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内堀通り(祝田橋交差点から二重橋前方面)
内堀通り(うちぼりどおり)とは、東京都千代田区の皇居内堀沿いを通る環状道路の通称(東京都通称道路名)で、東京都道401号麹町竹平線などから構成される[1]。
東京という大都会にありながらも歴史と風景の美しさを楽しめることから、1986年(昭和61年)8月10日に「城郭と高層ビルの道」として日本の道100選のひとつに選定された。
皇居北東の平川門から九段下、半蔵門、桜田門、祝田橋、二重橋前、大手門の各交差点を経由して再び平川門に戻る一周約6kmの両方向環状道路で、皇居を中心とする東京都の環状道路の中では最も内側に位置する。
概ね東京都市計画道路幹線街路環状第1号線と同じ経路を取るが、そちら(環状第1号線)は大手門 - 祝田橋間で内堀通りの東隣の道路(国道1号)が指定されており、若干異なっている。
- 通称道路名:内堀通り
- 整理番号:1[1]
- 起点:千代田区霞が関一丁目[1]
- 終点:千代田区霞が関一丁目[1][注釈 1]
内堀通りの名称が設定されている区間には、以下の路線が含まれる。
重複する東京都通称道路
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- 靖国通り(九段下交差点 - 九段坂上交差点)
毎週日曜日の10時から16時には、平川門交差点 - 祝田橋交差点が「パレスサイクリングコース」として自転車専用道路になり[4]、自転車と皇居関係車両以外の通行が禁止される。
パレスサイクリングコース時の祝田橋交差点。普段の左折車線が直進車線に変わる。
道路の内沿いには皇居を取り囲むお堀と石垣が続き、外沿いはビルが立ち並ぶ日本を代表するビジネス街である。江戸城の外堀が埋め立てられ消滅したのに対し、内堀は江戸時代当時の姿をそのまま残しており、内堀通り沿いには徳川幕府往時の史跡が多数残存する。特に著名なものとして二重橋や、江戸時代に大名屋敷が並んでいた皇居外苑がある。
東側の皇居外苑を南北に走る区間(祝田橋 - 大手門)は、日露戦争後の凱旋大観兵式のために36m幅で整備されたもので、「凱旋道路」と呼び習わされた。大手門付近はエンジュの並木道になっているが、この近辺は1875年(明治8年)に東京で初めてニセアカシアなどの洋木が街路樹として植えられたとの記録があり、記念碑も建てられている。
皇居北西側の区間(九段坂上 - 半蔵門)は桜の名所として名高く、春先には桜吹雪舞うお堀の絶景を見ることができる。皇居南側の区間(半蔵門 - 三宅坂)では、内沿いにお堀の水面と土手の青松や桜田門の白壁と続き、また外沿いには霞ヶ関官公庁街の近代建築が続いており、その景色の対比は都内随一の眺望とも表現される。
また、全線を通して車線数が多く、複雑な形状の交差点も多数存在する。
反時計回りに記載。
- ^ 起点と同地点。
- 「日本の道100選」研究会 著、国土交通省道路局(監修) 編『日本の道100選〈新版〉』ぎょうせい、2002年6月20日。ISBN 4-324-06810-0。
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通過市区町村 |
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主要交差点 |
日本橋 - 桜田門 - 遠藤町 - 青木通 - 高島町 - 浜松町 - 原宿 - 榎木町 - 長者町 - 大磯駅入口 - 小田原市民会館前 - 早川口 - 宮の下 - 南二日町IC - 上石田IC - 長泉IC - 富士東IC - 興津中町 - 清水駅前 - 常磐町2丁目 - 羽鳥IC - 北島 - 石原町 - 福塚 - 篠原 - 大倉戸IC - 境川 - 西八町 - 宮下 - 本宿町沢渡 - 八帖 - 新田南 - 宮越 - 熱田神宮南 - 白鳥橋西 - かの里東 - 弥富高架橋南 - 安永 - 朝日町役場口 - 四日市橋南詰 - 中部 - 大治田IC - 新栄町 - 亀山IC - 東海道関宿西 - 国道水口松尾台 - 新矢倉 - 瀬田川大橋西詰 - 逢坂1丁目 - 横木2丁目 - 烏丸五条 - 堀川五条 - 京阪国道口 - 池之宮北 - 天の川 - 中振 - 中振南 - 京阪本通1 - 関目5丁目 - 梅新東 - 梅田新道
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バイパス |
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道路名・愛称 | |
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道の駅 | |
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主要構造物 | |
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自然要衝 | |
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旧道 | |
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関連項目 | |
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「中央通り」、「武家屋敷通り」は複数あるため所在地を表記 |