ランドスケープ

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ランドスケープ
あき風景ふうけい
ふゆ景色けしき

ランドスケープLandscape景観けいかん風景ふうけい)は、日常にちじょう生活せいかつにおいて風景ふうけい景色けしき構成こうせいするしょ要素ようそ。ある土地とちにおける、資源しげん環境かんきょう歴史れきしなどの要素ようそ構築こうちくする政治せいじてき経済けいざいてき社会しゃかいてきシンボル空間くうかんであり、分野ぶんや横断おうだんして学際がくさいてきかつ国際こくさいてきである。または、そのシンボルぐん空間くうかんつく都市とし場所ばしょ地域ちいきそのもの、地域ちいき環境かんきょう[1]日本語にほんご風景ふうけい原語げんごとする英語えいごのLandscapeからきていることで、日本語にほんご景観けいかん、を構成こうせいするさまざまな要素ようそ (樹木じゅもく街路がいろ地形ちけい)をあらわすが、日本にっぽんのランドスケープの定義ていぎ抽象ちゅうしょうてきであり、明確めいかく定義ていぎはない。

ランドスケープ・アーキテクチャーLandscape architecture造園ぞうえん)または、ランドスケープ・デザインLandscape design造園ぞうえん設計せっけい)は、土地とちしょ要素ようそ基盤きばんにして、都市とし空間くうかん造園ぞうえん空間くうかん建築けんちくぐん(まちなみとう)といったランドスケープ設計せっけい構築こうちくすることをいい、そうした職能しょくのうランドスケープ・アーキテクトLandscape architect造園ぞうえん)または、ランドスケープ・デザイナーLandscape designer造園ぞうえん設計せっけい)という。

概要がいよう[編集へんしゅう]

ランドスケープという言葉ことばちは、土地とち場所ばしょをあらわすランドという言葉ことばと、スケープという言葉ことば単語たんごになっており、けい場所ばしょ+スケープという図式ずしき構成こうせいすが、スケープはながめを意味いみする[2]ゲシュタルト/全体ぜんたいせいシステムといった意味いみから、ランドスケープは地域ちいき社会しゃかい言葉ことば意味いみもあった。[3] 都市とし設計せっけい地域ちいき環境かんきょうなどを研究けんきゅうするさい学術がくじゅつ観念かんねんとしてあつかうが、おおくの政治せいじ学者がくしゃ建築けんちく造園ぞうえんがランドスケープを定義ていぎし、あつか分野ぶんやなどについて言及げんきゅうしている。

丸田まるたよりゆきいちへん環境かんきょう都市とし計画けいかく事典じてん』(朝倉書店あさくらしょてん、2005、ISBN 9784254180183)では、ランドスケープは、風景ふうけい景観けいかんのような感覚かんかくてき審美しんびてき側面そくめんのみならず、みず大気たいき動物どうぶつ植物しょくぶつなど、土地とち自然しぜん基盤きばんとする生態せいたいがくてき性状せいじょう秩序ちつじょふくめた概念がいねんとして認識にんしきされること、そのうえで、都市とし整備せいび目標もくひょう安全あんぜんせい健康けんこうせい利便りべんせい快適かいてきせい経済けいざいせいそなわったアメニティゆたかな環境かんきょう創造そうぞう視点してんき、都市とし固有こゆう自然しぜんてきポテンシャルをもとに、人間にんげん活動かつどう歴史れきし文化ぶんかてきかかわりいによってしょうじる環境かんきょう条件じょうけん科学かがく技術ぎじゅつてき判断はんだん、「よし」にかんする追求ついきゅうレクリエーション空間くうかん確保かくほとう重点じゅうてん分野ぶんやである、としている。

しばしば風景ふうけい景観けいかんけいいき造園ぞうえんみやつこけいやくされることがおおいが、もとは風景ふうけい」を意味いみしていて、これは画家がか風景ふうけい景観けいかんをつくるという意味いみではなく、ある視点してんえらんで空間くうかん解釈かいしゃくしているという意味いみであった。

ランドスケープは オランダ風景ふうけいえがかせるさい契約けいやくしょ用語ようごとして使用しようされた lantschappen という言葉ことば英語えいごで landscape、ドイツで Landscaft、ひとし派生はせいしていく。ただし、フランス語ふらんすごではのう風景ふうけい農家のうか (fr:Paysanけい農村のうそん景観けいかん)から派生はせいしたペイサージュ (fr:paysage という言葉ことばてられることでわかるとおりそれぞれのくにによってもちいられかたとうすこことなり、その内容ないようことにしてはいる。英語えいご、ドイツのLAND・・は、どちらも土地とち形作かたちづくるという意味いみのほか、共同きょうどうたいという言葉ことば同一どういつ語源ごげんである。

ドイツでは、ランドスケープを「ランドシャフト」というが、これには、原生げんせい自然しぜん意味いみする、ただのランドシャフトと、これに人為じんいくわわったを意味いみするクルトゥール・ランドシャフトがある。

生態せいたいがく専門せんもんはランドスケープを科学かがくてき問題もんだい理解りかいしようとしているが、ランドスケープという言葉ことば科学かがくてき側面そくめん審美しんびてきめん両方りょうほうふくんでいる。独語どくご原意げんい大地だいちながめや大地だいちにはえた植物しょくぶつるい意味いみしているが、みなと千尋ちひろは『風景ふうけいろん』(中央公論ちゅうおうこうろんしんしゃ、2018)で「ランドスケープ」の語源ごげんかんして、アメリカじん環境かんきょう史家しかのジョン・スティルゴー(John R. Stilgoe)が「ランドスケープ」の語源ごげん現在げんざいのオランダ北部ほくぶからきたドイツの海岸かいがん地帯ちたいにかけての海抜かいばつひく地域ちいき使つかわれていたフリジリアの「ランドショップ(landschop)」ではないかと紹介しょうかいしている。そしてランドショップの「ショップ」というのは「スコップ」なのではないか、さらにはシャベルでってうみてていく行為こういがその語源ごげんなのだと主張しゅちょうしており、つまりこれにしたがうと、ランドスケープは埋立うめたて、そもそもは人工じんこう土地とちであるとしている。このほか、landskipからで、これが風光ふうこう明媚めいびながめを意味いみし、一方いっぽうでLandscaftは人間にんげん占有せんゆう単位たんい意味いみだとしている。

分野ぶんやてきには1899ねんにはアメリカ造園ぞうえんおさむけい協会きょうかい (American Society of Landscape Architects, ASLA) が設立せつりつされ、1929ねんにはイギリスランドスケープアーキテクト学会がっかい (British Institute of Landscape Architects) が創設そうせつされる。さらに1948ねんにはイギリスのケンブリッジにおける国際こくさい会議かいぎにて、国際こくさい造園ぞうえんおさむけい協会きょうかいIFLA(International Federation of Landscape Architects)が結成けっせいされるにいたる。

日本にっぽんではランドスケープ前述ぜんじゅつ庭園ていえん手法しゅほうによって造園ぞうえんの、また都市とし設計せっけい手法しゅほうからは政治せいじ建築けんちくの1分野ぶんやとされてきた。景観けいかん造園ぞうえん意味合いみあいとして、ガーデニングなどの普及ふきゅう後押あとおしし、一般いっぱんしてきた。たとえばニューランドスケープとは現代げんだい写真しゃしん用語ようごであり、ニューランドスケープの代表だいひょうてき作家さっかとしてジョエル・スタンフェルド、リチャード・ミズラックなどがいる。かれらのランドスケープはありふれた砂漠さばく風景ふうけいのすぐそばに洪水こうずいえぐられたあとうつんだり、一見いっけん何気なにげない風景ふうけいなか環境かんきょう破壊はかい人間にんげんらん開発かいはつうつくしい風景ふうけい危機ききんでいるさまをうつる、あくまでもナイーブに告発こくはつ調ちょうからはなれた表現ひょうげんがなされる。日本にっぽん作家さっか大型おおがたカメラ(8×10)でやま高速こうそく道路どうろとおして山肌やまはだをコンクリートがためした様子ようす発表はっぴょうつづけている柴田しばた敏雄としおなどがいる。またSAPの世界せかいであれば、開発かいはつ開発かいはつしたプログラムを本番ほんばん移送いそうする、開発かいはつ本番ほんばん構成こうせいことを、2ランドスケープ、開発かいはつ検証けんしょう本番ほんばんで3ランドスケープとばれる。

なお、近代きんだいにおけるランドスケープ・モデルは自然しぜん象徴しょうちょうだったが、だつ工業こうぎょう社会しゃかいポストモダンにおけるモデルは生体せいたい象徴しょうちょうだと位置いちづけられている。近代きんだいにおいては「建設けんせつ」が風景ふうけい方法ほうほうとしてあったのであるが、今後こんご風景ふうけいのモデルの存立そんりつ基盤きばん多様たようし、工業こうぎょうてきなランドスケープ(テクノスケープ)はむしろノスタルジーの対象たいしょうとして十分じゅうぶん風景ふうけいモデルとして機能きのうすることも指摘してきされている。

言語げんご定義ていぎかんしては、様々さまざま解釈かいしゃく意見いけんがあるが、「明治めいじ建築けんちく造園ぞうえんかんする英語えいご日本語にほんご翻訳ほんやくするさいに、architectureをみやつこ家学かがく、landscape architectureやlandscape gardeningを造園ぞうえんがくとした。」というのが一般いっぱんてきである。しばし、「造園ぞうえん」から「ランドスケープ」に発展はってんしたというふう解釈かいしゃくをされることがおおいが、実際じっさいには、「landscape architecture」という言葉ことば日本にっぽん導入どうにゅうするさい造園ぞうえん」を訳語やくごとしててられ、この言葉ことば日本にっぽん文化ぶんかてき背景はいけいとうにより、本来ほんらいのランドスケープという言語げんごがもつ意味いみ相違そういがあるため本来ほんらい意味いみにて使用しようするさいに「ランドスケープ」という外来がいらいのまま使つかわれるようになったというながれがただしい。相違そういについては、西洋せいようてきな「ランドスケープ」とは公的こうてき意味いみっているのであるが、これにたい日本にっぽんの「造園ぞうえん」はあくまでも私的してきなものから派生はせいしていることがあげられる。また日本語にほんご景観けいかん訳語やくごとしての意味いみもちいられるが、この景観けいかんということばは辻村つじむら太郎たろうによって風景ふうけい意味合いみあいで定着ていちゃくさせた経緯けいいがあり、日本語にほんごとしての意味いみ変化へんかしてしまうとの指摘してきがある。ランドスケープという言葉ことばくらべ「環境かんきょう」は言葉ことばとしてはいくぶん抽象ちゅうしょうてきであり、しばしば人間にんげんふくまない自然しぜん環境かんきょう意味いみもちいられるが、ランドスケープは自然しぜんなだけではなく、審美しんびてき意味いみ政治せいじてき文化ぶんかてき意味いみ内包ないほうした言葉ことばである。

