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細川 満之(ほそかわ みつゆき)は、南北朝時代から室町時代前期にかけての武将・守護大名。伊勢国・備中国守護。細川備中守護家初代当主。
細川頼春の子として誕生。
生年は享年から逆算すると正平7年/文和元年(1352年)であり、元服時に3代将軍(正平22年/貞治6年(1367年)から就任)の足利義満から偏諱(「満」の字)を受けていることから考慮しても矛盾はない。尚、1352年という年は父の頼春が討死した年でもある(従って生誕月日によっては頼春の死後に生まれた可能性もある)。
義満の将軍就任の前年に兄・頼之が管領に任じられて幕政に携わるようになると、頼有らと共に領国である四国の経営を任される。元中9年/明徳3年(1392年)頃に備中守護代として備中に入部した。翌明徳4年(1393年)には備中守護となり、以後満之の家系が守護職を世襲したことで、後に備中守護家と称される。
- 父:細川頼春(1299/1304-1352)
- 母:不詳
- 妻:不詳
- 生母不明の子女