第 だい 95回 かい (2022年 ねん )の開会 かいかい 式 しき
選抜 せんばつ 高等 こうとう 学校 がっこう 野球 やきゅう 大会 たいかい (せんばつこうとうがっこうやきゅうたいかい)は、毎日新聞社 まいにちしんぶんしゃ と日本 にっぽん 高等 こうとう 学校 がっこう 野球 やきゅう 連盟 れんめい (高野連 こうやれん )が兵庫 ひょうご 県 けん 西宮 にしのみや 市 し ・阪神 はんしん 甲子園 こうしえん 球場 きゅうじょう にて、1924年 ねん (大正 たいしょう 13年 ねん )から毎年 まいとし 3月 がつ 中旬 ちゅうじゅん ・または3月 がつ 下旬 げじゅん から4月 がつ 上旬 じょうじゅん に主催 しゅさい している日本 にっぽん の高校 こうこう 野球 やきゅう 大会 たいかい である。大会 たいかい 旗 き および優勝旗 ゆうしょうき の色 いろ は紫紺 しこん 。優勝旗 ゆうしょうき は紫紺 しこん 色 しょく のため「紫紺 しこん の大 だい 優勝 ゆうしょう 旗 き 」と呼 よ ばれている。「春 はる の甲子園 こうしえん 」「春 はる の高校 こうこう 野球 やきゅう 」「選抜 せんばつ (センバツ)甲子園 こうしえん 」「National High School Baseball Invitational Tournament [2] 」などと表現 ひょうげん されており、 5年 ねん に1度 ど (大会 たいかい 回数 かいすう が5の倍数 ばいすう となる回 かい )は記念 きねん 大会 たいかい として実施 じっし されている。歴代 れきだい 優勝 ゆうしょう 校 こう は、選抜 せんばつ 高等 こうとう 学校 がっこう 野球 やきゅう 大会 たいかい 歴代 れきだい 優勝 ゆうしょう 校 こう に記述 きじゅつ 。
この節 ふし には独自 どくじ 研究 けんきゅう が含 ふく まれているおそれがあります。 問題 もんだい 箇所 かしょ を検証 けんしょう し出典 しゅってん を追加 ついか して、記事 きじ の改善 かいぜん にご協力 きょうりょく ください。議論 ぎろん はノート を参照 さんしょう してください。(2014年 ねん 11月 )
夏 なつ の大会 たいかい は地方 ちほう 大会 たいかい の優勝 ゆうしょう 校 こう が機械 きかい 的 てき に出場 しゅつじょう しているが、春 はる の大会 たいかい については選考 せんこう 委員 いいん 会 かい によって出場 しゅつじょう 校 こう が決 き められる。高野連 こうやれん は出場 しゅつじょう 校 こう の選考 せんこう 基準 きじゅん を
(1)大会 たいかい 開催 かいさい 年度 ねんど 高校 こうこう 野球 やきゅう 大会 たいかい 参加 さんか 者 しゃ 資格 しかく 規定 きてい に適合 てきごう したもの。
(2)日本 にっぽん 学生 がくせい 野球 やきゅう 憲章 けんしょう の精神 せいしん に違反 いはん しないもの。
(3)校風 こうふう 、品位 ひんい 、技能 ぎのう とも高校 こうこう 野球 やきゅう にふさわしいもので、各 かく 都道府県 とどうふけん 高校 こうこう 野球 やきゅう 連盟 れんめい から推薦 すいせん された候補 こうほ 校 こう の中 なか から地域 ちいき 的 てき な面 めん も加味 かみ して選出 せんしゅつ する。
(4)技能 ぎのう についてはその年度 ねんど の新 しん チーム結成 けっせい 後 ご よりアウトオブシーズンに入 はい るまでの試合 しあい 成績 せいせき ならびに実力 じつりょく などを勘案 かんあん するが、勝敗 しょうはい のみにこだわらずその試合 しあい 内容 ないよう などを参考 さんこう とする。
(5)本 ほん 大会 たいかい はあくまでも予選 よせん をもたないことを特色 とくしょく とする[注釈 ちゅうしゃく 1] 。したがって秋 あき の地区 ちく 大会 たいかい は一 ひと つの参考 さんこう 資料 しりょう であり、本 ほん 大会 たいかい の予選 よせん ではない。
としている[3] 。第 だい 88回 かい 大会 たいかい (2016年 ねん )からの改訂 かいてい により、選考 せんこう における試合 しあい 内容 ないよう の考慮 こうりょ 、および秋季 しゅうき 大会 たいかい の位置 いち づけが明記 めいき された。
また、出場 しゅつじょう 校 こう は第 だい 55回 かい 大会 たいかい (1983年 ねん )から通常 つうじょう は32校 こう 、記念 きねん 大会 たいかい でも36校 こう [注釈 ちゅうしゃく 2] であるため、出場 しゅつじょう 校 こう が1校 こう もない府県 ふけん が毎回 まいかい 生 しょう じる(東京 とうきょう 都 と と北海道 ほっかいどう は必 かなら ず1校 こう 以上 いじょう の出場 しゅつじょう が保障 ほしょう されている)。逆 ぎゃく に、好成績 こうせいせき の府県 ふけん からは2校 こう 以上 いじょう 選出 せんしゅつ される可能 かのう 性 せい もある(#出場 しゅつじょう 校 こう に関 かん する記録 きろく を参照 さんしょう )。
出場 しゅつじょう 校 こう の選考 せんこう は21世紀 せいき 枠 わく →一般 いっぱん 選考 せんこう ・明治 めいじ 神宮 じんぐう 大会 たいかい 枠 わく の順 じゅん で行 おこな われ、各 かく 都道府県 とどうふけん の高野連 こうやれん 推薦 すいせん 校 こう の中 なか から秋季 しゅうき 地区 ちく 大会 たいかい (東京 とうきょう 都 と 大会 たいかい ・北海道 ほっかいどう 大会 たいかい は地区 ちく 大会 たいかい に相当 そうとう )と府県 ふけん 大会 たいかい の実績 じっせき と地域 ちいき 的 てき なバランスを考 かんが えた選考 せんこう を前提 ぜんてい としている。ただし選考 せんこう 会 かい では高野連 こうやれん 役員 やくいん の意思 いし が反映 はんえい されるため、秋季 しゅうき 地区 ちく 大会 たいかい で初戦 しょせん 敗退 はいたい ながらも選 えら ばれる学校 がっこう もある。出場 しゅつじょう 校 こう 決定 けってい 後 ご に組 く み合 あ わせ抽選 ちゅうせん 会 かい を行 おこな いトーナメント方式 ほうしき で頂点 ちょうてん を決 き め、2校 こう 出場 しゅつじょう した都道府県 とどうふけん 代表 だいひょう 校 こう は決勝 けっしょう 戦 せん まで当 あ たらない様 よう に配置 はいち させる。そのため、同 おな じ都道府県 とどうふけん 代表 だいひょう 校 こう の対戦 たいせん の機会 きかい は非常 ひじょう に少 すく ない。組 く み合 あ わせ抽選 ちゅうせん 会 かい は毎年 まいとし 開会 かいかい 式 しき 1週間 しゅうかん 前 まえ の9時 じ から行 おこな い、各 かく 地区 ちく の出場 しゅつじょう 校 こう が多 おお い学校 がっこう から決定 けってい する。選手 せんしゅ 宣誓 せんせい は出場 しゅつじょう 校 こう 全校 ぜんこう の主将 しゅしょう によるくじ引 び きで決定 けってい する。ただし、第 だい 83回 かい 大会 たいかい (2011年 ねん )のみ奥 おき 島 とう 孝康 たかやす 日本 にっぽん 高等 こうとう 学校 がっこう 野球 やきゅう 連盟 れんめい 会長 かいちょう が抽選 ちゅうせん で選 えら んだ。
選手 せんしゅ の学年 がくねん は年度 ねんど を跨 また ぐため、新 しん 年度 ねんど の学年 がくねん で紹介 しょうかい される。
現在 げんざい では、以下 いか の枠 わく が与 あた えられている。
一般 いっぱん 選考 せんこう 枠 わく [ 編集 へんしゅう ]
1947年 ねん 、小倉 おぐら 中学 ちゅうがく (現 げん :小倉 おぐら 高校 こうこう …福岡 ふくおか )が春 はる 大会 たいかい で準 じゅん 優勝 ゆうしょう 、夏 なつ 大会 たいかい で九州 きゅうしゅう 勢 ぜい で初 はつ 優勝 ゆうしょう して九州 きゅうしゅう 地区 ちく の中学校 ちゅうがっこう の野球 やきゅう 熱 ねつ が高 たか まったとき、朝日新聞 あさひしんぶん 西部 せいぶ 本社 ほんしゃ 運動 うんどう 部 ぶ の芥田 あくただ 武夫 たけお 部長 ぶちょう は全国 ぜんこく に先駆 さきが け、「全国 ぜんこく 中等 ちゅうとう 学校 がっこう 野球 やきゅう 連盟 れんめい 九州 きゅうしゅう 支部 しぶ 」を組織 そしき し、秋 あき に第 だい 1回 かい 九州 きゅうしゅう 大会 たいかい を鹿児島 かごしま の鴨池 かもいけ 球場 きゅうじょう (現 げん :鴨池 かもいけ 市民 しみん 球場 きゅうじょう )で開催 かいさい 、大 だい 成功 せいこう を収 おさ める。他 た の地域 ちいき も九州 きゅうしゅう 大会 たいかい を範 はん にして翌 よく 秋 あき から地区 ちく 大会 たいかい を行 おこな うようになり[4] 、以後 いご 、新 しん チームで臨 のぞ む最初 さいしょ の公式 こうしき 大会 たいかい (実質 じっしつ 的 てき な新人 しんじん トーナメント戦 せん )となる秋季 しゅうき 各 かく 都道府県 とどうふけん 大会 たいかい ・地区 ちく 大会 たいかい (全国 ぜんこく 10地区 ちく )の成績 せいせき が春 はる 大会 たいかい 出場 しゅつじょう 校 こう ・並 なら びに補欠 ほけつ 校 こう を決 き める際 さい の重要 じゅうよう な選考 せんこう 資料 しりょう となっている。
基本 きほん 的 てき には秋季 しゅうき 大会 たいかい の成績 せいせき をもとに、地域 ちいき 性 せい も考慮 こうりょ して決定 けってい する。ここで出場 しゅつじょう 29校 こう と補欠 ほけつ (代表 だいひょう 校 こう の出場 しゅつじょう 辞退 じたい に備 そな えるもので、各 かく 地区 ちく につき1〜2チーム程度 ていど )を選出 せんしゅつ する。
関東 かんとう ・東京 とうきょう 地区 ちく の残 のこ り1校 こう は両 りょう 地区 ちく を比較 ひかく した上 うえ で選出 せんしゅつ する。
東京 とうきょう のみ、秋季 しゅうき 大会 たいかい が関東 かんとう の枠組 わくぐ みから外 はず れているため、単独 たんどく 選考 せんこう となっている。2003年 ねん まではほぼ2枠 わく で固定 こてい されており、それゆえ、1位 い 校 こう と2位 い 校 こう が揃 そろ って選出 せんしゅつ されるケースが多 おお かった。背景 はいけい には、毎日新聞 まいにちしんぶん 東京 とうきょう 本社 ほんしゃ の意向 いこう が反映 はんえい しているともいわれる。21世紀 せいき 枠 わく への振 ふ り替 か えなどで出場 しゅつじょう 枠 わく が減 げん 枠 わく され、関東 かんとう との比較 ひかく となった2004年 ねん 以降 いこう は1枠 わく となる年 とし が多 おお くなっている。
山梨 やまなし 県 けん は関東 かんとう 地区 ちく 大会 たいかい 参加 さんか のため関東 かんとう 枠 わく で選考 せんこう される。
かつては近畿 きんき 地区 ちく の枠 わく は7校 こう であり、2府 ふ 4県 けん から1校 こう ずつ選 えら ばれてもさらにもう1校 こう 枠 わく があった。そのため近畿 きんき のいずれかの府県 ふけん からは必 かなら ず2校 こう 選出 せんしゅつ されていた。
近畿 きんき 地区 ちく の枠 わく が関東 かんとう 地区 ちく より多 おお いのは、開催 かいさい 地 ち である甲子園 こうしえん 球場 きゅうじょう の地元 じもと であるほか終戦 しゅうせん 直後 ちょくご GHQ (連合 れんごう 国軍 こくぐん 総 そう 司令 しれい 部 ぶ )から「なぜ甲子園 こうしえん 大会 たいかい が2つもあるんだ? 1つでいいじゃないか?」という指摘 してき に対 たい して当時 とうじ の毎日新聞 まいにちしんぶん 大阪 おおさか 本社 ほんしゃ 編集 へんしゅう 局長 きょくちょう (後 のち に社長 しゃちょう )の本田 ほんだ 親男 ちかお は「春 はる と夏 なつ では違 ちが う意義 いぎ がある。選考 せんこう 基準 きじゅん も違 ちが う」と説 と き伏 ふ せて存続 そんぞく させた影響 えいきょう が大 おお きい[5] [6] [7] 。
中国 ちゅうごく ・四国 しこく 地区 ちく の枠 わく が東海 とうかい 地区 ちく よりも多 おお いのは、甲子園 こうしえん 球場 きゅうじょう に比較的 ひかくてき 近 ちか いほか夏 なつ の選手権 せんしゅけん 大会 たいかい が1978年 ねん の第 だい 60回 かい 大会 たいかい までは5年 ねん おきの記念 きねん 大会 たいかい を除 のぞ きすべての都道府県 とどうふけん から代表 だいひょう を出 だ さなかったこともあり強豪 きょうごう 校 こう がもともと多 おお かった中国 ちゅうごく ・四国 しこく 地方 ちほう では代表 だいひょう 決定 けってい 戦 せん で涙 なみだ を呑 の む学校 がっこう が後 こう を絶 た たなかったため枠 わく を多 おお くとったものと思 おも われる[8] 。
第 だい 75回 かい 大会 たいかい まで各 かく 地区 ちく の出場 しゅつじょう 枠 わく は明文化 めいぶんか されておらず、選考 せんこう 委員 いいん 会 かい で決定 けってい していたが[注釈 ちゅうしゃく 3] 、第 だい 76回 かい 大会 たいかい 以降 いこう 前年 ぜんねん 7月 がつ の運営 うんえい 委員 いいん 会 かい で出場 しゅつじょう 枠 わく が決定 けってい され、一般 いっぱん 枠 わく は各 かく 地区 ちく の枠 わく が明文化 めいぶんか されるようになった。同 どう 大会 たいかい 以降 いこう も各 かく 地区 ちく の基本 きほん 枠 わく は現在 げんざい に至 いた るまで変動 へんどう していない。
選考 せんこう は地区 ちく 別 べつ の小 しょう 委員 いいん 会 かい で行 おこな われる。委員 いいん 会 かい の区分 くわ けは「北海道 ほっかいどう ・関東 かんとう ・東京 とうきょう 」「東北 とうほく ・近畿 きんき 」「東海 とうかい ・北信越 ほくしんえつ ・九州 きゅうしゅう 」「中国 ちゅうごく ・四国 しこく 」。選考 せんこう 委員 いいん は地区 ちく ごとに異 こと なるため、地区 ちく によって全 まった く逆 ぎゃく の基準 きじゅん により選考 せんこう がなされる場合 ばあい がある[注釈 ちゅうしゃく 4] [9] 。
上記 じょうき の通 とお り、秋季 しゅうき 大会 たいかい は当 とう 大会 たいかい の予選 よせん ではなく参考 さんこう 資料 しりょう にすぎないため、秋季 しゅうき 大会 たいかい の上位 じょうい 校 こう を差 さ し置 お いて下位 かい 校 こう が選出 せんしゅつ される「逆転 ぎゃくてん 現象 げんしょう 」が発生 はっせい する場合 ばあい もある。21世紀 せいき 枠 わく 導入 どうにゅう 以前 いぜん は秋季 しゅうき 地区 ちく 大会 たいかい での直接 ちょくせつ 対決 たいけつ に敗 やぶ れながら逆転 ぎゃくてん 選出 せんしゅつ される例 れい も見 み られた。
1969年 ねん の秋季 しゅうき 東京 とうきょう 大会 たいかい において帝京 ていきょう 商工 しょうこう (現 げん :帝京大 ていきょうだい 高 だか )が準 じゅん 優勝 ゆうしょう し、東京 とうきょう 都 と 高野連 こうやれん も翌年 よくねん の第 だい 42回 かい 大会 たいかい に推薦 すいせん した。しかし高野連 こうやれん の選出 せんしゅつ 委員 いいん 会 かい は、帝京 ていきょう 商工 しょうこう の火事 かじ による資料 しりょう の喪失 そうしつ から戦力 せんりょく 分析 ぶんせき が不可能 ふかのう との理由 りゆう で帝京 ていきょう 商工 しょうこう を選出 せんしゅつ しなかった。帝京 ていきょう 商工 しょうこう はこれを不満 ふまん として1970年 ねん 2月 がつ 20日 はつか に高野連 こうやれん を相手取 あいてど り、代表 だいひょう 決定 けってい の効力 こうりょく 停止 ていし の仮処分 かりしょぶん を大阪 おおさか 地方裁判所 ちほうさいばんしょ に申 もう し立 た てた。これに対 たい して東京 とうきょう 都 と 高野連 こうやれん は同校 どうこう の対外 たいがい 試合 しあい を禁止 きんし する制裁 せいさい を決定 けってい 。さらにこの制裁 せいさい に対 たい して同校 どうこう は東京 とうきょう 地方裁判所 ちほうさいばんしょ に仮処分 かりしょぶん を申請 しんせい するなどの泥仕合 どろじあい となった。この際 さい に帝京 ていきょう 商工 しょうこう 側 がわ が「選抜 せんばつ 落選 らくせん や試合 しあい 禁止 きんし は野球 やきゅう 選手 せんしゅ としての就職 しゅうしょく が不利 ふり になる」としたことから高校 こうこう 野球 やきゅう においてそのような考 かんが え方 かた の是非 ぜひ について議論 ぎろん を巻 ま き起 お こした。3月9日 にち には対外 たいがい 試合 しあい 禁止 きんし が撤回 てっかい され、3月12日 にち には大阪 おおさか 地方裁判所 ちほうさいばんしょ で申 もう し立 た てが却下 きゃっか され、続 つづ いて東京 とうきょう 地方裁判所 ちほうさいばんしょ に対 たい する申 もう し立 た ても取 と り下 さ げられ問題 もんだい は決着 けっちゃく した。なお第 だい 42回 かい 大会 たいかい には、東京 とうきょう 都 と からは東京 とうきょう 大会 たいかい 優勝 ゆうしょう の日大三 にちだいさん とベスト4の堀越 ほりこし が出場 しゅつじょう した。
1993年 ねん の第 だい 65回 かい 記念 きねん 大会 たいかい において、前年 ぜんねん の近畿 きんき 大会 たいかい ベスト8の京都 きょうと 成章 せいしょう が補欠 ほけつ 校 こう 止 と まりであったのに対 たい し、同校 どうこう が1回戦 かいせん で破 やぶ った川西 かわにし 明 あきら 峰 ほう が選出 せんしゅつ されている。
2003年 ねん の第 だい 75回 かい 記念 きねん 大会 たいかい において、前年 ぜんねん の北信越 ほくしんえつ 大会 たいかい ベスト8の福井 ふくい が同 どう 準 じゅん 優勝 ゆうしょう の福井 ふくい 商 しょう を上回 うわまわ って選出 せんしゅつ されている[注釈 ちゅうしゃく 5] 。
2018年 ねん の第 だい 90回 かい 記念 きねん 大会 たいかい において、前年 ぜんねん の四国 しこく 大会 たいかい ベスト8の高知 こうち が同 どう ベスト4の高松 たかまつ 商 しょう を上回 うわまわ って選出 せんしゅつ されている[10] 。
2022年 ねん の第 だい 94回 かい 大会 たいかい において、前年 ぜんねん の東海 とうかい 大会 たいかい ベスト4の大垣 おおがき 日大 にちだい が同 どう 準 じゅん 優勝 ゆうしょう の聖 せい 隷クリストファー を上回 うわまわ って選出 せんしゅつ されている[11] [12] 。第 だい 94回 かい 大会 たいかい の件 けん に関 かん してはSNS上 じょう で物議 ぶつぎ を醸 かも したほか主催 しゅさい の毎日新聞社 まいにちしんぶんしゃ にも多 おお くの意見 いけん が寄 よ せられたため同年 どうねん 2月 がつ 4日 にち 付 づけ 毎日新聞 まいにちしんぶん 朝刊 ちょうかん で「センバツ出場 しゅつじょう 校 こう について 毎日新聞 まいにちしんぶん からのご説明 せつめい 」を掲載 けいさい した[13] [14] 。出場 しゅつじょう 校 こう の選考 せんこう をめぐってこのような掲載 けいさい を行 おこな うことは前代未聞 ぜんだいみもん だった。同年 どうねん 2月 がつ 17日 にち の衆議院 しゅうぎいん 予算 よさん 委員 いいん 会 かい 分会 ぶんかい では、立憲 りっけん 民主党 みんしゅとう の源馬 げんま 謙太郎 けんたろう (静岡 しずおか 8区 く )が文部 もんぶ 科学 かがく 大臣 だいじん の末松 すえまつ 信介 しんすけ にこの問題 もんだい をただした[15] [16] [注釈 ちゅうしゃく 6] 。
「春 はる は投手 とうしゅ 力 りょく 」という格言 かくげん があることから[18] 、当落 とうらく 線 せん 上 じょう の場合 ばあい はプロ注目 ちゅうもく の好 こう 投手 とうしゅ を擁 よう する学校 がっこう が選出 せんしゅつ されやすい傾向 けいこう にある[注釈 ちゅうしゃく 7] 。
記念 きねん 大会 たいかい は一般 いっぱん 選考 せんこう 枠 わく で出場 しゅつじょう 校 こう が1枠 わく 多 おお く選出 せんしゅつ される地区 ちく がある。
一般 いっぱん 選考 せんこう 枠 わく 一覧 いちらん
地区 ちく
2024年 ねん から現在 げんざい
2004年 ねん から2023年 ねん
2003年 ねん
2002年 ねん
1991年 ねん から2001年 ねん
1983年 ねん から1988年 ねん
1973年 ねん から1982年 ねん
北海道 ほっかいどう
北海道 ほっかいどう
1
北海道 ほっかいどう
1
北海道 ほっかいどう
1
北海道 ほっかいどう
1
北海道 ほっかいどう
1
北海道 ほっかいどう
1
北海道 ほっかいどう
1.5
東北 とうほく
青森 あおもり 岩手 いわて 宮城 みやぎ 秋田 あきた 山形 やまがた 福島 ふくしま
3
青森 あおもり 岩手 いわて 宮城 みやぎ 秋田 あきた 山形 やまがた 福島 ふくしま
2
青森 あおもり 岩手 いわて 宮城 みやぎ 秋田 あきた 山形 やまがた 福島 ふくしま
2
青森 あおもり 岩手 いわて 宮城 みやぎ 秋田 あきた 山形 やまがた 福島 ふくしま
2
青森 あおもり 岩手 いわて 宮城 みやぎ 秋田 あきた 山形 やまがた 福島 ふくしま
2
青森 あおもり 岩手 いわて 宮城 みやぎ 秋田 あきた 山形 やまがた 福島 ふくしま
2
青森 あおもり 岩手 いわて 宮城 みやぎ 秋田 あきた 山形 やまがた 福島 ふくしま
2
関東 かんとう
茨城 いばらき 栃木 とちぎ 群馬 ぐんま 埼玉 さいたま 千葉 ちば 神奈川 かながわ 山梨 やまなし
4.5
茨城 いばらき 栃木 とちぎ 群馬 ぐんま 埼玉 さいたま 千葉 ちば 神奈川 かながわ 山梨 やまなし
4.5
茨城 いばらき 栃木 とちぎ 群馬 ぐんま 埼玉 さいたま 千葉 ちば 神奈川 かながわ 山梨 やまなし
4.5
茨城 いばらき 栃木 とちぎ 群馬 ぐんま 埼玉 さいたま 千葉 ちば 神奈川 かながわ 山梨 やまなし
4
茨城 いばらき 栃木 とちぎ 群馬 ぐんま 埼玉 さいたま 千葉 ちば 神奈川 かながわ 山梨 やまなし
5
茨城 いばらき 栃木 とちぎ 群馬 ぐんま 埼玉 さいたま 千葉 ちば 神奈川 かながわ 山梨 やまなし
4
茨城 いばらき 栃木 とちぎ 群馬 ぐんま 埼玉 さいたま 千葉 ちば 神奈川 かながわ 山梨 やまなし
3
東京 とうきょう
東京 とうきょう
1.5
東京 とうきょう
1.5
東京 とうきょう
1.5
東京 とうきょう
2
東京 とうきょう
2
東京 とうきょう
2
東京 とうきょう
1.5
東海 とうかい [注釈 ちゅうしゃく 8]
愛知 あいち 岐阜 ぎふ 三重 みえ 静岡 しずおか
3
愛知 あいち 岐阜 ぎふ 三重 みえ 静岡 しずおか
2
愛知 あいち 岐阜 ぎふ 三重 みえ 静岡 しずおか
3
愛知 あいち 岐阜 ぎふ 三重 みえ 静岡 しずおか
3
愛知 あいち 岐阜 ぎふ 三重 みえ 静岡 しずおか
3
愛知 あいち 岐阜 ぎふ 三重 みえ 静岡 しずおか
3
愛知 あいち 岐阜 ぎふ 三重 みえ 静岡 しずおか
3
北信越 ほくしんえつ
富山 とやま 石川 いしかわ 福井 ふくい 長野 ながの 新潟 にいがた
2
富山 とやま 石川 いしかわ 福井 ふくい 長野 ながの 新潟 にいがた
2
富山 とやま 石川 いしかわ 福井 ふくい 長野 ながの 新潟 にいがた
2
富山 とやま 石川 いしかわ 福井 ふくい 長野 ながの 新潟 にいがた
2
富山 とやま 石川 いしかわ 福井 ふくい 長野 ながの 新潟 にいがた
2
富山 とやま 石川 いしかわ 福井 ふくい 長野 ながの 新潟 にいがた
2
富山 とやま 石川 いしかわ 福井 ふくい 長野 ながの 新潟 にいがた
1.5
近畿 きんき
大阪 おおさか 京都 きょうと 兵庫 ひょうご 奈良 なら 滋賀 しが 和歌山 わかやま
6
大阪 おおさか 京都 きょうと 兵庫 ひょうご 奈良 なら 滋賀 しが 和歌山 わかやま
6
大阪 おおさか 京都 きょうと 兵庫 ひょうご 奈良 なら 滋賀 しが 和歌山 わかやま
6
大阪 おおさか 京都 きょうと 兵庫 ひょうご 奈良 なら 滋賀 しが 和歌山 わかやま
6
大阪 おおさか 京都 きょうと 兵庫 ひょうご 奈良 なら 滋賀 しが 和歌山 わかやま
7
大阪 おおさか 京都 きょうと 兵庫 ひょうご 奈良 なら 滋賀 しが 和歌山 わかやま
7
大阪 おおさか 京都 きょうと 兵庫 ひょうご 奈良 なら 滋賀 しが 和歌山 わかやま
6.5
中国 ちゅうごく
鳥取 とっとり 島根 しまね 岡山 おかやま 広島 ひろしま 山口 やまぐち
2
鳥取 とっとり 島根 しまね 岡山 おかやま 広島 ひろしま 山口 やまぐち
2.5
鳥取 とっとり 島根 しまね 岡山 おかやま 広島 ひろしま 山口 やまぐち
3
鳥取 とっとり 島根 しまね 岡山 おかやま 広島 ひろしま 山口 やまぐち
3
鳥取 とっとり 島根 しまね 岡山 おかやま 広島 ひろしま 山口 やまぐち
3
鳥取 とっとり 島根 しまね 岡山 おかやま 広島 ひろしま 山口 やまぐち
3.5
鳥取 とっとり 島根 しまね 岡山 おかやま 広島 ひろしま 山口 やまぐち
3.5
四国 しこく
香川 かがわ 愛媛 えひめ 徳島 とくしま 高知 こうち
2
香川 かがわ 愛媛 えひめ 徳島 とくしま 高知 こうち
2.5
香川 かがわ 愛媛 えひめ 徳島 とくしま 高知 こうち
3
香川 かがわ 愛媛 えひめ 徳島 とくしま 高知 こうち
3
香川 かがわ 愛媛 えひめ 徳島 とくしま 高知 こうち
3
香川 かがわ 愛媛 えひめ 徳島 とくしま 高知 こうち
3.5
香川 かがわ 愛媛 えひめ 徳島 とくしま 高知 こうち
3.5
九州 きゅうしゅう
福岡 ふくおか 佐賀 さが 長崎 ながさき 熊本 くまもと 大分 おおいた 宮崎 みやざき 鹿児島 かごしま 沖縄 おきなわ
4
福岡 ふくおか 佐賀 さが 長崎 ながさき 熊本 くまもと 大分 おおいた 宮崎 みやざき 鹿児島 かごしま 沖縄 おきなわ
4
福岡 ふくおか 佐賀 さが 長崎 ながさき 熊本 くまもと 大分 おおいた 宮崎 みやざき 鹿児島 かごしま 沖縄 おきなわ
4
福岡 ふくおか 佐賀 さが 長崎 ながさき 熊本 くまもと 大分 おおいた 宮崎 みやざき 鹿児島 かごしま 沖縄 おきなわ
4
福岡 ふくおか 佐賀 さが 長崎 ながさき 熊本 くまもと 大分 おおいた 宮崎 みやざき 鹿児島 かごしま 沖縄 おきなわ
4
福岡 ふくおか 佐賀 さが 長崎 ながさき 熊本 くまもと 大分 おおいた 宮崎 みやざき 鹿児島 かごしま 沖縄 おきなわ
4
福岡 ふくおか 佐賀 さが 長崎 ながさき 熊本 くまもと 大分 おおいた 宮崎 みやざき 鹿児島 かごしま 沖縄 おきなわ
3.5
明治 めいじ 神宮 じんぐう 大会 たいかい 枠 わく [ 編集 へんしゅう ]
第 だい 75回 かい 大会 たいかい (2003年 ねん )から設 もう けられる。明治 めいじ 神宮 じんぐう 大会 たいかい 枠 わく は11月の明治 めいじ 神宮 じんぐう 大会 たいかい 優勝 ゆうしょう 校 こう が所属 しょぞく する地区 ちく に与 あた えられ、その地区 ちく の一般 いっぱん 選考 せんこう 枠 わく が1つ増 ふ える形 かたち となる。第 だい 80回 かい 大会 たいかい (2008年 ねん )は記念 きねん 大会 たいかい で1校 こう 増 ぞう の2枠 わく で、優勝 ゆうしょう 校 こう ・準 じゅん 優勝 ゆうしょう 校 こう を出 だ した地区 ちく に枠 わく が与 あた えられた。この枠 わく ができ、一般 いっぱん 枠 わく の1道府県 どうふけん 2校 こう までが確定 かくてい した。東京 とうきょう のみ、神宮 じんぐう 枠 わく を獲得 かくとく し関東 かんとう との比較 ひかく により一般 いっぱん 枠 わく が2となった場合 ばあい に3校 こう 出場 しゅつじょう の可能 かのう 性 せい がある[21] 。
なお、大会 たいかい で優勝 ゆうしょう した高校 こうこう が自動的 じどうてき に「神宮 じんぐう 枠 わく 」で出場 しゅつじょう できるわけではない。優勝 ゆうしょう した高校 こうこう の地区 ちく で選考 せんこう を最後 さいご に通過 つうか した高校 こうこう が「神宮 じんぐう 枠 わく で選出 せんしゅつ 」されたことにはなるが、高野連 こうやれん は「神宮 じんぐう 枠 わく 」という扱 あつか いをしていない[22] 。最後 さいご の枠 わく が別 べつ 地区 ちく 同士 どうし の比較 ひかく となる関東 かんとう と東京 とうきょう 、中国 ちゅうごく と四国 しこく は、その比較 ひかく の前 まえ に該当 がいとう 地区 ちく から1校 こう 多 おお く選出 せんしゅつ する[23] 。
第 だい 93回 かい 大会 たいかい (2021年 ねん )は前年 ぜんねん (2020年 ねん )に新型 しんがた コロナウイルス感染 かんせん 症 しょう (COVID-19)拡大 かくだい 防止 ぼうし のため開催 かいさい 中止 ちゅうし 。明治 めいじ 神宮 じんぐう 大会 たいかい 枠 わく の1枠 わく は、後述 こうじゅつ の21世紀 せいき 枠 わく に振 ふ り替 か えを行 おこな った。
