CB900F
CB-F (シービーエフ)とは、1978年 ねん に本田技研工業 ほんだぎけんこうぎょう が販売 はんばい した、900cc4ストローク エンジン を搭載 とうさい した大型 おおがた 自動 じどう 二 に 輪 りん 車 しゃ であるCB900Fを筆頭 ひっとう に、レギュレーションや各国 かっこく の法 ほう 規制 きせい に合 あ わせた展開 てんかい が行 おこな われた一連 いちれん の車種 しゃしゅ 。ホンダにはCBとつく車両 しゃりょう は多 おお く、同様 どうよう に末尾 まつび にFが与 あた えられる車両 しゃりょう も複数 ふくすう 存在 そんざい するが、ここでは主 おも にCB900F 、CB750F 、CB1100R 、CB1100F に関 かん して記述 きじゅつ を行 おこな う。
それぞれFZ、FA、FB、FC、FDの順番 じゅんばん にモデルチェンジが行 おこな われ、カウルが装着 そうちゃく された車両 しゃりょう はF2となる。日本 にっぽん 国内 こくない におけるCB750Fでは、鈴鹿 すずか 8時 じ 間 あいだ 耐久 たいきゅう ロードレース記念 きねん 車両 しゃりょう としてFBBやF2BBといった限定 げんてい 仕様 しよう も存在 そんざい し、白 しろ バイ への採用 さいよう もされていた。
概要 がいよう
ホンダが1969年 ねん に発売 はつばい したCB750Four は、時速 じそく 200km/hを超 こ える性能 せいのう と、多 おお くのライダーにとって手 て の届 とど く販売 はんばい 価格 かかく を実現 じつげん し[注釈 ちゅうしゃく 1] 、国産 こくさん 大型 おおがた オートバイが世界 せかい 市場 いちば を席巻 せっけん するにいたった歴史 れきし 的 てき な名車 めいしゃ であったが、DOHC や4バルブ などの技術 ぎじゅつ を搭載 とうさい した後発 こうはつ のオートバイによる追撃 ついげき にあい、徐々 じょじょ に発売 はつばい 当初 とうしょ のイメージには陰 かげ りが見 み え始 はじ めていた[1] 。
また、1960年代 ねんだい のホンダは北米 ほくべい 市場 いちば での要望 ようぼう を中心 ちゅうしん に輸出 ゆしゅつ 車両 しゃりょう の開発 かいはつ を行 おこな っていたが、1970年代 ねんだい に入 はい り欧州 おうしゅう と北米 ほくべい のオートバイに対 たい する嗜好 しこう は乖離 かいり し始 はじ めた。そのため、北米 ほくべい 向 む けに作 つく られた車両 しゃりょう を欧州 おうしゅう 向 む けにローカライズするだけの販売 はんばい 戦略 せんりゃく では欧州 おうしゅう でのシェアを失 うしな う一方 いっぽう であり、欧州 おうしゅう 市場 いちば の要求 ようきゅう にこたえる車種 しゃしゅ を持 も たないでいたホンダは、先進 せんしん 技術 ぎじゅつ を投入 とうにゅう した新 あら たなフラッグシップモデル 、とりわけ欧州 おうしゅう での需要 じゅよう の高 たか いスポーツモデル の投入 とうにゅう が急務 きゅうむ となっていた。
1966年 ねん のロードレース世界 せかい 選手権 せんしゅけん を最後 さいご に、自動車 じどうしゃ 部門 ぶもん での環境 かんきょう 適応 てきおう エンジンの開発 かいはつ などのために一時 いちじ 休止 きゅうし していたレース活動 かつどう であったが、先進 せんしん 技術 ぎじゅつ を投入 とうにゅう した新 あら たなスポーツモデルの開発 かいはつ 、設計 せっけい のためにはロードレース への復帰 ふっき が必要 ひつよう であるとの判断 はんだん がなされた[2] 。1972年 ねん にマスキー法 ほう の基準 きじゅん を満 み たしたCVCCエンジン の開発 かいはつ を達成 たっせい していた事 こと から環境 かんきょう 適応 てきおう エンジンの開発 かいはつ に関 かん しては一区切 ひとくぎ りついたと判断 はんだん し、サーキット で活躍 かつやく するカワサキ・Z1 を追撃 ついげき するため、1975年 ねん にH.E.R.T.(Honda Endurance Racing Team)を結成 けっせい し、1970年代 ねんだい の欧州 おうしゅう で常時 じょうじ 10万 まん 人 にん を超 こ える観客 かんきゃく を動員 どういん するなど高 たか い人気 にんき を誇 ほこ ったFIMヨーロッパ耐久 たいきゅう 選手権 せんしゅけん から再 ふたた びレース活動 かつどう を開始 かいし した[2] 。
ヨーロッパ耐久 たいきゅう 選手権 せんしゅけん へ投入 とうにゅう されたRCB1000は、CB750Fourに搭載 とうさい されたOHC 2バルブ エンジンをベースにDOHC4バルブ化 か させ、これを搭載 とうさい 。1976年 ねん は8戦中 せんちゅう 7勝 しょう 、1977年 ねん にはシリーズ9戦 せん 全勝 ぜんしょう という成績 せいせき を収 おさ め、圧倒的 あっとうてき 強 つよ さから「浮沈 ふちん 艦 かん 」「無敵 むてき 艦隊 かんたい 」などと称 とな えられた。こうしてRCBで培 つちか われた空冷 くうれい DOHC4バルブエンジンの技術 ぎじゅつ を市販 しはん 車 しゃ に転用 てんよう し「RCBのイメージをダイレクトに受 う け継 つ ぐ、サーキット最速 さいそく ・最 さい 軽量 けいりょう のスーパースポーツ」として開発 かいはつ されたのがCB900Fであった[3] 。これら一連 いちれん のCB900Fを擁 よう しての欧州 おうしゅう での市場 いちば を奪還 だっかん するというプロジェクトはノルマンディー上陸 じょうりく 作戦 さくせん に例 たと えられ、社内 しゃない では「マルエヌ」という通称 つうしょう で呼 よ ばれた[4] 。
