日本にっぽん市町村しちょうそんはいおけ分合ぶんごう

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日本にっぽん市町村しちょうそんはいおけ分合ぶんごう(にほんのしちょうそんの はいちぶんごう)では、日本にっぽんにおける市町村しちょうそん分割ぶんかつ分立ぶんりつ合体がったい編入へんにゅうについて説明せつめいする。

市町村しちょうそん合体がったい編入へんにゅうとはわせて合併がっぺいといわれ、一般いっぱんには市町村しちょうそん合併がっぺいわれる。

概要がいよう[編集へんしゅう]

日本にっぽんでは1889ねん明治めいじ22ねん)の市制しせい町村ちょうそんせい施行しこう以降いこう市町村しちょうそん分割ぶんかつ分立ぶんりつより合併がっぺいおおいため。市町村しちょうそんすう減少げんしょうしている。

下記かきのとおり、だい規模きぼ市町村しちょうそん合併がっぺいおこなわれた。

2014ねん平成へいせい26ねん4がつ5にち栃木とちぎけん栃木とちぎ下都賀しもつがぐん岩舟いわふねまち編入へんにゅうした以降いこう市町村しちょうそん合併がっぺい実施じっしされていない[注釈ちゅうしゃく 1]

なお、昭和しょうわ以降いこうにおいて、市町村しちょうそん合併がっぺいは、地方ちほう自治じちほうだい7じょうの「市町村しちょうそんはいおけ分合ぶんごうまたは市町村しちょうそん境界きょうかい変更へんこう」のいち形態けいたい該当がいとうする。また、市町村しちょうそん所属しょぞく都道府県とどうふけん変更へんこうは「都道府県とどうふけん境界きょうかい変更へんこう」にあたり、地方ちほう自治じちほうだい6じょう規定きていされている。

市町村しちょうそん合併がっぺい歴史れきし[編集へんしゅう]

明治めいじだい合併がっぺい[編集へんしゅう]

明治維新めいじいしんこう江戸えど時代じだいからの自然しぜん発生はっせいてき地縁ちえん共同きょうどうたいとしての町村ちょうそん存在そんざいし、生活せいかつ基本きほんとなっていた。当初とうしょ明治めいじ政府せいふはこれと無関係むかんけいだいせいいたが、住民じゅうみん反発はんぱつおおきかったことから、1878ねん明治めいじ11ねん)にこおり町村ちょうそん編制へんせいほう制定せいていし、町村ちょうそん基本きほん単位たんいとしてみとめ、ぐんせいおよび5町村ちょうそん程度ていど管轄かんかつする戸長こちょう役場やくばいた。しかし、府県ふけんぐん役所やくしょ戸長こちょう役場やくば町村ちょうそんという複雑ふくざつな4そう構造こうぞうになってしまったため、行政ぎょうせい執行しっこうてきした規模きぼ町村ちょうそん再編さいへん必要ひつようとなった。

明治めいじ政府せいふは1888ねん明治めいじ21ねん)に市制しせいおよ町村ちょうそんせい公布こうふするとともに、内務ないむ大臣だいじん訓令くんれいかく地方ちほう長官ちょうかん町村ちょうそん合併がっぺい推進すいしん指示しじした。これにもとづき強力きょうりょく町村ちょうそん合併がっぺいすすめられた結果けっか町村ちょうそんすうは1888ねん明治めいじ21ねんまつの71,314から1889ねん明治めいじ22ねんまつには15,820となり、やく5ぶんの1に減少げんしょうした。このときはおおむね小学校しょうがっこう1こう区域くいきとなるやく300から500町村ちょうそん標準ひょうじゅん規模きぼとされた。

明治めいじだい合併がっぺいて、地縁ちえん共同きょうどうたいだった町村ちょうそん近代きんだいてき意味いみ地域ちいき行政ぎょうせい統治とうちするための地方ちほう公共こうきょう団体だんたい変貌へんぼうすることとなった。しかし、おおきな合併がっぺいていない小規模しょうきぼ町村ちょうそんにおいては現代げんだいいたるまで江戸えど時代じだいからの地縁ちえんせいのこっている。

明治めいじから戦前せんぜんまでの合併がっぺい[編集へんしゅう]

1889ねん明治めいじ22ねん以降いこう町村ちょうそん合併がっぺいすすめられ、1898ねん明治めいじ31ねん)までにさらに2,849減少げんしょうしたが、1898ねん明治めいじ31ねん以降いこう漸減ぜんげん傾向けいこう推移すいいし、1918ねん大正たいしょう7ねん)までには267が減少げんしょうしたのみだった。

1923ねん大正たいしょう12ねん)にぐんせい廃止はいしされたが、これをきっかけに町村ちょうそん合併がっぺいとう機運きうんがり、1918ねん大正たいしょう7ねん)から1930ねん昭和しょうわ5ねん)までの12年間ねんかんに、町村ちょうそんすうやく500減少げんしょうした。その1940ねん昭和しょうわ15ねん)に紀元きげん2600ねん記念きねんして合併がっぺいすすめられた時期じきなどがあり、1943ねん昭和しょうわ18ねん)にはすう200、町村ちょうそんすう10,476となった。

1945ねん昭和しょうわ20ねん)、だい世界せかい大戦たいせん終戦しゅうせん直後ちょくごには、すう205、まちすう1,797、むらすう8,818となっていた。

昭和しょうわだい合併がっぺい[編集へんしゅう]

戦後せんご新制しんせい中学校ちゅうがっこう設置せっち管理かんり市町村しちょうそん消防しょうぼう自治体じちたい警察けいさつ創設そうせつ社会しゃかい福祉ふくし保健ほけん衛生えいせい関係かんけいなどがあらたに市町村しちょうそん事務じむとされ、増大ぞうだいした行政ぎょうせい執行しっこう財政ざいせい確保かくほのために、市町村しちょうそん適正てきせい規模きぼ拡大かくだいすることが必要ひつようとなった。

このため、1953ねん昭和しょうわ28ねん)に町村ちょうそん合併がっぺい促進そくしんほう施行しこうされ、新制しんせい中学校ちゅうがっこう1こう管理かんりするのに必要ひつよう規模きぼとしておおむね8,000にん以上いじょう[注釈ちゅうしゃく 2]住民じゅうみんゆうすることが標準ひょうじゅんとされた。

さらに「町村ちょうそんすうやく3ぶんの1に減少げんしょうすることを目途もくと」とする町村ちょうそん合併がっぺい促進そくしん基本きほん計画けいかくあきら28ねん10がつ30にち閣議かくぎ決定けってい)の達成たっせいのため、1956ねん昭和しょうわ31ねん)にしん市町村しちょうそん建設けんせつ促進そくしんほう施行しこうされ、全国ぜんこくてき市町村しちょうそん合併がっぺい推進すいしんされた。

1953ねん昭和しょうわ28ねん)の町村ちょうそん合併がっぺい促進そくしんほう施行しこうから、しん市町村しちょうそん建設けんせつ促進そくしんほうて、1953ねん昭和しょうわ28ねん)10がつに9,868あった基礎きそ自治体じちたいが1961ねん昭和しょうわ36ねん)には3,472になり、やく3ぶんの1に減少げんしょうした。

高度こうど経済けいざい成長せいちょう合併がっぺい[編集へんしゅう]

高度こうど経済けいざい成長せいちょうにおける都市としやモータリゼーションの進展しんてん背景はいけいとする合併がっぺいうごきに対応たいおうするため、1965ねん昭和しょうわ40ねん)に市町村しちょうそん合併がっぺい特例とくれいかんする法律ほうりつ合併がっぺい特例とくれいほう)が制定せいていされた。郡山こおりやま岡山おかやま倉敷くらしき富士ふじなどの地域ちいき拠点きょてんになることを目指めざした合併がっぺいや、しん産業さんぎょう都市とし指定してい目指めざしてたいら磐城いわきなど14もの市町村しちょうそんいわきになるなどのだい規模きぼ合併がっぺいおこなわれた。また、高度こうど経済けいざい成長せいちょうには山間さんかん過疎かそ進行しんこうしたため、隣接りんせつする都市とし山間さんかんむといううごきもあった。静岡しずおかなどがそれに該当がいとうする。市制しせい施行しこうのための人口じんこう要件ようけん緩和かんわされ、鴨川かもがわ備前びぜん東予とうよげん西条さいじょう)など人口じんこう3まんにん以上いじょうでの市制しせい施行しこう目指めざした合併がっぺいおこなわれた。

平成へいせいだい合併がっぺい[編集へんしゅう]

1965ねん昭和しょうわ40ねん)に10ねん時限じげん立法りっぽうとして制定せいていされた合併がっぺい特例とくれいほう1975ねん昭和しょうわ50ねん以降いこうも10ねんごと延長えんちょうかえしてたが、1970年代ねんだい後半こうはんからは合併がっぺいうごきが低調ていちょうになった。1980年代ねんだいすえごろから、商工しょうこう会議かいぎしょなどの経済けいざい団体だんたい青年せいねん会議かいぎしょ中心ちゅうしんとして、市町村しちょうそん合併がっぺい推進すいしんする提言ていげん各地かくちおこなわれる一方いっぽうだい臨時りんじ行政ぎょうせい調査ちょうさかい最終さいしゅう答申とうしん地方ちほう分権ぶんけん推進すいしん委員いいんかい勧告かんこくとうにおいて市町村しちょうそん合併がっぺい推進すいしん提言ていげんされてきた。

このようななか、1995ねん平成へいせい7ねん)に地方ちほう分権ぶんけん一括いっかつほうによって合併がっぺい特例とくれいほう改正かいせいおこなわれ、住民じゅうみん直接ちょくせつ請求せいきゅうにより法定ほうてい合併がっぺい協議きょうぎかい設置せっち発議はつぎできる制度せいど新設しんせつや、合併がっぺい特例とくれいさい中心ちゅうしんとした財政ざいせい支援しえん措置そち拡充かくじゅうがなされ、以降いこう市町村しちょうそん合併がっぺい政府せいふにより強力きょうりょく推進すいしんされることとなった。政令せいれい指定してい都市としへの移行いこうや、町村ちょうそんへの移行いこうのための人口じんこう要件ようけん緩和かんわなども、すう改定かいていまれ、合併がっぺい論議ろんぎ加速かそくされることになった。また、1996ねん平成へいせい8ねん)のだい41かい衆議院しゅうぎいん議員ぎいんそう選挙せんきょでは主要しゅよう政党せいとう自由民主党じゆうみんしゅとう新進党しんしんとう民主党みんしゅとう)いずれもが市町村しちょうそん合併がっぺい推進すいしん政権せいけん公約こうやくかかげるにいたった。なお、2000ねん平成へいせい12ねん)には、当時とうじ与党よとう3とう自民党じみんとう公明党こうめいとう保守党ほしゅとう)により「基礎きそてき自治体じちたい強化きょうか視点してんで、市町村しちょうそん合併がっぺい自治体じちたいすうを1000を目標もくひょうとする」との方針ほうしんしめされている。

市町村しちょうそんがわにとってとく影響えいきょうおおきかったのは、政府せいふきゅう自治省じちしょうげん総務そうむしょう)による合併がっぺい特例とくれいさい中心ちゅうしんとした手厚てあつ財政ざいせい支援しえんと、どう時期じき進行しんこうした三位一体さんみいったい改革かいかくによる地方ちほう交付こうふぜい大幅おおはば削減さくげんであった。合併がっぺい特例とくれいさいは、法定ほうてい合併がっぺい協議きょうぎかい策定さくていする「合併がっぺい市町村しちょうそん建設けんせつ計画けいかく」にさだめた事業じぎょう基金ききん積立つみたてようする経費けいひについて、合併がっぺい年度ねんど10年度ねんどかぎり、その財源ざいげんとしてれることができる地方ちほうさいのことで、対象たいしょう事業じぎょうの95%に充当じゅうとうでき、元利がんり償還しょうかんきんの70%をこう年度ねんど普通ふつう交付こうふぜいによって措置そちされるという破格はかく有利ゆうり条件じょうけんであった。合併がっぺい特例とくれいさいとう特例とくれいが2005ねん平成へいせい17ねん3月31にちまでに合併がっぺい手続てつづきを完了かんりょうした場合ばあいかぎられたことから、合併がっぺい相次あいついだ。一方いっぽう地方ちほう交付こうふぜい大幅おおはば削減さくげんは、とく地方ちほう交付こうふぜいへの依存いぞんたか小規模しょうきぼ町村ちょうそんにとっておおきな打撃だげきとなり、財政ざいせい運営うんえい不安ふあんから合併がっぺい選択せんたくした市町村しちょうそん数多かずおおい。合併がっぺい自治体じちたいへの手厚てあつ財政ざいせい支援しえん一方いっぽうでの地方ちほう交付こうふぜい削減さくげんは、アメムチによる合併がっぺい推進すいしんさくともいわれた。

市町村しちょうそん合併がっぺいうごきは2003ねん平成へいせい15ねん)から2005ねん平成へいせい17ねん)にかけてピークをむかえ、1999ねん平成へいせい11ねん)3がつまつに3,232あった市町村しちょうそんかずは、2006ねん平成へいせい18ねん)4がつには1,820にまで減少げんしょうした。ただし小規模しょうきぼ町村ちょうそんであっても、原子力げんしりょく発電はつでんしょ立地りっちにともなう電力でんりょく事業じぎょう交付こうふきんだい企業きぎょう立地りっちともな税金ぜいきんなどにより、地方ちほう交付こうふぜいへの依存いぞんひく町村ちょうそん合併がっぺいすすまなかった。また、地方ちほうにおいておおむ合併がっぺいすす一方いっぽう新潟にいがたけん富山とやまけん愛媛えひめけん大分おおいたけんなど)、都市としにおける合併がっぺいはあまりすすまない結果けっかとなった(東京とうきょう神奈川かながわけん大阪おおさかなど)。

