この項目 こうもく では、政治 せいじ 思想 しそう について説明 せつめい しています。いわゆる「保守 ほしゅ 点検 てんけん 作業 さぎょう 」については「メンテナンス 」をご覧 らん ください。
保守 ほしゅ (ほしゅ)または保守 ほしゅ 主義 しゅぎ (ほしゅしゅぎ、英 えい : conservatism )とは、従来 じゅうらい からの伝統 でんとう ・習慣 しゅうかん ・制度 せいど ・考 かんが え方 かた を維持 いじ し、社会 しゃかい 的 てき もしくは政治 せいじ 的 てき な改革 かいかく ・革新 かくしん ・革命 かくめい に反対 はんたい する思想 しそう のこと[ 1] [ 2] 。過激 かげき な傾向 けいこう を拒否 きょひ し、穏健 おんけん な立場 たちば を奉 ほう ずる人物 じんぶつ を保守 ほしゅ 主義 しゅぎ 者 しゃ 、勢力 せいりょく を保守 ほしゅ 勢力 せいりょく 、政党 せいとう を保守 ほしゅ 政党 せいとう (英 えい : conservative )と呼 よ ぶ。対義語 たいぎご は進歩 しんぽ 主義 しゅぎ 。
保守 ほしゅ 主義 しゅぎ は、革命 かくめい などの急進 きゅうしん 的 てき な改革 かいかく に反対 はんたい し、その社会 しゃかい で伝統 でんとう 的 てき に累積 るいせき された社会 しゃかい 的 てき ・政治 せいじ 的 てき ・宗教 しゅうきょう 的 てき な秩序 ちつじょ などを重視 じゅうし する立場 たちば である。その理念 りねん 的 てき 背景 はいけい には、近代 きんだい 主義 しゅぎ 的 てき な理性 りせい 主義 しゅぎ (啓蒙 けいもう 主義 しゅぎ ・理想 りそう 主義 しゅぎ ・合理 ごうり 主義 しゅぎ など)に対 たい する懐疑 かいぎ があり、人間 にんげん は不完全 ふかんぜん な存在 そんざい であると考 かんが え、そのために歴史 れきし 的 てき な伝統 でんとう の尊重 そんちょう が必要 ひつよう と考 かんが える。
保守 ほしゅ 主義 しゅぎ 者 しゃ が具体 ぐたい 的 てき にどのような思想 しそう ・体制 たいせい を掲 かか げるかは、その国 くに 、時代 じだい 、立場 たちば などにより異 こと なる。ヨーロッパを含 ふく めて世界 せかい 的 てき には当初 とうしょ は王 おう 党派 とうは だったものの、19世紀 せいき 以降 いこう に社会 しゃかい 主義 しゅぎ が台頭 たいとう すると、従来 じゅうらい は進歩 しんぽ 主義 しゅぎ だった自由 じゆう 主義 しゅぎ が保守 ほしゅ 主義 しゅぎ と連携 れんけい する、あるいは「保守 ほしゅ 主義 しゅぎ 」と呼 よ ばれるようになった。しかしアメリカ合衆国 あめりかがっしゅうこく では当初 とうしょ より、建国 けんこく 時 じ の自由 じゆう 主義 しゅぎ (古典 こてん 的 てき 自由 じゆう 主義 しゅぎ )が保守 ほしゅ 主義 しゅぎ となった。また社会 しゃかい 主義 しゅぎ 革命 かくめい 後 ご の社会 しゃかい 主義 しゅぎ 国 こく や、イスラム革命 かくめい 後 ご のイスラム共和 きょうわ 国 こく などでは、革命 かくめい 後 ご の年数 ねんすう 経過 けいか に伴 ともな い、革命 かくめい 後 ご の既存 きそん 体制 たいせい を堅持 けんじ しようとする側 がわ が「保守 ほしゅ 派 は 」と呼 よ ばれるようになり、「革新 かくしん 派 は 」と対比 たいひ される。
保守 ほしゅ 主義 しゅぎ の大別 たいべつ した分類 ぶんるい には以下 いか があり、それぞれの思想 しそう ・立場 たちば はある面 めん では共通 きょうつう し、別 べつ の面 めん では対立 たいりつ もしている。
保守 ほしゅ 主義 しゅぎ には、復古 ふっこ 主義 しゅぎ も含 ふく まれるものの、漸進 ぜんしん 的 てき ・穏健 おんけん な改良 かいりょう 主義 しゅぎ や経験 けいけん 主義 しゅぎ も含 ふく まれる。フランス革命 かくめい 当時 とうじ の保守 ほしゅ 主義 しゅぎ は「今 いま あるアンシャン・レジーム とレッテル貼 ば りされた諸 しょ 制度 せいど は、遠 とお い過去 かこ からの取捨選択 しゅしゃせんたく に耐 た えてきたものであり、これを維持 いじ 存続 そんぞく させることが国民 こくみん の利益 りえき になる」(とする主義 しゅぎ )と定義 ていぎ されていた。しかし、「維持 いじ せんがために改革 かいかく する」というディズレーリ の言葉 ことば や「保守 ほしゅ するための改革 かいかく 」というエドマンド・バーク の言葉 ことば からも明 あき らかなように、保守 ほしゅ 主義 しゅぎ は漸進 ぜんしん 的 てき な改革 かいかく を否定 ひてい しない。保守 ほしゅ 主義 しゅぎ は政治 せいじ および社会 しゃかい の哲学 てつがく の一 ひと つであり、この哲学 てつがく は伝統 でんとう 的 てき 制度 せいど の維持 いじ を奨励 しょうれい し、社会 しゃかい の変化 へんか については最小 さいしょう で漸進 ぜんしん 的 てき なものだけを支持 しじ する。
保守 ほしゅ 主義 しゅぎ 者 しゃ たちの中 なか には、現在 げんざい のものを維持 いじ しようとし安定 あんてい 性 せい と連続 れんぞく 性 せい を強調 きょうちょう する者 もの たちがいる一方 いっぽう で、近代 きんだい 主義 しゅぎ に反対 はんたい し過去 かこ へもどろうとする者 もの たちもいる。シャルル・ド・モンテスキュー はフランス革命 かくめい 以前 いぜん の人物 じんぶつ ではあるが、自身 じしん の生 い きた前 ぜん 近代 きんだい 的 てき なアンシャンレジームを積極 せっきょく に肯定 こうてい しており、その反 はん 民主 みんしゅ 主義 しゅぎ 的 てき な主張 しゅちょう から保守 ほしゅ 主義 しゅぎ 者 しゃ であると評価 ひょうか されている[ 5] 。だが、前 ぜん 近代 きんだい 的 てき な保守 ほしゅ 主義 しゅぎ 者 しゃ の主張 しゅちょう が近代 きんだい 思想 しそう に影響 えいきょう を与 あた えている面 めん もあり、モンテスキューは君主政体 くんしゅせいたい や貴族 きぞく 制度 せいど を擁護 ようご する一方 いっぽう で、奴隷 どれい 制度 せいど やカトリック教会 きょうかい の異端 いたん 審問 しんもん を否定 ひてい しておりその著書 ちょしょ 法 ほう の精神 せいしん は禁書 きんしょ 目録 もくろく にも指定 してい された。また、モンテスキューの思想 しそう はザ・フェデラリスト などの近代 きんだい 保守 ほしゅ 主義 しゅぎ に影響 えいきょう を与 あた えている[ 5] 。
