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ボザール様式ようしき

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』

ボザール様式ようしきとは、建築けんちく様式ようしきの1つで、フランスパリにあるフランス国立こくりつ美術びじゅつ学校がっこうエコール・デ・ボザール建築けんちくまなんだアメリカ合衆国あめりかがっしゅうこくひと卒業生そつぎょうせいがみずからの成果せいか本国ほんごくにおいて披露ひろうしたさいもちいた、建築けんちくヨーロッパ古典こてん様式ようしきをさす。この様式ようしきてられた建築けんちく分類ぶんるいをアメリカンボザール、さらにアメリカンルネッサンスばれることもある。

アルゼンチンの文化ぶんかセンター
コロンビア大学ころんびあだいがくロウ記念きねん図書館としょかん
グランド・セントラルえき
ニューヨーク公共こうきょう図書館としょかん

マンサード屋根やね、ペディメント、スワンネック、パラディズム、オーダーにれつばしらなどのこうした古典こてん様式ようしきは、欧米おうべい双方そうほうで19世紀せいきまつイギリス由来ゆらいヴィクトリアあさけい様式ようしきにとってかわって主流しゅりゅうにたってから以後いごは、世界せかい恐慌きょうこうとしあたりまで持続じぞくする。とくにアメリカ建築けんちく歴史れきし多大ただい影響えいきょうあたえ、代表だいひょうてき建築けんちくとしてあげられるのは、チャールズ・F・マッキムやウィリアム・R・ミード、スタンフォード・ホワイトの3めいなどで、かれらが共同きょうどう建築けんちく設計せっけい事務所じむしょのマッキム、ミードアンドホワイトを主宰しゅさいしている。この建築けんちく設計せっけい事務所じむしょ当時とうじ世界せかい最大さいだいきゅう規模きぼであり、活動かつどう範囲はんいニューヨーク中心ちゅうしん東部とうぶ地区ちく一帯いったいをカバーしている。本家ほんけボザールふうのフランス古典こてん主義しゅぎてき建築けんちく様式ようしき参考さんこうにして設計せっけい活動かつどう展開てんかいした。ただし、がけられた作品さくひんは、基本きほんてき手本てほんとなる本家ほんけヨーロッパの建築けんちく作品さくひんくらいちまわり、ときには2まわりも建築けんちくサイズがおおきく、プロポーションや様式ようしきのアカデミックな正確せいかくさなどが配慮はいりょされずに建築けんちく装飾そうしょくもちいられ、ふか大味おおあじ印象いんしょうあたえている。1888ねんから1895ねんにかけててられた、ボストン公立こうりつ図書館としょかんコロンビア大学ころんびあだいがく図書館としょかんやヴァージニア大学だいがく図書館としょかん手本てほんにしたといわれるニューヨーク公共こうきょう図書館としょかん(いずれもマッキム、ミードアンドホワイト)、1897ねんから1911ねんにかけててられたアメリカ自然しぜん博物館はくぶつかん、(カレル・アンド・ヘイスティングズ)、などの代表だいひょうさくられる。

日本にっぽんでも、よこかわ民輔たみすけ初代しょだい三井みつい本館ほんかん(1929ねん)やきゅう帝国ていこく劇場げきじょうきゅう株式かぶしき取引とりひきしょ三越みつこし百貨店ひゃっかてん本店ほんてん野口のぐち孫市まごいち大阪おおさか図書館としょかん、トロッブリッジ・アンド・リヴィングストンの代目だいめ三井みつい本館ほんかん岡田おかだ信一郎しんいちろう明治生命めいじせいめいかん(1934ねん)、村野むらの藤吾とうご渡辺わたなべたかし日本にっぽん勧業かんぎょう銀行ぎんこう日本興業銀行にほんこうぎょうぎんこう日本にっぽん商船しょうせん神戸こうべ支店してん大阪おおさかビルチング、綿めんぎょう会館かいかん渡辺わたなべひとし服部はっとり時計とけいてん、などの西洋せいようふう建築けんちくにその影響えいきょうられる。日本にっぽん作品さくひんまどまわりやアーチのいなど細部さいぶ意匠いしょうはアメリカのそれにくらべ、緻密ちみつおさえられている。

ランドスケープデザイン[編集へんしゅう]

