イデオロギー

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イデオロギーどく: Ideologie, えい: ideology)とは、観念かんねん (idea) と思想しそう (logos) をわせた言葉ことばであり[1]観念かんねん形態けいたいである。思想しそう形態けいたいともばれる。文脈ぶんみゃくによりその意味いみするところはことなり、おも以下いかのような意味いみ使用しようされる。意味いみ内容ないよう詳細しょうさいについては定義ていぎ特徴とくちょう参照さんしょう

通常つうじょう政治せいじ宗教しゅうきょうにおける観念かんねんしており、政治せいじてき意味いみ宗教しゅうきょうてき意味いみふくまれている。

  • 世界せかいかんのような物事ものごとたいする包括ほうかつてき観念かんねん
  • 日常にちじょう生活せいかつにおける哲学てつがくてき根拠こんきょ。ただ日常にちじょうてき文脈ぶんみゃくもちいる場合ばあい、「イデオロギーてきである」という定義ていぎはある事柄ことがらへの認識にんしきたいして事実じじつゆがめるような虚偽きょぎあるいは欺瞞ぎまんふくんでいるとほのめかすこともあり、マイナスの評価ひょうかふくむこともある。
  • おも社会しゃかい科学かがく用法ようほうとして、社会しゃかい支配しはいてき集団しゅうだんによって提示ていじされる観念かんねん

歴史れきし[編集へんしゅう]

デステュット・ド・トラシー

イデオロギーという用語ようごはじめ、観念かんねん起源きげん先天的せんてんてきなものか後天的こうてんてきなものかを中心ちゅうしんてき問題もんだいとするがくであった。この用法ようほうデステュット・ド・トラシー英語えいごばんフランス語ふらんすごばん(Destutt de Tracy)『観念かんねんがく原論げんろん』(1804-1815)にられる。

かれ代表だいひょうされる活動かつどうたちイデオローグ(idéologue)とばれ、1789ねんフランスだい革命かくめい以降いこうあやしげなものとしてられていたアンシャン・レジーム時代じだい思想しそうのなかで啓蒙けいもう主義しゅぎてき自由じゆう主義しゅぎ復興ふっこうさせようとし、革命かくめいから帝政ていせいにかけてフランスリベラル学派がくは創始そうししゃ指導しどうてき立場たちばとなった。こうした国家こっかかためるイデオロギーを政治せいじイデオロギーぶ。

当初とうしょ人間にんげん観念かんねんかんする科学かがくてき研究けんきゅう方法ほうほうしていたが、やがてその対象たいしょうとなる観念かんねん体系たいけいそのものをいうようになった。

20世紀せいき政治せいじイデオロギー対立たいりつによる世界せかいてき戦争せんそう数多かずおお発生はっせいした。とく冷戦れいせん自由じゆう主義しゅぎ資本しほん主義しゅぎ社会しゃかい主義しゅぎ共産きょうさん主義しゅぎ対立たいりつ構造こうぞう極端きょくたんあらわれた事例じれいである。21世紀せいきはいってから国際こくさい協調きょうちょう進展しんてんによって世界せかいてき戦争せんそう沈静ちんせいしたものの、中国ちゅうごく北朝鮮きたちょうせんひとし社会しゃかい主義しゅぎくにとその自由じゆう主義しゅぎくに対立たいりつ構造こうぞう存続そんぞくしている。また、経済けいざいにおいても、しん自由じゆう主義しゅぎ弊害へいがいから修正しゅうせい資本しほん主義しゅぎ注目ちゅうもくされ、両者りょうしゃあいだ対立たいりつきるなど、イデオロギーの対立たいりつこっている。

定義ていぎ特徴とくちょう[編集へんしゅう]

イデオロギーの定義ていぎ曖昧あいまいで、また歴史れきしじょうその定義ていぎ一様いちようでない。イデオロギーの定義ていぎには認識にんしきろんふくむもの、社会しゃかいがくてきなものがあり、たがいに矛盾むじゅんしている。しかし、それぞれが有意義ゆういぎ意味いみ多数たすうもっている。そのためディスクール同一どういつ思考しこうなどの類似るいじ概念がいねん可能かのうではない。以下いかイデオロギーの定義ていぎ重要じゅうよう意味いみ内容ないようについて、おも認識にんしきろん社会しゃかいがくてき成果せいかをもとに解説かいせつする。

