ヨセミテ国立 こくりつ 公園 こうえん (ヨセミテこくりつこうえん、Yosemite National Park [joʊˈsɛmɨti] )は、アメリカ合衆国 あめりかがっしゅうこく カリフォルニア州 しゅう 中央 ちゅうおう 部 ぶ のマリポサ郡 ぐん 及 およ びトゥオルミ郡 ぐん にある、自然 しぜん 保護 ほご を目的 もくてき とした国立 こくりつ 公園 こうえん である。そこに住 す んでいたネイティブアメリカンの部族 ぶぞく の呼称 こしょう から名 な づけられた。
1864年 ねん 、州立 しゅうりつ 公園 こうえん に指定 してい 。1890年 ねん 、国立 こくりつ 公園 こうえん に指定 してい 。1984年 ねん 、ユネスコ の世界 せかい 遺産 いさん (自然 しぜん 遺産 いさん )に登録 とうろく された。
公園 こうえん の面積 めんせき は3081平方 へいほう キロメートル(東京 とうきょう 都 と の約 やく 1.4倍 ばい )で、シエラネバダ山脈 さんみゃく の西山 にしやま 麓 ふもと に広 ひろ がっている。ここには年間 ねんかん 430万 まん 人 にん 以上 いじょう (2017年 ねん )が訪 おとず れるが、そのほとんどが集 あつ まるのは公園 こうえん 全体 ぜんたい の1%にも満 み たないヨセミテ渓谷 けいこく (約 やく 18平方 へいほう キロメートル)である[1] 。
1984年 ねん に世界 せかい 遺産 いさん に登録 とうろく され、そそり立 た つ白 しろ い花崗岩 かこうがん の絶壁 ぜっぺき 、そこを流 なが れ落 お ちる多 おお くの巨大 きょだい な滝 たき 、谷 たに や木々 きぎ の間 あいだ を流 なが れる澄 す んだ大小 だいしょう の川 かわ 、ジャイアントセコイア の巨木 きょぼく の林 はやし 、生物 せいぶつ 学 がく 的 てき な多様 たよう 性 せい が世界 せかい 的 てき に知 し られることとなった[1] 。公園 こうえん 全体 ぜんたい の約 やく 95%は原生 げんせい 地域 ちいき に指定 してい されている[2] 。ヨセミテは、第 だい 1号 ごう の国立 こくりつ 公園 こうえん であるイエローストーン国立 こくりつ 公園 こうえん より指定 してい は遅 おそ いが、ガレン・クラーク (Galen Clark) やジョン・ミューア (John Muir) といった先達 せんだつ の貢献 こうけん により、アメリカの国立 こくりつ 公園 こうえん の発展 はってん の上 うえ では中心 ちゅうしん 的 てき な役割 やくわり を果 は たした[3] 。
ヨセミテ国立 こくりつ 公園 こうえん は、シエラネバダ山脈 さんみゃく の中 なか で最大 さいだい 規模 きぼ の、最 もっと もまとまった動植物 どうしょくぶつ の生息 せいそく 地 ち であり、生物 せいぶつ の多様 たよう 性 せい を育 はぐく んでいる。公園 こうえん は高度 こうど 600mから4,000mの地域 ちいき を含 ふく み、大 おお きく分 わ けて次 つぎ の5つの植生 しょくせい 帯 たい から成 な っている。低木 ていぼく ・オーク 林 はやし 帯 たい (chaparral/oak woodland)、低地 ていち ・低 てい 山 やま 植生 しょくせい 帯 たい (lower montane)、高地 こうち ・低 てい 山 やま 植生 しょくせい 帯 たい (upper montane)、亜 あ 高山 こうざん 帯 たい (subalpine)、および高山 たかやま 帯 たい (alpine) である。カリフォルニア州 しゅう には7,000種 しゅ の植物 しょくぶつ が生 は えているが、そのうちの50%がシエラネバダ山脈 さんみゃく にあり、20%以上 いじょう がヨセミテ公園 こうえん 内 ない に見 み られる。160種 しゅ 以上 いじょう の稀少 きしょう 植物 しょくぶつ の植生 しょくせい 地域 ちいき があり、その形成 けいせい にはヨセミテのたぐいまれな地質 ちしつ 学 がく 的 てき 形成 けいせい 過程 かてい と、特異 とくい な土壌 どじょう が寄与 きよ している[1] 。また、アメリカグマ や、アライグマ などの哺乳類 ほにゅうるい が約 やく 100種類 しゅるい 、鳥類 ちょうるい が200種類 しゅるい 以上 いじょう 生息 せいそく している。セコイア の大木 たいぼく でも有名 ゆうめい である。
ヨセミテを地質 ちしつ 学 がく 的 てき に見 み ると、花崗岩 かこうがん が大 だい 部分 ぶぶん を覆 おお い、それより古 ふる い岩石 がんせき が残 のこ りの部分 ぶぶん を占 し めている。およそ1000万 まん 年 ねん 前 まえ にシエラネバダ山塊 さんかい が隆起 りゅうき し、その後 ご 傾斜 けいしゃ したことにより、西側 にしがわ には緩 ゆる やかな高原 こうげん が、東側 ひがしがわ には急峻 きゅうしゅん な山肌 やまはだ が生 う まれた。この隆起 りゅうき に伴 ともな って、川 かわ の流 なが れは急 きゅう になり、流 なが れにえぐられて、深 ふか く、狭 せま い渓谷 けいこく ・峡谷 きょうこく が形成 けいせい された。次 つ いで、約 やく 100万 まん 年 ねん 前 まえ に、降 ふ り積 つ もった雪 ゆき と氷 こおり が氷河 ひょうが となって高山 こうざん の草原 そうげん 帯 たい を覆 おお い、谷 たに に沿 そ って流 なが れ下 くだ り始 はじ めた。氷 こおり 期 き 初 はじ めには、ヨセミテ渓谷 けいこく を埋 う め尽 つ くした氷 こおり の厚 あつ さは約 やく 1200メートルに達 たっ したと考 かんが えられている。この氷河 ひょうが の流 なが れに削 けず られたことによって、U字 じ 谷 だに が現 あらわ れた[1] 。
宇宙 うちゅう から見 み たヨセミテ国立 こくりつ 公園 こうえん 。
ヨセミテ国立 こくりつ 公園 こうえん は、カリフォルニア州 しゅう シエラネバダ山脈 さんみゃく の中央 ちゅうおう 部 ぶ にある。サンフランシスコ からは車 くるま で約 やく 3時 じ 間 あいだ 半 はん 、ロサンゼルス からは約 やく 6時 じ 間 あいだ 、サンバーナーディーノ からは約 やく 7時 じ 間 あいだ である。周 まわ りには原生 げんせい 地域 ちいき が広 ひろ がり、南東 なんとう にアンセル・アダムス自然 しぜん 保護 ほご 区域 くいき 、北東 ほくとう にフーバー自然 しぜん 保護 ほご 区域 くいき 、北 きた にエミグラント自然 しぜん 保護 ほご 区域 くいき がある。
公園 こうえん の面積 めんせき は3,080km2 で、およそロードアイランド州 しゅう の面積 めんせき に匹敵 ひってき する。何 なに 千 せん もの湖沼 こしょう 、2600kmの渓流 けいりゅう 、1,300kmのハイキング・トレイル、560kmの道路 どうろ がある[4] 。自然 しぜん ・景勝 けいしょう 河川 かせん として連邦 れんぽう 政府 せいふ に指定 してい されたマーセド川 がわ とトゥオルミ川 がわ は、ヨセミテの域内 いきない を流 なが れた後 のち 、シエラネバダ山脈 さんみゃく の麓 ふもと を西 にし へ通 とお ってカリフォルニアセントラルヴァレー へ流 なが れ込 こ む。年間 ねんかん の来場 らいじょう 者 しゃ は430万 まん 人 にん を超 こ え、ほとんどの人 ひと がヨセミテ渓谷 けいこく の約 やく 18km2 のエリアに集 あつ まる[4] 。
ヨセミテの地形 ちけい のほとんどは、シエラネバダ・バソリス(バソリス とは、地中 ちちゅう 深 ふか くで従来 じゅうらい の岩石 がんせき に貫入 かんにゅう した火成岩 かせいがん の大 おお きな塊 かたまり をいう)の花崗岩 かこうがん からできている。その他 た 5%(主 おも に公園 こうえん の東端 ひがしばた 、ダナ山 さん 近 ちか く)は、変成 へんせい 作用 さよう を受 う けた火山岩 かざんがん と堆積岩 たいせきがん でできている[6] 。これらの岩石 がんせき は「ルーフ・ペンダント」と呼 よ ばれるが、それは花崗岩 かこうがん の上 うえ に乗 の った屋根 やね のような状態 じょうたい を示 しめ すからである[7] 。
隆起 りゅうき によって形成 けいせい された岩石 がんせき の節理 せつり (割 わ れ目 め )に浸食 しんしょく 作用 さよう が働 はたら くことによって、現在 げんざい の渓谷 けいこく 、ドームなどの地形 ちけい が生 う み出 だ された。節理 せつり が生 しょう じる間隔 かんかく は、花崗岩 かこうがん 及 およ び花崗 みかげ 閃緑岩 がん に含 ふく まれる二酸化 にさんか ケイ素 けいそ (シリカ)の量 りょう による。二酸化 にさんか ケイ素 けいそ の含有 がんゆう 量 りょう が多 おお いほど、岩石 がんせき の強度 きょうど は増 ま し、節理 せつり の間隔 かんかく は広 ひろ くなる。
ワシントン・コラムやロスト・アローのような岩 いわ 柱 ばしら は、節理 せつり が交差 こうさ して生 う まれる。こうした岩石 がんせき の節理 せつり に対 たい する浸食 しんしょく 作用 さよう の中 なか でも、この数 すう 百 ひゃく 万 まん 年 ねん の間 あいだ で最 もっと も大 おお きかったのが、アルプス型 がた の氷河 ひょうが によるものであった。それまで河川 かせん によってV字 じ 型 がた に削 けず られていた谷 たに は、氷河 ひょうが によってU字 じ 型 がた の渓谷 けいこく になった(ヨセミテ渓谷 けいこく やヘッチ・ヘッチー渓谷 けいこく がそれに当 あ たる)。また、節理 せつり どうしの間隔 かんかく が広 ひろ い花崗岩 かこうがん に、剥離 はくり 作用 さよう (深成岩 しんせいがん の結晶 けっしょう が表面 ひょうめん で膨張 ぼうちょう する傾向 けいこう によって生 しょう じる)が加 くわ わることによって、現在 げんざい のハーフドーム やノースドーム といったドーム地形 ちけい 、ロイヤル・アーチのようなアーチ地形 ちけい が生 う まれた。
