用水路ようすいろ

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灌漑かんがい用水ようすいから転送てんそう
町中まちなか敷設ふせつされた用水路ようすいろ兵庫ひょうごけん西脇にしわき
稲作いなさくなどの灌漑かんがい農業のうぎょうかせない農業のうぎょう用水路ようすいろはたけみずさい使つか水門すいもんもうけられている。また、日本にっぽんでは水田すいでん一体いったい生態せいたいけいきずかれている。写真しゃしん富山とやまけんみなみ砺市

用水路ようすいろ(ようすいろ)は、農業のうぎょうよう灌漑かんがい上水道じょうすいどう工業こうぎょうよう水道すいどうなどのためにみず目的もくてきつくられた水路すいろである。名称めいしょう(いろ、せいろ、いじ)、分水ぶんすい(ぶんすい)、疏水そすい(そすい)がつくことがあり、地下ちかける暗渠あんきょ水路すいろ隧道すいどうなどともばれる。ながれがあればマイクロ水力すいりょく発電はつでんもできる。

概要がいよう[編集へんしゅう]

日本にっぽん最古さいこ農業のうぎょう用水路ようすいろきれでんみぞ

農業のうぎょう灌漑かんがい)、工業こうぎょう水道すいどう飲料いんりょうすいふく生活せいかつ用水ようすい消防しょうぼう)、水車みずぐるま水力すいりょく発電はつでん動力どうりょくなど、おも人間にんげん経済けいざい活動かつどうもちいるためのみず用水ようすい(ようすい)とぶ。この用水ようすい河川かせんためいけ湧水わきみずなどの水源すいげんからはなれた場所ばしょくために人工じんこうてきつくられた水路すいろ用水路ようすいろである。日本にっぽんでは、個々ここ名称めいしょうとして「~用水ようすい」とばれる用水路ようすいろ各地かくちにあり(「日本にっぽん用水路ようすいろ一覧いちらん」を参照さんしょう日本語にほんごでは「用水ようすい」「用水路ようすいろ」を厳密げんみつ区別くべつせずにもちいることがおおい。また、疏水そすい(そすい)ともばれ、2006ねん平成へいせい18ねん)2がつ3にちには、農林水産省のうりんすいさんしょう日本にっぽん農業のうぎょうささえてきた代表だいひょうてき用水ようすいを「疏水そすいひゃくせん」として選定せんていしている。

水路すいろもうけたり、そこにみずながしたり、みず配分はいぶんめたりすることを分水ぶんすいぶ。

なお、もっぱ水運すいうんよう使つかわれる水路すいろ運河うんがばれ、またはもっぱ排水はいすい目的もくてき水路すいろ放水ほうすいばれる。これらは通常つうじょう用水路ようすいろふくまない。

ただし、かつては上記じょうき目的もくてきつくられた用水路ようすいろも、時代じだいながれにともな流域りゅういき住民じゅうみん生活せいかつ変遷へんせんにより、用途ようと変更へんこうや、役目やくめえてめられたものも存在そんざいする。また、用水路ようすいろとしての役目やくめわって、現在げんざい流域りゅういき住民じゅうみんいこいのとして機能きのうしている場合ばあいもあり(「親水しんすい」を参照さんしょう)、水路すいろ個別こべつ事情じじょう歴史れきしてき経緯けいいるところがおおきい。

また、コンクリート普及ふきゅう土木どぼく技術ぎじゅつ進展しんてんにより、堤防ていぼうせきダム建設けんせつ相次あいつぐとともに、既存きそん用水路ようすいろもコンクリート護岸ごがんすすめられるなど、治水ちすい利水りすいねた各種かくしゅ改修かいしゅうすすめられる。

構造こうぞう[編集へんしゅう]

日本にっぽん農業のうぎょう用水路ようすいろ[編集へんしゅう]

みずれている様子ようす用水路ようすいろあいだにはといもうけられている(写真しゃしんではあぜしたまれている)。
といみずおくむため、せきばんれて用水路ようすいろ水位すいいげている。これにより特段とくだん動力どうりょくもちいることなくへの導水どうすいができる。

