日本にっぽん国有こくゆう鉄道てつどう

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きゅう国鉄こくてつから転送てんそう
日本にっぽん国有こくゆう鉄道てつどう
Japanese National Railways
うえ)JNRマーク
した鉄道てつどう国鉄こくてつしゃはた
種類しゅるい 特殊とくしゅ法人ほうじん
略称りゃくしょう 国鉄こくてつ、JNR
本社ほんしゃ所在地しょざいち 日本の旗 日本にっぽん
100
東京とうきょう千代田ちよだまるうちいち丁目ちょうめ6ばん5ごう国鉄こくてつ本社ほんしゃビル
設立せつりつ 1949ねん6月1にち
業種ぎょうしゅ 陸運りくうんぎょう
事業じぎょう内容ないよう 日本にっぽん国有こくゆう鉄道てつどうほう廃止はいし)にもとづく鉄道てつどう事業じぎょうおよびその附帯ふたい事業じぎょう経営けいえい鉄道てつどう事業じぎょう関連かんれんする海上かいじょう運送うんそう事業じぎょう自動車じどうしゃ運送うんそう事業じぎょうおよびその附帯ふたい事業じぎょう経営けいえい鉄道てつどう事業じぎょう用地ようちにおける石油せきゆパイプライン事業じぎょうおよびその附帯ふたい事業じぎょう経営けいえいほか[1]
代表だいひょうしゃ 歴代れきだい国鉄こくてつ総裁そうさい
資本しほんきん 8,375おくえん資本しほんきんとう;昭和しょうわ60)[2]
営業えいぎょう利益りえき ▲20,201おくえん昭和しょうわ60)[2]
経常けいじょう利益りえき ▲18,478おくえん昭和しょうわ60)[2]
純資産じゅんしさん ▲88,011おくえん債務さいむ超過ちょうか; 昭和しょうわ60)[2]
そう資産しさん 119,028おくえん昭和しょうわ60)[2]
決算けっさん 3がつまつ[3]
主要しゅよう株主かぶぬし 日本国にっぽんこく政府せいふ(100%)[4]
特記とっき事項じこう:1987ねん4がつ1にち日本国有鉄道清算事業団にほんこくゆうてつどうせいさんじぎょうだん移行いこう[5]。1998ねん10がつ22にち日本国有鉄道清算事業団にほんこくゆうてつどうせいさんじぎょうだん解散かいさん
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国鉄こくてつ本社ほんしゃ玄関げんかん銘板めいばん現在げんざい鉄道てつどう博物館はくぶつかん所蔵しょぞう

日本にっぽん国有こくゆう鉄道てつどう(にほんこくゆうてつどう、にっぽんこくゆうてつどう[注釈ちゅうしゃく 1]英語えいご: Japanese National Railwaysえい略称りゃくしょう: JNR)は、日本にっぽん国有こくゆう鉄道てつどうほうもとづき日本にっぽん国有こくゆう鉄道てつどう運営うんえいしていた公共こうきょう企業きぎょうたいである。略称りゃくしょう国鉄こくてつ(こくてつ)。

経営けいえい形態けいたい政府せいふが100%出資しゅっしする公社こうしゃ特殊とくしゅ法人ほうじん)であり[6]、いわゆるさん公社こうしゃ現業げんぎょうひとつであった。職員しょくいん公共こうきょう企業きぎょうたい労働ろうどう関係かんけいほう規定きていされる国家こっか公務員こうむいんである[7]

鉄道てつどう開業かいぎょう以来いらい国営こくえい事業じぎょうとして鉄道てつどうしょうなどの政府せいふ官庁かんちょうによって経営けいえいされていた国有こくゆう鉄道てつどう事業じぎょう[注釈ちゅうしゃく 2]を、独立どくりつ採算さいさんせい公共こうきょう事業じぎょうとして承継しょうけいするくに運輸省うんゆしょう)の外郭がいかく団体だんたいとして1949ねん昭和しょうわ24ねん6月1にち発足ほっそくした。

1987ねん昭和しょうわ62ねん4がつ1にち国鉄こくてつ分割ぶんかつ民営みんえいともない、政府せいふ出資しゅっし株式会社かぶしきがいしゃ特殊とくしゅ会社かいしゃ形態けいたいであるJRグループ各社かくしゃおよ関係かんけい法人ほうじん事業じぎょう承継しょうけいし、日本国有鉄道清算事業団にほんこくゆうてつどうせいさんじぎょうだん1998ねん平成へいせい10ねん10月22にち解散かいさん)に移行いこうした[5]

概要がいよう[編集へんしゅう]

1964ねん開業かいぎょうし、国鉄こくてつ象徴しょうちょうとなった新幹線しんかんせん(1987ねん小倉こくらえき

日本にっぽん国有こくゆう鉄道てつどうは、国営こくえい事業じぎょうとして運輸省うんゆしょう鉄道てつどう総局そうきょくくにの「国有こくゆう鉄道てつどう事業じぎょう特別とくべつ会計かいけい」によってっていた国有こくゆう鉄道てつどう事業じぎょうおよびその関連かんれん事業じぎょうぎ、国有こくゆう鉄道てつどう独立どくりつ採算さいさんせい公共こうきょう事業じぎょうとして経営けいえいすることを目的もくてきに1949ねん昭和しょうわ24ねん)6がつ1にち発足ほっそくしたくに公共こうきょう企業きぎょうたいである。

分割ぶんかつ民営みんえい直前ちょくぜんの1987ねん昭和しょうわ62ねん)3がつ31にち時点じてん新幹線しんかんせん在来ざいらいせんあわせてそう延長えんちょう19,639キロメートル鉄道てつどう路線ろせんち、30きょく鉄道てつどう管理かんりきょく総局そうきょく運営うんえいした。このほか鉄道てつどう関連かんれんする船舶せんぱく事業じぎょう航路こうろ延長えんちょう132キロメートル)、自動車じどうしゃ(バス)事業じぎょう路線ろせん延長えんちょう11,739キロメートル)などをおこなっていた。

最高さいこう責任せきにんしゃである「総裁そうさい」は内閣ないかく任命にんめいし、任期にんきは4年間ねんかん次席じせきの「ふく総裁そうさい」は運輸うんゆ大臣だいじん認可にんかけて総裁そうさい任命にんめいし、任期にんきは4年間ねんかん。さらに技術ぎじゅつめん総裁そうさい補佐ほさする「技師ぎしちょう」がかれた。このほかの役員やくいんとして任期にんき3ねん理事りじ(11にん以上いじょう17にん以下いか)をき、このうち国鉄こくてつ在職ざいしょく理事りじを「常務じょうむ理事りじ」とんだ。一般いっぱん企業きぎょう役員やくいんかい相当そうとうする「理事りじかい」で国鉄こくてつ内部ないぶ重要じゅうよう事項じこうめた。

本社ほんしゃ東京とうきょう千代田ちよだまるうちいち丁目ちょうめ国鉄こくてつ本社ほんしゃビルげんまるうちオアゾ)にかれた。旧館きゅうかんきゅう鉄道てつどう省庁しょうちょうしゃで、日本にっぽん国有こくゆう鉄道てつどう分離ぶんり直後ちょくご運輸省うんゆしょう一時いちじ間借まがりしていた。分割ぶんかつ民営みんえい以降いこう国鉄こくてつ本社ほんしゃビルは東日本旅客鉄道ひがしにほんりょかくてつどう株式会社かぶしきがいしゃ(JR東日本ひがしにっぽん本社ほんしゃとして、渋谷しぶや代々木よよぎうつ1997ねんまで使用しようされた。

資本しほんきんやく89おくえん。このうち49おくえん公共こうきょう企業きぎょうたい移行いこう国有こくゆう鉄道てつどう承継しょうけい資産しさん総額そうがくから国有こくゆう鉄道てつどう事業じぎょう特別とくべつ会計かいけい負債ふさいいた残額ざんがくで、40おくえん政府せいふたいにち援助えんじょ見返みかえ資金しきんから出資しゅっししたものだった。公共こうきょう企業きぎょうたい政府せいふから追加ついか出資しゅっしおこなわれなかったため、設備せつび投資とうし日本にっぽん国有こくゆう鉄道てつどう自己じこ資金しきん借入金かりいれきんまかなった。

職員しょくいんすうは1980年代ねんだいまでおおむね40まんにんだい推移すいいしたが、合理ごうりにより大幅おおはば削減さくげんされ、民営みんえい直前ちょくぜん1986ねん昭和しょうわ61ねん)には27まん7000にんにまで減少げんしょうした。このうち20まん1000にんJRグループかくしん会社かいしゃ移行いこうした。

シンボルマーク[編集へんしゅう]

国鉄こくてつあらわすマークとしてはこうしょう時代じだいからの「こうマーク」(1871ねん1月〈明治めいじ3ねん12月[9]制定せいてい)、鉄道てつどういん時代じだいからの「動輪どうりんマーク」(1909ねん制定せいてい)のほか、公募こうぼによって1958ねん制定せいていされた「JNRマーク」があった。このうち「動輪どうりんマーク」は蒸気じょうき機関きかんしゃ動輪どうりんをモチーフにしたもので、鉄道てつどうはたはじ制帽せいぼう帽章ぼうしょう制服せいふく襟章えりしょうとうにもその意匠いしょうもちいられていた。

組織そしき[編集へんしゅう]

運輸うんゆ支配人しはいにん時代じだい日本にっぽん国有こくゆう鉄道てつどう組織そしき(1951ねん9がつ1にち時点じてん

特記とっきある場合ばあいのぞいて1987ねん当時とうじ

本社ほんしゃ[編集へんしゅう]

国鉄こくてつ本社ほんしゃビル東京とうきょうまるうち)。ひだり新館しんかん(1963ねん竣工しゅんこう)、みぎきゅう鉄道てつどう省庁しょうちょうしゃ旧館きゅうかん(1937ねん竣工しゅんこう)で、みぎはし東京とうきょうえき場内じょうない一部いちぶえる

理事りじかい決定けっていもとづいて各地かくち総局そうきょく鉄道てつどう管理かんりきょく総括そうかつてき管理かんりした。本社ほんしゃ部局ぶきょくとして14きょく35しつき、ほかに公安こうあん本部ほんぶ総合そうごう人事じんじ委員いいんかい監査かんさ委員いいんかい事務じむきょくいた。また付属ふぞく機関きかんとして鉄道てつどう技術ぎじゅつ研究所けんきゅうじょげん鉄道てつどう総合そうごう技術ぎじゅつ研究所けんきゅうじょ)、中央ちゅうおう鉄道てつどう学園がくえん在外ざいがい事務所じむしょニューヨークパリ)など9機関きかんいた。

