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懐疑かいぎ主義しゅぎ

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懐疑かいぎ主義しゅぎ(かいぎしゅぎ、英語えいご: skepticism)とは、基本きほんてき原理げんり認識にんしきたいして、その普遍ふへん妥当だとうせい客観きゃっかんせいないし蓋然性がいぜんせい吟味ぎんみし、根拠こんきょのないあらゆるドクサ独断どくだん)を排除はいじょしようとする主義しゅぎである。懐疑かいぎろん(かいぎろん)ともばれる。これにたいして、絶対ぜったいてき明証めいしょうせいをもつとされる基本きほんてき原理げんり(ドグマ)を根底こんていにおき、そこから世界せかい構造こうぞうあきらかにしようとする立場たちば独断どくだん主義しゅぎどく: Dogmatismus)ないし独断どくだんろんという。

懐疑かいぎ主義しゅぎないし懐疑かいぎろんは、古代こだいから近世きんせいにかけて、しん認識にんしきをもたらさない、あるいはかみろんへとつながる破壊はかいてき思想しそうとして論難ろんなんされることがおおかった。これは、懐疑かいぎ主義しゅぎ懐疑かいぎ結果けっか普遍ふへん妥当だとうせいおよび客観きゃっかんせいないし蓋然性がいぜんせいあるあらたな原理げんり認識にんしきられなかった場合ばあい判断はんだん停止ていしおちいって不可知論ふかちろんむすびつき、伝統でんとうてき形而上学けいじじょうがく保持ほじするかみ存在そんざいたしかさをもうたがうようになったからである。しかし近代きんだい以降いこうは、自然しぜん科学かがく発展はってん思想しそうてきエネルギーげんとなったこともあり、肯定こうていてきかたられることがおおい。

経験けいけんてき証拠しょうこ欠如けつじょしている主張しゅちょう真実しんじつせい正確せいかくせい普遍ふへん妥当だとうせいうたが認識にんしきろんじょう立場たちば、および科学かがくてき日常にちじょうてき姿勢しせい科学かがくてき懐疑かいぎ主義しゅぎばれる。

古代こだい懐疑かいぎ主義しゅぎ

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ピュロン

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懐疑かいぎ主義しゅぎは、西洋せいようにおいてはエリスのピュロンぜん365/360ねんごろまえ275/70ねんごろ)の思想しそうからはじまった[1]ピュロン自身じしん著作ちょさくのこしておらず、またその弟子でしティモン英語えいごばんぜん325/320ごろまえ235/230ねんごろ)によるかれ言行げんこうろく断片だんぺんしかのこっていないので、ピュロン思想しそうがどのようなものであったのか、そののピュロン主義しゅぎとどの程度ていどまで一致いっちするのかは不明ふめいである[2]。ピュロン主義しゅぎしゃなか唯一ゆいいつ著作ちょさく現存げんそんしているセクストス・エンペイリコス(200ねんごろ活躍かつやく)の著作ちょさくのひとつ『ピュロン主義しゅぎ哲学てつがく概要がいよう』によれば、懐疑かいぎ主義しゅぎはピュロン主義しゅぎともばれるが、それはピュロン思想しそうだからではなく、古代こだい懐疑かいぎ主義しゅぎしゃなかピュロンもっと懐疑かいぎ主義しゅぎ専念せんねんしたからであった[3]

ピュロン主義しゅぎ

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ディオゲネス・ラエルティオスによれば、ティモン以後いごピュロン主義しゅぎ英語えいごばんは、ティモンに弟子でしがいなかったためプトレマイオスwikidata再建さいけんするまでは断絶だんぜつしていたというせつと、セクストスまで連綿れんめんつづいていたというせつがある[4]。もっとも、ディオゲネスがつたえているこの系譜けいふなかで、今日きょうにおいてその詳細しょうさいあきらかになっている人物じんぶつはひとりもいない[5]。また、ディオゲネスはプトレマイオスがピュロン主義しゅぎ復活ふっかつさせたとべているが、これについても、実際じっさい復活ふっかつさせたのはアイネシデモス(ぜん1世紀せいきごろ活躍かつやく)であるせつ今日きょうでは有力ゆうりょくである[6][7]

アイネシデモス

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アイネシデモスは『ピュロン主義しゅぎ議論ぎろんぜん8かんあらわしたが、しかしこの著作ちょさくのこっておらず、セクストスが『ピュロン主義しゅぎ哲学てつがく概要がいよう』などでかれについて言及げんきゅうしていることがられているだけである[8]

ヘラクレイトス哲学てつがくが〕われわれ懐疑かいぎ主義しゅぎことなることは自明じめいである。なぜなら、ヘラクレイトスおおくの不明瞭ふめいりょう物事ものごとかんしてドグマティストりゅう表明ひょうめいおこなっているが、すでにべたとおり、われわれはそんなことはしないからである。ところが、アイネシデモス中心ちゅうしんとするひとたちは、懐疑かいぎ主義しゅぎヘラクレイトス哲学てつがくつうじるみちであるとっていた。(〔〕ない引用いんようしゃ付記ふき

— セクストス『ピュロン主義しゅぎ哲学てつがく概要がいよう』、金山かなやま弥平やへい金山かなやま万里子まりこやく『ピュロン主義しゅぎ哲学てつがく概要がいよう京都大学きょうとだいがく学術がくじゅつ出版しゅっぱんかい、1998ねん、p.104.

