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皇室こうしつ財産ざいさん

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御料地ごりょうちから転送てんそう

皇室こうしつ財産ざいさん(こうしつざいさん)は、皇室こうしつ家産かさんである。三種さんしゅ神器じんぎなど由緒ゆいしょあるものは、皇位こうい継承けいしょうとともに皇嗣こうしけることが皇室こうしつ経済けいざいほうだい7じょうさだめられている。

現在げんざい日本国にっぽんこく憲法けんぽう[編集へんしゅう]

日本国にっぽんこく憲法けんぽうでは、憲法けんぽうじょう明文めいぶんにより、皇室こうしつ財産ざいさんくにぞくするものとされ、皇室こうしつ費用ひよう予算よさん計上けいじょうして国会こっかい議決ぎけつることとなった(88じょう)。御料地ごりょうち国有こくゆうりんもどされ、皇室こうしつ財産ざいさんだい規模きぼくに財産ざいさん転換てんかんされた。現在げんざい法律ほうりつでは、国有こくゆう財産ざいさん管理かんりについて規定きていする国有こくゆう財産ざいさんほうだい3じょうが、国有こくゆう財産ざいさん目的もくてきさだまった行政ぎょうせい財産ざいさんとそれ以外いがい普通ふつう財産ざいさんけ、行政ぎょうせい財産ざいさん一種いっしゅに「皇室こうしつよう財産ざいさん」をおく。この法律ほうりつがいう国有こくゆう財産ざいさんは、不動産ふどうさんとそのしたがえぶつ船舶せんぱく航空機こうくうき株券かぶけん債券さいけんなどにかぎられ、一般いっぱん動産どうさんはいらない。

憲法けんぽうだい8じょうは、皇室こうしつ財産ざいさんゆずわたし、皇室こうしつ財産ざいさんゆずられたりあたえたりするさいには、国会こっかい議決ぎけつなければならないとした。実際じっさいには個々ここ財産ざいさん変動へんどう個別こべつ議決ぎけつおこなわれるわけではなく、皇室こうしつ経済けいざいほうだい2じょうが、売買ばいばいなどの通常つうじょう私的してき経済けいざい行為こうい外国がいこく交際こうさい贈答ぞうとう遺贈いぞう遺産いさんたまものあずかには国会こっかい個別こべつ議決ぎけつ必要ひつようとしないとさだめているほか、1年度ねんど総額そうがく皇室こうしつ経済けいざいほう施行しこうほうもとづく限度げんどがくないおさまる場合ばあいは、個別こべつ議決ぎけつおこなっていない。なお、皇室こうしつ経済けいざいほう例外れいがいはいるものでも、いちがくいち年度ねんど総額そうがく国有こくゆう財産ざいさんほうだい13じょう2こうさだめられたそれぞれの限度げんどがくえると、国会こっかい議決ぎけつ必要ひつようになる。限度げんどがく国有こくゆう財産ざいさんほうさだめるもののほうおおきい。

