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イングランド

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Englandから転送てんそう
イングランド
England
イングランドの国旗
国旗こっき イングランド王室おうしつ紋章もんしょう
くに標語ひょうごDieu et mon droitフランス語ふらんすご
かみ権利けんり
国歌こっか公式こうしきにはなし(詳細しょうさいは「イングランドの国歌こっか参照さんしょう)。国王こくおう陛下へいかまんさい希望きぼう栄光えいこうくにエルサレム(いずれも非公式ひこうしき
イングランドの位置
公用こうよう 英語えいご事実じじつじょう1
首都しゅと ロンドン事実じじつじょう
最大さいだい都市とし ロンドン
政府せいふ
連合れんごう王国おうこく国王こくおう チャールズ3せい
首相しゅしょう キア・スターマー
面積めんせき
総計そうけい 130,395km2???くらい
水面すいめんせきりつ 不明ふめい
人口じんこう
総計そうけい2021ねん 56,490,048ひと???くらい
人口じんこう密度みつど 407にん/km2
GDP自国じこく通貨つうか表示ひょうじ
合計ごうけいxxxxねん xxx,xxxUKポンド
GDP(MER
合計ごうけいxxxxねんxxx,xxxドル(???くらい
1人ひとりあたり xxxドル
GDP(PPP
合計ごうけい2006ねん2.2ちょうべいドル(5
1人ひとりあたり 44,000あめりかドル
アゼルスタンによる統一とういつ2927ねん
通貨つうか UKポンドGBP
時間じかんたい UTC0 (DST:+1)
ISO 3166-1 GB-ENG (ISO 3166-2:GB)
ccTLD .uk
国際こくさい電話でんわ番号ばんごう +44
1少数しょうすう言語げんごとしてコーンウォール存在そんざいする。コーンウォールでのイングランドの呼称こしょうは「Pow Sows」。
2839ねんエグバートはじめてイングランドを統一とういつした君主くんしゅだが、肩書かたがきはイングランドおうではなく、ブレトワルダ(覇王はおう)であった。学校がっこう歴史れきしでは、1066ねんウィリアム征服せいふくおうとされている。

イングランドえい: England)は、グレートブリテンおよきたアイルランド連合れんごう王国おうこく(イギリス)を構成こうせいする4つの「くに」(えい: country)のひとつである。人口じんこう連合れんごう王国おうこくの83%以上いじょう[1]面積めんせきグレートブリテンとう南部なんぶやく3ぶんの2をめる。北方ほっぽうスコットランドと、西方せいほうウェールズせっする。北海ほっかいアイリッシュうみ大西おおにしひろしイギリス海峡かいきょうめんしている。

名称めいしょう

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イングランドのは、ドイツ北部ほくぶアンゲルン半島はんとう出身しゅっしんゲルマンじんいち支族しぞくで、ブリテンとう南部なんぶサクソンじんとも来航らいこう定住ていじゅうした「アングルじん土地とち」を意味いみする「Engla-land」に由来ゆらいする。イングランドは、ウェールズとともにかつてのイングランド王国おうこく構成こうせいしていた。

日本にっぽんにおいては「イングランド」または「イングランドおよびウェールズ」をして、しばしば「イギリス」または「英国えいこく」というかたもちいられることがあり、このうち「英国えいこく」と場合ばあい連合れんごう王国おうこく全体ぜんたいではなく狭義きょうぎに「イングランド」を意味いみ使用しようされる場合ばあいがある(そもそも、日本にっぽん慣用かんようである「イギリス」自体じたいがイングランドのポルトガルみに由来ゆらいする)。

日本語にほんごかぎらず、様々さまざま言語げんご文脈ぶんみゃくによってはイングランドを連合れんごう王国おうこく全体ぜんたいしてもちいることがあるが、これはイングランド以外いがい実情じつじょう考慮こうりょしていないものであり、ポリティカル・コレクトネスそくしていないといえる。したがって、イングランドがいとくスコットランド)の出身しゅっしんしゃたいして「English(イングランドじん)」という呼称こしょうもちいること間違まちがいであり、民族みんぞく感情かんじょうてき反感はんかん場合ばあいもあるので注意ちゅういようする。

