(Translated by https://www.hiragana.jp/)
フェラーリ・F40 - Wikipedia コンテンツにスキップ

フェラーリ・F40

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
フェラーリ F40から転送てんそう
フェラーリ・F40
フロント
リアビュー
概要がいよう
製造せいぞうこく イタリアの旗 イタリア
販売はんばい期間きかん 1987ねん - 1992ねん
デザイン ピニンファリーナ
(レオナルド・フィオラヴァンティ)
ボディ
乗車じょうしゃ定員ていいん 2人ふたり
ボディタイプ 2ドア クーペ
駆動くどう方式ほうしき MR
パワートレイン
エンジン Tipo F120Aがた 2,936cc Vがた8気筒きとうDOHC ツインターボ
最高さいこう出力しゅつりょく 351.5kW(478PS)/7,000rpm
最大さいだいトルク 577Nm(58.5kgm)/4,000rpm
変速へんそく 5そくMT
まえ ダブルウィッシュボーン
のち ダブルウィッシュボーン
車両しゃりょう寸法すんぽう
ホイールベース 2,450mm
全長ぜんちょう 4,357mm
全幅ぜんぷく 1,970mm
ぜんこう 1,124mm
車両しゃりょう重量じゅうりょう 1,100kg(乾燥かんそう重量じゅうりょう)
1,250kg
系譜けいふ
先代せんだい 288GTO
後継こうけい F50
テンプレートを表示ひょうじ

F40effe quaranta /エッフェ クアランタ)は、1987ねんフェラーリ創業そうぎょう40周年しゅうねん記念きねんして製作せいさくしたスーパーカーである。公称こうしょう最高さいこう速度そくどは324km/hであり、発売はつばい当時とうじ世界せかい最速さいそく市販しはんしゃであった。288GTOからはじまった特別とくべつ限定げんていしゃ、いわゆる「スペチアーレ」の2代目だいめとなるモデルである。

概要がいよう[編集へんしゅう]

478psを発揮はっきするVがた8気筒きとうツインターボエンジン
レース専用せんよう車両しゃりょうのようなコクピット
スプラインセンターロックハブをそなえたスリーピースホイール。安全あんぜんせいたかめるためのRクリップがいている。

F40は、フェラーリの創始そうししゃであるエンツォ・フェラーリがその生涯しょうがい最後さいごに、同社どうしゃの「そのままレースにられる市販しはんしゃ」というくるまづくりの基本きほん理念りねん具現ぐげんしたスポーツカーである。ボディデザインはピニンファリーナ開発かいはつのコードネームはル・マン24あいだレース意味いみする「LM」。1987ねん7がつ21にちマラネッロひらかれた発表はっぴょうかいには、当時とうじ89さいのエンツォ・フェラーリが出席しゅっせきしてみずか発表はっぴょうおこなった[1]

車体しゃたい基本きほん構成こうせいこそ1960年代ねんだいのフェラーリせいレーシングカー、あるいは従来じゅうらい市販しはんフェラーリと同様どうよう楕円だえん鋼管こうかんチューブラーフレームによるスペースフレームシャーシであるが、当時とうじ開発かいはつされたばかりのふくあい素材そざい構造こうぞう接着せっちゃくざいといった最新さいしんのマテリアルをわせたはんモノコック構造こうぞうとし、たか剛性ごうせいている。ボディがいいたやカウルはすべふくあい素材そざいせいで、内装ないそう素材そざいしとなっており、内張うちばりは存在そんざいしない。ドアの室内しつないがわにはドアノブもく、ワイヤーをいてドアをける。サイドウィンドウは、手動しゅどう上下じょうげするガラスせいのタイプと、ウィンドウ自体じたいアクリルせい固定こていでスライドしきしょうまどそなえる軽量けいりょうタイプの2種類しゅるいからえらべ、軽量けいりょうタイプではドアの内張うちばりがいっそう簡素かんそなものとなる。シートもふくあい素材そざいせいのフルバケットタイプでリクライニングなどの調整ちょうせいはできず、3種類しゅるいのサイズから選択せんたくできる[2]。シートベルトは3てんしき標準ひょうじゅん装備そうびで、オプションで4てんしき選択せんたく可能かのう

