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総武本線 - Wikipedia

総武本線そうぶほんせん

東日本旅客鉄道ひがしにほんりょかくてつどう鉄道てつどう路線ろせん

総武本線そうぶほんせん(そうぶほんせん)は、東京とうきょう千代田ちよだ東京とうきょうえきから千葉ちばけん銚子ちょうし銚子ちょうしえきむす東日本旅客鉄道ひがしにほんりょかくてつどう(JR東日本ひがしにっぽん)の鉄道てつどう路線ろせん幹線かんせん)である。このほか、東京とうきょう墨田すみだ錦糸町きんしちょうえき分岐ぶんきして御茶ノ水おちゃのみずえきいた支線しせん(いわゆる総武そうぶ緩行かんこうせん)、小岩こいわえき新小岩しんこいわ信号しんごうじょうえき)から分岐ぶんきして金町かなまちえきおよび、越中島えっちゅうじま貨物かもつえきいた貨物かもつ支線しせんつ。電車でんしゃないえき構内こうない旅客りょかく案内あんないじょうおも千葉ちばえきから銚子ちょうしえき区間くかんがこの名称めいしょうばれる(後述こうじゅつ)。

総武本線そうぶほんせん
東京駅 - 銚子駅間で運転される E259系による特急「しおさい」
東京とうきょうえき - 銚子ちょうしえきあいだ運転うんてんされる
E259けいによる特急とっきゅう「しおさい」
基本きほん情報じょうほう
通称つうしょう 総武そうぶ快速かいそくせん東京とうきょうえき - 千葉ちばえきあいだ快速かいそくせん
総武そうぶ緩行かんこうせん千葉ちばえき - 御茶ノ水おちゃのみずえきあいだ緩行かんこうせん
くに 日本の旗 日本にっぽん
所在地しょざいち 東京とうきょう千葉ちばけん
種類しゅるい 普通ふつう鉄道てつどう在来ざいらいせん幹線かんせん
起点きてん 東京とうきょうえき[1]本線ほんせん
錦糸町きんしちょうえき支線しせん
終点しゅうてん 銚子ちょうしえき[1]本線ほんせん
御茶ノ水おちゃのみずえき支線しせん
えきすう 49えき貨物かもつえきおよび金町かなまちえきふくむ)
電報でんぽう略号りゃくごう ソムホセ
路線ろせん記号きごう JO東京とうきょうえき - 千葉ちばえきあいだ快速かいそくせんおよ千葉ちばえき - 佐倉さくらえきあいだ
JB御茶ノ水おちゃのみずえき - 千葉ちばえきあいだ緩行かんこうせん
開業かいぎょう 1894ねん7がつ20日はつか
所有しょゆうしゃ 東日本旅客鉄道ひがしにほんりょかくてつどう(JR東日本ひがしにっぽん
運営うんえいしゃ 東日本旅客鉄道ひがしにほんりょかくてつどう(JR東日本ひがしにっぽん
日本にっぽん貨物かもつ鉄道てつどう(JR貨物かもつ
路線ろせんしょもと
路線ろせん距離きょり 120.5 km東京とうきょう - 銚子ちょうしあいだ
4.3 km(錦糸きんしまち - 御茶ノ水おちゃのみずあいだ
8.9 km(小岩こいわ - 金町かなまちあいだ
11.7 km(小岩こいわ - 越中島えっちゅうじま貨物かもつあいだ
軌間きかん 1,067 mm (3 ft 6 in)
線路せんろすう 複々線ふくふくせん錦糸きんしまち - 千葉ちばあいだ
複線ふくせん東京とうきょう - 錦糸きんしまちあいだ錦糸きんしまち - 御茶ノ水おちゃのみずあいだ千葉ちば - 佐倉さくらあいだ
単線たんせん上記じょうき以外いがい
電化でんか方式ほうしき 直流ちょくりゅう1,500 V架空かくう電車でんしゃせん方式ほうしき。ただし越中島えっちゅうじま支線しせん電化でんか
最高さいこう速度そくど 130 km/h (81 mph)
路線ろせん
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なお、『鉄道てつどう要覧ようらん』やJRの事業じぎょう基本きほん計画けいかくじょう錦糸町きんしちょうえき - 御茶ノ水おちゃのみずえきあいだとなっているが、東京とうきょうえき - 錦糸きんしまちえきあいだ開業かいぎょう以前いぜん起点きてんである御茶ノ水おちゃのみずえきには現在げんざい0キロポスト存在そんざいする。

東京とうきょうえき - 千葉ちばえきあいだおよび御茶ノ水おちゃのみずえき - 千葉ちばえきあいだについては、以下いか記事きじ参照さんしょう

概要がいよう

編集へんしゅう

東京とうきょう都心としんからひがしび、そのベッドタウンである千葉ちばけん西部せいぶかく都市としどうけん県庁けんちょう所在地しょざいちであり政令せいれい指定してい都市としである千葉ちばとおり、どうけんさいひがしはし銚子ちょうしいた路線ろせんである。東京とうきょう千葉ちばけん北東ほくとう各地かくちむす特急とっきゅう列車れっしゃ東京とうきょうえき - 銚子ちょうしえきあいだとおして運行うんこうされているほか、都心としんから成田なりた国際こくさい空港くうこうへアクセスする特急とっきゅう成田なりたエクスプレス」がとう路線ろせん経由けいゆしている。

千葉ちばえき以西いせい電車でんしゃ特定とくてい区間くかん指定していされており、区間くかんがいよりも割安わりやす運賃うんちん適用てきようされる。このうち錦糸町きんしちょうえき - 千葉ちばえきあいだは、各駅かくえき停車ていしゃ電車でんしゃ走行そうこうする総武そうぶ緩行かんこうせんと、快速かいそく電車でんしゃ特急とっきゅう列車れっしゃ走行そうこうする総武そうぶ快速かいそくせん並行へいこうする線路せんろべつ複々線ふくふくせんとなっている。この区間くかんは「総武線そうぶせん」とばれることがおおく、「総武本線そうぶほんせん」とばれる場合ばあい特急とっきゅう列車れっしゃ東京とうきょうえき - 銚子ちょうしえきあいだ、ローカル列車れっしゃ千葉ちばえき - 成東なるとうえき - 八日市場ようかいちばえき - 銚子ちょうしえきあいだすことがおおく、JR東日本ひがしにっぽんウェブサイトの路線ろせん案内あんないにおいてもそのようになっている[2]。ただしかならずしも統一とういつされておらず、車内しゃない路線ろせんネットワーク発車はっしゃしるべえき時刻じこくひょうなどでは千葉ちばえき以東いとうも「総武線そうぶせん」と表記ひょうきしている場合ばあいもある[3]。なお、『鉄道てつどう要覧ようらん』においては全線ぜんせんとおして「総武線そうぶせん」となっている。

貨物かもつ支線しせんのぞ旅客りょかく営業えいぎょう規則きそくさだめる大都市だいとし近郊きんこう区間くかんの「東京とうきょう近郊きんこう区間くかん」、およびIC乗車じょうしゃカードSuica」の首都しゅとけんエリアにふくまれている。千葉ちばえき以東いとうでは路線ろせん案内あんないもちいられるラインカラーとして黄色おうしょく)がもちいられている。

本節ほんぶしでは、千葉ちば県内けんない鉄道てつどう敷設ふせつ運動うんどう前後ぜんこうから総武そうぶ鉄道てつどう設立せつりつ路線ろせん開業かいぎょうおよ国有こくゆう以降いこう総武本線そうぶほんせん全体ぜんたい沿革えんかくについて記述きじゅつする。

背景はいけい

編集へんしゅう

1872ねん明治めいじ5ねん)に日本にっぽん最初さいしょ鉄道てつどう新橋しんばしえききゅう国鉄こくてつ汐留しおどめえき) - 横浜よこはまえき現在げんざい桜木町さくらぎちょうえきあいだ開通かいつうし、その1884ねん明治めいじ17ねん)に日本にっぽん鉄道てつどう会社かいしゃ上野うえのえき- 高崎たかさきえきあいだ民営みんえい鉄道てつどう開業かいぎょうして良好りょうこう営業えいぎょう成績せいせきげたことなどをうけ、明治めいじ10年代ねんだい後半こうはん全国ぜんこくてき民営みんえい鉄道てつどう建設けんせつブームがきた。千葉ちば県内けんないでも鉄道てつどう敷設ふせつ機運きうんたかまったが、当初とうしょ資金しきんめんから馬車ばしゃ鉄道てつどう計画けいかくおおかった[4][5]

初期しょき鉄道てつどう敷設ふせつ運動うんどう

編集へんしゅう

千葉ちば県内けんないでは1886ねん明治めいじ19ねんごろから蒸気じょうき機関きかんしゃによる鉄道てつどう建設けんせつ運動うんどうはじめられ、1887ねん明治めいじ20ねん)11月に佐原さはら伊能いのうけんすすむらが発起ほっきしたたけそう鉄道てつどう会社かいしゃと、成東なるとう安井やすいみんらが発起ほっきしたそうしゅう鉄道てつどう会社かいしゃ相次あいついで創立そうりつ申請しんせいおこなった。しかし、当時とうじ従来じゅうらいからの水上みずかみ交通こうつう実績じっせきたいする評価ひょうかたかく、また利根運河とねうんが開削かいさくまったばかりだったため、千葉ちば県知事けんちじであった船越ふなこしまもる鉄道てつどう敷設ふせつたいして慎重しんちょう姿勢しせいをとるようになった。船越ふなこし両者りょうしゃたい計画けいかく翻意ほんい合併がっぺいうながしてきたが、そうしゅう鉄道てつどうはこれにおうじず東京とうきょう府知事ふちじである高崎たかさきろくつうじて正式せいしき鉄道てつどう敷設ふせつ出願しゅつがんした[6]。これをけて船越ふなこしもやむなく千葉ちば県知事けんちじとしてたけそう鉄道てつどう内閣ないかく進達しんたつしたが、「利根とね江戸えど両川りょうかわ水運すいうん至便しべんであるうえに、この地方ちほう状況じょうきょう鉄道てつどう敷設ふせつ必要ひつようとするほど発展はってんしていない」などとして結局けっきょくどちらも却下きゃっかされている[4][5]

1887ねん明治めいじ20ねん)11月に申請しんせいされた計画けいかくルート[5]
たけそう鉄道てつどう株式会社かぶしきがいしゃ本所ほんじょ - 市川いちかわ - 船橋ふなばし - 千葉ちば - 佐倉さくら - 成田なりた - 佐原さはら
そうしゅう鉄道てつどう株式会社かぶしきがいしゃ本所ほんじょ - 市川いちかわ - 船橋ふなばし - 千葉ちば - 佐倉さくら - 八街やまち - 芝山しばやま - 八日ようか - 銚子ちょうし

総武そうぶ鉄道てつどう

編集へんしゅう
総武そうぶ鉄道てつどう
 
種類しゅるい 株式会社かぶしきがいしゃ
本社ほんしゃ所在地しょざいち   日本にっぽん
東京とうきょう東京とうきょう本所ほんじょ横網よこあみまち1丁目ちょうめ[7]
設立せつりつ 1889ねん明治めいじ22ねん)12月[7]
業種ぎょうしゅ てつ軌道きどうぎょう
代表だいひょうしゃ 社長しゃちょう 青田あおたつなさん[7]
資本しほんきん 6,000,000えん[7]
払込はらいこみだか:4,800,000えん[7]
特記とっき事項じこう上記じょうきデータは1907ねん明治めいじ40ねん現在げんざい[7]
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上述じょうじゅつ経験けいけんから、きおいねがい不利益ふりえきさをさとった両社りょうしゃ発起人ほっきにん合併がっぺい協議きょうぎし、発起人ほっきにん利根川とねがわ水運すいうん株主かぶぬしであったけんかい議長ぎちょう池田いけださかえあきらなどの有力ゆうりょくしゃくわえ、1889ねん明治めいじ22ねん)1がつ総武そうぶ鉄道てつどう株式会社かぶしきがいしゃ創立そうりつした。会社かいしゃめい上述じょうじゅつ却下きゃっかされたたけそう鉄道てつどうとはぎゃくの「総武そうぶ」となったが、起点きてん武蔵むさしこく終点しゅうてん下総しもうさこくで、途中とちゅう一部いちぶ区間くかんにおいて上総かずさこく経由けいゆする[ちゅう 1]ルートが、総武そうぶ鉄道てつどうによって実現じつげんしていくことになる。総武そうぶ鉄道てつどうよく2がつさいねがい申請しんせいした。このとき出願しゅつがんでは、利根運河とねうんがとの競合きょうごうけるとともに陸軍りくぐん支持しじられるように国府台こうのだい津田沼つだぬま佐倉さくら(この計画けいかくせん直接ちょくせつとおらないものの、習志野ならしの隣接りんせつする)とう軍営ぐんえい所在地しょざいちとお以下いかのルートを採用さいようし、その使命しめいに「軍事ぐんじ輸送ゆそう政府せいふ開墾かいこんへの輸送ゆそう」をかかげていた[4][5]

 1889ねん明治めいじ22ねん)1がつ申請しんせいされた計画けいかくルート[5]
総武そうぶ鉄道てつどう株式会社かぶしきがいしゃ本所ほんじょ - 市川いちかわ - 船橋ふなばし - 千葉ちば - 佐倉さくら - 八街やまち

総武そうぶ鉄道てつどうねらいどおり「りく軍営ぐんえいしょ通過つうかし、用兵ようへいじょうにも便利べんりである」とする陸軍りくぐんしょう意見いけんとなり、1889ねん明治めいじ22ねん)4がつかり免状めんじょう下付かふされ、同年どうねん12がつ小岩こいわ - 佐倉さくらあいだ免許めんきょじょうりた。ただし、計画けいかく一部いちぶ変更へんこうなどにより、工事こうじ着手ちゃくしゅ1893ねん明治めいじ26ねん)8がつとなる[4][5]。なお、1892ねん明治めいじ25ねん)に公布こうふされた鉄道てつどう敷設ふせつほうで「東京とうきょう下上野しもうわのヨリ千葉ちばけんした千葉ちば佐倉さくらけい銚子ちょうしいたり鉄道てつどう及本せんヨリ分岐ぶんきシテ木更津きさらづいたり鉄道てつどう」が将来しょうらい建設けんせつされるべき鉄道てつどうとして指定していされた。このころになるとルートの候補こうほとなったかく地域ちいき様々さまざま鉄道てつどう誘致ゆうち運動うんどうおこなわれるようになる。なお、千葉ちばけん各所かくしょ船橋ふなばし千葉ちば佐倉さくら芝山しばやま飯岡いいおか茂原しげはら流山ながれやまとう)で鉄道てつどう反対はんたい運動うんどうおこなわれたとの言説げんせつ市町村しちょうそん小学校しょうがっこう副読本ふくどくほんなどでげられることがあるが、当時とうじ文献ぶんけん記録きろくにこれらを裏付うらづけるものはなく、たんなる鉄道てつどう忌避きひ伝説でんせつであるとされる[8][9]

