ダッカ (ベンガル語 ご : ঢাকা [ˈɖʱaka] 英 えい : Dhaka 、旧名 きゅうめい Dacca)は、バングラデシュ の首都 しゅと [ 1] でありダッカ県 けん の首府 しゅふ を兼 か ねる。世界 せかい 有数 ゆうすう のメガシティ であり、2016年 ねん の人口 じんこう 推計 すいけい によると、近郊 きんこう を含 ふく む都市 とし 圏 けん 人口 じんこう はバングラデシュ最大 さいだい の[ 2] 1,623万 まん 人 にん であり、世界 せかい 第 だい 16位 い である[ 3] 。
バングラデシュ中央 ちゅうおう 部 ぶ に位置 いち し、ブリゴンガ排水 はいすい 路 ろ によってドレッショリ川 がわ に通 つう じる同国 どうこく の商業 しょうぎょう ・工業 こうぎょう ・文化 ぶんか ・教育 きょういく の中心 ちゅうしん 地 ち であるダッカは、「モスクの街 まち 」としても知 し られる[ 4] 。ジュート ・綿 めん 加工 かこう や食品 しょくひん 加工 かこう などの製造 せいぞう 業 ぎょう が行 おこな われ、特 とく にまた高 こう 品質 ひんしつ なモスリン 生産 せいさん の地 ち としても有名 ゆうめい である。街 まち 中 ちゅう には約 やく 40万 まん 台 だい と言 い われるリキシャ が毎日 まいにち 行 い き交 か う事 こと でも知 し られる[ 5] 。
ダッカの歴史 れきし は9世紀 せいき 以前 いぜん に遡 さかのぼ るが、ダッカが都市 とし として繁栄 はんえい したのはムガル帝国 ていこく の統治 とうち 下 か で17世紀 せいき にベンガル 州 しゅう の州都 しゅうと となったことによる。当時 とうじ の名 な は「ジャハーンギールナガル」といった。1765年 ねん からイギリス の支配 しはい にあるイギリス領 りょう インド帝国 ていこく に組 く み込 こ まれ、19世紀 せいき にはコルカタ に次 つ ぐベンガル地方 ちほう 第 だい 二 に の都市 とし にまで発展 はってん した。1947年 ねん にパキスタンとして独立 どくりつ 後 こう は東 ひがし パキスタン の首都 しゅと となった。1971年 ねん にバングラデシュとして独立 どくりつ 以後 いご も引 ひ き続 つづ き首都 しゅと となり、現在 げんざい に至 いた る。
ダッカのストリートマーケットの風景 ふうけい
現代 げんだい のダッカは、バングラデシュの政治 せいじ ・文化 ぶんか ・経済 けいざい 活動 かつどう の中心 ちゅうしん 地 ち である[ 6] 。 都市 とし のインフラストラクチャー は国中 くになか で最 もっと も発達 はったつ しているが、それでも急激 きゅうげき な人口 じんこう 増加 ぞうか には追 お いつかず、公害 こうがい や交通 こうつう 渋滞 じゅうたい または公共 こうきょう サービスの不足 ふそく などの問題 もんだい に直面 ちょくめん している。そのような中 なか でも近年 きんねん は交通 こうつう 機関 きかん や情報 じょうほう 網 もう および公共 こうきょう 事業 じぎょう などで近代 きんだい 化 か が促進 そくしん されている。ダッカは外資 がいし を呼 よ び込 こ んで商業 しょうぎょう や貿易 ぼうえき の拡大 かくだい を図 はか っているが、これがまた人口 じんこう の流入 りゅうにゅう を促進 そくしん する要因 よういん となり、結果 けっか 的 てき にダッカを世界一 せかいいち 急激 きゅうげき な人口 じんこう 増加 ぞうか 都市 とし にしている[ 7] [ 8] 。こうした負 まけ の要素 ようそ は、早々 そうそう に改善 かいぜん できるものではなく、2013年 ねん 、世界 せかい 各 かく 都市 とし の医療 いりょう 、文化 ぶんか ・環境 かんきょう 、教育 きょういく 、インフラを数値 すうち 化 か した「世界 せかい で最 もっと も住 す みやすい都市 とし 」のランキングでワースト2位 い になった(1位 い は内戦 ないせん 状態 じょうたい のダマスカス )[ 9] 。
ラールバーグ城 じょう (英語 えいご 版 ばん ) 。17世紀 せいき 中期 ちゅうき にシャーイスタ・ハーン が建設 けんせつ した。
現在 げんざい のダッカがある地域 ちいき が市街地 しがいち 化 か された最初 さいしょ の時期 じき は7世紀 せいき であり、8世紀 せいき には仏教 ぶっきょう 国 くに のカーマルーパ (英語 えいご 版 ばん ) 王国 おうこく 、次 つ いでパーラ朝 あさ の統治 とうち 下 か にあった。そして9世紀 せいき からはヒンドゥー のセーナ朝 あさ がこの場所 ばしょ を治 おさ めた[ 10] 。12世紀 せいき になり、女神 めがみ ダケーシュワリー (英語 えいご 版 ばん ) を祀 まつ る寺院 じいん がバッラーラ・セーナ (英語 えいご 版 ばん ) によって建立 こんりゅう されると、これにちなみ都市 とし は「ダッカ」と呼 よ ばれるようになった[ 11] 。当時 とうじ のダッカ周辺 しゅうへん はベンガラ (Bengalla) と呼 よ ばれ、市街 しがい には小規模 しょうきぼ な市 し (Lakshmi Bazar, Shankhari Bazar, Tanti Bazar, Patuatuli, Kumartuli, Bania Nagar, Goal Nagar)がいくつか立 た った。セーナ朝 あさ の後 のち には、ダッカはデリー・スルターン朝 あさ が送 おく り込 こ んだテュルク 人 ひと やパシュトゥーン人 じん による為政 いせい が続 つづ いたが、勃興 ぼっこう したムガル帝国 ていこく が1608年 ねん に当地 とうち を支配 しはい した[ 12] 。
ムガル帝国 ていこく のベンガル州都 しゅうと となったダッカでは、都市 とし の開発 かいはつ と人口 じんこう 増加 ぞうか が始 はじ まった[ 13] [ 14] [ 15] 。行政 ぎょうせい 担当 たんとう を担当 たんとう した初代 しょだい 知事 ちじ イスラーム・ハーン (英語 えいご 版 ばん ) [ 16] は、皇帝 こうてい ジャハーンギール にちなんでこの都市 とし の名 な をジャハーンギールナガル(「ジャハーンギールの都 と 」の意 い )と定 さだ めた。シャーイスタ・ハーン 将軍 しょうぐん の頃 ころ [ 14] [ 15] 、都市 とし は19×13kmの市域 しいき に約 やく 100万 まん 人 にん を抱 かか えるまでに発展 はってん した[ 17] 。
アシャーン・マンズィル (英語 えいご 版 ばん ) 。ダッカ・ナワーブ家 か (英語 えいご 版 ばん ) の邸宅 ていたく だったが、現在 げんざい は博物館 はくぶつかん として利用 りよう されている。