保守 ほしゅ 主義 しゅぎ の支持 しじ は各 かく 産業 さんぎょう に従事 じゅうじ する者 もの などにもみられる。都市 とし 部 ぶ でも自営 じえい 業者 ぎょうしゃ や一部 いちぶ の法人 ほうじん が支持 しじ することがある。その他 た にも大 だい 企業 きぎょう 経営 けいえい 者 しゃ ・資本 しほん 家 か 、中小 ちゅうしょう 企業 きぎょう 経営 けいえい 者 しゃ も既得 きとく 権益 けんえき を持 も つものとして保守 ほしゅ 主義 しゅぎ を支持 しじ する傾向 けいこう が見 み られることがある(国民 こくみん 政党 せいとう )。現代 げんだい の代表 だいひょう 的 てき な保守 ほしゅ 政党 せいとう には、イギリスの保守党 ほしゅとう 、カナダのカナダ保守党 ほしゅとう 、アメリカ合衆国 あめりかがっしゅうこく の共和党 きょうわとう 、ドイツのキリスト教 きりすときょう 民主 みんしゅ 同盟 どうめい 、オーストラリアのオーストラリア自由党 じゆうとう 、インドのインド人民 じんみん 党 とう 、日本 にっぽん の自由民主党 じゆうみんしゅとう がある。
上記 じょうき のように、保守 ほしゅ 主義 しゅぎ とは伝統 でんとう 的 てき な慣習 かんしゅう ・体制 たいせい などを重視 じゅうし する立場 たちば であり、具体 ぐたい 的 てき にどのような思想 しそう ・体制 たいせい を理想 りそう とするかは時代 じだい ・国 くに ・立場 たちば などにより異 こと なる。
カール・マンハイム によると、保守 ほしゅ 主義 しゅぎ はそれ自体 じたい として存在 そんざい するものではなく、革命 かくめい など何 なに かの変革 へんかく が起 お こった後 のち で、それに対 たい する反応 はんのう として形成 けいせい される。
保守 ほしゅ 主義 しゅぎ 者 しゃ たちは、基本 きほん 的 てき には人間 にんげん の思考 しこう に期待 きたい しすぎず、「人 ひと は過 あやま ちを犯 おか すし完全 かんぜん ではない」という前提 ぜんてい に立 た つ。そして謙虚 けんきょ な振 ふ るまいをする。さらに、彼 かれ らは「先祖 せんぞ たちが試行 しこう 錯誤 さくご しながら獲得 かくとく してきた知恵 ちえ 、すなわち伝統 でんとう が慣習 かんしゅう の中 なか に凝縮 ぎょうしゅく されている」と考 かんが え、伝統 でんとう を尊重 そんちょう する。また彼 かれ らは、「伝統 でんとう は祖先 そせん からの相続 そうぞく 財産 ざいさん であるから、現在 げんざい 生 い きている国民 こくみん は相続 そうぞく した伝統 でんとう を大切 たいせつ に維持 いじ し子孫 しそん に相続 そうぞく させる義務 ぎむ がある」と考 かんが える。その結果 けっか 、彼 かれ らは過去 かこ ・現在 げんざい などの歴史 れきし 的 てき 結 むす びつきを重視 じゅうし する。このように保守 ほしゅ 主義 しゅぎ は懐古 かいこ 趣味 しゅみ とは異 こと なる志向 しこう の要素 ようそ も含 ふく んでいる。また、彼 かれ らは「将来 しょうらい を着実 ちゃくじつ に進 すす むためには、歴史 れきし から学 まな ばなければならない」と考 かんが える。これは、歴史 れきし とは先人 せんじん たちが試行 しこう 錯誤 さくご してきた失敗 しっぱい の積 つ み重 かさ ねの宝庫 ほうこ だからだとされる(経験 けいけん 主義 しゅぎ )。西 にし ヨーロッパの貴族 きぞく 出身 しゅっしん の保守 ほしゅ 派 は は、自 みずか らを過去 かこ から続 つづ く精神 せいしん の継承 けいしょう 者 しゃ と自負 じふ していることが見 み られ、共産 きょうさん 主義 しゅぎ などの革命 かくめい 思想 しそう に対 たい して、祖先 そせん から相続 そうぞく した郷土 きょうど を踏 ふ みにじるものとして反発 はんぱつ する。
保守 ほしゅ 主義 しゅぎ 者 しゃ 達 たち は理性 りせい を懐疑 かいぎ する。彼 かれ らがフランス革命 かくめい で理性 りせい 主義 しゅぎ を掲 かか げたジャコバン派 は が議会 ぎかい を暴走 ぼうそう させ、道徳 どうとく を退廃 たいはい させ、そして自由 じゆう を軽視 けいし させる過 あやま ちを犯 おか した(恐怖 きょうふ 政治 せいじ )とみなしていることが、そのように懐疑 かいぎ される理由 りゆう の一 ひと つである。フランス革命 かくめい では国家 こっか が宗教 しゅうきょう や規範 きはん の主宰 しゅさい 者 しゃ のように振 ふ る舞 ま われ、そのことをイギリス保守 ほしゅ 主義 しゅぎ は嫌 きら った。同様 どうよう の事態 じたい はロシア革命 かくめい 、文化 ぶんか 大 だい 革命 かくめい など多 おお くの革命 かくめい や政変 せいへん にも見 み られる。こうして保守 ほしゅ 主義 しゅぎ 者 しゃ たちは伝統 でんとう 保守 ほしゅ や漸進 ぜんしん 的 てき 変革 へんかく をとなえ、左翼 さよく 革命 かくめい を否定 ひてい 的 てき に見 み る(改良 かいりょう 主義 しゅぎ 、反共 はんきょう 主義 しゅぎ )。
ジョン・グレイ [要 よう 曖昧 あいまい さ回避 かいひ ] はフランス革命 かくめい 、社会 しゃかい 主義 しゅぎ 革命 かくめい 、毛沢東 もうたくとう 体制 たいせい はユートピア を想定 そうてい し、善悪 ぜんあく 二元論 にげんろん 的 てき な千 せん 年 ねん 王国 おうこく 主義 しゅぎ にもとづいているとし、従来 じゅうらい の保守 ほしゅ 主義 しゅぎ はこうしたユートピア思想 しそう に批判 ひはん 的 てき であったが(寛容 かんよう 、多元 たげん 論 ろん )、近年 きんねん の米国 べいこく 新 しん 保守 ほしゅ 主義 しゅぎ がユートピアを追求 ついきゅう するようになったことを批判 ひはん した。
