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枢密院すうみついん (日本にっぽん)

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日本の旗 日本にっぽん行政ぎょうせい機関きかん
枢密院すうみついん
旧枢密院庁舎(現皇宮警察本部庁舎)
きゅう枢密院すうみついん庁舎ちょうしゃげん皇宮警察こうぐうけいさつ本部ほんぶ庁舎ちょうしゃ
役職やくしょく
議長ぎちょう 伊藤いとう博文ひろぶみ初代しょだい
清水しみずきよし最後さいご
ふく議長ぎちょう 寺島てらしまはじめのり初代しょだい
うしおめぐみ最後さいご
概要がいよう
設置せっち 1888ねん明治めいじ21ねん) - 1947ねん昭和しょうわ22ねん
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枢密院すうみついん(すうみついん、きゅう字体じたい樞密院すうみついん)は、枢密すうみつ顧問こもん顧問こもんかん)により組織そしきされる天皇てんのう諮詢しじゅん機関きかん憲法けんぽうおよび憲法けんぽう付属ふぞく法令ほうれい緊急きんきゅうみことのりれい条約じょうやくひとしについて天皇てんのう諮問しもんおうずる機関きかんでその性質せいしつじょう憲法けんぽう番人ばんにん」ともばれた[1]1888ねん明治めいじ21ねん)に大日本帝国だいにっぽんていこく憲法けんぽう草案そうあん審議しんぎのために創設そうせつされ、1947ねん昭和しょうわ22ねん5月2にち翌日よくじつ日本国にっぽんこく憲法けんぽう施行しこうともな廃止はいし略称りゃくしょうくるる(すうふ)。議長ぎちょうくるるしょう(すうしょう)ともばれた。

沿革えんかく

1946ねん昭和しょうわ21ねん10月29にち、「修正しゅうせい帝国ていこく憲法けんぽう改正かいせいあん」(日本国にっぽんこく憲法けんぽうあん)を全会ぜんかい一致いっち可決かけつした枢密院すうみついんほん会議かいぎ模様もよう

1888ねん明治めいじ21ねん)に憲法けんぽう草案そうあん審議しんぎおこなうため、枢密院すうみついん官制かんせい枢密院すうみついん事務じむ規程きていもとづいて創設そうせつされ(明治めいじ21ねん4がつ30にちみことのりれいだい22ごう)、1889ねん明治めいじ22ねん)に公布こうふされた大日本帝国だいにっぽんていこく憲法けんぽうでも天皇てんのう最高さいこう諮問しもん機関きかん位置付いちづけられた。初代しょだい議長ぎちょうは、伊藤いとう博文ひろぶみ

国政こくせい隠然いんぜんたる権勢けんせいほこり、政党せいとう政治せいじ時代じだいにあっても、藩閥はんばつ官僚かんりょうせい政治せいじ牙城がじょうをなした。しかし1931ねん昭和しょうわ6ねん)の満州まんしゅう事変じへん以後いご軍部ぐんぶ台頭たいとうとともにその影響えいきょうりょく低下ていか日本国にっぽんこく憲法けんぽう施行しこうにより、前日ぜんじつ1947ねん昭和しょうわ22ねん5月2にちかぎりで廃止はいしされた。

構成こうせい

組織そしき

枢密院すうみついん議長ぎちょう公印こういん

枢密院すうみついん議長ぎちょう1にんおや任官にんかん)、ふく議長ぎちょう1にん親任しんにんかん)、顧問こもんかん親任しんにんかん)をもって機関きかんたい構成こうせいした(枢密院すうみついん官制かんせい2じょう・3じょう[2]顧問こもんかんかずは24-28にんはじめ12にん以上いじょう1890ねん明治めいじ23ねん)に25にん1903ねん明治めいじ36ねん)に28にん1913ねん大正たいしょう2ねん)には24にん)であった。

議長ぎちょうふく議長ぎちょう顧問こもんかん任用にんよう資格しかくは40さい以上いじょうで(枢密院すうみついん官制かんせい4じょう)、“元勲げんくん練達れんたつひとえらぶ”ことをれいとした[2]枢密院すうみついん議長ぎちょう宮中きゅうちゅう席次せきじだい3だいくん内閣ないかく総理そうり大臣だいじんぎ、国務大臣こくむだいじん元帥げんすい朝鮮ちょうせん総督そうとくなどよりもうえであった。のちに「重臣じゅうしん会議かいぎ」が成立せいりつすると枢密院すうみついん議長ぎちょう重臣じゅうしんくわえられた。

このほか、かく国務大臣こくむだいじんが「顧問こもんかん」として議席ぎせきゆうし、表決ひょうけつ参加さんかする権限けんげんゆうした(枢密院すうみついん官制かんせい11じょう前段ぜんだん[2]国務大臣こくむだいじん採決さいけつ参加さんかできるという規定きていはかえって内閣ないかく不利ふりはたらいた。内閣ないかく枢密院すうみついん顧問こもんかん対立たいりつした場合ばあい定数ていすうからいって内閣ないかく意見いけん否決ひけつされがちであった。また、内閣ないかく枢密院すうみついん決定けってい反対はんたいつづけるとみずか参加さんかした採決さいけつ結果けっかしたがわないこととなりすじとおらないこととなってしまうからである[3]

また、在京ざいきょう成年せいねん以上いじょう親王しんのう議席ぎせきゆうした(明治めいじ21ねん5がつ18にち勅旨ちょくし[4][5]会議かいぎ参加さんかする皇族こうぞくは「成年せいねん皇族こうぞく」ではなく「成年せいねん親王しんのう」であった。そのため、明治めいじ憲法けんぽう審議しんぎ時点じてんでは有栖川宮熾仁親王ありすがわのみやたるひとしんのうらが審議しんぎくわわっていたが、その審議しんぎ参加さんかせず、戦前せんぜん戦中せんちゅうにおいては、昭和しょうわ天皇てんのうおとうとみやである秩父宮ちちぶのみや高松宮たかまつのみや三笠みかさみやさんにん閑院みやじん親王しんのう親王しんのう宣下せんげによる)が該当がいとうしたが、全員ぜんいん現役げんえき軍人ぐんじんだったこともあり、皇族こうぞく出席しゅっせきはなかった。しかし戦後せんごになり1945ねん9がつ12にちほん会議かいぎ高松宮たかまつのみや三笠みかさみや二人ふたり出席しゅっせきした[6]

なお、明治めいじ時代じだいには山縣やまがた有朋ありとも大山おおやまいわおなど現役げんえき軍人ぐんじん顧問こもんかんもいたが、大正たいしょう時代じだい以後いごにそういう任用にんようはなくなった。1946ねん昭和しょうわ21ねん)、(大日本帝国だいにっぽんていこく憲法けんぽうあらためるかたちで)日本国にっぽんこく憲法けんぽう草案そうあん審議しんぎをしていた6がつ8にち枢密院すうみついんほん会議かいぎに(30だいになったばかりの)三笠みかさみやたかしじん親王しんのう皇室こうしつ議員ぎいんとして出席しゅっせき発言はつげんしている[7]

補助ほじょ機関きかん

補助ほじょ機関きかんとして書記官しょきかんちょう1にんみことのり任官にんかん)および書記官しょきかん3にんそう任官にんかん)がかれた(枢密院すうみついん官制かんせい2じょう・3じょう[2]

地位ちい

枢密院すうみついん地位ちいは、1.輔弼ほひつ機関きかんとしての地位ちい、2.皇室こうしつ機関きかんとしての地位ちい、3.権限けんげん裁判所さいばんしょとしての地位ちいの3つにけられた[8]。このうち中央ちゅうおう行政ぎょうせい官庁かんちょうとしての性質せいしつゆうする地位ちい権限けんげん裁判所さいばんしょとしての地位ちいのみである[8]

輔弼ほひつ機関きかんとしての地位ちい

大日本帝国だいにっぽんていこく憲法けんぽうだい56じょうでは枢密院すうみついん官制かんせいさだめるところにより天皇てんのう諮詢しじゅんこた重要じゅうよう国務こくむかん審議しんぎすると規定きていされた[9]伊藤いとう博文ひろぶみ枢密院すうみついんを「内閣ないかくとともに憲法けんぽうじょう最高さいこうの輔翼」と定義ていぎした[10]

枢密院すうみついん設置せっち時点じてんにおいて。枢密院すうみついん官制かんせい6じょう規定きていにより、枢密院すうみついんたいして諮詢しじゅんせられるべき事項じこうとされたのは以下いかとおりである[11]