エンジン
CB750Fourの開発 かいはつ 段階 だんかい ですでに検討 けんとう されていたDOHC機構 きこう はメンテナンス性 せい の向上 こうじょう などを理由 りゆう に採用 さいよう は見送 みおく られたが、当初 とうしょ は早 はや い段階 だんかい での投入 とうにゅう が予定 よてい されていた。しかし、CB750Fourの予想 よそう 以上 いじょう の販売 はんばい 面 めん での好調 こうちょう を受 う け、実際 じっさい にDOHC機構 きこう を搭載 とうさい する車両 しゃりょう の開発 かいはつ は先送 さきおく りになることになった[5] [6] 。
当時 とうじ の国内 こくない 他社 たしゃ が販売 はんばい していたZ1RやGS1000Sと異 こと なり900ccを選択 せんたく した理由 りゆう は、主 しゅ たる市場 いちば である欧州 おうしゅう のドゥカティ・900SS、モトグッチ・ルマン850、ベネリ900セイ等 とう を対抗 たいこう 車種 しゃしゅ に設計 せっけい されたためである[7] 。
車体 しゃたい 構成 こうせい
CB900Fの車体 しゃたい は先立 さきだ って開発 かいはつ の行 おこな われていたCB750Kと共通 きょうつう の車体 しゃたい 設計 せっけい が行 おこな われた。750ccのエンジンを収 おさ めるフレームに900ccのエンジンを搭載 とうさい することになるため、剛性 ごうせい と整備 せいび 性 せい の両立 りょうりつ のために各部 かくぶ に補強 ほきょう を加 くわ え、右側 みぎがわ アンダーチューブを取 と り外 はず し式 しき にするなどの対策 たいさく がとられた。同様 どうよう に750ccエンジンより容量 ようりょう の大 おお きなエアクリーナーボックスが必要 ひつよう となるが、これは物理 ぶつり 的 てき に不可能 ふかのう であるため、できるだけ冷 ひ えた空気 くうき をより多 おお く取 と り入 い れられるようダクト位置 いち などを検討 けんとう し、エンジン特性 とくせい を車体 しゃたい 設計 せっけい から補填 ほてん するようなアプローチも行 おこな われた[8] 。
デザイン
デザインを担当 たんとう した森岡 もりおか 實 みのる は初期 しょき 段階 だんかい の構想 こうそう を欧州 おうしゅう 視察 しさつ のために訪 おとず れたフランスで行 おこな った[4] 。そして、これまでにない新 あら たなマーケットを調査 ちょうさ するためにル・マン やポール・リカール・サーキット を訪 おとず れ、現地 げんち のライダーの傾向 けいこう を調査 ちょうさ し、CB-Fを含 ふく む16車種 しゃしゅ のデザイン草案 そうあん を完成 かんせい させた[9] 。フランスの現地 げんち 法人 ほうじん からは要求 ようきゅう していたボルドールのイメージを体現 たいげん していると高 こう 評価 ひょうか を得 え た草案 そうあん であったが、日本 にっぽん で行 おこな われた会議 かいぎ では「けばけばしく、厚化粧 あつげしょう で恥 は ずかしいデザイン」という批判 ひはん 意見 いけん が持 も ち上 あ がり、その評価 ひょうか は決 けっ して高 たか いものではなかった[10] 。しかし、現地 げんち 法人 ほうじん の意見 いけん を尊重 そんちょう する久米 くめ 是 ただし 志 こころざし の意向 いこう によりプロジェクトはそのまま進 すす められ、クレイモデル完成 かんせい まで9日 にち 、モックアップの完成 かんせい まで実質 じっしつ 10日 にち と異例 いれい の早 はや さで作業 さぎょう は進行 しんこう した[11] 。草案 そうあん ではプラグ上部 じょうぶ に位置 いち するタンク前部 ぜんぶ にはエッジがあったが、仮 かり にガソリンがオーバーフローした場合 ばあい 、そこを伝 つた ってプラグへとガソリンが滴下 てきか する恐 おそ れがあるとして市販 しはん 化 か にあたっては多少 たしょう の手直 てなお しが行 おこな われた。しかし、レバーやステップ、メーターなど細 こま かな部分 ぶぶん まで新造 しんぞう することが許可 きょか され、プロジェクト全体 ぜんたい としては自由 じゆう 度 ど の高 たか いデザインが可能 かのう であった[10] 。結果 けっか としてCB900Fのデザインは市場 いちば に受 う け入 い れられ、好調 こうちょう なセールスを記録 きろく した。こうして採用 さいよう されたタンクからサイドカウルへとつながる、コンセプトにもなった「流 なが れるようなデザイン」はインテグレーデッド・ストリームラインと呼 よ ばれ[12] 、その後 ご のCB1300SFなどの車種 しゃしゅ にも影響 えいきょう を与 あた えるデザインとなった。