1894ねん明治めいじ27ねん)7がつ20日はつか市川いちかわえき - 佐倉さくらえきあいだ開業かいぎょうし、千葉ちば県内けんないはつ鉄道てつどうとなる。直後ちょくごの8がつ1にちにちしん両国りょうこく宣戦せんせん布告ふこくがなされ、早速さっそくにちしん戦争せんそうでの兵員へいいん輸送ゆそう活用かつようされた。同年どうねん12がつ9にちには江戸川えどがわえて本所ほんじょえき現在げんざい錦糸町きんしちょうえき)にたっした。総武そうぶ鉄道てつどうは、1897ねん明治めいじ30ねん)5がつ1にち成東なるとうえきまで、同年どうねん6がつ1にちには銚子ちょうしえきまで延伸えんしんされ、佐倉さくらえき成田なりた鉄道てつどうとの連絡れんらく実現じつげんする[4][5][8][9]

両国橋りょうごくばしから都心としんへの延伸えんしん1899ねん明治めいじ33ねん)に本所ほんじょ - 秋葉原あきはばらあいだ免許めんきょ[ちゅう 2]て、1904ねん明治めいじ37ねん)に両国橋りょうごくばしえき現在げんざい両国りょうごくえき)まで延伸えんしんされ、ここを都心としんがわのターミナルとした[4]両国橋りょうごくばしえき利用りようする旅客りょかくはすでに開業かいぎょうしていた路面ろめん電車でんしゃ都電とでん)にいだ。なお、この当時とうじ貨物かもつあつかいも両国橋りょうごくばしえきおこない、ここから隅田川すみだがわなどの舟運しゅううん利用りようして物資ぶっし東京とうきょう市内しないへとはこばれた。

1907ねん明治めいじ40ねん)、鉄道てつどう国有こくゆうほうにより買収ばいしゅう国有こくゆうされ、官設かんせつ鉄道てつどう総武本線そうぶほんせんとなった[10]

近代きんだい戦争せんそう

編集へんしゅう

鉄道てつどう開業かいぎょうにより、総武本線そうぶほんせん沿線えんせんには住宅じゅうたく拡大かくだい両国りょうこくから徐々じょじょ東側ひがしがわけてはじまった。また、1912ねん大正たいしょう元年がんねん)に最初さいしょ区間くかん開業かいぎょうした京成けいせい電気でんき軌道きどう現在げんざい京成電鉄けいせいでんてつ)とは東京とうきょう - 船橋ふなばし - 千葉ちば都市としあいだ輸送ゆそう競合きょうごうするようになり、東海道とうかいどう本線ほんせんからはすこおくれたが総武本線そうぶほんせん近代きんだいけたみがはじまった[10]。ただし、1923ねん大正たいしょう12ねん)9がつ1にちには関東大震災かんとうだいしんさい両国りょうこく周辺しゅうへん多数たすう犠牲ぎせいしゃ惨事さんじきた。復興ふっこう計画けいかくてられるなか、1926ねん大正たいしょう15ねん)には常磐ときわせん連絡れんらくする貨物かもつ支線しせんしん金線きんせん)、1929ねん昭和しょうわ4ねん)には東京とうきょう湾岸わんがんちか小名しょうみょう木川きのかわえきへの支線しせん越中島えっちゅうじま支線しせん)が開業かいぎょうし、旅客りょかく貨物かもつ分離ぶんりすすめられた。

震災しんさい復興ふっこうをきっかけとして都心としんへの延伸えんしんすすめられ[ちゅう 3] 、1932ねん昭和しょうわ7ねん)7がつ1にちには、御茶ノ水おちゃのみずえき - 両国りょうごくえきあいだ延伸えんしんされ、どう区間くかん電車でんしゃ運転うんてん開始かいしした[9][10]。これにより、総武本線そうぶほんせん東京とうきょう都心としん国鉄こくてつせん連絡れんらくするようになった。以降いこう、1933ねん昭和しょうわ8ねん)3がつ市川いちかわまで、同年どうねん9がつには船橋ふなばしえきまで電化でんか区間くかん延長えんちょうされ、中央ちゅうおう本線ほんせん中野なかのえきまで緩行かんこう電車でんしゃとして直通ちょくつう運転うんてん実施じっしするようになった[10]。1935ねん昭和しょうわ10ねん)には、千葉ちばえきまでの電化でんか完成かんせいした。以後いご総武本線そうぶほんせん千葉ちばえきさかいに、住宅じゅうたくひろがる地域ちいき通勤つうきん電車でんしゃ頻繁ひんぱん運転うんてんされる御茶ノ水おちゃのみずえき方面ほうめん西側にしがわと、農村のうそん漁村ぎょそん蒸気じょうき機関きかんしゃ牽引けんいん客車きゃくしゃ列車れっしゃむす銚子ちょうしえき方面ほうめん東側ひがしがわ性格せいかく二分にぶんされた。

だい世界せかい大戦たいせん末期まっきの1945ねん昭和しょうわ20ねん3がつ10日とおか沿線えんせんべいぐんによる差別さべつ爆撃ばくげき東京とうきょうだい空襲くうしゅう実行じっこうされ、一夜いちやにしてやく10まんにん死亡しぼうし、両国りょうこく錦糸きんしまち亀戸かめいどなどの各駅かくえきにはおおくの被災ひさいしゃ避難ひなんした。また、アメリカぐん九十九里浜くじゅうくりはま上陸じょうりくする日本にっぽん侵攻しんこう作戦さくせん予測よそくされ、日本にっぽんぐん本土ほんど決戦けっせんそなえたけつごう作戦さくせんにより総武本線そうぶほんせん大量たいりょう軍事ぐんじ輸送ゆそうおこなったが、同年どうねん8がつ15にち日本にっぽんポツダム宣言せんげん受諾じゅだく発表はっぴょうし、沿線えんせんでのだい規模きぼ戦闘せんとう回避かいひされた。

戦後せんご改良かいりょう

編集へんしゅう

戦時せんじちゅう酷使こくしならびに食糧難しょくりょうなんによるきゃく殺到さっとう資材しざい不足ふそくにより、終戦しゅうせん直後ちょくご総武本線そうぶほんせんかれた環境かんきょう劣悪れつあくであった。当初とうしょGHQ国鉄こくてつ車両しゃりょう改善かいぜん予算よさん承認しょうにんしなかったが、両国りょうごくえき総武本線そうぶほんせん木造もくぞう客車きゃくしゃ視察しさつしそのあまりのボロさに仰天ぎょうてんした担当たんとうかん即座そくざにこれをみとめたといわれる[9]

その被災ひさい地域ちいき復興ふっこう高度こうど経済けいざい成長せいちょうによる東京とうきょう都市としけん人口じんこう急増きゅうぞうにより、千葉ちば以西いせい複線ふくせん電化でんか千葉ちば以東いとう単線たんせん電化でんかという総武本線そうぶほんせん輸送ゆそう事情じじょう逼迫ひっぱくした。房総ぼうそう方面ほうめん国鉄こくてつ鉄道てつどう路線ろせんは、1953ねん昭和しょうわ28ねん)に「気動車きどうしゃモデル線区せんく」に選定せんていされキハ17けい集中しゅうちゅう投入とうにゅうされ[9]てある程度ていど近代きんだい進展しんてんしていたが、電化でんか進展しんてん1968ねん昭和しょうわ43ねん)までは総武本線そうぶほんせん御茶ノ水おちゃのみずえき - 千葉ちばえきまでにぎず、路線ろせん電化でんか状況じょうきょうであった。千葉ちば房総ぼうそう方面ほうめんにおいて機関きかんしゃ牽引けんいんでない“電車でんしゃ”は中央ちゅうおう緩行かんこうせん直通ちょくつうする総武線そうぶせん国電こくでん御茶ノ水おちゃのみずえき - 千葉ちばえき各駅かくえき停車ていしゃ)と私鉄してつである京成電鉄けいせいでんてつ路線ろせんだけであり、それ以外いがい蒸気じょうき機関きかんしゃディーゼル機関きかんしゃはしる、関東かんとうでも電化でんか整備せいびおくれた地域ちいきであった。そのため、あらたに発足ほっそくした日本にっぽん国有こくゆう鉄道てつどう国鉄こくてつ)は1964ねん昭和しょうわ39ねん)に決定けっていした通勤つうきん方面ほうめん作戦さくせん重要じゅうよう一部いちぶとして総武本線そうぶほんせん輸送ゆそうりょく増強ぞうきょう着手ちゃくしゅした。その中核ちゅうかくとして、国鉄こくてつはつ本格ほんかくてき都市としない地下鉄ちかてつどうになる東京とうきょう - 錦糸きんしまちあいだしんせん建設けんせつふく東京とうきょう - 千葉ちばあいだ快速かいそくせん建設けんせつ決定けっていされた。

一方いっぽう千葉ちばえき以東いとう近代きんだい徐々じょじょすすみ、通勤つうきん路線ろせんとしての性格せいかくつよまり、1968ねん昭和しょうわ43ねん)3がつ28にち総武本線そうぶほんせん成田なりたせん千葉ちばえき - 佐倉さくらえき - 成田なりたえきあいだ電化でんか[新聞しんぶん 1]同年どうねん7がつ13にち千葉ちばえき - 木更津きさらづえきあいだ電化でんかがそれぞれ完成かんせいどう区間くかん電車でんしゃはしれるようになり、朝夕あさゆうには、成田なりたえき木更津きさらづえき発着はっちゃくのカナリアイエローしょく101けい電車でんしゃ使用しようした直通ちょくつう電車でんしゃ運行うんこう[11][12]され、さらに、同年どうねん10がつ1にちのダイヤ改正かいせいから中央ちゅうおうせん中野なかのえき - 木更津きさらづえき発着はっちゃくおよよく1969ねん昭和しょうわ44ねん)10がつ1にちのダイヤ改正かいせいから中野なかのえき - 成田なりたえき発着はっちゃく毎日まいにち1あいだに1 - 2ほん程度ていどどう電車でんしゃ使用しようした電車でんしゃ快速かいそくが、また、どう改正かいせいから御茶ノ水おちゃのみずえき - 千葉ちばえきあいだではよるあいだくだり2ほん気動車きどうしゃ快速かいそく列車れっしゃ運行うんこう開始かいしした[13](なお、1975ねん昭和しょうわ50ねん)3がつ10日とおかのダイヤ改正かいせいでは千葉ちばえき - 銚子ちょうしえきあいだにも快速かいそく列車れっしゃ運行うんこうされた。101けい使用しよう直通ちょくつう電車でんしゃおよび電車でんしゃ快速かいそく以外いがい詳細しょうさい後述こうじゅつ)。

1972ねん昭和しょうわ47ねん)7がつには東京とうきょうえき - 錦糸きんしまちえき地下ちかトンネル区間くかんおよ津田沼つだぬまえきまでの複々線ふくふくせん完成かんせいにより総武そうぶ快速かいそくせん開業かいぎょうした[14]。これにより起点きてん御茶ノ水おちゃのみずえきから東京とうきょうえき変更へんこうされ、新設しんせつされた東京とうきょうえき地下ちかホームからはあらたに設定せっていされた房総ぼうそう方面ほうめんへの特急とっきゅう列車れっしゃ発着はっちゃくした。一方いっぽう総武そうぶ鉄道てつどう時代じだいから東京とうきょう千葉ちば以東いとうむすぶターミナルとなっていた両国りょうごくえきは、急行きゅうこう列車れっしゃ発着はっちゃくのこされたものの、その重要じゅうようせいおおきく低下ていかした。1974ねん昭和しょうわ49ねん)には銚子ちょうしえきまでの電化でんか完成かんせいし、東京とうきょうからの直通ちょくつう電車でんしゃ特急とっきゅうしおさい」の運行うんこう開始かいしされた[14]。その、1980ねん昭和しょうわ55ねん)には横須賀よこすかせんとの直通ちょくつう運転うんてんSM分離ぶんりおよびSF直結ちょっけつ[15][16])が開始かいしされ、1981ねん昭和しょうわ56ねん)には千葉ちばえきまで複々線ふくふくせん区間くかん延長えんちょうされて、当初とうしょ計画けいかく完成かんせいした。これにより、国鉄こくてつによる輸送ゆそう高速こうそくされ、国鉄こくてつ東京とうきょう - 船橋ふなばし千葉ちば都市としあいだ輸送ゆそう京成電鉄けいせいでんてつより優位ゆういった。また、1969ねん昭和しょうわ44ねん)には営団えいだん地下鉄ちかてつ現在げんざい東京とうきょう地下鉄ちかてつ東西線とうざいせん西船橋にしふなはしえき - 津田沼つだぬまえきあいだれ、とく通勤つうきん輸送ゆそう総武本線そうぶほんせん中央ちゅうおう総武そうぶ緩行かんこうせん)の負担ふたんおおきく軽減けいげんしていた。さらに、紆余曲折うよきょくせつて1978ねん昭和しょうわ53ねん)にしん東京とうきょう国際こくさい空港くうこう現在げんざい成田なりた国際こくさい空港くうこう)が開港かいこうすると、総武本線そうぶほんせん成田なりたせん京成電鉄けいせいでんてつ補完ほかんする鉄道てつどうアクセスルートとなった。なお、複々線ふくふくせんにあたり、成田なりた国際こくさい空港くうこう周辺しゅうへん整備せいびのためのくに財政ざいせいじょう特別とくべつ措置そちかんする法律ほうりつ成田なりた財特法ざいとくほう)による補助ほじょきんのかさげの適用てきようけている[17]。このような状況じょうきょう1987ねん昭和しょうわ62ねん)の国鉄こくてつ分割ぶんかつ民営みんえいむかえ、総武本線そうぶほんせん施設しせつ保有ほゆう旅客りょかく輸送ゆそうがJR東日本ひがしにっぽん貨物かもつ輸送ゆそうがJR貨物かもつ承継しょうけいされた。ただし、銚子ちょうし漁港ぎょこうからの鮮魚せんぎょ醤油じょうゆ輸送ゆそうがトラックにえられて銚子ちょうしえき - 新生しんせいえきあいだ貨物かもつせん廃止はいしされたように、総武本線そうぶほんせんでの貨物かもつ輸送ゆそうりょう減少げんしょうしていた。

民営みんえい直前ちょくぜん

編集へんしゅう

総武本線そうぶほんせんだい部分ぶぶん管轄かんかつする国鉄こくてつ千葉ちば鉄道てつどう管理かんりきょく民営みんえいJR東日本ひがしにっぽん千葉ちば支社ししゃ)では分割ぶんかつ民営みんえい反対はんたいする国鉄こくてつ千葉ちば動力どうりょくしゃ労働ろうどう組合くみあい千葉動労ちばどうろう)の勢力せいりょくつよく、1985ねん昭和しょうわ60ねん11月29にち千葉動労ちばどうろう実施じっしした分割ぶんかつ民営みんえい反対はんたいストライキさいにはこれを支持しじする革命かくめいてき共産きょうさん主義しゅぎしゃ同盟どうめい全国ぜんこく委員いいんかい中核ちゅうかく)により国電こくでん同時どうじ多発たはつゲリラ事件じけん発生はっせいした。とく浅草橋あさくさばしえき国鉄こくてつ職員しょくいんふくやく120にん中核ちゅうかくグループにより破壊はかい放火ほうかされた。分割ぶんかつ民営みんえい千葉動労ちばどうろうはJR東日本ひがしにっぽんとの対決たいけつつづけ、とく千葉ちばえき以東いとうではストライキによる列車れっしゃ運行うんこう停止ていし毎年まいとしこった。