皇室こうしつよう財産ざいさん明細めいさいれい2ねん3がつ31にち現在げんざい[1] (単位たんい ひゃくまんえん
番号ばんごう 土地とち 立木たちきちく 建物たてもの 工作こうさくぶつ 船舶せんぱく 地上ちじょうけんとう 合計ごうけい 所在地しょざいち 番号ばんごう
数量すうりょう 価格かかく 樹木じゅもく 立木たちき たけ 価格かかく 数量すうりょう 価格かかく 価格かかく 数量すうりょう 価格かかく 数量すうりょう 価格かかく 価格かかく
せんm2 千本せんぼん せんm3 千束ちづか
せんm2
せき せんm2
皇居こうきょ 1 1,150 361,565 46 - - 478 108 4,331 1,976 1 0 - - 368,351 東京とうきょう千代田ちよだ 1
赤坂あかさか用地ようち 2 508 210,527 9 - 0 108 25 1,768 1,199 1 0 - - 213,604 東京とうきょうみなと 2
常盤ひたちまつ御用邸ごようてい 3 19 18,008 0 - - 16 1 139 106 - - - - 18,270 東京とうきょう渋谷しぶや 3
須崎すさき御用邸ごようてい 4 384 1,413 0 9 0 16 5 76 134 - - - - 1,640 静岡しずおかけん下田しもだ 4
御料ごりょう牧場ぼくじょう 5 2,518 1,869 6 0 0 44 21 646 928 - - - - 3,488 栃木とちぎけん塩谷しおやぐん 5
葉山はやま御用邸ごようてい 6 95 2,984 4 - 0 9 3 124 57 - - - - 3,176 神奈川かながわけん三浦みうらぐん 6
新浜にいはまかもじょう 7 195 54 1 - 0 4 1 42 237 4 0 - - 339 千葉ちばけん市川いちかわ 7
埼玉さいたまかもじょう 8 116 217 1 - 1 20 1 4 15 3 0 - - 258 埼玉さいたまけん越谷こしがや 8
那須なす御用邸ごようてい 9 6,625 157 0 15 - 7 6 84 64 - - 1 17 331 栃木とちぎけん那須なすぐん 9
高輪たかなわ皇族こうぞくてい 10 19 18,807 1 - - 54 2 110 256 - - - - 19,229 東京とうきょうみなと 10
京都きょうと御所ごしょ 11 201 49,914 3 - - 7 16 235 464 2 1 - - 50,623 京都きょうと京都きょうと 11
修学院しゅうがくいん離宮りきゅう 12 544 1,158 0 6 0 13 1 8 125 1 0 - - 1,306 京都きょうと京都きょうと 12
かつら離宮りきゅう 13 69 2,076 1 - 0 16 2 28 92 1 0 - - 2,214 京都きょうと京都きょうと 13
せいくらいん 14 88 412 1 - - 6 5 758 496 - - - - 1,674 奈良ならけん奈良なら 14
陵墓りょうぼ 15 6,515 9,904 17 159 3 479 6 423 2,503 11 0 - - 13,310 大阪おおさかさかいほか 15
合計ごうけい 16 19,055 679,072 97 191 5 1,286 209 8,782 8,659 24 2 1 17 697,820 16
国有こくゆう財産ざいさんほう13じょう2こう議決ぎけつ一覧いちらん[2]
国会こっかいかい 提出ていしゅつ 衆議院しゅうぎいん可決かけつ 参議院さんぎいん可決かけつ 備考びこう
だい8かい  1950ねん昭和しょうわ25ねん)7がつ27にち  同年どうねん7がつ29にち  同年どうねん7がつ30にち  葉山はやま御用邸ごようてい附属ふぞく用途ようと廃止はいし
だい9かい 1950ねん昭和しょうわ25ねん)12月5にち 同年どうねん12がつ7にち 同年どうねん12がつ8にち 四条しじょうみかど陵墓りょうぼ敷地しきち一部いちぶ中学校ちゅうがっこうおよ高等こうとう学校がっこう用地ようちとする
