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鍼灸しんきゅう

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
鍼灸しんきゅうじゅつから転送てんそう
0.16mmじゅうろくみりみちの鍼
やいと

鍼灸しんきゅう(しんきゅう)とは、身体しんたいに鍼ややいともちいた刺激しげきあたえることで、多様たよう疾病しっぺいへの治療ちりょうてき介入かいにゅう健康けんこう増進ぞうしん目的もくてきとする民間みんかん療法りょうほうである。中国ちゅうごく医学いがくけい伝統でんとう医学いがくもちいられる治療ちりょうほうひとつで、補完ほかん代替だいたい医療いりょうとみなされることもある。諸子しょしひゃくいえ時代じだい文献ぶんけん鍼灸しんきゅう治療ちりょうられる[1]理論りろん体系たいけいされたのは、戦国せんごくからこうかん(B.C.5世紀せいき〜A.D.3世紀せいき)にかけてであり[2]最初さいしょ理論りろん体系たいけいとしてこうかんまつ(200ねん前後ぜんこう)に成立せいりつした『みかどないけい』(生理学せいりがくないし一般いっぱん病理びょうりがくについての『とい』と鍼灸しんきゅう理論りろんあつかわれた『れいくるる』)と『みかどはちじゅうはちなんけい』(『なんけい』)がある[1]

身体しんたいくわえたさまざまな物理ぶつり刺激しげきによる治療ちりょうてき経験けいけんそくすう世紀せいきわた集積しゅうせきであり、これを技術ぎじゅつろんとして構築こうちくした技法ぎほうを「鍼灸しんきゅう」とぶ。近世きんせいまで、生薬きぐすりかたともひがしアジア各国かっこく主要しゅよう医療いりょう技術ぎじゅつとして発展はってんした。とくに17-19世紀せいき日本にっぽんにおいて鍼灸しんきゅう独自どくじ発展はってんげ、現在げんざい世界せかいてき活用かつようされる鍼灸しんきゅう技法ぎほう基盤きばん形成けいせいした。日本にっぽんでは「医師いし」のほか「はり」「きゅう」がこれをおこなえる。20世紀せいき後半こうはんよりは欧米おうべいにおいても有用ゆうよう医療いりょう技術ぎじゅつとして認識にんしきされて活用かつようされるようになり(英語えいごではAcupuncture and Moxibustionとやくされる)、これをけるかたちで、世界せかい保健ほけん機関きかん(WHO)は、1996ねん10がつ28にち-11月1にちにセルビアで“鍼にかんする会議かいぎ”を開催かいさいし、1999ねんには、鍼治療ちりょう基礎きそ教育きょういく安全あんぜんせいかんするガイドラインを提示ていじした[2][* 1]

UNESCOは「伝統でんとう中国ちゅうごく医学いがくとしての鍼灸しんきゅう」(Acupuncture and moxibustion of traditional Chinese medicine)を、2010ねん11月16にち無形むけい文化ぶんか遺産いさん指定していした[3]

概要がいよう[編集へんしゅう]

中国ちゅうごく中心ちゅうしんひがしアジア各地かくち近代きんだいまでおこなわれてきた医療いりょう主流しゅりゅうは、生薬きぐすりもちいた「なま薬方やくほう」と、物理ぶつり療法りょうほうである「鍼灸しんきゅう」である。診察しんさつ手段しゅだんが「からだひょう観察かんさつ」と「触診しょくしん」のみしかなかった古代こだいから近代きんだいにかけて、からだ表面ひょうめんからの病態びょうたい診断しんだんほう(「あかし」とばれる病態びょうたい分類ぶんるいほう)が発達はったつし、それに対応たいおうする治療ちりょうてき技法ぎほうとして、なま薬方やくほう鍼灸しんきゅうほんばしらとする治療ちりょう技法ぎほう体系たいけい成立せいりつした。つまり鍼灸しんきゅうひがしアジアにおける医療いりょう技法ぎほうかたつばさで、生薬きぐすりかた対置たいちするものである。

これらなま薬方やくほう鍼灸しんきゅうは、ひがしアジア各国かっこく地域ちいき対応たいおうした発達はったつをみたが、とく日本にっぽんにおいては、江戸えど技法ぎほう技術ぎじゅつ体系たいけい目覚めざましい発達はったつ独自どくじになされたことがられる。すなわち、生薬きぐすりかたは「漢方かんぽう」として日本にっぽん独自どくじのものとして発達はったつし、鍼灸しんきゅうも「鍼管(ストローじょうそととうなかほそい鍼をれるもの)」の発明はつめいによる鍼のほそみちとそれにともな手技しゅぎ変化へんか体系たいけいげられた。日本にっぽんさんなま薬方やくほうである「漢方かんぽう」と、日本にっぽんさんの鍼管をもちいた鍼灸しんきゅうあわせたものが、従来じゅうらい東洋とうよう医学いがく」とばれ、だい世界せかい大戦たいせん共産きょうさん中国ちゅうごくにおいて国策こくさくとして成立せいりつした「ちゅう医学いがく」と区別くべつされてきた経緯けいいがある。

日本にっぽんにおいては、なま薬方やくほうもちいる医師いし鍼灸しんきゅうもちいる鍼灸しんきゅうは、はや時代じだいから分業ぶんぎょうしていたことがられているが、分業ぶんぎょう決定的けっていてきになったのは江戸えど時代じだい盲人もうじん政策せいさくによる。幕府ばくふ政策せいさくとして「按摩あんま」を盲人もうじん専業せんぎょうとして規定きていしたところから、手技しゅぎ連続れんぞくする鍼灸しんきゅうときずして盲人もうじん職業しょくぎょうとなっていった。これにより、日本にっぽんにおいては、一般いっぱんてき生薬きぐすりもちいる医師いし漢方かんぽう)と、盲人もうじんによる鍼をもちいる医師いし鍼医)が医療いりょうになとなる。

盲人もうじん鍼灸しんきゅうになった歴史れきし世界せかい鍼灸しんきゅう見渡みわたしてもれいがなく、日本にっぽん鍼灸しんきゅう非常ひじょう特異とくい経緯けいいをたどったものとえる。先述せんじゅつ鍼管発明はつめいや、技法ぎほう独自どくじ発達はったつも、これら視覚しかく不自由ふじゆうじゅつしゃ技法ぎほうになったことによりなされた側面そくめんつよく、江戸えど時代じだい盲人もうじん鍼灸しんきゅうたした役割やくわり非常ひじょうおおきい。幕末ばくまつから明治めいじ初期しょきにかけての西欧せいおう医学いがく導入どうにゅうさいして、漢方かんぽう比較的ひかくてきスムーズに西欧せいおう移行いこうしたが、鍼医もしくは鍼灸しんきゅうについては、当時とうじ西欧せいおう医学いがくには対応たいおうする技法ぎほうもないため医療いりょうしょくからは除外じょがいされ、「盲人もうじん職業しょくぎょう保護ほご」との名目めいもくで、慰安いあんぎょうとしての、はり・きゆう・按摩あんま資格しかく盲学校もうがっこうのこされた。しかし、実際じっさいには、明治天皇めいじてんのうはじめ鍼灸しんきゅう信頼しんらいせる人々ひとびとおおく、鍼灸しんきゅう現実げんじつには戦前せんぜんまでの国民こくみん医療いりょう一端いったんになってきたのが実情じつじょうである。

戦後せんご、それまで営業えいぎょう鑑札かんさつであったはりきゆうの免許めんきょ国家こっか資格しかくとなり、幾度いくどかのほう改正かいせいて、現在げんざいでは3ねん以上いじょう養成ようせい機関きかんまなぶことが、「はり」と「きゅう」の国家こっか試験しけん受験じゅけん要件ようけんとなっている。

なお、医師いしほうとの整合せいごうせいについては、あんマツサージ指圧しあつ、はり、きゆうとうかんする法律ほうりつだいいちじょうにより、鍼灸しんきゅう関連かんれんする医業いぎょう類似るいじ行為こういかんしては、医師いしによる業務ぎょうむ独占どくせん部分ぶぶん解除かいじょする、というかたちみとめられている。

歴史れきし[編集へんしゅう]

中国ちゅうごく大陸たいりく[編集へんしゅう]

古代こだい中古ちゅうこ[編集へんしゅう]