イギリスには、エドマンド・バーク のような政治 せいじ 思想 しそう 的 てき な保守 ほしゅ 主義 しゅぎ 以外 いがい にも、アイザック・ウォルトン 、トーマス・カーライル のような生 い き方 かた を重視 じゅうし する保守 ほしゅ 主義 しゅぎ もある。イギリス保守党 ほしゅとう の元 もと チェアマンクィンティン・ホッグ は「保守 ほしゅ 主義 しゅぎ は態度 たいど ないしは定常 ていじょう 的 てき な精神 せいしん の作用 さよう [ 注釈 ちゅうしゃく 1] 以上 いじょう のものをさす哲学 てつがく ではなく、自由 じゆう 社会 しゃかい が発展 はってん する過程 かてい で時代 じだい に左右 さゆう されない働 はたら きをするものであり、人間 にんげん 本性 ほんしょう それ自体 じたい が心 しん の底 そこ から恒常 こうじょう 的 てき に要請 ようせい するものである。」[ 9] という。保守党 ほしゅとう の理論 りろん 家 か ヒュー・セシル (英語 えいご 版 ばん ) によると、コンサーヴァティズムには政治 せいじ 的 てき 保守 ほしゅ 主義 しゅぎ ・近代 きんだい 保守 ほしゅ 主義 しゅぎ 以外 いがい に自然 しぜん 的 てき 保守 ほしゅ 性 せい がある[ 注釈 ちゅうしゃく 2] 。自然 しぜん 的 てき 保守 ほしゅ 性 せい とは、新 あたら しいもの・未知 みち なるものへの恐怖 きょうふ と、現状 げんじょう を積極 せっきょく ・消極 しょうきょく 両面 りょうめん で維持 いじ することを欲 ほっ する感情 かんじょう のことである。これは慣 な れたものに愛着 あいちゃく を持 も つという人間 にんげん の性質 せいしつ であり、思想 しそう 的 てき な主義 しゅぎ 主張 しゅちょう ではない。
マイケル・オークショット によれば、保守 ほしゅ 的 てき であるとは『見知 みし らぬものよりも慣 な れ親 した しんだものを好 この むこと、試 こころ みられたことのないものよりも試 こころ みられたものを、神秘 しんぴ よりも事実 じじつ を、可能 かのう なものよりも現実 げんじつ のものを、無制限 むせいげん なものよりも限度 げんど のあるものを、遠 とお いものよりも近 ちか くのものを、あり余 あま るものよりも足 た りるだけのものを、完璧 かんぺき なものよりも重宝 ちょうほう なものを、理想郷 りそうきょう における至福 しふく よりも現在 げんざい の笑 わら いを、好 この むことである。得 え るところが一層 いっそう 多 おお いかも知 し れない愛情 あいじょう の誘惑 ゆうわく よりも、以前 いぜん からの関係 かんけい や信義 しんぎ に基 もと づく関係 かんけい が好 この まれる。獲得 かくとく し拡張 かくちょう することは、保持 ほじ し育成 いくせい して楽 たの しみを得 え ることほど重要 じゅうよう ではない。革新 かくしん 性 せい や有望 ゆうぼう さによる興奮 こうふん よりも、喪失 そうしつ による悲嘆 ひたん の方 ほう が強烈 きょうれつ である。保守 ほしゅ 的 てき であるとは、自己 じこ のめぐりあわせに対 たい して淡々 たんたん としていること、自己 じこ の身 み に相応 ふさわ しく生 い きていくことであり、自分 じぶん 自身 じしん にも自分 じぶん の環境 かんきょう にも存在 そんざい しない一層 いっそう 高度 こうど な完璧 かんぺき さを、追求 ついきゅう しようとはしないことである。或 ある る人 にん 々にとってはこうしたこと自体 じたい が選択 せんたく の結果 けっか であるが、また或 ある る人 にん 々にとっては、それは好 す き嫌 きら いの中 なか に多 おお かれ少 すく なかれ現 あらわ れるその人 ひと の性向 せいこう であって、それ自体 じたい が選択 せんたく されたり特別 とくべつ に培 つちか われたりしたものではない。』とする[ 10] 。
サミュエル・P・ハンティントン によると、保守 ほしゅ 主義 しゅぎ には次 つぎ の三 みっ つの定義 ていぎ がある[ 11] 。
革命 かくめい 的 てき 定義 ていぎ
歴史 れきし の中 なか の特殊 とくしゅ な社会 しゃかい 運動 うんどう として定義 ていぎ 。この時期 じき の定義 ていぎ は、フランス革命 かくめい 、あるいは18世紀 せいき の終 お わりから19世紀 せいき 前半 ぜんはん のブルジョワジー 勃興 ぼっこう に対 たい する、封建 ほうけん 的 てき 勢力 せいりょく ・貴族 きぞく 階級 かいきゅう ・地主 じぬし 階級 かいきゅう による反動 はんどう であるとする。この解釈 かいしゃく では保守 ほしゅ 主義 しゅぎ は地位 ちい 、そして旧 きゅう 体制 たいせい と結 むす びつき、中間 なかま 層 そう 、労働 ろうどう 者 しゃ 、民主 みんしゅ 主義 しゅぎ 、そして個人 こじん 主義 しゅぎ などといった思想 しそう と対立 たいりつ する。
普遍 ふへん 的 てき 定義 ていぎ
その思想 しそう の内容 ないよう 、固有 こゆう の観念 かんねん ・価値 かち などによる定義 ていぎ 。保守 ほしゅ 主義 しゅぎ は正義 まさよし 、秩序 ちつじょ 、均衡 きんこう 、そして穏健 おんけん などといった普遍 ふへん 的 てき 価値 かち の自律 じりつ 的 てき 体系 たいけい であるとする。
状況 じょうきょう 的 てき 定義 ていぎ
いつの時代 じだい にも見 み られる、歴史 れきし を越 こ えた存在 そんざい として定義 ていぎ 。保守 ほしゅ 主義 しゅぎ は、どんな社会 しゃかい 秩序 ちつじょ であろうと、それを正当 せいとう 化 か しようとするものであるとする。この定義 ていぎ によると、保守 ほしゅ 主義 しゅぎ の本質 ほんしつ は現存 げんそん する制度 せいど の価値 かち を情熱 じょうねつ 的 てき に肯定 こうてい することにある。ただし、この定義 ていぎ によると、保守 ほしゅ 主義 しゅぎ はあらゆる変化 へんか に反対 はんたい するわけではなく、社会 しゃかい の根本 こんぽん 的 てき 要素 ようそ を残 のこ すために第二義 だいにぎ 的 てき 変化 へんか を黙認 もくにん することもある。