日本にっぽんでもふるくから認識にんしきされ、黒谷くろたにりょう太郎たろう著書ちょしょ山林さんりん都市とし』のなかに「ランヅケープアーキテクトのりてロマンティシズムにしたがって」と、自身じしん都市とし計画けいかくかんかたり、名古屋なごや都市とし八事やごと」をす。

造園ぞうえんかいではふるくからランドスケープの名称めいしょうをことあるごとにもちいているが、近年きんねんになるととく大学だいがく建築けんちく造園ぞうえん関係かんけい学科がっかコース・専攻せんこう名称めいしょうとうにももちいられている。日本にっぽん造園ぞうえん学会がっかいでは平成へいせい6ねん8がつに、学会がっかいのタイトルを「ランドスケープ研究けんきゅう」とあらためている。一般いっぱん社団しゃだん法人ほうじんランドスケープコンサルタンツ協会きょうかいは1999ねん名称めいしょう変更へんこう。ただし、社団しゃだん法人ほうじん日本にっぽん造園ぞうえんコンサルタンツ協会きょうかい時代じだいには英名えいめいを「Consultants of Landscape Architecture in Japan」そのまえ社団しゃだん法人ほうじん日本にっぽん造園ぞうえんコンサルタント協会きょうかい時代じだいにも「Japan Landscape Consultants Association(略称りゃくしょう:JLCA)」としていた。

なお日本語にほんご緑化りょくか英訳えいやくランドスケーピング (landscapingもちいられる。

東京農業大学とうきょうのうぎょうだいがく造園ぞうえん科学かがくへん造園ぞうえん用語ようご辞典じてん』でも、明治めいじ建築けんちく造園ぞうえんかんする英語えいご日本語にほんご翻訳ほんやくするさいに、「architecture」を「みやつこ家学かがく」、「landscape architecture」や「landscape gardening」を「造園ぞうえんがく」とし、「architect」のかたりには、おおいなる、主要しゅような(arch)、たくみ、技術ぎじゅつしゃ(tact)の意味いみがこめられている、とし、学問がくもんとしての造園ぞうえんがく発祥はっしょう近代きんだい以後いご一般いっぱんてきにはイギリス風景ふうけいしき庭園ていえん完成かんせい以後いごもしくはアメリカにおけるセントラルパーク設計せっけい以後いごとされ、日本にっぽんにおいても明治めいじ末期まっき以後いごであるとし、そのために「landscape architecture」の意味いみに「近代きんだい造園ぞうえんがく」の呼称こしょうをあてて区別くべつする場合ばあいもある、としている。

さらに、ハーバード大学だいがく学科がっかlandscape architectureを造園ぞうえん学科がっかやくし、その造園ぞうえん学科がっか主任しゅにん教授きょうじゅであったノーマン・ニュートン(N.T. Newton)の定義ていぎ翻訳ほんやく紹介しょうかいしている。1950ねんに「造園ぞうえん(landscape architecture)は、効果こうかてき(efficient)で、保健ほけんてき(healthful)で、安全あんぜん(safe)で、しかも快適かいてき利用りよう(pleasant human use)のために、空間くうかん(space)と目的もくてきぶつ(objects)をともないながら、土地とち編成へんせい(arranging land)する技術ぎじゅつ芸術げいじゅつ(art)であり科学かがく(science)である」と定義ていぎした、とあらわしている。なおこの定義ていぎ英文えいぶんは、高橋たかはしさとし喜男よしおら『造園ぞうえんがく朝倉書店あさくらしょてん掲載けいさいしている。

Landscape Architectureの用語ようごは、1827ねんにスコットランドじんギルバート・メーソン (Gilbert Laing Measonによって発明はつめいされたという経緯けいいられる。その、1863ねんに、ニューヨークセントラルパーク設計せっけいしたフレデリック・ロー・オルムステッドはじめて自分じぶん専門せんもんとなる職名しょくめいを、従来じゅうらい使用しようされていたGardenerやLandscape Gardenerと区別くべつする意味いみもこめて、「Landscape Architect」(ランドスケープ・アーキテクト)とみずからをしょうして以来いらい、ランドスケープのデザインは、とくにアメリカの都市とし計画けいかく、あるいはひろ環境かんきょうデザイン領域りょういきにおいて、重要じゅうよう役割やくわりたしてきた。このため現在げんざい、オルムステッドはランドスケープアーキテクチュアのちちばれている[4]

アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこくだいさんだい大統領だいとうりょうをつとめたトーマス・ジェファーソンも、アメリカ中西部ちゅうせいぶでの開拓かいたくすすめようとして土地とち新規しんき開拓かいたくしゃあたえるさい境界きょうかいせん明確めいかくかつ容易よういくことが必要ひつようとなり、そこでグリッドを採用さいようし、四角形しかっけい分割ぶんかつ土地とち調査ちょうさ実施じっしかれ土地とちをまずグリッドで仕切しき開拓かいたく拡大かくだいしたときにはそのグリッドをさらに展開てんかいしていけばよいとかんがえたのである。かれのアイデアはいまなお,中西部ちゅうせいぶ上空じょうくうからはっきりとることができる。アメリカのランドスケープを実際じっさい形作かたちづくったという意味いみではかれ以上いじょう実践じっせんした人物じんぶつにいないとされるゆえんである。

ホーレス・クリーブランドは、「ランドスケープアーキテクチャ」を「文明ぶんめい進歩しんぽ各種かくしゅ要求ようきゅうたいして、もっと便利べんりに、もっと経済けいざいてきに、そしてもっと優美ゆうびにするように土地とち編成へんせいする技術ぎじゅつ」とした。 1970年代ねんだいには、産業さんぎょう活性かっせいともに、公害こうがいなどによる、環境かんきょう破壊はかい世界せかいてき懸念けねんされ、自然しぜん一体化いったいかしたアートされるようになった。芸術げいじゅつひん土地とち関連かんれんづけた、これらはランドアートアースワーク)とばれている。

都市とし計画けいかくとしてのランドスケープ[編集へんしゅう]

伝統でんとうてきなランドスケープ・ガーデニングと新興しんこう都市とし計画けいかくわせは、ランドスケープアーキテクチャーに独自どくじ焦点しょうてんてた。フレデリック・ロー・オルムステッドは、セントラル・パーク設計せっけいするときにはじめて専門せんもん用語ようごとして「ランドスケープアーキテクチャー」という用語ようご使用しようした

19世紀せいきとおして、都市とし計画けいかくはそのまま都市とし問題もんだい中心ちゅうしんし、ランドスケープ・ガーデニングの伝統でんとう都市とし計画けいかくあらたな分野ぶんやわせは、ランドスケープアーキテクチャーにこれらのニーズにこたえる機会きかい提供ていきょうした。[5]今世紀こんせいき後半こうはんフレデリック・ロー・オルムステッド一連いちれん公園こうえん完成かんせいさせ、今日きょうもランドスケープ・アーキテクチャーの実践じっせんおおきな影響えいきょうあたつづけていく。成果せいかなかニューヨークセントラル・パークニューヨーク ブルックリンのプロスペクトパーク、そしてボストンのエメラルドネックレスパークシステムがあり、イェンス・イェンセンイリノイしゅうシカゴ、およびFair LaneやGaukler Pointをふくフォードいえ所有しょゆうのために洗練せんれんされた自然しぜん主義しゅぎてき都市としおよび地方ちほう公園こうえん設計せっけい、アメリカ造園ぞうえん協会きょうかい(ASLA)の創設そうせつメンバー10にんのうちの1人ひとりで、唯一ゆいいつ女性じょせいベアトリクス・ファーランドふく多数たすう大学だいがくキャンパス設計せっけいコンサルタントをつとめる:プリンストン大学ぷりんすとんだいがくニュージャージーしゅうプリンストン ;コネチカットしゅうニューヘブン イェール大学だいがくマサチューセッツしゅう ボストンハーバード大学だいがくアーノルド植物しょくぶつえんなど。彼女かのじょがけたすうおおくの民間みんかん不動産ふどうさんプロジェクトにジョージタウンちかくにあるワシントンD.C. のランドマークとしたダンバートン・オークスがある。[6]以来いらいのアーキテクト、とくにRuth HaveyとAlden HopkinsはFarrandデザイン要素ようそ変更へんこうし、その時期じきから都市とし計画けいかくは、土木どぼく工学こうがく建築けんちく行政ぎょうせいなど分野ぶんや重要じゅうよう成果せいかをもんだ独自どくじ職業しょくぎょうへと発展はってん都市とし計画けいかくはランドスケープアーキテクトとは無関係むかんけい業務ぎょうむ実行じっこうすることが可能かのうであるが、一般いっぱんてきにランドスケープ・プログラムなしのカリキュラムでは学生がくせい都市とし計画けいかくになっていくことはできないといえる。[7]

ランドスケープはデザイン分野ぶんやとして発展はってんつづけており、20世紀せいきから21世紀せいきにかけての建築けんちく都市とし環境かんきょうデザインのさまざまなうごきに対応たいおうつづけている。20世紀せいきはんトーマス・チャーチはこの職業しょくぎょうにおいて重要じゅうようなランドスケープアーキテクトであり、ブラジルロバート・ブール・マルクスは、インターナショナル・スタイルとネイティブのブラジルの植物しょくぶつ文化ぶんかわせて、あらたな審美しんびてきなスタイルをつくし、革新かくしんてきなそれは今日きょうもマスタープランニング、風景ふうけい、そして庭園ていえんのための現代げんだいてきなデザインソリューションで挑戦ちょうせんてき問題もんだい解決かいけつつづけている。

イアン・マクハーグは、ランドスケープアーキテクチャーに環境かんきょう問題もんだいれたことでられている。[8][9]かれ場所ばしょ質的しつてき属性ぞくせい完全かんぜん理解りかいあつめるために敷地しきちそう分析ぶんせきするシステムを普及ふきゅうさせた。このシステムは今日きょう地理ちり情報じょうほうシステム(GIS)の基盤きばんとなるが、マクハーグは歴史れきしみず文学ぶんがく地形ちけい植生しょくせいなど、対象たいしょうすべてに定性的ていせいてき側面そくめんにレイヤーを付与ふよし、GISソフトウェアは、今日きょうのランドスケープアーキテクチャーの分野ぶんやひろ使用しようされていく。また、都市とし計画けいかくしゃ地理ちり学者がくしゃ林業りんぎょうおよび天然てんねん資源しげん専門せんもんなどによっても利用りようされていく。

