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キーウ

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去かこはんです。Tkhir67 (会話かいわ | 投稿とうこう記録きろく) による 2019ねん11月22にち (金)きん 05:55個人こじん設定せってい設定せっていならUTC時点じてんはん (→‎名称めいしょう)であり、現在げんざいはんとはおおきくことなる場合ばあいがあります。

キエフ
Київ
ウクライナの旗
キエフの市旗 キエフの市章
はた あきら
愛称あいしょう : 「ルーシまち々のはは[1];「だいのエルサレム」[2]
位置いち
の位置図
位置いち
キーウの位置(ウクライナ内)
キーウ
キーウ (ウクライナ)
キーウの位置(ヨーロッパ内)
キーウ
キーウ (ヨーロッパ)
地図
座標ざひょう : 北緯ほくい5027ふん0びょう 東経とうけい3030ふん0びょう / 北緯ほくい50.45000 東経とうけい30.50000 / 50.45000; 30.50000
歴史れきし
建設けんせつ 482ねん[3]
行政ぎょうせい
くに  ウクライナ
 行政ぎょうせい区画くかく キエフ特別とくべつ
  キエフ
市長しちょう ビタリ・クリチコ
地理ちり
面積めんせき  
  市域しいき 827 km2
標高ひょうこう 179 m (587 ft)
人口じんこう
人口じんこう (2014ねん現在げんざい
  市域しいき 2,869,361にん
    人口じんこう密度みつど   3,469にん/km2
その
ひとしときおび ひがしヨーロッパ時間じかん (UTC+2)
夏時間なつじかん ひがしヨーロッパ夏時間なつじかん (UTC+3)
郵便ゆうびん番号ばんごう 01000—06999
市外しがい局番きょくばん +380-44
ナンバープレート АА
公式こうしきウェブサイト : https://kyivcity.gov.ua/

キエフウクライナ: Київ [ˈkɪjiw] ( 音声おんせいファイル) キーイウ[4]ロシア: Киев [ˈkʲiɪf])は、ウクライナ首都しゅとドニプロがわ中流ちゅうりゅう位置いちする。同国どうこく最大さいだい都市としで、政治せいじ経済けいざい社会しゃかい学術がくじゅつ交通こうつう中心ちゅうしんである。特別とくべつ自治じち都市とし5世紀せいき後半こうはん建設けんせつされたポリャーネぞく集落しゅうらくから発展はってんした。中世ちゅうせいにはキエフ・ルーシであったが、近世きんせいにはコサックキエフ連隊れんたい中心ちゅうしんとなった。20世紀せいきなかウクライナ人民じんみん共和きょうわこくウクライナこくウクライナ・ソビエト社会しゃかい主義しゅぎ共和きょうわこく首都しゅとでありつづけた。キエフ市内しない人口じんこうはおよそ279まんにんであるが、キエフ首都しゅとけん人口じんこうはおよそ400まんにんとなっている。ひがしヨーロッパにおける最古さいこ都市としで、キリスト教きりすときょう聖地せいちひとつである。都内とないにあるせいソフィアだい聖堂せいどうキエフ洞窟どうくつだい修道院しゅうどういん世界せかい遺産いさん登録とうろくされている。

名称めいしょう

キエフという名称めいしょうは「キーイの都市とし」を意味いみし、キエフを創建そうけんした伝説でんせつ公爵こうしゃくキーイ名前なまえ由来ゆらいする。キエフは他国たこく支配しはいけた歴史れきしがあるため、文献ぶんけんによってその名称めいしょうことなっている。

  • ウクライナ:Київで、発音はつおん[ˈkɪjiu̯]クィーイウ)にちかい。ルーシКъıѣвъ由来ゆらいする。ラテン文字もじ転写てんしゃとしては簡略かんりゃくKyiv正式せいしき表記ひょうきとされているが、政府せいふ発表はっぴょうにより表記ひょうき統一とういつされるまではかく文字もじ機械きかいてき転写てんしゃしたKyijvKyjivなどがもちいられていた。
  • ロシア:Киевで、発音はつおん[ˈkʲiɪf]キーイフ)にちかい。ラテン文字もじ転写てんしゃとしては、もっとおおKievほかKijevKiyevなどがもちいられる。
  • ポーランド:Kijówで、発音はつおん[ˈcijuf ]キーユフ)にちかい。日本語にほんご転写てんしゃとしては「キユフ」とかれる。日本語にほんご文献ぶんけんでは、ポーランド支配しはい時代じだいかんする記述きじゅつとうでこの名称めいしょう使つかわれることがある。
  • 英語えいご:KyivまたはKiev独立どくりつ以前いぜんはKievが公式こうしきのラテン文字もじ表記ひょうきであったが、独立どくりつ以降いこう唯一ゆいいつ公用こうよう国家こっか)のウクライナ名前なまえであるКиївから、Kyivとの表記ひょうきがウクライナ政府せいふによってめられた。これにしたが国内こくない道路どうろ標識ひょうしき空港くうこうえきとう表記ひょうきは「Kyiv」で統一とういつされている。ウクライナ国外こくがいでは新聞しんぶん雑誌ざっしとうのメディアは慣例かんれいからKiev表記ひょうき使つかほう現状げんじょうもっぱら一般いっぱんてきである一方いっぽう学術がくじゅつてき専門せんもんしょではKyivが使つかわれることがおお[5]
  • 日本語にほんご:ウクライナめい沿った「キイウ」、「キーウ」、「キーイウ」、「キーイヴとう表記ひょうきがされる場合ばあいはあるが、現時点げんじてんではまだ使用しよう頻度ひんどすくない[6]在日ざいにちウクライナ大使館たいしかんいち「クィィヴ」表記ひょうき主張しゅちょうしたものの[7]、そのの2019ねん9がつどう大使館たいしかん代表だいひょうしゃ参加さんかした開催かいさいされたウクライナ研究けんきゅうかい主催しゅさいの「ウクライナの地名ちめいのカタカナ表記ひょうきかんする有識者ゆうしきしゃ会議かいぎ」にて、首都しゅとめいは「『キーウ』、『キイフ』、『キエフ』の3れい併用へいようとする」との結論けつろんされ、どう大使館たいしかんあん採用さいようされなかった[8]。ただし、現状げんじょう日本にっぽん外務省がいむしょうかくメディアもロシアめい沿った「キエフ」と表記ひょうきもちいられることが一般いっぱんてきである。アクセントをあらわ長音符ちょうおんぷ保持ほじして「キーエフ」とかれることもある。また、「キイフ」、「キーフ」とかれる場合ばあいもあるが、これらはウクライナ表記ひょうきをロシアとうかた沿ってあやまって転写てんしゃしたものである。また、漢字かんじ表記ひょうきは「けいよし」である[9]。ウクライナ沿った「キイウ」という日本語にほんご名称めいしょうは、はじめてしんてい万国ばんこくぜんられる。この地図ちずは、1807ねん江戸えど幕府ばくふいのちにより高橋たかはしけいあいだ重富しげとみ馬場ばば佐十郎さじゅうろう作成さくせいした世界せかい地図ちずである[10]