だい13かい 1952ねん昭和しょうわ27ねん)4がつ15にち 同年どうねん4がつ26にち 同年どうねん5がつ16にち 千代田ちよだグラウンドを皇居外苑こうきょがいえん一環いっかんとして整備せいび運営うんえいする
だい16かい 1953ねん昭和しょうわ28ねん)7がつ16にち 同年どうねん7がつ21にち 同年どうねん7がつ24にち 正倉院宝物しょうそういんほうもつ保存ほぞん目的もくてきとして新築しんちくされたしん宝庫ほうこ皇室こうしつよう財産ざいさんとして管理かんりするため
1953ねん昭和しょうわ28ねん)7がつ16にち 同年どうねん7がつ21にち 同年どうねん7がつ24にち 皇居こうきょない吹上ふきあげ文庫ぶんこ増築ぞうちくおよ修理しゅうりのため
だい19かい 1954ねん昭和しょうわ29ねん)2がつ8にち 同年どうねん3がつ6にち 同年どうねん2がつ26にち 参議院さんぎいん先議せんぎ
せいくらいん保存ほぞん修理しゅうりしつ皇室こうしつよう財産ざいさんとして取得しゅとくするため
だい25かい 1956ねん昭和しょうわ31ねん)11月13にち  同年どうねん12がつ4にち 同年どうねん12がつ3にち 参議院さんぎいん先議せんぎ
かり宮殿きゅうでんとして使用しようちゅう宮内庁くないちょう庁舎ちょうしゃ3かい部分ぶぶん皇室こうしつよう財産ざいさんとして取得しゅとくするひとしのため
だい26かい 1957ねん昭和しょうわ32ねん)4がつ9にち 同年どうねん4がつ19にち 同年どうねん5がつ15にち 皇居こうきょないかり宮殿きゅうでんおよ平河ひらかわきょう工事こうじとう火災かさい焼失しょうしつした京都きょうと御所内ごしょうちしょう御所ごしょ復元ふくげんのため
だい29かい 1958ねん昭和しょうわ33ねん)6がつ18にち 同年どうねん7がつ8にち 同年どうねん7がつ4にち 参議院さんぎいん先議せんぎ
皇居こうきょ参観さんかんじん休憩きゅうけいしょ設置せっち東宮御所とうぐうごしょ新築しんちくとうのため
だい31かい 1959ねん昭和しょうわ34ねん)2がつ17にち 同年どうねん2がつ27にち 同年どうねん3がつ13にち 皇居こうきょない敷地しきち舗装ほそうせいくらいんだいしん宝庫ほうこ新築しんちくおよ皇室こうしつよう財産ざいさんとしての取得しゅとくのため
だい34かい 1960ねん昭和しょうわ35ねん)3がつ23にち 同年どうねん4がつ15にち 同年どうねん4がつ27にち 天皇てんのう皇后こうごう住居じゅうきょ増築ぞうちくのため
だい40かい 1962ねん昭和しょうわ37ねん)3がつ19にち 同年どうねん4がつ6にち 同年どうねん4がつ23にち 葉山はやま御用邸ごようてい暖房だんぼう設備せつび新設しんせつ皇居こうきょない生物せいぶつ標本ひょうほんしつ新築しんちく皇居こうきょ付属ふぞくにわ施設しせつ整備せいび計画けいかくによる建物たてもの新築しんちくのため
だい43かい 1963ねん昭和しょうわ38ねん)1がつ31にち 同年どうねん5がつ23にち 同年どうねん2がつ20日はつか 参議院さんぎいん先議せんぎ
二重橋にじゅうばしえ、病院びょういん新設しんせつとうのため
だい46かい 1964ねん昭和しょうわ39ねん)2がつ11にち 同年どうねん4がつ3にち 同年どうねん2がつ21にち 参議院さんぎいん先議せんぎ
厚生省こうせいしょう所管しょかん公共こうきょうよう財産ざいさん宮内庁くないちょうへの移管いかんのため
だい65かい 1971ねん昭和しょうわ46ねん)2がつ4にち 同年どうねん4がつ22にち 同年どうねん2がつ24にち 参議院さんぎいん先議せんぎ
宣仁のぶひと親王しんのう高松宮たかまつのみやてい建設けんせつ用地ようちとして大蔵省おおくらしょう所管しょかん普通ふつう財産ざいさん宮内庁くないちょう所管しょかん皇室こうしつよう財産ざいさん移管いかんするため
だい108かい 1987ねん昭和しょうわ62ねん)4がつ28にち 同年どうねん5がつ14にち 同年どうねん5がつ22にち 宣仁のぶひと親王しんのう高松宮たかまつのみや所有しょゆう財産ざいさん遺贈いぞうにより皇室こうしつよう財産ざいさんとして取得しゅとくするため