ハーフドーム
ヨセミテ渓谷 けいこく は、国立 こくりつ 公園 こうえん 全体 ぜんたい の1%にすぎないが、ほとんどの観光 かんこう 客 きゃく が訪 おとず れ、滞在 たいざい する場所 ばしょ である。エル・キャピタン は、花崗岩 かこうがん の絶壁 ぜっぺき であり、様々 さまざま なクライミング・ルートがあること、1年 ねん を通 つう じて登 のぼ れることから、世界中 せかいじゅう でも人気 にんき の高 たか いロッククライミング のスポットである。花崗岩 かこうがん ドームのセンチネルドーム 、ハーフドーム はそれぞれ渓谷 けいこく の底 そこ から約 やく 1160メートル、1470メートルの高 たか さがある。
エル・キャピタン
ヨセミテには、トゥオルミ・メドウズ 、ダナ・メドウズ 、クラーク・レンジ、カセドラル・レンジ、クナ・クレストといった美 うつく しいエリアが数多 かずおお くある。シエラネバダの尾根 おね とパシフィック・クレスト・トレイル がヨセミテを縦走 じゅうそう し、ダナ山 さん 、ギブズ山 さん のような赤色 あかいろ 変成岩 へんせいがん の峰 みね 、コネス山 さん のような花崗岩 かこうがん の峰 みね がある。ライエル山 さん は公園 こうえん の中 なか での最高峰 さいこうほう である。
古代 こだい のセコイアデンドロン (ジャイアントセコイア)の林 はやし が、マリポサ・グローブ(200本 ほん )、トゥオルミ・グローブ(25本 ほん )、マーセド・グローブ(20本 ほん )の3か所 しょ ある。セコイアデンドロンは、他 た のどんな木 き よりも巨大 きょだい に成長 せいちょう する植物 しょくぶつ で、体積 たいせき でも寿命 じゅみょう でも際立 きわだ っている。最後 さいご の氷 こおり 期 き が始 はじ まる前 まえ には、今 いま よりずっと広範囲 こうはんい に生 は えていた。
ヨセミテから流 なが れ出 だ すマーセド川 がわ 。
トゥオルミ川 がわ とマーセド川 がわ の水系 すいけい は、公園 こうえん 内 ない のシエラネバダ山脈 さんみゃく の尾根 おね に沿 そ って流 なが れ出 だ し、およそ910mから1,200mの深 ふか さの渓谷 けいこく を作 つく り出 だ している。トゥオルミ川 がわ は公園 こうえん の北 きた 半分 はんぶん 、約 やく 1800km2 の範囲 はんい の水 みず を集 あつ め、マーセド川 がわ は公園 こうえん の南側 みなみがわ の峰々 みねみね 、カセドラル・レンジやクラーク・レンジに源流 げんりゅう を発 はっ し、約 やく 1320km2 の範囲 はんい から水 みず を集 あつ める[12] 。
氷河 ひょうが 、洪水 こうずい 、河川 かせん の流 なが れなど、水 みず の作用 さよう は、公園 こうえん の地形 ちけい の形成 けいせい に大 おお きな役割 やくわり を果 は たした[12] 。また、公園 こうえん 内 ない には約 やく 3200の湖 みずうみ (100m2 超 ちょう )、二 ふた つの貯水池 ちょすいち 、2700kmに及 およ ぶ河川 かせん があり、これらも上記 じょうき の二 ふた つの大 おお きな水系 すいけい の一部 いちぶ をなす[13] 。湿地 しっち は、公園 こうえん 各所 かくしょ の渓谷 けいこく の底 そこ に見 み られ、これも季 き 節 ぶし 的 てき な洪水 こうずい や地下水 ちかすい の動 うご きなどを通 つう じて近 ちか くの湖 みずうみ ・河川 かせん と水系 すいけい 的 てき につながっていることが多 おお い。草地 くさち の動植物 どうしょくぶつ 生息 せいそく 域 いき は標高 ひょうこう 910mから3,400mの範囲 はんい に散 ち らばっているが、多 おお くが湿地 しっち である。河川 かせん 沿 ぞ いの動植物 どうしょくぶつ 生息 せいそく 域 いき も、同様 どうよう に多 おお くが湿地 しっち である[14] 。
U字 じ 谷 だに から流 なが れ落 お ちるブライダルベール滝 たき 。
ヨセミテは、狭 せま い地域 ちいき に多数 たすう の滝 たき が集 あつ まっていることで知 し られる。急峻 きゅうしゅん な崖 がけ 、氷河 ひょうが の段差 だんさ 、懸 かか 谷 たに (氷河 ひょうが の本流 ほんりゅう に向 む かって落 お ち込 こ んでいる支流 しりゅう の谷 たに )などが多 おお いため、特 とく に雪解 ゆきど けの4月 がつ から6月 がつ にかけては滝 たき が生 う まれる条件 じょうけん がそろっている。ヨセミテ渓谷 けいこく にある739メートルのヨセミテ滝 たき は[15] 、北 きた アメリカで最 もっと も高 たか い滝 たき である。同 おな じくヨセミテ渓谷 けいこく にあるリボン滝 たき は、491メートルであるが、水 みず が一気 いっき に垂直 すいちょく に落下 らっか する距離 きょり においては最 もっと も高 たか い。ヨセミテ渓谷 けいこく の中 なか でも有名 ゆうめい なのが、ワウォナ・トンネル の東 ひがし 出口 でぐち のトンネル・ビュー ポイントから見 み えるブライダルベール滝 たき である。ヘッチ・ヘッチー渓谷 けいこく のワパマ滝 たき もまた素晴 すば らしい滝 たき である。そのほか公園 こうえん 内 ない には一時 いちじ 的 てき に生 う まれて消 き える滝 たき が何 なん 百 ひゃく とある。
氷河 ひょうが は、1日 にち 中日 ちゅうにち 陰 かげ になる北側 きたがわ 又 また は北東 ほくとう 側 がわ 斜面 しゃめん の圏 けん 谷 たに などに、比較的 ひかくてき 小規模 しょうきぼ に見 み られる。ライエル・グレイシャーは、ヨセミテ最大 さいだい の氷河 ひょうが であり、65ヘクタールある。現在 げんざい ある氷河 ひょうが は、ヨセミテの景観 けいかん を作 つく り出 だ した巨大 きょだい な氷 こおり 期 き の大 だい 氷河 ひょうが が残 のこ ったものではない。氷 こおり 期 き が終 お わった後 のち に訪 おとず れたネオグラシエーション の一時期 いちじき に形成 けいせい されたものである。気候 きこう 変動 へんどう により、世界中 せかいじゅう にある氷河 ひょうが の数 かず もサイズも大幅 おおはば に小 ちい さくなっている。ジョン・ミューアが1871年 ねん に発見 はっけん してヨセミテの起源 きげん と氷河 ひょうが の関係 かんけい についての彼 かれ の理論 りろん を支 ささ えたマーセド・グレイシャーなど、ヨセミテの多 おお くの氷河 ひょうが も消失 しょうしつ し、地表 ちひょう 面積 めんせき にして75%までが失 うしな われてしまった。
ヨセミテ渓谷 けいこく (1220m)
雨 あめ 温 ゆたか 図 ず (説明 せつめい )
1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12
気温 きおん (°C )
総 そう 降水 こうすい 量 りょう (mm)出典 しゅってん :National Park Servie[17]
インペリアル 換算 かんさん
1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12
気温 きおん (°F )
総 そう 降水 こうすい 量 りょう (in)
ヨセミテの気候 きこう は地中海 ちちゅうかい 性 せい 気候 きこう であり、冬 ふゆ に降水 こうすい (降雪 こうせつ )が集中 しゅうちゅう し、そのほかの季 き 節 ぶし はほとんど雨 あめ が降 ふ らない(長 なが く暑 あつ い夏 なつ の間 あいだ の降水 こうすい 量 りょう は年間 ねんかん 降水 こうすい 量 りょう の3%未満 みまん である)。地形 ちけい 性 せい 大気 たいき 上昇 じょうしょう の効果 こうか により、約 やく 2400mまでは標高 ひょうこう が上 あ がるにつれて降水 こうすい 量 りょう が増 ま し、そこを超 こ えると頂上 ちょうじょう に向 む かって徐々 じょじょ に降水 こうすい 量 りょう が減少 げんしょう する。1200メートル地点 ちてん の降水 こうすい 量 りょう は915mm、2600メートル地点 ちてん では1200mmである。高地 こうち でも11月までは通常 つうじょう 降雪 こうせつ は見 み られない。積 つ もった雪 ゆき は3月 がつ から4月 がつ 初 はじ めまで残 のこ る[19] 。
1日 にち の最高 さいこう 気温 きおん は、標高 ひょうこう 2600mのトゥオルミ・メドウズで冬 ふゆ は-3.9°Cから夏 なつ は11.5°Cである。標高 ひょうこう 1560mのワウォナ・エントランスでは冬 ふゆ 2°Cから夏 なつ 19°Cである。1500m以下 いか の低地 ていち では気温 きおん がもう少 すこ し高 たか く、標高 ひょうこう 1209mのヨセミテ渓谷 けいこく では最高 さいこう 気温 きおん は冬 ふゆ 8°Cから夏 なつ 32°Cである。一方 いっぽう 標高 ひょうこう 2400mを超 こ える高所 こうしょ では、夏 なつ の雷雨 らいう が頻繁 ひんぱん に訪 おとず れることと7月 がつ まで残雪 ざんせつ があることから、夏 なつ の暑 あつ さはやわらいでいる。植生 しょくせい が乾燥 かんそう し、相対 そうたい 湿度 しつど が低 ひく い上 うえ に、雷雨 らいう が重 かさ なるため、雷 かみなり による山 やま 火事 かじ も多 おお い[19] 。