大正たいしょうデモクラシーの政治せいじてきイデオロギーともいえる天皇てんのう機関きかんせつべた美濃部みのべ達吉たつきち
  • イデオロギーは世界せかいかんである。しかしイデオロギーはひらかれた世界せかいかんであり、対立たいりつてき世界せかいかん一部いちぶんでいることがある。イデオロギーはなんらかの政治せいじてき主張しゅちょうふくみ、社会しゃかいてき利害りがい動機どうきづけられており、特定とくてい社会しゃかい集団しゅうだん社会しゃかい階級かいきゅう固有こゆう観念かんねんである。にもかかわらずイデオロギーは主張しゅちょう正当せいとうするために自己じこをしばしば普遍ふへんしたりする。またほかのイデオロギーに迎合げいごうしたり、それを従属じゅうぞくさせたりする。イデオロギーはきわめて政治せいじてきである
  • 同時どうじイデオロギーはかたよったかんがかたであり、なんらかの先入観せんにゅうかんふく。イデオロギーてき見方みかたをしているひとなんらかの事実じじつ歪曲わいきょくしてており、その主張しゅちょうには虚偽きょぎ欺瞞ぎまんふくんでいることがある。イデオロギーは非合理ひごうりてき信念しんねんふくんでいるが、巧妙こうみょうにそれを隠蔽いんぺいしていることがおおい。また事実じじつ関係かんけい社会しゃかい状況じょうきょう一部いちぶいつわり、自己じこ都合つごうのいいように改変かいへんしていることがある。
  • イデオロギーは闘争とうそうてき観念かんねんである。イデオロギーはなんらかの立場たちば社会しゃかいにおいて主張しゅちょう拡大かくだいしようとする。また実際じっさいある政治せいじ理念りねんちが立場たちば政治せいじ理念りねん批判ひはんする場合ばあい相手あいて政治せいじ理念りねんが「イデオロギーてきである」と指摘してきすることがおこなわれる。イデオロギーはその意味いみにおいてもなんらかの価値かちかん対立たいりつ前提ぜんていとしている。またあるひとがあるしゅ政治せいじ理念りねんを「イデオロギー」として定義ていぎしている場合ばあい、そのひとはその政治せいじ理念りねんとはことなった立場たちばっていることがおおい。
  • ある政治せいじ理念りねんがイデオロギーであるかそうでないかはおおくの場合ばあい理念りねん内容ないようそれ自体じたいよりもその理念りねん拡大かくだいしようとしている立場たちばやその理念りねん社会しゃかい状況じょうきょうたいする評価ひょうか仕方しかたによって判断はんだんされる大抵たいてい政治せいじ理念りねんはイデオロギーになりうる。またある政治せいじ理念りねんに「イデオロギーてきである」という評価ひょうかくわえた場合ばあい、それはその政治せいじ理念りねんがあるしゅ問題もんだい解決かいけつにおいて本質ほんしつあやまった見方みかたをしていることをしめす。
    日本にっぽんにおいて戦前せんぜんはリベラルな思想しそうとされ、リベラリストから支持しじされていた天皇てんのう機関きかんせつは、戦後せんご天皇てんのう主権しゅけんみとめるその立場たちばおなじリベラリストのがわから保守ほしゅ主義しゅぎ擁護ようごするイデオロギーであると批判ひはんされた。戦前せんぜん天皇てんのう主権しゅけんであることはたりまえであったから、国体こくたいろん軍国ぐんこく主義しゅぎといったイデオロギーに対抗たいこうするじょう天皇てんのう機関きかんせつ正当せいとうでリベラルな思考しこう様式ようしきであるとされたが、戦後せんご天皇てんのう主権しゅけん自明じめいのものでなくなったとき、天皇てんのう主権しゅけん前提ぜんていとする天皇てんのう機関きかんせつによって天皇てんのうせい擁護ようごすることはイデオロギーてき行為こういとされたのである。
    以上いじょうのことから、イデオロギーは表面ひょうめんじょう中立ちゅうりつてき政治せいじ理念りねんよそおっていることがあるが、実際じっさい政治せいじ理念りねんそれ自体じたいとは別個べっこ隠蔽いんぺいされた政治せいじ目的もくてきっていることがある。イデオロギーは政治せいじ理念りねん政治せいじ目的もくてきなんらかのかたちにおいて結合けつごうしたものということができる。中立ちゅうりつてき政治せいじ理念りねんとイデオロギーはこのかぎりにおいて明確めいかく区別くべつされる。またなにがイデオロギーかなにがイデオロギーでないかは立場たちば時代じだい状況じょうきょうにより一定いっていではない

マルクス主義まるくすしゅぎによる定義ていぎ[編集へんしゅう]