歴史れきし[編集へんしゅう]

古代こだい[編集へんしゅう]

古代こだいにおける皇室こうしつ財産ざいさん実態じったい不明ふめい部分ぶぶんおおいが、たむろくら御厨みくりやなどの所有しょゆうかたち保持ほじされてきた。『日本書紀にほんしょき』の記述きじゅつしんじるならば、たれじん天皇てんのう27ねん紀元前きげんぜん3ねん)に最初さいしょたむろくら設置せっちされたとされている。これらは律令制りつりょうせい以後いご大炊おおいりょう内膳ないぜん管理かんりかれて皇室こうしつ直接ちょくせつ支配しはいからははなれた。平安へいあん時代じだいはいると、これらにわるものとして勅旨ちょくし勅旨ちょくしまきなどの設定せっていおこなわれたほか上皇じょうこう生活せいかつ保持ほじのためにこういんによるわたしりょう形成けいせいされた。院政いんせい成立せいりつ上皇じょうこういん)のもと大量たいりょう荘園しょうえん集中しゅうちゅうしたこと、いんみやぶんこく確立かくりつによって、てんきみ一大いちだい荘園しょうえん領主りょうしゅとなるとともに国衙こくがりょう女院にょいんりょう御願ごがんてらりょうなどをふくめた膨大ぼうだい皇室こうしつ財産ざいさん運営うんえいするようになった。

中世ちゅうせい[編集へんしゅう]

その承久じょうきゅうらんともな鎌倉かまくら幕府ばくふによる皇室こうしつりょう大量たいりょう接収せっしゅうのちこう高倉たかくらいんたいして返還へんかんされる)や皇統こうとう分裂ぶんれつともな皇室こうしつりょう分裂ぶんれつなどをて、明徳めいとくやくによる南北なんぼくあさ統一とういつによってその大半たいはん持明院じみょういんみつる嫡流ちゃくりゅうとされた伏見ふしみ宮家みやけもと集中しゅうちゅうされた。だが、同家どうけ嫡流ちゃくりゅう地位ちいあらそっていたこう小松こまつ天皇てんのう伏見ふしみ宮家みやけから所領しょりょうをことごとくうばい、室町むろまち幕府ばくふんだ内紛ないふんとなるが、こう小松こまつ系統けいとう断絶だんぜつ伏見ふしみ宮家みやけへの皇位こうい継承けいしょうこう花園天皇はなぞのてんのう)によってようや安定あんていした。また、これによって院政いんせい中断ちゅうだんしたために仙洞せんとうりょう天皇てんのうした統合とうごうされた。この時期じきになると、室町むろまち幕府ばくふ公方くぼう御料ごりょう区別くべつする意味いみで・禁裏きんり御料ごりょう皇室こうしつ御領ごりょうなどとばれるようになる。また、南北なんぼくあさ時代じだいから室町むろまち時代ときよにかけてしょつかさりょうや、りつぶんせき供御くごじん制度せいどもうけられてそこから上納じょうのうされる金銭きんせん収入しゅうにゅう不足ふそくおぎなうようになっていった。だが、戦国せんごく時代じだいはいると山国やまくにそうなどのように禁裏きんり御料ごりょうであった各地かくち荘園しょうえん地元じもと戦国せんごく大名だいみょう国人くにびと領主りょうしゅおかせだつされ、収入しゅうにゅうとどこおった皇室こうしつではこう土御門天皇つちみかどてんのう葬儀そうぎが1かげつ以上いじょうけずに遺体いたい放置ほうちされるなどの深刻しんこく状況じょうきょうとなった。

近世きんせい[編集へんしゅう]

織田おだ信長のぶなが豊臣とよとみ秀吉ひでよし皇室こうしつ所領しょりょう一部いちぶ献上けんじょうしてようやく7せんせきぶん禁裏きんり御料ごりょう確保かくほした。1601ねん徳川とくがわ家康いえやすあらためて1まんせき禁裏きんり御料ごりょうとして確定かくていさせ、以後いご江戸えど幕府ばくふは1623ねんと1705ねんにそれぞれ1まんせきずつ所領しょりょう献上けんじょうして以後いご3まんせき禁裏きんり御料ごりょう確定かくていする。その豊臣とよとみ政権せいけん時代じだいさだめられてそのまま継承けいしょうされた京都きょうとぎん地子じし宇治うじ田原たはらちゃたいする賦課ふかちゃやく)などによる収入しゅうにゅうがあった。また幕府ばくふにんじた武家ぶけ官位かんい朝廷ちょうてい正式せいしき官位かんい官職かんしょくとして勅許ちょっきょされるさいに、任官にんかんされるしょ大名だいみょう旗本はたもとしたがえしょ大夫たいふかねじゅうりょう大納言だいなごんぎん100まいといった具合ぐあい天皇てんのうたいして金子かねこ進上しんじょうすることになっていた。武家ぶけ官位かんい授与じゅよすう年間ねんかんで3けた以上いじょうになるため、武家ぶけ官位かんい授与じゅよ江戸えど時代じだい朝廷ちょうていにとってはおおきな収入しゅうにゅうげんになっていた[3]