ネイティブ・アメリカンの時代 じだい [ 編集 へんしゅう ]
パイユート族 ぞく の儀式 ぎしき (1872年 ねん 、現在 げんざい のヨセミテ・ロッジ)。
この地域 ちいき には、白人 はくじん が入植 にゅうしょく するはるか昔 むかし 、パイユート族 ぞく とシエラ・ミウォク族 ぞく の人々 ひとびと が住 す んでいた。白人 はくじん が入 はい った時 とき 、ヨセミテ渓谷 けいこく に住 す んでいたのはアワニチ族 ぞく と呼 よ ばれるネイティブ・アメリカン であった[20] 。
アワニチ族 ぞく は、パイユート族 ぞく などいくつかの部族 ぶぞく から出奔 しゅっぽん した者 もの が集 あつ まった部族 ぶぞく で、テナヤ酋長 しゅうちょう が率 ひき いていた。彼 かれ らは、この土地 とち を「大 おお きな口 くち 」という意味 いみ の「アワニー (Ahwahnee )」と呼 よ び、自 みずか らをアワニーに住 す む人々 ひとびと という意味 いみ でアワニチ (Ah-wah-ne-chee ) と呼 よ んでいた。一方 いっぽう 、彼 かれ らは、これと対立 たいりつ 関係 かんけい にある穏 おだ やかなミウォク族 ぞく からは、恐 おそ れを込 こ めて、「殺 ころ し屋 や たち」という意味 いみ のYohhe'meti と呼 よ ばれていた[21] 。
白人 はくじん としてヨセミテ渓谷 けいこく を発見 はっけん したのは、アメリカ陸軍 りくぐん ジム・サヴェジ少佐 しょうさ が率 ひき いるマリポサ歩兵 ほへい 大隊 だいたい であり、1851年 ねん のことであった[22] 。19世紀 せいき 半 なか ばのカリフォルニア・ゴールドラッシュ によって、カリフォルニアに流入 りゅうにゅう する白人 はくじん の数 かず が激増 げきぞう する中 なか 、同 どう 大隊 だいたい は、マリポサ戦争 せんそう と呼 よ ばれる戦 たたか いの中 なか 、約 やく 200人 にん のアワニチ族 ぞく を追 お って、ヨセミテ渓谷 けいこく の西端 せいたん まで来 き た。
マリポサのインディアンの宿営 しゅくえい (アルバート・ビアスタット 画 が )。
この地 ち を「ヨセミテ」と名付 なづ けたのは、サヴェジ少佐 しょうさ の部隊 ぶたい に従軍 じゅうぐん していた医師 いし ラファイエット・バンネルであるとされる。バンネルは、アワニチの人々 ひとびと がこの土地 とち を指 さ していた「アワニー」という名前 なまえ ではなく、この人々 ひとびと に対 たい するミウォク族 ぞく からの呼 よ び名 な であり、よりアメリカ的 てき であると感 かん じられた「ヨセミテ (Yo-sem-i-ty )」という名称 めいしょう を採用 さいよう することにした。前述 ぜんじゅつ のとおり、これは「殺 ころ し屋 や たち」という意味 いみ のミウォク語 ご (Yohhe'meti ) であるが、バンネルやサヴェジ少佐 しょうさ は、発音 はつおん が似 に ている、グリズリーベア を指 さ すミウォク語 ご (ïhümat.i or ïsümat.i ) と勘違 かんちが いをしていた[21] 。
なお、テナヤ酋長 しゅうちょう とアワニチの残党 ざんとう は、結局 けっきょく 捕 と らえられ、その村 むら は焼 や かれてしまった。そしてカリフォルニア州 しゅう フレズノ のインディアン居留 きょりゅう 地 ち に移転 いてん させられた。一部 いちぶ は後 のち にヨセミテ渓谷 けいこく に戻 もど ることを許 ゆる されたが、1852年 ねん 春 はる に鉱夫 こうふ 8人 にん を襲 おそ う事件 じけん を起 お こした。彼 かれ らは東方 とうほう のモノ湖 みずうみ へ逃 に げ、近 ちか くのモノ族 ぞく にかくまってもらった。しかし、モノ族 ぞく から馬 うま を盗 ぬす んだことで探 さが し出 だ され、1853年 ねん モノのパイユート族 ぞく に殺 ころ された。テナヤ酋長 しゅうちょう は殺 ころ され、生 い き残 のこ った者 もの はモノ湖 みずうみ に連 つ れ戻 もど され、モノ湖 みずうみ のパイユート族 ぞく に同化 どうか してしまった。アワニーのインディアン村 むら は、現在 げんざい 、ヨセミテ渓谷 けいこく ビジター・センター隣 となり のヨセミテ博物館 はくぶつかん の裏手 うらて に再現 さいげん されている。
ワウォナ・ホテル
1855年 ねん 、起業 きぎょう 家 か のジェームズ・メイソン・ハッチングズ、画家 がか のトマス・エアーズほか2人 にん が旅行 りょこう 者 しゃ として初 はじ めてこの地 ち を訪 おとず れた。ハッチングズはこの時 とき や後 ご の旅行 りょこう について記事 きじ や本 ほん を書 か き、また、エアーズのスケッチはヨセミテの景観 けいかん を初 はじ めて正確 せいかく に伝 つた えるものとなった。写真 しゃしん 家 か チャールズ・リンダー・ウィードは1859年 ねん に初 はじ めてヨセミテの写真 しゃしん を撮 と った。後 のち には写真 しゃしん 家 か のアンセル・アダムス も登場 とうじょう した。
ワウォナ (Wawona) は、現在 げんざい の公園 こうえん の南西 なんせい 部 ぶ にあったインディアンの宿営 しゅくえい 地 ち であった。入植 にゅうしょく 者 しゃ ガレン・クラークは、1857年 ねん 、ワウォナでセコイアデンドロン (ジャイアントセコイア)の森 もり マリポサ・グローブ を発見 はっけん した。簡易 かんい な宿泊 しゅくはく 設備 せつび や、そこに至 いた る道路 どうろ が設 もう けられた。1879年 ねん 、マリポサ・グローブを訪 おとず れる旅行 りょこう 者 しゃ のために、ワウォナ・ホテル が建 た てられた。旅行 りょこう 者 しゃ が増 ふ えるに従 したが って、トレイルやホテルの数 かず も増 ふ えた。
ワウォナ・ツリー 、別名 べつめい トンネル・ツリーは、マリポサ・グローブにあった有名 ゆうめい なジャイアントセコイアの木 き で、高 たか さ69メートル、外周 がいしゅう 27メートルあった。1881年 ねん 、樹木 じゅもく 下部 かぶ にトンネルが切 き り開 ひら かれ、旅行 りょこう 者 しゃ には人気 にんき の写真 しゃしん 撮影 さつえい スポットとなった。19世紀 せいき には荷馬 にうま 、20世紀 せいき には自動車 じどうしゃ が、この木 こ の下 した の道路 どうろ を通 とお っていたが、1969年 ねん 、降 ふ り積 つ もった雪 ゆき で倒壊 とうかい した。樹齢 じゅれい は2300年 ねん と推定 すいてい されている。
ガレン・クラーク
観光 かんこう 名所 めいしょ 化 か が進 すす むにつれて、ガレン・クラーク や上院 じょういん 議員 ぎいん ジョン・コネス らは、乱 らん 開発 かいはつ を懸念 けねん してこの地域 ちいき の保護 ほご を訴 うった え始 はじ めた。法案 ほうあん が連邦 れんぽう 議会 ぎかい の両院 りょういん を通過 つうか し、大統領 だいとうりょう エイブラハム・リンカーン が1864年 ねん 6月30日 にち これに署名 しょめい したことで、ヨセミテ・グラントが設立 せつりつ された。これは、連邦 れんぽう 政府 せいふ が保護 ほご と公共 こうきょう 利用 りよう のために公園 こうえん を指定 してい した最初 さいしょ の例 れい であり、後 のち にイエローストーン が最初 さいしょ の国立 こくりつ 公園 こうえん として設立 せつりつ された際 さい にも先例 せんれい となった[3] 。ヨセミテ渓谷 けいこく とマリポサ・グローブは、カリフォルニア州 しゅう に州立 しゅうりつ 公園 こうえん として譲渡 じょうと され、2年 ねん 後 ご に理事 りじ 会 かい が組織 そしき された。
ガレン・クラークは、理事 りじ 会 かい からヨセミテ・グラントの初代 しょだい 管理 かんり 者 しゃ に任命 にんめい されたが、クラークも理事 りじ らもホームステッド法 ほう に基 もと づく入植 にゅうしょく 者 しゃ (その1人 ひとり がハッチングズであった)を立 た ち退 の かせる権限 けんげん は持 も っていなかった。この問題 もんだい は、1875年 ねん にホームステッド法 ほう による占有 せんゆう 権 けん が無効 むこう になるまで解決 かいけつ しなかった。1880年 ねん 、クラークと現職 げんしょく 理事 りじ らは更迭 こうてつ され、ハッチングズが新 あたら しい管理 かんり 者 しゃ となった。
公園 こうえん へのアクセスや、ヨセミテ渓谷 けいこく 内 ない での滞在 たいざい 環境 かんきょう はかなり改善 かいぜん した。1869年 ねん に大陸 たいりく 横断 おうだん 鉄道 てつどう が完成 かんせい してから、観光 かんこう 客 きゃく の数 かず は大 おお きく増 ふ えたが、公園 こうえん まで長 なが い時間 じかん 馬 ば に乗 の らなければいけないのが障害 しょうがい であった。1870年代 ねんだい 中頃 なかごろ 、3本 ほん の馬車 ばしゃ 道 どう が整備 せいび されたことにより、ヨセミテ渓谷 けいこく への行 い き来 き の便 びん は大幅 おおはば に改善 かいぜん した。
スコットランド生 う まれの博物 はくぶつ 学者 がくしゃ ジョン・ミューア が書 か いたこの土地 とち についての論文 ろんぶん は、社会 しゃかい の科学 かがく 的 てき 関心 かんしん を引 ひ いた。彼 かれ は、当時 とうじ の通説 つうせつ に反対 はんたい して、ヨセミテ渓谷 けいこく の地形 ちけい が氷河 ひょうが によって形成 けいせい されたことを理論 りろん 化 か した最初 さいしょ の人物 じんぶつ の1人 ひとり である。