各 かく 車種 しゃしゅ
CB900F
CB900F 仕様 しよう 諸 しょ 元 もと 表 ひょう
CB900F スペックシート
モデル
CB900FZ(1979 EU)
CB900FA(1980 EU)
CB900FB(1981 EU)
CB900FC(1982 EU)
CB900FD(1983 EU)
エンジン
901.8cc 4ストローク 空冷 くうれい DOHC4バルブ 並列 へいれつ 4気筒 きとう
内径 ないけい x行程 こうてい / 圧縮 あっしゅく 比 ひ
64.5×69.0 / 8.8:1
最高 さいこう 出力 しゅつりょく
95ps/9000rpm
最大 さいだい トルク
7.9kg・m/8000rpm
乾燥 かんそう 重量 じゅうりょう
232kg
242kg
フレーム
ダブルクレードル
全長 ぜんちょう x全幅 ぜんぷく x全 ぜん 高 こう
2,240mm x 795mm x 1,125mm
ホイールベース
1,515mm
シート高 だか
815mm
燃料 ねんりょう 供給 きょうきゅう 装置 そうち
キャブレター(φ ふぁい 32mm)
始動 しどう 方式 ほうしき
セルフ式 しき
潤滑 じゅんかつ 方式 ほうしき
ウェットサンプ
駆動 くどう 方式 ほうしき
チェーンドライブ
変速 へんそく 機 き
常時 じょうじ 噛合式 しき 5段 だん リターン
フロントフォーク
φ ふぁい 35mm
φ ふぁい 35mmエア加圧 かあつ 式 しき
φ ふぁい 37mmエア加圧 かあつ 式 しき
φ ふぁい 39mmエア加圧 かあつ 式 しき 、TRAC[注釈 ちゅうしゃく 2] 搭載 とうさい
フロントブレーキ
片 かた 押 お し1ピストン+φ ふぁい 276mmダブルディスク
片 かた 押 お し2ピストン+φ ふぁい 276mmダブルディスク
リアブレーキ
片 かた 押 お し1ピストン+φ ふぁい 296mmシングルディスク
片 かた 押 お し2ピストン+φ ふぁい 296mmシングルディスク
フロントタイヤ
3.25H19
100/90-18
リアタイヤ
4.00H18
130/80-18
フロントホイール
2.15×19
2.50×18
リアホイール
2.15×18
3.00×18
燃料 ねんりょう タンク容量 ようりょう
20L
備考 びこう
CB750F
CB750F(1979年 ねん 製 せい )
1978年 ねん に輸出 ゆしゅつ が開始 かいし されたCB900Fに遅 おく れること1年 ねん 、当時 とうじ の日本 にっぽん 国内 こくない での排気 はいき 量 りょう 上限 じょうげん にあわせた750ccエンジンを搭載 とうさい し、日本 にっぽん では1979年 ねん 6月22日 にち にCB750Fが発売 はつばい された。エンジンは基本 きほん 設計 せっけい をCB750Kと共有 きょうゆう するものの、スポーティーなエンジン特性 とくせい 実現 じつげん のためカムシャフトを変更 へんこう し、吸排気 はいき 系 けい や足 あし 回 まわ りはCB900Fと同一 どういつ のものが与 あた えられた。国内 こくない では初 はつ となる鍛造 たんぞう ジュラルミン 製 せい のセパレートハンドルやCB900Fそのままのスタイリングなど、国内 こくない オートバイのフラッグシップ的 てき 存在 そんざい となり、750ccのトップセールスが月 つき 200台 だい 程度 ていど の時代 じだい に1,500から2,000台 だい もの売 う り上 あ げを達成 たっせい する大 だい ヒット車種 しゃしゅ となった[13] [14] 。その高 たか い人気 にんき から、漫画 まんが 『バリバリ伝説 でんせつ 』では主人公 しゅじんこう の愛車 あいしゃ としても登場 とうじょう した。販売 はんばい 当時 とうじ の価格 かかく で538,000円 えん (税別 ぜいべつ )[15]
アメリカにおいてもCB750Fは同時 どうじ に発表 はっぴょう されたCB750Kを上回 うわまわ る反響 はんきょう を得 え るなど、高 たか い人気 にんき を誇 ほこ った。
仕向 しむ け地 ち によってエンジン出力 しゅつりょく に差 さ があり、北米 ほくべい 向 む けがCB750FZで75PS/9,000rpmであるのに対 たい し、日本 にっぽん 向 む けは68PS/9,000rpmであった[14] 。
1980年 ねん 、FA仕様 しよう から欧州 おうしゅう 向 む けにも輸出 ゆしゅつ が開始 かいし された[16] 。エンジン出力 しゅつりょく は79PS/9,000rm、6.5kg・m/8,000rpmまで強化 きょうか され、北米 ほくべい 仕様 しよう に見 み られたパイプハンドルを採用 さいよう した車両 しゃりょう も存在 そんざい した。なお、国内 こくない 仕様 しよう では最終 さいしゅう 的 てき にフロントホイールが18インチ、フロントフォーク径 みち がφ ふぁい 39mmへと変更 へんこう されたが、北米 ほくべい や欧州 おうしゅう 向 む けのCB750Fは最後 さいご までフロントホイールは19インチが採用 さいよう され、フロントフォーク径 みち もFBになるとφ ふぁい 37mmに変更 へんこう されたが、φ ふぁい 39mmに変更 へんこう されることはなかった。このモデルでは白 しろ バイへの採用 さいよう も行 おこな われた。