ステアリングやブレーキにはパワーアシストが一切いっさいないうえに、だいパワーしゃゆえのクラッチペダルのおもさが話題わだいになることがおおかった[3]始動しどうには暖気だんき充分じゅうぶんでないと、ギアがはいらないという。燃料ねんりょうやオイルのれにも注意ちゅうい必要ひつようで、実際じっさいにそれが原因げんいんおもわれる火災かさいうしなわれた車両しゃりょうもある。なお、エアコン標準ひょうじゅん装備そうびされている[4]

フェラーリ・スペチアーレとしては製造せいぞう期間きかんながく、改良かいりょう順次じゅんじおこなわれた。そのため前期ぜんきがた後期こうきがた区別くべつされることもある。両者りょうしゃでは吸排気はいきけいことなるほか、後期こうきがたではショックアブソーバーにくるまだか調整ちょうせい機能きのうそなわる[5]

パワートレインは、グループB規定きていあらそわれていた世界せかいラリー選手権せんしゅけん(WRC)への参戦さんせん目論もくろんで開発かいはつされたコンペティションベースモデルの288GTOからぎ、改良かいりょうくわえたインタークーラーしきツインターボエンジンのF120Aがた搭載とうさいしている。このエンジンは、ランチアグループCカーであるLC2搭載とうさいされているユニットをデチューンしたもので、ターボチャージャーは日本にっぽん石川島播磨いしかわじまはりま重工じゅうこうげんIHI[6]せい。なお、2,936ccという排気はいきりょう当時とうじ国際こくさい自動車じどうしゃ連盟れんめい(FIA)がさだめたターボ係数けいすう1.7をけて5,000cc以下いかのクラスにおさまるようにしたものとわれるが、具体ぐたいてきなターゲットとなったレースやカテゴリーは不明ふめいである[5]。タイヤはピレリがF40のために開発かいはつした「P Zero」が標準ひょうじゅんだが、ブリヂストンの「POTENZA RE71」も装着そうちゃくされた[7]。ホイールの固定こてい方式ほうしきセンターロックしき。ボディカラーは公式こうしきにはあかのみだが、黄色おうしょく個体こたい存在そんざいする。

出力しゅつりょく特性とくせいはいわゆるドッカンターボであり、パワーバンドにはいると同時どうじ急激きゅうげきがる強大きょうだいなパワーはおおくのうで自信じしんがあるドライバーをなやませ、開発かいはつ参加さんかしたスクーデリア・フェラーリ所属しょぞくゲルハルト・ベルガーに「あめには絶対ぜったいりたくない」とわせたという逸話いつわのこっている[8]ハンドル位置いちひだりハンドルのみで、みぎハンドル仕様しようしゃ生産せいさんされなかった。

トランスミッションは5そくMTのみの設定せっていだが、あしわるかった親会社おやがいしゃフィアット名誉めいよ会長かいちょうジャンニ・アニェッリ所有しょゆうしゃかれテスタロッサスパイダー同様どうよう自動じどう変速へんそく機構きこう装備そうびされていた。

フェラーリ伝統でんとうまるがたテールランプ(後部こうぶ方向ほうこう指示しじ後退こうたいとう尾灯びとうけん制動せいどうとう)は、308などと共通きょうつうであり、後退こうたいとうのぞきバルブが片側かたがわ2つずつ使用しようされている。後部こうぶきりとうはリアバンパーに内蔵ないぞうされるが、アメリカ仕様しようしゃでは装備そうび

パフォーマンス[編集へんしゅう]

