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細川基之(ほそかわ もとゆき)は、室町時代の守護大名。備後半国守護、土佐半国守護、和泉守護。官途名は兵部大輔、受領名は阿波守、。細川和泉下守護家初代当主。
細川満之の子として誕生。兄弟に頼重、満久。
基之は、細川頼長と共に備後国、土佐国、和泉国を守護として分割・共同統治している。そして備後国・土佐国は2人が統治する以前は嫡流(京兆家)の所領であった(備後→細川頼之、土佐→細川満元)。これは、守護としての権益を1人に独占させず、細川氏庶流同士の勢力を牽制する目的があったと考えられる。また、和泉国には堺があり、当時堺を拠点として反乱(明徳の乱・応永の乱)が発生するほど栄えた土地であったため、室町幕府の崩壊まで2人の守護が共同統治する体制となった[2]。
- ^ 『史料綜覧 巻7』(朝陽会、1932年)p.779
- ^ 末柄豊「細川氏の同族連合体制の解体と畿内領国化」石井進編『中世の法と政治』(吉川弘文館、1992年)