そのは、2005ねん平成へいせい17ねん)4がつ施行しこうされた合併がっぺい新法しんぽう市町村しちょうそん合併がっぺい特例とくれいとうかんする法律ほうりつ)にもとづき、つづ市町村しちょうそん合併がっぺいすすめられた。合併がっぺい新法しんぽうにおいては、合併がっぺい特例とくれいさいなどの財政ざいせい支援しえん措置そちがなくなる一方いっぽう都道府県とどうふけんによる合併がっぺい推進すいしんまれたてん特色とくしょくがあるが、合併がっぺいうごきは旧法きゅうほうくらべてにぶいものとなっている。

2009ねん平成へいせい21ねん5月26にちにはだい29地方ちほう制度せいど調査ちょうさかいが、合併がっぺい新法しんぽう期限きげんである2010ねん平成へいせい22ねん)3がつまつをもって政府せいふ主導しゅどうによる合併がっぺい推進すいしん一区切ひとくぎりとするべきとの答申とうしん決定けってい。2010ねん平成へいせい22ねん4がつ1にち合併がっぺい新法しんぽう改正かいせいされ、期限きげんはさらに10年間ねんかん延長えんちょうされたが、くに都道府県とどうふけんによる合併がっぺい推進すいしんかんする規定きてい削除さくじょされ、市制しせい施行しこう条件じょうけん緩和かんわなどの特例とくれい廃止はいしされるなど、政府せいふ主導しゅどう合併がっぺい推進すいしん運動うんどう正式せいしき終了しゅうりょうした。

平成へいせいだい合併がっぺい以前いぜん全国ぜんこくまちかずやく3ばい存在そんざいしたが、特例とくれい措置そちにより町村ちょうそんかずつづけ、2010ねん平成へいせい22ねん2がつ1にち愛知あいちけん豊川とよかわ宝飯ほいぐん小坂井こざかいまちを、福岡ふくおかけん八女やめ八女やめぐん黒木くろきまち立花たちばなまち矢部やべむら星野ほしのむら編入へんにゅうし、3まち2むらったため、まちかずおなじ784となった[1]3月8にち山梨やまなしけん南巨摩みなみこまぐん鰍沢かじかざわまち増穂ますほまち合併がっぺい富士川ふじかわまちとなったため、1まちり、まちかず上回うわまわった。2014ねん平成へいせい26ねん)4がつ5にち栃木とちぎけん下都賀しもつがぐん岩舟いわふねまち栃木とちぎ編入へんにゅうしたのを最後さいご日本にっぽんでは市町村しちょうそん合併がっぺいおこなわれておらず、この時点じてん市町村しちょうそんかずは1,718にまで減少げんしょうした。

平成へいせいだい合併がっぺいによる都道府県とどうふけんべつ市町村しちょうそんすう推移すいい[編集へんしゅう]

平成へいせいだい合併がっぺい市町村しちょうそんすう推移すいい都道府県とどうふけんべつ
都道府県とどうふけん 1999ねん平成へいせい11ねん)3がつ31にち時点じてん 2014ねん平成へいせい26ねん)4がつ5にち時点じてん 増減ぞうげんすう増減ぞうげんりつ
市町村しちょうそんすう まち むら 市町村しちょうそんすう まち むら 市町村しちょうそん りつ りつ まち りつ むら りつ
北海道ほっかいどう 212 34 154 24 179 35 129 15 -33 -16% +1 +3% -25 -16% -9 -38%
青森あおもりけん 67 8 34 25 40 10 22 8 -27 -40% +2 +25% -12 -35% -17 -68%
岩手いわてけん 59 13 30 16 33 14 15 4 -26 -44% +1 +8% -15 -50% -12 -75%
宮城みやぎけん 71 10 59 2 35 13 21 1 -36 -51% +3 +30% -38 -64% -1 -50%
秋田あきたけん 69 9 50 10 25 13 9 3 -44 -64% +4 +44% -41 -82% -7 -70%
山形やまがたけん 44 13 27 4 35 13 19 3 -9 -20% 0 0% -8 -30% -1 -25%
福島ふくしまけん 90 10 52 28 59 13 31 15 -31 -34% +3 +30% -21 -40% -13 -46%
茨城いばらきけん 85 20 48 17 44 32 10 2 -41 -48% +12 +60% -38 -79% -15 -88%
栃木とちぎけん 49 12 35 2 25 14 11 0 -24 -49% +2 +17% -24 -69% -2 -100%
群馬ぐんまけん 70 11 33 26 35 12 15 8 -35 -50% +1 +9% -18 -55% -18 -69%
埼玉さいたまけん 92 43 38 11 63 40 22 1 -29 -32% -3 -7% -16 -42% -10 -91%
千葉ちばけん 80 31 44 5 54 37 16 1 -26 -33% +6 +19% -28 -64% -4 -80%
東京とうきょう 40 27 5 8 39 26 5 8 -1 -3% -1 -4% 0 0% 0 0%
神奈川かながわけん 37 19 17 1 33 19 13 1 -4 -11% 0 0% -4 -24% 0 0%
新潟にいがたけん 112 20 57 35 30 20 6 4 -82 -73% 0 0% -51 -90% -31 -89%
富山とやまけん 35 9 18 8 15 10 4 1 -20 -57% +1 +11% -14 -78% -7 -88%
石川いしかわけん 41 8 27 6 19 11 8 0 -22 -54% +3 +38% -19 -70% -6 -100%
福井ふくいけん 35 7 22 6 17 9 8 0 -18 -51% +2 +29% -14 -64% -6 -100%
山梨やまなしけん 64 7 37 20 27 13 8 6 -37 -58% +6 +86% -29 -78% -14 -70%
長野ながのけん 120 17 36 67 77 19 23 35 -43 -36% +2 +12% -13 -36% -32 -48%
岐阜ぎふけん 99 14 55 30 42 21 19 2 -57 -58% +7 +50% -36 -65% -28 -93%
静岡しずおかけん 74 21 49 4 35 23 12 0 -39 -53% +2 +10% -37 -76% -4 -100%
愛知あいちけん 88 31 47 10 54 38 14 2 -34 -39% +7 +22% -33 -70% -8 -80%
三重みえけん 69 13 47 9 29 14 15 0 -40 -58% +1 +8% -32 -68% -9 -100%
滋賀しがけん 50 7 42 1 19 13 6 0 -31 -62% +6 +86% -36 -86% -1 -100%
京都きょうと 44 12 31 1 26 15 10 1 -18 -41% +3 +25% -21 -68% 0 0%
大阪おおさか 44 33 10 1 43 33 9 1 -1 -2% 0 0% -1 -10% 0 0%
兵庫ひょうごけん 91 21 70 0 41 29 12 0 -50 -55% +8 +38% -58 -83% 0 -
奈良ならけん 47 10 20 17 39 12 15 12 -8 -17% +2 +20% -5 -25% -5 -29%
和歌山わかやまけん 50 7 36 7 30 9 20 1 -20 -40% +2 +29% -16 -44% -6 -86%
鳥取とっとりけん 39 4 31 4 19 4 14 1 -20 -51% 0 0% -17 -55% -3 -75%
島根しまねけん 59 8 41 10 19 8 10 1 -40 -68% 0 0% -31 -76% -9 -90%
岡山おかやまけん 78 10 56 12 27 15 10 2 -51 -65% +5 +50% -46 -82% -10 -83%
広島ひろしまけん 86 13 67 6 23 14 9 0 -63 -73% +1 +8% -58 -87% -6 -100%
山口やまぐちけん 56 14 37 5 19 13 6 0 -37 -66% -1 -7% -31 -84% -5 -100%
徳島とくしまけん 50 4 38 8 24 8 15 1 -26 -52% +4 +100% -23 -61% -7 -88%
香川かがわけん 43 5 38 0 17 8 9 0 -26 -60% +3 +60% -29 -76% 0 -
愛媛えひめけん 70 12 44 14 20 11 9 0 -50 -71% -1 -8% -35 -80% -14 -100%
高知こうちけん 53 9 25 19 34 11 17 6 -19 -36% +2 +22% -8 -32% -13 -68%
福岡ふくおかけん 97 24 65 8 60 28 30 2 -37 -38% +4 +17% -35 -54% -6 -75%
佐賀さがけん 49 7 37 5 20 10 10 0 -29 -59% +3 +43% -27 -73% -5 -100%
長崎ながさきけん 79 8 70 1 21 13 8 0 -58 -73% +5 +63% -62 -89% -1 -100%
熊本くまもとけん 94 11 62 21 45 14 23 8 -49 -52% +3 +27% -39 -63% -13 -62%
大分おおいたけん 58 11 36 11 18 14 3 1 -40 -69% +3 +27% -33 -92% -10 -91%
宮崎みやざきけん 44 9 28 7 26 9 14 3 -18 -41% 0 0% -14 -50% -4 -57%
鹿児島かごしまけん 96 14 73 9 43 19 20 4 -53 -55% +5 +36% -53 -73% -5 -56%
沖縄おきなわけん 53 10 16 27 41 11 11 19 -12 -23% +1 +10% -5 -31% -8 -30%
総計そうけい 3232 670 1994 568 1718 ※790 ※745 183 -1514 -47% +120 +18% -1249 -63% -385 -68%

※2016ねん平成へいせい28ねん)に宮城みやぎけん黒川くろかわぐん富谷とみやまち市制しせい施行しこうして富谷とみやに、2018ねん平成へいせい30ねん)に福岡ふくおかけん筑紫つくしぐん那珂川なかがわまち市制しせい施行しこうして那珂川なかがわとなっており、2023ねんれい5ねん現在げんざいは792743まち183むら最新さいしん状況じょうきょう総務そうむしょう)。

合併がっぺい分割ぶんかつ種類しゅるい[編集へんしゅう]

合体がったい新設しんせつ合併がっぺい)と編入へんにゅう編入へんにゅう合併がっぺい[編集へんしゅう]

合体がったい
合併がっぺいしようとする市町村しちょうそんをすべて廃止はいしして新規しんき市町村しちょうそん設置せっちする方法ほうほう 合併がっぺいかかわるすべての市町村しちょうそん法人ほうじんかく消滅しょうめつするため、すべての市町村しちょうそんちょう市町村しちょうそん議会ぎかい議員ぎいん失職しっしょくし、合併がっぺい設置せっちされたしん市町村しちょうそん市町村しちょうそんちょう市町村しちょうそん議会ぎかい議員ぎいん選挙せんきょおこなわれる。ただし、市町村しちょうそん議会ぎかい議員ぎいんについては合併がっぺい新法しんぽうによる在任ざいにん特例とくれい適用てきようすることもできる。また、市町村しちょうそんちょう選挙せんきょまで市町村しちょうそんちょう職務しょくむ執行しっこうしゃかれ、市町村しちょうそんちょう職務しょくむ代行だいこうする。なお、市町村しちょうそんちょう職務しょくむ執行しっこうしゃには合併がっぺいまえのいずれかの市町村しちょうそんちょうで、合併がっぺい市町村しちょうそんちょう選挙せんきょ出馬しゅつばしないもの就任しゅうにんするれいおおい。
どう規模きぼ市町村しちょうそん同士どうし合併がっぺいおこなわれるれいおおいが、規模きぼおおきなちがいがあっても合併がっぺい協議きょうぎ結果けっか採用さいようされたケースもある。ぞく新設しんせつ合併がっぺいばれる。
編入へんにゅう
合併がっぺいしようとする複数ふくすう市町村しちょうそんのうち、1個いっこ存続そんぞく法人ほうじんとして、それ以外いがい市町村しちょうそん廃止はいしして存続そんぞく法人ほうじんれる方法ほうほう
編入へんにゅうされる市町村しちょうそん法人ほうじんかく消滅しょうめつするため、その市町村しちょうそんちょう市町村しちょうそん議会ぎかい議員ぎいん失職しっしょくする。ただし、市町村しちょうそん議会ぎかい議員ぎいんについては編入へんにゅうした市町村しちょうそん議会ぎかい議員ぎいんになることも特例とくれいとして可能かのう市町村しちょうそんちょう選挙せんきょ市町村しちょうそん議会ぎかい議員ぎいん選挙せんきょは、存続そんぞく市町村しちょうそん合併がっぺい直後ちょくご任期にんき満了まんりょうになった場合ばあいと、合併がっぺい前後ぜんこう市町村しちょうそんちょう任期にんき途中とちゅう死去しきょもしくは辞職じしょくした場合ばあいのみおこなわれる。
合併がっぺいする市町村しちょうそん規模きぼおおきくことなる場合ばあいおこなわれるれいおおい。ぞく編入へんにゅう合併がっぺいばれる。

合併がっぺい[編集へんしゅう]

市町村しちょうそん合併がっぺい特例とくれいとうかんする法律ほうりつだい2じょうだい1こうでは「市町村しちょうそん合併がっぺい」を以下いかのように定義ていぎしている。

この法律ほうりつにおいて「市町村しちょうそん合併がっぺい」とは、以上いじょう市町村しちょうそん区域くいき全部ぜんぶしくは一部いちぶをもって市町村しちょうそんき、また市町村しちょうそん区域くいき全部ぜんぶしくは一部いちぶ市町村しちょうそん編入へんにゅうすることで市町村しちょうそんかず減少げんしょうともなうものをいう。-- 「市町村しちょうそん合併がっぺい特例とくれいとうかんする法律ほうりつ平成へいせいじゅうろくねん法律ほうりつだいじゅうきゅうごう)」『だいじょうだいいちこう定義ていぎ)』