神宮 じんぐう 枠 わく 設定 せってい 後 ご 、明治 めいじ 神宮 じんぐう 大会 たいかい 優勝 ゆうしょう 校 こう で選抜 せんばつ を制 せい したのは第 だい 94回 かい 大会 たいかい (2022年 ねん )の大阪桐蔭 おおさかとういん が初 はじ めて。
2001年 ねん が21世紀 せいき 最初 さいしょ の年 とし であることに因 ちな み、同年 どうねん 開催 かいさい の第 だい 73回 かい 大会 たいかい から設 もう けられた。
部員 ぶいん 不足 ふそく やグラウンドがない、豪雪 ごうせつ 地帯 ちたい といった学校 がっこう ・地域 ちいき の特性 とくせい などの困難 こんなん を克服 こくふく した学校 がっこう や、ボランティア 活動 かつどう といった野球 やきゅう 以外 いがい の活動 かつどう での地域 ちいき 貢献 こうけん で他校 たこう の模範 もはん となる学校 がっこう を選出 せんしゅつ 。推薦 すいせん は2012年 ねん までは基本 きほん 的 てき に各 かく 都道府県 とどうふけん の秋季 しゅうき 大会 たいかい で参加 さんか 校 こう 数 すう が128校 こう を上回 うわまわ る都道府県 とどうふけん ではベスト16、それ以外 いがい の県 けん ではベスト8以上 いじょう のチーム、2013年 ねん 以降 いこう は128校 こう を上回 うわまわ る都道府県 とどうふけん ではベスト32、それ以外 いがい の県 けん ではベスト16以上 いじょう [注釈 ちゅうしゃく 9] と改定 かいてい された。選考 せんこう は各 かく 都道府県 とどうふけん の高野連 こうやれん が推薦 すいせん 校 こう 1校 こう を選出 せんしゅつ し、そこから各 かく 地区 ちく (全国 ぜんこく 9地区 ちく )の代表 だいひょう 推薦 すいせん 校 こう となった高校 こうこう の中 なか から2校 こう が出場 しゅつじょう 校 こう に選出 せんしゅつ される。選考 せんこう 基準 きじゅん について大会 たいかい を主催 しゅさい する毎日新聞 まいにちしんぶん は
「勝敗 しょうはい にこだわらず多角 たかく 的 てき に出場 しゅつじょう 校 こう を選 えら ぶセンバツ大会 たいかい の特性 とくせい を生 い かし、技能 ぎのう だけではなく高校 こうこう 野球 やきゅう の模範 もはん 的 てき な姿 すがた を実践 じっせん している学校 がっこう を以下 いか の基準 きじゅん に沿 そ って選 えら ぶ。 」
とした上 うえ で、
「少数 しょうすう 部員 ぶいん 、施設 しせつ 面 めん のハンディ、自然 しぜん 災害 さいがい など困難 こんなん な環境 かんきょう の克服 こくふく ・学業 がくぎょう と部 ぶ 活動 かつどう の両立 りょうりつ ・近年 きんねん の試合 しあい 成績 せいせき が良好 りょうこう ながら、強豪 きょうごう 校 こう に惜敗 せきはい するなどして甲子園 こうしえん 出場 しゅつじょう 機会 きかい に恵 めぐ まれていない・創意 そうい 工夫 くふう した練習 れんしゅう で成果 せいか を上 あ げている・校内 こうない 、地域 ちいき での活動 かつどう が他 た の生徒 せいと や他校 たこう 、地域 ちいき に好影響 こうえいきょう を与 あた えている 」
学校 がっこう を選出 せんしゅつ すると公表 こうひょう している[24] 。
選考 せんこう 委員 いいん 会 かい ではまず推薦 すいせん 理由 りゆう 説明 せつめい 会 かい において候補 こうほ 校 こう のある都道府県 とどうふけん 高野連 こうやれん の理事 りじ 長 ちょう がプレゼンテーションを行 おこな い、続 つづ く特別 とくべつ 選考 せんこう 委員 いいん 会 かい において主催 しゅさい 者 しゃ と外部 がいぶ 有識者 ゆうしきしゃ からなる委員 いいん との質疑 しつぎ 応答 おうとう を経 へ て決定 けってい される[25] [26] 。2001年 ねん から2007年 ねん までは東日本 ひがしにっぽん と西日本 にしにほん から1校 こう ずつ[注釈 ちゅうしゃく 10] 。第 だい 80回 かい 大会 たいかい (2008年 ねん )は記念 きねん 大会 たいかい による1校 こう 増 ぞう の3校 こう で「北海道 ほっかいどう 、東北 とうほく 、関東 かんとう ・東京 とうきょう 」(=東日本 ひがしにっぽん )、「東海 とうかい 、北信越 ほくしんえつ 、近畿 きんき 」(=中 ちゅう 日本 にっぽん )、「中国 ちゅうごく 、四国 しこく 、九州 きゅうしゅう 」(=西日本 にしにほん )から各 かく 1校 こう が選出 せんしゅつ 。第 だい 81回 かい 大会 たいかい (2009年 ねん )からは東日本 ひがしにっぽん 1校 こう 、西日本 にしにほん 1校 こう 、地域 ちいき 限定 げんてい なし1校 こう の3校 こう が選出 せんしゅつ されている。第 だい 85回 かい 大会 たいかい (2013年 ねん )と第 だい 93回 かい 大会 たいかい (2021年 ねん )は東日本 ひがしにっぽん 2校 こう 、西日本 にしにほん 2校 こう の4校 こう が選出 せんしゅつ された[注釈 ちゅうしゃく 11] 。第 だい 96回 かい 大会 たいかい (2024年 ねん )から再 ふたた び2校 こう となっているが、今回 こんかい からは東西 とうざい の地域 ちいき 限定 げんてい の分 わ け隔 へだ てなしで2校 こう を選出 せんしゅつ する。
なお、21世紀 せいき 枠 わく で選抜 せんばつ 大会 たいかい 出場 しゅつじょう 校 こう に選出 せんしゅつ されなかった高校 こうこう は一般 いっぱん 選考 せんこう 枠 わく で選出 せんしゅつ 対象 たいしょう となる[注釈 ちゅうしゃく 12] 。
21世紀 せいき 枠 わく 一覧 いちらん
地区 ちく
2024年 ねん から現在 げんざい
2008年 ねん から2023年 ねん
2001年 ねん から2007年 ねん
東日本 ひがしにっぽん
北海道 ほっかいどう 東北 とうほく 関東 かんとう 東京 とうきょう 東海 とうかい 北信越 ほくしんえつ 近畿 きんき 中国 ちゅうごく 四国 しこく 九州 きゅうしゅう
2
北海道 ほっかいどう 東北 とうほく 関東 かんとう 東京 とうきょう 東海 とうかい 北信越 ほくしんえつ
1.5
北海道 ほっかいどう 東北 とうほく 関東 かんとう 東京 とうきょう 東海 とうかい 北信越 ほくしんえつ
2
西日本 にしにほん
近畿 きんき 中国 ちゅうごく 四国 しこく 九州 きゅうしゅう
1.5
近畿 きんき 中国 ちゅうごく 四国 しこく 九州 きゅうしゅう
第 だい 73回 かい 大会 たいかい (2001年 ねん )に前年 ぜんねん 優勝 ゆうしょう 校 こう 枠 わく 以来 いらい の特別 とくべつ 出場 しゅつじょう 案 あん として21世紀 せいき 枠 わく が誕生 たんじょう したが、公立 こうりつ 進学校 しんがくこう ・伝統 でんとう 校 こう や困難 こんなん 克服 こくふく 校 こう が優先 ゆうせん して選出 せんしゅつ される傾向 けいこう にある。
“他校 たこう の模範 もはん であること”を根拠 こんきょ に名門 めいもん の大学 だいがく へ現役 げんえき 合格 ごうかく 者 しゃ 多数 たすう 、学校 がっこう 全体 ぜんたい での「朝 あさ の読書 どくしょ 」推進 すいしん 、「青少年 せいしょうねん 赤十字 せきじゅうじ 部 ぶ 」の活動 かつどう 、生徒 せいと のボランティア 活動 かつどう 、果 は ては災害 さいがい 被災 ひさい 地 ち 所在 しょざい で頑張 がんば っている、など野球 やきゅう そのものとは直接 ちょくせつ 関係 かんけい のない事象 じしょう により推薦 すいせん されるケースがある。さらに、過去 かこ の選出 せんしゅつ 校 こう のほとんどが一般 いっぱん 選考 せんこう ライン一 いち 歩 ほ 手前 てまえ で敗 やぶ れており、実質 じっしつ 的 てき には地区 ちく 大会 たいかい 出場 しゅつじょう 校 こう の救済 きゅうさい 枠 わく となっている。
過去 かこ に優勝 ゆうしょう 経験 けいけん のある学校 がっこう や、県内 けんない では強豪 きょうごう といわれる学校 がっこう が選考 せんこう されている。2009年 ねん の利府 りふ 、2010年 ねん の山形 やまがた 中央 ちゅうおう に至 いた っては困難 こんなん 克服 こくふく どころか、地元 じもと 紙 し の特集 とくしゅう において「恵 めぐ まれた環境 かんきょう 」[27] とされていた(普通 ふつう 科 か と別 べつ に専 せん 科 か が設置 せっち されているため、他 た の公立 こうりつ 高校 こうこう に比 くら べ選手 せんしゅ が集 あつ まりやすい傾向 けいこう にある)。選考 せんこう 理由 りゆう の1つに練習 れんしゅう 環境 かんきょう の困難 こんなん さを掲 かか げていた2016年 ねん の長田 ながた も実際 じっさい には野球 やきゅう 部 ぶ 公式 こうしき サイトで特徴 とくちょう の1つとして「充実 じゅうじつ した練習 れんしゅう 環境 かんきょう 」を掲 かか げており、両翼 りょうよく 100メートル、中堅 ちゅうけん 115メートルのグラウンドを「神戸 こうべ 市内 しない の県立 けんりつ 高校 こうこう では屈指 くっし の広 ひろ さ」としてアピールしていた[28] 。また、「他校 たこう の模範 もはん となるチーム」を選出 せんしゅつ する枠 わく でありながら、2006年 ねん から2010年 ねん まで・2014年 ねん は都道府県 とどうふけん 推薦 すいせん 校 こう が不祥事 ふしょうじ により推薦 すいせん を取 と り消 け されたり辞退 じたい したりする事態 じたい [29] 、果 は ては選出 せんしゅつ 校 こう がのちに部内 ぶない 暴力 ぼうりょく で連盟 れんめい から処分 しょぶん される事態 じたい [30] までも発生 はっせい している。また、2002年 ねん に「文武両道 ぶんぶりょうどう 」を理由 りゆう に選出 せんしゅつ された松江北 まつえきた の主戦 しゅせん 投手 とうしゅ は、学業 がくぎょう に専念 せんねん するため夏 なつ の大会 たいかい を前 まえ に退 すさ 部 ぶ している(その後 ご 東京大学 とうきょうだいがく を受験 じゅけん し、現役 げんえき での合格 ごうかく はならなかったが、一浪 いちろう の末 すえ に合格 ごうかく している)[31] 。2011年 ねん の第 だい 83回 かい 大会 たいかい では見直 みなお しが行 おこな われるはずだったが、結局 けっきょく は地区 ちく 大会 たいかい の成績 せいせき に「原則 げんそく 」が付記 ふき され、出場 しゅつじょう 校 こう 選出 せんしゅつ の最終 さいしゅう 優先 ゆうせん 条件 じょうけん が「30年 ねん 以上 いじょう 出場 しゅつじょう がない学校 がっこう 」から「出場 しゅつじょう から、より遠 とお ざかっている学校 がっこう 」となったのみで、事実 じじつ 上 じょう の前例 ぜんれい 踏襲 とうしゅう となった。2012年 ねん の第 だい 84回 かい 大会 たいかい において洲本 すもと が30年 ねん 以内 いない に出場 しゅつじょう 経験 けいけん のある学校 がっこう として初 はじ めて選出 せんしゅつ された。2023年 ねん の第 だい 95回 かい 大会 たいかい では石橋 いしばし ・氷見 ひみ ・城東 じょうとう の3校 こう が選出 せんしゅつ された理由 りゆう として「マナーのいい、キビキビ動 うご く校 こう を選 えら んだ」と委員 いいん からコメントがあり、有力 ゆうりょく 視 し されていながら選 せん に漏 も れた小野 おの の監督 かんとく ・北垣 きたがき 賢 けん 高 だか は「じゃあウチはそうじゃないのか(どの校 こう だってそうなはずだ)」と疑問 ぎもん を呈 てい した[32] 。
なお、この枠 わく で出場 しゅつじょう した高校 こうこう は公立 こうりつ 校 こう がほとんどである。私立 しりつ 校 こう は2013年 ねん の土佐 とさ 1校 こう のみである(2024年 ねん 現在 げんざい )。
2024年 ねん 現在 げんざい 、初戦 しょせん の成績 せいせき は14勝 しょう 49敗 はい 。通算 つうさん 成績 せいせき は20勝 しょう 63敗 はい 。21世紀 せいき 枠 わく で出場 しゅつじょう 後 ご 、同年 どうねん 夏 なつ の選手権 せんしゅけん 大会 たいかい に出場 しゅつじょう した学校 がっこう は2001年 ねん の宜野座 ぎのざ (第 だい 83回 かい 大会 たいかい )、2010年 ねん の山形 やまがた 中央 ちゅうおう (第 だい 92回 かい 大会 たいかい )の2校 こう である。2022年 ねん には丹生 たんじょう が広島商 ひろしましょう に7-22で大敗 たいはい している。このためインターネット上 じょう では「21世紀 せいき 枠 わく には勝 か って当 あ たり前 まえ 」とまで言 い われている[33] 。
21世紀 せいき 枠 わく 出場 しゅつじょう 校 こう 一覧 いちらん (太字 ふとじ は選出 せんしゅつ 後 ご に甲子園 こうしえん 大会 たいかい に再度 さいど 出場 しゅつじょう した学校 がっこう 。2020年 ねん の「結果 けっか 」は甲子園 こうしえん 高校 こうこう 野球 やきゅう 交流 こうりゅう 試合 しあい での勝敗 しょうはい )
年 とし
地区 ちく
出場 しゅつじょう 校 こう
主 おも な選考 せんこう 理由 りゆう
結果 けっか
2001年 ねん
東日本 ひがしにっぽん
安積 あさか (福島 ふくしま )
創立 そうりつ 創部 そうぶ ともに県 けん 最古 さいこ であり、質実 しつじつ 剛健 ごうけん で考 かんが える野球 やきゅう を実践 じっせん した。
初戦 しょせん 敗退 はいたい
西日本 にしにほん
宜野座 ぎのざ (沖縄 おきなわ )
部員 ぶいん 全員 ぜんいん が地元 じもと 中学 ちゅうがく 出身 しゅっしん で地域 ちいき 貢献 こうけん を果 は たす。
ベスト4
2002年 ねん
東日本 ひがしにっぽん
鵡川 むかわ (北海道 ほっかいどう )
廃校 はいこう の危機 きき を乗 の り越 こ え、希望 きぼう の星 ほし となる。
2回戦 かいせん 敗退 はいたい
西日本 にしにほん
松江北 まつえきた (島根 しまね )
県内 けんない 屈指 くっし の進学校 しんがくこう 。
初戦 しょせん 敗退 はいたい
2003年 ねん
東日本 ひがしにっぽん
柏崎 かしわざき (新潟 にいがた )
豪雪 ごうせつ 地 ち のハンディを克服 こくふく 。
初戦 しょせん 敗退 はいたい
西日本 にしにほん
隠岐 おき (島根 しまね )
離島 りとう の過酷 かこく な条件 じょうけん を克服 こくふく 。
初戦 しょせん 敗退 はいたい
2004年 ねん
東日本 ひがしにっぽん
一関 いちのせき 一 いち (岩手 いわて )
県内 けんない 屈指 くっし の進学校 しんがくこう 。
初戦 しょせん 敗退 はいたい
西日本 にしにほん
八幡浜 やわたはま (愛媛 えひめ )
生徒 せいと 数 すう 大幅 おおはば 減少 げんしょう の中 なか で文武両道 ぶんぶりょうどう を徹底 てってい 。
初戦 しょせん 敗退 はいたい
2005年 ねん
東日本 ひがしにっぽん
一迫 いちはさま 商 しょう (宮城 みやぎ )
地域 ちいき 密着 みっちゃく の活動 かつどう で過疎 かそ の町 まち を勇気 ゆうき づけた。
2回戦 かいせん 敗退 はいたい
西日本 にしにほん
高松 たかまつ (香川 かがわ )
県内 けんない 屈指 くっし の進学校 しんがくこう 。
初戦 しょせん 敗退 はいたい
2006年 ねん
東日本 ひがしにっぽん
真岡 もおか 工 たくみ (栃木 とちぎ )
地元 じもと 密着 みっちゃく の選手 せんしゅ 育成 いくせい 。
初戦 しょせん 敗退 はいたい
西日本 にしにほん
金沢 かなざわ 桜丘 さくらがおか (石川 いしかわ )
県内 けんない 有数 ゆうすう の進学校 しんがくこう 。
初戦 しょせん 敗退 はいたい
2007年 ねん
東日本 ひがしにっぽん
都留 つる (山梨 やまなし )
部活 ぶかつ 時間 じかん 確保 かくほ のため、通常 つうじょう 10分 ぶん の休 やす み時間 じかん を7分 ふん に短縮 たんしゅく 。三宅 みやけ 島 とう 噴火 ふんか による避難 ひなん 生活 せいかつ 中 ちゅう だった都立 とりつ 三宅 みやけ 高校 こうこう と合同 ごうどう 練習 れんしゅう や試合 しあい を行 おこな った。
初戦 しょせん 敗退 はいたい
西日本 にしにほん
都城 みやこのじょう 泉ヶ丘 いずみがおか (宮崎 みやざき )
県内 けんない 有数 ゆうすう の進学校 しんがくこう 。狭 せま いグラウンドという悪条件 あくじょうけん を、工夫 くふう を凝 こ らした練習 れんしゅう で克服 こくふく 。
2回戦 かいせん 敗退 はいたい
2008年 ねん
東日本 ひがしにっぽん
安房 あわ (千葉 ちば )
創立 そうりつ 100年 ねん を超 こ える文武両道 ぶんぶりょうどう の進学校 しんがくこう 。房総半島 ぼうそうはんとう の南端 なんたん に位置 いち し、小規模 しょうきぼ 校 こう の多 おお い地元 じもと の中学 ちゅうがく 出身 しゅっしん 者 しゃ だけでチームを構成 こうせい 。
2回戦 かいせん 敗退 はいたい
中 ちゅう 日本 にっぽん
成章 しげあき (愛知 あいち )
創部 そうぶ 100年 ねん を誇 ほこ る県立 けんりつ の進学校 しんがくこう 。試合 しあい 会場 かいじょう まで長距離 ちょうきょり 移動 いどう する地理 ちり 的 てき なハンディを乗 の り越 こ え強豪 きょうごう 私立 しりつ 高 だか と接戦 せっせん を演 えん じた。
2回戦 かいせん 敗退 はいたい
西日本 にしにほん
華 はな 陵 りょう (山口 やまぐち )
全校 ぜんこう 生徒 せいと が日本 にっぽん 赤十字 せきじゅうじ の会員 かいいん で、青少年 せいしょうねん 赤十字 せきじゅうじ モデル校 こう の指定 してい を受 う けている。過去 かこ 4年間 ねんかん で春秋 しゅんじゅう 合 あ わせて中国 ちゅうごく 大会 たいかい に6回 かい 出場 しゅつじょう 。
3回戦 かいせん 敗退 はいたい
2009年 ねん
東日本 ひがしにっぽん [34]
利府 りふ (宮城 みやぎ )
地域 ちいき の清掃 せいそう 活動 かつどう に積極 せっきょく 的 てき に参加 さんか 。運動 うんどう 部員 ぶいん が小学校 しょうがっこう へ出前 でまえ 授業 じゅぎょう をしている。生徒 せいと が梨 なし 農家 のうか の手伝 てつだ いをしている。
ベスト4
西日本 にしにほん [34]
彦根 ひこね 東 ひがし (滋賀 しが )
右翼 うよく が左翼 さよく より30メートルも短 みじか い変形 へんけい グラウンドという悪条件 あくじょうけん を、工夫 くふう を凝 こ らした練習 れんしゅう で克服 こくふく 。
初戦 しょせん 敗退 はいたい
地域 ちいき 限定 げんてい なし[34]
大分 おおいた 上野丘 うえのがおか (大分 おおいた )
県内 けんない 随一 ずいいち の進学校 しんがくこう 。放課後 ほうかご の練習 れんしゅう は2時 じ 間 あいだ までと決 き められていながら、2008年 ねん 秋季 しゅうき 大会 たいかい では九州 きゅうしゅう 大会 たいかい 出場 しゅつじょう を果 は たした文武両道 ぶんぶりょうどう 。
初戦 しょせん 敗退 はいたい
2010年 ねん
東日本 ひがしにっぽん [35]
山形 やまがた 中央 ちゅうおう (山形 やまがた )
野球 やきゅう ばかりでなくスキー、スケート、柔道 じゅうどう なども全国 ぜんこく トップレベルにある。率先 そっせん して学校 がっこう 周辺 しゅうへん の清掃 せいそう 活動 かつどう に取 と り組 く み、また部 ぶ の方針 ほうしん に「感謝 かんしゃ 」を掲 かか げ地域 ちいき 交流 こうりゅう にも取 と り組 く む。
初戦 しょせん 敗退 はいたい
地域 ちいき 限定 げんてい なし[35]
向陽 こうよう (和歌山 わかやま )
旧制 きゅうせい 海草 かいそう 中学 ちゅうがく 時代 じだい に嶋 しま 清一 せいいち などの活躍 かつやく で1939~40年 ねん に第 だい 25回 かい 、第 だい 26回 かい と全国 ぜんこく 大会 たいかい を連覇 れんぱ した名門 めいもん 校 こう 。清掃 せいそう 活動 かつどう など地域 ちいき とつながりも深 ふか く、副 ふく 主将 しゅしょう は生徒 せいと 会長 かいちょう を務 つと めて学校 がっこう 生活 せいかつ にも熱心 ねっしん に取 と り組 く む。
2回戦 かいせん 敗退 はいたい
西日本 にしにほん [35]
川島 かわしま (徳島 とくしま )
少 しょう 人数 にんずう 部員 ぶいん (18人 にん )、グラウンドが共用 きょうよう で使 つか える広 ひろ さがダイヤモンドとほぼ同 おな じという悪条件 あくじょうけん を、工夫 くふう をこらした練習 れんしゅう で克服 こくふく 。
初戦 しょせん 敗退 はいたい
2011年 ねん
地域 ちいき 限定 げんてい なし[36]
大館 おおだて 鳳 おおとり 鳴 な (秋田 あきた )
1898年 ねん 創立 そうりつ の進学校 しんがくこう 。部員 ぶいん 全員 ぜんいん が地元 じもと 出身 しゅっしん で、冬 ふゆ はボランティアで除雪 じょせつ を行 おこな い地域 ちいき に貢献 こうけん 。 「ベースボール」を「野球 やきゅう 」と訳 やく した中馬 ちゅうま 庚 かのえ が大正 たいしょう 期 き に校長 こうちょう を務 つと めていた。
初戦 しょせん 敗退 はいたい
東日本 ひがしにっぽん [36]
佐渡 さわたり (新潟 にいがた )
本州 ほんしゅう まで2時 じ 間 あいだ 半 はん かけて遠征 えんせい し練習 れんしゅう 試合 しあい を行 おこな う離島 りとう のハンディを乗 の り越 こ え、2010年 ねん 秋 あき の県 けん 大会 たいかい で準 じゅん 優勝 ゆうしょう 。 60条 じょう からなる「野球 やきゅう 部 ぶ 心得 こころえ 」を基 もと に人間 にんげん 力 りょく 向上 こうじょう に取 と り組 く む。
初戦 しょせん 敗退 はいたい
西日本 にしにほん [36]
城南 じょうなん (徳島 とくしま )
創立 そうりつ ・創部 そうぶ とも県内 けんない 最古 さいこ の歴史 れきし を持 も つ進学校 しんがくこう 。部員 ぶいん 全員 ぜんいん が近隣 きんりん 中学 ちゅうがく 出身 しゅっしん で、生徒 せいと 会 かい 活動 かつどう などに積極 せっきょく 的 てき に参加 さんか 。
2回戦 かいせん 敗退 はいたい
2012年 ねん
地域 ちいき 限定 げんてい なし[37]
女満別 めまんべつ (北海道 ほっかいどう )
全校 ぜんこう 生徒 せいと 134人 にん の小規模 しょうきぼ 校 こう で野球 やきゅう 部員 ぶいん は19人 にん 。氷点下 ひょうてんか 20度 ど を下回 したまわ る日 ひ が珍 めずら しくない寒冷 かんれい 地 ち の中 なか で、昨秋 さくしゅう の北海道 ほっかいどう 大会 たいかい ベスト16と健闘 けんとう した[38] 。
初戦 しょせん 敗退 はいたい
東日本 ひがしにっぽん [37]
石巻 いしのまき 工 こう (宮城 みやぎ )
前年 ぜんねん の東日本 ひがしにっぽん 大震災 だいしんさい で部員 ぶいん の殆 ほとん どや自 じ 校 こう のグラウンドが被災 ひさい したものの、その年 とし の秋季 しゅうき 大会 たいかい で準 じゅん 優勝 ゆうしょう を果 は たした。
初戦 しょせん 敗退 はいたい
西日本 にしにほん [37]
洲本 すもと (兵庫 ひょうご )
1953年 ねん 第 だい 25回 かい 選抜 せんばつ 高等 こうとう 学校 がっこう 野球 やきゅう 大会 たいかい 優勝 ゆうしょう 校 こう 。阪神 はんしん ・淡路 あわじ 大震災 だいしんさい 当時 とうじ に生 う まれた生徒 せいと が主力 しゅりょく で、県内 けんない の強豪 きょうごう 校 こう と互角 ごかく に戦 たたか い続 つづ けた[38] 。
初戦 しょせん 敗退 はいたい
2013年 ねん
地域 ちいき 限定 げんてい なし[39]
遠軽 えんがる (北海道 ほっかいどう )
町 まち 唯一 ゆいいつ の道 みち 立 りつ 校 こう で、生徒 せいと の8割 わり は町民 ちょうみん 。堀 ほり 達也 たつや ・元 もと 道 みち 知事 ちじ や安彦 やすひこ 良和 よしかず の母校 ぼこう 。町内 ちょうない の催事 さいじ に生徒 せいと や教職員 きょうしょくいん が積極 せっきょく 的 てき に参加 さんか 。
2回戦 かいせん 敗退 はいたい [注釈 ちゅうしゃく 13]
東日本 ひがしにっぽん [39]
いわき海星 かいせい (福島 ふくしま )
東日本 ひがしにっぽん 大震災 だいしんさい とそれに伴 ともな う大 だい 津波 つなみ や福島 ふくしま 第 だい 一 いち 原子力 げんしりょく 発電 はつでん 所 しょ 事故 じこ の渦中 かちゅう でも夢 ゆめ を諦 あきら めずに頑張 がんば る姿 すがた は、風評 ふうひょう 被害 ひがい に苦 くる しむ県民 けんみん に希望 きぼう と元気 げんき を与 あた えてくれる。
初戦 しょせん 敗退 はいたい
地域 ちいき 限定 げんてい なし[39]
益田 ますだ 翔 しょう 陽 ひ (島根 しまね )
他校 たこう の模範 もはん たり得 え るマナー、統合 とうごう により誕生 たんじょう した学校 がっこう で部員 ぶいん 確保 かくほ の苦労 くろう を克服 こくふく し、ボランティア活動 かつどう にも積極 せっきょく 的 てき に取 と り組 く んでいる。
初戦 しょせん 敗退 はいたい
西日本 にしにほん [39]
土佐 とさ (高知 こうち )
学校 がっこう は1920年 ねん 、野球 やきゅう 部 ぶ は1947年 ねん 創立 そうりつ と歴史 れきし を誇 ほこ る。 「文武両道 ぶんぶりょうどう 」と共 とも に掲 かか げられるモットー「全力 ぜんりょく 疾走 しっそう 」は全国 ぜんこく 的 てき に有名 ゆうめい 。
初戦 しょせん 敗退 はいたい
2014年 ねん
東日本 ひがしにっぽん [40]
小山台 こやまだい (東京 とうきょう )
都立 とりつ の進学校 しんがくこう 。限 かぎ られた練習 れんしゅう 時間 じかん や狭 せま いグラウンドなどの練習 れんしゅう 環境 かんきょう を克服 こくふく し、秋 あき の都 と 大会 たいかい で私立 しりつ の強豪 きょうごう 校 こう を破 やぶ り8強 きょう 入 い り。
初戦 しょせん 敗退 はいたい
西日本 にしにほん [40]
海南 かいなん (和歌山 わかやま )
旧制 きゅうせい 海南 かいなん 中学 ちゅうがく 時代 じだい および統合 とうごう した大成 たいせい 高校 こうこう を含 ふく め春 はる 夏 なつ 通算 つうさん 20回 かい 出場 しゅつじょう の伝統 でんとう 校 こう 。校舎 こうしゃ 改築 かいちく 工事 こうじ の影響 えいきょう でグラウンドが使用 しよう できない厳 きび しい練習 れんしゅう 環境 かんきょう の中 なか 、秋 あき の県 けん 大会 たいかい で準 じゅん 優勝 ゆうしょう 。
初戦 しょせん 敗退 はいたい
地域 ちいき 限定 げんてい なし[40]
大島 おおしま (鹿児島 かごしま )
奄美 あまみ 大島 おおしま の県立 けんりつ 校 こう でグラウンド周辺 しゅうへん にはハブも生息 せいそく 。試合 しあい 時 じ には鹿児島 かごしま 市内 しない までフェリーで11時 じ 間 あいだ かけて遠征 えんせい する離島 りとう のハンディを乗 の り越 こ え秋 あき の県 けん 大会 たいかい で4強 きょう 入 い り。
初戦 しょせん 敗退 はいたい
2015年 ねん
東日本 ひがしにっぽん [41]
豊橋 とよはし 工 こう (愛知 あいち )
整備 せいび 用 よう トンボや防 ぼう 球 だま ネットなど練習 れんしゅう 道具 どうぐ の多 おお くを手作 てづく りし、工業 こうぎょう 高校 こうこう らしい創意 そうい 工夫 くふう で練習 れんしゅう 環境 かんきょう を整 ととの えている。 また、毎朝 まいあさ 学校 がっこう 周辺 しゅうへん を清掃 せいそう し地域 ちいき に貢献 こうけん 。
初戦 しょせん 敗退 はいたい
地域 ちいき 限定 げんてい なし[41]
桐 きり 蔭 かげ (和歌山 わかやま )
和歌山 わかやま 中 ちゅう 時代 じだい に1915年 ねん 夏 なつ の第 だい 1回 かい 大会 たいかい から出場 しゅつじょう し春 はる 夏 なつ 計 けい 3度 ど 優勝 ゆうしょう した古豪 こごう 。高校 こうこう 野球 やきゅう 100年 ねん の節目 ふしめ の年 とし であり、草創 そうそう 期 き からの貢献 こうけん が重視 じゅうし され53年 ねん ぶりの出場 しゅつじょう 。
初戦 しょせん 敗退 はいたい
西日本 にしにほん [41]
松山東 まつやまひがし (愛媛 えひめ )
正岡子規 まさおかしき らが学 まな び夏目 なつめ 漱石 そうせき も教壇 きょうだん に立 た った県内 けんない 最古 さいこ の伝統 でんとう 校 こう 。文部 もんぶ 科学 かがく 省 しょう 指定 してい 「スーパーグローバルハイスクール 」で文武両道 ぶんぶりょうどう を実践 じっせん し、史上 しじょう 最長 さいちょう ブランクとなる82年 ねん (77大会 たいかい )ぶりの出場 しゅつじょう 。