  1. 憲法けんぽうおよ憲法けんぽう附属ふぞくする法律ほうりつ解釈かいしゃくかんおよ予算よさんその会計かいけいじょう疑義ぎぎかんする争議そうぎ
  2. 憲法けんぽう改正かいせいまた憲法けんぽう附属ふぞくする法律ほうりつ改正かいせいかんする草案そうあん
  3. 重要じゅうようなるみことのりれい
  4. 新法しんぽう草案そうあんまた現行げんこう法律ほうりつ廃止はいし改正かいせいかんする草案そうあん列国れっこく交渉こうしょう条約じょうやくおよ行政ぎょうせい組織そしき計画けいかく
  5. ぜんしょこうかかげるもののほか行政ぎょうせいまた会計かいけいじょう重要じゅうよう事項じこうとく勅命ちょくめいもっ諮詢しじゅんされたときまた法律ほうりつ命令めいれいってとく枢密院すうみついん諮詢しじゅんることをようするとき

枢密院すうみついん官制かんせい事務じむ規程きていちゅう改正かいせい明治めいじ23ねんみことのりれいだい216ごう)により諮詢しじゅんせられるべき事項じこうつぎのようになった

  1. 皇室こうしつ典範てんぱんおいて其權げんぞくせしめたる事項じこう
  2. 憲法けんぽう條項じょうこうまた憲法けんぽう附屬ふぞくする法律ほうりつみことのりれいかんする草案そうあん疑義ぎぎ
  3. 憲法けんぽうだい14じょう戒嚴かいげん宣告せんこくどう8じょうだい70じょうみことのりれい及其罰則ばっそく規定きていあるみことのりれい
  4. 列國れっこく交渉こうしょう條約じょうやく約束やくそく
  5. 樞密院すうみついん官制かんせい事務じむ規程きてい改正かいせいかんする事項じこう
  6. ぜんしょこうに掲くるもののそと臨時りんじ諮詢しじゅんせられたる事項じこう

上記じょうき諮詢しじゅん事項じこうには、文官ぶんかん制度せいどふくまれていない。しかし1899ねん明治めいじ32ねん)、やま県内けんないかくは、文官ぶんかん任用にんようれい改正かいせい自由じゆう任用にんよう廃止はいしして政党せいとういん文官ぶんかんへの就任しゅうにん阻止そしするもの)、「臨時りんじ諮詢しじゅん」により、枢密院すうみついん諮詢しじゅんし、かつ、以後いご文官ぶんかん任用にんようれい自由じゆう任用にんようできるように改正かいせいされることのないように御沙汰ごさたしょ[12]かたち文官ぶんかん制度せいど教育きょういくかんするみことのりれい各省かくしょう官制かんせい諮詢しじゅんするものとした[13]

樞密院すうみついん官制かんせいちゅう改正かいせいけん昭和しょうわ13ねんみことのりれいだい774ごう)によりさら改正かいせいされた。

  1. 皇室こうしつ典範てんぱん及皇しつれいおい樞密院すうみついん權限けんげんぞくせしめたる事項じこうなみとく諮詢しじゅんせられたる皇室こうしつれい
  2. 帝國ていこく憲法けんぽう條項じょうこうかんする草案そうあん疑義ぎぎ
  3. 帝國ていこく憲法けんぽう附屬ふぞくする法律ほうりつ及勅れい
  4. 樞密院すうみついん官制かんせい事務じむ規程きてい改正かいせい
  5. 帝國ていこく憲法けんぽうだい8じょう及第きゅうだい70じょうみことのりれい
  6. 國際こくさい條約じょうやく締結ていけつ
  7. 帝國ていこく憲法けんぽうだい14じょう戒嚴かいげん宣告せんこく
  8. 教育きょういくかんする重要じゅうようみことのりれい
  9. 行政ぎょうせい各部かくぶ官制かんせいほかかんぶんまわしかんする重要じゅうようみことのりれい
  10. 榮典えいてん恩赦おんしゃ基礎きそかんするみことのりれい
  11. ぜん各号かくごうかかげたるもののそととく諮詢しじゅんせられたる事項じこう


枢密院すうみついん施政しせい関与かんよすることができず(枢密院すうみついん官制かんせいだい8じょう)、大臣だいじん以外いがい公務こうむじょう交渉こうしょうおこなうことをきんじられていた(枢密院すうみついん事務じむ規程きていだい3じょう)。

皇室こうしつ機関きかんとしての地位ちい

きゅう皇室こうしつ典範てんぱん枢密院すうみついん皇族こうぞく会議かいぎとともに皇族こうぞく自治じち機関きかんとして位置いちづけられていた[14]

きゅう皇室こうしつ典範てんぱんとう枢密院すうみついん諮詢しじゅんこたえることとされた事項じこう以下いかとおりである[15]

  1. 皇位こうい継承けいしょう順序じゅんじょ変更へんこうについて天皇てんのう諮詢しじゅんこたえること(きゅう皇室こうしつ典範てんぱん9じょう
  2. ふとしでん選任せんにんについて摂政せっしょう諮詢しじゅんこたえること(きゅう皇室こうしつ典範てんぱん27じょう
  3. ふとしでん退職たいしょくについて摂政せっしょう諮詢しじゅんこたえること(きゅう皇室こうしつ典範てんぱん29じょう
  4. でん御料ごりょう編入へんにゅうする土地とち物件ぶっけんについて天皇てんのう諮詢しじゅんこたえること(きゅう皇室こうしつ典範てんぱん46じょう
  5. 皇室こうしつ典範てんぱん条項じょうこう改正かいせいまた増補ぞうほについて天皇てんのう諮詢しじゅんこたえること(きゅう皇室こうしつ典範てんぱん62じょう
  6. 皇族こうぞく臣籍しんせき降下こうかについて天皇てんのう諮詢しじゅんこたえること(きゅう皇室こうしつ典範てんぱん増補ぞうほ5じょう
  7. 皇族こうぞく失踪しっそう宣告せんこくについて天皇てんのう諮詢しじゅんこたえること(皇族こうぞくれい21じょう
  8. 元号げんごう制定せいていについて天皇てんのう諮詢しじゅんこたえること(登極とうきょくれい2じょう

また、諮詢しじゅんたずに枢密院すうみついんすすんで議決ぎけつできるとされた事項じこう以下いかとおりである[16]

  1. 天皇てんのうひさしきにわたる故障こしょうによって摂政せっしょうくべき場合ばあい決定けっていきゅう皇室こうしつ典範てんぱん19じょう
  2. 摂政せっしょうまたは摂政せっしょうたるべきしゃ精神せいしんしくは身体しんたい重患じゅうかんまた重大じゅうだい事故じこがある場合ばあい順序じゅんじょ変更へんこうきゅう皇室こうしつ典範てんぱん25じょう

権限けんげん裁判所さいばんしょとしての地位ちい

行政ぎょうせい裁判さいばんほう20じょう2こう行政ぎょうせい裁判所さいばんしょ通常つうじょう裁判所さいばんしょまた特別とくべつ裁判所さいばんしょとのあいだ権限けんげん争議そうぎ裁定さいてい権限けんげん裁判所さいばんしょおこなうとし、どうほうの45じょう権限けんげん争議そうぎ裁定さいてい権限けんげん裁判所さいばんしょもうけられるまでわって枢密院すうみついん裁定さいていするとしていた[17]

枢密院すうみついん権限けんげん裁判所さいばんしょとしての地位ちい合議ごうぎせい中央ちゅうおう行政ぎょうせい官庁かんちょうとしての地位ちいとされた[2]。しかし、行政ぎょうせい裁判さいばんほう45じょうみことのりれいさだめるとされた裁定さいてい手続てつづき制定せいていだったため、裁定さいてい権限けんげんゆうするが権限けんげん実行じっこうはできない状態じょうたいだった[2]

なお、行政ぎょうせい裁判さいばんほう45じょう予定よていされていた本来ほんらい権限けんげん裁判所さいばんしょ設置せっちについては、だい4かい帝国ていこく議会ぎかい権限けんげん争議そうぎ裁判さいばん法案ほうあん提出ていしゅつされ、貴族きぞくいん特別とくべつ委員いいんかいでは可決かけつされたがほん会議かいぎ否決ひけつされ成立せいりつしなかった[18]。その権限けんげん裁判所さいばんしょ構成こうせいとうさだめる権限けんげん裁判さいばん法案ほうあんだい14かい帝国ていこく議会ぎかい提出ていしゅつされる予定よていだったが再三さいさん延期えんきされ、だい16かい帝国ていこく議会ぎかい提出ていしゅつされて貴族きぞくいん通過つうかして衆議院しゅうぎいんおくられたが成立せいりついたらずにわった[18]