ウクライナの独立どくりつ本国ほんごくでは公式こうしき名称めいしょうをロシアめいからウクライナめい変更へんこうされた。現地げんちでは政策せいさくとしてロシア使用しよう制限せいげんされている。また、上記じょうきにあるようにロシア沿ったラテン文字もじ表記ひょうきである Kiev (Kiyev) も同様どうようあつかいである。近年きんねん英語えいごけんにおける出版しゅっぱんぶつでは、政府せいふ発表はっぴょう正式せいしきラテン文字もじ表記ひょうきであるKyivかれる場合ばあいえている。日本にっぽんでも、その傾向けいこうけて学者がくしゃとうから「キーウ」とうとウクライナじゅんずる表記ひょうき推奨すいしょうされる機会きかいえつつある。しかし、現状げんじょうでは、日本にっぽんやロシアにおけるウクライナ知識ちしきをもつ人口じんこうすくないことや、以前いぜん学会がっかいとうでもウクライナに言及げんきゅうする場合ばあい歴史れきしてきにロシア文献ぶんけん参照さんしょうした研究けんきゅうおおかった経緯けいいもあり、まだまだ慣例かんれいとして「キエフ」とばれる事例じれい圧倒的あっとうてきおおい。

ウクライナ認知にんち相対そうたいてきひくいため、政府せいふかくメディア等々とうとうでもロシア沿った従来じゅうらいの「キエフ」という表記ひょうきもちいている。しかし、うえ問題もんだいけて、今後こんごウクライナめい沿った表記ひょうき「キーウ」をもちいることが必要ひつようとの意見いけんもある。

概要がいよう

ソフィア広場ひろば、キエフの中心地ちゅうしんち

ひがしヨーロッパ有数ゆうすう世界せかい都市としである。週末しゅうまつになると、歩行ほこうしゃ天国てんごくになる中心ちゅうしんとおフレシチャーティクとおりや、2001ねん独立どくりつ10周年しゅうねん記念きねんして整備せいびされ、地下ちかショッピングセンターなどをそなえた独立どくりつ広場ひろば(マイダン・ネザレージュノスチ)などで人々ひとびとにぎわっている。

市内しないにはキエフ大公たいこうこく時代じだい建築けんちくぶつ多数たすうのこされているが、戦火せんか共産党きょうさんとう政権せいけんなどによって破壊はかいされたものもすくなくない。そのうえで、黄金おうごんもんのように復元ふくげんされたものもすくなくない。ウクライナはりょう大戦たいせんにおいて主戦しゅせんじょうとなったためそれにまつわるおおくの記念きねんてられているが、キエフ市内しないおよ郊外こうがいにもすうおおくの記念きねんられる。それ以外いがいには、現在げんざいのキエフに戦火せんか傷跡きずあとつけることはむずかしい。

まち年々ねんねん発展はってんしており、主要しゅよう都市としなどとくらべても外観がいかん内容ないようともにゆたかである。

5月にははるまつおこなわれる。

地理ちり

キエフとドニプロがわランドサット7による衛星えいせい写真しゃしん

キエフのきゅう市街しがいは、ドニプロがわ見下みおろす小高こだかおかうえにある。

はドニプロがわはさんでひろがっているが、そのうち丘陵きゅうりょう地帯ちたい西岸せいがんがわふる建物たてもののこ従来じゅうらい市街地しがいちで、それにたい低地ていちである東岸とうがんがわは、高層こうそう建築けんちくぶつ目立めだしん市街しがいとなっている。かわ中州なかすにはかつてドイツぐん破壊はかいされたむらあとヒドロパールクがつくられている。

1986ねん4がつ26にち、キエフのきた130kmにあるチェルノブイリ原子力げんしりょく発電はつでんしょ原子力げんしりょく事故じこ発生はっせいした(チェルノブイリ原子力げんしりょく発電はつでんしょ事故じこ)。直後ちょくごにソビエト連邦れんぽう上層じょうそうによってぜん住民じゅうみん350まんにん疎開そかい検討けんとうされたが、風向かざむきの関係かんけい健康けんこうへの影響えいきょういと判断はんだんされ、疎開そかい中止ちゅうしされた。現在げんざいはキエフを起点きてんとしたチェルノブイリの観光かんこうツアーが存在そんざいし、事故じここした4ごう間近まぢかることも可能かのうである。