1985ねん3がつ20日はつか組織そしき改正かいせいで、本社ほんしゃ部局ぶきょく新幹線しんかんせん建設けんせつきょく建設けんせつきょくに、工作こうさくきょく車両しゃりょうきょくに、付属ふぞく機関きかん車両しゃりょう設計せっけい事務所じむしょ車両しゃりょうきょく設計せっけい)にそれぞれ統合とうごうされた。

役員やくいん組織そしき 本社ほんしゃ部局ぶきょく 付属ふぞく機関きかん
理事りじかい 総裁そうさいしつ 貨物かもつきょく 鉄道てつどう技術ぎじゅつ研究所けんきゅうじょ
総裁そうさい 経営けいえい計画けいかくしつ 船舶せんぱく管理かんりしつ 鉄道てつどう労働ろうどう科学かがく研究所けんきゅうじょ
ふく総裁そうさい 地方ちほう交通こうつうせん対策たいさくしつ 自動車じどうしゃきょく 中央ちゅうおう鉄道てつどう学園がくえん
技師ぎしちょう 技術ぎじゅつ計画けいかくしつ 運転うんてんきょく 構造こうぞうぶつ設計せっけい事務所じむしょ
常務じょうむ理事りじ 広報こうほう 車両しゃりょうきょく 中央ちゅうおう鉄道てつどう病院びょういん
監査かんさ委員いいんかい 外務がいむ 建設けんせつきょく 中央ちゅうおう保健ほけん管理かんりしょ
情報じょうほうシステム 施設しせつきょく 在外ざいがい事務所じむしょ(ニューヨーク・パリ)
監察かんさつきょく 電気でんききょく 工事こうじ積算せきさんしつ
職員しょくいんきょく 事業じぎょうきょく 中央ちゅうおう情報じょうほうシステム管理かんりセンター
経理けいりきょく 公安こうあん本部ほんぶ
資材しざいきょく 総合そうごう人事じんじ委員いいんかい
共済きょうさい事務じむきょく 監査かんさ委員いいんかい事務じむきょく
旅客りょかくきょく

地方ちほう機関きかん[編集へんしゅう]

鉄道てつどう管理かんりきょくおよび総局そうきょくもうけられ、地域ちいきブロックの業務ぎょうむ管理かんりし、本社ほんしゃ指示しじ現業げんぎょう機関きかんつたえるとともに、輸送ゆそう関係かんけい業務ぎょうむ一部いちぶおこなった。 地方ちほう単位たんい鉄道てつどう管理かんりきょく総括そうかつてき管轄かんかつする総局そうきょく北海道ほっかいどう九州きゅうしゅう四国しこく新幹線しんかんせん)は、きゅう支社ししゃ制度せいど1957ねん1がつ16にち-1970ねん8がつ14にち)をいで、鉄道てつどう管理かんりきょくあいだにまたがる業務ぎょうむ管理かんりした。

1985ねん3がつ20日はつか組織そしき改正かいせいで、駐在ちゅうざい理事りじしつ仙台せんだい名古屋なごや大阪おおさか)は廃止はいし輸送ゆそう計画けいかくしつ東北とうほく中部ちゅうぶ関西かんさい)は仙台せんだい名古屋なごや大阪おおさかかく鉄道てつどう管理かんり局内きょくない企画きかく調整ちょうせいしつ輸送ゆそう計画けいかくしつ新設しんせつして統合とうごうした。ほかに首都しゅとけん本部ほんぶ東北とうほく上越新幹線じょうえつしんかんせん総合そうごう指令しれい本部ほんぶかれた。

鉄道てつどう管理かんりきょく地方ちほう部局ぶきょく工場こうじょうなどは総局そうきょく輸送ゆそう計画けいかくしつなどのしたかれ、えき車両しゃりょう基地きちなどの現業げんぎょう機関きかん管理かんりした。

現業げんぎょう機関きかん[編集へんしゅう]

地方ちほう機関きかんである鉄道てつどう管理かんりきょくおよび総局そうきょくした実際じっさい輸送ゆそう業務ぎょうむ従事じゅうじする機関きかんで、ぜん国鉄こくてつ職員しょくいんのおよそ85%が所属しょぞくした。分割ぶんかつ民営みんえい時点じてん以下いかの47の現業げんぎょう機関きかんもうけられ、全国ぜんこく30総局そうきょく鉄道てつどう管理かんりきょくわせてやく6300機関きかん存在そんざいした(1986ねん12月時点じてん)。それぞれ駅長えきちょう区長くちょう室長しつちょうなどをトップとし、そのした中間ちゅうかん管理かんりしょく首席しゅせき助役じょやく助役じょやく職種しょくしゅごとの責任せきにんしゃとして主任しゅにん職場しょくばちょういた。

  • えき
  • 営業えいぎょうしょ
  • 操車そうしゃじょう
  • 信号しんごうじょう
  • 車掌しゃしょう
  • 車掌しゃしょうしょ
  • 連絡れんらくせん
  • 船舶せんぱく管理かんりしょ
  • 船舶せんぱく施設しせつ
  • 桟橋さんばし
  • 船員せんいん
  • 機関きかん
  • 電車でんしゃ
  • 気動車きどうしゃ
  • 客車きゃくしゃ
  • きゃく貨車かしゃ
  • 貨車かしゃ
  • 運転うんてんしょ
  • 運転うんてん
  • 保線ほせん
  • 保線ほせんしょ
  • 機械きかい軌道きどう
  • 営林えいりん
  • レールセンター
  • 建築けんちく
  • 機械きかい
  • 機械きかいしょ
  • 電力でんりょく
  • 変電へんでん
  • 信号しんごう通信つうしん
  • 通信つうしん
  • 信号しんごう
  • 電気でんき
  • 電気でんきしょ
  • 電気でんき工事こうじ
  • ヤックス管理かんり
  • 鉄道てつどう公安こうあんしつ
  • 工事こうじ
  • 構造こうぞうぶつ検査けんさセンター
  • 乗車じょうしゃけん管理かんりセンター
  • 車両しゃりょうしょ
  • CTCセンター
  • 管財かんざい
  • 資材しざいセンター
  • 経理けいり資材しざいしょ
  • 要員よういん機動きどうセンター
  • 自動車じどうしゃ営業えいぎょうしょ

予算よさん[編集へんしゅう]

国鉄こくてつ予算よさんあん運輸うんゆ大臣だいじん提出ていしゅつされ、大蔵省おおくらしょうとの大臣だいじん折衝せっしょう閣議かくぎ決定けってい政府せいふ関係かんけい機関きかん予算よさんひとつとして国会こっかい提出ていしゅつされた。また自己じこ資金しきん借入金かりいれきん鉄道てつどう債券さいけん発行はっこう調達ちょうたつする「資金しきん計画けいかく」を4半期はんきごとにさだめ、4半期はんき開始かいし20日はつかまえまでに運輸うんゆ大臣だいじん大蔵おおくら大臣だいじん会計検査院かいけいけんさいん提出ていしゅつすることが義務付ぎむづけられていた。

収入しゅうにゅう支出ししゅつ予算よさん損益そんえき勘定かんじょう資本しほん勘定かんじょう工事こうじ勘定かんじょう特定とくてい債務さいむ整理せいり特別とくべつ勘定かんじょうの4勘定かんじょうもうけられた。

  • 損益そんえき勘定かんじょうにおける収入しゅうにゅうは、運輸うんゆ収入しゅうにゅう雑収入ざっしゅうにゅうと、くに一般いっぱん会計かいけいからの助成じょせいきん受入うけいれ収入しゅうにゅう不足ふそく補填ほてんする資本しほん勘定かんじょうからの受入うけいれてられた。助成じょせいきん受入うけいれは1960年代ねんだいまで損益そんえき勘定かんじょう収入しゅうにゅうの0.1%程度ていど推移すいいしていたが、財政ざいせい状況じょうきょう悪化あっかで1970年代ねんだい以降いこう増加ぞうかした。また資本しほん勘定かんじょうからの受入うけいれ損益そんえき勘定かんじょう収入しゅうにゅう不足ふそく拡大かくだいともなって1971ねんからはじまったもので、1970年度ねんどまでは損益そんえき勘定かんじょうから資本しほん勘定かんじょうへの支出ししゅつおこなっていた。日本にっぽん国有こくゆう鉄道てつどう再建さいけんほう成立せいりつ直前ちょくぜんの1978年度ねんど予算よさんでは、助成じょせいきん受入うけいれ工事こうじ補助ほじょきん地方ちほう交通こうつうせん特別とくべつ交付こうふきんなど)が7%、資本しほん勘定かんじょうからの受入うけいれが15%にたっし、損益そんえき勘定かんじょう収入しゅうにゅうの4ぶんの1ちかくが助成じょせいきん借入金かりいれきんめられた。
  • 資本しほん勘定かんじょう収入しゅうにゅう資産しさん充当じゅうとう鉄道てつどう債券さいけんおよ借入金かりいれきんくにからの貸付かしつけきんおよ補助ほじょきんてられた。このうち鉄道てつどう債券さいけんおよ借入金かりいれきんは、1960年代ねんだいまで資本しほん勘定かんじょう収入しゅうにゅうの50%前後ぜんごだったが、損益そんえき勘定かんじょう収入しゅうにゅう不足ふそく補填ほてんのために資本しほん勘定かんじょうから繰出くりだし支出ししゅつおこなうようになったことから、借入金かりいれきん中心ちゅうしん急速きゅうそく増加ぞうか。1978年度ねんど予算よさんでは資本しほん勘定かんじょう収入しゅうにゅうの95%をめた。
  • 工事こうじ勘定かんじょう鉄道てつどう施設しせつ整備せいび工事こうじ新幹線しんかんせん建設けんせつなどを支出ししゅつするもので、全額ぜんがく資本しほん勘定かんじょうからの受入うけいれでまかなった。
  • 特定とくてい債務さいむ整理せいり特別とくべつ勘定かんじょうは1976ねん新設しんせつされたもので、くにから償還しょうかん費用ひよう利子りしけと利子りし補給ほきゅうけるかたち棚上たなあげした長期ちょうき債務さいむ一部いちぶ特定とくてい債務さいむ)をあつかった。

歴史れきし[編集へんしゅう]

発足ほっそく経緯けいい[編集へんしゅう]