2回戦 かいせん 敗退 はいたい
2016年 ねん
東日本 ひがしにっぽん [42]
釜石 かまいし (岩手 いわて )
東日本 ひがしにっぽん 大震災 だいしんさい で部員 ぶいん 24人 にん 中 ちゅう 9人 にん が自宅 じたく を失 うしな い、親 おや を亡 な くした部員 ぶいん もいる。 グラウンドを6つの運動 うんどう 部 ぶ で共用 きょうよう する厳 きび しい環境 かんきょう に負 ま けず秋 あき の県 けん 大会 たいかい で準 じゅん 優勝 ゆうしょう 。
2回戦 かいせん 敗退 はいたい [注釈 ちゅうしゃく 14]
地域 ちいき 限定 げんてい なし[42]
長田 ながた (兵庫 ひょうご )
阪神 はんしん ・淡路 あわじ 大震災 だいしんさい で大 おお きな被害 ひがい を受 う けた神戸 こうべ 市 し 長田 ながた 区 く にある県内 けんない 屈指 くっし の進学校 しんがくこう 。同 おな じ敷地 しきち 内 ない に夜間 やかん 定時 ていじ 制 せい と通信 つうしん 制 せい の高校 こうこう が併設 へいせつ され、練習 れんしゅう が制限 せいげん される中 なか で秋 あき の県 けん 大会 たいかい 8強 きょう 入 い り。
初戦 しょせん 敗退 はいたい
西日本 にしにほん [42]
小豆島 しょうどしま (香川 かがわ )
部員 ぶいん 17人 にん ながら自主 じしゅ 性 せい を持 も って練習 れんしゅう に取 と り組 く み、秋 あき の県 けん 大会 たいかい 決勝 けっしょう で(その後 ご の四国 しこく 大会 たいかい と明治 めいじ 神宮 じんぐう 大会 たいかい を制 せい する)高松 たかまつ 商 しょう を破 やぶ って初 はつ 優勝 ゆうしょう 。少子化 しょうしか の時代 じだい に生徒 せいと 減 げん に悩 なや む学校 がっこう の希望 きぼう の星 ほし となった。
初戦 しょせん 敗退 はいたい
2017年 ねん
東日本 ひがしにっぽん [43]
不 ふ 来 き 方 かた (岩手 いわて )
部員 ぶいん わずか10人 にん [44] のため実戦 じっせん 形式 けいしき の練習 れんしゅう ができず、練習 れんしゅう 時間 じかん の9割 わり を打撃 だげき に充 あ て打 う ち勝 か つ野球 やきゅう を貫 つらぬ き、秋 あき の県 けん 大会 たいかい で準 じゅん 優勝 ゆうしょう 。
初戦 しょせん 敗退 はいたい
地域 ちいき 限定 げんてい なし[43]
多治見 たじみ (岐阜 ぎふ )
狭 せま いグラウンドを他 た 部 ぶ と共用 きょうよう し、バドミントンのシャトルやテニスボールを使 つか うなど工夫 くふう を凝 こ らした練習 れんしゅう を取 と り入 い れ秋 あき の県 けん 大会 たいかい で初 はつ 優勝 ゆうしょう 。小学生 しょうがくせい に野球 やきゅう 教室 きょうしつ を開 ひら くなどボランティア活動 かつどう にも熱心 ねっしん 。
初戦 しょせん 敗退 はいたい
西日本 にしにほん [43]
中村 なかむら (高知 こうち )
過疎 かそ 化 か が進 すす む地域 ちいき に位置 いち するが、中学 ちゅうがく 3年 ねん から高校 こうこう の練習 れんしゅう に参加 さんか できる中高 なかだか 一貫 いっかん 校 こう の特例 とくれい を生 い かした強化 きょうか で困難 こんなん な状況 じょうきょう を克服 こくふく し秋 あき の県 けん 大会 たいかい で優勝 ゆうしょう 。部員 ぶいん 12人 にん で準 じゅん 優勝 ゆうしょう し「二 に 十 じゅう 四 よん の瞳 ひとみ 」として注目 ちゅうもく された1977年 ねん 春 はる 以来 いらい 40年 ねん ぶりの出場 しゅつじょう 。
初戦 しょせん 敗退 はいたい
2018年 ねん
東日本 ひがしにっぽん [45]
由利 ゆり 工 たくみ (秋田 あきた )
「地域 ちいき に愛 あい される学校 がっこう 」を目標 もくひょう に掲 かか げ、部員 ぶいん が率先 そっせん して地域 ちいき 住民 じゅうみん へあいさつ活動 かつどう を行 おこな っている。工業 こうぎょう 高校 こうこう の技術 ぎじゅつ を生 い かし高齢 こうれい 者 しゃ 施設 しせつ の車椅子 くるまいす を修理 しゅうり するなどボランティア活動 かつどう にも励 はげ む。
初戦 しょせん 敗退 はいたい
地域 ちいき 限定 げんてい なし[45]
膳所 ぜぜ (滋賀 しが )
全国 ぜんこく 屈指 くっし の進学校 しんがくこう 。セイバーメトリクス を取 と り入 い れ、野球 やきゅう 経験 けいけん のないデータ分析 ぶんせき 専 せん 門 もん の部員 ぶいん が対戦 たいせん 相手 あいて の打球 だきゅう 傾向 けいこう を分析 ぶんせき し守備 しゅび 位置 いち を調整 ちょうせい 。秋 あき の県 けん 大会 たいかい での8強 きょう 入 い りを陰 かげ で支 ささ えた。
初戦 しょせん 敗退 はいたい
西日本 にしにほん [45]
伊万里 いまり (佐賀 さが )
公立 こうりつ の進学校 しんがくこう で、平日 へいじつ は90分 ふん という短 みじか い練習 れんしゅう 時間 じかん ながら、分 ぶん 刻 きざ みのメニューを設定 せってい し効率 こうりつ 的 てき に練習 れんしゅう 。部員 ぶいん が地元 じもと の少年 しょうねん 野球 やきゅう 大会 たいかい の審判 しんぱん をボランティアで務 つと め地域 ちいき に貢献 こうけん 。
初戦 しょせん 敗退 はいたい
2019年 ねん
東日本 ひがしにっぽん [46]
石岡 いしおか 一 はじめ (茨城 いばらき )
明治 めいじ 43年 ねん 開校 かいこう の農 のう 学校 がっこう が前身 ぜんしん で、部員 ぶいん の約 やく 4割 わり が実習 じっしゅう の授業 じゅぎょう が多 おお い園芸 えんげい 科 か ・造園 ぞうえん 科 か で学 まな ぶ。全員 ぜんいん そろって練習 れんしゅう できる時間 じかん が限 かぎ られる中 なか で秋 あき の県 けん 大会 たいかい で4強 きょう 入 い りし、農業 のうぎょう を通 つう じた新 あたら しい形 かたち の文武両道 ぶんぶりょうどう を示 しめ した。
初戦 しょせん 敗退 はいたい
西日本 にしにほん [46]
富岡西 とみおかにし (徳島 とくしま )
野球 やきゅう を通 つう じた町 まち づくりを進 すす める阿南 あなん 市 し にある創部 そうぶ 120年 ねん の伝統 でんとう 校 こう で、休日 きゅうじつ には学校 がっこう 周辺 しゅうへん の清掃 せいそう 活動 かつどう を行 おこな っている。 2001年 ねん ・2008年 ねん に続 つづ く3度目 どめ の四国 しこく 地区 ちく 候補 こうほ 校 こう 選出 せんしゅつ で、継続 けいぞく した取 と り組 く みも評価 ひょうか 。
初戦 しょせん 敗退 はいたい
地域 ちいき 限定 げんてい なし[46]
熊本 くまもと 西 にし (熊本 くまもと )
部員 ぶいん 全員 ぜんいん が地元 じもと 中学 ちゅうがく 出身 しゅっしん で、2016年 ねん に熊本 くまもと 地震 じしん に見舞 みま われ大半 たいはん が避難 ひなん 所 しょ 生活 せいかつ を送 おく りボランティア活動 かつどう を行 おこな った。 2018年 ねん 11月の練習 れんしゅう 試合 しあい 中 ちゅう に部員 ぶいん が頭部 とうぶ に死球 しきゅう を受 う け亡 な くなる事故 じこ もあった[注釈 ちゅうしゃく 15] 。
初戦 しょせん 敗退 はいたい
2020年 ねん
東日本 ひがしにっぽん [47]
帯広 おびひろ 農 のう (北海道 ほっかいどう )
NHK朝 あさ ドラ『なつぞら 』や漫画 まんが 『銀 ぎん の匙 さじ 』のモデルにもなった農業 のうぎょう 高校 こうこう で、部員 ぶいん の多 おお くが農業 のうぎょう や酪農 らくのう の後継 こうけい 者 しゃ 。実習 じっしゅう が多 おお く全体 ぜんたい 練習 れんしゅう は土日 どにち のみで、学校 がっこう 産 さん の野菜 やさい や牛乳 ぎゅうにゅう で体 からだ 作 づく りに取 と り組 く み秋 あき の北海道 ほっかいどう 大会 たいかい ベスト4。
勝利 しょうり
地域 ちいき 限定 げんてい なし[47]
磐城 いわき (福島 ふくしま )
2019年 ねん 10月 がつ の台風 たいふう 19号 ごう で浸水 しんすい 被害 ひがい を受 う けたいわき市 し にある進学校 しんがくこう 。当時 とうじ は秋 あき の東北 とうほく 大会 たいかい の期間 きかん 中 ちゅう で、地元 じもと が被災 ひさい した直後 ちょくご の2回戦 かいせん で逆境 ぎゃっきょう を乗 の り越 こ え勝利 しょうり し8強 きょう 入 い り。大会 たいかい 後 ご は泥 どろ 除去 じょきょ などボランティア活動 かつどう を行 おこな った。
敗戦 はいせん
西日本 にしにほん [47]
平田 ひらた (島根 しまね )
過疎 かそ 化 か が進 すす む地域 ちいき で野球 やきゅう の普及 ふきゅう 活動 かつどう に力 ちから を入 い れ、地元 じもと の幼稚園 ようちえん ・保育園 ほいくえん の園児 えんじ らを対象 たいしょう に野球 やきゅう 体験 たいけん 会 かい を開催 かいさい 。 2年 ねん 連続 れんぞく 3度目 どめ の中国 ちゅうごく 地区 ちく 候補 こうほ 校 こう 選出 せんしゅつ で、野球 やきゅう 人口 じんこう の増加 ぞうか に向 む けた取 と り組 く みを高 たか く評価 ひょうか 。
敗戦 はいせん
2021年 ねん
東日本 ひがしにっぽん [48]
八戸 はちのへ 西 にし (青森 あおもり )
進学校 しんがくこう で練習 れんしゅう 時間 じかん が限 かぎ られる中 なか 、学年 がくねん や守備 しゅび 位置 いち ごとのグループに分 わ かれ効率 こうりつ 的 てき に練習 れんしゅう 。監督 かんとく が八戸 はちのへ 高等 こうとう 支援 しえん 学校 がっこう に勤務 きんむ する傍 かたわ ら野球 やきゅう 部 ぶ を指導 しどう し、選手 せんしゅ が支援 しえん 学校 がっこう の敷地 しきち 清掃 せいそう 、支援 しえん 学校 がっこう の生徒 せいと が傷 いた んだボールを修繕 しゅうぜん するなど相互 そうご 交流 こうりゅう を行 おこな っている。
初戦 しょせん 敗退 はいたい
地域 ちいき 限定 げんてい なし[48]
三島 みしま 南 みなみ (静岡 しずおか )
地元 じもと の園児 えんじ ・小学生 しょうがくせい を対象 たいしょう に開催 かいさい している野球 やきゅう 教室 きょうしつ には延 の べ1000人 にん 以上 いじょう が参加 さんか し、NPB 関係 かんけい 者 しゃ も視察 しさつ に訪 おとず れている。選考 せんこう 委員 いいん 会 かい では最後 さいご の4校 こう 目 め の選出 せんしゅつ 校 こう として三島 みしま 南 みなみ と「富山 とやま 北部 ほくぶ ・水橋 みずはし 」の連合 れんごう チームで意見 いけん が分 わ かれ、最終 さいしゅう 的 てき に合意 ごうい に至 いた らず決選 けっせん 投票 とうひょう で三島 みしま 南 みなみ に決 き まった[49] 。
初戦 しょせん 敗退 はいたい
西日本 にしにほん [48]
東 ひがし 播磨 はりま (兵庫 ひょうご )
コロナで活動 かつどう が制限 せいげん される中 なか 、「Zoom 」や「LINE 」などオンラインツールを活用 かつよう し、監督 かんとく が練習 れんしゅう メニューを動画 どうが 配信 はいしん し質疑 しつぎ 応答 おうとう もSNS経由 けいゆ で行 おこな うなど新 あら たな指導 しどう スタイルを確立 かくりつ 。
初戦 しょせん 敗退 はいたい
地域 ちいき 限定 げんてい なし[48]
具志川 ぐしかわ 商 しょう (沖縄 おきなわ )
5年 ねん 前 まえ には部員 ぶいん 不足 ふそく で他 た 部 ぶ の選手 せんしゅ を集 あつ めて試合 しあい をするほど低迷 ていめい していたが、OBが監督 かんとく やコーチとして指導 しどう し地域 ちいき の支援 しえん を受 う け復活 ふっかつ 。生徒 せいと が仕入 しい れや販売 はんばい の実習 じっしゅう を行 おこな う学校 がっこう 行事 ぎょうじ 「具 ぐ 商 しょう デパート」に野球 やきゅう 部員 ぶいん も積極 せっきょく 的 てき に参加 さんか 。
2回戦 かいせん 敗退 はいたい [注釈 ちゅうしゃく 16]
2022年 ねん
地域 ちいき 限定 げんてい なし[50]
只見 ただみ (福島 ふくしま )
全校 ぜんこう 生徒 せいと 86人 にん の小規模 しょうきぼ 校 こう 。選手 せんしゅ 13人 にん で困難 こんなん 克服 こくふく に取 と り組 く む姿 すがた が「希望 きぼう 」になると判断 はんだん 。過疎 かそ 化 か で生徒 せいと 数 すう が減少 げんしょう し、只見 ただみ 町 まち 外 がい から生徒 せいと を受 う け入 い れる「山村 さんそん 教育 きょういく 留学 りゅうがく 制度 せいど 」を利用 りよう した選手 せんしゅ と地元 じもと 選手 せんしゅ が一体 いったい となり、昨秋 さくしゅう は福島 ふくしま 県 けん 大会 たいかい で初 はつ の8強 きょう 。過疎 かそ 地域 ちいき の活力 かつりょく になっている。
初戦 しょせん 敗退 はいたい
東日本 ひがしにっぽん [50]
丹生 たんじょう (福井 ふくい )
地元 じもと (越前 えちぜん 町 まち )の道 みち の駅 えき や飲食 いんしょく 店 てん には野球 やきゅう 部 ぶ の試合 しあい や練習 れんしゅう の写真 しゃしん などが飾 かざ られるほど地域 ちいき に愛 あい されている。 2021年 ねん 秋 あき の県 けん 大会 たいかい 3位 い 決定 けってい 戦 せん で(その後 ご の北信越 ほくしんえつ 大会 たいかい を制 せい する)敦賀気比 つるがけひ に善戦 ぜんせん しており、福井 ふくい 県 けん 勢 ぜい で初 はつ の21世紀 せいき 枠 わく 選出 せんしゅつ 。
初戦 しょせん 敗退 はいたい
西日本 にしにほん [50]
大分 おおいた 舞鶴 まいづる (大分 おおいた )
大分 おおいた 県内 けんない 屈指 くっし の進学校 しんがくこう で平日 へいじつ の練習 れんしゅう が2時 じ 間 あいだ と限 かぎ られる中 なか 、3班 はん に分 わ かれて分 ぶん 単位 たんい でメニューをこなすなど工夫 くふう を凝 こ らしている。選手 せんしゅ が主体 しゅたい 的 てき に取 と り組 く むことで、人事 じんじ 異動 いどう に伴 ともな う指導 しどう 者 しゃ の交代 こうたい でも指導 しどう の継続 けいぞく 性 せい を維持 いじ し、昨年 さくねん まで2年 ねん 連続 れんぞく で夏 なつ の県 けん 大会 たいかい で準 じゅん 優勝 ゆうしょう 。昨秋 さくしゅう も九州 きゅうしゅう 大会 たいかい に出場 しゅつじょう するなど好 こう 成績 せいせき を残 のこ している。
初戦 しょせん 敗退 はいたい
2023年 ねん
地域 ちいき 限定 げんてい なし[51]
石橋 いしばし (栃木 とちぎ )
県内 けんない 屈指 くっし の進学校 しんがくこう 。直近 ちょっきん 7年間 ねんかん の県 けん 大会 たいかい で準 じゅん 優勝 ゆうしょう 2回 かい 、4強 きょう 入 い り2回 かい 、8強 きょう 入 い り3回 かい と上位 じょうい 進出 しんしゅつ の常連 じょうれん で文武両道 ぶんぶりょうどう を実践 じっせん 。小学生 しょうがくせい を対象 たいしょう に肘 ひじ ・肩 かた の検診 けんしん を兼 か ねた野球 やきゅう 教室 きょうしつ を開催 かいさい し地域 ちいき に貢献 こうけん 。
初戦 しょせん 敗退 はいたい
東日本 ひがしにっぽん [51]
氷見 ひみ (富山 とやま )
部員 ぶいん 数 すう 17人 にん ながら秋 あき の県 けん 大会 たいかい で1試合 しあい 平均 へいきん 12.8得点 とくてん と圧倒的 あっとうてき な打撃 だげき 力 りょく で優勝 ゆうしょう し、北信越 ほくしんえつ 大会 たいかい では8強 きょう に進出 しんしゅつ 。地元 じもと の小学生 しょうがくせい 向 む けの野球 やきゅう 教室 きょうしつ を開 ひら き、普及 ふきゅう 活動 かつどう にも積極 せっきょく 的 てき に取 と り組 く む。
初戦 しょせん 敗退 はいたい
西日本 にしにほん [51]
城東 じょうとう (徳島 とくしま )
県内 けんない 有数 ゆうすう の進学校 しんがくこう 。選手 せんしゅ はわずか12人 にん で、女子 じょし マネージャーがノックを打 う つなどサポート。 グラウンドは他 た 部 ぶ と共用 きょうよう のためバントや走塁 そうるい の練習 れんしゅう に力 ちから を入 い れ、秋 あき の県 けん 大会 たいかい で機動 きどう 力 りょく を生 い かし4強 きょう 入 い り。
初戦 しょせん 敗退 はいたい
2024年 ねん
北海道 ほっかいどう
別海 べっかい (北海道 ほっかいどう )
一 いち 年 ねん の半分 はんぶん が最低 さいてい 気温 きおん 0度 ど 未満 みまん の冬日 ふゆび で日照 ひでり 時間 じかん も短 みじか い中 なか 、農業 のうぎょう 用 よう ビニールハウスを活用 かつよう するなど工夫 くふう して練習 れんしゅう 。選手 せんしゅ 16人 にん ながら秋 あき の北海道 ほっかいどう 大会 たいかい で4強 きょう 入 い りし、人 ひと よりも牛 うし が多 おお い酪農 らくのう の町 まち 別海 べっかい 町 まち を盛 も り上 あ げた。
初戦 しょせん 敗退 はいたい
近畿 きんき
田辺 たなべ (和歌山 わかやま )
監督 かんとく がスクールカウンセラーと連携 れんけい し精神 せいしん 面 めん のサポートをするなど選手 せんしゅ 1人 にん 1人 ひとり との対話 たいわ を重視 じゅうし し、これからの時代 じだい の一 ひと つの在 あ り方 かた として評価 ひょうか 。秋 あき の県 けん 大会 たいかい で強豪 きょうごう の市立 しりつ 和歌山 わかやま 、智弁和歌山 ちべんわかやま を破 やぶ り決勝 けっしょう 進出 しんしゅつ 。
初戦 しょせん 敗退 はいたい
21世紀 せいき 枠 わく 選出 せんしゅつ 回数 かいすう 一覧 いちらん (2024年 ねん 現在 げんざい 。都道府県 とどうふけん の右 みぎ の括弧 かっこ は地区 ちく 推薦 すいせん 回数 かいすう )[52]
地区 ちく
選出 せんしゅつ 回数 かいすう
都道府県 とどうふけん
北海道 ほっかいどう
5回 かい
北海道 ほっかいどう (24)[注釈 ちゅうしゃく 17]
東北 とうほく
4回 かい
福島 ふくしま (5)
3回 かい
宮城 みやぎ (7)・岩手 いわて (3)
2回 かい
秋田 あきた (5)
1回 かい
青森 あおもり (2)・山形 やまがた (2)
関東 かんとう ・東京 とうきょう
2回 かい
栃木 とちぎ (7)
1回 かい
茨城 いばらき (5)・千葉 ちば (3)・東京 とうきょう (2)・山梨 やまなし (2)
0回 かい
群馬 ぐんま (4)・埼玉 さいたま (1)・神奈川 かながわ (0)
東海 とうかい
2回 かい
愛知 あいち (6)
1回 かい
岐阜 ぎふ (5)・静岡 しずおか (4)
0回 かい
三重 みえ (9)
北信越 ほくしんえつ
2回 かい
新潟 にいがた (5)
1回 かい
石川 いしかわ (6)・福井 ふくい (5)・富山 とやま (5)
0回 かい
長野 ながの (3)
近畿 きんき
4回 かい
和歌山 わかやま (9)
3回 かい
兵庫 ひょうご (4)
2回 かい
滋賀 しが (6)
0回 かい
奈良 なら (2)・京都 きょうと (2)・大阪 おおさか (1)
中国 ちゅうごく
4回 かい
島根 しまね (9)
1回 かい
山口 やまぐち (4)
0回 かい
鳥取 とっとり (5)・広島 ひろしま (5)・岡山 おかやま (1)
四国 しこく
4回 かい
徳島 とくしま (7)
2回 かい
香川 かがわ (6)・愛媛 えひめ (6)・高知 こうち (5)
九州 きゅうしゅう
2回 かい
沖縄 おきなわ (5)・大分 おおいた (2)
1回 かい
宮崎 みやざき (5)・鹿児島 かごしま (3)・佐賀 さが (2)・熊本 くまもと (1)
0回 かい
福岡 ふくおか (3)・長崎 ながさき (3)
前年 ぜんねん 優勝 ゆうしょう 校 こう 枠 わく (第 だい 2回 かい - 第 だい 9回 かい )[ 編集 へんしゅう ]
第 だい 2回 かい 大会 たいかい (1925年 ねん )から第 だい 9回 かい 大会 たいかい (1932年 ねん )は、前年 ぜんねん の優勝 ゆうしょう 校 こう は無条件 むじょうけん で全国 ぜんこく 大会 たいかい に出場 しゅつじょう することができた。第 だい 10回 かい 大会 たいかい (1933年 ねん )からこの制度 せいど は廃止 はいし されたが、優勝 ゆうしょう 校 こう は次 じ 年度 ねんど 全国 ぜんこく 大会 たいかい に出場 しゅつじょう し続 つづ けていた。1942年 ねん - 1945年 ねん に大会 たいかい が戦争 せんそう で中断 ちゅうだん になったのを除 のぞ き、優勝 ゆうしょう 校 こう が次 じ 年度 ねんど 全国 ぜんこく 大会 たいかい に出場 しゅつじょう できなかったのは第 だい 20回 かい 大会 たいかい (1948年 ねん )で優勝 ゆうしょう した京都 きょうと 一 いち 商 しょう (京都 きょうと )が最初 さいしょ であった。
希望 きぼう 枠 わく (第 だい 75回 かい - 第 だい 80回 かい )[ 編集 へんしゅう ]
第 だい 75回 かい 大会 たいかい (2003年 ねん )から第 だい 80回 かい 大会 たいかい (2008年 ねん )まで設 もう けられた。
一般 いっぱん 選考 せんこう の補欠 ほけつ 校 こう にもセンバツへの「希望 きぼう 」を残 のこ す狙 ねら いで、第 だい 75回 かい 大会 たいかい から導入 どうにゅう された。神宮 じんぐう 大会 たいかい 枠 わく を得 え た地区 ちく を除 のぞ く地区 ちく の補欠 ほけつ 1位 い 校 こう が対象 たいしょう 。投手 とうしゅ を含 ふく めた守備 しゅび 力 りょく のデータに従 したが って決 き める。項目 こうもく は第 だい 75回 かい が被 ひ 塁打 るいだ 、与 あずか 残塁 ざんるい +失点 しってん 、失策 しっさく 、第 だい 76回 かい 以降 いこう が被 ひ 塁打 るいだ 、与 あずか 四死球 ししきゅう 、失点 しってん 、失策 しっさく 。第 だい 75回 かい 大会 たいかい では明治 めいじ 神宮 じんぐう 大会 たいかい を除 のぞ く直近 ちょっきん 5試合 しあい で各 かく 項目 こうもく の1試合 しあい 9イニング平均 へいきん 値 ち を計算 けいさん し、最初 さいしょ に被 ひ 塁打 るいだ 数 すう の多 おお い3校 こう 、次 つぎ に与 あずか 残塁 ざんるい +失点 しってん の多 おお い3校 こう を除外 じょがい し、残 のこ った3校 こう のうち最 もっと も失点 しってん の少 すく ないチームを選出 せんしゅつ するという方法 ほうほう が採 と られていた。
第 だい 76回 かい 大会 たいかい から選出 せんしゅつ 方法 ほうほう が変更 へんこう され、明治 めいじ 神宮 じんぐう 大会 たいかい を除 のぞ く直近 ちょっきん 4試合 しあい で各 かく 項目 こうもく の1試合 しあい 9イニング平均 へいきん 値 ち を計算 けいさん し、順位 じゅんい を得点 とくてん 化 か 、合計 ごうけい がもっとも多 おお い学校 がっこう が選出 せんしゅつ されるようになった。
合計 ごうけい 得点 とくてん (第 だい 75回 かい 大会 たいかい では失点 しってん )が同 おな じ場合 ばあい は得失点 とくしってん 差 さ の大 おお きいほうを選出 せんしゅつ する。得失点 とくしってん 差 さ も同 おな じ場合 ばあい は、第 だい 75回 かい 大会 たいかい では出場 しゅつじょう 経験 けいけん がない、もしくは古 ふる い方 ほう を選出 せんしゅつ するとされていたが、第 だい 76回 かい 大会 たいかい 以降 いこう は明示 めいじ されていなかった。
希望 きぼう 枠 わく は、明治 めいじ 神宮 じんぐう 枠 わく 以外 いがい の地区 ちく の補欠 ほけつ 出場 しゅつじょう 順位 じゅんい 第 だい 1位 い の学校 がっこう の中 なか からデータを比較 ひかく の上 うえ 、守備 しゅび 力 りょく に長 た けているチームを1校 こう 選出 せんしゅつ 。ただし東京 とうきょう 枠 わく は2枠 わく 選出 せんしゅつ する場合 ばあい においては除 のぞ かれる。理由 りゆう は同 どう 一 いち 都道府県 とどうふけん から出場 しゅつじょう 枠 わく を21世紀 せいき 枠 わく を除 のぞ く、3校 こう 選出 せんしゅつ を避 さ けるためである。
希望 きぼう 枠 わく 出場 しゅつじょう 校 こう 一覧 いちらん
年 とし
出場 しゅつじょう 校 こう
結果 けっか
2003年 ねん
旭川実 あさひかわじつ (北海道 ほっかいどう )
初戦 しょせん 敗退 はいたい
2004年 ねん
秋田 あきた 商 しょう (秋田 あきた )
ベスト8
2005年 ねん
三本松 さんぼんまつ (香川 かがわ )
初戦 しょせん 敗退 はいたい
2006年 ねん
一関 いちのせき 学院 がくいん (岩手 いわて )
初戦 しょせん 敗退 はいたい
2007年 ねん
大垣 おおがき 日大 にちだい (岐阜 ぎふ )
準 じゅん 優勝 ゆうしょう
2008年 ねん
一関 いちのせき 学院 がくいん (岩手 いわて )
初戦 しょせん 敗退 はいたい
東北 とうほく 絆 きずな 枠 わく (第 だい 85回 かい )[ 編集 へんしゅう ]
2013年 ねん の第 だい 85回 かい 記念 きねん 大会 たいかい は通常 つうじょう の東北 とうほく 代表 だいひょう 枠 わく や21世紀 せいき 枠 わく などとは別 べつ に「東北 とうほく 絆 きずな 枠 わく 」と題 だい した特別 とくべつ 枠 わく として、東日本 ひがしにっぽん 大震災 だいしんさい からの復興 ふっこう を目指 めざ す東北 とうほく 地方 ちほう の学校 がっこう の中 なか から「一般 いっぱん 選考 せんこう の中 なか に含 ふく めつつも、何 なに かキラリと光 ひか るものを持 も っているチームを選抜 せんばつ する」として制定 せいてい しており、内容 ないよう としては21世紀 せいき 枠 わく に準 じゅん じたものである。
東北 とうほく 絆 きずな 枠 わく 出場 しゅつじょう 校 こう 一覧 いちらん [53]
年 とし
出場 しゅつじょう 校 こう
結果 けっか
2013年 ねん
山形 やまがた 中央 ちゅうおう (山形 やまがた )
3回戦 かいせん
出場 しゅつじょう 校 こう に関 かん する記録 きろく [ 編集 へんしゅう ]
同 どう 一 いち 都道府県 とどうふけん からの複数 ふくすう 校 こう の出場 しゅつじょう [ 編集 へんしゅう ]
年 とし
大会 たいかい
都道府県 とどうふけん
出場 しゅつじょう 校 こう
1933年 ねん
第 だい 10回 かい
和歌山 わかやま 県 けん
海草 かいそう 中 ちゅう ・和歌山商 わかやましょう ・海南 かいなん 中 ちゅう ・和歌山 わかやま 中 ちゅう
1937年 ねん
第 だい 14回 かい
愛知 あいち 県 けん
中京 ちゅうきょう 商 しょう ・東邦 とうほう 商 しょう ・享栄 きょうえい 商 しょう ・愛知 あいち 商 しょう
年 とし
大会 たいかい
都道府県 とどうふけん
出場 しゅつじょう 校 こう
1930年 ねん
第 だい 7回 かい
兵庫 ひょうご 県 けん
第 だい 一 いち 神 かみ 港 みなと 商 しょう ・甲 きのえ 陽 よう 中 ちゅう ・明石 あかし 中 なか
1931年 ねん
第 だい 8回 かい
兵庫 ひょうご 県 けん
第 だい 一 いち 神 かみ 港 みなと 商 しょう ・甲 きのえ 陽 よう 中 ちゅう ・明石 あかし 中 なか
1933年 ねん
第 だい 10回 かい
愛知 あいち 県 けん
中京 ちゅうきょう 商 しょう ・享栄 きょうえい 商 しょう ・一宮 いちのみや 中 なか
兵庫 ひょうご 県 けん
明石 あかし 中 あたる ・神戸 こうべ 一 いち 中 ちゅう ・関西学院 かんせいがくいん 中 なか
1934年 ねん
第 だい 11回 かい
愛知 あいち 県 けん
東邦 とうほう 商 しょう ・享栄 きょうえい 商 しょう ・中京 ちゅうきょう 商 しょう
大阪 おおさか 府 ふ
浪 なみ 華 はな 商 しょう ・日新 にっしん 商 しょう ・堺 さかい 中 ちゅう
1935年 ねん
第 だい 12回 かい
愛知 あいち 県 けん
愛知 あいち 商 しょう ・東邦 とうほう 商 しょう ・中京 ちゅうきょう 商 しょう
1936年 ねん
第 だい 13回 かい
愛知 あいち 県 けん
愛知 あいち 商 しょう ・東邦 とうほう 商 しょう ・享栄 きょうえい 商 しょう
兵庫 ひょうご 県 けん
育英 いくえい 商 しょう ・滝川 たきがわ 中 あたる ・姫路 ひめじ 中 ちゅう
1938年 ねん
第 だい 15回 かい
大阪 おおさか 府 ふ
浪 なみ 華 はな 商 しょう ・日新 にっしん 商 しょう ・京阪 けいはん 商 しょう
兵庫 ひょうご 県 けん