ランドスケープアーキテクチュア場合ばあい、デザインの理論りろん書籍しょせきとしてヘンリー・ハバードテオドラ・キンブルによる「ランドスケープデザインの研究けんきゅう序論じょろんAn Introduction to the Study of the Landscape design があり、これをガレット・エクボらが、しばしばボザールアプローチとんでいて、ボザール様式ようしき構成こうせいされた建築けんちくたいして適用てきようされうる庭園ていえん形式けいしき手引てびきしょとなっている。この手引てびきしょしめされた方法ほうほうろんは、住宅じゅうたく敷地しきち適用てきようされるボザールてきランドスケープデザイン典型てんけいてき表現ひょうげんとして、1940年代ねんだいまでアメリカ合衆国あめりかがっしゅうこくでの専門せんもん学位がくいあたえる教育きょういくプログラムのなか君臨くんりん往時おうじローマしょう応募おうぼしゃ作品さくひんしゅうにも実務じつむオフィスのパンフレットにもこのスタイルがあふれかえり、ニューポートにもビバリーヒルズにも、高価こうか庭園ていえん華麗かれい邸宅ていたくとともにならんだ。当時とうじ作品さくひん現在げんざいまでもっともよく保存ほぞんされているものは、首都しゅとワシントンD.C.ダンバートン・オークスにある、ベアトリクス・ファーランドによる作品さくひん、アーンテラスがある。

このしょではランドスケープアーキテクチェアは「美術びじゅつ」であって、もっとも重要じゅうよう目標もくひょうは、計画けいかくにあたって機能きのう経済けいざいせい考慮こうりょしつつ「ひとしんたのしませる効果こうか」をつくりすこと、究極きゅうきょく目的もくてき施主せしゅからこころよ反応はんのうすことであり、施主せしゅ自身じしん嗜好しこうせい要心ようじんふか配慮はいりょされなければならないとしていた。美的びてき快楽かいらく能力のうりょくは、「人間にんげん精神せいしんなかまれる」もの、いいかえれば生来せいらいのものであり、デザイン作品さくひん名作めいさく研究けんきゅうすることによって、後天的こうてんてき洗練せんれんしてゆくことができるもの、芸術げいじゅつ作品さくひんとしての住宅じゅうたく配置はいち計画けいかく最終さいしゅうてき成否せいひは、ひとから快楽かいらく感覚かんかくすなわち「ランドスケープ効果こうか」をせるかかで判断はんだんされることとし、それは芸術げいじゅつ作品さくひんであれ自然しぜん風景ふうけいであれ、それを経験けいけんすることからこされるものであり、哀愁あいしゅう歓喜かんきなどの「雰囲気ふんいき」もふくまれ、スケープ効果こうかをよく理解りかいしておくことが重要じゅうよういていた。

しょえがかれた典型てんけいてき住宅じゅうたく配置はいち平面へいめんでみれば、しゅたるじく構成こうせいとそれに直交ちょっこうするふくじくせん建築けんちく内外ないがいをつなげ、じくをもとにヴィスタけいのような焦点しょうてんをあたえ、景観けいかんわくどるように敷地しきちかこむ。そして平面へいめん視線しせんじくにとって規定きていされた空間くうかん階層かいそうからなり、こうして住宅じゅうたく敷地しきち一体いったいとなってデザインされる、といった内容ないようである。これは対象たいしょう秩序ちつじょだった配置はいち知覚ちかくふくみ、また過去かこ経験けいけんから相似そうじしたイメージさせ、しばらく観察かんさつしていればそれが対称たいしょうがたであること、そのコーナーをしめすものが優美ゆうび彫刻ちょうこくであることなど、たとえば、庭園ていえんようかべほどこされたささやかないし細工ざいく、あるいは効率こうりつてきにつくられたひかかべなどの要素ようそ、そしておとずれたことのある名園めいえん感動かんどうしたけい場所ばしょによく庭園ていえんがあったことをおもさせたり、甘美かんび幻想げんそうひたるという知覚ちかく快楽かいらく連想れんそう帰属きぞくし、最後さいご我々われわれ認識にんしき快楽かいらく到達とうたつする、といった本質ほんしつてき対象たいしょう特性とくせい性質せいしつかんする意識いしき理論りろんてき考察こうさつ提示ていじしていた。