三鷹みたか事件じけん(1949ねん)。だい規模きぼ人員じんいん整理せいりおこなわれるなか発生はっせいした「さんだい事件じけん」のひと

だい世界せかい大戦たいせん政府せいふが「国有こくゆう鉄道てつどう事業じぎょう特別とくべつ会計かいけい」によって運営うんえいしていた日本にっぽん国有こくゆう鉄道てつどうは、インフレーションくわえ、復員ふくいんへい海外かいがい引揚しゃ雇用こようざらとなったため、運営うんえい所管しょかんしていた運輸省うんゆしょうの1948年度ねんど国有こくゆう鉄道てつどう事業じぎょう特別とくべつ会計かいけいは300おくえん赤字あかじとなり、財政ざいせい極度きょくど悪化あっかした。労働ろうどう争議そうぎ頻発ひんぱつする社会しゃかい情勢じょうせいなか連合れんごう国軍こくぐん最高さいこう司令しれいかんそう司令しれい(GHQ)のそう司令しれいかんであったダグラス・マッカーサーは、国家こっか公務員こうむいん争議そうぎ禁止きんしする一方いっぽう国家こっか権力けんりょく行使こうしとは関係かんけいないくに専売せんばい事業じぎょう国有こくゆう鉄道てつどうなどの国営こくえい事業じぎょうおこな職員しょくいん公務員こうむいんし、公務員こうむいんより緩和かんわした一定いってい労働ろうどうけんゆるすことで効率こうりつてき事業じぎょう経営けいえい目指めざす、独立どくりつ採算さいさんせい公共こうきょう企業きぎょうたい (Public Corporation) 設置せっち勧告かんこくする書簡しょかんした。

政府せいふ国有こくゆう鉄道てつどう事業じぎょう承継しょうけいする政府せいふ出資しゅっししん法人ほうじん日本にっぽん国有こくゆう鉄道てつどう」の設立せつりつさだめた「日本にっぽん国有こくゆう鉄道てつどうほう」は、1948ねん11月30にち国会こっかい通過つうかした。日本にっぽん国有こくゆう鉄道てつどう1949ねん4がつ1にち発足ほっそくする予定よていだったが、運輸省うんゆしょう鉄道てつどう総局そうきょくがわ準備じゅんびおくれ、1949ねん6がつ1にちにずれんだ。一般いっぱんてきには国鉄こくてつ発足ほっそくは、行政ぎょうせい官庁かんちょう運営うんえい国営こくえい事業じぎょうからくに出資しゅっし企業きぎょう運営うんえいする公共こうきょう事業じぎょう移行いこうしただけにぎず、ほとんど注目ちゅうもくされなかった。

国鉄こくてつ発足ほっそく直後ちょくごの7がつ1にち定員ていいんほうもとづき職員しょくいん30700にんたいだいいち人員じんいん整理せいり通告つうこく。さらに7がつ12にちにもだい人員じんいん整理せいり通告つうこくおこない、合計ごうけい9まん5000にん人員じんいん整理せいり対象たいしょうとなった[10]。それががねになったとされた国鉄こくてつさんだいミステリー事件じけん下山げざん事件じけん松川まつかわ事件じけん三鷹みたか事件じけん)が発生はっせいするなど、労務ろうむ政策せいさくめんではおおきな混乱こんらんられた。また経営けいえいめんでは、戦時せんじ設計せっけい粗悪そあく車両しゃりょう地上ちじょう施設しせつ原因げんいんとなった「桜木町さくらぎちょう事故じこ」などの重大じゅうだい事故じこ発生はっせいしたが、一方いっぽう特別とくべつ急行きゅうこう急行きゅうこう復活ふっかつなど輸送ゆそうりょく回復かいふく強力きょうりょく推進すいしんした。戦時せんじ体制たいせいのまま承継しょうけいした地方ちほう機関きかんの「鉄道てつどうきょく」「管理かんり」も再編さいへんし、鉄道てつどうきょく地方ちほう支配人しはいにんに、管理かんり鉄道てつどう管理かんりきょくにそれぞれ改組かいそした。

また、1950ねん11月14にちから15にちにかけて、連合れんごう国軍こくぐん最高さいこう司令しれいかんそう司令しれい指令しれいもとづくレッドパージ通告つうこく職員しょくいん461にんたいしておこなわれた[11]

だい15カ年かねん計画けいかく - だい25カ年かねん計画けいかく[編集へんしゅう]

公募こうぼまった「JNRマーク」と「特急とっきゅうマーク」をけた特急とっきゅう電車でんしゃ481けい電車でんしゃ

戦前せんぜん輸送ゆそう水準すいじゅん回復かいふくした国鉄こくてつは、1957ねん昭和しょうわ32ねん)からスタートさせた「だい15カ年かねん計画けいかく」にもとづき、全国ぜんこく老朽ろうきゅう施設しせつ更新こうしん輸送ゆそうりょく増強ぞうきょう動力どうりょく近代きんだい推進すいしんした。1958ねん昭和しょうわ33ねん)にははつ電車でんしゃ特急とっきゅうとなる「こだまごう」(151けい電車でんしゃ)を登場とうじょうさせ、先頭せんとうには民間みんかんからの公募こうぼめた「JNRマーク」と「特急とっきゅうマーク」をけた。

1961ねん昭和しょうわ36ねん)には、「だい25カ年かねん計画けいかく」がスタートし投資とうし規模きぼせんおくえんげられた[12]。さらに東海道本線とうかいどうほんせん輸送ゆそうりょく増強ぞうきょうさくとして1959ねん昭和しょうわ34ねん)に着工ちゃっこうした東海道新幹線とうかいどうしんかんせん東京とうきょうオリンピックまえ1964ねん昭和しょうわ39ねん)に開業かいぎょうし、国鉄こくてつ象徴しょうちょうとなった。

一方いっぽう、この時期じきから高速こうそく道路どうろ航空機こうくうきとの競合きょうごうはげしさをした[13]国鉄こくてつ総裁そうさい諮問しもん機関きかんである日本にっぽん国有こくゆう鉄道てつどう諮問しもん委員いいんかいは1960ねん昭和しょうわ35ねん)、「国鉄こくてつ経営けいえい改善かいぜん方法ほうほうかんする意見いけんしょ」を提出ていしゅつして、ローカルしんせん建設けんせつなどくに政策せいさくによる過大かだい負担ふたん[注釈ちゅうしゃく 3]終戦しゅうせん直後ちょくご過剰かじょう雇用こようによる人件じんけん負担ふたん増大ぞうだい[14]通勤つうきん通学つうがく定期ていき新聞しんぶん雑誌ざっし農林のうりん水産物すいさんぶつへの異常いじょう割引わりびき[注釈ちゅうしゃく 4]が、国鉄こくてつ経営けいえい深刻しんこく影響えいきょうあたえると警告けいこくした。

以上いじょう次第しだい、これをつづめてえば、昭和しょうわ45ねんには、

  • 年収ねんしゅう8189おくえんのマンモス企業きぎょう
  • 借入金かりいれきん利息りそく1601おくえん支払しはらったあとでは、わずか72おくえんのカネしかのこらない
  • ところが一方いっぽう年間ねんかん3300おくえん新規しんき投資とうしをしなければ「輸送ゆそう需要じゅよう」にけない。
  • したがって毎年まいとし膨大ぼうだい借入金かりいれきんをしなければならないが、そのがく昭和しょうわ45ねんごろともなれば、1ねんで5800おくえんえる。
  • 当然とうぜん結果けっかとしてそのころ借入金かりいれきん残高ざんだかは2ちょう4せんおくえんという大額おおがくのぼる。

というのが、上記じょうき試算しさんしめされた「国鉄こくてつのこれからの姿すがた」なのである。... それは「完全かんぜん破綻はたん以外いがいなにものでもないのである。

国鉄こくてつ経営けいえいかたについての答申とうしんしょ(1960ねん[15]

しかし政府せいふ新設しんせつ日本鉄道建設公団にほんてつどうけんせつこうだんしんせん建設けんせつ強行きょうこうし、なん対策たいさくらなかった結果けっか国鉄こくてつは1964(昭和しょうわ39)年度ねんどたん年度ねんど収支しゅうしで▲300おくえん赤字あかじとなった[16]当初とうしょ利益りえきでカバーしたが、1966昭和しょうわ41)年度ねんど決算けっさん完全かんぜん資本しほん欠損けっそん転落てんらく(▲536おくえん[16]、それ以降いこういち黒字くろじ計上けいじょうすることはなかった[16]。ただしたん年度ねんど収支しゅうしでは旅客りょかく部門ぶもんのみ1984ねん以降いこう黒字くろじになった。

また総評そうひょうけい国鉄こくてつ労働ろうどう組合くみあい国労こくろう)と国鉄こくてつ動力どうりょくしゃ労働ろうどう組合くみあい動労どうろう)、同盟どうめいけい鉄道てつどう労働ろうどう組合くみあいてつろう)のかくだい規模きぼ労組ろうそが、国内こくない労働ろうどう運動うんどう政治せいじ一定いってい影響えいきょうりょくあたつづけた。

だい3長期ちょうき計画けいかく - 再建さいけん計画けいかく[編集へんしゅう]

通勤つうきん方面ほうめん作戦さくせん」で輸送ゆそうりょく増強ぞうきょうすすめられた首都しゅとけん路線ろせん(「SM分離ぶんり」で東海道本線とうかいどうほんせんから分離ぶんりされた横須賀よこすかせん

だい25カ年かねん計画けいかく」は国鉄こくてつ近代きんだいおおきく貢献こうけんしたものの、資金しきん不足ふそくで1964ねん昭和しょうわ39ねん)にられ、あらたに多額たがくれによって輸送ゆそう改善かいぜん推進すいしんする「だい3長期ちょうき計画けいかく」に移行いこうぞくに「ヨンサントオ」とばれる1968ねん昭和しょうわ43ねん)10がつのダイヤ改正かいせいでは、しん性能せいのう電車でんしゃなどの大量たいりょう投入とうにゅう実現じつげんした。また高度こうど経済けいざい成長せいちょうわせて急速きゅうそく増大ぞうだいした首都しゅとけん通勤つうきん輸送ゆそう対応たいおうするため、「通勤つうきん方面ほうめん作戦さくせん」としょうする輸送ゆそうりょく増強ぞうきょう計画けいかくすすめられた。

しかし国鉄こくてつ財政ざいせい一層いっそう悪化あっかけてだい3長期ちょうき計画けいかく同年どうねんられ、職員しょくいん削減さくげん省力しょうりょくなどの合理ごうり本格ほんかくてきはじまった。国鉄こくてつ諮問しもん委員いいんかいは1968ねん昭和しょうわ43ねん)9がつ経営けいえい体質たいしつ改善かいぜん急務きゅうむとして地方ちほう83線区せんく赤字あかじ83せん)を廃止はいしすべきとの意見いけんしょ提出ていしゅつし、国鉄こくてつ赤字あかじカル線かるせん整理せいりした。また同年どうねん11がつには運輸うんゆ大臣だいじん諮問しもん機関きかんである国鉄こくてつ財政ざいせい再建さいけん推進すいしん会議かいぎも、経営けいえい合理ごうり近代きんだいてき輸送ゆそう方式ほうしき整備せいび促進そくしん市町村しちょうそん納付のうふきん大幅おおはば削減さくげんなどの具体ぐたいさくんだ意見いけんしょ提出ていしゅつした。