階級かいきゅう闘争とうそうとイデオロギー研究けんきゅうむすびつけたマルクス

以下いかはイデオロギーの定義ていぎ代表だいひょうてきなものとかんがえられるマルクス定義ていぎをあげる。

マルクス主義まるくすしゅぎにおけるイデオロギーとは、観念かんねんそのものではなく、生産せいさん様式ようしきなどの社会しゃかいてき下部かぶ構造こうぞうとの関係かんけいせいにおいてとらえられる上部じょうぶ構造こうぞうとしての観念かんねん意味いみしている。マルクスは最初さいしょヘーゲルとその後継こうけいしゃたちによってしめされた観念かんねんしょ形態けいたいについて、社会しゃかいてき基盤きばんからはっしながらあたかも普遍ふへんてき正当せいとうせいつかのようにふるまう、と批判ひはんしたことからイデオロギーの階級かいきゅうせいについてろんじるようになる。

マルクス=エンゲルス共著きょうちょ『ドイツ・イデオロギー』(1845ねん)においてはじめてイデオロギーという用語ようご登場とうじょうし、階級かいきゅう社会しゃかいにおけるイデオロギーの党派とうはせい分析ぶんせきされた。すなわち、階級かいきゅう社会しゃかいでは特定とくてい階級かいきゅう利益りえきるための特定とくていのイデオロギーが優勢ゆうせいになり、上部じょうぶ構造こうぞう下部かぶ構造こうぞう相互そうご作用さようしょうじて、必然ひつぜんてきみずからを正当せいとうするというのである。マルクスはイデオロギーのこのような性質せいしつ虚偽きょぎ意識いしきとしてのイデオロギーび、階級かいきゅうてき利害りがいもとづいて支配しはい体制たいせい強化きょうかするものであるとかんがえた。

この分析ぶんせきしたがえば、階級かいきゅう制度せいどかならずイデオロギーをともなうものであるから、イデオロギーを批判ひはんすることは階級かいきゅう闘争とうそうなかもっと重要じゅうよう活動かつどうである。

その一方いっぽうで、きゅうソ連それんには、軍隊ぐんたいにはイデオロギー担当たんとう将校しょうこう議会ぎかいにはイデオロギー担当たんとう議員ぎいん配置はいちされていた。

科学かがく技術ぎじゅつとイデオロギーの関係かんけい[編集へんしゅう]

イデオロギーをふく政治せいじ行為こうい科学かがく技術ぎじゅつ目的もくてき合理ごうりせいにしたがうとべたハーバーマス

ユルゲン・ハーバーマスは、現代げんだい社会しゃかいでは科学かがく技術ぎじゅつ個人こじん思想しそうとは関係かんけいなく客観きゃっかんてき体系たいけいされており、目的もくてき合理ごうりせいにおいて科学かがく技術ぎじゅつ体系たいけい絶対ぜったいてき根拠こんきょっているとした。ゆえにあらゆる政治せいじ行為こうい価値かちはまず目的もくてき合理ごうりせいにおいて科学かがくてきあるいは技術ぎじゅつてき正当せいとうなものであるかどうかの判断はんだんきには成立せいりつせず、イデオロギーがなんらかの制度せいど社会しゃかい確立かくりつするときに目的もくてき合理ごうりせい合致がっちしているかどうかということはおおきな影響えいきょうつとされた。ときにはこのような目的もくてき合理ごうりせいがそれ自体じたい支配しはいてき観念かんねんとなり、人間にんげん疎外そがいをもたらすと指摘してきした。すなわちこのような目的もくてき合理ごうりせい支配しはいてき社会しゃかいでは、文化ぶんかてき人間にんげんせい否定ひていされ、人間にんげん行動こうどう目的もくてき合理ごうりせい適合てきごうてきなように物象ぶっしょうされていくと警告けいこくしたのである。これは後述こうじゅつのシュミットにつうじるかんがかたである。

しかし一方いっぽうトーマス・クーンパラダイム理論りろん示唆しさするように、歴史れきしてきには科学かがく理論りろん技術ぎじゅつてき十分じゅうぶん検証けんしょう可能かのうでないときは、かならずしも目的もくてき合理ごうりてきでない、思想しそうてき理論りろん信仰しんこうによって主流しゅりゅう科学かがく理論りろん —したがって科学かがく方向ほうこうせいも— が決定けっていされてきたということが指摘してきされている。

