都市 対抗 野球 大会
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1927 | |
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チーム | 32チーム |
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チー厶: ENEOS(12 | |
1927 1938 1988 ※ 2011 |
概要
[1927
「
主催 ・後援
[また、
年譜
[昭和 前期
[- 1927
年 第 1回 全日本 都市 対抗 野球 大会 開催 (神宮 )。 - 1933
年 第 7回 大会 。最優秀 選手 表彰 制度 開始 。 - 1934
年 第 8回 大会 。初代 テーマ曲 「都市 対抗 野球 行進 歌 」を制定 。 - 1935
年 第 9回 大会 。満 洲 国 成立 に伴 い、大会 名 を都市 対抗 野球 大会 とする。主催 者 推薦 がなくなり、出場 全 チームが予選 を経 ることとなる。 - 1936
年 第 10回 大会 。橋戸 信 の死去 に伴 い、最優秀 選手 賞 を「橋戸賞 」とする。 - 1938
年 第 12回 大会 。前年 秋 に開場 した後楽園 球場 に会場 を移 す。 - 1939
年 第 13回 大会 。殊勲賞 表彰 制度 開始 。 - 1941
年 第 15回 大会 が、予選 を終了 しながら当局 の指示 により大会 中止 に(回 次 は有効 とされる)。 - 1943
年 - 1945年 戦局 悪化 に伴 い、大会 中止 。
昭和中 後期
[- 1946
年 第 17回 大会 で大会 復活 。3位 決定 戦 が初 めて行 われる。 - 1947
年 第 18回 大会 。前年 優勝 チームの推薦 出場 制度 開始 (1957年 まで続 き、1958年 にいったん廃止 、1959年 に1年 限 りで復活 。1963年 から再度 制度 運用 )。殊勲賞 を「久慈賞 」に改称 。3位 チームへの黄 獅子 旗 授与 開始 。 - 1949
年 第 20回 大会 。日本 社会 人 野球 協会 が主催 者 に名 を連 ね、毎日新聞社 との共催 となる。2代目 テーマ曲 「都市 対抗 を讃 える野球 の歌 」を制定 。 - 1950
年 第 21回 大会 。補強 制度 が開始 される。 - 1954
年 第 25回 大会 。初 めてナイトゲームが日程 に組 み込 まれる。 - 1955
年 第 26回 大会 。10年 連続 出場 選手 表彰 制度 開始 。 - 1956
年 第 27回 大会 。小野 三 千 麿 の死去 に伴 い、「小野賞 」を創設 。 - 1963
年 第 34回 大会 。応援 団 コンクール開始 。 - 1964
年 第 35回 大会 。米 軍 占領 下 の沖縄 から1チーム(琉球 煙草 )が招待 出場 。 - 1968
年 第 39回 大会 。3位 決定 戦 が廃止 になる。 - 1973
年 第 44回 大会 。「若獅子賞 」創設 。 - 1977
年 第 48回 大会 。コールドゲーム制度 運用 開始 。 - 1979
年 第 50回 大会 。金属 バットの使用 開始 。 - 1980
年 第 51回 大会 。国際 大会 との関係 で秋 に大会 開催 。 - 1988
年 第 59回 大会 。会場 を後楽園 球場 からこの年 の3月 に開場 した東京 ドームに移 す。
平成 時代
[- 1989
年 第 60回 大会 。指名 打者 制度 運用 開始 。 - 1997
年 第 68回 大会 。前年 優勝 チームの推薦 出場 制度 が再 び廃止 。出場 全 チームが予選 突破 を必要 とされる。 - 2002
年 第 73回 大会 。金属 バットの使用 が禁止 され、木製 バットに回帰 。この年 から2010年 まで8月 下旬 -9月 初旬 の開催 に繰 り下 げ[注釈 1]。 - 2003
年 第 74回 大会 。タイブレーク制度 運用 開始 。 - 2011
年 第 82回 大会 。東日本 大震災 の影響 により1年 限 りで京 セラドーム大阪 で日本 選手権 を兼 ねて開催 。前年 優勝 チームの推薦 出場 制度 が2度目 の復活 。
令 和 時代
[- 2019
年 第 90回 大会 。90回 開催 と日本 野球 連盟 設立 70周年 を記念 し、3代目 テーマ曲 として社会 人 野球 の歌 「我 街 (われら)の誇 り」が制定 される。 - 2020
年 第 91回 大会 。東京 オリンピック開催 にかかわる警備 上 の問題 や、交通 渋滞 などの混雑 緩和 、プロ野球 の日程 を考慮 し、11月22日 から12月3日 に開催 を設定 された[注釈 2]。東京 オリンピックは新型 コロナウイルス感染 拡大 のため翌年 に延期 となったが、都市 対抗 野球 の日程 は変更 なく[注釈 3]、予定 通 り11月 から12月に開催 された。 - 2021
年 第 92回 大会 。当年 に延期 された東京 オリンピック開催 にかかわる警備 上 の問題 や、交通 渋滞 などの混雑 緩和 、プロ野球 の日程 を考慮 し、11月28日 から12月9日 に開催 された[注釈 4]。 - 2022
年 第 93回 大会 。3年 ぶりに本来 の夏 に日程 を戻 し、開催 された。
歴史
[発足
[- 1915
年 (大正 4年 ):全国 中等 学校 優勝 野球 大会 (現 :全国 高等 学校 野球 選手権 大会 ) - 1924
年 (大正 13年 ):選抜 中等 学校 野球 大会 (現 :選抜 高等 学校 野球 大会 ) - 1925
年 (大正 14年 ):東京 六 大学 野球 連盟 翌 1926年 (大正 15年 )に摂政 宮 賜杯 を下賜 された(後 の天皇杯 )
- 1931
年 (昭和 6年 ):五 大学 野球 連盟 (現 :東都 大学 野球 連盟 )
なお、
このような
1927
やがて
中断 と復活 、NPB発足 による危機
[1949
開催 時期
[2022
2001年 まで
[2001
第 51回 (1980年 )はIBAFワールドカップの開催 に伴 い11月開催 となった。第 63回 (1992年 )と第 67回 (1996年 )は、夏季 オリンピック(当時 、硬式 野球 が公式 種目 とされていた)と平年 の開催 日 が重 なってしまうという理由 で、8月 下旬 ないし9月 上旬 に延期 された。
2002年 以降 の動向
[2002
2011
このため
なお、2020
東日本 大震災 の影響 での延期 と「日本 選手権 」兼務
[2011
その
大会 方式
[トーナメント
試合 形式 ・ルール
[原則 として公認 野球 規則 にのっとり行 われるほか、アマチュア野球 内規 及 び日本 野球 連盟 内規 も適用 される。- バットは
木製 バットを用 いる。(第 50回 大会 (1979年 )から第 72回 大会 (2001年 )までは金属 バットを使用 。) 指名 打者 制度 を用 いる(チームの判断 で指名 打者 を置 かないとすることも可能 である)。指名 打者 制度 が導入 されたのは第 60回 大会 以降 。
試合 開始 から4時間 以上 であること延長 13回 以上 であること
この
この
2023
投手 は、走者 がいない場合 には12秒 以内 に投球 動作 を開始 しなければならない。違反 した場合 は、1ボールが追加 される。投手 は、走者 がいる場合 には20秒 以内 に投球 動作 を開始 しなければならない。違反 した場合 は、1回 目 は投手 に警告 を与 え、2回 目 以降 は1ボールが追加 される。走者 がいる場合 の牽制 球 は、同一 の打者 が打席 についている間 に2回 まで行 うことができる。牽制 球 が3回 以上 行 われた場合 には、ただちにボークが宣告 される[注釈 8]。
メジャーリーグ(MLB)で
メジャーリーグ | |||
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どちらの |
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8 |
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1ストライクが | |||
1 |
1 | ||
ボークを |
ボークを |
予選
[北海道 地区 (1)東北 地区 (2)北信越 地区 (新潟 ・長野 ・富山 ・石川 ・福井 )(1)北関東 地区 (茨城 ・栃木 ・群馬 )(2)南関東 地区 (埼玉 ・千葉 )(3)東京 地区 (4)西 関東 地区 (神奈川 ・山梨 )(2)東海 地区 (静岡 ・愛知 ・岐阜 ・三重 )(6)近畿 地区 (5)中国 地区 (2)四国 地区 (1)九州 地区 (2)