すなわち、市町村しちょうそん合併がっぺいとは市町村しちょうそん合体がったいおよ編入へんにゅう総称そうしょうである。

合併がっぺいかんするほか用語ようご[編集へんしゅう]

編入へんにゅう編入へんにゅう合併がっぺい)のわりに吸収きゅうしゅう合併がっぺい合体がったい新設しんせつ合併がっぺい)のわりに対等たいとう合併がっぺいというかたり使つかわれることがあるが、これらのかたり手続てつづきではなく理念りねんもとづくもののため、編入へんにゅう編入へんにゅう合併がっぺい)や合体がったい新設しんせつ合併がっぺい)と同義どうぎではない

合併がっぺいまえからの(最大さいだい規模きぼの)市町村しちょうそん名称めいしょうぐなど、実質じっしつじょう吸収きゅうしゅう合併がっぺい様相ようそうていするケースでも、「吸収きゅうしゅう」というイメージを極力きょくりょく排除はいじょして、対等たいとう関係かんけい強調きょうちょうしたい場合ばあいには、手続てつづきとして新設しんせつ合併がっぺい手法しゅほうることがある。このようなケースでは、合併がっぺい市町村しちょうそんしめぎあきら変更へんこうするなど、対等たいとう関係かんけい強調きょうちょうするための手続てつづきの変更へんこうがなされることもある。

越境えっきょう合併がっぺい[編集へんしゅう]

通常つうじょう合併がっぺいどういち都道府県とどうふけんない市町村しちょうそん同士どうしおこなわれることがほとんどであるが、県境けんきょう隣接りんせつしていて地理ちりてき経済けいざいてき理由りゆうなどでどういち都道府県とどうふけんないよりもけん市町村しちょうそんとの交流こうりゅうふかければ、県境けんきょうえた合併がっぺい模索もさくされる場合ばあいがある。これを越境えっきょう合併がっぺいこしけん合併がっぺい県境けんきょう合併がっぺい)とぶ。

分割ぶんかつ分立ぶんりつ[編集へんしゅう]

分割ぶんかつ
1個いっこ市町村しちょうそん廃止はいしして、複数ふくすう区域くいきけて新規しんき市町村しちょうそん設置せっちする方法ほうほう 分割ぶんかつされる市町村しちょうそん法人ほうじんかく消滅しょうめつするため、その市町村しちょうそんちょう市町村しちょうそん議会ぎかい議員ぎいん失職しっしょくし、分割ぶんかつ設置せっちされたしん市町村しちょうそん市町村しちょうそんちょう市町村しちょうそん議会ぎかい議員ぎいん選挙せんきょおこなわれる。合体がったい合併がっぺい対義語たいぎご解体かいたい分割ぶんかつというかたりしめされることもある。
分立ぶんりつ
1個いっこ市町村しちょうそん存続そんぞくさせたまま、区域くいき一部いちぶあたらしい市町村しちょうそん設置せっちする方法ほうほう 分立ぶんりつまえ市町村しちょうそん法人ほうじんかく存続そんぞくするため、その市町村しちょうそんちょう市町村しちょうそん議会ぎかい議員ぎいん当然とうぜんには失職しっしょくせず、新設しんせつ市町村しちょうそん区域くいき住所じゅうしょがある市町村しちょうそん議会ぎかい議員ぎいん被選挙権ひせんきょけんうしなうので、地方ちほう自治じちほう127じょうによる議会ぎかい資格しかく決定けってい議決ぎけつによって失職しっしょくする。市町村しちょうそんちょう被選挙権ひせんきょけん資格しかくには住所じゅうしょ要件ようけんがないので、新設しんせつ市町村しちょうそん住所じゅうしょがあっても失職しっしょくしない。分立ぶんりつされて設置せっちされたしん市町村しちょうそん市町村しちょうそんちょう市町村しちょうそん議会ぎかい議員ぎいん選挙せんきょおこなわれる。ぞく分離ぶんりまたは「ぶんまちむら)」ともいう。
いずれも、地理ちり歴史れきし交通こうつう体系たいけい住民じゅうみん生活せいかつけんことなる複数ふくすう地域ちいきあわっている市町村しちょうそん実施じっしされることが一般いっぱんてきである。
だい世界せかい大戦たいせんなか国策こくさく合併がっぺいした町村ちょうそん戦後せんご分立ぶんりつされたり、昭和しょうわだい合併がっぺい合併がっぺいした町村ちょうそんしん市町村しちょうそんない対立たいりつ分立ぶんりつされたりするというれいがあった。

合併がっぺい分立ぶんりつされた市町村しちょうそん[編集へんしゅう]

合併がっぺい全域ぜんいきもしくはだい部分ぶぶんあたらしい自治体じちたいとして分立ぶんりつされた市町村しちょうそん[編集へんしゅう]