気候きこう

大陸たいりくせい気候きこうであり、ケッペンの気候きこう区分くぶんでは湿潤しつじゅん大陸たいりくせい気候きこう (Dfb) にぞくする。もっとあつい7がつ平均へいきん気温きおんは20.5°Cで、ときに30°Cをえることもすくなくない。もっとさむい1がつ平均へいきん気温きおんは−3.5°Cで急速きゅうそく平年へいねん上昇じょうしょうしたものの、近年きんねんかんふゆになることもおおく、とき零下れいか20下回したまわることもめずらしくない。過去かこ最高さいこう気温きおん1936ねん7がつ31にち観測かんそくされた39.4 °C、過去かこ最低さいてい気温きおん1929ねん2がつ7にちと9にち観測かんそくされた−32.2 °Cである。年間ねんかん降雪こうせつりょうは355cmと欧州おうしゅう大都市だいとしなかではかなりおおほうである。

キエフの気候きこう
つき 1がつ 2がつ 3がつ 4がつ 5月 6がつ 7がつ 8がつ 9月 10月 11月 12月 とし
最高さいこう気温きおん記録きろく °C°F 11.1
(52)
17.3
(63.1)
22.4
(72.3)
30.2
(86.4)
33.6
(92.5)
35.0
(95)
39.4
(102.9)
39.9
(103.8)
33.8
(92.8)
27.9
(82.2)
23.2
(73.8)
14.7
(58.5)
39.9
(103.8)
平均へいきん最高さいこう気温きおん °C°F −0.9
(30.4)
0.0
(32)
5.6
(42.1)
14.0
(57.2)
20.7
(69.3)
23.5
(74.3)
25.6
(78.1)
24.9
(76.8)
19.0
(66.2)
12.5
(54.5)
4.9
(40.8)
0.0
(32)
12.5
(54.5)
にち平均へいきん気温きおん °C°F −3.5
(25.7)
−3
(27)
1.8
(35.2)
9.3
(48.7)
15.5
(59.9)
18.5
(65.3)
20.5
(68.9)
19.7
(67.5)
14.2
(57.6)
8.4
(47.1)
1.9
(35.4)
−2.3
(27.9)
8.4
(47.1)
平均へいきん最低さいてい気温きおん °C°F −5.8
(21.6)
−5.7
(21.7)
−1.4
(29.5)
5.1
(41.2)
10.8
(51.4)
14.2
(57.6)
16.1
(61)
15.2
(59.4)
10.2
(50.4)
4.9
(40.8)
0.0
(32)
−4.6
(23.7)
4.9
(40.8)
最低さいてい気温きおん記録きろく °C°F −31.1
(−24)
−32.2
(−26)
−24.9
(−12.8)
−10.4
(13.3)
−2.4
(27.7)
2.4
(36.3)
5.8
(42.4)
3.3
(37.9)
−2.9
(26.8)
−17.8
(0)
−21.9
(−7.4)
−30.0
(−22)
−32.2
(−26)
降水こうすいりょう mm (inch) 36
(1.42)
39
(1.54)
36
(1.42)
46
(1.81)
57
(2.24)
82
(3.23)
72
(2.83)
61
(2.4)
58
(2.28)
40
(1.57)
48
(1.89)
44
(1.73)
619
(24.37)
平均へいきん降水こうすい日数にっすう 8 7 9 13 14 15 14 11 14 12 12 9 138
湿度しつど 83 80 74 64 62 67 68 67 74 77 85 86 74
平均へいきん月間げっかん日照ひでり時間じかん 31.0 56.5 124.0 180.0 279.0 270.0 310.0 248.0 210.0 155.0 60.0 31.0 1,954.5
出典しゅってん1:Pogoda.ru.net[11]
出典しゅってん2:BBC weather (sun values).[12]

歴史れきし

中世ちゅうせい前期ぜんき

中世ちゅうせいのキエフの象徴しょうちょうせいミハイール黄金おうごんドーム修道院しゅうどういん

ウクライナの最古さいこ記録きろくルーシ年代ねんだい』の伝説でんせつによれば、キエフはポリャーネぞく公爵こうしゃくキーイ、ならびにかれ兄弟きょうだいシュテークホリーウリービジによって創建そうけんされたという[13]。しかし、年代ねんだいには創建そうけん年代ねんだい記載きさいされていない。考古学こうこがく資料しりょうによると、キエフは5世紀せいきすえから6世紀せいき初頭しょとう形成けいせいした集落しゅうらくとして発展はってんしてきたという[13]当時とうじ集落しゅうらく中心ちゅうしんドニプロがわ右岸うがん位置いちする城山しろやまにあったとされる[13]6世紀せいきから7世紀せいきにかけて集落しゅうらく城山しろやまからまわりの丘陵きゅうりょうへの拡大かくだいしたのである[13]。キエフはドニプロがわ貿易ぼうえきルート、森林しんりん草原そうげんせっする地帯ちたい、そしておお民族みんぞくまじわる境界きょうかい位置いちしていたため、ドニプロがわ中流ちゅうりゅうにおける政治せいじ経済けいざい文化ぶんかてき拠点きょてんとして成長せいちょうした[13]6世紀せいきゴートじん歴史れきしヨルダネスは、「ドニプロがわまち」という意味いみのダナピルスタディル (Danapirstadir) という記録きろくしている。

8世紀せいきすえにキエフは、「ルーシの」とばれる南方なんぽうひがしスラヴじん共同きょうどうたい中核ちゅうかくてき都市としであった[13]882ねん北欧ほくおうヴァリャーグヴァイキング)がその都市とし征服せいふくすると、キエフは「ルーシ」という国家こっか首都しゅと、いわゆる「ルーシの都市としはは[14]となった[13]。8世紀せいきから9世紀せいきにかけてキエフでは、キエフさんにあるやまキエフ)と山麓さんろくにある下町したまちポジール)というの2つの区域くいき形成けいせいされた。前者ぜんしゃでは貴族きぞく聖職せいしょくしゃ後者こうしゃでは庶民しょみんらしていた[13]当時とうじのキエフは、ひがしマ帝国まていこく北欧ほくおう西欧せいおうイスラムけい諸国しょこく貿易ぼうえきをし、国際こくさい都市としとして発展はってんした。10世紀せいき前半ぜんはんにキエフでははじめてのキリスト教きりすときょう聖堂せいどう建立こんりゅうされた[13]

