみんがつれい』にちか内容ないよう生活せいかつ技術ぎじゅつべている[4]

もとだいには中国ちゅうごく最古さいこかんせんのうしょのうくわ輯要』が編纂へんさんされた[4]。1313ねんにはおうただしの『のうしょ』があらわされ、総論そうろんの「のうくわどおり訣」、各論かくろんの「ひゃくこく」、農具のうぐ図解ずかいした「のう図譜ずふ」からなるが、記述きじゅつの5ぶんの4はのう図譜ずふで300をえる農具のうぐ収録しゅうろくしている[4]

明代あきよまつにはじょひかりけいによって『農政のうせい全書ぜんしょ』があらわされ(刊行かんこうは1639ねん)、屯田とんでん開墾かいこん,、だい規模きぼ水利すいり土木どぼく,、備荒びこう重点じゅうてんいている[4]

しんだいにはかんせんのうしょの『授時どおりこう』が編纂へんさんされた[4]

日本にっぽん農学のうがく

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日本にっぽんはつのう学校がっこう札幌さっぽろのう学校がっこう(1876ねん設立せつりつ現在げんざい北海道大学ほっかいどうだいがく

明治維新めいじいしん明治めいじ政府せいふ西洋せいよう科学かがくてき農業のうぎょう技術ぎじゅつ知識ちしき導入どうにゅうによって農業のうぎょう生産せいさん拡大かくだいはか方針ほうしんをとった[5]。また、明治めいじ政府せいふさい重要じゅうよう課題かだい富国強兵ふこくきょうへい殖産しょくさん興業こうぎょうであり、生糸きいとちゃなど主要しゅよう輸出ゆしゅつひんすすむ農政のうせいさく重視じゅうしされた[6]

1869ねん明治めいじ2ねん)4がつみんかん設置せっちされると、5月にはみんかん開墾かいこんきょくかれた[5]。しかし、7がつみんかん廃止はいしされてみんしょう設置せっちされ、1870ねん明治めいじ3ねん)9がつすすむのうきょく設置せっちされ、開墾かいこんたねげい養蚕ようさん編集へんしゅう雑務ざつむの5配置はいちされた(すすむのうきょくは12月に開墾かいこんきょくとなり、よく1871ねん4がつ勧業かんぎょうきょくとなった)[5]。さらに1871ねん明治めいじ4ねん)7がつみんしょう廃止はいしされ、大蔵省おおくらしょう勧業かんぎょうがれたが、大蔵おおくらきょう就任しゅうにんした大久保おおくぼ利通としみちにより改革かいかくおこなわれ、8がつ勧業かんぎょうりょうさらにすすむのうりょうあらためられた[5]

1871ねん11月に派遣はけんされた岩倉いわくら使節しせつだん大久保おおくぼ副使ふくし)の帰国きこく日本にっぽんでは内藤ないとう新宿しんじゅく試験場しけんじょう現在げんざい新宿しんじゅく御苑ぎょえん)や三田みた育種いくしゅじょう設置せっち札幌さっぽろのう学校がっこう駒場こまばみのり学校がっこう設立せつりつ外国がいこくじん教師きょうし招聘しょうへいなどにんだ[6]

内藤ないとう新宿しんじゅく試験場しけんじょう

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1872ねん明治めいじ5ねん)10がつ大蔵省おおくらしょうではすすむのうりょう廃止はいしされ、租税そぜいりょうすすむのうくとともに、同月どうげつ内藤ないとう新宿しんじゅく試験場しけんじょう設置せっち決定けっていした[5]みんしょう大蔵省おおくらしょう東京とうきょうした数箇所すうかしょ西洋せいよう農具のうぐ置場おきば植物しょくぶつためし栽場、牧畜ぼくちく試験場しけんじょう設置せっちしていたが、いずれも小規模しょうきぼこくさい果樹かじゅ配布はいふ各種かくしゅ試験しけん模範もはん事業じぎょうおこなうには適当てきとうだった[5]。そこで内藤ないとう所有しょゆうの9まん5せんつぼを9せん5ひゃくえん買収ばいしゅうし、その隣接りんせつ次々つぎつぎ買収ばいしゅうして最終さいしゅうてきに19まんつぼ買収ばいしゅうした[5]

内藤ないとう新宿しんじゅく試験場しけんじょう拡大かくだい過程かていで、1874ねん明治めいじ7ねん)7がつ三田みた四国しこくまちきゅう島津しまづていの4まんつぼ土地とち買収ばいしゅうして内藤ないとう新宿しんじゅく勧業かんぎょうりょう出張所しゅっちょうしょ附属ふぞく試験しけんとした(三田みた育種いくしゅじょう[5]あらたな土地とち購入こうにゅう背景はいけいには内藤ないとう新宿しんじゅく試験場しけんじょう地味じみ良好りょうこうでなかったためなどの理由りゆうがあったとされる[5]。この三田みた育種いくしゅじょう整備せいびにより、1879ねん明治めいじ12ねん)5がつ内藤ないとう新宿しんじゅく試験場しけんじょう廃止はいしされた[5]