ボザールてき個人こじんてい敷地しきち計画けいかくたいするハバードとキンブルの典型てんけいてき要素ようそは、邸宅ていたく玄関げんかん、エントリーコート、管理かんりとうにわテラス進入しんにゅう管理かんりよう道路どうろけた空間くうかん木立こだち点在てんざいする芝生しばふ添景てんけいとしてのあずま、などで、それらは、つよじくせんよわじくせんむすびつけられて一連いちれん構成こうせいをなすように配置はいちされている。整形せいけい庭園ていえんは、慎重しんちょうかこまれることで特別とくべつ単位たんい形成けいせいし、あきらかに人間にんげんわざしめ作品さくひんとして位置いちづけられる。たとえば、庭園ていえん東側ひがしがわから邸宅ていたくくちのぼ階段かいだんから、単位たんいの1つをにすることができ、じく周囲しゅうい木立こだちがつくるくら背景はいけいにして注意深ちゅういぶかくおかれたパビリオンを焦点しょうてんとし、庭園ていえん自体じたいみっつのじく構成こうせいされる、中心ちゅうしんじく邸宅ていたく西側にしがわ居間いまのドアをけてゆくじくであり、邸宅ていたく庭園ていえんを1つの単位たんいとする。また庭園ていえんえんがもう2つのじく決定けっていする、などである。

ハバードとキンブルによれば、庭園ていえんみっつの要素ようそ表面ひょうめんがこかべ種々しゅじゅのオブジェ(あずま装飾そうしょくひんなど)の構成こうせいとしてデザインされるべきものであり、くわえて、ゆたかなアンサンブルとことなった雰囲気ふんいきをつくりす、非常ひじょう高度こうど統制とうせいされた対位法たいいほういたようにひろがる芝生しばふ整形せいけい庭園ていえん単純たんじゅん明快めいかい幾何きかがく円形えんけいのテンプルをかこいたボスクなど、もう1つの基本きほん原理げんりえがかれている。これらの眺望ちょうぼうはその単一たんいつせい雰囲気ふんいきみだすような管理かんり施設しせつをいっさいせないよう注意ちゅういはらわれており、進入しんにゅう管理かんりどうせん横断おうだんさせていない。

またこうしたガイドラインが、海辺うみべ敷地しきちから複雑ふくざつ地形ちけい田園でんえん地帯ちたいなど、多様たよう敷地しきち条件じょうけん応用おうよう可能かのうかをしめしてあり、海辺うみべ敷地しきち計画けいかくでは主要しゅよう眺望ちょうぼうをめぐるよっつのじく構成こうせいされ、キッチンは、ダイニングルームにきた眺望ちょうぼうれるようにななめにされ、進入しんにゅう管理かんりどうせん慎重しんちょう分離ぶんりされるなど、ハバード&キンブルの住宅じゅうたく敷地しきちかんするしょはらしめされている。山奥やまおく敷地しきち計画けいかくでは、広大こうだい雛壇ひなだんじょう整地せいち必要ひつようとしながらも、おな原理げんりがうまい具合ぐあいしめされている。

またこのしょによれば、快楽かいらく重複じゅうふくてき経験けいけんにおける重要じゅうよう要素ようそは、デザインの「一体いったいせい」、組織そしきたいがもつ「一体いったいせい」の認識にんしき自己じこ充足じゅうそくしよく秩序ちつじょてられた視覚しかくてき構成こうせいじくないしは直線ちょくせんによってつなぎわされた敷地しきちデザインのみが達成たっせいできるものとし、この構成こうせいをなす複数ふくすう要素ようそ形状けいじょう色彩しきさい展開てんかい均衡きんこう反復はんぷくといったデザイン原理げんりしたがって構造こうぞうあたえられ、こうした一体化いったいかなかでも特定とくてい性格せいかくが、「様式ようしき」としてられる表現ひょうげん形態けいたい形成けいせいさせている。様式ようしきはそのほとんどを「理想りそう」-プロトタイプとしての事例じれい、あるいはひいでた一体いったいせい証明しょうめいする対象たいしょうぶついちぐんの「合成ごうせい写真しゃしん」にっていて、1人ひとりデザイナーとしてプロジェクトなにかうとき、最初さいしょはっするいは、「わたし理想りそうとはなにか?」、どのプロトタイプのイメージをもちいればよいか、であったのであるが、しめされた庭園ていえんなどは、その理想りそうがたのほとんどを18、17世紀せいきのヨーロッパ庭園ていえんもとめている。これこそ、歴史れきしてき先例せんれい現代げんだい適合てきごうさせる方法ほうほう完全かんぜん依存いぞんしているデザインアプローチの典型てんけい事例じれいである。