会議かいぎ

楊洲周延しゅうえん枢密院すうみついん会議かいぎ」(1888ねん

会議かいぎ天皇てんのう親臨しんりんあおいでひらくのを原則げんそくとする(枢密院すうみついん官制かんせい1じょう[19]枢密院すうみついん官制かんせい8じょうに「枢密院すうみついん行政ぎょうせいおよ立法りっぽうことかん天皇てんのう至高しこう顧問こもんたりと雖も施政しせい干渉かんしょうすることなし」と、事務じむ規程きてい2じょうに「枢密院すうみついん帝国ていこく議会ぎかいしくは其一院いちいんまた官署かんしょまたは臣民しんみんより請願せいがん上書うわがき其他通信つうしん受領じゅりょうすることをず」、3じょうに「枢密院すうみついん内閣ないかくおよ各省かくしょう大臣だいじんとのみ公務こうむじょう交渉こうしょうゆうし其他の官署かんしょ帝国ていこく議会ぎかいまた官民かんみんとのあいだ文書ぶんしょ往復おうふくまたは其他の交渉こうしょうゆうすることをず」と規定きていされる。すなわち枢密院すうみついん内閣ないかくおよび各省かくしょう大臣だいじん交渉こうしょうるのみで、その官庁かんちょう帝国ていこく議会ぎかいまたは人民じんみん文書ぶんしょ往復おうふくし、またはその交渉こうしょうをすることはできない。

定足数ていそくすう

会議かいぎ顧問こもんかん10めい以上いじょう出席しゅっせきがなければ会議かいぎひらくことはできないとされていた(枢密院すうみついん官制かんせい9じょう[19]かく大臣だいじん職権しょっけんじょう顧問こもんかんとしての地位ちいゆうし、議席ぎせきれっし、表決ひょうけつけんゆうするが、大臣だいじん除外じょがいしたうえで定足数ていそくすうを10めいとしたのは、当時とうじ内閣ないかくいん内閣ないかく総理そうり大臣だいじんおよび各省かくしょう大臣だいじん宮内みやうち大臣だいじんのぞく)のけい10めいで、これより少数しょうすうではいけないからであるという[ちゅう 1]

会議かいぎ首席しゅせき

会議かいぎ首席しゅせき枢密院すうみついん議長ぎちょうつとめるが、議長ぎちょう事故じこのあるときはふく議長ぎちょうが、議長ぎちょうふく議長ぎちょうともに事故じこのあるときは顧問こもんかん席次せきじによって会議かいぎ首席しゅせきとなる(枢密院すうみついん官制かんせい10じょう[19]

議決ぎけつ

議事ぎじ多数決たすうけつ可否かひ同数どうすう場合ばあい会議かいぎ首席しゅせきけっするところによる(枢密院すうみついん官制かんせい12じょう[19]

審査しんさ報告ほうこくしょ

議長ぎちょう枢密院すうみついん到達とうたつする事項じこう書記官しょきかんちょう下付かふして審査しんささせ、会議かいぎすべき事項じこう報告ほうこく調製ちょうせいさせるのを通例つうれいとする(事務じむ規程きてい4じょう)が、必要ひつようみとめる場合ばあいおや報告ほうこくにんたり、または顧問こもんかん1人ひとりもしくはすうにん委任いにんすることができる(事務じむ規程きてい4じょう2こう)。 報告ほうこく顧問こもんかんおこなう場合ばあいでも書記官しょきかんちょうおこなう場合ばあいでも審査しんさ報告ほうこくしょ議長ぎちょう提出ていしゅつする。 審査しんさ報告ほうこくしょ附属ふぞく文書ぶんしょとともに会議かいぎひらからすくなくとも3にち以前いぜん各員かくいん配達はいたつしなければならない(事務じむ規程きてい5じょう、7じょう)。

議決ぎけつした意見いけん

枢密院すうみついん議決ぎけつした意見いけん議長ぎちょうから天皇てんのう上奏じょうそうし、同時どうじ内閣ないかく総理そうり大臣だいじん通報つうほうしなければならない(事務じむ規程きてい13じょう)。 会議かいぎ議事ぎじ筆記ひっき議長ぎちょうおよび書記官しょきかんまたは出席しゅっせき書記官しょきかん署名しょめいし、正確せいかく表明ひょうめいする(事務じむ規程きてい14じょう)。

記録きろく

明治めいじ21ねん創設そうせつから昭和しょうわ22ねん廃止はいしいたるまでの枢密院すうみついん会議かいぎ関係かんけい文書ぶんしょは、ほぼすべて国立こくりつ公文書こうぶんしょかんにて公開こうかいされており、ネットじょうでも閲覧えつらんできる。ただし一部いちぶ例外れいがいとして、昭和しょうわ20ねん8がつ15にちより以降いこうほん会議かいぎ議事ぎじろくなど、当初とうしょ非公開ひこうかいのままになっている文書ぶんしょもあった。歴史れきし学者がくしゃ吉田よしだひろし非公開ひこうかい理由りゆうについて、「記録きろく非公開ひこうかい時期じきは、親王しんのうほん会議かいぎ出席しゅっせきしていた時期じき一致いっちしている」と指摘してきしたうえで、「直宮じきみや天皇てんのう兄弟きょうだいであるみや)がかなり自由じゆう発言はつげんをしていたようである。おそらく記録きろく非公開ひこうかいは、直宮じきみやをはじめとする皇族こうぞく政治せいじてき発言はつげんを『封印ふういん』するための措置そちだろうとおもわれる」と推測すいそくしていた[20]。2022ねん現在げんざいでは、三笠みかさみやたかしじん親王しんのう皇室こうしつ議員ぎいんとして出席しゅっせき発言はつげんしている、日本国にっぽんこく憲法けんぽう草案そうあん審議しんぎをしていた6がつ8にち枢密院すうみついんほん会議かいぎ記録きろくふく公開こうかいされている[21]

内閣ないかくとの関係かんけい

枢密院すうみついん内閣ないかく政策せいさく対立たいりつした場合ばあいはないによりどちらかが譲歩じょうほするケースがおおかったが、1927ねん昭和しょうわ2ねん)には台湾たいわん銀行ぎんこう救済きゅうさいのためのだい1若槻わかつき内閣ないかくによる緊急きんきゅうみことのりれいあんを19たい11で否決ひけつ内閣ないかくそう辞職じしょくんだ。これは枢密院すうみついんによって内閣ないかくたおれた唯一ゆいいつれいである。とはいえ、枢密院すうみついん議案ぎあん否決ひけつされたからといって内閣ないかくそう辞職じしょくしなければならないという規定きていはなく、この場面ばめん辞職じしょくったのは若槻わかつき性格せいかくよわさによるものとわれる。

たような問題もんだいとして、1930ねん昭和しょうわ5ねん)、濱口はまぐち内閣ないかくにおけるロンドン海軍かいぐん軍縮ぐんしゅく条約じょうやく批准ひじゅん問題もんだいがある。このときは、条約じょうやく批准ひじゅん目指めざ政府せいふ立憲りっけん民政みんせいとう濱口はまぐち雄幸ゆうこう)と、枢密院すうみついん海軍かいぐん軍令ぐんれい鳩山はとやま一郎いちろうらを中心ちゅうしんとする野党やとう立憲りっけん政友せいゆうかい対立たいりつし、内閣ないかく軍部ぐんぶ意向いこうはんして軍縮ぐんしゅく断行だんこうするのは天皇てんのう統帥とうすいけんおかすものである(統帥とうすいけん干犯かんぱん)との非難ひなんびせられ、加藤かとう寛治かんじ軍令ぐんれい部長ぶちょうによる帷幄上奏いあくじょうそうまでおこなわれ、枢密院すうみついんでもはん濱口はまぐち内閣ないかくうごきがおおいに顕在けんざいした。しかし、濱口はまぐち首相しゅしょう元老げんろう西園寺さいおんじ公望きんもちや、憲法けんぽう学者がくしゃ美濃部みのべ達吉たつきち佐々木ささき惣一そういち世論せろん支持しじ背景はいけいとして枢密院すうみついんたいして断固だんことした態度たいどのぞみ、枢密院すうみついんのボスとしてられた大物おおもの顧問こもんかん伊東いとう巳代治みよじ要求ようきゅうした資料しりょう提出ていしゅつこばむほどであった。『東京日日新聞とうきょうにちにちしんぶん』をはじめとするだい新聞しんぶん猛烈もうれつ枢密院すうみついん批判ひはん内閣ないかく擁護ようごし、枢密院すうみついん議員ぎいん内閣ないかく奏請そうせい罷免ひめんできると指摘してきするなど健筆けんぴつるった。こうして枢密院すうみついんがわれて濱口はまぐち内閣ないかく条約じょうやく批准ひじゅん達成たっせいした。

これほどの対立たいりつにはいたらなくとも、明治めいじから大正たいしょうにかけて山縣やまがた有朋ありとも枢密院すうみついんたてはん政党せいとうてき策動さくどうおこなっており、山縣やまがた死後しご1928ねん昭和しょうわ3ねん)の不戦ふせん条約じょうやく批准ひじゅん問題もんだいとうにおいて策動さくどうした。

庁舎ちょうしゃ

発足ほっそく当初とうしょ会議かいぎ赤坂あかさかかり御所ごしょ別殿べつでん会食かいしょくしょ)でひらかれ、明治めいじ宮殿きゅうでん完成かんせいとともに宮殿きゅうでんないうつった。別殿べつでん大日本帝国だいにっぽんていこく憲法けんぽう審議しんぎでもあり、のちに憲法けんぽう記念きねんかん現在げんざい明治めいじ記念きねんかん)として保存ほぞんされた。

