(Translated by https://www.hiragana.jp/)
ダッカ - Wikipedia コンテンツにスキップ

ダッカ

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
ダッカ
ঢাকা
Dhaka
位置いち
の位置図
位置いち
ダッカの位置(バングラデシュ内)
ダッカ
ダッカ
ダッカ (バングラデシュ)
ダッカの位置(西南アジア内)
ダッカ
ダッカ
ダッカ (西南せいなんアジア)
地図
座標ざひょう : 北緯ほくい2342ふん7.2びょう 東経とうけい9022ふん1びょう / 北緯ほくい23.702000 東経とうけい90.36694 / 23.702000; 90.36694
行政ぎょうせい
くに バングラデシュの旗 バングラデシュ
 管区かんく ダッカ管区かんく
 けん ダッカけん
  ダッカ
市長しちょう きたアティクル・イスラーム
みなみシェイフ・ファズル・ヌール・タポシュ
地理ちり
面積めんせき  
  市域しいき 145 km2 (56 mi2)
標高ひょうこう 2 m
人口じんこう
人口じんこう (2011ねん現在げんざい
  市域しいき 8,906,035にん
    人口じんこう密度みつど   61,421にん/km2(159,036にん/mi2
その
ひとしときおび UTC+6 (UTC+6)
市外しがい局番きょくばん 02
公式こうしきウェブサイト : http://dhakacity.org/

ダッカベンガル: ঢাকা [ˈɖʱaka] えい: Dhaka旧名きゅうめいDacca)は、バングラデシュ首都しゅと[1]でありダッカけん首府しゅふねる。世界せかい有数ゆうすうメガシティであり、2016ねん人口じんこう推計すいけいによると、近郊きんこうふく都市としけん人口じんこうはバングラデシュ最大さいだい[2]1,623まんにんであり、世界せかいだい16である[3]

バングラデシュ中央ちゅうおう位置いちし、ブリゴンガ排水はいすいによってドレッショリがわつうじる同国どうこく商業しょうぎょう工業こうぎょう文化ぶんか教育きょういく中心ちゅうしんであるダッカは、「モスクのまち」としてもられる[4]ジュート綿めん加工かこう食品しょくひん加工かこうなどの製造せいぞうぎょうおこなわれ、とくにまたこう品質ひんしつモスリン生産せいさんとしても有名ゆうめいである。まちちゅうにはやく40まんだいわれるリキシャ毎日まいにちことでもられる[5]

ダッカの歴史れきし9世紀せいき以前いぜんさかのぼるが、ダッカが都市としとして繁栄はんえいしたのはムガル帝国ていこく統治とうち17世紀せいきベンガルしゅう州都しゅうととなったことによる。当時とうじは「ジャハーンギールナガル」といった。1765ねんからイギリス支配しはいにあるイギリスりょうインド帝国ていこくまれ、19世紀せいきにはコルカタベンガル地方ちほうだい都市としにまで発展はってんした。1947ねんパキスタンとして独立どくりつこうひがしパキスタン首都しゅととなった。1971ねんにバングラデシュとして独立どくりつ以後いごつづ首都しゅととなり、現在げんざいいたる。

ダッカのストリートマーケットの風景ふうけい

現代げんだいのダッカは、バングラデシュの政治せいじ文化ぶんか経済けいざい活動かつどう中心ちゅうしんである[6]都市としインフラストラクチャー国中くになかもっと発達はったつしているが、それでも急激きゅうげき人口じんこう増加ぞうかにはいつかず、公害こうがい交通こうつう渋滞じゅうたいまたは公共こうきょうサービスの不足ふそくなどの問題もんだい直面ちょくめんしている。そのようななかでも近年きんねん交通こうつう機関きかん情報じょうほうもうおよび公共こうきょう事業じぎょうなどで近代きんだい促進そくしんされている。ダッカは外資がいしんで商業しょうぎょう貿易ぼうえき拡大かくだいはかっているが、これがまた人口じんこう流入りゅうにゅう促進そくしんする要因よういんとなり、結果けっかてきにダッカを世界一せかいいち急激きゅうげき人口じんこう増加ぞうか都市としにしている[7][8]。こうしたまけ要素ようそは、早々そうそう改善かいぜんできるものではなく、2013ねん世界せかいかく都市とし医療いりょう文化ぶんか環境かんきょう教育きょういく、インフラを数値すうちした「世界せかいもっとみやすい都市とし」のランキングでワースト2になった(1内戦ないせん状態じょうたいダマスカス[9]

歴史れきし

[編集へんしゅう]
ラールバーグじょう英語えいごばん。17世紀せいき中期ちゅうきシャーイスタ・ハーン建設けんせつした。

現在げんざいのダッカがある地域ちいき市街地しがいちされた最初さいしょ時期じき7世紀せいきであり、8世紀せいきには仏教ぶっきょうくにカーマルーパ英語えいごばん王国おうこくいでパーラあさ統治とうちにあった。そして9世紀せいきからはヒンドゥーセーナあさがこの場所ばしょおさめた[10]12世紀せいきになり、女神めがみダケーシュワリー英語えいごばんまつ寺院じいんバッラーラ・セーナ英語えいごばんによって建立こんりゅうされると、これにちなみ都市としは「ダッカ」とばれるようになった[11]当時とうじのダッカ周辺しゅうへんはベンガラ (Bengalla) とばれ、市街しがいには小規模しょうきぼ(Lakshmi Bazar, Shankhari Bazar, Tanti Bazar, Patuatuli, Kumartuli, Bania Nagar, Goal Nagar)がいくつかった。セーナあさのちには、ダッカはデリー・スルターンあさおくんだテュルクひとパシュトゥーンじんによる為政いせいつづいたが、勃興ぼっこうしたムガル帝国ていこく1608ねん当地とうち支配しはいした[12]

ムガル帝国ていこくのベンガル州都しゅうととなったダッカでは、都市とし開発かいはつ人口じんこう増加ぞうかはじまった[13][14][15]行政ぎょうせい担当たんとう担当たんとうした初代しょだい知事ちじイスラーム・ハーン英語えいごばん[16]は、皇帝こうていジャハーンギールにちなんでこの都市としをジャハーンギールナガル(「ジャハーンギールの」の)とさだめた。シャーイスタ・ハーン将軍しょうぐんころ[14][15]都市としは19×13kmの市域しいきやく100まんにんかかえるまでに発展はってんした[17]

アシャーン・マンズィル英語えいごばんダッカ・ナワーブ英語えいごばん邸宅ていたくだったが、現在げんざい博物館はくぶつかんとして利用りようされている。

1765ねんイギリスひがしインド会社かいしゃ徴税ちょうぜいけん(ディーワーニー・ライト、Diwani right)を獲得かくとくし、1793ねんにはベンガルの貴族きぞく階級かいきゅうナワーブ、Nawab)はベンガルやビハールまたオリッサのしゅう都市としたいする利権りけん放棄ほうきすることをいられ、イギリスはこれら地域ちいき支配しはいする行政ぎょうせいけんをも手中しゅちゅうにした。この期間きかんコルカタ人口じんこう増加ぞうかしたこと対照たいしょうてきに、この地区ちく都市としからは市民しみん流出りゅうしゅつつづいた[18]が、実質じっしつてき発展はってんつづき、近代きんだいおこなわれた。現代げんだいてき都市とし給水きゅうすいもう1874ねん導入どうにゅうされ、電力でんりょく供給きょうきゅう1878ねんはじめられた[19][20]。その一方いっぽうダッカ駐屯ちゅうとん英語えいごばん都市とし近郊きんこうもうけられ、イギリスとベンガルのぐん駐留ちゅうりゅうすることになった[15]

1905ねんベンガル分割ぶんかつれい発布はっぷされ、ダッカは新設しんせつされたひがしベンガル、アッサムしゅう首府しゅふとされたが、この法令ほうれい1911ねん撤回てっかいされた[13][14][15]1947ねん、インドが分離ぶんり独立どくりつすると、ダッカはひがしパキスタン首府しゅふとなった。しかし、このインド分割ぶんかつはしはっする住民じゅうみんあいだ対立たいりつはげしくなり[15]、ヒンドゥーのおおくがインドへ移住いじゅうぎゃくにムスリムの流入りゅうにゅうえた。ダッカは地方ちほう行政府ぎょうせいふであったため、政治せいじてき抗議こうぎ活動かつどう暴力ぼうりょく行為こうい頻発ひんぱつするようになった[15]。さらに、パキスタンの公用こうようウルドゥーのみに統一とういつしたことがこれらに拍車はくしゃをかけ、ベンガル運動うんどうこった。この運動うんどうでは、パキスタン警察けいさつ平和へいわてきなデモをおこなっていた学生がくせい多数たすう殺害さつがいする事件じけんきた[21]。この事件じけん記念きねんするのがショヒド・ミナールで、事件じけんきた2がつ21にち国際こくさい母語ぼごデーとなっている。1950年代ねんだいから1960年代ねんだいにかけて、ダッカは政治せいじ活動かつどう温床おんしょうでありつづけ、ベンガルじんによる自治じち要求ようきゅうする運動うんどうたかまりをせた[22]