国立 こくりつ 公園 こうえん の創設 そうせつ [ 編集 へんしゅう ]
グレイシャー・ポイント に立 た つセオドア・ルーズベルト(左 ひだり )とジョン・ミューア。
ヨセミテでは、草地 くさじ への過度 かど の放牧 ほうぼく (特 とく に羊 ひつじ )や、ジャイアントセコイアの伐採 ばっさい が見 み られるようになり、ミューアは保護 ほご を更 さら に推 お し進 すす める必要 ひつよう があると考 かんが えた。彼 かれ は、センチュリー・マガジン誌 し の編集 へんしゅう 者 しゃ ロバート・U・ジョンソンなど、ヨセミテを訪 おとず れた有力 ゆうりょく 者 しゃ に、この地 ち を連邦 れんぽう 政府 せいふ の保護 ほご 下 か に置 お くべきだと説 と いた。ミューアとジョンソンは連邦 れんぽう 議会 ぎかい へのロビー活動 かつどう を行 おこな い、それが実 みの って1890年 ねん 10月 がつ 1日 にち にヨセミテ国立 こくりつ 公園 こうえん が設立 せつりつ された。ただし、ヨセミテ渓谷 けいこく とマリポサ・グローブについてはカリフォルニア州 しゅう の管理 かんり 下 か に残 のこ った。また、ミューアは、ヨセミテの高地 こうち での放牧 ほうぼく を事実 じじつ 上 じょう 禁止 きんし するよう、地方 ちほう 政府 せいふ の説得 せっとく にも尽力 じんりょく した。
ヨセミテ国立 こくりつ 公園 こうえん は、1891年 ねん 5月19日 にち 、アメリカ陸軍 りくぐん 第 だい 4騎兵 きへい 連隊 れんたい の管轄 かんかつ 下 か に入 はい り、同 どう 連隊 れんたい がワウォナにキャンプを設 もう けた。しかし、軍 ぐん には、カリフォルニア州 しゅう が管轄 かんかつ するヨセミテ渓谷 けいこく とマリポサ・グローブの環境 かんきょう 悪化 あっか について介入 かいにゅう する権限 けんげん がなかった。
ミューアと、彼 かれ が創設 そうせつ したシエラクラブ は、州 しゅう が管理 かんり しているヨセミテ渓谷 けいこく とマリポサ・グローブを連邦 れんぽう 政府 せいふ のヨセミテ国立 こくりつ 公園 こうえん に統合 とうごう するよう、政府 せいふ や有力 ゆうりょく 者 しゃ へのロビー活動 かつどう を続 つづ けた。1903年 ねん 5月 がつ 、大統領 だいとうりょう セオドア・ルーズベルト がグレイシャー・ポイント 近 ちか くでミューアとともに3日間 にちかん のキャンプを行 おこな った。この時 とき 、ミューアは大統領 だいとうりょう にヨセミテ渓谷 けいこく とマリポサ・グローブをカリフォルニア州 しゅう から連邦 れんぽう 政府 せいふ へ移管 いかん させるよう説 と いた。そして、1906年 ねん 、両 りょう 地域 ちいき を連邦 れんぽう 政府 せいふ に移管 いかん ・統合 とうごう する法律 ほうりつ が成立 せいりつ し、大統領 だいとうりょう はこれに署名 しょめい した[28] 。
国立 こくりつ 公園 こうえん 局 きょく による管理 かんり と保護 ほご [ 編集 へんしゅう ]
アメリカ合衆国 あめりかがっしゅうこく 国立 こくりつ 公園 こうえん 局 きょく は1916年 ねん に設立 せつりつ され、ヨセミテも同局 どうきょく に移管 いかん された。トゥオルミ・メドウズ・ロッジ、タイオガ・パス・ロード、またテナヤ湖 こ 、マーセド湖 こ のキャンプ地 ち も同 おな じ年 ねん に完成 かんせい した。全天候 ぜんてんこう 対応 たいおう のハイウェイが建設 けんせつ されてからは、公園 こうえん 内 ない に入 はい る自動車 じどうしゃ の数 かず が急増 きゅうぞう した。1926年 ねん には、アンセル・フランクリン・ホールの尽力 じんりょく により、ヨセミテ博物館 はくぶつかん が開館 かいかん した[30] 。
1903年 ねん 、公園 こうえん 北部 ほくぶ のヘッチ・ヘッチー渓谷 けいこく に、サンフランシスコ 市内 しない へ水 みず と電力 でんりょく を供給 きょうきゅう するためのダム 建設 けんせつ 計画 けいかく が持 も ち上 あ がった。ミューアやシエラクラブをはじめとする保護 ほご 論 ろん 者 しゃ (プリザベーショニスト)はこれに反対 はんたい したが、ギフォード・ピンチョットら、環境 かんきょう 保護 ほご と天然 てんねん 資源 しげん の利用 りよう の調和 ちょうわ を主張 しゅちょう するコンサベーショニストと呼 よ ばれる人々 ひとびと は計画 けいかく を支持 しじ した。1913年 ねん 、連邦 れんぽう 議会 ぎかい はオショーネシー・ダム の建設 けんせつ を認 みと めるレイカー法 ほう を可決 かけつ した。
その後 ご 、保護 ほご 論 ろん 者 しゃ の主張 しゅちょう を受 う けて、連邦 れんぽう 議会 ぎかい は公園 こうえん の89%に当 あ たる27万 まん 4200ヘクタールを「ヨセミテ自然 しぜん 保護 ほご 区域 くいき 」に指定 してい した[32] 。国立 こくりつ 公園 こうえん 局 きょく は、夜間 やかん 、グレイシャー・ポイント 近 ちか くの岩 いわ 壁 かべ から赤 あか い火 ひ の塊 かたまり を落 お とす「ファイアフォール(火 ひ の滝 たき )」というイベントが行 おこな われていて呼 よ び物 もの になっていたのをやめさせるなど、本来 ほんらい の自然 しぜん に反 はん する集客 しゅうきゃく イベントの廃止 はいし を進 すす めた。また、夏期 かき の交通 こうつう 混雑 こんざつ も大 おお きな問題 もんだい となった。現在 げんざい 、自動車 じどうしゃ で公園 こうえん を通 とお り抜 ぬ けることは可能 かのう であるが、園内 えんない では無料 むりょう のシャトルバスが数 すう 路線 ろせん 走 はし っており、これを利用 りよう することが推奨 すいしょう されている[33] [34] 。
1984年 ねん 、ヨセミテ国立 こくりつ 公園 こうえん はユネスコ の世界 せかい 遺産 いさん (自然 しぜん 遺産 いさん )に登録 とうろく された[35] 。
地殻 ちかく 運動 うんどう と火山 かざん 活動 かつどう [ 編集 へんしゅう ]
ヨセミテの地質 ちしつ 図 ず (アメリカ地質調査所 ちしつちょうさしょ )。
現在 げんざい のヨセミテ国立 こくりつ 公園 こうえん の区域 くいき は、先カンブリア時代 せんかんぶりあじだい と古生代 こせいだい 初期 しょき には非 ひ 活動 かつどう 的 てき 大陸 たいりく 縁辺 えんぺん 部 ぶ にまたがるように位置 いち していた。大陸 たいりく 部 ぶ から流 なが れ出 だ した土砂 どしゃ が浅 あさ い水 みず に積 つ もって堆積 たいせき 物 ぶつ が形成 けいせい された。この堆積岩 たいせきがん はその後 ご 変成 へんせい 作用 さよう を受 う けて変成岩 へんせいがん となった。
ファラロン・プレート の北 きた アメリカプレート への沈 しず み込 こ み帯 たい から発 はっ する熱 ねつ により、デボン紀 き 後期 こうき からペルム紀 き にかけて、原始 げんし 北 きた アメリカ大陸 あめりかたいりく の西海岸 にしかいがん に火山 かざん の島 しま 弧 こ が生 しょう じた。これらの岩石 がんせき は、後 ご のジュラ紀 じゅらき のマグマ活動 かつどう により貫入 かんにゅう を受 う け、この時 とき 地中 ちちゅう にシエラネバダ・バソリス の原型 げんけい ができた。一方 いっぽう 、従来 じゅうらい の岩石 がんせき は、更 さら にその後 ご 隆起 りゅうき と浸食 しんしょく が進 すす んだことにより、現在 げんざい では95%が失 うしな われている。
最初 さいしょ の広域 こういき 的 てき な深成岩 しんせいがん の貫入 かんにゅう は、2億 おく 1000万 まん 年 ねん 前 まえ ころ(三 さん 畳 じょう 紀 き 後期 こうき )に始 はじ まり、2億 おく 1000万 まん 年 ねん 前 まえ ころ(ジュラ紀 じゅらき )まで続 つづ いた。同 おな じころ、ネバダ造山 つくりやま 運動 うんどう によりネバダの山脈 さんみゃく (古代 こだい シエラネバダとも言 い われる)が4600mの高 たか さまで隆起 りゅうき した。これによってシエラネバダ・バソリスの形成 けいせい が進 すす み、組成 そせい 上 じょう ほぼ花崗岩 かこうがん といってよい岩石 がんせき が、地下 ちか 9.7キロメートルのところに生 しょう じた。2回 かい 目 め の大 おお きな深成岩 しんせいがん 形成 けいせい は、白 はく 亜紀 あき 中 なか のおよそ1億 おく 2000万 まん 年 ねん 前 まえ から8000万 まん 年 ねん 前 まえ までの間 あいだ に起 お きた。これはセヴィア造山 つくりやま 運動 うんどう の一部 いちぶ である。
2000万 まん 年 ねん 前 まえ (新生代 しんせいだい )から、500万 まん 年 ねん 前 まえ までの間 あいだ 、カスケード山脈 さんみゃく の現在 げんざい は活動 かつどう を休止 きゅうし した火山 かざん が噴火 ふんか し、大量 たいりょう の火山 かざん 性 せい 物質 ぶっしつ を降 ふ らせ、ヨセミテ地域 ちいき より北方 ほっぽう の地域 ちいき を覆 おお った。500万 まん 年 ねん 前 まえ 以降 いこう も、モノ湖 みずうみ やロング・バレー など、現在 げんざい の公園 こうえん 域 いき の東方 とうほう で火山 かざん 活動 かつどう は続 つづ いた。
隆起 りゅうき と浸食 しんしょく [ 編集 へんしゅう ]