ハンティントンは、このうち1と2の定義 ていぎ は不適切 ふてきせつ であると考 かんが え、「保守 ほしゅ 主義 しゅぎ の性格 せいかく は静態 せいたい 的 てき なものであり、同様 どうよう の社会 しゃかい 状況 じょうきょう が生 しょう じた場合 ばあい に見 み られる反復 はんぷく 的 てき なものであり、そして進歩 しんぽ 的 てき なものではない」としている。
アンソニー・クイントンは、伝統 でんとう 主義 しゅぎ 、社会 しゃかい 主義 しゅぎ 的 てき 一体 いったい 性 せい を有機 ゆうき 的 てき に成長 せいちょう するものとみなす共同 きょうどう 体 たい 主義 しゅぎ 、政治 せいじ 的 てき 懐疑 かいぎ 主義 しゅぎ の3つが保守 ほしゅ 主義 しゅぎ の原理 げんり とする[ 12] 。
なお、歴史 れきし 上 じょう の多 おお くの思想 しそう には、革命 かくめい 的 てき ・進歩 しんぽ 的 てき な要素 ようそ と、保守 ほしゅ 的 てき ・復古 ふっこ 的 てき な要素 ようそ が存在 そんざい している。キリスト教 きりすときょう 、イスラム教 いすらむきょう 、プロテスタント などは、従来 じゅうらい の伝統 でんとう 的 てき な宗教 しゅうきょう 勢力 せいりょく を否定 ひてい する一方 いっぽう で、聖書 せいしょ の教 おし えへの復帰 ふっき を主張 しゅちょう した。近代 きんだい 主義 しゅぎ (啓蒙 けいもう 主義 しゅぎ 、自由 じゆう 主義 しゅぎ )は、進歩 しんぽ 主義 しゅぎ を掲 かか げて従来 じゅうらい の封建 ほうけん 主義 しゅぎ 社会 しゃかい を解体 かいたい していったが、古代 こだい ギリシア などを西洋 せいよう 文明 ぶんめい の起源 きげん と主張 しゅちょう した(ルネッサンス )。アナキズム や共産 きょうさん 主義 しゅぎ などは、社会 しゃかい 改良 かいりょう や革命 かくめい を掲 かか げる一方 いっぽう で、資本 しほん 主義 しゅぎ によって解体 かいたい された多 た 文化 ぶんか 社会 しゃかい や共生 きょうせい 社会 しゃかい の復活 ふっかつ を主張 しゅちょう した。
17世紀 せいき に、イギリスのエドワード・コーク は中世 ちゅうせい ゲルマン法 ほう を継承 けいしょう したコモン・ロー の体系 たいけい を理論 りろん 化 か した。18世紀 せいき には、エドマンド・バーク がコモン・ローの伝統 でんとう を踏 ふ まえて著書 ちょしょ 『フランス革命 かくめい についての省察 せいさつ 』を公表 こうひょう し、保守 ほしゅ 思想 しそう を大成 たいせい した。この著書 ちょしょ は、フランス革命 かくめい における恐怖 きょうふ 政治 せいじ に対 たい する批判 ひはん の書 しょ でもある。バークが英国 えいこく 下院 かいん で革命 かくめい の脅威 きょうい を説 と いた1790年 ねん 5月 がつ 6日 にち が近代 きんだい 保守 ほしゅ 主義 しゅぎ 生誕 せいたん の日 ひ とされる。このような経緯 けいい からバークは「保守 ほしゅ 思想 しそう の父 ちち 」と呼 よ ばれている。バークは歴史 れきし 的 てき に継承 けいしょう され社会 しゃかい の一般 いっぱん 的 てき な考 かんが えとまでなった意見 いけん や信念 しんねん を ancient opinions (古来 こらい の意見 いけん )、prejudice (偏見 へんけん 、固定 こてい 観念 かんねん )と呼 よ び、イギリスの場合 ばあい は国教 こっきょう 会 かい が第 だい 一 いち の prejudice であるとし、イギリスの政治 せいじ 思想 しそう とした。また国家 こっか は「一時 いちじ 的 てき な便宜 べんぎ の観念 かんねん に従 したが って取 と り上 あ げたり抛 ほう り出 だ したりできるものではない」とし、国家 こっか とは憲法 けんぽう の基礎 きそ であり、教会 きょうかい とも不可分 ふかぶん とした。バークはルソー の社会 しゃかい 契約 けいやく 論 ろん やフランス革命 かくめい のように人為 じんい に対 たい して全幅 ぜんぷく の信頼 しんらい を寄 よ せることはできず、人為 じんい に依拠 いきょ した正統 せいとう 化 か 理論 りろん は採用 さいよう できないと考 かんが えた。
政治 せいじ と宗教 しゅうきょう の関係 かんけい 、政教 せいきょう 分離 ぶんり 問題 もんだい についての保守 ほしゅ 主義 しゅぎ の見解 けんかい として、バークの優 すぐ れた解釈 かいしゃく 者 しゃ でもあった保守党 ほしゅとう の政治 せいじ 家 か ヒュー・セシルは、新約 しんやく 聖書 せいしょ では「カエサルのものはカエサルに 、神 かみ のものは神 かみ に返 かえ しなさい」とあり、これは宗教 しゅうきょう 的 てき 事項 じこう と世俗 せぞく 的 てき 事項 じこう の分離 ぶんり であって「国家 こっか の権威 けんい が及 およ ぶ領域 りょういき においては、それに服従 ふくじゅう しなければならない。ただし、その領域 りょういき は純粋 じゅんすい に宗教 しゅうきょう 的 てき な事項 じこう に及 およ ぶことはない」とのべた。セシルは、規範 きはん は宗教 しゅうきょう 化 か した政治 せいじ (国家 こっか )によって教化 きょうか されてはならず、規範 きはん は、人間 にんげん がそれぞれ信仰 しんこう を通 とお して内面 ないめん において理解 りかい するべきものであると論 ろん じ、国教 こっきょう 会 かい は国家 こっか の一 いち 機関 きかん ではなく、人々 ひとびと の内面 ないめん 性 せい 涵養 かんよう の場 ば であるとした。
かつてトーリー主義 しゅぎ と呼 よ ばれていたイギリスの保守 ほしゅ 主義 しゅぎ は、王政 おうせい 復古 ふっこ 時代 じだい (1660年 ねん –1688年 ねん )に生 う まれた。神授 しんじゅ 王権 おうけん によって統治 とうち を行 おこな う君主 くんしゅ をともなう階級 かいきゅう 社会 しゃかい をイギリス保守 ほしゅ 主義 しゅぎ は支持 しじ した。しかし立憲 りっけん 政府 せいふ を確立 かくりつ した名誉 めいよ 革命 かくめい (1688年 ねん )は、トーリー主義 しゅぎ の再 さい 公式 こうしき 化 か をもたらした。再 さい 公式 こうしき 化 か 後 ご のトーリー主義 しゅぎ においては統治 とうち 権 けん は国王 こくおう 、上院 じょういん 、下院 かいん の三 みっ つの身分 みぶん に与 あた えられたと現在 げんざい ではみなされている[ 15] 。