農作物のうさくもつ生育せいいく必要ひつようみず河川かせん、ためいけなどの湖沼こしょう湧水わきみず井戸いどから田畑たはた供給きょうきゅうする役割やくわりになう。長野ながのけん北信ほくしん地方ちほうでは、稲作いなさくにはつめたすぎる雪解ゆきどすいあたためるため、はばひろくて水深すいしんあさ水路すいろ(ぬるめ)を整備せいびしている[1]地表ちひょう水路すいろ開削かいさくするほか、江戸えど時代じだいでもトンネルしきよこ井戸いどられた地区ちくもある(鈴鹿山脈すずかさんみゃく東麓ひがしふもとでは「まんぼ」とばれる)[2]

なお、おな江戸えど時代じだいつくられたトンネルしき用水路ようすいろれいとしては、山梨やまなしけん南都留みなみつるぐん富士ふじ河口湖かわぐちこまち船津ふなつ富士吉田ふじよしだ新倉にいくら出口でぐちむす新倉にいくらられ、これは農業のうぎょう用水ようすいとして河口湖かわぐちこ湖水こすい船津ふなつがわから富士吉田ふじよしだがわ供給きょうきゅうするためにやました貫通つらぬきとおさせてやく170ねんかけてられたもので、全長ぜんちょう3.8キロメートルをはか日本にっぽん最長さいちょうりトンネルとわれる[3]富士ふじ河口湖かわぐちこまち富士吉田ふじよしだそれぞれの指定してい史跡しせき[4][5])。

一般いっぱんに、水田すいでん用水路ようすいろあいだにはとい(とい)がわたしてあり、水田すいでん用水路ようすいろがつながっている。また用水路ようすいろ水田すいでんとほぼおなたかさでもうけられる。用水路ようすいろからはなれた場所ばしょにあるについては、用水路ようすいろとのあいだをつなぐみぞられており、これが用水路ようすいろけん排水はいすいとして使つかわれる。

引水ひきのみずは、用水路ようすいろせきばんれるなどして水位すいいげ、といけて自然しぜん流入りゅうにゅうによりみずながむ。そのせきばんといれ、水路すいろ分断ぶんだんする。排水はいすいにはまたといけ、高低こうていにより排出はいしゅつする。これにより、別段べつだん動力どうりょくもちいることなく給排水きゅうはいすい可能かのうになっており、起伏きふくんだ日本にっぽん地形ちけいかした仕組しくみになっている。

近代きんだい以降いこう改良かいりょうされた用水路ようすいろでは、せきばんわりに水門すいもんもうけられている場合ばあいもあるが、取水しゅすい排水はいすい仕組しくみは同様どうようである。また用水路ようすいろとのあいだ高低こうていがある場合ばあいや、地下水ちかすいもちいる場合ばあいなどで、水車みずぐるまポンプなどをもちいてみずげる場合ばあいもあり、この場合ばあい自然しぜん流入りゅうにゅうではなく動力どうりょく必要ひつようになる。

なお、日本にっぽん一般いっぱんてき水田すいでんにおいては、はるから梅雨つゆころみずれ、なつには一旦いったんみずく(これを中干なかぼしという)。水田すいでん農業のうぎょう用水ようすい河川かせん湖沼こしょうとつながっている場合ばあい、この時期じきわせてはるはい産卵さんらんし、稚魚ちぎょまれそだち、排水はいすいとともに用水路ようすいろもどって、用水路ようすいろそこ冬眠とうみんするドジョウなどのきものが存在そんざいし、水田すいでん生態せいたいけい一端いったん形成けいせいしている。しかし、直線ちょくせんしたコンクリート護岸ごがん形成けいせいされた形式けいしきりゅうでは定着ていちゃくしている魚類ぎょるい個体こたいすうすくなく、多様たようせいけていることが報告ほうこくされている[6]

日本にっぽん稲作いなさくはぐく生態せいたいけいについては後段こうだん#自然しぜん環境かんきょうなか用水路ようすいろ」を参照さんしょう

給水きゅうすいもうとしての構成こうせい[編集へんしゅう]

みず文学ぶんがく地球ちきゅううえでのみず発生はっせい循環じゅんかん分布ぶんぷろんずる学問がくもん)における利水りすいのための淡水たんすい供給きょうきゅうする給水きゅうすいもうとしては、おおむ下記かきのような構成こうせい要素ようそがある。用水路ようすいろはそのうち導水どうすい配水はいすい目的もくてき人工じんこうてき設置せっちされる部分ぶぶん一部いちぶとして設計せっけい敷設ふせつされる。