政府せいふ1969ねん昭和しょうわ44ねん)、日本にっぽん国有こくゆう鉄道てつどう財政ざいせい再建さいけん特別とくべつ措置そちほう成立せいりつさせ、10ねん黒字くろじ転換てんかんかかげる「財政ざいせい再建さいけん10カ年かねん計画けいかく」がスタートしたが、「日本にっぽん列島れっとう改造かいぞう」をかかげるだい1田中たなか角栄かくえい内閣ないかく発足ほっそくすると、赤字あかじ83せん整理せいり計画けいかくはわずか4ねんられた。さらに田中たなか内閣ないかく日本鉄道建設公団にほんてつどうけんせつこうだんによるローカルしんせん建設けんせつ継続けいぞく貨物かもつ輸送ゆそうみと人件じんけん増大ぞうだいなどもかさなり、10カ年かねん計画けいかく再三さいさんまって見直みなおしを余儀よぎなくされた。

この時期じき国鉄こくてつ労使ろうし関係かんけい合理ごうり強化きょうか政治せいじ要素ようそからんで極度きょくど悪化あっかした。国鉄こくてつ当局とうきょくすすめた生産せいさんせい向上こうじょう運動うんどうマルせい運動うんどう)にともなって発生はっせいした労働ろうどう組合くみあいたいする不当ふとう労働ろうどう行為こうい問題もんだいは、1980年代ねんだいにかけて現場げんば混乱こんらん規律きりつ低下ていかまねいた。ストライキ頻発ひんぱつし、ダイヤ改正かいせい延期えんきされたり、乗客じょうきゃくによる暴動ぼうどう上尾あげお事件じけん首都しゅとけん国電こくでん暴動ぼうどう)に発展はってんした事件じけんもあった。1975ねん昭和しょうわ50ねん)に国労こくろう動労どうろうおこなっただい規模きぼな「ストけん奪還だっかんストライキ」は、モータリゼーション発展はってん国鉄こくてつのシェア低下ていかすすんでいたことくわえ、すでに発達はったつしていた国鉄こくてつ以外いがい公共こうきょう交通こうつう機関きかん貨物かもつ輸送ゆそう十分じゅうぶん機能きのうしたため、日本にっぽん全体ぜんたい悪影響あくえいきょうおよぼすことなく収束しゅうそく労働ろうどう組合くみあいがわ弱体じゃくたいまね結果けっかとなった。

臨調りんちょう答申とうしん民営みんえい[編集へんしゅう]

末期まっきには国鉄こくてつ再建さいけんほうもとづく特定とくてい地方ちほう交通こうつうせん廃止はいし相次あいついだ(赤谷線あかたにせん

1978ねん昭和しょうわ53ねん)、運賃うんちん法定ほうていせい緩和かんわ国会こっかい審議しんぎずに運賃うんちん改定かいてい可能かのうになると、大蔵省おおくらしょう圧力あつりょく運賃うんちん毎年まいとし値上ねあげせざるをなくなり、利用りようきゃくげん拍車はくしゃがかかった。1980ねん昭和しょうわ55ねん11月には、5年間ねんかん経営けいえい基盤きばん確立かくりつするなどとした日本にっぽん国有こくゆう鉄道てつどう経営けいえい再建さいけん促進そくしん特別とくべつ措置そちほう日本にっぽん国有こくゆう鉄道てつどう再建さいけんほう)が成立せいりつした。再建さいけんほうには日本鉄道建設公団にほんてつどうけんせつこうだんによる地方ちほう路線ろせん建設けんせつ凍結とうけつ輸送ゆそう密度みつどおうじた幹線かんせん地方ちほう交通こうつうせん区分くぶんとそれにもとづく複数ふくすう運賃うんちん制度せいど導入どうにゅう[注釈ちゅうしゃく 5]輸送ゆそう密度みつどひく特定とくてい地方ちほう交通こうつうせん国鉄こくてつからの経営けいえい分離ぶんりまれた。

しかし1981ねん昭和しょうわ56ねん)から1982ねん昭和しょうわ57ねん)にかけて、政府せいふだい臨時りんじ行政ぎょうせい調査ちょうさかい臨調りんちょう)ですす国鉄こくてつ問題もんだい審議しんぎ歩調ほちょうわせ、かねてから国民こくみんからおおきな反発はんぱつけていたストライキの連発れんぱつかさねて、ヤミ手当てあてやヤミ超勤ちょうきん職場しょくばでの飲酒いんしゅ行為こういなど現場げんばあく慣行かんこう次々つぎつぎマスメディアにスクープされ、国鉄こくてつ全体ぜんたい世論せろんから集中しゅうちゅう砲火ほうかびた。

臨調りんちょう1982ねん昭和しょうわ57ねん7がつ基本きほん答申とうしんで、5ねん以内いない本州ほんしゅう4ブロック程度ていど北海道ほっかいどう四国しこく九州きゅうしゅう国鉄こくてつ分割ぶんかつして民間みんかん会社かいしゃ移行いこうすべきとの方針ほうしんしめした。政府せいふは「国鉄こくてつ緊急きんきゅう事態じたい宣言せんげん」をして新規しんき採用さいよう原則げんそく停止ていし職員しょくいんすう削減さくげんなどを推進すいしん1983ねん昭和しょうわ58ねん)には国鉄こくてつ再建さいけん監理かんり委員いいんかい発足ほっそくして民営みんえいけた作業さぎょうはじまった。国鉄こくてつがわ1985ねん昭和しょうわ60ねん1がつ10日とおか、「分割ぶんかつ民営みんえい」をんだ独自どくじ再建さいけんあん監理かんり委員いいんかい提出ていしゅつしたが支持しじられず、仁杉にすぎいわお総裁そうさい解任かいにんされた。

後任こうにん杉浦すぎうらたかし総裁そうさいは、常務じょうむ理事りじ幹部かんぶ大幅おおはばえて6分割ぶんかつ民営みんえい基本きほんとする答申とうしん提出ていしゅつし、各地かくちに「地区ちく経営けいえい改革かいかく実施じっし準備じゅんびしつ」を設置せっちして民営みんえいけた作業さぎょう開始かいしした。1986ねん昭和しょうわ61ねん)には国労こくろうとともに分割ぶんかつ民営みんえい反対はんたいしていた動労どうろうが、同年どうねん衆参しゅうさん同時どうじ選挙せんきょ自民党じみんとう圧勝あっしょうし、分割ぶんかつ民営みんえい事実じじつじょう確定かくていしたことから「協力きょうりょくして組合くみあいいん雇用こようまもる」と容認ようにん転換てんかん。1986ねん昭和しょうわ61ねん)11月に国鉄こくてつ分割ぶんかつ民営みんえい関連かんれん法案ほうあん成立せいりつし、1987ねん昭和しょうわ62ねん)4がつ1にちJRグループ発足ほっそく(→国鉄こくてつ分割ぶんかつ民営みんえい)した。

国鉄こくてつ経営けいえいじょうきょうは、たん年度ねんど営業えいぎょう収支しゅうしでは旅客りょかく部門ぶもんかぎって1984(昭和しょうわ59)年度ねんど黒字くろじした。そして、国鉄こくてつ最終さいしゅう年度ねんどである1986(昭和しょうわ61)年度ねんど旅客りょかく部門ぶもんたん年度ねんど営業えいぎょう収支しゅうしは3,663おくえん営業えいぎょう利益りえき計上けいじょうしたが、貨物かもつ部門ぶもん依然いぜんとして大幅おおはば赤字あかじ計上けいじょうしていた。また、累積るいせき債務さいむは37ちょうえんえ、長期ちょうき債務さいむ支払しはら利子りしだけでとし1ちょうえんえるなど、営業えいぎょうがい費用ひよう営業えいぎょう利益りえき上回うわまわって増大ぞうだいする状況じょうきょうつづいた[17]。これについてはくに抜本ばっぽんてき対策たいさくこうじないまま、長期ちょうき債務さいむだい部分ぶぶん日本国有鉄道清算事業団にほんこくゆうてつどうせいさんじぎょうだん国鉄こくてつ清算せいさん事業じぎょうだん)にはなかたち問題もんだい解決かいけつを「先送さきおくり」にした結果けっか、のちの債務さいむ償還しょうかん計画けいかく破綻はたんにつながった。

国鉄こくてつしん会社かいしゃ移行いこう作業さぎょう[編集へんしゅう]

1986ねん昭和しょうわ61ねん11月28にち参議院さんぎいんほん会議かいぎで、日本にっぽん国有こくゆう鉄道てつどう改革かいかくほうなど国鉄こくてつ分割ぶんかつ民営みんえい関連かんれん8法案ほうあん自民党じみんとうなどの賛成さんせい多数たすう成立せいりつした。これを国鉄こくてつ12月3にちづけで、本社ほんしゃない採用さいよう職員しょくいんしん会社かいしゃ経営けいえい組織そしき体制たいせい決定けっていする以下いかの「設立せつりつ準備じゅんびしつ」および「移行いこう準備じゅんびしつ」を設置せっち(かっこない室長しつちょう役職やくしょくめい国鉄こくてつしん法人ほうじんじゅん)。これらの準備じゅんびしつ事実じじつ上新かみしん会社かいしゃ母体ぼたいとなった。またかく準備じゅんびしつ統括とうかつする国鉄こくてつ本社ほんしゃしん会社かいしゃ設立せつりつ委員いいんかい設立せつりつ委員いいんちょう斎藤さいとう英四郎えいしろう経団連けいだんれん会長かいちょう)がもうけられ、12月11にちはつ会合かいごう開催かいさいされた。

  • 北海道ほっかいどう旅客りょかく会社かいしゃ設立せつりつ準備じゅんびしつ大森おおもり義弘よしひろ北海道ほっかいどう総局そうきょくちょう→JR北海道ほっかいどう社長しゃちょう
  • 東日本ひがしにっぽん旅客りょかく会社かいしゃ設立せつりつ準備じゅんびしつ山之内やまのうち秀一郎しゅういちろう常務じょうむ理事りじ→JR東日本ひがしにっぽんふく社長しゃちょう
  • 東海とうかい旅客りょかく会社かいしゃ設立せつりつ準備じゅんびしつ川口かわぐちじゅんけい常務じょうむ理事りじ→JR東海とうかい常務じょうむ
  • 西日本にしにほん旅客りょかく会社かいしゃ設立せつりつ準備じゅんびしつ山田やまだ常務じょうむ理事りじ→JR西日本にしにほん常務じょうむ
  • 四国しこく旅客りょかく会社かいしゃ設立せつりつ準備じゅんびしつ伊東いとうひろしあつし常務じょうむ理事りじ→JR四国しこく社長しゃちょう
  • 九州きゅうしゅう旅客りょかく会社かいしゃ設立せつりつ準備じゅんびしつ石井いしい幸孝ゆきたか九州きゅうしゅう総局そうきょくちょう→JR九州きゅうしゅう社長しゃちょう
  • 日本にっぽん貨物かもつ会社かいしゃ設立せつりつ準備じゅんびしつ岡田おかだ昌久まさひさ常務じょうむ理事りじ→JR貨物かもつ常務じょうむ
  • 新幹線しんかんせん保有ほゆう機構きこう設立せつりつ準備じゅんびしつ前田まえだ喜代治きよじ常務じょうむ理事りじ国鉄こくてつ清算せいさん事業じぎょうだんふく理事りじちょう
  • 日本国有鉄道清算事業団にほんこくゆうてつどうせいさんじぎょうだん移行いこう準備じゅんびしつ同上どうじょう