歴史れきし

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古代こだい

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中世ちゅうせい

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イングランドのフランス語ふらんすごで「Angleterre」とうように「アングルじん土地とち」という意味いみである。ローマりょうブリタニアからローマ軍団ぐんだんげたのち、ゲルマンけいアングロ・サクソンじん侵入しんにゅうし、ケルトけいブリトンじん征服せいふくまたは追放ついほうしてアングロ・サクソンなな王国おうこく成立せいりつした。アングロ・サクソンのしょ王国おうこくデーンじん中心ちゅうしんとするヴァイキング侵入しんにゅうによって壊滅かいめつてき打撃だげきけたが、878ねんウェセックスおうアルフレッドエディントンのたたか英語えいごばん英語えいご: Battle of Ethandun)でデーンじんってウェドモーアの和議わぎ締結ていけつし、デーンロー地方ちほうのぞくイングランド南部なんぶ統一とういつした。886ねんにアルフレッドはロンドンを奪回だっかいエドガー平和へいわおう時代じだい北部ほくぶ統一とういつされ、現在げんざいのイングランドとほぼおな領域りょういきとなる。

927ねんアゼルスタンイングランド王国おうこく建国けんこく一時いちじイングランド王国おうこくデンマークおうクヌーズ(カヌート)征服せいふくされるが(デーンあさ)、そのふたたびアングロ・サクソンの王家おうけウェセックスあさ)が復興ふっこうする。1066ねんノルマンディーこうギヨーム2せい征服せいふくされ、ギヨームがウィリアム1せい征服せいふくおう)として即位そくいノルマンあさひらかれた。ノルマンちょうスコットランドへのノルマン・コンクエスト開始かいしし、アングロ・サクソンけい支配しはいしゃそうはほぼ一掃いっそうされ、フランス語ふらんすご国王こくおう貴族きぞく公用こうようとなった。プランタジネットあさえいふつ広大こうだい領土りょうどをもつ「アンジュー帝国ていこく」となるが、この時期じきになるとフランスけいのイングランドしょ領主りょうしゅ次第しだいにイングランドに定着ていちゃくし、イングランドじんとしてのアイデンティティをちはじめた。スコットランド独立どくりつ戦争せんそうは、13世紀せいきから14世紀せいきにかけて長期ちょうきにわたりイングランドぐん北部ほくぶ攻撃こうげきしたが、1314ねんロバート・ブルースがスコットランドのだい部分ぶぶんさい征服せいふくし、スコットランドの独立どくりつたもった(バノックバーンのたたか)。

ひゃくねん戦争せんそう1337ねん - 1453ねん)によってフランス領土りょうどはほぼ完全かんぜんうしなわれた。薔薇ばら戦争せんそう1455ねん1485ねん)のさい1485ねんボズワースのたたか勝利しょうりしたヘンリー7せいが、ウェールズじんウェールズ大公たいこう血統けっとうからてイングランド王家おうけおさまった(テューダーあさ)。1536ねんウェールズほう諸法しょほう英語えいごばんによるウェールズ統合とうごうにより、単一たんいつ国家こっかイングランドおよびウェールズ」とし、この王朝おうちょう家臣かしんだんではウェールズじん重要じゅうよう地位ちいめた。こうした経緯けいいから、ウェールズじんどう王朝おうちょうヘンリー8せいからエリザベス1せいまでの国王こくおう推進すいしんしたイングランド国教こっきょうかい創設そうせつなどに協力きょうりょくてき姿勢しせいせることになったのである。

近世きんせい

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1603ねん以来いらいジェームズ1せいがイングランドとスコットランドの両方りょうほう統治とうちしていた。スコットランドの宗教しゅうきょう改革かいかく清教徒せいきょうと革命かくめい主教しゅきょう戦争せんそうさん王国おうこく戦争せんそうスコットランド内戦ないせん英語えいごばんイングランド内戦ないせんアイルランド同盟どうめい戦争せんそう英語えいごばんアイルランド反乱はんらん英語えいごばんアイルランド侵略しんりゃく))、イングランド共和きょうわこく成立せいりつイングランド王政おうせい復古ふっこ)。殺戮さつりく時代じだいにスコットランドを弾圧だんあつだい同盟どうめい戦争せんそう1688ねん - 1697ねん)、名誉めいよ革命かくめい1688ねん - 1689ねん)。ウィリアマイト戦争せんそう1689ねん - 1691ねん)でアイルランドを弾圧だんあつ1707ねんにイングランドとスコットランドが連合れんごうしてグレートブリテン王国おうこく形成けいせいし、合同ごうどうほうによって両国りょうこく議会ぎかい統合とうごうされた。ジャコバイト反乱はんらん1715ねん反乱はんらん英語えいごばん1745ねん反乱はんらん英語えいごばん)。