このような見方みかたしたがえば、歴史れきしてきには科学かがくとイデオロギー(とびうるような思想しそう信条しんじょう)のあいだ相補そうほてき関係かんけいってきたということもできる。たとえば天動説てんどうせつキリスト教きりすときょう信仰しんこう密接みっせつむすびついていたし、地動説ちどうせつについても太陽たいよう崇拝すうはいであるヘルメース信仰しんこうとの関連かんれんせい指摘してきするせつがある。技術ぎじゅつてき進歩しんぽによって地動説ちどうせつただしさが裏付うらづけられたが、技術ぎじゅつてき完全かんぜん検証けんしょう不可能ふかのう段階だんかいでは、どちらのせつをとるかは思想しそう信条しんじょうによって判断はんだんされたという見方みかたである。実際じっさいダーウィン進化しんかろん否定ひていして、聖書せいしょてき創造そうぞうろん学校がっこうおしえるべきという運動うんどうアメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく広汎こうはん存在そんざいするが、これは進化しんかろん技術ぎじゅつてきにはかならずしも完全かんぜん検証けんしょうされているわけでなく、たとえばパウル・カンメラーによるサンショウウオやサンバガエル、ユウレイボヤの実験じっけん[ちゅう 1]のように、現在げんざいのダーウィンてき進化しんかろん説明せつめいがつかないとされる実験じっけん結果けっか報告ほうこくされていたり、宇宙うちゅう物理ぶつりがく心理しんりがく立場たちばからダーウィンてき進化しんかろん対立たいりつするような目的もくてきろんてき見解けんかいサイバネティクスによるコンプトン効果こうか説明せつめい[ちゅう 2]心理しんりがくてき目的もくてきろんなど)が提示ていじされていることによる。もちろんこれらの事実じじつはダーウィンの進化しんかろん懐疑かいぎうなが事実じじつであっても、創造そうぞうろん積極せっきょくてき支持しじするような内容ないようではない。とはいえ、科学かがく理論りろんたいして技術ぎじゅつてき検証けんしょう不可能ふかのうである場合ばあい思想しそう信条しんじょうにより科学かがく理論りろん選択せんたくされうることは、おおくの科学かがく史家しかみとめるところである。

したがってあらゆるイデオロギーが科学かがく技術ぎじゅつのような、客観きゃっかんてき目的もくてき合理ごうりせいうえっているならば、その次元じげんでの正当せいとうせいろんじることによってイデオロギーてき政治せいじ行為こういただしい政治せいじ行為こういあいだ判別はんべつ可能かのうであるとかんがえられる。目的もくてき合理ごうりせいにおいてあきらかに欺瞞ぎまんふく政治せいじ行為こういが、正当せいとう政治せいじ行為こういであるわけはないから、社会しゃかいてきなコミュニケーションのレベルでのイデオロギーの摘出てきしゅつには十分じゅうぶん効果こうか期待きたいできる分析ぶんせきであるといえる。

このような見方みかた欠点けってんは、イデオロギーが目的もくてき合理ごうりせいのっとった社会しゃかいてきなコミュニケーションののみでっているかというてん盲目もうもくなことである。上述じょうじゅつしたように、イデオロギーの核心かくしんをなす信条しんじょう信仰しんこう目的もくてき合理ごうりせいとはほとんど関係かんけいないから、イデオロギーてき政治せいじ理念りねん目的もくてき合理ごうりせいのっとった政治せいじ行為こうい主張しゅちょうするということもつため、このようなイデオロギーの分析ぶんせきにはあまり有効ゆうこうではない。

また技術ぎじゅつてき発展はってんによってイデオロギーてき観念かんねん支配しはいから脱却だっきゃくできるかという問題もんだいがある。

1933ねんにナチスに入党にゅうとうしたカール・シュミットは、右派うはてきなイデオロギーをっていた[2]。シュミットは、ハーバーマスが目的もくてき合理ごうりせいんだような、技術ぎじゅつ中立ちゅうりつてきで、したがって中性ちゅうせいてきであるとなすかんがかた技術ぎじゅつ信仰しんこうんで非難ひなんしている。技術ぎじゅつ信仰しんこう立場たちばつと、中立ちゅうりつ中性ちゅうせいてき技術ぎじゅつ進歩しんぽにより、あらゆる思想しそうてき対立たいりつ解消かいしょうされていくとされる。シュミットによれば、このような技術ぎじゅつ中立ちゅうりつてきであるがゆえに、さまざまな政治せいじ理念りねん武器ぶきとして奉仕ほうしすることができる。

