子午線しごせん

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緯度いどかく)に対応たいおうする子午線しごせん

子午線しごせん(しごせんこ、Meridian arc)とは、測地そくちがくにおいて地球ちきゅう表面ひょうめんまたは地球ちきゅう楕円だえんたい沿った子午線しごせん経線けいせん)のす。子午線しごせん楕円だえん南北なんぼく方向ほうこうびる測地そくちせんとなる。

天文学てんもんがくにおいて、2地点ちてん天文てんもん緯度いど測定そくてい子午線しごせんながさとを結合けつごうすることで地球ちきゅう円周えんしゅう半径はんけい決定けっていした。そのはじまりは、紀元前きげんぜん3世紀せいきエジプトエラトステネスで、地球ちきゅう球体きゅうたいであることを定量ていりょうてきしめした。

緯度いど1ぶん相当そうとうする子午線しごせんちょうは、うみさと定義ていぎにも参考さんこうにされた。

エラトステネスによる子午線しごせんちょう推定すいてい[編集へんしゅう]

アレクサンドリア科学かがくしゃエラトステネスによる測定そくていは、地球ちきゅう大円だいえんしゅうちょう計算けいさんした最初さいしょであった。かれは、夏至げし正午しょうごにおいて、太陽たいよう古代こだいエジプト都市としシエネ(現在げんざいアスワン)で天頂てんちょう通過つうかするということをっていた。一方いっぽうで、かれ自身じしん測定そくてい結果けっかから、かれ居住きょじゅうであるアレクサンドリアで、どう時刻じこく太陽たいよう天頂てんちょう距離きょり天球てんきゅうだい円周えんしゅうちょうの1/50であるということも日時計ひどけいつく角度かくど(7.2°)によって既知きちとしており、天球てんきゅう地球ちきゅう同心どうしんであることから、アレクサンドリアがシエネのきたにあるならばアレクサンドリア-シエネあいだ距離きょり地球ちきゅうだい円周えんしゅうちょうの1/50でなければならないと結論けつろんづけた。隊商たいしょう往来おうらい日数にっすうのデータを使つかって、かれはアレクサンドリア-シエネあいだ距離きょりを5,000スタディアであると推定すいていした。

この結果けっかは250,000スタディアの地球ちきゅうしゅうちょう意味いみし、単位たんいスタディオンをアッティカスタディオン (185m) と仮定かていすると、これは46,250kmに相当そうとうし、現在げんざいからやく16%おおきい。しかし、エラトステネスがエジプトスタディオン (157.5m) を使つかったとすれば、かれ測定そくていは 39,375km(わずか1%程度ていど誤差ごさ)であることがかる。いずれにしても、幾何きか設定せってい古代こだい状況じょうきょう斟酌しんしゃくすれば、16%の誤差ごさ称賛しょうさんあたいするものである。

シエネは、正確せいかくにアレクサンドリアのみなみにはなく、太陽たいよう軌道きどう想定そうていよりも0.5°かたむいていた。また、ナイルがわ沿って、または、砂漠さばく行旅こうりょすることからの陸路りくろ距離きょりはおよそ10%程度ていど誤差ごさがあったとされる。

エラトステネスによる地球ちきゅう形状けいじょう見積みつもりは、そのなんひゃくねんものあいだれられた。およそ150ねんポセイドニオス同様どうよう方法ほうほうによりアレクサンドリア-ロドスとうあいだ緯度いど測定そくていするとともに、子午線しごせんちょうふね速度そくど航海こうかい期間きかんから仮想かそうてきし、地球ちきゅうしゅうちょう算出さんしゅつこころみた。

中世ちゅうせいから近世きんせいにかけての子午線しごせん測量そくりょう[編集へんしゅう]

