町中 まちなか に敷設 ふせつ された用水路 ようすいろ (兵庫 ひょうご 県 けん 西脇 にしわき 市 し )
稲作 いなさく などの灌漑 かんがい 農業 のうぎょう に欠 か かせない農業 のうぎょう 用水路 ようすいろ 。田 た 畑 はたけ に水 みず を引 ひ き込 こ む際 さい に使 つか う水門 すいもん も設 もう けられている。また、日本 にっぽん では水田 すいでん と一体 いったい で生態 せいたい 系 けい も築 きず かれている。写真 しゃしん は富山 とやま 県 けん 南 みなみ 砺市 。
用水路 ようすいろ (ようすいろ)は、農業 のうぎょう 用 よう 灌漑 かんがい や上水道 じょうすいどう 、工業 こうぎょう 用 よう 水道 すいどう などのために水 みず を引 ひ く目的 もくてき で造 つく られた水路 すいろ である。名称 めいしょう に井 い 路 ろ (いろ、せいろ、いじ)、分水 ぶんすい (ぶんすい)、疏水 そすい (そすい)がつくことがあり、地下 ちか を抜 ぬ ける暗渠 あんきょ は水路 すいろ 隧道 すいどう などとも呼 よ ばれる。流 なが れがあればマイクロ水力 すいりょく 発電 はつでん もできる。
日本 にっぽん 最古 さいこ の農業 のうぎょう 用水路 ようすいろ 「裂 きれ 田 でん の溝 みぞ 」
農業 のうぎょう (灌漑 かんがい )、工業 こうぎょう 、水道 すいどう (飲料 いんりょう 水 すい を含 ふく む生活 せいかつ 用水 ようすい や消防 しょうぼう )、水車 みずぐるま や水力 すいりょく 発電 はつでん の動力 どうりょく など、主 おも に人間 にんげん の経済 けいざい 活動 かつどう に用 もち いるための水 みず を用水 ようすい (ようすい)と呼 よ ぶ。この用水 ようすい を河川 かせん 、ため池 いけ 、湧水 わきみず などの水源 すいげん から離 はな れた場所 ばしょ に引 ひ くために人工 じんこう 的 てき に造 つく られた水路 すいろ が用水路 ようすいろ である。日本 にっぽん では、個々 ここ の名称 めいしょう として「~用水 ようすい 」と呼 よ ばれる用水路 ようすいろ が各地 かくち にあり(「日本 にっぽん の用水路 ようすいろ 一覧 いちらん 」を参照 さんしょう )日本語 にほんご では「用水 ようすい 」「用水路 ようすいろ 」を厳密 げんみつ に区別 くべつ せずに用 もち いることが多 おお い。また、疏水 そすい (そすい)とも呼 よ ばれ、2006年 ねん (平成 へいせい 18年 ねん )2月 がつ 3日 にち には、農林水産省 のうりんすいさんしょう が日本 にっぽん の農業 のうぎょう を支 ささ えてきた代表 だいひょう 的 てき な用水 ようすい を「疏水 そすい 百 ひゃく 選 せん 」として選定 せんてい している。
水路 すいろ を設 もう けたり、そこに水 みず を流 なが したり、水 みず の配分 はいぶん を決 き めたりすることを分水 ぶんすい と呼 よ ぶ。
なお、専 もっぱ ら水運 すいうん 用 よう に使 つか われる水路 すいろ は運河 うんが と呼 よ ばれ、または専 もっぱ ら排水 はいすい が目的 もくてき の水路 すいろ は放水 ほうすい 路 ろ と呼 よ ばれる。これらは通常 つうじょう は用水路 ようすいろ に含 ふく まない。
ただし、かつては上記 じょうき の目的 もくてき で造 つく られた用水路 ようすいろ も、時代 じだい の流 なが れに伴 ともな う流域 りゅういき 住民 じゅうみん の生活 せいかつ の変遷 へんせん により、用途 ようと の変更 へんこう や、役目 やくめ を終 お えて埋 う められたものも存在 そんざい する。また、用水路 ようすいろ としての役目 やくめ に代 か わって、現在 げんざい は流域 りゅういき 住民 じゅうみん の憩 いこ いの場 ば として機能 きのう している場合 ばあい もあり(「親水 しんすい 」を参照 さんしょう )、水路 すいろ の呼 よ び名 な は個別 こべつ の事情 じじょう や歴史 れきし 的 てき 経緯 けいい に依 よ るところが大 おお きい。
また、コンクリート の普及 ふきゅう や土木 どぼく 技術 ぎじゅつ の進展 しんてん により、堤防 ていぼう や堰 せき 、ダム の建設 けんせつ が相次 あいつ ぐとともに、既存 きそん の用水路 ようすいろ もコンクリート護岸 ごがん 化 か が進 すす められるなど、治水 ちすい と利水 りすい を兼 か ねた各種 かくしゅ の改修 かいしゅう が進 すす められる。
日本 にっぽん の農業 のうぎょう 用水路 ようすいろ [ 編集 へんしゅう ]
田 た へ水 みず を入 い れている様子 ようす 。用水路 ようすいろ と田 た の間 あいだ には樋 とい が設 もう けられている(写真 しゃしん では畦 あぜ の下 した に埋 う め込 こ まれている)。
樋 とい に水 みず を送 おく り込 こ むため、堰 せき 板 ばん を入 い れて用水路 ようすいろ の水位 すいい を上 あ げている。これにより特段 とくだん の動力 どうりょく を用 もち いることなく田 た への導水 どうすい ができる。