札幌さっぽろのう学校がっこう

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明治めいじ政府せいふ国防こくぼうじょう理由りゆうから1869ねん明治めいじ2ねん)7がつ蝦夷えぞ当時とうじ)に開拓かいたく使設置せっちした[7]外国がいこくじん雇用こようなどの必要ひつようせいいていた開拓かいたく使次官じかん黒田くろだ清隆きよたかは、1871ねん明治めいじ4ねん)1がつ留学生りゅうがくせいとともに渡米とべいし、駐米ちゅうべいしょう弁務べんむ使もり有礼ありのり協力きょうりょくて、だい18だい大統領だいとうりょうユリシーズ・S・グラントの配慮はいりょホーレス・ケプロンなど推薦すいせんされた外国がいこくじんれて帰国きこくした[7]

1872ねん明治めいじ5ねん)1がつ黒田くろだ明治めいじ政府せいふ開拓かいたく使かり学校がっこう計画けいかく上申じょうしんした[7]校長こうちょうには荒井あらいいくこれすけがあてられ、同年どうねん3がつ10日とおか生徒せいと募集ぼしゅう通達つうたつされた[7]。「開拓かいたく使かり学校がっこう規則きそく」のだい1じょうによると、学校がっこう札幌さっぽろ設置せっちするが、それまで東京とうきょうかり学校がっこう設置せっちすることとし、東京とうきょうしば増上寺ぞうじょうじほんぼう開設かいせつされることになった[7]

開拓かいたく使かり学校がっこう規則きそくだい15じょう受講じゅこう科目かもくでは、学科がっか普通ふつう2専門せんもん4け、「普通ふつうがく」の1では英語えいごがく漢学かんがく算数さんすう習、日本にっぽん地理ちり歴史れきしとう一般いっぱん教養きょうよう、「普通ふつうがく」の2ではしゃみつがく器械きかいがく測量そくりょうがく本草学ほんぞうがく鉱山こうざんがく農学のうがくとう科目かもく配列はいれつされた[7]。また、「専門せんもんがく」は、だい1がしゃみつがく器械きかいがくがくだい2が鉱山こうざんがく地質ちしつがくがくだい3が建築けんちくがく測量そくりょうがくがくだい4がしゃみつがく本草ほんぞうおよ禽獣きんじゅうがく農学のうがくがくで、一部いちぶは「普通ふつうがく」の2との連携れんけい重視じゅうしされていた[7]。また、農学のうがく専門せんもんがくだい4に配置はいちされており、かならずしも比重ひじゅうたかかったわけではない[7]

1875ねん明治めいじ8ねん)8がつ開拓かいたく使かり学校がっこう予定よていどお札幌さっぽろ移転いてんしたが、そのさい名称めいしょうは「札幌さっぽろのう学校がっこう」ではなく「札幌さっぽろ学校がっこう」で最初さいしょから「のう学校がっこう」としなかった理由りゆう不明ふめいである[7]。1876ねん明治めいじ9ねん)8がつ札幌さっぽろ学校がっこう札幌さっぽろのう学校がっこう改称かいしょうし、ウィリアム・スミス・クラーク教頭きょうとう着任ちゃくにんした(実質じっしつてき校長こうちょうしょくで、名目めいもくじょう校長こうちょう調しらべしょこうたけ[7][8]

札幌さっぽろのう学校がっこう日本にっぽん最初さいしょ高等こうとう農業のうぎょう教育きょういく機関きかんであった[8]。ただし、札幌さっぽろのう学校がっこう駒場こまばみのり学校がっこう同様どうように「農学のうがく」の看板かんばんかかげたが、駒場こまばみのり学校がっこうとはことなり「農学のうがくとは異質いしつともおもわれる領域りょういき」もカリキュラムにはふくまれていた[7]札幌さっぽろのう学校がっこう卒業生そつぎょうせいには、佐藤さとうあきらかい農学のうがく博士はかせ)、新渡戸にとべ稲造いなぞう農学のうがく博士はかせ法学ほうがく博士はかせ)、みなみたか次郎じろう農学のうがく博士はかせ)、広井ひろいいさむ工学こうがく博士はかせ)、宮部みやべ金吾きんご理学りがく博士はかせ)、渡瀬わたせ庄三郎しょうざぶろう理学りがく博士はかせ)、高岡たかおかくまゆう法学ほうがく博士はかせ農学のうがく博士はかせ)らがいる[7]