8世紀せいきはいると中国ちゅうごくでも子午線しごせん計測けいそくおこなわれた。げんむねより新暦しんれき編纂へんさん勅命ちょくめいけたそういちぎょうは、てつから交州にかけての測量そくりょう実施じっしし、緯度いど1子午線しごせんちょうを351さと80やく123.7km)と算出さんしゅつした。この算定さんてい実際じっさいとの誤差ごさは11パーセントである。9世紀せいき前期ぜんきには、アッバースあさだい7だいカリフであるアル=マアムーンいのちにより、アル=フワーリズミーがシンジャール平原へいげんにおいて実施じっしした、角度かくど測量そくりょうによって多少たしょう結果けっか算出さんしゅつされた。ヨーロッパでは、それまで子午線しごせんちょう測量そくりょうおこなわれた記録きろくのこっておらず、14世紀せいきジョン・マンデヴィル編纂へんさんしたとされる"The Travels of Sir John Mandeville" (大場おおば正史せいしわけ東方とうほう旅行りょこう」, 東洋文庫とうようぶんこだい19かん, 平凡社へいぼんしゃ, 1964, ISBN 9784582800197)において地球ちきゅう球形きゅうけいであることが言及げんきゅうされている程度ていどであったが、16世紀せいきになって、もともと医師いし生理学せいりがくしゃであり、天文学てんもんがく数学すうがくにも関心かんしんったジャン・フェルネルフランス語ふらんすごばん英語えいごばんが、経度けいどがほぼひとしいパリ-アミアンあいだ緯度いどを1とみなしたうえで、荷車にぐるま車軸しゃじく回転かいてんすうからその子午線しごせんちょう決定けっていしたことを、著書ちょしょ"Ioannis Fernelii Ambianatis Cosmotheoria, libros duos complexa" (1528)にきしている。

1615ねんには三角さんかく測量そくりょうによるものとしては最初さいしょ子午線しごせんちょう測量そくりょうヴィレブロルト・スネルによりおこなわれたが、測量そくりょう結果けっかにはすうパーセントの誤差ごさがあった。そのやくはん世紀せいき1669ねんジャン・ピカール本格ほんかくてき三角さんかく測量そくりょうおこない、緯度いど1相当そうとうする子午線しごせんちょうを0.3%程度ていど精度せいど測定そくていした。しかしながら、このころあたりまでは地球ちきゅう形状けいじょうはあくまでもしんだまであるという前提ぜんていした議論ぎろんおこなわれていた。

フランス科学かがくアカデミー遠征えんせいたいのペルーとラップランドへの派遣はけん[編集へんしゅう]

ピカールによる測量そくりょう以降いこう測量そくりょう精度せいど向上こうじょうするにつれて、地球ちきゅう正確せいかく形状けいじょうについての問題もんだい顕在けんざいし、地球ちきゅう正確せいかくにはしんだまより回転かいてん楕円だえんたいかんがえるべきとの意見いけんおおくなったが、ちょうたまなのかひらただまなのかについて議論ぎろんかれていた。ジャック・カッシーニは、1713ねんみずからがおこなったダンケルク-ペルピニャンあいだ測量そくりょう結果けっかを『地球ちきゅうおおきさと形状けいじょう』(De la grandeur et de la figure de la terre1720ねん)にりまとめ、この結果けっかルネ・デカルト渦動かどうせつから、地球ちきゅう南北なんぼくながちょうたまであることを提唱ていしょうした。一方いっぽうでは、時計とけいをパリから赤道あかみち付近ふきんってゆくとおそくなるというジャン・リシェによる報告ほうこくからの推測すいそくにより、アイザック・ニュートン発表はっぴょうした万有引力ばんゆういんりょく理論りろんから赤道あかみち方向ほうこうながひらただまであると主張しゅちょうする学者がくしゃ多数たすういた。

これをけ、18世紀せいきなかば(1735ねん1740ねん)には、フランス科学かがくアカデミーが、地球ちきゅう楕円だえんたい形状けいじょう論争ろんそう決着けっちゃくをつけるために赤道せきどう近傍きんぼう北極ほっきょく近傍きんぼう子午線しごせんちょう比較ひかくした。この測量そくりょう事業じぎょうは、ピエール・ブーゲルイ・ゴダンシャルル=マリー・ド・ラ・コンダミーヌピエール・ルイ・モーペルテュイおよアントニオ・デ・ウジョーアらによってペルー現在げんざいエクアドル[1]ラップランドトルネだに)で実行じっこうされた。

測量そくりょう結果けっかは2地域ちいきどう緯度いどでの子午線しごせんちょうたいする有意ゆういしめし、ごく付近ふきんちょう赤道せきどう付近ふきんちょうよりもおおきいというものであった。これは赤道せきどう付近ふきんのほうがごく付近ふきんよりもきょくりつおおきいことを示唆しさしており、1687ねんにニュートンがかれ著書ちょしょ自然しぜん哲学てつがく数学すうがくてきしょ原理げんり』のだい3かんにおいて提唱ていしょうしたとおり、地球ちきゅう数学すうがくてき形状けいじょうひらただまとして解釈かいしゃくできることが確認かくにんされた。カッシーニが測量そくりょう結果けっか不正確ふせいかくであったことは、かれ弟子でしともいうべきニコラ・ルイ・ド・ラカーユ1739ねんから2ねんついやしてさい測量そくりょうおこなうことにより確認かくにんされた。