近代きんだい

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1798ねんアイルランド反乱はんらん英語えいごばんをきっかけに、1800ねん連合れんごうほうグレートブリテン議会ぎかいおよびアイルランド議会ぎかい双方そうほう可決かけつされ、1801ねんグレートブリテン王国おうこくアイルランド王国おうこく合併がっぺいした(実質じっしつてきにはイギリスによるアイルランド併合へいごう)。このような過程かてい現在げんざいつながる民族みんぞくとしてのイングランドじん誕生たんじょうした。

アイルランド独立どくりつ戦争せんそう1919ねん - 1921ねん1922ねんえいあい条約じょうやくアイルランド自由じゆうこく独立どくりつし、北部ほくぶきたアイルランドとしてイギリスにとどまった(→きたアイルランド問題もんだい)。

現代げんだい

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1996ねん北部ほくぶアイルランド1999ねんにはスコットランドに292ねんぶりに議会ぎかい復活ふっかつしウェールズ議会ぎかい開設かいせつされ、地方ちほう分権ぶんけんてき自治じちはじまったが、「イングランド議会ぎかい」は議会ぎかい合同ごうどう以来いらい存在そんざいしない。

政治せいじ

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ウェストミンスター宮殿きゅうでん

行政ぎょうせい区画くかく

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イングランドの地方ちほう行政ぎょうせい制度せいど政府せいふ政策せいさくによって変遷へんせんはげしく、歴史れきしてき実態じったいかならずしも対応たいおうしていない。たとえば、ロンドン市役所しやくしょサッチャー政権せいけん保守党ほしゅとう)によって廃止はいしされ、一種いっしゅ区役所くやくしょのみが正規せいき行政ぎょうせい組織そしきとして機能きのうしていたが、2000ねんブレア政権せいけん労働党ろうどうとう)によってグレーター・ロンドン地域ちいきとして復活ふっかつした。

現在げんざいのイングランドは行政ぎょうせいてきに9つの「地域ちいき[注釈ちゅうしゃく 1]区分くぶんされる。このうちだいロンドン地域ちいきのみが2000ねん以降いこう市長しちょう市議会しぎかいゆうするが、その地域ちいきには知事ちじのような首長しゅちょう存在そんざいせず、議会ぎかい設置せっちするかどうかは住民じゅうみん投票とうひょうによってまるので、議会ぎかい存在そんざいしない地域ちいきもある。地域ちいき統括とうかつする行政ぎょうせいちょう存在そんざいするがそれほどおおきな権限けんげんはない。

つまり「地域ちいき」は行政ぎょうせいじょう存在そんざいしてもあまり実体じったいのある存在そんざいとはいえない。ブレア労働党ろうどうとう政権せいけんは「地域ちいき」の行政ぎょうせいてき権限けんげん強化きょうかしたい意向いこうだったが、保守党ほしゅとう反対はんたいしていた。したがって現在げんざいのところ、実体じったいのある地方ちほう行政ぎょうせい組織そしき行政ぎょうせいしゅう[注釈ちゅうしゃく 2]または都市とししゅう[注釈ちゅうしゃく 3]であり、都市とししゅう下級かきゅう行政ぎょうせい単位たんいとして[注釈ちゅうしゃく 4]存在そんざいする地域ちいきもあるが、都市とししゅうがなくのみが存在そんざいする地域ちいきもある。行政ぎょうせいしゅう[注釈ちゅうしゃく 5]以外いがい伝統でんとうてきしゅう[注釈ちゅうしゃく 6]名目めいもくてきながら現在げんざい使用しようされるが、行政ぎょうせいてき実体じったいはない。