ヴォロディーミルひじりこうだい980ねん1015ねん)には、キエフのやま範囲はんい拡大かくだいされ、防衛ぼうえい強化きょうかされた。研究けんきゅうでは改善かいぜんされたやまは「ヴォロディーミルのまち」と[13][15]やまたかるいによってかこまれて、るいには3つの大門おおもんもうけられた。正門せいもんであるソフィアもんまち南方なんぽうかれた[15]988ねんにルーシがキリスト教きりすときょう国教こっきょうにすると、キエフはコンスタンディヌーポリそう主教しゅきょうちょうキエフ主教しゅきょう中心ちゅうしんとなった。キエフの最大さいだい教会きょうかいは、「ぞう」とばれる市場いちば大公たいこう宮殿きゅうでんとなり建立こんりゅうされた什一聖堂せいどうであった[15]。ヴォロディーミルせいおおやけ子息しそくヤロスラーウけんこう1019ねん1054ねん)は、さらにやまをおよそ80ヘクタールまで拡大かくだいさせ、いわゆる「ヤロスラーウのまち」を建設けんせつした[15]本城ほんじょうかこ城壁じょうへきながさは3.5キロメートまでたっした[15]。これによってキエフは東欧とうおう最大さいだい都市としとなった[15]。ヤロスラーウけんこうはキエフの正門せいもん黄金おうごんもんあらため、キエフ主教しゅきょうとしてせいソフィアだい聖堂せいどう建立こんりゅうした。ヤロスラーウけんこう子孫しそんイジャスラーウ (1054ねん1068ねん, 1069ねん1073ねん)とスヴャトポールク (1093ねん1113ねん)はあらたな「イジャスラーウ・スヴャトポールクのまち」を建設けんせつした。このまちにおける中心ちゅうしんてき建造けんぞうぶつになったのはせいミハイール黄金おうごんドームだい聖堂せいどうであった[15]

キエフの最大さいだい地区ちく下町したまちポジールであった。12世紀せいきから13世紀せいき前半ぜんはんにかけてポジールの面積めんせきやく200ヘクタールにおよんでおり、るいしがらみによってかこまれていた[15]。ポジールのちゅうおうにはキエフ最大さいだい市場いちば」(トルホーヴィシュチェ)が位置いちしており、そのまわりにプィロホーシュチャ聖堂せいどう、ボリス・フリブ聖堂せいどう、ミハイール聖堂せいどうなどがならんでいた[15]キエフの西部せいぶではコープィルすみという地区ちくがあり、スヴャトスラーウ2せいだい1073ねん1076ねん)にはそこでせいシメオン修道院しゅうどういん建立こんりゅうされた[15]。キエフ郊外こうがいではキリーロ修道院しゅうどういんクローウ修道院しゅうどういん洞窟どうくつ修道院しゅうどういん1598ねん以降いこうキエフ洞窟どうくつだい修道院しゅうどういん)、ヴィードゥビチ修道院しゅうどういんなどの正教会せいきょうかい修道院しゅうどういんかれた[15]。キエフのまわりにプレドスラーヴィネむらベレストーヴェむら公爵こうしゃく貴族きぞく別荘べっそうドロホージチだにハンガリーだにがあった[15]

12世紀せいきなかばにキエフはやく5まんにん人口じんこう、400の教会きょうかいと8つの市場いちばゆうしていた。キエフの総合そうごう面積めんせきはおよそ400ヘクタールであった[15]

中世ちゅうせい後期こうき

12世紀せいき後半こうはん以降いこう、キエフはルーシの聖地せいち役割やくわりたもちながら、政治せいじてき中心ちゅうしんとして衰退すいたいした。ムスチスラーウ大公たいこう1125ねん - 1132ねん)ののち、キエフをおさめる有能ゆうのう統治とうちしゃがなく、ルーシというキエフ大公たいこうこく構成こうせいしてしょ公国こうこく独立どくりつしはじめた。1169ねんウラジーミル・スーズダリ公国こうこく公爵こうしゃくアンドレイ武力ぶりょくでキエフを占領せんりょうして掠奪りゃくだつし、キエフ大公たいこう即位そくいせず帰国きこくした。さらに、1203ねんチェルニーヒウ公国こうこく公爵こうしゃくリューリク2せいはキエフを攻略こうりゃくして同様どうよう掠奪りゃくだつおこなった。このような事件じけんによってキエフ大公たいこう地位ちい威厳いげんおおきくそこなわれた。また、1223ねんにキエフの軍勢ぐんぜいカルカがわでモンゴルぐん敗北はいぼく、1235ねんにチェルニーヒウの公爵こうしゃくミハイール2せいキプチャクれてキエフを陥落かんらくさせた。1239ねんハリーチ公国こうこく公爵こうしゃくダニーロはキエフを獲得かくとくし、最後さいごキエフ大公たいこうとなった。

1240ねんにモンゴル帝国ていこく軍勢ぐんぜいキエフを包囲ほういして破壊はかいさせた決定的けっていてき打撃だげきけたキエフは全滅ぜんめつされ、ルーシというキエフ大公たいこうこく名実めいじつとも亡国ぼうこくとなった。キエフの中心ちゅうしん下町したまちポジールへうつった。