その現在げんざい国会こっかい議事堂ぎじどう庁舎ちょうしゃもうけられ、1921ねん大正たいしょう10ねん)には宮城みやぎない桔梗ききょうもんちかくに移転いてん新築しんちくされた。のち建築けんちくされる議事堂ぎじどう小規模しょうきぼばんとして、臨時りんじ議院ぎいん建築けんちくきょく矢橋やはし賢吉けんきち設計せっけいした。鉄筋てっきんコンクリート2かい構造こうぞう面積めんせきやく1700平方へいほうメートル[22]

戦後せんご最高裁判所さいこうさいばんしょ庁舎ちょうしゃ皇宮警察こうぐうけいさつ本部ほんぶ庁舎ちょうしゃとして使用しようされたが、1984ねん昭和しょうわ59ねん)より使用しようされなくなり、建物たてものないとりができるほど荒廃こうはいした。2006ねん平成へいせい18ねん)よりやく5おく5000まんえんかけて改修かいしゅう工事こうじおこなわれ、2012ねん平成へいせい24ねん)に完了かんりょう[23]2013ねん平成へいせい25ねん)からふたたび、皇宮警察こうぐうけいさつ本部ほんぶ庁舎ちょうしゃ本部ほんぶちょうしつ警務けいむとう)として使用しようされている。

枢密院すうみついん構成こうせいした人物じんぶつ

歴代れきだい議長ぎちょう

歴代れきだい議長ぎちょう
だい 氏名しめい 在職ざいしょく期間きかん
伊藤いとう博文ひろぶみ 1888ねん明治めいじ21ねん)4がつ30にち - 1889ねん明治めいじ22ねん)10がつ30にち
大木おおき喬任たかとう 1889ねん明治めいじ22ねん)12月24にち - 1891ねん明治めいじ24ねん)6がつ1にち
伊藤いとう博文ひろぶみ 1891ねん明治めいじ24ねん)6がつ1にち - 1892ねん明治めいじ25ねん)8がつ8にち
大木おおき喬任たかとう 1892ねん明治めいじ25ねん)8がつ8にち - 1893ねん明治めいじ26ねん)3がつ11にち
山縣やまがた有朋ありとも 1893ねん明治めいじ26ねん)3がつ11にち - 1894ねん明治めいじ27ねん)12月18にち
黒田くろだ清隆きよたか 1895ねん明治めいじ28ねん)3がつ17にち - 1900ねん明治めいじ33ねん)8がつ25にち
西園寺さいおんじ公望きんもち 1900ねん明治めいじ33ねん)10がつ27にち - 1903ねん明治めいじ36ねん)7がつ13にち
伊藤いとう博文ひろぶみ 1903ねん明治めいじ36ねん)7がつ13にち - 1905ねん明治めいじ38ねん)12月21にち
山縣やまがた有朋ありとも 1905ねん明治めいじ38ねん)12月21にち - 1909ねん明治めいじ42ねん)6がつ14にち
10 伊藤いとう博文ひろぶみ 1909ねん明治めいじ42ねん)6がつ14にち - 1909ねん明治めいじ42ねん)10がつ26にち
11 山縣やまがた有朋ありとも 1909ねん明治めいじ42ねん)11月17にち - 1922ねん大正たいしょう11ねん)2がつ1にち
12 清浦きようら奎吾 1922ねん大正たいしょう11ねん)2がつ8にち - 1924ねん大正たいしょう13ねん)1がつ7にち
13 濱尾はまおしん 1924ねん大正たいしょう13ねん)1がつ13にち - 1925ねん大正たいしょう14ねん)9がつ25にち
14 穂積ほづみ陳重のぶしげ 1925ねん大正たいしょう14ねん)10がつ1にち - 1926ねん大正たいしょう15ねん)4がつ8にち
15 倉富くらとみ勇三郎ゆうさぶろう 1926ねん大正たいしょう15ねん)4がつ12にち - 1934ねん昭和しょうわ9ねん)5がつ3にち
16 一木いちき喜徳郎きとくろう 1934ねん昭和しょうわ9ねん)5がつ3にち - 1936ねん昭和しょうわ11ねん)3がつ13にち
17 平沼ひらぬま騏一郎きいちろう 1936ねん昭和しょうわ11ねん)3がつ13にち - 1939ねん昭和しょうわ14ねん)1がつ5にち
18 近衛このえ文麿ふみまろ 1939ねん昭和しょうわ14ねん)1がつ5にち - 1940ねん昭和しょうわ15ねん)6がつ24にち
19 はら嘉道よしみち 1940ねん昭和しょうわ15ねん)6がつ24にち - 1944ねん昭和しょうわ19ねん)8がつ7にち
20 鈴木すずき貫太郎かんたろう 1944ねん昭和しょうわ19ねん)8がつ10日とおか - 1945ねん昭和しょうわ20ねん)4がつ7にち
21 平沼ひらぬま騏一郎きいちろう 1945ねん昭和しょうわ20ねん)4がつ9にち - 1945ねん昭和しょうわ20ねん)12月3にち
22 鈴木すずき貫太郎かんたろう 1945ねん昭和しょうわ20ねん)12月15にち - 1946ねん昭和しょうわ21ねん)6がつ13にち
23 清水しみずきよし 1946ねん昭和しょうわ21ねん)6がつ13にち - 1947ねん昭和しょうわ22ねん)5がつ2にち

太字ふとじ...内閣ないかく総理そうり大臣だいじん経験けいけんしゃ

歴代れきだいふく議長ぎちょう

歴代れきだいふく議長ぎちょう
だい 氏名しめい 在職ざいしょく期間きかん
1 寺島てらしまはじめのり 1888ねん明治めいじ21ねん)5がつ10日とおか - 1891ねん明治めいじ24ねん)9がつ10日とおか
2 副島そえじま種臣たねおみ 1891ねん明治めいじ24ねん)9がつ10日とおか - 1892ねん明治めいじ25ねん)3がつ11にち
3 ひがし久世くせどおり 1892ねん明治めいじ25ねん)3がつ17にち - 1912ねん明治めいじ45ねん)1がつ4にち
4 芳川よしかわ顕正けんせい 1912ねん明治めいじ45ねん)1がつ9にち - 1917ねん大正たいしょう6ねん)3がつ20日はつか
5 清浦きようら奎吾 1917ねん大正たいしょう6ねん)3がつ20日はつか - 1922ねん大正たいしょう11ねん)2がつ8にち
6 濱尾はまおしん 1922ねん大正たいしょう11ねん)2がつ15にち - 1924ねん大正たいしょう13ねん)1がつ13にち
7 一木いちき喜徳郎きとくろう 1924ねん大正たいしょう13ねん)1がつ14にち - 1925ねん大正たいしょう14ねん)3がつ30にち
8 穂積ほづみ陳重のぶしげ 1925ねん大正たいしょう14ねん)3がつ30にち - 1925ねん大正たいしょう14ねん)10がつ1にち
9 岡野おかの敬次郎けいじろう 1925ねん大正たいしょう14ねん)10がつ1にち - 1925ねん大正たいしょう14ねん)12月23にち
10 倉富くらとみ勇三郎ゆうさぶろう 1925ねん大正たいしょう14ねん)12月28にち - 1926ねん大正たいしょう15ねん)4がつ12にち
11 平沼ひらぬま騏一郎きいちろう 1926ねん大正たいしょう15ねん)4がつ12にち - 1936ねん昭和しょうわ11ねん)3がつ13にち
12 荒井あらい賢太郎けんたろう 1936ねん昭和しょうわ11ねん)3がつ13にち - 1938ねん昭和しょうわ13ねん)1がつ29にち
13 はら嘉道よしみち 1938ねん昭和しょうわ13ねん)2がつ3にち - 1940ねん昭和しょうわ15ねん)6がつ24にち
14 鈴木すずき貫太郎かんたろう 1940ねん昭和しょうわ15ねん)6がつ24にち - 1944ねん昭和しょうわ19ねん)8がつ10日とおか
15 清水しみずきよし 1944ねん昭和しょうわ19ねん)8がつ10日とおか - 1946ねん昭和しょうわ21ねん)6がつ13にち
16 うしおめぐみ 1946ねん昭和しょうわ21ねん)6がつ13にち - 1947ねん昭和しょうわ22ねん)5がつ2にち