バングラデシュ国会こっかい議事堂ぎじどう

1970ねん大型おおがた台風たいふうボーラ・サイクロンがダッカおよ周辺しゅうへんおそい、やく50まんにん死亡しぼうした[23]市域しいき半分はんぶん水没すいぼつし、すうひゃくまんにんみず被害ひがいけた[24]中央ちゅうおう政府せいふ民族みんぞく差別さべつてきかつ不充分ふじゅうぶん救援きゅうえんは、民衆みんしゅういかりをきたせ、1971ねん3月7にちにはベンガルじん政治せいじムジブル・ラフマンびかけスフワルディー広場ひろば英語えいごばん民族みんぞく主義しゅぎ集会しゅうかいひらかれた[15][21]集会しゅうかいにはやく100まんにんあつまり、これが3月26にちおこなわれたバングラデシュ独立どくりつ宣言せんげんつながった[21]。これにたいパキスタンぐんは「サーチライト作戦さくせん英語えいごばん」を敢行かんこうして対抗たいこうし、なんせんにんもの逮捕たいほ拷問ごうもんそして殺害さつがいおこなった[25]争乱そうらんは9ヶ月かげつわたみどろの戦闘せんとう発展はってんし、バングラデシュ‐インド連合れんごうぐん (Mitro Bahiniまえにパキスタンぐん降伏ごうぶくし、バングラデシュ独立どくりつ戦争せんそう終戦しゅうせんした[26]

ダッカは新生しんせい国家こっかバングラデシュの首都しゅととなり、国中くになか農村のうそん地域ちいきから出稼でかせ労働ろうどうしゃれるかたち急速きゅうそく人口じんこうやしだい規模きぼ都市とし拡張かくちょうせた[27]。これにともな商業しょうぎょう産業さんぎょう発展はってんし、インフラストラクチャーの整備せいびにも着手ちゃくしゅされはじめた[28]不動産ふどうさん取得しゅとくがブームとなって市域しいき拡大かくだいし、ウットラ英語えいごばん地区ちくモハマドプール英語えいごばん地区ちく、ボシュンドラ、ミルプール英語えいごばんモティジール英語えいごばんなどの地区ちく開発かいはつされた[29]

一方いっぽう、このような人口じんこう増加ぞうか窃盗せっとうなど犯罪はんざい件数けんすう増加ぞうかにもつながっている[1]生活せいかつ環境かんきょう改善かいぜん人口じんこう増加ぞうかかず、 2019ねんには北郊ほっこう存在そんざいしたスラムまち火事かじ発生はっせい。2000焼失しょうしつし、10000にん以上いじょうされた[30]

2024ねん7がつ市内しない学生がくせいのデモと警官けいかんたい衝突しょうとつ次第しだい規模きぼおおきくなった。警察けいさつ発表はっぴょうでは、同月どうげつ19にちすうじゅうまんにん参加さんかしたデモにおいて警官けいかん2にん撲殺ぼくさつされ、すくなくとも150にん警官けいかん入院にゅういん、さらに150にん応急おうきゅう処置しょちけた。多数たすう交番こうばんおおくの政府せいふ庁舎ちょうしゃもデモたいにより放火ほうか破壊はかいされた。政府せいふ同月どうげつ20にち夜間やかん外出がいしゅつ禁止きんしれい発出はっしゅつした[31]

地理ちり

[編集へんしゅう]

ダッカは、バングラデシュの中央ちゅうおう北緯ほくい2342ふん0びょう 東経とうけい9022ふん30びょう / 北緯ほくい23.70000 東経とうけい90.37500 / 23.70000; 90.37500ガンジスがわブラマプトラがわ・メグナがわ構成こうせいするガンジスデルタ英語えいごばんのほぼ中央ちゅうおう[32]しも流域りゅういきたるブリゴンガがわ英語えいごばん東岸とうがん位置いちする。面積めんせきは153.84平方へいほうキロメートル[33]地質ちしつかんしんから鮮新時代じだい堆積たいせきされたそうであり、海抜かいばつは2-12m程度ていどひく[32]雨季うきはげしい降雨こううやサイクロンによってダッカはしばしば洪水こうずい見舞みまわれる運命うんめいにある[34]

は8つの主要しゅよう (thana):ラールバーグ英語えいごばんコートワーリー英語えいごばんストラプル英語えいごばんラムナ英語えいごばんモティジール英語えいごばんパルタン英語えいごばんダンモンディ英語えいごばんモハマドプル英語えいごばんテージガーオン英語えいごばんと、16の地区ちくグルシャン英語えいごばんミルプール英語えいごばんパラビ英語えいごばん、シャー・アリー、トゥラグ、サブジバーグ英語えいごばんカントンメント英語えいごばんデムラ英語えいごばんハジャリバーグ英語えいごばんシャームプル英語えいごばんバッダ英語えいごばんカフルール英語えいごばんカムランギルチャール英語えいごばんキルガーオン英語えいごばんウットラ英語えいごばんけられる。には総計そうけい130のと725モッハラみなみアジアとうもちいられるまちりの単位たんい)がある[35]。ダッカ都市としけんは1463平方へいほうキロメートルのひろさがあり、ガーズィープルけん英語えいごばんタンガイルけん英語えいごばんムンシガンジけん英語えいごばんラジバリけん英語えいごばんナラヤンガンジけん英語えいごばんマニカガンジけん英語えいごばんせっしている[35]

ダッカの都市とし風景ふうけい

気候きこう環境かんきょう

[編集へんしゅう]

ダッカは気温きおんたかく、降雨こうう頻繁ひんぱん多湿たしつ熱帯ねったいせい気候きこうであり、ケッペンの気候きこう区分くぶんではサバナ気候きこう該当がいとうする。都市としにはモンスーン通過つうかし、とし平均へいきん気温きおんは25℃(77°F)、つき平均へいきん気温きおんは1がつに18℃(64°F)、8月で29℃(84°F)となる[36]年間ねんかん降水こうすいりょう1,854mmのうち80%は5月から9がつあいだ記録きろくされる[36]交通こうつう渋滞じゅうたい産業さんぎょう廃棄はいきぶつなどの影響えいきょう大気たいき水質すいしつ汚染おせんすすみ、これらは健康けんこう居住きょじゅう環境かんきょうとう悪影響あくえいきょうおよぼす深刻しんこく問題もんだいとなりつつある[37]周辺しゅうへん沼沢しょうたく湿地しっちなどは、階層かいそうビルなど不動産ふどうさん開発かいはつによって破壊はかい直面ちょくめんしており、このような自然しぜん生息せいそく破壊はかいされる現状げんじょう環境かんきょう汚染おせんあいまって、生物せいぶつ生存せいぞん多様たようせいいちじるしくおどかしている[38]

ダッカの気候きこう
つき 1がつ 2がつ 3がつ 4がつ 5月 6がつ 7がつ 8がつ 9月 10月 11月 12月 とし
最高さいこう気温きおん記録きろく °C°F 31.1
(88)
34.4
(93.9)
40.6
(105.1)
42.2
(108)
41.1
(106)
36.7
(98.1)
35.0
(95)
36.1
(97)
36.7
(98.1)
37.2
(99)
34.4
(93.9)
30.6
(87.1)
42.2
(108)
平均へいきん最高さいこう気温きおん °C°F 25.4
(77.7)
28.1
(82.6)
32.5
(90.5)
33.7
(92.7)
32.9
(91.2)
32.1
(89.8)
31.4
(88.5)
31.6
(88.9)
31.6
(88.9)
31.6
(88.9)
29.6
(85.3)
26.4
(79.5)
30.6
(87.1)
にち平均へいきん気温きおん °C°F 19.1
(66.4)
21.8
(71.2)
26.5
(79.7)
28.7
(83.7)
28.7
(83.7)
29.1
(84.4)
28.8
(83.8)
29.0
(84.2)
28.8
(83.8)
27.7
(81.9)
24.4
(75.9)
20.3
(68.5)
26.1
(79)
平均へいきん最低さいてい気温きおん °C°F 12.7
(54.9)
15.5
(59.9)
20.4
(68.7)
23.6
(74.5)
24.5
(76.1)
26.1
(79)
26.2
(79.2)
26.3
(79.3)
25.9
(78.6)
23.8
(74.8)
19.2
(66.6)
14.1
(57.4)
21.5
(70.7)
最低さいてい気温きおん記録きろく °C°F 6.1
(43)
6.7
(44.1)
10.6
(51.1)
16.7
(62.1)
14.4
(57.9)
19.4
(66.9)
21.1
(70)
21.7
(71.1)
21.1
(70)
17.2
(63)
11.1
(52)
7.2
(45)
6.1
(43)
降水こうすいりょう mm (inch) 7.7
(0.303)
28.9
(1.138)
65.8
(2.591)
156.3
(6.154)
339.4
(13.362)
340.4
(13.402)
373.1
(14.689)
316.5
(12.461)
300.4
(11.827)
172.3
(6.783)
34.4
(1.354)
12.8
(0.504)
2,148
(84.567)
平均へいきん降水こうすい日数にっすう (≥0.1 mm) 1 1 3 6 11 16 12 16 12 7 1 0 86
湿度しつど 46 37 38 42 59 72 72 74 71 65 53 50 57
平均へいきん月間げっかん日照ひでり時間じかん 279 226 217 180 155 90 62 62 90 186 240 279 2,066
出典しゅってん1:Weatherbase (normals, 30 yr period)[39]
出典しゅってん2:Sistema de Clasificación Bioclimática Mundial (extremes),[40] BBC Weather (humidity and sun)[41]