シモーヌ・ヴェイユ技術ぎじゅつのもたらす生産せいさんせい発展はってんかならずしも約束やくそくされたものではないこと、あるしゅ濫費らんぴ形態けいたい排除はいじょされてもべつ濫費らんぴ形態けいたいしょうじてくることを指摘してきしている。ヴェイユは具体ぐたいれいとしてエネルギーげんをあげ、石油せきゆ石炭せきたん枯渇こかつした場合ばあい代替だいたいされると予想よそうされるエネルギーげん生産せいさんせいにおいて石油せきゆ石炭せきたんっているというようなことは簡単かんたん予想よそうされず、社会しゃかいがエネルギーてきすぐれた方向ほうこう進化しんかつづけるということを疑問ぎもんしている。社会しゃかい生産せいさんりょく発展はってん抑圧よくあつ必然ひつぜんてき解消かいしょうする —なぜならマルクスによれば階級かいきゅう社会しゃかい消滅しょうめつすればイデオロギーてき抑圧よくあつなるものは存在そんざいしなくなるから— というマルクスの見方みかたにも否定ひていてきである。またヴェイユは抑圧よくあつ批判ひはんしているはずのマルクス・レーニン主義しゅぎ抑圧よくあつしていることを指摘してきし、このことは抑圧よくあつがどのような政治せいじ体制たいせいのもとであれ存在そんざいしていることをあらわしているとした。したがって社会しゃかい発展はってんがどんなにすすんでも抑圧よくあつ存在そんざいし、その抑圧よくあつ根拠こんきょとなるイデオロギーはつね存在そんざいすることになる。ヴェイユによれば抑圧よくあつ形態けいたいたいつね注意ちゅういはらい、研究けんきゅうおこたらないことでイデオロギーの潜在せんざいあきらかにしていくべきだとべている[よう出典しゅってん]

日本にっぽんにおけるイデオロギー研究けんきゅう[編集へんしゅう]

日本にっぽんにおけるイデオロギー研究けんきゅう先駆せんくとしては幸徳こうとく秋水しゅうすいの『廿にじゅう世紀せいき怪物かいぶつ帝国ていこく主義しゅぎ』が注目ちゅうもくされる。この著作ちょさくにおいて幸徳こうとくは、当時とうじ政府せいふ膨張ぼうちょう政策せいさく愛国あいこく主義しゅぎ軍国ぐんこく主義しゅぎ産物さんぶつであると分析ぶんせきし、おもに道徳どうとくてき立場たちばから批判ひはんしている。当時とうじ膨張ぼうちょう主義しゅぎ非合理ひごうり野性やせいはっしていること、国家こっか生存せいぞん原因げんいん領土りょうど広狭こうきょうであるといつわっていること、挙国一致きょこくいっちのもとに政治せいじ闘争とうそう封殺ふうさつしていることなど、そのイデオロギーてき性格せいかく指摘してきしている。

大正たいしょう哲学てつがくしゃである左右田そうだ喜一郎きいちろうは『文化ぶんか価値かち極限きょくげん概念がいねん』のなかで当時とうじ官僚かんりょうてき政府せいふ哲学てつがく宗教しゅうきょうてき非合理ひごうりてきであると批判ひはんし、あらゆる文化ぶんか価値かち同等どうとう尊重そんちょうする文化ぶんか主義しゅぎ人格じんかく主義しゅぎ主張しゅちょうした。すなわち日本にっぽん独自どくじせいという欺瞞ぎまんかかげ、学問がくもん政治せいじ自由じゆう抑圧よくあつしている藩閥はんばつ政府せいふイデオロギーにたいして大正たいしょうデモクラシー擁護ようごした。しかし同時どうじプロレタリア独裁どくさいかかげる「社会しゃかい民主みんしゅ主義しゅぎ」を階級かいきゅう主義しゅぎてきな「かぎられたる民主みんしゅ主義しゅぎ」と定義ていぎし、イデオロギーてき抑圧よくあつした[ちゅう 3]

戸坂とさかじゅんは『日本にっぽんイデオロギーろん』をあらわし、日本にっぽんにおけるイデオロギー批判ひはんはじめて体系たいけいてきにまとめあげた。日本にっぽん特権とっけん階級かいきゅうのイデオロギーを哲学てつがくてき観念論かんねんろんにあるとし、その社会しゃかいてき適用てきようつうじて復古ふっこ主義しゅぎてき日本にっぽん主義しゅぎ出現しゅつげんし、ファシズムてき軍国ぐんこく主義しゅぎむすびついて日本にっぽんイデオロギーが形成けいせい発展はってんしてきたとする。また自由じゆう主義しゅぎ思想しそうがたやすく日本にっぽん主義しゅぎ転化てんかしやすいというてん指摘してきし、自由じゆう主義しゅぎ中間ちゅうかんてき勢力せいりょくとみる当時とうじ風潮ふうちょういつわりであるとした。かれはイデオロギーを客観きゃっかんてき現実げんじつ(すなわち下部かぶ構造こうぞう)の歪曲わいきょくされた模写もしゃであり、独自どくじ発展はってん法則ほうそくをもつと指摘してきしている。