現在げんざいでは派生はせいして、ランドスケープ・アーバニズムという観念かんねんひろまりつつある。

北欧ほくおうなどは敷地しきち建築けんちくてるさい、インテリアとランドスケープ・アーキテクトになどの専門せんもん必要ひつようで、ランドスケープ・アーキテクトは建築けんちく配置はいち担当たんとうする。この場合ばあいのランドスケープ・アーキテクトの資格しかくは、大学だいがく地理ちり学科がっか卒業そつぎょうするとることができる。ランドスケープにおけるかんがかたは、ひと時代じだいによって意味いみ解釈かいしゃく変化へんかしてきたが、都市とし計画けいかくとランドスケープのつながりはふるくから存在そんざいし、ランドスケープてき手法しゅほう都市とし空間くうかん整備せいびにはよく使用しようされている。古代こだいより、東西とうざいわず、やまかわなど、人々ひとびとまわりの風景ふうけいや、自然しぜん創造そうぞうぶつもとにしたひと生活せいかつおこなわれることはしばしば見受みうけられた。また、高台たかだいつくられた神社じんじゃ建築けんちくぶつよりもおおきなてらたかとう教会きょうかいなど、シンボルとなる、人工じんこう構造こうぞうぶつまち都市とし重要じゅうよう要素ようそランドマーク)として位置いちづけ、これらを基盤きばんとした都市とし設計せっけいおこなわれている。日本にっぽんでは借景しゃっけい点景てんけい使つかった、また水面すいめんおおきくる、いしむ、など造園ぞうえん手法しゅほうが、ランドスケープとしてよく引用いんようされる。近代きんだいはいると、都市とし要素ようそをランドスケープてき視点してん科学かがくてき分析ぶんせきし、各々おのおの要素ようそ分析ぶんせきさい構築こうちくすることで、より都市としつくすことができるとかんがえられた。これらを学問がくもんとして位置いちづけ、積極せっきょくてき研究けんきゅうされた。

ひとあつまる中心ちゅうしんてき場所ばしょ構築こうちくはよくもちいられた設計せっけい手法しゅほうのひとつで、日本にっぽん神社じんじゃ仏教ぶっきょう伝来でんらい以前いぜん祭事さいじおこな場所ばしょであるだけでなく、先祖せんぞ供養くようおこない、むら人間にんげん議論ぎろんする中心ちゅうしんであり、古代こだいギリシア中央ちゅうおう広場ひろばフォルム神殿しんでん体育たいいくじょう公共こうきょう施設しせつかこまれた空間くうかんで、市民しみんあつまる都市とし中心ちゅうしん帝政ていせいローマフォロ・ロマーノは、広大こうだい領土りょうど中心ちゅうしんとして、政治せいじ軍事ぐんじ宗教しゅうきょう中心ちゅうしんてき場所ばしょであるが、ランドマークという手法しゅほうによる、歴史れきしてき建築けんちくぶつ高層こうそう建築けんちくぶつ広場ひろば公園こうえん演出えんしゅつなど、その都市としにおける象徴しょうちょうてき存在そんざいそのものを手法しゅほう具体ぐたいてきには、東京とうきょうタワー日本にっぽん1958ねん昭和しょうわ33ねん))、凱旋がいせんもんパリ)、ホワイトハウスワシントン)、天安門てんあんもん広場ひろば北京ぺきん)など、いずれもその都市とし代名詞だいめいしるシンボルであり、都市とし施設しせつにそうしたランドスケープてきなシンボルせいあたえることはわかりやすい手法しゅほうのひとつである。

フランスは伝統でんとうてきにランドスケープ要素ようそれた都市とし構築こうちくおこなう。シャンゼリゼからラ・デファンスにつながるパリ都市としじく形成けいせいし、グランプロジェのひとつであるグランダルシュつらぬかせる。近郊きんこうしん都市としセルジーポントワーズの「大都市だいとしじく」と関係かんけいづけられている。セルジーポントワーズは芸術げいじゅつダニ・カラヴァンがランドスケープアーキテクト、フランスではペイサジスト、としてランドスケープ構築こうちくおこなった。

ランドスケープデザイン[編集へんしゅう]

セントラルパーク。マンハッタン。米国べいこく最初さいしょのランドスケープ都市とし公園こうえん
ヴィラ・ヴィスカヤにわにある「みず階段かいだん」の噴水ふんすい

ランドスケープデザインは独立どくりつした職業しょくぎょうであり、自然しぜん文化ぶんかわせるべくランドスケープデザイナーによって実践じっせんされるデザインと芸術げいじゅつ伝統でんとうげいであり、こんにちにおいてはランドスケープデザインは、ランドスケープアーキテクチャとガーデンデザインあいだ橋渡はしわたしをしている[10]が、ランドスケープが生活せいかつ空間くうかん重要じゅうよう要素ようそとなり、環境かんきょう地域ちいきとの共生きょうせいをはかるしつ時代じだいになった現代げんだいにおいて、建物たてもの緑地りょくち、インフラストラクチャなどをおおきく俯瞰ふかんする視点してんと、ビオトープ視点してんちいさなみずながれや生物せいぶついきづくわずかな空間くうかんまでをも考慮こうりょするとうマクロとミクロの視点してんもつことがランドスケープデザインにもとめられている。[11]

ランドスケープデザインの特徴とくちょう魅力みりょく時間じかん経過けいかとともにデザインにも経年けいねん変化へんかいとなまれることにある。ランドスケープは、建築けんちく時間じかん経過けいかとともに風景ふうけい馴染なじんでいくように空間くうかんがポジティブな方向ほうこう変化へんかする。それは植物しょくぶつ生長せいちょうであり、多様たようひととのかかわりであり、空間くうかんへのマネジメントがおこなわれるということである。

デザインの範囲はんい[編集へんしゅう]

チェシャー・リトルモートンホールのノットガーデン

ランドスケープデザインは、特質とくしつ統合とうごうランドスケープ計画けいかくと、ランドスケープ要素ようそとそのなか植物しょくぶつ特定とくていされたガーデンデザインの両方りょうほう重点じゅうてんいている。実用じつようてき美的びてき園芸えんげいてき環境かんきょうてきにも持続じぞく可能かのうなものはランドスケープデザインの要素ようそとなっているがおおくの場合ばあいランドスケープデザインはハードスケープデザインとソフトスケープデザインとに分類ぶんるいされ、ランドスケープデザイナーは建築けんちく地理ちり土壌どじょう土木どぼく工学こうがく測量そくりょう造園ぞうえんぎょう植物しょくぶつがく職人しょくにん専門せんもん分野ぶんやなど、関連かんれんする分野ぶんや頻繁ひんぱんきょうはたらかしている。

デザインプロジェクトには、ランドスケープデザインとランドスケープアーキテクチャ。という2つのことなる専門せんもんてき役割やくわりふくまれている。

  • ランドスケープデザインは、典型てんけいてきには、芸術げいじゅつてき構成こうせい職人しょくにんわざ園芸えんげい精巧せいこうさと専門せんもん知識ちしき概念的がいねんてき段階だんかいから最終さいしゅうてき構築こうちくまで詳細しょうさいなサイトの関与かんよ重点じゅうてんいている。
  • ランドスケープ・アーキテクチャーは、都市とし計画けいかく都市とし地域ちいき公園こうえん市民しみん企業きぎょう風景ふうけいだい規模きぼ学際がくさいてきなプロジェクト、設計せっけい完了かんりょう請負うけおい業者ぎょうしゃへの委託いたく重点じゅうてんいている。

教育きょういく、ライセンス、および専門せんもん経験けいけんおうじて、2つの役割やくわりあいだ才能さいのうとスキルが重複じゅうふくする可能かのうせいはある。ランドスケープデザイナーとランドスケープアーキテクトの両方りょうほうがランドスケープデザインを実践じっせんしている。[12]

日本にっぽんでは古来こらいからは日本にっぽん庭園ていえん距離きょり利用りようし、風景ふうけい変化へんかつく手法しゅほうちかくからじゅんにコケ、低木ていぼく高木たかぎはいし、へい風景ふうけいり、とおくのやまそら借景しゃっけい演出えんしゅつするなど、また個々ここ造園ぞうえん計画けいかくにより、都市とし全体ぜんたい魅力みりょくたせる手法しゅほう都市としないつくられる公園こうえん川辺かわべ親水しんすい空間くうかん建築けんちくぶつ周辺しゅうへんうえ街路がいろじゅなどの計画けいかく構築こうちくする手法しゅほう一般いっぱんてきなことで、近年きんねんではランドスケープの広告こうこくマンション広告こうこくさいにマンション敷地しきちない外部がいぶ空間くうかんをランドスケープとして宣伝せんでんするまでになった。

ランドスケープは自然しぜん人間にんげんかいとのことなどがはいじっている現実げんじつのさまを意味いみするが、ランドスケープデザインはこのけいなか人間にんげん自然しぜん環境かんきょうとの関係かんけいり、それをかたちとして空間くうかん表現ひょうげんする分野ぶんやである。そして芸術げいじゅつ科学かがくという性格せいかくことなったふたつの領域りょういき構成こうせいされている分野ぶんやであり、ゆたかな生活せいかつ環境かんきょう理想りそう実現じつげんうような空間くうかん具体ぐたいてきにつくる手段しゅだんでもある。それらは建築けんちく土木どぼく構造こうぞうぶつ以外いがい外部がいぶ空間くうかん対象たいしょうとし、今日きょうではにわから街路がいろ河川かせん都市とし公園こうえん広場ひろば都市とし商業しょうぎょうモール、住環境じゅうかんきょう学校がっこうキャンパスやスポーツグラウンド、そして自然しぜん公園こうえんへと広範囲こうはんいにひろがっている。これらのオープンスペースはわずか1世紀せいきまえまでは都市とし余白よはくとしてしかとらえられなかったが、都市とし高密度こうみつど進行しんこうするにつれ、それが都市とし環境かんきょう人間にんげんのもとにもど重要じゅうよう役割やくわりをもっている空間くうかんであることがわかってきたのである。

公共こうきょう空間くうかん対象たいしょうとしている場合ばあい、つまり公共こうきょう事業じぎょうであるとユーザーは年齢ねんれい職業しょくぎょう性別せいべつともに特定とくていされなく、判断はんだん基準きじゅん不明ふめいかくになるためしばしば審美しんびせいよりも明確めいかく機能きのうとか管理かんりしやすさのみから判断はんだんされる場合ばあいおおかったが、80年代ねんだいからは都市としにおける公共こうきょうそら聞への意識いしきたかまりとともにランドスケープ・デザインという領域りょういき認識にんしきされるようになり、おもにアメリカで教育きょういくけたおおくのランドスケープ・アーキテクトがさまざまな分野ぶんや活躍かつやくはじめるようになる。それまでとかくそと構として、都市とし残余ざんよ敷地しきち残余ざんよめる以上いじょう役割やくわりになっていなかった空地くうちは、こうした状況じょうきょうにおいて、デザインの対象たいしょうであることが認識にんしきされるにいたる。建築けんちくとランドスケープ・アーキテクトがきょうはたらけをすることがたりまえになったのも、この時期じき以降いこうである。このうごきは、ともするとフォルマリスティックで表層ひょうそうてきなデザインにおちい危険きけんせいをはらんでいたが、それまでの、たん喧騒けんそうをやわらげるための抽象ちゅうしょうてきみどりでしかなかった植物しょくぶつを、きとした能動のうどうてき自然しぜんきあげたり、あるいはいやしの手段しゅだんでしかなかったみずやみどりを、よりおおきな生態せいたいけいのなかでの自然しぜん現象げんしょううつ存在そんざいとして位置付いちづけたり、というように、都市とし自然しぜん人間にんげん営為えいい自然しぜんとの関係かんけいさい定義ていぎすることにおおきな役割やくわりたすことになった。