1000万 まん 年 ねん 前 まえ 、断層 だんそう に沿 そ った垂直 すいちょく 運動 うんどう により、シエラネバダ山脈 さんみゃく の隆起 りゅうき が始 はじ まった。これによって山脈 さんみゃく の西側 にしがわ を流 なが れる川 かわ の勾配 こうばい は次第 しだい に急 きゅう になり、流 なが れの速度 そくど も増 ま したため、渓谷 けいこく の浸食 しんしょく のスピードは速 はや まった。東 ひがし へ大 おお きな断層 だんそう ができると、再 ふたた び隆起 りゅうき が起 お こり、オーエンズ・ヴァレー が形成 けいせい された。シエラネバダ山脈 さんみゃく の隆起 りゅうき は、200万 まん 年 ねん 前 まえ (更新 こうしん 世 よ )にも起 お こった。
こうした隆起 りゅうき と浸食 しんしょく 作用 さよう が進 すす むにつれ、地中 ちちゅう の花崗岩 かこうがん は地表 ちひょう に表 あらわ れ、その結果 けっか 、岩石 がんせき 表面 ひょうめん の剥離 はくり が起 お きて丸 まる いドームが出現 しゅつげん したり、主 おも に垂直 すいちょく 方向 ほうこう の節理 せつり (割 わ れ目 め )が生 しょう じて岩 いわ 崩 くず れなどが起 お きたりした。更新 こうしん 世 よ の氷河 ひょうが もこうした現象 げんしょう を助長 じょちょう した。渓谷 けいこく が削 けず られることによって崖 がけ 錐 きり や漂礫土 ど といった堆積 たいせき 物 ぶつ が生 しょう じた。
多数 たすう の垂直 すいちょく 方向 ほうこう の節理 せつり によって、浸食 しんしょく の起 お こる場所 ばしょ や起 お こり方 かた は違 ちが った。長 なが く、まっすぐで、非常 ひじょう に深 ふか い割 わ れ目 め は、多 おお くが北東 ほくとう 又 また は北西 ほくせい に向 む かっており、平行 へいこう に、そしておおむね等間隔 とうかんかく に伸 の びていた。こうした割 わ れ目 め は、隆起 りゅうき に伴 ともな う圧力 あつりょく の緩和 かんわ や、上層 じょうそう に載 の っていた岩石 がんせき の浸食 しんしょく による消失 しょうしつ によって生 しょう じたものである。
氷河 ひょうが による造形 ぞうけい [ 編集 へんしゅう ]
グレイシャー・ポイント からの眺 なが め。
200〜300万 まん 年 ねん 前 まえ から、何 なん 度 ど かの氷 こおり 期 き によってこの地域 ちいき の地形 ちけい は変容 へんよう し、それが約 やく 1万 まん 年 ねん 前 まえ まで続 つづ いた。シエラネバダには、少 すく なくとも4回 かい の氷 こおり 期 き が訪 おとず れ、それぞれシャーウィン(または先 さき タホー)、タホー、テナヤ、タイオガと呼 よ ばれている。中 なか でもシャーウィン氷 ごおり 期 き の氷河 ひょうが は規模 きぼ が大 おお きく、ヨセミテ渓谷 けいこく や他 た の渓谷 けいこく は氷河 ひょうが で埋 う め尽 つ くされた。この時 とき の氷河 ひょうが がヨセミテ渓谷 けいこく 等 とう の地形 ちけい を主 おも に形作 かたちづく ったものと考 かんが えられる。
ヨセミテ地域 ちいき では、氷河 ひょうが の深 ふか さは1200メートルにまで及 およ び、最 もっと も大 おお きなものはトゥオルミ川 がわ の大 だい 渓谷 けいこく を97キロメートルにわたって流 なが れていた。マーセド氷河 ひょうが はヨセミテ渓谷 けいこく から、マーセド川 がわ 峡谷 きょうこく へと流 なが れていた。リー・ヴァイニング氷河 ひょうが は、リー・ヴァイニング渓谷 けいこく を削 けず り出 だ し、ラッセル湖 こ (氷 こおり 期 き のモノ湖 みずうみ で、今 いま よりずっと大 おお きかった)に流 なが れ込 こ んでいた。氷河 ひょうが から頭 あたま を出 だ していたのは、ダナ山 さん やコネス山 さん などの最高峰 さいこうほう だけであった。氷河 ひょうが の後退 こうたい 期 き には、土手 どて 状 じょう のモレーン (堆石 たいせき )ができ、湖 みずうみ ができた。例 たと えば、ヨセミテ湖 こ は、8.9キロメートルに及 およ ぶ浅 あさ い湖 みずうみ であり、定期 ていき 的 てき にヨセミテ渓谷 けいこく の谷 たに 底 そこ の広 ひろ い範囲 はんい を水 みず で覆 おお った。
植生 しょくせい と野生 やせい 動物 どうぶつ [ 編集 へんしゅう ]
ヨセミテ渓谷 けいこく のミュールジカ 。
ヨセミテ国立 こくりつ 公園 こうえん には、日差 ひざ しの強 つよ いチャパラル と呼 よ ばれる低木 ていぼく 林 りん 、マツ ・モミ ・セコイア の森 もり 、高山 たかやま 性 せい の林地 りんち や草地 くさじ など、ヨーロッパ系 けい アメリカ人 じん が入植 にゅうしょく する前 まえ の植生 しょくせい が保存 ほぞん されている[40] 。周囲 しゅうい の土地 とち が伐採 ばっさい によって大 おお きく変 か わってしまったのに対 たい し、公園 こうえん 内 ない には今 いま も約 やく 9万 まん 1260ヘクタールの原生 げんせい 林 りん が残 のこ っている[41] 。魚類 ぎょるい 、両生類 りょうせいるい 、爬虫類 はちゅうるい 、鳥類 ちょうるい 、哺乳類 ほにゅうるい といった脊椎動物 せきついどうぶつ は250種 しゅ 以上 いじょう 生息 せいそく している[42] 。
ヨセミテの西境 にしさかい に近 ちか い、比較的 ひかくてき 標高 ひょうこう の低 ひく い地帯 ちたい には、ポンデローサマツ (英語 えいご 版 ばん ) 、サトウマツ 、オニヒバ (英語 えいご 版 ばん ) 、ベイモミ、ベイマツ (ダグラスファー)、セコイアデンドロン (ジャイアントセコイア)などの針葉樹 しんようじゅ 林 りん が広 ひろ がっている。その中 なか にカリフォルニアブラックオーク (英語 えいご 版 ばん ) (クロガシ)、キャニオンライブオーク (英語 えいご 版 ばん ) などが散在 さんざい している。比較的 ひかくてき 温和 おんわ な気候 きこう や、多様 たよう な植生 しょくせい により、野生 やせい 動物 どうぶつ も数々 かずかず 生息 せいそく している。この地域 ちいき ではアメリカグマ 、ボブキャット 、ハイイロギツネ 、ミュールジカ 、マウンテンキングスネーク (英語 えいご 版 ばん ) 、ギルバートトカゲ (英語 えいご 版 ばん ) 、シロガシラキツツキ 、アメリカキバシリ 、ニシアメリカフクロウ 、また多種 たしゅ のコウモリ が見 み られる[42] 。
より標高 ひょうこう の高 たか い地帯 ちたい に行 い くと、針葉樹 しんようじゅ 以外 いがい は少 すく なくなり、カリフォルニアアカモミ (英語 えいご 版 ばん ) (モミ属 ぞく )、モンチコラマツ (英語 えいご 版 ばん ) 、ジェフリーマツ (英語 えいご 版 ばん ) 、コントルタマツ 、たまにフォックステイルパイン (英語 えいご 版 ばん ) (マツ属 ぞく )などが生 は えている。標高 ひょうこう が高 たか いことと、植生 しょくせい の変化 へんか が少 すく なくなることから、生息 せいそく する動物 どうぶつ の種類 しゅるい もそれほど多 おお くはない。ここで見 み られる動物 どうぶつ としては、キンイロジリス 、アメリカアカリス (英語 えいご 版 ばん ) 、フィッシャー 、ステラーカケス 、チャイロコツグミ 、オオタカ などがある。爬虫類 はちゅうるい は少 すく ないが、ラバーボア (英語 えいご 版 ばん ) (ボア科 か )、ニシカキネハリトカゲ (英語 えいご 版 ばん ) 、キタアリゲータートカゲ (英語 えいご 版 ばん ) などがいる[42] 。
キバラマーモット (Marmota flaviventris )。ダナ山 さん の頂 いただき にて。更 さら に標高 ひょうこう が高 たか くなると、木々 きぎ のサイズは小 ちい さくなり、間隔 かんかく もまばらになってきて、木立 こだち と木立 こだち の間 あいだ が、露出 ろしゅつ した花崗岩 かこうがん で分断 ぶんだん されるようになる。コントルタマツ、アメリカシロゴヨウ (英語 えいご 版 ばん ) (マツ属 ぞく )、ミヤマベイツガ (英語 えいご 版 ばん ) (ツガ属 ぞく )なども、最 もっと も標高 ひょうこう の高 たか い地帯 ちたい では生育 せいいく が難 むずか しくなり、樹木 じゅもく 限界 げんかい 線 せん に達 たっ する。こうした地帯 ちたい では、気候 きこう も厳 きび しく、成長 せいちょう に適 てき した季 き 節 ぶし も短 みじか いが、ナキウサギ 、キバラマーモット 、オジロジャックウサギ (英語 えいご 版 ばん ) (ウサギ科 か )、ハイイロホシガラス 、クロハギマシコ (英語 えいご 版 ばん ) (アトリ科 か )などはそのような環境 かんきょう に適応 てきおう している。また、樹木 じゅもく のない高原 こうげん はシエラネバダ・ビッグホーン・シープ (英語 えいご 版 ばん ) が好 この む場所 ばしょ であるが、現在 げんざい ではタイオガ・パス付近 ふきん に少数 しょうすう いるだけである[42] 。
高度 こうど を問 と わず、草地 くさち (メドウ)は野生 やせい 動物 どうぶつ の重要 じゅうよう な生息 せいそく 地 ち となっている。草 くさ や水 すい を求 もと めて動物 どうぶつ が集 あつ まり、更 さら にその動物 どうぶつ を捕食 ほしょく する動物 どうぶつ が集 あつ まっている。草地 くさち と森林 しんりん が接 せっ する地帯 ちたい も、草 くさ をはむ開 あ けた場所 ばしょ と身 み を守 まも る場所 ばしょ の両方 りょうほう があることから、多 おお くの動物 どうぶつ が好 この んで集 あつ まってくる。主 おも に草地 くさち に生息 せいそく する動物 どうぶつ には、カラフトフクロウ 、メジロハエトリ (英語 えいご 版 ばん ) 、ヨセミテヒキガエル (英語 えいご 版 ばん ) (ヒキガエル属 ぞく )、ヤマビーバー がある[42] 。ほかにはシエラネバダキアシガエル (英語 えいご 版 ばん ) も見 み られる[35] 。