このため、アイネシデモス本当ほんとうはピュロン主義しゅぎしゃではなくヘラクレイトス主義しゅぎしゃだったのではなかったといううたがいもたれている[9]

経験けいけん主義しゅぎしゃセクストス

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ピュロン主義しゅぎしゃであり医者いしゃでもあったセクストス・エンペイリコス(エンペイリコスとは名前なまえではなく経験けいけん主義しゅぎしゃというあだである)は[10]、ピュロン主義しゅぎとその学派がくはとの相違そういつぎのようにつたえている。

人々ひとびとなに物事ものごと探究たんきゅうする場合ばあいに、結果けっかとしてありそうな事態じたいは、探究たんきゅうしているものを発見はっけんするか、あるいは発見はっけん拒否きょひして把握はあく不可能ふかのうであることに同意どういするか、あるいは探究たんきゅう継続けいぞくするかのいずれかである。たぶんこのゆえにまた、哲学てつがくにおいて探究たんきゅうされる事柄ことがらについても、真実しんじつ発見はっけんしたと主張しゅちょうした人々ひとびともいれば、真実しんじつ把握はあくできないと表明ひょうめいした人々ひとびともおり、またほかに、さらに探究たんきゅうつづける人々ひとびともいるのであろう。そしてこのうち、真実しんじつ発見はっけんしたとかんがえるのは、アリストテレス学派がくはエピクロス学派がくはストア、その人々ひとびとのように固有こゆう意味いみでドグマティストとばれているひとたちであり、また、把握はあく不可能ふかのうであると表明ひょうめいしたのは、クレイトマコスカルネアデス一派いっぱ、およびそのアカデメイアであり、そして探究たんきゅうつづけるのは懐疑かいぎである。

— セクストス『ピュロン主義しゅぎ哲学てつがく概要がいよう』、金山かなやま弥平やへい金山かなやま万里子まりこやく『ピュロン主義しゅぎ哲学てつがく概要がいよう京都大学きょうとだいがく学術がくじゅつ出版しゅっぱんかい、1998ねん、p.6.

ここでセクストスは、ピュロン主義しゅぎ独断どくだんろんおよび不可知論ふかちろん対立たいりつするものとして提示ていじしている。ただし、このような分類ぶんるいはややぎなのではないかという見解けんかいもあり、とく初期しょきアカデメイア不可知論ふかちろんぞくせしめてよいのかについては今日きょうでは疑問ぎもんていされている[11]セクストスによれば、懐疑かいぎ主義しゅぎ目的もくてきは、「おもいなしにかかわる物事ものごとにおける動揺どうよう[平静へいせい]と、不可避ふかひてき物事ものごとにおける節度せつどある情態じょうたいである」[12]

というのも、懐疑かいぎ主義しゅぎしゃはもともと、諸々もろもろ表象ひょうしょう判定はんていして、そのいずれがしんであり、いずれがにせであるかを把握はあくし、その結果けっかとして動揺どうよう[平静へいせい]に到達とうたつすることを目指めざして、哲学てつがくはじめたのであるが、けっきょく、ちから拮抗きっこうした反目はんもくのなかにおちいり、これに判定はんていくだすことができないために、判定はんてい保留ほりゅうしたのである。ところが判断はんだん保留ほりゅうしてみると、偶然ぐうぜんそれにつづいてかれおとずれたのは、おもいなされる事柄ことがらにおける動揺どうよう[平静へいせい]であった。

— セクストス『ピュロン主義しゅぎ哲学てつがく概要がいよう』、金山かなやま弥平やへい金山かなやま万里子まりこやく『ピュロン主義しゅぎ哲学てつがく概要がいよう京都大学きょうとだいがく学術がくじゅつ出版しゅっぱんかい、1998ねん、p.20.