デザインされたランドスケープ[編集へんしゅう]

おも美的びてき効果こうかのために人々ひとびとによっておさむけいされた場所ばしょ。この用語ようごは、庭園ていえん公園こうえん墓地ぼち敷地しきちなど、さまざまな種類しゅるい場所ばしょしめすために歴史れきしによって使つかわれ、そのような場所ばしょはしばしば歴史れきしてきまたは芸術げいじゅつてき価値かちのために保護ほごおよぶが地形ちけいみず建造けんぞうぶつ樹木じゅもくおよび植物しょくぶつ導入どうにゅうことができ、これらはすべ普通ふつう存在そんざいしてもよいし、導入どうにゅうようしてもかまわない。

おおくのこうしたランドスケープは既存きそん地理ちりてき特徴とくちょう利用りようし、森林しんりんうえづけ人工じんこうみずうみ創造そうぞうつうじて強調きょうちょうしている。たとえば、ランスロット・ブラウンなどのランドスケープガーデナーによって作成さくせいされたイギリスしき庭園ていえんは、景観けいかんをデザインされている。

ただし、こうした土地とちかこみと避難ひなんしょベルトのような機能きのうてき森林しんりんけの結果けっかとして、かなり微妙びみょう姿すがたであるかもしれない。このような特徴とくちょうのパターンは歴史れきし土地とち範囲はんい特定とくていしたり、農業のうぎょう改良かいりょう日付ひづけ記入きにゅうするのに役立やくだつかもしれない。

ガーデニングとの関係かんけい[編集へんしゅう]

おおくのランドスケープデザイナーは、個人こじんてきにも職業しょくぎょうてきにも、園芸えんげい関心かんしんかかわりをっている。庭園ていえんは、建設けんせつけが完了かんりょうしたのち動的どうてきであり静的せいてきではないため、いくつかのてんで「けっしてわりがない」。ランドスケープも管理かんり進行しんこうちゅう庭園ていえん方向ほうこう進化しんか、およびケアの方向ほうこうせいへの関与かんよ専門せんもんおよび顧客こきゃくのニーズおよび傾向けいこう依存いぞんするため、相互そうご関係かんけいがあるランドスケープの分野ぶんや同様どうよう、ランドスケープデザイナーや庭師にわし称号しょうごうしたでは提供ていきょうされるサービスの重複じゅうふくがありうる[12]

ヴィラデステ噴水ふんすい

ランドスケープ・アーキテクチャー歴史れきしについての議論ぎろんは、その歴史れきしだい部分ぶぶんランドスケープ・ガーデニング歴史れきし建築けんちく共有きょうゆうしており、人間にんげん存在そんざい全体ぜんたいおよぶので、複雑ふくざつこころみをす。しかし、「 ランドスケープアーキテクチャー 」または「 ランドスケープアーキテクト 」という用語ようご一般いっぱんてき使用しようされるようになったのは比較的ひかくてき最近さいきんではない。

1800年代ねんだい以前いぜんは、ランドスケープ・アーキテクチャー、正式せいしきにはランドスケープ・ガーデニングの歴史れきしは、だい部分ぶぶん邸宅ていたく宮殿きゅうでん王宮おうきゅう修道院しゅうどういんおよび官公庁かんこうちょうのためのマスタープランニングやガーデンデザイン歴史れきしである。そのいちれいは、ルイ14せいおうヴェルサイユ宮殿きゅうでん ヴォー=ル=ヴィコントじょう などアンドレ・ル・ノートルによるだい規模きぼ作品さくひんである。[13]

風景ふうけいつくることいた最初さいしょひとは、1712ねんに「想像そうぞうりょく快楽かいらくについて」とだいされた一連いちれんのエッセイのなかで、作者さくしゃジョゼフ・アディソンであった。[14]

「ランドスケープ・アーキテクチャー」は、著書ちょしょイタリアのだい画家がかランドスケープ・アーキテクチャー』(ロンドン、1828ねん)というかたちで、ギルバート・メーソンによって最初さいしょ使用しようされた。メーソンはスコットランドでまれ、イタリアを訪問ほうもんする機会きかいはなかったがかれはすばらしい景色けしき絵画かいが建築けんちく景色けしき関係かんけい賞賛しょうさんし、つくられた形態けいたい自然しぜん形態けいたいあいだ原則げんそく、そして関係かんけいつけるためウィトルウィウスあらわした建築けんちくについての10さつほん引用いんよう[15] その、この用語ようごジョン・ラウドンによってげられ、設計せっけいされたランドスケープをおさめるのにてきした特定とくていタイプのアーキテクチャをあらわすために使用しようされていった。[13] ラウドンはアメリカのデザイナーで理論りろんアンドリュー・ジャクソン・ダウニング賞賛しょうさんされ、「ランドスケープ・アーキテクチャー」はダウニングの著書ちょしょ『ランドスケープ・ガーデニングの理論りろん実践じっせんかんする論文ろんぶん』できたアメリカに適応てきおうあきら主題しゅだいとなる。[16]

Olmstedは、セントラル・パーク設計せっけいするときにはじめてその単語たんご使用しようして、うえ栽、地形ちけいみず舗装ほそうおよび構造こうぞうぶつ構成こうせい設計せっけいするという専門せんもんてき課題かだい全体ぜんたいあらわす「ランドスケープアーキテクチャ」という用語ようご使用しようした

これは、フレデリック・ロー・オルムステッドとカルバート・ヴォーによる採用さいようにつながった。フレデリックとジョージ・オスカー(George Oskar)というおとこは、うえ栽、地形ちけいみず舗装ほそうなどの建造けんぞうぶつ構成こうせい設計せっけいするという作業さぎょう全体ぜんたい専門せんもんてきおこなものあらわ用語ようごに「ランドスケープアーキテクチャー」の意味いみをもたせ、建築けんちくなどとはことなるような名称めいしょうあらわした。かれらがこの言葉ことば最初さいしょ使用しようしたのは、ニューヨークのセントラル・パークのデザイン競技きょうぎ受賞じゅしょうであり、その1863ねんにオルムステッドとヴォーは「ランドスケープアーキテクト」を職能しょくのう称号しょうごうとして採用さいようし、その称号しょうごう都市とし公園こうえんシステム計画けいかくのため、みずからのしょく説明せつめいした。[17] ボストンのエメラルドネックレスなどオルムステッドのプロジェクトはひろ賞賛しょうさんされ、ヨーロッパでは職業しょくぎょうあらわすタイトルとしてひろく「ランドスケープアーキテクチャー」の使用しようにつながっていく[18]当初とうしょパトリック・ゲデストーマス・モーソン、オルムステッドおよびベアトリクス・ファーランド8にん主要しゅよう実務じつむよう肩書かたがきであった。

以来いらい、ランドスケープアーキテクチャーは世界せかいてき専門せんもんし、国際こくさいランドスケープアーキテクト連盟れんめい国際こくさい労働ろうどう機関きかん [19]による承認しょうにんけ、代表だいひょうてきしょくへと変貌へんぼうした。[20]

ガレット・エクボダン・カイリーは、20世紀せいきなか著名ちょめいモダニストのランドスケープアーキテクトで、かれらの作品さくひんはロマン主義しゅぎてき自然しぜん主義しゅぎ影響えいきょうけた初期しょきのランドスケープアーキテクトの「ワイルドガーデン」の審美しんびてきなものとはべつで、より贅沢ぜいたく直線ちょくせんてきなものが審美しんびてきなものへと移行いこうしたことによってあらわされていた。両者りょうしゃともハーバード大学だいがくでオルムステッドのもとでまなんでいたウォーレン・マニングのもとでまなんだ。

1980年代ねんだいと1990年代ねんだい実績じっせきのあるランドスケープアーキテクトいくにんかはハイモダニズムにあるそのルーツをえてある規律きりつうごかす。その面々めんめんには、マーサ・シュワルツ、ピーター・ウォーカーマイケル・ヴァン・ヴァルケンバーグなどがいる。1990年代ねんだいなかばから、ランドスケープ・アーバニズムばれるものにかってあらたな学問がくもん分野ぶんや転換てんかんこった。これは都市としデザインインフラストラクチャ・デザイン、およびランドスケープを融合ゆうごうしようとする用語ようごである。

出版しゅっぱんぶつ[編集へんしゅう]

1970年代ねんだいには、ランドスケープアーキテクチャーの職業しょくぎょうかんする3つの注目ちゅうもくすべき歴史れきし発表はっぴょうされた。

様々さまざまなランドスケープについて最初さいしょ包括ほうかつてき歴史れきしはガーデニングの歴史れきしいたノーマン・ニュートンの、だいが「ランドスケープ・アーキテクチャの開発かいはつ土地とちのデザイン」(ベルナップ/ハーバード、1971)で、このほんしょうが42あり、最初さいしょの3つのしょう古代こだい時代じだい中世ちゅうせい、そしてイスラム世界せかいについてである。最後さいごの3つのしょうは、都市としオープンスペースシステム、職業しょくぎょう実習じっしゅうのバリエーション、および天然てんねん資源しげん保全ほぜんかんするものである。これは古代こだい世界せかいにおける私有しゆう庭園ていえんへの焦点しょうてんから現代げんだい世界せかいにおける公共こうきょう広場ひろば計画けいかく設計せっけいへの焦点しょうてんへのランドスケープの発展はってん反映はんえいしている。おう公共こうきょうざい灌漑かんがい街路がいろまちかべ公園こうえんおよび環境かんきょうざい )の供給きょうきゅうたい責任せきにんがあったので、おおやけのものと私的してきなものとのあいだ区別くべつ現代げんだい世界せかいのそれとまったおなじではなかった。[21]

1973ねんにGeorge B Tobeyによって「ランドスケープアーキテクチャーの歴史れきしだいされて、ランドスケープアーキテクチャーのだい2の総合そうごうてき歴史れきしについてのしょ出版しゅっぱんされた。それは紀元前きげんぜん5000ねんから、農業のうぎょうまち開発かいはつ庭園ていえん公園こうえん庭園ていえん都市としのデザインまで、ひろがりをもち、これはニュートンよりもひろいランドスケープアーキテクチャーの概観がいかんあらわしており、ニュートンのしょのタイトル「土地とちのデザイン」に非常ひじょうてきしていた。[22]