CB750F 仕様 しよう 諸 しょ 元 もと 表 ひょう
CB750F スペックシート
モデル
CB750FZ(1979 JPN)
CB750FA(1980 JPN)
CB750FB(1981 JPN)
CB750FC(1982 JPN)
エンジン
748.7cc 4ストローク 空冷 くうれい DOHC4バルブ 並列 へいれつ 4気筒 きとう
内径 ないけい x行程 こうてい / 圧縮 あっしゅく 比 ひ
62.0×62.0 / 9.0:1
62.0×62.0 / 9.2:1
最高 さいこう 出力 しゅつりょく
68ps/9000rpm
70ps/9000rpm
最大 さいだい トルク
5.9kg・m/8000rpm
6.0kg・m/7500rpm
乾燥 かんそう 重量 じゅうりょう
228kg
227kg
231kg
フレーム
ダブルクレードル
全長 ぜんちょう x全幅 ぜんぷく x全 ぜん 高 こう
2,190mm x 795mm x 1,125mm
ホイールベース
1,515mm
シート高 だか
795mm
805mm
800mm
燃料 ねんりょう 供給 きょうきゅう 装置 そうち
始動 しどう 方式 ほうしき
セルフ式 しき
潤滑 じゅんかつ 方式 ほうしき
ウェットサンプ
駆動 くどう 方式 ほうしき
チェーンドライブ
変速 へんそく 機 き
常時 じょうじ 噛合式 しき 5段 だん リターン
フロントフォーク
φ ふぁい 35mm
φ ふぁい 35mmエア加圧 かあつ 式 しき
φ ふぁい 39mmエア加圧 かあつ 式 しき 、TRAC搭載 とうさい
フロントブレーキ
片 かた 押 お し1ピストン+φ ふぁい 276mmダブルディスク
片 かた 押 お し2ピストン+φ ふぁい 276mmダブルディスク
リアブレーキ
片 かた 押 お し1ピストン+φ ふぁい 296mmシングルディスク
片 かた 押 お し2ピストン+φ ふぁい 296mmシングルディスク
フロントタイヤ
3.25H19
100/90-18
リアタイヤ
4.00H18
130/80-18
フロントホイール
2.15×19
2.50×19
リアホイール
2.15×18
3.00×18
燃料 ねんりょう タンク容量 ようりょう
20L
備考 びこう
それまでオプションであった60/55Wのハロゲンヘッドライトが標準 ひょうじゅん 装備 そうび になった
CB1100R
CB1100RD
1972年 ねん 、オーストラリアのカストロール 6時 じ 間 あいだ 耐久 たいきゅう レースに端 はし を発 はっ する「量産 りょうさん 車 しゃ によるレース」というコンセプトは、ユーザーが直接 ちょくせつ 所有 しょゆう することのできる市販 しはん 車両 しゃりょう の最速 さいそく を競 きそ うという触 ふ れ込 こ みにより多 おお くの関心 かんしん を集 あつ め、テレビ放送 ほうそう も行 おこな われるなど人気 にんき の高 たか まりをみせていた[17] 。しかし、オーストラリア国外 こくがい ではレースは専用 せんよう に開発 かいはつ されたレーサー車両 しゃりょう で行 おこな うものという認識 にんしき が根強 ねづよ く存在 そんざい し、後 ご のプロダクションレースへとつながるこれらのレース専用 せんよう の車両 しゃりょう 開発 かいはつ は行 おこな われていなかった。そのため、ホンダにはレギュレーションで定 さだ められた排気 はいき 量 りょう 制限 せいげん に合致 がっち した車両 しゃりょう はCBX 、あるいはGL1000 といったレースに適 てき さない車両 しゃりょう しか存在 そんざい しなかったため、CB900Fでこれに参戦 さんせん するが、他社 たしゃ のヤマハ・XS1100 、スズキ・GS1000 、カワサキ・Z といった排気 はいき 量 りょう で優位 ゆうい に立 た つ車両 しゃりょう を相手 あいて に後塵 こうじん を拝 はい していた[17] 。スズキがヤマハに対抗 たいこう するために開発 かいはつ したスズキ・GSX1100E に関 かん する情報 じょうほう が明 あき らかになると、ホンダ・オーストラリアとしてはこれ以上 いじょう 劣勢 れっせい にたたされるわけにはいかないため、これらの車両 しゃりょう に対抗 たいこう できるマシンの開発 かいはつ を日本 にっぽん に要求 ようきゅう した。
こうして1981年 ねん 、CB900Fのエンジンをベースに内径 ないけい を70mmまで拡大 かくだい 、鍛造 たんぞう ピストンやカムシャフトなど、エンジン内部 ないぶ のパーツを専用 せんよう 設計 せっけい とし、プロダクションレースで勝 か つためのマシンとしてCB1100Rは発売 はつばい された。