北海道ほっかいどう網走あばしりぐん藻琴もことむら
1915ねん大正たいしょう4ねん)4がつ一級いっきゅう町村ちょうそん網走あばしりまち編入へんにゅう1947ねん昭和しょうわ22ねん)2がつきゅうむら南部なんぶ東藻琴ひがしもことむらとして分離ぶんり網走あばしりまち残部ざんぶ網走あばしり昇格しょうかく
2006ねん平成へいせい18ねん)3がつ東藻琴ひがしもことむら女満別めまんべつまち合併がっぺい大空おおぞらまちに。
北海道ほっかいどう河西かさいぐん上帯広かみおびひろむら売買ばいばいむらさいわいしんむら
1915ねん大正たいしょう4ねん)4がつきゅう町村ちょうそんの3むら合併がっぺいして大正たいしょうむらとなり、1924ねん大正たいしょう13ねん)2がつきゅう上帯広かみおびひろむら全部ぜんぶきゅう売買ばいばいむら一部いちぶ川西かわにしむらとして、1947ねん昭和しょうわ22ねん)9がつきゅう売買ばいばいむらさいわいしんむら一部いちぶ中札内なかさつないむらとして、きゅうさいわいしんむら一部いちぶがのちに編入へんにゅうされたきゅう幕別まくべつむら一部いちぶとともに更別さらべつむらとして分立ぶんりつ
1957ねん昭和しょうわ32ねん)3がつ大正たいしょうむら川西かわにしむら帯広おびひろ編入へんにゅう
秋田あきたけん南秋田みなみあきたぐん飯田川いいたがわまち
1942ねん昭和しょうわ17ねん)3がつ大久保おおくぼまち合併がっぺいして昭和町しょうわちょうとなり、1950ねん昭和しょうわ25ねん)9がつ分立ぶんりつ
2005ねん平成へいせい17ねん)3がつ天王てんのうまち昭和しょうわまち合併がっぺい潟上かたがみに。
秋田あきたけん南秋田みなみあきたぐん豊川とよかわむら
1942ねん昭和しょうわ17ねん)4がつ昭和しょうわまち合併がっぺいして昭和しょうわまちとなり、1950ねん昭和しょうわ25ねん)7がつ分離ぶんり
1956ねん昭和しょうわ31ねん)9がつ昭和しょうわまち再度さいど合併がっぺい昭和しょうわまちに。
2005ねん平成へいせい17ねん)3がつ昭和しょうわまち天王てんのうまち飯田川いいたがわまち合併がっぺい潟上かたがみへ。
秋田あきたけん河辺かべぐん豊島としまむら
1942ねん昭和しょうわ17ねん)に和田わだまち編入へんにゅう、1950ねん昭和しょうわ25ねん)7がつ分立ぶんりつ
1955ねん昭和しょうわ30ねん)3がつ和田わだまち岩見いわみ三内さんないむら合併がっぺい河辺かべまちに。
2005ねん平成へいせい17ねん)1がつ河辺かべまち雄和ゆうわまちとともに秋田あきた編入へんにゅう
茨城いばらきけん稲敷いなしきぐん源清田げんせいだむら
1942ねん昭和しょうわ17ねん)8がつ長竿ながさおむら合併がっぺいして瑞穂みずほむらとなり、1949ねん昭和しょうわ24ねん)8がつ分立ぶんりつ瑞穂みずほむら残部ざんぶ長竿ながさおむら改称かいしょう
1955ねん昭和しょうわ30ねん)5がつ長竿ながさおむら生板まないたむら合併がっぺい河内かわちむらに。
1996ねん平成へいせい8ねん)6がつ河内かわちむら町制ちょうせい施行しこうして河内かわちまちに。
埼玉さいたまけん北足立きたあだちぐん鳩ヶ谷はとがやまち
1940ねん昭和しょうわ15ねん)4がつ川口かわぐち編入へんにゅう、1950ねん昭和しょうわ25ねん)11月に住民じゅうみん投票とうひょう結果けっかまえて分立ぶんりつ
1967ねん昭和しょうわ42ねん)に市制しせい施行しこう鳩ヶ谷はとがやに。
2011ねん平成へいせい23ねん)10がつ川口かわぐち編入へんにゅう
埼玉さいたまけん北足立きたあだちぐん志木しきまちうちあいだ木村きむら入間いるまぐん水谷みずたにむら宗岡むねおかむら
1944ねん昭和しょうわ19ねん)2がつ合併がっぺい内間うちま木村きむら荒川あらかわ東岸とうがんのぞく)、志紀しきまち発足ほっそく1948ねん昭和しょうわ23ねん)4がつ合併がっぺいまえの1まち3むら分割ぶんかつ。なお、合併がっぺいまえ入間いるまぐんぞくしていた水谷みずたにむら宗岡むねおかむら北足立きたあだちぐん所属しょぞくとなった。
志木しきまち宗岡むねおかむらは1955ねん昭和しょうわ30ねん)5がつ合併がっぺいして足立あだちまちとなり、1970ねん昭和しょうわ45ねん)10がつ改称かいしょうして市制しせい施行しこう志木しきに。
うち間木まぎむらは1955ねん昭和しょうわ30ねん)4がつ朝霞あさかまち合併がっぺいしてあらたに朝霞あさかまちとなり、1967ねん昭和しょうわ42ねん)3がつ市制しせい施行しこうして朝霞あさかに。
水谷みずたにむら1956ねん昭和しょうわ31ねん)9がつ入間いるまぐん鶴瀬つるせむら南畑みなみはたむら合併がっぺいして入間いるまぐん富士見ふじみむらとなり、1967ねん昭和しょうわ42ねん)4がつ町制ちょうせい1972ねん昭和しょうわ47ねん)4がつ市制しせい施行しこうして富士見ふじみに。
埼玉さいたまけん北埼玉きたさいたまぐんたねあしむら高柳たかやなぎむら谷村たにむら鴻茎こうぐきむら
1943ねん昭和しょうわ18ねん)4がつどうぐん騎西きさいまち合併がっぺい騎西きさいまち発足ほっそく1946ねん昭和しょうわ21ねん)5がつ合併がっぺいまえの1まち4むら分割ぶんかつ
たねあしむら谷村たにむら鴻茎こうぐきむら1954ねん昭和しょうわ29ねん)10がつ騎西きさいまち合併がっぺい騎西きさいまちに。
高柳たかやなぎむらは1955ねん昭和しょうわ30ねん)3がつ騎西きさいまち編入へんにゅう
2010ねん平成へいせい22ねん3月23にち騎西きさいまち加須かぞ北川辺きたかわべまち大利根おおとねまち合併がっぺいし、加須かぞに。
埼玉さいたまけん北葛飾きたかつしかぐんしずむら豊田とよだむら
1944ねん昭和しょうわ19ねん)4がつどうぐん栗橋くりはしまち合併がっぺい栗橋くりはしまち発足ほっそく1949ねん昭和しょうわ24ねん)10がつ合併がっぺいまえの1まち2むら分離ぶんり
1957ねん昭和しょうわ32ねん)4がつりょうむら栗橋くりはしまち合併がっぺい栗橋くりはしまち発足ほっそく
2010ねん平成へいせい22ねん3月23にち栗橋くりはしまち久喜くき南埼玉みなみさいたまぐん菖蒲しょうぶまち鷲宮わしみやまち合併がっぺいし、久喜くきに。
埼玉さいたまけん秩父ちちぶぐん皆野みなのまち三沢みさわむら国神くにかみむら日野沢ひのさわむら大田おおたむら金沢かなざわむら
1943ねん昭和しょうわ18ねん)9がつどうぐん白鳥しらとりむら一部いちぶ合併がっぺい美野みのまち発足ほっそく1946ねん昭和しょうわ21ねん)12月に合併がっぺいまえの1まち5むら分離ぶんりきゅう白鳥しらとりむら部分ぶぶん皆野みなのまち所属しょぞく
皆野みなのまち国神くにかみむら日野沢ひのさわむら金沢かなざわむらは1955ねん昭和しょうわ30ねん)3がつ合併がっぺいし、皆野みなのまち発足ほっそく
三沢みさわむら1957ねん昭和しょうわ32ねん)3がつ皆野みなのまち編入へんにゅう
大田おおたむら1957ねん昭和しょうわ32ねん)5がつ秩父ちちぶ編入へんにゅう
東京とうきょうきた豊島としまぐん練馬ねりままちうえ練馬ねりまむら中新井なかあらいむら石神井しゃくじいむら大泉おおいずみむら
1932ねん昭和しょうわ7ねん)に1まち3むらとともに東京とうきょう編入へんにゅうされ板橋いたばしに。
1943ねん昭和しょうわ18ねん)にせい施行しこうにより東京とうきょう板橋いたばし1947ねん昭和しょうわ22ねん)に練馬ねりまとして分離ぶんり
神奈川かながわけん三浦みうらぐん逗子ずしまち
1943ねん昭和しょうわ18ねん)に横須賀よこすか編入へんにゅう、1950ねん昭和しょうわ25ねん)に分立ぶんりつ
1954ねん市制しせい施行しこう逗子ずしに。
神奈川かながわけん高座こうざぐん座間ざままち
1941ねん昭和しょうわ16ねん)に相原あいはらむらだい野村のむら大沢おおさわむら上溝うわみぞまち田名たなむらあさみぞむらしん磯村いそむら合併がっぺいして相模原さがみはらまちげん相模原さがみはら)、1948ねん昭和しょうわ23ねん)に分立ぶんりつ
1971ねん昭和しょうわ46ねん)に市制しせい施行しこう座間ざまに。
富山とやまけん射水いみずぐん新湊しんみなとまち牧野まきのむら
1940ねん昭和しょうわ15ねん)に牧野まきのむら新湊しんみなとまち編入へんにゅう。1942ねん昭和しょうわ17ねん)に新湊しんみなとまち高岡たかおか編入へんにゅう1951ねん昭和しょうわ26ねん)1がつ新湊しんみなとまち牧野まきのむらとして分立ぶんりつ
牧野まきのむらは1951ねん昭和しょうわ26ねん)4がつ高岡たかおか編入へんにゅう
新湊しんみなとまちは1951ねん昭和しょうわ26ねん)3がつ市制しせい施行しこう新湊しんみなとに。その2005ねん平成へいせい17ねん)に小杉こすぎまち大門おおかどまち下村しもむら大島おおしままち合併がっぺいして射水いみずに。
石川いしかわけん河北かほくぐん金津かなづ谷村たにむら
1907ねん明治めいじ40ねん)に高松たかまつむら合併がっぺいして高松たかまつむらとなり、1922ねん大正たいしょう11ねん)に町制ちょうせい施行しこうして高松たかまつまち、1950ねん昭和しょうわ25ねん)に一部いちぶのぞ金津かなづむら(2代目だいめ、かなむら)として分立ぶんりつ
ぐんないには1907ねん明治めいじ40ねん)までべつ金津かなづむら初代しょだい、かなむら)が存在そんざいした。
2代目だいめ金津かなづむら1960ねん昭和しょうわ35ねん)に宇ノ気うのけまち編入へんにゅう
2004ねん平成へいせい16ねん)に宇ノ気うのけまち高松たかまつまち七塚ななつかまち合併がっぺいしてかほくに。
長野ながのけん上伊那かみいなぐん宮田みやたまち
1954ねん昭和しょうわ29ねん)に上伊那かみいなぐん赤穂あこうまち中沢なかざわむら伊那いなむら新設しんせつ合併がっぺい駒ヶ根こまがねとなり、1956ねん昭和しょうわ31ねん)に宮田みやたむらとして分立ぶんりつ
愛知あいちけん知多ちたぐん石浜いしはまむら生路いくじむら
1891ねん明治めいじ24ねん)に合併がっぺいしてなま浜村はまむらとなり、1892ねん明治めいじ25ねん)にきゅう2むら分割ぶんかつ
りょうむら町村ちょうそんせい以前いぜんにも合併がっぺい分割ぶんかつかえしていた。
1906ねん明治めいじ39ねん)に2むら藤江ふじえむら緒川おがわむら森岡もりおかむら一部いちぶ合併がっぺいして東浦ひがしうらむらに。
1948ねん昭和しょうわ23ねん)に東浦ひがしうらむら町制ちょうせい施行しこうして東浦ひがしうらまちに。
岐阜ぎふけん土岐ときぐん笠原かさはらまち
1951ねん昭和しょうわ26ねん)に多治見たじみ編入へんにゅう1952ねん昭和しょうわ27ねん)に一部いちぶ地域ちいきのぞ笠原かさはらむらとして分立ぶんりつ
1952ねん昭和しょうわ27ねん)に町制ちょうせい施行しこうしてふたた笠原かさはらまちに。
2006ねん平成へいせい18ねん)に多治見たじみさい編入へんにゅう
岐阜ぎふけん恵那えなぐん野志のしむら杉野すぎのむら東方とうほうむら
1897ねん明治めいじ30ねん)に恵那えなぐん明知あけちまち合併がっぺい1905ねん明治めいじ38ねん)に静波しずなみむらとして分立ぶんりつ
1954ねん昭和しょうわ29ねん)に明知あけちまちさい合併がっぺいして明智あけちまちに。
2004ねん平成へいせい16ねん)に明智あけちまち恵那えな岩村いわむらまち山岡やまおかまち上矢作かみやはぎまち串原くしはらむら合併がっぺいし、恵那えなに。
岐阜ぎふけん揖斐いびぐん鶴見つるみむら東横山ひがしよこやまむら西横山にしよこやまむらひがし杉原すぎはらむら
1897ねん明治めいじ30ねん)に日坂にっさかむら西津汲にしつくみむら東津汲ひがしつくみむら外津汲とつくみむら三倉みくらむら乙原おちばらむら樫原かしわらむら小津おつむら合併がっぺいして久瀬くせむらとなり、1913ねん大正たいしょう2ねん)に藤橋ふじはしむらとして分立ぶんりつ
2005ねん平成へいせい17ねん)に久瀬くせむら揖斐川いびがわまち谷汲たにくむら春日かすがむら坂内さかうちむら合併がっぺいして揖斐川いびがわまちとなる。
静岡しずおかけん小笠おがさぐん南郷なんごうむら
1893ねん明治めいじ26ねん)に一部いちぶ掛川かけがわまち編入へんにゅう1895ねん明治めいじ28ねん)に分離ぶんりして西にし南郷なんごうむら設置せっち。1943ねん昭和しょうわ18ねん)に南郷なんごうむら掛川かけがわまち編入へんにゅうして以降いこう西にし南郷なんごうむら存続そんぞく
1951ねん昭和しょうわ26ねん)に西にし南郷なんごうむら掛川かけがわまちあわ本村もとむら西にし山口やまぐちむら新設しんせつ合併がっぺいして掛川かけがわまちとなる。
1954ねん昭和しょうわ29ねん)に掛川かけがわまち曽我そがむらひがし山口やまぐちむら編入へんにゅう市制しせい施行しこうし、掛川かけがわに。
三重みえけん名賀なよしぐんまがりむら
1942ねん昭和しょうわ17ねん)に名張なばりまち編入へんにゅう1949ねん昭和しょうわ24ねん)に分立ぶんりつ
1954ねん昭和しょうわ29ねん)に名張なばりまち滝川たきがわむら国津くにつむら合併がっぺいして名張なばりに。
滋賀しがけん甲賀こうがぐん柏木かしわぎむら
1942ねん昭和しょうわ17ねん)に水口みずぐちまち編入へんにゅう1948ねん昭和しょうわ23ねん)に一部いちぶのぞいて分立ぶんりつ
1955ねん昭和しょうわ30ねん)に水口みずぐちまち貴生川きぶかわまちばん谷村たにむら合併がっぺい水口みずぐちまちに。
2004ねん平成へいせい16ねん)に水口みずぐちまち土山つちやままち信楽しがらきまち甲南こうなんまち甲賀こうがまち合併がっぺいして甲賀こうがに。
滋賀しがけん伊香いかぐん香具こうぐむら
1943ねん昭和しょうわ18ねん)に木之本きのもとまち合併がっぺいして木之本きのもとまちとなるが、1948ねん昭和しょうわ23ねん)に分立ぶんりつ
1954ねん昭和しょうわ29ねん)に杉野すぎのむらたかときむらとともに木之本きのもとまち合併がっぺい木之本きのもとまちに。
2010ねん平成へいせい22ねん)に木之本きのもとまち伊香いかぐん高月たかつきまち西浅井にしあざいまち余呉よごまち東浅井ひがしあざいぐん虎姫とらひめまち湖北こほくまちとともに長浜ながはま編入へんにゅう
兵庫ひょうごけん津名つなぐん釜口かまぐちむら仮屋かりやまち浦村うらむら
1956ねん昭和しょうわ31ねん)に津名つなぐん岩屋いわやまちとともに合併がっぺい淡路あわじまち1961ねん昭和しょうわ36ねん)にかく一部いちぶ東浦ひがしうらまちとして分立ぶんりつ
2005ねん平成へいせい17ねん)に東浦ひがしうらまち淡路あわじまち津名つなまち北淡ほくだんまち一宮いちのみやまち合併がっぺい淡路あわじに。
岡山おかやまけん真庭まにわぐん月田つきだむら
1907ねん明治めいじ40ねん)に勝山かちやままち一宮いちのみやむら川西かわにしむら合併がっぺいあらたに勝山かちやままちとなったが、1949ねん昭和しょうわ24ねん)に分立ぶんりつ
1955ねん昭和しょうわ30ねん)に勝山かちやままち富原とみはらむら合併がっぺいあらたに勝山かちやままち
2005ねん平成へいせい17ねん)に勝山かちやままち落合おちあいまち湯原ゆはらまち久世くせまち北房ほくぼうまち美甘みかもむら川上かわかみむら八束やつかむら中和ちゅうわむら合併がっぺい真庭まにわに。
岡山おかやまけん苫田とまたぐん加茂かもまち
1942ねん昭和しょうわ17ねん)に東加茂ひがしかもむら西加茂にしかもむら合併がっぺいあらたに加茂かもまち、1951ねん昭和しょうわ26ねん)にきゅう加茂かもまちきゅう加茂かもむら町制ちょうせいしたがわ部分ぶぶんしん加茂かもまちとして分立ぶんりつ
1954ねん昭和しょうわ29ねん)にしん加茂かもまち加茂かもまち東加茂ひがしかもむら+西加茂にしかもむら)・上加茂かみかもむら合併がっぺいあらたに加茂かもまち
2005ねん平成へいせい17ねん)に阿波あわむら久米くめまち勝北しょうほくまちとともに津山つやま編入へんにゅう
広島ひろしまけん賀茂かもぐん寺西てらにしむら
1939ねん昭和しょうわ14ねん)に西条さいじょうまち下見したみむら御薗みその宇村よしみのるむら合併がっぺいあらたに西条さいじょうまち、1950ねん昭和しょうわ25ねん)に分立ぶんりつ
1952ねん昭和しょうわ27ねん)に町制ちょうせい施行しこうして寺西てらにしまちに。
1959ねん昭和しょうわ34ねん)に西条さいじょうまち編入へんにゅう
1974ねん昭和しょうわ49ねん4がつ20日はつか西条さいじょうまち八本松はちほんまつまち志和しわまち高屋たかやまち合併がっぺい東広島ひがしひろしまに。
山口やまぐちけん吉敷よしきぐん阿知須あじすまち小郡おぐにまち
1944ねん昭和しょうわ19ねん)に山口やまぐち平川ひらかわむら大歳おおとしむらすえむら名田島なたじまむら秋穂二島あいおふたじまむら嘉川かがわむら佐山さやまむら合併がっぺいしてあらたに山口やまぐちとなり、1947ねん昭和しょうわ22ねん)に阿知須あじすまちが、1949ねん昭和しょうわ24ねん)に小郡おぐにまち分立ぶんりつ
2005ねん平成へいせい17ねん)に山口やまぐちどうぐん秋穂あいおまち佐波さばぐん徳地とくじまち合併がっぺい山口やまぐちに。
山口やまぐちけん都濃つのぐん富田とみたまち福川ふくかわまち
1944ねん昭和しょうわ19ねん)に徳山とくやまくし浜町はまちょう大津島おおつしまむら夜市やじむら戸田とだむら湯野ゆのむら合併がっぺいして徳山とくやまとなり、1949ねん昭和しょうわ24ねん)に分立ぶんりつ
1953ねん昭和しょうわ28ねん)に2まち合併がっぺい南陽なんようまち
1970ねん昭和しょうわ45ねん)に南陽なんようまち改称かいしょう市制しせい施行しこう新南陽しんなんように。
2003ねん平成へいせい15ねん)に新南陽しんなんよう徳山とくやま都濃つのぐん鹿野かのまち熊毛くまげぐん熊毛くまげまち合併がっぺいしゅう南市みなみいちに。
高知こうちけん高岡たかおかぐん新居にのいむら
1942ねん昭和しょうわ17ねん)に宇佐うさまち合併がっぺいしてしん宇佐うさまちとなり、1949ねん昭和しょうわ24ねん)に分立ぶんりつしん宇佐うさまち残部ざんぶ宇佐うさまち改称かいしょう
1958ねん昭和しょうわ33ねん)に高岡たかおかまち宇佐うさまち合併がっぺい高岡たかおかまちに。
1959ねん昭和しょうわ34ねん)に高岡たかおかまち市制しせい施行しこう土佐とさに。
高知こうちけん香美かがみぐんこう宗村むねむら山南さんなんむら徳王子とくおうじむら富家とみやむら
1942ねん昭和しょうわ17ねん)に4むら合併がっぺいだいしのぶむらとなり、1948ねん昭和しょうわ23ねん)に解散かいさん
こう宗村むねむら富家とみやむら1955ねん昭和しょうわ30ねん)1がつ野市のいちまち佐古さこむら合併がっぺい野市のいちまちに。
山南さんなんむら徳王子とくおうじむら1955ねん昭和しょうわ30ねん)4がつ岸本きしもとまち山北さんぽくむら東川ひがしがわむら一部いちぶ西川にしかわむら一部いちぶ合併がっぺい香我美かがみまちに。
2006ねん平成へいせい18ねん)に香我美かがみまち野市のいちまち赤岡あかおかまち夜須やすまち吉川よしかわむら合併がっぺい香南こうなんに。
愛媛えひめけん宇摩うまぐん松柏まつかやむら
1944ねん昭和しょうわ19ねん)に中曽根なかそねむら中之庄なかのしょうむらとともに三島みしままち編入へんにゅう、1950ねん昭和しょうわ25ねん)に分立ぶんりつ
1954ねん昭和しょうわ29ねん)に三島みしままち寒川さむかわまち豊岡とよおかむら富郷とみさとむら金砂きんしゃむら合併がっぺいして伊予いよ三島みしまに。
2004ねん平成へいせい16ねん)に伊予いよ三島みしま川之江かわのえ土居といまち新宮しんぐうむら合併がっぺいして四国しこく中央ちゅうおうに。
愛媛えひめけん喜多きたぐん河辺かべむら
1943ねん昭和しょうわ18ねん)に大谷おおやむら宇和川うわがわむら合併がっぺいして肱川ひじかわむら(のちの肱川ひじかわまち)となり、1951ねん昭和しょうわ26ねん)に一部いちぶのぞいて分立ぶんりつ
2005ねん平成へいせい17ねん)に大洲おおす肱川ひじかわまち長浜ながはままち合併がっぺいして大洲おおすに。
熊本くまもとけん飽託ほうたくぐん高橋たかはしまち城山じょうざんむら池上いけがみむら
1944ねん昭和しょうわ19ねん)に合併がっぺいして三和さんわまちとなり、1949ねん昭和しょうわ24ねん)に池上いけがみむら分立ぶんりつ残部ざんぶは1950ねん昭和しょうわ25ねん高橋たかはしむら城山じょうざんむら分割ぶんかつ
1953ねん昭和しょうわ28ねん)に3むらとも熊本くまもと編入へんにゅう
熊本くまもとけん八代やしろぐん郡築ぐんちくむら
1943ねん昭和しょうわ18ねん)に八代やしろ編入へんにゅう1950ねん昭和しょうわ25ねん)に分立ぶんりつ
1954ねん昭和しょうわ29ねん)に八代やしろ編入へんにゅう
大分おおいたけん直入なおいりぐん豊岡とよおかむら
1942ねん昭和しょうわ17ねん)に竹田たけだまち岡本おかもとむら明治めいじむら合併がっぺいして竹田たけだまちとなり、1950ねん昭和しょうわ25ねん)に分立ぶんりつ
1954ねん昭和しょうわ29ねん)に竹田たけだまち玉来たまらいまち松本まつもとむら入田にゅうたむらおうなたけむらみやとぎむら菅生すがおむら宮城みやぎむら城原きばるむら合併がっぺいして竹田たけだに。

