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ホンダ・CB-F

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CB900F

CB-F(シービーエフ)とは、1978ねん本田技研工業ほんだぎけんこうぎょう販売はんばいした、900cc4ストロークエンジン搭載とうさいした大型おおがた自動じどうりんしゃであるCB900Fを筆頭ひっとうに、レギュレーションや各国かっこくほう規制きせいわせた展開てんかいおこなわれた一連いちれん車種しゃしゅ。ホンダにはCBとつく車両しゃりょうおおく、同様どうよう末尾まつびにFがあたえられる車両しゃりょう複数ふくすう存在そんざいするが、ここではおもCB900FCB750FCB1100RCB1100Fかんして記述きじゅつおこなう。

それぞれFZ、FA、FB、FC、FDの順番じゅんばんにモデルチェンジがおこなわれ、カウルが装着そうちゃくされた車両しゃりょうはF2となる。日本にっぽん国内こくないにおけるCB750Fでは、鈴鹿すずか8あいだ耐久たいきゅうロードレース記念きねん車両しゃりょうとしてFBBやF2BBといった限定げんてい仕様しよう存在そんざいし、しろバイへの採用さいようもされていた。

概要がいよう

ホンダ・CB750Four
ホンダ・RCB1000

ホンダが1969ねん発売はつばいしたCB750Fourは、時速じそく200km/hをえる性能せいのうと、おおくのライダーにとってとど販売はんばい価格かかく実現じつげん[注釈ちゅうしゃく 1]国産こくさん大型おおがたオートバイが世界せかい市場いちば席巻せっけんするにいたった歴史れきしてき名車めいしゃであったが、DOHC4バルブなどの技術ぎじゅつ搭載とうさいした後発こうはつのオートバイによる追撃ついげきにあい、徐々じょじょ発売はつばい当初とうしょのイメージにはかげりがはじめていた[1]

また、1960年代ねんだいのホンダは北米ほくべい市場いちばでの要望ようぼう中心ちゅうしん輸出ゆしゅつ車両しゃりょう開発かいはつおこなっていたが、1970年代ねんだいはい欧州おうしゅう北米ほくべいのオートバイにたいする嗜好しこう乖離かいりはじめた。そのため、北米ほくべいけにつくられた車両しゃりょう欧州おうしゅうけにローカライズするだけの販売はんばい戦略せんりゃくでは欧州おうしゅうでのシェアをうしな一方いっぽうであり、欧州おうしゅう市場いちば要求ようきゅうにこたえる車種しゃしゅたないでいたホンダは、先進せんしん技術ぎじゅつ投入とうにゅうしたあらたなフラッグシップモデル、とりわけ欧州おうしゅうでの需要じゅようたかスポーツモデル投入とうにゅう急務きゅうむとなっていた。

1966ねんのロードレース世界せかい選手権せんしゅけん最後さいごに、自動車じどうしゃ部門ぶもんでの環境かんきょう適応てきおうエンジンの開発かいはつなどのために一時いちじ休止きゅうししていたレース活動かつどうであったが、先進せんしん技術ぎじゅつ投入とうにゅうしたあらたなスポーツモデルの開発かいはつ設計せっけいのためにはロードレースへの復帰ふっき必要ひつようであるとの判断はんだんがなされた[2]1972ねんマスキーほう基準きじゅんたしたCVCCエンジン開発かいはつ達成たっせいしていたことから環境かんきょう適応てきおうエンジンの開発かいはつかんしては一区切ひとくぎりついたと判断はんだんし、サーキット活躍かつやくするカワサキ・Z1追撃ついげきするため、1975ねんにH.E.R.T.(Honda Endurance Racing Team)を結成けっせいし、1970年代ねんだい欧州おうしゅう常時じょうじ10まんにんえる観客かんきゃく動員どういんするなどたか人気にんきほこったFIMヨーロッパ耐久たいきゅう選手権せんしゅけんからふたたびレース活動かつどう開始かいしした[2]