支配しはいする勢力せいりょくは、1264ねんまでのハールィチ・ヴォルィーニ大公たいこうこくからスラヴけい国家こっかリトアニア大公たいこうこくうつり、1569ねんにリトアニアが同君どうくん連合れんごうむすんでいたポーランド王国おうこくルブリン合同ごうどうむすんでポーランド・リトアニア共和きょうわこく形成けいせいすると、ウクライナ貴族きぞくシュラフタとして共和きょうわこくのうちのポーランド王国おうこくへの帰属きぞく移動いどうもとめ、キエフけんとしてポーランド王国おうこく加盟かめいした。その、ドニエプルがわ中流ちゅうりゅうおこったザポロージャ・コサック統治とうち地域ちいきくわわった。コサックたちはポーランド・リトアニア共和きょうわこく中央ちゅうおう政界せいかいセイム)との対立たいりつふかめ、1648ねんにはけん全体ぜんたいヘーチマン国家こっか(コサック国家こっか)の一部いちぶとしてポーランド・リトアニア共和きょうわこくからの自治じちけんた。キエフはヘーチマン国家こっか文化ぶんかてき中心ちゅうしんとしてふたたさかえ、ウクライナ・バロック文化ぶんかやしなわれた。

近世きんせい近代きんだい

コサックの頭領とうりょうによって復元ふくげんされたキエフ洞窟どうくつだい修道院しゅうどういんにおけるいたりひじりさんしゃ大門おおもん教会きょうかい

1654ねん、ヘーチマン国家こっかモスクワ大公たいこうこくロシア帝国ていこくたいする政治せいじてき闘争とうそうやぶれ、その宗主そうしゅけんはいることとなった。1667ねん、ウクライナ・コサックをめぐるポーランドとロシアの戦争せんそう講和こうわむかえ、キエフをふくむヘーチマン国家こっか正式せいしきにロシア帝国ていこく版図はんとさだめられた。

その、キエフは徐々じょじょにロシアのいち地方ちほう地位ちいとしていったが、それでもやはりウクライナ文化ぶんか政治せいじ運動うんどう中心ちゅうしんのひとつとしての機能きのうになっていた。そのため、モスクワ政府せいふはキエフを強力きょうりょく監視かんしくようになり、時期じきにより差異さいはあるとはいえ、ウクライナの文化ぶんかてきあるいは政治せいじてき運動うんどうは「マゼッパ主義しゅぎ」や「裏切うらぎ独立どくりつ主義しゅぎ」などとばれ弾圧だんあつくわえられた。

現代げんだい

キエフにおけるウクライナ人民じんみん共和きょうわこく士官しかん

1917ねんロシア革命かくめい同年どうねんあき、キエフのウクライナ中央ちゅうおうラーダウクライナ人民じんみん共和きょうわこく事実じじつじょう独立どくりつ宣言せんげんをするとロシアのボリシェヴィキはウクライナに侵攻しんこうはじめ、ウクライナ・ソビエト戦争せんそう開始かいしされた。共和きょうわこく首都しゅととなったキエフは赤軍せきぐんによる攻撃こうげきけた。1918ねん1がつ29にちウクライナ人民じんみん共和きょうわ国軍こくぐんはキエフ郊外こうがいクルトィえきたたか赤軍せきぐんやぶれ、ウクライナ勢力せいりょく劣勢れっせい決定的けっていてきになった。その1918ねん2がつ8にちにロシアの占領せんりょうぐんによってキエフの住民じゅうみん虐殺ぎゃくさつおこなわれた。

この戦闘せんとうで、ウクライナの古都ことキエフはウクライナ民族みんぞく主義しゅぎ拠点きょてんとなった。一方いっぽう赤軍せきぐん協力きょうりょくするウクライナ人民じんみん共和きょうわこく(ウクライナ・ソビエト共和きょうわこく)の首府しゅふは、ロシアじんユダヤじんおおハルキウかれた。

1918ねん4がつ29にちにはドイツ帝国ていこく軍事ぐんじりょく農民のうみんそう支持しじうしたてとするヘーチマンの政変せいへんキエフ・サーカスじょうにて発生はっせいし、キエフを首都しゅととするウクライナこく建設けんせつされた。だが、12月にはドイツぐん撤退てったいにより同国どうこくディレクトーリヤたおされ、ディレクトーリヤはウクライナ人民じんみん共和きょうわこく再建さいけんした。

1918ねんにウクライナからの要請ようせいによってはじめられたポーランド・ソビエト戦争せんそうでも、キエフは主戦しゅせんじょうひとつとなった。1920ねんには、ポーランドぐん合同ごうどうしたディレクトーリヤぐんによるキエフ攻勢こうせい実行じっこうされ一時いちじはキエフを奪還だっかんしたが、最終さいしゅうてきには赤軍せきぐんやぶれた。

結局けっきょく、ウクライナの独立どくりつ各派かくは相互そうご協力きょうりょく失敗しっぱいし、またイギリスフランス、そしてポーランドなどのような外国がいこく勢力せいりょく協力きょうりょくてきであったことからソビエト政府せいふたいして敗北はいぼくきっし、ウクライナの独立どくりつついえた。それにともない、ソ連それん時代じだい初期しょきウクライナ社会しゃかい主義しゅぎソビエト共和きょうわこく首都しゅと民族みんぞく主義しゅぎねつたかかったキエフをけ、1934ねん6月24にちにキエフにもどるまでハリコフにかれた[16]1937ねん国号こくごうは「ウクライナ・ソビエト社会しゃかい主義しゅぎ共和きょうわこく」に改称かいしょうされたが、キエフはその首都しゅとでありつづけた。

