松平 頼 寿
経歴
[また、
盆栽 趣味
[栄典
[- 1900
年 (明治 33年 )10月2日 -従 五 位 [5] - 1904
年 (明治 37年 )10月 10日 -正 五 位 [6] - 1905
年 (明治 38年 )6月27日 -銀杯 一 個 [7] - 1909
年 (明治 42年 ) - 1910
年 (明治 43年 )3月16日 -金杯 一 組 [10] - 1912
年 (大正 元年 ) - 1913
年 (大正 2年 )4月 4日 -銀杯 一 個 [13] - 1914
年 (大正 3年 )11月18日 -銀杯 一 個 [14] - 1915
年 (大正 4年 ) - 1916
年 (大正 5年 )4月 1日 -勲 四 等 瑞宝章 [17] - 1918
年 (大正 7年 )3月6日 -銀杯 一 組 [18] - 1920
年 (大正 9年 ) - 1921
年 (大正 10年 )7月 1日 -第 一 回 国勢調査 記念 章 [23] - 1922
年 (大正 11年 )11月10日 -従 三 位 [24] - 1924
年 (大正 13年 )5月31日 -勲 三 等 瑞宝章 [25] - 1929
年 (昭和 4年 ) - 1930
年 (昭和 5年 )11月15日 -正 三 位 [28] - 1931
年 (昭和 6年 ) - 1934
年 (昭和 9年 )4月 29日 -勲 二 等 瑞宝章 [32] - 1939
年 (昭和 14年 )12月1日 -従 二 位 [33] - 1940
年 (昭和 15年 ) - 1941
年 (昭和 16年 ) - 1942
年 (昭和 17年 ) - 1943
年 (昭和 18年 )1月 15日 -御 紋 附 木盃 [40] - 1944
年 (昭和 19年 )9月13日 -正 二 位 旭日大綬章 [41]
外国 勲章 佩用 允許
- 1907
年 (明治 40年 )7月 1日 -大韓 帝国 :勲一等 八卦 章 [42] - 1927
年 (昭和 2年 ) - 1934
年 (昭和 9年 )3月1日 -満 洲 帝国 :建国 功労 章 [45] - 1935
年 (昭和 10年 )9月21日 -満 洲 帝国 :満 洲 帝国 皇帝 訪日 紀 念 章 [46] - 1941
年 (昭和 16年 )12月9日 -満 洲 帝国 :建国 神 廟 創建 紀 念 章 [47]
家族
[父 :松平 頼 聰 (讃岐 国 高松 藩 第 11代 藩主 )母 :松平 千代子 (井伊 直弼 の次女 )兄 :徳川 義 礼 (徳川 慶勝 の養子 、尾張 徳川 家 第 18代 当主 )弟 :松平 胖 (海軍 大佐 )妻 :松平 昭子 (徳川 昭武 の長女 )妾 :玉井 鈴 (東京 府 人 ・玉井 幸 太 の養女 )[48]庶子 :松平 貞雄 (分家 )庶子 :玉井 正 (鈴 の養子 )庶子 :玉井 清 (鈴 の養子 )庶子 :玉井 隆 (鈴 の養子 )
脚注
[- ^ a b c 『
議会 制度 百 年 史 -貴族 院 ・参議院 議員 名鑑 』29-30頁 。 - ^ 『
貴族 院 要覧 (丙 )』昭和 21年 12月 増 訂 、17頁 。 - ^ 『
貴族 院 要覧 (丙 )』昭和 21年 12月 増 訂 、23頁 。 - ^ 『
貴族 院 要覧 (丙 )』昭和 21年 12月 増 訂 、52頁 。 - ^ 『
官報 』第 5178号 「叙任 及辞令 」1900年 10月 3日 。 - ^ 『
官報 』第 6386号 「叙任 及辞令 」1904年 10月 11日 。 - ^ 『
官報 』第 6723号 「彙報 -褒賞 」1905年 11月27日 。 - ^ 『
官報 』第 8300号 「彙報 -褒賞 」1911年 2月 24日 。 - ^ 『
官報 』第 7899号 「叙任 及辞令 」1909年 10月 21日 。 - ^ 『
官報 』第 8195号 「彙報 -褒賞 」1910年 10月 13日 。 - ^ 『