18世紀せいき後半こうはんにかけて、フランス科学かがくアカデミーによってダンケルク-バルセロナあいだ子午線しごせんちょう測量そくりょうおこなわれ、メートル定義ていぎのために使つかわれた。

伊能いのう忠敬ちゅうけいによる子午線しごせん測量そくりょう[編集へんしゅう]

日本にっぽんでは伊能いのう忠敬ちゅうけいだい測量そくりょう(1801ねん)の結果けっかから緯度いど1相当そうとうする子午線しごせんちょうを28.2さとみちびしている。

子午線しごせんちょう計算けいさん[編集へんしゅう]

地球ちきゅう楕円だえんたいもとづく子午線しごせんちょう計算けいさん地図ちず投影とうえいほうとくよこメルカトル図法ずほうガウス・クリューゲル図法ずほう)において重要じゅうよう役割やくわりたす。またそのめんじょうてんあいだ測地そくちせん距離きょり最短さいたん距離きょり)をもとめる問題もんだいもこれに帰着きちゃくされる。

赤道あかみちから地理ちり緯度いど までの子午線しごせんちょう は、楕円だえん積分せきぶんふくまれているため、初等しょとう関数かんすうではあらわすことができないが、いち単項式たんこうしき偶数ぐうすうばい位相いそうとする正弦せいげん高調こうちょう無限むげん級数きゅうすう一般いっぱんしきあらわすことができる。またこれを指定していした次数じすうれば有限ゆうげん級数きゅうすうかたち近似きんじ計算けいさんもちいることができる。

だいさんはなれしんりつもちいた一般いっぱんしき[編集へんしゅう]

オイラー1755ねんだいさんはなれしんりつ 二乗にじょう微小びしょうりょうとしてもちいて無限むげん級数きゅうすう一般いっぱんしきた。

だいいちはなれしんりつもちいたひょうしき[編集へんしゅう]

地球ちきゅう楕円だえんたいちょう半径はんけいだいいちはなれしんりつとして、子午線しごせんきょくりつ半径はんけい[2] となる。赤道あかみちから地理ちり緯度いど までの子午線しごせんちょう 以下いかのように部分ぶぶん積分せきぶんあたえられる。

歴史れきしてきひろもちいられてきた 無限むげん級数きゅうすう一般いっぱんしきは、ジャン=バティスト・ジョゼフ・ドランブル1799ねん公表こうひょうし、共通きょうつう係数けいすうとして率直そっちょくくくし、微小びしょうりょうとして級数きゅうすう展開てんかいしたものである[3]

しかしながら、これはヘルメルトのしきなどにくらべると、係数けいすう うちこうあらわれ、おおくのこうすう必要ひつようとする。また共通きょうつう係数けいすうとしてくくしていることが原因げんいん[4] うちべきじょう級数きゅうすう収束しゅうそくせいおとる。

だいさん扁平へんぺいりつもちいたひょうしき[編集へんしゅう]

さらなり緯度いどあらわしたひょうしき[編集へんしゅう]

フリードリヒ・ヴィルヘルム・ベッセルは1825ねんさらなり緯度いどあらわした子午線しごせんちょう たいして、だいさん扁平へんぺいりつ もちい、共通きょうつう係数けいすうとしてくく微小びしょうりょうとしてもちいてこう定理ていり利用りようしフーリエ級数きゅうすう展開てんかいおこなった一般いっぱんしき[5]。その級数きゅうすう係数けいすう偶数ぐうすうもしくは奇数きすうべきじょうべき級数きゅうすうとなる。

ここで、じゅうかいじょうあらわす。ただしこのしき子午線しごせんちょう計算けいさんにはひろくはもちいられなかった。なお一般いっぱんしきではないがベッセルは、もとめちょう緯度いど あらわぎゃく関数かんすうたる級数きゅうすう展開てんかいしめしている。

地理ちり緯度いどあらわしたひょうしき[編集へんしゅう]

ここで楕円だえん積分せきぶん関係かんけいしきおよ符号ふごう反転はんてんかんがえると、地理ちり緯度いど あらわした一般いっぱんしきられる。これらの級数きゅうすう収束しゅうそくせいられている計算けいさんしきよりもすぐれている(級数きゅうすう展開てんかい奇数きすう次項じこうあらわれないなど)。

これらの無限むげん級数きゅうすうは、ふくまれる 次数じすうれば有限ゆうげん級数きゅうすうとなる。すなわち、下記かきのように近似きんじすることになる。

ただし、ゆか関数かんすうえない最大さいだい整数せいすう)をあらわすものとする。

ヘルメルト・ベッセルのしき[編集へんしゅう]