民営みんえい

編集へんしゅう

総武本線そうぶほんせんいだJR東日本ひがしにっぽん総武本線そうぶほんせん改良かいりょうつづけ、ATS-Pの設置せっちすすめた。また、当初とうしょ貨物かもつせん計画けいかくしていた京葉線けいようせん旅客りょかく営業えいぎょう兼用けんよう転換てんかんし、国鉄こくてつ末期まっきの1986ねん昭和しょうわ61ねん)のだい1区間くかん開業かいぎょうつづいて1990ねん平成へいせい2ねん)に東京とうきょうえきれを実現じつげんさせた。内房線うちぼうせん外房線そとぼうせん直通ちょくつう列車れっしゃ定期ていき特急とっきゅう大半たいはん快速かいそく一部いちぶ総武本線そうぶほんせん快速かいそくせん)から京葉けいようせん移行いこうし、乗客じょうきゃく転移てんいもあって、総武本線そうぶほんせん快速かいそくせん)の過密かみつ緩和かんわ役立やくだった。

1991ねん平成へいせい3ねん)には成田なりた新幹線しんかんせん施設しせつ転用てんようした成田空港なりたくうこう旅客りょかくターミナルへの鉄道てつどうれが実現じつげんし、総武本線そうぶほんせん(および成田なりたせん)では空港くうこう連絡れんらく特急とっきゅう成田なりたエクスプレス」の運行うんこうはじまって、アクセス路線ろせんとしての重要じゅうようせいした[18]。ただし、1985ねん以降いこうひがし関東かんとう自動車じどうしゃどう延伸えんしんにより、高速こうそくバスかしまごう犬吠いぬぼえごう利根とねライナーごうあそうごう東京とうきょう - 八日市場ようかいちばせん)の運行うんこう拡大かくだいされると、「しおさい」などの「成田なりたエクスプレス」以外いがい特急とっきゅう列車れっしゃ本数ほんすう削減さくげん一部いちぶ区間くかん普通ふつう列車れっしゃおこなわれ、総武本線そうぶほんせん(および成田なりたせん鹿島かしません)は東京とうきょう千葉ちばけん北東ほくとう茨城いばらきけん南東なんとうむす都市としあいだ輸送ゆそう劣勢れっせいっていることが明確めいかくとなった。

2000ねん平成へいせい12ねん)の運輸うんゆ政策せいさく審議しんぎかい答申とうしんだい18ごうでは、2015ねんまでに整備せいびすべき路線ろせんとして新浦安しんうらやす京葉線けいようせん) - 船橋ふなばし - 津田沼つだぬまあいだしんせん建設けんせつ船橋ふなばし - 津田沼つだぬまあいだは3複線ふくせん)が提唱ていしょうされた。千葉ちば方面ほうめんからの総武本線そうぶほんせん列車れっしゃ津田沼つだぬまからしんせんれ、新浦安しんうらやすから京葉線けいようせん経由けいゆ東京とうきょうえきへ、あるいはこれも2015ねん整備せいび目標もくひょうとする新宿しんじゅく三鷹みたか方面ほうめんへの延伸えんしんせんかうことが想定そうていされている。また、新木場しんきば - 新浦安しんうらやすあいだ建設けんせつ複々線ふくふくせん)と新木場しんきばからの東京とうきょう臨海りんかい高速こうそく鉄道てつどうりんかいせんれも明記めいきされたが、運営うんえい会社かいしゃのJR東日本ひがしにっぽんはこの建設けんせつ計画けいかくについてまだ正式せいしき発表はっぴょうおこなっていない。

年表ねんぴょう

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本線ほんせん貨物かもつ支線しせん越中島えっちゅうじま支線しせんしん金線きんせん)のそれぞれの路線ろせん開業かいぎょうから各駅かくえき開業かいぎょう複線ふくせんおよ路線ろせん施設しせつ関連かんれんなどの使用しよう開始かいし年月日ねんがっぴについて記述きじゅつする。

本線ほんせん

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もと本線ほんせんだった錦糸町きんしちょうえき - 御茶ノ水おちゃのみずえきあいだ支線しせんふくめて記述きじゅつする。

  • 1894ねん明治めいじ27ねん
    • 7がつ20日はつか総武そうぶ鉄道てつどう 市川いちかわえき - 佐倉さくらえきあいだ開業かいぎょう[4][19]市川いちかわえき船橋ふなばしえき千葉ちばえき佐倉さくらえき開業かいぎょう
    • 12月9にち本所ほんじょえき現在げんざい錦糸町きんしちょうえき)- 市川いちかわえきあいだ延伸えんしん開業かいぎょう幕張まくはりえきよん街道かいどうえき現在げんざい四街道よつかいどうえき)が開業かいぎょう[4][19]
  • 1895ねん明治めいじ28ねん
  • 1897ねん明治めいじ30ねん
    • 5月1にち佐倉さくらえき - 成東なるとうえきあいだ延伸えんしん開業かいぎょう[4]八街やまちえき成東なるとうえき開業かいぎょう
    • 6月1にち成東なるとうえき - 銚子ちょうしえきあいだ延伸えんしん開業かいぎょう[4]横芝よこしばえき八日市場ようかいちばえきあさひまちえき現在げんざいあさひえき)、飯岡いいおかえき松岸まつきしえき銚子ちょうしえき開業かいぎょう
  • 1898ねん明治めいじ31ねん
  • 1899ねん明治めいじ32ねん
  • 1904ねん明治めいじ37ねん
  • 1907ねん明治めいじ40ねん
    • 8がつ29にち両国橋りょうごくばしえき - 亀戸かめいどえきあいだ複線ふくせん[10]
    • 9月1にち鉄道てつどう国有こくゆうほうにより買収ばいしゅう国有こくゆう[10]
    • 11月1にちよん街道かいどうえき四街道よつかいどうえき改称かいしょう
  • 1908ねん明治めいじ41ねん
    • 6月17にち平井ひらいえき - 小岩こいわあいだえき市川いちかわえき - 船橋ふなばしえきあいだ稲毛いなげえき - 千葉ちばえきあいだ複線ふくせん[10]
    • 7がつ17にち船橋ふなばしえき - 津田沼つだぬまえきあいだ複線ふくせん[10]
    • 9月15にち亀戸かめいどえき - 平井ひらいえきあいだ津田沼つだぬまえき - 稲毛いなげえきあいだ複線ふくせん[10]
    • 10月14にち小岩こいわえき - 市川いちかわえきあいだ複線ふくせん[10]
  • 1909ねん明治めいじ42ねん)10がつ12にち 国有こくゆう鉄道てつどう線路せんろ名称めいしょう制定せいていにより、総武本線そうぶほんせんになる[10]
  • 1910ねん明治めいじ43ねん3月27にち東武とうぶ亀戸線かめいどせん両国橋りょうごくばしえき - 亀戸かめいどえきあいだへの直通ちょくつう運転うんてん廃止はいし[10]
  • 1911ねん明治めいじ44ねん3月4にち四街道よつかいどうえき - 佐倉さくらえきあいだ物井ものい信号しんごうしょ開業かいぎょう[10]
  • 1912ねん大正たいしょう元年がんねん)11月1にち 千葉ちばえき - 四街道よつかいどうえきあいだ都賀つが信号しんごうしょ開業かいぎょう[10]
  • 1914ねん大正たいしょう3ねん9がつ10日とおか南酒々井みなみしすいえき開業かいぎょう[10]
  • 1915ねん大正たいしょう4ねん
    • 5月1にち本所ほんじょえき錦糸町きんしちょうえき改称かいしょう[10]
    • 9月11にち中山ちゅうざんえき下総しもうさ中山ちゅうざんえき改称かいしょう[10]
  • 1922ねん大正たいしょう11ねん4がつ1にち信号しんごうしょ信号しんごうじょう改称かいしょう
  • 1926ねん大正たいしょう15ねん
    • 2がつ14にち平井ひらいえき - 小岩こいわえきあいだ新小岩しんこいわ信号しんごうじょう開業かいぎょう[10]
    • 7がつ1にち新小岩しんこいわ信号しんごうじょう新小岩しんこいわ操車そうしゃじょう変更へんこう[10]
  • 1928ねん昭和しょうわ3ねん7がつ10日とおか新小岩しんこいわ操車そうしゃじょうえき変更へんこうされ、新小岩しんこいわえき開業かいぎょう[10]
  • 1931ねん昭和しょうわ6ねん10月1にち両国橋りょうごくばしえき両国りょうごくえき改称かいしょう[10]
  • 1932ねん昭和しょうわ7ねん
    • 3月15にち鉄道てつどうしょう電化でんか計画けいかく委員いいんかい両国りょうごくえき - 市川いちかわえきあいだ電化でんか決定けっていそう工費こうひは291まんえん両国りょうごくえき - 亀戸かめいどえきあいだ電車でんしゃ専用せんようせん新設しんせつし、市川いちかわえき車庫しゃこ亀戸かめいどえき変電へんでんしょ新設しんせつ電力でんりょく自家じか変電へんでん東電とうでんからのかいでん併用へいようする計画けいかくあんであった。計画けいかくあんにおいては、運転うんてん時間じかんやく20ふんで、平常へいじょうは2りょう運転うんてん・ラッシュアワーは4りょう運転うんてんとし、いずれも4ふんおきでの運転うんてんとした。また、翌年よくねん3がつちゅう工事こうじ完成かんせいさせ、4がつ1にちから運転うんてん開始かいしするとした[新聞しんぶん 2]
    • 7がつ1にち御茶ノ水おちゃのみずえき - 両国りょうごくえきあいだ延伸えんしん開業かいぎょう複線ふくせん旅客りょかく営業えいぎょうのみ)。どう区間くかん電車でんしゃ運転うんてん開始かいし[10]
    • 12月27にち鉄道てつどうしょう市川いちかわえき - 船橋ふなばしえきあいだ電化でんか決定けってい予算よさんは50まんえん[新聞しんぶん 3]
  • 1933ねん昭和しょうわ8ねん
    • 3月15にち両国りょうごくえき - 市川いちかわえきあいだ電化でんか[10]電車でんしゃ御茶ノ水おちゃのみずえき - 市川いちかわえきあいだにおいて、さんとうしゃ2りょう連結れんけつ・10ふん間隔かんかく(ラッシュアワー8ふん間隔かんかく)で運転うんてんされた。列車れっしゃどう区間くかん停車ていしゃとした[新聞しんぶん 4]。また、省線しょうせん電車でんしゃ同様どうよう特定とくてい運賃うんちんせい実施じっしした[新聞しんぶん 5]
    • 9月15にち市川いちかわえき - 船橋ふなばしえきあいだ電化でんか中央ちゅうおうせん中野なかのえきまで緩行かんこう電車でんしゃとして直通ちょくつう運転うんてん開始かいし[10]市川いちかわえき - 千葉ちばえきあいだ16往復おうふくのガソリンカーが船橋ふなばしえき - 千葉ちばえきあいだ30往復おうふく増加ぞうかして運転うんてんされた。船橋ふなばしえき - 千葉ちばえきあいだは20ふん間隔かんかく運転うんてんで、千葉ちば以遠いえん列車れっしゃ両国りょうごくえき - 千葉ちばえきあいだをノンストップではしった[新聞しんぶん 6]
  • 1935ねん昭和しょうわ10ねん
    • 7がつ1にち船橋ふなばしえき - 千葉ちばえきあいだ電化でんか[20]
    • 9月1にちほん八幡やはたえき開業かいぎょう[10]
  • 1937ねん昭和しょうわ12ねん)4がつ5にち物井ものい信号しんごうじょうえき変更へんこうされ、物井ものいえき開業かいぎょう
  • 1942ねん昭和しょうわ17ねん)10がつ1にち西にし千葉ちばえき開業かいぎょう[10]
  • 1944ねん昭和しょうわ19ねん4がつ1にち決戦けっせん非常ひじょう措置そち要綱ようこうもとづき、総武本線そうぶほんせん両国りょうこく-銚子ちょうしあいだ)の列車れっしゃとうしゃ廃止はいしされる[21]
  • 1951ねん昭和しょうわ26ねん7がつ15にちしん検見川けみがわえき開業かいぎょう[14]
  • 1958ねん昭和しょうわ33ねん
    • 4がつ1にち榎戸えのきどえき開業かいぎょう[14]
    • 11月10にち西船橋にしふなはしえき開業かいぎょう[14]
  • 1959ねん昭和しょうわ34ねん)10がつ1にちあさひまちえきあさひえき改称かいしょう
  • 1960ねん昭和しょうわ35ねん)6がつ1にち倉橋くらはしえき開業かいぎょう[14]
  • 1963ねん昭和しょうわ38ねん)4がつ28にち房総東線ぼうそうとうせん現在げんざい外房線そとぼうせん)のスイッチバック解消かいしょうのため千葉ちばえき西にし千葉ちばりに0.8 km移転いてん[14]
  • 1964ねん昭和しょうわ39ねん)10がつ1にち飯倉いいくらえき開業かいぎょう[14]
  • 1965ねん昭和しょうわ40ねん
    • 2がつ1にちATS-S導入どうにゅう[22]
    • 9月30にち千葉ちばえき - 四街道よつかいどうえきあいだ複線ふくせんおよび自動じどう信号しんごう[14]都賀つが信号しんごうじょうかり乗降じょうこうじょう変更へんこうされ都賀つがかり乗降じょうこうじょう開業かいぎょう
    • 12月20にちきゅう千葉ちばえき跡地あとち東千葉ひがしちばえき開業かいぎょう[14]
  • 1966ねん昭和しょうわ41ねん9月25にち四街道よつかいどうえき - 物井ものいえきあいだ複線ふくせんおよび自動じどう信号しんごう[14]
  • 1967ねん昭和しょうわ42ねん12月21にち臨時りんじしん東京とうきょう国際こくさい空港くうこう閣僚かくりょう協議きょうぎかい決定けっていしん東京とうきょう国際こくさい空港くうこう関連かんれん事業じぎょう計画けいかくについて」において、成田空港なりたくうこう供用きょうよう開始かいし(1971ねん予定よてい)までを目途もくとに、東京とうきょう千葉ちばあいだ複々線ふくふくせん整備せいびをすすめるとされる。
  • 1968ねん昭和しょうわ43ねん
    • 2がつ25にち物井ものいえき - 佐倉さくらえきあいだ複線ふくせんおよび自動じどう信号しんごう同時どうじ成田なりたせん佐倉さくらえき - 成田なりたえきあいだ自動じどう信号しんごう[14]
    • 3月28にち千葉ちばえき - 佐倉さくらえきあいだ電化でんか同時どうじ成田なりたせん佐倉さくらえき - 成田なりたえきあいだ電化でんか[14][新聞しんぶん 1]都賀つがかり乗降じょうこうじょうえき変更へんこうされ、都賀つがえき開業かいぎょう
    • 6月1にち新小岩しんこいわえきから貨物かもつあつかい・操車そうしゃじょう業務ぎょうむ分離ぶんりして新小岩操しんこいわそうえき開業かいぎょう
  • 1970ねん昭和しょうわ45ねん
    • 1がつ7にち船橋ふなばしえき - 西船橋にしふなはしえきあいだ踏切ふみきり踏切ふみきり警手けいしゅ遮断しゃだんそこねて乗用車じょうようしゃ電車でんしゃ衝突しょうとつ2人ふたり負傷ふしょう[23]
    • 5月18にちのぼ普通ふつう電車でんしゃ電気でんき系統けいとう故障こしょうして暴走ぼうそうする事件じけん発生はっせい津田沼つだぬまえき手前てまえ走行そうこうちゅうにドアがひらき、ブレーキがかないまま津田沼つだぬまえき船橋ふなばしえき西船橋にしふなはしえき通過つうか乗員じょういんくわ乗客じょうきゃくらがブレーキ操作そうさしたことにより下総しもうさ中山ちゅうざんえき構内こうないにて停車ていしゃさせることに成功せいこうした。乗客じょうきゃくやく500にん負傷ふしょうしゃ[24]
    • 7がつ12にち新小岩しんこいわえき - 西船橋にしふなはしえきあいだ高架こうか[25]
  • 1971ねん昭和しょうわ46ねん7がつ5にち亀戸かめいどえき - 新小岩しんこいわえきあいだが3せん[26]
  • 1972ねん昭和しょうわ47ねん
    • 3月28にち船橋ふなばしえき構内こうない追突ついとつ事故じこ
    • 6月4にち新小岩しんこいわえき - 津田沼つだぬまえきあいだ複々線ふくふくせん[27]
    • 7がつ15にち東京とうきょうえき - 錦糸きんしまちえきあいだ開業かいぎょう複線ふくせん旅客りょかく営業えいぎょうのみ)。総武本線そうぶほんせん起点きてん東京とうきょうえき変更へんこうされ、錦糸町きんしちょうえき - 御茶ノ水おちゃのみずえきあいだ支線しせんとして分離ぶんり錦糸町きんしちょうえき - 亀戸かめいどえきあいだ複々線ふくふくせん亀戸かめいどえき - 新小岩しんこいわえきあいだが5せん[14]
  • 1974ねん昭和しょうわ49ねん
    • 2がつ2にち佐倉さくらえき - 銚子ちょうしえきあいだ自動じどう信号しんごう
    • 3月15にち千葉ちばえき - 銚子ちょうしえきあいだ列車れっしゃ集中しゅうちゅう制御せいぎょ装置そうち (CTC) が導入どうにゅう[14]
    • 10月1にち両国りょうごくえき - 新小岩操しんこいわそうえきあいだ貨物かもつ営業えいぎょう廃止はいし
    • 10月26にち佐倉さくらえき - 銚子ちょうしえきあいだ電化でんかされ、本線ほんせん電化でんか完成かんせい[14]
  • 1978ねん昭和しょうわ53ねん3月17にち成田空港なりたくうこうへの航空こうくう燃料ねんりょう輸送ゆそう暫定ざんてい輸送ゆそう開始かいし[28]
  • 1979ねん昭和しょうわ54ねん
    • 7がつ7にちしん検見川けみがわえき千葉ちばえきあいだ複々線ふくふくせん
    • 7がつ9にちしん検見川けみがわえき - 千葉ちばえきあいだ高架こうか[29]
  • 1980ねん昭和しょうわ55ねん
    • 10月1にち横須賀よこすかせんとの直通ちょくつう運転うんてん(SM分離ぶんり開始かいし
    • 11月28にち稲毛いなげえき - 西にし千葉ちばえきあいだ黒砂くろすな信号しんごうじょう開業かいぎょう
  • 1981ねん昭和しょうわ56ねん
    • 7がつ5にち津田沼つだぬまえき - しん検見川けみがわえきあいだ複々線ふくふくせん[18]
    • 10月1にち東船橋ひがしふなばしえき幕張本郷まくはりほんごうえき開業かいぎょう[18]
  • 1983ねん昭和しょうわ58ねん)8がつ成田空港なりたくうこう本格ほんかくパイプライン稼働かどう開始かいしにより、暫定ざんてい輸送ゆそう終了しゅうりょう
  • 1986ねん昭和しょうわ61ねん)11月1にち成東なるとうえき - 銚子ちょうしえきあいだ貨物かもつ営業えいぎょう廃止はいし新小岩操しんこいわそうえき廃止はいしされ、新小岩しんこいわ操車そうしゃじょう変更へんこう[18]
  • 1987ねん昭和しょうわ62ねん
    • 3月31にち新小岩しんこいわ操車そうしゃじょう貨物かもつえき変更へんこうされ、新小岩操しんこいわそうえき開業かいぎょう
    • 4がつ1にち国鉄こくてつ分割ぶんかつ民営みんえいにより東日本旅客鉄道ひがしにほんりょかくてつどう承継しょうけい新小岩操しんこいわそうえき - 成東なるとうえきあいだ日本にっぽん貨物かもつ鉄道てつどうだいしゅ鉄道てつどう事業じぎょうしゃとなる[18]
  • 1990ねん平成へいせい2ねん3月25にち御茶ノ水おちゃのみずえき - 千葉ちばえきあいだ緩行かんこうせん)で ATS-P 使用しよう開始かいし[新聞しんぶん 7]
  • 1993ねん平成へいせい5ねん
    • 10月24にち錦糸きんしまちえき - 市川いちかわえきあいだで ATS-P 使用しよう開始かいし[18]
    • 10月31にち市川いちかわえき - 千葉ちばえきあいだで ATS-P 使用しよう開始かいし[18]
  • 1994ねん平成へいせい6ねん10月28にち千葉ちばえき - 佐倉さくらえきあいだで ATS-P 使用しよう開始かいし[18]
  • 1997ねん平成へいせい9ねん3月22にち成東なるとうえき - 銚子ちょうしえきあいだ普通ふつう列車れっしゃがすべて禁煙きんえんとなる[30]
  • 1999ねん平成へいせい11ねん
    • 5月29にち御茶ノ水おちゃのみずえき - 千葉ちばえきあいだ緩行かんこうせん)で東京とうきょうけん輸送ゆそう管理かんりシステム (ATOS) が導入どうにゅうされる。
    • 3月31にち佐倉さくらえき - 成東なるとうえきあいだ日本にっぽん貨物かもつ鉄道てつどうだいしゅ鉄道てつどう事業じぎょう廃止はいし[18]
  • 2000ねん平成へいせい12ねん)9がつ30にち東京とうきょうえき - 幕張まくはりえきあいだで ATOS が導入どうにゅうされる。
  • 2001ねん平成へいせい13ねん2がつ4にち佐倉さくらえき - 成東なるとうえきあいだで ATS-P 使用しよう開始かいし[18]
  • 2004ねん平成へいせい16ねん2がつ29にち東京とうきょうえき - 錦糸きんしまちえきあいだが ATC から ATS-P に変更へんこう[18][新聞しんぶん 8]
  • 2005ねん平成へいせい17ねん12月10にち:183けい・189けいえる関係かんけいから特急とっきゅうE257けい500番台ばんだい投入とうにゅうされ、運用うんよう開始かいし
  • 2006ねん平成へいせい18ねん10月21にち:211けい3000番台ばんだい運用うんよう開始かいし
  • 2009ねん平成へいせい21ねん
  • 2010ねん平成へいせい22ねん3月12にち:この最後さいご荷物にもつ列車れっしゃ廃止はいし
  • 2011ねん平成へいせい23ねん3月12にち新小岩操しんこいわそうえき新小岩しんこいわ信号しんごうじょうえき改称かいしょう
  • 2020ねんれい2ねん2がつ16にち千葉ちばえき内房線うちぼうせん外房線そとぼうせん総武本線そうぶほんせん成田なりたせんホームに ATOS を導入どうにゅう