市販 しはん 車両 しゃりょう としての条件 じょうけん として課 か せられた「年間 ねんかん 生産 せいさん 台数 だいすう 10万 まん 台 だい 以上 いじょう のメーカーでは1,000台 だい 以上 いじょう の生産 せいさん 台数 だいすう 」の条件 じょうけん を満 み たすために1050台 だい が生産 せいさん されたCB1100RBのうち、100台 だい がオーストラリアへ向 む け出荷 しゅっか された。なお、この車両 しゃりょう はカウルの製造 せいぞう が間 ま に合 あ わなかったため、FRP製 せい カウルを装着 そうちゃく した通常 つうじょう 仕様 しよう (RB-2)と異 こと なるネイキッド仕様 しよう (RB-1)であった[18] 。
1980年 ねん 10月19日 にち にアマルーパーク (英語 えいご 版 ばん ) で行 おこな われたカストロール6時 じ 間 あいだ 耐久 たいきゅう レースに3台 だい のCB1100Rが出場 しゅつじょう し、マイク・ニール、アラン・デッカー等 とう の搭乗 とうじょう によって上位 じょうい を独占 どくせん した[19] 。
デビューを勝利 しょうり で飾 かざ り性能 せいのう の高 たか さを証明 しょうめい したCB1100Rは、プロダクションレースの流行 りゅうこう とともに、当時 とうじ レース活動 かつどう の本拠地 ほんきょち を設置 せっち していたイギリスへ舞台 ぶたい を移 うつ し、ロン・ハスラム のライディングによる活躍 かつやく で評価 ひょうか を確 たし かなものとした。カストロール6時 じ 間 あいだ 耐久 たいきゅう レースを参考 さんこう にイギリスで行 おこな われたストリートバイクレースは、モーターサイクルニュース (英語 えいご 版 ばん ) とロイヤル・ダッチ・シェル がスポンサーとして参加 さんか し、ミック・グラント 、ワイン・ガードナー といったライダーが参加 さんか する大 だい 規模 きぼ なレースとして開催 かいさい された。投入 とうにゅう されたCB1100RCは1981年 ねん 4月 がつ に行 おこな われた初戦 しょせん のカドウェルパーク (英語 えいご 版 ばん ) での勝利 しょうり をはじめ、6月のスネッタートン (英語 えいご 版 ばん ) 、ドニントン・パーク 、8月 がつ のオウルトンパーク 、9月のスカボロー、マロリーパーク (英語 えいご 版 ばん ) 、10月のブランズハッチ などのレースで勝利 しょうり し、初代 しょだい チャンピオンに輝 かがや いた[20] 。
高 たか い性能 せいのう を有 ゆう したCB1100Rであったが、ホンダが発売 はつばい した特別 とくべつ 車 しゃ という扱 あつか いから、レースで勝 か つためのマシンという本来 ほんらい の目的 もくてき からはずれ、コレクターズアイテムとなる車両 しゃりょう も多 おお かった[21] 。
CB1100F
CB1100F
CB1100Rは高 たか い人気 にんき を得 え たが、高騰 こうとう した販売 はんばい 価格 かかく や生産 せいさん 台数 だいすう の少 すく なさから手 て に入 い れられる人間 にんげん は限 かぎ られていた。そのため、排気 はいき 量 りょう 1000ccから1100ccの並列 へいれつ 4気筒 きとう エンジンを搭載 とうさい する車両 しゃりょう を求 もと める市場 いちば の声 こえ に答 こた える形 かたち で販売 はんばい されたのがCB1100Fである。1982年 ねん のケルンモーターショーで発表 はっぴょう され、エンジンパーツの一部 いちぶ をCB1100Rと共通 きょうつう とするなど、これまでに発売 はつばい されたCB-F系統 けいとう の集大成 しゅうたいせい となった。欧州 おうしゅう 仕様 しよう と北米 ほくべい 仕様 しよう が存在 そんざい し、欧州 おうしゅう 仕様 しよう ではCB900Fのイメージをそのまま受 う け継 つ いだものであったが、北米 ほくべい 仕様 しよう はCB-Fシリーズで唯一 ゆいいつ キャストホイールが採用 さいよう され、角 かく 型 がた ヘッドライトにバーハンドルの意匠 いしょう が与 あた えられていた。特別 とくべつ 車両 しゃりょう を除 のぞ く、通常 つうじょう ラインナップの中 なか ではフラッグシップといった位置 いち づけのCB1100Fであったが、ホンダはフラッグシップモデルのエンジンレイアウトを並列 へいれつ 4気筒 きとう からV型 がた 4気筒 きとう へと転換 てんかん する方針 ほうしん を打 う ち立 た てたため、CB1100Fは1983年 ねん の1年間 ねんかん だけの生産 せいさん となった。
CB1100R CB1100F 仕様 しよう 諸 しょ 元 もと 表 ひょう
CB1100R、CB1100F スペックシート
モデル
CB1100RB(1981)
CB1100RC(1982)
CB1100RD(1983)
CB1100FD(1983 EU)
エンジン
1062.0cc 4ストローク 空冷 くうれい DOHC4バルブ 並列 へいれつ 4気筒 きとう
1062.2cc 4ストローク 空冷 くうれい DOHC4バルブ 並列 へいれつ 4気筒 きとう
内径 ないけい x行程 こうてい / 圧縮 あっしゅく 比 ひ
70.0×69.0 / 10.0:1
70.0×69.0 / 9.7:1
最高 さいこう 出力 しゅつりょく
115ps/9000rpm
120ps/9000rpm
110ps/8500rpm
最大 さいだい トルク