1988ねんマラネロにて、当時とうじフェラーリのテストドライバーであったドリアード・ボルサーリによるドライブで、2方向ほうこう実測じっそく平均へいきんで325.8 km/hを記録きろくした。日本にっぽんでも茨城いばらきけん谷田部やたべまちげんつくば)の日本にっぽん自動車じどうしゃ研究所けんきゅうじょ(JARI)のテストコースにて、ベストモータリングなどによる動力どうりょく性能せいのうテストで0-400 mで11.293びょう(通過つうか速度そくど203.60 km/h)、0-1000 mで20.830びょうというタイムを記録きろくした。公称こうしょう最高さいこう速度そくどが320 km/h(≒ 200mph)をえた世界せかいはつ市販しはんしゃである。

バリエーション[編集へんしゅう]

フェラーリ公式こうしきてきにはF40 コンペティツィオーネとF40 LMはどうバージョンとしてあつかわれるが、ここではレースに参戦さんせんしたモデルを「F40 LM」、サーキットユースのみのを「F40 コンペティツィオーネ」とする。

F40 LM[編集へんしゅう]

当初とうしょ1988ねんル・マン24あいだレース設立せつりつされる予定よていであったGTCクラスに規定きてい沿って製作せいさくされた車両しゃりょう。しかしGTCクラス規定きてい頓挫とんざしたことによりIMSA GT選手権せんしゅけんへと参戦さんせんすることになった。

ミケロットにより大幅おおはばにチューンされた「F120B」ユニットを搭載とうさいし780psをほこった。大型おおがたリップスポイラー、ワイドされたフェンダーと拡大かくだいされたドアのNACAダクト、大型おおがたリアバンパーない増設ぞうせつしたオイルクーラーと吸入きゅうにゅうダクト、フロントの冷却れいきゃくアウトレットが特徴とくちょう。1990ねんのIMSA参戦さんせんより大型おおがた固定こていしきライトが採用さいようされよくられるF40 LMの姿すがたになった。

F40 LMは市販しはんばんF40を改造かいぞうして製作せいさくされたS/N 79890とS/N 79891の2だいとF40のプロトタイプをベースに製作せいさくされたS/N 74045(1995ねんよりパイロットF40としてBPR GTに参戦さんせんした車両しゃりょう)の3だいすことがおおい。

F40 コンペティツィオーネ[編集へんしゅう]

IMSA GTで活躍かつやくしたF40 LMの活躍かつやくったフェラーリ愛好あいこうために16だいのみ製造せいぞうされたモデル。初期しょきの3だい愛好あいこうすでわたっていた市販しはんばんF40をベースにつくられ、のこりの13だい新造しんぞうされた。詳細しょうさいフェラーリ・F40 コンペティツィオーネ参照さんしょう

F40 GT[編集へんしゅう]

イタリアスーパーカーGT選手権せんしゅけん参戦さんせんのため7だい製造せいぞうされた。

外装がいそう一般いっぱんのF40とほぼわらないかたちをしているが、牽引けんいんフックの追加ついかとサイドミラーの形状けいじょう変更へんこうされている。これはとう選手権せんしゅけんグループN規定きてい非常ひじょうちかいCSAI GTのレギュレーションを採用さいようしており、改造かいぞう範囲はんい非常ひじょうせまかったことに起因きいんする。一方いっぽうでエンジンは590bhpまでチューニングされるとともCFRPせい軽量けいりょうボディパネル、サスペンションピボットのユニボール、エンジンクーリングダクトのフラットフォーなどがされている。

F40 GTE[編集へんしゅう]

BPR GT参戦さんせんのためACOさだめるGT1規定きてい沿ってつくられた。S/N 90001、S/N 82404、S/N94362、S/N 85015、S/N 88779、S/N 84503の6だい製作せいさくされた。

1995ねんはエンジンは2998ccまで拡大かくだいし、39mmのリストリクターを装着そうちゃくした状態じょうたいで630ps/7500rpmを発揮はっきした。外装がいそうはF40 LMにちかいがフェンダーが前後ぜんごどもわずかにふくらみ、アメリカ仕様しようしゃたフロントスポイラーとリアバンパーを採用さいよう。フロントフェンダーにはエアをくためのダクトが追加ついかされた。