主要しゅよう都市とし

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都市とし しゅう 人口じんこう
ロンドン グレーター・ロンドン 7,172,091
バーミンガム ウェスト・ミッドランズ 970,892
リヴァプール マージーサイド 469,017
リーズ ウェスト・ヨークシャー 443,247
シェフィールド サウス・ヨークシャー 439,866
ブリストル ブリストル 420,556
マンチェスター グレーター・マンチェスター 394,269
レスター レスターシャー 330,574
コヴェントリー ウェスト・ミッドランズ 303,475
キングストン・アポン・ハル イースト・ライディング・オブ・ヨークシャー 301,416
  • 人口じんこうは2001ねん国勢調査こくせいちょうさより。

地理ちり

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イングランドはグレートブリテンとう南部なんぶやく3ぶんの2とランズエンドみさき南西なんせい大西おおにしひろしうえにあるシリー諸島しょとうイギリス海峡かいきょうにあるワイトとうなどの周辺しゅうへんちいさいしま構成こうせいされている。北方ほっぽうスコットランドと、西方せいほうウェールズせっする。連合れんごう王国おうこくなかもっとヨーロッパ大陸たいりくちかく、対岸たいがんのフランスまでやく 33km である。

東側ひがしがわ北海ほっかいめんし、西側にしがわトゥイード河口かこうからスコットランドとの境界きょうかい沿いに南西なんせいへむかい、アイリッシュうみ沿岸えんがん、ウェールズとの境界きょうかいせんをとおって、グレートブリテンとう西端せいたんランズエンドみさきたっする。北境きたざかいたるスコットランドとの境界きょうかいは、西にしソルウェーわんからチェビオット丘陵きゅうりょうにそってひがしのトゥイード河口かこうまで、みなみイギリス海峡かいきょうめんしている。

地形ちけい変化へんかむ。ただし全体ぜんたいてきには平坦へいたん地形ちけいであり、最高峰さいこうほうスコーフェルほうでも978mと、イングランドには標高ひょうこう1000mをえる地点ちてんはない。北部ほくぶ西部せいぶ全般ぜんぱんまるみをびた山岳さんがく地帯ちたいで、ペナイン山脈さんみゃくがイングランド北部ほくぶ背骨せぼね形成けいせいしている。北西ほくせいカンブリアにはカンブリア山地さんちがあり、ここは大小だいしょう様々さまざまみずうみつらなる湖水こすい地方ちほうとしてられ、ピーターラビット舞台ぶたいとしても有名ゆうめいである。フェンとばれる東部とうぶ湿地しっちたい農業のうぎょう用地ようちになっている。森林しんりんめる割合わりあいひくく、小規模しょうきぼもり各地かくち点在てんざいする程度ていどである。

イングランドの最大さいだい都市としロンドンであり、世界せかいでももっと繁栄はんえいした都市としひとつである。だい都市とし蒸気じょうき機関きかん有名ゆうめいジェームズ・ワット生涯しょうがいのほとんどをごしたバーミンガムである。英仏海峡えいふつかいきょうトンネルによってイングランドは大陸たいりくヨーロッパつながっている。イングランドでもっとおおきい天然てんねんみなとみなみ海岸かいがんプールである。オーストラリアシドニーいで世界せかいで2番目ばんめおおきい天然てんねんこうという主張しゅちょう[よう出典しゅってん]もあるが、これには異論いろん[よう出典しゅってん]もある。