太字ふとじ....内閣ないかく総理そうり大臣だいじん経験けいけんしゃ

歴代れきだい枢密院すうみついん書記官しょきかんちょう書記官しょきかんちょう参照さんしょう

顧問こもんかん一覧いちらん

けい200めい任命にんめいされている。以下いか任命にんめいじゅん

  • 明治めいじ時代じだい
    • 大木おおき喬任たかとう、1888ねん明治めいじ21ねん)4がつ30にち - 1889ねん明治めいじ22ねん)12月24にち
    • 川村かわむらじゅんよし、1888ねん明治めいじ21ねん)4がつ30にち - 1904ねん明治めいじ37ねん)8がつ12にち
    • 福岡ふくおか孝弟こうてい、1888ねん明治めいじ21ねん)4がつ30にち - 1919ねん大正たいしょう8ねん)3がつ7にち
    • 佐佐木ささき高行たかゆき、1888ねん明治めいじ21ねん)4がつ30にち - 1910ねん明治めいじ43ねん)3がつ2にち
    • 寺島てらしまはじめそく、1888ねん明治めいじ21ねん)4がつ30にち - 1888ねん明治めいじ21ねん)5がつ10日とおか
    • 副島そえじま種臣たねおみ、1888ねん明治めいじ21ねん)4がつ30にち - 1891ねん明治めいじ24ねん)9がつ10日とおか
    • 佐野さの常民じょうみん、1888ねん明治めいじ21ねん)4がつ30にち - 1892ねん明治めいじ25ねん)7がつ14にち
    • ひがし久世くせどおり禧、1888ねん明治めいじ21ねん)4がつ30にち - 1890ねん明治めいじ23ねん)10がつ24にち
    • 吉井よしい友実ともみ、1888ねん明治めいじ21ねん)4がつ30にち - 1891ねん明治めいじ24ねん)4がつ22にち
    • 品川しながわ弥二郎やじろう、1888ねん明治めいじ21ねん)4がつ30にち - 1891ねん明治めいじ24ねん)6がつ1にち
    • 勝安かつやすかおる、1888ねん明治めいじ21ねん)4がつ30にち - 1899ねん明治めいじ32ねん)1がつ21にち
    • 河野こうのさとしがま、1888ねん明治めいじ21ねん)4がつ30にち - 1892ねん明治めいじ25ねん)3がつ14にち
    • 土方ひじかた久元ひさもと、1888ねん明治めいじ21ねん)5がつ10日とおか - 1893ねん明治めいじ26ねん)3がつ9にち
    • 吉田よしだ清成きよなり、1888ねん明治めいじ21ねん)5がつ10日とおか - 1891ねん明治めいじ24ねん)8がつ3にち
    • 元田もとだえいまこと、1888ねん明治めいじ21ねん)5がつ10日とおか - 1891ねん明治めいじ24ねん)1がつ22にち
    • 鳥尾とりお小弥太こやた、1888ねん明治めいじ21ねん)6がつ14にち - 1890ねん明治めいじ23ねん)5がつ28にち
    • 野村のむらやすし、1888ねん明治めいじ21ねん)11がつ20日はつか - 1891ねん明治めいじ24ねん)3がつ26にち
    • 黒田くろだ清隆きよたか、1889ねん明治めいじ22ねん)10がつ25にち - 1892ねん明治めいじ25ねん)8がつ8にち
    • 青木あおき周蔵しゅうぞう、1889ねん明治めいじ22ねん)11月8にち - 1889ねん明治めいじ22ねん)12月24にち
    • 大隈おおくま重信しげのぶ、1889ねん明治めいじ22ねん)12月24にち - 1891ねん明治めいじ24ねん)11月12にち
    • 榎本えのもと武揚ぶよう、1890ねん明治めいじ23ねん)5がつ17にち - 1891ねん明治めいじ24ねん)5がつ29にち
    • 田中たなか不二麿ふじまろ、1890ねん明治めいじ23ねん)6がつ27にち - 1891ねん明治めいじ24ねん)6がつ1にち
    • 井上いのうえあつし、1890ねん明治めいじ23ねん)7がつ19にち - 1893ねん明治めいじ26ねん)3がつ7にち
    • 尾崎おざき忠治ただはる、1890ねん明治めいじ23ねん)8がつ21にち - 1905ねん明治めいじ38ねん)10がつ16にち
    • 柳原やなぎはら前光さきみつ、1890ねん明治めいじ23ねん)11月18にち - 1891ねん明治めいじ24ねん)7がつ25にち
    • 大山おおやまいわお、1891ねん明治めいじ24ねん)5がつ17にち - 1892ねん明治めいじ25ねん)8がつ8にち
    • ひがし久世くせどおり禧、1891ねん明治めいじ24ねん)7がつ21にち - 1892ねん明治めいじ25ねん)3がつ17にち
    • 海江田かいえだ信義のぶよし、1891ねん明治めいじ24ねん)9がつ5にち - 1906ねん明治めいじ39ねん)10がつ27にち
    • 寺島てらしまはじめそく、1891ねん明治めいじ24ねん)9がつ10日とおか - 1893ねん明治めいじ26ねん)6がつ7にち
    • 西郷さいごう従道つぐみち、1892ねん明治めいじ25ねん)1がつ28にち - 1892ねん明治めいじ25ねん)6がつ30にち
    • 山田やまだあらわよし、1892ねん明治めいじ25ねん)1がつ28にち - 1892ねん明治めいじ25ねん)11月14にち
    • 品川しながわ弥二郎やじろう、1892ねん明治めいじ25ねん)3がつ11にち - 1892ねん明治めいじ25ねん)6がつ30にち
    • 陸奥むつ宗光むねみつ、1892ねん明治めいじ25ねん)3がつ14にち - 1892ねん明治めいじ25ねん)8がつ8にち
    • 副島そえじま種臣たねおみ、1892ねん明治めいじ25ねん)6がつ8にち - 1905ねん明治めいじ38ねん)1がつ31にち
    • 榎本えのもと武揚ぶよう、1892ねん明治めいじ25ねん)8がつ8にち - 1894ねん明治めいじ27ねん)1がつ22にち
    • 佐野さの常民じょうみん、1892ねん明治めいじ25ねん)8がつ8にち - 1902ねん明治めいじ35ねん)12月7にち
    • 高島たかしま鞆之すけ、1892ねん明治めいじ25ねん)8がつ8にち - 1895ねん明治めいじ28ねん)9がつ27にち
    • 樺山かばやま、1892ねん明治めいじ25ねん)8がつ8にち - 1894ねん明治めいじ27ねん)7がつ17にち
    • 田中たなか不二麿ふじまろ、1892ねん明治めいじ25ねん)8がつ17にち - 1909ねん明治めいじ42ねん)2がつ1にち
    • 河野こうのさとしがま、1893ねん明治めいじ26ねん)3がつ7にち - 1893ねん明治めいじ26ねん)11月14にち
    • 仁礼にれいけいはん、1893ねん明治めいじ26ねん)3がつ11にち - 1900ねん明治めいじ33ねん)11月22にち
    • 野村のむらやすし、1893ねん明治めいじ26ねん)11がつ10日とおか - 1894ねん明治めいじ27ねん)10がつ15にち
    • 細川ほそかわじゅん次郎じろう、1893ねん明治めいじ26ねん)11がつ10日とおか - 1923ねん大正たいしょう12ねん)7がつ20日はつか
    • 河瀬かわせ真孝まさたか、1894ねん明治めいじ27ねん)2がつ10日とおか - 1919ねん大正たいしょう8ねん)9がつ29にち
    • 西園寺さいおんじ公望きんもち、1894ねん明治めいじ27ねん)5がつ10日とおか - 1894ねん明治めいじ27ねん)10がつ3にち
    • ちゅう牟田むた倉之助くらのすけ、1894ねん明治めいじ27ねん)7がつ17にち - 1916ねん大正たいしょう5ねん)3がつ30にち
    • 大鳥おおとり圭介けいすけ、1894ねん明治めいじ27ねん)11がつ10日とおか - 1911ねん明治めいじ44ねん)6がつ15にち
    • 三好みよし重臣じゅうしん、1894ねん明治めいじ27ねん)12月18にち - 1897ねん明治めいじ30ねん)9がつ11にち
    • 九鬼くき隆一りゅういち、1895ねん明治めいじ28ねん)6がつ25にち - 1931ねん昭和しょうわ6ねん)8がつ18にち
    • 高崎たかさき正風まさかぜ、1895ねん明治めいじ28ねん)6がつ25にち - 1912ねん明治めいじ45ねん)2がつ28にち
    • 鳥尾とりお小弥太こやた、1895ねん明治めいじ28ねん)6がつ25にち - 1905ねん明治めいじ38ねん)4がつ13にち
    • 樺山かばやま、1896ねん明治めいじ29ねん)6がつ2にち - 1896ねん明治めいじ29ねん)9がつ20日はつか
    • 西にしいさお二郎じろう、1897ねん明治めいじ30ねん)3がつ18にち - 1897ねん明治めいじ30ねん)11月6にち
    • すぎ孫七郎まごしちろう、1897ねん明治めいじ30ねん)9がつ11にち - 1920ねん大正たいしょう9ねん)5がつ3にち
    • 蜂須賀はちすかしげる、1897ねん明治めいじ30ねん)11月6にち - 1918ねん大正たいしょう7ねん)2がつ11にち
    • 清岡きよおかこうちょう、1898ねん明治めいじ31ねん)3がつ18にち - 1901ねん明治めいじ34ねん)2がつ25にち
    • 平田東ひらたひがしすけ、1898ねん明治めいじ31ねん)11月9にち - 1898ねん明治めいじ31ねん)12月2にち
    • 高島たかしま鞆之すけ、1899ねん明治めいじ32ねん)2がつ14にち - 1916ねん大正たいしょう5ねん)1がつ11にち
    • 伊東いとう巳代治みよじ、1899ねん明治めいじ32ねん)3がつ28にち - 1934ねん昭和しょうわ9ねん)2がつ19にち
    • 品川しながわ弥二郎やじろう、1899ねん明治めいじ32ねん)7がつ15にち - 1900ねん明治めいじ33ねん)2がつ26にち
    • 岩倉いわくら具定ぐじょう、1900ねん明治めいじ33ねん)2がつ13にち - 1910ねん明治めいじ43ねん)6がつ16にち
    • 野村のむらやすし、1900ねん明治めいじ33ねん)3がつ9にち - 1910ねん明治めいじ43ねん)1がつ24にち
    • はやし友幸ともゆき、1900ねん明治めいじ33ねん)4がつ16にち - 1907ねん明治めいじ40ねん)11月8にち
    • 黒田くろだきよしつな、1900ねん明治めいじ33ねん)4がつ16にち - 1917ねん大正たいしょう6ねん)3がつ23にち
    • 西にしいさお二郎じろう、1901ねん明治めいじ34ねん)11月25にち - 1912ねん明治めいじ45ねん)3がつ13にち
    • 青木あおき周蔵しゅうぞう、1901ねん明治めいじ34ねん)11月25にち - 1906ねん明治めいじ39ねん)1がつ7にち