これに
第 26回 (1955年 )記念 大会 を除 き、25チームで行 われた最初 の大会 (推薦 、北海道 、東北 、北関東 、南関東 、東京 (特別 区 )、川崎 市 、横浜 市 、山 静 、信越 (新潟 、長野 、富山 )、名古屋 市 、東海 (愛知 、岐阜 、三重 )、北陸 (石川 、福井 、滋賀 )、近畿 、京都 市 、大阪 市 、神戸 市 、中国 、四国 、北九州 、南 九州 )第 27回 (1956年 )推薦 出場 が廃止 される。第 34回 (1963年 )推薦 出場 が復活 する。九州 地区 が北九州 市 と九州 に再編 される。第 41回 (1970年 )東海 ・北陸 ・近畿 が東海 北陸 (愛知 、岐阜 、三重 、石川 、福井 )・東 近畿 (大阪 、滋賀 )・西 近畿 (兵庫 、和歌山 )に再編 される。第 42回 (1971年 ) この大会 以降 、記念 大会 を除 き、32チーム出場 となる。第 44回 (1973年 )北九州 市 が九州 に統合 され、九州 全域 が1地区 となる。第 49回 (1978年 )都市 単独 の出場 枠 (東京 特別 区 、横浜 市 、川崎 市 、名古屋 市 、京都 市 、大阪 市 、神戸 市 )が解消 され、都道府県 単位 (東京 全域 、神奈川 、愛知 、京滋 、阪和 、兵庫 )に再編 される。第 51回 (1980年 )愛知 が東海 北陸 に統合 される。第 54回 (1983年 )北関東 と南関東 の間 で次点 チームによる関東 地区 代表 決定 戦 が導入 される。第 61回 (1990年 )山梨 が山 静 から南関東 に移 り、静岡 単独 となる。東海 北陸 ・信越 が東海 (愛知 、岐阜 、三重 )・北信越 (新潟 、長野 、富山 、石川 、福井 )に再編 される。第 67回 (1996年 )奈良 県 連盟 発足 に伴 い、奈良 が阪和 に編入 される。第 68回 (1997年 )推薦 出場 が廃止 される。奈良 が京滋 に移 され、京滋 奈となる。静岡 と東海 の間 で代表 決定 戦 が導入 される。第 73回 (2002年 )静岡 が東海 に統合 される。(代表 決定 戦 は廃止 。)関東 地区 代表 決定 戦 に東京 と神奈川 も参加 するようになる(北関東 は隔年 で参加 )。京滋 奈・阪和 ・兵庫 の間 で近畿 地区 代表 決定 戦 が導入 される。第 77回 (2006年 )推薦 出場 の代 わりに前回 大会 優勝 チームの所属 地区 の代表 枠 を増 枠 する制度 が導入 される。第 82回 (2011年 )推薦 出場 が復活 する。(増 枠 制度 は廃止 。)第 83回 (2012年 )神奈川 に南関東 から山梨 が加 わり、西 関東 となる。京滋 奈・阪和 ・兵庫 が統合 され近畿 地区 となる。(代表 決定 戦 は廃止 。)関東 地区 における代表 決定 戦 が廃止 される。
2次 予選
[2
予選 形式
[2
北海道 地区
- 1
次 予選 を勝 ち抜 いた4チームによるリーグ戦 。上位 2チームの勝敗 が同 じ場合 は代表 決定 戦 を行 い、上位 3チームの勝敗 が同 じ場合 は代表 決定 戦 「巴 戦 」を行 う。
東北 地区
- 1
次 予選 を勝 ち抜 いた12チームによる敗者 復活 併用 トーナメントを行 う。
北信越 地区
- 1
次 予選 を勝 ち抜 いた8チームがトーナメントを行 う。2015年 までは敗者 復活 トーナメントを併用 して、それぞれの勝者 が代表 決定 戦 を行 っていたが、2016年 に敗者 復活 戦 が廃止 された。
北関東 地区
- 1
次 予選 を勝 ち抜 いた8チームによる敗者 復活 併用 トーナメントを行 う。
南関東 地区
- 1
次 予選 を勝 ち抜 いた6チームによる敗者 復活 併用 トーナメントを行 う。
東京 地区
- 1
次 予選 を勝 ち抜 いた2チームと1次 予選 を免除 された6チームの計 8チームによる敗者 復活 併用 トーナメントを行 う。
西 関東 地区
- 1
次 予選 を勝 ち抜 いた6チームと1次 予選 を免除 された3チームの計 9チームで3つのブロック決定 トーナメントを行 った後 、各 トーナメント1位 のチームでリーグ戦 を行 う。リーグ戦 で3チームの勝率 が並 んだ場合 は、代表 決定 トーナメントを行 う。
東海 地区
- 1
次 予選 を勝 ち抜 いた2チームと1次 予選 を免除 された14チームの計 16チームが敗者 復活 併用 トーナメントを行 う。
近畿 地区
- 1
次 予選 を勝 ち抜 いた7チームと1次 予選 を免除 された7チームの計 14チームが敗者 復活 併用 トーナメントを行 う。
中国 地区
- 1
次 予選 を勝 ち抜 いた8チームが4チームずつ2リーグに分 かれ総 当 たりのリーグ戦 を行 う。各 リーグ上位 2チームずつによる敗者 復活 併用 トーナメントを行 う。
四国 地区
- 1
次 予選 を勝 ち抜 いた4チームによるトーナメントを行 う。
九州 地区
- 1
次 予選 を勝 ち抜 いた12チームが敗者 復活 併用 トーナメントを行 う。
1次 予選
[2
1
補強 選手
[「
なお、
経緯
[- 1950
年 、それまで8球団 で行 われていたプロ野球 が2リーグ分立 等 に伴 い、一挙 に15球団 に膨 れ上 がった。プロ選手 の供給 源 として、百 数 十 名 に及 ぶ選手 たちが社会 人 野球 から引 き抜 かれていった[4]。都市 対抗 大会 のレベルの低下 を懸念 し、地区 予選 で敗退 したチームから選手 を期間 限定 で借 り受 ける制度 を創設 した。制度 は第 21回 大会 大会 から運用 された[5]。 - 1950
年 から1977年 までは、各 県 ごとの1次 予選 終了 時 、2次 予選 進出 チームは1次 予選 敗退 チームから5名 までの補強 選手 を選 ぶことが可能 だった[5]。その後 2次 予選 終了 後 でも補強 が可能 であったので、各 チーム最大 10名 までの補強 が許 されていた。補強 制度 の活用 が、大阪 市 代表 の全 鐘紡 の三 連覇 (1950年 ~1952年 )の原動力 となった[5]。 - 1978
年 から2009年 までは1次 予選 終了 後 の補強 が行 われず、2次 予選 終了 後 に補強 選手 を1チーム5人 まで選抜 していた。 - 2010
年 から、1チームの補強 選手 の上限 が3人 に減 らされた。
選抜 方法
[- 2
次 予選 終了 後 に各 チームの監督 等 役員 が選抜 を行 う。 同 一 地区 に複数 の代表 チームがある場合 は、第 1代表 チームが選抜 を終 えたのちに第 2代表 チームが選抜 を行 っていく。すなわち、優秀 な選手 は上位 出場 チームの補強 選手 となることが多 いことから、予選 での勝 ちあがり順位 も本戦 での上位 進出 のかぎとなる。- 1
次 予選 で敗退 したチームから選手 を選抜 することも可能 (近年 はほとんど行 われていない)。
組 み合 わせ抽選
[- まず32チームのトーナメントの「やぐら」を
作 り、左 から1番 、2番 …31番 、32番 と番号 を振 る。次 に1番 から8番 までをAブロック、9番 から16番 までをBブロック、17番 から24番 までをCブロック、25番 から32番 までをDブロックとする。 推薦 出場 の前回 優勝 チームが1番 (開幕 戦 )に入 る。- 1
万 人 以上 の観客 動員 を条件 に、事前 申請 したチーム(第 95回 大会 では13チーム)を「特定 試合 シード」として、初戦 を希望 する日時 の試合 に割 り振 る。特定 試合 シードのチームは同 一 地区 、同 一 企業 グループ同士 の対戦 が認 められる。 同 一 企業 グループ[注釈 16][注釈 17]同士 の初戦 での対戦 を避 けるため、対象 チームの抽選 を行 う。同 一 地区 同士 の初戦 での対戦 を避 けるため、代表 数 の多 い地区 から抽選 を行 う。- 1
回戦 の試合 日時 の抽選 を行 う。(1回戦 ・2回戦 の連戦 は避 ける) - 32チームがやぐらに
割 り振 られた後 で、次 の2点 に着目 した確認 が行 われ、場合 によってはベンチサイドの交換 が行 われる。同 一 企業 内 チームが連続 して試合 が行 われる場合 、同一 のベンチを使 えるようにする。特定 シードチームが連続 して試合 が行 われる場合 、同一 のベンチを使 わないようにする(スムーズな観客 入 れ替 えが困難 になるため)。