気候きこう

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イングランドは温帯おんたいであり、うみにかこまれているため気候きこう比較的ひかくてきおだやかであるが、ぶしによって気温きおん変動へんどうする。南西なんせいからの偏西風へんせいふう大西おおにしひろしあたたかく湿しめった空気くうきはこんでくるため東側ひがしがわ乾燥かんそうし、ヨーロッパ大陸たいりくちか南側みなみがわもっとあたたかい。高地こうち地帯ちたいからはなれた地域ちいきにおいては頻繁ひんぱんではないが、ふゆ早春そうしゅんにはゆきることがある。イングランドの最高さいこう気温きおん記録きろく2003ねん8がつ10日とおかケントしゅうのブログデールの 38.5℃である[2]最低さいてい気温きおん記録きろく1982ねん1がつ10日とおかシュロップシャーしゅうのエドグモンドの −26.1℃である[3]とし平均へいきん気温きおんは、南部なんぶで 11.1℃、北西ほくせいで 8.9℃。がつ平均へいきん気温きおんは、もっとあつい7がつやく 16.1℃、もっともさむい1月でやく 4.4℃ある。−5℃以下いかになったり、30℃以上いじょうになることはほとんどない。ロンドンのつき平均へいきん気温きおんは、1月が 4.4℃、7がつが 17.8℃である。きりやくもりの天気てんきおおく、とくにペナイン山脈さんみゃく内陸ないりく顕著けんちょである。とし降水こうすいりょうは 760mm ほどで年間ねんかんとおして降水こうすいりょう豊富ほうふであるが、月別つきべつでは10月がもっとおおい。

経済けいざい

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イングランド銀行いんぐらんどぎんこう

連合れんごう王国おうこく(イギリス)のなかでは最大さいだいである。ヨーロッパの上位じょうい500しゃのうち100しゃがロンドンに存在そんざいする[4]。イングランドは高度こうど工業こうぎょうされており、世界せかい経済けいざい中心ちゅうしんひとつであった。化学かがく工業こうぎょう製薬せいやく航空こうくうごう軍需ぐんじゅ産業さんぎょうソフトウェアなどが発達はったつしている。

イングランドは工業こうぎょう製品せいひん輸出ゆしゅつし、プルトニウム金属きんぞく紅茶こうちゃ羊毛ようもう砂糖さとう木材もくざいバターにくのような資源しげん輸入ゆにゅうしている[5]。ただし、牛肉ぎゅうにくかんしてはフランス、イタリア、ギリシャ、オランダ、ベルギー、スペインなどへ輸出ゆしゅつしている[6]

ロンドンは国際こくさいてき金融きんゆう市場いちば中心ちゅうしんであり、イギリスの金利きんり金融きんゆう政策せいさく決定けっていする中央ちゅうおう銀行ぎんこうであるイングランド銀行いんぐらんどぎんこうやヨーロッパ最大さいだい証券しょうけん市場いちばであるロンドン証券しょうけん取引とりひきしょがある。

イングランドの伝統でんとうてきおも工業こうぎょうはイギリス全体ぜんたい重工業じゅうこうぎょう同様どうように、急激きゅうげき衰退すいたいした。一方いっぽうサービスごう成長せいちょうし、イングランドの経済けいざい重要じゅうよう位置いちめている。たとえば観光かんこうぎょうはイギリスで6番目ばんめおおきな産業さんぎょうであり760おくポンドの規模きぼである。2002ねん時点じてんでは労働ろうどう人口じんこうの 6.1% にあたる180まんにんをフルタイムで雇用こようしている[7]。ロンドンには世界中せかいじゅうから毎年まいとしすうひゃくまんにん観光かんこうおとずれる。

イングランドではポンド法定ほうてい通貨つうかである。

国民こくみん

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宗教しゅうきょう

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かつてはイングランド国教こっきょうかい以外いがい宗教しゅうきょう、とりわけローマ・カトリック禁圧きんあつされたが、現在げんざいのイングランドには多様たよう宗教しゅうきょう存在そんざいし、特定とくてい宗教しゅうきょうたないあるいは宗教しゅうきょうひと割合わりあいおおい。宗教しゅうきょうてき行事ぎょうじ位置いちづけは低下ていかしつつある。2000ねん時点じてんのイングランドの宗教しゅうきょう比率ひりつ以下いかとおりである。キリスト教きりすときょう、75.6%;イスラム教いすらむきょう、1.7%;ヒンドゥーきょう、1%;その、1.6%;特定とくてい宗教しゅうきょうたないあるいは宗教しゅうきょう、20.1%[よう出典しゅってん]