保守 ほしゅ 派 は の歴史 れきし 家 か たちによると、リチャード・フッカー は保守 ほしゅ 主義 しゅぎ の創始 そうし 者 しゃ であり、ハリファックス侯爵 こうしゃく は彼 かれ のプラグマティズム が賞賛 しょうさん されるべきであり、デイヴィッド・ヒューム は政治 せいじ における合理 ごうり 主義 しゅぎ を保守 ほしゅ 的 てき に信用 しんよう しなかったことが賞賛 しょうさん されるべきであり、エドマンド・バーク は初期 しょき の指導 しどう 的 てき な理論 りろん 家 か とみなされる。しかし、フッカーは保守 ほしゅ 主義 しゅぎ が出現 しゅつげん する前 まえ の人 ひと 、ハリファックスはどの政党 せいとう にも属 ぞく していなかった、ヒュームは政治 せいじ に関与 かんよ しなかった、バークはホイッグ党 とう 員 いん だった、との反論 はんろん もある。
19世紀 せいき には、保守 ほしゅ 主義 しゅぎ 者 しゃ たちはバークがカトリック解放 かいほう を擁護 ようご したことから彼 かれ を拒絶 きょぜつ し、代 か わりにブリングブローク (英語 えいご 版 ばん ) からインスピレーションを受 う けた。フランス革命 かくめい に対 たい するトーリー党 とう の反応 はんのう について書 か いたジョン・リーヴズ (英語 えいご 版 ばん ) は顧 かえり みられなかった[ 16] 。保守 ほしゅ 主義 しゅぎ 者 しゃ たちはバークがアメリカ独立 どくりつ 革命 かくめい を支持 しじ したことに反対 はんたい しもした。例 たと えば、トーリー党員 とういん のサミュエル・ジョンソン は著書 ちょしょ 『暴政 ぼうせい なき課税 かぜい 』[ 注釈 ちゅうしゃく 3] の中 なか でそれを非難 ひなん した。
保守 ほしゅ 主義 しゅぎ はイングランドの王政 おうせい 復古 ふっこ の過程 かてい で王政 おうせい 主義 しゅぎ から発展 はってん した。王政 おうせい 主義 しゅぎ 者 しゃ たちは絶対 ぜったい 君主 くんしゅ 制 せい を支持 しじ し、国王 こくおう は神授 しんじゅ 王権 おうけん によって統治 とうち しているのだと論 ろん じた。主権 しゅけん は人 ひと びと、議会 ぎかい の権威 けんい 、信教 しんきょう の自由 じゆう に由来 ゆらい するという考 かんが えに彼 かれ らは反対 はんたい した。ロバート・フィルマー がイングランド内戦 ないせん 以前 いぜん に著 あらわ した『パトリアーチャないしは国王 こくおう の自然 しぜん 権 けん 』[ 注釈 ちゅうしゃく 4] は彼 かれ らの見解 けんかい を述 の べたものとして受 う け入 い れられるようになった。1688年 ねん の名誉 めいよ 革命 かくめい を受 う けて、トーリー党 とう 員 いん たちとして知 し られていた保守 ほしゅ 主義 しゅぎ 者 しゃ たちは国王 こくおう 、上院 じょういん 、下院 かいん の三 さん 身分 みぶん が主権 しゅけん を共有 きょうゆう するということを受 う け入 い れた[ 17] 。しかし、トーリー主義 しゅぎ はホイッグ党 とう が優勢 ゆうせい だった長 なが い期間 きかん の間 あいだ にホイッグ主義 しゅぎ のために追 お いやられた[ 18] 。1830年代 ねんだい に保守党 ほしゅとう と改名 かいめい したこの政党 せいとう は、不安 ふあん に思 おも いながらも協力 きょうりょく し合 あ った家父 かふ 長 ちょう 的 てき な貴族 きぞく たちと自由 じゆう 市場 いちば における資本 しほん 家 か たち両方 りょうほう の本拠地 ほんきょち となったのちに、主要 しゅよう な政治 せいじ 勢力 せいりょく として復帰 ふっき した[ 19] 。
1979年 ねん から1990年 ねん までのマーガレット・サッチャー 政権 せいけん は新 しん 保守 ほしゅ 主義 しゅぎ と新 しん 自由 じゆう 主義 しゅぎ を実行 じっこう し、ニューライト ともよばれた[ 20] 。
21世紀 せいき に入 はい ると、保守党 ほしゅとう の指導 しどう 者 しゃ たちは公 おおやけ にトーリー・デモクラシー (一 いち 国 こく 保守 ほしゅ 主義 しゅぎ )を支持 しじ し始 はじ めた。
アメリカでは、コモン・ロー の法 ほう 思想 しそう が、ウィリアム・ブラックストン の『イギリス法 ほう 釈義 しゃくぎ 』を通 つう じて、そのままアメリカの保守 ほしゅ 主義 しゅぎ としてアレクサンダー・ハミルトン ら「建国 けんこく の父 ちち 」たちによって継承 けいしょう された。そして、この法 ほう 思想 しそう はアメリカの憲法 けんぽう 思想 しそう となった。しかし、アメリカの保守 ほしゅ 主義 しゅぎ は、イギリスの王室 おうしつ や日本 にっぽん の皇室 こうしつ などの保持 ほじ を条件 じょうけん とせず、1930年代 ねんだい の大 だい 不況 ふきょう によって自由 じゆう 主義 しゅぎ の原則 げんそく がゆらいだ際 さい に保守 ほしゅ 主義 しゅぎ が登場 とうじょう したとされ、さらに1944年 ねん にイギリスで、1945年 ねん にアメリカで刊行 かんこう されたフリードリヒ・ハイエク の『隷従 れいじゅう への道 みち 』によってアメリカの保守 ほしゅ 主義 しゅぎ は結集 けっしゅう し、この本 ほん はアメリカの保守 ほしゅ 主義 しゅぎ 運動 うんどう を最初 さいしょ に定義 ていぎ づけた著作 ちょさく とみなされている[ 21] 。ただしハイエクは自 みずか らを保守 ほしゅ 主義 しゅぎ でなく自由 じゆう 主義 しゅぎ (リベラリズム、リベラル )と主張 しゅちょう した。ハイエクの自由 じゆう 主義 しゅぎ では社会 しゃかい 秩序 ちつじょ を他人 たにん の自由 じゆう を侵害 しんがい しない限 かぎ りで個人 こじん の自由 じゆう な行為 こうい に委 ゆだ ねるもので、貧困 ひんこん や失業 しつぎょう 問題 もんだい などを合理 ごうり 的 てき に国家 こっか が管理 かんり することは否定 ひてい される[ 23] 。