丸山まるやま眞男まさおは『日本にっぽん思想しそう』のなかで、日本にっぽん社会しゃかいにおいては伝統でんとうてきにイデオロギー批判ひはん理論りろんてき政治せいじてき立場たちばでおこなわれることがなく、現実げんじつ肯定こうていというかたち既成きせい支配しはい体制たいせいへの追従ついしょうかえされてきたとべた。この現実げんじつ肯定こうていというかたちであるしゅ理論りろん価値かちすることを丸山まるやまは「実感じっかん信仰しんこう」とよび、西洋せいようの「理論りろん信仰しんこう」と対置たいちさせているが、これは論理ろんりより感覚かんかく重視じゅうしするという意味いみでのたんなる感覚かんかく主義しゅぎではない。「実感じっかん信仰しんこう」は事実じじつ主義しゅぎ伝統でんとう主義しゅぎふくみ、「理論りろん信仰しんこう」は科学かがく主義しゅぎあるいは理論りろん主義しゅぎてき立場たちば念頭ねんとういているとかんがえられる。

藤田ふじた省三しょうぞうは『天皇てんのうせい国家こっか支配しはい原理げんり』において、天皇てんのうせいささえたイデオロギーとしてヨーロッパてき社会しゃかいゆう機体きたいせつ東洋とうようてき儒教じゅきょう政治せいじろん矛盾むじゅんしながら結合けつごうした「家族かぞく国家こっかろん」を措定そていした。この「家族かぞく国家こっか」は内面ないめんてきには政治せいじ学問がくもん分野ぶんやにおいて官僚かんりょう主義しゅぎてき立場たちば徹底てっていさせ、外面がいめんてきには「いえ」の拡大かくだいというかたちでの膨張ぼうちょう主義しゅぎともなうとされた。またこのような「家族かぞく国家こっかろん」は天皇てんのうせい国家こっかいえ同質どうしつ自然しぜんてきなものとなす政治せいじてき本質ほんしつっており、このことによって天皇てんのうせいそれ自体じたい日本にっぽん社会しゃかいのあらゆる利害りがい中和ちゅうわする象徴しょうちょうとしてイデオロギーてきまつげられたといている。

現代げんだいへの課題かだい[編集へんしゅう]

冷戦れいせん終結しゅうけつ、イデオロギーの終焉しゅうえんこえつよまっている。社会しゃかい民主みんしゅてき中道ちゅうどう福祉ふくし政党せいとう世界せかい大勢おおぜいめ、かつてのようなイデオロギーをふりかざすことなく職業しょくぎょうてき専門せんもんてき政治せいじ官僚かんりょうによって純粋じゅんすい生活せいかつ向上こうじょうはかられる世界せかいかっているのが現代げんだいである、という分析ぶんせきである。また思想しそうめんからはおも構造こうぞう主義しゅぎしゃによってイデオロギーはディスクールに還元かんげん可能かのうであるとされた。

しかし、これらの事実じじつはイデオロギーの終焉しゅうえんかならずしも意味いみしない。以下いか代表だいひょうてきなイデオロギー終焉しゅうえんろんについて簡単かんたん内容ないようしるすとともに、その問題もんだいてん指摘してきする。

マルクス主義まるくすしゅぎてき見方みかた限界げんかい[編集へんしゅう]

資本しほん主義しゅぎ社会しゃかいはその経済けいざい論理ろんりをすべての階級かいきゅうおよぼし、同化どうか吸収きゅうしゅうてき階級かいきゅう社会しゃかい消滅しょうめつさせたとかれた。ゆえにこのような社会しゃかいでは階級かいきゅう闘争とうそう終結しゅうけつし、それにともなって深刻しんこくなイデオロギーてき対立たいりつ解消かいしょうしたとされた。

しかしマルクスの見方みかたにはおおきな欠陥けっかんがある。階級かいきゅうてき利害りがいがイデオロギーてきであることはもちろんであるが、イデオロギー自身じしんかならずしも階級かいきゅうてき利害りがい必要ひつようとしない。つまりイデオロギーはなんらかの階級かいきゅう制度せいど階級かいきゅう闘争とうそう前提ぜんていとしない。前述ぜんじゅつのヴェイユの立場たちばからも階級かいきゅう社会しゃかい解消かいしょうされてもイデオロギーてき抑圧よくあつがなお存在そんざいするであろうことはおそらく確実かくじつであるとおもわれる。そもそも社会しゃかい階級かいきゅう闘争とうそうてきにみる見方みかたでさえ、社会しゃかいてき抑圧よくあつ形態けいたいいつわっているという意味いみでイデオロギーてきであるといえる。

構造こうぞう主義しゅぎによるイデオロギー終焉しゅうえんろん[編集へんしゅう]