キリスト教きりすときょう

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カンタベリーだい聖堂せいどう

キリストきょうカンタベリーのアウグスティヌス初代しょだいカンタベリーだい主教しゅきょう)の時代じだいに、スコットランドやヨーロッパ大陸たいりくからイングランドへやってきた宣教師せんきょうしによって到来とうらいした。685ねんウィットビー教会きょうかい会議かいぎによってローマしき典礼てんれいれることが決定けっていされた。1536ねんヘンリー8せいキャサリン・オブ・アラゴンとの離婚りこんしようとした問題もんだいによってローマと分裂ぶんれつし、宗教しゅうきょう改革かいかくイングランド国教こっきょうかいせい公会こうかいまれた。のスコットランド、ウェールズ、きたアイルランドとはちがい、イングランドではイングランド国教こっきょうかい国家こっか宗教しゅうきょうである(ただしスコットランド国教こっきょうかい法律ほうりつさだめられた国家こっか教会きょうかいである)。

16世紀せいきのヘンリー8せいによるローマとの分裂ぶんれつ修道院しゅうどういん解散かいさん教会きょうかいおおきな影響えいきょうあたえた。イングランド国教こっきょうかいアングリカン・コミュニオン一部いちぶであり、依然いぜんとしてイングランドのキリスト教きりすときょうもっとおおきい。イングランド国教こっきょうかいだい聖堂せいどう教区きょうく教会きょうかい建築けんちくがくじょう意義いぎのある重要じゅうよう歴史れきしてき建築けんちくぶつである。

イングランドのそのおもプロテスタント教派きょうはにはメソジストバプテスト教会きょうかい合同ごうどう改革かいかく教会きょうかいがある。規模きぼちいさいが無視むしできない教派きょうはとして、キリストともかい通称つうしょうクエーカー)と救世きゅうせいぐんがある。

近年きんねん女性じょせい聖職せいしょくしゃみとめるせい公会こうかい姿勢しせい反発はんぱつする信徒しんとなどによるローマ・カトリックへの改宗かいしゅうすくなくない。

その宗教しゅうきょう

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20世紀せいき後半こうはんから、中東ちゅうとうみなみアジアとりわけえい連邦れんぽう諸国しょこくからの移民いみんによりイスラム教いすらむきょうシークきょうヒンドゥーきょう割合わりあい増加ぞうかした。バーミンガムブラックバーンボルトンブラッドフォードルートンマンチェスターレスターロンドンオールダムにはムスリムのコミュニティがある。

イングランドのユダヤきょうのコミュニティはおもにロンドン、とくにゴルダーズグリーンのような北西ほくせい郊外こうがい存在そんざいする。

教育きょういく

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イングランドとウェールズでは義務ぎむ教育きょういくは5さいから16さいまでであり、学校がっこうは90%が公立こうりつである。

大学だいがく全部ぜんぶで34あるが、ケンブリッジ大学けんぶりっじだいがくオックスフォおっくすふぉド大学どだいがくのぞいて、19〜20世紀せいき創設そうせつされている。大学だいがく以外いがい高等こうとう教育きょういく機関きかんとして、工業こうぎょう農業のうぎょう美術びじゅつ商業しょうぎょう科学かがくなどの専門せんもん学校がっこうがある。

文化ぶんか

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現代げんだいのイングランドの文化ぶんかはイギリス全体ぜんたい文化ぶんかかちがた場合ばあいがあり、混在こんざいしている。しかし歴史れきしてき伝統でんとうてきなイングランドの文化ぶんかはスコットランドやウェールズと明確めいかくことなっている。

イングリッシュ・ヘリテッジというイングランドの史跡しせき建築けんちくぶつ、および環境かんきょう管理かんりする政府せいふ組織そしきがある。

音楽おんがく

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クラシック音楽おんがく

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ポピュラー音楽おんがく

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文学ぶんがく

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しょく文化ぶんか

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イングランドには様々さまざまものがある。たとえばコーンウォールしゅうすず鉱山こうざん坑夫こうふ弁当べんとうから発達はったつしたコーニッシュ・パスティー (Cornish Pasty) には挽肉ひきにく野菜やさいはいっている。えんおおきいのはすず採掘さいくつしたときに有害ゆうがい物質ぶっしつべないようにするためで、えんべない。また、レストランやパブのメニューにはシェパーズパイがあり、スコーン有名ゆうめいである。