ジェフリーとスーザン・ジェリコーがランドスケープアーキテクチャのだいさん包括ほうかつてき歴史れきしについて1975ねん出版しゅっぱん。タイトルはひと風景ふうけい - 環境かんきょう形作かたちづくったもの先史せんし時代じだいから本日ほんじつまで」(テムズとハドソン、1975)。ほんは27しょうからっていて、地理ちりてきにも芸術げいじゅつてきにも哲学てつがくてきにも、以前いぜんのどの出版しゅっぱんぶつより包括ほうかつてき[23] バニッシャー・フレッチャー(Bannister Fletcher)の「History of Architecture」同様どうように、このほんには紹介しょうかいセクション(環境かんきょう社会しゃかい哲学てつがく表現ひょうげん建築けんちく風景ふうけいなど)があり、その計画けいかく写真しゃしんふく一連いちれん事例じれいせてある。れいおおくは公園こうえん庭園ていえんであるが、このほんには寺院じいんまち森林しんりんなどの「環境かんきょう形成けいせい」に関連かんれんするプロジェクトのレイアウトもふくまれている。[24][23]

関連かんれんする美術びじゅつ表現ひょうげん[編集へんしゅう]

芸術げいじゅつとランドスケープアーキテクチャーは専門せんもんすぐれた方法ほうほう駆使くししてまれている。自然しぜん景観けいかんふくむランドスケープ建築けんちく歴史れきし、デザインされたランドスケープ、公共こうきょうおよび私有地しゆうち庭園ていえんなど、つね視覚しかくとコミュニケーションを担当たんとうしてきた芸術げいじゅつてきおよび技術ぎじゅつてき表現ひょうげんきわめて重要じゅうよう専門せんもんてき要素ようそであるが - 創造そうぞうてき概念がいねん、アイデア、デザイン、オプションランドスケープアーキテクトとクライアント、ビルダー、そして利害りがい関係かんけいしゃあいだで いくつかの方法ほうほうろんもメディアもわらず、ほとんどはなに世紀せいきにもわたってあたらしい芸術げいじゅつてき方法ほうほうとグラフィックの供給きょうきゅう反映はんえいするように進化しんかしてきた。木炭もくたん油絵あぶらえ水彩すいさい、ペンとインクでえがくこと、彫刻ちょうこくエッチング芸術げいじゅつメディアはほとんど時代じだい超越ちょうえつして、活用かつようされる:印刷物いんさつぶつ:プリント、スライド、映画えいがのフィルム写真しゃしんによるモデル作成さくせい、およびそののテクニックを駆使くし階層かいそうされた画像がぞうをコラージュしてつくげている。20世紀せいき後半こうはん以降いこうはコンピュータの導入どうにゅう、デジタルみと印刷いんさつようすうおおくのフォーマットの用途ようと描画びょうが画像がぞうおよびサイト、ビデオなどデジタル技術でじたるぎじゅつそなえたものまで幅広はばひろ選択肢せんたくしがある。そして、インターネットにおけるほぼ無限むげん到達とうたつ範囲はんいは、創造そうぞうてき意図いと共有きょうゆうするための探索たんさく方法ほうほうおよび対処たいしょ方法ほうほう革命かくめいをもたらした。そしてまた、プロジェクトチーム、クライアント、そして世界中せかいじゅう関係かんけいしゃあいだ効果こうかてき共同きょうどうコミュニケーションを促進そくしんした。

関連かんれん美術びじゅつ[編集へんしゅう]

トレーニング[編集へんしゅう]

歴史れきしてきには、父親ちちおや弟子でしとしてついており、ヴェルサイユ宮殿きゅうでん設計せっけいするにまでなった「ガーデナー」のアンドレ・ル・ノートルのように、師弟してい訓練くんれんけランドスケープ・デザイナーとしてその分野ぶんや熟達じゅくたつしていく。以来いらいヨーロッパとアメリカのガーデンデザイナーのプロフェッショナルは、「Landscape Gardener」という名前なまえばれていった。 1890年代ねんだいにはランドスケープ・アーキテクトの明確めいかく分類ぶんるい法的ほうてき肩書かたがき使用しようするための教育きょういくとライセンス供与きょうよのテスト要件ようけん作成さくせいされたが、制度せいど創設そうせつグループの唯一ゆいいつ女性じょせいベアトリクス・ファーランドは、ランドスケープ・ガーデナーの肩書かたがきをこのみをこれを使用しようした。才能さいのう法的ほうてき資格しかく経験けいけん豊富ほうふなスキルを適切てきせつ開業医かいぎょういが、プロジェクトのクライアントと技術ぎじゅつてきニーズをわせることで、タイトルの命名めいめいほう凌駕りょうがするれいである。

ランドスケープ・デザインにおける制度せいど教育きょういくは、20世紀せいき初頭しょとうあらわれた。しばらくするとさまざまなレベルで利用りようされるようになる。農業のうぎょう園芸えんげい学校がっこうないのコミュニティカレッジや大学だいがくでは、庭園ていえんやランドスケープデザインの証明しょうめいしょ学位がくい提供ていきょうするため設計せっけい要素ようそそなえた装飾そうしょく園芸えんげいプログラムが提供ていきょうされている。ランドスケープ・アーキテクチュアの学科がっかは、大学院だいがくいん建築けんちく環境かんきょうデザインの学部がくぶないにあり、学部がくぶ大学院だいがくいん学位がくいがある。 おもな科目かもくは、園芸えんげい植物しょくぶつがく園芸えんげい天然てんねん資源しげん景観けいかん工学こうがく建設けんせつ管理かんり応用おうよう芸術げいじゅつ景観けいかんデザインの歴史れきし、などである。伝統でんとうてき図面ずめん手描てが作成さくせいであったが、建築けんちくよう設計せっけい機能きのうをテクストすることで現在げんざいはランドスケープデザインでも図面ずめん作製さくせいようのアプリソフトウェアが頻繁ひんぱん使用しようされている。

その訓練くんれんは、ランドスケープデザイナー、ランドスケープアーキテクト、造園ぞうえん業者ぎょうしゃ園芸えんげいしたやナーサリー、ガーデンセンター、植物しょくぶつえん公的こうてき庭園ていえんでの実践じっせんプログラムで訓練くんれんするといった非公式ひこうしき見習みなら制度せいどつうじておこなわれている。ランドスケープデザイナーを名乗なのるには、大学だいがく学位がくいやライセンス要件ようけんはないので、特定とくていのクライアントやプロジェクトの要件ようけんおうじて実務じつむ洗練せんれん審美しんびてき才能さいのう技術ぎじゅつてき専門せんもん知識ちしきといった専門せんもんてきつよみをしめすことで名乗なのる。

ランドスケープアーキテクト[編集へんしゅう]

ランドスケープアーキテクトは、ランドスケープ・アーキテクチュアにかんする計画けいかく設計せっけいで、風景ふうけい庭園ていえんまたは空間くうかん構築こうちくするものである。この方面ほうめん専門せんもん実践じっせんしゃとしてられている。

類似るいじ用語ようご「ランドスケープデザイナー」は、正式せいしきにランドスケープアーキテクトとしてのライセンスを取得しゅとくしていないひとたちをすためにもちいられる(アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく特定とくていしゅうまたは管轄かんかつした利用りようされる場合ばあい[25]修得しゅうとくしゃ資格しかくるためにランドスケープデザインの実務じつむ実践じっせんしているが、そのものは、にわ職人しょくにんうえ栽デザイナー、環境かんきょうデザイナー、または対象たいしょうプランナーとしてのみち選択せんたく。ランドスケープ・アーキテクチュアは、一般いっぱんてきに20世紀せいき初頭しょとうまでは個別こべつ専門せんもんしょくおこなうこととしては、先進せんしんこくでは認識にんしきされていなかった。造園ぞうえんさえもながらく、くに地域ちいきおう立場たちばことなってきた。しかし、一般いっぱんてきにはこの職名しょくめい建築けんちくやエンジニアのような)は普通ふつう使用しようされており、ライセンス登録とうろく必要ひつようとなっている[25]。ライセンスは、たとえば米国べいこく場合ばあいでは各州かくしゅうで「業務ぎょうむ規定きてい」から「名称めいしょう使用しよう規定きてい」にかんしてまで地域ちいきによってことなるが、それぞれ独自どくじ対応たいおうし、ライセンスされていない人物じんぶつには制限せいげん事項じこうもうけている。

オーストラリアではランドスケープアーキテクト協会きょうかいがあり、ランドスケープアーキテクトを「研究けんきゅう計画けいかく設計せっけい構築こうちくされた環境かんきょうさい内外ないがいわくえて、両方りょうほう環境かんきょう空間くうかん開発かいはつ管理かんり保全ほぜん持続じぞく可能かのうせいについて助言じょげん 」とべている。専門せんもんしょくとしてのこの定義ていぎはジュネーブの国際こくさい労働ろうどう機構きこうによるランドスケープアーキテクトという職業しょくぎょう国際こくさい標準ひょうじゅん分類ぶんるいもとづいている。

オーストラリアで認可にんかされるランドスケープアーキテクトになるため最初さいしょ要件ようけんは、ランドスケープアーキテクトのオーストラリア協会きょうかい(AILA)の認定にんていけたランドスケープアーキテクチュアの学士がくしごうることである。認定にんていには専門せんもんてき実務じつむすくなくとも2ねん必要ひつようとし、学士がくし卒業生そつぎょうせいはAILAによって正規せいき専門せんもんしゃだと認定にんていされるために、さらなる評価ひょうかける。

英国えいこくでも、ランドスケープ協会きょうかいが、英国えいこく全土ぜんどランドスケープアーキテクチュアの分野ぶんや関連かんれんした団体だんたいとして存在そんざいする。英国えいこく認定にんていランドスケープアーキテクトになるためには、やく7ねん必要ひつようとする。取得しゅとくするために最初さいしょは、ランドスケープまたは類似るいじ分野ぶんやでの学士がくしごう取得しゅとくするため、協会きょうかい認定にんていけた学士がくしコースで勉強べんきょうしなければならない。つづいて、計量けいりょう都市とし計画けいかく建設けんせつうえ栽に限定げんていした学際がくさい詳細しょうさい網羅もうらするランドスケープ分野ぶんや大学院だいがくいんすす必要ひつようがある。このように認定にんていされた段階だんかい課程かてい修了しゅうりょうする必要ひつようがある。協会きょうかい規定きてい厳格げんかくだが、非常ひじょうにやりがいのあるプログラムである。こうして正式せいしきなランドスケープアーキテクトの称号しょうごう授与じゅよされ、協会きょうかい検定けんてい会員かいいんになる(CMLI)。