ベッセルはまた1837ねん上記じょうきたいしてもおなじくこう定理ていり手法しゅほう級数きゅうすう展開てんかい一般いっぱんしきた。くくされた共通きょうつう係数けいすうだった。

さらに、1880ねんフリードリヒ・ロベルト・ヘルメルトが、くく共通きょうつう係数けいすう前節ぜんせつおな変更へんこうし、打切うちきった近似きんじしき提示ていじした[6]

これは一般いっぱんしきにするならば下記かきとなる。

しかしながら前節ぜんせつ一般いっぱんしきくらべるならば こう[7]級数きゅうすう展開てんかいしたことは収束しゅうそくせいわるくしており、乗数じょうすうなかには くわわっている。

くわえて、ヘルメルトによる導出どうしゅつ過程かてい一般いっぱんろんとしては不備ふびがあり、一般いっぱんしき導出どうしゅつ証明しょうめいにはいたらないものだった。しかしヘルメルトのしき簡潔かんけつ精度せいどいため近似きんじしきとしては普及ふきゅうした。

河瀬かわせしき[編集へんしゅう]

一般いっぱんしきとしてのヘルメルトのしき証明しょうめい自体じたいについては長年ながねん放置ほうちされていたが、 最終さいしゅうてき2009ねん河瀬かわせ和重かずえにより証明しょうめいおこなわれた。

そのさいもちいられた一般いっぱんしきは、こう定理ていり経由けいゆするものではなく、ゲーゲンバウアー多項式たこうしきによる級数きゅうすう展開てんかい利用りよういち種類しゅるい無限むげん集約しゅうやくされたかたちであった[8]

ここで、 である。うえしき までれば、ヘルメルトの提示ていじした近似きんじしきられる[9][10]級数きゅうすうれば、 について つぎまででった近似きんじしきられることになる。

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ 18世紀せいきにおいては、エクアドルというくにはまだ存在そんざいしていなかった。当該とうがい地域ちいきは、当時とうじスペイン管轄かんかつかれており、キトとなる“キト特別とくべつ行政ぎょうせい”とばれていた。1830ねん独立どくりつたしたさいくに名称めいしょうとして採用さいようされた“エクアドル共和きょうわこく”(「エクアドル」にはスペインで『赤道せきどう』の意味いみがある)には、“赤道あかみち付近ふきん地域ちいき”としてえらばれたこのにおいて実施じっしされることとなった、フランス測地そくち測量そくりょう事業じぎょう名声めいせい影響えいきょうしているとかんがえられている。
  2. ^ 子午線しごせんきょくりつ半径はんけい平面へいめん曲線きょくせん楕円だえん)の幾何きかがくてき性質せいしつから初等しょとうてきもとめられる。たとえば、Rapp, R, (1991): Geometric Geodesy, Part I, §3.5.1, pp. 28–32参照さんしょう
  3. ^ このしき日本にっぽんでもひろもちいられ、昭和しょうわ61年版ねんばんから平成へいせい21年版ねんばんまでの理科りか年表ねんぴょう地学ちがく)にも掲載けいさいされていた。
  4. ^ 共通きょうつう係数けいすう くくさずに級数きゅうすうむか、もしくはくくすなどで、収束しゅうそくせい改善かいぜんされる。
  5. ^ こう定理ていり利用りようした級数きゅうすう展開てんかいは、
  6. ^ ヘルメルトの提示ていじでは実際じっさいにはしきかたちにまとまっていなかったが、1912ねんヨハン・ハインリヒ・ルイ・クリューゲルドイツばんがヘルメルトの結果けっかしきかたちりまとめている。
  7. ^ このこうは、不完全ふかんぜん楕円だえん積分せきぶんこうかんするかい微分びぶんひとしいので、級数きゅうすう展開てんかいがたでは乗数じょうすう られる。
  8. ^ ゲーゲンバウアー多項式たこうしき利用りようした級数きゅうすう展開てんかいは、こう定理ていり利用りようした級数きゅうすう展開てんかいりまとめかたえることでも同様どうよう結果けっかられるが、
    ただし、 である。
  9. ^ 平成へいせい23年版ねんばん理科りか年表ねんぴょうから、それまで掲載けいさいされていたドランブルの近似きんじしきってわり、河瀬かわせ一般いっぱんしきとヘルメルトの近似きんじしき掲載けいさいされている。
  10. ^ おなかんがかたてば、ベッセルが1825ねん および1837ねんつぎのようにくだすこともできる。
    ただし、 およ である。

参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]