12月9にちには分割ぶんかつ民営みんえいしん会社かいしゃだい1ごうとなる鉄道てつどう通信つうしん株式会社かぶしきがいしゃ鉄道てつどう情報じょうほうシステム株式会社かぶしきがいしゃ創立そうりつ総会そうかい国鉄こくてつ本社ほんしゃ開催かいさいされた。12月15にちには旅客りょかく列車れっしゃ業務ぎょうむ本社ほんしゃかく指令しれい廃止はいしし、北海道ほっかいどう総局そうきょく首都しゅとけん本部ほんぶ名古屋なごや鉄道てつどう管理かんりきょく大阪おおさか鉄道てつどう管理かんりきょく四国しこく総局そうきょく九州きゅうしゅう総局そうきょくの6きょくにそれぞれ「本社ほんしゃ指令しれい」を設置せっち全国ぜんこくいちげん指令しれい体制たいせい消滅しょうめつした[18]。また国鉄こくてつ本社ほんしゃは、政府せいふ自民党じみんとうしめしたガイドラインにもとづき、しん法人ほうじんぐすべての事業じぎょう資産しさん債務さいむりをさだめる「承継しょうけい実施じっし計画けいかく」の作成さくせい開始かいしした。

しん会社かいしゃ設立せつりつ委員いいんかいは21まん5,000にん採用さいようする基本きほん計画けいかくをまとめ、12月24にちから「配属はいぞくさき希望きぼう調査ちょうさひょう」を職員しょくいん配布はいふ1987ねん昭和しょうわ62ねん1がつ7にち期限きげんまでに22まん7600にん提出ていしゅつした。しん会社かいしゃへの就職しゅうしょく希望きぼうしゃは21まん9130にんで、1がつ18にちまでに公安こうあん部門ぶもん転出てんしゅつしゃふくむ3まん1476にん退職たいしょく希望きぼうあきらかにした。2がつ2にちにはてつろう動労どうろうなど労使ろうし協調きょうちょう路線ろせん組合くみあい構成こうせいする全日本ぜんにほん鉄道てつどう労働ろうどう組合くみあいそう連合れんごうかい鉄道てつどう労連ろうれん)が発足ほっそくした。設立せつりつ委員いいんかいは20まん4126にん採用さいよう内定ないていし、2がつ16にちから採用さいよう通知つうちしょ交付こうふ開始かいしした。通知つうち辞退じたいしゃおおく、清算せいさん事業じぎょうだんのぞいた11法人ほうじんがすべて定員ていいんれとなったが、欠員けついん補充ほじゅう採用さいよう民営みんえい各社かくしゃおこなうこととされた。

しん会社かいしゃ移行いこうけた職員しょくいんだい規模きぼ異動いどう2がつ14にちづけ管理かんりしょく異動いどうからはじまった。14にちづけ異動いどう対象たいしょう本社ほんしゃおよび総局そうきょく鉄道てつどう管理かんりきょく幹部かんぶ職員しょくいん現場げんば管理かんりしょくわせて8,400にん(うち3,200にん退職たいしょく)で、国鉄こくてつ本社ほんしゃからは幹部かんぶ職員しょくいんやく3わり管理かんりきょくなどに転出てんしゅつした。2がつ17にちには橋本はしもと龍太郎りゅうたろう運輸うんゆ大臣だいじんしん会社かいしゃ首脳しゅのう人事じんじ発表はっぴょうぜん役員やくいん人事じんじ3月17にち発表はっぴょう)。しん会社かいしゃ経営けいえいじんには財界ざいかいひと運輸省うんゆしょうもと幹部かんぶらがくわわったが、7しゃぜん役員やくいんやく6わりにあたる62にん常務じょうむ理事りじ本社ほんしゃ局長きょくちょうなど、横滑よこすべりした国鉄こくてつ幹部かんぶめた。

職員しょくいんだい規模きぼ異動いどう終盤しゅうばんむかえ、民営みんえいを1カ月かげつひかえた3月1にちから、全国ぜんこく現業げんぎょう機関きかんかく設立せつりつ準備じゅんびしつ決定けっていしたしん会社かいしゃ運営うんえい体制たいせいわせた業務ぎょうむ体制たいせい移行いこうした。同時どうじしん会社かいしゃ営業えいぎょうエリアにわせて全国ぜんこく14路線ろせん管理かんりきょくかい変更へんこうおこなわれた。作成さくせい作業さぎょうすすめられていた承継しょうけい実施じっし計画けいかく3月4にち国鉄こくてつ本社ほんしゃから運輸省うんゆしょう提出ていしゅつされ、かく法人ほうじん承継しょうけいする路線ろせんおよび車両しゃりょう施設しせつ債務さいむがくなどが確定かくていした。3月16にちには一般いっぱん職員しょくいんたいし、しん会社かいしゃ所属しょぞく部署ぶしょ職名しょくめい通知つうちしょ交付こうふされた。3月23にちから3月25にちにかけてしん会社かいしゃ各社かくしゃ創立そうりつ総会そうかい相次あいついで開催かいさいされ、4がつ1にち午前ごぜん0からかくしん会社かいしゃによる運営うんえい移行いこうした。

営業えいぎょう成績せいせき[編集へんしゅう]

経営けいえい成績せいせき推移すいい単位たんいおくえん[16][19][2][20]
年度ねんど
(昭和しょうわ)
営業えいぎょう収入しゅうにゅう うち
旅客りょかく収入しゅうにゅう
うち
貨物かもつ収入しゅうにゅう
営業えいぎょう経費けいひ 本年度ほんねんどじゅん損益そんえき 累計るいけい積立つみたてきん/
累計るいけい欠損けっそんきん
累計るいけい長期ちょうき負債ふさい
24 1,117 685 411 1,175 ▲ 23 0 716
25 1,432 739 664 1,415 50 50 716
26 1,839 916 868 1,866 ▲ 3 21 886
27 2,182 1,098 1,026 2,203 ▲ 17 6 1,045
28 2,521 1,264 1,192 2,518 4 11 1,270
29 2,527 1,321 1,147 2,563 ▲ 35 ▲ 19 1,466
30 2,630 1,355 1,201 2,814 ▲ 183 ▲ 198 1,696
31 2,879 1,482 1,320 3,041 ▲ 153 ▲ 357 1,979
32 3,339 1,733 1,521 3,186 226 ▲ 131 2,162
33 3,358 1,834 1,427 3,347 102 ▲ 29 2,540
34 3,678 1,917 1,523 3,650 34 6 3,053
35 4,075 2,164 1,641 3,993 54 60 3,620
36 5,054 1,618 2,016 4,588 464 525 4,230
37 5,291 1,989 1,960 4,775 497 1,022 5,407
38 5,687 3,384 2,115 5,144 574 1,595 6,890
39 6,002 3,697 2,090 6,326 ▲300 1,295 8,313
40 6,341 4,121 1,982 7,571 ▲1,230 65 11,102
41 7,939 5,484 2,200 8,547 ▲601 ▲536 13,689
42 8,561 5,916 2,361 9,508 ▲941 ▲1,477 16,435
43 9,165 6,434 2,393 10,526 ▲1,344 ▲2,821 19,306
44 10,440 7,602 2,449 11,763 ▲1,316 ▲4,137 22,491
45 11,457 8,463 2,544 13,006 ▲1,517 ▲5,654 26,037
46 11,782 8,596 2,501 14,207 ▲2,342 ▲7,996 30,871
47 12,443 9,216 2,395 15,944 ▲3,415 ▲11,411 37,191
48 13,791 9,922 2,381 18,407 ▲4,544 ▲15,955 43,679
49 18,209 13,151 2,415 22,329 ▲6,508 ▲22,463 55,381
50 15,714 11,252 2,405 27,444 ▲9,147 ▲31,610 67,793
51 19,931 15,290 2,779 29,156 ▲9,141 ▲9,742 54,582
52 25,702 19,499 3,095 32,147 ▲8,339 ▲18,082 68,866
53 23,690 18,237 3,070 34,714 ▲8,867 ▲26,949 84,619
54 29,021 21,550 3,540 37,446 ▲8,218 ▲35,167 101,492
55 29,637 22,424 3,296 39,643 ▲10,084 ▲11,788 90,770
56 31,730 24,035 3,114 43,254 ▲10,859 ▲22,647 108,294
57 33,130 25,415 2,794 47,749 ▲13,778 ▲36,425 127,235
58 32,989 25,797 2,415 51,401 ▲16,604 ▲53,029 146,611
59 33,898 27,504 1,985 52,091 ▲16,504 ▲69,533 165,048
60 35,528 29,422 1,857 55,728 ▲18,478 ▲88,011 182,409
営業えいぎょう収入しゅうにゅう営業えいぎょう経費けいひ累計るいけい欠損けっそんきん推移すいい単位たんいおくえん
損益そんえき収支しゅうし状況じょうきょう単位たんいおくえん[16]
昭和しょうわ55 56 57 58 59
幹線かんせん 東京とうきょうけん 1,364 1,742 2,017 2,034 2,543
大阪おおさかけん ▲ 464 ▲ 407 ▲ 397 ▲ 359 ▲ 268
東海道とうかいどう山陽新幹線さんようしんかんせん 3,936 4,434 4,723 4,870 5,449
東北とうほく上越新幹線じょうえつしんかんせん N/A N/A ▲ 558 ▲ 955 ▲ 921
その幹線かんせん ▲ 5,950 ▲ 6,202 ▲ 6,754 ▲ 6,933 ▲ 6,253
幹線かんせん損益そんえき小計しょうけい ▲ 4,175 ▲ 3,244 ▲ 2,587 ▲ 1,444 345
地方ちほう交通こうつうせん/地方ちほうバス ▲ 2,453 ▲ 2,806 ▲ 3,295 ▲ 3,624 ▲ 3,959
一般いっぱん営業えいぎょう損益そんえき ▲ 4,865 ▲ 4,436 ▲ 3,906 ▲ 3,207 ▲ 786
特定とくてい人件じんけん [注釈ちゅうしゃく 6] ▲ 3,456 ▲ 4,809 ▲ 5,681 ▲ 7,878 ▲ 9,021
全体ぜんたい損益そんえき ▲ 10,084 ▲ 10,859 ▲ 11,563 ▲ 12,946 ▲ 12,635