農作物 のうさくもつ の生育 せいいく に必要 ひつよう な水 みず を河川 かせん 、ため池 いけ などの湖沼 こしょう 、湧水 わきみず や井戸 いど から田畑 たはた に供給 きょうきゅう する役割 やくわり を担 にな う。長野 ながの 県 けん 北信 ほくしん 地方 ちほう では、稲作 いなさく には冷 つめ たすぎる雪解 ゆきど け水 すい を温 あたた めるため、幅 はば が広 ひろ くて水深 すいしん が浅 あさ い水路 すいろ (ぬるめ)を整備 せいび している[1] 。地表 ちひょう に水路 すいろ を開削 かいさく するほか、江戸 えど 時代 じだい でもトンネル 式 しき の横 よこ 井戸 いど が掘 ほ られた地区 ちく もある(鈴鹿山脈 すずかさんみゃく 東麓 ひがしふもと では「まんぼ」と呼 よ ばれる)[2] 。
なお、同 おな じ江戸 えど 時代 じだい に造 つく られたトンネル式 しき 用水路 ようすいろ の例 れい としては、山梨 やまなし 県 けん 南都留 みなみつる 郡 ぐん 富士 ふじ 河口湖 かわぐちこ 町 まち 船津 ふなつ と富士吉田 ふじよしだ 市 し 新倉 にいくら 字 じ 出口 でぐち を結 むす ぶ新倉 にいくら 掘 ほ 抜 が知 し られ、これは農業 のうぎょう 用水 ようすい として河口湖 かわぐちこ の湖水 こすい を船津 ふなつ 側 がわ から富士吉田 ふじよしだ 側 がわ に供給 きょうきゅう するために山 やま の下 した を貫通 つらぬきとお させて約 やく 170年 ねん かけて掘 ほ られたもので、全長 ぜんちょう 3.8キロメートルを測 はか る日本 にっぽん 最長 さいちょう の手 て 掘 ほ りトンネルと言 い われる[3] (富士 ふじ 河口湖 かわぐちこ 町 まち ・富士吉田 ふじよしだ 市 し それぞれの指定 してい 史跡 しせき [4] [5] )。
一般 いっぱん に、水田 すいでん と用水路 ようすいろ の間 あいだ には樋 とい (とい)が渡 わた してあり、水田 すいでん と用水路 ようすいろ がつながっている。また用水路 ようすいろ は水田 すいでん とほぼ同 おな じ高 たか さで設 もう けられる。用水路 ようすいろ から離 はな れた場所 ばしょ にある田 た については、用水路 ようすいろ との間 あいだ をつなぐ溝 みぞ が掘 ほ られており、これが用水路 ようすいろ 兼 けん 排水 はいすい 路 ろ として使 つか われる。
引水 ひきのみず 時 じ は、用水路 ようすいろ に堰 せき 板 ばん を入 い れるなどして水位 すいい を上 あ げ、樋 とい を開 あ けて自然 しぜん 流入 りゅうにゅう により田 た へ水 みず を流 なが し込 こ む。その後 ご は堰 せき 板 ばん を樋 とい に入 い れ、田 た と水路 すいろ を分断 ぶんだん する。排水 はいすい 時 じ にはまた樋 とい を開 あ け、高低 こうてい 差 さ により排出 はいしゅつ する。これにより、別段 べつだん の動力 どうりょく を用 もち いることなく給排水 きゅうはいすい が可能 かのう になっており、起伏 きふく に富 と んだ日本 にっぽん の地形 ちけい を活 い かした仕組 しく みになっている。
近代 きんだい 以降 いこう に改良 かいりょう された用水路 ようすいろ では、堰 せき 板 ばん の代 か わりに水門 すいもん が設 もう けられている場合 ばあい もあるが、取水 しゅすい ・排水 はいすい の仕組 しく みは同様 どうよう である。また用水路 ようすいろ との間 あいだ に高低 こうてい 差 さ がある場合 ばあい や、地下水 ちかすい を用 もち いる場合 ばあい などで、水車 みずぐるま やポンプ などを用 もち いて水 みず を汲 く み上 あ げる場合 ばあい もあり、この場合 ばあい は自然 しぜん 流入 りゅうにゅう ではなく動力 どうりょく が必要 ひつよう になる。
なお、日本 にっぽん の一般 いっぱん 的 てき な水田 すいでん においては、春 はる から梅雨 つゆ の頃 ころ に田 た に水 みず を入 い れ、夏 なつ には一旦 いったん 水 みず を引 ひ く(これを中干 なかぼ しという)。水田 すいでん や農業 のうぎょう 用水 ようすい が河川 かせん ・湖沼 こしょう とつながっている場合 ばあい 、この時期 じき に合 あ わせて春 はる に田 た へ入 はい り産卵 さんらん し、稚魚 ちぎょ は田 た で産 う まれ育 そだ ち、排水 はいすい とともに用水路 ようすいろ に戻 もど って、用水路 ようすいろ の底 そこ で冬眠 とうみん するドジョウ などの生 い きものが存在 そんざい し、水田 すいでん の生態 せいたい 系 けい の一端 いったん を形成 けいせい している。しかし、直線 ちょくせん 化 か したコンクリート護岸 ごがん で形成 けいせい された形式 けいしき の流 りゅう 路 ろ では定着 ていちゃく している魚類 ぎょるい の個体 こたい 数 すう が少 すく なく、多様 たよう 性 せい に欠 か けていることが報告 ほうこく されている[6] 。