1765年 ねん 、イギリス東 ひがし インド会社 かいしゃ は徴税 ちょうぜい 権 けん (ディーワーニー・ライト、Diwani right)を獲得 かくとく し、1793年 ねん にはベンガルの貴族 きぞく 階級 かいきゅう (ナワーブ 、Nawab)はベンガルやビハールまたオリッサの州 しゅう や都市 とし に対 たい する利権 りけん を放棄 ほうき することを強 し いられ、イギリスはこれら地域 ちいき を支配 しはい する行政 ぎょうせい 権 けん をも手中 しゅちゅう にした。この期間 きかん 、コルカタ の人口 じんこう が増加 ぞうか した事 こと と対照 たいしょう 的 てき に、この地区 ちく の都市 とし からは市民 しみん の流出 りゅうしゅつ が続 つづ いた[ 18] が、実質 じっしつ 的 てき な発展 はってん は続 つづ き、近代 きんだい 化 か も行 おこな われた。現代 げんだい 的 てき な都市 とし 給水 きゅうすい 網 もう は1874年 ねん に導入 どうにゅう され、電力 でんりょく 供給 きょうきゅう も1878年 ねん に始 はじ められた[ 19] [ 20] 。その一方 いっぽう 、ダッカ駐屯 ちゅうとん 地 ち (英語 えいご 版 ばん ) が都市 とし 近郊 きんこう に設 もう けられ、イギリスとベンガルの軍 ぐん が駐留 ちゅうりゅう することになった[ 15] 。
1905年 ねん のベンガル分割 ぶんかつ 令 れい が発布 はっぷ され、ダッカは新設 しんせつ された東 ひがし ベンガル、アッサム州 しゅう の首府 しゅふ とされたが、この法令 ほうれい は1911年 ねん に撤回 てっかい された[ 13] [ 14] [ 15] 。1947年 ねん 、インドが分離 ぶんり 独立 どくりつ すると、ダッカは東 ひがし パキスタン の首府 しゅふ となった。しかし、このインド分割 ぶんかつ に端 はし を発 はっ する住民 じゅうみん 間 あいだ の対立 たいりつ が激 はげ しくなり[ 15] 、ヒンドゥーの多 おお くがインドへ移住 いじゅう 、逆 ぎゃく にムスリムの流入 りゅうにゅう が増 ふ えた。ダッカは地方 ちほう 行政府 ぎょうせいふ であったため、政治 せいじ 的 てき な抗議 こうぎ 活動 かつどう や暴力 ぼうりょく 行為 こうい が頻発 ひんぱつ するようになった[ 15] 。さらに、パキスタンの公用 こうよう 語 ご をウルドゥー語 ご のみに統一 とういつ した事 こと がこれらに拍車 はくしゃ をかけ、ベンガル語 ご 運動 うんどう が沸 わ き起 お こった。この運動 うんどう では、パキスタン警察 けいさつ が平和 へいわ 的 てき なデモを行 おこな っていた学生 がくせい ら多数 たすう を殺害 さつがい する事件 じけん も起 お きた[ 21] 。この事件 じけん を記念 きねん するのがショヒド・ミナール で、事件 じけん が起 お きた2月 がつ 21日 にち は国際 こくさい 母語 ぼご デー となっている。1950年代 ねんだい から1960年代 ねんだい にかけて、ダッカは政治 せいじ 活動 かつどう の温床 おんしょう であり続 つづ け、ベンガル人 じん による自治 じち を要求 ようきゅう する運動 うんどう は高 たか まりを見 み せた[ 22] 。
バングラデシュ国会 こっかい 議事堂 ぎじどう
1970年 ねん 、大型 おおがた 台風 たいふう のボーラ・サイクロン がダッカ及 およ び周辺 しゅうへん を襲 おそ い、約 やく 50万 まん 人 にん が死亡 しぼう した[ 23] 。市域 しいき の半分 はんぶん が水没 すいぼつ し、数 すう 百 ひゃく 万 まん 人 にん が水 みず の被害 ひがい を受 う けた[ 24] 。中央 ちゅうおう 政府 せいふ の民族 みんぞく 差別 さべつ 的 てき かつ不充分 ふじゅうぶん な救援 きゅうえん は、民衆 みんしゅう に怒 いか りを沸 わ きたせ、1971年 ねん 3月7日 にち にはベンガル人 じん 政治 せいじ 家 か のムジブル・ラフマン が呼 よ びかけスフワルディー広場 ひろば (英語 えいご 版 ばん ) で民族 みんぞく 主義 しゅぎ の集会 しゅうかい が開 ひら かれた[ 15] [ 21] 。集会 しゅうかい には約 やく 100万 まん 人 にん が集 あつ まり、これが3月26日 にち に行 おこな われたバングラデシュ独立 どくりつ 宣言 せんげん に繋 つな がった[ 21] 。これに対 たい しパキスタン軍 ぐん は「サーチライト作戦 さくせん (英語 えいご 版 ばん ) 」を敢行 かんこう して対抗 たいこう し、何 なん 千 せん 人 にん もの逮捕 たいほ ・拷問 ごうもん そして殺害 さつがい を行 おこな った[ 25] 。争乱 そうらん は9ヶ月 かげつ に渡 わた る血 ち みどろの戦闘 せんとう に発展 はってん し、バングラデシュ‐インド連合 れんごう 軍 ぐん (Mitro Bahini ) の前 まえ にパキスタン軍 ぐん は降伏 ごうぶく し、バングラデシュ独立 どくりつ 戦争 せんそう が終戦 しゅうせん した[ 26] 。
ダッカは新生 しんせい 国家 こっか バングラデシュの首都 しゅと となり、国中 くになか の農村 のうそん 地域 ちいき から出稼 でかせ ぎ労働 ろうどう 者 しゃ を受 う け入 い れる形 かたち で急速 きゅうそく に人口 じんこう を増 ふ やし大 だい 規模 きぼ な都市 とし 拡張 かくちょう を見 み せた[ 27] 。これに伴 ともな い商業 しょうぎょう や産業 さんぎょう も発展 はってん し、インフラストラクチャーの整備 せいび にも着手 ちゃくしゅ され始 はじ めた[ 28] 。不動産 ふどうさん 取得 しゅとく がブームとなって市域 しいき が拡大 かくだい し、ウットラ (英語 えいご 版 ばん ) 地区 ちく 、モハマドプール (英語 えいご 版 ばん ) 地区 ちく 、ボシュンドラ、ミルプール (英語 えいご 版 ばん ) 、モティジール (英語 えいご 版 ばん ) などの地区 ちく が開発 かいはつ された[ 29] 。
一方 いっぽう 、このような人口 じんこう 増加 ぞうか は窃盗 せっとう など犯罪 はんざい 件数 けんすう の増加 ぞうか にも繋 つな がっている[ 1] 。生活 せいかつ 環境 かんきょう の改善 かいぜん も人口 じんこう の増加 ぞうか に追 お い付 つ かず、
2019年 ねん には北郊 ほっこう に存在 そんざい したスラム 街 まち で火事 かじ が発生 はっせい 。2000戸 こ が焼失 しょうしつ し、10000人 にん 以上 いじょう が焼 や け出 だ された[ 30] 。
2024年 ねん 7月 がつ 、市内 しない で学生 がくせい のデモと警官 けいかん 隊 たい が衝突 しょうとつ 、次第 しだい に規模 きぼ が大 おお きくなった。警察 けいさつ 発表 はっぴょう では、同月 どうげつ 19日 にち の数 すう 十 じゅう 万 まん 人 にん が参加 さんか したデモにおいて警官 けいかん 2人 にん が撲殺 ぼくさつ され、少 すく なくとも150人 にん の警官 けいかん が入院 にゅういん 、さらに150人 にん が応急 おうきゅう 処置 しょち を受 う けた。多数 たすう の交番 こうばん や多 おお くの政府 せいふ 庁舎 ちょうしゃ もデモ隊 たい により放火 ほうか 、破壊 はかい された。政府 せいふ は同月 どうげつ 20日 にち に夜間 やかん 外出 がいしゅつ 禁止 きんし 令 れい を発出 はっしゅつ した[ 31] 。