もっとも、あらゆる事柄ことがらについて判断はんだん留保りゅうほするのではなく、表象ひょうしょう感覚かんかくへのそのままのあらわれ)として不可避ふかひてきっている事態じたいについてはこれを承認しょうにんする[13]。つまり、セクストス説明せつめいによれば、知識ちしきなんらかの不明瞭ふめいりょう物事ものごと関係かんけいしているという意味いみでのドグマたないという意味いみで、ドグマたないのである[13]同様どうように、ピュロン主義しゅぎしゃは、「万物ばんぶつ虚偽きょぎである」とか「何事なにごと真理しんりではない」とはわずに、「わたしにとってはいまのところ何事なにごと把握はあく不可能ふかのうであるようにおもわれる」とか「わたしいまのところこのことを肯定こうていもしないし否定ひていもしない」という慎重しんちょうないいまわしをもちいる[14]

このようなピュロン主義しゅぎは、セクストスつたえているところによれば、新旧しんきゅう異説いせつわせて全部ぜんぶで17の議論ぎろん仕方しかたゆうしている。伝統でんとうてきな10の方法ほうほうは、つぎとおりである[15]

  1. 動物どうぶつ相互そうごちがいにもとづく方式ほうしきたとえばいぬさかなバッタことなるようにものているかもしれない[16]
  2. 人間にんげん同士どうし相違そういにもとづく方式ほうしきたとえばひとによって身体しんたい構造こうぞうことなるということ[17]
  3. 感覚かんかく器官きかんことなる構造こうぞうにもとづく方式ほうしきたとえば視覚しかくによれば奥行おくゆきがあるようにえるが触覚しょっかくによれば平面へいめんであること[18]
  4. 情況じょうきょうにもとづく方式ほうしきたとえば一般人いっぱんじんかみがかりにっているひとことなる表象ひょうしょうつこと[19]
  5. かれかたへだたりかた場所ばしょにもとづく方式ほうしきたとえば、ふねとおくからればゆっくりうごいているようにえるがちかくからればはやうごいているようにえること[20]
  6. 混入こんにゅうにもとづく方式ほうしき:(ちゅう:この箇所かしょ現代げんだい知識ちしきからるとかなりかりにくい内容ないようになっている。たとえば身体しんたい水中すいちゅうではかるくなり空気くうきちゅうではおもくなるとわれているが、これはいわゆる重量じゅうりょう周辺しゅうへん物質ぶっしつとの混合こんごうによって変化へんかしているとかんがえられていたものとほぐされる)[21]
  7. 事物じぶつりょう調合ちょうごうにもとづく方式ほうしきたとえばさけぎるとがいになるが適度てきどめば健康けんこうになるということ[22]
  8. 相対そうたいせいにもとづく方式ほうしき:すなわち物事ものごと主体しゅたいおうじてことなるということ。
  9. 頻度ひんどにもとづく方式ほうしきたとえば彗星すいせいはたまにしかあらわれないのでおどろかれるが、彗星すいせい頻繁ひんぱんあらわれるようになればおどろかれなくなるであろうこと[23]
  10. 様々さまざませつ対置たいちによる方式ほうしき習慣しゅうかん法律ほうりつ神話しんわおよび学説がくせつがばらばらであること[24]

アカデメイア懐疑かいぎ主義しゅぎ

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ティモンからアイネシデモスまでの断絶だんぜつ期間きかんちゅう懐疑かいぎ主義しゅぎおおきな貢献こうけんたしたのは、プラトン創設そうせつしたアカデメイアであった[25]。ただし、プラトン自身じしん懐疑かいぎ主義しゅぎしゃだったわけではなく、その学頭がくとうアルケシラオスぜん316/315ねんまえ241/240ねん)がストア反駁はんばくするために懐疑かいぎ主義しゅぎ方向ほうこう転換てんかんしたからである[26]。ピュロン主義しゅぎ重要じゅうよう用語ようごである「判断はんだん留保りゅうほ」(エポケー)もアルケシラオス考案こうあんではないかとわれている[26]初期しょきアカデメイア懐疑かいぎ主義しゅぎ特徴とくちょうは、対人たいじん論法ろんぽうという議論ぎろん形式けいしきにあった[11]。これは、プラトンソクラテスおこなっていたように、相手方あいてがた主張しゅちょう仮定かていてき前提ぜんていとしたうえで、そこからどのような結論けつろんみちびされるかを探究たんきゅうする手法しゅほうである。アルケシラオスおよびおなじくアカデメイアカルネアデスぜん214ねんごろ紀元前きげんぜん129ねん)らがした結論けつろんは、かりストア前提ぜんてい承認しょうにんされるならば、かれらは不可知論ふかちろんおちいってしまうということであった[11]

アルケシラオスカルネアデス徹底てっていした対人たいじん論法ろんぽうはそのすたれ、さらに後代こうだい学頭がくとうラリサのピロンぜん159/58ねんごろまえ84/83ねんごろ)のもとで、アカデメイアは、不可知論ふかちろん正式せいしき見解けんかいとしたうえで、信頼しんらいせいたか表象ひょうしょうから真理しんりへと漸次ぜんじ接近せっきんするという立場たちばるようになった[27]。しかし、このような立場たちば結局けっきょくのところ、現存げんそんしない理想りそうてき知者ちしゃ目標もくひょうとして漸次ぜんじ探究たんきゅうするというストア見解けんかいことなるてんがなく、アイネシデモスはついにアカデメイア決別けつべつしてピュロン主義しゅぎ再興さいこうすることになった[28]