甲 きのえ 陽 よう 中 ちゅう ・明石 あかし 中 あたる ・滝川 たきがわ 中 なか
1940年 ねん
第 だい 17回 かい
愛知 あいち 県 けん
東邦 とうほう 商 しょう ・愛知 あいち 商 しょう ・中京 ちゅうきょう 商 しょう
1947年 ねん
第 だい 19回 かい
京都 きょうと 府 ふ
京都 きょうと 一 いち 商 しょう ・京都 きょうと 二 に 商 しょう ・京都 きょうと 二 に 中 なか
和歌山 わかやま 県 けん
田辺 たなべ 中 あたる ・海草 かいそう 中 ちゅう ・和歌山 わかやま 中 ちゅう
1988年 ねん
第 だい 60回 かい
大阪 おおさか 府 ふ
上宮 かみみや ・近大付 きんだいふ ・北陽 ほくよう
1995年 ねん
第 だい 67回 かい
兵庫 ひょうご 県 けん
神 かみ 港 こう 学園 がくえん ・報徳 ほうとく 学園 がくえん ・育英 いくえい
2001年 ねん
第 だい 73回 かい
茨城 いばらき 県 けん
常総学院 じょうそうがくいん ・水戸商 みとしょう ・藤代 ふじしろ
2018年 ねん
第 だい 90回 かい
滋賀 しが 県 けん
近江 おうみ ・彦根 ひこね 東 ひがし ・◆膳所 ぜぜ
第 だい 75回 かい 大会 たいかい (2003年 ねん )以降 いこう 、内規 ないき が改定 かいてい され「一般 いっぱん 枠 わく での同 どう 一 いち 都道府県 とどうふけん からの選出 せんしゅつ は2校 こう まで」と定 さだ められている。ただし、21世紀 せいき 枠 わく を含 ふく めての3校 こう 選出 せんしゅつ は可能 かのう であり、2018年 ねん の第 だい 90回 かい 記念 きねん 大会 たいかい における滋賀 しが 県勢 けんせい が初 はつ のケースとなった。
同 どう 一 いち 県 けん で2校 こう 以上 いじょう 出場 しゅつじょう したことがない県 けん は、山形 やまがた 県 けん 、富山 とやま 県 けん 、鳥取 とっとり 県 けん 、島根 しまね 県 けん 。
最近 さいきん の出場 しゅつじょう 校 こう [ 編集 へんしゅう ]
都道府県 とどうふけん
年 とし
回 かい
出場 しゅつじょう 校 こう
北海道 ほっかいどう
1952年 ねん (第 だい 24回 かい 大会 たいかい )以降 いこう 毎年 まいとし 出場 しゅつじょう
青森 あおもり 県 けん
2024年 ねん
第 だい 96回 かい
八戸 はちのへ 学院 がくいん 光 こう 星 ほし ・青森 あおもり 山田 やまだ
岩手 いわて 県 けん
2022年 ねん
第 だい 94回 かい
花巻 はなまき 東 ひがし
宮城 みやぎ 県 けん
2023年 ねん
第 だい 95回 かい
東北 とうほく ・仙台育英 せんだいいくえい
秋田 あきた 県 けん
2023年 ねん
第 だい 95回 かい
能代 のしろ 松陽 しょうよう
山形 やまがた 県 けん
2020年 ねん
第 だい 92回 かい
鶴岡 つるおか 東 ひがし (開催 かいさい 中止 ちゅうし [注釈 ちゅうしゃく 18] )
福島 ふくしま 県 けん
2024年 ねん
第 だい 96回 かい
学法石川 がくほういしかわ
茨城 いばらき 県 けん
2024年 ねん
第 だい 96回 かい
常総学院 じょうそうがくいん
栃木 とちぎ 県 けん
2024年 ねん
第 だい 96回 かい
作新学院 さくしんがくいん
群馬 ぐんま 県 けん
2024年 ねん
第 だい 96回 かい
健 けん 大 だい 高崎 たかさき
埼玉 さいたま 県 けん
2022年 ねん
第 だい 94回 かい
浦和学院 うらわがくいん
千葉 ちば 県 けん
2024年 ねん
第 だい 96回 かい
中央 ちゅうおう 学院 がくいん
東京 とうきょう 都 と
1941年 ねん (第 だい 18回 かい 大会 たいかい )以降 いこう 毎年 まいとし 出場 しゅつじょう
神奈川 かながわ 県 けん
2023年 ねん
第 だい 95回 かい
慶応 けいおう
新潟 にいがた 県 けん
2014年 ねん
第 だい 86回 かい
日本 にっぽん 文理 ぶんり
富山 とやま 県 けん
2023年 ねん
第 だい 95回 かい
氷見 ひみ (21世紀 せいき 枠 わく )
石川 いしかわ 県 けん
2024年 ねん
第 だい 96回 かい
星稜 せいりょう ・日本航空 にほんこうくう 石川 いしかわ
福井 ふくい 県 けん
2024年 ねん
第 だい 96回 かい
敦賀気比 つるがけひ
山梨 やまなし 県 けん
2024年 ねん
第 だい 96回 かい
山梨 やまなし 学院 がくいん
長野 ながの 県 けん
2021年 ねん
第 だい 93回 かい
上田 うえだ 西 にし
岐阜 ぎふ 県 けん
2023年 ねん
第 だい 95回 かい
大垣 おおがき 日大 にちだい
静岡 しずおか 県 けん
2023年 ねん
第 だい 95回 かい
常葉 ときわ 大菊 おおきく 川 がわ
愛知 あいち 県 けん
2024年 ねん
第 だい 96回 かい
豊川 とよかわ ・愛工大名電 あいこうだいめいでん
三重 みえ 県 けん
2024年 ねん
第 だい 96回 かい
宇治山田商 うじやまだしょう
滋賀 しが 県 けん
2024年 ねん
第 だい 96回 かい
近江 おうみ
京都 きょうと 府 ふ
2024年 ねん
第 だい 96回 かい
京都 きょうと 外 がい 大西 おおにし ・京都 きょうと 国際 こくさい
大阪 おおさか 府 ふ
1927年 ねん (第 だい 4回 かい 大会 たいかい )以外 いがい 出場 しゅつじょう
兵庫 ひょうご 県 けん
1924年 ねん (第 だい 1回 かい 大会 たいかい )、1982年 ねん (第 だい 54回 かい 大会 たいかい )、 2015年 ねん (第 だい 87回 かい 大会 たいかい )、2018年 ねん (第 だい 90回 かい 大会 たいかい )以外 いがい 出場 しゅつじょう
奈良 なら 県 けん
2022年 ねん
第 だい 94回 かい
天理 てんり
和歌山 わかやま 県 けん
2024年 ねん
第 だい 96回 かい
耐久 たいきゅう ・田辺 たなべ (21世紀 せいき 枠 わく )
鳥取 とっとり 県 けん
2023年 ねん
第 だい 95回 かい
鳥取 とっとり 城北 しろきた
島根 しまね 県 けん
2020年 ねん
第 だい 92回 かい
平田 ひらた (21世紀 せいき 枠 わく ・開催 かいさい 中止 ちゅうし [注釈 ちゅうしゃく 19] )
岡山 おかやま 県 けん
2024年 ねん
第 だい 96回 かい
創 そう 志学 しがく 園 えん
広島 ひろしま 県 けん
2024年 ねん
第 だい 96回 かい
広陵 こうりょう
山口 やまぐち 県 けん
2023年 ねん
第 だい 95回 かい
光 ひかり
徳島 とくしま 県 けん
2024年 ねん
第 だい 96回 かい
阿南 あなみ 光 ひかり
香川 かがわ 県 けん
2023年 ねん
第 だい 95回 かい
英明 えいめい ・高松 たかまつ 商 しょう
愛媛 えひめ 県 けん
2021年 ねん
第 だい 93回 かい
聖 せい カタリナ
高知 こうち 県 けん
2024年 ねん
第 だい 96回 かい
高知 こうち
福岡 ふくおか 県 けん
2024年 ねん
第 だい 96回 かい
東海大 とうかいだい 福岡 ふくおか
佐賀 さが 県 けん
2022年 ねん
第 だい 94回 かい
有田 ありた 工 こう
長崎 ながさき 県 けん
2023年 ねん
第 だい 95回 かい
長崎 ながさき 日大 にちだい ・海星 かいせい
熊本 くまもと 県 けん
2024年 ねん
第 だい 96回 かい
熊本 くまもと 国府 こくふ
大分 おおいた 県 けん
2024年 ねん
第 だい 96回 かい
明豊 めいほう
宮崎 みやざき 県 けん
2021年 ねん
第 だい 93回 かい
宮崎 みやざき 商 しょう
鹿児島 かごしま 県 けん
2024年 ねん
第 だい 96回 かい
神村学園 かみむらがくえん
沖縄 おきなわ 県 けん
2023年 ねん
第 だい 95回 かい
沖縄尚学 おきなわしょうがく
外地 がいち からの出場 しゅつじょう [ 編集 へんしゅう ]
戦前 せんぜん の大会 たいかい で外地 がいち から選抜 せんばつ された学校 がっこう は2校 こう ある。いずれも台湾 たいわん の学校 がっこう で第 だい 7回 かい ・10回 かい 大会 たいかい に台北 たいぺい 一 いち 中 なか が、第 だい 12回 かい 大会 たいかい に嘉 よしみ 義 ぎ 農林 のうりん が選抜 せんばつ された。最高 さいこう 成績 せいせき は第 だい 7回 かい 大会 たいかい で台北 たいぺい 一 いち 中 ちゅう が果 は たした準々 じゅんじゅん 決勝 けっしょう 進出 しんしゅつ 。他 た の2大会 たいかい はいずれも初戦 しょせん 敗退 はいたい だった。
なお、朝鮮 ちょうせん および満 まん 洲 しゅう からの選抜 せんばつ はなかった。
準々 じゅんじゅん 決勝 けっしょう 以降 いこう も再 さい 抽選 ちゅうせん を行 おこな う夏 なつ の大会 たいかい と違 ちが い、1983年 ねん の第 だい 55回 かい 大会 たいかい 以降 いこう は、組 く み合 あ わせ抽選 ちゅうせん 会 かい で全 すべ ての組 く み合 あ わせが決 き まり再 さい 抽選 ちゅうせん を行 おこな わない。併 あわ せて選手 せんしゅ 宣誓 せんせい 者 しゃ も決定 けってい される。かつては、開会 かいかい 式 しき の2日 にち 前 まえ に全 ぜん 選手 せんしゅ を集 あつ め毎日 まいにち ホール や兵庫 ひょうご 県立 けんりつ 総合 そうごう 体育館 たいいくかん で行 おこな われていたが、1995年 ねん の第 だい 67回 かい 大会 たいかい 以降 いこう は、毎日新聞 まいにちしんぶん 大阪 おおさか 本社 ほんしゃ オーバルホールにおいて主将 しゅしょう のみで行 おこな われている[54] 。
1997年 ねん の第 だい 69回 かい 大会 たいかい 以降 いこう 、組合 くみあわ せ抽選 ちゅうせん 会 かい では同 どう 地区 ちく および同 どう 県 けん の高校 こうこう 同士 どうし が早 はや い段階 だんかい で試合 しあい を行 おこな わないような措置 そち が施 ほどこ されている。
同 どう 県 けん の高校 こうこう とは、決勝 けっしょう (3校 こう 出場 しゅつじょう の場合 ばあい は準決勝 じゅんけっしょう )まで対戦 たいせん しない。
同 どう 地区 ちく の高校 こうこう とは、準々 じゅんじゅん 決勝 けっしょう まで対戦 たいせん しない。
そのため、抽選 ちゅうせん 会 かい では出場 しゅつじょう 校 こう の多 おお い地区 ちく からの抽選 ちゅうせん となる(北海道 ほっかいどう が1枠 わく の場合 ばあい は3枠 わく の地域 ちいき に含 ふく む。関東 かんとう ・東京 とうきょう は同一 どういつ 扱 あつか い、中国 ちゅうごく ・四国 しこく は別枠 べつわく 、21世紀 せいき 枠 わく は各校 かくこう の属 ぞく する地域 ちいき に含 ふく まれる)。出場 しゅつじょう 枠 わく が同 おな じ地区 ちく の場合 ばあい は北 きた から抽選 ちゅうせん 。
上記 じょうき の要件 ようけん を満 み たすため、最大 さいだい 3段階 だんかい で抽選 ちゅうせん を行 おこな う複雑 ふくざつ な抽選 ちゅうせん 方式 ほうしき が採用 さいよう されている[54] 。
会場 かいじょう は兵庫 ひょうご 県 けん 西宮 にしのみや 市 し の阪神 はんしん 甲子園 こうしえん 球場 きゅうじょう (第 だい 1回 かい 大会 たいかい を除 のぞ く)。
第 だい 1回 かい 大会 たいかい (1924年 ねん )のみ名古屋 なごや 市 し の山本 やまもと 球場 きゅうじょう で開 ひら いた理由 りゆう として当時 とうじ 、夏 なつ の大会 たいかい では関西 かんさい 近郊 きんこう 学校 がっこう が8回 かい 中 ちゅう 8回 かい とも決勝 けっしょう に進出 しんしゅつ し優勝 ゆうしょう は8回 かい 中 ちゅう 5回 かい だったため主催 しゅさい 者 しゃ の毎日新聞社 まいにちしんぶんしゃ は「夏 なつ の大会 たいかい (全国 ぜんこく 中等 ちゅうとう 学校 がっこう 優勝 ゆうしょう 野球 やきゅう 大会 たいかい ) で関西 かんさい 近郊 きんこう の学校 がっこう が優勝 ゆうしょう 確 かく 率 りつ の高 たか いのは開催 かいさい 地 ち の風土 ふうど に関係 かんけい するかを試 ため すこと」と「東海 とうかい 地方 ちほう の野球 やきゅう ファン拡大 かくだい につなげるため」の2点 てん を挙 あ げていた。このうち、開催 かいさい 地 ち の風土 ふうど に関 かん しては本 ほん 大会 たいかい では代表 だいひょう 校 こう 8校 こう 中 ちゅう 3校 こう であった関西 かんさい 近郊 きんこう の学校 がっこう は2校 こう (和歌山 わかやま 中 ちゅう 、立 たて 命 いのち 館 かん 中 ちゅう )が初戦 しょせん 敗退 はいたい で1校 こう (市岡 いちおか 中 ちゅう )が2回戦 かいせん 敗退 はいたい 、逆 ぎゃく に東海 とうかい エリアで唯一 ゆいいつ 出場 しゅつじょう した愛知 あいち 一 いち 中 ちゅう も2回戦 かいせん 敗退 はいたい という結果 けっか になっている(決勝 けっしょう 戦 せん は香川 かがわ 県 けん の高松 たかまつ 商 しょう と東京 とうきょう 府 ふ (当時 とうじ )の早稲田 わせだ 実 み の対戦 たいせん となり、高松 たかまつ 商 しょう が優勝 ゆうしょう )。一方 いっぽう 、東海 とうかい 地方 ちほう の野球 やきゅう ファン拡大 かくだい についての効果 こうか は大 おお きく、特 とく に1930年代 ねんだい に入 はい り愛知 あいち 県 けん 勢 ぜい (中京 ちゅうきょう 商 しょう 、東邦 とうほう 商 しょう 、愛知 あいち 商 しょう など)と岐阜 ぎふ 商 しょう を中心 ちゅうしん に東海 とうかい 勢 ぜい が中等 ちゅうとう 野球 やきゅう で一 いち 時代 じだい を築 きず き、1936年 ねん の職業 しょくぎょう 野球 やきゅう (後 ご のプロ野球 やきゅう )創設 そうせつ 時 じ に愛知 あいち 県 けん のチームが2チーム(名古屋 なごや 軍 ぐん 、名古屋 なごや 金 きん 鯱 しゃち 軍 ぐん )できるほどに野球 やきゅう が盛 さか んとなる下地 したじ を作 つく ったと言 い える。
主催 しゅさい 者 しゃ の毎日新聞社 まいにちしんぶんしゃ は毎年 まいとし 開催 かいさい 地 ち を変 か えて全国 ぜんこく 各地 かくち で開催 かいさい する構想 こうそう であったが、翌年 よくねん の第 だい 2回 かい (1925年 ねん )以後 いご は高校 こうこう 野球 やきゅう (当時 とうじ は中学 ちゅうがく 野球 やきゅう )の聖地 せいち として知 し られる阪神 はんしん 甲子園 こうしえん 球場 きゅうじょう での開催 かいさい に定着 ていちゃく するようになり、近畿 きんき 地方 ちほう 以外 いがい での全国 ぜんこく 大会 たいかい 開催 かいさい は国体 こくたい 、明治 めいじ 神宮 じんぐう 大会 たいかい を除 のぞ くと春 はる ・夏 なつ を通 つう じてこれが唯一 ゆいいつ である。夏 なつ の大会 たいかい における甲子園 こうしえん 以外 いがい の開催 かいさい は豊中 とよなか 球場 きゅうじょう 、鳴尾 なるお 球場 きゅうじょう [注釈 ちゅうしゃく 20] 、阪急 はんきゅう 西宮 にしのみや 球場 きゅうじょう があるが、いずれも近畿 きんき 地方 ちほう (豊中 とよなか 球場 きゅうじょう を除 のぞ き、甲子園 こうしえん 球場 きゅうじょう と同 おな じ兵庫 ひょうご 県 けん 西宮 にしのみや 市 し にあった球場 きゅうじょう )の開催 かいさい である。
第 だい 1回 かい (1923年 ねん )は4月 がつ 1日 にち - 5日 にち の5日間 にちかん に渡 わた って開催 かいさい され、当初 とうしょ は1週間 しゅうかん 程度 ていど であった。第 だい 10回 かい (1933年 ねん )では出場 しゅつじょう 校 こう が増 ふ えたため11日間 にちかん に渡 わた ったが、その後 ご は記念 きねん 大会 たいかい を除 のぞ き1週間 しゅうかん 前後 ぜんこう の開催 かいさい が続 つづ いた。第 だい 33回 かい (1961年 ねん )から第 だい 74回 かい (2002年 ねん )は、学校 がっこう の春休 はるやす み開始 かいし に合 あ わせて3月 がつ 25日 にち - 29日 にち の間 あいだ に開幕 かいまく していた。
しかし、第 だい 69回 かい (1997年 ねん )や第 だい 70回 かい (1998年 ねん )のように試合 しあい 日程 にってい の度重 たびかさ なる順延 じゅんえん が影響 えいきょう して新 しん 年度 ねんど の始業 しぎょう 式 しき や入学 にゅうがく 式 しき に差 さ し支 つか えが出 で たケースがあったこと、プロ野球 やきゅう の試合 しあい 数 すう 増加 ぞうか [注釈 ちゅうしゃく 21] により、阪神 はんしん 甲子園 こうしえん 球場 きゅうじょう を本拠地 ほんきょち としている阪神 はんしん タイガース の試合 しあい 日程 にってい に影響 えいきょう を来 き たすようになったこと[注釈 ちゅうしゃく 22] などから、第 だい 75回 かい (2003年 ねん )より開幕 かいまく 日 び が繰 く り上 あ げられ、遅 おそ くても3月 がつ 23日 にち [注釈 ちゅうしゃく 23] には開幕 かいまく している[注釈 ちゅうしゃく 24] 。
また、選手 せんしゅ の健康 けんこう 管理 かんり を考慮 こうりょ し、第 だい 76回 かい (2004年 ねん )からは準々 じゅんじゅん 決勝 けっしょう までに2日 にち 以上 いじょう 順延 じゅんえん とならない限 かぎ り、準々 じゅんじゅん 決勝 けっしょう を2日間 にちかん に分 わ けて開催 かいさい するようにした[注釈 ちゅうしゃく 25] 。
しかし、準々 じゅんじゅん 決勝 けっしょう が2日 にち 目 め のチームは決勝 けっしょう まで三 さん 連戦 れんせん となるため、不公平 ふこうへい 感 かん が生 しょう じることから、全 ぜん チームが平等 びょうどう となるように第 だい 86回 かい (2014年 ねん )より準々 じゅんじゅん 決勝 けっしょう 4試合 しあい を1日 にち で開催 かいさい し、翌日 よくじつ を休養 きゅうよう 日 び とした。
同 どう 大会 たいかい は、大会 たいかい 史上 しじょう 初 はじ めて準々 じゅんじゅん 決勝 けっしょう の翌日 よくじつ を休養 きゅうよう 日 び と設定 せってい (前述 ぜんじゅつ )していたが、3月26日 にち に予定 よてい していた全 ぜん 試合 しあい が雨天 うてん 順延 じゅんえん となったほか、29日 にち の第 だい 2試合 しあい ・広島 ひろしま 新庄 しんじょう 対 たい 桐生 きりゅう 第 だい 一 いち 戦 せん が延長 えんちょう 15回 かい 引 ひ き分 わ けとなり、翌 よく 30日 にち に急遽 きゅうきょ 同 どう カードの再 さい 試合 しあい (15時 じ 開始 かいし )のみ行 おこな われたため、翌 よく 31日 にち に準々 じゅんじゅん 決勝 けっしょう 4試合 しあい を行 おこな い、4月 がつ 2日 にち の決勝 けっしょう 戦 せん まで休養 きゅうよう 日 び を設 もう けずに日程 にってい を消化 しょうか した[注釈 ちゅうしゃく 26] 。
第 だい 88回 かい (2016年 ねん )は、3月 がつ 20日 はつか に開幕 かいまく して以降 いこう 、順調 じゅんちょう に日程 にってい を消化 しょうか 。休養 きゅうよう 日 び を挟 はさ んで3月 がつ 31日 にち に決勝 けっしょう 戦 せん が行 おこな われた。3月中 ちゅう に大会 たいかい が終了 しゅうりょう したのは、第 だい 18回 かい (1941年 ねん 。3月28日 にち 終了 しゅうりょう )以来 いらい 、75年 ねん (70大会 たいかい )ぶり2回 かい 目 め となった[注釈 ちゅうしゃく 27] 。
第 だい 93回 かい (2021年 ねん )より準決勝 じゅんけっしょう と決勝 けっしょう の連戦 れんせん を避 さ けるため、休養 きゅうよう 日 び が1日 にち 追加 ついか された[注釈 ちゅうしゃく 28] 。 そのため、同 どう 大会 たいかい 以降 いこう は13 - 14日間 にちかん の日程 にってい が組 く まれている[注釈 ちゅうしゃく 29] 。大会 たいかい が準決勝 じゅんけっしょう 日 び までに2日 にち 順延 じゅんえん となった場合 ばあい は準決勝 じゅんけっしょう 翌日 よくじつ の休養 きゅうよう 日 び が削除 さくじょ され、また準々 じゅんじゅん 決勝 けっしょう 日 び までに3日 にち 以上 いじょう 順延 じゅんえん の場合 ばあい は準々 じゅんじゅん 決勝 けっしょう の翌日 よくじつ の休養 きゅうよう 日 び も削除 さくじょ される[55] 。
1日 にち に割 わ り当 あ てる試合 しあい 数 すう [ 編集 へんしゅう ]
1日 にち の最多 さいた 試合 しあい 数 すう は4試合 しあい で第 だい 66回 かい 大会 たいかい (1994年 ねん )までは、1回戦 かいせん の2日 にち 目 め - 4日 にち 目 め と8日 にち 目 め の準々 じゅんじゅん 決勝 けっしょう がその当該 とうがい 日 び であった。
しかし、阪神 はんしん ・淡路 あわじ 大震災 だいしんさい による交通 こうつう 障害 しょうがい で応援 おうえん 団 だん の来場 らいじょう スケジュール調整 ちょうせい が必要 ひつよう なこと、また選手 せんしゅ の健康 けんこう 管理 かんり 面 めん の問題 もんだい などを考慮 こうりょ し第 だい 67回 かい 大会 たいかい (1995年 ねん )より、4試合 しあい 日 び は9日 にち 目 め の準々 じゅんじゅん 決勝 けっしょう のみとし、その前日 ぜんじつ までは、雨天 うてん 順延 じゅんえん などが無 な い限 かぎ り1日 にち 3試合 しあい とした。
なお、第 だい 60回 かい 大会 たいかい (1988年 ねん )以降 いこう における、大会 たいかい 回数 かいすう が5の倍数 ばいすう となる記念 きねん 大会 たいかい (西暦 せいれき 下 か 一 いち 桁 けた 3および8の年 とし )は36校 こう [注釈 ちゅうしゃく 2] 参加 さんか のため、一部 いちぶ 予 あらかじ め4試合 しあい 設定 せってい の日 ひ がある。
第 だい 1試合 しあい の基本 きほん 的 てき な開始 かいし 時刻 じこく [ 編集 へんしゅう ]
2試合 しあい 以上 いじょう 開催 かいさい する場合 ばあい 、新聞 しんぶん 社 しゃ の発表 はっぴょう では「試合 しあい 時間 じかん 2時 じ 間 あいだ ・練習 れんしゅう とグラウンドの整備 せいび 30分 ふん 」と仮定 かてい し、3試合 しあい 日 び の場合 ばあい 「(1)9時 じ 、(2)11時 じ 30分 ふん 、(3)14時 じ 」とそれぞれ掲載 けいさい されているがあくまでも目安 めやす であり、実際 じっさい にはグラウンド整備 せいび や事前 じぜん 練習 れんしゅう の関係 かんけい もあり、原則 げんそく として前 まえ の試合 しあい 終了 しゅうりょう から30分 ふん 程度 ていど の時間 じかん を置 お いてから行 おこな う(早 はや く終了 しゅうりょう した場合 ばあい は、最大 さいだい 15分 ふん 繰 く り上 あ げられる場合 ばあい もある)。
審判 しんぱん 員 いん は球審 きゅうしん 、3人 にん の塁審 るいしん 、予備 よび 審判 しんぱん 2人 にん と控 ひか え審判 しんぱん 員 いん 1人 にん の計 けい 7人 にん 。ただし、ナイター 下 した では2人 ふたり の予備 よび 審判 しんぱん 員 いん が外 そと 審 しん /線審 せんしん として試合 しあい に加 くわ わる。
DH制 せい (指名 しめい 打者 だしゃ )は採用 さいよう しない。臨時 りんじ 代走 だいそう を使用 しよう できる。
延長 えんちょう 戦 せん ・再 さい 試合 しあい [ 編集 へんしゅう ]
試合 しあい は9回 かい で同点 どうてん の場合 ばあい は延長 えんちょう 戦 せん を行 おこな う。選抜 せんばつ では1959年 ねん の第 だい 31回 かい 大会 たいかい より「延長 えんちょう 18回 かい 引 ひ き分 わ け再 さい 試合 しあい 制度 せいど 」が導入 どうにゅう されたが、1999年 ねん 12月の高野連 こうやれん 全国 ぜんこく 理事 りじ 会 かい において、2000年 ねん の第 だい 72回 かい 大会 たいかい より延長 えんちょう 15回 かい 制 せい に短縮 たんしゅく された(詳 くわ しくは「延長 えんちょう 引 ひ き分 わ け再 さい 試合 しあい 規定 きてい 」を参照 さんしょう )。
2018年 ねん の第 だい 90回 かい 記念 きねん 大会 たいかい より延長 えんちょう 戦 せん におけるタイブレーク 方式 ほうしき を導入 どうにゅう 。延長 えんちょう 10回 かい から[注釈 ちゅうしゃく 30] 試合 しあい が決着 けっちゃく するまで行 おこな われる。そのため、選抜 せんばつ では1958年 ねん の第 だい 30回 かい 大会 たいかい 以来 いらい 60年 ねん ぶりに延長 えんちょう イニング数 すう が無 む 制限 せいげん となった。
なお、コールドゲーム は得点 とくてん 差 さ では認 みと められておらず、2021年 ねん の第 だい 93回 かい 大会 たいかい までは、雨天 うてん などの天候 てんこう 不良 ふりょう で7回 かい 以降 いこう の均等 きんとう 回 かい を消化 しょうか した場合 ばあい のみに採用 さいよう され、それ以前 いぜん に試合 しあい を中断 ちゅうだん ・打 う ち切 き る場合 ばあい はノーゲーム となり、翌日 よくじつ 以降 いこう に再 さい 試合 しあい が行 おこな われた。
2022年 ねん の第 だい 94回 かい 大会 たいかい より雨天 うてん などの天候 てんこう 不良 ふりょう で試合 しあい が中断 ちゅうだん された場合 ばあい 、翌日 よくじつ 以降 いこう に中断 ちゅうだん された場面 ばめん から再開 さいかい し、9回 かい あるいは勝敗 しょうはい が決定 けってい するまで行 おこな う。これによりコールドゲーム、ノーゲームがなくなった[57] [58] 。
第 だい 69回 かい 大会 たいかい (1997年 ねん )までは主催 しゅさい 者 しゃ の職員 しょくいん が司会 しかい を担当 たんとう していたが、第 だい 70回 かい 記念 きねん 大会 たいかい (1998年 ねん )以後 いご は、前年度 ぜんねんど の「NHK杯 はい 全国 ぜんこく 高校 こうこう 放送 ほうそう コンテスト 」(Nコン)の全国 ぜんこく コンクールにおいて、朗読 ろうどく ・アナウンス部門 ぶもん で上位 じょうい に入賞 にゅうしょう した放送 ほうそう 部 ぶ の生徒 せいと 、または新卒 しんそつ 生 せい [注釈 ちゅうしゃく 31] が2-3名 めい 程度 ていど [注釈 ちゅうしゃく 32] 出演 しゅつえん する。
開 ひらき 式 しき の前 まえ に阪神 はんしん 甲子園 こうしえん 球場 きゅうじょう のウグイス嬢 うぐいすじょう が開会 かいかい 式 しき のアナウンスがされる。
ファンファーレ、開 ひらき 式 しき の辞 じ
ファンファーレ の後 のち 、開 ひらき 式 しき のことばとともに入場 にゅうじょう 行進 こうしん の司会 しかい を務 つと める高校生 こうこうせい が自己 じこ 紹介 しょうかい する(学年 がくねん は旧 きゅう 学年 がくねん を言 い う)。なお、東日本 ひがしにっぽん 大震災 だいしんさい の直後 ちょくご に行 おこな われた第 だい 83回 かい 大会 たいかい (2011年 ねん )ではファンファーレは中止 ちゅうし され、開 ひらき 式 しき に先立 さきだ って黙祷 もくとう が行 おこな われた(その時 とき の黙祷 もくとう は、サイレンが鳴 な らされた)。
選手 せんしゅ 入場 にゅうじょう (第 だい 95回 かい )
選手 せんしゅ 入場 にゅうじょう