越中島えっちゅうじま支線しせん

編集へんしゅう
  • 1929ねん昭和しょうわ4ねん3がつ20日はつか亀戸かめいどえき - 小名しょうみょう木川きのかわえきあいだ開業かいぎょう[10]
  • 1958ねん昭和しょうわ33ねん11月10にち小名しょうみょう木川きのかわえき - 越中島えっちゅうじまえき現在げんざい越中島えっちゅうじま貨物かもつえきあいだ延伸えんしん開業かいぎょう[14]
  • 1966ねん昭和しょうわ41ねん10月1にち全線ぜんせん自動じどう信号しんごう
  • 1971ねん昭和しょうわ46ねん7がつ5にち起点きてん新小岩操しんこいわそうえき変更へんこうされる。
  • 1984ねん昭和しょうわ59ねん)2がつ1にち小名しょうみょう木川きのかわえき - 越中島えっちゅうじまえき現在げんざい越中島えっちゅうじま貨物かもつえきあいだ運転うんてん方式ほうしきにゅうかわ方式ほうしき変更へんこう
  • 1986ねん昭和しょうわ61ねん11月1にち新小岩操しんこいわそうえき廃止はいしのため、起点きてん小岩こいわえき変更へんこうされる[18]
  • 1987ねん昭和しょうわ62ねん4がつ1にち国鉄こくてつ分割ぶんかつ民営みんえいにより東日本旅客鉄道ひがしにほんりょかくてつどう承継しょうけい日本にっぽん貨物かもつ鉄道てつどうだいしゅ鉄道てつどう事業じぎょうしゃとなる[18]
  • 1990ねん平成へいせい2ねん3がつ10日とおか京葉けいようせん越中島えっちゅうじまえきとの区別くべつのため、越中島えっちゅうじまえき越中島えっちゅうじま貨物かもつえき改称かいしょう[18]
  • 2000ねん平成へいせい12ねん12月2にち小名しょうみょう木川きのかわえき廃止はいし[18]
  • 2001ねん平成へいせい13ねん3月1にち千葉ちば総合そうごう指令しれいしつから東京とうきょう総合そうごう指令しれいしつ移管いかん
  • 2011ねん平成へいせい23ねん3月12にち新小岩操しんこいわそうえき新小岩しんこいわ信号しんごうじょうえき改称かいしょう

しん金線きんせん

編集へんしゅう
  • 1926ねん大正たいしょう15ねん7がつ1にち新小岩しんこいわ操車そうしゃじょう - 金町かなまちえきあいだ開業かいぎょう[10]
  • 1928ねん昭和しょうわ3ねん7がつ10日とおか新小岩しんこいわ操車そうしゃじょう新小岩しんこいわえき変更へんこう
  • 1964ねん昭和しょうわ39ねん
  • 1986ねん昭和しょうわ61ねん11月1にち新小岩操しんこいわそうえき廃止はいしのため、起点きてん小岩こいわえき変更へんこうされる[18]
  • 1987ねん昭和しょうわ62ねん4がつ1にち国鉄こくてつ分割ぶんかつ民営みんえいにより東日本旅客鉄道ひがしにほんりょかくてつどう承継しょうけい日本にっぽん貨物かもつ鉄道てつどうだいしゅ鉄道てつどう事業じぎょうしゃとなる[18]
  • 2001ねん平成へいせい13ねん3月1にち千葉ちば総合そうごう指令しれいしつから東京とうきょう総合そうごう指令しれいしつ移管いかん
  • 2011ねん平成へいせい23ねん3月12にち新小岩操しんこいわそうえき新小岩しんこいわ信号しんごうじょうえき改称かいしょう

貨物かもつ支線しせん

編集へんしゅう

運行うんこう形態けいたい

編集へんしゅう

総武本線そうぶほんせん運行うんこうする列車れっしゃ形態けいたいを、成田なりたせん外房線そとぼうせん内房線うちぼうせん直通ちょくつう列車れっしゃおよ途中とちゅう区間くかんかられる列車れっしゃふく記述きじゅつする。

優等ゆうとう列車れっしゃ

編集へんしゅう

総武本線そうぶほんせん運行うんこうする優等ゆうとう列車れっしゃとして、下記かき特急とっきゅう列車れっしゃ運転うんてんされている。詳細しょうさいかく列車れっしゃ記事きじ参照さんしょう

地域ちいき輸送ゆそう

編集へんしゅう

東京とうきょうえき御茶ノ水おちゃのみずえき - 千葉ちばえきあいだ

編集へんしゅう

 

電車でんしゃ特定とくてい区間くかんである東京とうきょうえき御茶ノ水おちゃのみずえき - 千葉ちばえきあいだは、1972ねん昭和しょうわ47ねん)の複々線ふくふくせんにより快速かいそくせん緩行かんこうせんかれ、東京とうきょうえき経由けいゆ快速かいそくせん走行そうこうする快速かいそく電車でんしゃ総武そうぶ快速かいそくせん案内あんないじょうは「横須賀よこすか総武線そうぶせん快速かいそく」)と、御茶ノ水おちゃのみずえき経由けいゆ緩行かんこうせん走行そうこうする各駅かくえき停車ていしゃ総武そうぶ緩行かんこうせん案内あんないじょうは「中央ちゅうおう総武線そうぶせん各駅かくえき停車ていしゃ」)の2系統けいとうかれている。1981ねん昭和しょうわ56ねん)に錦糸町きんしちょうえき - 千葉ちばえきあいだ完全かんぜん複々線ふくふくせんされて以降いこうは、両者りょうしゃ線路せんろ車両しゃりょうダイヤもそれぞれ独立どくりつしたものとなっている。

快速かいそく電車でんしゃ東京とうきょうえき - 錦糸きんしまちえき地下ちかせん走行そうこうし、東京とうきょうえき以南いなん東海道本線とうかいどうほんせん品川しながわえき - 武蔵むさし小杉こすぎえき - 鶴見つるみえきあいだ通称つうしょうしなづるせん)を経由けいゆして横須賀よこすかせん直通ちょくつう運転うんてんおこなっている(旅客りょかく案内あんないなどでは東海道とうかいどう本線ほんせん区間くかんふくめて「横須賀よこすかせん」としょうされる)ほか、総武本線そうぶほんせんふくめた千葉ちばえき以東いとう総武本線そうぶほんせん成田なりたせん鹿島かしません)・以南いなん外房線そとぼうせん内房線うちぼうせん)に直通ちょくつうする列車れっしゃもある。