長期ちょうき債務さいむ償還しょうかんとその破綻はたん[編集へんしゅう]

売却ばいきゃく処分しょぶんのため国鉄こくてつ清算せいさん事業じぎょうだん移管いかんされた遊休ゆうきゅう国鉄こくてつ用地ようち(1993ねんきゅう岡山おかやま操車そうしゃじょう跡地あとちげん岡山おかやまドーム

分割ぶんかつ民営みんえいによって処理しょりすべき債務さいむは、最終さいしゅう国鉄こくてつ長期ちょうき債務さいむ25ちょう0600おくえんのほか、日本鉄道建設公団にほんてつどうけんせつこうだん債務さいむおよび本州ほんしゅう四国しこく連絡れんらくきょう公団こうだん債務さいむ国鉄こくてつ負担ふたんぶん北海道ほっかいどう四国しこく九州きゅうしゅうかくしん会社かいしゃたいする経営けいえい安定あんてい基金ききん原資げんしわせた31ちょう4500おくえんのぼった。さらに民営みんえいにともなう年金ねんきん負担ふたんなどの将来しょうらい費用ひよう5ちょう6600おくえんくわえた37ちょう1100おくえんについて、国鉄こくてつ清算せいさん事業じぎょうだん新幹線しんかんせん鉄道てつどう保有ほゆう機構きこうしん会社かいしゃ6しゃJR東日本ひがしにっぽんJR東海とうかいJR西日本にしにほんJR貨物かもつ鉄道てつどう通信つうしん鉄道てつどう情報じょうほうシステム)が承継しょうけいした。このうちしん会社かいしゃが5ちょう9300おくえん新幹線しんかんせん鉄道てつどう保有ほゆう機構きこうが5ちょう6300おくえんぎ、のこる6わり相当そうとうする25ちょう5200おくえんについて、国鉄こくてつ清算せいさん事業じぎょうだんいだ[21]

国鉄こくてつ清算せいさん事業じぎょうだん承継しょうけい長期ちょうき債務さいむ償還しょうかんには、清算せいさん事業じぎょうだん移管いかんされた不要ふようきゅう国鉄こくてつ用地ようち売却ばいきゃくえき見込みこがく7ちょう7000おくえん)、JR株式かぶしき売却ばいきゃくえきなど(どう1ちょう1,600おくえん)、新幹線しんかんせん鉄道てつどう保有ほゆう機構きこうからの貸付かしつけきん収入しゅうにゅうどう2ちょう8,800おくえん)をてるとしていたが、当初とうしょから13ちょう7,700おくえん財源ざいげん不足ふそくとして国民こくみん負担ふたんとする計画けいかくだった。

巨額きょがく債務さいむたい毎年まいとしやく1ちょうえん支払しはら利息りそく発生はっせいしたため、政府せいふは1987ねん昭和しょうわ62ねん)から年間ねんかんすうひゃくおく - 2,000おくえん程度ていど利子りし支払しはら補助ほじょきん拠出きょしゅつしたが、株式かぶしき市場いちば低迷ていめいおよび土地とち価格かかく下落げらくで、バブル景気けいきどき見込みこみはもとより、民営みんえい以前いぜんから問題もんだいとなっていた支払しはら利息りそくぶんえる収入しゅうにゅうすらることができずに毎年まいとし多額たがく損失そんしつ計上けいじょう。さらに資金しきん調達ちょうたつがく増加ぞうかともなあらたな利払りばらいもえたために、1996平成へいせい8)年度ねんどには1にちあたり24おくえん支払しはら利息りそくあらたに発生はっせいする状況じょうきょうおちいった[21]

このため、元本がんぽん処理しょりすらできないまま債務さいむ総額そうがくは28ちょう3,000おくえん膨張ぼうちょうして償還しょうかんスキームは事実じじつじょう破綻はたんし、国鉄こくてつ清算せいさん事業じぎょうだん1998ねん平成へいせい10ねん)に解散かいさんした。

結局けっきょく償還しょうかん不能ふのうとなった債務さいむのうち、政府せいふ保証ほしょうづけ債務さいむ24ちょう2,000おくえんは、1986ねん昭和しょうわ61ねん)および1988ねん昭和しょうわ63ねん)の閣議かくぎ決定けってい[注釈ちゅうしゃく 7]もとづいて1998(平成へいせい10)年度ねんどくに一般いっぱん会計かいけいまれ、郵便ゆうびん貯金ちょきん特別とくべつ会計かいけいからの特別とくべつれ(2002年度ねんどまで)、たばこ特別とくべつぜいおさむ一般いっぱん会計かいけい国債こくさいなどを財源ざいげんとした、国民こくみん負担ふたんによる債務さいむ処理しょり現在げんざい継続けいぞくちゅうである[22]

かく年度ねんどまつにおける政府せいふ保証ほしょうづけ国鉄こくてつ長期ちょうき債務さいむ残高ざんだか推移すいい概要がいようつぎとおりである。

年度ねんど 残高ざんだか
2006年度ねんど2007ねん平成へいせい19ねん=3がつまつ 民営みんえい20ねん 20ちょう9,964おくえん[23]
2011年度ねんど2012ねん平成へいせい24ねん=3がつまつ 民営みんえい25ねん 18ちょう6,432おくえん[24]
2016年度ねんど2017ねん平成へいせい29ねん=3がつまつ 民営みんえい30ねん 17ちょう6,570おくえん[25]
2021年度ねんど2022ねんれい4ねん=3がつまつ 民営みんえい35ねん 15ちょう5,678おくえん[26]

いっぽう、年金ねんきんとう負担ふたんぶん4ちょう1,000おくえんについては国鉄こくてつ清算せいさん事業じぎょうだん土地とち株式かぶしきなどの資産しさん承継しょうけいした日本鉄道建設公団にほんてつどうけんせつこうだんが、特例とくれい業務ぎょうむとして資産しさん売却ばいきゃく収入しゅうにゅう国庫こっこ補助ほじょきん負担ふたんすることになった。のち2003ねん平成へいせい15ねん)の日本鉄道建設公団にほんてつどうけんせつこうだん独立どくりつ行政ぎょうせい法人ほうじんともない、現在げんざい独立どくりつ行政ぎょうせい法人ほうじん鉄道てつどう建設けんせつ運輸うんゆ施設しせつ整備せいび支援しえん機構きこう負担ふたん継続けいぞくしている。

歴代れきだい国鉄こくてつ総裁そうさい[編集へんしゅう]

だい 氏名しめい 就任しゅうにん期間きかん 辞任じにん理由りゆう備考びこう
1 下山しもやま定則さだのり 1949ねん6月1にち - 1949ねん7がつ6にち 下山げざん事件じけん急逝きゅうせい
2 加賀山かがやまゆう 1949ねん9月24にち - 1951ねん8がつ24にち 桜木町さくらぎちょう事故じこ引責いんせき辞任じにん
3 長崎ながさき惣之助そうのすけ 1951ねん8がつ25にち - 1955ねん5月19にち 紫雲しうんまる事故じこ引責いんせき辞任じにん
4 十河そごう信二しんじ 1955ねん5がつ20日はつか - 1963ねん5月19にち 東海道新幹線とうかいどうしんかんせん建設けんせつ問題もんだいで2任期にんき満了まんりょうともな退任たいにん
5 石田いしだ禮助れいすけ 1963ねん5がつ20日はつか - 1969ねん5月26にち 高齢こうれいにより勇退ゆうたい
6 磯崎いそざきあきら 1969ねん5月27にち - 1973ねん9月21にち マルせい運動うんどう」の違法いほうせい指摘してき現場げんば混乱こんらん辞任じにん
7 藤井ふじい松太郎まつたろう 1973ねん9月22にち - 1976ねん3月5にち ストけん奪還だっかんストにたいする対応たいおう責任せきにん辞任じにん
8 高木たかぎ文雄ふみお 1976ねん3月6にち - 1983ねん12月1にち 国鉄こくてつ再建さいけんかんして政府せいふ圧力あつりょく辞任じにん
9 仁杉にすぎいわお 1983ねん12月2にち - 1985ねん6月24にち 国鉄こくてつ独自どくじ再建さいけんあん責任せきにん辞任じにん
10 杉浦すぎうらたかし 1985ねん6月25にち - 1987ねん3月31にち 運輸省うんゆしょうからおくまれた最後さいご国鉄こくてつ総裁そうさい

労働ろうどう組合くみあい[編集へんしゅう]

日本にっぽん国有こくゆう鉄道てつどう職員しょくいんきょく労働ろうどうによれば、労働ろうどう組合くみあい組合くみあい員数いんずう以下いかとおり。

労働ろうどう組合くみあい 加入かにゅうしゃすう [27][28]単位たんい:ひと
結成けっせい 1976ねん昭和しょうわ51ねん 1980ねん昭和しょうわ55ねん
総評そうひょうけい 国鉄こくてつ労働ろうどう組合くみあい 1947ねん昭和しょうわ22ねん)6がつ5にち 246,342 255,443
国鉄こくてつ動力どうりょくしゃ労働ろうどう組合くみあい 1951ねん昭和しょうわ26ねん)5がつ23にち 46,298 47,660
同盟どうめいけい 鉄道てつどう労働ろうどう組合くみあい 1968ねん昭和しょうわ43ねん)10がつ20日はつか 66,554 51,697
その 国鉄こくてつ労働ろうどう協議きょうぎかい 1969ねん昭和しょうわ44ねん)11がつ10日とおか 3 N/A
ぜん国鉄こくてつ施設しせつ労働ろうどう組合くみあい 1971ねん昭和しょうわ46ねん)4がつ27にち 5,541 3,730
ぜん国鉄こくてつ動力どうりょくしゃ労働ろうどう組合くみあい連合れんごうかい 1974ねん昭和しょうわ49ねん)3がつ31にち 3,075 3,076
日本にっぽん国有こくゆう鉄道てつどう職員しょくいん組合くみあい 1963ねん昭和しょうわ38ねん)5がつ26にち 85 92
国鉄こくてつ東京とうきょう電気でんき工事こうじきょく労働ろうどう組合くみあい 1975ねん昭和しょうわ50ねん)3がつ1にち 10 7
国鉄こくてつ千葉ちば動力どうりょくしゃ労働ろうどう組合くみあい 1979ねん昭和しょうわ54ねん)3がつ30にち N/A 員数いんずう把握はあくできていない
組合くみあいいん総計そうけい 368,338 361,705
任意にんい加入かにゅうしゃ合計ごうけい 10,817 8,876