駒場こまばみのり学校がっこう

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1870年代ねんだい北海道ほっかいどう開拓かいたく使招聘しょうへいしたアメリカじん教師きょうしとはべつに、開校かいこう予定よてい農事のうじ修学しゅうがくじょう農学のうがく教師きょうしとして招聘しょうへいされたイギリスじん教師きょうしたちがいた[9]あたらしいのう学校がっこう開設かいせつ担当たんとうしたのは内務省ないむしょう勧業かんぎょう寮内りょうないふじ新宿しんじゅく出張所しゅっちょうしょない農学のうがくかけ(まもなくだい6改称かいしょう)で、課長かちょう田中たなか芳男よしおつとめており、1875ねん12月に内務ないむきょう大久保おおくぼ利通としみちのう学校がっこう設立せつりつ必要ひつようせいべた『のう学校がっこう設立せつりつ生徒せいと教育きょういく教師きょうし僦用順序じゅんじょ伺』を提出ていしゅつした[9]

この伺が裁可さいかされ、1876ねん2がつ勧業かんぎょうりょうだい6富田とみたただし次郎じろうわたりすぐるし、王立おうりつサイレンセスターのう学校がっこう(Royal Agricultural in Cirencester)の教官きょうかんやその関係かんけいしゃである農芸のうげい化学かがく無機むき有機ゆうき化学かがく担当たんとうのキンチ、獣医じゅういがく解剖かいぼうがく家畜かちくない外科げか担当たんとうのマックブライト、ためしぎょう教師きょうしのベグビー、教師きょうしのコックス、農学のうがく農学のうがくしょ農場のうじょう実践じっせん担当たんとうのカスタンスの5にん来日らいにちした[9]。このうちベグビーが途中とちゅう不祥事ふしょうじにより解任かいにんされたほかは、契約けいやく期間きかんの3ねん以上いじょう勤務きんむして帰国きこくしている[9]

もっとなが日本にっぽん滞在たいざいしたのはキンチで、任期にんきをさらに2ねん延長えんちょうし、王立おうりつサイレンセスターのう学校がっこう化学かがく教授きょうじゅまねかれたため急遽きゅうきょ4ねんはん帰国きこくしたが、横井よこい時敬ときよし恩田おんだ鉄弥てつやなどのおしわたり英時ひでときにキンチをたずねておりしたわれていた[9]。しかし、イギリスじん教師きょうし評価ひょうかかんばしくなく、とく農学のうがく教師きょうしのカスタンスの講義こうぎ不評ふひょうで、受講じゅこうしていた玉利たまり喜造きぞう酒匂さこ常明つねあきなどは英国えいこくだい規模きぼ農業のうぎょうをそのままおしえていると苦言くげんべている[9]。この時期じき秩禄処分しょぶん(1876ねん)などにより明治めいじ政府せいふきゅう士族しぞく授産じゅさん問題もんだいかかえており、駒場こまんばでは東北とうほく地方ちほうなどの内地ないちきゅう士族しぞくおくってイギリスのだい規模きぼ農法のうほう導入どうにゅうしたい意図いとがあったため、日本にっぽん事情じじょう説明せつめいけていたカスタンスらも母国ぼこく畑作はたさく農法のうほう伝導でんどうつとめたことが背景はいけいにあるといわれている[9]。また、コックスの講義こうぎけた新渡戸にとべ稲造いなぞうも、旧式きゅうしき文章ぶんしょう構成こうせいほう忠実ちゅうじつなだけの文法ぶんぽう講師こうしにすぎず、あまり尊敬そんけいできないとひょうしている[10]

1878ねん明治めいじ11)ねん農事のうじ修学しゅうがくじょう駒場こまばみのり学校がっこう改称かいしょうされた[9]

イギリスじん教師きょうし後任こうにんとして、ドイツから1881ねんオスカル・ケルネル、1882ねんマックス・フェスカ来日らいにちした[9]。ケルネルは日本にっぽん農芸のうげい化学かがく基礎きそきずき、フェスカは『日本にっぽん地産ちさん要覧ようらん』や『日本にっぽん地産ちさんろん』などの名著めいちょのこした[9]