みかどないけい

春秋しゅんじゅう時代じだいすえから戦国せんごく時代じだいには、「やいと」はすでにもちいられていたようで、「孟子もうし」にやいと治療ちりょうたいする最古さいこ記載きさいがある。現存げんそんする医書いしょとして実際じっさい鍼灸しんきゅう治療ちりょうほう記載きさいされる最古さいこのものとしては、うまおううずたかかん前漢ぜんかん・B.C.168)出土しゅつどたけ帛書(はくしょ=きぬかれたもの)に、「あしひじじゅう一脈いちみゃくやいとけい」「陰陽いんようじゅう一脈灸経甲本」「みゃくほう」「陰陽いんようみゃくこう」「じゅうびょうかた」などと名付なづけられたものがあるが、これらはすべて「やいと」にもとづいた治療ちりょうほうしょである。ほどこせ灸点きゅうてんとしての「経穴けいけつ」や「経絡けいらく」という概念がいねん登場とうじょうしているが、これら経絡けいらく経穴けいけつたいする「」の適用てきようほう確立かくりつしたのは、こうかん(~A.D.3世紀せいき)の時代じだいとされる。現在げんざい活用かつようされる鍼灸しんきゅう古典こてん医書いしょみかどないけい(A.D.3世紀せいき成立せいりつ)』は、前述ぜんじゅつ出土しゅつど医書いしょぐん直系ちょっけいとされているが、記述きじゅつされる内容ないようは、完全かんぜんに「」が主体しゅたい体系たいけいにシフトしている。これは、前漢ぜんかんからこうかんいたる2〜3世紀せいきあいだに、本来ほんらいやいと」による物理ぶつり療法りょうほうとしてまれた治療ちりょう技術ぎじゅつ体系たいけいが、「砭石」(へんせき=いしのメスによる瀉血しゃけつ療法りょうほうなどを包含ほうがんし、より簡便かんべんな「」による物理ぶつり療法りょうほうとして発展はってんしたことをしめすものとかんがえられている。「やいと」で見出みいだされたからだ表面ひょうめん治療ちりょう役立やくだ部位ぶい経絡けいらく経穴けいけつ)は、「」による刺激しげきにも対応たいおうすることが発見はっけんされ、発展はってんたわけである。そのやいと療法りょうほうすたれたわけではなく、病態びょうたい対応たいおうした「やいと」と「」の使つかけがなされ、「鍼灸しんきゅう」として活用かつようされてきた。『みかどないけい』の『といほうかたむべろんへんには、華北かほく平野へいや北方ほっぽうより「やいと」が、東方とうほうより「?いし」が、南方なんぽうより「きゅう鍼=」が、西方せいほうより「なま薬方やくほう」がこり、中央ちゅうおうの「しるべ引(気功きこう按摩あんま・ストレッチ)」とわさって、当時とうじ医療いりょう技術ぎじゅつ形成けいせいした伝説でんせつしるされている。そのこれら鍼灸しんきゅう技法ぎほうは、陰陽いんようぎょう思想しそう融合ゆうごうし、独特どくとく治療ちりょう体系たいけい形成けいせいしていく。

この時代じだい鍼灸しんきゅうになったちょあかり医家いかとしては、史記しき列伝れつでんのこす『なんけい』の著者ちょしゃひらたかささぎや、さんこく時代じだいこころざし」に登場とうじょうするはな、『鍼灸しんきゅう甲乙こうおつけい』を編纂へんさん(へんさん)したすめらぎはじめなどがる。

中世ちゅうせい[編集へんしゅう]

そうだいだいつくられたどうじん。鍼の学習がくしゅう教材きょうざいである

そうだいからもとだい医学いがく全般ぜんぱん理論りろんてき整理せいり内容ないよう充実じゅうじつはかられ、後世こうせい金元かねもと医学いがくばれるひとつのエポックを形成けいせいした。金元かねもと医学いがく中心ちゅうしんおもえき生薬きぐすりかた)であり、ここにいたあらたな薬方やくほうおお登場とうじょうした。これはやがて、江戸えど時代じだいにおける日本にっぽん主流しゅりゅう医学いがく原型げんけいとなっていくもので、古代こだいから発展はってんした煩雑はんざつからだ表面ひょうめん観察かんさつ分類ぶんるいほう診断しんだんほう)はやや簡便かんべんされ、実用じつようてき整理せいりされていた。これにたいし、もとすべり寿ことぶきのように、「なんけいなどのふる鍼灸しんきゅうしょてて、あたらしいえきはしるのは薮医者やぶいしゃである」『なんけい本義ほんぎ』とする批判ひはんもある。

近代きんだい以降いこう[編集へんしゅう]

1822ねんきよし王朝おうちょうは、「鍼灸しんきゅう一法いっぽう由来ゆらいすでにひさし、しかれども鍼をもってをもってやいとするは、きわむところたてまつきみよろしきところにあらず、ふとし医院いいん鍼灸しんきゅういちは、永遠えいえん停止ていしとなす。」と宮廷きゅうてい医院いいんない鍼灸しんきゅう廃止はいし宣言せんげんした。ふとし医院いいんくに最高さいこう医療いりょう行政ぎょうせい機関きかん)のみのことだったのがひろまり、それまで漢方薬かんぽうやく双璧そうへきだった鍼灸しんきゅう地位ちい低下ていかし、鍼灸しんきゅうはほとんど民間みんかん療法りょうほうになっていた[4]西洋せいよう医学いがく流入りゅうにゅうとも中国ちゅうごく医学いがく衰退すいたいはじまり、西欧せいおう植民しょくみんすすなかおおくの文物ぶんぶつ散逸さんいつし、実際じっさい技術ぎじゅつ喪失そうしつしつつあった。このような状況じょうきょうけ、中華民国ちゅうかみんこく時代じだい袁世凱中国ちゅうごく医学いがく禁止きんしし、1925ねん医学いがくこうでの中国ちゅうごく医学いがく教育きょういく禁止きんし、29ねんにはだいいち中央ちゅうおう衛生えいせい委員いいん会議かいぎにて中国ちゅうごく医学いがく廃止はいしあん批准ひじゅんした。これにたい全国ぜんこくてき反対はんたい活動かつどう展開てんかいし、36ねんなか条例じょうれい合法ごうほう地位ちい獲得かくとく、37ねんには政府せいふちゅう委員いいんかい設立せつりつさせることに成功せいこうした[4]

当時とうじ日本にっぽんでは明治維新めいじいしん以降いこう西欧せいおう医学いがく導入どうにゅうして伝統でんとう医師いし根絶こんぜつさくすすめたが、鍼灸しんきゅうだけは近代きんだい医学いがく教育きょういくした鍼灸しんきゅうかたち存続そんぞくし、科学かがく研究けんきゅうおこなわれていた。鍼灸しんきゅう伝統でんとう途絶とだえていた中国ちゅうごくは、日本にっぽんおおきな刺激しげき影響えいきょうけた[4]中華民国ちゅうかみんこくにおける中国ちゅうごく医学いがく廃止はいし政策せいさくさいし、政府せいふたいして反論はんろん利用りようされたのが、江戸えど明治めいじ伝統でんとう医学いがく研究けんきゅうしょである。やなぎまこと調査ちょうさでは、日本にっぽん鍼灸しんきゅうしょ中国ちゅうごくばん出版しゅっぱん回数かいすうは1934ねんに8かい、35ねんに21かい、36ねんに83かい急増きゅうぞうするが、そのブームはにちちゅう戦争せんそうによってわった[4]。また日本にっぽんでは、明治めいじになると伝統でんとうてき医学いがくしょ不要ふようとされ、おおくがきよし流出りゅうしゅつしたが、これには中国ちゅうごく朝鮮ちょうせん出版しゅっぱんされた医学いがくしょふくまれていた[5]

現代げんだい[編集へんしゅう]

日本にっぽん敗戦はいせん国民党こくみんとう共産党きょうさんとう内戦ないせんて、勝利しょうりした中共ちゅうきょう国威こくい発揚はつようのため、「西洋せいよう医師いし通常つうじょう医師いし」と対等たいとうの「ちゅう医師いし伝統でんとう医学いがく医師いし」を規定きていした。全国ぜんこくから「老中ろうじゅう」とばれる伝統でんとう医師いし招聘しょうへいし、その玉石混交ぎょくせきこんこう多様たよう技法ぎほうを、とう権力けんりょくもと統合とうごう体系たいけいしたものであった。ちゅう医学いがく多様たよう中国ちゅうごく医学いがくひとつであるが、中国ちゅうごく全土ぜんどなま薬方やくほう鍼灸しんきゅう技法ぎほう多様たようせいてて、簡便かんべん体系たいけいしたという側面そくめんもある。中国ちゅうごく医学いがく歴史れきしふるいが、現在げんざい中国ちゅうごくおこなわれているちゅう医学いがく歴史れきしだけをみると、すうじゅうねんみじかい。また、中共ちゅうきょうがこのちゅう医学いがくを「作成さくせい」するにあたって、その原型げんけいとした文物ぶんぶつや「老中ろうじゅう」の技法ぎほうには、近代きんだい以後いご日本にっぽんからぎゃく輸出ゆしゅつされた日本にっぽん鍼灸しんきゅう研究けんきゅう成果せいかおお反映はんえいされている。にちちゅう戦争せんそう以前いぜんだいいち日本にっぽん伝統でんとう医学いがく研究けんきゅうしょブームにつづき、1949ねんからの中華人民共和国ちゅうかじんみんきょうわこくでは、1966ねん文化ぶんかだい革命かくめいまでに、昭和しょうわ鍼灸しんきゅうしょあらたに16しゅ翻訳ほんやく出版しゅっぱんされ、鍼灸しんきゅうふくめただい日本にっぽん伝統でんとう医学いがくしょブームがきていた[4]中華民国ちゅうかみんこく時代じだいから鍼灸しんきゅう復興ふっこう教育きょういく啓蒙けいもうおこなっていたなか医師いしで、とくに精力せいりょくてき活動かつどうしたうけたまわあわあん(1899 - 1957)は、1934〜35ねん訪日ほうにち東京とうきょう高等こうとう鍼灸しんきゅう学校がっこう呉竹くれたけ学園がくえん)などを視察しさつし、帰国きこくすぐに中国ちゅうごく鍼灸しんきゅう医学いがく専門せんもん学校がっこう設立せつりつした[4]。その門下もんかが、1956ねんから各地かくち設立せつりつされたなか医学いがくいん教鞭きょうべんにあたり、60ねん刊行かんこうされたなか医学いがくいんだいいちはん統一とういつ教材きょうざい編纂へんさんしているが、現代げんだいちゅう医学いがく骨格こっかくはこのだいいちはん教材きょうざいきずかれている[4]。このような歴史れきしてき経緯けいいから、現在げんざい日本にっぽん中国ちゅうごく鍼灸しんきゅう医学いがくは、えき薬物やくぶつ療法りょうほう)ほどのちがいがない[4]