米国べいこくは、ランドスケープ・アーキテクチュアという正式せいしき専門せんもんしょく創設そうせつこくである。これをフィールドとするものは、美的びてきよろこびをすために、また地域ちいき環境かんきょう保護ほご維持いじするためという両方りょうほう使命しめいをもち、せん年来ねんらい世界中せかいじゅう人類じんるい文化ぶんか共通きょうつうしている。米国べいこくでの実践じっせんにおいて職名しょくめい正式せいしきにする必要ひつようせいから、1899ねん上述じょうじゅつのランドスケープアメリカ協会きょうかいにより提示ていじされる。米国べいこくからされたおおくの才能さいのう影響えいきょうりょくのあるランドスケープアーキテクトは以下いかとおりで、フレデリック・ロー・オルムステッドのほかベアトリクス・ファーランドイェンス・イェンセンイアン・マクハーグトーマス・チャーチ、およびローレンス・ハルプリンといった面々めんめんらが存在そんざいする。ロバート・ロイストン同国どうこくのこうしたテーマをつぎのようにまとめている。:「ランドスケープ・アーキテクチュアは、人々ひとびとが、それを活用かつようすることをたのしみ、そしてそれを永続えいぞくすることができるように、結果けっかとしては風景ふうけい本質ほんしつ文化ぶんか構造こうぞう関連かんれんするアートを実践じっせんしている」

米国べいこくでは造園ぞうえん厳粛げんしゅく職業しょくぎょうとして、実務じつむ範囲はんい職業しょくぎょう名称めいしょう決定けっていする必要ひつようせいから、ランドスケープアメリカ協会きょうかい(ASLA)を設立せつりつしたが、創業そうぎょう11にんのメンバーから、ASLAは以来いらい進化しんかしており、現在げんざい代表だいひょう、18000のメンバーと48の支部しぶより、アメリカ全土ぜんど50のしゅうはもとより世界せかい42カ国かこく、68もの学校がっこう学生がくせいからえだべつし、メンバーは教育きょういく企画きかく経営けいえい参加さんかし、文化ぶんか自然しぜん環境かんきょう芸術げいじゅつてきなデザインをリードする。

カナダでは、連邦れんぽうレベルで活動かつどうしている、ランドスケープアーキテクト協会きょうかい(ランドスケープアーキテクトのカナダ学会がっかい、CSLA)がランドスケープアーキテクトのおも任務にんむを、「開発かいはつ提供ていきょう関連かんれんするプログラムやサービスとこう品質ひんしつ責任せきにんをもって」提供ていきょうするとしており、そのために全国ぜんこく職名しょくめい表示ひょうじする必要ひつようがあるとしている。

専門せんもんしょくはNOCコード2152-Aのした認識にんしきされ、ブリティッシュ・コロンビアしゅう、マニトバしゅう、ヌナブトじゅんしゅうとオンタリオしゅう規制きせいされている。ライセンスを保持ほじしている場合ばあい、のこりのしゅうでは6つのしゅうでランドスケープアーキテクトとして機能きのうすることができるが、さきの4つのしゅうでは各州かくしゅうごとでの認定にんていなしには、しょく遂行すいこうすることはできない。

ケベックしゅうでは、造園ぞうえんとう専門せんもんしょくではなく、規制きせい保護ほごはなされていない職名しょくめいである。しかし、ケベックしゅうランドスケープアーキテクト協会きょうかい(AAPQ)が存在そんざいする。 ケベックしゅう建築けんちく協会きょうかい職名しょくめい「architectes」(カナダ)が1974ねん2がつ1にちさだめられている。それ以降いこう学士がくし巣立すだ造園ぞうえんは、したがって「architects paysagiste」という職名しょくめい使用しようすることはできなくなっている。提案ていあんされた代替だいたいあんは、「architecture du paysageのカウンセラー」である。

ヨーロッパでは、ランドスケープにかんする専門せんもんしょくにな国際こくさいてき職業しょくぎょうへとするために、造園ぞうえんのための欧州おうしゅう連合れんごう(EFLA、造園ぞうえん専門せんもんしょく支援しえんとおして、景観けいかん促進そくしんする役割やくわりになう:ランドスケープアーキテクチュアのためのヨーロッパない協会きょうかい)がある。2000ねん2がつにフィレンツェ(イタリア)で発効はっこうした条項じょうこうを、2004ねん1がつ署名しょめいのために会合かいごうひらかれ、条約じょうやく加盟かめいこくとの欧州共同体おうしゅうきょうどうたい(2009にEU)加盟かめい条約じょうやく加盟かめいこくらによってヨーロッパのランドスケープ条約じょうやく採択さいたくされた。この条約じょうやくは、欧州おうしゅう評議ひょうぎかいでの自然しぜん遺産いさん文化ぶんか土地とち環境かんきょうかんする事項じこう一部いちぶである。EFLAの定義ていぎによれば、ランドスケープアーキテクトとは、その地域ちいき自然しぜんてき特徴とくちょう歴史れきしてき文化ぶんかてき価値かちもとづいて、都市とし農村のうそん景観けいかん空間くうかんてき時間じかんてき計画けいかく設計せっけいするひとである。この目的もくてきのために、かれ美的びてき機能きのうてき科学かがくてき管理かんりてき方法ほうほう原則げんそく言及げんきゅうし、自然しぜん人工じんこう両方りょうほう技術ぎじゅつ材料ざいりょう適切てきせつ使用しようする。

また、ランドスケープ学校がっこう欧州おうしゅう理事りじかい(ECLAS)は助成じょせいつうじ、ランドスケープアーキテクチュアがヨーロッパかく国家こっかあいだ接点せってん強化きょうかし、欧州おうしゅうでのランドスケープの学術がくじゅつコミュニティのメンバーあいだ対話たいわ強固きょうこにし、欧州おうしゅう社会しゃかいてき制度せいどてき文脈ぶんみゃくなか共同きょうどうたい利益りえき享受きょうじゅすることをになう。ECLASは(ヨーロッパでは135)世界せかい183になる大学だいがく提携ていけいする40の大学だいがくがある。

フランスにおいては「ペイザジスト」の名称めいしょう使用しよう開放かいほうされている。ランドスケープ「デザイナー」(フレーズは「造園ぞうえん」よりは正規せいきである)とフィールドワークのディレクター(この場合ばあい風景ふうけい請負うけおい業者ぎょうしゃ」の意味いみ)で区分くぶん必要ひつようとしている。 ランドスケープアーキテクトとなるには、指定していされたランドスケープにかんする国営こくえい学校がっこう(ランドスケープDE(インストラクター)や風景ふうけいエンジニア)を卒業そつぎょうまたはランドスケープフランス連盟れんめいによる名称めいしょう使用しよう認可にんかいずれかを取得しゅとくしている必要ひつようがある。エコール・デ・ペイサージュ参照さんしょう

イタリアでは「Paesaggista」というかたりてられる[26]。Paesaggistaのことは、時代じだいとともにことなる意味いみ専門せんもんしょくとされ、芸術げいじゅつ建築けんちくにおける「景観けいかん」の主題しゅだい関連かんれんしているが[27]、イタリアでこの分野ぶんやはたら専門せんもん建築けんちく分野ぶんやとして分類ぶんるいされるPaesaggistaのほかに、造園ぞうえん分野ぶんやのAgronomo_paesaggistaがいる。

またPaesaggistaは絵画かいが世界せかい18世紀せいき以来いらい風景ふうけいこのんで題材だいざいとする風景ふうけい画家がか意味いみとしても使用しようされる[27]絵画かいが自然しぜん風景ふうけいであったり、都市とし風景ふうけいであったりする(たとえばカナレット眺望ちょうぼう)。また写真しゃしん世界せかいで、風景ふうけい写真しゃしん(Fotografia_paesaggistica)のことで、ジャンルひとつをあらわかたりでPaesaggistaが使つかわれる。自然しぜんまたは都市とし風景ふうけいうつしするフォトグラフィーはおそらく、アマチュアとプロの両方りょうほう写真しゃしんもっと人気にんきのあるジャンルである[27]。さらに文学ぶんがくでは、風景ふうけいこのんで題材だいざいにする作家さっかを「paesaggista」と表現ひょうげんすることがある[27]風景ふうけい環境かんきょう描写びょうしゃであることもあれば[27]人間にんげん不安定ふあんていさを詩的してき描写びょうしゃすることもある。たとえば、ウンガレッティペトラルカ詩的してき描写びょうしゃは、ピサからアヴィニョンまで、ヴァルキウサからモンテペリエまで、パルマからアルカまで、詩人しじん生活せいかつしインスピレーションを実際じっさい風景ふうけいと、詩的してき想像そうぞうりょくによって創作そうさくされた場所ばしょとをわせている。

イタリアの建築けんちく分野ぶんやにおいてPaesaggista/パイザジスタ=ランドスケープ・アーキテクトは、公園こうえん庭園ていえん緑地りょくちなどのオープンスペースを設計せっけいするもので、ランドスケープ・アーキテクトの国家こっか試験しけん合格ごうかくしたのち取得しゅとくできる資格しかくであり、いくつかの学位がくいクラス、まずだいいちにLM3ランドスケープ・アーキテクトで確認かくにんすることができる[28]

一方いっぽうでL’ agronomo paesaggista アグロノモ・パイザジスタとは、せんもん学校がっこうかよ卒業そつぎょうして専門せんもんしょくとして登録とうろくされた農学のうがく林学りんがく専門せんもん資格しかくしゃである。農学のうがくはやしまなぶ森林しんりん科学かがく環境かんきょう科学かがく造園ぞうえんがく自然しぜん保護ほご工学こうがく土地とち利用りよう計画けいかく分野ぶんや技術ぎじゅつりょくゆうする専門せんもんで、専門せんもん資格しかくは、労働省ろうどうしょう職業しょくぎょうコード体系たいけいにコード:322101 Landscape agronomistとして登録とうろくされている。

イタリアで農学部のうがくぶにおけるランドスケープ科目かもく教育きょういくは、ボローニャでアレッサンドロ・キウゾリ教授きょうじゅによって花卉かき栽培さいばい園芸えんげい科目かもく開始かいしされた1968ねんまでさかのぼる。その、1980年代ねんだいにはボローニャ、アンコーナ、バーリの大学だいがくで「造園ぞうえん公園こうえん庭園ていえん」という科目かもく開始かいしされた。1990年代ねんだいには、ミラノ大学だいがく農学部のうがくぶが「都市とし空間くうかんにおけるみどりのデザイン」の大学院だいがくいんコースを開始かいし。トリノ大学だいがく農学部のうがくぶでは、AIAPP(イタリアagronomo paesaggista協会きょうかい)とIFLAにより認定にんていされた「公園こうえん庭園ていえん専門せんもん学部がくぶ設立せつりつされた。公園こうえん庭園ていえん専門せんもんコースの修了しゅうりょうには、農学のうがくけいのAgronomo Paesaggista か 森林しんりん科学かがくけいのForestale Paesaggistaの資格しかく授与じゅよされる。

