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かんほう

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両用りょうようほうから転送てんそう
戦艦せんかんアイオワ」によるかんほう射撃しゃげき (1984ねん)

かんほう(かんぽう、英語えいご: Shipboard gun)は、艦船かんせん搭載とうさいされた火砲かほうのこと[ちゅう 1]

がい

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黎明れいめい

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火砲かほう艦船かんせん搭載とうさいされてかんほうとしてもちいられるようになったのは14世紀せいきからとされている[1]イギリス海軍かいぐんでは、1338ねん6月の時点じてんで、「クリストファー・オブ・ザ・タワー」にくすりしつ鉄製てつせいほう3もん、「バーナード・オブ・ザ・タワー」に鉄製てつせいほう1もん、「メリー・オブ・ザ・タワー」にくすりしつ2鉄製てつせいほう1もんくすりしつ1個いっこ青銅せいどうせいほう1もん搭載とうさいしていたほか、おう乗艦じょうかんのために鉄製てつせいほう1もん保管ほかんしていたことが記録きろくされている[2]

当時とうじ大砲たいほうけっしてふね破壊はかいしたりしずめたりするものではなく、ゆみおなじように人間にんげん殺傷さっしょうすることを目的もくてきとした兵器へいきであった[1]ひゃくねん戦争せんそうなか1340ねんたたかわれたスロイスの海戦かいせんでは、双方そうほうともに火砲かほう装備そうびしていたが、おも戦闘せんとう白兵戦はくへいせんであった[2]。そのだい航海こうかい時代じだい到来とうらいとともにこうようせい輸送ゆそう能力のうりょく向上こうじょうもとめられるようになり、15世紀せいきすえキャラックせん登場とうじょう16世紀せいきにはガレオンせん発展はってんしたが、これらは火砲かほう搭載とうさい能力のうりょくにもすぐれていた[3]商船しょうせん軍艦ぐんかん分化ぶんかすすむのにともない、17世紀せいきには戦列せんれつかんフリゲート登場とうじょうしたが、これらも造船ぞうせん技術ぎじゅつてきにはガレオンせん延長線えんちょうせんじょうにあった[4]一方いっぽう地形ちけい複雑ふくざつ風向かざむきの安定あんていしない地中海ちちゅうかいでは古代こだい以来いらいガレーせんなが使つかわれつづけたが、この船型せんけいでは船腹せんぷくかいあつか漕手そうしゅによってめられており、火砲かほう積載せきさい場所ばしょおもふね首尾しゅび限定げんていされたため、搭載とうさいすうかぎられた[3]

当初とうしょもちいられていた火砲かほう組立くみたてほう (Built-up gunばれる形式けいしきで、錬鉄れんてつせいかくぼう円筒えんとうがたならべたりみじか円筒えんとう前後ぜんごならべたりして砲身ほうしん作成さくせいし、その後尾こうび火薬かやくめたくすりしつつなぐものであった[1]へびがた長身ちょうしんほうserpentine gunもこの一種いっしゅであり、だいイタリア戦争せんそうなか1545ねん沈没ちんぼつした「メアリー・ローズ」にも搭載とうさいされていた[1][2]一方いっぽう当時とうじイングランド国王こくおうであったヘンリー8せいは、おさむしろほう艦載かんさいすれば船体せんたいをも破壊はかいできると着想ちゃくそうして王室おうしつのジェイムズ・ベイカー造船ぞうせん技師ぎしちょう検討けんとう指示しじしており、どう1545ねん8がつ15にちには「ミストレス」と「アン・ギャラント」に搭載とうさいされたほうフランスのガレーせんだんたいして実戦じっせん投入とうにゅうされて戦果せんかげているが、これはたいかん兵器へいきとしてのかんほう嚆矢こうしであった[5]

鋳造ちゅうぞうほう普及ふきゅう (16-18世紀せいき)

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カロネードほう(1779ねん

16世紀せいきには鋳造ちゅうぞうほうcast gun)が急速きゅうそく進歩しんぽした[1]。これは青銅せいどうまたは黄銅こうどう素材そざいとして、砲身ほうしんくすりしつ一体化いったいかして鋳造ちゅうぞうするもので、火薬かやく弾丸だんがん装填そうてんほうこうからおこなわれた[1]。この鋳造ちゅうぞうほうは、組立くみたてほうよりもだい口径こうけいだい重量じゅうりょう弾丸だんがんにも対応たいおう可能かのうで、砲身ほうしん命数めいすうおおきかった[1]。16世紀せいき実用じつようされたのち、鋳造ちゅうぞうほうはおよそ250年間ねんかんにわたっておおきな改良かいりょうけることなくかんほうとしてもちいられ、19世紀せいき初頭しょとうまで海軍かいぐん兵器へいき主役しゅやくとなった[1]