べいちゅう関係かんけい緊張きんちょう緩和かんわけて共和党きょうわとうニクソンべい大統領だいとうりょう訪中ほうちゅうしたさいちゅう鍼灸しんきゅうによる、鍼のみの鎮痛ちんつう処置しょちによって麻酔ますいもちいず外科げか手術しゅじゅつをしている風景ふうけいがメディアに紹介しょうかいされたことから、1970年代ねんだい世界せかいてき麻酔ますいブームがきた。

麻酔ますいについては、その痛覚つうかく閾値をおおきく上昇じょうしょうさせる効果こうか自体じたいは、じょ研究けんきゅうされあきらかとなったが、実際じっさい外科げか手術しゅじゅつなどにおける麻酔ますい手段しゅだんとして鍼麻酔ますい適用てきようする場合ばあい効果こうか個々ここ患者かんじゃおおきくことなり、活用かつようにはあまりにも不便ふべんであったため、そのかえりみられなくなった。

薬価やっかがかからない鍼灸しんきゅうは、まずしい時代じだい中国ちゅうごくにおいては非常ひじょう有用ゆうよう医療いりょう技術ぎじゅつであり、さまざまな疾病しっぺいたいして鍼灸しんきゅう活用かつようされたが、これは、裕福ゆうふく人々ひとびと現代げんだい医学いがくたより、まずしい人々ひとびとちゅう医学いがくたよる、という構図こうず出現しゅつげんでもあった。鍼灸しんきゅう研究けんきゅうにおいては、研究けんきゅう基盤きばんがないこともあり、戦前せんぜん戦中せんちゅう日本にっぽんおこなわれた研究けんきゅうあとをなぞるレベルからだっすることはなく、現在げんざいいたっている。経済けいざい状態じょうたい好転こうてんした近年きんねんにおいては、中国ちゅうごく国内こくないでの鍼灸しんきゅうへの評価ひょうか多様たようしているが、鍼灸しんきゅうのニーズがたかまっている欧米おうべいとく米国べいこく志向しこうなか医師いしおおくなっている。中国ちゅうごく韓国かんこくはWHOなどを舞台ぶたいに、鍼灸しんきゅうふくひがしアジア伝統でんとう医学いがくたいして主導しゅどうけん獲得かくとく姿勢しせい見受みうけられ、外交がいこう問題もんだいともなっているが、これにたい日本にっぽん伝統でんとう学会がっかい国際こくさい社会しゃかいへの興味きょうみ比較的ひかくてきとぼしい。

ひがしアジア伝統でんとう医学いがく標準ひょうじゅんは、中国ちゅうごく主導しゅどうすすみつつある。治療ちりょうもちいる鍼はくにによって形状けいじょうことなるが、2009ねん国際こくさい標準ひょうじゅん機構きこう(ISO)で設置せっち承認しょうにんされたTC249では、2010ねんだい1かい全体ぜんたい会議かいぎ (北京ぺきん) 以降いこう、2013ねんまでに4かい全体ぜんたい会議かいぎ開催かいさいされた。このあいだ鍼灸しんきゅう領域りょういきでは、鍼灸しんきゅう鍼の国際こくさい規格きかく作成さくせいをscopeとするWG3と鍼灸しんきゅう鍼以がい医療いりょう機器きき規格きかく作成さくせいとくしたWG4の2つが設置せっちされ、伝統でんとう医学いがく領域りょういき医療いりょう機器きき国際こくさい規格きかく策定さくていすすめられた。2014ねんには「滅菌めっきんたんかい使用しよう毫鍼(Sterile acupuncture needles for single use)」規格きかく発行はっこうされた[6]中国ちゅうごくからは鍼そのものの品質ひんしつ安全あんぜんせいだけでなく、鍼治療ちりょう安全あんぜんせい規格きかく対象たいしょうにしようとの提案ていあんがあったが、これにたいしては是正ぜせいするようもとめる日本にっぽん主張しゅちょうとおったようである[7]

日本にっぽん[編集へんしゅう]

ぜん近代きんだい[編集へんしゅう]

日本にっぽんでは、鍼灸しんきゅうずい使遣唐使けんとうし伝来でんらいとも本格ほんかくてきなテキストと技術ぎじゅつ伝来でんらいがなされたとわれているが、日本書紀にほんしょき允恭天皇いんぎょうてんのうちゅうにも鍼灸しんきゅう関連かんれんする記述きじゅつられ、民間みんかんレベルでの技術ぎじゅつ伝播でんぱは、さらに時代じだいさかのぼるものとかんがえられる[8]。 いずれにしても、遣唐使けんとうしによる鍼灸しんきゅう技術ぎじゅつ伝播でんぱは、たん技術ぎじゅつめんにとどまらず、医療いりょう制度せいどとしての鍼灸しんきゅう日本にっぽん模倣もほうさせるものとなり、701ねん制定せいていされた大宝たいほう律令りつりょうには、医療いりょうつかさど中央ちゅうおう官職かんしょくとして博士はかせ按摩あんま博士はかせとも博士はかせ規定きていされた。博士はかせである丹波たんばかんよりゆきは、この時期じき伝来でんらい医書いしょを『しんかた』というかたち編纂へんさんし、現在げんざいまでその内容ないよう保存ほぞんされている。しんかたは、現在げんざいではうしなわれたテキスト(佚書いっしょばれる)がおおふくまれるもので、文献ぶんけんがくてきおおきな価値かちゆうするものである。この時代じだい日本にっぽんの鍼法についてであるが、外科げかてきなものや特効とっこうあな治療ちりょう主体しゅたいであったとする意見いけんがあるが、実際じっさいにこの時代じだい日本にっぽん鍼灸しんきゅう技法ぎほう総括そうかつするのは、現状げんじょうでは簡単かんたんではない。現代げんだい日本にっぽんおこなわれる鍼法は、こうかん以前いぜん成立せいりつした鍼灸しんきゅう原典げんてんであるみかどないけい回帰かいきした「金元かねもと医学いがく」の鍼法(けいみゃく経絡けいらく)を意識いしきした鍼法)が主体しゅたいとされており、平安へいあんに、大陸たいりくにおいてひろ活用かつようされた『千金せんきんかた』や『そとだいよう』など、わば一般いっぱんけの「家庭かてい医学いがくてきなテキストの影響えいきょうにある特効とっこうあな鍼法とは一見いっけんおもむきことにするのは事実じじつである。しかし、「なんけい」などにえるけいみゃく主体しゅたい治療ちりょうも、すで概要がいようこうかんまでには整頓せいとんされ成立せいりつしている体系たいけいであり、平安へいあんにおけるその影響えいきょう考察こうさつするには、まだときようするものとわれている。また、日本にっぽん平安朝へいあんちょうにおける鍼法の主流しゅりゅう特効とっこうあな治療ちりょうであったという証左しょうさとぼしく、この時代じだい日本にっぽん鍼灸しんきゅう実態じったいについては、いまおおくが不明ふめいってよい。

豊臣とよとみ秀吉ひでよしによる文禄・慶長ぶんろくけいちょうえき(1592・1598ねん)のさいに、朝鮮半島ちょうせんはんとうにあった朝鮮ちょうせん中国ちゅうごく医学いがくしょ大量たいりょう日本にっぽんまれ、印刷いんさつ技術ぎじゅつつたえられた[9]。1592ねん秀吉ひでよしぐん略奪りゃくだつした書籍しょせきは、ふねすうそうすうせんかんともいわれ、このため朝鮮半島ちょうせんはんとうふる書籍しょせきはほとんどのこされていない[5]印刷いんさつ技術ぎじゅつ伝播でんぱ医学いがくしょ出版しゅっぱんされるようになった。