年表ねんぴょう

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  • 紀元前きげんぜん3世紀せいき - 中国ちゅうごくで『りょ春秋しゅんじゅう』が編纂へんさんされる[4]
  • 紀元前きげんぜん1世紀せいき - 中国ちゅうごくで『氾勝これしょ』があらわされる[4]
  • 540ねんごろ - 中国ちゅうごく賈思勰の『ひとしみんようじゅつ』が刊行かんこうされる[4]
  • 1313ねん - 中国ちゅうごくおうただしの『のうしょ』がしるれる[4]
  • 1639ねん - 中国ちゅうごくで『農政のうせい全書ぜんしょ刊行かんこう[6]
  • 1697ねん - 宮崎みやざき安貞やすさだ農業のうぎょう全書ぜんしょ[6]
  • 1727ねん - ウィルヘルム1せい(Friedrich Wilhelm I)がハレ大学だいがくとフランクフルト大学だいがくはじめて農業のうぎょう官房かんぼうがく(Kameralwissenschaft)の講座こうざ設立せつりつ[2]
  • 1769ねん - ベックマン(J.Beckmann)『ドイツ農業のうぎょう原理げんり(Grundsatzeder deutschen Landwirtschaft)』[2]
  • 1815ねん - テーヤ(A.D. Thaer)『農業のうぎょう営業えいぎょうがく汎論はんろん入門にゅうもん(Leitfadenzur allgemeinen landwirtschaftlichen Gewerbslehre)』[2]
  • 1853ねん - フルベック(F.X. W. Hlubeck)『農学のうがく全書ぜんしょ(DieLandwirtschaftslehre in ihrem ganzen Umfang)』[6]
  • 1876ねん - 津田つだせんがくのうしゃ設立せつりつ[6]
  • 1898ねん - 新渡戸にとべ稲造いなぞうが『農業のうぎょう本論ほんろん』『農業のうぎょう発達はったつ』を発表はっぴょう[6]

農学のうがく分野ぶんや

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日本にっぽんのう学会がっかい資料しりょう[11]文部もんぶ科学かがくしょう学科がっか系統けいとう分類ぶんるいひょう/農学のうがく[12]などをもとに分類ぶんるいした。