- これらの
関係 もあり、1回戦 (5・10回 区切 りの記念 大会 の時 は1、2回戦 )は必 ずしもトーナメント表 の左側 (上側 )から順 に開催 するとは限 らない。 推薦 出場 が認 められている前回 大会 優勝 チーム(ディフェンディングチャンピオン)は、開幕 日 の試合 出場 が約束 されている(原則 として、開幕 戦 に出場 する。ただし推薦 枠 がなかった1997年 から2010年 まで、および記念 大会 の特例 として2回戦 の最初 の試合 [注釈 18] として行 われた2014年 を除 く)記念 大会 で出場 チームが32チームを超 えるとき、増 枠 された地区 の最後 の代表 枠 のチーム(第 85回 大会 の場合 は、東京 第 4代表 と、東海 第 7代表 )が自動的 に1回戦 に割 り当 てられる。
1日 に割 り当 てられる試合 数
[出場 チーム数 及 び総 試合 数 により異 なるが、32チーム・31試合 となる年 は、初日 前日 のプロ野球 がナイターである場合 、原則 として1日 目 に1回戦 1試合 、2日 目 から6日 目 まで1回戦 3試合 ずつ、7日 目 と8日 目 は2回戦 3試合 ずつ、9日 目 は2回戦 2試合 と準々 決勝 1試合 、10日 目 は準々 決勝 3試合 、11日 目 は準決勝 2試合 、12日 目 に決勝 戦 を行 う。初日 前日 がデーゲームであるか、もとから試合 が組 まれていなかった場合 は1-8日 目 (1・2回戦 )は3試合 ずつ。準々 決勝 は9・10日 目 に2試合 ずつをおこなう。一方 で、記念 大会 で34チーム・33試合 となる年 は、1日 目 に1回戦 2試合 ・2回戦 1試合 、2日 目 から6日 目 まで2回戦 3試合 ずつ、7日 目 と8日 目 は3回戦 3試合 ずつ、9日 目 は3回戦 2試合 と準々 決勝 1試合 、10日 目 は準々 決勝 3試合 、11日 目 は準決勝 2試合 、12日 目 に決勝 戦 を行 う。
例外 として、- 2005
年 (第 76回 大会 )までは11日間 に渡 って行 われ、1回戦 ・2回戦 の行 われる初日 から8日 目 までは1日 3試合 、9日 目 準々 決勝 は4試合 一括 、10日 目 準決勝 2試合 、11日 目 に決勝 戦 を行 っていた(第 76回 大会 は会場 の都合 等 で2回戦 を1日 に4試合 組 んだ日 もあった)。 - 2006
年 (第 77回 大会 )から、会期 が1日 延長 され12日間 になった。これは準々 決勝 進出 チームの連戦 による健康 被害 を最小限 に留 めることや、1日 4試合 にすることで、第 4試合 の試合 終了 が午前 0時 近 くになることの弊害 を避 けるため。そこで、初日 の開会 式 直後 の試合 を1試合 のみとして、2日 目 から10日 目 は1日 3試合 ずつとした。 - 2011
年 (第 82回 大会 京 セラドーム大阪 )は初日 が土曜日 に設定 されたため、2005年 の大会 と同 じ形式 で開催 されることになった。 - 2012
年 (第 83回 大会 )は、再 び2006年 から2010年 の大会 と同一 形式 に戻 った。 - 2015
年 (第 86回 大会 )は、開会 日 前日 にプロ野球 のオールスター第 1戦 が東京 ドームで行 われた都合 で、開会 日 が土曜日 になったことを踏 まえ、第 1・6日 (1回戦 の最初 と最後 の日 )については調整 上 2試合 のみの開催 とした。 - 2021
年 (第 91回 大会 )初日 (開会 式 当日 )が日曜日 だったため、それを含 め、8日 目 (2回戦 最終 日 )までの24試合 は1日 3試合 ずつ開催 。準々 決勝 は9・10日 目 の2日間 に2試合 ずつに分 けて開催 した。同様 に夏季 開催 に戻 った2022年 (第 92回 )も、初日 が祝日 の海 の日 (7月 18日 )に当 たるのと、前日 のプロ野球 がデーゲームだったため、上記 と同 じ日程 となっている。
- 2005
概 ねの目安 となる試合 開始 時刻 は、第 1試合 10時 30分 第 2試合 14時 00分 (2試合 日 の第 1試合 は13時 30分 )第 3試合 18時 00分 (2試合 日 の第 2試合 、1試合 日 )
- 1
日 目 は1試合 日 となるが、開会 式 が行 われるため、18時 30分 開始 となる。 - 4
試合 開催 する必要 がある場合 は第 1試合 から順 に8時 30分 、12時 00分 、15時 30分 、19時 00分 に試合 を開始 する。 前 の試合 が長引 いた場合 、次 の試合 開始 時刻 は、前 試合 終了 後 約 1時 間 後 を目安 に遅 らせるが、早 く終了 した場合 には試合 開始 時刻 を繰上 げることはない。
表彰
[個人 表彰
[橋戸賞 最優秀 選手 賞 にあたり、優勝 チームから1人 選出 される。都市 対抗 野球 を創設 した橋戸 信 (橋戸 頑鉄)にちなんでいる。久慈賞 敢闘 賞 にあたり、準 優勝 チームから1人 選出 される(第 18回 大会 のみ優勝 チームから選出 されている)。全日本 の主将 を務 めた名 捕手 で、1939年 8月 19日 に試合 中 の事故 で死去 した久慈 次郎 にちなんでいる。小野賞 大会 で素晴 らしい活躍 をした選手 、監督 、チームが選出 される特別 賞 。都市 対抗 野球 の発展 に寄与 した小野 三 千 麿 にちなんでいる。- なお
上記 の賞 とは別 の特別 表彰 がなされる場合 もあり、2011年 ・第 82回 では、東日本 大震災 での被災 を乗 り越 えながら、この大会 本戦 への参戦 を果 たしたJR東日本 東北 硬式 野球 部 に対 し、特設 の「がんばろう!!日本 特別 賞 」が贈 られた。 若獅子賞 新人 賞 にあたり、大会 で素晴 らしい活躍 をした新人 選手 (高卒 選手 は2年 目 まで、大卒 選手 は1年 目 のみ)が選出 される。1名 とは限 らず、近年 は3人 同時 受賞 というケースもある。- 10
年 連続 出場 社会 人 野球 チームはプロ野球 の球団 よりも選手 の入 れ替 わりが激 しく、10年間 も主力 で活躍 できる選手 は少 ない。さらに各 地区 に複数 の強豪 チームが存在 するため、自分 のチームが毎年 都市 対抗 野球 に出場 できるとは限 らない。よって都市 対抗 野球 大会 の10年 連続 出場 は自 チームの主力 のみならず、補強 選手 にもコンスタントに選 ばれるほど実力 が抜 きん出 ていて、大 きな故障 もない選手 という証明 である。
なお、1987年 に鈴木 政明 (旧姓 ・山根 )[注釈 19] が大昭和製紙 、ヤマハ発動機 、プリンスホテルと所属 チームの活動 休止 を移籍 によって乗 り越 え、本 大会 20年 連続 出場 の偉業 をなしとげた。また、第 81回 大会 では、監督 として10年 連続 チームを本 大会 に導 いた神長 英一 監督 (日本通運 )が制度 開始 以来 初 めて選手 と同様 に表彰 を受 けた。
なお、選手 同様 応援 団 員 にも10年 (チアリーダーは5年 )連続 出場 の表彰 制度 があるほか(後述 )、審判 員 も10年 出場 (こちらは「連続 」の要件 が入 っていない)すると開会 式 において表彰 される。首位 打者 賞 大会 を通 じて高 打率 を残 した打者 に贈 られる。受賞 条件 として、(1)準決勝 進出 チームに所属 、(2)4試合 以上 に出場 、(3)12打席 10打数 以上 を記録 することが必要 となる。この条件 を満 たす打者 のうち最 も高 い打率 を残 した者 が獲得 する(同率 の場合 は内規 による)。打撃 賞 勝敗 を決 する場面 での一 打 など、印象 的 な打撃 を残 した打者 に贈 られる。数値 での条件 はない。優秀 選手 賞 - ポジション
別 に選出 される(指名 打者 含 む)。全体 として20人 前後 が選 ばれる。特 に規定 はないがおおむね準々 決勝 以上 に進出 したチーム所属 の選手 が選出 される。
歴代 表彰 選手
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舩木 ( |
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オレステス・キンデラン ( |
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梵英 ( |
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にかほ |