ライトスタンドと一塁 いちるい 側 がわ アルプスの間 あいだ にある通路 つうろ に設 もう けられたセンバツゲート[注釈 ちゅうしゃく 33] から入場 にゅうじょう 。大阪 おおさか 府 ふ 警察 けいさつ 音楽 おんがく 隊 たい フレッシュウインズ 、和歌山 わかやま 警察 けいさつ 音楽 おんがく 隊 たい カラーガード隊 たい 、近畿 きんき 管区 かんく 内 ない 警察 けいさつ 音楽 おんがく 隊 たい の順 じゅん に入場 にゅうじょう し各校 かくこう がそれに続 つづ く。選手 せんしゅ 入場 にゅうじょう は先 ま ず前年 ぜんねん 優勝 ゆうしょう 校 こう が優勝旗 ゆうしょうき と優勝 ゆうしょう 杯 はい を、続 つづ いて前年 ぜんねん 準 じゅん 優勝 ゆうしょう 校 こう が準 じゅん 優勝 ゆうしょう 旗 き を持 も って入場 にゅうじょう (いずれも出場 しゅつじょう 校 こう に選出 せんしゅつ の場合 ばあい は出場 しゅつじょう 選手 せんしゅ 全員 ぜんいん 、選出 せんしゅつ ではなかった場合 ばあい は優勝 ゆうしょう 校 こう は主将 しゅしょう ・副 ふく 主将 しゅしょう 、準 じゅん 優勝 ゆうしょう 校 こう は主将 しゅしょう のみが入場 にゅうじょう )[注釈 ちゅうしゃく 34] 。この後 のち は、第 だい 91回 かい 大会 たいかい までは下 した 1桁 けた が奇数 きすう 回 かい 開催 かいさい 時 じ は南 みなみ から北 きた 、下 した 1桁 けた が偶数 ぐうすう 回 かい 開催 かいさい 時 じ は北 きた から南 みなみ →第 だい 95回 かい 記念 きねん 大会 たいかい 以降 いこう は奇 き 数 すう 回 かい が北 きた から南 みなみ 、偶数 ぐうすう 回 かい が南 みなみ から北 きた の順 じゅん に、主将 しゅしょう を先頭 せんとう に2列 れつ で入場 にゅうじょう し、入場 にゅうじょう 順 じゅん にレフト寄 よ りから外野 がいや 側 がわ に各校 かくこう が整列 せいれつ する。選手 せんしゅ は白色 はくしょく の運動 うんどう 靴 くつ で入場 にゅうじょう する。選手 せんしゅ 入場 にゅうじょう ののち司会 しかい 者 しゃ は式典 しきてん を担当 たんとう する別 べつ の高校生 こうこうせい に交代 こうたい し(式典 しきてん 司会 しかい 者 しゃ は交代 こうたい 時 じ に自己 じこ 紹介 しょうかい する[注釈 ちゅうしゃく 35] )、選手 せんしゅ ・役員 やくいん は脱帽 だつぼう の上 うえ 、掲揚 けいよう 台 だい 側 がわ を向 む く。
第 だい 34回 かい 大会 たいかい (1962年 ねん )以降 いこう 、入場 にゅうじょう 行進曲 こうしんきょく においては主 おも に前年 ぜんねん の流行 りゅうこう 曲 きょく が使 つか われることになった。1曲 きょく 目 め は坂本 さかもと 九 きゅう の『上 うえ を向 む いて歩 ある こう 』。
選抜 せんばつ 高等 こうとう 学校 がっこう 野球 やきゅう 大会 たいかい 入場 にゅうじょう 行進曲 こうしんきょく を参照 さんしょう
国旗 こっき 、大会 たいかい 旗 き 、校 こう 名 めい プラカード を持 も つのは、かつて第 だい 79回 かい 大会 たいかい (2007年 ねん )まではボーイスカウト 日本 にっぽん 連盟 れんめい 所属 しょぞく のベンチャースカウト(高校生 こうこうせい )であったが、第 だい 80回 かい 記念 きねん 大会 たいかい (2008年 ねん )から校 こう 名 めい プラカードは各 かく 出場 しゅつじょう 校 こう の生徒 せいと (選手 せんしゅ として出場 しゅつじょう しなかった野球 やきゅう 部員 ぶいん や野球 やきゅう 部 ぶ 男女 だんじょ マネージャーが担当 たんとう することが多 おお く、一部 いちぶ では生徒 せいと 会長 かいちょう などが選 えら ばれる)が持 も つことになった(連続 れんぞく 出場 しゅつじょう できなかった前年 ぜんねん 優勝 ゆうしょう 校 こう ・準 じゅん 優勝 ゆうしょう 校 こう は変 か わらず。夏 なつ の選手権 せんしゅけん 大会 たいかい とは異 こと なり校 こう 名 めい プラカードを持 も つ)。なお、甲子園 こうしえん 球場 きゅうじょう の所在地 しょざいち は兵庫 ひょうご 県 けん だが、プラカードは大阪 おおさか 連盟 れんめい 所属 しょぞく のスカウトが持 も っている。校 こう 名 めい プラカードは第 だい 80回 かい 大会 たいかい から「国際 こくさい 高校生 こうこうせい 選抜 せんばつ 書展 しょてん 」(毎日新聞 まいにちしんぶん 主催 しゅさい )で団体 だんたい の部 ぶ 地区 ちく 優勝 ゆうしょう した学校 がっこう が地域 ちいき ごとに出場 しゅつじょう 校 こう の文字 もじ を書 か き入 い れるものに変更 へんこう される。第 だい 93回 かい 大会 たいかい (2021年 ねん )では新型 しんがた コロナウイルスの影響 えいきょう によりプラカードはゴシック体 たい で出場 しゅつじょう 校 こう が印刷 いんさつ されたものを使用 しよう したが第 だい 94回 かい 大会 たいかい (2022年 ねん )は再 ふたた び出場 しゅつじょう 校 こう の文字 もじ を書 か き入 い れるものに戻 もど った。
阪神 はんしん 淡路 あわじ 大震災 だいしんさい 直後 ちょくご に行 おこな われた第 だい 67回 かい 大会 たいかい (1995年 ねん )と、東日本 ひがしにっぽん 大震災 だいしんさい 直後 ちょくご に行 おこな われた第 だい 83回 かい 大会 たいかい (2011年 ねん )では中止 ちゅうし された(外野 がいや 側 がわ に整列 せいれつ した状態 じょうたい で開始 かいし )。
第 だい 93回 かい 大会 たいかい (2021年 ねん )と第 だい 94回 かい 大会 たいかい (2022年 ねん )は、新型 しんがた コロナウイルスの影響 えいきょう により開会 かいかい 式 しき に参加 さんか する学校 がっこう を大会 たいかい 初日 しょにち に出場 しゅつじょう する6校 こう に限 かぎ りそれ以外 いがい の26校 こう は、事前 じぜん に自 じ 校 こう グラウンド等 とう で収録 しゅうろく した行進 こうしん の映像 えいぞう をスコアボードビジョンで放映 ほうえい した。優勝 ゆうしょう 校 こう 、準 じゅん 優勝 ゆうしょう 校 こう も後述 こうじゅつ のとおり優勝 ゆうしょう 旗 き 、優勝 ゆうしょう 杯 はい 、準 じゅん 優勝 ゆうしょう 旗 き を既 すで に返還 へんかん しているため参加 さんか していない。入場 にゅうじょう 行進曲 こうしんきょく 、大会 たいかい 歌 か 「今 いま ありて 」の演奏 えんそう はCDで行 おこな い例年 れいねん の警察 けいさつ 音楽 おんがく 隊 たい 、西宮 にしのみや 市 し 高等 こうとう 学校 がっこう 吹奏楽 すいそうがく 連盟 れんめい の出演 しゅつえん はなかった。
国旗 こっき 掲揚 けいよう ・国歌 こっか 独唱 どくしょう
国歌 こっか の演奏 えんそう に合 あ わせて国旗 こっき を掲揚 けいよう する。第 だい 71回 かい 大会 たいかい (1999年 ねん )より、開会 かいかい 式 しき の国旗 こっき 掲揚 けいよう 時 じ に「全日本 ぜんにほん 学生 がくせい 音楽 おんがく コンクール 」(毎日新聞 まいにちしんぶん 主催 しゅさい )声楽 せいがく 部門 ぶもん 高校生 こうこうせい の部 ぶ の優勝 ゆうしょう 者 しゃ (司会 しかい 者 しゃ 自己 じこ 紹介 しょうかい 同様 どうよう 、旧 きゅう 学年 がくねん でアナウンスされる)による国歌 こっか 独唱 どくしょう が行 おこな われている。
大会 たいかい 旗 はた 掲揚 けいよう ・大会 たいかい 歌 か 演奏 えんそう
大会 たいかい 歌 か 「今 いま ありて」は兵庫 ひょうご 県 けん 西宮 にしのみや 市 し 高等 こうとう 学校 がっこう 吹奏楽 すいそうがく 連盟 れんめい の演奏 えんそう に合 あ わせて大会 たいかい 旗 はた を掲揚 けいよう する。第 だい 83回 かい 大会 たいかい (2011年 ねん )は大会 たいかい 旗 はた 掲揚 けいよう と共 とも に大会 たいかい 歌 か を1番 ばん のみ合唱 がっしょう した。
前年 ぜんねん 優勝 ゆうしょう 校 こう 校旗 こうき 掲揚 けいよう ・校歌 こうか 演奏 えんそう
前年 ぜんねん 優勝 ゆうしょう 校 こう の校歌 こうか の演奏 えんそう に合 あ わせてその学校 がっこう の校旗 こうき を掲揚 けいよう する。なお、東日本 ひがしにっぽん 大震災 だいしんさい の直後 ちょくご に行 おこな われた第 だい 83回 かい 大会 たいかい (2011年 ねん )では国旗 こっき ・大会 たいかい 旗 き ・校旗 こうき はいずれも半旗 はんき として掲揚 けいよう された。
選手 せんしゅ 前進 ぜんしん
選手 せんしゅ は向 む きを変 か え着 ぎ 帽 ぼう の上 うえ 、仕掛 しか け花火 はなび 発破 はっぱ (大会 たいかい 名 めい および出場 しゅつじょう 校 こう 名 めい が書 か かれた連続 れんぞく 旗 き が垂 た れ下 さ がる。第 だい 82回 かい 大会 たいかい (2010年 ねん )と第 だい 83回 かい 大会 たいかい (2011年 ねん )は中止 ちゅうし )と共 とも にバックネット方向 ほうこう へ前進 ぜんしん する。第 だい 83回 かい 大会 たいかい (2011年 ねん )は国旗 こっき 掲揚 けいよう ・国歌 こっか 独唱 どくしょう 、大会 たいかい 旗 はた 掲揚 けいよう ・大会 たいかい 歌 か 演奏 えんそう 、前年 ぜんねん 優勝 ゆうしょう 校 こう 校旗 こうき 掲揚 けいよう ・校歌 こうか 演奏 えんそう の順 じゅん に行 い った。
優勝旗 ゆうしょうき ・優勝 ゆうしょう 杯 はい 返還 へんかん
優勝旗 ゆうしょうき と優勝 ゆうしょう 杯 はい が前年 ぜんねん 優勝 ゆうしょう 校 こう の主将 しゅしょう ・副 ふく 主将 しゅしょう から大会 たいかい 会長 かいちょう の毎日新聞社 まいにちしんぶんしゃ 社長 しゃちょう に返還 へんかん され、そのレプリカが引 ひ き換 か えに進呈 しんてい される。第 だい 93回 かい 大会 たいかい (2021年 ねん )と第 だい 94回 かい 大会 たいかい (2022年 ねん )は新型 しんがた コロナウイルスの影響 えいきょう により関係 かんけい の学校 がっこう で事前 じぜん に行 おこな われた。
準 じゅん 優勝 ゆうしょう 旗 き 返還 へんかん
準 じゅん 優勝 ゆうしょう 旗 き が前年 ぜんねん 準 じゅん 優勝 ゆうしょう 校 こう の主将 しゅしょう から大会 たいかい 会長 かいちょう の毎日新聞社 まいにちしんぶんしゃ 社長 しゃちょう に返還 へんかん され、そのレプリカが引 ひ き換 か えに進呈 しんてい される。第 だい 93回 かい 大会 たいかい (2021年 ねん )と第 だい 94回 かい 大会 たいかい (2022年 ねん )は新型 しんがた コロナウイルスの影響 えいきょう により関係 かんけい の学校 がっこう で事前 じぜん に行 おこな われた。
大会 たいかい 会長 かいちょう の開会 かいかい の挨拶 あいさつ
毎日新聞社 まいにちしんぶんしゃ 社長 しゃちょう による。
御 ご 祝 しゅく の言葉 ことば (第 だい 93回 かい )
御 ご 祝 しゅく の言葉 ことば
文部 もんぶ 科学 かがく 大臣 だいじん [注釈 ちゅうしゃく 36] による。第 だい 83回 かい 大会 たいかい (2011年 ねん )は中止 ちゅうし 。
励 はげ ましの言葉 ことば
日本 にっぽん 高等 こうとう 学校 がっこう 野球 やきゅう 連盟 れんめい 会長 かいちょう による。
選手 せんしゅ 宣誓 せんせい (第 だい 93回 かい )
選手 せんしゅ 宣誓 せんせい
出場 しゅつじょう 各校 かくこう は選抜 せんばつ 旗 き をもって宣誓 せんせい 台 だい に集 あつ まる。
大会 たいかい 歌 か 合唱 がっしょう
第 だい 27回 かい 大会 たいかい (1955年 ねん )から毎年 まいとし 神戸 こうべ 山手 やまて 女子 じょし 高校 こうこう の1・2年生 ねんせい が大会 たいかい 歌 か の合唱 がっしょう を担当 たんとう している。
閉会 へいかい の辞 じ 、選手 せんしゅ 退場 たいじょう
選手 せんしゅ 達 たち は一塁 いちるい 側 がわ から3校 こう ずつ駆 か け足 あし ですぐさま退場 たいじょう する。近畿 きんき 管区 かんく 内 ない 警察 けいさつ 音楽 おんがく 隊 たい 、神戸 こうべ 山手 やまて 女子 じょし 高校 こうこう 、兵庫 ひょうご 県 けん 西宮 にしのみや 市 し 高等 こうとう 学校 がっこう 吹奏楽 すいそうがく 連盟 れんめい は同様 どうよう に駆 か け足 あし で三塁 さんるい 側 がわ アルプスから退場 たいじょう する。退場 たいじょう の際 さい に場外 じょうがい 外周 がいしゅう の一般 いっぱん 通路 つうろ を一時 いちじ 通行止 つうこうど めにして、一塁 いちるい 側 がわ から出 で た選手 せんしゅ 等 とう は球場 きゅうじょう すぐ向 む かいの室内 しつない 練習 れんしゅう 場 じょう に、三塁 さんるい 側 がわ から出 で た生徒 せいと 等 とう はすぐ向 む かいの立体 りったい 駐車 ちゅうしゃ 場 じょう に入 はい る。駆 か け足 あし のため、通路 つうろ の通行止 つうこうど めが最低限 さいていげん の時間 じかん に抑 おさ えられる効果 こうか もあるとのこと[注釈 ちゅうしゃく 37] 。
閉式 へいしき の前 まえ に、公開 こうかい 共同 きょうどう インタビュー として、優勝 ゆうしょう 校 こう の監督 かんとく にNHK の、優勝 ゆうしょう 校 こう の殊勲 しゅくん 選手 せんしゅ (若干 じゃっかん 名 めい )に毎日放送 まいにちほうそう のそれぞれのアナウンサーがインタビューを行 おこな う。閉会 へいかい 式 しき の準備 じゅんび ができるまでの間 あいだ 、ベンチ周辺 しゅうへん でインタビューが行 おこな われ、閉会 へいかい 式 しき の準備 じゅんび が終 お わり次第 しだい 、阪神 はんしん 甲子園 こうしえん 球場 きゅうじょう のウグイス嬢 うぐいすじょう が閉会 へいかい 式 しき のアナウンスがされる。
選手 せんしゅ 入場 にゅうじょう
入場 にゅうじょう 行進 こうしん 時 じ と同 おな じ曲 きょく が近畿 きんき 管区 かんく 内 ない 警察 けいさつ 音楽 おんがく 隊 たい の演奏 えんそう で優勝 ゆうしょう 校 こう ・準 じゅん 優勝 ゆうしょう 校 こう の選手 せんしゅ 入場 にゅうじょう 、校 こう 名 めい プラカードを持 も つのは、第 だい 79回 かい 大会 たいかい (2007年 ねん )までと第 だい 83回 かい 大会 たいかい (2011年 ねん )からはボーイスカウト 日本 にっぽん 連盟 れんめい 所属 しょぞく のベンチャースカウト(高校生 こうこうせい )。第 だい 80回 かい 大会 たいかい (2008年 ねん )、第 だい 81回 かい 大会 たいかい (2009年 ねん )、第 だい 82回 かい 大会 たいかい (2010年 ねん )は優勝 ゆうしょう 校 こう ・準 じゅん 優勝 ゆうしょう 校 こう の生徒 せいと がプラカードを持 も っていた。選手 せんしゅ はスパイクシューズ のまま入場 にゅうじょう する。
開 ひらき 式 しき の辞 じ
開 ひらき 式 しき のことばとともに司会 しかい を務 つと める高校生 こうこうせい が自己 じこ 紹介 しょうかい する(学年 がくねん は新 しん 学年 がくねん を言 い う[注釈 ちゅうしゃく 38] )。
審判 しんぱん 委員 いいん 長 ちょう 講評 こうひょう
日本 にっぽん 高等 こうとう 学校 がっこう 野球 やきゅう 連盟 れんめい 会長 かいちょう による。
優勝旗 ゆうしょうき 授与 じゅよ
大会 たいかい 会長 かいちょう の毎日新聞社 まいにちしんぶんしゃ 社長 しゃちょう から主将 しゅしょう に授与 じゅよ される。
優勝 ゆうしょう 杯 はい 授与 じゅよ
大会 たいかい 会長 かいちょう の毎日新聞社 まいにちしんぶんしゃ 社長 しゃちょう から副 ふく 主将 しゅしょう に授与 じゅよ される。
準 じゅん 優勝 ゆうしょう 旗 き 授与 じゅよ
大会 たいかい 会長 かいちょう の毎日新聞社 まいにちしんぶんしゃ 社長 しゃちょう から主将 しゅしょう に授与 じゅよ される。
優勝 ゆうしょう メダル ・準 じゅん 優勝 ゆうしょう メダル授与 じゅよ
大会 たいかい 会長 かいちょう の毎日新聞社 まいにちしんぶんしゃ 社長 しゃちょう から授与 じゅよ される。
応援 おうえん 団 だん 賞 しょう 表彰 ひょうしょう
最優秀 さいゆうしゅう 賞 しょう に選 えら ばれた学校 がっこう には、毎日新聞 まいにちしんぶん 大阪 おおさか 本社 ほんしゃ 代表 だいひょう から盾 たて が応援 おうえん 団長 だんちょう に授与 じゅよ される。
大会 たいかい 会長 かいちょう の閉会 へいかい の挨拶 あいさつ
毎日新聞社 まいにちしんぶんしゃ 社長 しゃちょう による。
優勝 ゆうしょう 校 こう 校旗 こうき 降 くだ 納 おさめ
選手 せんしゅ ・役員 やくいん は脱帽 だつぼう の上 うえ 、掲揚 けいよう 台 だい 側 がわ を向 む き、優勝 ゆうしょう 校 こう 校歌 こうか が流 なが れる。
大会 たいかい 旗 はた 降 くだ 納 おさめ
大会 たいかい 歌 か を演奏 えんそう 。
国旗 こっき 降 くだ 納 おさめ
国歌 こっか を演奏 えんそう 。第 だい 83回 かい 大会 たいかい (2011年 ねん )のみ国歌 こっか の後 のち に大会 たいかい 歌 か を合唱 がっしょう した。
優勝 ゆうしょう 校 こう ・準 じゅん 優勝 ゆうしょう 校 こう 選手 せんしゅ 場内 じょうない 一周 いっしゅう
入場 にゅうじょう 行進 こうしん 時 じ と同 おな じ曲 きょく 。内野 ないや 側 がわ から反 はん 時計 とけい 回 まわ りに一周 いっしゅう し、三塁 さんるい 側 がわ ベンチ使用 しよう 校 こう はピッチャーズマウンド付近 ふきん で折 お り返 かえ して三塁 さんるい 側 がわ へ、一塁 いちるい 側 がわ ベンチ使用 しよう 校 こう はそのまま直進 ちょくしん して一塁 いちるい 側 がわ へそれぞれ移動 いどう 。NHKの放送 ほうそう は、この場内 じょうない 一周 いっしゅう の途中 とちゅう で終了 しゅうりょう することが多 おお い[注釈 ちゅうしゃく 39] 。
ファンファーレ、閉式 へいしき の辞 じ
演奏 えんそう 者 しゃ (西宮 にしのみや 市 し 高等 こうとう 学校 がっこう 吹奏楽 すいそうがく 連盟 れんめい の一部 いちぶ メンバー)がピッチャーズマウンド付近 ふきん に整列 せいれつ し、開会 かいかい 式 しき と同 おな じファンファーレを演奏 えんそう 。閉式 へいしき の辞 じ の後 のち に球場 きゅうじょう 内 ない にはオルゴールの今 いま ありてが流 なが れる。閉会 へいかい 式 しき 後 ご は写真 しゃしん 撮影 さつえい やインタビューが行 おこな われる。
開閉 かいへい 会式 えしき の特記 とっき [ 編集 へんしゅう ]
開会 かいかい 式 しき ・閉会 へいかい 式 しき の国歌 こっか ・大会 たいかい 旗 き の掲揚 けいよう ・降 くだ 納 おさめ は、甲子園 こうしえん が全面 ぜんめん 改修 かいしゅう される2007年 ねん 以前 いぜん は、開会 かいかい 式 しき は出場 しゅつじょう 校 こう の主将 しゅしょう 、閉会 へいかい 式 しき は決勝 けっしょう 戦 せん を戦 たたか った選手 せんしゅ 全員 ぜんいん がバックスクリーンの回転 かいてん 広告 こうこく 板 ばん の上 うえ (三菱電機 みつびしでんき の広告 こうこく 看板 かんばん 前 まえ )に集 あつ まって行 い っていたが、改修 かいしゅう 以後 いご は選手 せんしゅ 衆 しゅ はバックスクリーンに移動 いどう することなく、所定 しょてい 位置 いち からバックスクリーン方向 ほうこう の掲揚 けいよう 台 だい を向 む いて見守 みまも る形 かたち になっている。
なお、第 だい 46回 かい 大会 たいかい (1974年 ねん )以降 いこう 、返還 へんかん ・表彰 ひょうしょう の演奏 えんそう 曲 きょく は大会 たいかい オリジナルの「栄光 えいこう 」(永野 ながの 慶 けい 作 さく 作曲 さっきょく )が使 つか われることになった。
優勝 ゆうしょう 校 こう に関 かん する記録 きろく [ 編集 へんしゅう ]
歴代 れきだい 優勝 ゆうしょう 校 こう [ 編集 へんしゅう ]
なお、本 ほん 大会 たいかい においての連覇 れんぱ は2023年 ねん 現在 げんざい 3例 れい ある。詳 くわ しくは甲子園 こうしえん 連覇 れんぱ を参照 さんしょう 。
第 だい 96回 かい 大会 たいかい (2024年 ねん )終了 しゅうりょう 時点 じてん で、次 つぎ の30都府県 とふけん が優勝 ゆうしょう を経験 けいけん している。
太字 ふとじ は選手権 せんしゅけん 未 み 制覇 せいは の地域 ちいき
茨城 いばらき 県 けん 、栃木 とちぎ 県 けん 、群馬 ぐんま 県 けん 、埼玉 さいたま 県 けん 、東京 とうきょう 都 と 、神奈川 かながわ 県 けん 、福井 ふくい 県 けん 、山梨 やまなし 県 けん 、長野 ながの 県 けん 、岐阜 ぎふ 県 けん 、静岡 しずおか 県 けん 、愛知 あいち 県 けん 、三重 みえ 県 けん 、京都 きょうと 府 ふ 、大阪 おおさか 府 ふ 、兵庫 ひょうご 県 けん 、奈良 なら 県 けん 、和歌山 わかやま 県 けん 、岡山 おかやま 県 けん 、広島 ひろしま 県 けん 、山口 やまぐち 県 けん 、徳島 とくしま 県 けん 、香川 かがわ 県 けん 、愛媛 えひめ 県 けん 、高知 こうち 県 けん 、長崎 ながさき 県 けん 、熊本 くまもと 県 けん 、大分 おおいた 県 けん 、鹿児島 かごしま 県 けん 、沖縄 おきなわ 県 けん
第 だい 96回 かい 大会 たいかい (2024年 ねん )終了 しゅうりょう 時点 じてん で、以下 いか の17道県 どうけん が一 いち 度 ど も優勝 ゆうしょう したことがない。
都道府県 とどうふけん
最高 さいこう 成績 せいせき
(参考 さんこう )夏 なつ の甲子園 こうしえん 最高 さいこう 成績 せいせき
北海道 ほっかいどう
準 じゅん 優勝 ゆうしょう
優勝 ゆうしょう
青森 あおもり 県 けん
準 じゅん 優勝 ゆうしょう
準 じゅん 優勝 ゆうしょう
岩手 いわて 県 けん
準 じゅん 優勝 ゆうしょう
ベスト4
宮城 みやぎ 県 けん
準 じゅん 優勝 ゆうしょう
優勝 ゆうしょう
秋田 あきた 県 けん
ベスト4
準 じゅん 優勝 ゆうしょう
山形 やまがた 県 けん
ベスト4
ベスト4
福島 ふくしま 県 けん
ベスト8
準 じゅん 優勝 ゆうしょう
千葉 ちば 県 けん
準 じゅん 優勝 ゆうしょう
優勝 ゆうしょう
新潟 にいがた 県 けん
ベスト8
準 じゅん 優勝 ゆうしょう
富山 とやま 県 けん
ベスト4
ベスト8
石川 いしかわ 県 けん
ベスト4
準 じゅん 優勝 ゆうしょう
滋賀 しが 県 けん
準 じゅん 優勝 ゆうしょう
準 じゅん 優勝 ゆうしょう
鳥取 とっとり 県 けん
準 じゅん 優勝 ゆうしょう
ベスト4
島根 しまね 県 けん
ベスト8
ベスト4
福岡 ふくおか 県 けん
準 じゅん 優勝 ゆうしょう
優勝 ゆうしょう
佐賀 さが 県 けん
ベスト8
優勝 ゆうしょう
宮崎 みやざき 県 けん
ベスト4
準 じゅん 優勝 ゆうしょう
優勝旗 ゆうしょうき ・準 じゅん 優勝 ゆうしょう 旗 き [ 編集 へんしゅう ]
選抜 せんばつ 大会 たいかい の優勝旗 ゆうしょうき は「大 だい 紫紺 しこん 旗 はた 」と称 しょう されている。これは紫 むらさき に近 ちか い色 いろ の糸 いと を使 つか っているためで、赤 あか い糸 いと を使 つか っている夏 なつ の全国 ぜんこく 大会 たいかい の優勝旗 ゆうしょうき は「大 だい 深紅 しんく 旗 はた 」と称 しょう されている。第 だい 35回 かい 大会 たいかい (1963年 ねん )に初代 しょだい に代 か わり2代目 だいめ が新調 しんちょう された。初代 しょだい と2代目 だいめ の旗 はた との相違 そうい 点 てん は以下 いか の3点 てん 。
大会 たいかい 名 めい - 初代 しょだい は「全国 ぜんこく 選抜 せんばつ 中等 ちゅうとう 学校 がっこう 野球 やきゅう 大会 たいかい 」に対 たい し、2代目 だいめ は「全国 ぜんこく 選抜 せんばつ 高等 こうとう 学校 がっこう 野球 やきゅう 大会 たいかい 」。
主催 しゅさい 新聞 しんぶん 社名 しゃめい - 初代 しょだい は「大阪 おおさか 毎日新聞社 まいにちしんぶんしゃ 」に対 たい し、2代目 だいめ は「毎日新聞社 まいにちしんぶんしゃ 」になっている。1943年 ねん に「東京日日新聞 とうきょうにちにちしんぶん 」と「大阪毎日新聞 おおさかまいにちしんぶん 」が題号 だいごう を「毎日新聞 まいにちしんぶん 」に統一 とういつ した事 こと により、商号 しょうごう も毎日新聞社 まいにちしんぶんしゃ に変更 へんこう したため。
「VICTORY 」の文字 もじ - 初代 しょだい は染 そ めぬきだが2代目 だいめ は金 かね の糸 いと を使 つか って織 お られており、少 すこ し文字 もじ が大 おお きくなっている。
初代 しょだい の優勝旗 ゆうしょうき は第 だい 18回 かい 大会 たいかい (1941年 ねん )に東邦 とうほう 商 しょう (愛知 あいち )が手 て にしたまま戦争 せんそう で大会 たいかい が中断 ちゅうだん していたが、1945年 ねん の名古屋大 なごやだい 空襲 くうしゅう で同校 どうこう の校舎 こうしゃ が全焼 ぜんしょう 。その際 さい 校長 こうちょう 室 しつ に保管 ほかん されていた優勝旗 ゆうしょうき は燃 も え落 お ちる寸前 すんぜん に校庭 こうてい に放 ひ り投 な げられ事 こと なきを得 え た。
初代 しょだい の優勝旗 ゆうしょうき を最後 さいご に手 て にしたのは第 だい 34回 かい 大会 たいかい (1962年 ねん )の作新学院 さくしんがくいん (栃木 とちぎ )で、2代目 だいめ の優勝旗 ゆうしょうき を最初 さいしょ に手 て にしたのは第 だい 35回 かい 大会 たいかい (1963年 ねん )の下関 しものせき 商 しょう (山口 やまぐち )だった。
春 はる の選抜 せんばつ 大会 たいかい には準 じゅん 優勝 ゆうしょう 旗 き が存在 そんざい する。夏 なつ の全国 ぜんこく 大会 たいかい には存在 そんざい しない(木内 きうち 幸男 ゆきお が取手 とって 二 に 高 だか の監督 かんとく を務 つと めていた時 とき 、夏 なつ にも準 じゅん 優勝 ゆうしょう 旗 き があると勘違 かんちが いしていたのは有名 ゆうめい )。色 いろ は夏 なつ の優勝旗 ゆうしょうき と同 おな じ深紅 しんく で3代目 だいめ である。
後日 ごじつ 、優勝 ゆうしょう 校 こう ・準 じゅん 優勝 ゆうしょう 校 こう には校 こう 名 めい ペナント が、毎日新聞社 まいにちしんぶんしゃ から贈 おく られる。年数 ねんすう が経過 けいか すると選手権 せんしゅけん 大会 たいかい 優勝 ゆうしょう 旗 き 、明治 めいじ 神宮 じんぐう 野球 やきゅう 大会 たいかい 優勝 ゆうしょう 旗 き と同様 どうよう に複数 ふくすう 年 ねん の校 こう 名 めい を1枚 まい にまとめたものへ交換 こうかん されるが、優勝旗 ゆうしょうき は、複数 ふくすう 年 ねん ペナントの導入 どうにゅう が準 じゅん 優勝 ゆうしょう 旗 き より遅 おそ かった(それまでは過去 かこ のもの全 すべ て1校 こう 1枚 まい 取 と り付 つ けられていた)。
優勝旗 ゆうしょうき ・準 じゅん 優勝 ゆうしょう 旗 き は大会 たいかい の閉会 へいかい 式 しき にて優勝 ゆうしょう 校 こう ・準 じゅん 優勝 ゆうしょう 校 こう に授与 じゅよ され、翌年 よくねん の大会 たいかい の開会 かいかい 式 しき にて前年 ぜんねん 優勝 ゆうしょう 校 こう ・準 じゅん 優勝 ゆうしょう 校 こう から大会 たいかい 会長 かいちょう に返還 へんかん される。その返還 へんかん の際 さい 、レプリカが代 か わりに授与 じゅよ される。このレプリカの意匠 いしょう は優勝旗 ゆうしょうき ・準 じゅん 優勝 ゆうしょう 旗 き とほぼ同 おな じだが模様 もよう ・文字 もじ は全部 ぜんぶ 染 そ めぬきであり、“第 だい ○回 かい ”[注釈 ちゅうしゃく 42] および校 こう 名 めい が付加 ふか される。
優勝 ゆうしょう 校 こう のアメリカ遠征 えんせい (第 だい 4回 かい - 第 だい 8回 かい )[ 編集 へんしゅう ]
第 だい 4回 かい 大会 たいかい (1927年 ねん )から、主催 しゅさい の大阪 おおさか 毎日新聞社 まいにちしんぶんしゃ が野球 やきゅう の本場 ほんば メジャーリーグ の見学 けんがく や日米 にちべい 親善 しんぜん という趣旨 しゅし によりこの年 とし から優勝 ゆうしょう 校 こう のアメリカ遠征 えんせい が行 おこな われるようになった。この制度 せいど によってアメリカに遠征 えんせい した優勝 ゆうしょう 校 こう は和歌山 わかやま 中 ちゅう (和歌山 わかやま )、関西学院 かんせいがくいん 中 ちゅう (兵庫 ひょうご )、第 だい 一 いち 神 かみ 港 みなと 商 しょう (兵庫 ひょうご )、広島商 ひろしましょう (広島 ひろしま )の4校 こう 。
アメリカ遠征 えんせい は夏休 なつやす みを利用 りよう して行 おこな い7月 がつ 中旬 ちゅうじゅん から9月 がつ 中旬 ちゅうじゅん までの長期 ちょうき に渡 わた り、メジャーリーグの試合 しあい 見学 けんがく や地元 じもと 高校 こうこう との親善 しんぜん 試合 しあい も行 おこな った。夏 なつ の大会 たいかい 開催 かいさい 中 ちゅう に主力 しゅりょく 選手 せんしゅ がアメリカ遠征 えんせい に行 い っているため、春 はる の優勝 ゆうしょう 校 こう は控 ひか え選手 せんしゅ で夏 なつ の大会 たいかい 予選 よせん を戦 たたか うことになった。その中 なか で第 だい 4回 かい の優勝 ゆうしょう 校 こう だった和歌山 わかやま 中 ちゅう は控 ひか え選手 せんしゅ で夏 なつ の大会 たいかい の予選 よせん を制 せい し、全国 ぜんこく 大会 たいかい に出場 しゅつじょう した。