ヨーロッパ耐久たいきゅう選手権せんしゅけん投入とうにゅうされたRCB1000は、CB750Fourに搭載とうさいされたOHC2バルブエンジンをベースにDOHC4バルブさせ、これを搭載とうさい1976ねんは8戦中せんちゅう7しょう1977ねんにはシリーズ9せん全勝ぜんしょうという成績せいせきおさめ、圧倒的あっとうてきつよさから「浮沈ふちんかん」「無敵むてき艦隊かんたい」などととなえられた。こうしてRCBでつちかわれた空冷くうれいDOHC4バルブエンジンの技術ぎじゅつ市販しはんしゃ転用てんようし「RCBのイメージをダイレクトにぐ、サーキット最速さいそくさい軽量けいりょうのスーパースポーツ」として開発かいはつされたのがCB900Fであった[3]。これら一連いちれんのCB900Fをようしての欧州おうしゅうでの市場いちば奪還だっかんするというプロジェクトはノルマンディー上陸じょうりく作戦さくせんたとえられ、社内しゃないでは「マルエヌ」という通称つうしょうばれた[4]

エンジン

CB750Fourの開発かいはつ段階だんかいですでに検討けんとうされていたDOHC機構きこうはメンテナンスせい向上こうじょうなどを理由りゆう採用さいよう見送みおくられたが、当初とうしょはや段階だんかいでの投入とうにゅう予定よていされていた。しかし、CB750Fourの予想よそう以上いじょう販売はんばいめんでの好調こうちょうけ、実際じっさいにDOHC機構きこう搭載とうさいする車両しゃりょう開発かいはつ先送さきおくりになることになった[5][6]当時とうじ国内こくない他社たしゃ販売はんばいしていたZ1RやGS1000Sとことなり900ccを選択せんたくした理由りゆうは、しゅたる市場いちばである欧州おうしゅうのドゥカティ・900SS、モトグッチ・ルマン850、ベネリ900セイとう対抗たいこう車種しゃしゅ設計せっけいされたためである[7]

車体しゃたい構成こうせい

CB900Fの車体しゃたい先立さきだって開発かいはつおこなわれていたCB750Kと共通きょうつう車体しゃたい設計せっけいおこなわれた。750ccのエンジンをおさめるフレームに900ccのエンジンを搭載とうさいすることになるため、剛性ごうせい整備せいびせい両立りょうりつのために各部かくぶ補強ほきょうくわえ、右側みぎがわアンダーチューブをはずしきにするなどの対策たいさくがとられた。同様どうように750ccエンジンより容量ようりょうおおきなエアクリーナーボックスが必要ひつようとなるが、これは物理ぶつりてき不可能ふかのうであるため、できるだけえた空気くうきをよりおおれられるようダクト位置いちなどを検討けんとうし、エンジン特性とくせい車体しゃたい設計せっけいから補填ほてんするようなアプローチもおこなわれた[8]

デザイン

デザインを担当たんとうした森岡もりおかみのる初期しょき段階だんかい構想こうそう欧州おうしゅう視察しさつのためにおとずれたフランスでおこなった[4]。そして、これまでにないあらたなマーケットを調査ちょうさするためにル・マンポール・リカール・サーキットおとずれ、現地げんちのライダーの傾向けいこう調査ちょうさし、CB-Fをふくむ16車種しゃしゅのデザイン草案そうあん完成かんせいさせた[9]。フランスの現地げんち法人ほうじんからは要求ようきゅうしていたボルドールのイメージを体現たいげんしているとこう評価ひょうか草案そうあんであったが、日本にっぽんおこなわれた会議かいぎでは「けばけばしく、厚化粧あつげしょうずかしいデザイン」という批判ひはん意見いけんがり、その評価ひょうかけっしてたかいものではなかった[10]。しかし、現地げんち法人ほうじん意見いけん尊重そんちょうする久米くめただしこころざし意向いこうによりプロジェクトはそのまますすめられ、クレイモデル完成かんせいまで9にち、モックアップの完成かんせいまで実質じっしつ10にち異例いれいはやさで作業さぎょう進行しんこうした[11]草案そうあんではプラグ上部じょうぶ位置いちするタンク前部ぜんぶにはエッジがあったが、かりにガソリンがオーバーフローした場合ばあい、そこをつたってプラグへとガソリンが滴下てきかするおそれがあるとして市販しはんにあたっては多少たしょう手直てなおしがおこなわれた。しかし、レバーやステップ、メーターなどこまかな部分ぶぶんまで新造しんぞうすることが許可きょかされ、プロジェクト全体ぜんたいとしては自由じゆうたかいデザインが可能かのうであった[10]結果けっかとしてCB900Fのデザインは市場いちばれられ、好調こうちょうなセールスを記録きろくした。こうして採用さいようされたタンクからサイドカウルへとつながる、コンセプトにもなった「ながれるようなデザイン」はインテグレーデッド・ストリームラインとばれ[12]、そののCB1300SFなどの車種しゃしゅにも影響えいきょうあたえるデザインとなった。