日本 にっぽん の稲作 いなさく が育 はぐく む生態 せいたい 系 けい については後段 こうだん 「#自然 しぜん 環境 かんきょう の中 なか の用水路 ようすいろ 」を参照 さんしょう 。
給水 きゅうすい 網 もう としての構成 こうせい [ 編集 へんしゅう ]
水 みず 文学 ぶんがく (地球 ちきゅう 上 うえ での水 みず の発生 はっせい ・循環 じゅんかん ・分布 ぶんぷ を論 ろん ずる学問 がくもん )における利水 りすい のための淡水 たんすい を供給 きょうきゅう する給水 きゅうすい 網 もう としては、概 おおむ ね下記 かき のような構成 こうせい 要素 ようそ がある。用水路 ようすいろ はそのうち導水 どうすい ・配水 はいすい 目的 もくてき に人工 じんこう 的 てき に設置 せっち される部分 ぶぶん の一部 いちぶ として設計 せっけい ・敷設 ふせつ される。
原水 はらみず (水源 すいげん )
主 おも に河川 かせん や湧水 わきみず 、地下水 ちかすい 、雨水 あまみず などが用 もち いられる。
貯水 ちょすい
森林 しんりん を保全 ほぜん しその保水 ほすい 力 りょく を利用 りよう する方法 ほうほう 、およびため池 いけ や湖 みずうみ などを設 もう けて貯留 ちょりゅう する方法 ほうほう が用 もち いられる。
取水 しゅすい
堰 せき 、ダム、水車 みずぐるま 、ポンプなどの設備 せつび を用 もち いて、または河川 かせん の流 なが れを利用 りよう した用水路 ようすいろ への自然 しぜん 流入 りゅうにゅう が用 もち いられる。
導水 どうすい
地上 ちじょう 部 ぶ に用水路 ようすいろ を敷設 ふせつ 、または地下 ちか に導水 どうすい 管 かん を埋設 まいせつ する。なお、導水 どうすい 管 かん に水 みず を充填 じゅうてん し移動 いどう に圧力 あつりょく を利用 りよう する圧力 あつりょく 導水 どうすい 路 ろ と、高低 こうてい 差 さ をつけ移動 いどう に重力 じゅうりょく を用 もち いる無 む 圧 あつ 導水 どうすい 路 ろ があり、用途 ようと や地形 ちけい 、導水 どうすい 量 りょう 等 とう に応 おう じて選択 せんたく される。
浄水 じょうすい
原水 はらみず の状態 じょうたい や用途 ようと によっては、水 みず の浄化 じょうか が必要 ひつよう になる場合 ばあい がある。
原水 はらみず の不純物 ふじゅんぶつ を取 と り除 のぞ く方法 ほうほう としてはろ過 か を参照 さんしょう 。また主 おも に上水道 じょうすいどう 等 とう で用 もち いる場合 ばあい において、原水 はらみず (水源 すいげん )の水質 すいしつ (測 はか る指標 しひょう として COD 、BOD などが用 もち いられる)が要求 ようきゅう に満 み たない場合 ばあい は、微生物 びせいぶつ 等 ひとし を用 もち いた生 なま 分解 ぶんかい による浄化 じょうか をするための設備 せつび (浄水 じょうすい 場 じょう など)が用 もち いられる。
配水 はいすい
ポンプ等 とう を用 もち いて水圧 すいあつ をかけ、配管 はいかん (圧力 あつりょく 導水 どうすい 路 ろ )などを用 もち いて、消費 しょうひ 地 ち (住居 じゅうきょ 、消火栓 しょうかせん 、工場 こうじょう など)へ配水 はいすい される。
川 かわ をまたぐ構造 こうぞう [ 編集 へんしゅう ]
用水路 ようすいろ が川 かわ や谷 たに などの窪地 くぼち をまたぐ場合 ばあい に水道橋 すいどうばし が建設 けんせつ される。特 とく に管状 かんじょう の用水路 ようすいろ の場合 ばあい 、水 みず 管 かん 橋 きょう という。
農 のう 工業 こうぎょう の競合 きょうごう [ 編集 へんしゅう ]
1958年 ねん の工業 こうぎょう 用 よう 水道 すいどう 事業 じぎょう 法 ほう によって工業 こうぎょう 用水 ようすい 事業 じぎょう の運営 うんえい が可能 かのう となり、河川 かせん は工業 こうぎょう にも利用 りよう されるようになり、農業 のうぎょう 用水 ようすい の開発 かいはつ の遅 おく れが目立 めだ つ地域 ちいき もある。
一 いち 例 れい として、愛知 あいち 県 けん 豊田 とよだ 市 し が1953年 ねん から周辺 しゅうへん 工事 こうじ を進 すす めていた明治用水 めいじようすい 頭首 とうしゅ 工 こう は、完成 かんせい 後 ご は農業 のうぎょう に毎秒 まいびょう 5トン、工業 こうぎょう に少 すく なくとも毎秒 まいびょう 3トンを提供 ていきょう している。ところが2022年 ねん 5月 がつ 、この頭首 とうしゅ 工 こう の底 そこ が抜 ぬ けて貯水 ちょすい 位 い が失 うしな われた際 さい 、応急 おうきゅう 的 てき なポンプ取水 しゅすい は行 おこな われたものの工場 こうじょう への提供 ていきょう が優先 ゆうせん され、農業 のうぎょう 者 しゃ が田植 たう えをするための水 みず が不足 ふそく する問題 もんだい が生 しょう じた[7] [注釈 ちゅうしゃく 1] 。