室町むろまち時代ときよから江戸えど時代じだいはいって日本にっぽん鍼灸しんきゅうおおきく発展はってんした。『鍼道秘訣ひけつしゅう』の御薗みそのゆめぶんとき鍼術しんじゅつ発明はつめいした息子むすこ御薗みそのとき、『といことわざかい』、『なんけい本義ほんぎことわざかい』、『じゅうよんけい発揮はっき和語わごしょう』など、鍼灸しんきゅう古典こてんたいする注釈ちゅうしゃく多数たすうなされ、出版しゅっぱんされた。また、岡本おかもといちだきのようにすぐれた臨床りんしょう多数たすう輩出はいしゅつされ、日本にっぽんにおける鍼灸しんきゅう内容ないようてきおおきな伸展しんてんげた。また、江戸えど臨床りんしょうでその日本にっぽん鍼灸しんきゅう巨大きょだい影響えいきょうのこしたのが、杉山すぎやま和一かずいちである。5だい将軍しょうぐん徳川とくがわ綱吉つなよし時代じだい、鍼刺いれのために「そととう(鍼管-しんかん-)」を使用しようすることを発明はつめいした杉山すぎやま和一かずいちは、綱吉つなよし治療ちりょうたり、平癒へいゆ褒章ほうしょうとして下町したまちひと屋敷やしきたまわり、将軍家しょうぐんけ医師いし地位ちいと、盲人もうじん最高さいこう検校けんぎょう-けんぎょう)をたまわった。また、おどろくべきことに、私費しひとうじて全国ぜんこく40箇所かしょ以上いじょうに「鍼術しんじゅつ教授きょうじゅしょ」を開設かいせつし、日本にっぽんにおける鍼灸しんきゅうを、盲人もうじん職掌しょくしょうとして確立かくりつした。この幕府ばくふ墨付すみつきの盲人もうじん教育きょういくとそのレベルのたかさは、ヨーロッパの盲人もうじん教育きょういく萌芽ほうが比較ひかくしても100ねん以上いじょうはやいもので、世界せかいてき壮挙そうきょとされる。いずれにせよ、こののち日本にっぽんにおいては、鍼灸しんきゅう盲人もうじんになうという、世界せかいるいない形態けいたい技術ぎじゅつ伝承でんしょう技法ぎほう発展はってんがなされることになる。

この杉山すぎやま和一かずいちによる「そととう(鍼管-しんかん-)」をもちいる管鍼くだばりほうは、現在げんざいでは一般いっぱんてき技法ぎほうとして、日本にっぽん鍼灸しんきゅう特色とくしょくをなしている。また、盲人もうじん鍼灸しんきゅうになうようになったことで、一般いっぱんてきにはとげにゅうポイントを「す」技法ぎほうだった鍼灸しんきゅうが、「さわってす」技法ぎほう変化へんかしたといわれ、技術ぎじゅつろんてき意義いぎ重要じゅうよう転換てんかんてんである。手先てさき器用きよう日本人にっぽんじんのうちでも、盲人もうじん指頭しとう感覚かんかく非常ひじょう鋭敏えいびんである。この鋭敏えいびん感覚かんかくもちいて、からだ表面ひょうめんを「さわり」、とげいれのポイントを類型るいけい分類ぶんるいし、技法ぎほう体系たいけいてて江戸えど日本にっぽん鍼灸しんきゅうは、「経穴けいけつ」という、効果こうかまったポイントがからだ表面ひょうめんもとから存在そんざいするとする、古来こらい一般いっぱんてき鍼灸しんきゅうろんたいし、「変化へんかこっている部位ぶい」こそ「経穴けいけつ」という治療ちりょうポイントになりる、という視点してん導入どうにゅうし、今日きょうつづ鍼灸しんきゅう科学かがくてき解明かいめいみちひらいた。

近代きんだい[編集へんしゅう]

明治めいじ時代じだいになると、近代きんだい西洋せいよう文化ぶんか流入りゅうにゅうともない、明治めいじ政府せいふ西洋せいよう医学いがく導入どうにゅうとも漢方かんぽう医学いがく排斥はいせきすすめた。鍼灸しんきゅうもそのれいれず、明治めいじ時代じだいから大正たいしょう時代じだいにかけて鍼灸しんきゅう衰退すいたいをたどった。

大正たいしょうはいると、日本にっぽん伝統でんとうてき医学いがく復興ふっこうさけばれ、鍼灸しんきゅう漢方かんぽう医学いがくてき研究けんきゅうみかどだい中心ちゅうしんとしたくに研究けんきゅう機関きかんさかんにおこなわれるようになった。大久保おおくぼてきとき鍼灸しんきゅう刺激しげき交感神経こうかんしんけいかいして心臓しんぞう影響えいきょうおよぶということを提唱ていしょうし、三浦みうら謹之すけは鍼治についての研究けんきゅうおこない、後藤ごとう道雄みちおヘッドたいもちいての治療ちりょうおこなった。長濱ながはま善夫よしお丸山まるやま昌郎まさおは鍼のひびきによるものとかんがえた。石川いしかわ太刀だちゆうかわでんてんを、中谷なかたに義雄よしおりょうしるべてんを、小野寺おのでらただしすけあつてんを、成田なりた夬助つまみてんを、藤田ふじた六朗ろくろうおか疹点提唱ていしょうした。また、芹澤せりざわ勝助かつすけ鍼灸しんきゅうとしてはじめて医学いがく博士はかせ取得しゅとくした。中山なかやま忠直ただなおは『漢方かんぽう医学いがくしん研究けんきゅう』の著書ちょしょ鍼灸しんきゅう医師いしほう提案ていあんした。

また、鍼灸しんきゅう技法ぎほう自体じたいたいする復興ふっこう運動うんどう昭和しょうわ初期しょきからこりはじめた。「古典こてんかえれ」と提唱ていしょうした柳谷やなぎやれいとそのもとあつまった岡部おかべもとどう井上いのうえ恵理えり本間ほんまさちしろ福島ふくしま弘道ひろみちなどが所謂いわゆる経絡けいらく治療ちりょうとして体系たいけいした。これらは古典こてんのうちでもとくに「なんけい」を中心ちゅうしんえた体系たいけいで、技法ぎほう微妙びみょうなため、大陸たいりくではふるくにほろったものといえる。著名ちょめい古典こてん流派りゅうはとして、太極たいきょく療法りょうほう考案こうあんした澤田さわだけん弟子でし代田しろたぶん江戸えど時代じだい本郷ほんごう正豊まさとよちょ鍼灸しんきゅう重宝ちょうほう』の内容ないよう治療ちりょうほうかくとしていたはち木下きのした勝之助かつのすけ小児しょうにはり藤井ふじい秀二しゅうじかわない赤羽あかはねさいわい兵衛ひょうえ、『名家めいかやいとせん釈義しゃくぎ』をあらわし、深谷ふかややいとほう確立かくりつした深谷ふかや伊三郎いさぶろう、その弟子でしで『図説ずせつ深谷ふかややいとほう』をあらわした入江いりえ靖二やすじ、『やいと治療ちりょう概説がいせつ』をあらわした根井ねいようさとし、『鍼のみちたずねて』の著者ちょしゃ馬場ばば白光はっこうなどが著名ちょめいであり、現在げんざいでもおおきな影響えいきょうりょくっている。

その日本にっぽん太平洋戦争たいへいようせんそうやぶれ、進駐軍しんちゅうぐんのいわゆる民主みんしゅ施策しさくおこなわれるや、鍼灸しんきゅうを「科学かがくてき医学いがくてき根拠こんきょがない」という理由りゆうから禁止きんししようとした。京都きょうとみかどだい教授きょうじゅ三重大学みえだいがく医学いがく部長ぶちょう)の石川いしかわ日出にっしゅつ鶴丸つるまる中心ちゅうしんとした、全国ぜんこく鍼灸しんきゅうによる鍼灸しんきゅう存続そんぞく運動うんどう展開てんかいされたのはこのときである。石川いしかわ博士はかせは、

  1. 1940年代ねんだい基礎きそ科学かがく現状げんじょうでは、からだせい感覚かんかくかいした治療ちりょうてき介入かいにゅう技法ぎほう鍼灸しんきゅう)の完全かんぜん解明かいめいなど不可能ふかのうであり、解明かいめいされていないことをもって鍼灸しんきゅう科学かがくてきでないとする指摘してきたらないこと
  2. 大日本帝国だいにっぽんていこくにおいては、国家こっか方針ほうしんとして伝統でんとう医学いがく鍼灸しんきゅう)の研究けんきゅう国家こっか機関きかんおこなってきており、これらの成果せいかすすめることで、現代げんだい医学いがく発達はったつ寄与きよすること甚大じんだいであること

つよ主張しゅちょうした。また当時とうじ、ほとんどの鍼灸しんきゅう盲人もうじんであり、敗戦はいせん直後ちょくご日本にっぽんはこれらの雇用こよう代替だいたいさく準備じゅんびできる状況じょうきょうではなかったため、厚生省こうせいしょう按摩あんま鍼灸しんきゅう存続そんぞく本腰ほんごしれ、進駐軍しんちゅうぐん衛生局えいせいきょく按摩あんま鍼灸しんきゅう存続そんぞくみとめさせた。これをけて、昭和しょうわ22ねん1947ねん)12がつ20日はつか、「あん、はり、きゅう、柔道じゅうどう整復せいふくとう営業えいぎょうほう」が公布こうふされる。