かく車種しゃしゅ

CB900F



CB900F 仕様しようしょもとひょう

CB750F


CB750F(1979ねんせい

1978ねん輸出ゆしゅつ開始かいしされたCB900Fにおくれること1ねん当時とうじ日本にっぽん国内こくないでの排気はいきりょう上限じょうげんにあわせた750ccエンジンを搭載とうさいし、日本にっぽんでは1979ねん6月22にちにCB750Fが発売はつばいされた。エンジンは基本きほん設計せっけいをCB750Kと共有きょうゆうするものの、スポーティーなエンジン特性とくせい実現じつげんのためカムシャフトを変更へんこうし、吸排気はいきけいあしまわりはCB900Fと同一どういつのものがあたえられた。国内こくないでははつとなる鍛造たんぞうジュラルミンせいのセパレートハンドルやCB900Fそのままのスタイリングなど、国内こくないオートバイのフラッグシップてき存在そんざいとなり、750ccのトップセールスがつき200だい程度ていど時代じだいに1,500から2,000だいものげを達成たっせいするだいヒット車種しゃしゅとなった[13][14]。そのたか人気にんきから、漫画まんがバリバリ伝説でんせつ』では主人公しゅじんこう愛車あいしゃとしても登場とうじょうした。販売はんばい当時とうじ価格かかくで538,000えん税別ぜいべつ[15]

アメリカにおいてもCB750Fは同時どうじ発表はっぴょうされたCB750Kを上回うわまわ反響はんきょうるなど、たか人気にんきほこった。

仕向しむによってエンジン出力しゅつりょくがあり、北米ほくべいけがCB750FZで75PS/9,000rpmであるのにたいし、日本にっぽんけは68PS/9,000rpmであった[14]1980ねん、FA仕様しようから欧州おうしゅうけにも輸出ゆしゅつ開始かいしされた[16]。エンジン出力しゅつりょくは79PS/9,000rm、6.5kg・m/8,000rpmまで強化きょうかされ、北米ほくべい仕様しようられたパイプハンドルを採用さいようした車両しゃりょう存在そんざいした。なお、国内こくない仕様しようでは最終さいしゅうてきにフロントホイールが18インチ、フロントフォークみちφふぁい39mmへと変更へんこうされたが、北米ほくべい欧州おうしゅうけのCB750Fは最後さいごまでフロントホイールは19インチが採用さいようされ、フロントフォークみちもFBになるとφふぁい37mmに変更へんこうされたが、φふぁい39mmに変更へんこうされることはなかった。このモデルではしろバイへの採用さいようおこなわれた。


CB750F 仕様しようしょもとひょう

CB1100R


CB1100RD

1972ねん、オーストラリアのカストロール6あいだ耐久たいきゅうレースにはしはっする「量産りょうさんしゃによるレース」というコンセプトは、ユーザーが直接ちょくせつ所有しょゆうすることのできる市販しはん車両しゃりょう最速さいそくきそうというみによりおおくの関心かんしんあつめ、テレビ放送ほうそうおこなわれるなど人気にんきたかまりをみせていた[17]。しかし、オーストラリア国外こくがいではレースは専用せんよう開発かいはつされたレーサー車両しゃりょうおこなうものという認識にんしき根強ねづよ存在そんざいし、のプロダクションレースへとつながるこれらのレース専用せんよう車両しゃりょう開発かいはつおこなわれていなかった。そのため、ホンダにはレギュレーションでさだめられた排気はいきりょう制限せいげん合致がっちした車両しゃりょうCBX、あるいはGL1000といったレースにてきさない車両しゃりょうしか存在そんざいしなかったため、CB900Fでこれに参戦さんせんするが、他社たしゃヤマハ・XS1100スズキ・GS1000カワサキ・Zといった排気はいきりょう優位ゆうい車両しゃりょう相手あいて後塵こうじんはいしていた[17]。スズキがヤマハに対抗たいこうするために開発かいはつしたスズキ・GSX1100Eかんする情報じょうほうあきらかになると、ホンダ・オーストラリアとしてはこれ以上いじょう劣勢れっせいにたたされるわけにはいかないため、これらの車両しゃりょう対抗たいこうできるマシンの開発かいはつ日本にっぽん要求ようきゅうした。 こうして1981ねん、CB900Fのエンジンをベースに内径ないけいを70mmまで拡大かくだい鍛造たんぞうピストンやカムシャフトなど、エンジン内部ないぶのパーツを専用せんよう設計せっけいとし、プロダクションレースでつためのマシンとしてCB1100Rは発売はつばいされた。