都市とし行政ぎょうせい

[編集へんしゅう]

ダッカの自治じちは1864ねん8がつ1にちからはじまり、1978ねんには都市とし自治体じちたい昇格しょうかくされた[42]。2011ねんには行政ぎょうせいサービス向上こうじょうのため、市役所しやくしょ南北なんぼく分割ぶんかつされ、市長しちょう南北なんぼくそれぞれにかれることとなった[43]市長しちょうしょく民選みんせんで、任期にんきは5ねんである。ダッカ教育きょういく委員いいんかい英語えいごばん公立こうりつ学校がっこうと、イギリスけい学校がっこうマドラサのぞくほとんどの私立しりつ学校がっこう管掌かんしょうする[44][45]。イギリスけい学校がっこう独立どくりつした組織そしきであるのにたいし、バングラデシュのマドラサはすべて中央ちゅうおう委員いいんかい管轄かんかつしている[46]

ダッカ市警しけい英語えいごばん (DMP) は1976ねん設立せつりつされ、12の警察けいさつしょに6,000の人員じんいん配置はいちした[47]。その都市とし急速きゅうそく膨張ぼうちょう対応たいおうし、警察けいさつしょは33箇所かしょ人員じんいんは23,000にんまで拡張かくちょうされ、さらに18の警察けいさつしょ新設しんせつかっている。

ダッカ選挙せんきょからは10めい国会こっかい議員ぎいん選出せんしゅつされ、アワミ連盟れんめいバングラデシュ民族みんぞく主義しゅぎとうだい政党せいとう位置いちめる。ラムナには行政ぎょうせい事務じむきょくがあり、政府せいふ省庁しょうちょうのほとんどがここにあつまっている。バングラデシュ最高裁判所さいこうさいばんしょダッカ高等こうとう裁判所さいばんしょ英語えいごばん市内しないにある。大統領だいとうりょう宮殿きゅうでん英語えいごばん (Bangabhaban) はインド総督そうとく公邸こうていとしててられひがしパキスタンの知事ちじ利用りようしたが、現在げんざいバングラデシュ大統領だいとうりょう使用しようしている[48]バングラデシュ国会こっかい議事堂ぎじどう建築けんちくルイス・I・カーン設計せっけい[21]で、一院制いちいんせい国会こっかい開催かいさいされる。バイトゥル・ムカッラム英語えいごばんは、メッカカアバして建設けんせつされた国立こくりつモスクである[49]歴史れきしてき建造けんぞうぶつとしては、バラ・カトラ宮殿きゅうでん英語えいごばんラールバーグ・フォート英語えいごばんフスアニ・ダラン英語えいごばんアッシャン・モンジル英語えいごばんなどがある[50]

交通こうつう渋滞じゅうたい人口じんこう増加ぞうか対応たいおうし、中央ちゅうおう政府せいふ周辺しゅうへん都市としとダッカ域外いきがい工場こうじょうやビルを建設けんせつする場合ばあいに10年間ねんかん所得しょとくぜいめんげん制度せいど導入どうにゅうした[51]チッタゴンとはちがいダッカには下水道げすいどう敷設ふせつされているが、その恩恵おんけいけるのは人口じんこうの25%にまり、30%は浄化槽じょうかそう利用りようしている[52]上水道じょうすいどう市内しない住居じゅうきょの2/3にしか普及ふきゅうしていない。固形こけい廃棄はいきぶつ年間ねんかん970まんトン発生はっせいする。個人こじんおよび行政ぎょうせいによって都市としにおける収集しゅうしゅう体制たいせい確立かくりつし、あつめられたごみは低地ていち沼沢しょうたくてられている[37][52]

経済けいざい

[編集へんしゅう]
カルワン・バザール英語えいごばん。ダッカにある主要しゅようビジネスセンターのひとつ。

ダッカはバングラデシュの商業しょうぎょう中心ちゅうしんである[53]。そこでは現代げんだいてき消費しょうひざい高級こうきゅうひん取扱とりあつか市場いちばにな中産ちゅうさん階級かいきゅう人口じんこうえている[14][54]歴史れきしてきに、ダッカには地方ちほうからおおくの出稼でかせしゃあつまり[55]行商ぎょうしょう露天商ろてんしょう小規模しょうきぼ商店しょうてんホーカーセンター人力車じんりきしゃごう、またはやとわれじんとしてはたらいた[55][56]とく人力車じんりきしゃにはやく40まんにん就業しゅうぎょうしたころもあった[57]人口じんこう半分はんぶん家政かせい民間みんかん企業きぎょうはたらき、そのうちやく80まんにん繊維せんい工業こうぎょう関連かんれん従事じゅうじしている。しかし失業しつぎょうりつは23%とたか状態じょうたいにある[58]。2008ねんのダッカそう生産せいさん (GMP) は780おくドルであり[59]年間ねんかん成長せいちょうりつは6.2%となった。GMPは2025ねんまでに2150おくドルまで成長せいちょうすると予想よそうされる[59]一人ひとりあたり平均へいきん所得しょとくは500ドルと見積みつもられる。48%の家計かけい貧困ひんこんせん下回したまわっており[60]、このうちのおおきな割合わりあいしょくもとめて農村のうそんからうつんだ家族かぞく[54]かれらは1にち支出ししゅつが10ドル未満みまん生活せいかつおくっている[61]

ダッカの商業しょうぎょう的中てきちゅう心地ごこちは、モティジール英語えいごばんニューマーケット英語えいごばんグルシャン英語えいごばんファームゲート英語えいごばんなどがあり、主要しゅよう工業こうぎょう地帯ちたいではテズガオン英語えいごばんハザーリーバーグ英語えいごばんがある[62]。ボシュンドラ-バリダラは、5年間ねんかん目処めど高度こうど技術ぎじゅつ産業さんぎょう企業きぎょうおよび大型おおがたショッピングモールなどの建設けんせつふく経済けいざい開発かいはつ地区ちくである[54]。ダッカには2箇所かしょ自由じゆう貿易ぼうえき地域ちいき設定せっていされており、衣類いるい織物おりものなどの製品せいひん輸出ゆしゅつ奨励しょうれいされている。そこには413の企業きぎょう進出しんしゅつしているが、雇用こようはほとんどが女性じょせい対象たいしょうとしている[63]市内しないにはダッカ證券しょうけん取引とりひきしょ英語えいごばんがあり、おおくの国籍こくせき企業きぎょうのきつらねている。またバングラデシュの財閥ざいばつ事務所じむしょかまえる。おも財閥ざいばつBeximco GroupSummit GroupNavana GroupZaman Group of IndustriesRahimafroozがある。さらにマイクロクレジット創始そうしし、ノーベル平和へいわしょう受賞じゅしょうしたグラミン銀行ぎんこうもダッカに拠点きょてんいている[64]。NGOのBRACもダッカが本拠ほんきょになる[65]都市とし開発かいはつによって大幅おおはば建築けんちくブームがき、あたらしい高層こうそうビルやちょう高層こうそう建築けんちくぶつ都市とし景観けいかんおおきく変貌へんぼうさせている[54]金融きんゆうぎょう銀行ぎんこう製造せいぞうぎょう電気でんき通信つうしんごうやサービスぎょうおおきくび、観光かんこうぎょうホテルまたレストランのダッカ経済けいざい重要じゅうよう要素ようそとなっている[55]

人口じんこう統計とうけい

[編集へんしゅう]
1972ねんから2001ねんまでのダッカの都市とし発達はったつじょうきょうあらわした動画どうが。これはインドを撮影さつえいしたTerra-MODIS 30kmの画像がぞうのうち、バングラデシュ部分ぶぶんをTerra-MODIS 1km相当そうとうまで拡大かくだいし、Landsat-1-MSSのダッカ1972ねん12月28にち画像がぞうかさわせている。ダッカ市街しがい現在げんざい姿すがたまで拡大かくだいする時期じきは1989ねん2がつ13にちLandsat-5-TMの画像がぞう確認かくにんでき、さらにつづけて2001ねん1がつ29にちLandsat-7-ETM+画像がぞうまでが表示ひょうじされる[66]