韓国かんこく[編集へんしゅう]

かん医学いがくはそのおおくを中国ちゅうごく医学いがくっているが、鍼灸しんきゅうがく中国ちゅうごく日本にっぽんとも相当そうとうことなる制度せいど伝統でんとうって発展はってんした[10]。「いちやいとさんくすり」とわれるほど鍼灸しんきゅうおもんじられており[11]現在げんざい韓国かんこく世界せかい唯一ゆいいつ鍼灸しんきゅう専門医せんもんい制度せいどっている[10]

にちちゅうかんではなが歴史れきしなかで、漢文かんぶんによっておおくの医学いがくしょかれた。時代じだいこくによって内容ないようには顕著けんちょちがいがあるが、相互そうご医学いがくしょつたえられ、渾然一体こんぜんいったいとなって発展はってんしてきた。鍼灸しんきゅうしょかみおうけい』のように、ひとつの書籍しょせきあかりばん日本にっぽんちょうばんこくばん中国ちゅうごく活字かつじばん伝承でんしょうされたれいもある。

ヨーロッパ[編集へんしゅう]

イタリアドイツ国境こっきょうにあるエッツタール発見はっけんされたミイラアイスマンほどこされた刺青しせいかれこし状態じょうたいから、中国ちゅうごく鍼灸しんきゅうおこなわれはじめるよりはるかむかしヨーロッパ青銅器せいどうき時代じだいアルプス山脈あるぷすさんみゃくふもと経穴けいけつ使つかった治療ちりょうおこなわれていたという考察こうさつがあるが、これがそのどのような経緯けいい辿たどったのかは判明はんめいしていない。

12世紀せいきドイツの修道しゅうどうおんなヒルデガルト・フォン・ビンゲン(1098-1179)は、だま療法りょうほうなどとともに、治療ちりょうにマグワート(オウシュウヨモギ)を使つかったやいともちいていた[12]西洋せいよう伝統でんとうてき体液たいえき病理びょうりせつもとづき、わる体液たいえき排出はいしゅつをめざす治療ちりょうである[12]

ヨーロッパ諸国しょこくは16世紀せいきごろからひがしアジアに進出しんしゅつし、中国ちゅうごく大陸たいりく朝鮮半島ちょうせんはんとうにあったくに反発はんぱつ姿勢しせいせる一方いっぽうで、日本にっぽん鎖国さこく以降いこう一定いってい交流こうりゅうたもつづけた。医学いがく研究けんきゅうするヴォルフガング・ミヒェルは、19世紀せいき初頭しょとうまで「東洋とうよう医学いがく」にかんする情報じょうほう大半たいはん中国ちゅうごく大陸たいりくからではなく、長崎ながさきのオランダ商館しょうかんつうじてヨーロッパにつたわり、中国ちゅうごく大陸たいりく伝統でんとう医学いがくのほか、日本にっぽん独特どくとく管鍼くだばりほう鍼法などもにちちゅう共有きょうゆう治療ちりょうほうとして紹介しょうかいされたとべている[13]

ヨーロッパにおける鍼とやいと受容じゅよう基本きほんてき別々べつべつすすめられた。やいとは16世紀せいきに「のボタン」として紹介しょうかいされ、1675ねん刊行かんこうされたバタビアの牧師ぼくし著書ちょしょにより、あし痛風つうふう治療ちりょうやく Moxa(もぐさ)として注目ちゅうもくされ本格ほんかくてき議論ぎろんされるようになった[13]ケンペルかえった「やいとしょかん」とその詳細しょうさい説明せつめいでさらに関心かんしんたかまり、古代こだいギリシャやエジプトにも類似るいじ治療ちりょうほうがあったことから、医術いじゅつとしてのやいと比較的ひかくてき好意こういてきれられた[13]

鍼にかんする最古さいこ記述きじゅつ日本にっぽんとポルトガルの交流こうりゅう時代じだいさかのぼり、出島でじま商館しょうかんテン・ライネが1682ねん発表はっぴょうした論文ろんぶんしゅうからヨーロッパでの専門せんもんによる議論ぎろんおこなわれるようになった。テン・ライネは鍼を「acupunctura」とづけ、出島でじまのオランダ通訳つうやく説明せつめいけた資料しりょう紹介しょうかいしたが、「」、「経絡けいらく」、「陰陽いんよう」などの概念がいねん理解りかい困難こんなんであり、読者どくしゃ困惑こんわくさせた[13]。その商館しょうかんケンペルが疝気せんきを「疝痛せんつう」(colica)と解釈かいしゃくし、その治療ちりょうほう詳細しょうさいしるした[13]。ヴォルフガング・ミヒェルは、ヨーロッパ医学いがくかいで「日本人にっぽんじん清国きよくにじんは、胃腸いちょうたまったガスをくために腹部ふくぶはりす」というあやまった解釈かいしゃくひろまり、18世紀せいきまつまでは来日らいにちしたヨーロッパじん医師いしたち一般人いっぱんじんも、鍼の有効ゆうこうせい疑問ぎもんしていたとべている[13]

現代げんだいのヨーロッパやオーストアリアでは、代替だいたい医療いりょうとしてちゅう医学いがく(現代げんだい中国ちゅうごく中国ちゅうごく医学いがく)が受容じゅようされている。

日本にっぽんにおける鍼灸しんきゅう[編集へんしゅう]

日本にっぽんにおける鍼灸しんきゅう技法ぎほう独自どくじせいについては、①「鍼管」の発明はつめいにより、よりほそみちの鍼のとげいれ可能かのうとし、より軽微けいび刺激しげきによる技法ぎほう体系たいけいさい構築こうちくしたことと、②江戸えど盲人もうじん技法ぎほうになったことで、大陸たいりくまれた「す」鍼灸しんきゅうを「さわってす」鍼灸しんきゅう進化しんかさせたことのてん要約ようやくできる。手先てさき鋭敏えいびん日本人にっぽんじんが、多様たようからだ表面ひょうめん反応はんのう変化へんかとらえ、治療ちりょう使用しようできる反応はんのう変化へんか技術ぎじゅつろんとしてさい編成へんせいしたのが日本にっぽん鍼灸しんきゅうである。

これは、現在げんざいWHOを中心ちゅうしんになされている鍼灸しんきゅう治療ちりょうてん経穴けいけつ)をめぐる議論ぎろんに、ひとつの重要じゅうよう指針ししんしめすものとえる。大陸たいりくけい鍼灸しんきゅうちゅう医学いがく)では現在げんざいでも「経穴けいけつ-ツボ-」を、古来こらいつたわる「身体しんたい表面ひょうめん特別とくべつ座標ざひょう」ととらえるあやまちにおちいっているが、これこそ「す」技術ぎじゅつ体系たいけい限界げんかいであり、それ以上いじょう発展はってんせい医療いりょう技術ぎじゅつとの効果こうかてきなリンクはのぞめない。鍼灸しんきゅう汎用はんようてき医療いりょう技術ぎじゅつとして発展はってんするためには、治療ちりょう使用しようできるとげ鍼部はどのような変化へんかこしているてんであるのかについて、理論りろんてき整理せいりしていくことが重要じゅうようである。このためには、身体しんたい表面ひょうめん変化へんかとらえてとげ鍼部選定せんていする、日本にっぽんの「さわってす」鍼灸しんきゅうこそ、づまった東洋とうよう医学いがく研究けんきゅうのブレークスルーとなるとわれている。

鍼灸しんきゅうかかわ文献ぶんけんは、日本にっぽんには、古代こだい中世ちゅうせいにかけて輸入ゆにゅうされたが、江戸えど時代じだいいたり、高度こうど校勘こうかん(こうかん)技術ぎじゅつ発展はってんあいまって、中国ちゅうごくふくひがしアジア各国かっこくに、膨大ぼうだいかず鍼灸しんきゅう書籍しょせきや、あらたな技術ぎじゅつろんぎゃく輸出ゆしゅつしている。生薬きぐすりほうである漢方かんぽうについても事情じじょう同様どうようであるとえる。維新いしんせい洋式ようしきでは、鍼灸しんきゅう漢方かんぽう医療いりょう制度せいどじょう不遇ふぐうかこったが、民間みんかんをはじめ官界かんかいでも支持しじしゃおおく、みかどだい医学部いがくぶにおいても、世界せかい先駆さきがけて科学かがくてき鍼灸しんきゅう漢方かんぽう研究けんきゅう萌芽ほうがられた。このムーブメントは皇漢こうかん医学いがく ― つまりかんだい中国ちゅうごくまれ、皇国こうこくにおいて発達はったつした医学いがく ― とばれ、中国ちゅうごくなか医学いがくふく現代げんだい鍼灸しんきゅうなま薬方やくほうのルーツとなっている。

