(Translated by https://www.hiragana.jp/)
祈願所 - Wikipedia コンテンツにスキップ

祈願きがんしょ

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
御願ごがんてらから転送てんそう

祈願きがんしょ(きがんじょ)は神社じんじゃ寺院じいんの1つで、とく人々ひとびとかみふつねがごとおこな寺社じしゃす。寺院じいん場合ばあい祈願きがんてら御願ごがんてらう。

また、天皇てんのうによって祈願きがんてらとなった寺院じいんを、とく勅願ちょくがんてらう。

起源きげん歴史れきし

[編集へんしゅう]

神道しんとう場合ばあい

[編集へんしゅう]

神社じんじゃ祈願きがんすることは、ふるくからおこなわれている。とく平安へいあん時代じだい後期こうきには、宇佐うさ八幡宮はちまんぐうみなもと氏神うじがみとなったことにより、『吾妻あづまきょう』や『太平たいへい』にられるように、おおくの武士ぶしによってかみ祈願きがんされた。

仏教ぶっきょう場合ばあい

[編集へんしゅう]

飛鳥あすか時代ときよ日本にっぽん伝来でんらいした仏教ぶっきょうは、その国家こっか統制とうせいかれ、寺院じいん国家こっか有力ゆうりょく氏族しぞくによって建立こんりゅうされるようになった。その経緯けいいから寺院じいんでは国家こっか発展はってん疫病えきびょう防除ぼうじょ万民ばんみん健康けんこう祈念きねんするようになった。

平安へいあん時代じだいになると、仏教ぶっきょう信仰しんこう貴族きぞくあいだにもひろまり、一部いちぶでは奈良なら時代じだいからすでおこなわれてきたが、かく氏族しぞく個々ここ寺院じいん建立こんりゅうするようになり、そこで氏族しぞく繁栄はんえい祈念きねんした。

鎌倉かまくら時代ときよになると、仏教ぶっきょう信仰しんこう武士ぶしにもひろまり、かく武士ぶし所領しょりょう当主とうしゅ一族いちぞく繁栄はんえい無事ぶじいの祈願きがんてら建立こんりゅうされ、やがて戦死せんしした一族いちぞくまつ菩提寺ぼだいじ一体化いったいかした。

室町むろまち時代ときよになると、仏教ぶっきょう信仰しんこう庶民しょみんあいだにもひろまり、各地かくち寺院じいんねがごとおこなうのが一般いっぱんてきとなり、ねがごといた祈願きがんぶん奉納ほうのうされるようになった。

江戸えど時代じだいになると、旅行りょこう大衆たいしゅうし、それまでは近隣きんりん寺社じしゃにのみ参詣さんけいしていたが、善光寺ぜんこうじ四国八十八箇所しこくはちじゅうはっかしょのように、遠隔えんかく寺社じしゃへも参詣さんけいするようになり、様々さまざま祈願きがん各地かくち寺社じしゃになされるようになった。

ちなみに、近代きんだい以前いぜん祈願きがんとは、たとえば「~のねがごとかなえていただいたあかつきには、燈籠とうろう奉納ほうのうします」のように神仏しんぶつとの契約けいやくであり、現代げんだいのように、ねがごとおこなうだけの一方いっぽうてき関係かんけいではなかった。これらの契約けいやくによっておこなわれた施設しせつ補修ほしゅう調度ちょうどひん奉納ほうのうなどを、2006ねん現在げんざいこと出来できる。

関連かんれん項目こうもく

[編集へんしゅう]