関連かんれん事業じぎょう関連かんれん施設しせつ[編集へんしゅう]

国鉄こくてつバス(特急とっきゅうなんごくごう
国鉄こくてつ運営うんえいした鉄道てつどう連絡れんらくせん宇高連絡船うこうれんらくせん土佐とさまる

国鉄こくてつまたはその関連かんれん組織そしきおこなっていた鉄道てつどう事業じぎょう以外いがい事業じぎょう下記かきげる。

自動車じどうしゃ事業じぎょう国鉄こくてつバス)[編集へんしゅう]

国鉄こくてつ代行だいこう先行せんこう短絡たんらく培養ばいよう補完ほかん役割やくわりかかげ、乗合のりあい貸切かしきり旅客りょかく自動車じどうしゃ事業じぎょうおよび貨物かもつ自動車じどうしゃ事業じぎょうおこなった。国鉄こくてつ分割ぶんかつ民営みんえいには、地方ちほう自動車じどうしゃきょく自動車じどうしゃ自動車じどうしゃ管理かんりしつ)ごとにその地域ちいき管轄かんかつする旅客りょかく鉄道てつどう会社かいしゃ承継しょうけいされたのち分社ぶんしゃされた。

船舶せんぱく事業じぎょう鉄道てつどう連絡れんらくせん[編集へんしゅう]

水域すいいきによって隔絶かくぜつされた路線ろせん連絡れんらくするため、鉄道てつどう連絡れんらくせん運航うんこうした。青函せいかん宇高うだか宮島みやじまじんほり大島おおしま関門かんもんの6航路こうろ存在そんざいし、ひとしほり大島おおしま関門かんもんの3航路こうろ国鉄こくてつ時代じだい廃止はいしの3航路こうろはそれぞれJR北海道ほっかいどう、JR四国しこく、JR西日本にしにほん承継しょうけいした。

鉄道てつどう病院びょういん[編集へんしゅう]

JR西日本にしにほん承継しょうけいされた広島ひろしま鉄道てつどう病院びょういんげん医療いりょう法人ほうじんJR広島ひろしま病院びょういん

大正たいしょう時代じだいなかばから国鉄こくてつ職員しょくいん対象たいしょうとした医療いりょう施設しせつとして鉄道てつどう病院びょういん順次じゅんじ開設かいせつされ、日本にっぽん国有こくゆう鉄道てつどう発足ほっそく国鉄こくてつ管轄かんかつ病院びょういんとなった。国鉄こくてつ末期まっき1982ねんから1987ねんにかけて順次じゅんじ保険ほけん医療いりょう機関きかん指定していけて一般いっぱん患者かんじゃ可能かのうになった。また機関きかん保線ほせんなどが併設へいせつされているえき構内こうない鉄道てつどう診療しんりょうしょもうけられていることがあった。

  • 札幌さっぽろ鉄道てつどう病院びょういんJR札幌さっぽろ病院びょういん (JR北海道ほっかいどう
  • 釧路くしろ鉄道てつどう病院びょういんはいいん
  • 青森あおもり鉄道てつどう病院びょういんはいいん
  • 盛岡もりおか鉄道てつどう病院びょういんはいいん】→ 盛岡もりおか鉄道てつどう健診けんしんセンター(JR東日本ひがしにっぽん
  • 仙台せんだい鉄道てつどう病院びょういんJR仙台せんだい病院びょういん(JR東日本ひがしにっぽん
  • 秋田あきた鉄道てつどう病院びょういんはいいん】→ 秋田あきた鉄道てつどう健診けんしんセンター(JR東日本ひがしにっぽん
  • 山形やまがた鉄道てつどう病院びょういんはいいん】(敷地しきちはJR東日本ひがしにっぽん山形やまがた支店してん一部いちぶになっている)
  • 水戸みと鉄道てつどう病院びょういんはいいん
  • 高崎たかさき鉄道てつどう病院びょういんはいいん
  • 大宮おおみや鉄道てつどう病院びょういんはいいん
  • 千葉ちば鉄道てつどう病院びょういんはいいん
  • 田端たばた鉄道てつどう病院びょういんはいいん
  • 中央ちゅうおう鉄道てつどう病院びょういんJR東京とうきょう総合そうごう病院びょういん(JR東日本ひがしにっぽん
  • 新潟にいがた鉄道てつどう病院びょういん新潟にいがた鉄道てつどう健診けんしんセンター(JR東日本ひがしにっぽん
  • 金沢かなざわ鉄道てつどう病院びょういん【1985ねん昭和しょうわ60ねん)3がつ31にちはいいん】→ 金沢かなざわ健診けんしんセンター(JR西日本にしにほん
  • 長野ながの鉄道てつどう病院びょういんはいいん】→ 長野ながの鉄道てつどう検診けんしんセンター(JR東日本ひがしにっぽん
  • 静岡鉄道しずおかてつどう病院びょういんはいいん】→ 静岡しずおか鉄道てつどう健診けんしんセンター(JR東海とうかい
  • 名古屋なごや鉄道てつどう病院びょういん → JR東海とうかい総合そうごう病院びょういん名古屋なごやセントラル病院びょういん(JR東海とうかい
  • 大阪おおさか鉄道てつどう病院びょういん(JR西日本にしにほん)※2022ねん2がつ現在げんざい、「鉄道てつどう病院びょういん」の名称めいしょうのまま現存げんそんする唯一ゆいいつ鉄道てつどう病院びょういん
  • 大阪おおさか鉄道てつどう病院びょういん梅田うめだ分室ぶんしつはいいん】→ 大阪おおさか鉄道てつどう病院びょういん大阪おおさか保健ほけん管理かんり(JR西日本にしにほん
  • 大阪おおさか鉄道てつどう病院びょういん新宮しんぐう分室ぶんしつ【1985ねん昭和しょうわ60ねん)3がつ31にちはいいん
  • 姫路ひめじ鉄道てつどう病院びょういん【1982ねん昭和しょうわ57ねん)3がつ31にちはいいん】 → 大阪おおさか鉄道てつどう病院びょういん姫路ひめじ分室ぶんしつ診療しんりょうしょ【1985ねん昭和しょうわ60ねん)3がつ31にちはいいん
  • 福知山ふくちやま鉄道てつどう病院びょういん【1955ねん昭和しょうわ30ねん)3がつ開院かいいん→1983ねん昭和しょうわ58ねん)3がつ31にちはいいん】→福知山ふくちやま総合そうごう診療しんりょうセンター【1983ねん昭和しょうわ58ねん)4がつ1にち開院かいいん→1984ねん昭和しょうわ59ねん)3がつ31にちはいいん】→福知山ふくちやま鉄道てつどう健診けんしんセンター(国鉄こくてつ・JR西日本にしにほん)【1984ねん昭和しょうわ59ねん)4がつ】→【はいいん
  • 米子よなご鉄道てつどう病院びょういんはいいん】→ 米子よなご健診けんしんセンター(JR西日本にしにほん
  • 岡山おかやま鉄道てつどう病院びょういん(JR西日本にしにほん)【1991ねん平成へいせい3ねん)3がつ31にちはいいん】→ 岡山おかやま健診けんしんセンター(JR西日本にしにほん
  • 広島ひろしま鉄道てつどう病院びょういん(JR西日本にしにほん)→ JR広島ひろしま病院びょういん医療いりょう法人ほうじんJR広島ひろしま病院びょういん
  • 下関しものせき鉄道てつどう病院びょういん【1956ねん昭和しょうわ34ねん)11月1にち開院かいいん→1982ねん昭和しょうわ57ねん)3がつ31にちはいいん】→ 広島ひろしま鉄道てつどう病院びょういん下関しものせき分室ぶんしつ【1982ねん昭和しょうわ57ねん)4がつ1にち開院かいいん
  • 徳島とくしま鉄道てつどう病院びょういんはいいん
  • 四国しこく鉄道てつどう病院びょういんはいいん】→ 入院にゅういん設備せつび廃止はいしして四国旅客鉄道しこくりょかくてつどう高松たかまつ診療しんりょうしょ本社ほんしゃよこ移転いてんきゅう病院びょういん跡地あとち高松北たかまつきた警察けいさつしょしん庁舎ちょうしゃ
  • 門司もじ鉄道てつどう病院びょういん → JR九州きゅうしゅう病院びょういん(JR九州きゅうしゅう)→ 九州きゅうしゅう鉄道てつどう記念きねん病院びょういん医療いりょう法人ほうじん若葉わかばかい
  • 熊本くまもと鉄道てつどう病院びょういんはいいん】→ きゅう病院びょういん跡地あとち熊本朝日放送くまもとあさひほうそう (KAB) 本社ほんしゃビルになっている
  • 大分おおいた鉄道てつどう病院びょういんはいいん
  • 鹿児島かごしま鉄道てつどう病院びょういんはいいん

プロ野球やきゅう[編集へんしゅう]

1950ねんから1965ねんまで、プロ野球やきゅう球団きゅうだん国鉄こくてつスワローズ」が存在そんざいした。現在げんざい東京とうきょうヤクルトスワローズ前身ぜんしんにあたる。発足ほっそくしたばかりの日本にっぽん国有こくゆう鉄道てつどう職員しょくいん意識いしき高揚こうよう目的もくてきだい2だい加賀山かがやま総裁そうさい設立せつりつ尽力じんりょく国鉄こくてつほう規制きせいから、国鉄こくてつ外郭がいかく団体だんたいとして設立せつりつされた「国鉄こくてつ野球やきゅう株式会社かぶしきがいしゃ」がチームを保有ほゆうした。日本にっぽん野球やきゅう機構きこう加盟かめいし、セントラル・リーグ所属しょぞくしていた。チームめいは、球団きゅうだん発足ほっそく当時とうじ特急とっきゅうひとつであった「つばめ」にちなんでいる。

鉄道てつどう公安こうあん職員しょくいん[編集へんしゅう]

運輸省うんゆしょう時代じだい1947ねん創設そうせつ日本にっぽん国有こくゆう鉄道てつどう発足ほっそくわせて制度せいど確立かくりつされた。身分みぶん国鉄こくてつ職員しょくいんで、国鉄こくてつ鉄道てつどう敷地しきちないおよ列車れっしゃないにおける犯罪はんざいや、国鉄こくてつ運輸うんゆ業務ぎょうむたいする犯罪はんざい捜査そうさする権限けんげんっていた。国鉄こくてつ分割ぶんかつ民営みんえい廃止はいしされ、警視庁けいしちょうおよかく道府県どうふけん警察けいさつ本部ほんぶ鉄道てつどう警察けいさつたい改組かいそ編入へんにゅうされた。