ダッカ当局とうきょく管轄かんかつする領域りょういきでは、その人口じんこうやく700まんにんである。より広範こうはん都市としけんまでを対象たいしょうとすると、2008ねん現在げんざい人口じんこうは1,280まんにんとなる[2]人口じんこう成長せいちょうりつは4.2%となり、アジアのなかでもたか数値すうちしめ都市としのひとつである[55]。この人口じんこう増加ぞうか農村のうそんから都市としへの流入りゅうにゅう主体しゅたいであり1960年代ねんだいから70年代ねんだいまでは増分ぞうぶんの60%をめた。近年きんねん都市としけん面積めんせき拡大かくだい要因よういんとなり、1980年代ねんだいまでのこのために100まんにん増加ぞうかしている[55]。ファーイースタン・エコノミック・レビューによると、ダッカの人口じんこうは2025ねんまでに2,500まんにん到達とうたつすると予測よそくされる[67]

その、2050ねんには世界せかい3の3519まんにん、2075ねんに4245まんにん、2100ねん人口じんこう予測よそくでは5425まんにんかぞえる世界せかい8ちょうきょ大都市だいとしとなる予測よそくている[68]

識字しきじりつは62.3%と見積みつもられる[35]都市としにはバングラデシュちゅうのあらゆる民族みんぞく居住きょじゅうしている。きゅう市街しがいには「Dhakaia」とばれる長年ながねん同地どうち集団しゅうだんがおり、特有とくゆう習慣しゅうかん方言ほうげん維持いじしている。1まん5せんから2まんにん程度ていど規模きぼで、ロヒンギャぞくサンタルぞく英語えいごばんガロぞくチャクマぞく英語えいごばん、メンディぞく人々ひとびと市内しないにはんでいる[69]中国ちゅうごくけい人口じんこうおおく、また企業きぎょう管理かんりしょくとしてインドひと韓国かんこくひと居住きょじゅうしている。

ほとんどすべてのダッカ居住きょじゅうしゃ国語こくごであるベンガルはなし、一部いちぶ区域くいきではベンガル方言ほうげんたるチッタゴンシレットられる。英語えいごはなものおおく、それはとくにビジネスようとして習得しゅうとくされた。

ダッカの宗教しゅうきょうイスラム教いすらむきょう支配しはいてきであり、スンナ主流しゅりゅうめる。しかし少数しょうすうながらシーアアフマディーヤ人々ひとびと増加ぞうか傾向けいこうにある。ヒンドゥーきょうが2番目ばんめおお仏教ぶっきょうキリスト教きりすときょう少数しょうすうである。

文化ぶんか

[編集へんしゅう]
ほしがたかざりでられるスター・モスク英語えいごばん(タラ・マスジド)

バングラデシュのなかもっと人口じんこうおお都市としとして、ダッカは多様たよう文化ぶんかてき生活せいかつとなっている。祝日しゅくじつである独立記念日どくりつきねんび英語えいごばん(3がつ26にち)、国際こくさい母国ぼこく英語えいごばん(2がつ21にち)、戦勝せんしょう記念きねん英語えいごばん(12月16にち)には、市内しないちゅう様々さまざまもよおしがおこなわれる。ダッカの人々ひとびとシャヒド・ミナールやナショナル・モニュメント(戦没せんぼつしゃ慰霊いれいとう英語えいごばん)で解放かいほう戦争せんそう国民こくみんてき英雄えいゆうしのぶためにあつまり、数々かずかずもよおもの併催へいさいされる。学校がっこう大学だいがくでももよおしやフェスティバル、コンサートなどがひらかれ、階層かいそうかかわりおおくの市民しみん参加さんかする[70]

新年しんねんいわポヘラ・ボイシャク英語えいごばん
ドケッショリ寺院じいん英語えいごばんのドゥルガー・プジャまつ[71]

毎年まいとし4がつ14にちの「ポヘラ・ボイシャク英語えいごばん」はベンガルの正月しょうがつであり、まちちゅうでおいがおこなわれる[70]女性じょせい民族みんぞく衣装いしょうサリーサルワール・カミーズ[1]男性だんせい西洋せいようふう格好かっこう伝統でんとうてきルンギーまとい、Shahbagとおりやラムナ・パーク英語えいごばん、またはダッカ大学だいがく構内こうないなどにあつまって、新年しんねんいわう。このような熱気ねっきは、ムスリムのイード・アル=フィトルイード・アル=アドハー、ヒンドゥーのドゥルガー・プージャ英語えいごばんといったおまつりでも市内しないちゅうられる光景こうけいである[14]

ながあいだ、ダッカとえばさまざまなしな道端みちばた露天商ろてんしょう小規模しょうきぼ店舗てんぽ連想れんそうされた[72]近年きんねんは、富裕ふゆうそう拡大かくだいするなかあいだ階層かいそう相手あいてにするショッピング・モールやシネマコンプレックス、ホテルやレストランなどの出店しゅってん目立めだ[73]料理りょうり系統けいとうでは、インド料理りょうりみなみアジア料理りょうり英語えいごばんくわえ、ヨーロッパ料理りょうり中華ちゅうか料理りょうりなどのレストランや食堂しょくどうなら[54]、さらに国籍こくせき料理りょうりやファーストフードなどもまちちゅうでは馴染なじふかいものになっている[1]。その一方いっぽうでダッカ特有とくゆう料理りょうりであるGlasseyやビリヤニ(Hajir Biriani, Fakhruddin Biriani)、ママ・ハリム(Mama Halim)やBorhaniとう根強ねづよ人気にんきほこり、観光かんこうきゃくにも振舞ふるまわれる。ダッカ伝統でんとう軽食けいしょくにDhakai Bakarkhani があり、それはムガル帝国ていこく時代じだいデリー王室おうしつ称賛しょうさんされた良質りょうしつ美味おいしい料理りょうりとしてられる[74]

ポップミュージックロックバンド知名度ちめいど急上昇きゅうじょうしょうしているが、伝統でんとうてき音楽おんがく英語えいごばん人気にんき根強ねづよ[75]国民こくみんてき詩人しじんカジ・ノズルル・イスラム作家さっかラビンドラナート・タゴールたか知名度ちめいどほこ[76]市内しないのベイリー・ロード (Baily Road) 一帯いったいは「Natak Para」(Theater Neighborhood、劇場げきじょうがい)とばれ、映画えいがかんあつまり[77]、ここでは西欧せいおうやインドの映画えいが音楽おんがく人気にんきである[78]

「Natak Para」周辺しゅうへんはまた、ふるくからの伝統でんとうてきなベンガルのサリーを製造せいぞう販売はんばいするちいさな手工しゅこうげいみせのきつらね、ジャムダニ英語えいごばん復興ふっこうとしてもられる。ペルシアやムガルあさ起源きげんがあるジャムダニはすべて家内かないせい工業こうぎょう手作業てさぎょうられ、伝統でんとうてきたか品質ひんしつほこるが、ちゅう程度ていどながさを仕上しあげるために3ヶ月かげつようするなど生産せいさん時間じかんがかかることからすこしずつ衰退すいたいしつつある[79]

バングラデシュ国営こくえい放送ほうそうきょく英語えいごばん国中くになか受信じゅしんできるラジオのだいいち放送ほうそうきょくであり、ベンガル英語えいご多様たよう番組ばんぐみ放送ほうそうする。近年きんねんとくにFM放送ほうそう民営みんえい放送ほうそうおこなわれるようになった。テレビ放送ほうそうではバングラデシュ・テレビジョン英語えいごばん国内こくない網羅もうらし、こちらもベンガル英語えいご使つかわれる。ケーブルテレビや衛星えいせい放送ほうそうも、Ekushey TelevisionChannel IATN BanglaRTVNTVスターなどが視聴しちょうされている。バングラデシュの出版しゅっぱんしゃはほとんどが本社ほんしゃをダッカにいており、ベンガル日刊にっかんではプロトム・アロProthom Aloザ・デイリー・イッテファク英語えいごばん刊行かんこうぶつなかではよくられている。英語えいごばんでの日刊にっかんでは、ザ・デイリー・スター英語えいごばんザ・インディペンデント英語えいごばんおおまれている[80]

電話でんわ回線かいせん急速きゅうそく需要じゅようぞう対応たいおうできず、また故障こしょうおお[1]携帯けいたい電話でんわ人気にんきだが料金りょうきんたかいこともあり[1]普及ふきゅうりつひくく、個人こじん所有しょゆう電話でんわ回線かいせんのうち占有せんゆうりつは10%未満みまんまる[55]