9.86kg・m/8000rpm
9.4kg・m/7500rpm
乾燥 かんそう 重量 じゅうりょう
233kg
243kg
フレーム
ダブルクレードル
全長 ぜんちょう x全幅 ぜんぷく x全 ぜん 高 こう
2,215mm x 770mm x 1,340mm
2,260mm x 805mm x 1,125mm
ホイールベース
1,490mm
1,520mm
シート高 だか
805mm
820mm
燃料 ねんりょう 供給 きょうきゅう 装置 そうち
キャブレター
始動 しどう 方式 ほうしき
セルフ式 しき
潤滑 じゅんかつ 方式 ほうしき
ウェットサンプ
駆動 くどう 方式 ほうしき
チェーンドライブ
変速 へんそく 機 き
常時 じょうじ 噛合式 しき 5段 だん リターン
フロントフォーク
φ ふぁい 37mmエア加圧 かあつ 式 しき 、TRAC搭載 とうさい
φ ふぁい 39mmエア加圧 かあつ 式 しき 、TRAC搭載 とうさい
φ ふぁい 39mmエア加圧 かあつ 式 しき 、TRAC搭載 とうさい
フロントブレーキ
片 かた 押 お し2ピストン+φ ふぁい 276mmダブルディスク
リアブレーキ
片 かた 押 お し2ピストン+φ ふぁい 296mmシングルディスク
フロントタイヤ
100/90V18
リアタイヤ
130/90V17
フロントホイール
2.50×19
リアホイール
3.00×17
燃料 ねんりょう タンク容量 ようりょう
26L
20L
備考 びこう
生産 せいさん 台数 だいすう 1050台 だい
乗車 じょうしゃ 定員 ていいん が2名 めい に変更 へんこう 生産 せいさん 台数 だいすう 1500台 だい
角 かく 型 がた 断面 だんめん 形状 けいじょう のスイングアームを採用 さいよう 生産 せいさん 台数 だいすう 1500台 だい
北米 ほくべい 仕様 しよう は角 かく 型 がた ヘッドライトにビキニカウルが装着 そうちゃく され、キャストホイールに変更 へんこう された。
サーキットでの活躍 かつやく
CB750FourのエンジンをDOHC化 か したRCBの技術 ぎじゅつ を生 い かし開発 かいはつ されたCB900Fは、そのエンジンをベースにRS1000が開発 かいはつ され、これには耐久 たいきゅう 仕様 しよう とスプリント仕様 しよう が存在 そんざい した。しかし1983年 ねん 以前 いぜん のレギュレーションでは、4ストローク1000ccプロトタイプ車両 しゃりょう であるRS1000の参加 さんか するレースの多 おお くには2ストローク750ccプロトタイプ車両 しゃりょう の参加 さんか が可能 かのう であり、2ストロークエンジンを搭載 とうさい した車両 しゃりょう を相手 あいて に苦戦 くせん を強 し いられた。そのため、4ストロークで2ストローク車両 しゃりょう に勝 か つ、という悲願 ひがん のために早々 そうそう に水冷 すいれい 、V型 がた 4気筒 きとう エンジンを搭載 とうさい したRS1000RWの開発 かいはつ が決断 けつだん され、次世代 じせだい への移行 いこう は早 はや かった[22] 。
AMA
CB750F #19
ウェス・クーリー 、エディ・ローソン 、フレディ・スペンサー 、ウェイン・レイニー といった歴史 れきし に名 な を残 のこ すライダー達 たち が参戦 さんせん していた1970年代 ねんだい 後半 こうはん から1980年代 ねんだい 初頭 しょとう のAMAスーパーバイクに、AHM(アメリカ・ホンダ・モーター)はCB750Fをベースに参戦 さんせん した。CB750FのAMAにおける活躍 かつやく として代表 だいひょう 的 てき な1982年 ねん のシーズンでは、ライダーにフレディ・スペンサー、マイク・ボールドウィン 、スティーブ・ワイス 等 ひとし を擁 よう し、年間 ねんかん チャンピオンこそ獲得 かくとく はならなかったものの、デイトナでは1位 い フレディ・スペンサー(#19)、2位 い マイク・ボールドウィン(#43)、3位 い ロバート・ピエトリ (#88)と、表彰台 ひょうしょうだい を独占 どくせん する成績 せいせき を残 のこ した[23] 。
AHMではCB750Fに対 たい して、初期 しょき 段階 だんかい ではRS1000のエンジンを搭載 とうさい する運用 うんよう を行 おこな っていた。しかし、スプリントではエンジン出力 しゅつりょく が不足 ふそく し、また多発 たはつ するトラブルにも悩 なや まされたため、1982年 ねん シーズンではBMWでもチューナーを務 つと めていたユドー・ギードルを筆頭 ひっとう にマイク・ベラスコ、美 よし 藤 ふじ 定 じょう をメカニックとして招聘 しょうへい し、クランクケースやバルブスプリングなど、一部 いちぶ のパーツを除 のぞ いた全 すべ ての部位 ぶい に独自 どくじ のチューニングを施 ほどこ し、最高 さいこう 出力 しゅつりょく でおよそ150ps/13,000rpmまで性能 せいのう を向上 こうじょう させたエンジンへと移行 いこう するなど、大 おお きな改革 かいかく を行 おこな った[24] 。