古代こだい医学いがくにおける懐疑かいぎ主義しゅぎ

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古代こだい医術いじゅつかんする立場たちばなかには、経験けいけん主義しゅぎ英語えいごばん方法ほうほう主義しゅぎ英語えいごばんというかんがかたがあり、セクストスによれば、どちらも懐疑かいぎ主義しゅぎ親和しんわてきであるが、前者ぜんしゃ不可知論ふかちろんおちいらないかぎりにおいて親和しんわてきであり、後者こうしゃほうがより親和しんわてきであると分析ぶんせきしている[29]。もっとも、実際じっさいには、ピュロン主義しゅぎしゃであり経験けいけん主義しゅぎしゃであった医者いしゃおおくいたが、セクストスうようなピュロン主義しゅぎ方法ほうほう主義しゅぎ両立りょうりつさせている人物じんぶつは、史料しりょうじょうおよそられていない[30]。ここで経験けいけん主義しゅぎとは、医術いじゅつ実践じっせんにおける経験けいけん熟練じゅくれん重視じゅうしし、過去かこ医療いりょう記録きろく尊重そんちょうする立場たちばである[30]。これにたいして、方法ほうほう主義しゅぎとは、医術いじゅつ全体ぜんたい学習がくしゅうにはろくヶ月かげつもあれば十分じゅうぶんであり、ヒポクラテスの「人生じんせいみじかく、医術いじゅつなが」を転倒てんとうさせて「医術いじゅつみじかく、人生じんせいながい」とかんがえていた人々ひとびとのことである[30]セクストス以前いぜん著名ちょめい医者いしゃガレノスも、『経験けいけん概要がいよう』などにおいてこれらの立場たちばくわしくろんじている[31]

アカデメイア懐疑かいぎ主義しゅぎとキリストきょう真理しんりろん

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すで古代こだいギリシャにおいて学問がくもんてきによくられていた懐疑かいぎ主義しゅぎは、実際じっさいにはかなり通俗つうぞくしたかたちでしかひろまらなかった[32]。とりわけピュロン主義しゅぎは、主要しゅよう著作ちょさくがギリシャかれていたということがこれに拍車はくしゃをかけ、1562ねんセクストスの『ピュロン主義しゅぎ哲学てつがく概要がいよう』がラテン語らてんごやくされるまでは、学問がくもんてきわすられてしまう。これにたいして、アカデメイア懐疑かいぎ主義しゅぎは、キケロがその支持しじしゃとして『アカデミアぜん4かんあらわしたことにより[33]批判ひはん対象たいしょうになりながらもキリスト教きりすときょう哲学てつがく影響えいきょうおよぼすことになった。事実じじつアウグスティヌスは、一時期いちじきキケロの『アカデメイア』にしたしみ、懐疑かいぎ主義しゅぎ立場たちばっていたことが今日きょうでは定説ていせつとなっている[34]アウグスティヌスキリスト教きりすときょう改宗かいしゅうしたのちで、『アカデミア反駁はんばく』という書物しょもつあらわしたが、そこでかれアカデメイア懐疑かいぎ主義しゅぎつぎのように評価ひょうかしている。

あらんかぎりのちからをふりしぼって真理しんり探究たんきゅうするというわたしたちの仕事しごと些細ささい必要ひつようなことではなく、むしろきわめて必要ひつような、しかももっと重要じゅうようなことであるとわたしはおもう。このてんについては、わたしとアリピウス〔引用いんようしゃ註:アカデミア懐疑かいぎ主義しゅぎ擁護ようごしゃ〕とは意見いけん一致いっちしている。というのは、すべての哲学てつがくしゃたちもまた、各自かくじかんがえる知者ちしゃ真理しんり見出みいだしたとおもっているし、また、アカデミア人々ひとびとも、知者ちしゃ真理しんり発見はっけんおおいにちからくすべきであり、また実際じっさい知者ちしゃ注意深ちゅういぶかくそうしているとみとめているからだ。だが、真理しんりおおわれめられているか、あるいは、錯綜さくそうしていてあかりかとはなっていないのだから、実生活じっせいかつじょう蓋然的がいぜんてきなもの、またはしんてきなものとしてあらわれてくることにしたがうのだと、かれらはっている。

— アウグスティヌス『アカデミア反駁はんばく』3かん1しょう清水しみずただしあきらやく『アウグスティヌス著作ちょさくしゅうだい1かんきょうぶんかん、1979ねん、p.87-88.