黄色おうしょくたい電車でんしゃ運行うんこうされる各駅かくえき停車ていしゃ錦糸町きんしちょうえきから御茶ノ水おちゃのみずえき方面ほうめんへの支線しせんれ、どうえきから中央ちゅうおう本線ほんせん三鷹みたかえきまで直通ちょくつうするが、千葉ちばえき以南いなん以東いとうへのれは設定せっていされていない。また平日へいじつ朝夕あさゆうには西船橋にしふなはしえき東京とうきょう地下鉄ちかてつ東京とうきょうメトロ)東西線とうざいせんから緩行かんこうせん津田沼つだぬまえきれる列車れっしゃもある。なお将来しょうらいてきホームドア設置せっち実施じっしともない、2020ねん3月14にちのダイヤ改正かいせい[31][32]から、中央ちゅうおうせん東京とうきょうえき発着はっちゃく各駅かくえき停車ていしゃ運行うんこう廃止はいしして快速かいそく特別とくべつ快速かいそくなどの速達そくたつ列車れっしゃのみを終日しゅうじつ運転うんてんすることになり、これに付随ふずいして、中央ちゅうおう総武そうぶ緩行かんこうせん早朝そうちょう深夜しんやにおける御茶ノ水おちゃのみずえきかえしおよび武蔵小金井むさしこがねい方面ほうめんへの直通ちょくつう廃止はいしし、ぜん列車れっしゃ千葉ちばえき - 御茶ノ水おちゃのみずえき経由けいゆ - 三鷹みたかえきまでの相互そうご直通ちょくつう運転うんてんのみとなった。

千葉ちばえき - 銚子ちょうしえきあいだ

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千葉ちばえき以東いとうでは普通ふつう快速かいそくの2種別しゅべつ設定せっていされている。2022ねん3がつ改正かいせいまでは通勤つうきん快速かいそく運行うんこうされていた。普通ふつう列車れっしゃあさひえき - 銚子ちょうしえきあいだと(成田なりたえき - )松岸まつきしえき - 銚子ちょうしえきあいだ区間くかん列車れっしゃのぞ千葉ちばえきれるが、東京とうきょう方面ほうめん千葉ちばえき以西いせいへはれない。

ぎゃく快速かいそく列車れっしゃは、のぼり1ほんのぞくすべての定期ていき列車れっしゃ千葉ちばえき以西いせい快速かいそくせんおおくはさらに横須賀よこすかせん)にれる。佐倉さくらえきからさき成田なりたせん直通ちょくつう成田なりたえき成田空港なりたくうこうえき発着はっちゃく列車れっしゃ佐倉さくらえき発着はっちゃく列車れっしゃがほとんど[ちゅう 4]で、佐倉さくらえきえてとうせん走行そうこうする列車れっしゃは、あさ成東なるとうはつ快速かいそくのぼり1ほんと、夜間やかん成田空港なりたくうこう成東なるとうきとそのかえし(佐倉さくらえき - 成東なるとうえきあいだ普通ふつう列車れっしゃ)のみである。

なお、千葉ちばえき - 佐倉さくらえきあいだおよび松岸まつきしえき - 銚子ちょうしえきあいだは、成田なりたせんない佐原さわらえき香取かとりえき経由けいゆ鹿島かしません鹿島かしま神宮じんぐうえき発着はっちゃくあるいは佐倉さくらえき - 松岸まつきしえきあいだ成田なりたせん経由けいゆ[ちゅう 5]する列車れっしゃれている。

にちちゅうの1あいだごと運行うんこう本数ほんすうをまとめると、以下いかのとおりになる(2020ねん3がつ14にち改正かいせい時点じてん)。ただし、一部いちぶ時間じかんたい快速かいそく列車れっしゃが1ほんとなり、わりに千葉ちばえき - 成田なりたせん成田なりたえきあいだ各駅かくえき停車ていしゃが1ほん運転うんてんされる。2023ねん3がつのダイヤ改正かいせいからは、快速かいそく列車れっしゃが1ほんとなり、そのわりとして千葉ちばえき - 成田なりたせん成田空港なりたくうこうえきあいだ各駅かくえき停車ていしゃが1ほん運行うんこうされるようになる。

種別しゅべつ駅名えきめい 千葉ちば 佐倉さくら 成東なるとう 松岸まつぎし 銚子ちょうし
運行うんこう本数ほんすう 快速かいそく 2ほん 成田なりたせん 成田空港なりたくうこう
各駅かくえき停車ていしゃ 1ほん
1ほん
成田なりた 成田なりたせん 1ほん

千葉ちばえき - 銚子ちょうしえきあいだ普通ふつう列車れっしゃは、成田なりたせん経由けいゆ列車れっしゃふくめてすべて最大さいだい8りょう編成へんせい運転うんてんされている[ちゅう 6]。しかし、内房線うちぼうせん外房線そとぼうせんとはちがって、りょうかずはまちまちである。

夜間やかん留置りゅうち都合つごうじょうあさひえき - 銚子ちょうしえきあいだ列車れっしゃ横芝よこしばえき発着はっちゃく列車れっしゃ設定せっていされている。横芝よこしばえき発着はっちゃくかんしては2010ねん3がつ12にちまでは始発しはつのみのあつかいで、到着とうちゃく回送かいそう列車れっしゃであった。2023ねんのダイヤ改正かいせいからは八街やまちきが新設しんせつされる。

 
くだ最終さいしゅう列車れっしゃとして1ほんのみ設定せっていされている横芝よこしばき(側面そくめんLED表示ひょうじ

貨物かもつ輸送ゆそう

編集へんしゅう
 
航空こうくう燃料ねんりょう暫定ざんてい輸送ゆそう鉄道てつどうルートあん実際じっさい京葉けいようルートでは、一度いちど千葉ちばえき通過つうかして幕張まくはりえきかえしていた[33]

貨物かもつ列車れっしゃ金町かなまちえき - 新小岩しんこいわ信号しんごうじょうえき - 佐倉さくらえきあいだ運行うんこうされる。しかし、総武本線そうぶほんせんえき発着はっちゃくする定期ていき貨物かもつ列車れっしゃ設定せっていされていない。2014ねん3がつ改正かいせい時点じてんでは、東海道とうかいどう貨物かもつせん東京貨物とうきょうかもつターミナルえきおよび武蔵野線むさしのせん越谷貨物こしがやかもつターミナルえきから鹿島かしま臨海りんかい鉄道てつどう鹿島かしま臨港りんこうせん神栖かみすえきかう高速こうそく貨物かもつ列車れっしゃ1往復おうふくずつ、常磐線じょうばんせん隅田川すみだがわえきから京葉けいよう臨海りんかい鉄道てつどう千葉ちば貨物かもつえきかう高速こうそく貨物かもつ列車れっしゃ1往復おうふく東海道とうかいどう貨物かもつせん川崎かわさき貨物かもつえきから千葉ちば貨物かもつえきかう専用せんよう貨物かもつ列車れっしゃ1往復おうふくが、総武本線そうぶほんせん経由けいゆする[34]専用せんよう貨物かもつ列車れっしゃコンテナしゃのほか、ホッパしゃタンクしゃが併結されることもある。

かつて、成田空港なりたくうこうへの本格ほんかくパイプラインが稼働かどうするまでのあいだ航空こうくう燃料ねんりょう千葉ちばこうから空港くうこうまで輸送ゆそうする列車れっしゃ総武線そうぶせん経由けいゆしていた(暫定ざんてい輸送ゆそう[28]

新小岩しんこいわ信号しんごうじょうえき - 越中島えっちゅうじま貨物かもつえきあいだ定期ていき貨物かもつ列車れっしゃ運行うんこうされていないが、レール輸送ゆそうよう臨時りんじ専用せんよう貨物かもつ列車れっしゃ日曜日にちようびのぞき3往復おうふく運行うんこうされる[35]

過去かこ列車れっしゃ

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このふしでは、過去かこ総武本線そうぶほんせん全線ぜんせんおよ成田なりたせん鹿島かしません外房線そとぼうせん内房うつぶさせん直通ちょくつうした列車れっしゃ記述きじゅつする。

特急とっきゅう急行きゅうこう準急じゅんきゅう

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特急とっきゅう列車れっしゃは2004ねん10がつまで「すいごう」が、2015ねん3がつまでは「あやめ」が運行うんこうされていた。また、1991ねんより「成田なりたエクスプレス」が運行うんこう開始かいしされるが、外房線そとぼうせん直通ちょくつうの「わかしお」や内房線うちぼうせん直通ちょくつうの「さざなみ」もとうせん総武そうぶ快速かいそくせん経由けいゆ運転うんてんされていたが、以後いご京葉線けいようせん 海浜幕張かいひんまくはり蘇我そがえき経由けいゆとなった。

急行きゅうこう準急じゅんきゅう列車れっしゃは、きたそう3せん総武そうぶ成田なりた鹿島かしません)は「犬吠いぬぼう」・「水郷すいごう」・「鹿島かしま」・「京葉けいよう」・「総武そうぶ」などが、房総ぼうそう方面ほうめんは「内房うつぶさ(うちぼう)」・「そとぼう(そとぼう)」、房総半島ぼうそうはんとう1しゅう列車れっしゃとして「なぎさ」(内房線うちぼうせんまわり)・「みさき」(外房線そとぼうせんまわり)などが運行うんこうされた。

快速かいそく

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このふしでは、1972ねん昭和しょうわ47ねん)7がつ15にち以前いぜん御茶ノ水おちゃのみずえき - 千葉ちばえきあいだと、千葉ちばえき - 銚子ちょうしえきあいだにそれぞれ運行うんこうされていた列車れっしゃについて記述きじゅつする。

御茶ノ水おちゃのみずえき - 千葉ちばえきあいだ
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1968ねん10がつ1にちのダイヤ改正かいせいから御茶ノ水おちゃのみずえき - 千葉ちばえきあいだよるあいだくだり2ほんのみ設定せっていされた気動車きどうしゃ快速かいそく新宿しんじゅくえきまで到着とうちゃくしたのぼ急行きゅうこう「そとぼう」8ごう安房鴨川あわかもがわはつ新宿しんじゅくき)と、急行きゅうこう犬吠いぬぼう」4ごう銚子ちょうしはつ新宿しんじゅくき)・「水郷すいごう」5ごう佐原さわらはつ新宿しんじゅくき)[ちゅう 7]千葉ちば気動車きどうしゃへの回送かいそう列車れっしゃ客扱きゃくあつかいしたもので、当時とうじとしては画期的かっきてき発想はっそうだった[13]途中とちゅう停車駅ていしゃえきは、秋葉原あきはばらえき両国りょうごくえき船橋ふなばしえきで、運行うんこうダイヤは御茶ノ水おちゃのみずえき20:09はつ千葉ちばえき21:00ちゃく(「そとぼう」8ごう→2251D)と、御茶ノ水おちゃのみずえき20:36はつ千葉ちばえき21:30ちゃく(「犬吠いぬぼう」4ごう・「水郷すいごう」5ごう→2259D)であった[13][36][ちゅう 8]快速かいそく列車れっしゃなので当然とうぜん特別とくべつ料金りょうきん不要ふよう、そのためか1971ねん10がつ12にちけの交通こうつう新聞しんぶんの「好評こうひょう回送かいそう利用りよう快速かいそく気動車きどうしゃ」「毎日まいにち満席まんせきのモテぶり」とだいした乗車じょうしゃルポには、「船橋ふなばし千葉ちばかえ通勤つうきんきゃく根強ねづよ人気にんきがあり、御茶ノ水おちゃのみず秋葉原あきはばら国電こくでん見送みおくってでもこの列車れっしゃろうという固定こていきゃくおおい」「乗車じょうしゃ効率こうりつもよく座席ざせき毎日まいにち全席ぜんせきまる」「2251Dがグリーンしゃを1りょうふくむ7りょう、2259Dが普通ふつうしゃ10りょう両方りょうほうわせて毎日まいにち1500にん利用りようしている」なとど記事きじ記載きさいされ、また、車両しゃりょう間合まあいによっては、キハ28がたなどの冷房れいぼうしゃ充当じゅうとうされ、急行きゅうこう列車れっしゃなので座席ざせきもボックスがたでゆっくりとすわってかえれるので、混雑こんざつするうえったままの乗車じょうしゃいられる国電こくでんくらべるとまさに天国てんごく利用りようきゃくからは大変たいへん好評こうひょうであった[13]。この列車れっしゃ当時とうじ1年間ねんかん限定げんてい運転うんてん予定よていが、1972ねん7がつ15にち複々線ふくふくせん前日ぜんじつまで運転うんてんされた[13]。また、この列車れっしゃホームライナー元祖がんそといえるもので、このアイデアは1984ねん東北とうほく本線ほんせんの「ホームライナー大宮おおみや」で復活ふっかつしている[36]

千葉ちばえき - 銚子ちょうしえきあいだ
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1975ねん3がつ10日とおかのダイヤ改正かいせい千葉ちばえき - 銚子ちょうしえきあいだに1にち1往復おうふく設定せっていされた快速かいそくで、東京とうきょうえき - 千葉ちばえきあいだ快速かいそくが「総武そうぶ快速かいそく」とばれたのと区別くべつするため、この快速かいそくは「千葉ちば快速かいそく」とばれた[37]あさのぼり、よるくだりが運転うんてんされ、当初とうしょ停車駅ていしゃえき千葉ちばえき四街道よつかいどうえき佐倉さくらえき八街やまちえき成東なるとうえき松尾まつおえき横芝よこしばえき八日市場ようかいちばえきあさひえき飯岡いいおかえき松岸まつきしえき銚子ちょうしえきだったが、1978ねん10がつ2にちのダイヤ改正かいせい都賀つがえき干潟ひかたえき停車駅ていしゃえき追加ついかされ、1981ねん10がつ1にちのダイヤ改正かいせい普通ふつう格下かくさげされるかたち廃止はいしされた。

荷物にもつ列車れっしゃ

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道路どうろ事情じじょうわる千葉ちばえき以東いとう以南いなん沿線えんせんへの夕刊ゆうかん新聞しんぶん輸送ゆそうのための荷物にもつ列車れっしゃ列車れっしゃは、電化でんか時代じだい蒸気じょうき機関きかんしゃ牽引けんいん荷物にもつ客車きゃくしゃ貨車かしゃであったが、気動車きどうしゃキユニ11・キユニ19使用しようされ、房総西線ぼうそうさいせんげん内房線うちぼうせん)が部分ぶぶん電化でんかおよび外房線そとぼうせん全線ぜんせん電化でんかされたのちクモハユ74かたちクモユニ74かたち100番台ばんだい使用しよう[ちゅう 9]、その長岡ながおか運転うんてんしょげん長岡ながおか車両しゃりょうセンター)から転属てんぞくしたクモユニ143使用しよう気動車きどうしゃ千葉ちば気動車きどうしゃから、電車でんしゃ幕張まくはり電車でんしゃげん幕張まくはり車両しゃりょうセンター)からそれぞれ津田沼つだぬまえき方面ほうめん単独たんどくいで両国りょうごくえきまで回送かいそう新聞しんぶんみ、かえして両国りょうごくえき - 千葉ちばえきあいだ荷物にもつ列車れっしゃあつかいで千葉ちばえきまで運行うんこう到着とうちゃくかく方面ほうめんきの列車れっしゃに併結されてかれていく、特異とくい列車れっしゃであった[36]