バークを重視 じゅうし するラッセル・カーク は1953年 ねん に著作 ちょさく [ 注釈 ちゅうしゃく 5] を発表 はっぴょう し、保守 ほしゅ 主義 しゅぎ の定義 ていぎ として、(1)人間 にんげん の良心 りょうしん と社会 しゃかい は神 かみ の意思 いし によって創 つく られたことを信 しん じる、(2)伝統 でんとう の多様 たよう 性 せい と神秘 しんぴ 性 せい に思 おも いを寄 よ せること、(3)文明 ぶんめい 社会 しゃかい には秩序 ちつじょ と階級 かいきゅう が必要 ひつよう で、平等 びょうどう とは道徳 どうとく 的 てき な平等 びょうどう であり、政治 せいじ 介入 かいにゅう による社会 しゃかい 的 てき 平等 びょうどう は否定 ひてい される、(4)私有 しゆう 財産 ざいさん の肯定 こうてい と自由 じゆう は不可分 ふかぶん であること、(5)時効 じこう 概念 がいねん (バーク)を信頼 しんらい し、空理空論 くうりくうろん を弄 もてあそ ぶ哲学 てつがく 屋 や や極端 きょくたん な合理 ごうり 主義 しゅぎ を採用 さいよう する計算 けいさん 屋 や への不信 ふしん 、(6)革新 かくしん は人間 にんげん を絶望 ぜつぼう へと誘 さそ い、真 しん の変化 へんか はプロビデンス による、とした。
2016年 ねん 現在 げんざい のアメリカは二 に 大 だい 政党 せいとう 制 せい であり、共和党 きょうわとう が保守 ほしゅ 派 は 、対 たい する民主党 みんしゅとう がリベラル派 は の立場 たちば を採 と っている。共和党 きょうわとう は伝統 でんとう 的 てき には、自由 じゆう 主義 しゅぎ や小 ちい さな政府 せいふ を掲 かか げ、国際 こくさい 連合 れんごう や連邦 れんぽう 政府 せいふ による干渉 かんしょう の最小 さいしょう 化 か (州 しゅう 権 けん 主義 しゅぎ )、大 だい 企業 きぎょう への規制 きせい 緩和 かんわ や民営 みんえい 化 か を推進 すいしん しており、国民 こくみん 皆 みな 保険 ほけん 制度 せいど も反対 はんたい の立場 たちば をとっている。また、環境 かんきょう 問題 もんだい においても地球 ちきゅう 温暖 おんだん 化 か 問題 もんだい よりも経済 けいざい 効率 こうりつ を優先 ゆうせん する傾向 けいこう がある。外交 がいこう 政策 せいさく においては反共 はんきょう 主義 しゅぎ の立場 たちば から強硬 きょうこう 路線 ろせん をとりパナマ、イラク、アフガニスタンなど各国 かっこく の紛争 ふんそう への介入 かいにゅう や戦争 せんそう を行 おこな った。伝統 でんとう 的 てき に中央 ちゅうおう 政府 せいふ に批判 ひはん 的 てき で地域 ちいき 主義 しゅぎ が強 つよ い背景 はいけい には、開拓 かいたく 時代 じだい からの自主 じしゅ 独立 どくりつ の精神 せいしん や、相互 そうご 不干渉 ふかんしょう のモンロー主義 しゅぎ 、南北戦争 なんぼくせんそう で進歩 しんぽ 主義 しゅぎ の北 きた 軍 ぐん が勝者 しょうしゃ となり連邦 れんぽう 政府 せいふ となった事 こと への反発 はんぱつ などの歴史 れきし 的 てき 経緯 けいい もある。
アメリカにおいては家族 かぞく を基本 きほん 的 てき な価値 かち として尊重 そんちょう し、政府 せいふ は家族 かぞく や私有 しゆう 財産 ざいさん を脅 おびや かす存在 そんざい として警戒 けいかい の対象 たいしょう になる反 はん 連邦 れんぽう 主義 しゅぎ の伝統 でんとう がある。ロナルド・レーガン が所得 しょとく 税 ぜい を減税 げんぜい しジョージ・H・W・ブッシュ が遺産 いさん 税 ぜい の廃止 はいし を推進 すいしん したのは、こうしたアメリカの保守 ほしゅ 思想 しそう に基 もと づいてのことである。それゆえ、アメリカの保守 ほしゅ は国家 こっか 主義 しゅぎ 的 てき な日本 にっぽん ・フランス・ドイツ・イタリアなどの保守 ほしゅ とは対極 たいきょく 的 てき な面 めん がある(リバタリアニズム も参照 さんしょう )。ただし、日本 にっぽん やイギリスの保守 ほしゅ 派 は は軍事 ぐんじ ・外交 がいこう ・教育 きょういく ・治安 ちあん 維持 いじ では国家 こっか の役割 やくわり を強調 きょうちょう するものの、経済 けいざい 政策 せいさく や社会 しゃかい 政策 せいさく においては小 ちい さな政府 せいふ を唱 とな える傾向 けいこう も強 つよ く、特 とく に家族 かぞく の価値 かち を唱 とな え、育児 いくじ や介護 かいご の社会 しゃかい 化 か には慎重 しんちょう 、もしくは積極 せっきょく 的 てき に反対 はんたい する。この面 めん では欧州 おうしゅう 大陸 たいりく 諸国 しょこく よりもリバタリアニズム的 てき で、アメリカの保守 ほしゅ との共通 きょうつう 点 てん が見 み られる。
文芸 ぶんげい 評論 ひょうろん 家 か のライオネル・トリリング はアメリカには保守 ほしゅ 主義 しゅぎ はなく、保守 ほしゅ の衝動 しょうどう [ 注釈 ちゅうしゃく 6] でしかないといい、またダニエル・ベル 編集 へんしゅう の『保守 ほしゅ と反動 はんどう 現代 げんだい アメリカの右翼 うよく 』でもアメリカにはエドマンド・バークのような保守 ほしゅ 思想 しそう は存在 そんざい せず、ニューライト (新 しん 右翼 うよく )にすぎないとした。
米国 べいこく のシーモア・M・リプセット は米国 べいこく のリベラルと保守 ほしゅ は「しばしば平等 びょうどう や自由 じゆう といった問題 もんだい に関 かん しては反対 はんたい の立場 たちば を取 と るわけではない。そうではなく、両 りょう サイドは自由 じゆう と平等 びょうどう のどちらかの核 かく となる価値 かち へ訴 うった える。例 たと えばリベラルは平等 びょうどう 主義 しゅぎ の卓越 たくえつ 性 せい や無 む 制限 せいげん の個人 こじん 主義 しゅぎ から生 しょう じる社会 しゃかい 的 てき 不公平 ふこうへい を強調 きょうちょう するのに対 たい して、保守 ほしゅ は個人 こじん の自由 じゆう という価値 かち や流動 りゅうどう 性 せい および努力 どりょく による達成 たっせい の社会 しゃかい 的 てき 必要 ひつよう 性 せい という価値 かち をリベラルな特効薬 とっこうやく に含 ふく まれる集団 しゅうだん 主義 しゅぎ によって『危険 きけん にさらされる』価値 かち として大切 たいせつ にする、といった具合 ぐあい である。」という[ 26] 。