エンジンはドライサンプ方式 ほうしき へと変更 へんこう され、クラッチは乾式 かんしき 、バルブやコンロッドにはJet製 せい チタンが用 もち いられ、点火 てんか 装置 そうち にはドイツのクローバー製 せい CDIが採用 さいよう された[24] 。燃料 ねんりょう 供給 きょうきゅう 装置 そうち にはケニー・ロバーツ やエディ・ローソン の車両 しゃりょう 開発 かいはつ にも参加 さんか したビル・エドモンドソンが設計 せっけい を担当 たんとう した、元々 もともと はドラッグレース用 よう に開発 かいはつ されたフラットバルブキャブレター「クイックシルバー」が装着 そうちゃく されていた[24] 。フレームはレギュレーション上 じょう は補強 ほきょう しか認 みと められていなかったのだが、当時 とうじ のAMAではどのチームにおいても秘密裏 ひみつり にオリジナルフレームへの換 かわ 装 そう が常態 じょうたい 化 か していたため、レギュレーションに抵触 ていしょく するが、AHMも同様 どうよう にクロームモリブデン製 せい のオリジナルフレームを採用 さいよう した[24] 。
そして、前出 ぜんしゅつ のとおり、デイトナでは表彰台 ひょうしょうだい を独占 どくせん し、このシーズンのシルバーにブルーのラインをあしらったCB750Fのカラーリングは、スペンサーカラーとしてホンダの代表 だいひょう 的 てき レプリカカラーとして知 し られるところとなった。
2014年 ねん 現在 げんざい 、この車両 しゃりょう はツインリンクもてぎに併設 へいせつ されたホンダコレクションホールで展示 てんじ が行 おこな われており、ホンダレーシングの殿堂 でんどう 入 い りも果 は たした。
鈴鹿 すずか 8時 じ 間 あいだ 耐久 たいきゅう ロードレース
1979年 ねん 、TT-F1規定 きてい で行 おこな われた鈴鹿 すずか 8時 じ 間 あいだ 耐久 たいきゅう ロードレースでは前年度 ぜんねんど 出場 しゅつじょう したRCBのようなプロトタイプレーサーが出場 しゅつじょう できなくなったため、ワークスチームもCB900Fをベースに参加 さんか した。
CB900を駆 か るトニー・ハットン、マイク・コール組 ぐみ が優勝 ゆうしょう し、上位 じょうい 8位 い までを独占 どくせん したホンダ勢 ぜい の内 うち 、4台 だい はCB900Fであった。
また、CB900Fをベースとして開発 かいはつ されたRS1000は鈴鹿 すずか 8時 じ 間 あいだ 耐久 たいきゅう ロードレース1981年 ねん 大会 たいかい で優勝 ゆうしょう を獲得 かくとく した[25] 。
生産 せいさん 終了 しゅうりょう
CB-Fが発売 はつばい された1970年代 ねんだい 末 まつ から1980年代 ねんだい 初頭 しょとう にかけて日本 にっぽん はバイクブームの只 ただ 中 ちゅう にあり、1981年 ねん から1982年 ねん にはオートバイの国内 こくない 総 そう 生産 せいさん 台数 だいすう は700万 まん 台 だい を超 こ えるに至 いた った[26] 。そのため各社 かくしゃ とも次々 つぎつぎ とニューモデルを発表 はっぴょう し、CB750FはXJ750E/A、Z750GP 、GSX750Sカタナ などの追撃 ついげき にあった。また、HY戦争 せんそう という対立 たいりつ 構造 こうぞう もホンダの商品 しょうひん 開発 かいはつ 、世代 せだい 交代 こうたい を加速 かそく させ、CB750Fは1982年 ねん とその存在 そんざい 感 かん に反 はん し短期間 たんきかん でV型 がた 4気筒 きとう エンジンを搭載 とうさい するVFシリーズ に750ccのフラッグシップの座 ざ を譲 ゆず り生産 せいさん を終了 しゅうりょう させた[27] 。
沿革 えんかく
1977年 ねん
4月 がつ 、CB750A(EARA)が発売 はつばい される。ハイボチェーンやクラッチの技術 ぎじゅつ はCB-F系列 けいれつ に引 ひ き継 つ がれた[28] [29] 。
1978年 ねん
8月 がつ 、イギリスのアールズコートショーでCB900Fが発表 はっぴょう され、イギリスを皮切 かわき りに9月 がつ にドイツのケルンショー、10月のパリ・サロンと各国 かっこく のモーターショーで公開 こうかい される。CB750Fは9月にハワイのディーラーミーティングで発表 はっぴょう された[30] 。
12月、CB750KZが発売 はつばい される[31] 。
1979年 ねん
6月22日 にち 、日本 にっぽん 国内 こくない でCB750FZの発売 はつばい が開始 かいし された[32] 。
1980年 ねん
FA仕様 しよう へとマイナーチェンジが行 おこな われた。
5月、様々 さまざま な専用 せんよう 装備 そうび が与 あた えられたCB750カスタムエクスクルージブが1200台 だい 限定 げんてい で発売 はつばい された[33] 。
8月 がつ 、イギリスのアールズコートショーでCB1100Rが発表 はっぴょう される。発売 はつばい は9月に開始 かいし された。
1981年 ねん
CB900-F2 BOLD'OR
FB仕様 しよう へとマイナーチェンジが行 おこな われた。