このほか朝廷ちょうてい奉仕ほうしする公家くげにも公家くげりょうあたえられ、それがやく10まんせきあったとされている。大政奉還たいせいほうかん直前ちょくぜんの1867ねん徳川とくがわ慶喜よしのぶ山城やましろいちこく23まんせき禁裏きんり御料ごりょうとして献上けんじょうすること朝廷ちょうていとの関係かんけいをつなぎめようとするが、失敗しっぱいわっている。戊辰戦争ぼしんせんそうによって朝廷ちょうてい幕府ばくふおよ佐幕さばくしょはんよりけい150まんせき没収ぼっしゅうして禁裏きんり御料ごりょう編入へんにゅうしている。これが明治めいじ政府せいふ国有こくゆう財産ざいさんとしてその財政ざいせい基盤きばんとなる。

近代きんだい大日本帝国だいにっぽんていこく憲法けんぽう[編集へんしゅう]

1947ねん昭和しょうわ22ねん)に国有こくゆう財産ざいさんはらげられた皇室こうしつ財産ざいさん[2][4]
普通ふつう国有こくゆう財産ざいさんとなったもの 皇室こうしつよう財産ざいさんとされたもの
名称めいしょう 土地とち面積めんせきm2 名称めいしょう 土地とち面積めんせき(m2
高輪たかなわ御料地ごりょうち 11,273 皇居こうきょ 881,803
常盤ひたちまつだい御料地ごりょうち 4,513 赤坂あかさか離宮りきゅう 640,764
四谷よつやだい御料地ごりょうち 33,506 常盤ひたちまつ御用邸ごようてい 19,822
落合おちあい御料地ごりょうち 11,242 高輪たかなわ南町みなみまち御用邸ごようてい 39,523
高田たかだだいいちだい御料地ごりょうち 215,913 葉山はやま御用邸ごようてい 130,067
新宿しんじゅく御苑ぎょえん 356,324 沼津ぬまづ御用邸ごようてい 154,927
紀尾井町きおいちょうだいさん御料地ごりょうち 9,629 那須なす御用邸ごようてい 12,253,914
三番さんばんまちだいいちだいさん御料地ごりょうち 24,325 京都きょうと御所ごしょ
大宮おおみや御所ごしょ仙洞せんとう御所ごしょふくむ。)
201,581
喜多見きたみだいいち御料地ごりょうち 110,906
かく府県ふけん神社じんじゃ 1,096,826 かつら離宮りきゅう 65,165
日光にっこう御用邸ごようていおよどう水源すいげん 42,613 修学院しゅうがくいん離宮りきゅう 569,748
田母沢たもざわ御用邸ごようていおよどう附属ふぞく 107,085 せいくらいん 89,994
塩原しおばら御用邸ごようてい 51,168 東宮とうぐう仮寓かぐうしょ建物たてもののみ) 1,243
伊香保いかほ御用邸ごようてい 248,905 下総しもうさ御料ごりょう牧場ぼくじょう 5,238,123
新冠にいかっぷ御料ごりょう牧場ぼくじょう 170,845,118 新浜にいはまかもじょう 324,145
京都きょうと山科やましなだいいちだいさん御料地ごりょうち 10,803 埼玉さいたまかもじょう 116,142
鎌倉かまくらだい御料地ごりょうち 4,680 陵墓りょうぼ 6,561,040
けい 174,173,556 けい 27,187,192