一方 いっぽう 、アメリカ合衆国 あめりかがっしゅうこく の教育 きょういく 機関 きかん における教員 きょういん の政治 せいじ 的 てき 傾向 けいこう の調査 ちょうさ によれば、保守 ほしゅ はリベラル より劣勢 れっせい であり、特 とく に大学 だいがく でこの傾向 けいこう が強 つよ く、大学 だいがく の人文 じんぶん 学 がく 専攻 せんこう での割合 わりあい は共和党 きょうわとう 支持 しじ 者 しゃ 1人 にん に対 たい して民主党 みんしゅとう 支持 しじ 者 しゃ 5人 にん 、社会 しゃかい 科学 かがく 系 けい では共和党 きょうわとう 支持 しじ 者 しゃ 1人 にん に対 たい して民主党 みんしゅとう 支持 しじ 者 しゃ 8人 にん にのぼった[ 27] [ 28] 。アメリカの四 よん 年 ねん 制 せい の大学 だいがく 教授 きょうじゅ を対象 たいしょう とした調査 ちょうさ では、50%が民主党 みんしゅとう 、39%が支持 しじ 政党 せいとう なし、11%が共和党 きょうわとう 支持 しじ で[ 29] 、二 に 年 ねん 制 せい 大学 だいがく を含 ふく む全 ぜん 大学 だいがく 教授 きょうじゅ を対象 たいしょう とした調査 ちょうさ では、51%が民主党 みんしゅとう 、35%が支持 しじ 政党 せいとう なし、14%が共和党 きょうわとう だった[ 30] [ 28] 。リベラル優勢 ゆうせい の傾向 けいこう は、エリート校 こう になるにつれ高 たか まり、四 よん 年 ねん 制 せい のリベラルアーツ 系 けい 大学 だいがく と博士 はかせ 課程 かてい を持 も つエリート大学 だいがく の方 ほう が、コミュニティカレッジ よりも、リベラル の割合 わりあい が高 たか い[ 31] [ 28] 。また、K-12 (幼稚園 ようちえん から高校 こうこう )の教育 きょういく でも同様 どうよう で、K-12の公立 こうりつ 校 こう の先生 せんせい の支持 しじ 政党 せいとう は、45%が民主党 みんしゅとう 、30%が共和党 きょうわとう 、25%が支持 しじ 政党 せいとう なしという結果 けっか だった[ 32] [ 28] 。
米国 べいこく 教育 きょういく 者 しゃ の政治 せいじ 的 てき 傾向 けいこう (政党 せいとう 支持 しじ 率 りつ )[ 28]
民主党 みんしゅとう
共和党 きょうわとう
支持 しじ 政党 せいとう なし
四 よん 年 ねん 制 せい 大学 だいがく 教員 きょういん
50%
11%
39%
二 に 年 ねん 制 せい 大学 だいがく を含 ふく む全 ぜん 大学 だいがく 教員 きょういん
51%
14%
35%
K-12(幼稚園 ようちえん から高校 こうこう )教員 きょういん
45%
30%
25%
宗教 しゅうきょう 的 てき 保守 ほしゅ 主義 しゅぎ という言葉 ことば がとくに頻繁 ひんぱん に使用 しよう されるのはアメリカ合衆国 あめりかがっしゅうこく である。1980年代 ねんだい 以降 いこう 、特 とく に2001年 ねん 以後 いご の米国 べいこく では、ネオコンと呼 よ ばれる新 しん 保守 ほしゅ 主義 しゅぎ とキリスト教 きりすときょう 右派 うは が台頭 たいとう した。これは自由 じゆう 主義 しゅぎ と国益 こくえき の拡大 かくだい のためには積極 せっきょく 的 てき に行動 こうどう すべきとする点 てん では、伝統 でんとう 的 てき な地域 ちいき 主義 しゅぎ ・相互 そうご 不干渉 ふかんしょう 主義 しゅぎ の保守 ほしゅ とは相違 そうい がある。宗教 しゅうきょう 右派 うは (キリスト教 きりすときょう 右派 うは )の台頭 たいとう にともなって、キリスト教 きりすときょう 原理 げんり 主義 しゅぎ などプロテスタント の神学 しんがく の内 うち の聖書 せいしょ 主義 しゅぎ 的 てき な意味 いみ での保守 ほしゅ 主義 しゅぎ 、つまり聖書 せいしょ の記述 きじゅつ を文章 ぶんしょう のまま受 う け入 い れよう とする潮流 ちょうりゅう が保守 ほしゅ 主義 しゅぎ と呼 よ ばれる。この意味 いみ での保守 ほしゅ 主義 しゅぎ 者 しゃ たちは、聖書 せいしょ に基 もと づいて、「人々 ひとびと はキリスト の十字架 じゅうじか による身代 みが わりの贖罪 しょくざい によって救 すく われる」という教理 きょうり を強調 きょうちょう するため、彼 かれ らは福音 ふくいん 派 は (エヴァンジェリカル)、あるいは伝道 でんどう 派 は と自称 じしょう しており、またそのように呼 よ ばれることもある。アメリカ南部 なんぶ バプティスト派 は などがこの保守 ほしゅ 主義 しゅぎ の最大 さいだい 勢力 せいりょく である。伝統 でんとう 的 てき なプロテスタント 諸派 しょは においても南部 なんぶ バプティスト派 は 以外 いがい では福音 ふくいん 派 は の立場 たちば をとる派 は は少 すく ない。
自由 じゆう 主義 しゅぎ 神学 しんがく の立場 たちば は、一 ひと つに、道 みち はちがえども全 すべ ての宗教 しゅうきょう は人々 ひとびと を救 すく いに至 いた らしめるものであるという考 かんが え方 かた に近 ちか く、二 ふた つに、思想 しそう 的 てき 哲学 てつがく 的 てき 潮流 ちょうりゅう に影響 えいきょう されやすく、そして三 みっ つに、神学 しんがく 的 てき に聖書 せいしょ を尊重 そんちょう しない傾向 けいこう がある。この立場 たちば は福音 ふくいん 派 は には受 う け入 い れがたい。同派 どうは は、そのような立場 たちば を潔 いさぎよ しとしないキリスト教徒 きりすときょうと の集 あつ まりである。一方 いっぽう 、反 はん 福音 ふくいん 派 は (反 はん エバンジェリカルズ)である伝統 でんとう 的 てき プロテスタント諸派 しょは は、福音 ふくいん 派 は を聖書 せいしょ の文言 もんごん にのみ拘泥 こうでい しその趣旨 しゅし を歪曲 わいきょく していると批判 ひはん している。