16世紀せいきのイギリス海軍かいぐんでは、かんほう下記かきのように区分くぶんしていた[1]

一般いっぱんかんほうとして多用たようされたのははんカルバリンほう以上いじょうのもので、1588ねんアルマダの海戦かいせんさいにイギリス艦隊かんたい搭載とうさいしていたほうの95パーセントがカルバリンほうであった[1]。カルバリンほう場合ばあい最大さいだい射程しゃていやく2キロあったものの、これはめくらげきちの状態じょうたい数値すうちであり、ねらちができる射距離しゃきょりは300メートル程度ていどかぎられた[1]。これは船体せんたい動揺どうようによって厳密げんみつ照準しょうじゅんむずかしくなるためで、実戦じっせんにおいては、イギリス海軍かいぐん提督ていとくたちは「50ヤード (46 m)以内いない」や「敵艦てきかんめるくらいの近距離きんきょり」での発射はっしゃ指令しれいしていた[2]

当時とうじ大砲たいほうは、船体せんたいというよりはマストや索具さくぐ破壊はかいや、これにともなってしょうじた破片はへんによる人員じんいん殺傷さっしょう目的もくてきとしており、カルバリンほう程度ていどでは船体せんたいやぶることもむずかしかった[1]。これにたいし、イギリス陸軍りくぐんメルヴィル将軍しょうぐん着想ちゃくそうをもとにカロンしゃ開発かいはつしたカロネードほうでは、砲身ほうしん短縮たんしゅくして口径こうけい拡大かくだいし、弾丸だんがんほう口径こうけいとのゆうすきをできるだけちいさくした構造こうぞう採用さいようしており、射程しゃてい妥協だきょうしつつ、破壊はかいりょく増大ぞうだい実現じつげんした[1]。イギリス海軍かいぐんではどうほう1780ねん採用さいようし、1782ねんより、艦長かんちょう希望きぼうした場合ばあい搭載とうさいできることとした[2]

18世紀せいきすえには榴弾りゅうだん発射はっしゃする臼砲きゅうほう艦載かんさいこころみられたが、これは部分ぶぶんとく強化きょうかする必要ひつようがあったことから、専用せんようかん臼砲きゅうほうかん)で運用うんようされた[1]

こうそうしきライフルほう重砲じゅうほう (19・20世紀せいき)

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砲車ほうしゃされたアームストロングほうのレプリカ

1855ねんウィリアム・アームストロングこうそうしきライフルほうというあたらしいタイプの大砲たいほう製作せいさく以後いご順次じゅんじ開発かいはつすすめており、1859ねんイギリス造兵ぞうへい委員いいんかいは、このアームストロングほうかんほうとして採用さいようすることを決定けっていした[6]。しかしどうほうには、せん開放かいほう不良ふりょうや、とくだい口径こうけいほうではみさおほう困難こんなんとなる問題もんだいがあり、またこの時点じてんでは装甲そうこう貫徹かんてつりょく照準しょうじゅん精度せいどぜんそうしきよりおとっていた[7]当時とうじ装甲そうこうかん登場とうじょうともなってたいかん兵器へいき貫徹かんてつりょく重視じゅうしされるようになり、ほうだい口径こうけいだい重量じゅうりょうすすんでいたことから、これは重大じゅうだい問題もんだいであった[7]

このことから、イギリスにおいてはアームストロングほうぜんそうほう折衷せっちゅうあんにあたるぜんそうしきライフルほう誕生たんじょうし、1864ねんにはこれがかんほうとして採用さいようされることになった[6][7]一方いっぽうプロイセン王国おうこくフランスではこうそうしきのままで重砲じゅうほうすすめたほか[6]、イギリス海軍かいぐんも、1879ねんにはふたたそうほう装備そうびへと転換てんかんした[8]。これはせん設計せっけい改良かいりょうによってのちそうほう実用じつようせい向上こうじょうしたことや、貫徹かんてつりょく向上こうじょう要求ようきゅうおよびそうやく発射はっしゃやく)の進歩しんぽによってちょう砲身ほうしんすすみ、ぜんそうほうへの装填そうてん作業さぎょうなどが実用じつようてきになったことによる決定けっていであった[8]。また重砲じゅうほうによって射程しゃてい破壊はかいりょく向上こうじょうした一方いっぽう発射はっしゃ速度そくど旋回せんかい俯仰ふぎょう速度そくど低下ていかし、当時とうじ登場とうじょうはじめていた水雷すいらいていとの交戦こうせん困難こんなんになっていることも問題もんだいされ[8]主砲しゅほうとしての重砲じゅうほうのほかに、なかしょう口径こうけいのちそうしきライフルほうである速射そくしゃほうもちいられるようになった[9]