交通こうつう

[編集へんしゅう]
ダッカにはリキシャがあふれる

ダッカおよびその都市としけんでは、その交通こうつう手段しゅだん道路どうろ利用りようである[32]自転車じてんしゃタクシーさんりんタクシー(ベビータクシー)とう都市とし主要しゅよう移動いどう方法ほうほうであり[1]、これらをわせたリキシャのすう1にちたり40まんだいは、世界せかい最多さいたほこった[54][56]。ただし、政府せいふ承認しょうにんたリキシャは8まん5せんだいまり、おおくは許可きょか営業えいぎょうである[55][81]費用ひようやす公害こうがい発生はっせいさせないこれらリキシャは、しかし深刻しんこく交通こうつう渋滞じゅうたいこす[32]元凶げんきょうなされ、市内しないにはりを制限せいげんしている区域くいきもある[1]。バスの運行うんこう国営こくえいバングラデシュ道路どうろ交通こうつう公社こうしゃ英語えいごばん (BRTC) と民営みんえい会社かいしゃとがある。スクータータクシー自家用車じかようしゃなどは中産ちゅうさん階級かいきゅう中心ちゅうしん一般いっぱんしつつある。深刻しんこく大気たいき汚染おせん[32]もあり、政府せいふ圧縮あっしゅく天然てんねんガス英語えいごばん駆動くどうする2サイクルエンジンを搭載とうさいした「グリーンタクシー」の試験しけん導入どうにゅうっている[82]

船着場ふなつきば

ダッカ市内しない舗装ほそう道路どうろそう延長えんちょう1,868kmであり[83]、これらは高速こうそく道路どうろ鉄道てつどうとリンクしてくにちゅうほか地域ちいき接続せつぞくしている。コルカタアガルタラとは、BRTCが運行うんこうする定期ていき高速こうそくバスがある[84]

ブリゴンガがわ船着場ふなつきばには多数たすう大型おおがた汽船きせん集結しゅうけつし、内陸ないりく地方ちほう都市とし外海がいかいのチッタゴンへ貨客を輸送ゆそうする。

コムラプールえき英語えいごばんエアポートえきおよびカントンメントえきは、バングラデシュ鉄道てつどう網羅もうらする周辺しゅうへんおよびくにちゅうつな鉄道てつどう主要しゅようえきである[85]。バングラデシュ鉄道てつどうはコルタカとのあいだ定期ていき列車れっしゃ運行うんこうもおこない、またりょう都市とし国際こくさい列車れっしゃマイトリー・エクスプレス英語えいごばん友情ゆうじょう急行きゅうこう[86]でもつながっている。ブリガンガ川岸かわぎしにあるショドル・ガットこう英語えいごばん[1]かわ遡上そじょうしたりみなとかう旅客りょかく物資ぶっし基点きてんとなっている[87]航空こうくうでは、国内こくないチッタゴンシレットコックスバザールジョソールけんボリシャルサイドプル英語えいごばんや、国外こくがい空港くうこうむすばれ、シャージャラル国際こくさい空港くうこう[88]はバングラデシュで規模きぼおよ発着はっちゃくすういちにあり[89]、バングラデシュの国内外こくないがい航空機こうくうき発着はっちゃくすうやく52%をになう。

高速こうそくバスや軌道きどう交通こうつう整備せいび計画けいかくされており、2004ねんから2024ねんまでの期間きかん対象たいしょうとしたUrban Transportation Policyが策定さくていされ、立案りつあんされたダッカ都市とし交通こうつう戦略せんりゃく計画けいかく (STP)では自動車じどうしゃ交通こうつう鉄道てつどう転換てんかんつうじて、渋滞じゅうたい大気たいき汚染おせんまたは温室おんしつガス排出はいしゅつ削減さくげんなどの効果こうかねらっている[32]。2016ねんにはダッカメトロ建設けんせつ開始かいしされ、2022ねん6号線ごうせん部分ぶぶん開業かいぎょうした[90]

教育きょういく

[編集へんしゅう]
ダッカ大学だいがくカールゾン・ホール英語えいごばんベンガル解放かいほう闘争とうそう英語えいごばん当時とうじ大学だいがく若者わかもの知識ちしきそう政治せいじ活動かつどうささえる中心ちゅうしんてき役割やくわりたした。

ダッカにはおおくの学校がっこう大学だいがくなどが集中しゅうちゅうしている。学校がっこう教育きょういくきゅう宗主そうしゅこくのイギリスしきにあたる[1]4段階だんかいおこなわれ、小学校しょうがっこう(5学年がくねん)、中学校ちゅうがっこう(5学年がくねん)、高等こうとう学校がっこう(2学年がくねん)、大学だいがくがある[91][92]中学校ちゅうがっこう終了しゅうりょうにSecondary School Certificate (SSC)、高校こうこう終了しゅうりょうにHigh School Certificate (HSC) という試験しけんがあり、その進路しんろまる[91][92]教育きょういくおもにベンガルおこなわれるが、英語えいご一般いっぱん使つかわれる。イスラム教徒きょうとのほとんどは宗教しゅうきょうてき理由りゆうのために、定時ていじせい場合ばあいによってはぜん科目かもく宗教しゅうきょう学校がっこう子供こどもたちに履修りしゅうさせる場合ばあいもあり、ここではベンガルとアラビアもちいられる[91]

ノボシアター(プラネタリウム[93]

ダッカには53の大学だいがくがある。ダッカ・カレッジ英語えいごばんイギリスりょうインド帝国ていこく時代じだいの1840ねん設立せつりつされた、もっとふる高等こうとう教育きょういく機関きかんである。独立どくりつ、ダッカにはおおくの公立こうりつ私立しりつ大学だいがく設立せつりつされ、学士がくし修士しゅうしから博士はかせ課程かていまでさまざまな教育きょういくおこなわれるようになった[94]。そのなかでも最大さいだい規模きぼほこ[95]ダッカ大学だいがくは3まんにん学生がくせいと1,300にん教職きょうしょくじんかかえる公立大こうりつだいがくであり、18の研究所けんきゅうじょに70の学部がくぶ学科がっか研究所けんきゅうじょがある[96]著名ちょめい高等こうとう教育きょういく機関きかんとしては、ジャハンギルナガル大学だいがく英語えいごばんバングラデシュ工科こうか大学だいがく英語えいごばん (BUET) もられる。医学いがくけい教育きょういく機関きかんではダッカ医科いか大学だいがく英語えいごばんソリムッラー医科いか大学だいがく英語えいごばんがよくられている[97]。ダッカのかく大学だいがく構内こうないはしばしば政治せいじてき対立たいりつ場所ばしょともなり[98]抗議こうぎ活動かつどうこうそう警察けいさつによる武力ぶりょく介入かいにゅう学生がくせい政治せいじ結社けっしゃによる混乱こんらんなどがもたらされる場合ばあいもある[99][100]

メディアや通信つうしん

[編集へんしゅう]
郵便ゆうびん事業じぎょう
バングラデシュの郵便ゆうびんバングラデシュ郵便ゆうびんきょく英語えいごばんくにちゅう管轄かんかつする公式こうしき運営うんえいたいであり、経営けいえいはダッカからおこなわれている[101]
新聞しんぶん刊行かんこうぶつ
ダッカはバングラデシュの主要しゅよう新聞しんぶん出版しゅっぱんしゃ拠点きょてんいている[102]新聞しんぶんひろまれ、そのなかにはデイリー・イッティファク英語えいごばんデイリー・アザド英語えいごばんManabzaminデイリー・ジャナカンタ英語えいごばんのような国内こくないでもふるくから発行はっこうされたものもある[103]デイリー・プロトム・アロ英語えいごばんまれるが、だい3Amar Deshかみは2010ねん6がつ政府せいふ命令めいれい閉鎖へいさされた[104]英語えいご新聞しんぶんではザ・デイリー・スター英語えいごばん[105]ザ・インディペンデント英語えいごばんなどがある。週刊しゅうかん新聞しんぶん雑誌ざっしではウィークリーホリディ英語えいごばんザ・スター英語えいごばんなどがあり、ほかにもフォーラム英語えいごばんアイス・トゥデイ英語えいごばんなどが有名ゆうめいである。
通信つうしんしゃ
バングラデシュの国家こっか通信つうしん組織そしきは、国営こくえいバングラデシュ通信つうしん(Bangladesh Sangbad Sangstha, BSS)[106]になっており、政治せいじ外交がいこう問題もんだい社会しゃかい時事じじ財政ざいせい、スポーツ、文化ぶんか法律ほうりつ議会ぎかい活動かつどうなどについて全国ぜんこくのニュースをあつかう。BSSは全国ぜんこく、ラジオ、テレビ放送ほうそう政府せいふ刊行かんこうぶつなどをBSSはあつか[107]はつ民営みんえい通信つうしんしゃは1970ねん3がつ設立せつりつされたイースタン・ニュース・エージェンシー (ENA)である。このほかに、民間みんかん通信つうしんしゃには1988ねんにダッカで創立そうりつされ、アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこくAP通信つうしんのアンカーであるUnited News of Bangladesh (UNB) しゃがある。
テレビ、ラジオ放送ほうそう
国営こくえいのテレビ放送ほうそうきょくBTVはダッカのランプラー英語えいごばん拠点きょてん[108]。このほかに、ダッカから放送ほうそうされるテレビには、Diganta TVのベンガルバージョン、RTV、ATN BanglaChannel INTVEkushey TelevisionBanglavisionなどがある。公営こうえいラジオきょくSher-e-Bangla Nagorにあるラジオ・バングラデシュ (BB)である[109]。ダッカ拠点きょてん民営みんえいラジオきょくでは、Radio FoortiRadio TodayRadio Amarなどがられる。