初期しょきアウグスティヌス真理しんりろんは、矛盾むじゅんりつ排中律はいちゅうりつから出発しゅっぱつする[35]

もし世界せかいよっつの元素げんそしかないならば、いつつの元素げんそはない。もしひとつの太陽たいようしかないならばふたつの太陽たいようはない。おなたましい同時どうじに、かつ不死ふしであることは不可能ふかのうである。

— 『アカデミア論駁ろんばくだい3かん13しょう29、K. リーゼンフーバー『西洋せいよう古代こだい中世ちゅうせい哲学てつがく平凡社へいぼんしゃ、2000ねん、p.206.

しかし、このような真理しんりろんは、現実げんじつがどうなっているのかについて知識ちしきをもたらすものではない[36]。ここからアウグスティヌスは、より根源こんげんてきいへ、すなわち自己じこ認識にんしき確実かくじつせいへとおもいた[37]

自分じぶんき、想起そうきし、かいし、意志いしし、思惟しいし、り、判断はんだんすることをだれうたがおうか。たとい、うたがってもきており、うたがうなら、なぜうたがうのかを記憶きおくしており、うたがうなら、自分じぶんうたがっていることをかいし、うたがうなら、かれ確実かくじつであろうとほっしているのだ。うたがうなら、思惟しいしており、うたがうなら、自分じぶんらないということをっている。うたがうなら、かれ軽率けいそつ同意どういしてはならないと判断はんだんしているのだ。

— アウグスティヌス『三位一体さんみいったいろんだい10かん10しょう、K. リーゼンフーバー『西洋せいよう古代こだい中世ちゅうせい哲学てつがく平凡社へいぼんしゃ、2000ねん、p.208.

近世きんせいにおけるピュロン主義しゅぎさい発見はっけん

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1562ねんセクストス『ピュロン主義しゅぎ哲学てつがく概要がいよう』のラテン語らてんごやくによってピュロン主義しゅぎ学問がくもんてきさい発見はっけんされることになった。このさい発見はっけんは、モンテーニュデカルトヒュームカントなどの近世きんせい哲学てつがくに、「きみはなにごとをりうるか?」といういを提起ていきし、認識にんしきろん中心ちゅうしんとする近世きんせいてき懐疑かいぎろん形成けいせいした[31]

デカルトの懐疑かいぎろんと「わがおもう、ゆえにあり」

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さい発見はっけんされたピュロン主義しゅぎ対抗たいこうし、あらたな確実かくじつせいもとめたデカルトは、アウグスティヌス自己じこ確実かくじつせい近世きんせいてきかたち発展はってんさせた。かれ様々さまざま感覚かんかくてき事物じぶつうたがうことからはじめ、そして最後さいごに、つぎのような確実かくじつせい発見はっけんしたとべる。

わたしかんがえる、ゆえにわたしはある」というこの真理しんりは、懐疑かいぎろんしゃのどのような法外ほうがい想定そうていによってもゆりうごかしえぬほど、堅固けんご確実かくじつなものであることを、わたしみとめたから、わたしはこの真理しんりを、わたしもとめていた哲学てつがくだいいち原理げんりとして、もはや安心あんしんしてれることができる、と判断はんだんした。

— デカルト『方法ほうほう序説じょせつ』、野田のだまたおっとやく世界せかい名著めいちょ22 デカルト〔だい3はん〕』中央公論社ちゅうおうこうろんしゃ昭和しょうわ42ねん、p.198.

ヒュームの懐疑かいぎろん心理しんり主義しゅぎ

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デイヴィッド・ヒュームは、古代こだい懐疑かいぎろんおなじように感覚かんかくてき事物じぶつ存在そんざい承認しょうにん[38]デカルトてき懐疑かいぎられるところの、まず感覚かんかくうたがってみるという立場たちばとはまったぎゃくのアプローチをおこなった。ヒュームがうたがうのは、経験けいけんてき事実じじつではなく、そこに設定せっていされる因果いんが関係かんけい帰納きのうによるその正当せいとうである。ヒュームによれば、「はじめて存在そんざいするものには、すべて存在そんざい原因げんいんがなければならぬということは、哲学てつがく一般いっぱんてき基本きほん原則げんそくとなっている」が、「よく調しらべてみれば、原因げんいん必然ひつぜんせい証明しょうめいするためにこれまで提出ていしゅつされてきた論証ろんしょうはどれもあやまっており、こじつけである」[39]

