ちょうすなぐん

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歷代れきだい變更へんこう
設置せっち はたちょう
使用しようじょうきょう 湖南こなんしょうちょうすな
はたちょう 蒼梧そうごぐん(?)
西にしかん ちょうすなこく
しんあさ はま蠻郡
ひがしかん ちょうすなぐん
さんこく ちょうすなぐん
西にしすすむ ちょうすなぐん
あずますすむ/じゅうろくこく ちょうすなぐん
南北なんぼくあさ ちょうすなぐんそう
ちょうすなぐんひとし
ちょうすなぐんはり
ちょうすなぐんひね
ずいあさ 潭州→ちょうすなぐん(607ねん
改稱かいしょうため潭州(621ねん
からあさ 潭州→ちょうすなぐん(742ねん
改稱かいしょうため潭州(758ねん

ちょうすなぐん中國ちゅうごくはたちょういたりからあさどき設置せっちてきてきいちぐん

けんおけ沿革えんかく[編輯へんしゅう]

はただい[編輯へんしゅう]

はただいてきちょうすなぐん,以今ちょうすな地區ちくため中心ちゅうしん,涵蓋りょういま湖南こなんだい部分ぶぶん地區ちくきたおこりほらにわみなみみねひがし鄱陽みずうみ西岸せいがん山脈さんみゃく西にしせっ沅水流域りゅういきよりどころ明朝みょうちょうたかしただし年間ねんかんへんちょうすなこころざし沿革えんかく記載きさいしんだいちょうすなぐんしつらええきかげやまれいりょう衡山そうかつらようとうけん,其範圍はんい包括ほうかつりょういまたけちょうすな湘潭かぶしゅうえき衡陽邵陽婁底郴州ながしゅうとう部分ぶぶんある全部ぜんぶ,以及みなみ西北せいほく廣東かんとんてきれんしゅう廣西ひろせてきぜんしゅう等地とうち面積めんせきいく乎相とう於今てんせいてき湖南こなみしょう。其治しょ湘縣そくだい致為いまちょうすな轄區。

かんだい[編輯へんしゅう]

かん高祖こうそねんぜん202ねん),だてためちょうすなおう,以長すなあきらぞうぐんかつらりん南海なんかいぐんためちょうすなこく,其中はるかりょうぞうぐんかつらりん南海なんかいさんぐん[1]漢文かんぶんみかどこうななねんぜん157ねん),ちょうすなおうくれさん薨,くにじょ

かんけいみかどねんぜん155ねん),たて皇子おうじりゅうはつためちょうすなおうあらためちょうすなぐんためちょうすなこく[2]ちょうすなこくぞく荊州刺史しし西にしかん後期こうきちょうすな國領こくりょうじゅうさんけん:臨湘、れんどうえきしも雋、攸、酃、烝陽、湘南しょうなんあきらりょう、荼陵、ようりょう安成やすなり[3]

しんはじめ建國けんこく元年がんねん(9ねん),貶長すなおうりゅうしゅんためこうはじめ建國けんこくねん(10ねん),はいちょうすなこうりゅうしゅんため庶人,あらためちょうすなこくためはま蠻郡ひがしかんはつふくためちょうすなこくかん光武みつたけみかどたてたけしじゅうさんねん(37ねん),くだふうちょうすなおうりゅうきょうため臨湘こうあらためちょうすなこくためちょうすなぐん[4]ひがしかんとき,析置醴陵けん,烝陽けんあらためぞくれいりょうぐん[5]

六朝りくちょう[編輯へんしゅう]

かんけんじみかど初年しょねんちょうすな太守たいしゅまごけんおこりへい參與さんよ討伐とうばつ權臣けんしんただしたくころせ荊州刺史ししおうあきらただしたく以獻みかど名義めいぎ任命にんめいりゅうひょうため荊州まきりゅうおもて於是奪取だっしゅりょう包括ほうかつちょうすなぐんざい內的荊州てきひかえせいけんたてやすしねん(200ねん),ちょうすな太守たいしゅちょうとも聯合れんごう曹操そうそうはん叛劉ひょう病死びょうし其子ちょう懌繼にんあずかれいりょうぐんかつらようぐん叛軍はんぐんりゅうおもて鎮壓ちんあつ

けんやすじゅうさんねん(208ねんりゅうひょう死後しごりゅうたてまつりゅうおもて長子ちょうしりゅうつぎにん荊州刺史ししちょうすな太守たいしゅかんげんこう投降とうこうりゅう琦死,其勢力せいりょく推劉備繼にんときまご堅子かたこまごけん割據かっきょ江東こうとうちょうすなこおり也有やゆう一部分如下雋等地被其占領。けんやすじゅうねん(210ねん),まごけんぶんちょうすなぐんりつかんあきらぐん[6]後來こうらいまごけん治下ちかてきえきけんとう部分ぶぶんちょうすなぐん交給りゅう備(荊州),かんあきらぐん仍歸まごけんけんやすじゅうきゅうねん(214ねん),まごけんりょこうむ奪取だっしゅちょうすなぐんりゅう備亦ざいじゅうしんあずかまごけん結盟けつめい承認しょうにんちょうすなため所有しょゆう