市販しはん車両しゃりょうとしての条件じょうけんとしてせられた「年間ねんかん生産せいさん台数だいすう10まんだい以上いじょうのメーカーでは1,000だい以上いじょう生産せいさん台数だいすう」の条件じょうけんたすために1050だい生産せいさんされたCB1100RBのうち、100だいがオーストラリアへ出荷しゅっかされた。なお、この車両しゃりょうはカウルの製造せいぞうわなかったため、FRPせいカウルを装着そうちゃくした通常つうじょう仕様しよう(RB-2)とことなるネイキッド仕様しよう(RB-1)であった[18]

1980ねん10月19にちアマルーパーク英語えいごばんおこなわれたカストロール6あいだ耐久たいきゅうレースに3だいのCB1100Rが出場しゅつじょうし、マイク・ニール、アラン・デッカーとう搭乗とうじょうによって上位じょうい独占どくせんした[19]

デビューを勝利しょうりかざ性能せいのうたかさを証明しょうめいしたCB1100Rは、プロダクションレースの流行りゅうこうとともに、当時とうじレース活動かつどう本拠地ほんきょち設置せっちしていたイギリスへ舞台ぶたいうつし、ロン・ハスラムのライディングによる活躍かつやく評価ひょうかたしかなものとした。カストロール6あいだ耐久たいきゅうレースを参考さんこうにイギリスでおこなわれたストリートバイクレースは、モーターサイクルニュース英語えいごばんロイヤル・ダッチ・シェルがスポンサーとして参加さんかし、ミック・グラントワイン・ガードナーといったライダーが参加さんかするだい規模きぼなレースとして開催かいさいされた。投入とうにゅうされたCB1100RCは1981ねん4がつおこなわれた初戦しょせんカドウェルパーク英語えいごばんでの勝利しょうりをはじめ、6月のスネッタートン英語えいごばんドニントン・パーク、8がつオウルトンパーク、9月のスカボロー、マロリーパーク英語えいごばん、10月のブランズハッチなどのレースで勝利しょうりし、初代しょだいチャンピオンにかがやいた[20]

たか性能せいのうゆうしたCB1100Rであったが、ホンダが発売はつばいした特別とくべつしゃというあつかいから、レースでつためのマシンという本来ほんらい目的もくてきからはずれ、コレクターズアイテムとなる車両しゃりょうおおかった[21]

CB1100F


CB1100F

CB1100Rはたか人気にんきたが、高騰こうとうした販売はんばい価格かかく生産せいさん台数だいすうすくなさかられられる人間にんげんかぎられていた。そのため、排気はいきりょう1000ccから1100ccの並列へいれつ4気筒きとうエンジンを搭載とうさいする車両しゃりょうもとめる市場いちばこえこたえるかたち販売はんばいされたのがCB1100Fである。1982ねんのケルンモーターショーで発表はっぴょうされ、エンジンパーツの一部いちぶをCB1100Rと共通きょうつうとするなど、これまでに発売はつばいされたCB-F系統けいとう集大成しゅうたいせいとなった。欧州おうしゅう仕様しよう北米ほくべい仕様しよう存在そんざいし、欧州おうしゅう仕様しようではCB900Fのイメージをそのままいだものであったが、北米ほくべい仕様しようはCB-Fシリーズで唯一ゆいいつキャストホイールが採用さいようされ、かくがたヘッドライトにバーハンドルの意匠いしょうあたえられていた。特別とくべつ車両しゃりょうのぞく、通常つうじょうラインナップのなかではフラッグシップといった位置いちづけのCB1100Fであったが、ホンダはフラッグシップモデルのエンジンレイアウトを並列へいれつ4気筒きとうからVがた4気筒きとうへと転換てんかんする方針ほうしんてたため、CB1100Fは1983ねんの1年間ねんかんだけの生産せいさんとなった。