このように、あたらしい生成せいせいにはすべて原因げんいん必要ひつようだというかんがえは知識ちしきからされるのではなく、またいかなる学問がくもんてき推論すいろんからもされないのだから、どうしても観察かんさつ経験けいけんとからしょうじるものでなければならない。そこで、当然とうぜんつぎ問題もんだいとなるのは、いかにして経験けいけんはそのような原理げんりしょうじさせるのか、ということである。しかし、わたしはこの問題もんだいつぎのような問題もんだいにはめむほうがもっと都合つごうがよいとおもうので、それをこれから研究けんきゅう主題しゅだいにしよう。それは、われわれはなぜ、しかじかの特定とくてい原因げんいん必然ひつぜんてきにしかじかの特定とくてい結果けっかともなわねばならないと断定だんていするのか、また、なぜ、一方いっぽうから他方たほう推理すいりおこなうのか、という問題もんだいである。

— ヒューム『人性じんせいろんだい1へん33せつ大槻おおつき春彦はるひこやく世界せかい名著めいちょ27 ロック ヒューム〔だい3はん〕』中央公論社ちゅうおうこうろんしゃ昭和しょうわ45ねん、p.433.

このような問題もんだいたいするもっと簡潔かんけつ常識じょうしきてき解答かいとうは、因果いんがてき推論すいろん帰納きのうによって正当せいとうされるからである。ところが、ヒュームのかんがえによれば、観察かんさつ経験けいけんから因果いんが関係かんけい帰納きのうによって正当せいとうされるということはありえない。なぜなら、帰納きのう根拠こんきょとなる自然しぜん斉一せいいつせい原理げんり実際じっさい観察かんさつ経験けいけんもされず、論証ろんしょうされることもないからである[40]。かくして、ヒュームの徹底てっていされた経験けいけん主義しゅぎは、つぎのような結論けつろんいたる。

このようにして、理性りせいによっては原因げんいん結果けっか究極きゅうきょくてき結合けつごう見出みいだないだけではなく、さらに経験けいけんがそれらの恒常こうじょうてき相伴しょうばんらせたあとでさえも、なぜわれわれはその経験けいけんをすでに観察かんさつされた個々ここ実例じつれい以上いじょうひろげるのかというてんについて、理性りせいによっては納得なっとくられないのである。したがって、しんひとつの対象たいしょう観念かんねんもしくは印象いんしょうから、対象たいしょう観念かんねんもしくは信念しんねんへとうつるときに、しん理性りせいによって規定きていされるのではなく、想像そうぞうにおいてこれらの対象たいしょう観念かんねん連合れんごうし、むすわせるようなある原理げんりによって規定きていされるのである。

— ヒューム『人性じんせいろんだい1へん36せつ大槻おおつき春彦はるひこやく世界せかい名著めいちょ27 ロック ヒューム〔だい3はん〕』中央公論社ちゅうおうこうろんしゃ昭和しょうわ45ねん、p.438.

では、対象たいしょう観念かんねん連合れんごうし、それらをむすわせるような原理げんりとはいったいなんなのか。このような設問せつもんたいして、ヒュームは真理しんりかんする心理しんり主義しゅぎ、すなわち客観きゃっかんてき真理しんりわる主観しゅかんてきゆうもらしさという規則きそく採用さいようする。

そういうわけで、こんなに念入ねんいりにその仮想かそう一派いっぱ議論ぎろんわたししめしてみせる意図いとは、わたしてた仮説かせつ真理しんりを、すなわち、原因げんいん結果けっかかんするすべての推論すいろん習慣しゅうかんにのみ起因きいんすること、また、信念しんねんはわれわれの本性ほんしょう知的ちてき部分ぶぶんはたらきというよりもむしろじょうてき部分ぶぶんはたらきであること、これらの真理しんり読者どくしゃづかせることにほかならない。

— ヒューム『人性じんせいろんだい1へん42せつ大槻おおつき春彦はるひこやく世界せかい名著めいちょ27 ロック ヒューム〔だい3はん〕』中央公論社ちゅうおうこうろんしゃ昭和しょうわ45ねん、p.460.

科学かがくてき懐疑かいぎ主義しゅぎ

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現代げんだいでは、我々われわれ普段ふだん意識いしきせずにもちいている常識じょうしきてき思考しこうほう洗練せんれんされたものである合理ごうり主義しゅぎ科学かがくてき手法しゅほう批判ひはんてき思考しこう日常にちじょうてきに、より徹底てっていしてもちいる姿勢しせい懐疑かいぎ主義しゅぎぶことがある。これは哲学てつがくてき懐疑かいぎ主義しゅぎ区別くべつして科学かがくてき懐疑かいぎ主義しゅぎばれることもある。現代げんだい科学かがく啓蒙けいもうであるカール・セーガンマーティン・ガードナー具体ぐたいてき懐疑かいぎ主義しゅぎてき姿勢しせいとして、常識じょうしきであれ突飛とっぴ主張しゅちょうであれ、提唱ていしょうされた理論りろん主張しゅちょうをすぐにはしんじずに、根拠こんきょ理論りろん妥当だとうせい考慮こうりょしたり、主張しゅちょうしゃ背景はいけい見極みきわめようとする態度たいど推奨すいしょうしている。常識じょうしき自分じぶん経験けいけんはんする出来事できごとうたが姿勢しせいは、基本きほんてきおおくのひとっているものである。しかし同時どうじに、人間にんげん自分じぶん信念しんねん沿理論りろん現象げんしょう批判ひはんれやすい傾向けいこうがある。セーガンやガードナーは、自分じぶん信念しんねんただしいとはかぎらないのであるから、自分じぶん信念しんねん合致がっちしようとすまいと「しんじたければまずうたがう」ことを推奨すいしょうしている。