だい世界せかい大戦たいせんなか1941ねん9月19にち侵攻しんこうしてナチス・ドイツぐんバルバロッサ作戦さくせん一環いっかんとしてキエフを占領せんりょうした。同年どうねん9月29にち30にちに、キエフ近郊きんこうバビ・ヤールで、ナチス親衛隊しんえいたい特別とくべつ殺戮さつりく部隊ぶたいが、33771にんユダヤじん虐殺ぎゃくさつした。 キエフ1943ねん11月6にち赤軍せきぐんによって奪還だっかんされるまでドイツの占領せんりょうにあった。市街しがい郊外こうがいはドイツぐんによるはげしい破壊はかいけたが、戦後せんご復興ふっこうちかられられ、比較的ひかくてきはや時期じき復興ふっこうたした。1941ねんはげしいたたかいを記念きねんし、キエフは戦後せんご英雄えいゆう都市とし」の称号しょうごうおくられた。

現在げんざい

1991ねんにウクライナが独立どくりつしてソ連それん崩壊ほうかいすると、キエフはあらたな独立どくりつウクライナの首都しゅととなった。

言語げんご

母語ぼご話者わしゃ(2001ねん
ウクライナ
  
72.1%
ロシア
  
25.4%

独立どくりつは、それまでのロシア優遇ゆうぐう政策せいさくあらためられ、市内しない表記ひょうき広告こうこくとうふくめすべてウクライナ制限せいげんされるようになった。テレビ放送ほうそう放送ほうそうほうにより、外国がいこく放映ほうえいかんしてはウクライナ字幕じまくをかぶせなければならなくなった。そのためロシアで製作せいさくされたロシア番組ばんぐみはウクライナ字幕じまくつきロシア放送ほうそうとなっている。 地下鉄ちかてつもウクライナのみのアナウンスとなっている。

ただ、母語ぼご調査ちょうさではロシアではなくウクライナが7わり大半たいはんめているものの、キエフ市民しみんあいだでは日常にちじょうてき会話かいわには公用こうようではないロシアおももちいられている。2003ねん調査ちょうさによると、日常にちじょう生活せいかつでロシアおも使つかひとが52%、ロシアとウクライナ両方りょうほうが32%、おもにウクライナが14%、大半たいはんがウクライナは4.3%にぎなず、ウクライナのみで生活せいかつしているひとはむしろ圧倒的あっとうてき少数しょうすうである[17]。そのため、まちちゅうられる表記ひょうきはウクライナであるものの、こえる言語げんごはむしろロシアほうおおくなっている。

行政ぎょうせい区分くぶん

面積めんせき(km²) 人口じんこうひと
ドニプロがわ右岸うがん西部せいぶ):
ホロシーイウ Голосіївський район  156 232.800
オボローニ Оболонський район 110 314.900
ペチェールシク Печерський район 27 139.800
ポジル Подільський район 34 190.300
スヴァトシネ Святошинський район 101 334.300
ソロミャンカ Солом'янський район 40 342.500
シェウチェーンコ Шевченківський район 25 231.100
ドニプロがわ左岸さがん東部とうぶ):
ダルヌィツャ Дарницький район 134 312.000
デスナ Деснянський район 148 356.700
ドニプロ Дніпровський район 67 345.800

人口じんこう

2001ねんウクライナ国勢調査こくせいちょうさによるデータ。

民族みんぞく構成こうせい[21]
ウクライナじん
  
2,110,800にん (82.2%)
ロシアじん
  
337,300にん (13.1%)
ユダヤじん
  
17,900にん (0.7%)
ベラルーシじん
  
16,500にん (0.6%)
ポーランドじん
  
6,900にん (0.3%)
アルメニアじん
  
4,900にん (0.2%)

交通こうつう

トロリーバス
キエフ市電しでん

市内しない交通こうつう

キエフ市内しないには、いくつかの公共こうきょう交通こうつう手段しゅだんはん公共こうきょう交通こうつう手段しゅだん存在そんざいする。

公共こうきょう機関きかんとしては、まず地下鉄ちかてつが、3路線ろせんはしっている。これらは現在げんざい建設けんせつちゅうであり、今後こんご路線ろせんすうそう延長えんちょうどもびる予定よていである。きゅう市街しがいしん市街しがいにはそれぞれキエフ市電しでんが、またきゅう市街しがい南西なんせい郊外こうがいむすライトレール運行うんこうされている。このほかトロリーバス路線ろせんバスはしっている。公共こうきょう交通こうつう機関きかん充実じゅうじつしており、また料金りょうきん乗車じょうしゃ1かいいちりつ4フリヴニャというてい価格かかくおさえられている。

これらにくわえ、はん公共こうきょう交通こうつう機関きかんといえる営業えいぎょう免許めんきょせいマルシュルートカ(ワゴンしゃマイクロバスひとし利用りようした個人こじん経営けいえいのバス・いタクシー)が無数むすう運行うんこうされている。これは、料金りょうきん乗車じょうしゃ距離きょりおうじた運賃うんちん制度せいど公共こうきょう交通こうつう機関きかんよりかなり割高わりだかであるとはえ、低速ていそく路線ろせんバスなどにくら所要しょよう時間じかん運用うんよう本数ほんすう路線ろせんすうおおきなメリットがあり、やはり市民しみんにとってはかせない交通こうつう手段しゅだんである。しかし、路線ろせんもう複雑ふくざつなので外国がいこくじん利用りようするさいには注意ちゅういようする。

地下鉄ちかてつ車両しゃりょう路面ろめん電車でんしゃ、バスやトロリーバスには、ソ連それん時代じだい製造せいぞうされたソ連それんせいチェコスロヴァキアせいハンガリーせい車両しゃりょうほか新型しんがたのウクライナせいドイツせいのものもおおられる。しかし、一般いっぱん設備せつびわるふる車両しゃりょうおおいというイメージは利用りようしゃあいだ根強ねづよい。