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筑川 ( |
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チームに贈呈 される記念 旗
[黒獅子旗 優勝 チームに授与 される優勝旗 のことで、現在 の黒獅子旗 は3代目 である。なお、初代 黒獅子旗 のデザインを担当 したのは、橋戸 信 の友人 でもあった画家 の小杉 未醒 であり、古代 バビロンのレリーフに着想 を得 てデザインされた[14]。1942年 (昭和 17年 )に全 京 城 (現 :ソウル)の優勝 を最後 に大会 は中断 され、旗 は終戦 の混乱 の中 、全 京 城 の主力 打者 ・秋山 光夫 が命 がけで日本 へ持 ち帰 った[15](第 17回 大会 #概要 も参照 )。白獅子旗 本戦 の準 優勝 チームに贈 られる旗 。獅子 の色 が白 いもので、デザインは黒獅子旗 と同 じ。閉会 式 のセレモニーの一環 として、準 優勝 チームの主将 に手渡 される。黄 獅子 旗 本戦 の3位 チームに贈 られる旗 。獅子 の色 が黄色 いもので、デザインは黒獅子旗 と同 じ。準決勝 終了 時 の整列 ・あいさつが終 わると、引 き続 いて3位 チームの主将 に手渡 される。第 17回 大会 から第 38回 大会 までは準決勝 敗退 チーム同士 による3位 決定 戦 が行 われており、この時期 は3位 決定 戦 の勝者 に贈 られていた。青 獅子 旗 各 地区 の2次 予選 で優勝 し、第 1代表 を勝 ち取 ったチームに与 えられる、青地 に黒 獅子 をあしらったデザインの旗 。持 ち回 りであり、代表 権 チームは翌年 の予選 の開会 式 で主催 者 (各 地区 連盟 )に旗 を返還 する。代表 チームにはすべて(代表 順位 の関係 なく)代表 盾 が贈 られるが、青 獅子 旗 はこれに加 えて第 1代表 のチームにのみ与 えられるものである。- 2010
年 (平成 22年 )の第 81回 大会 東北 地区 予選 にて、第 1代表 を勝 ち取 った日本製紙石巻 は、同社 石巻 工場 敷地 内 の応接 室 に展示 していたが、翌 2011年 (平成 23年 )3月 11日 の東日本 大震災 により建物 ごと失 われた[15]。同年 7月 に重機 で敷地 内 のガレキを撤去 中 、偶然 、発見 された[15]。その後 2012年 (平成 24年 )3月 末 に日本 野球 連盟 により旗 が新調 された。津波 から生還 した、この旧 青 獅子 旗 は東京 ドーム内 の野球 体育 博物館 に収蔵 され展示 されている[16]。 紅 獅子 旗 各 1次 予選 の優勝 チームに贈 られる、赤地 に黒 獅子 をあしらったデザインの旗 。
黒 獅子 エンブレム
[2001
優勝 チームの特典
[- チャンピオンフラッグ
本田 メダル(金 メダル)[注釈 24]、黒 獅子 エンブレム(上述 )の授与 -各 選手 に授与 大会 協賛 企業 提供 の商品 の贈呈 -チームに授与 [注釈 25]次 年度 大会 の推薦 出場 同 年度 の社会 人 野球 日本 選手権 大会 の推薦 出場 - JABA
地区 連盟 主催 大会 のうち、日本 選手権 の出場 選考 大会 と重複 優勝 した場合 はその優勝 チームが所属 する地区 の日本 選手権 出場 枠 を1つ増 枠 する[注釈 26]。
- JABA
年度 によりこの大会 終了 後 に行 われる国外 での国際 招待 試合 出場 権 が与 えられる場合 がある。- 2014
年 西濃運輸 -フランス国際 野球 大会 (吉田 チャレンジカップ)の出場 権
- 2014
その他 の賞
[シャットアウト賞 ・ホームラン賞
[出場 歴 のあるチーム
[都道府県 別 成績
[歴代 優勝 チーム
[前年度 優勝 チームの連覇
[都市 対抗 野球 の連覇 達成 の事例 は1930年 ・1931年 の東京 倶楽部 、1938年 ・1939年 の藤倉 電線 、1946年 ・1947年 の大日本土木 、1950年 から1952年 の全 鐘紡 (大会 記録 の3連覇 )、1961年 ・1962年 の日本石油 以降 、約 半 世紀 の間 、途絶 えた。2012年 には前年 優勝 のJR東日本 が50年 ぶりの連覇 を目前 に決勝 で敗 れている。そのJR東日本 を下 したJX-ENEOSが2013年 、同 じ組 み合 わせで行 った決勝 を制 し、51年 ぶりとなる2連覇 を決 めた(法人 の統廃合 によりチーム名 が変更 されているが、同 一 組織 のチームが複 数 回 の連覇 を決 めたのは史上 初 の例 である)。2022年 にも前年 優勝 の東京 ガスが連覇 を目前 に決勝 で敗 れているが、この東京 ガスを下 したのもENEOSであった。- 1996
年 以前 は前年度 の大会 で優勝 したチームは、次 年度 の大会 は推薦 枠 、即 ち予選 を免除 して自動的 に全国 大会 にコマを進 められるシード枠 で参加 ・かつ開幕 戦 での試合 をする権利 が与 えられたが、補強 選手 制度 が適用 できない単独 チームでの出場 となるため、補強 制度 を使 える他 のチームと比 べると戦力 がやや劣 る面 も否 めなかったことから、なかなか連覇 を達成 することが出来 なかったともいわれている。1975年 に前年 優勝 の白老 町 ・大昭和製紙 北海道 が決勝 に進出 したが敗北 。1990年代 に入 ると、推薦 出場 チームの初戦 敗退 が相次 いだ。- 1951
年 に2連覇 を果 たした全 鐘紡 は、翌年 の推薦 出場 権 を得 ていたが、「補強 選手 がいなくては本 大会 で勝 つのは難 しい」として敢 えて推薦 を辞退 し、他 チームと同様 に予選 を戦 って出場 権 を獲得 、補強 選手 を得 て本 大会 に臨 み、3連覇 を達成 した。事実 、この年 の橋戸賞 は、日本生命 から補強 された内野 手 の松井 実 が受賞 している。なお、補強 選手 制度 は1950年 から採用 されたものであり、補強 選手 なしで補強 選手 がいるチーム相手 に連覇 をしたのはENEOS(日本石油 )の2度 だけである。
- 1951
- 1997
年 からこの前年度 優勝 チームに対 する推薦 出場 制度 は廃止 され、他 のチーム同様 予選 を勝 ち上 がらないと東京 ドームの舞台 に立 てない事 になっていた。しかし前述 のとおり、2006年度 の第 77回 大会 から事実 上 の推薦 出場 制度 の代 りとして、前回 優勝 チームの所属 地域 の出場 枠 を1チーム増 やす制度 が取 り入 れられることになり、2010年 まで継続 した。 - 2011
年 の第 82回 大会 から、再 び前回 優勝 チームの推薦 出場 制度 が復活 している。
応援
[応援 団 コンクールの概要
[選考 基準
- チームの
健闘 に貢献 した作品 郷土色 豊 かな作品 - リーダーの
統制 がよく取 れて、マナーのよかったチーム 優秀 なアイデアを作品 に取 り込 んだもの
表彰 大会 最終 日 の試合 後 の表彰 ・閉会 式 にて、最優秀 ・優秀 ・敢闘 賞 ・MIC受賞 各 チームに対 して、その応援 団 の代表 者 若干 名 にトロフィー(最優秀 賞 は最優秀 賞 旗 も)、記念 品 が贈 られる。- また
上記 各賞 に入選 しなかったチームの中 から、特 に創意 ・工夫 を凝 らしたチームについても特別 賞 や努力 賞 が贈 賞 される場合 がある。
応援 団 コンクールの各 賞 受賞 チーム
[リッカーミシン | ― | ||||
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オール |
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TDK | ― | ||||
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プリンスホテル | ― | ||||
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スリーボンド | ― | ||||
プリンスホテル |
NTT |
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プリンスホテル | ヤマハ |
ヨークベニマル | ― | ||
NTT |
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プリンスホテル | ― | ||||