ダッカは、バングラデシュの中央 ちゅうおう 部 ぶ 北緯 ほくい 23度 ど 42分 ふん 0秒 びょう 東経 とうけい 90度 ど 22分 ふん 30秒 びょう / 北緯 ほくい 23.70000度 ど 東経 とうけい 90.37500度 ど / 23.70000; 90.37500 、ガンジス川 がわ ・ブラマプトラ川 がわ ・メグナ川 がわ が構成 こうせい するガンジスデルタ (英語 えいご 版 ばん ) のほぼ中央 ちゅうおう [ 32] 、下 しも 流域 りゅういき に当 あ たるブリゴンガ川 がわ (英語 えいご 版 ばん ) の東岸 とうがん に位置 いち する。面積 めんせき は153.84平方 へいほう キロメートル[ 33] 。地質 ちしつ は完 かん 新 しん 世 よ から鮮新世 よ 時代 じだい に堆積 たいせき された層 そう であり、海抜 かいばつ は2-12m程度 ていど と低 ひく く[ 32] 、雨季 うき の激 はげ しい降雨 こうう やサイクロンによってダッカはしばしば洪水 こうずい に見舞 みま われる運命 うんめい にある[ 34] 。
市 し は8つの主要 しゅよう な区 く (thana):ラールバーグ (英語 えいご 版 ばん ) 、コートワーリー (英語 えいご 版 ばん ) 、ストラプル (英語 えいご 版 ばん ) 、ラムナ (英語 えいご 版 ばん ) 、モティジール (英語 えいご 版 ばん ) 、パルタン (英語 えいご 版 ばん ) 、ダンモンディ (英語 えいご 版 ばん ) 、モハマドプル (英語 えいご 版 ばん ) 、テージガーオン (英語 えいご 版 ばん ) と、16の地区 ちく :グルシャン (英語 えいご 版 ばん ) 、ミルプール (英語 えいご 版 ばん ) 、パラビ (英語 えいご 版 ばん ) 、シャー・アリー、トゥラグ、サブジバーグ (英語 えいご 版 ばん ) 、カントンメント (英語 えいご 版 ばん ) 、デムラ (英語 えいご 版 ばん ) 、ハジャリバーグ (英語 えいご 版 ばん ) 、シャームプル (英語 えいご 版 ばん ) 、バッダ (英語 えいご 版 ばん ) 、カフルール (英語 えいご 版 ばん ) 、カムランギルチャール (英語 えいご 版 ばん ) 、キルガーオン (英語 えいご 版 ばん ) 、ウットラ (英語 えいご 版 ばん ) に分 わ けられる。市 し には総計 そうけい 130の小 お 区 く と725モッハラ (南 みなみ アジア等 とう で用 もち いられる町 まち 割 わ りの単位 たんい )がある[ 35] 。ダッカ都市 とし 圏 けん は1463平方 へいほう キロメートルの広 ひろ さがあり、ガーズィープル県 けん (英語 えいご 版 ばん ) 、タンガイル県 けん (英語 えいご 版 ばん ) 、ムンシガンジ県 けん (英語 えいご 版 ばん ) 、ラジバリ県 けん (英語 えいご 版 ばん ) 、ナラヤンガンジ県 けん (英語 えいご 版 ばん ) 、マニカガンジ県 けん (英語 えいご 版 ばん ) と接 せっ している[ 35] 。
ダッカの都市 とし 風景 ふうけい
ダッカは気温 きおん が高 たか く、降雨 こうう も頻繁 ひんぱん な多湿 たしつ の熱帯 ねったい 性 せい 気候 きこう であり、ケッペンの気候 きこう 区分 くぶん ではサバナ気候 きこう に該当 がいとう する。都市 とし にはモンスーン が通過 つうか し、年 とし 平均 へいきん 気温 きおん は25℃(77°F )、月 つき 平均 へいきん 気温 きおん は1月 がつ に18℃(64°F )、8月で29℃(84°F )となる[ 36] 。年間 ねんかん 降水 こうすい 量 りょう 1,854mmのうち80%は5月から9月 がつ の間 あいだ に記録 きろく される[ 36] 。交通 こうつう 渋滞 じゅうたい や産業 さんぎょう 廃棄 はいき 物 ぶつ などの影響 えいきょう で大気 たいき や水質 すいしつ の汚染 おせん が進 すす み、これらは健康 けんこう や居住 きょじゅう 環境 かんきょう 等 とう に悪影響 あくえいきょう を及 およ ぼす深刻 しんこく な問題 もんだい となりつつある[ 37] 。周辺 しゅうへん の沼沢 しょうたく 地 ち や湿地 しっち などは、多 た 階層 かいそう ビルなど不動産 ふどうさん 開発 かいはつ によって破壊 はかい に直面 ちょくめん しており、このような自然 しぜん の生息 せいそく 地 ち が破壊 はかい される現状 げんじょう は環境 かんきょう 汚染 おせん と相 あい まって、生物 せいぶつ の生存 せいぞん 多様 たよう 性 せい を著 いちじる しく脅 おど かしている[ 38] 。
ダッカの気候 きこう
月 つき
1月 がつ
2月 がつ
3月 がつ
4月 がつ
5月
6月 がつ
7月 がつ
8月 がつ
9月
10月
11月
12月
年 とし
最高 さいこう 気温 きおん 記録 きろく °C (°F )
31.1 (88)
34.4 (93.9)
40.6 (105.1)
42.2 (108)
41.1 (106)
36.7 (98.1)
35.0 (95)
36.1 (97)
36.7 (98.1)
37.2 (99)
34.4 (93.9)
30.6 (87.1)
42.2 (108)
平均 へいきん 最高 さいこう 気温 きおん °C (°F )
25.4 (77.7)
28.1 (82.6)
32.5 (90.5)
33.7 (92.7)
32.9 (91.2)
32.1 (89.8)
31.4 (88.5)
31.6 (88.9)
31.6 (88.9)
31.6 (88.9)
29.6 (85.3)
26.4 (79.5)
30.6 (87.1)
日 にち 平均 へいきん 気温 きおん °C (°F )
19.1 (66.4)
21.8 (71.2)
26.5 (79.7)
28.7 (83.7)
28.7 (83.7)
29.1 (84.4)
28.8 (83.8)
29.0 (84.2)
28.8 (83.8)
27.7 (81.9)
24.4 (75.9)
20.3 (68.5)
26.1 (79)
平均 へいきん 最低 さいてい 気温 きおん °C (°F )
12.7 (54.9)
15.5 (59.9)
20.4 (68.7)
23.6 (74.5)
24.5 (76.1)
26.1 (79)
26.2 (79.2)
26.3 (79.3)
25.9 (78.6)
23.8 (74.8)
19.2 (66.6)
14.1 (57.4)
21.5 (70.7)
最低 さいてい 気温 きおん 記録 きろく °C (°F )
6.1 (43)
6.7 (44.1)
10.6 (51.1)
16.7 (62.1)
14.4 (57.9)
19.4 (66.9)
21.1 (70)
21.7 (71.1)
21.1 (70)
17.2 (63)
11.1 (52)
7.2 (45)
6.1 (43)
降水 こうすい 量 りょう mm (inch)
7.7 (0.303)
28.9 (1.138)
65.8 (2.591)
156.3 (6.154)
339.4 (13.362)
340.4 (13.402)
373.1 (14.689)
316.5 (12.461)
300.4 (11.827)
172.3 (6.783)
34.4 (1.354)
12.8 (0.504)
2,148 (84.567)
平均 へいきん 降水 こうすい 日数 にっすう (≥0.1 mm)
1
1
3
6
11
16
12
16
12
7
1
0
86
% 湿度 しつど
46
37
38
42
59
72
72
74
71
65
53
50
57
平均 へいきん 月間 げっかん 日照 ひでり 時間 じかん
279
226
217
180
155
90
62
62
90
186
240
279
2,066
出典 しゅってん 1:Weatherbase (normals, 30 yr period)[ 39]