郊外こうがい国際こくさい交通こうつう

郊外こうがいかって運行うんこうされる交通こうつう機関きかんには、キエフ旅客りょかくえきなどから発着はっちゃくするウクライナ鉄道てつどうがある。鉄道てつどうには近距離きんきょりの「エレクトルィーチュカ」と長距離ちょうきょりの「ポーイズド」があり、夜行やこう列車れっしゃ国際こくさい列車れっしゃ運行うんこうされている。このほか鉄道てつどうのない地域ちいきおぎなうための長距離ちょうきょりバスが地下鉄ちかてつスヴャトーシンえきぜんターミナルなどから発着はっちゃくしている。

このほか交通こうつう機関きかんとしては、ドニエプルがわ航行こうこうする遊覧ゆうらんせんなどの発着はっちゃくする船着場ふなつきばキエフ河川かせんみなとがある。また、きゅう市街しがい低地ていちから高台たかだいむすキエフ・ケーブルカー運行うんこうされている。

空港くうこう

キエフには、周辺しゅうへん都市としふくめいくつかの空港くうこう所在しょざいする。

市内しない所在しょざいするキエフ・ジュリャーヌィ国際こくさい空港くうこうは、かつてはウクライナのそら玄関げんかんこうとして機能きのうした空港くうこうであるがその衰退すいたいし、現在げんざいではおも国内線こくないせん近距離きんきょり国際線こくさいせんれている。このほか個人こじん所有しょゆうするビジネスジェットなども数多かずおおくこの空港くうこう利用りようしている。これについては、空港くうこう私物しぶつとの批判ひはんがある。このほか空港くうこうにはウクライナ空軍くうぐん使用しようとう展示てんじする国立こくりつ航空こうくう博物館はくぶつかん併設へいせつされている。この空港くうこうは、市内しないにあり利用りよう便びん非常ひじょうによいが、安全あんぜんめん土地とち問題もんだいから本格ほんかくてき国際こくさい空港くうこうへの拡張かくちょう困難こんなんである。

スヴャトーシン地区ちく所在しょざいするキエフ・スヴャトーシノ空港くうこうは、ウクライナの航空こうくう産業さんぎょう初期しょきから存在そんざいする空港くうこうであるが規模きぼちいさく、またまち隣接りんせつしているため拡張かくちょうできない。現在げんざいでは、O・K・アントーノウ記念きねん航空こうくう科学かがく技術ぎじゅつふく合体がったいアヴィアーント・キエフ航空機こうくうき工場こうじょう使用しようする小規模しょうきぼ飛行場ひこうじょうとなっている。

キエフ市外しがい隣接りんせつするキエフ・チャイカ空港くうこうは、民間みんかんのスポーツよう小規模しょうきぼ空港くうこうである。

ボルィースピリ国際こくさい空港くうこうは、厳密げんみつにはキエフではなくひがしとなりボルィースピリ所在しょざいするが、「キエフ空港くうこう」とばれる空港くうこうのひとつとなっている。おも国際線こくさいせんれる国際こくさい空港くうこうである。ながらく鉄道てつどう地下鉄ちかてつのアクセスがなく、バスやタクシーが必要ひつようになるなどキエフ市内しないからのアクセスは不便ふべんであったが、近年きんねんはキエフ旅客りょかくえきから定期ていきてきにシャトルバスが運行うんこうされて利便りべんせい向上こうじょうした。所要しょよう時間じかんは1あいだほど。また2018ねん11月にキエフ旅客りょかくえきとのあいだむす空港くうこう連絡れんらく鉄道てつどう開業かいぎょうした。こちらの所要しょよう時間じかんは40ふんほどで、深夜しんやたい運行うんこうされている。

ホストーメリ空港くうこうもキエフ所在しょざいする空港くうこうではなく、となりホストーメリ所在しょざいする。小規模しょうきぼ空港くうこうで、別名べつめいアントーノフ空港くうこうばれるとおり、アントーノフの機体きたい試験しけん使用しようされている。

教育きょういく

キエフの風景ふうけい

建物たてもの

キエフのせいソフィアだい聖堂せいどうは、キリストきょうひろめようとするひがしマ帝国まていこく協力きょうりょくした、ビザンティン様式ようしき華麗かれい教会きょうかいして、1037ねんてられた。コンスタンティノープルにあるハギア・ソフィアだい聖堂せいどうおなじように、「せいなる知恵ちえ」にささげたものであったが、建物たてもの姿すがたがたまったことなるものである。四角しかく建物たてものうえひとつの半球はんきゅうじょうのドームがあるコンスタンティノープルのだい聖堂せいどうたいして、キエフのハギア・ソフィアは、円柱えんちゅうじょう建物たてものうえに13のハートじょうのドームがある。この教会きょうかい過去かこいく損傷そんしょうけ、最近さいきん修復しゅうふく作業さぎょうにより装飾そうしょくしなおされている。