運用うんようは、気動車きどうしゃ千葉ちば気動車きどうしゃからのいでは2りょう編成へんせい運行うんこう房総ぼうそう各線かくせん全線ぜんせん電化でんかは、幕張まくはり電車でんしゃからのいでは4りょう編成へんせい[ちゅう 10]千葉ちばえきで1りょうずつかく方面ほうめんへの千葉ちばローカル運用うんよう気動車きどうしゃまたは113けい後部こうぶに併結して運転うんてんされ[36]各駅かくえき新聞しんぶん配布はいふしていき、それぞれの線区せんく終点しゅうてんえききたそう方面ほうめん銚子ちょうしえき房総半島ぼうそうはんとう方面ほうめん安房鴨川あわかもがわえき)と、終点しゅうてんえきからかえ荷物にもつ車両しゃりょう先頭せんとうにして千葉ちばえきまで運行うんこうされ、千葉ちばえき到着とうちゃく回送かいそう列車れっしゃとなり、併結した気動車きどうしゃおよび電車でんしゃとともにする運用うんようであった[39]国鉄こくてつ郵便ゆうびん荷物にもつ輸送ゆそう基本きほんてき廃止はいしされた1986ねん11月1にち以降いこうは、外房線そとぼうせん内房線うちぼうせん新聞しんぶん荷物にもつ輸送ゆそう道路どうろ事情じじょう関係かんけいにより存続そんぞくされることとなり、前述ぜんじゅつのクモユニ143が幕張まくはり電車でんしゃ転属てんぞく充当じゅうとう電車でんしゃからのいでは2りょう編成へんせい両国りょうごくえきまで回送かいそう、その前述ぜんじゅつのように、両国りょうごくえきみ→千葉ちばえきで1りょうずつ外房線そとぼうせん内房線うちぼうせんの113けい6りょう編成へんせい普通ふつう列車れっしゃ両者りょうしゃとも安房鴨川あわかもがわき)の後部こうぶ連結れんけつ終着駅しゅうちゃくえき到着とうちゃくクモユニ143が先頭せんとうしゃになってかえし(両者りょうしゃとも千葉ちばき)→千葉ちばえき到着とうちゃく回送かいそう列車れっしゃとしてする運用うんようであった[40]

1996ねん12月1にちのダイヤ改正かいせいで、合理ごうりのため房総ぼうそう地区ちくへの専用せんよう車両しゃりょうによる輸送ゆそう廃止はいしとなり、それ以降いこうは113けい4りょう編成へんせい×2ほんを併結し、のぼかたかく1りょう荷物にもつあつかいとすることで対処たいしょ、なお、この列車れっしゃは2010ねん3がつ12にちまで運行うんこうされた[41]。また、列車れっしゃ運行うんこう開始かいし以降いこうから113けい荷物にもつあつか列車れっしゃいたるまで、夕刊ゆうかん休刊きゅうかん運休うんきゅうとなっていた[36][40]

使用しよう車両しゃりょう

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現在げんざい使用しよう車両しゃりょう

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すべて電車でんしゃ運転うんてんされている。

特急とっきゅう列車れっしゃ

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普通ふつう快速かいそく列車れっしゃ

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  • E217けい鎌倉かまくら車両しゃりょうセンター所属しょぞく
    • 東京とうきょうえき - 成東なるとうえきあいだ運用うんよう[ちゅう 11]されているが、大半たいはん津田沼つだぬまえきおよび千葉ちばえきまでの運行うんこうで、一部いちぶ佐倉さくらえき[ちゅう 12]および成東なるとうえきまで運行うんこうする。種別しゅべつ一部いちぶのぞ快速かいそくとして運行うんこう編成へんせいりょうかずは15りょうでの運行うんこう基本きほんとするが、一部いちぶは4りょうまたは11りょう編成へんせい運行うんこうされ、あさ成東なるとうえき始発しはつは11りょう編成へんせいよる成東なるとうえき発着はっちゃく列車れっしゃ佐倉さくらえき - 成東なるとうえきあいだは4りょう編成へんせい種別しゅべつ普通ふつう[ちゅう 13]運行うんこうされる。
  • E235けい鎌倉かまくら車両しゃりょうセンター所属しょぞく
    • 東京とうきょうえき - 成東なるとうえきあいだ1000番台ばんだい運用うんようされている。運行うんこう区間くかん形態けいたい種別しゅべつおよび編成へんせいりょうかずはE217けい同様どうようである。
  • 209けい幕張まくはり車両しゃりょうセンター所属しょぞく

過去かこ使用しよう車両しゃりょう

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  • 荷物にもつ列車れっしゃ両国りょうごくえき - 千葉ちばえきあいだ回送かいそうあつかい)[36]
    • 電車でんしゃ
    • 気動車きどうしゃ
      • キユニ11
      • キユニ19

沿線えんせん概況がいきょう

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停車場ていしゃじょう施設しせつ接続せつぞく路線ろせん
 
4.3* 御茶ノ水おちゃのみずえき
 
       
0.0 JO 19 東京とうきょうえき
 
 
 
 
 
 
4.8
0.0*
JO 22 錦糸町きんしちょうえき
 
 
 
 
総武そうぶ緩行かんこうせん参照さんしょう
 
 
 
 
総武そうぶ快速かいそくせん参照さんしょう
 
 
 
       
京成けいせい千葉ちばせん
   
 
 
 
 
 
 
39.2 JO 28 千葉ちばえき (II)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
千葉ちばモノレール1号線ごうせん
 
 
 
 
 
 
     
京成けいせい千葉ちばえき
 
 
 
 
     
千葉ちばモノレール:2号線ごうせん
       
外房線そとぼうせんきゅうせん -1963
       
京成けいせい千葉ちばえき -1958
 
 
 
     
千葉ちばえき (I) -1963
 
 
 
 
   
外房線そとぼうせん
 
 
 
 
千葉ちばモノレール:1号線ごうせん
   
 
40.1 JO 29 東千葉ひがしちばえき
 
京葉けいよう道路どうろ
   
千葉ちばモノレール:2号線ごうせん
 
 
 
 
 
 
43.4 JO 30 都賀つがえき
   
 
46.9 JO 31 四街道よつかいどうえき
 
ひがし関東かんとう自動車じどうしゃどう
 
51.1 JO 32 物井ものいえき
   
きゅうせん
   
鹿島川かしまがわ
   
寺崎てらさきトンネル
   
 
55.3 JO 33 佐倉さくらえき
 
成田なりたせん
 
59.3 南酒々井みなみしすいえき
 
ひがし関東かんとう自動車じどうしゃどう
 
62.2 榎戸えのきどえき
   
成田なりた鉄道てつどう八街やまちせん
 
 
 
 
 
 
65.9 八街やまちえき
 
71.7 日向ひなたえき
 
首都しゅとけん中央ちゅうおう連絡れんらく自動車じどうしゃどう
 
76.9 成東なるとうえき
 
東金線とうがねせん
 
境川さかいがわ
 
木戸川きどかわ
 
82.5 松尾まつおえき
 
86.8 横芝よこしばえき
 
栗山川くりやまがわ
 
90.6 飯倉いいくらえき
   
成田なりた鉄道てつどう多古たこせん
 
 
 
 
 
 
93.7 八日市場ようかいちばえき
 
98.8 干潟ひかたえき
 
新川しんかわ
 
103.6 あさひえき
 
106.3 飯岡いいおかえき
 
 
109.2 倉橋くらはしえき
 
111.8 猿田さるたえき
 
成田なりたせん
 
117.3 松岸まつきしえき
 
 
 
 
 
 
120.5 銚子ちょうしえき
   
銚子電気鉄道線ちょうしでんきてつどうせん
 
121.3 新生しんせいえき -1978

ここでは総武本線そうぶほんせん線路せんろおよび沿線えんせん概況がいきょうについてしる[42][43]

東京とうきょうえき御茶ノ水おちゃのみずえき - 千葉ちばえきあいだ

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快速かいそくせんがわ起点きてんである東京とうきょうえきでは、地上ちじょうえきよりまるうちがわにある1972ねん完成かんせい総武そうぶ地下ちかホームに発着はっちゃくし、どうえき以南いなん横須賀よこすかせん東海道本線とうかいどうほんせん地下ちかせん線路せんろとの直通ちょくつう可能かのう構造こうぞうになっている。どうえきると東京とうきょう都心としん地下ちか北東ほくとうすすみ、しん日本橋にほんばしえきから馬喰町ばくろちょうえき付近ふきんまで国道こくどう6ごう直下ちょっかとおる。りょうえきあいだでは東京とうきょうメトロ日比谷線ひびやせん小伝馬こでんままちえき交差こうさしているが、総武そうぶ快速かいそくせんえきもうけられていない。馬喰町ばくろちょうえきぎるとひがしかい、隅田川すみだがわしたをくぐり、両国りょうごくえき付近ふきん地上ちじょうる。

一方いっぽう緩行かんこうせんは、直通ちょくつう運転うんてんおこな中央ちゅうおう本線ほんせんとの接続せつぞくえき御茶ノ水おちゃのみずえきから、高架こうかじょうひがし方向ほうこうかう。中央本線ちゅうおうほんせん中央ちゅうおうせん快速かいそく)の上下じょうげせんはさまれるかたちどうえきると中央ちゅうおう本線ほんせんかれて神田かんだがわわたり、東北本線とうほくほんせん山手やまてせん京浜東北線けいひんとうほくせん上野うえの東京とうきょうライン)との交差こうさ地点ちてんにある秋葉原あきはばらえきへ。つづいて首都高しゅとこうそく1ごう上野うえのせんまたぎ、市街地しがいちすすむと国道こくどう6ごうとの交点こうてん浅草橋あさくさばしえきがある。そして隅田川すみだがわわた首都高しゅとこうそく6ごう向島むこうじませんをくぐると、両国りょうこく国技こくぎかんおよび東京とうきょう江戸えど東京とうきょう博物館はくぶつかん最寄駅もよりえき両国りょうごくえきいたる。どうえきには緩行かんこうせんホームのほかに、快速かいそくせんつながっている列車れっしゃホームがあるが、現在げんざい定期ていき列車れっしゃでは使用しようされていない。

両国りょうごくえきからは快速かいそくせん緩行かんこうせんによる複々線ふくふくせん区間くかんはじまり、千葉ちばえきまで沿線えんせん住宅じゅうたく密集みっしゅう延々えんえんつづく。またうみがわ南側みなみがわ)には国道こくどう14ごう京葉けいよう道路どうろ一般いっぱんどう区間くかん)が並行へいこうする。緩行かんこうせん快速かいそくせんあいだ最初さいしょ接続せつぞくえきとなっている錦糸町きんしちょうえき快速かいそくせん横須賀よこすかせん列車れっしゃ留置とめおきせん併設へいせつしており、また東京とうきょうスカイツリーみなみ位置いちしている。錦糸町きんしちょうえきると、うみがわ南側みなみがわ)から単線たんせん総武本線支線そうぶほんせんしせん越中島えっちゅうじま貨物かもつせん)がちかづき、緩行かんこうせん亀戸かめいどえきどうえきから発着はっちゃくする東武とうぶ亀戸線かめいどせん内陸ないりくがわ北側きたがわ)へはなれていき、同時どうじ越中島えっちゅうじま貨物かもつせん本線ほんせんまたいで北側きたがわ並行へいこうして5せんとなると、国道こくどう14ごうからはなれ、カーブして北東ほくとう方向ほうこう進路しんろえる。きゅう中川なかがわわたると平井ひらいえきいで首都高しゅとこうそく中央ちゅうおう環状かんじょうせんをくぐり、荒川あらかわ中川なかがわわたると快速かいそく停車駅ていしゃえき新小岩しんこいわえきいたる。

新小岩しんこいわえきぎると、左側ひだりがわ貨物かもつせんじょう新小岩しんこいわ信号しんごうじょうえき線路せんろぐんひろがる。たまきななとおをくぐるとどう信号しんごうじょうより総武本線支線そうぶほんせんしせんしん金貨きんかぶつせん)が内陸ないりくがわかれていき、また快速かいそくせんへも貨物かもつせん合流ごうりゅうする。新中川しんなかがわわたり、小岩こいわえきぎるとみぎへカーブして今度こんど東南東とうなんとうにまっすぐすすむ。内陸ないりくがわふたた国道こくどう14ごう千葉ちば街道かいどう)、さらにそれをはさんで京成けいせい本線ほんせん並行へいこうし、江戸川えどがわわたると東京とうきょうから千葉ちばけんへとうつり、どうけん最初さいしょえき快速かいそく停車駅ていしゃえきでもある市川いちかわえきいたる。

市川いちかわえきぎると、線路せんろはしばらく直線ちょくせんつづき、快速かいそくせん走行そうこうする列車れっしゃは120 km/h特急とっきゅうは130 km/h)のさい高速度こうそくど運転うんてんする。国道こくどう298ごうまたぐと、緩行かんこうせんは、都営地下鉄とえいちかてつ新宿しんじゅくせん接続せつぞくするほん八幡やはたえきいで下総しもうさ中山ちゅうざんえきつづき、うみがわから東京とうきょうメトロ東西線とうざいせんちかづくと、御茶ノ水おちゃのみずえきからつづいてきた高架こうか区間くかん一旦いったん終了しゅうりょうし、武蔵野線むさしのせん京葉線けいようせんとの交点こうてん位置いちする西船橋にしふなはしえきいたる。メトロ東西とうざいせん直通ちょくつう運転うんてんおこなひがし高速こうそくせん接続せつぞくする主要しゅようえきだが、総武そうぶ快速かいそくせん停車ていしゃしない。西船橋にしふなはしえきぎると東西とうざいせんからの短絡たんらくせん緩行かんこうせん合流ごうりゅうし、進路しんろひがしえる。国道こくどう14ごう京成けいせい本線ほんせんうみがわうつり、つづいて内陸ないりくがわから東武とうぶ野田線のだせんあらわれると快速かいそく停車駅ていしゃえき船橋ふなばしえき南口みなみぐちがわにはペデストリアンデッキロータリーはさんで京成けいせい本線ほんせん京成けいせい船橋ふなばしえきがある。同線どうせん一旦いったん総武本線そうぶほんせん接近せっきんしてからみぎにカーブしてうみがわはなれ、東船橋ひがしふなばしえきぎると今度こんど南東なんとうかう。国道こくどう296ごう成田なりた街道かいどう)をまたぎ、うみがわから緩行かんこうせん車両しゃりょう基地きちきゅう習志野ならしの電車でんしゃからの引込線ひきこみせん合流ごうりゅうすると快速かいそく停車駅ていしゃえき津田沼つだぬまえきいたる。どうえき緩行かんこうせん快速かいそくせんとも車両しゃりょう基地きち近接きんせつする運行うんこう拠点きょてんひとつとなっており、周辺しゅうへんには千葉工業大学ちばこうぎょうだいがくや、新京成線しんけいせいせんしん津田沼つだぬまえき立地りっちする。