また、ランドスケープアーキテクチュア歴史れきしは、「人工じんこうてきなもの」ないしは「整形せいけいしき」と、「自然しぜんてきなもの」ないしは「整形せいけいしき」というおもに2つの様式ようしき抽象ちゅうしょうすることができると主張しゅちょう整形せいけい様式ようしきは、人間にんげん自然しぜんかいたいする制御せいぎょ表現ひょうげんし、おおくの場合ばあい空間くうかんじく構成こうせいもちいることによって、慎重しんちょう順序じゅんじょてられた幾何きかがく形態けいたい関係かんけいせい調しらべごえかなで、整形せいけい様式ようしき自然しぜん秩序ちつじょ発見はっけんとそれにたいする人間にんげん理解りかい、そこからされる快楽かいらく表現ひょうげんしているとした。自然しぜんかい複雑ふくざつ形態けいたい採用さいようし、伝統でんとうてき整形せいけい様式ようしき純粋じゅんすいユークリッド幾何きかがく空間くうかんじく構成こうせいきらい、この2つの様式ようしき相方あいかたをうまく使つかけるべきで、ときにはひとつのデザインのなか結合けつごうさせなければならないと議論ぎろんすすめていた。整形せいけい様式ようしきテラスガーデンエントリーコート邸宅ていたく平面へいめん一体化いったいかしている一方いっぽう敷地しきち周辺しゅうへんは18世紀せいきイギリスパークおもわせる整形せいけいかたちあつかわれて、この2つを仲介ちゅうかいするものが芝生しばふひろがり、といった具合ぐあいである。整形せいけい様式ようしきのほうを「より高尚こうしょう芸術げいじゅつ人間にんげん生活せいかつ秩序ちつじょった自然しぜんかい過程かていちかいイメージにもちこんでゆたかにしてくれるさりなさ、として暗示あんじしているようにおもわせているが、学生がくせいが「整形せいけいしき」デザインと「整形せいけいしき」デザインのどちらかをえらぶようにいわれたり、ヴィスタにあわせて作品さくひん構成こうせいするように指導しどうされることが、いまでもしばしば設計せっけい演習えんしゅうなかかえされている。

こうしてハバードとキンブルは、みずからの美学びがく基本きほんてき教義きょうぎあきらかにしたうえで、さまざまな工法こうほう素材そざいもちかたとその計画けいかく仕方しかたについて、設計せっけいしゃ指標しひょうあたえる一連いちれんのデザイン原理げんり概要がいようべ、さらにすすんで多種たしゅにわたるプロジェクト、庭園ていえん住宅じゅうたくじゅう自然しぜん保全ほぜんなど-の設計せっけいかんする事細ことこまかなガイドラインをゆるぎのない信念しんねんのもとに提示ていじしてゆく。我々われわれはここでの分析ぶんせき住宅じゅうたくレベルのにわ限定げんていしているが、こうしたガイドラインをつくりかれらの美学びがくてき見地けんちが、のプロジェクトタイプまですべてをふくんでいる。公園こうえん設計せっけいであれ、住居じゅうきょ地域ちいき設計せっけいであれ、プロジェクトは調整ちょうせいされた景観けいかんによって構造こうぞうされ、整形せいけい様式ようしき整形せいけい様式ようしきのどちらか、あるいはその2つの混成こんせいによってかたちづくられなければならないのであるとしていた。

ボザール伝統でんとうは、包括ほうかつてき明確めいかくなデザイン原理げんり特徴とくちょうとはなにであるか、いかにしたら特定とくていの「ランドスケープ効果こうか」がデザインできるかをおしえ、きらりとひかオリジナリティーよりは、明快めいかい分析ぶんせき思考しこう実績じっせきのある方式ほうしき注意深ちゅういぶか応用おうようおもきをおき、中庸ちゅうよう才能さいのうデザイナーからも堅実けんじつ作品さくひんさせてきたとみられるが、これも20世紀せいきはじめにハーバード建築けんちくスクールで近代きんだい建築けんちく教育きょういく開始かいしされてからは、ランドスケープクラスにもそのデザイン思想しそう波及はきゅう学生がくせいであったガレット・エクボらは、ボザール理論りろんにはのうちどころがないことを承知しょうちしていたが、この伝統でんとう様式ようしきよりも建築けんちく近代きんだい運動うんどうほう共鳴きょうめいしていく。

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]

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