JR |
プリンスホテル | ヤマハ |
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プリンスホテル | ― | ― | |||
いす |
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NTT |
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JR |
NKK | ― | |||
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JT | ― | ― | |||
NTT |
ホンダ |
いす |
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シダックス | ― | |||
ホンダ | JT | ― | |||
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JR |
JFE |
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JR |
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JFE |
JR |
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Honda | ― | |||
NTT |
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NTT |
NTT |
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JR |
NTT |
JFE |
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JR |
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NTT |
JR |
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NTT |
JX-ENEOS | JR |
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NTT |
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NTT |
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JR |
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JR |
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JFE |
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JR |
決勝 戦 の応援 席 の演出
[通常 の試合 では一 ・三塁 側 の応援 席 (最 前列 に応援 ステージあり)の1階 席 とバルコニー席 の中間 の仕切 に「(ホームタウンの自治体 名 )代表 (チーム名 )」(例 :「にかほ市 代表 ・TDK」「大阪 市 代表 ・日本生命 」)または「(ホームタウンの自治体 名 )(チーム名 )」(例 :「川崎 市 ・TOSHIBA」)の横断 幕 を出 す(先述 したように東京 特別 区 は一律 東京 都 代表 扱 いなので「東京 都 代表 ・東京 ガス」、「東京 都 ・NTT東日本 」などとなる)。決勝 戦 では更 に2つのくす玉 (野球 ボールをかたどったデザイン)が吊 るされ、試合 終了 後 に勝敗 に関 わらず両 チーム応援 席 で割 られる。優勝 チームは2つとも割 られ、紙 テープや風船 と共 にうち1つは「優勝 おめでとう」の垂 れ幕 、また優勝 ・準 優勝 チームに関 わらず割 られるもう1つのくす玉 には「ご声援 ありがとうございました」の垂 れ幕 が垂 れ下 がる。- なお、2023
年 の第 94回 大会 ではくす玉 は設置 されず、垂 れ幕 のみとなった。
ダイヤモンドサポーター
[応援 団 [注釈 27] とは別 に、出場 チームは「マスコットガール」(2022年 の第 93回 大会 から名称 変更 (後述 ))を指名 し、ベンチ入 りさせる。マスコットは、通常 、チームの攻撃 中 にベンチ前 に立 ち、バッターがホームランを打 つとベンチに戻 るときに熊 のぬいぐるみを渡 し、バッターはぬいぐるみをスタンドの応援 席 に投 げ込 む。第 90回 大会 からは安全 性 を考慮 して、攻撃 時 もベンチ内 待機 となった。マスコットは通常 、所属 企業 または関連 企業 の女性 社員 [注釈 28] が務 めるが、例外 もある。SUBARUでは、例年 太田 市 の女性 職員 がマスコットを務 める。第 79回 大会 で優勝 した新 日本石油 ENEOSでは、野球 教室 に参加 した中学 ソフトボール部員 がマスコットを務 めた。またクラブチーム等 では本拠地 の「ミス○○」がマスコットガールになることがある。マスコットは女性 に限定 されておらず、女性 の代 わりに企業 アピールの着 ぐるみが現 れたり[注釈 29]、第 78回 大会 に初 出場 した岩手 21赤 べこ野球 軍団 のように男性 が務 めたりすることもある。- かつては
公式 ガイドブックに掲載 されることがあったが、現在 もテレビ中継 では各 チームの初戦 でプロフィール等 が紹介 されるほか、5いっしょ3ちゃんねる加盟 局 (及 びJスポーツ)で放映 される「都市 対抗 野球 大会 ダイジェスト」では、それぞれのチームの初戦 のときにマスコットが郷土 や企業 の紹介 をする。 各 地区 予選 においても選出 していたケースがある。クラブチームや専門 学校 チームなどはマネージャーや学生 等 が務 めることもあった。第 91回 大会 では、新型 コロナ感染 拡大 防止 のため、マスコットも採用 されなかった。第 93回 大会 から、「ダイヤモンドサポーター」[1](NTT西日本 の例 )と名称 が変更 された。
テーマ曲
[都市 対抗 野球 行進 歌 作詞 :小島 茂 蔵 [20]作曲 :古関 裕 而初代 のテーマ曲 で、1934年 (昭和 9年 )の第 8回 大会 より採用 。神宮球場 を会場 としていた時期 に作 られたため「外苑 」が歌詞 に含 まれている[21]。作詞 者 は東京日日新聞 を通 じた懸賞 募集 の入選 者 だが[20]、一部 の資料 では審査 委員 を務 めた島田 磬 也の名義 となっている場合 がある[21]。日本 コロムビアから発売 されたSP盤 の編曲 は奥山 貞吉 で、中野 忠晴 とコロムビア合唱 団 の歌唱 。
都市 対抗 を讃 える野球 の歌 作詞 :青木 薫 補作 :サトウハチロー作曲 :古関 裕 而- 2
代目 のテーマ曲 で、1949年 (昭和 24年 )の第 20回 大会 から2018年 (平成 30年 )の第 89回 大会 まで使用 。1969年 (昭和 44年 )の第 40回 大会 開催 時 にコロムビアが三鷹 淳 の歌唱 によるシングル盤 を製造 したが、戦前 の「行進曲 」とは対照 的 に長 らくCD音源 化 の機会 に恵 まれず2021年 (令 和 3年 )発売 の『古関 裕 而秘曲 集 プレミアム編 』で初 めてCD収録 が実現 した[22]。
の我 街 誇 り作詞 :伊集院 静 作曲 ・編曲 :林 哲司 - 3
代目 のテーマ曲 で、日本 野球 連盟 設立 70周年 を記念 し2019年 (令 和 元年 )の第 90回 大会 より使用 。社会 人 野球 日本 選手権 大会 においても共通 で演奏 される。
開会 式
[開会 式 は、大会 初日 の開幕 試合 前 に行 われる。出場 全 チームの入場 行進 が行 われ、前年度 優勝 チームから持 ちまわり賞品 (優勝旗 等 )の返還 、選手 宣誓 (開幕 試合 で対戦 する両 チームの主将 が行 う[注釈 30])、10年 出場 審判 員 の表彰 が行 われる。参加 するチームの負担 を減 らす目的 で、2003年 から開会 式 を簡略 化 し、全 チームの入場 行進 を行 わないこととしたが、2006年 から従来 の形式 に戻 った。ただし、2009年 は記念 大会 (80回 大会 )であり、初日 から1日 3試合 、また4試合 開催 日 もあったことから日程 の都合 上 、開幕 戦前 の式典 は持 ちまわり賞品 の返還 、及 び10年 連続 出場 選手 ・審判 員 表彰 、功労賞 表彰 など簡易 的 に留 めた。