CB1100R CB1100F 仕様しようしょもとひょう

サーキットでの活躍かつやく

CB750FourのエンジンをDOHCしたRCBの技術ぎじゅつかし開発かいはつされたCB900Fは、そのエンジンをベースにRS1000が開発かいはつされ、これには耐久たいきゅう仕様しようとスプリント仕様しよう存在そんざいした。しかし1983ねん以前いぜんのレギュレーションでは、4ストローク1000ccプロトタイプ車両しゃりょうであるRS1000の参加さんかするレースのおおくには2ストローク750ccプロトタイプ車両しゃりょう参加さんか可能かのうであり、2ストロークエンジンを搭載とうさいした車両しゃりょう相手あいて苦戦くせんいられた。そのため、4ストロークで2ストローク車両しゃりょうつ、という悲願ひがんのために早々そうそう水冷すいれい、Vがた4気筒きとうエンジンを搭載とうさいしたRS1000RWの開発かいはつ決断けつだんされ、次世代じせだいへの移行いこうはやかった[22]

AMA

CB750F #19

ウェス・クーリーエディ・ローソンフレディ・スペンサーウェイン・レイニーといった歴史れきしのこすライダーたち参戦さんせんしていた1970年代ねんだい後半こうはんから1980年代ねんだい初頭しょとうのAMAスーパーバイクに、AHM(アメリカ・ホンダ・モーター)はCB750Fをベースに参戦さんせんした。CB750FのAMAにおける活躍かつやくとして代表だいひょうてきな1982ねんのシーズンでは、ライダーにフレディ・スペンサー、マイク・ボールドウィンスティーブ・ワイスひとしようし、年間ねんかんチャンピオンこそ獲得かくとくはならなかったものの、デイトナでは1フレディ・スペンサー(#19)、2マイク・ボールドウィン(#43)、3ロバート・ピエトリ(#88)と、表彰台ひょうしょうだい独占どくせんする成績せいせきのこした[23]

AHMではCB750Fにたいして、初期しょき段階だんかいではRS1000のエンジンを搭載とうさいする運用うんようおこなっていた。しかし、スプリントではエンジン出力しゅつりょく不足ふそくし、また多発たはつするトラブルにもなやまされたため、1982ねんシーズンではBMWでもチューナーをつとめていたユドー・ギードルを筆頭ひっとうにマイク・ベラスコ、よしふじじょうをメカニックとして招聘しょうへいし、クランクケースやバルブスプリングなど、一部いちぶのパーツをのぞいたすべての部位ぶい独自どくじのチューニングをほどこし、最高さいこう出力しゅつりょくでおよそ150ps/13,000rpmまで性能せいのう向上こうじょうさせたエンジンへと移行いこうするなど、おおきな改革かいかくおこなった[24]。エンジンはドライサンプ方式ほうしきへと変更へんこうされ、クラッチは乾式かんしき、バルブやコンロッドにはJetせいチタンがもちいられ、点火てんか装置そうちにはドイツのクローバーせいCDIが採用さいようされた[24]燃料ねんりょう供給きょうきゅう装置そうちにはケニー・ロバーツエディ・ローソン車両しゃりょう開発かいはつにも参加さんかしたビル・エドモンドソンが設計せっけい担当たんとうした、元々もともとはドラッグレースよう開発かいはつされたフラットバルブキャブレター「クイックシルバー」が装着そうちゃくされていた[24]。フレームはレギュレーションじょう補強ほきょうしかみとめられていなかったのだが、当時とうじのAMAではどのチームにおいても秘密裏ひみつりにオリジナルフレームへのかわそう常態じょうたいしていたため、レギュレーションに抵触ていしょくするが、AHMも同様どうようにクロームモリブデンせいのオリジナルフレームを採用さいようした[24]