オカルト心霊しんれい現象げんしょううらなひとし科学かがくてき根拠こんきょとぼしい主張しゅちょう疑似ぎじ科学かがく批判ひはんすることを懐疑かいぎ主義しゅぎ同一どういつすることもあるが、オカルト批判ひはん疑似ぎじ科学かがく批判ひはん懐疑かいぎ主義しゅぎ密接みっせつ関連かんれんしているとはいえ、同一どういつではない。 十分じゅうぶん懐疑かいぎ主義しゅぎ根付ねついているかといえばそうではない。自分じぶんせん門外もんがい分野ぶんやについては、そのみち専門せんもん助言じょげん主張しゅちょうれるのは妥当だとう態度たいどであるが、「科学かがくてき銘打めいうっているものはどれもきっとただしい」という常識じょうしき盲目的もうもくてきしたがっているひとおおくいるとかんがえられる。疑似ぎじ科学かがくはそういった社会しゃかい固定こてい観念かんねんっているとかんがえられる。

脚注きゃくちゅう

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  1. ^ 金山かなやま弥平やへい金山かなやま万里子まりこやく『ピュロン主義しゅぎ哲学てつがく概要がいよう京都大学きょうとだいがく学術がくじゅつ出版しゅっぱんかい、1998ねん、p.446.
  2. ^ 金山かなやま弥平やへい金山かなやま万里子まりこやく『ピュロン主義しゅぎ哲学てつがく概要がいよう京都大学きょうとだいがく学術がくじゅつ出版しゅっぱんかい、1998ねん、p.446-447.
  3. ^ 金山かなやま弥平やへい金山かなやま万里子まりこやく『ピュロン主義しゅぎ哲学てつがく概要がいよう京都大学きょうとだいがく学術がくじゅつ出版しゅっぱんかい、1998ねん、p.8.
  4. ^ 田中たなか龍山たつやま『セクストス・エンペイリコスの懐疑かいぎ主義しゅぎ思想しそう東海大学とうかいだいがく出版しゅっぱんかい、2004ねん、p.5.
  5. ^ 田中たなか龍山たつやま『セクストス・エンペイリコスの懐疑かいぎ主義しゅぎ思想しそう東海大学とうかいだいがく出版しゅっぱんかい、2004ねん、p.5-6.
  6. ^ 金山かなやま弥平やへい金山かなやま万里子まりこやく『ピュロン主義しゅぎ哲学てつがく概要がいよう京都大学きょうとだいがく学術がくじゅつ出版しゅっぱんかい、1998ねん、p.6.
  7. ^ 田中たなか龍山たつやま『セクストス・エンペイリコスの懐疑かいぎ主義しゅぎ思想しそう東海大学とうかいだいがく出版しゅっぱんかい、2004ねん、p.7-8.
  8. ^ 田中たなか龍山たつやま『セクストス・エンペイリコスの懐疑かいぎ主義しゅぎ思想しそう東海大学とうかいだいがく出版しゅっぱんかい、2004ねん、p.5.
  9. ^ 田中たなか龍山たつやま『セクストス・エンペイリコスの懐疑かいぎ主義しゅぎ思想しそう東海大学とうかいだいがく出版しゅっぱんかい、2004ねん、p.8.
  10. ^ 金山かなやま弥平やへい金山かなやま万里子まりこやく『ピュロン主義しゅぎ哲学てつがく概要がいよう京都大学きょうとだいがく学術がくじゅつ出版しゅっぱんかい、1998ねん、p.433.
  11. ^ a b c 金山かなやま弥平やへい金山かなやま万里子まりこやく『ピュロン主義しゅぎ哲学てつがく概要がいよう京都大学きょうとだいがく学術がくじゅつ出版しゅっぱんかい、1998ねん、p.450.
  12. ^ 金山かなやま弥平やへい金山かなやま万里子まりこやく『ピュロン主義しゅぎ哲学てつがく概要がいよう京都大学きょうとだいがく学術がくじゅつ出版しゅっぱんかい、1998ねん、p.20.
  13. ^ a b 金山かなやま弥平やへい金山かなやま万里子まりこやく『ピュロン主義しゅぎ哲学てつがく概要がいよう京都大学きょうとだいがく学術がくじゅつ出版しゅっぱんかい、1998ねん、p.13.
  14. ^ 金山かなやま弥平やへい金山かなやま万里子まりこやく『ピュロン主義しゅぎ哲学てつがく概要がいよう京都大学きょうとだいがく学術がくじゅつ出版しゅっぱんかい、1998ねん、p.96.; p.98.