フロントブレーキキャリパーが2ポットになり、フロントフォークのインナーチューブ径 みち もφ ふぁい 37mmへとサイズアップされ、足 あし 回 まわ りの強化 きょうか が図 はか られた。だが、一部 いちぶ ではこれらのマイナーチェンジが適用 てきよう されていない車両 しゃりょう も市場 いちば に流 ながれ 移 うつ していた[34] 。CB750FBでは最高 さいこう 出力 しゅつりょく 発生 はっせい 回転 かいてん 数 すう が下 さ がったことにより、燃費 ねんぴ が32Km/Lから35km/Lへと改善 かいぜん された[34] 。
日本 にっぽん 国内 こくない ではCB750FBが4月 がつ 22日 にち に発売 はつばい 開始 かいし され[35] 、鈴鹿 すずか 8時 じ 間 あいだ 耐久 たいきゅう ロードレース優勝 ゆうしょう 記念 きねん のCB750FBB(ボルドールⅡ)といった限定 げんてい 仕様 しよう も販売 はんばい されたことにより、1979年 ねん から1988年 ねん のCB750F登録 とうろく 台数 だいすう としては、この年 とし 最多 さいた となる11,760台 だい を数 かぞ えた[34] 。CB750FBBにカウルやオイルクーラーを設置 せっち したCB750F2BBという特別 とくべつ 仕様 しよう 車 しゃ も存在 そんざい し、販売 はんばい 価格 かかく は848,000円 えん であった[36] 。
カスタムエクスクルーシブの後継 こうけい 車種 しゃしゅ としてCB750カスタムが発売 はつばい される[27] 。
この年 とし より赤 あか く塗装 とそう されたフレームにカウルを搭載 とうさい したF2仕様 しよう もラインナップに加 くわ わり、CB900Fの北米 ほくべい での販売 はんばい が開始 かいし された[37] 。
1982年 ねん
FC仕様 しよう へとマイナーチェンジが行 おこな われた。
エンジンをラバーマウント化 か し、フロントタイヤを18インチへサイズダウン、昨年度 さくねんど に続 つづ きフロントフォークインナーチューブ径 みち はφ ふぁい 39mmへさらにサイズアップされ、ホイールにはブーメランコムスターを採用 さいよう 、更 さら なる足 あし 回 まわ りの強化 きょうか が図 はか られた。
日本 にっぽん 国内 こくない においても正式 せいしき にカウルが認可 にんか され、ヨーロッパ向 む けモデルと同様 どうよう のカウルを装着 そうちゃく したCB750F2C(インテグラ)がラインナップに加 くわ わった[38] 。そして、日本 にっぽん 国内 こくない においてはFC仕様 しよう が最終 さいしゅう モデルとなった[14] 。
ケルンショーにてCB1100Fが発表 はっぴょう される。
1983年 ねん
FD仕様 しよう へとマイナーチェンジが行 おこな われた。スペックはFC仕様 しよう と同 おな じで、内容 ないよう としてはカラーチェンジにとどまった。
F2仕様 しよう のフレームカラーが黒 くろ に変更 へんこう された。
1984年 ねん
FD、F2DのエキゾーストシステムをCB1100Fと同 おな じ黒 くろ く塗装 とそう 処理 しょり の施 ほどこ されたものに変更 へんこう するといったパーツの共有 きょうゆう 化 か をすすめ、限定 げんてい 的 てき に輸出 ゆしゅつ を継続 けいぞく していたが、この年 とし を最後 さいご にCB-Fシリーズの生産 せいさん が終了 しゅうりょう した[39] 。
参考 さんこう 画像 がぞう
脚注 きゃくちゅう
注釈 ちゅうしゃく
^ 同 どう 時期 じき に販売 はんばい されていた車種 しゃしゅ として、MVアグスタ・MV600が1040,000円 えん (2,889ドル)、ミュンヒTT1000が1440,000円 えん (4,000ドル)といった販売 はんばい 価格 かかく のところ、CB750Fourは535,000円 えん (1,495ドル)で販売 はんばい された。(いずれも当時 とうじ の換算 かんさん 価格 かかく )
^ アンチダイブ機構 きこう
出典 しゅってん
参考 さんこう 文献 ぶんけん
関連 かんれん 項目 こうもく
ホンダ・CBX1000 - 同 どう 時期 じき に投入 とうにゅう された大 だい 排気 はいき 量 りょう 、大 だい 出力 しゅつりょく をコンセプトにしたフラッグシップマシン
外部 がいぶ リンク
ウィキメディア・コモンズには、
ホンダ・CB-F に
関連 かんれん するカテゴリがあります。
カラーバリエーションに関 かん して :ホンダ・CB-Fで用 もち いられている車体 しゃたい 色 しょく は、配色 はいしょく の系統 けいとう を表 あらわ しているのであって、色 いろ を再現 さいげん しているわけではありません。
50 - 125 cc 126 - 250 cc 251 - 400 cc 401 - 750 cc 751 cc以上 いじょう 系列 けいれつ スクーター 電動 でんどう スクーター
CUV ES
EV-neo ※リース車両 しゃりょう (共 とも に原付 げんつき 一 いち 種 しゅ ・定 てい 格 かく 出力 しゅつりょく 580W)
コンセプトモデル 競技 きょうぎ 車両 しゃりょう
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