そして、前出ぜんしゅつのとおり、デイトナでは表彰台ひょうしょうだい独占どくせんし、このシーズンのシルバーにブルーのラインをあしらったCB750Fのカラーリングは、スペンサーカラーとしてホンダの代表だいひょうてきレプリカカラーとしてられるところとなった。

2014ねん現在げんざい、この車両しゃりょうはツインリンクもてぎに併設へいせつされたホンダコレクションホールで展示てんじおこなわれており、ホンダレーシングの殿堂でんどうりもたした。

鈴鹿すずか8あいだ耐久たいきゅうロードレース

1979ねん、TT-F1規定きていおこなわれた鈴鹿すずか8あいだ耐久たいきゅうロードレースでは前年度ぜんねんど出場しゅつじょうしたRCBのようなプロトタイプレーサーが出場しゅつじょうできなくなったため、ワークスチームもCB900Fをベースに参加さんかした。

CB900をるトニー・ハットン、マイク・コールぐみ優勝ゆうしょうし、上位じょうい8までを独占どくせんしたホンダぜいうち、4だいはCB900Fであった。

また、CB900Fをベースとして開発かいはつされたRS1000は鈴鹿すずか8あいだ耐久たいきゅうロードレース1981ねん大会たいかい優勝ゆうしょう獲得かくとくした[25]

生産せいさん終了しゅうりょう

CB-Fが発売はつばいされた1970年代ねんだいまつから1980年代ねんだい初頭しょとうにかけて日本にっぽんはバイクブームのただちゅうにあり、1981ねんから1982ねんにはオートバイの国内こくないそう生産せいさん台数だいすうは700まんだいえるにいたった[26]。そのため各社かくしゃとも次々つぎつぎとニューモデルを発表はっぴょうし、CB750FはXJ750E/A、Z750GPGSX750Sカタナなどの追撃ついげきにあった。また、HY戦争せんそうという対立たいりつ構造こうぞうもホンダの商品しょうひん開発かいはつ世代せだい交代こうたい加速かそくさせ、CB750Fは1982ねんとその存在そんざいかんはん短期間たんきかんでVがた4気筒きとうエンジンを搭載とうさいするVFシリーズに750ccのフラッグシップのゆず生産せいさん終了しゅうりょうさせた[27]

沿革えんかく

1977ねん

  • 4がつ、CB750A(EARA)が発売はつばいされる。ハイボチェーンやクラッチの技術ぎじゅつはCB-F系列けいれつがれた[28][29]

1978ねん

  • 8がつ、イギリスのアールズコートショーでCB900Fが発表はっぴょうされ、イギリスを皮切かわきりに9がつにドイツのケルンショー、10月のパリ・サロンと各国かっこくのモーターショーで公開こうかいされる。CB750Fは9月にハワイのディーラーミーティングで発表はっぴょうされた[30]
  • 12月、CB750KZが発売はつばいされる[31]

1979ねん

  • 6月22にち日本にっぽん国内こくないでCB750FZの発売はつばい開始かいしされた[32]

1980ねん

  • FA仕様しようへとマイナーチェンジがおこなわれた。
  • 5月、様々さまざま専用せんよう装備そうびあたえられたCB750カスタムエクスクルージブが1200だい限定げんてい発売はつばいされた[33]
  • 8がつ、イギリスのアールズコートショーでCB1100Rが発表はっぴょうされる。発売はつばいは9月に開始かいしされた。