出典 しゅってん 2:Sistema de Clasificación Bioclimática Mundial (extremes),[ 40] BBC Weather (humidity and sun)[ 41]
ダッカの自治 じち は1864年 ねん 8月 がつ 1日 にち から始 はじ まり、1978年 ねん には都市 とし 自治体 じちたい に昇格 しょうかく された[ 42] 。2011年 ねん には行政 ぎょうせい サービス向上 こうじょう のため、市役所 しやくしょ が南北 なんぼく に分割 ぶんかつ され、市長 しちょう も南北 なんぼく それぞれに置 お かれることとなった[ 43] 。市長 しちょう 職 しょく は民選 みんせん で、任期 にんき は5年 ねん である。ダッカ教育 きょういく 委員 いいん 会 かい (英語 えいご 版 ばん ) は公立 こうりつ 学校 がっこう と、イギリス系 けい 学校 がっこう やマドラサ を除 のぞ くほとんどの私立 しりつ 学校 がっこう を管掌 かんしょう する[ 44] [ 45] 。イギリス系 けい 学校 がっこう は独立 どくりつ した組織 そしき であるのに対 たい し、バングラデシュのマドラサはすべて中央 ちゅうおう 委員 いいん 会 かい が管轄 かんかつ している[ 46] 。
ダッカ市警 しけい (英語 えいご 版 ばん ) (DMP) は1976年 ねん に設立 せつりつ され、12の警察 けいさつ 署 しょ に6,000の人員 じんいん を配置 はいち した[ 47] 。その後 ご 都市 とし の急速 きゅうそく な膨張 ぼうちょう に対応 たいおう し、警察 けいさつ 署 しょ は33箇所 かしょ 、人員 じんいん は23,000人 にん まで拡張 かくちょう され、さらに18の警察 けいさつ 署 しょ 新設 しんせつ に取 と り掛 か かっている。
ダッカ市 し の選挙 せんきょ 区 く からは10名 めい の国会 こっかい 議員 ぎいん が選出 せんしゅつ され、アワミ連盟 れんめい とバングラデシュ民族 みんぞく 主義 しゅぎ 党 とう が二 に 大 だい 政党 せいとう の位置 いち を占 し める。ラムナ区 く には行政 ぎょうせい 事務 じむ 局 きょく があり、政府 せいふ 省庁 しょうちょう のほとんどがここに集 あつ まっている。バングラデシュ最高裁判所 さいこうさいばんしょ とダッカ高等 こうとう 裁判所 さいばんしょ (英語 えいご 版 ばん ) も市内 しない にある。大統領 だいとうりょう 宮殿 きゅうでん (英語 えいご 版 ばん ) (Bangabhaban) はインド総督 そうとく の公邸 こうてい として建 た てられ東 ひがし パキスタンの知事 ちじ も利用 りよう したが、現在 げんざい はバングラデシュ大統領 だいとうりょう が使用 しよう している[ 48] 。バングラデシュ国会 こっかい 議事堂 ぎじどう は建築 けんちく 家 か ルイス・I・カーン の設計 せっけい [ 21] で、一院制 いちいんせい の国会 こっかい が開催 かいさい される。バイトゥル・ムカッラム (英語 えいご 版 ばん ) は、メッカ のカアバ を模 も して建設 けんせつ された国立 こくりつ のモスク である[ 49] 。歴史 れきし 的 てき 建造 けんぞう 物 ぶつ としては、バラ・カトラ宮殿 きゅうでん (英語 えいご 版 ばん ) 、ラールバーグ・フォート (英語 えいご 版 ばん ) 、フスアニ・ダラン (英語 えいご 版 ばん ) 、アッシャン・モンジル (英語 えいご 版 ばん ) などがある[ 50] 。
交通 こうつう 渋滞 じゅうたい や人口 じんこう 増加 ぞうか へ対応 たいおう し、中央 ちゅうおう 政府 せいふ は周辺 しゅうへん 部 ぶ の都市 とし 化 か とダッカ市 し 域外 いきがい に工場 こうじょう やビルを建設 けんせつ する場合 ばあい に10年間 ねんかん の所得 しょとく 税 ぜい 免 めん 減 げん 制度 せいど を導入 どうにゅう した[ 51] 。チッタゴン とは違 ちが いダッカには下水道 げすいどう が敷設 ふせつ されているが、その恩恵 おんけい を受 う けるのは人口 じんこう の25%に止 と まり、30%は浄化槽 じょうかそう を利用 りよう している[ 52] 。上水道 じょうすいどう は市内 しない 住居 じゅうきょ の2/3にしか普及 ふきゅう していない。固形 こけい 廃棄 はいき 物 ぶつ は年間 ねんかん 970万 まん トン発生 はっせい する。個人 こじん および行政 ぎょうせい によって都市 とし 部 ぶ における収集 しゅうしゅう 体制 たいせい は確立 かくりつ し、集 あつ められたごみは低地 ていち や沼沢 しょうたく 地 ち に埋 う め立 た てられている[ 37] [ 52] 。
カルワン・バザール (英語 えいご 版 ばん ) 。ダッカにある主要 しゅよう ビジネスセンターのひとつ。
ダッカはバングラデシュの商業 しょうぎょう の中心 ちゅうしん 地 ち である[ 53] 。そこでは現代 げんだい 的 てき な消費 しょうひ 財 ざい や高級 こうきゅう 品 ひん を取扱 とりあつか う市場 いちば を担 にな う中産 ちゅうさん 階級 かいきゅう の人口 じんこう が増 ふ えている[ 14] [ 54] 。 歴史 れきし 的 てき に、ダッカには地方 ちほう から多 おお くの出稼 でかせ ぎ者 しゃ が集 あつ まり[ 55] 、行商 ぎょうしょう や露天商 ろてんしょう 、小規模 しょうきぼ の商店 しょうてん 、ホーカーセンター 、人力車 じんりきしゃ 業 ごう 、または雇 やと われ人 じん として働 はたら いた[ 55] [ 56] 。特 とく に人力車 じんりきしゃ には約 やく 40万 まん 人 にん が就業 しゅうぎょう した頃 ころ もあった[ 57] 。人口 じんこう の半分 はんぶん は家政 かせい 婦 ふ や民間 みんかん 企業 きぎょう で働 はたら き、そのうち約 やく 80万 まん 人 にん は繊維 せんい 工業 こうぎょう 関連 かんれん に従事 じゅうじ している。しかし失業 しつぎょう 率 りつ は23%と高 たか い状態 じょうたい にある[ 58] 。2008年 ねん のダッカ市 し 総 そう 生産 せいさん (GMP) は780億 おく ドルであり[ 59] 、年間 ねんかん の成長 せいちょう 率 りつ は6.2%となった。GMPは2025年 ねん までに2150億 おく ドルまで成長 せいちょう すると予想 よそう される[ 59] 。一人 ひとり あたり平均 へいきん 所得 しょとく は500ドルと見積 みつ もられる。48%の家計 かけい が貧困 ひんこん 線 せん を下回 したまわ っており[ 60] 、このうちの大 おお きな割合 わりあい を職 しょく を求 もと めて農村 のうそん 部 ぶ から移 うつ り住 す んだ家族 かぞく が占 し め[ 54] 、彼 かれ らは1日 にち の支出 ししゅつ が10ドル未満 みまん の生活 せいかつ を送 おく っている[ 61] 。