生態 せいたい 系 けい の問題 もんだい [ 編集 へんしゅう ]
ヨセミテの豊 ゆた かな自然 しぜん にあっても、カリフォルニアヒグマ 、カリフォルニアコンドル 、ベルモズモドキ などが公園 こうえん 内 ない で絶滅 ぜつめつ してしまった[43] 。また、そのほか37種 しゅ がカリフォルニア州 しゅう 又 また は連邦 れんぽう 政府 せいふ の絶滅 ぜつめつ 危惧 きぐ 種 しゅ に指定 してい されている。最 もっと も深刻 しんこく な問題 もんだい としては、外来 がいらい 種 しゅ 、大気 たいき 汚染 おせん 、生息 せいそく 域 いき の分断 ぶんだん 、気候 きこう 変化 へんか などがあり、よりミクロの問題 もんだい としては、自動車 じどうしゃ 事故 じこ による轢死 れきし や人間 にんげん の持 も ち込 こ む食糧 しょくりょう による生態 せいたい 系 けい への影響 えいきょう が心配 しんぱい される。
ヨセミテ渓谷 けいこく のアメリカグマ 。耳 みみ にタグが付 つ けられている。
ヨセミテの黒 くろ い熊 くま 、アメリカグマ は、園内 えんない に駐車 ちゅうしゃ した車 くるま を壊 こわ して中 なか の食物 しょくもつ を盗 ぬす むことで知 し られるようになった。園内 えんない のごみ捨 す て場 じょう に熊 くま が現 あらわ れ、ごみをあさるのが、一時期 いちじき 観光 かんこう 客 きゃく の写真 しゃしん 撮影 さつえい スポットになってしまった。熊 くま と人間 にんげん の遭遇 そうぐう が増 ふ え、施設 しせつ ・動産 どうさん への損害 そんがい も増 ふ えたことから、熊 くま を人間 にんげん の食糧 しょくりょう に依存 いぞん させることや、熊 くま と人間 にんげん との関 かか わりをやめようという運動 うんどう が始 はじ まった。開放 かいほう 型 がた のごみ捨 す て場 じょう は閉鎖 へいさ され、ごみ箱 ばこ も熊 くま が開 あ けられないものに置 お き換 か えられた。キャンプ場 じょう には熊 くま が開 あ けられないフード・ロッカーが設 もう けられ、人々 ひとびと が食物 しょくもつ を車 くるま の中 なか に置 お きっぱなしにして熊 くま の標的 ひょうてき になることがないようにされた(熊 くま には簡単 かんたん に車 くるま を破壊 はかい する力 ちから がある)。熊 くま が人間 にんげん に対 たい して攻撃 こうげき を加 くわ えた場合 ばあい は、その熊 くま を殺 ころ さざるを得 え なくなるので、公園 こうえん 職員 しょくいん は、熊 くま に人間 にんげん を避 さ ける習慣 しゅうかん を付 つ けさせるためにゴム弾 だん を撃 う って不快 ふかい な経験 けいけん をさせるなどの革新 かくしん 的 てき な方法 ほうほう を編 あ み出 だ してきた。今日 きょう 、年 とし に約 やく 30頭 とう の熊 くま が一時 いちじ 捕獲 ほかく されて耳 みみ タグを付 つ けられ、DNA サンプルが採取 さいしゅ されている。これは、問題 もんだい が起 お きた場合 ばあい 、どの熊 くま によるものかを判断 はんだん することができるようにするためである[44] 。
イガヤグルマギク (英語 えいご 版 ばん ) などは、ヨセミテの在来 ざいらい 種 しゅ にとっての脅威 きょうい となっている。
オゾン の増加 ぞうか による汚染 おせん は、ジャイアントセコイアの樹木 じゅもく 組織 そしき を傷 きず つけ、昆虫 こんちゅう の侵入 しんにゅう や病気 びょうき への抵抗 ていこう 力 りょく を落 お とす原因 げんいん となっている。また、ジャイアントセコイアの松 まつ かさ は、発芽 はつが するために火 ひ で焼 や かれた土壌 どじょう が必要 ひつよう であるが、従来 じゅうらい からとられていた山 やま 火事 かじ の抑制 よくせい 策 さく により、その繁殖 はんしょく 能力 のうりょく が落 お ちている。現在 げんざい は意図 いと 的 てき な野焼 のや き が行 おこな われており、この問題 もんだい の改善 かいぜん が期待 きたい されている。
ヨセミテ国立 こくりつ 公園 こうえん 当局 とうきょく は、公園 こうえん 内 ない に生 は えている130種 しゅ を超 こ える外来 がいらい 植物 しょくぶつ を挙 あ げている。これらの外来 がいらい 種 しゅ は、1850年代 ねんだい 後半 こうはん に初期 しょき のヨーロッパ系 けい 入植 にゅうしょく 者 しゃ が持 も ち込 こ んだものである。野火 のび 事 ごと や建物 たてもの の建設 けんせつ など、自然 しぜん 的 てき 要因 よういん ・人工 じんこう 的 てき 要因 よういん の双方 そうほう により、外来 がいらい 種 しゅ は急激 きゅうげき に増加 ぞうか する一方 いっぽう で在来 ざいらい 種 しゅ が減少 げんしょう しつつあり、生態 せいたい 系 けい に大 おお きな変化 へんか をもたらしている。一部 いちぶ の外来 がいらい 種 しゅ は、火事 かじ の増加 ぞうか につながったり、土中 どちゅう 窒素 ちっそ 量 りょう を増加 ぞうか させたりして、さらに外来 がいらい 種 しゅ が繁殖 はんしょく しやすい環境 かんきょう を作 つく り出 だ している。イガヤグルマギク (英語 えいご 版 ばん ) (ヤグルマギク属 ぞく )など多 おお くの外来 がいらい 種 しゅ は、長 なが い直 ちょく 根 ね を伸 の ばし、在来 ざいらい 種 しゅ との水 みず 獲得 かくとく 競争 きょうそう を制 せい している[45] 。
アメリカオニアザミ (アザミ属 ぞく )、モウズイカ 、セイヨウオトギリ は、1940年代 ねんだい から、ヨセミテの有害 ゆうがい 植物 しょくぶつ として認識 にんしき されていた。近年 きんねん 、それに加 くわ えて抑制 よくせい が必要 ひつよう な植物 しょくぶつ として挙 あ げられているのは、イガヤグルマギク、シナガワハギ 、ヒマラヤ・ブラックベリー (英語 えいご 版 ばん ) (キイチゴ属 ぞく )、キレハブラックベリー (英語 えいご 版 ばん ) (同属 どうぞく )、ツルニチニチソウ などである[45] 。なお、1950年代 ねんだい に意図 いと 的 てき に導入 どうにゅう されたとみられるウシガエル は、2005年 ねん 以降 いこう に駆除 くじょ したことにより、2019年 ねん に景観 けいかん レベルまでに根絶 こんぜつ させたと発表 はっぴょう した[46] 。他 た の外来 がいらい 種 しゅ は野生 やせい のシチメンチョウ もいる[35] 。
ヨセミテ渓谷 けいこく を走 はし るトラム(トロッコバス)。
ヨセミテ渓谷 けいこく は1年 ねん を通 つう じて入場 にゅうじょう 可能 かのう であるが、公園 こうえん のその他 た の部分 ぶぶん は晩秋 ばんしゅう から雪 ゆき のために閉鎖 へいさ され、仲春 ちゅうしゅう ないし晩春 ばんしゅん ころに開場 かいじょう する。ヨセミテ渓谷 けいこく とマリポサ・グローブを回 まわ るツアーはいくつもある。ヨセミテ渓谷 けいこく での散策 さんさく や滝 たき を巡 めぐ るハイキング、またマリポサ・グローブ、トゥオルミ・グローブ、マーセド・グローブのジャイアントセコイア林 りん 歩 ある きを楽 たの しむ人 ひと は多 おお い。また、絶景 ぜっけい を見渡 みわた せるグレイシャー・ポイント を車 くるま やバスツアーで訪 おとず れたり、タイオガ・ロード をドライブしてトゥオルミ・メドウズ を散策 さんさく したりする人 ひと も多 おお い。
ほとんどの観光 かんこう 客 きゃく は日帰 ひがえ りで、車 くるま で簡単 かんたん に行 い けるヨセミテ渓谷 けいこく の主要 しゅよう ポイントだけを回 まわ る人 ひと が多 おお い。自動車 じどうしゃ で園内 えんない に入 はい るには35ドル(2018年 ねん )の入園 にゅうえん 料 りょう がかかる[47] 。園内 えんない の交通 こうつう 混雑 こんざつ は、ピークの夏期 かき には大 おお きな問題 もんだい となっている。ヨセミテ渓谷 けいこく では年間 ねんかん 通 とお して無料 むりょう のシャトルバスが走 はし っており、職員 しょくいん らは、夏期 かき に駐車 ちゅうしゃ 場所 ばしょ を確保 かくほ するのは非常 ひじょう に難 むずか しいとして、シャトルバスの利用 りよう を呼 よ びかけている。シャトルバスを利用 りよう することで環境 かんきょう 保護 ほご になることをアピールしているが、まだまだ浸透 しんとう は進 すす んでいない[48] 。
ヨセミテ渓谷 けいこく の自然 しぜん 史 し ・文化 ぶんか 史 し を学 まな ぶことのできる施設 しせつ として、ヨセミテ渓谷 けいこく ビジターセンター、その隣 となり のヨセミテ博物館 はくぶつかん 、またハッピー・アイル自然 しぜん センターなどがある。国定 こくてい 歴史 れきし 建造 けんぞう 物 ぶつ に指定 してい された建造 けんぞう 物 ぶつ として、ルコント・メモリアル・ロッジ(ヨセミテで最初 さいしょ の公共 こうきょう のビジターセンター)と、世界 せかい 的 てき に有名 ゆうめい なアワニー・ホテル の二 ふた つがある。また、2003年 ねん 、ロッククライミングの基地 きち として昔 むかし から活躍 かつやく しているキャンプ場 じょう 「キャンプ4」が、国家 こっか 歴史 れきし 登録 とうろく 財 ざい に追加 ついか された[49] 。