始球 式
[- 1
回戦 (各 チーム初戦 )の始球 式 では、各 チームが選 んだ者 が始球 式 を行 う。よって、2人 同時 に投球 を行 うこととなる。多 くはチーム本社 の役員 や本拠地 としている自治体 の首長 やミスコンテストのグランプリがマウンドに上 るが、出場 チームが指導 している少年 野球 チームの選手 などが務 めることもある。ホームベース脇 に2枚 のプレートが置 かれ、マウンド脇 から球審 の合図 で2投手 が対戦 相手 チームの1番 打者 に向 かって投球 する。 - 2
回戦 ・準々 決勝 の始球 式 では、主催 者 の毎日新聞社 が紙上 で公募 した2人組 がバッテリーとして登場 する。 準決勝 ・決勝 の始球 式 には、著名 人 や社会 人 野球 OBが登場 する。第 82回 大会 以降 の投球 者 は次 のとおり。
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このほか、
テレビ・ラジオ・ネット中継
[現行
[東京 ケーブルネットワーク(TCN)
[東京 ケーブルネットワーク(TCN)は、開催 球場 の運営 会社 である株式会社 東京 ドームの持分 法 適用 関連 会社 である。こうした関係 もあり、東京 ドームで開催 される大会 の1回戦 から決勝 戦 までの全 試合 を制作 している(製作 著作 のクレジットはTCN単独 表記 )。また、関連 会社 のTCPが制作 技術 協力 として名 を連 ねている。社会 人 野球 の監督 経験 者 を解説 者 として迎 えるほか、実況 にはTCP Artist(TCPのタレント部門 )所属 を含 めたフリーアナウンサーを多数 起用 している。試合 中 には、両 チームの情報 を伝 えるリポーターが1人 配置 されている。なお、リポーターは試合 後 の勝利 監督 インタビューも担当 する。決勝 戦 では、これとは別 に両 チームの応援 席 にもリポーターが配置 される。第 92回 大会 (2021年 )からは、トラックマンとの提携 により、投球 の回転 数 、打球 速度 などの各種 データを表示 している。また、2回戦 以降 はデータ解説 担当 の解説 者 も出演 している。- スコアテロップはTCNで
使 っているもの(TCPの汎用 デザイン)をそのまま放送 していたが、第 85回 大会 (2014年 )よりJ SPORTS STADIUM(『野球 好 き』)に準 じた内容 となっている。ただし、『野球 好 き』の部分 が下記 の通 りに変更 されている。左側 -獅子 をイメージした大会 のシンボルマーク(ハイライト映像 挿入 時 の開始 時 と終了 時 にも使用 )右 上 -回数 表示 (英語 表記 ) ※第 95回 大会 (2024年 )は『95th』と表示 右 下 -都市 対抗
- TCNが
制作 した大会 の中継 映像 は、上記 の解説 ・実況 ・リポーター等 の音声 を含 めて映像 配給 を受 けた下記 の各 媒体 にて放送 ・配信 されている。東京 ケーブルネットワーク(TCN) - サービスエリアの文京 区 、荒川 区 、千代田 区 では、独自 放送 チャンネル(2012年 以後 「あらぶんちょ10ch」)にて1回戦 からの全 試合 が生 中継 されている。- J SPORTS -
第 85回 大会 (2014年 )より、生 中継 を中心 に1回戦 からの全 試合 を放送 している(有料 放送 )。なお、J SPORTS STADIUM(プロ野球 中継 )の放送 時間 と重 なった場合 については、当日 又 は翌日 にニアライブで放送 される。NHK BS1が生 中継 を行 う決勝 戦 及 び準決勝 のうちの1試合 については、第 87回 大会 (2016年 )までは当日 又 は翌日 にニアライブで放送 されていたが、第 88回 大会 (2017年 )以降 は並列 放送 で同時 生 中継 となっている。当初 はJ SPORTS2やJ SPORTS3を中心 に放送 されたが、第 93回 大会 (2022年 )はJ SPORTS1を中心 に放送 される(放送 チャンネルは開催 日 ごとに異 なる)。- 『J SPORTSオンデマンド』でも
一部 試合 を除 いて生 中継 による配信 を行 っている。また、放送 終了 後 の見逃 し配信 (こちらは全 試合 )にも対応 している。 - かつては、J SPORTS3の
前身 であるスポーツ・アイ ESPNにて1990年代 当初 から第 76回 大会 (2005年 )まで全 試合 生放送 で中継 されていた。 - TCNではJ SPORTSも
配信 しており、同 じ内容 を独自 放送 チャンネル・J SPORTSで重複 放送 [注釈 40] する格好 となっている。 第 88回 大会 (2017年 )の準決勝 と決勝 は、主音 声 ではJ SPORTSのオリジナル版 (決勝 戦 実況 ・島村 俊治 、解説 ・大久保 秀昭 =元 日本石油 選手 ・後身 のJX-ENEOS監督 放送 当時 慶應義塾大学 野球 部 監督 )を送 り、TCNの独自 放送 チャンネルや主要 ケーブルテレビ局 の自主 放送 チャンネル用 (同 実況 ・矢野 、解説 ・高見 泰範 =バルセロナオリンピック日本 代表 選手 元 東芝 監督 )は副 音声 で放送 した。
- 『J SPORTSオンデマンド』でも
毎日新聞 デジタル -都市 対抗 野球 の特設 サイトにて、1回戦 から決勝 戦 までの全 試合 を無料 で生 中継 している。これにより、全国 からパソコンやタブレット、スマホにて直接 視聴 することが可能 となった。また、試合 終了 後 には熱戦 を伝 えるダイジェスト映像 も配信 している。
NHK
[第 63回 大会 (1992年 )より、決勝 戦 をNHK BS1(2023年 12月からNHK BS2K放送 )で生放送 している。なおBS1では1990年代 にその日 のデーゲームで行 われる試合 を中心 に連日 1試合 (準決勝 は2試合 とも)をピックアップして生 中継 した時期 があった。またそれ以後 も準決勝 のうちの1試合 を録画 中継 (2014年 以降 はナイターの第 2試合 を生放送 )していたが、第 88回 大会 (2017年 )を最後 に終了 している。なお、2024年 第 95回 は、パリオリンピックと日程 が重 なり、放送 の都合 が付 かなかったため放送 されない。- かつては、
決勝 戦 のみをNHK総合 テレビジョンで第 62回 大会 (1991年 )まで放送 されたことがあった。 中継 映像 はTCNが制作 ・配給 したものを使用 するが、解説 者 と実況 アナウンサーはNHK独自 のものに差 し替 えている。また、決勝 戦 の途中 でTCN制作 の映像 で応援 席 レポートが入 る場合 には、NHK製作 の独自 映像 に差 し替 える。スコアテロップは、NHKがプロ野球 や高校 野球 で使用 しているのと同一 のものを使用 する。
都市 対抗 野球 ダイジェスト
[第 85回 大会 (2014年 )より、第 94回 大会 (2023年 )まで、期間 中 の深夜 帯 に毎日 放送 していた。5いっしょ3ちゃんねる加盟 局 (関東 地方 の独立 局 5局 [注釈 41])の共同 制作 となっている。- 1990
年代 初期 には、日本テレビ放送網 でも試合 日 の翌日 早朝 にダイジェスト(当該 番組 とは無関係 )を放送 したことがあった。
- 1990
東京 ドーム内 にある特設 スタジオから放送 されている。30分 番組 のダイジェストではあるが、大会 を地上波 で直接 視聴 することができる唯一 の番組 である。また、J SPORTSでも放送 される(こちらは有料 放送 )。第 93回 大会 (2022年 )からは、YouTubeの番組 公式 チャンネルにて放送 終了 後 にアーカイブ配信 されることで関東 地方 以外 の全国 から視聴 することが可能 になった。中田 浩光 が番組 MCを担当 し、社会 人 野球 の監督 経験 者 が日替 わりで解説 者 として登場 する。- 2024
年 の第 95回 大会 においては放送 されなかった。
その他