ダッカの商業 しょうぎょう 的中 てきちゅう 心地 ごこち は、モティジール (英語 えいご 版 ばん ) 、ニューマーケット (英語 えいご 版 ばん ) 、グルシャン (英語 えいご 版 ばん ) 、ファームゲート (英語 えいご 版 ばん ) などがあり、主要 しゅよう 工業 こうぎょう 地帯 ちたい ではテズガオン (英語 えいご 版 ばん ) やハザーリーバーグ (英語 えいご 版 ばん ) がある[ 62] 。ボシュンドラ-バリダラは、5年間 ねんかん を目処 めど に高度 こうど 技術 ぎじゅつ 産業 さんぎょう や企業 きぎょう および大型 おおがた ショッピングモールなどの建設 けんせつ を含 ふく む経済 けいざい 開発 かいはつ 地区 ちく である[ 54] 。ダッカには2箇所 かしょ の自由 じゆう 貿易 ぼうえき 地域 ちいき が設定 せってい されており、衣類 いるい や織物 おりもの などの製品 せいひん 輸出 ゆしゅつ が奨励 しょうれい されている。そこには413の企業 きぎょう が進出 しんしゅつ しているが、雇用 こよう はほとんどが女性 じょせい を対象 たいしょう としている[ 63] 。市内 しない にはダッカ證券 しょうけん 取引 とりひき 所 しょ (英語 えいご 版 ばん ) があり、多 おお くの多 た 国籍 こくせき 企業 きぎょう が軒 のき を連 つら ねている。またバングラデシュの財閥 ざいばつ も事務所 じむしょ を構 かま える。主 おも な財閥 ざいばつ はBeximco Group 、Summit Group 、Navana Group 、Zaman Group of Industries 、Rahimafrooz がある。さらにマイクロクレジット を創始 そうし し、ノーベル平和 へいわ 賞 しょう を受賞 じゅしょう したグラミン銀行 ぎんこう もダッカに拠点 きょてん を置 お いている[ 64] 。NGOのBRAC もダッカが本拠 ほんきょ になる[ 65] 。都市 とし 開発 かいはつ によって大幅 おおはば な建築 けんちく ブームが起 お き、新 あたら しい高層 こうそう ビルや超 ちょう 高層 こうそう 建築 けんちく 物 ぶつ は都市 とし の景観 けいかん を大 おお きく変貌 へんぼう させている[ 54] 。金融 きんゆう 業 ぎょう 、銀行 ぎんこう 、製造 せいぞう 業 ぎょう 、電気 でんき 通信 つうしん 業 ごう やサービス業 ぎょう が大 おお きく伸 の び、観光 かんこう 業 ぎょう やホテル またレストラン のダッカ経済 けいざい の重要 じゅうよう な要素 ようそ となっている[ 55] 。
1972年 ねん から2001年 ねん までのダッカの都市 とし 発達 はったつ 状 じょう 況 きょう を表 あらわ した動画 どうが 。これはインドを撮影 さつえい したTerra-MODIS 30kmの画像 がぞう のうち、バングラデシュ部分 ぶぶん をTerra-MODIS 1km相当 そうとう まで拡大 かくだい し、Landsat-1-MSSのダッカ1972年 ねん 12月28日 にち 画像 がぞう に重 かさ ね合 あ わせている。ダッカ市街 しがい が現在 げんざい の姿 すがた まで拡大 かくだい する時期 じき は1989年 ねん 2月 がつ 13日 にち Landsat-5-TMの画像 がぞう で確認 かくにん でき、さらに続 つづ けて2001年 ねん 1月 がつ 29日 にち Landsat-7-ETM+画像 がぞう までが表示 ひょうじ される[ 66] 。
ダッカ市 し 当局 とうきょく が管轄 かんかつ する領域 りょういき では、その人口 じんこう は約 やく 700万 まん 人 にん である。より広範 こうはん な都市 とし 圏 けん までを対象 たいしょう とすると、2008年 ねん 現在 げんざい の人口 じんこう は1,280万 まん 人 にん となる[ 2] 。人口 じんこう 成長 せいちょう 率 りつ は4.2%となり、アジアの中 なか でも高 たか い数値 すうち を示 しめ す都市 とし のひとつである[ 55] 。この人口 じんこう 増加 ぞうか は農村 のうそん 部 ぶ から都市 とし への流入 りゅうにゅう が主体 しゅたい であり1960年代 ねんだい から70年代 ねんだい までは増分 ぞうぶん の60%を占 し めた。近年 きんねん は都市 とし 圏 けん の面積 めんせき 拡大 かくだい も要因 よういん となり、1980年代 ねんだい までのこのために100万 まん 人 にん が増加 ぞうか している[ 55] 。ファーイースタン・エコノミック・レビューによると、ダッカの人口 じんこう は2025年 ねん までに2,500万 まん 人 にん に到達 とうたつ すると予測 よそく される[ 67] 。
その後 ご 、2050年 ねん には世界 せかい 3位 い の3519万 まん 人 にん 、2075年 ねん に4245万 まん 人 にん 、2100年 ねん の人口 じんこう 予測 よそく では5425万 まん 人 にん を数 かぞ える世界 せかい 8位 い の超 ちょう 巨 きょ 大都市 だいとし となる予測 よそく が出 で ている[ 68] 。
識字 しきじ 率 りつ は62.3%と見積 みつ もられる[ 35] 。都市 とし にはバングラデシュ中 ちゅう のあらゆる民族 みんぞく が居住 きょじゅう している。旧 きゅう 市街 しがい には「Dhakaia」と呼 よ ばれる長年 ながねん 同地 どうち に住 す む集団 しゅうだん がおり、特有 とくゆう の習慣 しゅうかん と方言 ほうげん を維持 いじ している。1万 まん 5千 せん から2万 まん 人 にん 程度 ていど の規模 きぼ で、ロヒンギャ 族 ぞく 、サンタル族 ぞく (英語 えいご 版 ばん ) 、ガロ族 ぞく 、チャクマ族 ぞく (英語 えいご 版 ばん ) 、メンディ族 ぞく の人々 ひとびと が市内 しない には住 す んでいる[ 69] 。中国 ちゅうごく 系 けい の人口 じんこう も多 おお く、また企業 きぎょう の管理 かんり 職 しょく としてインド 人 ひと や韓国 かんこく 人 ひと も居住 きょじゅう している。
ほとんどすべてのダッカ居住 きょじゅう 者 しゃ は国語 こくご であるベンガル語 ご を話 はな し、一部 いちぶ の区域 くいき ではベンガル語 ご の方言 ほうげん に当 あ たるチッタゴン語 ご やシレット語 ご も見 み られる。英語 えいご を話 はな す者 もの も多 おお く、それは特 とく にビジネス用 よう として習得 しゅうとく された。
ダッカの宗教 しゅうきょう はイスラム教 いすらむきょう が支配 しはい 的 てき であり、スンナ派 は が主流 しゅりゅう を占 し める。しかし少数 しょうすう ながらシーア派 は やアフマディーヤ の人々 ひとびと も増加 ぞうか 傾向 けいこう にある。ヒンドゥー教 きょう 徒 と が2番目 ばんめ に多 おお く仏教 ぶっきょう やキリスト教 きりすときょう は少数 しょうすう 派 は である。
星 ほし 型 がた の飾 かざ りで知 し られるスター・モスク (英語 えいご 版 ばん ) (タラ・マスジド)
バングラデシュの中 なか で最 もっと も人口 じんこう が多 おお い都市 とし として、ダッカは多様 たよう な文化 ぶんか 的 てき 生活 せいかつ の場 ば となっている。祝日 しゅくじつ である独立記念日 どくりつきねんび (英語 えいご 版 ばん ) (3月 がつ 26日 にち )、国際 こくさい 母国 ぼこく 語 ご の日 ひ (英語 えいご 版 ばん ) (2月 がつ 21日 にち )、戦勝 せんしょう 記念 きねん 日 び (英語 えいご 版 ばん ) (12月16日 にち )には、市内 しない 中 ちゅう で様々 さまざま な催 もよお しが行 おこな われる。ダッカの人々 ひとびと はシャヒド・ミナール やナショナル・モニュメント(戦没 せんぼつ 者 しゃ 慰霊 いれい 塔 とう (英語 えいご 版 ばん ) )で解放 かいほう 戦争 せんそう の国民 こくみん 的 てき 英雄 えいゆう を偲 しの ぶために集 あつ まり、数々 かずかず の催 もよお し物 もの が併催 へいさい される。学校 がっこう や大学 だいがく でも催 もよお しやフェスティバル、コンサートなどが開 ひら かれ、階層 かいそう に関 かか わり無 な く多 おお くの市民 しみん が参加 さんか する[ 70] 。