日本 にっぽん 以外 いがい の農業 のうぎょう 用水路 ようすいろ [ 編集 へんしゅう ]
太古 たいこ の灌漑 かんがい 農業 のうぎょう では主 おも に河川 かせん の洪水 こうずい を利用 りよう していたが、紀元前 きげんぜん 30世紀 せいき 頃 ころ のメソポタミア 文明 ぶんめい ではチグリス ・ユーフラテス川 がわ から引水 ひきのみず しての灌漑 かんがい 農業 のうぎょう が行 おこな われていたといわれており、そのための用水路 ようすいろ が築 きず かれ利用 りよう されていたと推定 すいてい されている。また、この用水路 ようすいろ は生活 せいかつ 用水 ようすい の供給 きょうきゅう や治水 ちすい のための放水 ほうすい 路 ろ も兼 か ねていたと考 かんが えられている。詳 くわ しくは「灌漑 かんがい #灌漑 かんがい の歴史 れきし 」を参照 さんしょう 。
ヨーロッパ や中東 ちゅうとう の平野 へいや では、地形 ちけい から自然 しぜん 引水 ひきのみず による灌漑 かんがい が難 むずか しかったり、水 みず が溜 た まりやすかったりする地域 ちいき がある。たとえばシリア の都市 とし ハマ では、そばを流 なが れるオロンテス川 がわ は水量 すいりょう が多 おお く流 なが れも速 はや いが河床 かしょう が低 ひく いために自然 しぜん 引水 ひきのみず が難 むずか しく、水車 みずぐるま などの動力 どうりょく により用水路 ようすいろ まで水 みず を汲 く み上 あ げてから農業 のうぎょう ・生活 せいかつ 用水 ようすい を引 ひ いている。
逆 ぎゃく に、世界 せかい 遺産 いさん に登録 とうろく されているオランダ のキンデルダイク村 むら にある風車 かざぐるま 群 ぐん (The Mill Network at Kinderdijk-Elshout) などのように、河川 かせん より土地 とち が低 ひく いために滞 とどこお 水 みず しやすい地域 ちいき に用水路 ようすいろ 兼 けん 排水 はいすい 路 ろ を巡 めぐ らせ、水 みず が不足 ふそく する時 とき は川 かわ から用水路 ようすいろ へ取水 しゅすい し、逆 ぎゃく に余剰 よじょう となった時 とき は風車 かざぐるま で汲 く み上 あ げて排水 はいすい することで、かつての湿地 しっち を牧草 ぼくそう 地 ち や花卉 かき 栽培 さいばい 等 とう に利用 りよう している地域 ちいき もある。
北米 ほくべい ・南米 なんべい などに近年 きんねん 多 おお く造 つく られるプランテーション (大 だい 規模 きぼ 農園 のうえん )では、サイフォン の原理 げんり を用 もち いた手法 しゅほう や、圧力 あつりょく 導水 どうすい 路 ろ (管 かん )とスプリンクラー を用 もち いて散水 さんすい させる方法 ほうほう などが多 おお く使 つか われている。
日本 にっぽん の用水路 ようすいろ と水稲 すいとう 文化 ぶんか [ 編集 へんしゅう ]
以下 いか 、日本 にっぽん における用水路 ようすいろ の歴史 れきし について詳説 しょうせつ する。
古 ふる くは『日本書紀 にほんしょき 』に記 しる された裂 きれ 田 でん の溝 みぞ のように、それ以前 いぜん の佐賀 さが 県 けん 唐津 からつ 市 し の菜畑 なばた 遺跡 いせき (推定 すいてい 年代 ねんだい 縄文 じょうもん 時代 じだい - 弥生 やよい 時代 じだい )や、新潟 にいがた 県 けん 村上 むらかみ 市 し の元屋敷 もとやしき 遺跡 いせき (同 どう 縄文 じょうもん 時代 じだい 晩期 ばんき )、徳島 とくしま 県 けん 徳島 とくしま 市 し の庄 しょう 遺跡 いせき (同 どう 弥生 やよい 時代 じだい 前期 ぜんき 前半 ぜんはん ・紀元前 きげんぜん 3世紀 せいき 頃 ころ )、佐賀 さが 県 けん の吉野 よしの ヶ里 さと 遺跡 いせき 、福岡 ふくおか 県 けん 福岡 ふくおか 市 し の板付 いたづけ 遺跡 いせき などに遡 さかのぼ る。
これらはいずれも環 かん 濠 ほり 集落 しゅうらく の跡 あと である。空堀 からぼり や土器 どき 等 ひとし の捨 す て場 じょう として使 つか われる環 かん 壕 ごう もあったが、上記 じょうき の遺跡 いせき では溝 みぞ の底 そこ から水路 すいろ の底 そこ であったと思 おも われる堆積 たいせき 物 ぶつ が出 で ている、幅 はば や深 ふか さが各々 おのおの 1m 前後 ぜんご であり用水路 ようすいろ に適 てき している、緩 ゆる やかな傾斜 けいしゃ が付 つ けられている、堰 せき の跡 あと が見 み つかっているなどの状況 じょうきょう から、灌漑 かんがい 用水路 ようすいろ として使 つか われていたと推定 すいてい されている。