砲塔ほうとう仕組しく

重砲じゅうほうは、ほう装備そうび形式けいしきにも変革へんかくをもたらした[6]従来じゅうらいかんほう木製もくせい砲車ほうしゃされており、発射はっしゃ反動はんどうは、支持しじさくいたほういん人力じんりき抑止よくしされていたが、重砲じゅうほうとともにこの方法ほうほう限界げんかいむかえたことから、1870ねんごろより、重力じゅうりょく水圧すいあつ空気圧くうきあつもちいたちゅう退すさ登場とうじょうはじめた[6]。また帆船はんせん時代じだいには、かんほうみさおさまたげないように多数たすう舷側げんそくほうとして搭載とうさいされていたのにたいして[10]ほう大型おおがたとともに、重量じゅうりょうやコストを抑制よくせいするため比較的ひかくてき少数しょうすう重砲じゅうほう搭載とうさいする方向ほうこうとなったことから、その少数しょうすうほうかい極力きょくりょくひろくとるために砲塔ほうとうもちいられるようになった[11]さら重砲じゅうほうすすむと、ほう旋回せんかい俯仰ふぎょうそうやく砲弾ほうだん装填そうてんなどを人力じんりきおこなうことはもはや不可能ふかのうとなり、りょくもちいられるようになったため、これらの動力どうりょく装置そうちわせるというめんでも砲塔ほうとうしきすぐれていた[11]

1890年代ねんだいにはすうせんメートルの射程しゃていをもつちょう砲身ほうしんのちそうしき重砲じゅうほう実用じつようされ、これを連装れんそう砲塔ほうとう2におさめてかん前後ぜんごに1ずつ配置はいちするのが標準ひょうじゅんてき戦艦せんかんとみなされた[12]。また炸裂さくれつだん導入どうにゅうされたこともあって、かんほうによる破壊はかいりょく飛躍ひやくてき強化きょうかされたが、重砲じゅうほうともなって発射はっしゃ間隔かんかくながくなって単位たんい時間じかんあたりの投射とうしゃ火力かりょくがかえって低下ていかしたことや、射程しゃてい延伸えんしん見合みあった照準しょうじゅん方法ほうほうわなかったこと、また装甲そうこう技術ぎじゅつ発達はったつしたことから、皮肉ひにくにも、19世紀せいき後半こうはんは、大砲たいほう効果こうかおおきく減殺げんさいされた時代じだいとなった[13][ちゅう 2]

その1905ねん日本海にほんかい海戦かいせんにおいて、かんほう火力かりょくによって装甲そうこうかんをも撃破げきはできることが実証じっしょうされ、またはか距儀射撃しゃげきばんなど各種かくしゅ装置そうち登場とうじょうともな砲術ほうじゅつ発達はったつによりやっと重砲じゅうほう破壊はかいりょく効果こうかてきもちいることができるようになると、よりだい口径こうけい強力きょうりょくほう搭載とうさいできるようにかん大型おおがたさせるという大艦だいかんきょほう主義しゅぎ時代じだい到来とうらいし、だいいち世界せかい大戦たいせんにおいてその成果せいか立証りっしょうされることとなった[12]。これをけて、せんあいだには各国かっこくともに戦艦せんかんめぐよう戦艦せんかんなど重砲じゅうほう搭載とうさいかんぞう備をすすめたものの、だい世界せかい大戦たいせんではこれらのかん同士どうし重砲じゅうほうわすような決戦けっせんはついに生起せいきせず、わずかにえいどくあいだ日米にちべいあいだ局地きょくち砲戦ほうせんだけにわり、だい口径こうけいほうしゅとして対地たいち射撃しゃげきもちいられた[10]

対空たいくう兵器へいきとしてのかんほう (20世紀せいき)