新年 しんねん の祝 いわ いポヘラ・ボイシャク (英語 えいご 版 ばん )
ドケッショリ寺院 じいん (英語 えいご 版 ばん ) のドゥルガー・プジャ祭 まつ り[ 71] 。
毎年 まいとし 4月 がつ 14日 にち の「ポヘラ・ボイシャク (英語 えいご 版 ばん ) 」はベンガルの正月 しょうがつ であり、街 まち 中 ちゅう でおいが行 おこな われる[ 70] 。女性 じょせい は民族 みんぞく 衣装 いしょう のサリー やサルワール・カミーズ を[ 1] 、男性 だんせい は西洋 せいよう 風 ふう の格好 かっこう や伝統 でんとう 的 てき なルンギー を身 み に纏 まと い、Shahbag 通 とお りやラムナ・パーク (英語 えいご 版 ばん ) 、またはダッカ大学 だいがく の構内 こうない などに集 あつ まって、新年 しんねん を祝 いわ う。このような熱気 ねっき は、ムスリムのイード・アル=フィトル やイード・アル=アドハー 、ヒンドゥーのドゥルガー・プージャ (英語 えいご 版 ばん ) といったお祭 まつ りでも市内 しない 中 ちゅう で見 み られる光景 こうけい である[ 14] 。
長 なが い間 あいだ 、ダッカと言 い えばさまざまな品 しな を売 う る道端 みちばた の露天商 ろてんしょう や小規模 しょうきぼ の店舗 てんぽ が連想 れんそう された[ 72] 。近年 きんねん は、富裕 ふゆう 層 そう や拡大 かくだい する中 なか 間 あいだ 階層 かいそう を相手 あいて にするショッピング・モールやシネマコンプレックス 、ホテルやレストランなどの出店 しゅってん が目立 めだ つ[ 73] 。料理 りょうり の系統 けいとう では、インド料理 りょうり や南 みなみ アジア料理 りょうり (英語 えいご 版 ばん ) に加 くわ え、ヨーロッパ料理 りょうり や中華 ちゅうか 料理 りょうり などのレストランや食堂 しょくどう も立 た ち並 なら び[ 54] 、さらに多 た 国籍 こくせき の料理 りょうり やファーストフードなども街 まち 中 ちゅう では馴染 なじ み深 ふか いものになっている[ 1] 。その一方 いっぽう でダッカ特有 とくゆう の料理 りょうり であるGlasseyやビリヤニ (Hajir Biriani, Fakhruddin Biriani)、ママ・ハリム(Mama Halim)やBorhani等 とう も根強 ねづよ い人気 にんき を誇 ほこ り、観光 かんこう 客 きゃく にも振舞 ふるま われる。ダッカ伝統 でんとう の軽食 けいしょく にDhakai Bakarkhani があり、それはムガル帝国 ていこく 時代 じだい のデリー の王室 おうしつ で称賛 しょうさん された良質 りょうしつ で美味 おい しい料理 りょうり として知 し られる[ 74] 。
ポップミュージック やロックバンド の知名度 ちめいど も急上昇 きゅうじょうしょう しているが、伝統 でんとう 的 てき な音楽 おんがく (英語 えいご 版 ばん ) の人気 にんき も根強 ねづよ い[ 75] 。国民 こくみん 的 てき な詩人 しじん カジ・ノズルル・イスラム や作家 さっか ラビンドラナート・タゴール も高 たか い知名度 ちめいど を誇 ほこ る[ 76] 。市内 しない のベイリー・ロード (Baily Road) 一帯 いったい は「Natak Para」(Theater Neighborhood、劇場 げきじょう 街 がい )と呼 よ ばれ、映画 えいが 館 かん が集 あつ まり[ 77] 、ここでは西欧 せいおう やインドの映画 えいが や音楽 おんがく が人気 にんき である[ 78] 。
「Natak Para」周辺 しゅうへん はまた、古 ふる くからの伝統 でんとう 的 てき なベンガルのサリーを製造 せいぞう 販売 はんばい する小 ちい さな手工 しゅこう 芸 げい の店 みせ が軒 のき を連 つら ね、ジャムダニ (英語 えいご 版 ばん ) 復興 ふっこう の地 ち としても知 し られる。ペルシアやムガル朝 あさ に起源 きげん があるジャムダニはすべて家内 かない 製 せい 工業 こうぎょう の手作業 てさぎょう で織 お られ、伝統 でんとう 的 てき な高 たか い品質 ひんしつ を誇 ほこ るが、中 ちゅう 程度 ていど の長 なが さを仕上 しあ げるために3ヶ月 かげつ を要 よう するなど生産 せいさん に時間 じかん がかかることから少 すこ しずつ衰退 すいたい しつつある[ 79] 。
バングラデシュ国営 こくえい 放送 ほうそう 局 きょく (英語 えいご 版 ばん ) は国中 くになか で受信 じゅしん できるラジオの第 だい 一 いち 放送 ほうそう 局 きょく であり、ベンガル語 ご と英語 えいご で多様 たよう な番組 ばんぐみ を放送 ほうそう する。近年 きんねん は特 とく にFM放送 ほうそう で民営 みんえい の放送 ほうそう が行 おこな われるようになった。テレビ放送 ほうそう ではバングラデシュ・テレビジョン (英語 えいご 版 ばん ) が国内 こくない を網羅 もうら し、こちらもベンガル語 ご と英語 えいご が使 つか われる。ケーブルテレビや衛星 えいせい 放送 ほうそう も、Ekushey Television 、Channel I 、ATN Bangla 、RTV 、NTV やスター などが視聴 しちょう されている。バングラデシュの出版 しゅっぱん 社 しゃ はほとんどが本社 ほんしゃ をダッカに置 お いており、ベンガル語 ご の日刊 にっかん 紙 し ではプロトム・アロProthom Alo とザ・デイリー・イッテファク (英語 えいご 版 ばん ) が刊行 かんこう 物 ぶつ の中 なか ではよく知 し られている。英語 えいご 版 ばん での日刊 にっかん 紙 し では、ザ・デイリー・スター (英語 えいご 版 ばん ) とザ・インディペンデント (英語 えいご 版 ばん ) が多 おお く読 よ まれている[ 80] 。
電話 でんわ 回線 かいせん は急速 きゅうそく な需要 じゅよう 増 ぞう に対応 たいおう できず、また故障 こしょう も多 おお い[ 1] 。携帯 けいたい 電話 でんわ も人気 にんき だが料金 りょうきん が高 たか いこともあり[ 1] 普及 ふきゅう 率 りつ は低 ひく く、個人 こじん 所有 しょゆう の電話 でんわ 回線 かいせん のうち占有 せんゆう 率 りつ は10%未満 みまん に止 と まる[ 55] 。
ダッカにはリキシャがあふれる