合併がっぺい全域ぜんいきもしくはだい部分ぶぶん自治体じちたい移管いかんされた市町村しちょうそん[編集へんしゅう]

埼玉さいたまけん入間いるまぐんもと加治かじむら
1943ねん昭和しょうわ18ねん)4がつに1まち3むら合併がっぺいして飯能はんのうまち、1954ねん昭和しょうわ29ねん)1がつ市制しせいして飯能はんのう同年どうねん9がつきゅうむらいきひがし金子かねこむら編入へんにゅうし、即日そくじつ西武せいぶまち移行いこう
1956ねん昭和しょうわ31ねん)9がつ西武せいぶまちのうちのきゅうひがし金子かねこむらいき離脱りだつし、1まち3むら合併がっぺいして武蔵むさしまち(のち入間いるま)に。
西武せいぶまちは1967ねん昭和しょうわ42ねん)に入間いるま編入へんにゅう
千葉ちばけん東葛飾ひがしかつしかぐん小金おがねまち
1954ねん昭和しょうわ29ねん)9がつに1まち2むら合併がっぺいしてひがしかずらげんかしわ)、同年どうねん10がつきゅうまちいきだい部分ぶぶん松戸まつど移行いこう
群馬ぐんまけん邑楽おうらぐん長柄ながらむら
1955ねん昭和しょうわ30ねん)に2むら合併がっぺいして千代田ちよだむらげん千代田ちよだまち)、1956ねん昭和しょうわ31ねん)にきゅうむらいき中島なかじまむら移行いこう
中島なかじまむら1957ねん昭和しょうわ32ねん)に改称かいしょうして邑楽おうらむら1968ねん昭和しょうわ43ねん)に町制ちょうせい施行しこうして邑楽おうらまち
兵庫ひょうごけん美方みかたぐん添村
1955ねん昭和しょうわ30ねん)に1むら合併がっぺいして美方みかたまち1961ねん昭和しょうわ36ねん)にきゅうむらいき村岡むらおかまち移行いこう
村岡むらおかまちは2005ねん平成へいせい17ねん)に美方みかたまちほか1まち合併がっぺいして香美かがみまち
島根しまねけん邇摩ぐん大代おおしろむら
1955ねん昭和しょうわ30ねん)に邑智おうちぐん1まち3むら合併がっぺいして川本かわもとまち1957ねん昭和しょうわ32ねん)にきゅうむらいき大田おおた移行いこう
福岡ふくおかけん山門やまとぐんたけうみむら
1907ねん明治めいじ40ねん)に2むらおよび1むら一部いちぶ合併がっぺいして山川やまかわむら(のち山川やまかわまち)、1959ねん昭和しょうわ34ねん)にきゅうむらいき三池みいけぐん高田たかだまち移行いこう
高田たかだまち2007ねん平成へいせい19ねん)に山川やまかわまちほか1まち合併がっぺいしてみやま

合併がっぺい分割ぶんかつ両用りょうよう[編集へんしゅう]

通常つうじょう合併がっぺいは、廃止はいしされた市町村しちょうそんのすべての区域くいき市町村しちょうそん編入へんにゅうする、または廃止はいしされた複数ふくすう市町村しちょうそんのすべての区域くいきをもってあたらしい市町村しちょうそん設置せっちされる場合ばあい大半たいはんである。また、通常つうじょう分割ぶんかつは、廃止はいしされた市町村しちょうそん区域くいきない複数ふくすう市町村しちょうそん設置せっちする、または1個いっこ市町村しちょうそん一部いちぶ区域くいき分離ぶんりしてあたらしい市町村しちょうそん設置せっちされる場合ばあい大半たいはんである。しかし、廃止はいしされた市町村しちょうそん地区ちく複数ふくすう分割ぶんかつしたうえ別々べつべつ市町村しちょうそん合併がっぺいする場合ばあいがある。また、複数ふくすう市町村しちょうそん一部いちぶ分離ぶんりして、分離ぶんりされた地域ちいき同士どうし合併がっぺいするパターンもある。

すなわち、

  • AのB地区ちく分離ぶんりしてC編入へんにゅうする方法ほうほう
  • AのB地区ちくと、CのD地区ちくをそれぞれ分離ぶんりして、B地区ちくとD地区ちく合体がったいしてE設置せっちする方法ほうほう
  • A解体かいたいして、B地区ちくがC編入へんにゅうされ、D地区ちくがE合体がったいしてFとなる方法ほうほう
  • Aのうち、B地区ちく分離ぶんりされてC編入へんにゅうされ、D地区ちくがE合体がったいしてFとなる方法ほうほう

などといったパターンである。

昭和しょうわだい合併がっぺい」ではこのれいおおかったが、「平成へいせいだい合併がっぺい」では山梨やまなしけん西八代にしやつしろぐん上九一色かみくいしきむら唯一ゆいいつれいである。上九一色かみくいしきむらは、山地さんちへだてて北側きたがわはしご古関こせき地区ちくと、南側みなみがわ富士ケ嶺ふじがね本栖もとす精進しょうじん地区ちくかれ、北側きたがわ南側みなみがわでは住民じゅうみん生活せいかつけんことなっていた。そのため、2006ねん平成へいせい18ねん3月1にち分割ぶんかつされ、北側きたがわの2地区ちく東八代ひがしやつしろぐん中道なかどうまちとも甲府こうふ編入へんにゅうされ、南側みなみがわの3地区ちく南都留みなみつるぐん富士ふじ河口湖かわぐちこまち編入へんにゅうされた(→上九一色かみくいしきむら#分割ぶんかつ編入へんにゅう経緯けいい)。

上九一色かみくいしきむらのほかにも、三重みえけん一志いちしぐん美杉みすぎむらや、栃木とちぎけん上都賀かみつがぐん粟野あわのまちなどいくつかの地域ちいきで、どういち市町村しちょうそんないほか地域ちいき生活せいかつけんことなる地域ちいき住民じゅうみんにより、「分合ぶんごう両用りょうよう」による市町村しちょうそんへの編入へんにゅうもとめるこえがったが、住民じゅうみん投票とうひょう議会ぎかい反対はんたいなどにより実現じつげんにはいたらなかった(→美杉みすぎむら#分村ぶんそん合併がっぺい問題もんだい粟野あわのまち#ぶんまち合併がっぺい問題もんだい)。

このほか、岩手いわてけん下閉伊しもへいぐん川井かわいむらでも盛岡もりおか生活せいかつけんにある村西むらにしはし門馬もんま地区ちく盛岡もりおかとの合併がっぺいのぞこえがったが、広域こういき行政ぎょうせいけんおな宮古みやふる合併がっぺいした(→川井かわいむら (岩手いわてけん)#平成へいせいだい合併がっぺい)。

特殊とくしゅれい[編集へんしゅう]

くろせんは1946ねんまでの十島としまむら区域くいきであり、1946ねん北緯ほくい30せん地図ちずちゅうあかせん以北いほく日本にっぽん以南いなんアメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく統治とうちとなった。1952ねん本土ほんど復帰ふっき北緯ほくい30せん境界きょうかいきた三島みしまむらみなみ十島としまむら事実じじつじょう分割ぶんかつされた。
鹿児島かごしまけん大島おおしまぐん十島としまむら鹿児島かごしまけん大島おおしまぐん十島としまむら三島みしまむら
はいおけ分合ぶんごう特殊とくしゅれいとして、1952ねん昭和しょうわ27ねん)の鹿児島かごしまけん大島おおしまぐんげん鹿児島かごしまぐん十島としまむら三島みしまむら分割ぶんかつれいがある。
前述ぜんじゅつの2むら前身ぜんしんとなる「十島としまむら」(じっとうそん)は、鹿児島かごしまけんうえ三島みしま黒島くろしま竹島たけしま硫黄いおうとう)と吐噶喇列島れっとう口之島くちのしま中之島なかのしま諏訪之瀬島すわのせじま悪石島あくせきじま平島ひらしま小宝島こだからじま宝島たからじま臥蛇島がじやしま無人島むじんとう4とう)を行政ぎょうせい区域くいきとするむらであったが、だい世界せかい大戦たいせん終戦しゅうせん1946ねん昭和しょうわ21ねん)に北緯ほくい30以南いなんの吐噶喇列とう奄美あまみ群島ぐんとう沖縄おきなわアメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく統治とうちとなり、その当時とうじ北緯ほくい30またいで設置せっちされていた町村ちょうそんせいにおける大島おおしまぐん十島としまむら(じっとうそん)が日本にっぽん行政ぎょうせいけんおようえ三島みしまと、アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく占領せんりょうとなった吐噶喇列島れっとうとにこの時点じてん事実じじつじょう分割ぶんかつされた。
それまでアメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく統治とうちとなった中之島なかのしま村役場むらやくばかれていたことから村役場むらやくばうしなうことになった日本にっぽん行政ぎょうせいけんにある「十島としまむら」は、1946ねん2がつ11にち黒島くろしまにおいて三島みしまむら設立せつりつ委員いいんかい開催かいさいし、村長そんちょう臨時りんじ代理だいりしゃかり役場やくば設置せっち決議けつぎ[2]2がつ24にち十島としまむらかり役場やくばむらがい鹿児島かごしまけん鹿児島かごしま稲荷町いなりちょう設置せっち[3]鹿児島かごしま県知事けんちじによって村長そんちょう臨時りんじ代理だいりしゃ発令はつれいされた[2]翌年よくねん1947ねん地方ちほう自治じちほう施行しこうにより、地方ちほう自治じちほうによる十島としまむらとなった。
一方いっぽうアメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく統治とうちとなっていた十島としまむらには日本にっぽん行政ぎょうせいけんおよばず、吐噶喇列島れっとうおよ奄美あまみ群島ぐんとう統治とうち機構きこうである臨時りんじ北部ほくぶ南西諸島なんせいしょとう政庁せいちょう(のちに奄美あまみ群島ぐんとう政府せいふ琉球りゅうきゅう政府せいふ奄美あまみ地方庁ちほうちょうとなる)によって施行しこうされた市町村しちょうそんせい(1949ねん臨時りんじ北部ほくぶ南西諸島なんせいしょとう政庁せいちょうれいだい21ごう)が適用てきようされていたが、1952ねん昭和しょうわ27ねん2がつ4にちアメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく統治とうちとなっていた十島としまむらしたななとうからなる吐噶喇列島れっとう日本にっぽんこく復帰ふっきすることとなった。
吐噶喇列島れっとう本土ほんど復帰ふっきのためにさだめられたポツダム命令めいれいひとつである『昭和しょうわじゅうろくねん十二月じゅうにがつ五日附連合国最高司令官覚書「若干じゃっかんそとかく地域ちいき日本にっぽんからの政治せいじじょうおよ行政ぎょうせいじょう分離ぶんりかんするけん」にともな鹿兒島かごしまけん大島おおしまぐん十島としまむらかんする暫定ざんてい措置そちかんする政令せいれい』(昭和しょうわ26ねん政令せいれいだい380ごう)にもとづいて制定せいていされた「鹿兒島かごしまけん大島おおしまぐん十島としまむらかんする地方ちほう自治じちほう適用てきようおよびこれにともな経過けいか措置そちかんする政令せいれい」(昭和しょうわ27ねん政令せいれいだい13ごう)の下記かき規定きていによって同年どうねん2がつ10日とおかより「鹿児島かごしまけん大島おおしまぐん十島としまむら区域くいき北緯ほくい30以南いなん口之島くちのしまふくむ)、北緯ほくい29以北いほく」の区域くいき地方ちほう自治じちほう適用てきようされ、あらたに「十島としまむら」(としまむら)が設置せっちされた。