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76mmたんそう速射そくしゃほう周囲しゅういにはそら薬莢やっきょう散乱さんらんしている。

航空機こうくうき発達はったつとともに、20世紀せいき初頭しょとうにはすで艦載かんさい対空たいくう兵器へいき必要ひつようせい認識にんしきされており、たとえば1910ねんはんの『ブラッセー海軍かいぐん年鑑ねんかん』ではヴィッカースしゃ3ポンド高角こうかくほうなどを「たい気球ききゅうほう」(Anti-baloon guns)として紹介しょうかいしていた[14]。しかしこの時点じてんでは、飛行船ひこうせんにしても飛行機ひこうきにしても性能せいのうきわめて限定げんていてきであり、艦船かんせんたいする直接的ちょくせつてき脅威きょういとしての将来しょうらいてき潜在せんざいてき可能かのうせい認識にんしきされていたものの、艦艇かんていへの急速きゅうそく対空たいくう兵器へいき装備そうびにはむすびつかなかった[14]航空機こうくうきだいいち世界せかい大戦たいせんだい規模きぼ実戦じっせん投入とうにゅうされたものの、洋上ようじょうでの運用うんよう限定げんていてきで、依然いぜんとして真剣しんけん脅威きょういとはなかっていなかった[14]大戦たいせんちゅう各国かっこく主要しゅよう艦艇かんていには高角こうかくほう搭載とうさいされたものの、いずれも3インチほうクラスのたんそう高角こうかくほう2-4標準ひょうじゅんで、また射撃しゃげき指揮しきについてもとく措置そちこうじられることもなく、砲台ほうだいごとの各個かっこ射撃しゃげきであった[14]

せんあいだには、航空機こうくうき性能せいのう向上こうじょう航空こうくう母艦ぼかん登場とうじょうともなって、水上みずかみ艦艇かんていへの対空たいくう兵器へいき装備そうび本格ほんかくした[14]機関きかんほうのほかは3-4インチきゅう高角こうかくほうひろもちいられていたが、アメリカ海軍かいぐんでは、1926ねん起工きこうじゅう巡洋艦じゅんようかんペンサコーラ」のふくほう25口径こうけい5インチ高角こうかくほうとして両用りょうよう実行じっこうつぎ駆逐くちくかん主砲しゅほうとして38口径こうけい5インチ両用りょうようほう開発かいはつ戦艦せんかん巡洋艦じゅんようかん航空こうくう母艦ぼかんふくほうとしてもひろ搭載とうさいした[2]。また1930年代ねんだいからは、対空たいくう兵器へいきにも専用せんよう射撃しゃげき指揮しき装置そうち装備そうびされはじめた[14]

だい世界せかい大戦たいせんにおいてけいそら脅威きょういきわめて急激きゅうげき増大ぞうだいし、これに対抗たいこうするため、各国かっこく軍艦ぐんかんには各種かくしゅ機関きかんほう高角こうかくほう次々つぎつぎふえ備されるとともに、組織そしきすすめられていった[14]。またとくかんほうについては、アメリカ海軍かいぐん1943ねん近接きんせつ信管しんかん(VT信管しんかん)を実戦じっせん投入とうにゅうすると、だん誤差ごさをカバーできるようになり、有効ゆうこうだんかくりつ従来じゅうらい時計とけい信管しんかんによるものよりいちけたがったといわれている[14]

大戦たいせん航空機こうくうきジェット機じぇっときへの移行いこうすすむと、けいそら脅威きょういも、プロペラ時代じだいには多数たすう低速ていそくによるものであったのにたいし、比較的ひかくてき少数しょうすう高速こうそくへと様相ようそうえていった[14]。これにともなって短距離たんきょり防空ぼうくうにおける機関きかんほう価値かち低下ていかし、VT信管しんかん対応たいおうするとともに火器かき管制かんせいレーダーとも連動れんどうした3-5インチほうクラスが対空たいくう兵器へいき主流しゅりゅうとなっていった[14]。そのたいかんミサイル脅威きょうい顕在けんざいするとCIWSとして機関きかんほう復権ふっけんしたが、とくにアメリカ海軍かいぐんのようにはかん対空たいくうミサイル搭載とうさいかんをふんだんに保有ほゆうできない海軍かいぐん場合ばあい、3-5インチほうクラスのかんほうについても、ぜん自動じどう速射そくしゃほうによって対空たいくう射撃しゃげき能力のうりょく向上こうじょうさせて、防空ぼうくうもう一端いったんになわせることとなった[14]一方いっぽうとく冷戦れいせん終結しゅうけつにはマルチハザードおよびグローバルともなって任務にんむ多様たようすすんだことから、これらのかんほうは、対空たいくう射撃しゃげき能力のうりょくとともにたい水上すいじょう対地たいち能力のうりょくあわ用途ようとせいもとめられるようにもなった[14]