第 だい 9回 かい 大会 たいかい (1932年 ねん )より、外国 がいこく チームとの試合 しあい を禁止 きんし する野球 やきゅう 統制 とうせい 令 れい を政府 せいふ が出 だ したことにより、それ以降 いこう は優勝 ゆうしょう 校 こう のアメリカ遠征 えんせい は中止 ちゅうし になった。
なお、春 はる の優勝 ゆうしょう 校 こう のアメリカ遠征 えんせい に関 かん しては春 はる の大会 たいかい を主催 しゅさい していた毎日新聞社 まいにちしんぶんしゃ が、朝日新聞社 あさひしんぶんしゃ の主催 しゅさい していた夏 なつ の大会 たいかい の興味 きょうみ をそぐ目的 もくてき があったという陰謀 いんぼう 説 せつ も存在 そんざい する。
歴代 れきだい 優勝 ゆうしょう 校 こう のパネル[ 編集 へんしゅう ]
1984年 ねん の第 だい 56回 かい 大会 たいかい 2日 にち 目 め (3月27日 にち )までは、大会 たいかい の歴代 れきだい 優勝 ゆうしょう 校 こう の校章 こうしょう が描 えが かれた白 しろ いパネルボードが外野 がいや に掲 かか げられていた。ところが同日 どうじつ の第 だい 1試合 しあい 、高島 たかしま 対 たい 佐賀商 さがしょう 戦 せん で、佐賀商 さがしょう の中原 なかはら 康博 やすひろ が放 はな った打球 だきゅう がワンバウンドしてラッキーゾーンを越 こ えたため、本来 ほんらい ならばエンタイトル二塁打 にるいだ となるが、二塁 にるい 塁審 るいしん がこの打球 だきゅう を誤 あやま ってホームラン と判定 はんてい した。
これを受 う けて高野連 こうやれん は、この試合 しあい の本塁打 ほんるいだ 判定 はんてい を審判 しんぱん の誤審 ごしん として謝罪 しゃざい した上 うえ 『打球 だきゅう と外野 がいや の白 しろ いパネルが被 こうむ って審判 しんぱん が判定 はんてい しづらい』ことを理由 りゆう に歴代 れきだい 優勝 ゆうしょう 校 こう のパネル掲額 けいがく についてこの日 ひ の全 ぜん 試合 しあい 終了 しゅうりょう 後 ご 、直 ただ ちに廃止 はいし した。そのため、それ以後 いご は歴代 れきだい 優勝 ゆうしょう 校 こう のパネルは掲示 けいじ されていない。
また、大会 たいかい 名 めい が記 しる されたパネル(左中間 さちゅうかん ・右中間 うちゅうかん )も優勝 ゆうしょう 校 こう パネルと同様 どうよう の白地 しろじ ・黒文字 くろもじ だったのを、翌 よく 1985年 ねん の第 だい 57回 かい 大会 たいかい 以後 いご は通常 つうじょう のフェンス広告 こうこく と同 おな じように緑地 りょくち ・白 しろ 文字 もじ と変更 へんこう された。さらに2010年 ねん の第 だい 82回 かい 大会 たいかい から、外野 がいや フェンスの広告 こうこく を解禁 かいきん したため、これらはバックネット裏 うら ・回転 かいてん 看板 かんばん スペースに掲示 けいじ されている。
応援 おうえん 団 だん 賞 しょう [ 編集 へんしゅう ]
第 だい 70回 かい 大会 たいかい (1998年 ねん )より応援 おうえん 団 だん 賞 しょう が設 もう けられた。21世紀 せいき 枠 わく 導入 どうにゅう 以降 いこう は21世紀 せいき 枠 わく 校 こう には最低 さいてい 1校 こう には必 かなら ず優秀 ゆうしゅう 賞 しょう 以上 いじょう を与 あた えることが不文 ふぶん 律 りつ となっており、最優秀 さいゆうしゅう 賞 しょう を受賞 じゅしょう することが多 おお くなっている。最優秀 さいゆうしゅう 賞 しょう 受賞 じゅしょう 校 こう は第 だい 73回 かい 大会 たいかい の桐光学園 とうこうがくえん を除 のぞ き公立 こうりつ 校 こう が占 し めている。また、21世紀 せいき 枠 わく 以外 いがい の最優秀 さいゆうしゅう 賞 しょう 受賞 じゅしょう 校 こう は第 だい 90回 かい 大会 たいかい で彦根 ひこね 東 ひがし が受賞 じゅしょう するまでいずれも春 はる 夏 なつ を通 つう じて初 はつ 出場 しゅつじょう となっていた(同 どう 大会 たいかい までの7校 こう 中 ちゅう 3校 こう は21世紀 せいき 枠 わく 導入 どうにゅう 前 まえ )。
審査 しんさ 規定 きてい
出場 しゅつじょう 校 こう の初戦 しょせん (原則 げんそく 1回戦 かいせん 。記念 きねん 大会 たいかい の場合 ばあい は一部 いちぶ を除 のぞ く2回戦 かいせん も)を対象 たいしょう に審査 しんさ を行 おこな い、閉会 へいかい 式 しき に最優秀 さいゆうしゅう 賞 しょう 1チーム、優秀 ゆうしゅう 賞 しょう 5チームが選出 せんしゅつ され表彰 ひょうしょう される。最優秀 さいゆうしゅう 賞 しょう に選出 せんしゅつ された学校 がっこう は、閉会 へいかい 式 しき で毎日新聞社 まいにちしんぶんしゃ から盾 たて が応援 おうえん 団長 だんちょう に授与 じゅよ される。第 だい 83回 かい 大会 たいかい (2011年 ねん )は震災 しんさい を理由 りゆう に応援 おうえん 団 だん 賞 しょう の選考 せんこう が行 おこな われなかった[63] 。新型 しんがた コロナの世界 せかい 的 てき 蔓延 まんえん により中止 ちゅうし となった第 だい 92回 かい 大会 たいかい (2020年 ねん )も、開催 かいさい 時 じ は無 む 観客 かんきゃく となるため選考 せんこう は行 おこな われない見込 みこ みであった。
その後 ご 、第 だい 93回 かい 大会 たいかい (2021年 ねん )から第 だい 95回 かい 記念 きねん 大会 たいかい (2023年 ねん )も同 おな じ理由 りゆう で選考 せんこう なしとなっていたが、声 こえ 出 だ し応援 おうえん の解禁 かいきん など応援 おうえん の制限 せいげん が大幅 おおはば に緩和 かんわ されたことを受 う け、第 だい 96回 かい 大会 たいかい (2024年 ねん )で5年 ねん ぶりに応援 おうえん 団 だん コンクールが復活 ふっかつ した[64] [65] 。
なお、同 おな じ毎日新聞 まいにちしんぶん が主催 しゅさい する都市 とし 対抗 たいこう 野球 やきゅう 大会 たいかい における応援 おうえん 団 だん 賞 しょう は大会 たいかい 全 ぜん 試合 しあい が対象 たいしょう であり、さらに初戦 しょせん を対象 たいしょう とした「ファーストステージ」(2011年 ねん までは試合 しあい 日程 にってい の順番 じゅんばん による「前期 ぜんき 賞 しょう 」「後期 こうき 賞 しょう 」)と、大会 たいかい 全 ぜん 試合 しあい を対象 たいしょう とした「期間 きかん 賞 しょう 」に細分 さいぶん されている。
受賞 じゅしょう 校 こう 一覧 いちらん (太字 ふとじ は21世紀 せいき 枠 わく 校 こう )[ 編集 へんしゅう ]
年 とし /回数 かいすう
最優秀 さいゆうしゅう 賞 しょう 校 こう
優秀 ゆうしゅう 賞 しょう 校 こう
1998年 ねん 第 だい 70回 かい
豊田 とよだ 西 にし (愛知 あいち )
新発田 しばた 農 のう (新潟 にいがた )・創価 そうか (東京 とうきょう )・関大 かんだい 一 いち (大阪 おおさか )・郡山 こおりやま (奈良 なら )・高鍋 たかなべ (宮崎 みやざき )
1999年 ねん 第 だい 71回 かい
峰山 みねやま (京都 きょうと )
高崎 たかさき 商 しょう (群馬 ぐんま )・駒大 こまだい 高 だか (東京 とうきょう )・日大三 にちだいさん (東京 とうきょう )・高田 たかだ (奈良 なら )・九 きゅう 産 さん 大 だい 九州 きゅうしゅう (福岡 ふくおか )
2000年 ねん 第 だい 72回 かい
橿原 かしはら (奈良 なら )
作新学院 さくしんがくいん (栃木 とちぎ )・埼玉 さいたま 栄 さかえ (埼玉 さいたま )・国士舘 こくしかん (東京 とうきょう )・創価 そうか (東京 とうきょう )・丸亀 まるがめ (香川 かがわ )
2001年 ねん 第 だい 73回 かい
桐光学園 とうこうがくえん (神奈川 かながわ )
安積 あさか (福島 ふくしま )・関西 かんさい 創価 そうか (大阪 おおさか )・智 さとし 弁 べん 学園 がくえん (奈良 なら )・小松 こまつ 島 とう (徳島 とくしま )・宜野座 ぎのざ (沖縄 おきなわ )
2002年 ねん 第 だい 74回 かい
三木 みき (兵庫 ひょうご )
前橋 まえばし (群馬 ぐんま )・津田 つだ 学園 がくえん (三重 みえ )・金光 こんこう 大阪 おおさか (大阪 おおさか )・広陵 こうりょう (広島 ひろしま )・松江北 まつえきた (島根 しまね )
2003年 ねん 第 だい 75回 かい
隠岐 おき (島根 しまね )
花咲 はなさき 徳 いさお 栄 さかえ (埼玉 さいたま )・浜名 はまな (静岡 しずおか )・智弁和歌山 ちべんわかやま (和歌山 わかやま )・岡山 おかやま 城東 じょうとう (岡山 おかやま )・秀 しゅう 岳 だけ 館 かん (熊本 くまもと )
2004年 ねん 第 だい 76回 かい
八幡浜 やわたはま (愛媛 えひめ )
一関 いちのせき 一 いち (岩手 いわて )・常葉 ときわ 菊川 きくかわ (静岡 しずおか )・八幡 やはた 商 しょう (滋賀 しが )・大阪桐蔭 おおさかとういん (大阪 おおさか )・社 しゃ (兵庫 ひょうご )
2005年 ねん 第 だい 77回 かい
高松 たかまつ (香川 かがわ )
慶応 けいおう (神奈川 かながわ )・愛工大名電 あいこうだいめいでん (愛知 あいち )・如水 にょすい 館 かん (広島 ひろしま )・西条 さいじょう (愛媛 えひめ )・神村学園 かみむらがくえん (鹿児島 かごしま )
2006年 ねん 第 だい 78回 かい
金沢 かなざわ 桜丘 さくらがおか (石川 いしかわ )
北海道 ほっかいどう 栄 さかえ (北海道 ほっかいどう )・早稲田 わせだ 実 み (東京 とうきょう )・高岡 たかおか 商 しょう (富山 とやま )・今治 いまばり 北 きた (愛媛 えひめ )・伊万里 いまり 商 しょう (佐賀 さが )
2007年 ねん 第 だい 79回 かい
室戸 むろと (高知 こうち )
都留 つる (山梨 やまなし )・日大藤沢 にちだいふじさわ (神奈川 かながわ )・市川 いちかわ (兵庫 ひょうご )・県 けん 和歌山商 わかやましょう (和歌山 わかやま )・鹿児島商 かごしましょう (鹿児島 かごしま )
2008年 ねん 第 だい 80回 かい
成章 しげあき (愛知 あいち )
安房 あわ (千葉 ちば )・長野 ながの 日大 にちだい (長野 ながの )・平安 へいあん (京都 きょうと )・興 きょう 譲 ゆずる 館 かん (岡山 おかやま )・下関 しものせき 商 しょう (山口 やまぐち )
2009年 ねん 第 だい 81回 かい
彦根 ひこね 東 ひがし (滋賀 しが )
習志野 ならしの (千葉 ちば )・掛川西 かけがわにし (静岡 しずおか )・PL学園 がくえん (大阪 おおさか )・今治 いまばり 西 にし (愛媛 えひめ )・大分 おおいた 上野丘 うえのがおか (大分 おおいた )
2010年 ねん 第 だい 82回 かい
川島 かわしま (徳島 とくしま )
山形 やまがた 中央 ちゅうおう (山形 やまがた )・東海大相模 とうかいだいさがみ (神奈川 かながわ )・向陽 こうよう (和歌山 わかやま )・自由ケ丘 じゆうがおか (福岡 ふくおか )・嘉手納 かでな (沖縄 おきなわ )
2011年 ねん 第 だい 83回 かい
東日本 ひがしにっぽん 大震災 だいしんさい の影響 えいきょう で応援 おうえん 団 だん が甲子園 こうしえん に来 こ られない学校 がっこう があり審査 しんさ の公平 こうへい 性 せい が保 たも てないと判断 はんだん したため実施 じっし せず[63] 。
2012年 ねん 第 だい 84回 かい
宮崎 みやざき 西 にし (宮崎 みやざき )
石巻 いしのまき 工 こう (宮城 みやぎ )・高崎 たかさき (群馬 ぐんま )・愛工大名電 あいこうだいめいでん (愛知 あいち )・三重 みえ (三重 みえ )・洲本 すもと (兵庫 ひょうご )
2013年 ねん 第 だい 85回 かい
土佐 とさ (高知 こうち )
遠軽 えんがる (北海道 ほっかいどう )・春江 はるえ 工 こう (福井 ふくい )・安田学園 やすだがくえん (東京 とうきょう )・済々黌 せいせいこう (熊本 くまもと )・尚志 ひさし 館 かん (鹿児島 かごしま )
2014年 ねん 第 だい 86回 かい
大島 おおしま (鹿児島 かごしま )
佐野日大 さのにちだい (栃木 とちぎ )・龍谷大 りゅうこくだい 平安 へいあん (京都 きょうと )・智 さとし 弁 べん 学園 がくえん (奈良 なら )・広島 ひろしま 新庄 しんじょう (広島 ひろしま )・池田 いけだ (徳島 とくしま )
2015年 ねん 第 だい 87回 かい
豊橋 とよはし 工 こう (愛知 あいち )
大曲 おおまがり 工 こう (秋田 あきた )・県 けん 岐阜 ぎふ 商 しょう (岐阜 ぎふ )・大阪桐蔭 おおさかとういん (大阪 おおさか )・今治 いまばり 西 にし (愛媛 えひめ )・糸満 いとまん (沖縄 おきなわ )
2016年 ねん 第 だい 88回 かい
小豆島 しょうどしま (香川 かがわ )
釜石 かまいし (岩手 いわて )・常総学院 じょうそうがくいん (茨城 いばらき )・木更津 きさらづ 総合 そうごう (千葉 ちば )・大阪桐蔭 おおさかとういん (大阪 おおさか )・秀 しゅう 岳 だけ 館 かん (熊本 くまもと )
2017年 ねん 第 だい 89回 かい
中村 なかむら (高知 こうち )
作新学院 さくしんがくいん (栃木 とちぎ )・多治見 たじみ (岐阜 ぎふ )・大阪桐蔭 おおさかとういん (大阪 おおさか )・智 さとし 弁 べん 学園 がくえん (奈良 なら )・創 そう 志学 しがく 園 えん (岡山 おかやま )
2018年 ねん 第 だい 90回 かい
彦根 ひこね 東 ひがし (滋賀 しが )
慶応 けいおう (神奈川 かながわ )・膳所 ぜぜ (滋賀 しが )・乙訓 おとくに (京都 きょうと )・おかやま山陽 さんよう (岡山 おかやま )・伊万里 いまり (佐賀 さが )
2019年 ねん 第 だい 91回 かい
富岡西 とみおかにし (徳島 とくしま )
習志野 ならしの (千葉 ちば )・桐蔭学園 とういんがくえん (神奈川 かながわ )・東邦 とうほう (愛知 あいち )・履 くつ 正 せい 社 しゃ (大阪 おおさか )・米子 よなご 東 ひがし (鳥取 とっとり )
2020年 ねん 第 だい 92回 かい
新型 しんがた コロナウイルスの影響 えいきょう により大会 たいかい 自体 じたい が中止 ちゅうし 。
2021年 ねん 第 だい 93回 かい
新型 しんがた コロナウイルスの影響 えいきょう により実施 じっし せず。
2022年 ねん 第 だい 94回 かい
2023年 ねん 第 だい 95回 かい
2024年 ねん 第 だい 96回 かい [65]
耐久 たいきゅう (和歌山 わかやま )
別海 べっかい (北海道 ほっかいどう )・豊川 とよかわ (愛知 あいち )・田辺 たなべ (和歌山 わかやま )
テレビ・ラジオ中継 ちゅうけい [ 編集 へんしゅう ]
第 だい 26回 かい 大会 たいかい (1954年 ねん )よりテレビ中継 ちゅうけい 開始 かいし 、第 だい 38回 かい 大会 たいかい (1966年 ねん )からカラー放送 ほうそう を開始 かいし した。第 だい 46回 かい 大会 たいかい (1974年 ねん )までは総合 そうごう テレビ で中継 ちゅうけい できない時 とき 間 あいだ 帯 たい (ニュースなど)は原則 げんそく として中断 ちゅうだん していたが、同年 どうねん 夏 なつ の第 だい 56回 かい 選手権 せんしゅけん 大会 たいかい の準々 じゅんじゅん 決勝 けっしょう 「東海大相模 とうかいだいさがみ 対 たい 鹿児島実 かごしまじつ 」戦 せん の延長 えんちょう 戦 せん 中継 ちゅうけい 方式 ほうしき を巡 めぐ って、視聴 しちょう 者 しゃ から苦情 くじょう が殺到 さっとう した(全国 ぜんこく 高等 こうとう 学校 がっこう 野球 やきゅう 選手権 せんしゅけん 大会 たいかい #NHKでの中継 ちゅうけい を参照 さんしょう )。
そのため、第 だい 47回 かい 大会 たいかい (1975年 ねん )より一部 いちぶ の試合 しあい で総合 そうごう テレビと教育 きょういく テレビ (現 げん :Eテレ)とのリレー中継 ちゅうけい を開始 かいし した。これが好評 こうひょう であったため、同年 どうねん の夏 なつ 以降 いこう 、この形 かたち でのリレー方式 ほうしき で完全 かんぜん 生 せい 中継 ちゅうけい を行 おこな っている。地上 ちじょう デジタル放送 ほうそう 開始 かいし 以降 いこう はイベントリレー機能 きのう を利用 りよう し、リレー時 じ の案内 あんない を実施 じっし している。
放送 ほうそう の形態 けいたい は以下 いか のとおりである。
前述 ぜんじゅつ のとおり、第 だい 46回 かい 大会 たいかい (1974年 ねん )までは原則 げんそく として総合 そうごう テレビのみの中継 ちゅうけい で、18時 じ 50分 ふん までは延長 えんちょう できたがそれ以降 いこう は延長 えんちょう できなかった[66] 。また、11時 じ 55分 ふん - 13時 じ 25分 ふん [注釈 ちゅうしゃく 43] は、レギュラー編成 へんせい [注釈 ちゅうしゃく 44] のため中継 ちゅうけい できなかった。
平日 へいじつ の午前 ごぜん 中 ちゅう は、開会 かいかい 式 しき と、地元 じもと の出場 しゅつじょう 校 こう が出場 しゅつじょう する試合 しあい のみ中継 ちゅうけい した。なお、土曜日 どようび ・日曜日 にちようび と準々 じゅんじゅん 決勝 けっしょう 以降 いこう は、午前 ごぜん 中 ちゅう の第 だい 1試合 しあい から全国 ぜんこく 中継 ちゅうけい したが、日曜日 にちようび の9時 じ - 10時 じ は『国会 こっかい 討論 とうろん 会 かい 』(『日曜 にちよう 討論 とうろん 』の前身 ぜんしん )を放送 ほうそう するため中継 ちゅうけい できなかった。
第 だい 52回 かい 大会 たいかい (1980年 ねん )までテレビは、引 ひ き続 つづ き平日 へいじつ の午前 ごぜん 中 ちゅう は、開会 かいかい 式 しき と、地元 じもと の出場 しゅつじょう 校 こう が出場 しゅつじょう する試合 しあい のみ中継 ちゅうけい し、11時 じ 55分 ふん から教育 きょういく テレビで全国 ぜんこく 中継 ちゅうけい した[67] 。なお、土曜日 どようび ・日曜日 にちようび と準々 じゅんじゅん 決勝 けっしょう 以降 いこう は、午前 ごぜん 中 ちゅう の第 だい 1試合 しあい から全国 ぜんこく 中継 ちゅうけい した。
第 だい 53回 かい 大会 たいかい (1981年 ねん )以降 いこう は、平日 へいじつ も午前 ごぜん 中 ちゅう の第 だい 1試合 しあい から全国 ぜんこく 中継 ちゅうけい するようになり、全 ぜん 試合 しあい 生 せい 中継 ちゅうけい のテレビで視聴 しちょう できるようになった[68] 。
テレビは第 だい 78回 かい 大会 たいかい (2006年 ねん )から5.1サラウンド を実施 じっし している。
初戦 しょせん では学校 がっこう 紹介 しょうかい のVTRが流 なが れる。長 なが らくBGM にその年 とし の入場 にゅうじょう 行進曲 こうしんきょく のオルゴール版 ばん [注釈 ちゅうしゃく 45] を使用 しよう し、VTRは主 おも に学校 がっこう の門 もん や校内 こうない を中心 ちゅうしん に紹介 しょうかい していたが、第 だい 95回 かい 大会 たいかい (2023年 ねん )では、出場 しゅつじょう 校 こう の生徒 せいと 会長 かいちょう がVTRに出演 しゅつえん して紹介 しょうかい する形式 けいしき となった(BGMなし)。また野球 やきゅう 部 ぶ の主将 しゅしょう によるチーム紹介 しょうかい VTRも別 べつ に流 なが れている(こちらは『アイラブユー』の演奏 えんそう のみのバージョンをBGMに使用 しよう )。
ラジオ中継 ちゅうけい は、第 だい 39回 かい 大会 たいかい (1967年 ねん )まではラジオ第 だい 2 で行 おこな われていた(近畿 きんき 圏 けん ではラジオ第 だい 1 で中継 ちゅうけい したこともあった)。ラジオ第 だい 1に移 うつ ってからも中継 ちゅうけい できない場合 ばあい はラジオ第 だい 2で中継 ちゅうけい していたが、ラジオ第 だい 2の周波数 しゅうはすう があまり知 し られていない、カーラジオ に設定 せってい されていない、市況 しきょう 放送 ほうそう 、講座 こうざ 放送 ほうそう に加 くわ え気象 きしょう 通報 つうほう が定時 ていじ に放送 ほうそう できないことからFM放送 ほうそう に移行 いこう した[69] 。
第 だい 40回 かい 大会 たいかい (1968年 ねん )以降 いこう は、ラジオ第 だい 1に移行 いこう したが1970年代 ねんだい 前半 ぜんはん 、11時 じ 55分 ふん - 13時 じ 5分 ふん は、レギュラー編成 へんせい のため中継 ちゅうけい できなかった[注釈 ちゅうしゃく 46] 。
第 だい 67回 かい 大会 たいかい (1995年 ねん )は1月 がつ 17日 にち 早朝 そうちょう に発生 はっせい した「阪神 はんしん ・淡路 あわじ 大震災 だいしんさい 」関連 かんれん のニュースや情報 じょうほう 番組 ばんぐみ を優先 ゆうせん するため、テレビは決勝 けっしょう 戦 せん を除 のぞ き、13時 じ 5分 ふん までは教育 きょういく テレビで中継 ちゅうけい した。また、平日 へいじつ は14時 じ から1時 じ 間 あいだ おき、土曜日 どようび ・日曜日 にちようび は10時 じ と15時 じ に、イニング終了 しゅうりょう 後 ご ニュースによる中断 ちゅうだん が3分間 ふんかん (平日 へいじつ の15時 じ は4分間 ふんかん )設 もう けられた。そのため、夏 なつ の大会 たいかい と同様 どうよう 、イニングの途中 とちゅう から中継 ちゅうけい したりイニングそのものが中継 ちゅうけい できなかったりして、ホームランが生 なま で見 み られないなどの問題 もんだい が発生 はっせい した[70] 。
第 だい 68回 かい 大会 たいかい (1996年 ねん )からは、平日 へいじつ は9時 じ から1時 じ 間 あいだ おき、土曜日 どようび ・日曜日 にちようび は10時 じ と15時 じ に全 すべ て3分間 ふんかん [注釈 ちゅうしゃく 47] ニュースを伝 つた えるために中断 ちゅうだん する。ただし、初戦 しょせん は2回 かい 表 ひょう ・裏 うら に校歌 こうか が流 なが れるため、2回 かい 裏 うら 終了 しゅうりょう 後 ご 、また、決勝 けっしょう 戦 せん は5回 かい 裏 うら 終了 しゅうりょう 後 ご にニュースを放送 ほうそう する。
第 だい 82回 かい 大会 たいかい (2010年 ねん )まではデジタル衛星 えいせい ハイビジョン (全 ぜん 試合 しあい )・衛星 えいせい 第 だい 2 (開会 かいかい 式 しき 、準々 じゅんじゅん 決勝 けっしょう 、準決勝 じゅんけっしょう 、決勝 けっしょう 、閉会 へいかい 式 しき のみ)でも中継 ちゅうけい していた。BS波 は を使 つか ったハイビジョンの中継 ちゅうけい はBSアナログハイビジョン実用 じつよう 化 か 試験 しけん 放送 ほうそう のころから続 つづ いており、第 だい 79回 かい (2007年 ねん )まで大相撲 おおずもう 開催 かいさい 期間 きかん 中 ちゅう は16時 じ で中継 ちゅうけい を終了 しゅうりょう していた。衛星 えいせい 第 だい 2では東京 とうきょう 都 と 小笠原諸島 おがさわらしょとう 、沖縄 おきなわ 県 けん 大東 だいとう 島 とう 地方 ちほう の地上波 ちじょうは テレビの衛星 えいせい 再 さい 送信 そうしん 中継 ちゅうけい 局 きょく ができるまでは、東京 とうきょう 代表 だいひょう と沖縄 おきなわ 県 けん 代表 だいひょう 出場 しゅつじょう 校 こう の試合 しあい も放送 ほうそう されていた。BSアナログハイビジョン実用 じつよう 化 か 試験 しけん 放送 ほうそう のころは、毎日放送 まいにちほうそう と共同 きょうどう 制作 せいさく [注釈 ちゅうしゃく 48] となったこともある[71] 。
第 だい 84回 かい 大会 たいかい (2012年 ねん )からはIPサイマル配信 はいしん 「NHKネットラジオ らじる★らじる 」で、第 だい 90回 かい 大会 たいかい (2018年 ねん )からは[72] 、民放 みんぽう ラジオポータルサイト「radiko 」にてNHKラジオの同時 どうじ 配信 はいしん をそれぞれ行 おこな う。「らじる★らじる」・「radiko」共々 ともども 全国 ぜんこく で聴取 ちょうしゅ 可能 かのう 。「radiko」は当初 とうしょ 、NHKラジオ実験 じっけん 配信 はいしん の一環 いっかん で、実験 じっけん 配信 はいしん 期間 きかん の関係 かんけい で、2018年 ねん は3月30日 にち までの配信 はいしん となり、配信 はいしん 地域 ちいき が限定 げんてい されていたため、関東 かんとう 一 いち 都 と 六 ろく 県 けん ・宮城 みやぎ ・広島 ひろしま ・愛媛 えひめ ・福岡 ふくおか のみで聴取 ちょうしゅ 可能 かのう 。規模 きぼ が拡大 かくだい された第 だい 91回 かい 大会 たいかい (2019年 ねん )以降 いこう は全国 ぜんこく で聴取 ちょうしゅ 可能 かのう となり[73] 、4月 がつ 1日 にち 付 づけ で試験 しけん 配信 はいしん から本 ほん 配信 はいしん に移行 いこう したため、継続 けいぞく している。
海外 かいがい でも準々 じゅんじゅん 決勝 けっしょう 以降 いこう はNHKワールド・プレミアム でも中継 ちゅうけい 。NHKワールド・ラジオ日本 にっぽん ではこれまで一切 いっさい 中継 ちゅうけい されていなかったが、第 だい 85回 かい 大会 たいかい (2013年 ねん )から国際 こくさい 放送 ほうそう 独自 どくじ の日本語 にほんご ニュース・海外 かいがい 安全 あんぜん 情報 じょうほう (11時 じ 台 だい 、13時 じ 台 だい 、土日 どにち 祝 しゅく 16時 じ 台 だい 、平日 へいじつ 18時 じ 台 だい からそれぞれ5 - 15分間 ふんかん )が放送 ほうそう される時 とき 間 あいだ 帯 たい を除 のぞ き、全編 ぜんぺん 同時 どうじ 中継 ちゅうけい を行 おこな う。
総合 そうごう テレビ、ラジオ第 だい 1で中継 ちゅうけい できない場合 ばあい はそれぞれ教育 きょういく テレビ(Eテレ)[注釈 ちゅうしゃく 49] 、FM放送 ほうそう に振 ふ り替 か えて中継 ちゅうけい する。大会 たいかい 中 ちゅう は、通常 つうじょう 国会 こっかい の会期 かいき 中 ちゅう にあたるため、国会 こっかい 中継 ちゅうけい における『予算 よさん 委員 いいん 会 かい ・決算 けっさん 委員 いいん 会 かい 』の集中 しゅうちゅう 質疑 しつぎ に最 さい 優先 ゆうせん で割 わ り当 あ てられる[注釈 ちゅうしゃく 50] 。また、大相撲 おおずもう 本場所 ほんばしょ 中 ちゅう は、幕内 まくうち の取組 とりくみ が始 はじ まる16時 じ で総合 そうごう テレビ、ラジオ第 だい 1での中継 ちゅうけい は終了 しゅうりょう し[注釈 ちゅうしゃく 51] 、大相撲 おおずもう 中継 ちゅうけい に切 き り替 か わる[注釈 ちゅうしゃく 52] [注釈 ちゅうしゃく 53] 。
その他 た 、基本 きほん 的 てき な形態 けいたい は夏 なつ の大会 たいかい に準 じゅん じて放送 ほうそう される。
第 だい 83回 かい 大会 たいかい (2011年 ねん )のテレビ中継 ちゅうけい は東日本 ひがしにっぽん 大震災 だいしんさい 関連 かんれん 番組 ばんぐみ の優先 ゆうせん や電力 でんりょく 事情 じじょう の考慮 こうりょ のため、次 つぎ のような特別 とくべつ 体勢 たいせい がしかれた。
東北 とうほく 地方 ちほう では、総合 そうごう テレビでの震災 しんさい 報道 ほうどう を優先 ゆうせん するため、教育 きょういく テレビのみで中継 ちゅうけい (同 どう 時間 じかん 帯 たい の通常 つうじょう 番組 ばんぐみ はサブチャンネル のデジタル教育 きょういく 3で放送 ほうそう )
東北 とうほく ・関東 かんとう 地方 ちほう では、当該 とうがい 地区 ちく の学校 がっこう が出場 しゅつじょう する試合 しあい を除 のぞ き、16時 じ で中継 ちゅうけい 終了 しゅうりょう 。
海外 かいがい 向 む け「NHKワールド・プレミアム」も16時 じ 55分 ふん で中継 ちゅうけい 終了 しゅうりょう 。
震災 しんさい 関連 かんれん の情報 じょうほう ・ニュース番組 ばんぐみ を優先 ゆうせん するため、10時 じ 台 だい と14時 じ 台 だい - 16時 じ 台 だい を除 のぞ き、教育 きょういく テレビで中継 ちゅうけい 。