[岐阜放送 では西濃運輸 が出場 する場合 のみ、ラジオ・テレビで中継 することがある〔ラジオはラジオ日本 、テレビはTCN(以前 はテレビ東京 の協力 )〕が、2008年 は実施 されなかった。しかし、2014年 は初戦 からラジオ中継 を実施 している(ナイター開催 時 は本来 の雨傘 番組 のネットを取 りやめ、デーゲーム時 は通常 番組 を休止 させて対応 。決勝 戦 は巨人 戦 の放送 を休止 してRFから裏 送 りで放送 )。第 77回 大会 (2006年 )で、東北 勢 では初 めて優勝 したTDKの決勝 戦 は、秋田放送 の自社 制作 により、当日 のプロ野球 (甲子園 球場 で行 われた阪神 ×巨人 )の放送 を取 りやめたうえで、ABSダイナミックナイター枠 でラジオ中継 された。全 足利 クラブの試合 を栃木放送 が生 中継 した(2014年 )。北海道 ではHBCラジオ、STVラジオで北海道 のチームが登場 する試合 を中継 していた。- コミュニティFMでの
中継 は多 く、Jリーグと並 ぶ地域 密着 コンテンツの一 つとなっている。- ヤマハ
硬式 野球 部 の試合 は浜松 エフエム放送 が、2006年 ・2007年 ・2008年 にはエフエムもりぐちが松下電器 (当時 )の試合 を現地 から葛飾 エフエム放送 ・おおたコミュニティ放送 と協力 して生 中継 した。2013年 ・2014年 にはかずさエフエムが新日鐵 住金 かずさマジックの試合 を生 中継 した。 - 2014
年 は仙台 シティエフエムが七十七銀行 の初戦 を、おおたコミュニティ放送 が富士重工業 の試合 を生 中継 。 - 2015
年 はラジオ石巻 が日本製紙 石巻 硬式 野球 部 の試合 を生 中継 。
- ヤマハ
これらのローカル
過去
[- 11月に
開催 された第 51回 大会 1980年 は、一部 の試合 を東京 12チャンネル(現在 のテレビ東京 )で放送 したことがある。 第 73回 大会 (2002年 )からはBS衛星 放送 のデジキャス(デジタルデータ放送 )での中継 も行 われていたが、2006年 の廃 局 とともにその中継 も打 ち切 られた。第 77回 大会 (2006年 )から第 84回 (2013年 )まではGAORAで全 試合 中継 した(約 半分 =主 として平日 日 中 の試合 と準決勝 ・決勝 が生 中継 。平日 のナイター等 一部 プロ野球 中継 との兼 ね合 いで当日 深夜 か翌日 早朝 の録画 (ニアライブ)の場合 もある。それ以前 からも準々 決勝 以降 全 試合 を生 中継 していた。提供 は日本 野球 連盟 加盟 の社会 人 野球 チームの母体 企業 で構成 する「日本 野球 振興 世話人 会 」。なお大会 後 改 めて準々 決勝 以後 の試合 を週末 にノーカット再 放送 する。(2007年 度 は9月 以後 随時 1回戦 からの全 試合 を再 放映 。この時 は提供 スポンサーなしでCMはパーティシペーションのスポット)- TCNが
製作 ・配給 した中継 映像 を使用 し、TCNの解説 者 や実況 アナウンサー、リポーターがそのまま出演 していた。 準決勝 までの生放送 中 は、前 の試合 終了 後 から次 の試合 開始 までの間 は時間 が空 くため、フィラーとして過去 の大会 の名 勝負 の映像 や、別 番組 を放送 した。第 80回 第 1日 (2009年 8月 21日 )は、記念 大会 の特例 [注釈 42] で、第 3試合 「日立製作所 対 三菱自動車 岡崎 」は一 度 17時 開始 のところから最初 の1時 間 を生放送 した後 、京 セラドーム大阪 からのプロ野球 中継 (阪神 対 広島 )を放送 するため一旦 中断 し、同日 深夜 (実際 は8月 22日 )午前 0時 15分 から4時 まで改 めて序盤 の1時 間 の部分 の再 放映 を含 め放送 した。- なお、2011
年 は大会 史上 初 めて関東 以外 での開催 (京 セラドーム大阪 )となるため、中継 は地元 ・大阪 のGAORA/毎日放送 が主体 となった製作 体制 (TCN、TCPも製作 協力 として参加 )となるが、実況 アナウンサーは基本 的 に東京 ドーム開催 のものと同 じメンバーになっている。
- TCNが
その他
[公式 ガイドブックが毎日新聞社 の「サンデ ー毎日 」増刊 号 として、毎年 7月 前半 (または開催 数 週間 前 )に発売 される。本戦 出場 チーム・選手 の紹介 (補強 選手 含 む)、予選 結果 や大会 の見 どころが掲載 される。全国 の書店 、駅 売店 のほか、会場 の東京 ドーム内 でも販売 される。また、表紙 が特定 出場 チームの写真 となっているものも存在 しており、これはそのチームの別注 版 として関係 者 や応援 入場 者 に配布 されていたこともあった(誌面 は一般 販売 と同 じ)。
(1993年 のみ、創刊 されたグランドスラムでも出場 全 チームの写真 名鑑 を掲載 )本戦 出場 を決 めたチーム同士 が対戦 する練習 試合 (オープン戦 )を特 に壮行 試合 と呼 び、試合 結果 は翌日 の毎日新聞 スポーツ面 に掲載 される。本戦 開幕 まで2週間 以内 となる時期 に行 われる壮行 試合 には補強 選手 も出場 する。
また、前年 優勝 で推薦 出場 の場合 も予選 最終 日 や翌日 等 に観客 、応援 団 を動員 して同 地区 のチームと壮行 試合 を行 うケースが多 い。
参考 文献
[小川 正太郎 、鈴木 美 嶺 、松尾 俊治 『都市 対抗 野球 優勝 物語 』ベ ースボ ール・マガジン社 〈スポーツ新書 〉、1956年 。全国 書誌 番号 :56010520。(NDLJP:2478964)日本 社会 人 野球 協会 『都市 対抗 野球 大会 40年 史 』日本 社会 人 野球 協会 ・毎日新聞社 、1969年 。全国 書誌 番号 :71012748。(NDLJP:12173203)
脚注
[注釈
[- ^ それ
以前 の1992年 第 63回 と1996年 第 67回 も、夏季 オリンピックに硬式 野球 が正式 種目 であったため、臨時 の処置 で同 時期 の開催 となっていた。 - ^ その
代 わり、例年 この時期 に行 われる日本 選手権 が、7月 にほっともっとフィールド神戸 と京 セラドーム大阪 で開催 される予定 であった。しかし、新型 コロナウイルス感染 拡大 のため、日本 選手権 は中止 となった。 - ^
一方 でプロ野球 では日程 変更 を行 い、日本 選手権 シリーズと都市 対抗 野球 の開催 時期 が重複 した。日本 シリーズには東京 ドームを本拠地 とする読売 ジャイアンツが進出 したが、先 に日程 を抑 えていた都市 対抗 野球 が優先 された結果 、主催 試合 を代替 地 として京 セラドーム大阪 で開催 することになった。 - ^ 2020
年 と同様 に日本 選手権 は6-7月 に神戸 と大阪 に会場 を分 けて、この年 は予定 通 り行 われた。 - ^
現 WBSCプレミア12に相当 。 - ^
現 ワールド・ベースボール・クラシックに相当 。 - ^ これにより、
通常 同 時期 の日本 選手権 で行 う複数 会場 の1回戦 の分割 開催 も行 わないことになった。当初 、分割 開催 は2012年 に改 めて行 う予定 だったが、結局 、京 セラドーム大阪 単独 開催 となり、事実 上 2010年 で分割 開催 は廃止 された。(よって、2011年 に予定 されていた高松 、北九州 の初 開催 も幻 となっている) - ^ ただし、
走者 をアウトにするか、走者 が進 塁 するか、あるいはランダウンプレイ(挟 殺 プレー)となった場合 には3回 目 以上 の牽制 球 であってもボークにはならない。 - ^ ただしこの
場合 、予選 を経由 していないことから地区 代表 としての位置 づけはなく、したがって補強 選手 も得 られない。 - ^ これは、
東京 市 が1943年 に東京 都 制 により東京 府 と合併 して東京 都 になったことによるものである。 - ^ たとえば
群馬 県 ではSUBARUが決勝 から登場 し(2次 予選 への代表 枠 が2チームである場合 は自動的 に2次 予選 進出 が決定 している)、クラブチーム内 での最高 成績 チームと決勝 戦 を行 っている。 - ^ たとえば
埼玉 県 ではHondaと日本通運 は準決勝 から登場 するが、2次 予選 への代表 枠 が4チームであるため、自動的 に2次 予選 進出 が決定 している。また、過去 (第 90回 大会 予選 )にはHondaと日本通運 は他 のチームとは別枠 で1位 か2位 が決定 しており、その順位 決定 の試合 を行 っていた。 - ^
中 には第 78回 大会 での東芝 のように、クリーンアップを西郷 泰之 (当時 三菱 ふそう川崎 )・小山 豪 (当時 日産自動車 )・渡部 英紀 (当時 三菱重工 横浜 硬式 野球 クラブ)と補強 選手 で固 めて優勝 した例 もあることから、「補強 を制 する者 黒獅子旗 を制 する」とも言 われる。 - ^