またフーコー構造こうぞう主義しゅぎ哲学てつがくでは制度せいど権力けんりょくむすびつく言語げんご表現ひょうげんとしてのディスクールによってイデオロギーは可能かのうだとされた。かれらは実際じっさい生活せいかつじょうあらゆる言語げんご意識いしきてきにしろ意識いしきてきにしろ権力けんりょく政治せいじむすびついていない言語げんごはないし、またあらゆる言語げんご政治せいじてきになりうることを主張しゅちょうし、そのような言語げんごないし言語げんごてきコミュニケーションをディスクールと名付なづけた。

構造こうぞう主義しゅぎしゃのディスクールにたいしては定義ていぎでも記述きじゅつしたように、イデオロギーはただ政治せいじてきなだけではない。なんらか固有こゆう見方みかた世界せかいかんふく排他はいたてきである。意味いみてき中立ちゅうりつてきなディスクールとは代替だいたい不可能ふかのうであり、イデオロギーはディスクールに還元かんげんできない固有こゆう意味いみつ。

経済けいざいがくにおけるイデオロギー終焉しゅうえんろん[編集へんしゅう]

さらに冷戦れいせん終結しゅうけつ国際こくさい経済けいざいにおける資本しほん主義しゅぎ影響えいきょうりょく完全かんぜんなものとなったため、意識いしきてき資本しほん主義しゅぎ根本こんぽんシステムを改変かいへんすることは事実じじつじょう不可能ふかのうなものとなっており、無条件むじょうけんれざるをないものとなっている。すべての経済けいざい社会しゃかいじょう問題もんだい資本しほん主義しゅぎてき全体ぜんたいいち問題もんだいとされ、イデオロギーを介在かいざいさせずに技術ぎじゅつてき解決かいけつ可能かのうとされる。たとえば南北なんぼく格差かくさ問題もんだい紛争ふんそう問題もんだい経済けいざいじょう利害りがい還元かんげんし、市場いちば経済けいざい範囲はんいないでさまざまな調整ちょうせいをすることによって解決かいけつ可能かのうだとする見方みかたである。この立場たちばでは資本しほん主義しゅぎてき経済けいざい原理げんりをすべてのひとれている以上いじょう、イデオロギー闘争とうそうのような根本こんぽんてき思想しそう対立たいりつはありえないと主張しゅちょうされた。

しかし民族みんぞくてき問題もんだい宗教しゅうきょうてき問題もんだいがしばしば国際こくさい紛争ふんそう発展はってんすることをてもあきらかなように、たとえ資本しほん主義しゅぎ原則げんそくすべてのひとみとめたとしてもイデオロギー対立たいりつ存在そんざいしうる。イデオロギーの根本こんぽん信条しんじょう信念しんねん、あるいは党派とうはてき利害りがいであって、経済けいざい原理げんり社会しゃかい問題もんだいから出発しゅっぱつしてその思想しそう形成けいせいするのではない。

多元たげん主義しゅぎてき立場たちばからのイデオロギー終焉しゅうえんろん[編集へんしゅう]

エルサレム
ユダヤきょうキリスト教きりすときょうイスラム教いすらむきょう聖地せいちであるこの都市としは、古代こだい時代じだいから民族みんぞく問題もんだい宗教しゅうきょう問題もんだいなどのイデオロギー闘争とうそうにさらされてきた。エルサレムをめぐ問題もんだいはいまなお解決かいけつされていない

最後さいご現代げんだいのような価値かち多様たようみとめている時代じだい状況じょうきょうにおいてはイデオロギーは相対そうたいてき合理ごうりしてながめることが可能かのうで、政治せいじてき正当せいとうせい根拠こんきょ不毛ふもう観念論かんねんろんそうではなく現実げんじつ生活せいかつそくした実利じつりにあるという主張しゅちょうがある。現代げんだい知識ちしきじん自己じこのイデオロギーを諧謔かいぎゃくてき意識いしきすることでいつわりの信念しんねん見抜みぬくことができ、それが行動こうどうむすびつくことはないとかれた。