だい分類ぶんるい ちゅう分類ぶんるい しょう分類ぶんるい
生産せいさん農学のうがく関係かんけい[13] 生産せいさん植物しょくぶつがく 園芸えんげいがく - 園芸えんげい農学のうがく - はなかざりがく - 花卉かき園芸えんげいがく - 果実かじつがく - 果樹かじゅ園芸えんげいがく - 蔬菜そさい園芸えんげいがく - 作物さくもつ栽培さいばいがく - 育種いくしゅがく - 草地くさちまなぶ - 雑草ざっそうがく - 熱帯ねったい農学のうがく - かん農学のうがく - 暖地だんち農学のうがく - 経営けいえい農学のうがく - 栽培さいばいがく - 植物しょくぶつ生殖せいしょく遺伝いでんがく - 植物しょくぶつ分子ぶんし育種いくしゅがく - 植物しょくぶつ遺伝いでん育種いくしゅがく - 植物しょくぶつバイオテクノロジー - 植物しょくぶつ分子ぶんし細胞さいぼう育種いくしゅがく - 農業のうぎょう生産せいさん技術ぎじゅつがく - 植物しょくぶつ栄養えいようがく
農業のうぎょう生産せいさんがく 農業のうぎょう生産せいさん管理かんりがく - 生物せいぶつ生産せいさんがく - 生物せいぶつ生産せいさんシステムがく - 生産せいさん環境かんきょうがく - システム農学のうがく - 繁殖はんしょく生物せいぶつがく - 大気たいき生物せいぶつがく - 有機ゆうき農業のうぎょうがく - 農作業のうさぎょうがく
農業のうぎょう生物せいぶつがく - 応用おうよう生物せいぶつがく 農業のうぎょう生命せいめい科学かがく - 生命せいめい機能きのう科学かがく - 生命せいめい環境かんきょうがく - 共生きょうせい環境かんきょうがく - 応用おうよう生命せいめい科学かがく - 生物せいぶつ機能きのう科学かがく - 生物せいぶつ情報じょうほう科学かがく - 生物せいぶつ企業きぎょう情報じょうほうがく - 生物せいぶつけん生命せいめい科学かがく - 生態せいたい環境かんきょう科学かがく - 生物せいぶつ環境かんきょうがく - 生物せいぶつ環境かんきょうシステムがく - 生物せいぶつ環境かんきょう管理かんりがく - 生物せいぶつ環境かんきょう保護ほごがく - 生物せいぶつ環境かんきょう保全ほぜんがく - 生物せいぶつ環境かんきょう資源しげん科学かがく - 生物せいぶつ制御せいぎょがく - 生物せいぶつ環境かんきょう制御せいぎょがく - 応用おうよう遺伝いでん生態せいたいがく分野ぶんや相関そうかん分子生物学ぶんしせいぶつがく分野ぶんや発生はっせい生物せいぶつがく分野ぶんや細胞さいぼう分子生物学ぶんしせいぶつがく分野ぶんや
応用おうよう植物しょくぶつ科学かがく 植物しょくぶつ生理学せいりがく - 植物しょくぶつ保護ほごがく - 植物しょくぶつ病理びょうりがく - 応用おうよう植物しょくぶつがく - 雑草ざっそうがく - 農薬のうやくがく - 植物しょくぶつ資源しげんがく - 植物しょくぶつバイオサイエンスがく - バイオサイエンスがく - 植物しょくぶつ防疫ぼうえきがく - 食用しょくよう植物しょくぶつがく - 植物しょくぶつ化学かがく調節ちょうせつがく
昆虫こんちゅうがく - 応用おうよう昆虫こんちゅうがく 応用おうよう微生物びせいぶつがく - 蚕糸さんしがく - 蚕糸さんし生物せいぶつがく - 生物せいぶつ測定そくていがく - 繊維せんい農学のうがく - 養蚕ようさんがく - 農業のうぎょう害虫がいちゅうがく - 昆虫こんちゅう病理びょうりがく - 動物どうぶつ生化学せいかがく昆虫こんちゅうけい)- 昆虫こんちゅう機能きのう生理せいり化学かがく
農業のうぎょう物理ぶつりがく 土壌どじょうがく - 土壌どじょう環境かんきょうがく - 土壌どじょう肥料ひりょうがく - 土壌どじょう微生物びせいぶつがく - 砂丘さきゅうがく - 農薬のうやくがく - ペドロジーがく - アグロロジー - 土壌どじょう地理ちりがく - 土壌どじょう物理ぶつりがく - 土壌どじょう生物せいぶつがく
生物せいぶつ資源しげんがく 資源しげん生物せいぶつがく - 生物せいぶつ資源しげん生産せいさんがく - 生物せいぶつ資源しげん利用りようがく - 生物せいぶつ資源しげん開発かいはつがく - 生物せいぶつ資源しげん管理かんりがく - 生物せいぶつ資源しげん環境かんきょうがく
造園ぞうえんがく関係かんけい 緑地りょくち環境かんきょう科学かがく 芝草しばくさまなぶ - 樹木じゅもく医学いがく - 緑地りょくち計画けいかくがく - 風景ふうけい計画けいかくがく - 庭園ていえんがく - 緑地りょくち植物しょくぶつがく - うえ栽学 - 緑地りょくち工学こうがく - 緑化りょくか工学こうがく - 緑地りょくち管理かんりがく - 緑地りょくち生態せいたいがく - 緑地りょくち情報じょうほうがく - 緑地りょくちがく - 緑地りょくち環境かんきょう保全ほぜんがく - 造園ぞうえん史学しがく - 景観けいかん生態せいたいがく
農芸のうげい化学かがく関係かんけい 農業のうぎょう生物せいぶつ工学こうがく 農業のうぎょう生物せいぶつ環境かんきょう工学こうがく - 生態せいたい工学こうがく - 動物どうぶつ再生さいせいシステムがく - 動物どうぶつ生理学せいりがく - 分子ぶんし発生はっせいがく - 環境かんきょう応答おうとう生物せいぶつがく - ゲノム機能きのう工学こうがく - 植物しょくぶつ分子ぶんし生理学せいりがく - 植物しょくぶつ細胞さいぼう工学こうがく - 細胞さいぼう情報じょうほう制御せいぎょがく - 生体せいたい制御せいぎょがく - 動物どうぶつ栄養えいようがく - 微生物びせいぶつ工学こうがく - 生体せいたい機能きのう物質ぶっしつがく - バイオインフォマティクス - 植物しょくぶつ発生はっせい制御せいぎょがく - プロテオミクス - 環境かんきょう応答おうとう植物しょくぶつがく - 生体せいたい機構きこうがく - 発生はっせい工学こうがく