脚注きゃくちゅう

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注釈ちゅうしゃく

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  1. ^ 歴史れきしじょうにおいては軍艦ぐんかん道具どうぐとしてカタパルト大型おおがたいしゆみゆみバリスタ)を艦船かんせん搭載とうさいしたれいがある。
  2. ^ 蒸気じょうきせんへの移行いこうともなって、一時いちじてき衝角復権ふっけんにもつながり、19世紀せいき後半こうはんすうおおくの衝角攻撃こうげきおこなわれたが、成功せいこうしたものはきわめてわずかであった[13]

出典しゅってん

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  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n 青木あおき 1982, pp. 73–80.
  2. ^ a b c d e f 中名生なかのみょう 1996.
  3. ^ a b Barbero 2014, pp. 84–91.
  4. ^ 小林こばやし 2007, pp. 24–25.
  5. ^ 小林こばやし 2007, pp. 108–109.
  6. ^ a b c d e 青木あおき 1983, pp. 69–73.
  7. ^ a b c McNeill 2014, p. 41-47.
  8. ^ a b c McNeill 2014, pp. 97–104.
  9. ^ McNeill 2014, pp. 125–126.
  10. ^ a b 筑土 1992.
  11. ^ a b 青木あおき 1983, pp. 86–91.
  12. ^ a b 青木あおき 1983, pp. 137–143.
  13. ^ a b 青木あおき 1983, pp. 125–131.
  14. ^ a b c d e f g h i j k l つつみ 2006.

参考さんこう文献ぶんけん

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  • Barbero, Alessandro近世きんせいヨーロッパ軍事ぐんじ―ルネサンスからナポレオンまで』西澤にしざわりゅうせい (かんやく), 石黒いしぐろもりひさ (わけ)、ろんそうしゃ、2014ねん原著げんちょ2003ねん)。ISBN 978-4846012939 
  • McNeill, William Hardy戦争せんそう世界せかい下巻げかん高橋たかはしひとし (翻訳ほんやく)、中公ちゅうこう文庫ぶんこ、2014ねん原著げんちょ1982ねん)。ISBN 978-4122058989 
  • 青木あおき栄一えいいち『シーパワーの世界せかい〈1〉海軍かいぐん誕生たんじょう帆走はんそう海軍かいぐん発達はったつ出版しゅっぱん協同きょうどうしゃ、1982ねんNCID BN06116852 
  • 青木あおき栄一えいいち『シーパワーの世界せかい〈2〉蒸気じょうきりょく海軍かいぐん発達はったつ出版しゅっぱん協同きょうどうしゃ、1983ねんNCID BN06117039 
  • 高須たかす廣一ひろかず「「現代げんだいかんほう理解りかいのために その基本きほんてきメカニズムを解明かいめいする (特集とくしゅう最近さいきん艦載かんさいほう熕兵)」『世界せかい艦船かんせんだい267ごう海人あましゃ、62-69ぺーじ、1979ねん4がつNDLJP:3292056 
  • 小林こばやし幸雄ゆきお図説ずせつイングランド海軍かいぐん歴史れきしはら書房しょぼう、2007ねんISBN 978-4562040483 
  • 筑土龍男たつおだい口径こうけいほう その発達はったつって (特集とくしゅうだい口径こうけいほう)」『世界せかい艦船かんせんだい449ごう海人あましゃ、69-73ぺーじ、1992ねん4がつNDLJP:3292233 
  • つつみ明夫あきおほう熕兵そう (特集とくしゅう対空たいくうへいそう変遷へんせん)」『世界せかい艦船かんせんだい662ごう海人あましゃ、78-83ぺーじ、2006ねん8がつNAID 40007357719 
  • 中名生なかのみょう正巳まさみかんほう発達はったつ節目ふしめをプロットする (特集とくしゅうかんほう むかしいま)」『世界せかい艦船かんせんだい518ごう海人あましゃ、69-75ぺーじ、1996ねん12月。NDLJP:3292302 

関連かんれん項目こうもく

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