原水はらみず水源すいげん
おも河川かせん湧水わきみず地下水ちかすい雨水あまみずなどがもちいられる。
貯水ちょすい
森林しんりん保全ほぜんしその保水ほすいりょく利用りようする方法ほうほう、およびためいけみずうみなどをもうけて貯留ちょりゅうする方法ほうほうもちいられる。
取水しゅすい
せき、ダム、水車みずぐるま、ポンプなどの設備せつびもちいて、または河川かせんながれを利用りようした用水路ようすいろへの自然しぜん流入りゅうにゅうもちいられる。
導水どうすい
地上ちじょう用水路ようすいろ敷設ふせつ、または地下ちか導水どうすいかん埋設まいせつする。なお、導水どうすいかんみず充填じゅうてん移動いどう圧力あつりょく利用りようする圧力あつりょく導水どうすいと、高低こうていをつけ移動いどう重力じゅうりょくもちいるあつ導水どうすいがあり、用途ようと地形ちけい導水どうすいりょうとうおうじて選択せんたくされる。
浄水じょうすい
原水はらみず状態じょうたい用途ようとによっては、みず浄化じょうか必要ひつようになる場合ばあいがある。
原水はらみず不純物ふじゅんぶつのぞ方法ほうほうとしては参照さんしょう。またおも上水道じょうすいどうとうもちいる場合ばあいにおいて、原水はらみず水源すいげん)の水質すいしつはか指標しひょうとして CODBOD などがもちいられる)が要求ようきゅうたない場合ばあいは、微生物びせいぶつひとしもちいたなま分解ぶんかいによる浄化じょうかをするための設備せつび浄水じょうすいじょうなど)がもちいられる。
配水はいすい
ポンプとうもちいて水圧すいあつをかけ、配管はいかん圧力あつりょく導水どうすい)などをもちいて、消費しょうひ住居じゅうきょ消火栓しょうかせん工場こうじょうなど)へ配水はいすいされる。

かわをまたぐ構造こうぞう[編集へんしゅう]

用水路ようすいろかわたになどの窪地くぼちをまたぐ場合ばあい水道橋すいどうばし建設けんせつされる。とく管状かんじょう用水路ようすいろ場合ばあいみずかんきょうという。

のう工業こうぎょう競合きょうごう[編集へんしゅう]

1958ねん工業こうぎょうよう水道すいどう事業じぎょうほうによって工業こうぎょう用水ようすい事業じぎょう運営うんえい可能かのうとなり、河川かせん工業こうぎょうにも利用りようされるようになり、農業のうぎょう用水ようすい開発かいはつおくれが目立めだ地域ちいきもある。

いちれいとして、愛知あいちけん豊田とよだが1953ねんから周辺しゅうへん工事こうじすすめていた明治用水めいじようすい頭首とうしゅこうは、完成かんせい農業のうぎょう毎秒まいびょう5トン、工業こうぎょうすくなくとも毎秒まいびょう3トンを提供ていきょうしている。ところが2022ねん5がつ、この頭首とうしゅこうそこけて貯水ちょすいうしなわれたさい応急おうきゅうてきなポンプ取水しゅすいおこなわれたものの工場こうじょうへの提供ていきょう優先ゆうせんされ、農業のうぎょうしゃ田植たうえをするためのみず不足ふそくする問題もんだいしょうじた[7][注釈ちゅうしゃく 1]

歴史れきし[編集へんしゅう]

日本にっぽん以外いがい農業のうぎょう用水路ようすいろ[編集へんしゅう]

太古たいこ灌漑かんがい農業のうぎょうではおも河川かせん洪水こうずい利用りようしていたが、紀元前きげんぜん30世紀せいきころメソポタミア文明ぶんめいではチグリスユーフラテスがわから引水ひきのみずしての灌漑かんがい農業のうぎょうおこなわれていたといわれており、そのための用水路ようすいろきずかれ利用りようされていたと推定すいていされている。また、この用水路ようすいろ生活せいかつ用水ようすい供給きょうきゅう治水ちすいのための放水ほうすいねていたとかんがえられている。くわしくは「灌漑かんがい#灌漑かんがい歴史れきし」を参照さんしょう