官報 』第 205号 ・付録 「辞令 」1913年 4月 9日 。 - ^ 『
官報 』第 276号 「彙報 -褒賞 」1913年 7月 1日 。 - ^ 『
官報 』第 498号 「彙報 -褒賞 」1914年 3月 30日 。 - ^ 『
官報 』第 778号 「彙報 -褒賞 」1915年 3月 9日 。 - ^ 『
官報 』第 984号 「彙報 -褒賞 」1915年 11月11日 。 - ^ 『
官報 』第 976号 「叙任 及辞令 」1915年 11月1日 。 - ^ 『
官報 』第 1218号 「叙任 及辞令 」1916年 8月 21日 。 - ^ 『
官報 』第 1781号 「彙報 -褒賞 」1918年 7月 10日 。 - ^ 『
官報 』第 2486号 「彙報 -褒賞 」1920年 11月13日 。 - ^ 『
官報 』第 2653号 「彙報 -褒賞 」1921年 6月 6日 。 - ^ 『
官報 』第 2712号 「彙報 -褒賞 」1921年 8月 15日 。 - ^ 『
官報 』第 2495号 「彙報 -褒賞 」1920年 11月25日 。 - ^ 『
官報 』第 2859号 ・付録 「辞令 」1922年 2月 15日 。 - ^ 『
官報 』第 3085号 「叙任 及辞令 」1922年 11月11日 。 - ^ 『
官報 』第 3533号 「叙任 及辞令 」1924年 6月 4日 。 - ^ 『
官報 』第 644号 「彙報 -褒賞 」1929年 2月 23日 。 - ^ 『
官報 』第 744号 「彙報 -褒賞 」1929年 6月 24日 。 - ^ 『
官報 』第 1192号 「叙任 及辞令 」1930年 12月17日 。 - ^ 『
官報 』第 1499号 ・付録 「辞令 二 」1931年 12月28日 。 - ^ 『
官報 』第 1487号 「彙報 -褒賞 」1931年 12月12日 。 - ^ 『
官報 』第 1490号 「彙報 -褒賞 」1931年 12月16日 。 - ^ 『
官報 』第 2696号 「叙任 及辞令 二 」1935年 12月27日 。 - ^ 『
官報 』第 3972号 「叙任 及辞令 」1940年 4月 5日 。 - ^ 『
官報 』第 4438号 ・付録 「辞令 二 」1941年 10月 23日 。 - ^ 『
官報 』第 4171号 「彙報 -褒賞 」1940年 11月30日 。 - ^ 『
官報 』第 4291号 「彙報 -褒賞 」1941年 5月 1日 。 - ^ 『
官報 』第 4300号 「叙任 及辞令 」1941年 5月 12日 。 - ^ 『
官報 』第 4706号 「彙報 -褒賞 」1942年 9月 15日 。 - ^ 『
官報 』第 4791号 「彙報 -褒賞 」1943年 1月 4日 。 - ^ 『
官報 』第 4801号 「宮廷 録 事 」1943年 1月 16日 。 - ^ 『
官報 』第 5304号 「叙任 及辞令 」1944年 09月 16日 。 - ^ 『
官報 』第 7210号 「叙任 及辞令 」1907年 7月 12日 。 - ^ 『
官報 』第 67号 「叙任 及辞令 」1927年 3月 24日 。 - ^ 『
官報 』第 93号 「叙任 及辞令 」1927年 4月 23日 。 - ^ 『
官報 』第 2511号 ・付録 「辞令 二 」1935年 5月 20日 。 - ^ 『
官報 』第 2866号 ・付録 「辞令 二 」1936年 7月 22日 。 - ^ 『
官報 』第 5060号 ・付録 「辞令 二 」1943年 11月24日 。 - ^ 『
人事 興信録 第 8版 』(1928年 )
参考 文献
[- 『
貴族 院 要覧 (丙 )』昭和 21年 12月 増 訂 、貴族 院 事務 局 、1947年 。 衆議院 ・参議院 編 『議会 制度 百 年 史 -貴族 院 ・参議院 議員 名鑑 』大蔵省 印刷 局 、1990年 。
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