スポーツ

[編集へんしゅう]
Sher-e-Bangla Mirpur Stadium開催かいさいされたバングラデシュたいインドのクリケット試合しあい

ダッカでは、クリケットサッカーたか人気にんきほこる2だいスポーツであり、これはバングラデシュちゅうにもえる[110]。チームのおおくは学校がっこう大学だいがくまたは私立しりつのクラブ単位たんいであり、都市とし対抗たいこうまたは国際こくさい大会たいかいおこなわれる。モハメダン・スポーティングクラブ英語えいごばんアバハニ・リミテッド・ダッカはサッカーとクリケットの2だいクラブで、ライバル関係かんけいにある[111]

ダッカは、1954ねんはじめておこなわれたクリケットのテストマッチ開催かいさいであり、このときはインドと対戦たいせんした[112]バングラデシュ国立こくりつ競技きょうぎじょうは、以前いぜんはクリケットの主要しゅよう試合しあい会場かいじょうとして使つかわれたが、現在げんざいはサッカー専用せんようとなっている[112]。しかし、2011ねんのクリケット・ワールドカップでは開会かいかいしきおよび6試合しあい予定よていされている[113]。スポーツの振興しんこう支援しえんおこなバングラデシュ・スポーツちょう英語えいごばんはダッカに拠点きょてんいている。ダッカには、ほかにもSher-e-Bangla Mirpur StadiumDhanmondi Cricket StadiumOuter Stadium Groundがある[114]。ダッカ大学だいがくのグラウンドは、インターカレッジの会場かいじょうとしてもちいられた[115]

おも名所めいしょ

[編集へんしゅう]
  • ラールバーグ城砦じょうさいあと[1]
  • ドケッショリ(ダケーシュワリー)寺院じいんかくされた女神めがみ、の意味いみ。ダッカのはこのかみにちなむ)[1]
  • バイトゥル・モカラッム・モスク、スター・モスク[1]
  • バラ・カトラ宮殿きゅうでん
  • シャヒド・ミナール
  • ケマル・アタチュルク大通おおどおり(ダッカ一番いちばん大通おおどおり。トルコ建国けんこくちちケマル・アタチュルクがつけられた。)
  • ダッカ博物館はくぶつかん[1]

読書どくしょ案内あんない

[編集へんしゅう]
  • Ahmed, Sharifuddin (1991ねん). Dhaka: Past, Present and Future. The Asiatic Society, Dhaka. ISBN 978-9845123358. OCLC 300099217 
  • Karim, Abdul (1992ねん). History of Bengal, Mughal Period (I). Rajshahi 
  • Pryer, Jane (2003ねん). Poverty and Vulnerability in Dhaka Slums: The Urban Livelihood Study. Ashgate Publishing. ISBN 0-7546-1864-1. OCLC 123337526 OCLC 243482310 OCLC 50334244 OCLC 50939515 
  • Rabbani, Golam (1997ねん). Dhaka, from Mughal outpost to metropolis. University Press, Dhaka. ISBN 9840513745 
  • Sarkar, Sir Jadunath (1948ねん). History of Bengal (II). Dhaka 
  • Taifoor, S.M. (1956ねん). Glimpses of Old Dacca. Dhaka 