公園 こうえん 内 ない には、総 そう 延長 えんちょう 1300キロメートルを超 こ える、トレイルと呼 よ ばれるハイキングコースがいくつも走 はし っている[1] 。気軽 きがる に散策 さんさく できるコースから、いくつかの山 やま を登 のぼ っていく体力 たいりょく を要 よう するコース、さらには数日 すうじつ をかけてのバックパッキング が必要 ひつよう なコースもある。バックパッキングには入山 にゅうざん 許可 きょか 証 しょう が必要 ひつよう であり頻繁 ひんぱん にレンジャーがチェックしている。
公園 こうえん は、大 おお きく次 つぎ の五 いつ つのセクションに分 わ けることができる。
ヨセミテ渓谷 けいこく
ワウォナ、マリポサ・グローブ、グレイシャー・ポイント
トゥオルミ・メドウズ
ヘッチ・ヘッチー渓谷 けいこく
クレイン・フラット、ホワイト・ウルフ
各 かく トレイルについて紹介 しょうかい した書籍 しょせき は数多 かずおお く出 で ているほか、ヨセミテ内 ない の国立 こくりつ 公園 こうえん 局 きょく の窓口 まどぐち で情報 じょうほう を無料 むりょう で手 て に入 い れることができる。職員 しょくいん ら(パーク・レンジャーと呼 よ ばれる)は、公園 こうえん 内 ない のヨセミテ渓谷 けいこく 以外 いがい の場所 ばしょ も訪 おとず れることを勧 すす めている。
晩春 ばんしゅん から初秋 しょしゅう にかけては、公園 こうえん の大半 たいはん の場所 ばしょ で、数日 すうじつ をかけてのバックパッキングが可能 かのう である。1泊 はく 以上 いじょう の行程 こうてい の場合 ばあい は、自然 しぜん 保護 ほご 区 く の入 にゅう 域 いき 許可 きょか が必要 ひつよう であるほか[50] 、熊 くま 対策 たいさく のされた食料 しょくりょう ケースの携帯 けいたい が必要 ひつよう とされる[51] 。
タイオガ・ロードの入口 いりくち 近 ちか く、トゥオルミ川 がわ のダナ支流 しりゅう 。
足 あし を使 つか わなければ行 い けない場所 ばしょ が多 おお い一方 いっぽう で、車 くるま で訪 おとず れることのできる名所 めいしょ もある。車 くるま で行 い けば、キャンプ場 じょう やロッジ以外 いがい の場所 ばしょ で夜空 よぞら を楽 たの しむことができる。ヨセミテ内 ない の道路 どうろ はどれも素晴 すば らしい眺 なが めだが、最 もっと も有名 ゆうめい なのがタイオガ・ロード であり、通常 つうじょう 、5月 がつ 末 まつ ないし6月 がつ 初 はじ めから、11月までの間 あいだ 開通 かいつう している[52] 。
自転車 じてんしゃ は、ヨセミテ渓谷 けいこく 内 ない の舗装 ほそう された自転車 じてんしゃ 道 どう (19キロメートル)と、一般 いっぱん 道路 どうろ を走行 そうこう することができる。トレイル外 がい の走行 そうこう 、山道 さんどう の走行 そうこう は認 みと められていない[53] 。
ヨセミテはロッククライミング の名所 めいしょ でもある[54] 。
雪 ゆき のない時期 じき は、3メートル程度 ていど の岩 いわ から、1000メートルに及 およ ぶエル・キャピタン の岩 いわ 壁 かべ に至 いた るまで、クライミングを楽 たの しむことができる。各種 かくしゅ 団体 だんたい によってクライミング講座 こうざ も開 ひら かれている。
公園 こうえん のレンジャーが指導 しどう するスノーシューでの雪 ゆき 歩 ある き。
公園 こうえん 内 ない の道路 どうろ は、冬季 とうき は雪 ゆき のため多 おお くが閉鎖 へいさ されるが、ヨセミテ渓谷 けいこく は年間 ねんかん 通 つう じて開 ひら いている。バジャー・パス・スキー・エリアは、ロッキー山脈 さんみゃく 以西 いせい で最 もっと も古 ふる いダウンヒル(滑降 かっこう )のスポットであり、12月半 なか ばから4月 がつ 初 はじ めまで利用 りよう できる[55] 。
また、多 おお くの場所 ばしょ でクロスカントリースキー やスノーシューイング が楽 たの しめ、いくつかのスキー小屋 こや も開 ひら いている[56] 。1泊 はく 以上 いじょう のスキーで野山 のやま に入 はい る場合 ばあい は、許可 きょか が必要 ひつよう である[50] 。
この世界 せかい 遺産 いさん は世界 せかい 遺産 いさん 登録 とうろく 基準 きじゅん のうち、以下 いか の条件 じょうけん を満 み たし、登録 とうろく された(以下 いか の基準 きじゅん は世界 せかい 遺産 いさん センター公表 こうひょう の登録 とうろく 基準 きじゅん からの翻訳 ほんやく 、引用 いんよう である)。
(7) ひときわすぐれた自然 しぜん 美 び 及 およ び美的 びてき な重要 じゅうよう 性 せい をもつ最高 さいこう の自然 しぜん 現象 げんしょう または地域 ちいき を含 ふく むもの。
(8) 地球 ちきゅう の歴史 れきし 上 じょう の主要 しゅよう な段階 だんかい を示 しめ す顕著 けんちょ な見本 みほん であるもの。これには生物 せいぶつ の記録 きろく 、地形 ちけい の発達 はったつ における重要 じゅうよう な地学 ちがく 的 てき 進行 しんこう 過程 かてい 、重要 じゅうよう な地形 ちけい 的 てき 特性 とくせい 、自然 しぜん 地理 ちり 的 てき 特性 とくせい などが含 ふく まれる。
^ a b c d e “Nature & History ”. United States National Park Service: Yosemite National Park (2006年 ねん 10月 がつ 13日 にち ). 2007年 ねん 1月 がつ 27日 にち 閲覧 えつらん 。
^ “Yosemite Wilderness ”. United States National Park Service: Yosemite National Park. 2008年 ねん 3月 がつ 15日 にち 閲覧 えつらん 。
^ a b “History & Culture ”. United States National Park Service: Yosemite National Park. 2007年 ねん 1月 がつ 27日 にち 閲覧 えつらん 。
^ a b “Nature & Science ”. United States National Park Service: Yosemite National Park. 2007年 ねん 1月 がつ 27日 にち 閲覧 えつらん 。
^ “Geology: The Making of the Landscape ”. United States National Park Service: Yosemite National Park (2004年 ねん 12月22日 にち ). 2007年 ねん 1月 がつ 27日 にち 閲覧 えつらん 。
^ “Geological Survey Professional Paper 160: Geologic History of the Yosemite Valley - The Sierra Block ”. United States Geological Survey (2006年 ねん 11月28日 にち ). 2012年 ねん 7月 がつ 19日 にち 時点 じてん のオリジナル よりアーカイブ。2007年 ねん 1月 がつ 27日 にち 閲覧 えつらん 。
^ a b “Water Overview ”. National Park Service: Yosemite National Park (2004年 ねん 12月22日 にち ). 2007年 ねん 1月 がつ 27日 にち 閲覧 えつらん 。
^ “Hydrology and Watersheds ”. National Park Service: Yosemite National Park (2004年 ねん 12月22日 にち ). 2007年 ねん 1月 がつ 27日 にち 閲覧 えつらん 。
^ “Wetland Vegetation ”. National Park Service: Yosemite National Park (2004年 ねん 12月22日 にち ). 2007年 ねん 1月 がつ 27日 にち 閲覧 えつらん 。
^ 『毎日新聞 まいにちしんぶん 』1997年 ねん 5月 がつ 1日 にち 夕刊 ゆうかん 総合 そうごう 面 めん 7頁 ぺーじ 「[旅 たび 浪漫 ろうまん ]ヨセミテ国立 こくりつ 公園 こうえん 豪快 ごうかい な滝 たき 、巨大 きょだい な岩 いわ 、渓谷 けいこく 美 び …--大 だい 自然 しぜん に包 つつ まれて」(毎日新聞 まいにちしんぶん 東京 とうきょう 本社 ほんしゃ )
^ “Yosemite National Park Temperatures & Precipitation ”. National Park Service (2008年 ねん 5月 がつ 5日 にち ). 2010年 ねん 2月 がつ 14日 にち 閲覧 えつらん 。
^ a b “Climate ”. National Park Service: Yosemite National Park (2004年 ねん 12月22日 にち ). 2007年 ねん 1月 がつ 27日 にち 閲覧 えつらん 。