昭和しょうわはいり、皇漢こうかん医学いがくのムーブメントは、数次すうじ医療いりょう法規ほうき改正かいせいげ、昭和しょうわ19ねんには帝国ていこく議会ぎかいで「鍼灸しんきゅう医師いしほう」の成立せいりつるまでにがったが、敗戦はいせんとアメリカの占領せんりょう政策せいさくともな医療いりょう制度せいど改定かいていにより、鍼灸しんきゅう漢方かんぽう再度さいど壊滅かいめつ状態じょうたいとなり、若干じゃっかん復旧ふっきゅう現在げんざいいたる。現状げんじょうにおける一般いっぱんてき見解けんかいは、多様たよう経験けいけんそく技術ぎじゅつろんとして体系たいけいされた鍼灸しんきゅう技法ぎほう全貌ぜんぼう解明かいめいには、いまおおくの検討けんとう必要ひつよう、とするものである。

資格しかく制度せいど変遷へんせん[編集へんしゅう]

  • 明治めいじ44ねん1911ねん):内務省ないむしょうれい按摩あんまじゅつ鍼術しんじゅつやいとじゅつ営業えいぎょう取締とりしまり規則きそく制定せいてい
  • 大正たいしょう9ねん1920ねん):フランスからはいってきたマッサージじゅつ柔道じゅうどう整復せいふくじゅつ按摩あんま営業えいぎょう取締とりしまり規則きそく附則ふそくはいる。
  • 昭和しょうわ20ねん1945ねん):敗戦はいせん。GHQ(進駐軍しんちゅうぐん)のPHW(進駐軍しんちゅうぐん衛生えいせい)により医業いぎょう以外いがい治療ちりょう行為こういすべ禁止きんしするように勧告かんこくがなされる(いわゆるマッカーサー旋風せんぷう)。
  • 昭和しょうわ22ねん12月(1947ねん):「あん、はり、きゅう、柔道じゅうどう整復せいふくとう営業えいぎょうほう」が成立せいりつ。これにより按摩あんま鍼灸しんきゅう柔道じゅうどう整復せいふく免許めんきょは、明治めいじ以来いらい営業えいぎょう鑑札かんさつ鍼術しんじゅつやいとじゅつ営業えいぎょうしゃ)から、国家こっか資格しかく身分みぶん免許めんきょとなる(※ただし、営業えいぎょう免許めんきょではない(国家こっか資格しかく身分みぶん免許めんきょ)であることを明確めいかくにさせたほういと、昭和しょうわ26ねん4がつに「あん、はり、きゆうおよ柔道じゅうどう整復せいふくほう」に名称めいしょう変更へんこうされる)。
  • 昭和しょうわ30ねん1955ねん):「あん、はり、きゆうおよ柔道じゅうどう整復せいふくほう」の「あん」が、「あん(マッサージ、指圧しあつふくむ)」と変更へんこう
  • 昭和しょうわ53ねん1978ねん):鍼灸しんきゅう専攻せんこうするはつの3ねんせい短期大学たんきだいがく設置せっち明治めいじ鍼灸しんきゅう短期大学たんきだいがく)。
  • 昭和しょうわ58ねん1983ねん):鍼灸しんきゅう専攻せんこうするはつの4ねんせい大学だいがく設置せっち明治鍼灸大学めいじしんきゅうだいがく)。(明治めいじ鍼灸しんきゅう短期大学たんきだいがく大学だいがく昇格しょうかくしたもの)
  • 昭和しょうわ62ねん1987ねん):国立こくりつはつ鍼灸しんきゅう学科がっかようする3ねんせい短期大学たんきだいがく設置せっち筑波つくば技術ぎじゅつ短期大学たんきだいがく鍼灸しんきゅう学科がっか)。
  • 昭和しょうわ63ねん1988ねん):「あんマツサージ指圧しあつ、はり、きゆうとうかんする法律ほうりつ」の改正かいせいにより、あんマッサージ指圧しあつ、はり、きゅうおよ柔道じゅうどう整復せいふくかかわる試験しけん実施じっし登録とうろく事務じむが、都道府県とどうふけん知事ちじから厚生こうせい大臣だいじん変更へんこう平成へいせい4ねん10がつ施行しこう)。
  • 平成へいせい3ねん1991ねん):鍼灸しんきゅう関連かんれん大学院だいがくいん修士しゅうし課程かていはじめて設置せっち明治鍼灸大学めいじしんきゅうだいがく)。
  • 平成へいせい6ねん1994ねん):鍼灸しんきゅう関連かんれん大学院だいがくいん博士はかせ課程かていはじめて設置せっち明治鍼灸大学めいじしんきゅうだいがく)。
  • 平成へいせい16ねん2004ねん):国立こくりつはつ鍼灸しんきゅう学科がっかようする4ねんせい大学だいがく設置せっち筑波つくば技術ぎじゅつ大学だいがく鍼灸しんきゅう学科がっか)。(筑波つくば技術ぎじゅつ短期大学たんきだいがく大学だいがく昇格しょうかくしたもの)

資格しかく制度せいど現状げんじょう[編集へんしゅう]

現在げんざい医師いし以外いがいものが鍼をおこなうためには「はり」、やいとおこなうには「きゆう」の国家こっか資格しかく必要ひつようである[* 2]鍼灸しんきゅう養成ようせい施設しせつ鍼灸しんきゅう専門せんもん学校がっこう視覚しかく特別とくべつ支援しえん学校がっこう療科・大学だいがく鍼灸しんきゅう)で単位たんい取得しゅとくすることで、この種類しゅるい免許めんきょ受験じゅけんできる。一部いちぶ古参こさん私立しりつ専門せんもん学校がっこうには、「本科ほんか」として「はり」「きゆう」にくわえて「あんマッサージ指圧しあつ」の免許めんきょくわえたさん種類しゅるい免許めんきょ受験じゅけんできる課程かていかれているが、定員ていいんすうすくなく現在げんざいでも10ばい程度ていど入学にゅうがく倍率ばいりつがある。おおくの私立しりつ専門せんもん学校がっこう卒業そつぎょうしゃおよびすべての私立しりつ大学だいがく鍼灸しんきゅう卒業そつぎょうしゃは、はりきゆうしゅのみを取得しゅとくできる。

あんマッサージ指圧しあつ免許めんきょについては、この取得しゅとく専門せんもんとする課程かてい(あんま、マッサージ、指圧しあつ専門せんもん学校がっこうおよび視覚しかく特別とくべつ支援しえん学校がっこう保健ほけん療科)が存在そんざいする。視覚しかく特別とくべつ支援しえん学校がっこう保健ほけん療科は一般いっぱんてき盲学校もうがっこう課程かていである。つまり、ほとんどの視覚しかく障害しょうがいしゃは「あんマッサージ指圧しあつ免許めんきょ取得しゅとくする。しかしながら、晴眼せいがんしゃが「あんマッサージ指圧しあつ免許めんきょ取得しゅとくするためには、前掲ぜんけい古参こさん専門せんもん学校がっこう本科ほんか」に入学にゅうがくするか、「あんマッサージ指圧しあつ専門せんもん学校がっこう」に入学にゅうがくしなければならないため、晴眼せいがんしゃの「はり・きゆう・あんマッサージ指圧しあつ三種さんしゅ免許めんきょしゃさん療師)は非常ひじょうすくない。

「あはきほう」を厳密げんみつ適用てきようする場合ばあいはりきゆうのみの資格しかくでマッサージぎょうおこなうことは、免許めんきょ整体せいたい柔道じゅうどう整復せいふくがマッサージをおこなうのと同様どうよう違法いほう行為こういとなる。しかしながら、鍼灸しんきゅう施術しじゅつには施術しじゅつ領野りょうやたいするあんまてき手技しゅぎ必須ひっすのものでもあり、実際じっさいには「はり」「きゆう」のみの免許めんきょしゃがあんまてき手技しゅぎおこなっており、現状げんじょう反映はんえいしたほう制度せいど改善かいぜんもとめられている。

また鍼灸しんきゅう免許めんきょしゃは、歴史れきしてき戦後せんごのある時期じきまではほとんどが視覚しかく障害しょうがいしゃ盲学校もうがっこう出身しゅっしんしゃ)であったが、現在げんざいでは全国ぜんこくてき視覚しかく障害しょうがいしゃ減少げんしょう盲学校もうがっこう入学にゅうがくしゃ激減げきげん)とあいまって、晴眼せいがんしゃ視覚しかく障害しょうがいしゃ)の免許めんきょしゃ圧倒的あっとうてき増加ぞうかしている。鍼灸しんきゅう養成ようせい施設しせつについても、近年きんねん規制きせい緩和かんわ以前いぜんまでは、鍼灸しんきゅう按摩あんま養成ようせい機関きかん新規しんき認可にんか非常ひじょうむずかしく、国家こっか試験しけん受験じゅけんしゃすう適正てきせい制限せいげんされていたが、規制きせい緩和かんわ以後いご、インフラにかねがかからない鍼灸しんきゅう学校がっこうの「無秩序むちつじょな」新設しんせつ相次あいつぎ、年度ねんどごと卒業そつぎょうしゃすう以前いぜん平成へいせい10ねん)のすうばいふくがっており、需給じゅきゅう関係かんけい完全かんぜん崩壊ほうかいしている。