さんこく鼎立ていりつちょうすなぐんぞく孫吳そんごまごあきら太平たいへいねん(257ねん),以長すな東部とうぶため湘東ぐんまごあきらたからかなえねん(267ねん),ふんあきらぐんいおりりょうぐんちょうすなぐんりつ安成やすなりぐん[7]

すすむたけみかどふとやすしちゅうちょうすなぐんりょうじゅうけん:臨湘、攸、しも雋、醴陵、りゅうようたてやすしあきらかば圻、ともえりょう[8]すすむふところみかどえいよしみ元年がんねん(307ねん),ふん荊州しゅうだて湘州臨湘,ちょうすなぐんあらためぞく湘州。すすむなりみかど咸和さんねん(328ねんしょう湘州。すすむやすみかどはちねん(412ねんふくりつじゅうねん(416ねんまたしょうそうたけしみかどえいはつさんねん(422ねんまただてそうぶんみかどげんよしみはちねん(431ねんまたしょうげんよしみじゅうろくねん(439ねん),ふくりつ湘州,ふんちょうすなぐんともえりょうかば圻、しも雋,江夏えなつぐんこれすなよん縣立けんりつともえりょうぐんげんよしみじゅうきゅうねん(452ねん),またしょう湘州。そうたかしたけみかどこうけん元年がんねん(454ねんまたたて湘州。[9]

ずいとう[編輯へんしゅう]

ずいぶんみかどひらきすめらぎきゅうねん(589ねん),めつひねはいちょうすなぐん及湘しゅう,其地ぞく潭州ずい煬帝大業おおわざさんねん(607ねん),あらため潭州ためちょうすなぐんちょうすなぐんりょうよんけんちょうすな、衡山、えき、邵陽。[10]

から高祖こうそ武德ぶとくよんねん(621ねん),ひらたしょうずくあらためちょうすなぐんため潭州。からげんむね天寶てんぽう元年がんねん(742ねん),あらため潭州ためちょうすなぐんちょうすなぐんりょうろくけんちょうすな、衡陽、湘鄉、えき、醴陵、りゅう天寶てんぽうはち(749ねん),衡陽けんうつり於洛こうあらためため湘潭けんから肅宗いぬいもと元年がんねん(758ねん),ふくあらためちょうすなぐんため潭州。[11]

人口じんこう[編輯へんしゅう]

行政ぎょうせい長官ちょうかん[編輯へんしゅう]

ちょうすなもりぜん220年代ねんだいまえ155ねん[編輯へんしゅう]

ちょうすな內史(ぜん145ねんまえ8ねん[編輯へんしゅう]

  • 繆生,東海とうかいらんりょうじんかんたけみかどどき在任ざいにん[12]
  • ちょうひじはじめ遷吳ぐんくれじんちょうりょうななせいまご かんなりみかどどき在任ざいにん。(南北なんぼくあさ そう書卷しょかん53.列傳れつでん13ちょうしげるでん)

ちょうすなしょうぜん8ねん—10ねん[編輯へんしゅう]

はま蠻大いん(10ねん—25ねん[編輯へんしゅう]

ちょうすなしょう(25ねん—37ねん[編輯へんしゅう]

ちょうすな太守たいしゅ(37ねん—289ねん[編輯へんしゅう]

ちょうすな內史(289ねん—291ねん[編輯へんしゅう]

ちょうすな太守たいしゅ(291ねん—301ねん[編輯へんしゅう]

ちょうすな內史(301ねん—303ねん[編輯へんしゅう]

ちょうすな太守たいしゅ(303ねん—308ねん[編輯へんしゅう]

ちょうすな內史(308ねん—310年代ねんだい[編輯へんしゅう]

ちょうすな太守たいしゅ(310年代ねんだい—329ねん[編輯へんしゅう]

ちょうすなしょう(329ねん—403ねん[編輯へんしゅう]

ちょうすな太守たいしゅ(403ねん—404ねん[編輯へんしゅう]

ちょうすなしょう(404ねん—420ねん[編輯へんしゅう]

ちょうすな內史(420ねん—557ねん[編輯へんしゅう]

ちょうすな太守たいしゅ(557ねん—569ねん[編輯へんしゅう]

ちょうすな內史(569ねん—589ねん[編輯へんしゅう]

ちょうすなぐん太守たいしゅ(607ねん—621ねん[編輯へんしゅう]

ちょうすなぐん太守たいしゅ(742ねん—758ねん[編輯へんしゅう]

國主こくしゅ[編輯へんしゅう]

まいり[編輯へんしゅう]

しるし文獻ぶんけん註釋ちゅうしゃく[編輯へんしゅう]