鹿児島かごしまけん大島おおしまぐん十島としまむら区域くいき北緯ほくいじゅうきゅうから北緯ほくいさんじゅうまでのあいだにあるもの(口之島くちのしまふくむ。)に地方ちほう自治じちほう昭和しょうわじゅうねん法律ほうりつだいろくじゅうななごうおよびこれにもとづ命令めいれい適用てきようする。この場合ばあいにおいて、この政令せいれい施行しこうさいげんにその区域くいき適用てきようされている法令ほうれい規定きていによりその区域くいきかれているむらは、その区域くいきをもつて、地方ちほう自治じちほう規定きていによる鹿兒島かごしまけん大島おおしまぐん十島としまむらとなるものとする

— 鹿兒島かごしまけん大島おおしまぐん十島としまむらかんする地方ちほう自治じちほう適用てきようおよびこれにともな経過けいか措置そちかんする政令せいれい政令せいれいだい13ごう
一方いっぽう日本にっぽん行政ぎょうせいけんぞくしていたうえさんとうのみが残存ざんそんする十島としまむらについては、鹿児島かごしまけん告示こくじである「大島おおしまぐん十島としまむら境界きょうかい」(昭和しょうわ27ねん鹿児島かごしまけん告示こくじだい74ごうおよび「大島おおしまぐん十島としまむら三島みしまむら変更へんこうする条例じょうれい許可きょか」(昭和しょうわ27ねん鹿児島かごしまけん告示こくじだい75ごう)が鹿児島かごしまけん公報こうほう登載とうさいされた。

地方ちほう自治じちほう昭和しょうわじゅうねん法律ほうりつだいろくじゅうななごうだいななじょうだいいちこう規定きていにより、鹿兒島かごしまけん大島おおしまぐん十島としまむら境界きょうかいを、北緯ほくいさんじゅう以北いほく口之島くちのしまのぞく。)の区域くいき変更へんこう昭和しょうわじゅうななねんがつじゅうにちから施行しこうすることにさだめた。

— 大島おおしまぐん十島としまむら境界きょうかい昭和しょうわ27ねん鹿児島かごしまけん告示こくじだい74ごう

地方ちほう自治じちほう昭和しょうわじゅうねん法律ほうりつだいろくじゅうななごうだいさんじょうだいさんこう規定きていにより昭和しょうわじゅうななねんがつじゅうにちから鹿兒島かごしまけん大島おおしまぐん十島としまむら三島みしまむらみしまむら北緯ほくいさんじゅう以北いほく大字だいじ竹島たけしま大字だいじ硫黄いおうとう大字だいじ黒島くろしま区域くいき)に変更へんこうする条例じょうれい許可きょかした。

— 大島おおしまぐん十島としまむら三島みしまむら変更へんこうする条例じょうれい許可きょか昭和しょうわ27ねん鹿児島かごしまけん告示こくじだい75ごう
この告示こくじ効力こうりょくにより、1952ねん昭和しょうわ27ねん2がつ10日とおか日本にっぽん行政ぎょうせいけんぞくしていた「十島としまむら」の境界きょうかい北緯ほくい30以北いほく口之島くちのしまのぞく)に変更へんこうしたうえで、「三島みしまむら」に名称めいしょう変更へんこうした。
結果けっかとして、十島としまむら初代しょだい)は通常つうじょう解体かいたい分割ぶんかつによらず、ポツダム命令めいれいである政令せいれい規定きていによるむら設置せっちと、地方ちほう自治じちほうだい7じょうだい1こう規定きていによる境界きょうかい変更へんこうおよどうじょうだい3じょうむら名称めいしょう変更へんこうわせにより、区域くいきとしては十島としまむら三島みしまむら実質じっしつてき分割ぶんかつされた[4]
1889ねん明治めいじ22ねん)4がつ1にち 1889ねん明治めいじ22ねん) - 1912ねん明治めいじ45ねん 1912ねん大正たいしょう元年がんねん) - 1944ねん昭和しょうわ19ねん 1945ねん昭和しょうわ20ねん) - 1952ねん昭和しょうわ27ねん 1952ねん昭和しょうわ27ねん) - 1965ねん昭和しょうわ40ねん 1965ねん昭和しょうわ40ねん) - 現在げんざい
川辺かわべぐん十島としま
町村ちょうそんせい施行しこう
1897ねん明治めいじ30ねん)4がつ1にち
大島おおしまぐん
1908ねん明治めいじ41ねん)4がつ1にち
島嶼とうしょ町村ちょうそんせい施行しこう
大島おおしまぐん十島としまむら
1920ねん大正たいしょう9ねん
町村ちょうそんせい
大島おおしまぐん十島としまむら
うえさんとう
大島おおしまぐん十島としまむら
1947ねん昭和しょうわ22ねん)5がつ3にち
地方ちほう自治じちほう施行しこう
大島おおしまぐん十島としまむら
1952ねん昭和しょうわ27ねん)2がつ10日とおか
境界きょうかい変更へんこう改称かいしょう
大島おおしまぐん三島みしまむら
1973ねん昭和しょうわ48ねん)4がつ1にち
鹿児島かごしまぐん三島みしまむら
したななとう
1946ねん昭和しょうわ21ねん)2がつ2にち
アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく統治とうち
十島としまむら
1952ねん昭和しょうわ27ねん)2がつ10日とおか
地方ちほう自治じちほう適用てきよう
大島おおしまぐん十島としまむら
1973ねん昭和しょうわ48ねん)4がつ1にち
鹿児島かごしまぐん十島としまむら

市町村しちょうそん合併がっぺい影響えいきょう[編集へんしゅう]

住民じゅうみん生活せいかつやサービスの利便りべんせい向上こうじょう
住民じゅうみん生活せいかつ行動こうどうけん見合みあった行政ぎょうせいサービスの広域こういき通勤つうきん通学つうがく通院つういんものなどの行動こうどうけんいき従来じゅうらい行政ぎょうせい区画くかくえている場合ばあいおおいが、行政ぎょうせい区域くいき広域こういきすることによって住民じゅうみんひょううつしの交付こうふなどの窓口まどぐちサービスが勤務きんむ外出がいしゅつさきなどのちかくで利用りようできるようになる。また、文化ぶんか会館かいかん図書館としょかん、スポーツ施設しせつなどの各種かくしゅ公共こうきょう施設しせつについては、それまで利用りよう制限せいげんがある、利用りよう料金りょうきんがあるなどしたとなりまち施設しせつについてもどう条件じょうけん利用りよう可能かのうとなる。市町村しちょうそん行政ぎょうせいもとめられる機能きのう高度こうど複雑ふくざつしているが、専門せんもんてき知識ちしきそなえた職員しょくいん確保かくほすることにより専門せんもんてきかつ高度こうど行政ぎょうせいサービスを提供ていきょうできるようになる。埼玉さいたまけんふじみでは合併がっぺい特例とくれいさい活用かつよう小中学校しょうちゅうがっこう耐震たいしん補強ほきょうだい規模きぼ改修かいしゅう工事こうじおこなった。群馬ぐんまけん桐生きりゅうでは専門せんもんてき知識ちしきった職員しょくいん配属はいぞくされた[5][6]
地域ちいきづくりの契機けいき
合併がっぺい議論ぎろんつうじてみずからのまちを見直みなお機会きかいとなる。合併がっぺいも、まちづくりビジョン実現じつげんのため、住民じゅうみんしょ団体だんたい地域ちいきづくりへの主体しゅたいてき参画さんかく期待きたいされる。富山とやまでは合併がっぺい市内しない道路どうろ整備せいびされた。静岡しずおかけん藤枝ふじえだでは一体いったいてきなブランディングによる広域こういき観光かんこう拠点きょてんづくりがなされた[5]
行財政ぎょうざいせい効率こうりつ
個々ここ自治体じちたいおこなってきた管理かんり業務ぎょうむひとつに集約しゅうやくすることにより職員しょくいんすう経費けいひ削減さくげんする一方いっぽうあらたな行政ぎょうせいニーズの発生はっせいしている部門ぶもんてることができる。職員しょくいんすう人口じんこうたりすくなくなすることができるため、行政ぎょうせいサービスの向上こうじょうはかりつつ、人件じんけん経費けいひ抑制よくせいすることができる。まちさんやく市区しく町村ちょうそんなど地方ちほう議員ぎいん総数そうすう人件じんけん節減せつげんされたと評価ひょうかがある。とく財政ざいせい基盤きばんすくない小規模しょうきぼ自治体じちたい合併がっぺい財政ざいせい基盤きばん安定あんていした[5][6]。ただし、合併がっぺい消滅しょうめつする自治体じちたいにおいても退職たいしょく年齢ねんれいまで市町村しちょうそん職員しょくいん地位ちい法律ほうりつ保証ほしょうされているため、人員じんいん抑制よくせい削減さくげん効果こうか期待きたいできるのは合併がっぺいすうねん以上いじょう経過けいかしてからとなる。また、支所ししょ配置はいち方式ほうしきによってもその効率こうりつ効果こうかはかなりことなってくる。
議員ぎいんすう削減さくげん
平成へいせいだい合併がっぺいで26市町村しちょうそんになった宮崎みやざきけん地方ちほう議員ぎいん定数ていすうは2019ねん3がつ時点じてんで387となり、平成へいせいだい合併がっぺいまえで44市区しく町村ちょうそんあった2005ねん7がつの768から半減はんげんした。宮崎みやざきにちにち新聞しんぶん背景はいけいとして合併がっぺい市町村しちょうそんすう自体じたいったことにくわえ、人口じんこう減少げんしょう財政難ざいせいなんなどでかく議会ぎかい定数ていすう削減さくげん推進すいしんされていることと報道ほうどうしている[7]
地域ちいき集約しゅうやく
合併がっぺいきゅう過疎かそ地域ちいき人口じんこう流出りゅうしゅつ地域ちいき衰退すいたいまらないことで、中心ちゅうしんからはなれた過疎かそ地域ちいきでは合併がっぺいへの不満ふまんこえものがいる。佐賀さが新聞しんぶんは、合併がっぺいせずともすうけんのための道路どうろはし水道すいどうなどの公共こうきょうインフラの維持いじ財政ざいせいてき困難こんなんになるときがやってくると指摘してきしている。夕張ゆうばり人口じんこう減少げんしょうしても「つづけられるまちづくり」とし、主要しゅよう道路どうろ沿いに集落しゅうらく集約しゅうやくする計画けいかく策定さくていし、住宅じゅうたく集約しゅうやくすすめている。過疎かそ地域ちいき市民しみんから集約しゅうやくのために地域ちいきはなれることへの反発はんぱつはあったが、市営しえい住宅じゅうたく集約しゅうやく維持いじ暖房だんぼう削減さくげん低層ていそう階段かいだんのぼくだ負担ふたん軽減けいげんなど住民じゅうみんにもメリットがある[8]

自治体じちたいない所得しょとく分布ぶんぷ変化へんか[編集へんしゅう]

編入へんにゅう合併がっぺいにより財政ざいせい基盤きばん脆弱ぜいじゃく市町村しちょうそん吸収きゅうしゅうした地域ちいきでは、てい所得しょとくしゃそうしん市町村しちょうそんないおおかかむことになり、地域ちいきない所得しょとく格差かくさおおきくなることがあきらかになった。ジニ係数けいすうが0.325以上いじょう該当がいとうする自治体じちたいは、合併がっぺいまえ(2003ねん)では50%ほどであったが、合併がっぺい(2006ねん)にはやく76%にまでたっしていた。合併がっぺいしたおおくの市町村しちょうそんでは、地域ちいきないさい配分はいぶんという政策せいさく課題かだい直面ちょくめんすることとなった[9]

合併がっぺいするさい論点ろんてん[編集へんしゅう]

市町村しちょうそん合併がっぺいするさい論点ろんてんとしては以下いかてんげられる。

  • 市町村しちょうそんわせ
  • 合併がっぺいしん庁舎ちょうしゃ位置いち
  • しん市町村しちょうそん名称めいしょう(→#合併がっぺい名称めいしょう問題もんだいとなったれい
  • 議員ぎいん定数ていすうあつか
  • 関係かんけい市町村しちょうそん財政ざいせい問題もんだい
  • 合併がっぺい希望きぼうする市町村しちょうそん文化ぶんかちが
  • 合併がっぺい方式ほうしき

市町村しちょうそんわせ[編集へんしゅう]