このなかで、あんマッサージ指圧しあつ(あまし)の養成ようせい学校がっこうのみは、視覚しかく障害しょうがいしゃ職域しょくいき保護ほごのためとして新設しんせつこう認可にんかがなされず、かろうじて適正てきせい免許めんきょしゃかずたもたれているが、前述ぜんじゅつのように「あんマッサージ指圧しあつ」の免許めんきょ自体じたい有名ゆうめい無実むじつしており、鍼灸しんきゅう按摩あんま資格しかくしゃすう適正てきせいには、現在げんざいまった目処めどっていない。

公的こうてき医療いりょう保険ほけんによる療養りょうよう支給しきゅう[編集へんしゅう]

鍼灸しんきゅう診療しんりょう公的こうてき医療いりょう保険ほけん適用てきようは、「療養りょうよう」(鍼灸しんきゅういんなど、保険ほけん医療いりょう機関きかん以外いがい医療いりょう機関きかん医療いりょう行為こういけた場合ばあい保険ほけん給付きゅうふ)としてみとめられるものである。このため、保険ほけん医療いりょう機関きかんないでは、点数てんすうされた「療養りょうよう給付きゅうふ」としての保険ほけん請求せいきゅうはできず、おおくのケースで実費じっぴ診療しんりょうとなる。このため、混合こんごう診療しんりょうとの批判ひはんたらないよう、対応たいおう必要ひつようである。

鍼灸しんきゅう療養りょうよう公的こうてき医療いりょう保険ほけんによって支給しきゅうされるのは、しゅとして以下いかのような慢性まんせいてき疼痛とうつうおもしょうとする疾患しっかんである。ただし、あらかじめ医師いし発行はっこうした同意どういしょまた診断しんだんしょ必要ひつようである [14]

  • 神経痛しんけいつう
  • リウマチ
  • 頸(けい)うで(わん)症候群しょうこうぐん
  • 五十肩ごじゅうかた
  • 腰痛ようつうしょう
  • 頸(けい)しい(つい)捻挫ねんざ後遺症こういしょう

なお、平成へいせい31ねん1がつより鍼灸しんきゅうでも柔道じゅうどう整復せいふく同様どうよう受領じゅりょう委任いにんみとめられることとなった[15]

鍼灸しんきゅうマッサージ差別さべつ国家こっか賠償ばいしょうとう請求せいきゅう事件じけん[編集へんしゅう]

2000ねん全国ぜんこく保険ほけん鍼灸しんきゅうマッサージ連合れんごうかい健康けんこう保険ほけん療養りょうようについて、柔道じゅうどう整復せいふくみとめられている受領じゅりょう委任いにんばらいが、鍼灸しんきゅうマッサージにみとめられていないのは差別さべつであるとして国家こっか賠償ばいしょう請求せいきゅうこした。千葉ちば地裁ちさい棄却ききゃく判決はんけつし、原告げんこく控訴こうそ東京とうきょう高裁こうさい棄却ききゃく判決はんけつした。

判決はんけつでは「療養りょうよう支給しきゅう制度せいど自体じたい例外れいがいてきなものであり積極せっきょくてき容認ようにんされるものではない」「柔道じゅうどう整復せいふくみとめられているというてんだけでは要件ようけんたりない」「現在げんざい柔道じゅうどう整復せいふくみとめるてん疑問ぎもんがないわけではないが、歴史れきしてき事情じじょうもあり合理ごうりせいがないとはれない」と判断はんだんされた。

だい事案じあん概要がいよう
原告げんこくらの主張しゅちょう 厚生こうせい労働省ろうどうしょうは,柔道じゅうどう整復せいふくについては受領じゅりょう委任いにんばらいをみとめながら,あんマッサージ指圧しあつとうについてはこれをみとめないという差別さべつてき取扱とりあつかいをし,これにより,あんマッサージ指圧しあつとう利用りようした患者かんじゃは,一旦いったん全額ぜんがく支払しはらい,そのみずか療養りょうよう請求せいきゅうするという煩瑣はんさかつ負担ふたんのある手続てつづき強要きょうようされているが,このような取扱とりあつかいにはなん合理ごうりてき根拠こんきょがない。(中略ちゅうりゃく)


だいとう裁判所さいばんしょ判断はんだん
健康けんこう保険ほけん制度せいどは、療養りょうようかんする費用ひよう後払あとばらいとした場合ばあいには保険ほけんしゃ一時いちじ医師いし支払しはら費用ひようえる必要ひつようしょうじるため迅速じんそく医療いりょうけることができない可能かのうせいがあることなどから,現物げんぶつ給付きゅうふ原則げんそくとしているものとほぐされる。

(中略ちゅうりゃく) 健康けんこう保険ほけんほう87じょうもとづく療養りょうよう支給しきゅうについては,保険ほけんしゃは,療養りょうよう給付きゅうふおこなうことが困難こんなんであるとみとめるとき,また保険ほけん医療いりょう機関きかん以外いがいものから診察しんさつ手当てあてとうけたことがやむをないとみとめるときは,げんにその費用ひよう事後じごてき療養りょうようとして支給しきゅうできることとされており,療養りょうよう支給しきゅう自体じたい療養りょうよう給付きゅうふ補完ほかんてき役割やくわりたすものと一角いっかくかいされる。そして,療養りょうようについては,健康けんこう保険ほけんほう86じょうこう規定きていされる特定とくてい療養りょうよう,85じょうこう規定きていされる入院にゅういん食事しょくじ療養りょうようとうとはことなり,現物げんぶつ給付きゅうふ(保険ほけんしゃ保険ほけんしゃわり医療いりょう機関きかんとう支払しはらうこと)を可能かのうとする規定きていもうけられていない。また,療養りょうよう給付きゅうふにな保険ほけん医療いりょう機関きかんとうについては,その指導しどう監督かんとくふく上記じょうき厳格げんかく指導しどう監督かんとく実施じっししているのにたいし,保険ほけん医療いりょう機関きかんとう以外いがいものについては,そのような指導しどう監督かんとくとう手段しゅだん用意よういされておらず,保険ほけん医療いりょう機関きかんとう以外いがいものおこな療養りょうよう給付きゅうふについては,その適正てきせい給付きゅうふ担保たんぽする手段しゅだん用意よういされていない。すなわち,健康けんこう保険ほけんほうじょう療養りょうよう支給しきゅう自体じたい例外れいがいとしてもうけられているとともに,療養りょうよう支給しきゅう療養りょうよう給付きゅうふのように現物げんぶつ給付きゅうふすることは,健康けんこう保険ほけんほう予定よていしていないものとほぐされる。

(中略ちゅうりゃく)また,受領じゅりょう委任いにんばらいは,保険ほけんしゃにおいて施術しじゅつ内容ないようがくとうにつき保険ほけんしゃから確認かくにんすることができないまま施術しじゅつしゃより請求せいきゅうがなされることから,不正ふせい請求せいきゅう業務ぎょうむ範囲はんい逸脱いつだつした施術しじゅつ見逃みのが危険きけんせいおおきいといわざるをない。そうすると,受領じゅりょう委任いにんばらいは,健康けんこう保険ほけんほうじょう積極せっきょくてき容認ようにんされているとはいえず,受領じゅりょう委任いにんばらいの取扱とりあつかいがみとめられるのはあくまでも特例とくれいてき措置そちといわなければならない。

(中略ちゅうりゃく)したがって,本件ほんけん取扱とりあつかいが合理ごうりせいゆうするかかの判断はんだんは,上記じょうき前提ぜんていしたにされるべきであって,たんに,柔道じゅうどう整復せいふくみとめられているものが,現在げんざいあんマッサージ指圧しあつとうみとめられないことに合理ごうりせいがあるかというだけではりないというべきである。
そこで、このような観点かんてんから検討けんとうする。上記じょうきイ(イ)の事実じじつ関係かんけいしたにおいて,本件ほんけん取扱とりあつかいは,かつては合理ごうりせいゆうしていたとしても,その整形せいけい外科げか増加ぞうかしていることなどがうかがわれる(かぶとA13)現在げんざいたしてその合理ごうりせいがあるかについては疑義ぎぎがないではない。しかしながら,上記じょうきのとおり受領じゅりょう委任いにんばらいは特例とくれいてき措置そちであるから拡大かくだいしない方向ほうこう実施じっしないし運用うんようするのが相当そうとうであるうえ柔道じゅうどう整復せいふくについては,正当せいとう理由りゆうがあって受領じゅりょう委任いにんばらいがみとめられ,それが長年ながねんにわたって継続けいぞくされてきたという事実じじつがあり,限定げんていてきとはいえ医師いし代替だいたいてき機能きのうたしていることとう考慮こうりょすると,合理ごうりせいがないとまではいえない。

(中略ちゅうりゃく)また,健康けんこう保険ほけん制度せいどは,保険ほけんしゃおよびその扶養ふようしゃ生活せいかつ安定あんていはかるための制度せいどであって,施術しじゅつしゃ利益りえき保護ほごするためのものではない

— 平成へいせい12ねん(ワ)だい112ごう 損害そんがい賠償ばいしょうとう請求せいきゅう事件じけん (千葉ちば地方裁判所ちほうさいばんしょ 民事みんじだいさん 2004-01-16). Text