大日本帝国だいにっぽんていこく憲法けんぽうしたでは、天皇てんのう個人こじんてき財産ざいさん御料ごりょう(ごりょう)あるいは御料地ごりょうち(ごりょうち)とばれ、帝国ていこく議会ぎかい統制とうせいがいにあった。御料ごりょうそのものは憲法けんぽう制定せいてい以前いぜんから存在そんざいし、明治維新めいじいしん木戸きど孝允たかよし徳大寺とくだいじ実則さねつね元田もとだえいまことらによってその充実じゅうじつもとめる意見いけんしょされていたが、だい部分ぶぶん御料ごりょう形成けいせい憲法けんぽう制定せいていふかいかかわりがあった。日本にっぽんにおける国会こっかい開設かいせつ憲法けんぽう制定せいていは、自由じゆう民権みんけん運動うんどうへの譲歩じょうほという側面そくめんち、そこでは国家こっか予算よさん国会こっかい承認しょうにんようすることになった。これをきらった岩倉いわくら具視ともみは、国会こっかい開設かいせつまえ国有こくゆう財産ざいさん相当そうとう部分ぶぶん皇室こうしつ財産ざいさんうつし、国会こっかいから遮断しゃだんすることをかんがえた。そこで、1898ねん明治めいじ22ねんごろにそれまでの官有かんゆうりん国有こくゆうりん)はだい部分ぶぶん御料林ごりょうりんにされ、かたちでもくに財産ざいさん皇室こうしつ財産ざいさんだい規模きぼ転換てんかんされた。また、1884ねん大蔵おおくらきょう松方まつかた正義まさよし建議けんぎによって日本銀行にっぽんぎんこう横浜よこはま正金しょうきん銀行ぎんこうつづいて1887ねんには日本郵船にっぽんゆうせん政府せいふ保有ほゆう株式かぶしき次々つぎつぎ皇室こうしつ献上けんじょうされている。

御料ごりょうおよび皇族こうぞく財産ざいさん管理かんりについては法律ほうりつではなく皇室こうしつれいというほう形式けいしきをとる皇室こうしつ財産ざいさんれいにより規定きていされた。御料ごりょうでん御料ごりょう普通ふつう御料ごりょうかれ、でん御料ごりょうはそのとおだいがれるべきもので、きゅう皇室こうしつ典範てんぱんだい45じょうにより分割ぶんかつ譲与じょうよきんじられた。

わすれられた御料地ごりょうち[編集へんしゅう]

北海道ほっかいどう弟子屈てしかがまちにあったきゅう御料地ごりょうち1まん8800ヘクタール(まち面積めんせきの24%)は「宮内みやうち大臣だいじん」の名義めいぎ登記とうきされたままであった[5]宮内庁くないちょう管理かんりが「弟子屈てしかがまち所管しょかん財産ざいさん存在そんざいしない」として北海道ほっかいどう財務局ざいむきょくなどによる処理しょりもとめ、2001ねん平成へいせい13ねん)12月、財務局ざいむきょく北海道庁ほっかいどうちょう弟子屈てしかがまちなどによる協議きょうぎかいにより、摩周湖ましゅうこふく大半たいはん所有しょゆうしゃのない不動産ふどうさんとなった。

幕末ばくまつ皇室こうしつりょう[編集へんしゅう]

国立こくりつ歴史れきし民俗みんぞく博物館はくぶつかんの『きゅうこう旧領きゅうりょう取調とりしらべちょうデータベース』より算出さんしゅつした幕末ばくまつ皇室こうしつりょう以下いかとおり。(186むら・47,186せきあまり

●は御料ごりょう、○はじょりょう、▲はじゅんきさき御料ごりょう、△は和宮かずのみや御料ごりょう、★は内侍所ないしどころ御料ごりょう、☆は仙洞せんとう御領ごりょう、■は伏見ふしみみやりょう、□はかつらみやりょう、◆は有栖川ありすがわみやりょう、◇は閑院みやりょうあらわす。