ヨーロッパ中東ちゅうとう平野へいやでは、地形ちけいから自然しぜん引水ひきのみずによる灌漑かんがいむずかしかったり、みずまりやすかったりする地域ちいきがある。たとえばシリア都市としハマでは、そばをながれるオロンテスがわ水量すいりょうおおながれもはやいが河床かしょうひくいために自然しぜん引水ひきのみずむずかしく、水車みずぐるまなどの動力どうりょくにより用水路ようすいろまでみずげてから農業のうぎょう生活せいかつ用水ようすいいている。 ぎゃくに、世界せかい遺産いさん登録とうろくされているオランダキンデルダイクむらにある風車かざぐるまぐん (The Mill Network at Kinderdijk-Elshout) などのように、河川かせんより土地とちひくいためにとどこおみずしやすい地域ちいき用水路ようすいろけん排水はいすいめぐらせ、みず不足ふそくするときかわから用水路ようすいろ取水しゅすいし、ぎゃく余剰よじょうとなったとき風車かざぐるまげて排水はいすいすることで、かつての湿地しっち牧草ぼくそう花卉かき栽培さいばいとう利用りようしている地域ちいきもある。

北米ほくべい南米なんべいなどに近年きんねんおおつくられるプランテーションだい規模きぼ農園のうえん)では、サイフォン原理げんりもちいた手法しゅほうや、圧力あつりょく導水どうすいかん)とスプリンクラーもちいて散水さんすいさせる方法ほうほうなどがおお使つかわれている。

日本にっぽん用水路ようすいろ水稲すいとう文化ぶんか[編集へんしゅう]

以下いか日本にっぽんにおける用水路ようすいろ歴史れきしについて詳説しょうせつする。

ふるくは『日本書紀にほんしょき』にしるされたきれでんみぞのように、それ以前いぜん佐賀さがけん唐津からつ菜畑なばた遺跡いせき推定すいてい年代ねんだい縄文じょうもん時代じだい - 弥生やよい時代じだい)や、新潟にいがたけん村上むらかみ元屋敷もとやしき遺跡いせきどう縄文じょうもん時代じだい晩期ばんき)、徳島とくしまけん徳島とくしましょう遺跡いせきどう弥生やよい時代じだい前期ぜんき前半ぜんはん紀元前きげんぜん3世紀せいきころ)、佐賀さがけん吉野よしのさと遺跡いせき福岡ふくおかけん福岡ふくおか板付いたづけ遺跡いせきなどにさかのぼる。

これらはいずれもかんほり集落しゅうらくあとである。空堀からぼり土器どきひとしじょうとして使つかわれるかんごうもあったが、上記じょうき遺跡いせきではみぞそこから水路すいろそこであったとおもわれる堆積たいせきぶつている、はばふかさが各々おのおの 1m 前後ぜんごであり用水路ようすいろてきしている、ゆるやかな傾斜けいしゃけられている、せきあとつかっているなどの状況じょうきょうから、灌漑かんがい用水路ようすいろとして使つかわれていたと推定すいていされている。

このように、日本にっぽん用水路ようすいろ歴史れきしは、弥生やよい時代じだいごろ稲作いなさく文化ぶんかとともに伝来でんらいした農業のうぎょう用水ようすい起源きげんであったと推定すいていされている。

新田にった開発かいはつ用水路ようすいろ[編集へんしゅう]

近世きんせいになると稲作いなさく技術ぎじゅつ進展しんてんし、石高いしたか向上こうじょうきそった領主りょうしゅしょはん大名だいみょうなどにより新田にった開発かいはつさかんにすすめられるようになる。同時どうじに、稲作いなさくかせないみず確保かくほ課題かだいとなり、かわなどから直接ちょくせつ引水ひきのみずむずかしい地域ちいき農業のうぎょう用水ようすいくための用水路ようすいろ各所かくしょつくられるようになる。

とくに、天正てんしょう年間ねんかん豊臣とよとみ秀吉ひでよし傘下さんか関東かんとうてんふうされた徳川とくがわ家康いえやすは、江戸えど周辺しゅうへんでの新田にった開発かいはつ注力ちゅうりょくする。小泉こいずみ大夫たいふ(こいずみじだゆう)を用水ようすい奉行ぶぎょう登用とうようし、多摩川たまがわ流域りゅういき扇状地せんじょうち灌漑かんがい用水路ようすいろめぐらせた。これにより新田にった開発かいはつすすみ、べい生産せいさんりょう大幅おおはばばすことに成功せいこうのち幕府ばくふかれ、当時とうじ世界一せかいいち人口じんこう密度みつどであったといわれる江戸えど台所だいどころささえた。