このように、日本 にっぽん の用水路 ようすいろ の歴史 れきし は、弥生 やよい 時代 じだい 頃 ごろ に稲作 いなさく 文化 ぶんか とともに伝来 でんらい した農業 のうぎょう 用水 ようすい が起源 きげん であったと推定 すいてい されている。
新田 にった 開発 かいはつ と用水路 ようすいろ [ 編集 へんしゅう ]
近世 きんせい になると稲作 いなさく 技術 ぎじゅつ が進展 しんてん し、石高 いしたか の向上 こうじょう を競 きそ った領主 りょうしゅ や諸 しょ 藩 はん の大名 だいみょう などにより新田 にった 開発 かいはつ が盛 さか んに進 すす められるようになる。同時 どうじ に、稲作 いなさく に欠 か かせない水 みず の確保 かくほ が課題 かだい となり、川 かわ などから直接 ちょくせつ の引水 ひきのみず が難 むずか しい地域 ちいき へ農業 のうぎょう 用水 ようすい を引 ひ くための用水路 ようすいろ が各所 かくしょ に造 つく られるようになる。
特 とく に、天正 てんしょう 年間 ねんかん に豊臣 とよとみ 秀吉 ひでよし の傘下 さんか で関東 かんとう へ転 てん 封 ふう された徳川 とくがわ 家康 いえやす は、江戸 えど 周辺 しゅうへん での新田 にった 開発 かいはつ に注力 ちゅうりょく する。小泉 こいずみ 次 じ 大夫 たいふ (こいずみじだゆう)を用水 ようすい 奉行 ぶぎょう に登用 とうよう し、多摩川 たまがわ 流域 りゅういき の扇状地 せんじょうち に灌漑 かんがい 用水路 ようすいろ を巡 めぐ らせた。これにより新田 にった 開発 かいはつ が進 すす み、米 べい の生産 せいさん 量 りょう を大幅 おおはば に伸 の ばすことに成功 せいこう 。後 のち に幕府 ばくふ が置 お かれ、当時 とうじ は世界一 せかいいち の人口 じんこう 密度 みつど であったといわれる江戸 えど の台所 だいどころ を支 ささ えた。
工業 こうぎょう 開発 かいはつ と用水路 ようすいろ [ 編集 へんしゅう ]
明治 めいじ 以降 いこう 、日本 にっぽん でも興 おこ る産業 さんぎょう 革命 かくめい に伴 ともな い工業 こうぎょう 用水 ようすい の需要 じゅよう が急速 きゅうそく に高 たか まった。工業 こうぎょう 用水路 ようすいろ の整備 せいび が盛 さか んになるとともに、人口 じんこう 密度 みつど 増加 ぞうか などに伴 ともな う水道 すいどう 整備 せいび や、水力 すいりょく 発電 はつでん 用 よう などにも使 つか われるようになり、いわゆる「日本 にっぽん 三 さん 大 だい 疏水 そすい 」(安積 あさか 疏水 そすい 、那須 なす 疏水 そすい 、琵琶湖 びわこ 疏水 そすい )[8] をはじめとする大小 だいしょう 様々 さまざま な規模 きぼ の多目的 たもくてき 水路 すいろ が造 つく られ、これらの水路 すいろ が各地 かくち の近代 きんだい 化 か を支 ささ えた。
なお、これらの水路 すいろ には、当時 とうじ はまだ有力 ゆうりょく な運送 うんそう 主力 しゅりょく であった河川 かせん 舟運 しゅううん 用 よう の船舶 せんぱく を通 とお す運河 うんが として利用 りよう を想定 そうてい したものもあった。
市街 しがい 化 か と用水路 ようすいろ [ 編集 へんしゅう ]
周辺 しゅうへん の都市 とし 化 か に伴 ともな い、親水 しんすい 公園 こうえん として整備 せいび されたり、暗渠 あんきょ 化 か されて道路 どうろ 用地 ようち として利用 りよう されたりする用水路 ようすいろ (大丸 おおまる 用水 ようすい ・大丸 おおまる 親水 しんすい 公園 こうえん 、2005年 ねん 7月 がつ 18日 にち 撮影 さつえい )
1948年 ねん に農業 のうぎょう 改良 かいりょう 助長 じょちょう 法 ほう 、1952年 ねん に農地 のうち 法 ほう が設置 せっち されて農地 のうち 転用 てんよう は規制 きせい されるようになり、また、1969年 ねん には農業 のうぎょう 振興 しんこう 地域 ちいき の整備 せいび に関 かん する法律 ほうりつ が設置 せっち されたが、近年 きんねん になるとますます大都市 だいとし 圏 けん への人口 じんこう 集中 しゅうちゅう が進 すす み、大都市 だいとし 周辺 しゅうへん では急速 きゅうそく に都市 とし 化 か ・宅地 たくち 化 か が進 すす むようになる。すると農地 のうち や工場 こうじょう 用地 ようち は宅地 たくち や店舗 てんぽ ・オフィスビル用地 ようち へと転用 てんよう され、農業 のうぎょう 用水 ようすい ・工業 こうぎょう 用水 ようすい の需要 じゅよう が減少 げんしょう した。反面 はんめん 、近年 きんねん 急速 きゅうそく に造 つく られた放水 ほうすい 路 ろ と同様 どうよう に、用水路 ようすいろ は雨水 あまみず や生活 せいかつ 排水 はいすい の排水 はいすい 路 ろ としても使 つか われるようになってゆく。