その、1999ねん11月3にち省令しょうれいだい509ごうからはじまった大学だいがく改革かいかくにより、つぎ大学だいがく農学部のうがくぶ景観けいかんがくとくした3ねんせい学位がくいコースが設置せっちされた。

  • 植物しょくぶつ生産せいさん保護ほご「グリーン・システム」カリキュラムの学位がくいコース。ミラノ大学だいがく
  • 植物しょくぶつ生産せいさん学位がくいコース「グリーン・プランツ」カリキュラム。フェデリコ2せいナポリ大学だいがく
  • 植物しょくぶつ生産せいさんがく緑地りょくち建設けんせつ管理かんり」カリキュラム。トリノ大学だいがく
  • 都市とし緑地りょくち景観けいかん管理かんり学士がくしピサ大学だいがく
  • ランドスケープ・公園こうえん庭園ていえん学位がくいコース。パドヴァ大学だいがく
  • 観賞かんしょう緑地りょくち景観けいかん保全ほぜん学位がくいコース。ボローニャ大学だいがく
  • 景観けいかん管理かんり技術ぎじゅつ学位がくい取得しゅとくコース。ペルージャ大学だいがく
  • 緑地りょくち公園こうえん庭園ていえん設計せっけい管理かんりかんする学位がくい取得しゅとくコース。カターニア大学だいがく

さらにピサ大学だいがく農学部のうがくぶ緑地りょくち景観けいかんのデザインと計画けいかく)、ボローニャ大学だいがく農学部のうがくぶ農地のうち森林しんりん景観けいかん生態せいたいけいのデザインと管理かんり)、トリノ大学だいがく農学部のうがくぶ庭園ていえん公園こうえん景観けいかんのデザイン)には専門せんもんてき学位がくいコースが設置せっちされた[29]

1992ねん2がつ10日とおか法律ほうりつだい152ごうによると、その専門せんもん能力のうりょく以下いかとおりとしている。

  • 土地とち利用りよう調査ちょうさ、ゾーニング、都市とし計画けいかく景観けいかん計画けいかく農林のうりんぎょう要素ようそおよび都市とし農村のうそん関係かんけいかんする計画けいかく、セクター開発かいはつ計画けいかく規制きせい計画けいかくにおける農村のうそん農地のうち林地りんち分類ぶんるいのための具体ぐたいてき調査ちょうさ立案りつあん
  • 土地とち計画けいかくおよび環境かんきょう保護ほごのための生態せいたいがくてき計画けいかくかんする調査ちょうさ設計せっけい管理かんり監督かんとく測定そくてい見積みつもり、会計かいけいおよび試験しけん動植物どうしょくぶつへの影響えいきょうかんする環境かんきょう影響えいきょう評価ひょうかおよびそののモニタリング、自然しぜん都市としおよび郊外こうがい開発かいはつかんする景観けいかんおよび環境かんきょう計画けいかく農林のうりん遺産いさん生態せいたいがくてき計画けいかくおよび調査ちょうさ
  • 公共こうきょう緑地りょくち(スポーツをふくむ)、民間みんかん緑地りょくち都市とし郊外こうがい自然しぜん公園こうえん庭園ていえん緑地りょくち全般ぜんぱんかんする工事こうじ設計せっけい指導しどう監督かんとく清算せいさん測定そくてい会計かいけい試験しけん
  • 景観けいかん自然しぜん回復かいふく農村のうそん農業のうぎょう森林しんりん保護ほご採石さいせきじょうゴミ捨ごみす自然しぜん環境かんきょう回復かいふく

Agronomo Paesaggistaとして国際こくさいてき著名ちょめい人物じんぶつには、ジル・クレマンや2013ねんIFLAサー・ジェフリー・ジェリコーしょう受賞じゅしょうしゃのゴンサロ・リベイロ・テレス(it:Gonçalo Ribeiro Telles)がいる。

活動かつどう分野ぶんや[編集へんしゅう]

王立おうりつ植物しょくぶつえん(キュー・ロンドン、1759ねん設立せつりつ
パームハウスはリチャード・ターナーによってデシムス・バートンの依頼いらいで1844ねんから1848ねん建設けんせつ
都市とし広場ひろばにおけるみず特徴とくちょうてき都市としデザイン ランドスケープや庭園ていえんにもんでいる安藤あんどう忠雄ただおによる。ロンドン

ランドスケープアーキテクトが共同きょうどう作業さぎょうするせんもん仕事しごと種類しゅるい非常ひじょう広範囲こうはんいであり、プロジェクトの種類しゅるいでいくつかれいがあるが、つぎのとおりである。[30]

ランドスケープコンサルタントはランドスケープの長期ちょうきてきなケアと開発かいはつについて助言じょげんするためにランドスケーププロセスとう知識ちしきあつかう。みずからはしばしば林業りんぎょう自然しぜん保護ほご農業のうぎょうひとし従事じゅうじしている。

ランドスケープを専門せんもんとする学者がくしゃは、ランドスケープ作業さぎょう実際じっさいてき問題もんだい関連かんれんする土壌どじょうがくみず文学ぶんがく地形ちけいがくまたは植物しょくぶつがく方面ほうめん専門せんもんてき技能ぎのうそなえている。プロジェクト関与かんよ計画けいかく管理かんり目的もくてきとした敷地しきち調査ちょうさからひろ範囲はんい生態せいたいがくてき評価ひょうかまで多岐たきにわたる。また、開発かいはつ影響えいきょう特定とくてい分野ぶんやにおける特定とくていたね重要じゅうようせいについても指摘してき報告ほうこくしていく。

ランドスケープ・プランナーは、都市とし農村のうそんおよび沿岸えんがん土地とち利用りよう場所ばしょ景観けいかん生態せいたいがくてきおよびレクリエーションの側面そくめんについてのランドスケープ・プランニング意識いしきがあり、仕事しごとでは景観けいかん計画けいかくのプロセスには考古学こうこがく法律ほうりつなどの追加ついか専門せんもんせい適用てきようするものもいるが、方針ほうしん戦略せんりゃく書面しょめんによる声明せいめい具体ぐたいされ、任務にんむあたらしい開発かいはつのためのマスタープランニング、景観けいかん評価ひょうか評価ひょうか、そして地域ちいき計画けいかく管理かんり政策せいさく計画けいかく準備じゅんびふくむ。

グリーンルーフ (またはより具体ぐたいてきには、植物しょくぶつせいルーフ)の設計せっけいしゃ雨水あまみず管理かんりふけ発散はっさん冷却れいきゃく持続じぞく可能かのう建築けんちく美学びがく、および生息せいそく創造そうぞうのために広範こうはん集中しゅうちゅうてきルーフガーデン設計せっけいする。[31]

作業さぎょう範囲はんい
ランドスケープアーキテクチュアのれい世界せかいてきイタリアしき庭園ていえん、ベルリン・マルツァーン、ドイツ)
以下いかは、ランドスケープアーキテクトの典型てんけいてき適用てきよう範囲はんい概要がいようである[32]
  1. 新規しんきまたは改良かいりょうされた理論りろん政策せいさく景観けいかん計画けいかく地方ちほう地域ちいき国家こっか国籍こくせきレベルでの設計せっけい管理かんり手法しゅほう開発かいはつ
  2. 自然しぜん公園こうえんひとし保全ほぜんレクリエーション地域ちいきのための方針ほうしん計画けいかく開発かいはつ実施じっしし、提案ていあん策定さくていする
  3. 環境かんきょう意識いしき促進そくしんするために、新規しんきまたは改良かいりょうされた理論りろん方法ほうほう開発かいはつ企画きかく設計せっけい修復しゅうふく管理かんり、および文化ぶんかてき景観けいかんもしくは歴史れきしてき景観けいかん公園こうえん土地とち庭園ていえん維持いじ管理かんり
  4. 計画けいかく設計せっけい管理かんり保守ほしゅ、プライベートとパブリックオープンスペース公園こうえん庭園ていえん街並まちなみ、広場ひろば住宅じゅうたく開発かいはつ墓地ぼち記念きねんなど、都市とし郊外こうがい、および農村のうそんから 観光かんこう商業しょうぎょう工業こうぎょう教育きょういく関連かんれん媒体ばいたい運動うんどうじょう動物どうぶつえん植物しょくぶつえん、レクリエーションエリアや農場のうじょう などの建築けんちく環境かんきょう機能きのう審美しんびてきなレイアウトを策定さくていする
  5. 道路どうろ、ダム、風力ふうりょく発電はつでんしょなどのエネルギー施設しせつ主要しゅよう開発かいはつプロジェクトなどの計画けいかく審美しんびてきおよび機能きのうてきなデザイン、場所ばしょ管理かんり、および社会しゃかい基盤きばん整備せいび貢献こうけん
  6. ポリシー策定さくていあらたな展開てんかいらせるために、環境かんきょう視覚しかく影響えいきょう評価ひょうかふく景観けいかんアセスメント着手ちゃくしゅ
  7. 気候きこう土壌どじょう動植物どうしょくぶつ地表ちひょうおよび地下水ちかすい排水はいすいとう要因よういん分析ぶんせき対象たいしょう検査けんさ;クライアントと相談そうだんし、景観けいかん建築けんちく環境かんきょう関連かんれんするプロジェクトのための仕事しごと方法ほうほう作業さぎょう配列はいれつかんする提言ていげんおこな
  8. 特定とくてい地区ちくと、都市とし郊外こうがい農村のうそん構築こうちくされた環境かんきょうしち使用しようかんする適切てきせつなソリューションの開発かいはつ設計せっけい計画けいかく施工しこう作品さくひん仕様しよう、コスト見積みつもりとタイムスケジュールをつく
  9. 実現じつげん確認かくにん行為こうい計画けいかく仕事しごと仕様しよう、コスト見積みつもりとタイムスケジュールの遵守じゅんしゅ確実かくじつにするための提案ていあん建設けんせつ監理かんり
  10. 科学かがく論文ろんぶん技術ぎじゅつレポート、開発かいはつ政策せいさく教育きょういく、および関連かんれんした地理ちり情報じょうほうシステム、リモートセンシング法律ほうりつ、ランドスケープの通信つうしん解釈かいしゃく景観けいかん生態せいたいがくのアプリケーションにかん造園ぞうえんかんする側面そくめんについて助言じょげんし、研究けんきゅうおこな
  11. 関連かんれんするエンジニア、建築けんちくやプランナーなど、のコンサルテーションの管理かんりふくむ、だい規模きぼ景観けいかん計画けいかくとデザインプロジェクトのプロジェクトマネジメント
  12. 開発かいはつ環境かんきょう問題もんだいかんする裁判さいばんでの専門せんもん証人しょうにんとして行動こうどうする