ダッカおよびその都市 とし 圏 けん では、その交通 こうつう 手段 しゅだん は道路 どうろ 利用 りよう である[ 32] 。自転車 じてんしゃ タクシー や三 さん 輪 りん タクシー (ベビータクシー)等 とう が都市 とし の主要 しゅよう な移動 いどう 方法 ほうほう であり[ 1] 、これらを合 あ わせたリキシャの数 すう 1日 にち 当 あ たり40万 まん 台 だい は、世界 せかい 最多 さいた を誇 ほこ った[ 54] [ 56] 。ただし、政府 せいふ の承認 しょうにん を得 え たリキシャは8万 まん 5千 せん 台 だい に止 と まり、多 おお くは無 む 許可 きょか 営業 えいぎょう である[ 55] [ 81] 。費用 ひよう が安 やす く公害 こうがい も発生 はっせい させないこれらリキシャは、しかし深刻 しんこく な交通 こうつう 渋滞 じゅうたい を引 ひ き起 お こす[ 32] 元凶 げんきょう と見 み なされ、市内 しない には立 た ち入 い りを制限 せいげん している区域 くいき もある[ 1] 。バスの運行 うんこう は国営 こくえい のバングラデシュ道路 どうろ 交通 こうつう 公社 こうしゃ (英語 えいご 版 ばん ) (BRTC) と民営 みんえい の会社 かいしゃ とがある。スクーター やタクシー 、自家用車 じかようしゃ などは中産 ちゅうさん 階級 かいきゅう を中心 ちゅうしん に一般 いっぱん 化 か しつつある。深刻 しんこく な大気 たいき 汚染 おせん [ 32] もあり、政府 せいふ は圧縮 あっしゅく 天然 てんねん ガス(英語 えいご 版 ばん ) で駆動 くどう する2サイクルエンジンを搭載 とうさい した「グリーンタクシー」の試験 しけん 導入 どうにゅう に踏 ふ み切 き っている[ 82] 。
船着場 ふなつきば
ダッカ市内 しない の舗装 ほそう 道路 どうろ は総 そう 延長 えんちょう 1,868kmであり[ 83] 、これらは高速 こうそく 道路 どうろ や鉄道 てつどう とリンクして国 くに 中 ちゅう の他 ほか の地域 ちいき と接続 せつぞく している。コルカタ やアガルタラ とは、BRTCが運行 うんこう する定期 ていき 高速 こうそく バスがある[ 84] 。
ブリゴンガ川 がわ の船着場 ふなつきば には多数 たすう の大型 おおがた 汽船 きせん が集結 しゅうけつ し、内陸 ないりく 地方 ちほう 都市 とし や外海 がいかい のチッタゴンへ貨客を輸送 ゆそう する。
コムラプール駅 えき (英語 えいご 版 ばん ) 、エアポート駅 えき およびカントンメント駅 えき は、バングラデシュ鉄道 てつどう が網羅 もうら する周辺 しゅうへん および国 くに 中 ちゅう を繋 つな ぐ鉄道 てつどう の主要 しゅよう 駅 えき である[ 85] 。バングラデシュ鉄道 てつどう はコルタカとの間 あいだ で定期 ていき 列車 れっしゃ の運行 うんこう もおこない、また両 りょう 都市 とし は国際 こくさい 列車 れっしゃ (マイトリー・エクスプレス (英語 えいご 版 ばん ) :友情 ゆうじょう 急行 きゅうこう )[ 86] でも繋 つな がっている。ブリガンガ川岸 かわぎし にあるショドル・ガット港 こう (英語 えいご 版 ばん ) [ 1] は川 かわ を遡上 そじょう したり他 た の港 みなと へ向 む かう旅客 りょかく や物資 ぶっし の基点 きてん となっている[ 87] 。航空 こうくう では、国内 こくない のチッタゴン 、シレット 、コックスバザール 、ジョソール県 けん 、ボリシャル 、サイドプル (英語 えいご 版 ばん ) や、国外 こくがい の空港 くうこう と結 むす ばれ、シャージャラル国際 こくさい 空港 くうこう [ 88] はバングラデシュで規模 きぼ 及 およ び発着 はっちゃく 数 すう で一 いち 位 い にあり[ 89] 、バングラデシュの国内外 こくないがい 航空機 こうくうき 発着 はっちゃく 数 すう の約 やく 52%を担 にな う。
高速 こうそく バスや軌道 きどう 交通 こうつう の整備 せいび が計画 けいかく されており、2004年 ねん から2024年 ねん までの期間 きかん を対象 たいしょう としたUrban Transportation Policyが策定 さくてい され、立案 りつあん されたダッカ都市 とし 交通 こうつう 戦略 せんりゃく 計画 けいかく (STP)では自動車 じどうしゃ 交通 こうつう の鉄道 てつどう 転換 てんかん を通 つう じて、渋滞 じゅうたい や大気 たいき 汚染 おせん または温室 おんしつ ガス排出 はいしゅつ 削減 さくげん などの効果 こうか を狙 ねら っている[ 32] 。2016年 ねん にはダッカメトロ の建設 けんせつ が開始 かいし され、2022年 ねん に6号線 ごうせん が部分 ぶぶん 開業 かいぎょう した[ 90] 。
ダッカ大学 だいがく のカールゾン・ホール (英語 えいご 版 ばん ) 。ベンガル解放 かいほう 闘争 とうそう (英語 えいご 版 ばん ) 当時 とうじ 、大学 だいがく は若者 わかもの や知識 ちしき 層 そう の政治 せいじ 活動 かつどう を支 ささ える中心 ちゅうしん 的 てき 役割 やくわり を果 は たした。
ダッカには多 おお くの学校 がっこう 、大学 だいがく などが集中 しゅうちゅう している。学校 がっこう 教育 きょういく は旧 きゅう 宗主 そうしゅ 国 こく のイギリス式 しき にあたる[ 1] 4段階 だんかい で行 おこな われ、小学校 しょうがっこう (5学年 がくねん )、中学校 ちゅうがっこう (5学年 がくねん )、高等 こうとう 学校 がっこう (2学年 がくねん )、大学 だいがく がある[ 91] [ 92] 。中学校 ちゅうがっこう 終了 しゅうりょう 後 ご にSecondary School Certificate (SSC)、高校 こうこう 終了 しゅうりょう 後 ご にHigh School Certificate (HSC) という試験 しけん があり、その後 ご の進路 しんろ が決 き まる[ 91] [ 92] 。教育 きょういく は主 おも にベンガル語 ご で行 おこな われるが、英語 えいご も一般 いっぱん に使 つか われる。イスラム教徒 きょうと のほとんどは宗教 しゅうきょう 的 てき 理由 りゆう のために、定時 ていじ 制 せい や場合 ばあい によっては全 ぜん 科目 かもく を宗教 しゅうきょう 学校 がっこう で子供 こども たちに履修 りしゅう させる場合 ばあい もあり、ここではベンガル語 ご とアラビア語 ご が用 もち いられる[ 91] 。
ノボシアター(プラネタリウム ) [ 93]