どの市町村しちょうそん合併がっぺいするかというのは最大さいだい問題もんだいといえる。おおくは、都市とし圏内けんないぐんないなどのわせにより枠組わくぐみがまっていった。枠組わくぐみをめるにさいして、地区ちく懇談こんだんかい開催かいさいして首長しゅちょう私案しあんとして提示ていじ合意ごういけたケース、いくつかのパターンをしめしてアンケートで民意みんいうたケースなどがあるが、なかにはこじれて住民じゅうみん投票とうひょうにまでもつれこんだケースがある。最終さいしゅうてきには首長しゅちょう判断はんだんわれ、合併がっぺいわせと生活せいかつけんとがことなるうえに住民じゅうみん意向いこう調査ちょうさ反対はんたい民意みんいしめされたにもかかわらず合併がっぺい実行じっこうさせたケースもみられる。

なお、市町村しちょうそん合併がっぺい議論ぎろんをうながし、市町村しちょうそん合併がっぺい後押あとおしするため、市町村しちょうそん合併がっぺいかんがえられるわせ(パターン)として、複数ふくすうのパターンをふく合併がっぺい市町村しちょうそんわせを作成さくせい公表こうひょうしたけんもあった。

しん庁舎ちょうしゃ位置いち[編集へんしゅう]

しん市町村しちょうそん本庁ほんちょう位置いち問題もんだいは、当該とうがい自治体じちたいあいだ中心ちゅうしん地区ちく明確めいかくではない場合ばあい関係かんけい自治体じちたい面子めんつもあって、非常ひじょう問題もんだいとなるケースがある。庁舎ちょうしゃ自治体じちたい中心ちゅうしんとしての意味いみつためである。秋田あきたけんにかほなどのように、実際じっさいにこの問題もんだい合併がっぺい協議きょうぎがこじれる場合ばあいもある。また滋賀しがけん高島たかしまのようにしん庁舎ちょうしゃ位置いちめぐった結果けっか建設けんせつ予定よていされている場所ばしょとはべつのところにあるきゅう自治体じちたい庁舎ちょうしゃきゅう新旭しんあさひまち役場やくば)を暫定ざんていてき使用しようすることになった自治体じちたいもある。

なお、平成へいせいにおいては市町村しちょうそん合併がっぺい財政ざいせい健全けんぜんという文脈ぶんみゃくかたられる場合ばあいおおうえ住民じゅうみん市町村しちょうそん役場やくば建設けんせつなどの出費しゅっぴにはきびしいけており、きゅう市町村しちょうそん庁舎ちょうしゃとはべつしん自治体じちたいとしての庁舎ちょうしゃあらたな場所ばしょ新築しんちくしようとするケースはすくなく、また町村ちょうそん合併がっぺいした自治体じちたいでは合併がっぺいまえ財政ざいせいりょくちがいなどから市役所しやくしょ町村ちょうそん役場やくば本庁ほんちょうしゃ規模きぼおおきなまれていることがしばしばあり、そのままきゅう市役所しやくしょ庁舎ちょうしゃ本庁ほんちょうきゅう町村ちょうそん役場やくば庁舎ちょうしゃぶん庁舎ちょうしゃ行政ぎょうせいセンターとしているれいすくなくない。前出ぜんしゅつ高島たかしましん庁舎ちょうしゃ土地とち取得しゅとくできたものの、現時点げんじてんでは着工ちゃっこうのめどはまったっていない。さらに高島たかしまきゅう新旭しんあさひまち役場やくば拡張かくちょう市役所しやくしょとして永続えいぞくてき使用しようする公約こうやくかかげた市長しちょう当選とうせんし、合併がっぺい協定きょうてい反故ほごにされるとの理由りゆうきゅう:マキノまちしん市役所しやくしょかれるはずだったきゅう今津いまづまち高島たかしまからの分立ぶんりつ目指めざ住民じゅうみん運動うんどううごきをはじめた。

議員ぎいん定数ていすうおよ任期にんき取扱とりあつか[編集へんしゅう]

市町村しちょうそん議会ぎかい議員ぎいん定数ていすう任期にんき取扱とりあつかいは議員ぎいんにとっては身分みぶんにかかわる関心事かんしんじである。しかし、地方ちほう自治じちほううえは「合体がったい新設しんせつ合併がっぺい)における関係かんけい市町村しちょうそんおよび「編入へんにゅう編入へんにゅう合併がっぺい)における編入へんにゅうされる市町村しちょうそん」においては市町村しちょうそん法人ほうじんかく消滅しょうめつすることから、該当がいとうする議会ぎかい議員ぎいん当然とうぜん失職しっしょくすることになる。

くにでは合併がっぺい特例とくれいほうにおいて以下いか特例とくれいさだめ、この制度せいどは2005ねん平成へいせい17ねん施行しこう合併がっぺい新法しんぽうにもがれている。

  • 定数ていすう特例とくれい - 合併がっぺい直後ちょくご一時いちじてき議員ぎいん定数ていすうやす特例とくれい
  • 在任ざいにん特例とくれい - 合併がっぺいまえ議会ぎかい議員ぎいん合併がっぺい一定いってい期間きかん議員ぎいんとして在職ざいしょくできる特例とくれい

これらの特例とくれい適用てきようするかどうかは合併がっぺい協議きょうぎかい協議きょうぎによる。特例とくれい内容ないよう合体がったい新設しんせつ合併がっぺい)と編入へんにゅう編入へんにゅう合併がっぺい)でことなる。

合体がったい新設しんせつ合併がっぺい)の場合ばあい[編集へんしゅう]

在任ざいにん特例とくれい
きゅう市町村しちょうそん議員ぎいん合併がっぺい2ねん以内いないかぎしん市町村しちょうそん議員ぎいんとなることができる。

編入へんにゅう編入へんにゅう合併がっぺい)の場合ばあい[編集へんしゅう]

定数ていすう特例とくれい
編入へんにゅうされたきゅう市町村しちょうそん区域くいき選挙せんきょもうけ、2かい選挙せんきょまでにかぎ増員ぞういん選挙せんきょおこなうことができる。この選挙せんきょ定数ていすうは、以下いか計算けいさんしきもとめた人数にんずう以内いないさだめることができる。
編入へんにゅうさき市町村しちょうそん議員ぎいん定数ていすう:Aじん編入へんにゅうさき市町村しちょうそん人口じんこう:xじん編入へんにゅうされる市町村しちょうそん人口じんこう:yひと
選挙せんきょ議員ぎいん定数ていすう=A×(y÷x)
在任ざいにん特例とくれい
編入へんにゅうされた市町村しちょうそん議員ぎいん編入へんにゅうさき市町村しちょうそん最初さいしょ選挙せんきょまでにかぎりその議員ぎいんとなることができる。さらに、最初さいしょ選挙せんきょさいに、上記じょうき定数ていすう特例とくれいによる定数ていすうぞうにより、増員ぞういん選挙せんきょ選択せんたくすることもできる。しかし、選挙せんきょべつ日程にっていおこなうことで経費けいひ増大ぞうだいするため、これをきらって在任ざいにん特例とくれい適用てきようしなかったれいもある。

財政ざいせい問題もんだい[編集へんしゅう]

関係かんけい市町村しちょうそん財政ざいせい問題もんだい当該とうがい市町村しちょうそん内部ないぶではかなり問題もんだいされた場合ばあいがある。市町村しちょうそん地方ちほうさい基金ききん残高ざんだか状況じょうきょうふく財政ざいせい状況じょうきょうそのものはたい住民じゅうみんにも公表こうひょうされ、また、よこ比較ひかく可能かのうかたち決算けっさん結果けっか公表こうひょうされている。ところが、土地とち開発かいはつ公社こうしゃ財政ざいせい状況じょうきょう、あるいはだいさんセクターへの慢性まんせいてき支出ししゅつきん借入金かりいれきんなど、市町村しちょうそん普通ふつう会計かいけいぞくさない領域りょういきでのかく負債ふさいがあるのではないかとの疑念ぎねんしょうじた。

また、「貯金ちょきん」といえる基金ききんについても、「合併がっぺいまる以前いぜんから予定よていされていた事業じぎょう」と強弁きょうべんしつつ、「しん市町村しちょうそんってかれたらそん」とばかりに合併がっぺいまえ事業じぎょうおこなったり、地区ちく団体だんたい配布はいふしたりするれいもみられた。

合併がっぺい方式ほうしき問題もんだい[編集へんしゅう]

新設しんせつ合併がっぺい編入へんにゅう合併がっぺいかをめぐって対立たいりつこる場合ばあいもある。

南高来みなみたかきぐん有家ありえまち西有家にしありえまち布津ふつまち深江ふかえまち有明ありあけまちの5まち島原しまばらとの合併がっぺい予定よていされていたが、島原しまばらへの編入へんにゅうか(しん島原しまばら新設しんせつかで対立たいりつこり、最終さいしゅうてき有明ありあけまちのぞく4まち周辺しゅうへん4まち対等たいとう合併がっぺいしてみなみ島原しまばらとなっている。

合併がっぺい協議きょうぎかい[編集へんしゅう]

合併がっぺい協議きょうぎかいは、地方ちほう自治じちほうだい252じょうの2合併がっぺい新法しんぽうだい3じょう規定きていにより、関係かんけい市町村しちょうそん議会ぎかい議決ぎけつ設置せっちされるもので、関係かんけい市町村しちょうそんながおよび議会ぎかい職員しょくいん住民じゅうみん代表だいひょうしゃらによって構成こうせいされ、「法定ほうてい合併がっぺい協議きょうぎかい」ともばれる。法定ほうてい合併がっぺい協議きょうぎかいにおいて「合併がっぺい市町村しちょうそん基本きほん計画けいかく」や協定きょうてい項目こうもく策定さくていすることにより、合併がっぺい新法しんぽうもとづく制度せいどてき特例とくれいけることができる。

一方いっぽう法定ほうてい合併がっぺい協議きょうぎかい設置せっちするまえに、いわゆる「任意にんい合併がっぺい協議きょうぎかい」(任意にんい協議きょうぎかい)を設置せっちすることがおおいが、任意にんい協議きょうぎかいはそののとおり法的ほうてきには設置せっちする必要ひつようのない任意にんいはないのであり、任意にんい合併がっぺい協議きょうぎかい設置せっちせず、「研究けんきゅうかい」または「勉強べんきょうかい」での協議きょうぎ法定ほうてい合併がっぺい協議きょうぎかい設置せっちするケースもある。

市町村しちょうそんによっては、任意にんい合併がっぺい協議きょうぎかい合併がっぺい協定きょうていしょ記載きさい項目こうもくのほとんどの協議きょうぎえ、法定ほうてい合併がっぺい協議きょうぎかい形式けいしきてき設置せっちして、2、3かい程度ていど協議きょうぎ合併がっぺい協定きょうていしょ締結ていけつすることもある(新潟にいがたなど)。

合併がっぺい手続てつづ[編集へんしゅう]

法定ほうてい合併がっぺい協議きょうぎかい設置せっちする場合ばあい合併がっぺい手続てつづきは以下いかのようになる。事前じぜん協議きょうぎから合併がっぺいまで、通常つうじょう22ヶ月かげつ程度ていど標準ひょうじゅん期間きかんといわれているが、当然とうぜん一定いっていではない。

  1. 任意にんい合併がっぺい協議きょうぎかいなどで事前じぜん協議きょうぎおこなう。住民じゅうみん発議はつぎ法定ほうてい合併がっぺい協議きょうぎかい設置せっちされる場合ばあい事前じぜん協議きょうぎがない場合ばあいもある。
  2. 関係かんけい市町村しちょうそん議会ぎかい議決ぎけつ法定ほうてい合併がっぺい協議きょうぎかい設置せっちする。
  3. 法定ほうてい合併がっぺい協議きょうぎかいにおいて、以下いかのような事項じこうについて協議きょうぎ合意ごういする。
    1. 合併がっぺい市町村しちょうそん基本きほん計画けいかくあん段階だんかい都道府県とどうふけん知事ちじ協議きょうぎおこなう)
    2. 合併がっぺい期日きじつ合併がっぺい方式ほうしき合併がっぺい市町村しちょうそん名称めいしょう庁舎ちょうしゃ位置いち合併がっぺい事務じむ事業じぎょう調整ちょうせい方針ほうしん
    3. 議会ぎかい議員ぎいん取扱とりあつかい、地域ちいき自治じち設置せっち など
    4. 合併がっぺいすることで合意ごういした場合ばあいは、関係かんけい市町村しちょうそんちょうによる協定きょうてい調印ちょういん任意にんい
  4. 関係かんけい市町村しちょうそん議会ぎかい市町村しちょうそんはいおけ分合ぶんごうおよ関係かんけい議案ぎあん議決ぎけつ
  5. 都道府県とどうふけん知事ちじへの申請しんせい
  6. 都道府県とどうふけん議会ぎかいでの議決ぎけつ
  7. 都道府県とどうふけん知事ちじが「はいおけ分合ぶんごう処分しょぶん決定けってい」をおこない、決定けっていしょ関係かんけい市町村しちょうそんちょう交付こうふし、総務そうむ大臣だいじんとどる。
  8. 総務そうむ大臣だいじん官報かんぽう告示こくじにより合併がっぺい分割ぶんかつ)が法的ほうてき決定けってい

住民じゅうみん発議はつぎによる法定ほうてい合併がっぺい協議きょうぎかい[編集へんしゅう]