醸造じょうぞうがく - 発酵はっこうがく 農産のうさん製造せいぞうがく - 食品しょくひん生物せいぶつ科学かがく - 食品しょくひん生命せいめい科学かがく - 有用ゆうよう微生物びせいぶつがく
農芸のうげい化学かがく 植物しょくぶつ化学かがく調節ちょうせつがく - 応用おうようとうしつ科学かがく - 農業のうぎょう化学かがく - 農産のうさん化学かがく - 園芸えんげい化学かがく - 化学かがく生態せいたいがく - 生理せいり活性かっせい物質ぶっしつ化学かがく - 農薬のうやく化学かがく天然てんねんぶつ有機ゆうき化学かがく酵素こうそ化学かがく植物しょくぶつ栄養えいようがく - 分子ぶんし生命せいめい化学かがく - 生物せいぶつ化学かがく - 遺伝子いでんし機能きのう制御せいぎょがく- 構造こうぞう生化学せいかがく- 植物しょくぶつ工学こうがく- 生物せいぶつ遺伝子いでんし工学こうがく- 細胞さいぼう組織そしき生化学せいかがく
食品しょくひん科学かがく 食品しょくひん工学こうがく - 食品しょくひんりゅう通学つうがく - 食料しょくりょう生産せいさん科学かがく - 食品しょくひん製造せいぞう工学こうがく - 生物せいぶつ化学かがく工学こうがく - 食品しょくひんがく - 食品しょくひん化学かがく - 食品しょくひん工業こうぎょう化学かがく - 畜産ちくさん食品しょくひん化学かがく - 畜産ちくさん食品しょくひん工学こうがく - 食品しょくひん生産せいさん化学かがく - 農業のうぎょう食料しょくりょう工学こうがく - 食品しょくひん物性ぶっせいがく - 生物せいぶつ機能きのう化学かがく - 生物せいぶつ制御せいぎょ化学かがく - 生態せいたい情報じょうほう化学かがく - 生物せいぶつ有機ゆうき化学かがく - 栄養えいよう生理せいり化学かがく - 応用おうよう蛋白質たんぱくしつ化学かがく
農林のうりん総合そうごう化学かがく 生物せいぶつ資源しげん化学かがく - 生命せいめい化学かがく - 応用おうよう生命せいめい化学かがく - 生命せいめい機能きのう化学かがく
食糧しょくりょう化学かがく 生物せいぶつ資源しげん食糧しょくりょう化学かがく - 食糧しょくりょう化学かがく工学こうがく
農業のうぎょう工学こうがく関係かんけい 農業のうぎょう工学こうがく - 農林のうりん工学こうがく 農業のうぎょう農村のうそん工学こうがく農業のうぎょう土木どぼくがく) - 農業のうぎょう気象きしょうがく - 生物せいぶつ環境かんきょう工学こうがく - 農村のうそん計画けいかくがく - 農業のうぎょう機械きかいがく - フィールドロボティクス - 農業のうぎょう施設しせつがく - 海水かいすいがく - 農作業のうさぎょうがく - 畜産ちくさん土木どぼく工学こうがく - 農業のうぎょう水産すいさん工学こうがく - 農業のうぎょう生産せいさん工学こうがく - 農業のうぎょう施設しせつがく -農業のうぎょう開発かいはつ工学こうがく
生産せいさん環境かんきょう情報じょうほうがく システム農学のうがく - 農業のうぎょう情報じょうほうがく - 生産せいさん情報じょうほう科学かがく - 地域ちいき環境かんきょう科学かがく - 地域ちいき生態せいたいシステムがく
農業のうぎょう環境かんきょう工学こうがく 農業のうぎょう生産せいさん環境かんきょう工学こうがく - 生物せいぶつ環境かんきょう管理かんり工学こうがく - 生物せいぶつ環境かんきょう工学こうがく - 生物せいぶつ生産せいさん環境かんきょうがく - 食料しょくりょう生産せいさん環境かんきょう工学こうがく - 地域ちいき環境かんきょう工学こうがく - 土壌どじょう物理ぶつりがく生物せいぶつ構造こうぞう解析かいせきがくのう地盤じばん工学こうがく水利すいり施設しせつ工学こうがく農村のうそん地域ちいき計画けいかくがく農地のうち工学こうがく農産のうさんプロセス工学こうがく灌漑かんがい排水はいすい工学こうがくバイオマス利用りようがく
農業のうぎょう経済けいざいがく関係かんけい 農業のうぎょう社会しゃかい科学かがく 農村のうそん社会しゃかいがく - 農業のうぎょう経営けいえいがく - 国際こくさい地域ちいき開発かいはつがく - 農政のうせいがく - 地域ちいき経済けいざい資源しげん科学かがく - 地域ちいき計画けいかくがく - 地域ちいき農業のうぎょうシステムがく - 農村のうそん経済けいざいがく - 農政のうせい経済けいざいがく - 地域ちいき農林のうりん経済けいざいがく - 酪農らくのう経済けいざいがく - 食品しょくひん経済けいざいがく - 園芸えんげい経済けいざいがく - 農産のうさんぎょう経営けいえいがく
農業のうぎょう拓殖たくしょくがく 植民しょくみん政策せいさくがく - 農業のうぎょう地理ちりがく - 農業のうぎょうマーケティング
食料しょくりょう環境かんきょう経済けいざいがく 地域ちいき開発かいはつ科学かがく - 食料しょくりょう環境かんきょう経済けいざいがく - 資源しげん環境かんきょうがく - 資源しげん生物せいぶつ環境かんきょうがく - 国際こくさい資源しげん管理かんりがく - 食料しょくりょう環境かんきょう経済けいざいがく - ファームビジネスまなぶ - フードビジネスまなぶ - フードシステムがく - 農業のうぎょう環境かんきょうマネジメントがく
国際こくさい環境かんきょう農学のうがく 国際こくさい生物せいぶつ生産せいさん資源しげんがく - 水利すいり環境かんきょう保全ほぜんがく - 環境かんきょう地盤じばん工学こうがく - 流域りゅういき環境かんきょう修復しゅうふく保全ほぜんがく - 国際こくさい比較ひかく経済けいざい開発かいはつがく - 人口じんこう社会しゃかいがく - 農薬のうやく動態どうたいがく