  1. ^ 漢書かんしょ まきいちした だかみかどだいいち
  2. ^ 漢書かんしょ まき けいみかどだい
  3. ^ 3.0 3.1 漢書かんしょ まきじゅうはちじょう 地理ちりこころざしだいはちじょう
  4. ^ こう漢書かんしょ まきいち 光武みつたけみかどだいいち
  5. ^ 5.0 5.1 こう漢書かんしょ こころざしだいじゅう ぐんこくよん
  6. ^ 三國志さんごくし まきよんじゅうなな くれしょ さん嗣主でんだい
  7. ^ 三國志さんごくし まきよんじゅうはち くれしょさん さん嗣主でんだいさん
  8. ^ 8.0 8.1 すすむしょ まきじゅう こころざしだい 地理ちり
  9. ^ 9.0 9.1 そうしょ まきさんじゅう こころざしだいじゅう
  10. ^ 10.0 10.1 ずいしょ まきさんじゅういち こころざしだいじゅうろく
  11. ^ 11.0 11.1 きゅうとうしょ まきよんじゅう こころざしだいじゅう
  12. ^ 漢書かんしょ まきはちじゅうはち 儒林でんだいじゅうはち
  13. ^ こう漢書かんしょ まきじゅうなな 馮岑賈列でんだいなな
  14. ^ 14.0 14.1 こう漢書かんしょ まきじゅうきゅう さるほふつよしあわびなが郅惲列傳れつでんだいじゅうきゅう
  15. ^ 太平たいへい御覽ごらん まきひゃくろくじゅう
  16. ^ こう漢書かんしょ まきなな こう桓帝だいなな
  17. ^ 三國志さんごくし まきよんじゅうろく くれしょいち まごやぶとりこ討逆でんだいいち
  18. ^ 18.0 18.1 18.2 三國志さんごくし まきろく しょろく ただし袁劉でんだいろく
  19. ^ 三國志さんごくし まきさんじゅう しょくしょ さきおもでんだい
  20. ^ 三國志さんごくし まきよんじゅう しょくしょじゅう りゅう彭廖りゅうたかし楊傳だいじゅう
  21. ^ 三國志さんごくし まきろくじゅうよん くれしょじゅうきゅう しょかずら滕二孫濮陽傳第十九》
  22. ^ そうしょ まきいちひゃく 列傳れつでんだいろくじゅう
  23. ^ 23.0 23.1 すすむしょ まきろくじゅうろく 列傳れつでんだいさんじゅうろく
  24. ^ ずいしょ まきさんじゅう こころざしだいじゅうなな
  25. ^ すすむしょ まきななじゅうろく 列傳れつでんだいよんじゅうろく
  26. ^ すすむしょ まきいちひゃく 列傳れつでんだいななじゅう
  27. ^ すすむしょ まきはちじゅうさん 列傳れつでんだいじゅうさん
  28. ^ すすむしょ まきさんじゅうなな 列傳れつでんだいなな
  29. ^ 29.0 29.1 すすむしょ まきはちじゅう 列傳れつでんだいじゅう
  30. ^ すすむしょ まききゅうじゅうよん 列傳れつでんだいろくじゅうよん
  31. ^ すすむしょ まききゅうじゅう 列傳れつでんだいろくじゅう
  32. ^ ずいしょ まきさんじゅう こころざしだいさんじゅう
  33. ^ すすむしょ まききゅうじゅうきゅう 列傳れつでんだいろくじゅうきゅう
  34. ^ そうしょ まきろくじゅう 列傳れつでんだいじゅう
  35. ^ そうしょ まきじゅう 列傳れつでんだいじゅう
  36. ^ そうしょ まきじゅうさん 列傳れつでんだいじゅうさん
  37. ^ そうしょ まきななじゅうはち 列傳れつでんだいさんじゅうはち
  38. ^ そうしょ まききゅうじゅう 列傳れつでんだいじゅう
  39. ^ そうしょ まきななじゅうきゅう 列傳れつでんだいさんじゅうきゅう
  40. ^ 40.0 40.1 そうしょ まきはちじゅうよん 列傳れつでんだいよんじゅうよん
  41. ^ 41.0 41.1 みなみひとししょ まきさんじゅういち 列傳れつでんだいじゅう
  42. ^ みなみひとししょ まきさんじゅうなな 列傳れつでんだいじゅうはち
  43. ^ そうしょ まきはちじゅうさん 列傳れつでんだいよんじゅうさん
  44. ^ はりしょ まきじゅう 列傳れつでんだいじゅうよん
  45. ^ みなみひとししょ まきよんじゅうはち 列傳れつでんだいじゅうきゅう
  46. ^ はりしょ まきじゅうきゅう 列傳れつでんだいじゅうさん
  47. ^ はりしょ まきじゅうさん 列傳れつでんだいよんじゅうなな
  48. ^ はりしょ まきよんじゅう 列傳れつでんだいさんじゅうよん
  49. ^ はりしょ まきよんじゅうはち 列傳れつでんだいよんじゅう
  50. ^ 50.0 50.1 ひねしょ まきじゅうなな 列傳れつでんだいじゅういち
  51. ^ ひねしょ まきじゅうよん 列傳れつでんだいじゅうはち
  52. ^ ひねしょ まきじゅう 列傳れつでんだいじゅうよん
  53. ^ ひねしょ まきさんじゅういち 列傳れつでんだいじゅう
  54. ^ きゅうとうしょ まきいちひゃくいちじゅう 列傳れつでんだいろくじゅう