  15. ^ 金山かなやま弥平やへい金山かなやま万里子まりこやく『ピュロン主義しゅぎ哲学てつがく概要がいよう京都大学きょうとだいがく学術がくじゅつ出版しゅっぱんかい、1998ねん、p.25-26.
  16. ^ 金山かなやま弥平やへい金山かなやま万里子まりこやく『ピュロン主義しゅぎ哲学てつがく概要がいよう京都大学きょうとだいがく学術がくじゅつ出版しゅっぱんかい、1998ねん、p.30.
  17. ^ 金山かなやま弥平やへい金山かなやま万里子まりこやく『ピュロン主義しゅぎ哲学てつがく概要がいよう京都大学きょうとだいがく学術がくじゅつ出版しゅっぱんかい、1998ねん、p.42.
  18. ^ 金山かなやま弥平やへい金山かなやま万里子まりこやく『ピュロン主義しゅぎ哲学てつがく概要がいよう京都大学きょうとだいがく学術がくじゅつ出版しゅっぱんかい、1998ねん、p.48.
  19. ^ 金山かなやま弥平やへい金山かなやま万里子まりこやく『ピュロン主義しゅぎ哲学てつがく概要がいよう京都大学きょうとだいがく学術がくじゅつ出版しゅっぱんかい、1998ねん、p.52.
  20. ^ 金山かなやま弥平やへい金山かなやま万里子まりこやく『ピュロン主義しゅぎ哲学てつがく概要がいよう京都大学きょうとだいがく学術がくじゅつ出版しゅっぱんかい、1998ねん、p.58.
  21. ^ 金山かなやま弥平やへい金山かなやま万里子まりこやく『ピュロン主義しゅぎ哲学てつがく概要がいよう京都大学きょうとだいがく学術がくじゅつ出版しゅっぱんかい、1998ねん、p.62.
  22. ^ 金山かなやま弥平やへい金山かなやま万里子まりこやく『ピュロン主義しゅぎ哲学てつがく概要がいよう京都大学きょうとだいがく学術がくじゅつ出版しゅっぱんかい、1998ねん、p.64.
  23. ^ 金山かなやま弥平やへい金山かなやま万里子まりこやく『ピュロン主義しゅぎ哲学てつがく概要がいよう京都大学きょうとだいがく学術がくじゅつ出版しゅっぱんかい、1998ねん、p.69.
  24. ^ 金山かなやま弥平やへい金山かなやま万里子まりこやく『ピュロン主義しゅぎ哲学てつがく概要がいよう京都大学きょうとだいがく学術がくじゅつ出版しゅっぱんかい、1998ねん、p.70.
  25. ^ 金山かなやま弥平やへい金山かなやま万里子まりこやく『ピュロン主義しゅぎ哲学てつがく概要がいよう京都大学きょうとだいがく学術がくじゅつ出版しゅっぱんかい、1998ねん、p.448.
  26. ^ a b 金山かなやま弥平やへい金山かなやま万里子まりこやく『ピュロン主義しゅぎ哲学てつがく概要がいよう京都大学きょうとだいがく学術がくじゅつ出版しゅっぱんかい、1998ねん、p.449.
  27. ^ 金山かなやま弥平やへい金山かなやま万里子まりこやく『ピュロン主義しゅぎ哲学てつがく概要がいよう京都大学きょうとだいがく学術がくじゅつ出版しゅっぱんかい、1998ねん、p.450-451.
  28. ^ 金山かなやま弥平やへい金山かなやま万里子まりこやく『ピュロン主義しゅぎ哲学てつがく概要がいよう京都大学きょうとだいがく学術がくじゅつ出版しゅっぱんかい、1998ねん、p.451.
  29. ^ 金山かなやま弥平やへい金山かなやま万里子まりこやく『ピュロン主義しゅぎ哲学てつがく概要がいよう京都大学きょうとだいがく学術がくじゅつ出版しゅっぱんかい、1998ねん、p.120-121.
  30. ^ a b c 金山かなやま弥平やへい金山かなやま万里子まりこやく『ピュロン主義しゅぎ哲学てつがく概要がいよう京都大学きょうとだいがく学術がくじゅつ出版しゅっぱんかい、1998ねん、p.434.
  31. ^ a b 金山かなやま弥平やへい金山かなやま万里子まりこやく『ピュロン主義しゅぎ哲学てつがく概要がいよう京都大学きょうとだいがく学術がくじゅつ出版しゅっぱんかい、1998ねん、p.435.
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