  • 山城やましろこく愛宕あたごぐんのうち - 20むら(4,570せきあまり
    • 田中たなかむら、○一乗寺いちじょうじむら、●鹿しか谷村たにむら、●▲修学院しゅうがくいんむら、●ひがし紫竹大門しちくだいもんむら、■千本せんぼんまわり、●西にし紫竹大門しちくだいもんむら、○西賀茂にしがもむら、●下鴨しもがもむら、●○▲松ヶ崎まつがさきむら、●○▲岩倉いわくらむら、●■花園はなぞのむら、●はた枝村えだむら、●市原いちはらむらかく一部いちぶおよび●中村なかむら、●高野たかのむら、●はちむら、○出谷でたにむら、○中畑なかはたむら、○中津川なかつがわむら
  • 山城やましろこく葛野かずらのぐんのうち - 22むら(6,701せきあまり
    • 西院さいいんりょう、■西京にしぎょうむら、■朱雀すざくむら、●唐橋からはしむら、●○△川島かわじまむら、●下津林しもつばやしむら、●うえかつらむら、■聚楽じゅらくまわり、◆大石おおいし中里なかさとむらかく一部いちぶおよび□川勝かわかつ寺村てらむら、□宿やどむら、□したかつらむら、□徳大寺とくだいじむら、□御陵ごりょうむら、◆安養寺あんようじむら、○中村なかむら、○東河内ひがしこうちむら、○西河内さいごうちむら、○すぎばんむら、○上村うえむら、○下村しもむら、○真弓まゆみむら
  • 山城やましろこく乙訓おとくにぐんのうち - 15むら(1,935せきあまり
    • ●■うえ久世くせむら、★久我くがむら、●物集女もずめむら、■鶏冠井かいでむら、●寺戸てらどむら、●上植野かみうえのむら、□開田かいだむら、●■今里いまさとむら、●灰方はいがたむら、●外畑そとばたけむら、●○石見いわみ上里かみざとむら、○大原野おおはらのむらかく一部いちぶおよび■下海印寺しもかいいんじむら、■きむ原村はらむら、○浄土谷じょうどだにむら
  • 山城やましろこく紀伊きいぐんのうち - 5むら(411せきあまり
    • ○▲とう森村もりむら、●★下三栖しもみすむら、★■吉祥院きっしょういんむら、○石原いしはらむら、●★深草ふかくさむらかく一部いちぶ
  • 山城やましろこく宇治うじぐんのうち - 28むら(7,356せきあまり
    • 御陵ごりょうむら、●きた小栗栖おぐりすむら、●四宮しのみやむら、●西野にしのむら、●みなみ小栗栖おぐりすむら、▲しょうかく一部いちぶおよび●東野とうのむら、●大宅おおやけむら、●北花山きたかざんむら、●上花山かみかざんむら、●日岡ひおかむら、●川田かわたむら、●八軒はちけんまち、●ひげ茶屋ちゃやむら、●挑灯まち、●行燈あんどんまち、●《音羽おとわむら小山おやまむら立会たちあい新田しんでん、●小山おやまむら、●椥辻なぎつじむら、●音羽おとわむら、●厨子ずし奥村おくむら、●上野うえのむら、●竹ヶ鼻たけがはなむら、●大塚おおつかむら、●栗栖野くりすの新田にった、●西野山にしのやまむら、●三室みむろ戸村とむら、●志津川しづがわむら
  • 山城やましろこく久世くせぐんのうち - 1むら(1,001せきあまり
    • 寺田てらだむら一部いちぶ
  • 山城やましろこく綴喜つづきぐんのうち - 31むら(6,725せきあまり
    • 水主みずしむら、●みなみ興戸こうどむら、●○江津ごうつむら、●天王てんのうむら、●○出垣内でがいとむら、●上村うえむら、●高木たかぎむら、●奈島なしまむら、○井手いでむらかく一部いちぶおよび●宮口みやぐちむら、●水取みずとりむら、●郷口ごうぐちむら、●ろう中村なかむら、●名村なむら、●きり林村はやしむら、●熱田あつたむら、●さくむら、●荒木あらきむら、●とうつかむら、●大道寺だいどうじむら、●平岡ひらおかむら、●岩本いわもとむら、●禅定寺ぜんじょうじむら、●長山ながやまむら、●湯屋谷ゆやだにむら、●川上かわかみむら、●みやむら、●茶屋ちゃやむら、●かしわむら、●多賀たがむら、●奥山おくやま新田にった
  • 山城やましろこく相楽さがらぐんのうち - 39むら(11,772せきあまり
    • 林村はやしむら、●○椿井つばいむら、●神童子じんどうじむら、●平尾ひらおむら、●○菱田ひしたむら、●植田うえだむら、●菅井すがいむら、●吐師はぜむら、●乾谷いぬいだにむら、●山田やまだむら、●柘榴ざくろむら、●相楽さがらむら、○小寺こでらむら、○せん童子どうじむら、○市坂いちさかむら、■鹿しか脊山むら、○大路おちむらかく一部いちぶおよび●綺田かばたむら、●上津かみづむら、●南川みなみがわむら、●西村にしむら、●河原かわはらむら、●岡崎おかざきむら、●井平尾いびらおむら、●石寺いしてらむら、●白栖しらすむら、●別所べっしょむら、●そのむら、●原山はらやまむら、●湯舟ゆぶねむら、●門前もんぜむら、●釜塚かまつかむら、●南村なんそん、●木屋こやむら、●撰原えりはらむら、●下島したじまむら、●田村新田たむらしんでん、●杣田そまだむら、●中村なかむら
  • 摂津せっつこく西成にしなりぐんのうち - 2むら(583せきあまり
    • 南宮原みなみみやばるむら一部いちぶおよび◇堀上ほりあげむら
  • 摂津せっつこくしま下郡しもごおりのうち - 6むら(2,330せきあまり
    • 下中条しもちゅうじょうむら、☆鮎川あいかわむら、☆吹田すいたむら、◇丑寅うしとらむらかく一部いちぶおよび◇西蔵にしくら垣内かきうちむら、☆上野うえのむら
  • 丹波たんばこく桑田くわたぐんのうち - 10むら(2,621せきあまり
    • 土田どたむら、●井戸いどむらかく一部いちぶおよび○せん畑村はたむら、○並川なみかわむら、●鳥居とりいむら、●とうむら、●上黒田かみくろだむら、●下黒田しもくろだむら、●くろ田宮たみやむら、●小塩おしおむら
  • 丹波たんばこく船井ふないぐんのうち - 7むら(1,177せきあまり
    • 池上いけがみむら、▲日置ひおきむら、○氷所ひどころむら、▲観音寺かんおんじむら、▲野条のじょうむらかく一部いちぶおよび○佐切さぎりむら、○越方おちかたむら

