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細川 立則(ほそかわ たつのり)は、肥後宇土藩の第10代藩主。
天保3年(1832年)9月29日、第9代藩主・細川行芬の次男として生まれる。嘉永2年(1849年)10月に元服し、嘉永4年(1851年)5月24日、父が病気により隠居したため跡を継いだ。同年12月16日、従五位下、山城守に叙任する。
文久2年(1862年)1月21日、弟で養子の行真に家督を譲って隠居した。なお、隠居後の明治4年(1871年)に長男の立興が誕生している(のち行真の養子となって第12代当主となる)。
明治21年(1888年)8月17日に死去した。享年57。
子女は6男4女
父母
正室
子女
養子
細川氏宇土藩10代 藩主 (1851 年 - 1862 年) |
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