工業こうぎょう開発かいはつ用水路ようすいろ[編集へんしゅう]

明治めいじ以降いこう日本にっぽんでもおこ産業さんぎょう革命かくめいともな工業こうぎょう用水ようすい需要じゅよう急速きゅうそくたかまった。工業こうぎょう用水路ようすいろ整備せいびさかんになるとともに、人口じんこう密度みつど増加ぞうかなどにともな水道すいどう整備せいびや、水力すいりょく発電はつでんようなどにも使つかわれるようになり、いわゆる「日本にっぽんさんだい疏水そすい」(安積あさか疏水そすい那須なす疏水そすい琵琶湖びわこ疏水そすい[8]をはじめとする大小だいしょう様々さまざま規模きぼ多目的たもくてき水路すいろつくられ、これらの水路すいろ各地かくち近代きんだいささえた。 なお、これらの水路すいろには、当時とうじはまだ有力ゆうりょく運送うんそう主力しゅりょくであった河川かせん舟運しゅううんよう船舶せんぱくとお運河うんがとして利用りよう想定そうていしたものもあった。

市街しがい用水路ようすいろ[編集へんしゅう]

周辺しゅうへん都市としともない、親水しんすい公園こうえんとして整備せいびされたり、暗渠あんきょされて道路どうろ用地ようちとして利用りようされたりする用水路ようすいろ大丸おおまる用水ようすい大丸おおまる親水しんすい公園こうえん、2005ねん 7がつ18にち撮影さつえい

1948ねん農業のうぎょう改良かいりょう助長じょちょうほう、1952ねん農地のうちほう設置せっちされて農地のうち転用てんよう規制きせいされるようになり、また、1969ねんには農業のうぎょう振興しんこう地域ちいき整備せいびかんする法律ほうりつ設置せっちされたが、近年きんねんになるとますます大都市だいとしけんへの人口じんこう集中しゅうちゅうすすみ、大都市だいとし周辺しゅうへんでは急速きゅうそく都市とし宅地たくちすすむようになる。すると農地のうち工場こうじょう用地ようち宅地たくち店舗てんぽ・オフィスビル用地ようちへと転用てんようされ、農業のうぎょう用水ようすい工業こうぎょう用水ようすい需要じゅよう減少げんしょうした。反面はんめん近年きんねん急速きゅうそくつくられた放水ほうすい同様どうように、用水路ようすいろ雨水あまみず生活せいかつ排水はいすい排水はいすいとしても使つかわれるようになってゆく。

また、さらなる土木どぼく技術ぎじゅつ進展しんてんによりトンネル工事こうじ比較的ひかくてき容易よういになると、あらたにつくられる用水路ようすいろ導水どうすい)や放水ほうすい次第しだい地下ちかつくられるようになった。また既存きそん用水路ようすいろ道路どうろ用地ようちとして利用りようするためにフタがされ暗渠あんきょされるなど、その形態けいたいおおきく変化へんかしてゆく。

一方いっぽう最近さいきんになると自然しぜん環境かんきょう見直みなお機運きうんたかまり、用水路ようすいろ河川かせん同様どうよう近隣きんりん住民じゅうみんいこいのとして位置いちづけられるようにもなった。殺風景さっぷうけいなコンクリート護岸ごがんさい改修かいしゅうしてみどりどう親水しんすい公園こうえんなどを整備せいびしたり、みず浄化じょうか設備せつび引水ひきのみず設備せつびもうけたりといった工夫くふう各所かくしょ試行しこうされている。

環境かんきょうとしての用水路ようすいろ[編集へんしゅう]

自然しぜん河川かせんちか用水路ようすいろでは生物せいぶつ数多かずおお存在そんざい独特どくとく生態せいたいけいがきずきあげられている。

生物せいぶつ多様たようせい用水路ようすいろ[編集へんしゅう]

日本にっぽん近世きんせい以前いぜん用水路ようすいろは、おも農業のうぎょう用水路ようすいろとして使つかわれており、またってかためただけのものであることがおおかった。その形態けいたい自然しぜん河川かせんちかいものがあるが、ただし利水りすいのための水路すいろであるがゆえ頻繁ひんぱん人手ひとではいり、また渇水かっすい人間にんげんみず利用りようによってその水量すいりょうにもおおきく影響えいきょうける、特殊とくしゅ環境かんきょうであった。