出典しゅってん

[編集へんしゅう]
  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n バングラデシュ情報じょうほう” (PDF). JICA. 2010ねん10がつ9にち閲覧えつらん
  2. ^ a b Statistical Pocket Book, 2008” (PDF). Bangladesh Bureau of Statistics. 2009ねん4がつ19にち時点じてんオリジナルよりアーカイブ。2009ねん8がつ15にち閲覧えつらん
  3. ^ 世界せかい都市としけん人口じんこう順位じゅんい(2016ねん4がつ更新こうしん Demographia 2016ねん10がつ29にち閲覧えつらん
  4. ^ everything about our city”. Dhaka City. 2010ねん5がつ8にち閲覧えつらん
  5. ^ Lawson, Alastair (2002ねん10がつ5にち). “Dhaka's beleaguered rickshaw wallahs”. BBC News. http://news.bbc.co.uk/2/hi/programmes/from_our_own_correspondent/2300179.stm 2009ねん9がつ19にち閲覧えつらん 
  6. ^ Price Information of Essential Commodities” (php) (Bangla). National Web Portal, Government of Bangladesh. 2009ねん2がつ27にち閲覧えつらん
  7. ^ http://www.worldbank.org.bd/WBSITE/EXTERNAL/COUNTRIES/SOUTHASIAEXT/BANGLADESHEXTN/0,,contentMDK:21384826~pagePK:141137~piPK:141127~theSitePK:295760,00.html
  8. ^ “Danger in Dhaka, the fastest-growing city”. BBC News. (2010ねん7がつ7にち). http://news.bbc.co.uk/1/hi/world/south_asia/10542218.stm 
  9. ^ 世界一せかいいちみやすい都市としは3ねん連続れんぞくでメルボルン、最下位さいかいはダマスカス”. ロイター (ロイタろいた通信つうしんしゃ). (2013ねん8がつ29にち). http://jp.reuters.com/article/oddlyEnoughNews/idJPTYE97S00G20130829?pageNumber=1&virtualBrandChannel=0 2014ねん2がつ9にち閲覧えつらん 
  10. ^ Hasna Jasimuddin Moudud (2001). South Asia: Eastern Himalayan Culture, Ecology and People. Dhaka: Academic Press and Publishers. ISBN 9840801651 
  11. ^ Nagendra K. Singh (2003). Encyclopaedia of Bangladesh (Hardcover). Anmol Publications Pvt Ltd. p. 19. ISBN 8126113901 
  12. ^ Taru Bahl & M.H. Syed (2003). Encyclopaedia of the Muslim World. Anmol Publications PVT. p. 55. ISBN 8126114193 
  13. ^ a b Dhaka”. Encyclopedia Britannica (2009ねん). 2007ねん4がつ23にち閲覧えつらん
  14. ^ a b c d e Chowdhury, A.M. (2007ねん4がつ23にち). “Dhaka”. Banglapedia. 2007ねん4がつ23にち閲覧えつらん
  15. ^ a b c d e f g Roy, Pinaki (2008ねん7がつ28にち). “Golden past of olden Dhaka”. The Daily Star. 2009ねん3がつ21にち閲覧えつらん
  16. ^ Francis Bradley Bradley-Birt (1906). The Romance of an Eastern Capital. Smith, Elder, & Co. p. 264 
  17. ^ M. Atiqullah and F. Karim Khan (1965). Growth of Dacca City: Population and Area (1608–1981). Social Science Research Project, University of Dacca Press. p. 6 
  18. ^ M. Atiqullah and F. Karim Khan (1965). Growth of Dacca City: Population and Area (1608–1981). Social Science Research Project, University of Dacca Press. p. 7. "With the growth of Calcutta (founded by Job Charnock in 1690), the business centres started moving to Calcutta followed by flight of capital and labour force from Dacca. By 1800, Calcutta became a city of 500 thousands, (Ghosh, 1950 pp 53–54) and Dacca declined to 2000 thousands, the population of 160 years before. わけ:コルタカ(1690ねんにジョブ・チャーノックが創立そうりつ)の発展はってんともない、商業しょうぎょう中心ちゅうしんがコルタカにうつはじめ、ダッカから資本しほん労働ろうどうりょく移動いどうつづいた。1800ねんまでには、コルタカは50まん都市とし(Ghosh, 1950 pp 53–54)まで成長せいちょうし、ダッカの人口じんこうは160ねんまえ相等そうとうする200まんにんまで減少げんしょうした。" 
  19. ^ H Furumai, F Kurisu & H Katayama (2008). Southeast Asian Water Environment 2: Selected Papers from the Second International Symposium on Southeast Asian Water Environment. IWA Publishing. p. 205. ISBN 1843391244 
  20. ^ Mohammad Atiqullah & Fazle Karim Khan (1965). Growth of Dacca City: Population and Area, 1608–1981. University of Dacca. p. 10 
  21. ^ a b c d Richards, John (2002ねん). “Calcutta and Dhaka: A tale of two cities”. Inroads. http://findarticles.com/p/articles/mi_qa4014/is_200201/ai_n9028755/pg_2 2006ねん9がつ27にち閲覧えつらん 
  22. ^ The Feminist Review Collective (28 Mar 1991). Feminist Review (Issue 37). Routledge. p. 40. ISBN 0415065364 
  23. ^ “Timeline: Major tropical cyclones”. BBC News. (2008ねん5がつ5にち). http://news.bbc.co.uk/2/hi/special_report/7384545.stm 2009ねん3がつ17にち閲覧えつらん 
  24. ^ Srivastava, H. N.; G. D. Gupta (2006). Management of natural disasters in developing countries. Centre for Science & Techonlogy of the Non-Aligned and other Developing Countries. p. 14. ISBN 8170354250 
  25. ^ Archer Blood. “Transcript of Selective Genocide Telex” (PDF). Department of State, United States. 2009ねん2がつ27にち閲覧えつらん
  26. ^ Sheren, Syeda Momtaz. “War of Liberation, The”. Banglapedia: National Encyclopedia of Bangladesh. 2009ねん3がつ21にち閲覧えつらん
  27. ^ BANGLADESH: Jobless rural poor rush to the cities” (PHP). IRIN: UN Office for the Coordination of Humanitarian Affairs. 2009ねん3がつ21にち閲覧えつらん
  28. ^ United Nations Human Settlements Program, United Nations Human Settlements Program (2007). Enhancing Urban Safety and Security: Global Report on Human Settlements 2007. Earthscan. p. 184. ISBN 184407479X 
  29. ^ Improved System for Disaster Mitigation and Environmental Management in Bangladesh” (PDF). Regional United Nations Centre for Regional Development. 2009ねん3がつ17にち閲覧えつらん
  30. ^ スラムがい火災かさい、1まんにん以上いじょういえうしなう バングラ首都しゅと”. CNN (2018ねん8がつ19にち). 2021ねん7がつ11にち閲覧えつらん
  31. ^ バングラで学生がくせいデモ激化げきか今週こんしゅう115にん死亡しぼう 夜間やかん外出がいしゅつ禁止きんしれいぐん配備はいび”. AFP (2024ねん7がつ20日はつか). 2024ねん7がつ20日はつか閲覧えつらん
  32. ^ a b c d e f バングラデシュこくダッカ都市とし交通こうつうもう整備せいび事業じぎょう準備じゅんび調査ちょうさ(フェーズ2)環境かんきょう社会しゃかい配慮はいりょ助言じょげん委員いいんかいWG事前じぜん配布はいふ資料しりょう” (PDF). JICA. 2010ねん10がつ1にち閲覧えつらん
  33. ^ Area, Population and Literacy Rate by Paurashava” (PDF). Bangladesh Bureau of Statistics (2001ねん). 2008ねん12月17にち時点じてんオリジナルよりアーカイブ。2008ねん9がつ29にち閲覧えつらん
  34. ^ Hough, Michael (2004). Cities and natural process. Routledge. pp. 64–65. ISBN 0415298555 
  35. ^ a b c Banglapedia (2006ねん9がつ27にち). “Dhaka Division”. 2009ねん2がつ11にち閲覧えつらん
  36. ^ a b Weatherbase: Historical Weather for Dhaka, Bangladesh”. weatherbase.com. 2008ねん12月15にち閲覧えつらん
  37. ^ a b Lawson, Alistair (2002ねん10がつ30にち). “Dhaka 'winning' waste disposal battle”. BBC News. http://news.bbc.co.uk/2/hi/south_asia/2377629.stm 2006ねん9がつ27にち閲覧えつらん 
  38. ^ Mondal, M. Abdul Latif (2006ねん9がつ27にち). “Our Cities: 15th Anniversary Special”. The Daily Star. http://www.thedailystar.net/suppliments/2006/15thanniv/ourcities/ourcities28.htm 2006ねん9がつ27にち閲覧えつらん 
  39. ^ Weatherbase: Historical Weather for Dhaka, Bangladesh”. Weatherbase. February 23, 2013閲覧えつらん
  40. ^ Bangladesh - Dacca” (Spanish). Centro de Investigaciones Fitosociológicas. February 23, 2013閲覧えつらん
  41. ^ Average Conditions - Bangladesh - Dhaka”. BBC. February 23, 2013閲覧えつらん
  42. ^ Dhaka City Corporation. “City Corporation” (PHP). 2009ねん2がつ27にち閲覧えつらん
  43. ^ Hasan Jahid Tusher (18 October 2011). “Dhaka set to split into two”. The Daily Star. オリジナルの13 February 2015時点じてんにおけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20150213005705/http://archive.thedailystar.net/newDesign/news-details.php?nid=206982 12 February 2015閲覧えつらん 
  44. ^ East Pakistan Intermediate and Secondary Education Ordinance, 1961 (East Pakistan Ordinance No. XXXIII of 1961)”. Ministry of Law, Justice and Parliamentary Affairs, Bangladesh. 2009ねん3がつ31にち閲覧えつらん
  45. ^ Education Board Bangladesh”. Ministry of Education, Intermediate and Secondary Education Boards, Bangladesh. 2009ねん3がつ31にち閲覧えつらん
  46. ^ THE MADRASAH EDUCATION ORDINANCE, 1978 (ORDINANCE NO. IX OF 1978).”. Ministry of Law, Justice and Parliamentary Affairs, Bangladesh. 2009ねん3がつ31にち閲覧えつらん
  47. ^ History of the DMP”. Dhaka Metropolitan Police. 2008ねん9がつ30にち閲覧えつらん
  48. ^ Bangabhaban”. en:Banglapedia. 2010ねん10がつ9にち閲覧えつらん
  49. ^ Baitul Mukarram-the National Mosque of Bangladesh”. Bangladesh Embassy, Bhutan. 2009ねん3がつ31にち閲覧えつらん
  50. ^ Marika McAdam (2004). Bangladesh. Lonely Planet. pp. 46–52. ISBN 1740592808 
  51. ^ Town planning for Bangladesh : Vision 2020”. The Daily Star (2008ねん11月8にち). 2008ねん12月15にち閲覧えつらん
  52. ^ a b Mondo, M. Abdul Latif (2006ねん9がつ27にち). “Our Cities: 15th Anniversary Special”. The Daily Star. 2006ねん9がつ27にち閲覧えつらん
  53. ^ Dhaka”. Encyclopedia Britannica. 2007ねん4がつ23にち閲覧えつらん
  54. ^ a b c d e f Lawson, Alistair (2002ねん6がつ1にち). “Good times for bourgeois Bangladeshis”. BBC News. http://news.bbc.co.uk/2/hi/south_asia/2018535.stm 2006ねん10がつ2にち閲覧えつらん 
  55. ^ a b c d e f g McGee, Terry (2006ねん9がつ27にち). “Urbanization Takes on New Dimensions in Asia's Population Giants”. Population Reference Bureau. 2006ねん9がつ27にち閲覧えつらん