    • 山縣やまがた有朋ありとも、1903ねん明治めいじ36ねん)7がつ13にち - 1905ねん明治めいじ38ねん)12月21にち
    • 松方まつかた正義まさよし、1903ねん明治めいじ36ねん)7がつ13にち - 1917ねん大正たいしょう6ねん)5がつ2にち
    • 近衛このえ篤麿あつまろ、1903ねん明治めいじ36ねん)12月4にち - 1904ねん明治めいじ37ねん)1がつ2にち
    • 樺山かばやま、1904ねん明治めいじ37ねん)10がつ21にち - 1922ねん大正たいしょう11ねん)2がつ8にち
    • 税所さいしょあつし、1905ねん明治めいじ38ねん)4がつ28にち - 1910ねん明治めいじ43ねん)6がつ21にち
    • 伊藤いとう博文ひろぶみ、1906ねん明治めいじ39ねん)1がつ9にち - 1909ねん明治めいじ42ねん)10がつ26にち
    • 小村こむら壽太郎じゅたろう、1906ねん明治めいじ39ねん)1がつ9にち - 1912ねん大正たいしょう元年がんねん)11月26にち
    • 金子かねこ堅太郎けんたろう、1906ねん明治めいじ39ねん)1がつ9にち - 1942ねん昭和しょうわ17ねん)5がつ16にち
    • 末松すえまつ謙澄けんちょう、1906ねん明治めいじ39ねん)3がつ3にち - 1920ねん大正たいしょう9ねん)10がつ6にち
    • 清浦きようら奎吾、1906ねん明治めいじ39ねん)4がつ13にち - 1917ねん大正たいしょう6ねん)3がつ20日はつか
    • 曾禰あらすけ、1906ねん明治めいじ39ねん)4がつ13にち - 1907ねん明治めいじ40ねん)9がつ21にち
    • 南部なんぶおとこ、1906ねん明治めいじ39ねん)7がつ3にち - 1923ねん大正たいしょう12ねん)9がつ19にち
    • 加藤かとう弘之ひろゆき、1906ねん明治めいじ39ねん)12がつ10日とおか - 1916ねん大正たいしょう5ねん)2がつ9にち
    • 本田ほんだ親雄ちかお、1907ねん明治めいじ40ねん)9がつ21にち - 1910ねん明治めいじ43ねん)3がつ1にち
    • 青木あおき周蔵しゅうぞう、1908ねん明治めいじ41ねん)2がつ6にち - 1914ねん大正たいしょう3ねん)2がつ16にち
    • 筑馨ろく、1909ねん明治めいじ42ねん)2がつ23にち - 1923ねん大正たいしょう12ねん)7がつ5にち
    • 大給おぎゅうつね、1909ねん明治めいじ42ねん)2がつ23にち - 1911ねん明治めいじ44ねん)1がつ6にち
    • 山縣やまがた有朋ありとも、1909ねん明治めいじ42ねん)6がつ14にち - 1910ねん明治めいじ43ねん)11月17にち
    • 香川かがわ敬三けいぞう、1909ねん明治めいじ42ねん)6がつ16にち - 1915ねん大正たいしょう4ねん)3がつ18にち
    • 渡辺わたなべ千秋ちあき、1909ねん明治めいじ42ねん)6がつ16にち - 1911ねん明治めいじ44ねん)4がつ1にち
    • 牧野まきのしんあきら、1909ねん明治めいじ42ねん)11月17にち - 1921ねん大正たいしょう10ねん)2がつ19にち
    • 芳川よしかわ顕正けんせい、1910ねん明治めいじ43ねん)2がつ3にち - 1912ねん明治めいじ45ねん)1がつ9にち
    • 松平まつだいら正直まさなお、1910ねん明治めいじ43ねん)10がつ14にち - 1915ねん大正たいしょう4ねん)4がつ20日はつか
    • 三浦みうら梧楼ごろう、1910ねん明治めいじ43ねん)10がつ14にち - 1924ねん大正たいしょう13ねん)1がつ22にち
    • 船越ふなこしまもる、1910ねん明治めいじ43ねん)10がつ14にち - 1913ねん大正たいしょう2ねん)12月23にち
    • 濱尾はまおしん、1911ねん明治めいじ44ねん)8がつ14にち - 1922ねん大正たいしょう11ねん)2がつ15にち
    • 花房はなふさよししつ、1911ねん明治めいじ44ねん)12月25にち - 1917ねん大正たいしょう6ねん)7がつ9にち
    • 周布すふ公平こうへい、1912ねん明治めいじ45ねん)1がつ9にち - 1913ねん大正たいしょう2ねん)7がつ31にち
    • 菊池きくち大麓だいろく、1912ねん明治めいじ45ねん)5がつ8にち - 1917ねん大正たいしょう6ねん)8がつ20日はつか
    • 北垣きたがき国道こくどう、1912ねん明治めいじ45ねん)5がつ8にち - 1916ねん大正たいしょう5ねん)1がつ16にち
  • 大正たいしょう時代じだい
    • 曾我そがゆうじゅん、1915ねん大正たいしょう4ねん)4がつ27にち - 1923ねん大正たいしょう12ねん)12月28にち
    • 小松原こまつばら英太郎えいたろう、1916ねん大正たいしょう5ねん)1がつ13にち - 1919ねん大正たいしょう8ねん)12月26にち
    • 穂積ほづみ陳重のぶしげ、1916ねん大正たいしょう5ねん)1がつ26にち - 1925ねん大正たいしょう14ねん)3がつ30にち
    • 安広やすひろばん一郎いちろう、1916ねん大正たいしょう5ねん)3がつ4にち - 1924ねん大正たいしょう13ねん)6がつ22にち
    • おか部長ぶちょうしょく、1916ねん大正たいしょう5ねん)4がつ8にち - 1925ねん大正たいしょう14ねん)12月27にち
    • 黒木くろきため、1917ねん大正たいしょう6ねん)4がつ27にち - 1923ねん大正たいしょう12ねん)2がつ4にち
    • ゆうひんまこと、1917ねん大正たいしょう6ねん)4がつ27にち - 1919ねん大正たいしょう8ねん)1がつ17にち
    • 一木いちき喜徳郎きとくろう、1917ねん大正たいしょう6ねん)8がつ14にち - 1924ねん大正たいしょう13ねん)1がつ14にち
    • 久保田くぼたゆずる、1917ねん大正たいしょう6ねん)11月3にち - 1936ねん昭和しょうわ11ねん)4がつ14にち
    • 富井とみい政章まさあき、1918ねん大正たいしょう7ねん)4がつ18にち - 1935ねん昭和しょうわ10ねん)9がつ14にち
    • 芳川よしかわ顕正けんせい、1919ねん大正たいしょう8ねん)3がつ13にち - 1920ねん大正たいしょう9ねん)1がつ10日とおか
    • 井上いのうえ勝之助かつのすけ、1919ねん大正たいしょう8ねん)3がつ13にち - 1929ねん昭和しょうわ4ねん)11月3にち
    • 平山ひらやましげるしん、1919ねん大正たいしょう8ねん)10がつ27にち - 1929ねん昭和しょうわ4ねん)9がつ25にち
    • 石黒いしぐろ忠悳ただのり、1920ねん大正たいしょう9ねん)2がつ17にち - 1936ねん昭和しょうわ11ねん)12月24にち
    • 有松ありまつえいよし、1920ねん大正たいしょう9ねん)2がつ17にち - 1927ねん昭和しょうわ2ねん)9がつ25にち
    • 珍田ちんだ捨巳すてみ、1920ねん大正たいしょう9ねん)10がつ22にち - 1929ねん昭和しょうわ4ねん)1がつ16にち
    • 松岡まつおかかんあつし、1920ねん大正たいしょう9ねん)10がつ22にち - 1923ねん大正たいしょう12ねん)9がつ5にち
    • 倉富くらとみ勇三郎ゆうさぶろう、1920ねん大正たいしょう9ねん)10がつ22にち - 1925ねん大正たいしょう14ねん)12月28にち
    • 中村なかむら雄次郎ゆうじろう、1922ねん大正たいしょう11ねん)2がつ15にち - 1928ねん昭和しょうわ3ねん)10がつ20日はつか
    • 山縣やまがた伊三郎いさぶろう、1922ねん大正たいしょう11ねん)11月4にち - 1927ねん昭和しょうわ2ねん)9がつ24にち
    • 山川やまかわ健次郎けんじろう、1923ねん大正たいしょう12ねん)2がつ26にち - 1931ねん昭和しょうわ6ねん)6がつ26にち
    • 武井たけい守正もりまさ、1923ねん大正たいしょう12ねん)7がつ12にち - 1926ねん大正たいしょう15ねん)12月4にち
    • 賀田よした種太郎たねたろう、1923ねん大正たいしょう12ねん)9がつ26にち - 1926ねん大正たいしょう15ねん)9がつ10日とおか
    • なか小路しょうじれん、1923ねん大正たいしょう12ねん)9がつ26にち - 1924ねん大正たいしょう13ねん)1がつ17にち
    • 大森おおもり鍾一、1923ねん大正たいしょう12ねん)9がつ26にち - 1927ねん昭和しょうわ2ねん)3がつ3にち
    • 黒田くろだ長成ちょうせい、1924ねん大正たいしょう13ねん)1がつ14にち - 1939ねん昭和しょうわ14ねん)8がつ14にち
    • 古市ふるいちこうたけし、1924ねん大正たいしょう13ねん)1がつ14にち - 1934ねん昭和しょうわ9ねん)1がつ28にち
    • 平沼ひらぬま騏一郎きいちろう、1924ねん大正たいしょう13ねん)2がつ2にち - 1926ねん大正たいしょう15ねん)4がつ12にち
    • 松室まつむろ、1924ねん大正たいしょう13ねん)4がつ5にち - 1931ねん昭和しょうわ6ねん)2がつ16にち
    • 江木えぎせんこれ、1924ねん大正たいしょう13ねん)6がつ28にち - 1932ねん昭和しょうわ7ねん)8がつ22にち
    • 内田うちだ康哉こうさい、1925ねん大正たいしょう14ねん)3がつ30にち - 1929ねん昭和しょうわ4ねん)6がつ26にち
    • 八代やしろ六郎ろくろう、1925ねん大正たいしょう14ねん)12月28にち - 1930ねん昭和しょうわ5ねん)6がつ30にち
    • 櫻井さくらいじょう、1926ねん大正たいしょう15ねん)1がつ19にち - 1939ねん昭和しょうわ14ねん)1がつ28にち
    • 健治郎けんじろう、1926ねん大正たいしょう15ねん)5がつ10日とおか - 1930ねん昭和しょうわ5ねん)11月16にち
    • 荒井あらい賢太郎けんたろう、1926ねん大正たいしょう15ねん)10がつ2にち - 1936ねん昭和しょうわ11ねん)3がつ13にち
  • 昭和しょうわ時代じだい
    • 河合かわいみさお、1927ねん昭和しょうわ2ねん)5がつ18にち - 1941ねん昭和しょうわ16ねん)10がつ11にち
    • 石原いしはら健三けんぞう、1927ねん昭和しょうわ2ねん)5がつ18にち - 1936ねん昭和しょうわ11ねん)9がつ4にち