しかし、日本にっぽん灌漑かんがい農業のうぎょう導入どうにゅうされた弥生やよい時代じだい以降いこう 2000 - 3000ねんあいだに、この特殊とくしゅ環境かんきょうたくみに適応てきおうし、農業のうぎょう用水路ようすいろ環境かんきょう生活せいかつ生物せいぶつ数多かずおお存在そんざいする。まず、比較的ひかくてきながれがゆるやかで水深すいしんあさ日当ひあたりがいため、プランクトンコケなどの生育せいいくく、また河床かしょうではミミズなども生息せいそく可能かのうである。それらを食糧しょくりょうにするタニシオタマジャクシカエル幼生ようせい)、魚類ぎょるいメダカフナヨシノボリなどがく。すると、それを捕食ほしょくする甲殻こうかくるいザリガニ昆虫こんちゅうタガメヤゴトンボ幼生ようせい)などの生活せいかつささえる。さらに、それらを捕食ほしょくするコウノトリサギなどが飛来ひらいする。人為じんいてきつくられた環境かんきょうが、なが年月としつきをかけて自然しぜん一体化いったいかし、里山さとやまのそれと同様どうように、独特どくとく生態せいたいけいをきずきあげてゆくこととなった。

なお、農業のうぎょう用水路ようすいろにおける生態せいたいけい水田すいでんとほぼ一体いったいであり、用水路ようすいろして生活せいかつするものもおおい。あわせて#環境かんきょうとしての参照さんしょうのこと。

ところが、明治めいじ以降いこう近代きんだいになると、この状況じょうきょう急激きゅうげき変化へんかする。土木どぼく技術ぎじゅつ進展しんてんともな水路すいろのコンクリート護岸ごがんや、せきによる水路すいろ分断ぶんだん暗渠あんきょによる日光にっこう遮断しゃだん田畑たはたでの農薬のうやく利用りようなどにより、稲作いなさく共生きょうせいしてきた生物せいぶつはその生活せいかつ環境かんきょう激変げきへんし、生命せいめいおびやかされることとなる。さらに近年きんねん都市としによる生活せいかつ排水はいすい工業こうぎょう排水はいすい流入りゅうにゅう田畑たはた宅地たくちちをかけ、その結果けっか、かつてありふれた存在そんざいであったメダカやタガメなどが日本人にっぽんじん生活せいかつから姿すがたし、さらには食物しょくもつ連鎖れんさでその上位じょういにいたコウノトリやタンチョウなども姿すがたはじめた。それぞれ現在げんざいでは絶滅ぜつめつ危惧きぐされるまでになり、トキのように一時いちじ絶滅ぜつめつしたたねもある。裏返うらがえせば、彼等かれらはそれだけ日本人にっぽんじん稲作いなさく文化ぶんか共生きょうせいしていたのである。

メダカとう絶滅ぜつめつ危惧きぐしゅ指定していは、稲作いなさく文化ぶんかささえた生態せいたいけい存在そんざい日本人にっぽんじん認識にんしきさせることとなり、現在げんざいはたとえば兵庫ひょうごけん豊岡とよおかでコウノトリが生活せいかつできる稲作いなさく環境かんきょう保全ほぜんするといったみにつながってゆく。経済けいざい生活せいかつ環境かんきょう共存きょうぞんは、現代げんだい社会しゃかいにおける課題かだいひとつとして認識にんしきされ、各所かくしょまれはじめている。

日本にっぽんじゅう吸虫の感染かんせんげんとしての用水路ようすいろ[編集へんしゅう]

ミヤイリガイ撲滅ぼくめつため甲府盆地こうふぼんち水路すいろはコンクリートされた山梨やまなしけん中巨摩なかこまぐん昭和町しょうわちょう上河東かみがとう、2010ねん 9がつ14にち撮影さつえい

生態せいたいけい生物せいぶつ多様たようせい保全ほぜんという観点かんてんとはべつに、日本にっぽん用水路ようすいろのコンクリートたんなる自然しぜん破壊はかいではなく、明治めいじ以前いぜんには原因げんいん不明ふめい風土病ふうどびょうとしておそれられたじゅう吸虫しょう原因げんいん寄生虫きせいちゅうである日本にっぽんじゅう吸虫撲滅ぼくめつのためにおこなわれた施策しさくであること理解りかいする必要ひつようもある。