  56. ^ a b “Does Dhaka need rickshaws?”. BBC News. (1998ねん7がつ20日はつか). http://news.bbc.co.uk/2/hi/south_asia/136074.stm 2006ねん9がつ27にち閲覧えつらん 
  57. ^ Robert Cervero (2000). Informal Transport in the Developing World. UN-HABITAT. p. 39. ISBN 9211314534 
  58. ^ Dhaka City Corporation. “Economy” (PHP). 2009ねん2がつ27にち閲覧えつらん
  59. ^ a b Global city GDP rankings 2008-2025”. Pricewaterhouse Coopers. 2013ねん5がつ31にち時点じてんオリジナルよりアーカイブ。2009ねん12月13にち閲覧えつらん
  60. ^ Asian City Development Strategies: Dhaka” (PDF). Fukuoka Conference 2000, Cities Alliance. 2009ねん1がつ24にち閲覧えつらん
  61. ^ Rizwanul, Islam; M. Muqtada (1986). Bangladesh, selected issues in employment and development. International Labour Organisation, Asian Employment Programme (ARTEP). p. 33. ISBN 9221057690 
  62. ^ Dhaka City State of Environment” (PDF). Regional Resource Center for Asia and the Pacific, 国際こくさい連合れんごう環境かんきょう計画けいかく (2005ねん). 2009ねん1がつ24にち閲覧えつらん
  63. ^ “Dhaka clothes factories to reopen”. BBC News. (2006ねん6がつ6にち). http://news.bbc.co.uk/1/hi/world/south_asia/5052738.stm 2006ねん9がつ27にち閲覧えつらん 
  64. ^ Poverty Alleviation: Yunus calls for major reforms in World Bank”. The Daily Star (2007ねん11月5にち). 2010ねん9がつ25にち閲覧えつらん
  65. ^ Blind eye to urban poor to spell social disaster:Conference on the poor told”. The Daily Star (2007ねん12月5にち). 2010ねん9がつ25にち閲覧えつらん
  66. ^ NASA, Scientific Visualization Studio (2001ねん12月12にち). “Dhaka, Bangladesh Urban Growth” (MPEG). 2007ねん4がつ30にち閲覧えつらん
  67. ^ Planet of Slums by Mike Davis”. Atimes.com (2006ねん5がつ20日はつか). 2010ねん5がつ8にち閲覧えつらん
  68. ^ Hoornweg, Daniel; Pope, Kevin (January 2014). “Population predictions of the 101 largest cities in the 21st century”. Global Cities Institute (Working Paper No. 4). http://media.wix.com/ugd/672989_62cfa13ec4ba47788f78ad660489a2fa.pdf. 
  69. ^ ::Our Cities::15th Anniversary Special”. Thedailystar.net. 2010ねん5がつ8にち閲覧えつらん
  70. ^ a b Ahmed, Dr. Nizamuddin (2006ねん9がつ27にち). “Happy 400th anniversary, Dhaka!”. The Daily Star. 2006ねん9がつ27にち閲覧えつらん
  71. ^ Farjana K Godhuly (2006ねん9がつ30にち). “ヒンズひんずきょう女神めがみドゥルガーの祭典さいてん‐バングラデシュ”. AFP BB News. 2010ねん10がつ9にち閲覧えつらん
  72. ^ Jeremy Seabrook (1996). In the Cities of the South: Scenes from a Developing World. Verso Books. p. 221. ISBN 1859840817 
  73. ^ World and Its Peoples. Marshall Cavendish Corporation. (2008). p. 489. ISBN 0761476318 
  74. ^ Melvin Ember, Carol R. Ember (2002). Encyclopedia of Urban Cultures : Cayenne-Kyoto: Cities and Cultures Around the World. Grolier. p. 147. ISBN 0717256987 
  75. ^ Thomas Angotti & Lothar Beckel (2001). Mega Cities. GEOSPACE Beckel Satellitenb. p. 730. ISBN 3853130518 
  76. ^ Alison Arnold (1999). The Garland Encyclopedia of World Music: The Indian Subcontinent. Routledge. pp. 858–859. ISBN 0824049462 
  77. ^ Ian Herbert & Nicole Leclercq (2000). The World of Theatre. Taylor & Francis. p. 12. ISBN 0415238668 
  78. ^ A. F. Salahuddin Ahmed & Bazlul Mobin Chowdhury (2004). Bangladesh, National Culture, and Heritage: An Introductory Reader. Independent University. p. 405. ISBN 9848509003 
  79. ^ Roy, Tirthankar (2007). “Out of Tradition: Master Artisans and Economic Change in Colonial India”. The Journal of Asian Studies (Cambridge University Press) 66: 963–991. 
  80. ^ John Simpson (2006). The Traveler's Handbook. Globe Pequot. p. 195. ISBN 0762740906 
  81. ^ Rizanuzzaman Laskar (2007ねん3がつ4にち). “Rickshaw pullers get licences”. The Daily Star. 2010ねん10がつ1にち閲覧えつらん
  82. ^ Rahman, Mushfiqur (2003). “Compressed Natural Gas”. In Islam, Sirajul. Banglapedia: National encyclopedia of Bangladesh. Dhaka: en:Asiatic Society of Bangladesh. ISBN 9843205766. OCLC 52727562. http://banglapedia.search.com.bd/HT/C_0326.htm 2008ねん1がつ17にち閲覧えつらん 
  83. ^ Sharif Uddin Ahmed (1986). Dacca: A Study in Urban History and Development. Curzon Press. p. 108. ISBN 0913215147 
  84. ^ “Passengers shun Dhaka-India bus”. BBC News. (2003ねん10がつ13にち). http://news.bbc.co.uk/2/hi/south_asia/3162854.stm 2006ねん9がつ7にち閲覧えつらん 
  85. ^ Marika McAdam (2004). Bangladesh. Lonely Planet. p. 66. ISBN 1740592808 
  86. ^ BBC News (Windows Media Player)
  87. ^ Economic and Social Commission for Asia and the Pacific. (2005). “Dhaka”. Asian Highway Handbook. United Nations Economic and Social Commission for Asia and the Pacific, United Nations Publications. p. 28. ISBN 9211201705 
  88. ^ https://www.google.ca/#hl=en&source=hp&q=shah+jalal+international+airport&meta=&aq=0&oq=shah+jalal+in&fp=8e6c6930b7d53e73
  89. ^ Alam, Jobair Bin (2003). “Air Transport”. In Islam, Sirajul. Banglapedia: National encyclopedia of Bangladesh. Dhaka: Asiatic Society of Bangladesh. ISBN 9843205766. OCLC 52727562. http://banglapedia.search.com.bd/HT/A_0133.htm 2008ねん1がつ17にち閲覧えつらん 
  90. ^ 「ダッカメトロ初乗はつのり25えん 日本にっぽんあゆ開発かいはつ慰霊いれいかたる」『日本経済新聞にほんけいざいしんぶん』2023ねん10がつ22にち
  91. ^ a b c T. Neville Postlethwaite (1988). The Encyclopedia of Comparative Education and National Systems of Education. Pergamon Press. p. 130. ISBN 0080308538 
  92. ^ a b 水岡みずおか不二雄ふじお. “バングラデシュの教育きょういく制度せいど”. 一橋大学ひとつばしだいがく経済学部けいざいがくぶ. 2010ねん9がつ18にち閲覧えつらん
  93. ^ ノボシアターホームページ” (ベンガル). ノボシアター. 2010ねん9がつ30にち閲覧えつらん
  94. ^ Kamal Siddiqui (1990). “Growth of academic institutions”. Social Formation in Dhaka City: A Study in Third World Urban Sociology. Dhaka: University Press Limited. p. 42 
  95. ^ “Dhaka teachers on violence charge”. BBC News. (2007ねん12月11にち). http://news.bbc.co.uk/1/hi/world/south_asia/7138123.stm 2008ねん5がつ15にち閲覧えつらん 
  96. ^ University of Dhaka (2006ねん9がつ10日とおか). “Univ. Facts” (PHP). 2006ねん9がつ4にち時点じてんオリジナルよりアーカイブ。2006ねん9がつ10日とおか閲覧えつらん
  97. ^ Muhammad Shamsul Huq (1983). Higher Education and Employment in Bangladesh. UNESCO. p. 181 
  98. ^ Alistair, Lawson (2002ねん7がつ24にち). “Uneasy calm after Bangladesh riot”. BBC News. http://news.bbc.co.uk/2/hi/south_asia/2148693.stm 2006ねん10がつ3にち閲覧えつらん 
  99. ^ Hossain, Moazzem (2002ねん9がつ2にち). “Bangladesh students call strike”. BBC News. http://news.bbc.co.uk/2/hi/south_asia/2246563.stm 2006ねん10がつ3にち閲覧えつらん 
  100. ^ Hossain, Moazzem (2002ねん9がつ2にち). “Protests shut Bangladeshi university”. BBC News. http://news.bbc.co.uk/2/hi/south_asia/2244628.stm 2006ねん10がつ3にち閲覧えつらん 
  101. ^ http://www.bangladeshpost.gov.bd/+(2009ねん10がつ16にち).+“Bangladesh Post Office”. Bangladeshpost.gov.bd. 2010ねん5がつ8にち閲覧えつらん
  102. ^ “Country profile: Bangladesh”. BBC News. (2010ねん1がつ11にち). http://news.bbc.co.uk/2/hi/europe/country_profiles/1160598.stm 2010ねん3がつ31にち閲覧えつらん 
  103. ^ Daily Prothom Alo”. Prothom-alo.com. 2010ねん5がつ8にち閲覧えつらん
  104. ^ “バングラデシュでシェア3新聞しんぶん閉鎖へいさされる” (日本語にほんご). 「BOP」戦略せんりゃく研究けんきゅうフォーラム. (2010ねん6がつ1にち). http://bopstrategy.blogspot.com/2010_06_01_archive.html 2010ねん10がつ2にち閲覧えつらん 
  105. ^ The Daily Star”. The Daily Star (2010ねん4がつ28にち). 2010ねん5がつ8にち閲覧えつらん
  106. ^ Bangladesh Sangbad Sangstha”. Bssnews.net (2010ねん3がつ18にち). 2010ねん5がつ8にち閲覧えつらん
  107. ^ Prof. Sirajul Islam. “Banglapedia Article on Bangladesh Sangbad Sangstha”. Banglapedia.org. 2010ねん5がつ8にち閲覧えつらん
  108. ^ bangladesh Television”. Btv.gov.bd. 2010ねん5がつ8にち閲覧えつらん
  109. ^ Bangladesh Betar-The state owned radio station of Bangladesh”. Betar.org.bd (2010ねん4がつ1にち). 2010ねん5がつ8にち閲覧えつらん
  110. ^ Robert MacHenry, ed (1993). “Bangladesh”. The New Encyclopaedia Britannica. Encyclopaedia Britannica. p. 717. ISBN 0852295715 
  111. ^ Al Musabbir Sadi (2007ねん6がつ17にち). “Tasty derby drawn”. The Daily Star. 2010ねん10がつ1にち閲覧えつらん
  112. ^ a b Cricinfo (2006ねん9がつ7にち). “Stadium”. http://content-usa.cricinfo.com/bangladesh/content/ground/56661.html 2006ねん5がつ26にち閲覧えつらん 
  113. ^ “India lands 2011 World Cup final”. BBC News. (2006ねん7がつ8にち). http://news.bbc.co.uk/sport2/hi/cricket/5160396.stm 2006ねん7がつ9にち閲覧えつらん 
  114. ^ Cricinfo. “Grounds – Bangladesh: Dhaka”. 2008ねん3がつ13にち閲覧えつらん
  115. ^ Muhammad Abdur Rahim (1981). The History of the University of Dacca. University of Dacca. p. 161 

関連かんれん項目こうもく

[編集へんしゅう]

外部がいぶリンク

[編集へんしゅう]