ギャラリー[編集へんしゅう]

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ 「22. 皇室こうしつよう財産ざいさん明細めいさい」、『財政ざいせい金融きんゆう統計とうけい月報げっぽうだい825ごう p.148財務省ざいむしょう財務ざいむ総合そうごう政策せいさく研究所けんきゅうじょへん、2021ねん1がつ、2021ねん5がつ16にち閲覧えつらん
  2. ^ a b 象徴しょうちょう天皇てんのうせいかんする基礎きそてき資料しりょう衆議院しゅうぎいん憲法けんぽう調査ちょうさかい最高さいこう法規ほうきとしての憲法けんぽうのありかたかんする調査ちょうさしょう委員いいんかい、2003ねん
  3. ^ 藤田ふじたさとし天皇てんのう歴史れきし06 江戸えど時代じだい天皇てんのう』(講談社こうだんしゃ2011ねん)203-204ぺーじ参照さんしょう
  4. ^ なお、1945ねん昭和しょうわ20ねん)11月時点じてんで、11月3にち箱根はこねかつら武庫むこの3離宮りきゅう地方自治体ちほうじちたいに、11月5にち那須なす金丸かねまるばら富士ふじ山麓さんろく大野ケ原おおのがはら岡崎おかざき郊外こうがいだかばら土地とちや、42まん7000せき木材もくざい日本にっぽん政府せいふ下賜かししており、さらにその一部いちぶ民間みんかんはらげとなっている。これらは一部いちぶのぞ下表かひょうふくまれていないので注意ちゅういされたし。
  5. ^ なお、きゅう皇室こうしつ財産ざいさんれいにおいては、御料ごりょうまたは皇族こうぞく財産ざいさんかんする法律ほうりつじょう行為こういについては宮内くない大臣だいじんをもってその当事とうじしゃとみなすものとされていた。

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]