津田沼つだぬまえきると、ぎゃくSがたにカーブをえが新京成線しんけいせいせんをくぐる。まもなく京成けいせい本線ほんせん総武本線そうぶほんせんをくぐって成田なりた方面ほうめんかってはなれていく。わってうみがわには京成けいせい千葉ちばせん千葉ちばえきまで並行へいこうし、幕張まくはりえきまでは総武本線そうぶほんせんのすぐとなりとおる。この区間くかんには市街しがい調整ちょうせい区域くいきがあるため、海沿うみぞいに沿線えんせんでは数少かずすくない原野げんやることが出来できる。しばらくすすむと千葉ちばはいり、快速かいそくせん上下じょうげせんあいだ車両しゃりょう基地きち幕張まくはり車両しゃりょうセンターひろがる。一方いっぽう、そのよこ緩行かんこうせんには幕張本郷まくはりほんごうえきがあり、京成けいせい千葉ちばせん京成幕張本郷けいせいまくはりほんごうえきどういち構内こうないにある。JRのえき京成けいせいえきどういち構内こうないにあるれい数少かずすくない。幕張本郷まくはりほんごうえきさき京葉けいよう道路どうろ有料ゆうりょう区間くかん)をくぐり、さらに東京とうきょう - 千葉ちばあいだおよび中央ちゅうおう総武そうぶ緩行かんこうせん唯一ゆいいつ踏切ふみきりである花立はなたて踏切ふみきり通過つうかすると幕張まくはり車両しゃりょうセンター構内こうないわり、緩行かんこうせんから京成けいせい千葉ちばせんはなれる。京成けいせい幕張まくはりえき見送みおくると幕張まくはりえき幕張まくはり中央ちゅうおう発展はってんしている幕張まくはり新都しんとこころからはすこはなれている。ひがし方向ほうこう進路しんろしん検見川けみがわえきぎ、ふたたびカーブして南南東なんなんとう方向ほうこう進路しんろえるとひがし関東かんとう自動車じどうしゃどうをくぐり、高架線こうかせんになって快速かいそく停車駅ていしゃえき稲毛いなげえき。さらに直進ちょくしんし、千葉大学ちばだいがく西側にしがわでは快速かいそくせんじょう黒砂くろすな信号しんごうじょうが、緩行かんこうせんじょう西にし千葉ちばえき位置いちする。西にし千葉ちばえきぎると快速かいそくせん線路せんろ総武本線そうぶほんせん東千葉ひがしちばえき(・成田なりたせん方面ほうめん外房線そとぼうせん(・内房線うちぼうせん方面ほうめんの2ほん分岐ぶんき。そして千葉ちば県内けんない各線かくせんのジャンクションである千葉ちばえきいたる。緩行かんこうせんはこの千葉ちばえき終点しゅうてんとなっている。

千葉ちばえき - 銚子ちょうしえきあいだ

編集へんしゅう
 
成田なりたせん総武そうぶせん分岐ぶんきてん佐倉さくら市内しない

千葉ちばえき総武本線そうぶほんせん外房線そとぼうせんとの分岐ぶんき地点ちてんじょう位置いちするYがた構造こうぞうとなっている[ちゅう 14]総武本線そうぶほんせんどうえき構内こうないからほぼ90ひだりにカーブし、佐倉さくらえきまでは複線ふくせんとなって北東ほくとうすすむ。千葉ちばえきてカーブをえると右側みぎがわ並行へいこうしていた千葉ちば都市としモノレール2号線ごうせんをくぐり、国道こくどう126ごう交差こうさする手前てまえ東千葉ひがしちばえきがある。ここから都賀つがえき400mさきまではほぼ直線ちょくせん区間くかんである。マンションぐんなか直進ちょくしんすすんで国道こくどう16ごう京葉けいよう道路どうろまたぎ、北西ほくせいがわからモノレール2号線ごうせんふたたうと都賀つがえきいたる。どうえきぎるとモノレール2号線ごうせん南東なんとうがわひろがる住宅じゅうたくがい方向ほうこうかれ、そのまま直進ちょくしんひだりへカーブしてすすみ、陸上りくじょう自衛隊じえいたい下志津しもしづ駐屯ちゅうとん西側にしがわぎて[ちゅう 15]千葉ちばから四街道よつかいどううつり、ゆるやかにみぎにカーブしたところに四街道よつかいどうえきがある。どうえき周辺しゅうへんには愛国学園あいこくがくえん大学だいがくをはじめとする学校がっこうならんでいる。ここまで沿線えんせん住宅じゅうたくつづいたが、四街道よつかいどうえきぎると沿線えんせん一変いっぺんして田畑たはたひろがるようになる。ひがし関東かんとう自動車じどうしゃどうをくぐると物井ものいえきる。えき周辺しゅうへん田畑たはただがえき西側にしがわには住宅じゅうたくがいがある。田園でんえん地帯ちたいすすんでいくとトンネルを[ちゅう 16]、カーブしてひがし方向ほうこうきをえると、成田なりたせんとの分岐ぶんきえきである佐倉さくらえきいたる。

総武本線そうぶほんせんはこのさき終点しゅうてん銚子ちょうしえきまで単線たんせんとなる。佐倉さくらえきると複線ふくせん成田なりたせんから分岐ぶんきするかたち単線たんせんとなりだい高岡たかおか踏切ふみきりまで2 kmほど並行へいこうする。国道こくどう51ごう交差こうさだい高岡たかおか踏切ふみきり通過つうかした瞬間しゅんかん成田なりたせん北側きたがわはなれていき、総武本線そうぶほんせん単線たんせん南東なんとう雑木林ぞうきばやしなかすすむ。ここから成東なるとうえきまでは県道けんどう76ごう並行へいこうする。単線たんせん区間くかん最初さいしょえきである南酒々井みなみしすいえき丘陵きゅうりょう地帯ちたい谷間たにま位置いちし、市街地しがいちからははなれたところにある。どうえきるとひがし関東かんとう自動車じどうしゃどうをくぐり、平野ひらのにある榎戸えのきどえき八街やまちえきへ。八街やちまた下総台地しもうさだいちうえにあり地盤じばんかた標高ひょうこうたかいため地震じしん水害すいがいつよいといえる。山武さんぶはいるとふたた丘陵きゅうりょうあいだすすんで日向ひなたえきぎ、けんひさしどうをくぐり進路しんろひがし方向ほうこうえて平野ひらのて、県道けんどう76ごう交差こうさする和田わだ踏切ふみきり通過つうかすると、山武さんぶ中心ちゅうしん都市としである東金線とうがねせん分岐ぶんきする成東なるとうえきいた[ちゅう 17]

成東なるとうえきからは国道こくどう126ごう並行へいこうし、南東なんとう太平洋たいへいようめんした九十九里浜くじゅうくりはまから5 kmほどはなれた下総台地しもうさだいちのふもとの平野へいやすすんで銚子ちょうし目指めざす。成東なるとうえき東金線とうがねせんみなみ方向ほうこうかれていくと、ひだりにカーブして北東ほくとう方向ほうこうへ。沿線えんせん田園でんえん地帯ちたいつづき、あさひえき手前てまえでは線路せんろ方向ほうこうひがしきにわる。あさひえきると国道こくどう126ごう南側みなみがわかれ、銚子ちょうしえき手前てまえにある松岸まつきしえきまでは丘陵きゅうりょう地帯ちたい合間あいまをカーブしながらすすむ。この区間くかん飯岡いいおかえき - 倉橋くらはしえきあいだにはトンネルが1かしょ存在そんざいする。松岸まつきしえき成田なりたせん合流ごうりゅうすると国道こくどう356ごう利根川とねがわ沿い、水産すいさんぎょうなら銚子ちょうししゅたる産業さんぎょうである醤油じょうゆ工場こうじょう車窓しゃそうからえ、市街地しがいちはいると総武本線そうぶほんせん終点しゅうてん銚子ちょうしえきいたる。どうえきでは銚子ちょうし電鉄でんてつせん接続せつぞくしている。

路線ろせんデータ

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  • 管轄かんかつ路線ろせん距離きょり営業えいぎょうキロ):全長ぜんちょう145.4 km支線しせんふくむ)
  • 軌間きかん:1067 mm
  • えきすう:49(おこり終点しゅうてんえき金町かなまちえきふくむ)
    • 旅客りょかくえき:46(金町かなまちえき越中島えっちゅうじま貨物かもつえきのぞく)
      • 総武本線そうぶほんせん所属しょぞく旅客りょかくえき限定げんていすると、東海道とうかいどう本線ほんせん所属しょぞく東京とうきょうえき東北本線とうほくほんせん所属しょぞく秋葉原あきはばらえき中央ちゅうおう本線ほんせん所属しょぞく御茶ノ水おちゃのみずえき常磐線じょうばんせん所属しょぞく金町かなまちえき[44]除外じょがいされた43えきとなる。なお、名目めいもくじょう旅客りょかく併設へいせつえきだが実態じったい貨物かもつ専用せんようとなっている越中島えっちゅうじま貨物かもつえき旅客りょかくえきとして計上けいじょうすると44えきとなる。
    • 貨物かもつえき:2(越中島えっちゅうじま貨物かもつえきふくむ、旅客りょかく併設へいせつえきのぞく)
  • 複線ふくせん区間くかん
    • 複々線ふくふくせん
      • 錦糸町きんしちょうえき - 千葉ちばえきあいだ 34.4 km(新小岩しんこいわ信号しんごうじょうえき - 亀戸かめいどえきあいだ越中島えっちゅうじま支線しせん並行へいこうし、実質じっしつてき複々線ふくふくせん単線たんせんの5せん区間くかん
    • 複線ふくせん
      • 東京とうきょうえき - 錦糸きんしまちえきあいだ 4.8 km
      • 錦糸町きんしちょうえき - 御茶ノ水おちゃのみずえきあいだ 4.3 km
      • 千葉ちばえき - 佐倉さくらえきあいだ 16.1 km
    • 単線たんせん
      • 佐倉さくらえき - 銚子ちょうしえきあいだ 65.2 km
      • 新小岩しんこいわ信号しんごうじょうえき - 金町かなまちえきあいだ 6.6 km
      • 新小岩しんこいわ信号しんごうじょうえき - 越中島えっちゅうじま貨物かもつえきあいだ 9.4 km
  • 電化でんか区間くかん
    • 新小岩しんこいわ信号しんごうじょうえき - 越中島えっちゅうじま貨物かもつえきあいだのぞ直流ちょくりゅう電化でんか (1500 V)
  • 保安ほあん装置そうち
    • 東京とうきょうえき - 銚子ちょうしえきあいだ ATS-P
    • 御茶ノ水おちゃのみずえき - 千葉ちばえきあいだ緩行かんこうせん) ATS-P
    • 新小岩しんこいわ信号しんごうじょうえき - 金町かなまちえきあいだしん金線きんせんATS-SN
    • 新小岩しんこいわ信号しんごうじょうえき - 越中島えっちゅうじま貨物かもつえきあいだ越中島えっちゅうじま支線しせん) ATS-SN
  • 最高さいこう速度そくど
    • 東京とうきょうえき - 錦糸きんしまちえきあいだ 100 km/h(ATC時代じだいは90 km/h)
    • 錦糸町きんしちょうえき - 千葉ちばえきあいだ 優等ゆうとう列車れっしゃ130 km/h、普通ふつう列車れっしゃ120 km/h
    • 千葉ちばえき - 佐倉さくらえきあいだ 120 km/h
    • 佐倉さくらえき - 銚子ちょうしえきあいだ 95 km/h
    • 御茶ノ水おちゃのみずえき - 千葉ちばえきあいだ緩行かんこうせん) 95 km/h
    • 新小岩しんこいわ信号しんごうじょうえき - 金町かなまちえきあいだしん金線きんせん) 95 km/h
    • 新小岩しんこいわ信号しんごうじょうえき - 越中島えっちゅうじま貨物かもつえきあいだ越中島えっちゅうじま支線しせん) 95 km/h
  • 運転うんてん指令しれいしょ
    • 東京とうきょうえき - 千葉ちばえきあいだ 東京とうきょう総合そうごう指令しれいしつ
    • 千葉ちばえき - 銚子ちょうしえきあいだ 千葉ちば総合そうごう指令しれいしつ千葉ちばえき - 佐倉さくらえきあいだ成田なりた指令しれいCTC佐倉さくらえき - 銚子ちょうしえきあいだ総武そうぶ指令しれい・CTC)
    • 御茶ノ水おちゃのみずえき - 千葉ちばえきあいだ緩行かんこうせん東京とうきょう総合そうごう指令しれいしつ
    • 新小岩しんこいわ信号しんごうじょうえき - 金町かなまちえきあいだしん金線きんせん東京とうきょう総合そうごう指令しれいしつ
    • 新小岩しんこいわ信号しんごうじょうえき - 越中島えっちゅうじま貨物かもつえきあいだ越中島えっちゅうじま支線しせん東京とうきょう総合そうごう指令しれいしつ
  • 列車れっしゃ運行うんこう管理かんりシステム
  • 運転うんてん取扱とりあつかいえきえき信号しんごう制御せいぎょ運行うんこう管理かんり
    • 佐倉さくらえき銚子ちょうしえき
    • 新小岩しんこいわ信号しんごうじょうえき金町かなまちえき越中島えっちゅうじま貨物かもつえきしん金線きんせん越中島えっちゅうじま支線しせん
  • じゅん運転うんてん取扱とりあつかいえき異常いじょうにゅうかわときえき信号しんごう制御せいぎょ
    • 東京とうきょうえき錦糸きんしまちえき両国りょうごくえき快速かいそくせんふくむ)・西船橋にしふなはしえき津田沼つだぬまえき幕張まくはりえき成東なるとうえき

東京とうきょうえき - 馬喰町ばくろちょうえきあいだ秋葉原あきはばらえき - 御茶ノ水おちゃのみずえきあいだしん金線きんせん金町かなまちえき構内こうないはJR東日本ひがしにっぽん首都しゅとけん本部ほんぶ、それ以外いがい同社どうしゃ千葉ちば支社ししゃ管轄かんかつとなっており、馬喰町ばくろちょうえき - 錦糸きんしまちえきあいだ浅草橋あさくさばしえき - 秋葉原あきはばらえきあいだ新小岩しんこいわ信号しんごうじょうえき - 金町かなまちえきあいだ支社ししゃさかいがある。なお、越中島えっちゅうじま支線しせん越中島えっちゅうじま貨物かもつえき千葉ちば支社ししゃ所属しょぞくえきとなっているが、構内こうないには首都しゅとけん本部ほんぶ管轄かんかつする東京とうきょうレールセンターがかれている。

えき一覧いちらん

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東京とうきょうえき御茶ノ水おちゃのみずえき - 千葉ちばえきあいだ

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本節ほんぶしでは駅名えきめい主要しゅようえきのキロほどのみを列挙れっきょする。

() ない起点きてんからの営業えいぎょうキロ

本線ほんせん
東京とうきょうえき (0.0) - しん日本橋にほんばしえき - 馬喰町ばくろちょうえき - 錦糸町きんしちょうえき (4.8) - 亀戸かめいどえき - 平井ひらいえき - 新小岩しんこいわえき - 小岩こいわえき (12.8) - 市川いちかわえき - ほん八幡やはたえき - 下総しもうさ中山ちゅうざんえき - 西船橋にしふなはしえき (20.6) - 船橋ふなばしえき - 東船橋ひがしふなばしえき - 津田沼つだぬまえき (26.7) - 幕張本郷まくはりほんごうえき - 幕張まくはりえき - しん検見川けみがわえき - 稲毛いなげえき - (黒砂くろすな信号しんごうじょう) - 西にし千葉ちばえき - 千葉ちばえき (39.2)
支線しせん錦糸町きんしちょうえき - 御茶ノ水おちゃのみずえき
錦糸町きんしちょうえき (0.0) - 両国りょうごくえき - 浅草橋あさくさばしえき - 秋葉原あきはばらえき (3.4) - 御茶ノ水おちゃのみずえき (4.3)