1981ねん

CB900-F2 BOLD'OR
  • FB仕様しようへとマイナーチェンジがおこなわれた。
  • フロントブレーキキャリパーが2ポットになり、フロントフォークのインナーチューブみちφふぁい37mmへとサイズアップされ、あしまわりの強化きょうかはかられた。だが、一部いちぶではこれらのマイナーチェンジが適用てきようされていない車両しゃりょう市場いちばながれうつしていた[34]。CB750FBでは最高さいこう出力しゅつりょく発生はっせい回転かいてんすうがったことにより、燃費ねんぴが32Km/Lから35km/Lへと改善かいぜんされた[34]
  • 日本にっぽん国内こくないではCB750FBが4がつ22にち発売はつばい開始かいしされ[35]鈴鹿すずか8あいだ耐久たいきゅうロードレース優勝ゆうしょう記念きねんのCB750FBB(ボルドールⅡ)といった限定げんてい仕様しよう販売はんばいされたことにより、1979ねんから1988ねんのCB750F登録とうろく台数だいすうとしては、このとし最多さいたとなる11,760だいかぞえた[34]。CB750FBBにカウルやオイルクーラーを設置せっちしたCB750F2BBという特別とくべつ仕様しようしゃ存在そんざいし、販売はんばい価格かかくは848,000えんであった[36]
  • カスタムエクスクルーシブの後継こうけい車種しゃしゅとしてCB750カスタムが発売はつばいされる[27]
  • このとしよりあか塗装とそうされたフレームにカウルを搭載とうさいしたF2仕様しようもラインナップにくわわり、CB900Fの北米ほくべいでの販売はんばい開始かいしされた[37]

1982ねん

  • FC仕様しようへとマイナーチェンジがおこなわれた。
  • エンジンをラバーマウントし、フロントタイヤを18インチへサイズダウン、昨年度さくねんどつづきフロントフォークインナーチューブみちφふぁい39mmへさらにサイズアップされ、ホイールにはブーメランコムスターを採用さいようさらなるあしまわりの強化きょうかはかられた。
  • 日本にっぽん国内こくないにおいても正式せいしきにカウルが認可にんかされ、ヨーロッパけモデルと同様どうようのカウルを装着そうちゃくしたCB750F2C(インテグラ)がラインナップにくわわった[38]。そして、日本にっぽん国内こくないにおいてはFC仕様しよう最終さいしゅうモデルとなった[14]
  • ケルンショーにてCB1100Fが発表はっぴょうされる。

1983ねん

  • FD仕様しようへとマイナーチェンジがおこなわれた。スペックはFC仕様しようおなじで、内容ないようとしてはカラーチェンジにとどまった。
  • F2仕様しようのフレームカラーがくろ変更へんこうされた。

1984ねん

  • FD、F2DのエキゾーストシステムをCB1100Fとおなくろ塗装とそう処理しょりほどこされたものに変更へんこうするといったパーツの共有きょうゆうをすすめ、限定げんていてき輸出ゆしゅつ継続けいぞくしていたが、このとし最後さいごにCB-Fシリーズの生産せいさん終了しゅうりょうした[39]


参考さんこう画像がぞう

脚注きゃくちゅう

注釈ちゅうしゃく

  1. ^ どう時期じき販売はんばいされていた車種しゃしゅとして、MVアグスタ・MV600が1040,000えん(2,889ドル)、ミュンヒTT1000が1440,000えん(4,000ドル)といった販売はんばい価格かかくのところ、CB750Fourは535,000えん(1,495ドル)で販売はんばいされた。(いずれも当時とうじ換算かんさん価格かかく
  2. ^ アンチダイブ機構きこう

出典しゅってん

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  5. ^ ホンダCBストーリー P.93
  6. ^ ホンダCBストーリー P.98
  7. ^ ホンダCBストーリー P.149
  8. ^ あつしんゆめつくらん だい3 2ページ”. 2013ねん1がつ6にち閲覧えつらん
  9. ^ ホンダ CB-F オーナーズバイブル PP.162-163
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  34. ^ a b c ホンダCBストーリー P.156
  35. ^ CB750FB”. 2013ねん2がつ6にち閲覧えつらん
  36. ^ ホンダ CB-F オーナーズバイブル P.10
  37. ^ ホンダ CB-F オーナーズバイブル P.11
  38. ^ CB750F2C インテグラ”. 2013ねん2がつ6にち閲覧えつらん
  39. ^ ホンダCBストーリー P.158

参考さんこう文献ぶんけん

  • 小関おぜき和夫かずお『ホンダCBストーリー』三樹みき書房しょぼう、1998ねん4がつISBN 489522225X 

関連かんれん項目こうもく

  • ホンダ・CBX1000 - どう時期じき投入とうにゅうされただい排気はいきりょうだい出力しゅつりょくをコンセプトにしたフラッグシップマシン

外部がいぶリンク