また、更 さら なる土木 どぼく 技術 ぎじゅつ の進展 しんてん によりトンネル 工事 こうじ が比較的 ひかくてき 容易 ようい になると、新 あら たに造 つく られる用水路 ようすいろ (導水 どうすい 路 ろ )や放水 ほうすい 路 ろ は次第 しだい に地下 ちか に造 つく られるようになった。また既存 きそん の用水路 ようすいろ も道路 どうろ 用地 ようち として利用 りよう するためにフタがされ暗渠 あんきょ 化 か されるなど、その形態 けいたい も大 おお きく変化 へんか してゆく。
一方 いっぽう 、最近 さいきん になると自然 しぜん 環境 かんきょう の見直 みなお し機運 きうん が高 たか まり、用水路 ようすいろ は河川 かせん と同様 どうよう に近隣 きんりん 住民 じゅうみん の憩 いこ いの場 ば として位置 いち づけられるようにもなった。殺風景 さっぷうけい なコンクリート護岸 ごがん を再 さい 改修 かいしゅう して緑 みどり 道 どう や親水 しんすい 公園 こうえん などを整備 せいび したり、水 みず の浄化 じょうか 設備 せつび や引水 ひきのみず 設備 せつび を設 もう けたりといった工夫 くふう が各所 かくしょ で試行 しこう されている。
環境 かんきょう としての用水路 ようすいろ [ 編集 へんしゅう ]
自然 しぜん 河川 かせん に近 ちか い用水路 ようすいろ では生物 せいぶつ が数多 かずおお く存在 そんざい し独特 どくとく の生態 せいたい 系 けい がき上 ずきあ げられている。
生物 せいぶつ 多様 たよう 性 せい と用水路 ようすいろ [ 編集 へんしゅう ]
日本 にっぽん の近世 きんせい 以前 いぜん の用水路 ようすいろ は、主 おも に農業 のうぎょう 用水路 ようすいろ として使 つか われており、また土 ど を掘 ほ って踏 ぶ み固 かた めただけのものであることが多 おお かった。その形態 けいたい は自然 しぜん 河川 かせん に近 ちか いものがあるが、ただし利水 りすい のための水路 すいろ であるが故 ゆえ に頻繁 ひんぱん に人手 ひとで が入 はい り、また渇水 かっすい や人間 にんげん の水 みず 利用 りよう によってその水量 すいりょう にも大 おお きく影響 えいきょう を受 う ける、特殊 とくしゅ な環境 かんきょう であった。
しかし、日本 にっぽん に灌漑 かんがい 農業 のうぎょう が導入 どうにゅう された弥生 やよい 時代 じだい 以降 いこう 2000 - 3000年 ねん の間 あいだ に、この特殊 とくしゅ な環境 かんきょう に巧 たく みに適応 てきおう し、農業 のうぎょう 用水路 ようすいろ の環境 かんきょう を生活 せいかつ に組 く み込 こ む生物 せいぶつ が数多 かずおお く存在 そんざい する。まず、比較的 ひかくてき 流 なが れが緩 ゆる やかで水深 すいしん が浅 あさ く日当 ひあ たりが良 よ いため、プランクトン やコケ などの生育 せいいく が良 よ く、また土 ど の河床 かしょう ではミミズ なども生息 せいそく 可能 かのう である。それらを食糧 しょくりょう にするタニシ やオタマジャクシ (カエル の幼生 ようせい )、魚類 ぎょるい のメダカ やフナ 、ヨシノボリ などが住 す み着 つ く。すると、それを捕食 ほしょく する甲殻 こうかく 類 るい のザリガニ 、昆虫 こんちゅう のタガメ やヤゴ (トンボ の幼生 ようせい )などの生活 せいかつ を支 ささ える。さらに、それらを捕食 ほしょく するコウノトリ やサギ などが飛来 ひらい する。人為 じんい 的 てき に造 つく られた環境 かんきょう が、長 なが い年月 としつき をかけて自然 しぜん と一体化 いったいか し、里山 さとやま のそれと同様 どうよう に、独特 どくとく の生態 せいたい 系 けい をき上 ずきあ げてゆくこととなった。
なお、農業 のうぎょう 用水路 ようすいろ における生態 せいたい 系 けい は水田 すいでん とほぼ一体 いったい であり、用水路 ようすいろ と田 た を行 い き来 き して生活 せいかつ するものも多 おお い。併 あわ せて田 た #環境 かんきょう としての田 た も参照 さんしょう のこと。
ところが、明治 めいじ 以降 いこう の近代 きんだい になると、この状況 じょうきょう が急激 きゅうげき に変化 へんか する。土木 どぼく 技術 ぎじゅつ の進展 しんてん に伴 ともな う水路 すいろ のコンクリート護岸 ごがん 化 か や、堰 せき による水路 すいろ の分断 ぶんだん 、暗渠 あんきょ 化 か による日光 にっこう の遮断 しゃだん 、田畑 たはた での農薬 のうやく 利用 りよう などにより、稲作 いなさく と共生 きょうせい してきた生物 せいぶつ はその生活 せいかつ 環境 かんきょう が激変 げきへん し、生命 せいめい が脅 おびや かされることとなる。さらに近年 きんねん の都市 とし 化 か による生活 せいかつ 排水 はいすい ・工業 こうぎょう 排水 はいすい の流入 りゅうにゅう や田畑 たはた の宅地 たくち 化 か が追 お い打 う ちをかけ、その結果 けっか 、かつてありふれた存在 そんざい であったメダカやタガメなどが日本人 にっぽんじん の生活 せいかつ から姿 すがた を消 け し、さらには食物 しょくもつ 連鎖 れんさ でその上位 じょうい にいたコウノトリやタンチョウ なども姿 すがた を消 け し始 はじ めた。それぞれ現在 げんざい では絶滅 ぜつめつ が危惧 きぐ されるまでになり、トキ のように一時 いちじ は絶滅 ぜつめつ した種 たね もある。裏返 うらがえ せば、彼等 かれら はそれだけ日本人 にっぽんじん の稲作 いなさく 文化 ぶんか と共生 きょうせい していたのである。
