出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
| この 存命人物の記事には検証可能な出典が不足しています。 信頼できる情報源の提供に協力をお願いします。存命人物に関する出典の無い、もしくは不完全な情報に基づいた論争の材料、特に潜在的に中傷・誹謗・名誉毀損あるいは有害となるものはすぐに除去する必要があります。 出典検索?: "続訓弘" – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL(2023年12月) |
続 訓弘(つづき くにひろ、旧字体:續 訓弘、1930年〈昭和5年〉9月14日 - )は、日本の政治家。東京都副知事、参議院議員(2期)、総務庁長官(第23・24・25代)を歴任した。
熊本県生まれ。中央大学法学部卒業、専修大学大学院修了。1953年8月、東京都庁に入庁した。東京都財務局主計部長、財務局長などの役職を歴任し、1983年5月に東京都知事鈴木俊一の下で東京都副知事に就任。1991年に副知事を退任した。
1992年、第16回参議院議員通常選挙に公明党公認で比例区から出馬し、初当選を果たした。1994年、新進党結党を控え、公明党が公明新党、公明に分裂した際は、公明に参加した。
1998年1月、公明代表浜四津敏子の下、政策審議会長に就任。第18回参議院議員通常選挙には公明公認で比例区から出馬し、再選を果たす。同年11月、新党平和、黎明クラブ、公明が合流し公明党が再結成され、公明党代表神崎武法の下で中央幹事、両院議員副会長を歴任。
1999年10月、小渕再改造内閣で総務庁長官及び中央省庁改革等担当大臣に就任し、初入閣を果たした。2000年、内閣総理大臣小渕恵三が脳梗塞で危篤に陥り、小渕内閣は総辞職する。続く第1次森内閣でも総務庁長官に再任され、12月の内閣改造で退任する。その後、公明党副代表に就任。2001年7月、党常任顧問に昇格した。
2004年の第20回参議院議員通常選挙には出馬せず、政界を引退。
- 東京都副知事の任期は、慣例では知事選のたびに交代するため4年であるが、続は東京都知事鈴木俊一の下、8年間にわたり副知事を務めた。
- 公明党所属の国会議員の中では数少ない非創価学会員であった(非創価学会員ながら公明党に所属した国会議員は他に草川昭三、池坊保子がいる)。
|
---|
|
↓:途中辞職・在職中死去など、▼:除名、↑:繰上げ当選、x:繰上げなし |