スポーツ

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サッカーラグビーユニオンラグビーリーグクリケットテニスバドミントン近代きんだい競馬けいばといったすうおおくの現代げんだいスポーツ19世紀せいきのイングランドで成立せいりつした。そのなかでもサッカー、ラグビーユニオン、クリケット、競馬けいば依然いぜんとしてイングランドでもっと人気にんきのあるスポーツとなっている。スヌーカーボウルズといった競技きょうぎも、イングランド発祥はっしょうである。

オリンピックは、ロンドン大会たいかい2012ねん7がつ26にちから8がつ12にちまで首都しゅとロンドン開催かいさいされた。ロンドンでは1908ねん大会たいかい1948ねん大会たいかいの2夏季かきオリンピック開催かいさいしており、どういち都市としで3度目どめ開催かいさいされたのは史上しじょうはつである(実際じっさいには1944ねん大会たいかい予定よていされていたものの、だい世界せかい大戦たいせんによる戦局せんきょく悪化あっかにより返上へんじょうされた。夏季かき五輪ごりん開催かいさいとなった大会たいかいかいくわえるので、おおやけには4度目どめ開催かいさい史上しじょう最多さいたであることにはわりはない)。

サッカー

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イングランドは現代げんだいサッカー発祥はっしょうである[8]1863ねん10月26にちフットボール・アソシエーション(The FA)と12のクラブのあいだ会議かいぎひらかれ、同年どうねん12がつまでに6かいのミーティングをおこなって統一とういつルールを作成さくせいした。この統一とういつルール作成さくせいにより現代げんだいのサッカーが誕生たんじょうした。イングランドにおいてサッカーを統括とうかつする"The FA"は、世界せかい唯一ゆいいつ国名こくめいかない世界せかい最古さいこのサッカー協会きょうかいである。

イングランド・プレミアリーグ世界中せかいじゅうからスター選手せんしゅあつめ、世界せかい最高峰さいこうほうのリーグしょうされている。ビッグクラブ複数ふくすう存在そんざいしており、マンチェスター・ユナイテッドリヴァプールチェルシーアーセナル、さらに近年きんねんではマンチェスター・シティなどが強豪きょうごうとして、国内こくないのみならずヨーロッパ舞台ぶたいでも大変たいへん活躍かつやくしている。なお、欧州おうしゅうサッカー連盟れんめい(UEFA)のよんぼし以上いじょうスタジアムかずはイングランドがもっとおおい。

サッカーイングランド代表だいひょうFIFAワールドカップには15出場しゅつじょうれきがあり、自国じこく開催かいさいとなった1966ねん大会たいかいはつ優勝ゆうしょうたしている。UEFA欧州おうしゅう選手権せんしゅけんには10出場しゅつじょうしており、2021ねん大会たいかいではキャプテンでエースのハリー・ケイン中心ちゅうしんとしたメンバー編成へんせい過去かこ最高さいこう成績せいせきとなるじゅん優勝ゆうしょうかがやいた。

ラグビーユニオン

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ラグビーユニオンもさかんであり、ラグビーイングランド代表だいひょう強豪きょうごうこくとしてられている。ラグビーワールドカップ2003ねん大会たいかい優勝ゆうしょうし、1991ねん大会たいかい2007ねん大会たいかい2019ねん大会たいかいじゅん優勝ゆうしょうかがやいた。ラグビーユニオンのプレミアシップではバースノーサンプトン・セインツレスター・タイガースロンドン・ワスプスといったクラブチームがハイネケンカップ優勝ゆうしょうしている。統括とうかつ団体だんたいは「ラグビーフットボールユニオン」で、サッカーなどと同様どうように"England"のかない。シックス・ネイションズでの優勝ゆうしょう回数かいすうはウェールズ(39かい)にぐ2(38かい)であり、女子じょしシックス・ネイションズでは歴代れきだい最多さいたの15かい優勝ゆうしょう達成たっせいしている。

クリケット

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クリケットWはいはつ優勝ゆうしょうしたイングランド代表だいひょうメンバーとテリーザ・メイ首相しゅしょう(2019ねん