メダカ等 とう の絶滅 ぜつめつ 危惧 きぐ 種 しゅ 指定 してい は、稲作 いなさく 文化 ぶんか が支 ささ えた生態 せいたい 系 けい の存在 そんざい を日本人 にっぽんじん に認識 にんしき させることとなり、現在 げんざい はたとえば兵庫 ひょうご 県 けん 豊岡 とよおか 市 し でコウノトリが生活 せいかつ できる稲作 いなさく 環境 かんきょう を保全 ほぜん するといった取 と り組 く みにつながってゆく。経済 けいざい と生活 せいかつ 環境 かんきょう の共存 きょうぞん は、現代 げんだい 社会 しゃかい における課題 かだい の一 ひと つとして認識 にんしき され、各所 かくしょ で取 と り組 く まれはじめている。
日本 にっぽん 住 じゅう 血 ち 吸虫の感染 かんせん 源 げん としての用水路 ようすいろ [ 編集 へんしゅう ]
ミヤイリガイ撲滅 ぼくめつ の為 ため に甲府盆地 こうふぼんち の水路 すいろ はコンクリート化 か された(山梨 やまなし 県 けん 中巨摩 なかこま 郡 ぐん 昭和町 しょうわちょう 上河東 かみがとう 、2010年 ねん 9月 がつ 14日 にち 撮影 さつえい )
生態 せいたい 系 けい や生物 せいぶつ 多様 たよう 性 せい の保全 ほぜん という観点 かんてん とは別 べつ に、日本 にっぽん の用水路 ようすいろ のコンクリート化 か は単 たん なる自然 しぜん 破壊 はかい ではなく、明治 めいじ 以前 いぜん には原因 げんいん 不明 ふめい の風土病 ふうどびょう として恐 おそ れられた住 じゅう 血 ち 吸虫症 しょう の原因 げんいん 寄生虫 きせいちゅう である日本 にっぽん 住 じゅう 血 ち 吸虫 の撲滅 ぼくめつ のために行 おこな われた施策 しさく である事 こと を理解 りかい する必要 ひつよう もある。
住 じゅう 血 ち 吸虫症 しょう は、通年 つうねん で水 みず に浸 ひた り続 つづ ける素 もと 堀 ほり の用水路 ようすいろ に生息 せいそく する特定 とくてい の巻貝 まきがい を宿主 しゅくしゅ とする吸虫 類 るい が、用水路 ようすいろ や水田 すいでん 内 ない に入 はい った人間 にんげん やその他 た の大型 おおがた 哺乳類 ほにゅうるい に寄生 きせい する事 こと で発症 はっしょう する病気 びょうき である。感染 かんせん の度 たび に肝臓 かんぞう に障害 しょうがい が蓄積 ちくせき し、最終 さいしゅう 的 てき には肝硬変 かんこうへん や肝 かん 癌 がん により死 し に至 いた る。日本 にっぽん を含 ふく む東南 とうなん アジア全域 ぜんいき に分布 ぶんぷ する寄生虫 きせいちゅう であり、今日 きょう でも東南 とうなん アジア においては深刻 しんこく な風土病 ふうどびょう として猛威 もうい を振 ふ るい続 つづ けているものである。
根本 こんぽん 的 てき な対策 たいさく は「水田 すいでん や用水路 ようすいろ には素足 すあし では入 はい らない事 こと 」しか無 な い(それが高 こう じて「流行 りゅうこう 地 ち には娘 むすめ を嫁 よめ に出 だ すな。」という地域 ちいき 差別 さべつ にまで発展 はってん したことをうかがわせる話 はなし も伝 つた わる)とされていたが、1913年 ねん に九州大学 きゅうしゅうだいがく の宮入 みやいり 慶之 よしゆき 助 すけ が日本 にっぽん 住 じゅう 血 ち 吸虫の中間 ちゅうかん 宿主 しゅくしゅ である巻貝 まきがい のミヤイリガイ を特定 とくてい した。それまで素 す 堀 ほり で作 つく られていた用水路 ようすいろ をコンクリートのU字 じ 溝 みぞ 化 か してミヤイリガイの生息 せいそく しがたい環境 かんきょう を作 つく る事 こと 、特 とく に住 じゅう 血 ち 吸虫症 しょう の蔓延 まんえん が深刻 しんこく な地域 ちいき では殺 ころせ 貝 かい 剤 ざい を使用 しよう することにより、ミヤイリガイが生息 せいそく できない環境 かんきょう を造 つく ることが第 だい 二 に 次 じ 世界 せかい 大戦 たいせん 前 まえ から行 おこ なわれ始 はじ めた。