じゅう吸虫しょうは、通年つうねんみずひたつづけるもとほり用水路ようすいろ生息せいそくする特定とくてい巻貝まきがい宿主しゅくしゅとする吸虫るいが、用水路ようすいろ水田すいでんないはいった人間にんげんやその大型おおがた哺乳類ほにゅうるい寄生きせいすること発症はっしょうする病気びょうきである。感染かんせんたび肝臓かんぞう障害しょうがい蓄積ちくせきし、最終さいしゅうてきには肝硬変かんこうへんかんがんによりいたる。日本にっぽんふく東南とうなんアジア全域ぜんいき分布ぶんぷする寄生虫きせいちゅうであり、今日きょうでも東南とうなんアジアにおいては深刻しんこく風土病ふうどびょうとして猛威もういるいつづけているものである。

根本こんぽんてき対策たいさくは「水田すいでん用水路ようすいろには素足すあしでははいらないこと」しかい(それがこうじて「流行りゅうこうにはむすめよめすな。」という地域ちいき差別さべつにまで発展はってんしたことをうかがわせるはなしつたわる)とされていたが、1913ねん九州大学きゅうしゅうだいがく宮入みやいり慶之よしゆきすけ日本にっぽんじゅう吸虫の中間ちゅうかん宿主しゅくしゅである巻貝まきがいミヤイリガイ特定とくていした。それまでほりつくられていた用水路ようすいろをコンクリートのUみぞしてミヤイリガイの生息せいそくしがたい環境かんきょうつくこととくじゅう吸虫しょう蔓延まんえん深刻しんこく地域ちいきではころせかいざい使用しようすることにより、ミヤイリガイが生息せいそくできない環境かんきょうつくることがだい世界せかい大戦たいせんまえからおこなわれはじめた。

日本にっぽんではだい世界せかい大戦たいせん圃場ほじょう整備せいびすすんだことから、ミヤイリガイも日本にっぽんじゅう吸虫びょうしばたあいだ減少げんしょうし、1978ねん以降いこう新規しんき患者かんじゃ報告ほうこくはなくなった。1996ねん2がつ、かつての最大さいだい感染かんせん地帯ちたいであった山梨やまなしけん日本にっぽんじゅう吸虫びょう流行りゅうこう終息しゅうそく宣言せんげん最後さいご感染かんせん地帯ちたいであった福岡ふくおかけん筑後川ちくごがわ流域りゅういきでも1990ねん安全あんぜん宣言せんげんを、2000ねん終息しゅうそく宣言せんげん発表はっぴょうした。

これにより、日本にっぽんじゅう吸虫しょう撲滅ぼくめつした唯一ゆいいつくにともなった。

用水路ようすいろへの転落てんらく事故じこ[編集へんしゅう]

用水路ようすいろには人間にんげん自転車じてんしゃ自動車じどうしゃ転落てんらく事故じこきる危険きけんせいがある。『朝日新聞あさひしんぶん』の調査ちょうさによると、用水路ようすいろへの転落てんらくによる死亡しぼうしゃ年間ねんかん100にんえる。あたまつなどしてがれず、周囲しゅうい救助きゅうじょする他人たにんがいないと、水深すいしん10センチメートル程度ていど用水路ようすいろでも水死すいしすることがある。事故じこきる可能かのうせいがある用水路ようすいろすべてにぶたしがらみもうけることは、費用ひようめんなどから困難こんなんである[9]

NHKによると、2018ねんの1年間ねんかん全国ぜんこくで2000にん以上いじょう用水路ようすいろ転落てんらくして死傷ししょうしている。用水路ようすいろくに市町村しちょうそん管理かんりしているものや土地とち改良かいりょう管理かんりしているものが混在こんざいしているが、とく土地とち改良かいりょう管理かんりしているものについては財政ざいせいてき問題もんだいしがらみぶた設置せっち困難こんなん状況じょうきょうとなっている(土地とち改良かいりょう構成こうせいする農家のうか費用ひようの40%を負担ふたんする必要ひつようがあるため)[10]