裁判さいばん事故じこ事例じれい[編集へんしゅう]

大阪おおさか池田いけだの「メイプル鍼灸しんきゅう整骨せいこついん」で女性じょせい患者かんじゃ免許めんきょ施術しじゅつしゃにはり治療ちりょうけた直後ちょくご死亡しぼうした事件じけんについて、大阪おおさか地裁ちさい増田ますだこう裁判さいばんちょう)は2010ねん12月7にち施術しじゅつによって気胸ききょう発症はっしょうしたとみとめられ、死亡しぼうとの因果いんが関係かんけいあきらか」として同院どういんもとふく院長いんちょう男性だんせい被告ひこく当時とうじ27)にたいし、懲役ちょうえき3ねん執行しっこう猶予ゆうよ5ねん罰金ばっきん50まんえん求刑きゅうけい懲役ちょうえき3ねん罰金ばっきん50まんえん)の有罪ゆうざい判決はんけつをいいわたした[16]

鍼灸しんきゅう学校がっこう入学にゅうがく試験しけん合格ごうかく入学にゅうがく手続てつづきしたが、入学にゅうがく辞退じたい在学ざいがく契約けいやく解除かいじょしたとして、入学にゅうがくきん授業じゅぎょうりょうとう返還へんかんもとめた裁判さいばん[17]最高裁さいこうさい平成へいせい18ねん12月22にち]。

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

注釈ちゅうしゃく[編集へんしゅう]

  1. ^ WHO(世界せかい保健ほけん機関きかん)において鍼灸しんきゅう療法りょうほう適応てきおうとされた疾患しっかん[よう出典しゅってん]
    • 神経しんけいけい疾患しっかん
      • 神経痛しんけいつう神経しんけい麻痺まひ痙攣けいれん脳卒中のうそっちゅう後遺症こういしょう自律じりつ神経しんけい失調しっちょうしょう頭痛ずつう・めまい・不眠ふみん神経症しんけいしょう・ノイローゼ・ヒステリー
    • 運動うんどうけい疾患しっかん
      • 関節かんせつえん・◎リウマチ・◎けいかたうで症候群しょうこうぐん・◎頚椎けいつい捻挫ねんざ後遺症こういしょう・◎五十肩ごじゅうかた腱鞘炎けんしょうえん・◎腰痛ようつう外傷がいしょう後遺症こういしょう骨折こっせつ打撲だぼく、むちうち、捻挫ねんざ
    • 循環じゅんかんけい疾患しっかん
      • 心臓しんぞう神経症しんけいしょう動脈どうみゃく硬化こうかしょう高血圧こうけつあつてい血圧けつあつしょう動悸どうき息切いきぎ
    • 呼吸こきゅうけい疾患しっかん
      • 気管支炎きかんしえん喘息ぜんそく風邪かぜおよび予防よぼう
    • 消化しょうかけい疾患しっかん
      • 胃腸いちょうびょう胃炎いえん消化しょうか不良ふりょう胃下垂いかすい胃酸いさん過多かた下痢げり便秘べんぴ)・胆嚢たんのうえんかん機能きのう障害しょうがい肝炎かんえん十二指腸じゅうにしちょう潰瘍かいよう痔疾じしつ
    • 代謝たいしゃ内分泌ないぶんぴつけい疾患しっかん
      • バセドウびょう糖尿とうにょうびょう痛風つうふう脚気かっけ貧血ひんけつ
    • 生殖せいしょく泌尿器ひにょうきけい疾患しっかん
      • 膀胱ぼうこうえん尿道にょうどうえんせい機能きのう障害しょうがい尿にょう閉・じんえん前立腺ぜんりつせん肥大ひだい陰萎いんい
    • 婦人ふじんけい疾患しっかん
      • 更年期こうねんき障害しょうがい乳腺にゅうせんえん白帯下はくたいげ生理せいりつう月経げっけい不順ふじゅんしょうみちにん
    • 耳鼻咽喉科じびいんこうかけい疾患しっかん
      • 中耳炎ちゅうじえんみみ難聴なんちょう・メニエルびょうはな出血しゅっけつ鼻炎びえん・ちくのう・のど喉頭こうとうえん・へんとうえん
    • 眼科がんかけい疾患しっかん
      • 眼精疲労がんせいひろう仮性かせい近視きんし結膜炎けつまくえんつか・かすみ・ものもらい
    • 小児科しょうにか疾患しっかん
      • 小児しょうに神経症しんけいしょう夜泣よなき、かんむし、よるおどろき消化しょうか不良ふりょう偏食へんしょく食欲しょくよく不振ふしん不眠ふみん)・小児しょうに喘息ぜんそくアレルギあれるぎせい湿疹しっしん耳下腺炎じかせんえん夜尿症やにょうしょう虚弱きょじゃく体質たいしつ改善かいぜん
  2. ^ 医師いし業務ぎょうむとして鍼灸しんきゅうおこなうことが可能かのうであるが、現在げんざい医学部いがくぶ教育きょういくにおいて鍼灸しんきゅう科目かもく大学だいがくはほとんどく、鍼灸しんきゅう臨床りんしょうおこなうために必要ひつようなトレーニングの内容ないよう時間じかんすうなどほう制度せいど整備せいびもなされていないため、実際じっさいには鍼灸しんきゅうおこな医師いしすう非常ひじょうかぎられる。また、技術ぎじゅつ習得しゅうとくについても、個々ここ医師いし裁量さいりょうまかされている状態じょうたいである。

出典しゅってん[編集へんしゅう]

  1. ^ a b 梶田かじたあきら医学いがく歴史れきし講談社こうだんしゃ、2003ねん
  2. ^ a b 世界せかい保健ほけん機関きかん 2000.
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  5. ^ a b やなぎまこと韓国かんこく伝統でんとう医学いがく文献ぶんけんにちちゅうかん相互そうご伝播でんぱ温知会おんちかい会報かいほう』34ごう、1994ねん
  6. ^ [鍼灸しんきゅう標準ひょうじゅん・JIS・ISO:ローカルな伝統でんとう医学いがくのグローバルによる利害りがい得失とくしつかんがえよう] 森ノ宮もりのみや医療いりょう大学だいがく 鍼灸しんきゅう情報じょうほうセンター
  7. ^ 東洋とうよう伝統でんとう医学いがく正式せいしき名称めいしょう伝統でんとうちゅう医学いがく」に、中国ちゅうごく主導しゅどうけん 健康けんこう百科ひゃっか
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  9. ^ 日本にっぽん受容じゅようしたかん医学いがく医籍いせき交流こうりゅう やなぎまこと 茨城大学いばらきだいがく大学院だいがくいん人文じんぶん科学かがく研究けんきゅう教授きょうじゅ
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  11. ^ 吉冨よしとみまこと, 「1.韓国かんこく伝統でんとう医学いがく今昔こんじゃく : 日本にっぽんとの交流こうりゅうふくめて(韓国かんこく伝統でんとう医学いがくへの理解りかい)(だい54かい日本にっぽん東洋とうよう学会がっかい学術がくじゅつ総会そうかい)」『日本にっぽん東洋とうよう醫學いがく雜誌ざっし』54(6)、2003ねん、1046-1048ぺーじ, NAID 10016195720
  12. ^ a b ハイデローレ・クルーゲ ちょ 『ヒルデガルトのハーブ療法りょうほう畑澤はたざわ裕子ゆうこ やく豊泉とよいずみ真知子まちこ 監修かんしゅう、フレグランスジャーナルしゃ、2010ねんISBN 9784894791732
  13. ^ a b c d e f ミヒェル ヴォルフガング「16-18世紀せいきのヨーロッパへつたわった日本にっぽん鍼灸しんきゅう」『全日本ぜんにほん鍼灸しんきゅう学会がっかい雑誌ざっしだい61かんだい2ごう全日本ぜんにほん鍼灸しんきゅう学会がっかい、2011ねん、150-163ぺーじdoi:10.3777/jjsam.61.150 
  14. ^ はり・きゅうの施術しじゅつけられるほう 厚生こうせい労働省ろうどうしょう
  15. ^ はり、きゅうおよびあんマッサージ指圧しあつ施術しじゅつかか療養りょうようかんする受領じゅりょう委任いにん取扱とりあつかいについて(平成へいせい 30 ねん6がつ 12 にちはつ 0612 だい2ごう厚生こうせい労働省ろうどうしょう
  16. ^ はり治療ちりょう死亡しぼうもとふく院長いんちょう有罪ゆうざい判決はんけつ 大阪おおさか地裁ちさい 日本経済新聞にほんけいざいしんぶん2010ねん12月
  17. ^ 消費しょうひしゃ契約けいやくほう関連かんれんする消費しょうひ生活せいかつ相談そうだんおよび裁判さいばん概況がいきょう 独立どくりつ行政ぎょうせい法人ほうじん 国民こくみん生活せいかつセンター 2007ねん11月9にち ※PDF

参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]

関連かんれん団体だんたい[編集へんしゅう]

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]