^ Bunnell, Lafayette H. (1892年 ねん ). “Discovery of the Yosemite and the Indian War of 1851 Which Led to That Event ”. F.H. Revell. 2007年 ねん 1月 がつ 27日 にち 閲覧 えつらん 。 ISBN 0-93966-658-8 .
^ a b Anderson, Daniel E. (2005年 ねん 7月 がつ ). “Origin of the Word Yosemite ”. The Yosemite Web. 2007年 ねん 1月 がつ 27日 にち 閲覧 えつらん 。
^ “Discovery of the Yosemite (1892) by Lafayette H. Bunnell: Summary ”. Yosemite Online. 2010年 ねん 2月 がつ 15日 にち 閲覧 えつらん 。
^ “John Muir's Influences ”. National Park Service (2009年 ねん 6月 がつ 4日 にち ). 2010年 ねん 2月 がつ 22日 にち 閲覧 えつらん 。
^ “Yosemite Museum ”. National Park Service (2008年 ねん 12月17日 にち ). 2010年 ねん 2月 がつ 24日 にち 閲覧 えつらん 。
^ 98th U.S. Congress (1994年 ねん ). “PUBLIC LAW. 98-425 ” (PDF). 2010年 ねん 2月 がつ 26日 にち 閲覧 えつらん 。
^ “Getting Around ”. National Park Service (2007年 ねん 7月 がつ 11日 にち ). 2010年 ねん 2月 がつ 26日 にち 閲覧 えつらん 。
^ “Bus ”. National Park Service (2009年 ねん 5月 がつ 27日 にち ). 2010年 ねん 2月 がつ 26日 にち 閲覧 えつらん 。
^ a b c “World Heritage: Yosemite National Park ”. UNESCO World Heritage Centre. 2010年 ねん 3月 がつ 10日 とおか 閲覧 えつらん 。
^ Franklin, Jerry, F; Fites-Kaufmann, Jo Ann (1996), “Assessment of Late-Successional Forests of the Sierra Nevada” , Status of the Sierra Nevada , Sierra Nevada Ecosystem Project. Final Report to Congress, pp. 627-671, オリジナル の2012年 ねん 12月12日 にち 時点 じてん におけるアーカイブ。, https://archive.is/20121212072324/http://ceres.ca.gov/snep/pubs/v2s3.html
^ “Area of old-growth forests in California, Oregon, and Washington ” (PDF). United States Forest Service, Pacific Northwest Research Station (1993年 ねん ). 2010年 ねん 3月 がつ 6日 にち 閲覧 えつらん 。
^ a b c d e “Wildlife Overview ”. National Park Service: Yosemite Park Service (2004年 ねん 12月22日 にち ). 2007年 ねん 1月 がつ 27日 にち 閲覧 えつらん 。
^ Graber, David M. (1996), “Status of Terrestrial Vertebrates” , Status of the Sierra Nevada , Sierra Nevada Ecosystem Project. Final Report to Congress, pp. 709?734, オリジナル の2012年 ねん 12月12日 にち 時点 じてん におけるアーカイブ。, https://archive.is/20121212072324/http://ceres.ca.gov/snep/pubs/v2s3.html
^ “DNA to Help Identify "Problem" Bears at Yosemite” . National Geographic. (2001年 ねん 4月 がつ 23日 にち ). http://news.nationalgeographic.com/news/2001/04/0423_wirebears.html 2007年 ねん 1月 がつ 4日 にち 閲覧 えつらん 。
^ a b “Exotic Plants ”. National Park Service: Yosemite National Park (2004年 ねん 12月22日 にち ). 2007年 ねん 1月 がつ 4日 にち 閲覧 えつらん 。
^ Kamoroff, C., Daniele, N., Grasso, R.L. et al. “Effective removal of the American bullfrog (Lithobates catesbeianus ) on a landscape level: long term monitoring and removal efforts in Yosemite Valley, Yosemite National Park”. Biol Invasions 22, pp.617–626 (2020).
^ “Fees and Reservations ”. National Park Service: Yosemite National Park. 2007年 ねん 10月 がつ 27日 にち 閲覧 えつらん 。
^ “Yosemite Valley Shuttle Bus ”. National Park Service: Yosemite National Park (2006年 ねん 9月 がつ 21日 にち ). 2007年 ねん 1月 がつ 4日 にち 閲覧 えつらん 。
^ “Camp 4 Listed With National Register of Historic Places ”. National Park Service (2003年 ねん 2月 がつ 27日 にち ). 2008年 ねん 12月14日 にち 閲覧 えつらん 。
^ a b Roberts, Hayes (2006年 ねん 1月 がつ 17日 にち ). “Permits ”. National Park Service: Yosemite National Park. 2007年 ねん 1月 がつ 27日 にち 閲覧 えつらん 。
^ Roberts, Hayes (2007年 ねん 1月 がつ 9日 にち ). “Food storage ”. National Park Service: National Park Service. 2007年 ねん 1月 がつ 27日 にち 閲覧 えつらん 。
^ “Auto Touring ”. National Park Service: Yosemite National Park (2004年 ねん 12月22日 にち ). 2007年 ねん 1月 がつ 27日 にち 閲覧 えつらん 。
^ “Biking ”. National Park Service (2007年 ねん 3月 がつ 23日 にち ). 2010年 ねん 3月 がつ 10日 とおか 閲覧 えつらん 。
^ “Rock Climbing ”. National Park Service (2008年 ねん 12月11日 にち ). 2010年 ねん 3月 がつ 16日 にち 閲覧 えつらん 。
^ “Skiing ”. National Park Service: Yosemite National Park (2006年 ねん 9月 がつ 21日 にち ). 2007年 ねん 1月 がつ 27日 にち 閲覧 えつらん 。
^ “Tuolumne Meadows Winter Conditions Update ”. National Park Service: Yosemite National Park (2010年 ねん 3月 がつ 3日 にち ). 2010年 ねん 3月 がつ 16日 にち 閲覧 えつらん 。
Wuerthner, George (1994). Yosemite: A Visitor's Companion . Stackpole Books. ISBN 0-8117-2598-7
Harris, Ann G (1998). Geology of National Parks: Fifth Edition . Iowa, Kendall: Hunt Publishing. ISBN 0-7872-5353-7
Kiver, Eugene P; Harris, David V (1999). Geology of U.S. Parklands: Fifth Edition . New York: Jonh Wiley & Sons. ISBN 0-471-33218-6
Schaffer, Jeffrey P (1999). osemite National Park: A Natural History Guide to Yosemite and Its Trails . Berkeley: Wilderness Press. ISBN 0-89997-244-6
ウィキメディア・コモンズには、
ヨセミテ国立 こくりつ 公園 こうえん に
関連 かんれん する
メディア および
カテゴリ があります。