日本 にっぽん では第 だい 二 に 次 じ 世界 せかい 大戦 たいせん 後 ご に圃場 ほじょう 整備 せいび が進 すす んだことから、ミヤイリガイも日本 にっぽん 住 じゅう 血 ち 吸虫病 びょう も瞬 しばた く間 あいだ に減少 げんしょう し、1978年 ねん 以降 いこう 新規 しんき 患者 かんじゃ の報告 ほうこく はなくなった。1996年 ねん 2月 がつ 、かつての最大 さいだい の感染 かんせん 地帯 ちたい であった山梨 やまなし 県 けん は日本 にっぽん 住 じゅう 血 ち 吸虫病 びょう 流行 りゅうこう の終息 しゅうそく を宣言 せんげん 。最後 さいご の感染 かんせん 地帯 ちたい であった福岡 ふくおか 県 けん 筑後川 ちくごがわ 流域 りゅういき でも1990年 ねん に安全 あんぜん 宣言 せんげん を、2000年 ねん に終息 しゅうそく 宣言 せんげん を発表 はっぴょう した。
これにより、日本 にっぽん は住 じゅう 血 ち 吸虫症 しょう を撲滅 ぼくめつ した唯一 ゆいいつ の国 くに ともなった。
用水路 ようすいろ への転落 てんらく 事故 じこ [ 編集 へんしゅう ]
用水路 ようすいろ には人間 にんげん や自転車 じてんしゃ 、自動車 じどうしゃ の転落 てんらく 事故 じこ が起 お きる危険 きけん 性 せい がある。『朝日新聞 あさひしんぶん 』の調査 ちょうさ によると、用水路 ようすいろ への転落 てんらく による死亡 しぼう 者 しゃ は年間 ねんかん 100人 にん を超 こ える。頭 あたま を打 う つなどして立 た ち上 あ がれず、周囲 しゅうい に救助 きゅうじょ する他人 たにん がいないと、水深 すいしん 10センチメートル程度 ていど の用水路 ようすいろ でも水死 すいし することがある。事故 じこ が起 お きる可能 かのう 性 せい がある用水路 ようすいろ 全 すべ てに蓋 ぶた や柵 しがらみ を設 もう けることは、費用 ひよう 面 めん などから困難 こんなん である[9] 。
NHKによると、2018年 ねん の1年間 ねんかん に全国 ぜんこく で2000人 にん 以上 いじょう が用水路 ようすいろ に転落 てんらく して死傷 ししょう している。用水路 ようすいろ は国 くに や市町村 しちょうそん が管理 かんり しているものや土地 とち 改良 かいりょう 区 く が管理 かんり しているものが混在 こんざい しているが、特 とく に土地 とち 改良 かいりょう 区 く が管理 かんり しているものについては財政 ざいせい 的 てき な問題 もんだい で柵 しがらみ や蓋 ぶた の設置 せっち が困難 こんなん な状況 じょうきょう となっている(土地 とち 改良 かいりょう 区 く を構成 こうせい する農家 のうか が費用 ひよう の40%を負担 ふたん する必要 ひつよう があるため)[10] 。
住 じゅう 血 ち 吸虫症 しょう の撲滅 ぼくめつ を達成 たっせい した現在 げんざい では、用水路 ようすいろ のコンクリート化 か ・暗渠 あんきょ 化 か は主 しゅ として道路 どうろ 用地 ようち の確保 かくほ 、とりわけ、学童 がくどう を始 はじ めとする交通 こうつう 弱者 じゃくしゃ の安全 あんぜん 確保 かくほ を目的 もくてき とした歩道 ほどう 拡幅 かくふく の要請 ようせい に依 よ る面 めん が多 おお くなってきている。モータリゼーション の進展 しんてん により津々浦々 つつうらうら の細 ほそ 路 ろ にまで自動車 じどうしゃ が進入 しんにゅう してくる状況 じょうきょう と、多数 たすう の児童 じどう が被害 ひがい 者 しゃ となる重大 じゅうだい 死亡 しぼう 事故 じこ の度 たび に高 たか まり続 つづ ける住民 じゅうみん 側 がわ からの通学 つうがく 路 ろ の安全 あんぜん 確保 かくほ の要請 ようせい 、歩行 ほこう 者 しゃ の水路 すいろ への転落 てんらく 事故 じこ などに起因 きいん する行政 ぎょうせい 訴訟 そしょう に管理 かんり 不行届 ふゆきとどき として行政 ぎょうせい 側 がわ が敗訴 はいそ する事例 じれい が多発 たはつ している昨今 さっこん では、道路 どうろ 側溝 そっこう ・用水路 ようすいろ ・小 しょう 河川 かせん の別 べつ を問 と わず、開 ひらき 渠 みぞ の上部 じょうぶ 空間 くうかん の有効 ゆうこう 利用 りよう ・安全 あんぜん 性 せい 確保 かくほ は行政 ぎょうせい の水路 すいろ の管理 かんり 上 じょう 既 すで に避 さ けては通 とお れない問題 もんだい となっており、交通 こうつう 弱者 じゃくしゃ の保護 ほご に優先 ゆうせん して自然 しぜん 環境 かんきょう の保全 ほぜん を目的 もくてき とした管理 かんり を行 おこな うためには、住民 じゅうみん や保護 ほご 者 しゃ 側 がわ の用水路 ようすいろ の環境 かんきょう 機能 きのう に対 たい する深 ふか い理解 りかい も必要 ひつよう 不可欠 ふかけつ なものとなってきている。
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