じゅう吸虫しょう撲滅ぼくめつ達成たっせいした現在げんざいでは、用水路ようすいろのコンクリート暗渠あんきょしゅとして道路どうろ用地ようち確保かくほ、とりわけ、学童がくどうはじめとする交通こうつう弱者じゃくしゃ安全あんぜん確保かくほ目的もくてきとした歩道ほどう拡幅かくふく要請ようせいめんおおくなってきている。モータリゼーション進展しんてんにより津々浦々つつうらうらほそにまで自動車じどうしゃ進入しんにゅうしてくる状況じょうきょうと、多数たすう児童じどう被害ひがいしゃとなる重大じゅうだい死亡しぼう事故じこたびたかまりつづける住民じゅうみんがわからの通学つうがく安全あんぜん確保かくほ要請ようせい歩行ほこうしゃ水路すいろへの転落てんらく事故じこなどに起因きいんする行政ぎょうせい訴訟そしょう管理かんり不行届ふゆきとどきとして行政ぎょうせいがわ敗訴はいそする事例じれい多発たはつしている昨今さっこんでは、道路どうろ側溝そっこう用水路ようすいろしょう河川かせんべつわず、ひらきみぞ上部じょうぶ空間くうかん有効ゆうこう利用りよう安全あんぜんせい確保かくほ行政ぎょうせい水路すいろ管理かんりじょうすでけてはとおれない問題もんだいとなっており、交通こうつう弱者じゃくしゃ保護ほご優先ゆうせんして自然しぜん環境かんきょう保全ほぜん目的もくてきとした管理かんりおこなうためには、住民じゅうみん保護ほごしゃがわ用水路ようすいろ環境かんきょう機能きのうたいするふか理解りかい必要ひつよう不可欠ふかけつなものとなってきている。

日本にっぽん用水路ようすいろ一覧いちらん[編集へんしゅう]

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

注釈ちゅうしゃく[編集へんしゅう]

  1. ^ 工業こうぎょうよう水道すいどう事業じぎょうほう成立せいりつ3ねんまえの1955ねんには、国会こっかい近年きんねん多数たすう議席ぎせき自由民主党じゆうみんしゅとう結成けっせいされていた。

出典しゅってん[編集へんしゅう]

  1. ^ 上原うえはらあつし水路すいろ(ぬるめ)について 長野ながのけんきたアルプス地域ちいき振興しんこうきょく(2021ねん2がつ20日はつか閲覧えつらん
  2. ^ 江戸えど時代じだい農業のうぎょう用水ようすい「まんぼ」現役げんえき 8ヘクタール供給きょうきゅう 三重みえけんいなべ日本農業新聞にほんのうぎょうしんぶん』2021ねん2がつ6にち14めん(2021ねん2がつ20日はつか閲覧えつらん
  3. ^ 河口湖かわぐちこ新倉にいくら抜史あとかん山梨やまなし新報しんぽうしゃ公式こうしきHP
  4. ^ 河口湖かわぐちこ新倉あらくら抜史あとかん河口湖かわぐちこnet公式こうしきHP
  5. ^ 指定してい史跡しせき指定してい名勝めいしょう富士吉田ふじよしだ公式こうしきHP
  6. ^ 片野かたのおさむ細谷ほそやかずうみ井口いぐち恵一けいいちろう青沼あおぬまけいかた千曲川ちくまがわ流域りゅういきの3タイプの水田すいでんあいだでの魚類ぎょるいしょう比較ひかく魚類ぎょるいがく雑誌ざっし』Vol.48 (2001) No.1 P.19-25, doi:10.11369/jji1950.48.19
  7. ^ 共同通信きょうどうつうしん (2022-05-19), 仮設かせつポンプ81だい増設ぞうせつ 愛知あいち用水ようすい施設しせつ漏水ろうすい, https://web.archive.org/web/20220522040234/https://news.yahoo.co.jp/articles/dbb10a2b156948038405d5f97dfc9c8b18f978dd 明治用水めいじようすい頭首とうしゅこう概要がいよう豊田とよだ渡刈とがりまち
  8. ^ 那須なす疏水そすいきゅう取水しゅすい施設しせつ 那須塩原なすしおばらホームページ(2018ねん11月7にち閲覧えつらん)。
  9. ^ 日常にちじょうさきひそのリスク】(1)用水路ようすいろ 危険きけんとし100にん以上いじょう死亡しぼう転落てんらくしてうごけず あさくてもおぼれる朝日新聞あさひしんぶん朝刊ちょうかん2018ねん11月4にち(1めん)2018ねん11月7にち閲覧えつらん
  10. ^ NHK(2019ねん12月20にち)「いのちうばみぞ”をなくして!遺族いぞくこえくにうごかす

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]