ただし、神学 しんがく 的 てき に保守 ほしゅ 主義 しゅぎ であるからといって、政治 せいじ 的 てき にも保守 ほしゅ 派 は でありタカ派 は であるとは限 かぎ らない。核兵器 かくへいき 使用 しよう 賛成 さんせい ・反共 はんきょう ・国粋 こくすい 主義 しゅぎ に偏 かたよ りがちなファンダメンタリスト から一線 いっせん を画 かく し、核兵器 かくへいき 使用 しよう と戦争 せんそう に反対 はんたい の立場 たちば をとっている保守 ほしゅ 派 は のキリスト教 きりすときょう 徒 と も多 おお い。彼 かれ らは、キリスト が十字架 じゅうじか の死 し をもって伝 つた えたかったことは何 なに かということと、聖書 せいしょ の伝 つた えたかった使 つかい 信 しん とは何 なに かということにかんする追求 ついきゅう に基 もと づいて、「キリストの十字架 じゅうじか のメッセージは、神 かみ と人 ひと との和解 わかい あるいは人 ひと と人 ひと との和解 わかい であり、平和 へいわ 主義 しゅぎ である」との考 かんが えを持 も っていることから、そのような立場 たちば をとっている。また彼 かれ らは中絶 ちゅうぜつ には反対 はんたい する。
2009年 ねん 、史上 しじょう 初 はつ の黒人 こくじん 大統領 だいとうりょう バラク・オバマ が就任 しゅうにん してからは国民 こくみん 皆 みな 医療 いりょう 保険 ほけん 制度 せいど の導入 どうにゅう や最低 さいてい 賃金 ちんぎん 引 ひ き上 あ げなど全体 ぜんたい 的 てき にリベラル・左派 さは 的 てき な傾向 けいこう が強 つよ まっている。他方 たほう ではオバマ大統領 だいとうりょう 就任 しゅうにん 後 ご は白人 はくじん 至上 しじょう 主義 しゅぎ ・人種 じんしゅ 差別 さべつ 主義 しゅぎ 者 しゃ の活動 かつどう が活発 かっぱつ 化 か しているとの指摘 してき もある[ 71] 。また、オバマ政権 せいけん の政策 せいさく を「大 おお きな政府 せいふ 」「連邦 れんぽう 政府 せいふ の権力 けんりょく 拡大 かくだい 」と見 み なして反発 はんぱつ する右派 うは 系 けい 市民 しみん 運動 うんどう ティーパーティー も勢力 せいりょく を広 ひろ げている。
カトリック の保守 ほしゅ 派 は はプロテスタントの保守 ほしゅ 派 は とは神学 しんがく 的 てき に相容 あいい れないが、中絶 ちゅうぜつ に反対 はんたい するのは同 おな じである。ただし、ローマ・カトリック教会 きょうかい からの一定 いってい の影響 えいきょう を受 う ける欧州 おうしゅう 連合 れんごう およびその構成 こうせい 機関 きかん には、中絶 ちゅうぜつ や同性 どうせい 結婚 けっこん などを容認 ようにん する意見 いけん が強 つよ い。その一 いち 例 れい が、ドイツキリスト教 きりすときょう 民主 みんしゅ 同盟 どうめい (中央 ちゅうおう 党 とう の系譜 けいふ にあり、伝統 でんとう 的 てき にはカトリック色 しょく が強 つよ い)所属 しょぞく の政治 せいじ 家 か であるウルズラ・フォン・デア・ライエン 欧州 おうしゅう 委員 いいん 会 かい 委員 いいん 長 ちょう である。これは、欧州 おうしゅう の保守 ほしゅ 政治 せいじ 家 か の依拠 いきょ する原理 げんり が人権 じんけん と民主 みんしゅ 主義 しゅぎ だからである。
東方 とうほう 教会 きょうかい (正教会 せいきょうかい ・東方 とうほう 諸 しょ 教会 きょうかい )
編集 へんしゅう
自由 じゆう 主義 しゅぎ 神学 しんがく と福音 ふくいん 主義 しゅぎ の対比 たいひ は、西方 せいほう 教会 きょうかい 、そのうち主 おも にプロテスタント に当 あ てはまる分類 ぶんるい であり、宗教 しゅうきょう 改革 かいかく や自由 じゆう 主義 しゅぎ 神学 しんがく の興隆 こうりゅう の歴史 れきし を有 ゆう さない東方 とうほう 教会 きょうかい (正教会 せいきょうかい ・東方 とうほう 諸 しょ 教会 きょうかい )においてはこのような分類 ぶんるい に当 あ てはまる潮流 ちょうりゅう が歴史 れきし 上 じょう 存在 そんざい しておらず、神学 しんがく 的 てき 見解 けんかい ・奉 たてまつ 神 かみ 礼 あや 形式 けいしき ・社会 しゃかい 問題 もんだい に対 たい する態度 たいど における「保守 ほしゅ 的 てき 」「革新 かくしん 的 てき 」の語 かたり も、西方 せいほう 教会 きょうかい とは異 こと なった意味 いみ で用 もち いられる。
神学 しんがく 、および教会 きょうかい と社会 しゃかい の関係 かんけい を考察 こうさつ する領域 りょういき において、西欧 せいおう ・西方 せいほう 教会 きょうかい における論理 ろんり の枠組 わくぐ みの段階 だんかい から根本 こんぽん 的 てき に疑問 ぎもん の対象 たいしょう とし、ここから距離 きょり を取 と ろうとする聖職 せいしょく 者 しゃ 、神学 しんがく 者 しゃ 、哲学 てつがく 者 しゃ が正教会 せいきょうかい には多 おお く生 う み出 だ されている。
神学 しんがく 的 てき に保守 ほしゅ 的 てき であるからといって政治 せいじ 的 てき に保守 ほしゅ 的 てき ・タカ派 は 的 てき であるとは限 かぎ らないのは西方 せいほう 教会 きょうかい でも同様 どうよう であるが、アメリカのファンダメンタリストなどのように神学 しんがく 的 てき 見解 けんかい と政治 せいじ 的 てき 姿勢 しせい が結 むす び付 つ いているような例 れい は、東方 とうほう 教会 きょうかい では殆 ほとん ど皆無 かいむ である。
イラン革命 かくめい 後 ご のイラン のようなイスラム法 ほう 社会 しゃかい では、保守 ほしゅ 主義 しゅぎ とはウラマー などの宗教 しゅうきょう 的 てき 指導 しどう 者 しゃ による政治 せいじ を支持 しじ する立場 たちば のことを指 さ す。
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