近代きんだい公園こうえんはロイヤル・パークとわれるものから王室おうしつ市民しみん土地とち開放かいほうするというかんがかたされた。このため従来じゅうらいの、一個人いっこじんこのみにわせたにわでは公園こうえんのようなパブリックな空間くうかんりたない。税金ぜいきんなどが導入どうにゅうされる、税金ぜいきん使つかうということは説明せつめい根拠こんきょ必要ひつようになるが、そのバックボーンには科学かがくてき客観きゃっかんせいのある公的こうてき説明せつめいかせず、これらのしょ問題もんだいをプロフェッションとして解決かいけつ実行じっこうしていく人材じんざいが、19世紀せいき後半こうはん以降いこう必要ひつようした。

ランドスケープ・アーキテクトは、たん景観けいかんをデザインするだけではなくて、ランドスケープコンサルタントとして、開発かいはつ付近ふきん住民じゅうみんとの公聴こうちょうかいなども仕切しきる、リア・マネジメントという、特定とくてい場所ばしょやプロダクツだけではなく、地域ちいき全体ぜんたい価値かちげようというかんがかた主流しゅりゅうになっている。

日本にっぽん資産しさんとしての土地とち評価ひょうか仕方しかたは、更地さらち自由じゆう建物たてものてられて利便りべんせいいという土地とちこそが資産しさん価値かちたかいとされており、また日本にっぽんさだめられている建築けんちく基準きじゅんほうからさっすると、敷地しきちがあるとするとその中央ちゅうおうにひとつ建物たてものがあるという観念かんねんがベースとなっており、隣接りんせつする敷地しきちとは隙間すきまもうける敷地しきち主義しゅぎというかんがかたつよい。しょ外国がいこく場合ばあいはこうした要素ようそ大事だいじではあるが、どのような場所ばしょにその土地とちがあるのか、ということが重要じゅうよう で、不動産ふどうさん評価ひょうか仕方しかためんで、おおきく影響えいきょうしていたのである。デザイン事務所じむしょ・デザイナーでは民間みんかんふくめた庭園ていえん設計せっけいなどから現在げんざいでも公共こうきょう事業じぎょうとして街路がいろみどりどう公園こうえんべつにして、そうじてえるのは建築けんちくという開発かいはつ行為こういがないと、まちづくり仕事しごと参入さんにゅうができない状態じょうたいである。

ひと自然しぜんりなす物語ものがたり土台どだいをつくることは可能かのうでも、そのうえ出来上できあがるものを、逐一ちくいち100%デザイナーのおもどおりにはできない。

宮城みやぎ俊作しゅんさく『ランドスケープデザインの視座しざ』(学芸がくげい出版しゅっぱんしゃ、2001)では、日本にっぽん近代きんだい造園ぞうえんぎょうはその黎明れいめいにおいてはランドスケープアーキテクチュアへの発展はってんかん内包ないほうしていたとしているが、アメリカのランドスケープアーキテクチュアとくらべると、日本にっぽん造園ぞうえん分野ぶんやはいわばランドスケープになりきれなかった分野ぶんやとみている。

登録とうろくランドスケープアーキテクト(RLA)[編集へんしゅう]

日本にっぽんにおいては、一般いっぱん社団しゃだん法人ほうじんランドスケープコンサルタンツ協会きょうかい(CLA)が日本にっぽんにおけるランドスケープアーキテクトの育成いくせい専門せんもんとしての職能しょくのう確立かくりつ[33]しょ外国がいこくのランドスケープアーキテクトとの国際こくさいてき連携れんけいをめざし、日本にっぽんはじめてランドスケープアーキテクトの資格しかく制度せいど発足ほっそくさせた。協会きょうかいちょう委嘱いしょくした「登録とうろくランドスケープアーキテクト(RLA)資格しかく制度せいど総合そうごう管理かんり委員いいんかい」によって毎年まいとし認定にんてい試験しけんおこなわれる。また資格しかく取得しゅとくしゃらによってランドスケープアーキテクト連盟れんめい(JLAU)が組織そしきされている。

なお、アメリカASLAのランドスケープアーキテクト資格しかくについても、登録とうろく=レジスターせい (Registerである。造園ぞうえん#アメリカ参照さんしょう

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ 市民しみんランドスケープ研究けんきゅうかい 編集へんしゅう 市民しみんランドスケープの創造そうぞう
  2. ^ ハナムラチカヒロまなざしのデザイン: 〈世界せかい見方みかた〉をえる方法ほうほう
  3. ^ きたのランドスケープ: 保全ほぜん創造そうぞう
  4. ^ 河井かわい容子ようこ with 栗本くりもとたかランドスケープアーキテクトってなに (PDF) 日本人にっぽんじん建築けんちく夫婦ふうふ、アメリカ東海岸ひがしかいがんでがんばる だいよんかい - まいと耐震たいしん工法こうほう研究けんきゅうかい連載れんさい(2015ねん9がつ
  5. ^ Van Assche、K.、Beunen、R.、Duineveld、M.、&de Jong、H.(2013)。計画けいかく設計せっけいきょう進化しんか計画けいかくシステムにおける設計せっけい観点かんてんのリスクと利点りてん計画けいかく理論りろん、12(2)、177-198。
  6. ^ National Park Service (2000). Cultural Landscape Report: Dumbarton Oaks Park, Rock Creek Park. Washington, D.C.: U.S. Dept. of the Interior 
  7. ^ Bulletin of Information for the AICP Comprehensive Planning Examination”. www.planning.org. 2016ねん8がつ29にち閲覧えつらん。 “There are important distinctions between planners and allied professionals and between planning and related fields. Planners approach problems comprehensively, have a long-range perspective, and deal with unique place-based issues. Although people in related professions (e.g., law, architecture, landscape architecture, engineering, real estate development, etc.) and disciplines (humanities, psychology, etc.) often work with planners, they do not necessarily have the same knowledge base, skillset, and approach.”
  8. ^ Corbett. “Ian McHarg: Overlay Maps and the Evaluation of Social and Environmental Costs of Land Use Change”. Center for Spatially Integrated Social Science. 2014ねん6がつ4にち閲覧えつらん
  9. ^ Ozio (2001ねん3がつ6にち). “Obituary: Ian McHarg Dies”. Penn News. University of Pennsylvania. 2014ねん6がつ4にち閲覧えつらん
  10. ^ 園芸えんげいデザイナーはランドスケープデザイナーですか?本当ほんとうに、にわはランドスケープですか?” (英語えいご). Bowles Wyer (2012ねん4がつ11にち). 2016ねん5がつ17にち閲覧えつらん
  11. ^ やま﨑誠 みどりのランドスケープデザイン - ただしいうえ計画けいかくもとづく景観けいかん設計せっけい
  12. ^ a b ASLA:質問しつもん回答かいとう”. www.asla.org. 2016ねん5がつ17にち閲覧えつらん
  13. ^ a b Loudon, John Claudius (1840). The landscape gardening and landscape architecture of the late Humphry Repton. https://archive.org/details/landscapegardeni00rept/page/n9 
  14. ^ MYERS, KATHERINE (Summer 2013). “WAYS OF SEEING: JOSEPH ADDISON, ENCHANTMENT AND THE EARLY LANDSCAPE GARDEN”. Garden History. https://www.jstor.org/stable/24636000?seq=1#metadata_info_tab_contents. 
  15. ^ Meason, Gilbert Laing (1828). On the landscape architecture of the great painters of Italy. https://archive.org/details/onlandscapearchi00meas/page/n5 
  16. ^ Downing, Andrew Jackson (1841). A treatise on the theory and practice of landscape gardening, adapted to North America. https://archive.org/details/treatiseontheory41down/page/n7 
  17. ^ Olmsted–His Essential Theory - National Association for Olmsted Parks”. www.olmsted.org. 2019ねん1がつ6にち閲覧えつらん
  18. ^ Frederick Law Olmsted” (英語えいご). The Emerald Necklace Conservancy. 2019ねん1がつ6にち閲覧えつらん
  19. ^ Updating the International Standard Classification of Occupations (ISCO) | Draft ISCO-08 Group Definitions: Occupations in Design”. www.ilo.org. 2019ねん1がつ6にち閲覧えつらん
  20. ^ Inernational Federation of Landscape Architects”. 2019ねん3がつ5にち閲覧えつらん
  21. ^ Newton, Norman T. (1971) (英語えいご). Design on the land: the development of landscape architecture. Belknap Press of Harvard University Press. https://books.google.com/books?id=nGdRAAAAMAAJ 
  22. ^ Tobey, George B. (1973) (英語えいご). A history of landscape architecture: the relationship of people to environment. American Elsevier Pub. Co.. ISBN 9780444001313. https://books.google.com/books/about/A_history_of_landscape_architecture_the.html?id=hmtRAAAAMAAJ 
  23. ^ a b Jellicoe, Geoffrey Alan; Jellicoe, Susan (1982) (英語えいご). The Landscape of Man: Shaping the Environment from Prehistory to the Present Day. Van Nostrand Reinhold. ISBN 9780442245658. https://books.google.com/books/about/The_Landscape_of_Man.html?id=XL0Y6qer29MC 
  24. ^ Fletcher, Sir Banister; Cruickshank, Dan (1996) (英語えいご). Sir Banister Fletcher's a History of Architecture. Architectural Press. ISBN 9780750622677. https://books.google.com/books/about/Sir_Banister_Fletcher_s_a_History_of_Arc.html?id=Gt1jTpXAThwC 
  25. ^ a b 河井かわい容子ようこ with 栗本くりもとたか哉 ランドスケープアーキテクトってなに 日本人にっぽんじん建築けんちく夫婦ふうふ、アメリカ東海岸ひがしかいがんでがんばる だいよんかい まいと耐震たいしん工法こうほう研究けんきゅうかい連載れんさい(2015 ねん 9 がつ
  26. ^ paesaggista』 - コトバンク
  27. ^ a b c d e ランドスケープ entry (イタリア in the Enciclopedia italiana
  28. ^ LM-3 - Architettura del paesaggio
  29. ^ http://www.ca.archiworld.it/riviste/riviste/rivista_arch/anno_2002/dicembre/num5J.pdf
  30. ^ Landscape Architecture - Your Environment. Designed”. Asla.org. 2013ねん4がつ6にち閲覧えつらん
  31. ^ Extensive Vegetative Roofs | Whole Building Design Guide”. www.wbdg.org. 2015ねん12月28にち閲覧えつらん
  32. ^ Australian Institute of Landscape Architects: March 2005
  33. ^ 蓑原みのはらたかし造園ぞうえん」はランドスケープ・アーキテクトでは」『造園ぞうえん雑誌ざっしだい56かんだい4ごう日本にっぽん造園ぞうえん学会がっかい、1992ねん、318-319ぺーじdoi:10.5632/jila1934.56.318ISSN 0387-7248NAID 110004662468 

参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]