森林しんりん科学かがく関係かんけい 林学りんがく 森林もりばやしまなぶ - 砂防さぼうがく - 砂防さぼう工学こうがく - はやし育種いくしゅがく - 林業りんぎょう経済けいざいがく - もり林立りんりつ地学ちがく - 森林しんりん計画けいかくがく - 森林しんりん資源しげん科学かがく - 森林しんりん利用りようがく - 林業りんぎょう工学こうがく - 樹木ききまなぶ - 森林しんりん美学びがく - 農林のうりんみず文学ぶんがく - 山地さんち保全ほぜんがく - 森林しんりん生態せいたいがく - 森林しんりん生産せいさんシステムがく - 森林しんりん施設しせつ工学こうがく - 森林しんりんほどこせぎょうがく - 持続じぞくてき森林しんりん管理かんりがく 
自然しぜん環境かんきょう保全ほぜんがく 生態せいたいけい保全ほぜんがく - 生物せいぶつ多様たようせい保全ほぜんがく - 植生しょくせい管理かんりがく - 森林しんりん生態せいたい保全ほぜんがく - 動物どうぶつ生態せいたいがく - 樹木ききまなぶ - 野生やせい動物どうぶつ保全ほぜん技術ぎじゅつろん - 景観けいかん保全ほぜんがく - 植生しょくせいがく - 野生やせい動物どうぶつ保全ほぜんがく
林産りんさんがく関係かんけい 林産りんさんがく 木材もくざいがく - 木材もくざい化学かがく - 木材もくざい加工かこうがく - 農林のうりん生産せいさんがく - 農林のうりん環境かんきょう科学かがく - 林産りんさん経済けいざいがく - 林産りんさん経営けいえいがく - 林産りんさん社会しゃかいがく
獣医じゅういがく - 畜産ちくさんがく関係かんけい 獣医じゅういがく 応用おうよう動物どうぶつがく - 畜産ちくさんじゅう医学いがく - ペット栄養えいようがく - 動物どうぶつ臨床りんしょう医学いがく - 獣医じゅうい保健ほけん看護かんごがく - 毒性どくせいがく - 獣医じゅうい臨床りんしょう繁殖はんしょくがく - 獣医じゅうい薬理やくりがく - 獣医じゅうい病理びょうりがく - 獣医じゅうい微生物びせいぶつがく - 獣医じゅういない科学かがく - 獣医じゅうい外科げかがく - 獣医じゅうい組織そしきがく - 獣医じゅうい寄生虫きせいちゅうがく - 動物どうぶつ解剖かいぼうがく - 感染かんせんしょうがく
畜産ちくさんがく 繁殖はんしょく生物せいぶつがく - 家禽かきんがく - 動物どうぶつ遺伝いでん育種いくしゅがく - 酪農らくのうがく - 畜産ちくさん経営けいえいがく - 畜産ちくさん食品しょくひん工学こうがく - 家畜かちく環境かんきょうがく - 家畜かちく生産せいさん科学かがく - 環境かんきょう畜産ちくさんがく - 畜産ちくさん管理かんりがく - 畜産ちくさん環境かんきょう科学かがく - 家畜かちく衛生えいせいがく - 畜産ちくさん草地くさち科学かがく
動物どうぶつがく アニマルサイエンス - 動物どうぶつ生産せいさんがく - 動物どうぶつ応用おうよう科学かがく - 応用おうよう動物どうぶつがく - 動物どうぶつ資源しげん科学かがく - 水圏すいけん動物どうぶつがく - 生殖せいしょく生物せいぶつがく - 動物どうぶつバイオテクノロジー - 動物どうぶつ生化学せいかがく哺乳類ほにゅうるいかた
水産すいさん科学かがく関係かんけい 水産すいさん海洋かいよう科学かがく 水産すいさんがく - 漁業ぎょぎょう経済けいざいがく - さかなびょうがく - 水産すいさん工学こうがく - 水産すいさん化学かがく - 水産すいさん食品しょくひんがく - 水産すいさん製造せいぞうがく - 水産すいさん食品しょくひん生産せいさんがく
増殖ぞうしょくがく 海洋かいよう資源しげんがく - 漁業ぎょぎょう生産せいさんがく - 漁業ぎょぎょう生産せいさん工学こうがく - 資源しげん増殖ぞうしょくがく - 水産すいさん養殖ようしょくがく - 海洋かいよう生産せいさんがく - 資源しげん育成いくせいがく - 海洋かいよう生産せいさんシステムがく
漁業ぎょぎょうがく 漁業ぎょぎょう生産せいさんがく - 遠洋えんよう漁業ぎょぎょうがく - 栽培さいばい漁業ぎょぎょうがく
資源しげん管理かんりがく 海洋かいよう環境かんきょう工学こうがく - 海洋かいよう政策せいさく文化ぶんかがく - 海洋かいよう文明ぶんめいがく - 海水かいすいがく -
海洋かいよう生物せいぶつ資源しげん科学かがく 海洋かいよう生物せいぶつ資源しげん化学かがく - 海洋かいよう環境かんきょうがく - 水産すいさん生物せいぶつ科学かがく - 海洋かいよう生物せいぶつ生産せいさんがく
その境界きょうかい農学のうがく[14]ひとし 栄養えいようがく 食品しょくひん栄養えいよう科学かがく
生物せいぶつ資源しげんがく 国際こくさいバイオビジネス - 農業のうぎょう情報じょうほうがく
共生きょうせい持続じぞく社会しゃかいがく 環境かんきょう哲学てつがく - 環境かんきょう文化ぶんか - 比較ひかく心理しんりがく - 環境かんきょう工法こうほう - 環境かんきょう経済けいざいがく - 環境かんきょう教育きょういくがく - 環境かんきょう倫理りんりがく - 共生きょうせい社会しゃかい思想しそう - 国際こくさい協力きょうりょくろん - 国際こくさい開発かいはつろん
環境かんきょう資源しげん科学かがく 環境かんきょう修復しゅうふくがく - 植物しょくぶつ環境かんきょうがく - 環境かんきょう汚染おせん解析かいせきがく - 環境かんきょう物質ぶっしつ科学かがく - 生物せいぶつけん変動へんどう解析かいせきがく - 生物せいぶつ生活せいかつ環境かんきょうがく - バイオマス・リサイクルがく
応用おうよう分子ぶんし細胞さいぼう生物せいぶつがく
その 総合そうごう農学のうがく - 総合そうごう農業のうぎょう科学かがく- 実践じっせん総合そうごう農学のうがく - のうしょくしょくのう)コミュニティデザイン