ダッカには53の大学 だいがく がある。ダッカ・カレッジ (英語 えいご 版 ばん ) はイギリス領 りょう インド帝国 ていこく 時代 じだい の1840年 ねん に設立 せつりつ された、最 もっと も古 ふる い高等 こうとう 教育 きょういく 機関 きかん である。独立 どくりつ 後 ご 、ダッカには多 おお くの公立 こうりつ ・私立 しりつ 大学 だいがく が設立 せつりつ され、学士 がくし ・修士 しゅうし から博士 はかせ 課程 かてい までさまざまな教育 きょういく が行 おこな われるようになった[ 94] 。その中 なか でも最大 さいだい 規模 きぼ を誇 ほこ る[ 95] ダッカ大学 だいがく は3万 まん 人 にん の学生 がくせい と1,300人 にん の教職 きょうしょく 陣 じん を抱 かか える公立大 こうりつだい 学 がく であり、18の研究所 けんきゅうじょ に70の学部 がくぶ ・学科 がっか ・研究所 けんきゅうじょ がある[ 96] 。著名 ちょめい な高等 こうとう 教育 きょういく 機関 きかん としては、ジャハンギルナガル大学 だいがく (英語 えいご 版 ばん ) とバングラデシュ工科 こうか 大学 だいがく (英語 えいご 版 ばん ) (BUET) も知 し られる。医学 いがく 系 けい 教育 きょういく 機関 きかん ではダッカ医科 いか 大学 だいがく (英語 えいご 版 ばん ) とソリムッラー医科 いか 大学 だいがく (英語 えいご 版 ばん ) がよく知 し られている[ 97] 。ダッカの各 かく 大学 だいがく 構内 こうない はしばしば政治 せいじ 的 てき 対立 たいりつ を生 う む場所 ばしょ ともなり[ 98] 、抗議 こうぎ 活動 かつどう や抗 こう 争 そう 、警察 けいさつ による武力 ぶりょく 介入 かいにゅう 、学生 がくせい や政治 せいじ 結社 けっしゃ による混乱 こんらん などがもたらされる場合 ばあい もある[ 99] [ 100] 。
郵便 ゆうびん 事業 じぎょう
バングラデシュの郵便 ゆうびん はバングラデシュ郵便 ゆうびん 局 きょく (英語 えいご 版 ばん ) が国 くに 中 ちゅう を管轄 かんかつ する公式 こうしき な運営 うんえい 体 たい であり、経営 けいえい はダッカから行 おこな われている[ 101] 。
新聞 しんぶん や刊行 かんこう 物 ぶつ
ダッカはバングラデシュの主要 しゅよう 新聞 しんぶん や出版 しゅっぱん 社 しゃ が拠点 きょてん を置 お いている[ 102] 。新聞 しんぶん は広 ひろ く読 よ まれ、その中 なか にはデイリー・イッティファク (英語 えいご 版 ばん ) 、デイリー・アザド (英語 えいご 版 ばん ) 、Manabzamin 、デイリー・ジャナカンタ (英語 えいご 版 ばん ) のような国内 こくない でも古 ふる くから発行 はっこう されたものもある[ 103] 。他 た にデイリー・プロトム・アロ (英語 えいご 版 ばん ) も読 よ まれるが、第 だい 3位 い のAmar Desh 紙 かみ は2010年 ねん 6月 がつ に政府 せいふ の命令 めいれい で閉鎖 へいさ された[ 104] 。英語 えいご 新聞 しんぶん ではザ・デイリー・スター (英語 えいご 版 ばん ) [ 105] 、ザ・インディペンデント (英語 えいご 版 ばん ) などがある。週刊 しゅうかん 新聞 しんぶん や雑誌 ざっし ではウィークリーホリディ (英語 えいご 版 ばん ) やザ・スター (英語 えいご 版 ばん ) などがあり、他 ほか にもフォーラム (英語 えいご 版 ばん ) やアイス・トゥデイ (英語 えいご 版 ばん ) などが有名 ゆうめい である。
通信 つうしん 社 しゃ
バングラデシュの国家 こっか 通信 つうしん 組織 そしき は、国営 こくえい バングラデシュ通信 つうしん (Bangladesh Sangbad Sangstha, BSS)[ 106] が担 にな っており、政治 せいじ や外交 がいこう 問題 もんだい 、社会 しゃかい 時事 じじ 、財政 ざいせい 、スポーツ、文化 ぶんか 、法律 ほうりつ 、議会 ぎかい 活動 かつどう などについて全国 ぜんこく のニュースを扱 あつか う。BSSは全国 ぜんこく 紙 し 、ラジオ、テレビ放送 ほうそう 、政府 せいふ 刊行 かんこう 物 ぶつ などをBSSは扱 あつか う[ 107] 。初 はつ の民営 みんえい 通信 つうしん 社 しゃ は1970年 ねん 3月 がつ に設立 せつりつ されたイースタン・ニュース・エージェンシー (ENA)である。この他 ほか に、民間 みんかん の通信 つうしん 社 しゃ には1988年 ねん にダッカで創立 そうりつ され、アメリカ合衆国 あめりかがっしゅうこく AP通信 つうしん のアンカーであるUnited News of Bangladesh (UNB) 社 しゃ がある。
テレビ、ラジオ放送 ほうそう
国営 こくえい のテレビ放送 ほうそう 局 きょく BTV はダッカのランプラー (英語 えいご 版 ばん ) に拠点 きょてん を置 お く[ 108] 。この他 ほか に、ダッカから放送 ほうそう されるテレビには、Diganta TVのベンガル語 ご バージョン、RTV、ATN Bangla 、Channel I 、NTV 、Ekushey Television 、Banglavision などがある。公営 こうえい ラジオ局 きょく はSher-e-Bangla Nagor にあるラジオ・バングラデシュ (BB )である[ 109] 。ダッカ拠点 きょてん の民営 みんえい ラジオ局 きょく では、Radio Foorti 、Radio Today 、Radio Amar などが知 し られる。
Sher-e-Bangla Mirpur Stadium で開催 かいさい されたバングラデシュ対 たい インドのクリケット 試合 しあい 。
ダッカでは、クリケット とサッカー が高 たか い人気 にんき を誇 ほこ る2大 だい スポーツであり、これはバングラデシュ中 ちゅう にも言 い える[ 110] 。チームの多 おお くは学校 がっこう や大学 だいがく または私立 しりつ のクラブ単位 たんい であり、都市 とし 対抗 たいこう または国際 こくさい 大会 たいかい が行 おこな われる。モハメダン・スポーティングクラブ (英語 えいご 版 ばん ) とアバハニ・リミテッド・ダッカ はサッカーとクリケットの2大 だい クラブで、ライバル関係 かんけい にある[ 111] 。
ダッカは、1954年 ねん に初 はじ めて行 おこな われたクリケットのテストマッチ 開催 かいさい 地 ち であり、この時 とき はインドと対戦 たいせん した[ 112] 。バングラデシュ国立 こくりつ 競技 きょうぎ 場 じょう は、以前 いぜん はクリケットの主要 しゅよう な試合 しあい 会場 かいじょう として使 つか われたが、現在 げんざい はサッカー専用 せんよう となっている[ 112] 。しかし、2011年 ねん のクリケット・ワールドカップ では開会 かいかい 式 しき および6試合 しあい が予定 よてい されている[ 113] 。スポーツの振興 しんこう や支援 しえん を行 おこな うバングラデシュ・スポーツ庁 ちょう (英語 えいご 版 ばん ) はダッカに拠点 きょてん を置 お いている。ダッカには、他 ほか にもSher-e-Bangla Mirpur Stadium 、Dhanmondi Cricket Stadium やOuter Stadium Ground がある[ 114] 。ダッカ大学 だいがく のグラウンドは、インターカレッジの会場 かいじょう として用 もち いられた[ 115] 。
ラールバーグ城砦 じょうさい 跡 あと [ 1]
ドケッショリ(ダケーシュワリー)寺院 じいん (隠 かく された女神 めがみ 、の意味 いみ 。ダッカの名 な はこの神 かみ にちなむ)[ 1]
バイトゥル・モカラッム・モスク、スター・モスク[ 1]
バラ・カトラ宮殿 きゅうでん
シャヒド・ミナール
ケマル・アタチュルク大通 おおどお り(ダッカ一番 いちばん の大通 おおどお り。トルコ 建国 けんこく の父 ちち ケマル・アタチュルク の名 な がつけられた。)
ダッカ博物館 はくぶつかん [ 1]
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