    • 斎藤さいとうみのる、1927ねん昭和しょうわ2ねん)12月17にち - 1929ねん昭和しょうわ4ねん)8がつ17にち
    • 鎌田かまた栄吉えいきち、1927ねん昭和しょうわ2ねん)12月17にち - 1934ねん昭和しょうわ9ねん)2がつ5にち
    • 鈴木すずき貫太郎かんたろう、1929ねん昭和しょうわ4ねん)2がつ14にち - 1940ねん昭和しょうわ15ねん)6がつ24にち
    • 石井いしい菊次郎きくじろう、1929ねん昭和しょうわ4ねん)2がつ14にち - 1945ねん昭和しょうわ20ねん)5がつ25にち
    • 水町みずまち袈裟けさろく、1929ねん昭和しょうわ4ねん)11月22にち - 1934ねん昭和しょうわ9ねん)7がつ10日とおか
    • 岡田おかだ良平りょうへい、1929ねん昭和しょうわ4ねん)11月22にち - 1934ねん昭和しょうわ9ねん)3がつ23にち
    • 福田ふくだ雅太郎まさたろう、1930ねん昭和しょうわ5ねん)4がつ18にち - 1932ねん昭和しょうわ7ねん)6がつ1にち
    • 有馬ありまりょうたちばな、1931ねん昭和しょうわ6ねん)12月26にち - 1944ねん昭和しょうわ19ねん)5がつ1にち
    • はら嘉道よしみち、1931ねん昭和しょうわ6ねん)12月26にち - 1938ねん昭和しょうわ13ねん)2がつ3にち
    • 窪田くぼたしず太郎たろう、1932ねん昭和しょうわ7ねん)1がつ27にち - 1946ねん昭和しょうわ21ねん)10がつ6にち
    • 栗野くりの慎一郎しんいちろう、1932ねん昭和しょうわ7ねん)1がつ27にち - 1937ねん昭和しょうわ12ねん)11月15にち
    • 元田もとだはじめ、1932ねん昭和しょうわ7ねん)1がつ27にち - 1938ねん昭和しょうわ13ねん)10がつ1にち
    • 鈴木すずきそうろく、1932ねん昭和しょうわ7ねん)7がつ28にち - 1940ねん昭和しょうわ15ねん)2がつ20日はつか
    • 石塚いしづか英蔵えいぞう、1934ねん昭和しょうわ9ねん)3がつ29にち - 1942ねん昭和しょうわ17ねん)7がつ28にち
    • 阪本さかもと釤之すけ、1934ねん昭和しょうわ9ねん)3がつ29にち - 1936ねん昭和しょうわ11ねん)12月16にち
    • 石渡いしわた敏一としいち、1934ねん昭和しょうわ9ねん)3がつ29にち - 1937ねん昭和しょうわ12ねん)11月18にち
    • 清水しみずきよし、1934ねん昭和しょうわ9ねん)6がつ15にち - 1944ねん昭和しょうわ19ねん)8がつ10日とおか
    • 藤沢ふじさわいくこれ、1934ねん昭和しょうわ9ねん)6がつ15にち - 1940ねん昭和しょうわ15ねん)4がつ3にち
    • はやし権助ごんすけ、1934ねん昭和しょうわ9ねん)7がつ17にち - 1939ねん昭和しょうわ14ねん)6がつ27にち
    • 上山うえやま満之まんしすすむ、1935ねん昭和しょうわ10ねん)12月9にち - 1938ねん昭和しょうわ13ねん)7がつ30にち
    • みなみひろし、1936ねん昭和しょうわ11ねん)12月24にち - 1946ねん昭和しょうわ21ねん)2がつ8にち
    • 田中たなか隆三りゅうぞう、1936ねん昭和しょうわ11ねん)12月24にち - 1940ねん昭和しょうわ15ねん)12月6にち
    • 奈良なら武次たけつぐ、1937ねん昭和しょうわ12ねん)5がつ14にち - 1946ねん昭和しょうわ21ねん)4がつ17にち
    • 荒木あらき寅三郎とらさぶろう、1937ねん昭和しょうわ12ねん)5がつ14にち - 1942ねん昭和しょうわ17ねん)1がつ28にち
    • 松井まつい慶四郎けいしろう、1938ねん昭和しょうわ13ねん)2がつ3にち - 1946ねん昭和しょうわ21ねん)6がつ4にち
    • 菅原通すがはらどおりけい、1938ねん昭和しょうわ13ねん)2がつ3にち - 1946ねん昭和しょうわ21ねん)12月18にち
    • 松浦まつうら鎮次ろう、1938ねん昭和しょうわ13ねん)2がつ3にち - 1940ねん昭和しょうわ15ねん)1がつ16にち
    • うしおめぐみ輔、1938ねん昭和しょうわ13ねん)12月6にち - 1946ねん昭和しょうわ21ねん)6がつ13にち
    • はやしよりゆき三郎さぶろう、1938ねん昭和しょうわ13ねん)12月6にち - 1947ねん昭和しょうわ22ねん)5がつ2にち
    • 深井ふかい英五えいご、1938ねん昭和しょうわ13ねん)12月6にち - 1945ねん昭和しょうわ20ねん)10がつ21にち
    • 真野まの文二ぶんじ、1939ねん昭和しょうわ14ねん)8がつ26にち - 1946ねん昭和しょうわ21ねん)10がつ17にち
    • 二上ふたかみ兵治へいじ、1939ねん昭和しょうわ14ねん)8がつ26にち - 1945ねん昭和しょうわ20ねん)11月19にち
    • 渡辺わたなべ千冬ちふゆ、1939ねん昭和しょうわ14ねん)8がつ26にち - 1940ねん昭和しょうわ15ねん)4がつ18にち
    • 大島おおしま健一けんいち、1940ねん昭和しょうわ15ねん)4がつ17にち - 1946ねん昭和しょうわ21ねん)4がつ17にち
    • 小幡おばたとりきち、1940ねん昭和しょうわ15ねん)4がつ17にち - 1947ねん昭和しょうわ22ねん)5がつ2にち
    • 竹越たけこし与三郎よさぶろう、1940ねん昭和しょうわ15ねん)4がつ17にち - 1947ねん昭和しょうわ22ねん)5がつ2にち
    • 三土みつち忠造ちゅうぞう、1940ねん昭和しょうわ15ねん)7がつ24にち - 1946ねん昭和しょうわ21ねん)1がつ13にち
    • 松浦まつうら鎮次ろう、1940ねん昭和しょうわ15ねん)7がつ24にち - 1945ねん昭和しょうわ20ねん)9がつ28にち
    • 伊沢いさわ多喜男たきお、1940ねん昭和しょうわ15ねん)12月26にち - 1947ねん昭和しょうわ22ねん)5がつ2にち
    • 池田いけだ成彬せいひん、1941ねん昭和しょうわ16ねん)10がつ30にち - 1945ねん昭和しょうわ20ねん)12月18にち
    • みなみ次郎じろう、1942ねん昭和しょうわ17ねん)5がつ29にち - 1945ねん昭和しょうわ20ねん)3がつ29にち
    • いずみしんくま、1942ねん昭和しょうわ17ねん)5がつ29にち - 1946ねん昭和しょうわ21ねん)4がつ17にち
    • 平生ひらお三郎さぶろう、1943ねん昭和しょうわ18ねん)4がつ28にち - 1945ねん昭和しょうわ20ねん)11月27にち
    • 野村のむら吉三郎きちさぶろう、1944ねん昭和しょうわ19ねん)5がつ18にち - 1946ねん昭和しょうわ21ねん)6がつ13にち
    • 百武ももたけ三郎さぶろう、1944ねん昭和しょうわ19ねん)9がつ1にち - 1946ねん昭和しょうわ21ねん)4がつ17にち
    • 櫻内さくらうち幸雄ゆきお、1945ねん昭和しょうわ20ねん)5がつ19にち - 1946ねん昭和しょうわ21ねん)4がつ17にち
    • 本庄ほんじょうしげる、1945ねん昭和しょうわ20ねん)5がつ19にち - 1945ねん昭和しょうわ20ねん)11がつ20日はつか
    • 芳澤よしざわ謙吉けんきち、1945ねん昭和しょうわ20ねん)8がつ7にち - 1946ねん昭和しょうわ21ねん)4がつ17にち
    • 河原かわはら春作はるさく、1945ねん昭和しょうわ20ねん)11がつ20日はつか - 1947ねん昭和しょうわ22ねん)5がつ2にち
    • 井坂いさかたかし、1945ねん昭和しょうわ20ねん)11がつ20日はつか - 1946ねん昭和しょうわ21ねん)6がつ13にち
    • 美濃部みのべ達吉たつきち、1946ねん昭和しょうわ21ねん)1がつ26にち - 1947ねん昭和しょうわ22ねん)5がつ2にち
    • 遠藤えんどう源六げんろく、1946ねん昭和しょうわ21ねん)3がつ19にち - 1947ねん昭和しょうわ22ねん)5がつ2にち
    • 関屋せきや貞三郎ていさぶろう、1946ねん昭和しょうわ21ねん)3がつ19にち - 1947ねん昭和しょうわ22ねん)5がつ2にち
    • ぬさはらひろし、1946ねん昭和しょうわ21ねん)3がつ19にち - 1947ねん昭和しょうわ22ねん)5がつ2にち
    • 大平おおひらこまづち、1946ねん昭和しょうわ21ねん)3がつ19にち - 1947ねん昭和しょうわ22ねん)5がつ2にち
    • はやしあつしりく、1946ねん昭和しょうわ21ねん)6がつ10日とおか - 1947ねん昭和しょうわ22ねん)5がつ2にち
    • 河本かわもと文一ぶんいち、1946ねん昭和しょうわ21ねん)6がつ10日とおか - 1947ねん昭和しょうわ22ねん)5がつ2にち
    • 西野にしのはじめ、1946ねん昭和しょうわ21ねん)6がつ10日とおか - 1947ねん昭和しょうわ22ねん)5がつ2にち
    • 松平まつだいら恒雄つねお、1946ねん昭和しょうわ21ねん)6がつ10日とおか - 1947ねん昭和しょうわ22ねん)3がつ27にち
    • 樺山かばやまあい、1946ねん昭和しょうわ21ねん)6がつ10日とおか - 1947ねん昭和しょうわ22ねん)5がつ2にち
    • 藤沼ふじぬま庄平しょうへい、1946ねん昭和しょうわ21ねん)7がつ12にち - 1947ねん昭和しょうわ22ねん)3がつ12にち
    • 柳田やなぎだ國男くにお、1946ねん昭和しょうわ21ねん)7がつ12にち - 1947ねん昭和しょうわ22ねん)5がつ2にち
    • 小坂こさかじゅんづくり、1946ねん昭和しょうわ21ねん)8がつ29にち - 1947ねん昭和しょうわ22ねん)5がつ2にち
    • 佐藤さとう尚武なおたけ、1946ねん昭和しょうわ21ねん)11月28にち - 1947ねん昭和しょうわ22ねん)5がつ2にち
    • 加藤かとう正治しょうじ、1947ねん昭和しょうわ22ねん)1がつ7にち - 1947ねん昭和しょうわ22ねん)5がつ2にち
    • 中川なかがわのぞむ、1947ねん昭和しょうわ22ねん)1がつ9にち - 1947ねん昭和しょうわ22ねん)5がつ2にち
    • 八田はった善之よしゆきすすむ、1947ねん昭和しょうわ22ねん)1がつ9にち - 1947ねん昭和しょうわ22ねん)5がつ2にち