総合 そうごう テレビの定時 ていじ ニュースは、決勝 けっしょう 戦 せん を除 のぞ き、試合 しあい 展開 てんかい にかかわらず毎時 まいじ 0分 ふん に挿入 そうにゅう 。
各 かく 試合 しあい のダイジェスト動画 どうが を、ホームページ上 じょう で公開 こうかい する。
初戦 しょせん での学校 がっこう 紹介 しょうかい VTRは行 おこな わない。
音声 おんせい は5.1サラウンドを実施 じっし せず、ステレオ 音声 おんせい で実施 じっし 。
第 だい 89回 かい 大会 たいかい (2017年 ねん )は、8Kスーパーハイビジョンで準決勝 じゅんけっしょう ・決勝 けっしょう の試験 しけん 放送 ほうそう を行 おこな った[74] 。また、投手 とうしゅ の投球 とうきゅう 数 すう と球速 きゅうそく が交互 こうご に表示 ひょうじ されるようになった。第 だい 90回 かい 大会 たいかい (2018年 ねん )は4Kで準決勝 じゅんけっしょう ・決勝 けっしょう の試験 しけん 放送 ほうそう を行 おこな った。第 だい 91回 かい 大会 たいかい (2019年 ねん )はNHK BS4K で準決勝 じゅんけっしょう ・決勝 けっしょう を地上波 ちじょうは 放送 ほうそう と異 こと なる映像 えいぞう 、実況 じっきょう ・解説 かいせつ で中継 ちゅうけい した[75] 。第 だい 93回 かい 大会 たいかい (2021年 ねん )以降 いこう は決勝 けっしょう 戦 せん のみの中継 ちゅうけい になり、第 だい 95回 かい 大会 たいかい (2023年 ねん )まで放送 ほうそう した[注釈 ちゅうしゃく 54] 。
第 だい 91回 かい 大会 たいかい (2019年 ねん )からは、前年 ぜんねん 夏 なつ の大会 たいかい で採用 さいよう された中継 ちゅうけい テーマソングである福山 ふくやま 雅治 まさはる の「甲子園 こうしえん 」が使 つか われている。ただし、第 だい 95回 かい 大会 たいかい (2023年 ねん )は、連続 れんぞく テレビ小説 しょうせつ 『舞 ま いあがれ! 』の主題歌 しゅだいか 『アイラブユー 』(back number )が入場 にゅうじょう 行進曲 こうしんきょく に選 えら ばれたため、中継 ちゅうけい でもテーマソング に準 じゅん じた扱 あつか いでハイライトやエンディングで使用 しよう していた。
第 だい 94回 かい 大会 たいかい (2022年 ねん )は準々 じゅんじゅん 決勝 けっしょう まで、日曜日 にちようび と祝日 しゅくじつ を除 のぞ く11時 じ 台 だい はEテレで中継 ちゅうけい された。なお、土曜日 どようび の11時 じ 40分 ふん - 12時 じ は『週間 しゅうかん 手話 しゅわ ニュース 』を通常 つうじょう 通 どお りに放送 ほうそう するため、当該 とうがい 時間 じかん 帯 たい はサブチャンネルで中継 ちゅうけい された。決勝 けっしょう 戦 せん も通常 つうじょう の平日 へいじつ であれば12時 じ 30分 ふん から総合 そうごう テレビのみで中継 ちゅうけい されるが[注釈 ちゅうしゃく 55] 、12時 じ 25分 ふん からEテレで中継 ちゅうけい を開始 かいし し、13時 じ 5分 ふん から総合 そうごう テレビへとリレー中継 ちゅうけい された[76] [77] 。
第 だい 96回 かい 大会 たいかい (2024年 ねん )より攻撃 こうげき 中 ちゅう のチームの打順 だじゅん が、画面 がめん 左上 ひだりうえ 隅 すみ に表示 ひょうじ されるようになった。(表示 ひょうじ 例 れい :現 げん 打者 だしゃ (白地 しろじ 黒文字 くろもじ )→次 じ 打者 だしゃ →次々 つぎつぎ 打者 だしゃ (黒地 くろじ 白 しろ 文字 もじ ))
解説 かいせつ 者 しゃ については、高校 こうこう 野球 やきゅう 解説 かいせつ 者 しゃ 一覧 いちらん を参照 さんしょう 。
毎日 まいにち 放送 ほうそう (MBS)グループ[ 編集 へんしゅう ]
地上波 ちじょうは テレビでは毎日放送 まいにちほうそう 、ラジオではMBSラジオ (2020年度 ねんど までは毎日放送 まいにちほうそう のラジオ部門 ぶもん )、衛星 えいせい 放送 ほうそう ではGAORA (同名 どうめい の連結 れんけつ 子会社 こがいしゃ が運営 うんえい するCATV ・CS放送 ほうそう チャンネル)で試合 しあい を中継 ちゅうけい している。
地上波 ちじょうは 中継 ちゅうけい では、テレビ・ラジオとも、長年 ながねん にわたって大会 たいかい 歌 か (陽 ひ は舞 ま いおどる甲子園 こうしえん →今 いま ありて )のインスト をオープニングとエンディングで放送 ほうそう 。テレビ中継 ちゅうけい では第 だい 68回 かい 大会 たいかい (1996年 ねん )より、ラジオ中継 ちゅうけい では第 だい 71回 かい 大会 たいかい (1999年 ねん )から、入場 にゅうじょう 行進曲 こうしんきょく を採用 さいよう していた[注釈 ちゅうしゃく 59] 。第 だい 77回 かい 大会 たいかい (2005年 ねん )以降 いこう のテレビ中継 ちゅうけい では独自 どくじ のテーマソング[注釈 ちゅうしゃく 60] を設定 せってい している。
テレビの放送 ほうそう 席 せき では、同局 どうきょく のプロ野球 やきゅう および高校 こうこう ラグビー中継 ちゅうけい がインカム (ヘッドセットマイク)使用 しよう に移行 いこう してからも、スタンドマイク[注釈 ちゅうしゃく 61] を使用 しよう し続 つづ けている[注釈 ちゅうしゃく 62] 。
テレビ・ラジオ・GAORAとも、中継 ちゅうけい での実況 じっきょう やインタビュアーを、毎日放送 まいにちほうそう に所属 しょぞく する現役 げんえき のスポーツアナウンサー(シニアスタッフ=嘱託 しょくたく 社員 しゃいん を含 ふく む)が担当 たんとう (MBSベースボールパーク の当該 とうがい 項 こう も参照 さんしょう )。第 だい 80回 かい 大会 たいかい (2008年 ねん )までは毎日 まいにち 放送 ほうそう (ラジオのみ)、第 だい 81回 かい 大会 たいかい (2009年 ねん )以降 いこう はGAORAで放送 ほうそう する大会 たいかい 序盤 じょばん の試合 しあい 中継 ちゅうけい が、毎日放送 まいにちほうそう の新人 しんじん ・若手 わかて アナウンサーによる野球 やきゅう 中継 ちゅうけい での実況 じっきょう デビューの場 ば にもなっている。また、毎日放送 まいにちほうそう 公式 こうしき サイト内 ない の大会 たいかい 関連 かんれん ページでは、同局 どうきょく のスポーツアナウンサー(主 おも にGAORAでの中継 ちゅうけい の実況 じっきょう 担当 たんとう 者 しゃ )が試合 しあい ごとに戦 たたかえ 評 ひょう を記 しる している。なお、2005年 ねん 以降 いこう の全国 ぜんこく 高校 こうこう 野球 やきゅう 選手権 せんしゅけん 大会 たいかい 中継 ちゅうけい (毎日放送 まいにちほうそう と同様 どうよう の放送 ほうそう 体制 たいせい で朝日放送 あさひほうそう テレビが制作 せいさく を担当 たんとう )とは違 ちが って、地上波 ちじょうは での系列 けいれつ 局 きょく に所属 しょぞく するスポーツアナウンサーが、実況 じっきょう ・インタビュー要員 よういん として大会 たいかい 期間 きかん 中 ちゅう に派遣 はけん されることはない[注釈 ちゅうしゃく 63] 。GAORAのプロ野球 やきゅう 中継 ちゅうけい で実況 じっきょう ・リポーターを務 つと めるスポーツアナウンサーも、毎日放送 まいにちほうそう からの出向 しゅっこう 者 しゃ を含 ふく めて、当 とう 大会 たいかい の中継 ちゅうけい には登場 とうじょう しない[注釈 ちゅうしゃく 64] 。
毎日放送 まいにちほうそう では毎年 まいとし 、大会 たいかい 期間 きかん 中 ちゅう にハイライトのテレビ番組 ばんぐみ を制作 せいさく 。かつては、番 ばん 販扱 こ いで、他 た のJNN系列 けいれつ 局 きょく の一部 いちぶ でも放送 ほうそう していた。第 だい 73回 かい (2003年 ねん )以降 いこう の大会 たいかい 期間 きかん 中 ちゅう に編成 へんせい している『みんなの甲子園 こうしえん 』では、地上波 ちじょうは での放送 ほうそう を関西 かんさい ローカルにとどめているほか、テレビ中継 ちゅうけい と同 おな じテーマソングを使用 しよう 。GAORAでも大会 たいかい 期間 きかん 中 ちゅう に、前日 ぜんじつ (または当日 とうじつ の未明 みめい )の毎日放送 まいにちほうそう 放送 ほうそう 分 ぶん を当日 とうじつ の第 だい 1試合 しあい 中継 ちゅうけい 開始 かいし 前 まえ に日本 にっぽん 全国 ぜんこく へ流 なが している(2015年 ねん - 2017年 ねん を除 のぞ く)。
毎日放送 まいにちほうそう では、第 だい 31回 かい 大会 たいかい (1959年 ねん )から第 だい 74回 かい 大会 たいかい (2002年 ねん )までは1回戦 かいせん から決勝 けっしょう 戦 せん まで生 なま 中継 ちゅうけい していた。なお、第 だい 29回 かい 大会 たいかい (1957年 ねん )、第 だい 30回 かい 大会 たいかい (1958年 ねん )は第 だい 29回 かい 大会 たいかい の4か月 げつ 前 まえ に開局 かいきょく した旧 きゅう 大阪 おおさか テレビ放送 ほうそう (現 げん :朝日放送 あさひほうそう テレビ )が中継 ちゅうけい していた。大阪 おおさか テレビ放送 ほうそう は1954年 ねん 5月に創立 そうりつ され毎日新聞社 まいにちしんぶんしゃ 、朝日新聞社 あさひしんぶんしゃ 、朝日放送 あさひほうそう (当時 とうじ 。ABC)、そして毎日放送 まいにちほうそう の前身 ぜんしん ・新 しん 日本 にっぽん 放送 ほうそう (NJB)との合弁 ごうべん 企業 きぎょう だったためである。従 したが って、この2回 かい の高校 こうこう 野球 やきゅう の民放 みんぽう テレビ中継 ちゅうけい は大阪 おおさか テレビの事実 じじつ 上 じょう 独占 どくせん 放送 ほうそう だった。
テレビ中継 ちゅうけい のタイトルは、NHKと同 おな じく「第 だい 〇回 かい センバツ 」である。かつて第 だい 66回 かい 大会 たいかい (1994年 ねん )までは春 はる も「第 だい 〇回 かい 選抜 せんばつ 高等 こうとう 学校 がっこう 野球 やきゅう 大会 たいかい ・中継 ちゅうけい 」であった。ただしオープニングはグラウンドをバックにしたタイトル表示 ひょうじ はあったが、最終 さいしゅう 試合 しあい 以外 いがい の(例 れい :第 だい 1〜3試合 しあい )エンディングは「第 だい 〇日 にち (若 も しくは準々 じゅんじゅん 決勝 けっしょう 、準決勝 じゅんけっしょう ) 第 だい (一 いち 〜三 さん )試合 しあい 終 おわり 。 」だけだった(ニュース等 とう の中断 ちゅうだん 明 あ けの時間 じかん を案内 あんない することもあった)。現在 げんざい [いつ? ] はグラウンドをバックに「第 だい 〇回 かい センバツ」とOP、ED、イニング間 あいだ もタイトル出 だ しが行 おこな われている。
初期 しょき は完全 かんぜん 放送 ほうそう を実施 じっし していたが(試合 しあい の幕間 まくあい にMBSニュース 、お天気 てんき のお知 し らせ 、『水道 すいどう 完備 かんび ガス見込 みこみ 』などの帯 おび ドラマ を放送 ほうそう )、第 だい 38回 かい 大会 たいかい (1966年 ねん )以降 いこう 昼間 ひるま 時 じ には平日 へいじつ は東京 とうきょう 局 きょく (1975年 ねん 3月30日 にち まではNETテレビ 、同年 どうねん 3月31日 にち 以降 いこう はTBSテレビ …「ネットチェンジ 」参照 さんしょう )発 はつ の全国 ぜんこく ネット番組 ばんぐみ を、日曜 にちよう は自社 じしゃ 製作 せいさく の演芸 えんげい 、バラエティー番組 ばんぐみ (後年 こうねん は日曜 にちよう もTBSテレビ発 はつ の全国 ぜんこく ネット番組 ばんぐみ )を編成 へんせい するようになった(土曜 どよう と準決勝 じゅんけっしょう 以降 いこう 、後年 こうねん は準々 じゅんじゅん 決勝 けっしょう 以降 いこう を除 のぞ く)。関西 かんさい 地区 ちく では、第 だい 52回 かい 大会 たいかい (1980年 ねん )までは平日 へいじつ の午前 ごぜん 中 ちゅう (関西 かんさい 地区 ちく の出場 しゅつじょう 校 こう が出場 しゅつじょう する試合 しあい を除 のぞ く)はNHKが中継 ちゅうけい していなかったこともあり事実 じじつ 上 じょう の独占 どくせん 放送 ほうそう となったが第 だい 46回 かい 大会 たいかい (1974年 ねん )までは土曜 どよう を除 のぞ く12時 じ 台 だい と平日 へいじつ の13時 じ 台 だい 前半 ぜんはん は、NHKも中継 ちゅうけい していなかったためテレビの生 なま 中継 ちゅうけい が放送 ほうそう されなかった[78] 。
しかし、朝日放送 あさひほうそう テレビのようなサンテレビ などの近畿 きんき 圏 けん 独立 どくりつ 局 きょく 経由 けいゆ のリレー形式 けいしき を取 と り入 い れる事 こと は、すでに朝日放送 あさひほうそう テレビがこれら独立 どくりつ 局 きょく と包括 ほうかつ 的 てき な提携 ていけい を結 むす んでいたため、毎日放送 まいにちほうそう にはそれができなかった。それに加 くわ え選抜 せんばつ 高校 こうこう 野球 やきゅう 大会 たいかい の視聴 しちょう 率 りつ が1桁 けた に低迷 ていめい したこと、TBSテレビ発 はつ の全国 ぜんこく ネット番組 ばんぐみ を編成 へんせい するのに障害 しょうがい が生 しょう じてきたことや、夕方 ゆうがた ワイド番組 ばんぐみ (『ちちんぷいぷい 』→『ミント! 』→『よんチャンTV 』)を強化 きょうか したい意向 いこう もあり、第 だい 75回 かい 大会 たいかい (2003年 ねん )からは「センバツは別 べつ の形 かたち でお届 とど けしたい」として準決勝 じゅんけっしょう 2試合 しあい と決勝 けっしょう 戦 せん の生 なま 中継 ちゅうけい だけとなり、2015年 ねん 以降 いこう は決勝 けっしょう 戦 せん のみとなった。なお第 だい 76回 かい 大会 たいかい (2004年 ねん )の決勝 けっしょう 戦 せん は雨天 うてん により開始 かいし 時間 じかん が大幅 おおはば に遅 おく れてナイターとなったため、地上波 ちじょうは 放送 ほうそう が取 と り止 や めとなっている。
決勝 けっしょう 戦 せん の中継 ちゅうけい 開始 かいし は原則 げんそく 昼 ひる の『JNNニュース 』終了 しゅうりょう 後 ご であるが、土曜日 どようび 開催 かいさい (当初 とうしょ の予定 よてい は金曜日 きんようび )となった第 だい 95回 かい 大会 たいかい (2023年 ねん )では『せやねん! 』第 だい 2部 ぶ (通常 つうじょう は11時 じ 58分 ふん - 12時 じ 54分 ふん )を12時 じ 25分 ふん まで短縮 たんしゅく 放送 ほうそう した後 のち に中継 ちゅうけい を開始 かいし した。日曜日 にちようび 開催 かいさい (当初 とうしょ の予定 よてい は土曜日 どようび )となった第 だい 96回 かい 大会 たいかい (2024年 ねん )では『アッコにおまかせ! 』(通常 つうじょう は11時 じ 45分 ふん - 12時 じ 54分 ふん )のネットを返上 へんじょう し、ガイド を経 へ て11時 じ 50分 ふん より中継 ちゅうけい を開始 かいし した。
毎日放送 まいにちほうそう 制作 せいさく の高校 こうこう 野球 やきゅう 中継 ちゅうけい は関東 かんとう 地区 ちく では第 だい 32回 かい 大会 たいかい (1960年 ねん ) - 第 だい 34回 かい 大会 たいかい (1962年 ねん )・第 だい 36回 かい 大会 たいかい (1964年 ねん )・第 だい 41回 かい 大会 たいかい (1969年 ねん )はNETテレビで、第 だい 35回 かい 大会 たいかい (1963年 ねん )はTBSテレビで(スポンサード・ネット)、第 だい 37回 かい 大会 たいかい (1965年 ねん ) - 第 だい 40回 かい 大会 たいかい (1968年 ねん )・第 だい 42回 かい 大会 たいかい (1970年 ねん ) - 第 だい 46回 かい 大会 たいかい (1974年 ねん )は東京 とうきょう 12チャンネル(現 げん :テレビ東京 てれびとうきょう )で多 おお く放送 ほうそう され、特 とく に当時 とうじ 放送 ほうそう 番組 ばんぐみ に窮 きゅう していた東京 とうきょう 12チャンネルでは完全 かんぜん 中継 ちゅうけい を実施 じっし したこともあった。このことにより関東 かんとう 地区 ちく では12時 じ 台 だい と平日 へいじつ の午前 ごぜん 中 ちゅう (関東 かんとう 地区 ちく の出場 しゅつじょう 校 こう が出場 しゅつじょう する試合 しあい を除 のぞ く)はNHKが中継 ちゅうけい していなかったこともあり一 いち 時期 じき は事実 じじつ 上 じょう の独占 どくせん 放送 ほうそう になった。ほかカードによりテレビ神奈川 てれびかながわ 、千葉 ちば テレビ で放送 ほうそう されたこともある。
名古屋 なごや 地区 ちく では当初 とうしょ 東海 とうかい テレビ (第 だい 32 - 34回 かい 大会 たいかい )でのち名古屋 なごや テレビ (1962年 ねん 4月開局 かいきょく 。第 だい 35 - 41回 かい 大会 たいかい 結果 けっか )から中京 ちゅうきょう テレビ (1969年 ねん 4月開局 かいきょく 。第 だい 42 - 45回 かい 大会 たいかい )で放送 ほうそう され、名古屋 なごや テレビと中京 ちゅうきょう テレビの変則 へんそく クロスネット解消 かいしょう 後 ご は岐阜放送 ぎふほうそう 、先述 せんじゅつ のネットチェンジ…「腸捻転 ちょうねんてん 解消 かいしょう 」後 ご は中部日本放送 ちゅうぶにっぽんほうそう (現 げん :CBCテレビ 。但 ただ し決勝 けっしょう 戦 せん のみ)でも放送 ほうそう された。いずれも毎日放送 まいにちほうそう がTBS系 けい に移 うつ ってからはほとんど放送 ほうそう されなくなった。TBSテレビで放送 ほうそう されたのは今 いま のところ第 だい 50回 かい 大会 たいかい (1978年 ねん )の決勝 けっしょう 戦 せん が最後 さいご である。
広島 ひろしま 県 けん では1963年 ねん に広島 ひろしま テレビ (当時 とうじ は日本 にほん テレビ・フジテレビ系列 けいれつ )で初 はじ めて放送 ほうそう され、その後 ご 中国放送 ちゅうごくほうそう (TBS系列 けいれつ )や広島 ひろしま ホームテレビ (NETテレビ系列 けいれつ )に移行 いこう した。広島 ひろしま ホームテレビでは1972年 ねん ・1973年 ねん に午前 ごぜん ・午後 ごご の自主 じしゅ 編成 へんせい 枠 わく で相当 そうとう 数 すう の試合 しあい を放送 ほうそう した。1975年 ねん のネットチェンジで中国 ちゅうごく 放送 ほうそう に再 さい 移行 いこう したが、その後 ご 放送 ほうそう を縮小 しゅくしょう ・撤退 てったい した。
近年 きんねん [いつ? ] 、地方 ちほう 局 きょく へのネットは長野 ながの 代表 だいひょう 校 こう 登場 とうじょう の際 さい に信越放送 しんえつほうそう 、沖縄 おきなわ 代表 だいひょう 校 こう 登場 とうじょう の際 さい に琉球放送 りゅうきゅうほうそう (放送 ほうそう 時間 じかん はかつての毎日放送 まいにちほうそう に準 じゅん ずる。編成 へんせい 上 じょう の都合 つごう で放送 ほうそう されない時 とき もある)が行 おこ なっている。また、決勝 けっしょう 戦 せん のネットは東北放送 とうほくほうそう (第 だい 73回 かい ・2001年 ねん 、仙台育英 せんだいいくえい )、中部日本放送 ちゅうぶにっぽんほうそう (第 だい 77回 かい ・2005年 ねん 、愛工大名電 あいこうだいめいでん /第 だい 79回 かい ・2007年 ねん 、大垣 おおがき 日大 にちだい )[注釈 ちゅうしゃく 65] 、長崎放送 ながさきほうそう (第 だい 78回 かい ・2006年 ねん 、清 しん 峰 ほう /第 だい 81回 かい ・2009年 ねん 、清 しん 峰 ほう )、IBC岩手 いわて 放送 ほうそう (第 だい 81回 かい ・2009年 ねん 、花巻 はなまき 東 ひがし )、青森 あおもり テレビ (第 だい 84回 かい ・2012年 ねん 、光 ひかり 星 ぼし 学院 がくいん (現 げん :八戸 はちのへ 学院 がくいん 光 こう 星 ほし ))、あいテレビ (第 だい 85回 かい ・2013年 ねん 、済 すみ 美 び )[注釈 ちゅうしゃく 65] 、北海道放送 ほっかいどうほうそう (第 だい 87回 かい ・2015年 ねん 、東海大四 とうかいだいよん (現 げん :東海大 とうかいだい 札幌 さっぽろ ) )、山陽放送 さんようほうそう (現 げん :RSK山陽放送 さんようほうそう 、第 だい 88回 かい ・2016年 ねん 、高松 たかまつ 商 しょう )[注釈 ちゅうしゃく 66] 、大分放送 おおいたほうそう (第 だい 93回 かい ・2021年 ねん 、明豊 めいほう )など、2000年代 ねんだい 以降 いこう は決勝 けっしょう 進出 しんしゅつ 校 こう が東京 とうきょう ・関東 かんとう 地区 ちく 以外 いがい であればネットされるケースが多 おお い[注釈 ちゅうしゃく 67] 。JNN系列 けいれつ 局 きょく 以外 いがい へのネットとしては、福井 ふくい 代表 だいひょう 校 こう 登場 とうじょう の際 さい に福井放送 ふくいほうそう (日本 にほん テレビ系列 けいれつ )、第 だい 60回 かい 大会 たいかい (1988年 ねん )で宇和島東 うわじまひがし が進出 しんしゅつ した決勝 けっしょう 戦 せん をネットした南海放送 なんかいほうそう (日本 にほん テレビ系列 けいれつ 、当時 とうじ あいテレビは未 み 開局 かいきょく )などの例 れい がある。
第 だい 88回 かい 大会 たいかい (2016年 ねん )からは、決勝 けっしょう 戦 せん の中継 ちゅうけい に赤星 あかほし 憲 けん 広 ひろ が毎年 まいとし ゲスト解説 かいせつ 者 しゃ として出演 しゅつえん している。学生 がくせい 野球 やきゅう 資格 しかく を回復 かいふく 済 ず みのプロ野球 やきゅう 経験 けいけん 者 しゃ が、高校 こうこう 野球 やきゅう 全国 ぜんこく 大会 たいかい のテレビ・ラジオ中継 ちゅうけい で解説 かいせつ 陣 じん に加 くわ わる事例 じれい は、前述 ぜんじゅつ の全国 ぜんこく 高等 こうとう 学校 がっこう 野球 やきゅう 選手権 せんしゅけん 大会 たいかい 中継 ちゅうけい を含 ふく めても初 はじ めてである[79] [注釈 ちゅうしゃく 68] 。
大会 たいかい 中継 ちゅうけい のメインスポンサーは、長 なが らく松下電器 まつしたでんき (現 げん ・パナソニック) と十川 そがわ ゴム で、1990年代 ねんだい に入 はい りJR西日本 にしにほん グループが務 つと めた。
野球 やきゅう 中継 ちゅうけい では、現在 げんざい 当 あ たり前 まえ のようにあるバックスクリーン(球場 きゅうじょう によってはスコアボードや外野 がいや スタンド)からテレビカメラで写 うつ したり走塁 そうるい ランナーの位置 いち の表示 ひょうじ (現在 げんざい のようなレイアウトではない)を最初 さいしょ に行 い ったのもこの中継 ちゅうけい からである。またNHKに先駆 さきが けて松下電器 まつしたでんき が開発 かいはつ したサラウンドで初 はじ めて中継 ちゅうけい した。
毎日 まいにち 放送 ほうそう (2021年度 ねんど よりMBSラジオ)では、「センバツ高校 こうこう 野球 やきゅう ・実況 じっきょう 中継 ちゅうけい 」というタイトルで放送 ほうそう 。新 しん 日本 にっぽん 放送 ほうそう (NJB)時代 じだい の第 だい 24回 かい 大会 たいかい (1952年 ねん )から、試合 しあい の生 なま 中継 ちゅうけい を開始 かいし した。ただし翌年 よくねん からはもっぱら生 なま 中継 ちゅうけい は準決勝 じゅんけっしょう 、決勝 けっしょう 戦 せん のみ行 おこな い、そのほかの試合 しあい は当日 とうじつ の12時 じ 、17時 じ 台 だい (後年 こうねん は22時 じ 台 だい )にダイジェスト版 ばん を放送 ほうそう していた。また、この時期 じき に開局 かいきょく した京都 きょうと 放送 ほうそう (当時 とうじ KHK、現在 げんざい のKBS京都 きょうと )や四国放送 しこくほうそう (当時 とうじ JR、現在 げんざい のJRT)などの地方 ちほう 民間 みんかん 放送 ほうそう 局 きょく へもネットしていた。決勝 けっしょう 戦 せん はNHKに対抗 たいこう して「3元 げん 立体 りったい 放送 ほうそう 」(ステレオ放送 ほうそう とは意味 いみ が異 こと なる)と題 だい して、アルプススタンドや出場 しゅつじょう 校 こう の地元 じもと にリポーターを配 はい して放送 ほうそう していた。その後 ご 第 だい 31回 かい (1959年 ねん )からは和歌山放送 わかやまほうそう (当時 とうじ WBC、現在 げんざい のWBS)で1回戦 かいせん から一部 いちぶ の試合 しあい を中継 ちゅうけい 。第 だい 35回 かい 大会 たいかい (1963年 ねん )以降 いこう は毎日 まいにち 放送 ほうそう で全 ぜん 試合 しあい 完全 かんぜん 生 せい 中継 ちゅうけい を行 おこな い(ただしWBCは準決勝 じゅんけっしょう 、決勝 けっしょう 戦 せん の放送 ほうそう をしばらくの間 あいだ 毎日放送 まいにちほうそう とのサイマルで続行 ぞっこう )、第 だい 38回 かい 大会 たいかい (1966年 ねん )以降 いこう はJRN ・NRN を通 とお して全国 ぜんこく に配信 はいしん している。これ以降 いこう 東京 とうきょう 地区 ちく でも放送 ほうそう されるようになった。その後 ご 、「自社 じしゃ 制作 せいさく のローカル番組 ばんぐみ の編成 へんせい を優先 ゆうせん する」「スポンサーが付 つ きにくい」「NHKでも放送 ほうそう されている[注釈 ちゅうしゃく 69] 」などの理由 りゆう から、地元 じもと 校 こう が準決勝 じゅんけっしょう あるいは決勝 けっしょう まで進 すす まない限 かぎ りネット受 う けを実施 じっし しない局 きょく が年々 ねんねん 増加 ぞうか 。JRN親 おや 局 きょく のTBSラジオ でも、第 だい 71回 かい 大会 たいかい (1999年 ねん )以降 いこう は中継 ちゅうけい を放送 ほうそう していない。NRN親 おや 局 きょく のニッポン放送 にっぽんほうそう や文化放送 ぶんかほうそう も、それ以前 いぜん (1980年代 ねんだい )から中継 ちゅうけい の放送 ほうそう を取 と り止 と めている。ただし、近畿 きんき 地方 ちほう 以外 いがい の出場 しゅつじょう 校 こう が登場 とうじょう する準決勝 じゅんけっしょう までの試合 しあい で、地元 じもと のラジオ局 きょく に向 む けて裏 うら 送 おく り形式 けいしき の中継 ちゅうけい を実施 じっし することがある(下記 かき 項目 こうもく を参照 さんしょう )。
毎日放送 まいにちほうそう では、第 だい 81回 かい 大会 たいかい (2009年 ねん )から「民放 みんぽう には民放 みんぽう のやり方 かた がある」という河内 かわうち 一 いち 友 とも 社長 しゃちょう (当時 とうじ )の方針 ほうしん で準決勝 じゅんけっしょう と決勝 けっしょう のみを中継 ちゅうけい [80] 。準々 じゅんじゅん 決勝 けっしょう までの試合 しあい については、『春一番 はるいちばん !センバツ甲子園 こうしえん 』という速報 そくほう を単独 たんどく 番組 ばんぐみ として放送 ほうそう したり、自社 じしゃ 制作 せいさく の生 なま ワイド番組 ばんぐみ に内包 ないほう させたりしていた。第 だい 88回 かい (2016年 ねん )以降 いこう の大会 たいかい では、中継 ちゅうけい の対象 たいしょう を決勝 けっしょう 戦 せん に限 かぎ るとともに、『春一番 はるいちばん !センバツ甲子園 こうしえん 』を編成 へんせい していない。また決勝 けっしょう 戦 せん の中継 ちゅうけい 開始 かいし は2022年 ねん 以降 いこう 、土曜日 どようび を除 のぞ き原則 げんそく 正午 しょうご である[注釈 ちゅうしゃく 70] 。
なおテレビ中継 ちゅうけい および『みんなの甲子園 こうしえん 』のテーマソングは、毎日放送 まいにちほうそう ・MBSラジオによる大会 たいかい および近畿 きんき 地区 ちく 代表 だいひょう 校 こう を告知 こくち するCM[注釈 ちゅうしゃく 71] を含 ふく め一切 いっさい 使用 しよう されなかったが、テーマソングが「第 だい 〇回 かい センバツ MBS公式 こうしき テーマソング」と銘打 めいう たれるようになってから(制定 せいてい は2020年 ねん 、実 じつ 使用 しよう は2021年 ねん 以降 いこう )は使用 しよう されるようになった[注釈 ちゅうしゃく 72] 。