1965ねん昭和しょうわ40ねん施行しこう合併がっぺい特例とくれいほうでは、法定ほうてい合併がっぺい協議きょうぎかい設置せっち発議はつぎけん関係かんけい市町村しちょうそんちょうのみがゆうしていたが、1995ねん平成へいせい7ねん)の改正かいせいにより、有権者ゆうけんしゃの50ぶんの1以上いじょう連署れんしょをもって、法定ほうてい合併がっぺい協議きょうぎかい設置せっち市町村しちょうそんちょう直接ちょくせつ請求せいきゅうできる「住民じゅうみん発議はつぎ制度せいど」が創設そうせつされ、2005ねん平成へいせい17ねん施行しこう合併がっぺい新法しんぽうにもがれた。静岡しずおか清水しみず合併がっぺい住民じゅうみん発議はつぎによって法定ほうてい合併がっぺい協議きょうぎかい設置せっちされて合併がっぺいいたったれいひとつである。ここは青年せいねん会議かいぎしょ発議はつぎによって協議きょうぎかい設置せっちされたもので、ほかにも、青年せいねん会議かいぎしょ組織そしきてき住民じゅうみん発議はつぎ協議きょうぎかい設置せっちされた事例じれい全国ぜんこくにみられるが、「あたかも住民じゅうみん主張しゅちょうしてきたかのようにえるが、中央ちゅうおう思惑おもわくっかったもの」という見方みかたもある。

しかし、住民じゅうみん発議はつぎによって法定ほうてい合併がっぺい協議きょうぎかい設置せっちされた場合ばあい任意にんい合併がっぺい協議きょうぎかい研究けんきゅうかい勉強べんきょうかいでの協議きょうぎかさねがないケースが大半たいはんであり、協議きょうぎかい設置せっちしても合併がっぺいいたらない事例じれい続出ぞくしゅつした。

合併がっぺい協定きょうていしょ調印ちょういん[編集へんしゅう]

合併がっぺい協議きょうぎかい合併がっぺい協議きょうぎととのうと関係かんけい市町村しちょうそんちょうによる合併がっぺい協定きょうていしょへの調印ちょういんおこなうことがおおい。調印ちょういんにあたっては、市町村しちょうそんちょう署名しょめい押印おういんのほか、立会たちあいじんとして議会ぎかい議長ぎちょう署名しょめいをする場合ばあいもある。

合併がっぺい協定きょうていしょ調印ちょういん法的ほうてきにはなん意味いみたないが、セレモニーとして、都道府県とどうふけん知事ちじ地元じもと選出せんしゅつ都道府県とどうふけん議会ぎかい議員ぎいん国会こっかい議員ぎいんらをまねいて盛大せいだいおこなわれることがおおい。しかし、そのおこなわれた市町村しちょうそん議会ぎかい合併がっぺい関連かんれん議案ぎあん否決ひけつされる事例じれいや、合併がっぺい協議きょうぎかい解散かいさんいたってしまう事例じれいもあった。

協議きょうぎ段階だんかい紛糾ふんきゅうした市町村しちょうそんでは、これをけるためか、まず市町村しちょうそん議会ぎかい合併がっぺい関連かんれん議案ぎあん可決かけつしたのちに、合併がっぺい協定きょうていしょ調印ちょういんしきおこなったり、岡山おかやま(2005ねん平成へいせい17ねん)3がつの1合併がっぺい)のように調印ちょういんしきそのものをおこなわず、けん申請しんせいしたりする事例じれいもあった。

住民じゅうみん投票とうひょう[編集へんしゅう]

住民じゅうみん投票とうひょう合併がっぺい分割ぶんかつ賛否さんぴ方法ほうほうも、一般いっぱんする方向ほうこうにある。この方法ほうほうでは、「合併がっぺいまたは分割ぶんかつ自体じたい賛成さんせいとの前提ぜんていで、合併がっぺい相手あいてさき合併がっぺい名称めいしょう次第しだい」とするもの、「合併がっぺいまたは分割ぶんかつ自体じたい反対はんたいである」、といった選択肢せんたくしもうけられる。

合併がっぺい名称めいしょう[編集へんしゅう]

合併がっぺいするさい自治体じちたいしん名称めいしょう上述じょうじゅつとお法定ほうてい合併がっぺい協議きょうぎかいにおいてめられるが、その候補こうほ選定せんていにあたっては公募こうぼおこなわれることがおおい。公募こうぼとく合体がったい新設しんせつ合併がっぺい)をする場合ばあいおおおこなわれ、合併がっぺい対象たいしょう市町村しちょうそん住民じゅうみん対象たいしょうにする場合ばあい住民じゅうみん通勤つうきん通学つうがくしゃ出身しゅっしんしゃ対象たいしょうにする場合ばあい居住きょじゅう地域ちいき限定げんていせず全国ぜんこく対象たいしょうとする場合ばあいなどがある。

合併がっぺいしん自治体じちたい名称めいしょうは、合併がっぺいくわわる自治体じちたいのうちのひとつの名称めいしょう採用さいようする場合ばあいと、あらたな名称めいしょう採用さいようする場合ばあいとに大別たいべつされる。一般いっぱんに、編入へんにゅう編入へんにゅう合併がっぺい)においては編入へんにゅうするがわ自治体じちたい名称めいしょう採用さいようされることがおおい。あらたな名称めいしょう採用さいようする場合ばあいきゅう自治体じちたいめい使用しようけ、きゅうぐんめいなどの広域こういき地名ちめいれい千葉ちばけん匝瑳そうさいすみ)や合成ごうせい地名ちめいれい茨城いばらきけん小美おいたま)、方角ほうがく地名ちめいれい香川かがわけんひがしかがわ)が採用さいようされることがおおい。対等たいとう合併がっぺい既存きそん自治体じちたい名称めいしょう採用さいようする場合ばあい編入へんにゅう合併がっぺい印象いんしょうあたえないよう、ときがわまち埼玉さいたまけん)やたつの兵庫ひょうごけん)のように表記ひょうきえられることもある(ひらがな・カタカナ地名ちめい)。

合併がっぺい名称めいしょう問題もんだいとなったれい[編集へんしゅう]

合併がっぺい名称めいしょう問題もんだい原因げんいん廃案はいあんとなったれいは、みなみセントレア愛知あいちけん)、あっぷる青森あおもりけん)、平泉ひらいずみ岩手いわてけん)、白神しらかみ秋田あきたけん)、はながさ山形やまがたけん)、中央ちゅうおうアルプス長野ながのけん)、たけみなみ埼玉さいたまけん)、桜宮さくらみやどう)、彩野あやのどう)、安土あづち滋賀しがけん)、西和せいわ奈良ならけん)、さざなみまち長崎ながさきけん)などがある(詳細しょうさいかく記事きじ参照さんしょう)。

しん名称めいしょう賛否さんぴかれたが採用さいようしたれいは、にかほさいたまあきるつくばみらいつねそうみどり西東京にしとうきょう中央ちゅうおう甲州こうしゅうみなみアルプス伊豆いず伊豆いずくに丹波たんば四国しこく中央ちゅうおうみなみ九州きゅうしゅうなどがある。

一方いっぽうしん名称めいしょう批判ひはん続出ぞくしゅつするなどして、名称めいしょうさい検討けんとうしたれいとしては以下いかれいがある。

  • 福島ふくしまけんひばり正式せいしき決定けってい飯舘いいたてむら離脱りだつさい検討けんとうし、みなみ相馬そうま発足ほっそくする。
  • 茨城いばらきけん常陸ひたち野市のいち正式せいしき決定けってい石岡いしおか反発はんぱつ再度さいど協議きょうぎかい設立せつりつされ、石岡いしおか小美おいたま発足ほっそくする。
  • 千葉ちばけん太平洋たいへいよう関係かんけい町村ちょうそんあいだ合意ごうい批判ひはんけてさい検討けんとうし、山武さんぶ発足ほっそくする。
  • 岐阜ぎふけんひらなみ正式せいしき決定けってい批判ひはんけてさい検討けんとうし、海津かいづ発足ほっそくする。
  • 滋賀しがけん西にし近江おうみ正式せいしき決定けってい批判ひはんけてさい検討けんとうし、高島たかしま発足ほっそくする。
  • 島根しまねけん石見いわみ銀山かなやま最終さいしゅう候補こうほとして提案ていあんされたが、きゅう大田おおた反発はんぱつ空転くうてんしたのちさい検討けんとうし、大田おおた発足ほっそくする。
  • 佐賀さがけんすえさと正式せいしき決定けっていたけ雄市ゆういち山内やまうちまち離脱りだつさい検討けんとうし、嬉野うれしの発足ほっそくする。
  • 長崎ながさきけん北松浦きたまつうら正式せいしき決定けってい松浦まつうら反発はんぱつ田平たひらまち離脱りだつけて協議きょうぎかい解散かいさんしたのち3市町しちょう松浦まつうら発足ほっそくする。
  • 鹿児島かごしまけんれいめい正式せいしき決定けってい批判ひはんけてさい検討けんとうし、いちき串木野くしきの発足ほっそくする。
  • 沖縄おきなわけん宮古みやふる関係かんけい市町村しちょうそんあいだ合意ごういしたのち岩手いわてけん宮古みやふる反発はんぱつ住民じゅうみんアンケートの結果けっかさい検討けんとうし、宮古島みやこじま発足ほっそくする。

また、合併がっぺい改称かいしょうしたれいとしてはとも昭和しょうわだい合併がっぺい青森あおもりけん大湊おおみなと田名部たなぶむつ改称かいしょう)、徳島とくしまけん南市みなみいち鳴門なると変更へんこう)、千葉ちばけんひがしかずらかしわ変更へんこう)、福岡ふくおかけん宇島うのしま豊前ぶぜん変更へんこう)がある。

市町村しちょうそんすう推移すいい[編集へんしゅう]

とし かず まちかず むらかず 市町村しちょうそんすう
1888ねん明治めいじ21ねん)12月 - 71,314
1889ねん明治めいじ22ねん)12月 39 15,820 15,859
1947ねん昭和しょうわ22ねん)8がつ 210 1,784 8,511 10,505
1956ねん昭和しょうわ31ねん)4がつ 495 1,870 2,303 4,668
1965ねん昭和しょうわ40ねん)4がつ 560 2,005 827 3,392
1995ねん平成へいせい7ねん)4がつ 663 1,994 577 3,234
2003ねん平成へいせい15ねん)4がつ 677 1,961 552 3,190
2005ねん平成へいせい17ねん)4がつ 739 1,317 339 2,395
2006ねん平成へいせい18ねん)4がつ 779 844 197 1,820
2008ねん平成へいせい20ねん)11月 783 806 193 1,782
2014ねん平成へいせい26ねん)4がつ 790 745 183 1,718

最新さいしん状況じょうきょう総務そうむしょう

推移すいいのグラフ

市町村しちょうそん合併がっぺい一覧いちらん[編集へんしゅう]

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

注釈ちゅうしゃく[編集へんしゅう]

  1. ^ 実施じっし期間きかんは2024ねんれい6ねん)4がつ時点じてんで10ねんたっしており、これは1979ねん昭和しょうわ54ねん)に兵庫ひょうごけん加古川かこがわ印南いなみぐん志方しかたまち編入へんにゅうしてから、1984ねん昭和しょうわ59ねん)に長野ながのけん飯田いいだ下伊那しもいなぐんかなえまち編入へんにゅうするまでの期間きかん(5ねん10ヶ月かげつ)よりもながく、この状態じょうたい現在げんざいつづいている。
  2. ^ 鹿児島かごしまけんは「財政ざいせいてき適正てきせいとなる基準きじゅん」として12,000にん以上いじょう標準ひょうじゅんとした(『鹿児島かごしまけん市町村しちょうそん変遷へんせん1967ねん昭和しょうわ42ねん) pp.332 - 334)。

出典しゅってん[編集へんしゅう]

  1. ^ 全国ぜんこくの「」と「まち」、同数どうすうの784に”. YOMIURI ONLINE (読売新聞社よみうりしんぶんしゃ). (2010ねん2がつ1にち). http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20100201-OYT1T01139.htm 2010ねん2がつ1にち閲覧えつらん 
  2. ^ a b 三島みしまむら(1990) p.327
  3. ^ 三島みしまむら(1990) p.328
  4. ^ 鹿児島かごしまけん市町村しちょうそん変遷へんせん p.110
  5. ^ a b c 平成へいせいだい合併がっぺい自治体じちたい手応てごたえは 福井ふくい県内けんない市町しちょう大半たいはん肯定こうていてき | 政治せいじ行政ぎょうせい | 福井ふくいのニュース”. 福井ふくい新聞しんぶんONLINE. 2019ねん4がつ1にち閲覧えつらん
  6. ^ a b 県内けんない9市町しちょう成果せいか」、3判断はんだん見送みおくり」 平成へいせいだい合併がっぺいアンケート”. 福島民友新聞ふくしまみんゆうしんぶんしゃ. 2019ねん4がつ1にち閲覧えつらん[リンク]
  7. ^ 市町村しちょうそん議員ぎいん定数ていすう半減はんげん「387」 「だい合併がっぺいぜん”. 宮崎日日新聞社みやざきにちにちしんぶんしゃ Miyanichi e-press. 2019ねん4がつ1にち閲覧えつらん
  8. ^ コンパクトなまちづくり 人口じんこうげん見据みす早期そうき対策たいさくを|論説ろんせつ佐賀さが新聞しんぶんLiVE”. 佐賀さが新聞しんぶんLiVE. 2019ねん4がつ1にち閲覧えつらん
  9. ^ 中澤なかざわかつけい宮下みやげりょうひさ, ed (2016). 平成へいせいだい合併がっぺい」の政治せいじ経済けいざいがく. 勁草書房しょぼう. pp. 187-207 

参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]

  • 鹿児島かごしまけん総務そうむ参事さんじしつへん鹿児島かごしまけん市町村しちょうそん変遷へんせん鹿児島かごしまけん、1967ねん昭和しょうわ42ねん)。
  • 三島みしまむら編纂へんさん委員いいんかい三島みしまむら三島みしまむら、1990ねん 

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]