国鉄こくてつ共済きょうさい組合くみあい[編集へんしゅう]

国鉄こくてつ共済きょうさい組合くみあいは、国鉄こくてつ職員しょくいんおよび退職たいしょくしゃ対象たいしょう長期ちょうき給付きゅうふ事業じぎょう年金ねんきん)、短期たんき給付きゅうふ事業じぎょう医療いりょう給付きゅうふ)をおこなった共済きょうさい組合くみあい1907ねん帝国ていこく鉄道てつどうちょう職員しょくいん救済きゅうさい組合くみあいとして発足ほっそくし、その官制かんせい改正かいせいによる国鉄こくてつ所管しょかん官庁かんちょう改編かいへんにともない、鉄道てつどういん職員しょくいん救済きゅうさい組合くみあい1908ねん-1918ねん)、鉄道てつどういん共済きょうさい組合くみあい(1918ねん-1920ねん)、国有こくゆう鉄道てつどう共済きょうさい組合くみあい1920ねん-1948ねん)と改称かいしょう国家こっか公務員こうむいん共済きょうさい組合くみあいほう旧法きゅうほう施行しこうにともなって1948ねん7がつ国鉄こくてつ共済きょうさい組合くみあい改称かいしょうした。その公共こうきょう企業きぎょうたい職員しょくいんとう共済きょうさい組合くみあいほう廃止はいし、1956ねん施行しこう)、国家こっか公務員こうむいんとう共済きょうさい組合くみあいほう(1984ねん施行しこう)の適用てきようけた。

国鉄こくてつ共済きょうさい組合くみあい給付きゅうふ事業じぎょうのほか、共済きょうさい組合くみあいいんである国鉄こくてつ職員しょくいんけの保健ほけん事業じぎょう貯蓄ちょちく貸付かしつけ事業じぎょう物資ぶっし事業じぎょう住宅じゅうたく宅地たくち分譲ぶんじょう事業じぎょうあつかった。また全国ぜんこく旅館りょかん業態ぎょうたいの「保養ほようしょ」70かしょ、ホテル業態ぎょうたいの「弥生やよい会館かいかん」9かしょ(いずれも1986ねん現在げんざい[29])を経営けいえいした。

このうち、国鉄こくてつ職員しょくいんとその家庭かてい生活せいかつ物資ぶっし供給きょうきゅうする「物資ぶっし事業じぎょう」をおこな国鉄こくてつ共済きょうさい組合くみあい物資ぶっしは「国鉄こくてつ物資ぶっし」と通称つうしょうされ、国鉄こくてつ拠点きょてんえき乗務じょうむいん車両しゃりょう基地きち構内こうない職員しょくいんアパートなどで職員しょくいんけの小売こうりてん購買こうばい配給はいきゅうしょ)や食堂しょくどう食堂しょくどう)などを運営うんえいした。国有こくゆう鉄道てつどう共済きょうさい組合くみあい時代じだい1944ねんに、物資ぶっし不足ふそく対応たいおうするため物資ぶっし本省ほんしょう部局ぶきょく鉄道てつどうきょく単位たんい運営うんえい分離ぶんりされた形態けいたいぎ、国鉄こくてつ共済きょうさい組合くみあいにおいても物資ぶっし本社ほんしゃ部局ぶきょくおよび支社ししゃかく鉄道てつどう管理かんりきょくごとにもうけられた「支部しぶ単位たんい運営うんえいされた。

物資ぶっしかく店舗てんぽ共済きょうさい組合くみあいいんである職員しょくいん家族かぞくなどの関係かんけいしゃかぎった利用りよう建前たてまえとしていたが、実際じっさいには一般いっぱんきゃく利用りよう可能かのうであった。また1950年代ねんだい以降いこう国内こくない小売こうり業界ぎょうかいにおけるスーパーマーケット業態ぎょうたい急速きゅうそく普及ふきゅうけ、物資ぶっしでも1960年代ねんだいから70年代ねんだいにかけて、一般いっぱんきゃく利用りよう見込みこめる主要しゅようえきとう購買こうばい配給はいきゅうしょ構外こうがいもうけ、「国鉄こくてつストア」の商号しょうごうもちいてスーパーマーケットに転換てんかんする経営けいえい近代きんだいさく全国ぜんこく各地かくちすすめた。このほか、地域ちいき企業きぎょう商店しょうてんが「国鉄こくてつ物資ぶっし指定していてん」として物資ぶっし契約けいやくむすび、国鉄こくてつ職員しょくいんたい共済きょうさい組合くみあいいん価格かかく商品しょうひん販売はんばいした。

日本にっぽん国有こくゆう鉄道てつどう改革かいかくほうとう施行しこうほうもとづき、1987ねん4がつきゅう国鉄こくてつ職員しょくいんとJR各社かくしゃ社員しゃいんおよび退職たいしょくしゃ対象たいしょうとする「日本にっぽん鉄道てつどう共済きょうさい組合くみあい」に改称かいしょう。のちきゅう3公社こうしゃ共済きょうさい組合くみあい厚生こうせい年金ねんきん統合とうごうで、1997ねん4がつ長期ちょうき給付きゅうふ事業じぎょう社会保険庁しゃかいほけんちょう所管しょかん厚生こうせい年金ねんきんに、短期たんき給付きゅうふおよび保健ほけん事業じぎょう新設しんせつの「ジェイアールグループ健康けんこう保険ほけん組合くみあい」にそれぞれぎ、その事業じぎょう廃止はいしまたはJR系列けいれつ企業きぎょうなどに事業じぎょう譲渡じょうとした。現在げんざい厚生こうせい年金ねんきん統合とうごう対象たいしょう期間きかんがいにあたる1956ねん6がつ以前いぜん年金ねんきん事業じぎょうのみをおこなっている。

国鉄こくてつ在籍ざいせきれきがある著名ちょめいじん[編集へんしゅう]

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

注釈ちゅうしゃく[編集へんしゅう]

  1. ^ 鉄道てつどう総合そうごう技術ぎじゅつ研究所けんきゅうじょ提供ていきょうする 鉄道てつどう技術ぎじゅつ用語ようご辞典じてん や、高橋たかはしまさし詳解しょうかい 鉄道てつどう用語ようご辞典じてん山海さんかいどう 2006ねんなどでは「にほんこくゆうてつどう」で記載きさいされているが、米国べいこく特許とっきょ(US 3865202、US 3822375、US 4134342など)ではNippon Kokuyu Tetsudoで出願しゅつがんされている。
  2. ^ 国有こくゆう鉄道てつどう国鉄こくてつ)」の呼称こしょうはもともと日本にっぽん鉄道てつどうなどの私設しせつ鉄道てつどう私鉄してつ)を国営こくえい明治めいじ政府せいふ開設かいせつ官設かんせつ鉄道てつどうかんてつ)と統合とうごうした1906ねん明治めいじ39ねん)「鉄道てつどう国有こくゆう以降いこう国営こくえい鉄道てつどうもうしていたが[8]公社こうしゃ企業きぎょうたいである日本にっぽん国有こくゆう鉄道てつどう略称りゃくしょうとしてももちいられるようになった。
  3. ^ 出来上できあがってももうけにならない線区せんく国家こっか要請ようせいによつて国鉄こくてつつくるもの(日本にっぽん国有こくゆう鉄道てつどう諮問しもん委員いいんかい 1960, p. 26)」
  4. ^ 昭和しょうわ34年度ねんど負担ふたんがくは545おくえんで、国鉄こくてつ収入しゅうにゅうの16%に相当そうとう[13]
  5. ^ 1984ねん実施じっし
  6. ^ 退職たいしょく手当てあて年金ねんきんなど
  7. ^ 1986ねん1がつ28にちおよび1988ねん昭和しょうわ63ねん)1がつ26にち閣議かくぎ決定けっていにおいて「自主じしゅ財源ざいげんててもなおのこ事業じぎょうだん債務さいむとうについては最終さいしゅうてきにはくににおいて処理しょりする」とされた。

出典しゅってん[編集へんしゅう]

  1. ^ 日本にっぽん国有こくゆう鉄道てつどうほうだい3じょう
  2. ^ a b c d e f 国有こくゆう鉄道てつどう』」だい44かん9)(447)、交通こうつう協力きょうりょくかい、1986ねん9がつdoi:10.11501/2276895 
  3. ^ 日本にっぽん国有こくゆう鉄道てつどうほう だい37じょう
  4. ^ 日本にっぽん国有こくゆう鉄道てつどうほう だい5じょう
  5. ^ a b 日本にっぽん国有こくゆう鉄道てつどうは、改革かいかくほう附則ふそくだい2こう規定きてい施行しこうときにおいて、事業じぎょうだんとなるものとする」日本国有鉄道清算事業団にほんこくゆうてつどうせいさんじぎょうだんほう附則ふそくだい2じょう
  6. ^ 日本にっぽん国有こくゆう鉄道てつどうほう だい2,5じょう
  7. ^ 日本にっぽん国有こくゆう鉄道てつどうほう だい26,34じょう。なお国家こっか公務員こうむいんほう適用てきようされない
  8. ^ 1941ねん昭和しょうわ16ねん)『日本にっぽんニュース』だい38ごう
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  10. ^ 世相せそう風俗ふうぞく観察かんさつかい増補ぞうほ新版しんぱん 現代げんだい世相せそう風俗ふうぞく年表ねんぴょう 昭和しょうわ20ねん(1945)-平成へいせい20ねん(2008)』河出書房新社かわでしょぼうしんしゃ、2003ねん11月7にち、33ぺーじISBN 9784309225043 
  11. ^ 総数そうすうよんろくいちめい 国鉄こくてつ追放ついほう」『日本経済新聞にほんけいざいしんぶん昭和しょうわ25ねん11月15にち3めん
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  28. ^ 日本にっぽん国有こくゆう鉄道てつどう職員しょくいんきょく労働ろうどう日本にっぽん国有こくゆう鉄道てつどう労働ろうどう運動うんどう : 資料しりょうだい36しゅう(昭和しょうわ55ねん)』(レポート)国立こくりつ国会図書館こっかいとしょかんデジタルコレクション、1984ねんdoi:10.11501/12171520 
  29. ^ 衆議院しゅうぎいん会議かいぎろくだい107かい国会こっかい 日本にっぽん国有こくゆう鉄道てつどう改革かいかくかんする特別とくべつ委員いいんかい だい11ごう 衆議院しゅうぎいん、1986ねん10がつ24にち

参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]

  • 日本にっぽん国有こくゆう鉄道てつどう諮問しもん委員いいんかい国鉄こくてつ経営けいえいかたについての答申とうしんしょ国立こくりつ国会図書館こっかいとしょかんデジタルコレクション、1960ねん5がつdoi:10.11501/11577572 

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]