脚注きゃくちゅう

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出典しゅってん

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  1. ^ "Agriscience | Meaning & Definition for UK English". Oxford Dictionary of English (英語えいご). Oxford University Press via Lexico. 2022ねん2がつ20日はつか閲覧えつらん
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    底本ていほん津谷つやよしみじん明治めいじ大正たいしょうにおけるドイツ農学のうがく受容じゅよう過程かてい東京大学とうきょうだいがく農学のうがく博士はかせ おつだい7430ごう〉、1985ねんNAID 500000027136https://id.ndl.go.jp/bib/000000191450 
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  8. ^ a b 三浦みうら嘉久よしひさ札幌さっぽろのう学校がっこうけんがく精神せいしん : 青年せいねん岩崎いわさきこうおや精神せいしんてき風土ふうどについて」『そうりんだい5ごう鹿児島純心女子短期大学かごしまじゅんしんじょしたんきだいがく江角えすみまなびの交流こうりゅうセンター地域ちいき人間にんげん科学かがく研究所けんきゅうじょ、2014ねん、21-45ぺーじISSN 21850046CRID 1130000796898770304 
  9. ^ a b c d e f g h i j 西尾にしお敏彦としひこ駒場こまばみのり学校がっこうイギリスじん教師きょうしカスタンスの農業のうぎょう講義こうぎ : そのかぐわしからざる評価ひょうかめぐって」(PDF)『農業のうぎょう研究けんきゅう : 日本にっぽん農業のうぎょう研究所けんきゅうじょ研究けんきゅう報告ほうこくだい29ごう日本にっぽん農業のうぎょう研究所けんきゅうじょ、2016ねん12月、343-366ぺーじISSN 09149813CRID 1521980705330315264 
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  13. ^ 農学のうがく科目かもく (PDF)
  14. ^ 日本にっぽん学術がくじゅつ振興しんこうかい審査しんさ評価ひょうか関係かんけい 農学のうがく (PDF)

関連かんれん項目こうもく

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外部がいぶリンク

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