1996ねん前年度ぜんねんど途中とちゅうから導入どうにゅうされた3.5リッターエンジンを使用しよう。リストリクター装着そうちゃくでは650ps、装着そうちゃくだと800psをえるパワーを発揮はっきする。またミッションが前年度ぜんねんどまで自社じしゃせいの5そくHパターンを使用しようしていたが、エクストラックしゃせいのシーケンシャル6そくへと変更へんこうされている。薄型うすがたのステーと車体しゃたいはばまで拡大かくだいしたリアウイングを採用さいようした。

日本にっぽんでの販売はんばい[編集へんしゅう]

日本にっぽんには1987ねんすえ発表はっぴょう新車しんしゃ価格かかくは4,650まんえんであったが、当時とうじバブル経済けいざい只中ただなかにあった日本にっぽんでは大幅おおはばなプレミアがき、一時いちじは2おく5,000まんえん取引とりひきされたこともあった。このように非常ひじょうたか価格かかく取引とりひきされたことから、「はし不動産ふどうさん」ともばれた(自動車じどうしゃは「動産どうさん」)。日本にっぽん正規せいき輸入ゆにゅう台数だいすうは59だいで、内訳うちわけはストラダーレモデルが58だいコンペティツィオーネが1だいである。

各種かくしゅメディアでも大々的だいだいてき紹介しょうかいされ、テレビ番組ばんぐみカーグラフィックTV』は谷田部やたべテストコースでフルテストをおこなった。玩具おもちゃさかんで、田宮たみや模型もけいフジミ模型もけいレベルイタレリポケールブラーゴマテルきょうしょうひとし各社かくしゃから模型もけいされた。

日本にっぽんでの逸話いつわとしては、以下いかのようなものがある。

モータースポーツ[編集へんしゅう]

F40の開発かいはつ段階だんかいからレースへの参戦さんせん考慮こうりょされていたようだが、発表はっぴょう当初とうしょ参戦さんせんできるレースもほとんどなかった。車体しゃたい構成こうせいする鋼管こうかんスペースフレームは1960年代ねんだい以来いらい古典こてんてきなもので、参戦さんせん環境かんきょうととのった1990年代ねんだいには当時とうじ最新さいしん技術ぎじゅつ駆使くししたマクラーレン・F1がレースかい席巻せっけんしており、F40は時代遅じだいおくれな状態じょうたいとなっていた。おおやけにモータースポーツの姿すがたせたのは、2000ねん英国えいこくGT選手権せんしゅけん最後さいごとなっている。

1989ねん

ヨーロッパでは1989ねんのル・マン24あいだレース出場しゅつじょうすべくF40LMが準備じゅんびされたが、当時とうじのル・マンはグループC時代じだいでエントリーがみとめられなかった。しかし同年どうねん10がつ、F40がアメリカのIMSAシリーズGTOクラスのラグナ・セカ1あいだレースにスポット参戦さんせんし、ジャン・アレジのドライブで3はいった。つづくデル・マー1あいだにはジャン=ピエール・ジャブイーユのドライブで出走しゅっそうするもリタイアにわった。

1990ねん

つづきIMSA-GTOにジャン=ピエール・ジャブイーユとうのドライブですうせんのスポット参戦さんせんをする。初戦しょせんのトペカ2あいだはリタイア。ミド・オハイオ250kmでは3。モスポートでは2。ロード・アメリカ300kmでは2。ワトキンス・グレン500kmでも2表彰台ひょうしょうだい獲得かくとくした。

1992ねん

イタリア・スーパーカーGT選手権せんしゅけんはじまり、ジョリークラブがミケロット製作せいさくのF40GTで3年間ねんかん出場しゅつじょう。ライバルもなく、連戦れんせん連勝れんしょうした。

1994ねん

BPR GTシリーズがはじまり、ストランデル エネア チームがF40GTおよびGTEで参戦さんせんするが、信頼しんらいせい確保かくほ出来できず1しょうにとどまった。