大会 予選 規約 内 に「選出 された選手 は必 ず協力 出場 しなければならない」との一文 がある[12]。 - ^
直近 の例 (第 95回 大会 )では、日本 製鉄 かずさマジックが該当 。 - ^
同 一 企業 内 からの出場 はもちろん、チームの来歴 から他 チームと同 系列 とみられる場合 も同 一 企業 内 チームとして取 り扱 われる(企業 チームがクラブチーム化 してから本 大会 に出場 した場合 など)。 - ^ JRグループは
全 チーム同一 企業 として取 り扱 われてきたが、第 82回 大会 からは、JR東日本 ・JR東日本 東北 間 を除 いてすべて別 チームとして扱 われることとなった。 - ^ 34チームで
行 われる関係 で1回戦 が2試合 だけだった。 - ^
広島 ・西武 で活躍 した山根 和夫 (日本鋼管 福山 時代 の第 46回 大会 に登録 )の実兄 で、ともに投手 。 - ^
第 33回 は日本通運 名古屋 の補強 選手 として出場 - ^
日本 社会 人 野球 協会 初代 会長 の宮原 清 をたたえる盾 。 - ^ 2011
年 は大阪 での開催 のため、通常 日本 選手権 優勝 チームに贈 る大阪 市長 杯 を贈呈 。 - ^ フィリピン
野球 の父 と呼 ばれ、アジア野球 連盟 会長 も務 めたチャールズ・パーソンをたたえるカップ。2015年 大会 開会 式 で日本 野球 連盟 に返還 され、野球 殿堂 博物館 に寄贈 された。 - ^
日本 社会 人 野球 協会 第 4代 会長 の本田 弘敏 をたたえるメダル。優勝 チームには金 メダル、準 優勝 チームには銀 メダルが贈呈 される。 - ^
優勝 ・準 優勝 チームに大塚製薬 からポカリスエット1年 分 などが贈 られる。 - ^ ただし、2020・21
年 の第 91・92回 大会 に関 しては、東京 五輪 の都合 による日程 の入 れ替 えで、日本 選手権 が夏季 に繰 り上 げ(2020年 は中止 )となったため、都市 対抗 優勝 枠 に相当 するものは、大会 が成立 した2021年 ・第 46回 日本 選手権 大会 においては、2019年 ・第 45回 同 大会 優勝 の大阪 ガス硬式 野球 部 に充当 された。 - ^
男子 リーダー、女子 チアリーダー、吹奏楽 。 - ^
第 67回 大会 では陸上 の長距離 走 選手 として知 られる松野 明美 が当時 所属 していたニコニコドーの、また第 92回 大会 では同年 の東京 オリンピック・空手 競技 女子 ・形 の銀 メダリスト清水 希 容 が所属 のミキハウスのマスコットを務 めたことがある。 - ^
三菱重工 系列 の場合 、商品 の一 つであるビーバーエアコンからビーバーがマスコットを務 めることがある[19]。また、第 95回 大会 では東京 ガスのキャラクター「パッチョ」がダイヤモンドサポーターをつとめた。 - ^ ただし、2011
年 は東日本 大震災 の影響 により、JR東日本 東北 の主将 が務 めることとなった。 - ^
同年 8月 に行 われる第 5回 IBAF女子 ワールドカップのプロモーションのため。捕手 は同 じく日本 代表 の直井 友紀 が務 めた。 - ^ a b 2013
年 の野球 殿堂 入 り。 - ^ 2014
年 4月 から6月 にかけてTBSテレビで放送 された『ルーズヴェルト・ゲーム』で社会 人 野球 選手 役 を演 じた。なお実父 ・工藤 公 康 も元 野球 選手 <社会 人 野球 の経験 はなし>である。大会 会場 では同 番組 のグッズも販売 されていた。 - ^
野球 のスイングが話題 のTVCFに出演 。 - ^
国際 大会 のPR及 びオリンピックにおける野球 ・ソフトボール競技 採用 に向 けたアピール。 - ^
松中 信彦 (新日鉄 君津 →ダイエー)と「一 球 勝負 」を行 う。 - ^
打席 にはテディ・リネールが立 つ。 - ^
決勝 開始 前 に、松永 怜 一 (2022年 5月 に死去 )を追悼 するセレモニーがあり、始球 式 もその一環 で行 われた。 - ^
今市 は第 92回 大会 のスペシャルサポーター(当 大会 で初 めて設置 )を務 めた。 - ^
大半 はサイマル放送 であるが、J SPORTSのプロ野球 中継 などにより平日 のナイターなど一部 時間 が異 なる。GAORAが大会 を放送 していた第 79回 2008年 決勝 戦 は、GAORAがプロ野球 を放送 したため、先 にTCN独自 放送 チャンネルで生 中継 後 、GAORAで録画 放送 (TCN視 聴者 には実質 再 放送 扱 い)したことがあった。また、2014年 はNHK BS1で準決勝 第 2試合 と決勝 戦 が生 中継 されるため、BS(J SPORTSでは2011年 秋 から2012年 春 にかけて順次 BS放送 を開始 )で重複 するのを避 けるために、J SPORTS側 は録画 中継 (準決勝 第 2試合 は翌日 昼 に録画 中継 、決勝 は試合 日 当日 深夜 にニアライブ方式 で放送 )するため、TCN視 聴者 は2008年 と同 じく独自 チャンネルでの生放送 後 、実質 再 放送 となる。 - ^
テレビ埼玉 ・テレビ神奈川 ・千葉 テレビ放送 ・とちぎテレビ・群馬 テレビの5局 。この番組 に関 しては、テレビ埼玉 が制作 幹事 局 となっている。なお、TOKYO MXは5いっしょ3ちゃんねるの対象 外 のため放送 なし。 - ^ 36チーム
参加 による日程 の都合 で初日 から3試合 開催 であるのと、翌 8月 22日 の第 2日 が4試合 開催 であるため、通常 の3試合 開催 日 から1時 間 早 く開催 された関係 (前述 参照 )。
出典
[- ^ a b c d e 40
年 史 1969 p.3 (NDLJP:12173203/1/31) - ^
優勝 物語 1956 p.2(NDLJP:2478964/1/11) - ^ a b c d e f g 40
年 史 1969 p.4 (NDLJP:12173203/1/32) - ^ a b 40
年 史 1969 p.57 (NDLJP:12173203/1/85) - ^ a b c d 40
年 史 1969 p.56 (NDLJP:12173203/1/84) - ^ 『
財団 法人 日本 野球 連盟 連盟 報 2003』日本 野球 連盟 、4頁 。 - ^
都市 対抗 野球 :12年度 から7月 中旬 開幕 JABA決 める -毎日 jp(毎日新聞 ) - ウェイバックマシン(2011年 2月 18日 アーカイブ分 ) - ^
毎日新聞 2011年 3月 26日 付 [リンク切 れ] - ^
都市 対抗 野球 :東京 以外 で初 開催 …東日本 電力 不足 に対応 -毎日 jp(毎日新聞 ) - ウェイバックマシン(2011年 5月 20日 アーカイブ分 ) - ^ 11月1
日 、同 決勝 戦 のGAORA実況 中継 より[出典 無効 ]。 - ^ “
第 87回 都市 対抗 野球 大会 特別 規約 ”. 2024年 7月 20日 閲覧 。 - ^
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開幕 戦 は前 王者 ・トヨタ自動車 と沖縄電力 ! 7月 19日 からの『都市 対抗 野球 』の組 み合 わせが決定 | SPICE - エンタメ特 化 型 情報 メディア スパイス”. SPICE(スパイス)|エンタメ特 化 型 情報 メディア スパイス. 2024年 7月 15日 閲覧 。 - ^ 40
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異聞 】戻 ってきた優勝旗 、切断 されたユニホーム都市 対抗 野球 の歴史 ”.産経新聞 (2019年 7月 10日 ). 2024年 5月 3日 閲覧 。 - ^ “
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都市 対抗 野球 :第 3試合 の始球 式 は円盤投 げの湯上 選手 ”.毎日新聞 . 2023年 2月 5日 閲覧 。 - ^ “
都市 対抗 野球 :ラグビーのリーチ・マイケル選手 が始球 式 ”.毎日新聞 . 2023年 2月 5日 閲覧 。 - ^ “
都市 対抗 野球 :キーナンさん親子 が始球 式 ”.毎日新聞 . 2023年 2月 5日 閲覧 。
関連 項目
[外部 リンク
[第 95回 都市 対抗 野球 大会 -日本 野球 連盟 都市 対抗 野球 2024 -毎日新聞 - 【
公式 】都市 対抗 野球 ダイジェスト (@toshi_taikou) - X(旧 Twitter)