千葉ちばえき - 銚子ちょうしえきあいだ

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  • えきナンバリングえき番号ばんごう)は横須賀よこすか総武そうぶ快速かいそくせんからのれんばんられている。
  • 停車駅ていしゃえき
    • 普通ふつうぜんえき停車ていしゃ
    • 快速かいそく…●・▲しるしえき停車ていしゃ、|・↑しるしえき通過つうか(▲・↑はのぼ千葉ちば方面ほうめんのみ運転うんてん
    • 特急とっきゅう…「しおさい (列車れっしゃ)参照さんしょう
    東千葉ひがしちばえきは、横須賀よこすか総武そうぶ快速かいそくせん-成田なりたせん成田空港なりたくうこう方面ほうめんあいだ直通ちょくつう列車れっしゃぜん列車れっしゃ通過つうかする。
  • 線路せんろ … ∥:複線ふくせん区間くかん、◇・◆・|:単線たんせん区間くかん(◇は列車れっしゃ交換こうかん可能かのう、◆は列車れっしゃ交換こうかん可能かのう安全あんぜん側線そくせんゆう同時どうじ進入しんにゅう」)、∨:これよりした単線たんせん、∧:終点しゅうてん交換こうかん可能かのう
  • この区間くかんぜんえき千葉ちばけんうち所在しょざい
えき番号ばんごう 駅名えきめい えきあいだ
営業えいぎょうキロ
東京とうきょう
からの
営業えいぎょうキロ
快速かいそく 接続せつぞく路線ろせん 線路せんろ 所在地しょざいち
JO 28 千葉ちばえき - 39.2 東日本旅客鉄道ひがしにほんりょかくてつどう  総武そうぶせん快速かいそく横須賀よこすかせん久里浜くりはまえきまで直通ちょくつう運転うんてん)・  総武そうぶせん各駅かくえき停車ていしゃ(JB 39)・外房線そとぼうせん内房線うちぼうせん[* 1]
千葉ちば都市としモノレール  1号線ごうせん  2号線ごうせん (CM03)
京成電鉄けいせいでんてつ  千葉ちばせん京成けいせい千葉ちばえき (KS59)
千葉ちば 中央ちゅうおう
JO 29 東千葉ひがしちばえき 0.9 40.1  
JO 30 都賀つがえき 3.3 43.4 千葉ちば都市としモノレール:  2号線ごうせん (CM11) 若葉わかば
JO 31 四街道よつかいどうえき 3.5 46.9   四街道よつかいどう
JO 32 物井ものいえき 4.2 51.1  
JO 33 佐倉さくらえき 4.2 55.3 東日本旅客鉄道ひがしにほんりょかくてつどう   成田なりたせん[* 2] 佐倉さくら
南酒々井みなみしすいえき 4.0 59.3   印旛いんばぐん
酒々井しすいまち
榎戸えのきどえき 2.9 62.2   八街やまち
八街やまちえき 3.7 65.9  
日向ひなたえき 5.8 71.7   山武さんぶ
成東なるとうえき 5.2 76.9 東日本旅客鉄道ひがしにほんりょかくてつどう東金線とうがねせん
松尾まつおえき 5.6 82.5    
横芝よこしばえき 4.3 86.8     山武さんぶぐん
横芝よこしばひかりまち
飯倉いいくらえき 3.8 90.6     匝瑳そうさ
八日市場ようかいちばえき 3.1 93.7    
干潟ひかたえき 5.1 98.8     あさひ
あさひえき 4.8 103.6    
飯岡いいおかえき 2.7 106.3    
倉橋くらはしえき 2.9 109.2    
猿田さるたえき 2.6 111.8     銚子ちょうし
松岸まつきしえき 5.5 117.3   東日本旅客鉄道ひがしにほんりょかくてつどう成田なりたせん[* 2]
銚子ちょうしえき 3.2 120.5   銚子ちょうし電気でんき鉄道てつどう  銚子電気鉄道線ちょうしでんきてつどうせん (CD01)

2022年度ねんど時点じてんで、JR東日本ひがしにっぽん自社じしゃによる乗車じょうしゃ人員じんいん集計しゅうけい[45]除外じょがい対象たいしょうとなるえき完全かんぜん無人むじんえき)は、南酒々井みなみしすいえき飯倉いいくらえき倉橋くらはしえき猿田さるたえきである。

  1. ^ 内房線うちぼうせん正式せいしき起点きてん外房線そとぼうせん蘇我そがえきだが、列車れっしゃ京葉線けいようせん直通ちょくつう列車れっしゃのぞいて千葉ちばえきれる
  2. ^ a b 成田なりたせん列車れっしゃ佐倉さくらえきから千葉ちばえき方面ほうめんへ、松岸まつきしえきから銚子ちょうしえきれる

貨物かもつ支線しせん

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(貨)は貨物かもつ専用せんようえきあらわす。小岩こいわえき - 新小岩しんこいわ信号しんごうじょうえきあいだ本線ほんせん重複じゅうふく。() ない数字すうじ起点きてんからの営業えいぎょうキロ。詳細しょうさいかく支線しせん記事きじ参照さんしょう

越中島えっちゅうじま支線しせん
小岩こいわえき (0.0) - 新小岩しんこいわ信号しんごうじょうえき (2.3) - (貨)小名しょうみょう木川きのかわえき(8.6 廃止はいし) - (貨)越中島えっちゅうじま貨物かもつえき (11.7)
しん金貨きんかぶつせん
小岩こいわえき (0.0) - 新小岩しんこいわ信号しんごうじょうえき (2.3) - 金町かなまちえき (8.9)

過去かこ接続せつぞく路線ろせん

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  • 八街やまちえき成田なりた鉄道てつどう八街やまちせん - 1940ねん5がつ14にち廃止はいし
  • 八日市場ようかいちばえき成田なりた鉄道てつどう多古たこせん - 1946ねん10がつ9にち廃止はいし

廃止はいし区間くかん

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貨物かもつ支線しせん
銚子ちょうしえき (0.0) - (貨)新生しんせいえき (0.8)

平均へいきん通過つうか人員じんいん

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かく年度ねんど平均へいきん通過つうか人員じんいんひと/にち)は以下いかのとおりである。

年度ねんど 平均へいきん通過つうか人員じんいんひと/にち 出典しゅってん
全線ぜんせん 東京とうきょう - 千葉ちば
錦糸きんしまち - 御茶ノ水おちゃのみず
千葉ちば - 佐倉さくら 佐倉さくら - 成東なるとう 成東なるとう - 銚子ちょうし
2011年度ねんど平成へいせい23年度ねんど 198,880 414,089 100,700 19,912 7,101 [46]
2012年度ねんど平成へいせい24年度ねんど 200,413 416,970 103,178 20,305 7,166
2013年度ねんど平成へいせい25年度ねんど 203,631 423,673 105,004 20,517 7,264
2014年度ねんど平成へいせい26年度ねんど 200,308 417,124 102,002 20,056 7,151
2015年度ねんど平成へいせい27年度ねんど 203,349 423,522 103,387 20,202 7,300
2016年度ねんど平成へいせい28年度ねんど 204,296 425,851 103,476 19,920 7,139 [47]
2017年度ねんど平成へいせい29年度ねんど 205,892 429,567 103,805 19,550 7,062
2018年度ねんど平成へいせい30年度ねんど 207,099 431,983 105,090 19,568 7,054
2019年度ねんどれいもと年度ねんど 204,556 427,304 102,255 18,929 6,815
2020年度ねんどれい02年度ねんど 141,387 296,659 65,659 12,986 4,683
2021年度ねんどれい03年度ねんど 147,321 307,856 70,721 14,439 5,422 [48]
2022年度ねんどれい04年度ねんど 164,830 343,629 82,919 15,954 5,965

脚注きゃくちゅう

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注釈ちゅうしゃく

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  1. ^ 日向ひなた成東なるとう松尾まつお横芝よこしばの4えき上総かずさこくになる。
  2. ^ 総武そうぶ鉄道てつどう日本にっぽん鉄道てつどう車両しゃりょう修繕しゅうぜん委託いたくする方針ほうしんから秋葉原あきはばらから上野うえのまで路線ろせん延伸えんしんする計画けいかくとしていた。横網よこあみまち両国りょうこく付近ふきん) - 秋葉原あきはばらあいだ建設けんせつ新橋しんばし - 上野うえのあいだ竣工しゅんこうときまで、という猶予ゆうよいていた。本所ほんじょ - 両国橋りょうごくばしあいだ山手やまてせん同様どうよう煉瓦れんがつくりによる高架こうかせん計画けいかくしていたが、資金しきん不足ふそくによりプレートガーダーによって建設けんせつとなった。
  3. ^ 震災しんさいによって焦土しょうどとなった延伸えんしん予定よてい周辺しゅうへんでは、復興ふっこう事業じぎょうとして区画くかく整理せいりおこなわれたため線路せんろ敷地しきち捻出ねんしゅつ容易よういとなった。直接ちょくせつ買収ばいしゅうおこなったのはえき拡張かくちょう必要ひつよう両国りょうごくえき御茶ノ水おちゃのみずえき周辺しゅうへん奇跡きせきてき焼失しょうしつまぬかれた神田佐久間かんださくままちなどにとどまった。
  4. ^ すうほん成田なりたえきからさらに佐原さわらえき香取かとりえき経由けいゆ鹿島かしません鹿島かしま神宮じんぐうえき発着はっちゃく
  5. ^ 総武本線そうぶほんせん経由けいゆくらべて営業えいぎょうキロすうで13.4 kmながい。
  6. ^ これは東千葉ひがしちばえきのホーム有効ゆうこうちょうが8両分りょうぶんまでしかないことに起因きいんする。
  7. ^ 「そとぼう」が新宿しんじゅくえき19:45ちゃく、「犬吠いぬぼう」と「水郷すいごう」が新宿しんじゅくえき20:00ちゃく。「犬吠いぬぼう」と「水郷すいごう」は佐倉さくらえきから併結される。
  8. ^ 時刻じこくはいずれも同年どうねん10がつ1にちのダイヤ改正かいせい時刻じこく。そののダイヤ改正かいせいごと多少たしょう時刻じこく変更へんこうがあり、2251Dは御茶ノ水おちゃのみずえき20:07はつ千葉ちばえき21:01ちゃく、2259Dは御茶ノ水おちゃのみずえき20:36はつ千葉ちばえき21:14ちゃくとなった時期じきもあった[13][36]
  9. ^ ただし、きたそう3せん総武そうぶ成田なりた鹿島かしません)が全線ぜんせん電化でんかされるまで、気動車きどうしゃ電車でんしゃ同時どうじ運行うんこうされた時期じきがあった[36][38]
  10. ^ 気動車きどうしゃ電車でんしゃ同時どうじ運行うんこうされた時期じき気動車きどうしゃは2・3りょう編成へんせいきたそう3せんけに、電車でんしゃは2りょう編成へんせい房総半島ぼうそうはんとう方面ほうめんけに運行うんこうされた[36]
  11. ^ 千葉ちばえきまでは、君津きみつえき発着はっちゃくおよ上総かずさ一ノ宮いちのみやえき発着はっちゃく佐倉さくらえきあいだまでは、成田空港なりたくうこうえきおよ鹿島かしま神宮じんぐうえき発着はっちゃく列車れっしゃおな車両しゃりょう運用うんよう
  12. ^ 鹿島かしま神宮じんぐうえき発着はっちゃく列車れっしゃ佐倉さくらえき成田空港なりたくうこうえき発着はっちゃく列車れっしゃ連結れんけつまたはかいゆいおこなう。
  13. ^ 東京とうきょうえき - 佐倉さくらえきあいだ成田空港なりたくうこうえき発着はっちゃく列車れっしゃ連結れんけつし15りょう編成へんせいで、種別しゅべつ快速かいそくとなる。
  14. ^ 1963ねん東千葉ひがしちばえき位置いち存在そんざいしていた千葉ちばえきを、現在げんざい位置いち移転いてんしたため。
  15. ^ 明治めいじから昭和しょうわ初期しょきには、下志津しもしづ駐屯ちゅうとん付近ふきんから四街道よつかいどう佐倉さくら一帯いったいに、きゅう佐倉さくらはん砲術ほうじゅつ練習れんしゅうしょ前身ぜんしんとする陸軍りくぐん野戦やせん砲兵ほうへい学校がっこうや、下志津しもしづ駐屯ちゅうとん前身ぜんしん下志津しもしづ陸軍りくぐん飛行ひこう学校がっこうといった陸軍りくぐん施設しせつがあった。前身ぜんしん総武そうぶ鉄道てつどうは、軍事ぐんじ利用りようされることを意図いとして、こうしたりく軍営ぐんえいしょ経由けいゆして建設けんせつされた。
  16. ^ 1968ねん複線ふくせんさいに、県道けんどう136ごう沿いに存在そんざいしていた線形せんけい改良かいりょうしたため、トンネルがあるしんせん経由けいゆとなった(営業えいぎょうキロは変更へんこうなし)。
  17. ^ 快速かいそくせんからの直通ちょくつう列車れっしゃ平日へいじつ運転うんてん東京とうきょうえき始発しはつ特急とっきゅうしおさい13ごうはこの成東なるとうえき終点しゅうてん

出典しゅってん

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報道ほうどう発表はっぴょう資料しりょう

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新聞しんぶん記事きじ

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参考さんこう文献ぶんけん

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  • 佐藤さとう信之のぶゆき国鉄こくてつ時代じだい総武そうぶ快速かいそくせんと113けい電車でんしゃ総武そうぶ快速かいそくせん開業かいぎょうから横須賀よこすかせんとの直通ちょくつう運転うんてんまで-」『鉄道てつどうピクトリアル 【特集とくしゅう】 横須賀よこすか総武そうぶ快速かいそくせんだい68かん3ごう通巻つうかんだい943ごう)、電気でんきしゃ研究けんきゅうかい、2018ねん3がつ、50 - 61ぺーじ 
  • 今泉いまいずみ博之ひろゆき藤田ふじた吾郎ごろう吉岡よしおか真一しんいち特集とくしゅう形式けいしき記号きごう「ユ」 郵便ゆうびん電車でんしゃ形式けいしき解説かいせつ 郵便ゆうびん気動車きどうしゃ形式けいしき解説かいせつ」『鉄道てつどうファン』だい60かん3ごう通巻つうかん707ごう)、交友こうゆうしゃ、2020ねん3がつ、40 - 54ぺーじ 

関連かんれん文献ぶんけん

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  • 小野田おのだしげる総武そうぶ鉄道てつどう高架こうか延長線えんちょうせん計画けいかく沿革えんかくかんする研究けんきゅう」『土木どぼく計画けいかくがく研究けんきゅう論文ろんぶんしゅうだい18かん土木どぼく学会がっかい、2001ねん、17-24ぺーじdoi:10.2208/journalip.18.17 

関連かんれん項目こうもく

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外部がいぶリンク

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