前後ぜんごしてレギュレーションが改訂かいていされ、GTカーでのレースとなったル・マン24あいだレースにも参戦さんせん開始かいしはつ出場しゅつじょうとなったこのとしは1だい出走しゅっそうするもリタイア。しかし、鈴鹿すずか500kmでは優勝ゆうしょうたしている。

日本にっぽん国内こくないにおいては全日本ぜんにほんGT選手権せんしゅけん参戦さんせんし、このシーズンに1しょうおさめているが、日本にっぽんしゃ有利ゆうりなレギュレーション改正かいせい[よう出典しゅってん]がたびたびおこなわれたため、活躍かつやくした期間きかんみじかかった。

1995ねん

BPR GTシリーズはフェラーリクラブイタリアから2だいのGTE、パイロット・アルデックスレーシングからLMが1だい参戦さんせん。GTEのデビューせんであるモンツァではポールポジション獲得かくとくつづハラマニュルブルクリンクでもポールポジションを獲得かくとくするなど、合計ごうけい5のポールポジションを獲得かくとくする活躍かつやくせたが、いずれも決勝けっしょうでの勝利しょうりにはむすびつかなかった。一方いっぽうLMはアンデルストープせん優勝ゆうしょう。これがこのシーズン唯一ゆいいつのF40の優勝ゆうしょうであった。

同年どうねんのル・マン24あいだレースには1だいのLMと2だいのGTEが出走しゅっそう予選よせんではマクラーレンを上回うわまわ総合そうごう6、7、8獲得かくとくしたが、本戦ほんせんではLMの総合そうごう12GT1クラス6さい上位じょういで、おなじGT1クラスで総合そうごう優勝ゆうしょうしたマクラーレン・F1からは28しゅうおくれだった。

1996ねん

BPR GTシリーズはエネアの2だいのGTE、パイロットのLMにあたらしくユーロチームのGTEがくわわった。外見がいけんてきにも前年度ぜんねんどくらべるとおおきなちがいがあらわれた。前年ぜんねんおなじく予選よせん位置いちにつけることはおおかったが、アンデルストープせんでのエネアの1しょうとどまった。BPR GTでは3ねんで1しょうずつ3しょうわる結果けっかとなった。

同年どうねんのル・マン24あいだレースにもLM1だいとGTE3だい出走しゅっそうしたがすべてリタイアした。

イタリアのヴァレルンガでおこなわれたヴァレルンガ6あいだレースで優勝ゆうしょうたしている。

1997ねん

このとしのル・マン24あいだレースにはエントリーはしたものの出場しゅつじょうしなかった。

1998ねん

フランスGT選手権せんしゅけん出場しゅつじょう

タイサンSTARCARD F40 タイサンSTARCARD F40
タイサンSTARCARD F40

ちゅう出典しゅってん[編集へんしゅう]

  1. ^ CG選集せんしゅう「フェラーリ」301ぺーじ
  2. ^ 月刊げっかんカーグラフィック1987ねん10がつごう』60ぺーじ
  3. ^ 月刊げっかんカーグラフィック1988ねん9がつごう』90ぺーじ
  4. ^ ネコ・パブリッシング『スーパーフェラーリ』p.117。
  5. ^ a b ネコ・パブリッシング『ROSSO 1999ねん11がつごう
  6. ^ 現在げんざいターボチャージャーを製造せいぞうしているのはIHIターボである。
  7. ^ 月刊げっかんカーグラフィック』1989ねん6がつごう93ぺーじ
  8. ^ あめにはってはいけない!? 過激かげきなスペチアーレモデル ‘90 フェラーリF40 - 『カーセンサー』「VINTAGE EDGE」。
  9. ^ 過去かこ最高さいこう速度そくど超過ちょうか逮捕たいほ「235キロ暴走ぼうそうおとこ」に“伝説でんせつ最速さいそくおう”がダメ - 東京とうきょうスポーツ・2018ねん3がつ2にち

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]