スポーツ

出身しゅっしん人物じんぶつ

Category:キエフ出身しゅっしん人物じんぶつ参照さんしょう

姉妹しまい都市とし

ちゅう

  1. ^ ルーシ年代ねんだい』の882ねんじょうに、ルーシぞくおおやけオレーグルーシをキエフにさだめたとき、キエフを「ルーシのまち々のはは」とづけた(Полное собрание русских летописей (ПСРЛ). — Т. 2. Ипатьевская летопись. — СПб., 1908. — c. 17.)。
  2. ^ キエフは東欧とうおうキリスト教きりすときょう発祥はっしょうで、1453ねんコンスタンティノープルの陥落かんらくエルサレム正教会せいきょうかい聖地せいちであると主張しゅちょうしたウクライナの聖職せいしょくしゃ概念がいねん1622ねんにキエフ、ハールィチおよびぜんルーシ主教しゅきょうイオウ・ボレーツィクィイによる書状しょじょう1633ねんかれ後継こうけいしゃとなったペトロー・モヒーラによる『洞窟どうくつだい修道院しゅうどういんのアテナイオス』、またキエフ・モヒラ・アカデミー校長こうちょうおよびロシア正教会せいきょうかい会議かいぎ会長かいちょうつとめたフェオファン・プロコポーヴィチマサーパ時代じだい聖職せいしょくしゃ文人ぶんじん著作ちょさくなどにおいてにしばしばられる(Рибалка І. К. Історія України (частина перша) — К.,1994 — 7. Культура в Україні у XVIII ст. )。
  3. ^ kyivpost.com/ Kyiv’s 1,530th birthday marked with fun, protes (May 31, 2012)
  4. ^ 公用こうようのウクライナ沿った表記ひょうきでは「キーウ」などと転写てんしゃされるが、ほんこうではロシア沿った表記ひょうきで、日本語にほんごとして公式こうしきもちいられている「キエフ」で記述きじゅつする。
  5. ^ 2011ねん現在げんざい確認かくにん補足ほそくだが、主要しゅようメディアにたいしてKievからKyivへと表記ひょうきえるようにウェブ署名しょめいおこなとう活動かつどう散見さんけんされる。また、英語えいごばんウィキペディアのノートでもこの表記ひょうきかんして長年ながねん議論ぎろんかえされている。
  6. ^ 使用しようれい以下いかとおりである。
    キーウ
    『ニューエクスプレス ウクライナ中澤なかざわ英彦ひでひこちょ. 白水しろみずしゃ, 2009
    BBCやウクルインフォルム通信つうしん日本語にほんごニュース・サイト
    キーイウ
    『ポーランド・ウクライナ・バルト伊東いとう孝之たかゆき, 井内いうち敏夫としお, 中井なかい和夫かずお共著きょうちょ. 山川やまかわ出版しゅっぱんしゃ, 1998(巻末かんまつ地図ちずのみ)
    キーイヴ
    『ウクライナのための日本語にほんご学習がくしゅう辞典じてん Українсько-Японський Японсько-Український Словник Навчальний Словник Японських Ієрогліфів』ボンダレンコ I.・日野ひの貴夫たかお共著きょうちょ. アリテルナティーヴィ出版しゅっぱんしょ, 1998
  7. ^ ウクライーナの地名ちめいただしいスペルと使用しようほうかんする公式こうしきガイド”. 在日ざいにちウクライーナ大使館たいしかん (2019ねん7がつ17にち). 2019ねん8がつ24にち閲覧えつらん
  8. ^ 「ウクライナの地名ちめいのカタカナ表記ひょうきかんする有識者ゆうしきしゃ会議かいぎ議事ぎじ抄録しょうろく”. ウクライナ研究けんきゅうかい. 2019ねん10がつ29にち閲覧えつらん
  9. ^ 重訂じゅうてい萬國ばんこくぜん 明治めいじ4(1871)ねん
  10. ^ しんてい万国ばんこくぜん
  11. ^ Pogoda.ru.net” (Russian). 2012ねん7がつ3にち閲覧えつらん
  12. ^ BBC Weather: Kiev, BBC. Retrieved 3 July 2012.
  13. ^ a b c d e f g h i j Толочко 2007:201.
  14. ^ 都市としはは」とは、スラヴ翻訳ほんやく借用しゃくようで、ギリシアメトロポリス(「メトロ」(はは)・「ポリス(都市とし)」)に由来ゆらいする。
  15. ^ a b c d e f g h i j k l m Толочко 2007:202 .
  16. ^ 中井なかい 1998:040.
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  18. ^ ウクライナ国立こくりつ統計とうけい委員いいんかい (2001ねん12月5にち). “2001ねんウクライナ国勢調査こくせいちょうさ。ウクライナのそう人口じんこう” (ウクライナ). 2011ねん12月14にち閲覧えつらん
  19. ^ ウクライナ国立こくりつ統計とうけい委員いいんかい (2001ねん12月5にち). “2001ねんウクライナ国勢調査こくせいちょうさ。ウクライナの都市とし人口じんこう農村のうそん人口じんこう” (ウクライナ). 2011ねん12月14にち閲覧えつらん
  20. ^ ウクライナ国立こくりつ統計とうけい委員いいんかい (2001ねん12月5にち). “2001ねんウクライナ国勢調査こくせいちょうさ。ウクライナの性別せいべつ人口じんこう” (ウクライナ). 2011ねん12月14にち閲覧えつらん
  21. ^ ウクライナ国立こくりつ統計とうけい委員いいんかい (2001ねん12月5にち). “2001ねんウクライナ国勢調査こくせいちょうさ地域ちいきべつ民族みんぞく構成こうせい” (ウクライナ). 2011ねん12月14にち閲覧えつらん

関連かんれん項目こうもく

参考さんこう文献ぶんけん

  • 日本語にほんご 伊東いとう孝之たかゆき, 井内いうち敏夫としお, 中井なかい和夫かずおへん 『ポーランド・ウクライナ・バルト』 (世界せかい各国かっこく; 20)-東京とうきょう: 山川やまかわ出版しゅっぱんしゃ, 1998ねん. ISBN 9784634415003
  • 日本語にほんご 黒川くろかわ祐次ゆうじちょ 『物語ものがたりウクライナの歴史れきし : ヨーロッパ最後さいご大国たいこく』 (中公新書ちゅうこうしんしょ; 1655)-東京とうきょう : 中央公論ちゅうおうこうろんしんしゃ, 2002ねん. ISBN 4121016556
  • (ウクライナ Історія міст і сіл Української РСР: Київ. — Київ: УРЕ АН УРСР, 1968.
  • (ウクライナ Толочко П. П., Івакін Г. Ю., Верменич Я. В. Київ // Енциклопедія історії України. — Київ : Наукова думка, 2007. — Т. 4. — С. 201–218.

外部がいぶリンク

公式こうしき
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