これにたいしてはおもふたつの観点かんてんからあやまりを指摘してきすることが出来できる。まずイデオロギーはかたられていることだけにあるのではなく、行動こうどう社会しゃかい状況じょうきょうにもふくまれている。つまりイデオロギーは人々ひとびとがどうかんがえるかという問題もんだいではなく、げんにある社会しゃかい状況じょうきょうまれ事実じじつ関係かんけいいつわっていることがあり、イデオロギーてき信条しんじょう実際じっさい信奉しんぽうしていないのにもかかわらず、イデオロギーに奉仕ほうししていることがある。たとえばあるしゅのイデオロギーをかかげた政策せいさくにそのイデオロギーせい認識にんしきしつつも実利じつり優先ゆうせんして迎合げいごうすることはイデオロギーてき目的もくてき奉仕ほうししていることであり、イデオロギーから自由じゆうになっているとはえない。また実利じつりさい優先ゆうせんするこのようなかんがかたそれ自体じたいがイデオロギーてきである実利じつり観念かんねん社会しゃかい状況じょうきょう経済けいざい原理げんりなどはそれぞれべつ次元じげん問題もんだいである。たとえばイデオロギーのふく世界せかいかん倫理りんりかん現実げんじつ生活せいかつ実利じつりとは関係かんけいない場合ばあいおおいし、実利じつり優先ゆうせんするかそれともなんらかの観念かんねん優先ゆうせんするかは個人こじんのイデオロギーてき問題もんだいである。イデオロギーが価値かち多様たようなかでほかのなんらかの価値かちあいだ埋没まいぼつするという主張しゅちょうただしい見方みかたではないといえる。

現代げんだい国際こくさい情勢じょうせいかんがみても民族みんぞく紛争ふんそうなどが激化げきかしており、戦争せんそう紛争ふんそう問題もんだいてんあきらかにするためにイデオロギーてき背景はいけいあきらかにすることは有意義ゆういぎであるとかんがえられる。現代げんだい社会しゃかいのイデオロギーはより複雑ふくざつ感知かんちしがたいものとなっているとかんがえられているため、時代じだいそくしたイデオロギー分析ぶんせき必要ひつようとされている。

年譜ねんぷ[編集へんしゅう]

  • 1801ねん - デステュット・ド・トラシー『観念かんねんがく要理ようり大綱たいこう
  • 1841ねん - ルートヴィヒ・フォイエルバッハ『キリストきょう本質ほんしつ
  • 1844ねん - カール・マルクス『経済けいざいがく哲学てつがく草稿そうこう
  • 1846ねん - カール・マルクス、フリードリヒ・エンゲルス『ドイツ・イデオロギー』
  • 1867ねん - カール・マルクス、フリードリヒ・エンゲルス『資本しほんろん
  • 1895ねん - エミール・デュルケム『社会しゃかいがくてき方法ほうほう規準きじゅん
  • 1916ねん - ヴィルフレッド・パレート『社会しゃかいがく大綱たいこう
  • 1922ねん - ジェルジ・ルカーチ『歴史れきし階級かいきゅう意識いしき
  • 1929ねん - カール・マンハイム『イデオロギーとユートピア』、V・N・ヴォロシノフ『マルクス主義まるくすしゅぎ言語げんご哲学てつがく
  • 1947ねん - テオドール・アドルノ、マックス・ホルクハイマー『啓蒙けいもう弁証法べんしょうほう
  • 1975ねん - ミシェル・ペシュ『言語げんご意味いみろん、イデオロギー』
  • 1979ねん - ピエール・ブルデュー『ディスタンクシオン』

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

注釈ちゅうしゃく[編集へんしゅう]

  1. ^ カンメラーの実験じっけんについてはアーサー・ケストラーの『サンバガエルのなぞ』による。しかし、実験じっけん結果けっか捏造ねつぞうであるとする見方みかた根強ねづよい。
  2. ^ コリン・ウィルソンの『オカルト』によると、1969ねんロンドンのインペリアル・カレッジでひらかれた国際こくさいサイバネティクス会議かいぎにおいて、デイヴィッド・フォスターが物理ぶつりがくてき発見はっけん哲学てつがくてき意味いみについて講演こうえんしたなかでコンプトン効果こうか言及げんきゅうしたという。
  3. ^ 左右田そうだのいう「社会しゃかい民主みんしゅ主義しゅぎ」は社会しゃかい主義しゅぎ一般いっぱんすものとかんがえられ、今日きょうてきえば共産きょうさん主義しゅぎ語感ごかんちかい。

出典しゅってん[編集へんしゅう]

  1. ^ 「イデオロギー」の意味いみ使つかかた わかりやすく解説かいせつ Weblio辞書じしょ”. www.weblio.jp. 2022ねん7がつ18にち閲覧えつらん
  2. ^ Klee, Ernst (2007). Das Personenlexikon zum Dritten Reich. Wer war was vor und nach 1945. Frankfurt-am-Main: Fischer-Taschenbuch-Verlag. p. 549. ISBN 978-3-596-16048-8 

参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]

上記じょうき参考さんこう文献ぶんけん以外いがいのイデオロギーをあつかった文献ぶんけん[編集へんしゅう]

日本語にほんご翻訳ほんやくされているもの[編集へんしゅう]

海外かいがい文献ぶんけん[編集へんしゅう]

  • マーティン・セリガー『イデオロギーと政治せいじ』(Martin Seliger,Ideology and Politics,1977)

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]