脚注きゃくちゅう

注釈ちゅうしゃく

  1. ^ 美濃部みのべ達吉たつきち憲法けんぽう講話こうわ」に「国務大臣こくむだいじんだけで過半数かはんすうめるのでは枢密院すうみついん内閣ないかくから独立どくりつしてもうけられている趣旨しゅしはんするので、かなら大臣だいじん以上いじょうかず、すなわちじゅうにん以上いじょう顧問こもんかんれっしなければ会議かいぎけないことに規定きていされている」とある。(岩波いわなみ文庫ぶんこはんP156~157、2018ねん

出典しゅってん

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  13. ^ 望月もちづき 2022, pp. 70–73.
  14. ^ 副島そえじま義一ぎいち行政ぎょうせい法学ほうがく総論そうろんけいぶんどう書店しょてん、1926ねん、331ぺーじ 
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  18. ^ a b 小野おの博司ひろし明治めいじ30年代ねんだい行政ぎょうせい裁判さいばんほう改正かいせい事業じぎょう意義いぎ法典ほうてん調査ちょうさかい作成さくせいの4法案ほうあん中心ちゅうしんにして―」『四天王寺してんのうじ大学だいがく紀要きようだい51かん四天王寺してんのうじ大学だいがく紀要きよう編集へんしゅう委員いいんかい、2011ねん 
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  20. ^ 吉田よしだひろし昭和しょうわ天皇てんのう終戦しゅうせん岩波いわなみ新書しんしょ, 1992ねん, 90ぺーじ
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  22. ^ 皇居こうきょないきゅう枢密院すうみついん庁舎ちょうしゃ改修かいしゅうされ公開こうかい 皇宮警察こうぐうけいさつ庁舎ちょうしゃ”. 朝日新聞あさひしんぶん (2013ねん6がつ5にち). 2013ねん9がつ26にち時点じてんオリジナルよりアーカイブ。2013ねん9がつ26にち閲覧えつらん
  23. ^ きゅう枢密院すうみついん庁舎ちょうしゃ:28ねんぶりさい利用りよう 皇宮警察こうぐうけいさつ来春らいしゅん移転いてん毎日まいにちjp、2012ねん11月10にちづけ同年どうねん9がつ26にち閲覧えつらん

参考さんこう文献ぶんけん

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