クリケット人気にんきたかいスポーツのひとつである。イングランドで16世紀せいきからプレーされており、18世紀せいきすえ人気にんきスポーツとなり、植民しょくみんにも普及ふきゅうすすんだ[9]イングランド代表だいひょうは1877ねん史上しじょうはつテストマッチメルボルンオーストラリア代表だいひょうおこなった[9]。19世紀せいきのクリケットかい代表だいひょうするめい選手せんしゅとしてW・G・グレースげられる。イングランド・ウェールズクリケット委員いいんかい国内こくない組織そしき統轄とうかつしており、イングランド代表だいひょうはイングランドとウェールズ合同ごうどうチームである。クリケット・ワールドカップには自国じこく開催かいさいとなった2019ねん大会たいかいはつ優勝ゆうしょうたしている。女子じょしクリケット代表だいひょうは、女子じょしワールドカップで4優勝ゆうしょう経験けいけんをもつ。ロンドンにあるローズ・クリケット・グラウンドはクリケットの聖地せいちばれ、クリケット・ワールドカップの決勝けっしょうせん史上しじょう最多さいたの5開催かいさいされた。イギリスを代表だいひょうする名門めいもんパブリックスクールであるイートン・カレッジハロウスクール対戦たいせんする伝統でんとう試合しあいどうスタジアムで200ねん以上いじょうおこなわれている[10]国内こくないリーグはカウンティ・チャンピオンシップがあり、イングランド所在しょざいの17クラブおよびウェールズ所在しょざいの1クラブ、合計ごうけい18クラブにより編成へんせいされている。また2003ねん従来じゅうらいのクリケットとはことなり3あいだ程度ていど試合しあい終了しゅうりょうするトゥエンティ20形式けいしき導入どうにゅうされ、同年どうねんにプロリーグのトゥエンティ20カップ開始かいしされた。

競馬けいば

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今日きょうのスタイルの競馬けいば近代きんだい競馬けいば)は、16世紀せいきのイングランドのチェスター競馬けいばじょうはじまった。「サラブレッド」とばれる品種ひんしゅ誕生たんじょうしたところでもある。アスコット競馬けいばじょうおこなわれるロイヤルアスコットエプソム競馬けいばじょうおこなわれるオークスや、ダービーなどが有名ゆうめいである。

日本にっぽんとの関係かんけい

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日本にっぽん姉妹しまい都市とし

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けんめい都市としめい」 - 都市としめい「リージョン(地方ちほうめい)、カウンティ(しゅうけんめい)」

脚注きゃくちゅう

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注釈ちゅうしゃく

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  1. ^ えい: region
  2. ^ えい: county
  3. ^ えい: metropolitan county
  4. ^ えい: borough
  5. ^ えい: administrative county
  6. ^ えい: ceremonial county

出典しゅってん

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  1. ^ National Statistics Online (2007ねん8がつ22にち). “Population Estimates UK population grows to 60.6 million” (英語えいご). 2002ねん12月2にち時点じてんオリジナルよりアーカイブ。2007ねん9がつ24にち閲覧えつらん
  2. ^ BBC ニュース (2003ねん9がつ30にち). “Temperature record changes hands” (英語えいご). 2007ねん9がつ24にち閲覧えつらん
  3. ^ MET Office. “English Climate” (英語えいご). 2008ねん7がつ27にち時点じてんオリジナルよりアーカイブ。2007ねん9がつ24にち閲覧えつらん
  4. ^ CIA — The World Factbook
  5. ^ Fact Monster.com. “London, city, England/ Economy” (英語えいご). 2007ねん9がつ24にち閲覧えつらん
  6. ^ EBLEX News (2006ねん6がつ6にち). “Strong Start For English Beef Exports” (英語えいご). 2007ねん9がつ24にち閲覧えつらん
  7. ^ Visit Britain.
  8. ^ The History of The FA TheFA.com(FAの公式こうしきサイト)より。2015ねん12月31にち閲覧えつらん
  9. ^ a b England and Wales Cricket Board 国際こくさいクリケット評議ひょうぎかい 2023ねん9がつ29にち閲覧えつらん
  10. ^ 200-year-old Eton and Harrow Lord’s cricket match cancelled for a ‘wider range of players’ The Telegraph 2023ねん9がつ29にち閲覧えつらん

関連かんれん項目こうもく

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外部がいぶリンク

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