衛星 えいせい 放送 ほうそう (GAORA)[ 編集 へんしゅう ]
GAORAでは、1990年 ねん のスペース・ビジョン・ネットワーク開局 かいきょく から1994年 ねん までは当日 とうじつ の夜 よる からダイジェストで放送 ほうそう [81] 、1995年 ねん より全 ぜん 試合 しあい 完全 かんぜん 中継 ちゅうけい している。生 なま 中継 ちゅうけい ができない場合 ばあい はこの時間 じかん の試合 しあい 分 ぶん を録画 ろくが 中継 ちゅうけい (ニアライブ )する[注釈 ちゅうしゃく 73] 。
GAORAでは、大会 たいかい 終了 しゅうりょう 後 ご に、「センバツプレイバック」(全 ぜん 試合 しあい の再 さい 放送 ほうそう や過去 かこ の大会 たいかい からの名 めい 勝負 しょうぶ の映像 えいぞう で構成 こうせい された1時 じ 間 あいだ 番組 ばんぐみ )などを随時 ずいじ 放送 ほうそう 。第 だい 86回 かい 大会 たいかい (2014年 ねん )までは、大会 たいかい 期間 きかん 中 ちゅう に『みんなの甲子園 こうしえん 』の遅 おく れ放送 ほうそう も実施 じっし していた。毎日放送 まいにちほうそう が『みんなの甲子園 こうしえん 』の放送 ほうそう 体制 たいせい を大幅 おおはば に改 あらた めた第 だい 87回 かい 大会 たいかい (2015年 ねん )から第 だい 89回 かい 大会 たいかい (2017年 ねん )までは、大会 たいかい 期間 きかん 中 ちゅう の放送 ほうそう を取 と り止 や める代 か わりに、毎日放送 まいにちほうそう での放送 ほうそう 内容 ないよう を前 まえ ・後編 こうへん の構成 こうせい で編集 へんしゅう したダイジェスト番組 ばんぐみ を大会 たいかい 終了 しゅうりょう 後 ご に放送 ほうそう していた。第 だい 90回 かい 大会 たいかい (2018年 ねん )には、ダイジェスト番組 ばんぐみ の放送 ほうそう を続 つづ ける一方 いっぽう で、『みんなの甲子園 こうしえん 』本編 ほんぺん の遅 おく れ放送 ほうそう を再開 さいかい する。
なお、TBS 系 けい の衛星 えいせい 放送 ほうそう (BS-TBS 、TBS NEWS 、TBSチャンネル )では、試合 しあい の中継 ちゅうけい や関連 かんれん 番組 ばんぐみ を一切 いっさい 放送 ほうそう していない。
2013年 ねん 以降 いこう 、中学 ちゅうがく 時代 じだい にクラブチームに所属 しょぞく していた選手 せんしゅ に関 かん しては、打席 だせき 時 じ の選手 せんしゅ 紹介 しょうかい テロップにおいて出身 しゅっしん 中学 ちゅうがく 名 めい に代 か わり出身 しゅっしん クラブチーム名 めい を表示 ひょうじ していたが、2021年 ねん から再 ふたた び出身 しゅっしん 中学 ちゅうがく となった[注釈 ちゅうしゃく 74] 。
インターネットでのライブ配信 はいしん [ 編集 へんしゅう ]
毎日放送 まいにちほうそう の公式 こうしき サイト内 ない に設 もう けられる本 ほん 大会 たいかい のページでは、第 だい 70回 かい 大会 たいかい (1998年 ねん )より試合 しあい 速報 そくほう の配信 はいしん を開始 かいし 。第 だい 71回 かい 大会 たいかい (1999年 ねん )[82] から第 だい 87回 かい 大会 たいかい (2015年 ねん )までは、NTTスマートコネクト(NTT西日本 にしにほん の子会社 こがいしゃ )からの協力 きょうりょく によって、リアルタイム中継 ちゅうけい を実施 じっし していた。また、インターネットテレビ 向 む けに、中継 ちゅうけい の動画 どうが を積極 せっきょく 的 てき に配信 はいしん している。
リアルタイム中継 ちゅうけい の開始 かいし 当初 とうしょ は、ラジオ向 む けの実況 じっきょう 音声 おんせい と、毎日放送 まいにちほうそう のテレビカメラで撮影 さつえい した映像 えいぞう を組 く み合 あ わせた動画 どうが を配信 はいしん していた。しかし、試合 しあい 終了 しゅうりょう 後 ご のダイジェスト版 ばん へのアクセス件数 けんすう が多 おお かったことから、第 だい 78回 かい 大会 たいかい (2006年 ねん )以降 いこう の試合 しあい ではイニングが終了 しゅうりょう するたびにビデオ・オン・デマンド 形式 けいしき (画面 がめん アスペクト比 ひ 16:9)で配信 はいしん する方式 ほうしき に変更 へんこう 。ラジオ中継 ちゅうけい が縮小 しゅくしょう された第 だい 81回 かい 大会 たいかい (2009年 ねん )以降 いこう は、ラジオに代 か わって、GAORA・毎日放送 まいにちほうそう のテレビ中継 ちゅうけい 向 む けの実況 じっきょう 音声 おんせい を使用 しよう していた。ただし、第 だい 80回 かい 大会 たいかい (2008年 ねん )では、準決勝 じゅんけっしょう ・決勝 けっしょう 限定 げんてい でリアルタイム中継 ちゅうけい を復活 ふっかつ させている。
第 だい 82回 かい 大会 たいかい (2010年 ねん )では、Twitter (ID:@senbatsu)で得点 とくてん 経過 けいか や試合 しあい 経過 けいか を知 し らせるサービス[83] や、Ustream による準々 じゅんじゅん 決勝 けっしょう 以降 いこう の試合 しあい 動画 どうが のライブ配信 はいしん を開始 かいし [84] 。第 だい 83回 かい 大会 たいかい (2011年 ねん )では、ライブ配信 はいしん の対象 たいしょう が、開会 かいかい 式 しき から決勝 けっしょう 戦 せん までの大半 たいはん の試合 しあい にまで拡大 かくだい された。第 だい 84回 かい 大会 たいかい (2012年 ねん )では、Twitterでの情報 じょうほう 提供 ていきょう サービスを中止 ちゅうし 。その一方 いっぽう で、第 だい 84回 かい 大会 たいかい から第 だい 87回 かい 大会 たいかい (2015年 ねん )までは、第 だい 83回 かい 大会 たいかい と同 おな じ内容 ないよう のライブ配信 はいしん を、毎日放送 まいにちほうそう 公式 こうしき サイト内 ない の特設 とくせつ ページから実施 じっし していた。
第 だい 88回 かい 大会 たいかい (2016年 ねん )からは、毎日新聞社 まいにちしんぶんしゃ と毎日放送 まいにちほうそう によるコラボレーション 企画 きかく として、毎日新聞社 まいにちしんぶんしゃ の公式 こうしき サイト内 ない に「センバツLIVE」(ライブ動画 どうが の配信 はいしん に関 かん する公式 こうしき 総合 そうごう サイト)を開設 かいせつ 。前年 ぜんねん までと同様 どうよう に、NTTスマートコネクトからの協力 きょうりょく によって[85] 、GAORAの中継 ちゅうけい 映像 えいぞう ・実況 じっきょう 音声 おんせい を活用 かつよう した大会 たいかい 全 ぜん 試合 しあい のリアルタイム配信 はいしん を無料 むりょう で実施 じっし するほか、「ワンプレー速報 そくほう 」(テキスト形式 けいしき の1球 きゅう 速報 そくほう )やスマートフォン 向 む けの専用 せんよう アプリなどを提供 ていきょう している[86] 。
第 だい 91回 かい 大会 たいかい (2019年 ねん )からは、Yahoo!JAPAN が運営 うんえい するスポーツ総合 そうごう サイト「SportsNAVI」でも、出場 しゅつじょう 校 こう 選考 せんこう 委員 いいん 会 かい 後 ご の出場 しゅつじょう 校 こう 発表 はっぴょう 、キャプテントーク(出場 しゅつじょう 校 こう の主将 しゅしょう が一堂 いちどう に会 かい するトークイベント)、組 く み合 あ わせ抽選 ちゅうせん 会 かい 、大会 たいかい 全 ぜん 試合 しあい のライブ動画 どうが 配信 はいしん を実施 じっし する[87] 。2019年 ねん には、「SportsNAVI」から配信 はいしん される出場 しゅつじょう 校 こう 紹介 しょうかい 動画 どうが のナレーターに、女優 じょゆう の清野 きよの 菜 さい 名 めい を起用 きよう した[88] 。
なお、以上 いじょう のリアルタイム中継 ちゅうけい ではいずれも、各 かく イニング間 あいだ (以前 いぜん は対象 たいしょう カードに登場 とうじょう する高校 こうこう の校歌 こうか が流 なが れるシーン(2回 かい 表 ひょう 終了 しゅうりょう 後 ご ・2回 かい 裏 うら 終了 しゅうりょう 後 ご および試合 しあい 終了 しゅうりょう 後 ご )、番組 ばんぐみ テーマソングが流 なが れている時間 じかん 帯 たい (中継 ちゅうけい のオープニング、エンディング)も含 ふく む)に配信 はいしん を一時 いちじ 中断 ちゅうだん 。他 た のシーンでも、同様 どうよう の措置 そち を講 こう じることがある。
2019年 ねん からは各 かく 地区 ちく 秋季 しゅうき 大会 たいかい もライブ配信 はいしん を行 おこな う(2019年 ねん は毎日新聞 まいにちしんぶん ニュースサイト、2020年 ねん は「SportsNAVI」サイト内 ない )。対象 たいしょう 試合 しあい は地区 ちく によって異 こと なるが概 おおむ ね準々 じゅんじゅん 決勝 けっしょう もしくは準決勝 じゅんけっしょう 以降 いこう となる[89] 。2022年 ねん は対象 たいしょう 試合 しあい が全 ぜん 地区 ちく の準々 じゅんじゅん 決勝 けっしょう 以降 いこう に拡大 かくだい 。「SportsNAVI」サイト内 ない でも対象 たいしょう 全 ぜん 試合 しあい の見逃 みのが し・ダイジェスト配信 はいしん を行 おこな っている。
2020年 ねん 、新型 しんがた コロナウイルス の感染 かんせん 拡大 かくだい 防止 ぼうし で中止 ちゅうし となった第 だい 92回 かい 選抜 せんばつ 高等 こうとう 学校 がっこう 野球 やきゅう 大会 たいかい の代替 だいたい 大会 たいかい 2020年 ねん 甲子園 こうしえん 高校 こうこう 野球 やきゅう 交流 こうりゅう 試合 しあい では、朝日新聞社 あさひしんぶんしゃ 、朝日放送 あさひほうそう テレビが運営 うんえい する「バーチャル高校 こうこう 野球 やきゅう 」と「センバツLIVE」がライブ配信 はいしん で競作 きょうさく した。
第 だい 95回 かい 大会 たいかい (2023年 ねん )からは、株式会社 かぶしきがいしゃ 運動 うんどう 通信 つうしん 社 しゃ が運営 うんえい するインターネットスポーツメディア「スポーツブル」と、在京 ざいきょう キー局 きょく 、在 ざい 阪 ばん 局 きょく 、電通 でんつう などで出資 しゅっし した株式会社 かぶしきがいしゃ TVerが運営 うんえい する「TVer 」でも配信 はいしん を開始 かいし した[90] [91] 。
毎日放送 まいにちほうそう が運営 うんえい しているサービスMBS動画 どうが イズム にて、第 だい 82回 かい 大会 たいかい (2010年 ねん )以降 いこう の試合 しあい の動画 どうが が有料 ゆうりょう で視聴 しちょう 可能 かのう である。
その他 た 放送 ほうそう 局 きょく [ 編集 へんしゅう ]
1959年 ねん 開局 かいきょく 時 じ は連日 れんじつ 春 はる の大会 たいかい を中継 ちゅうけい し、その後 ご は春 はる ・夏 なつ とも1回戦 かいせん から地元 じもと 校 こう の試合 しあい をネット受 う けにより中継 ちゅうけい してきたラジオ局 きょく の和歌山放送 わかやまほうそう が第 だい 81回 かい 大会 たいかい (2009年 ねん )は開局 かいきょく 記念 きねん 番組 ばんぐみ として、地元 じもと 出場 しゅつじょう 校 こう である箕島 みしま の試合 しあい を1回戦 かいせん から準々 じゅんじゅん 決勝 けっしょう (敗退 はいたい )までアナウンサーとゲスト解説 かいせつ 者 しゃ (1・2回戦 かいせん はOBでもある尾藤 びとう 公 こう が担当 たんとう )を自 じ 局 きょく で派遣 はけん して中継 ちゅうけい した。以下 いか はラジオでの事例 じれい を述 の べる。
第 だい 86回 かい (2014年 ねん )は、琉球放送 りゅうきゅうほうそう (RBCiラジオ)が沖縄尚学 おきなわしょうがく の試合 しあい (1回戦 かいせん )をアナウンサーと解説 かいせつ 者 しゃ を自 じ 局 きょく で派遣 はけん し中継 ちゅうけい した。
第 だい 87回 かい (2015年 ねん )は、南海放送 なんかいほうそう が今治 いまばり 西 にし 、松山東 まつやまひがし の試合 しあい (1回戦 かいせん )を中継 ちゅうけい した[92] 。
第 だい 88回 かい (2016年 ねん )は、西日本放送 にしにっぽんほうそう が小豆島 あずしま 、高松 たかまつ 商 しょう の全 ぜん 試合 しあい を毎日放送 まいにちほうそう からの裏 うら 送 おく り[93] で中継 ちゅうけい した[94] 。
第 だい 89回 かい (2017年 ねん )は、栃木放送 とちぎほうそう が作新学院 さくしんがくいん の試合 しあい (1回戦 かいせん )を毎日放送 まいにちほうそう からの裏 うら 送 おく り[95] で中継 ちゅうけい 。
第 だい 90回 かい (2018年 ねん )は、栃木放送 とちぎほうそう が國學院 こくがくいん 栃木 とちぎ の試合 しあい (2回戦 かいせん ・3回戦 かいせん )を毎日放送 まいにちほうそう からの裏 うら 送 おく りで中継 ちゅうけい 。
第 だい 91回 かい (2019年 ねん )は、四国放送 しこくほうそう が富岡西 とみおかにし の試合 しあい (1回戦 かいせん )を毎日放送 まいにちほうそう からの裏 うら 送 おく りで中継 ちゅうけい 。
第 だい 96回 かい (2024年 ねん )は、和歌山放送 わかやまほうそう が田辺 たなべ 、耐久 たいきゅう の試合 しあい (1回戦 かいせん )をMBSラジオからの裏 うら 送 おく りで中継 ちゅうけい 。
ニコニコ生放送 なまほうそう [ 編集 へんしゅう ]
第 だい 86回 かい 大会 たいかい (2014年 ねん )からニコニコ生放送 なまほうそう が新規 しんき 参入 さんにゅう 。NHKでの放送 ほうそう を見 み ながら実況 じっきょう する「テレビ実況 じっきょう 生放送 なまほうそう 」として配信 はいしん (メインMCに愛甲 あいこう 猛 たけし )。基本 きほん 的 てき に全 ぜん 試合 しあい で行 おこな われているが、第 だい 88回 かい (2016年 ねん )は準々 じゅんじゅん 決勝 けっしょう から[96] に縮小 しゅくしょう されている。第 だい 90回 かい 大会 たいかい (2018年 ねん )は出演 しゅつえん 者 しゃ はなくユーザーがコメントする形 かたち のみに変更 へんこう された。
センバツ応援 おうえん イメージキャラクター [ 編集 へんしゅう ]
第 だい 85回 かい 大会 たいかい (2013年 ねん )から、オスカープロモーション およびNTTドコモ (第 だい 87回 かい 大会 たいかい まで)→大塚製薬 おおつかせいやく 「ポカリスエット 」(第 だい 88回 かい 大会 たいかい 以降 いこう )とのタイアップにより「センバツ応援 おうえん イメージキャラクター」が制定 せいてい され、大会 たいかい PRポスターのモデルやGAORAの開会 かいかい 式 しき 中継 ちゅうけい にゲスト出演 しゅつえん [注釈 ちゅうしゃく 75] することなどが慣例 かんれい となっている(NHKは、放送 ほうそう 法 ほう 第 だい 83条 じょう (広告 こうこく 放送 ほうそう 禁止 きんし 規定 きてい )に抵触 ていしょく する「個人 こじん 広告 こうこく 」とみなされるため、出演 しゅつえん が禁止 きんし されている)。
衣装 いしょう は一貫 いっかん してブレザー型 がた (ブレザーの代 か わりにカーディガンやベストを着用 ちゃくよう する回 かい もあり)の学生 がくせい 服 ふく で、第 だい 95回 かい 大会 たいかい (2023年 ねん )以降 いこう はボトムがスカートからスラックスに変更 へんこう されている。
歴代 れきだい 記録 きろく と大会 たいかい 結果 けっか [ 編集 へんしゅう ]
^ 2016年 ねん の第 だい 88回 かい 大会 たいかい から2021年 ねん の第 だい 93回 かい 大会 たいかい までの選考 せんこう 基準 きじゅん では「特色 とくしょく する」と表記 ひょうき (誤記 ごき と思 おも われる)。
^ a b 第 だい 60回 かい 大会 たいかい (1988年 ねん )、第 だい 65回 かい 大会 たいかい (1993年 ねん )、第 だい 75回 かい 大会 たいかい (2003年 ねん )は34校 こう 。21世紀 せいき 初 はつ の大会 たいかい である第 だい 73回 かい 大会 たいかい (2001年 ねん )も34校 こう 。
^ 例 たと えば、第 だい 61回 かい は東京 とうきょう が1校 こう に減 へ り、その代 か わりに北海道 ほっかいどう が2校 こう になった。翌年 よくねん 第 だい 62回 かい の東北 とうほく 地区 ちく は、前年 ぜんねん の選手権 せんしゅけん 大会 たいかい で東北 とうほく 勢 ぜい が2校 こう ベスト4(仙台育英 せんだいいくえい が準 じゅん 優勝 ゆうしょう 、秋田 あきた 経法大 けいほうだい 付 づけ がベスト4)に残 のこ ったのを考慮 こうりょ して、従前 じゅうぜん より1校 こう 増 ふ え3校 こう が選 えら ばれた(代 か わりに北海道 ほっかいどう が1校 こう に減 へ った)。第 だい 63回 かい 大会 たいかい (1991年 ねん )では東北 とうほく が2校 こう に戻 もど り、東京 とうきょう が2校 こう に増 ふ え、それ以降 いこう は事実 じじつ 上 じょう 固定 こてい 状態 じょうたい にあった。
^ 第 だい 88回 かい 大会 たいかい の選考 せんこう では、関東 かんとう ・東京 とうきょう 地区 ちく の5校 こう 目 め の選出 せんしゅつ 過程 かてい において東京 とうきょう 大会 たいかい 準 じゅん 優勝 ゆうしょう の二松学舎大 にしょうがくしゃだい 付 づけ が「エースの大江 おおえ 竜 りゅう 聖 きよし 投手 とうしゅ に頼 たよ りすぎである」という理由 りゆう で落選 らくせん した一方 いっぽう 、近畿 きんき 地区 ちく においては準々 じゅんじゅん 決勝 けっしょう でコールド負 ま けした市 し 和歌山 わかやま が延長 えんちょう 14回 かい の末 すえ 0-1で敗 やぶ れた報徳 ほうとく 学園 がくえん との比較 ひかく において「コールド負 ま けは1点 てん を追 お う展開 てんかい で勝負 しょうぶ をかけてエースに代打 だいだ を出 だ し、代 か わった2番手 ばんて 投手 とうしゅ が打 う ち込 こ まれた結果 けっか でありマイナスにはならず、両校 りょうこう の実力 じつりょく は同等 どうとう である」と判断 はんだん され、選出 せんしゅつ されれば兵庫 ひょうご から21世紀 せいき 枠 わく を含 ふく め3校 こう 目 め となる報徳 ほうとく 学園 がくえん を地域 ちいき 性 せい で上回 うわまわ り選出 せんしゅつ された。
^ 県 けん 大会 たいかい での直接 ちょくせつ 対決 たいけつ で福井 ふくい が勝利 しょうり しており、前年 ぜんねん 夏 なつ ベスト8のレギュラーがそのまま残 のこ り北信越 ほくしんえつ 大会 たいかい で優勝 ゆうしょう ・選抜 せんばつ では優勝 ゆうしょう 候補 こうほ に挙 あ げられていた遊学 ゆうがく 館 かん に対 たい しても福井 ふくい は1-2、福井 ふくい 商 しょう は3-10での敗戦 はいせん であったことが考慮 こうりょ された。
^ 1990年代 ねんだい までは東京 とうきょう 以外 いがい の出場 しゅつじょう 枠 わく 2の地区 ちく で決勝 けっしょう が同 どう 県 けん 対決 たいけつ となった場合 ばあい 、決勝 けっしょう の試合 しあい 内容 ないよう にかかわらず地域 ちいき 性 せい を優先 ゆうせん し準 じゅん 優勝 ゆうしょう 校 こう が落選 らくせん しベスト4敗 はい 退校 たいこう が選出 せんしゅつ されるケースは頻繁 ひんぱん に見 み られた(1995年 ねん の北信越 ほくしんえつ 、1995年 ねん ・1997年 ねん の東北 とうほく など)。ただし第 だい 94回 かい 大会 たいかい の東海 とうかい 地区 ちく 選考 せんこう 委員 いいん 長 ちょう は大垣 おおがき 日大 にちだい の選出 せんしゅつ 理由 りゆう に関 かん して地域 ちいき 性 せい を否定 ひてい している[17] 。
^ 2000年 ねん 第 だい 72回 かい 大会 たいかい の戸畑 とばた ・横松 よこまつ 寿一 ひさいち 、前述 ぜんじゅつ の2003年 ねん 第 だい 75回 かい 大会 たいかい の福井 ふくい ・藤井 ふじい 宏海 ひろみ 、2009年 ねん 第 だい 81回 かい 大会 たいかい の花巻 はなまき 東 ひがし ・菊池 きくち 雄 つよし 星 ほし [19] 、2019年 ねん 第 だい 91回 かい 大会 たいかい の横浜 よこはま ・及川 おいかわ 雅 まさ 貴 たか [20] など。
^ 1982年 ねん までは「中部 ちゅうぶ 」(秋季 しゅうき 中部 ちゅうぶ 地区 ちく 高等 こうとう 学校 がっこう 野球 やきゅう 大会 たいかい )
^ これにより出場 しゅつじょう 校 こう が32を下回 したまわ る県 けん では理論 りろん 上 じょう 、県 けん 大会 たいかい 初戦 しょせん 敗退 はいたい でも甲子園 こうしえん に出場 しゅつじょう できる可能 かのう 性 せい が生 しょう じている。
^ 結果 けっか として東西 とうざい 1校 こう ずつの選出 せんしゅつ となっていたが、出場 しゅつじょう 枠 わく に関 かん する明確 めいかく な規定 きてい は存在 そんざい しなかった。
^ 第 だい 85回 かい 大会 たいかい (2013年 ねん )は記念 きねん 大会 たいかい で、第 だい 93回 かい 大会 たいかい (2021年 ねん )は前年 ぜんねん (2020年 ねん )の明治 めいじ 神宮 じんぐう 大会 たいかい 中止 ちゅうし により1校 こう 増 ぞう となった。3校 こう 目 め と4校 こう 目 め は地域 ちいき 限定 げんてい なしで評価 ひょうか の高 たか かった学校 がっこう を選出 せんしゅつ したが結果 けっか として東日本 ひがしにっぽん 1校 こう 、西日本 にしにほん 1校 こう の選出 せんしゅつ となった。
^ 例 れい として第 だい 83回 かい 大会 たいかい の総合 そうごう 技術 ぎじゅつ (広島 ひろしま )、第 だい 84回 かい 大会 たいかい の高崎 たかさき (群馬 ぐんま )・宮崎 みやざき 西 にし (宮崎 みやざき )は21世紀 せいき 枠 わく では選出 せんしゅつ されなかったが、一般 いっぱん 選考 せんこう 枠 わく で選出 せんしゅつ された。
^ 初戦 しょせん では同 おな じ21世紀 せいき 枠 わく のいわき海星 ひとで に勝利 しょうり 。21世紀 せいき 枠 わく 同士 どうし の対戦 たいせん は史上 しじょう 初 はつ であった。
^ 初戦 しょせん で同 おな じ21世紀 せいき 枠 わく の小豆島 あずしま に勝利 しょうり
^ 各 かく 地区 ちく の代表 だいひょう 者 しゃ が推薦 すいせん 理由 りゆう を発表 はっぴょう するプレゼンテーションでもこの事故 じこ について触 ふ れられた。選考 せんこう 理由 りゆう の発表 はっぴょう に際 さい しては事故 じこ に関 かん する言及 げんきゅう はなかったが、日本 にっぽん 高野連 こうやれん の八田 はった 英二 えいじ 会長 かいちょう は「決定的 けっていてき な理由 りゆう ではないが総合 そうごう 的 てき に判断 はんだん した」と語 かた っている。
^ 初戦 しょせん で同 おな じ21世紀 せいき 枠 わく の八戸 はちのへ 西 にし に勝利 しょうり
^ ほかに構成 こうせい する都道府県 とどうふけん が無 な いため、21世紀 せいき 枠 わく が始 はじ まった2001年 ねん から毎年 まいとし 選出 せんしゅつ されている。
^ その前 まえ の出場 しゅつじょう 校 こう は2018年 ねん (第 だい 90回 かい 大会 たいかい )の日大 にちだい 山形 やまがた 。
^ その前 まえ の出場 しゅつじょう 校 こう は2016年 ねん (第 だい 88回 かい 大会 たいかい )の開 ひらき 星 ぼし 。
^ 現在 げんざい の阪神 はんしん 鳴尾浜 なるおはま 球場 きゅうじょう 、県立 けんりつ 鳴尾浜 なるおはま 臨海 りんかい 公園 こうえん スポーツセンター野球 やきゅう 場 じょう とは別物 べつもの 。
^ 1966年 ねん - 1996年 ねん は年間 ねんかん 130試合 しあい 制 せい であったが、その後 ご は増加 ぞうか していき、2018年 ねん 時点 じてん では年間 ねんかん 143試合 しあい 制 せい としている。
^ セ・リーグの規定 きてい ではAクラス入賞 にゅうしょう を果 は たせば翌々年 よくよくねん の本拠地 ほんきょち での開幕 かいまく カード主催 しゅさい 権 けん を得 え られる(2001年 ねん 以降 いこう 、現在 げんざい まで。2000年 ねん 以前 いぜん は翌年 よくねん )が、阪神 はんしん は11年 ねん ぶりにAクラス入賞 にゅうしょう を果 は たした2003年 ねん の翌々年 よくよくねん である2005年 ねん 以降 いこう は、京 きょう セラドーム大阪 おおさか にて開幕 かいまく カードを迎 むか えている(但 ただ し、2011年 ねん は震災 しんさい の影響 えいきょう で開幕 かいまく が順延 じゅんえん したことによりイレギュラーで阪神 はんしん 甲子園 こうしえん 球場 きゅうじょう にて開幕 かいまく カードを迎 むか え、また2017年 ねん ・2024年 ねん は主催 しゅさい 権 けん を返上 へんじょう しビジターで開幕 かいまく カードを迎 むか えた)。
^ 第 だい 76回 かい (2004年 ねん ) - 第 だい 79回 かい (2007年 ねん )および第 だい 83回 かい (2011年 ねん )・第 だい 90回 かい (2018年 ねん )・第 だい 91回 かい (2019年 ねん )。
^ 第 だい 95回 かい (2023年 ねん )・第 だい 96回 かい (2024年 ねん )は、選抜 せんばつ 史上 しじょう 最 もっと も早 はや い3月 がつ 18日 にち に開幕 かいまく した。
^ 第 だい 82回 かい 大会 たいかい (2010年 ねん )は、3月24日 にち ・25日 にち と2日 にち 連続 れんぞく 雨天 うてん 順延 じゅんえん 。日程 にってい が過密 かみつ 化 か したため、準々 じゅんじゅん 決勝 けっしょう は3月 がつ 31日 にち に4試合 しあい 一括 いっかつ で行 おこな われた。
^ 第 だい 89回 かい (2017年 ねん )も準々 じゅんじゅん 決勝 けっしょう までに2日 にち 順延 じゅんえん となったため、休養 きゅうよう 日 び を設 もう けずに準決勝 じゅんけっしょう を行 おこな った(ただし、準決勝 じゅんけっしょう の翌日 よくじつ は雨天 うてん のため、決勝 けっしょう 戦 せん は1日 にち 順延 じゅんえん )。
^ 以後 いご 、3月 がつ 中 ちゅう に大会 たいかい が終了 しゅうりょう したのは、第 だい 94回 かい (2022年 ねん )・第 だい 96回 かい (2024年 ねん )のみ。
^ 第 だい 92回 かい (2020年 ねん )から実施 じっし する予定 よてい であったが、同 どう 大会 たいかい は新型 しんがた コロナウイルス感染 かんせん のため中止 ちゅうし (上述 じょうじゅつ )。第 だい 93回 かい (2021年 ねん ) - 第 だい 96回 かい (2024年 ねん )は、いずれも準決勝 じゅんけっしょう 日 び までに2日 にち 順延 じゅんえん となったため、選抜 せんばつ で準決勝 じゅんけっしょう と決勝 けっしょう の間 あいだ の休養 きゅうよう 日 び が適用 てきよう された例 れい は、まだ1度 ど もない。
^ 開幕 かいまく から閉幕 へいまく までの史上 しじょう 最長 さいちょう は、第 だい 10回 かい (1933年 ねん )、第 だい 69回 かい (1997年 ねん )、第 だい 70回 かい (1998年 ねん )、第 だい 84回 かい (2012年 ねん )、第 だい 95回 かい (2023年 ねん )の15日間 にちかん (いずれも、雨天 うてん などの順延 じゅんえん や休養 きゅうよう 日 び を含 ふく む)。
^ 2022年 ねん の第 だい 94回 かい 大会 たいかい までは、延長 えんちょう 13回 かい から。
^ 大会 たいかい の開幕 かいまく 時期 じき はまだ学年 がくねん としては前年度 ぜんねんど であるため。基本 きほん 的 てき に開会 かいかい 式 しき 入場 にゅうじょう 行進 こうしん 司会 しかい 者 しゃ は新卒 しんそつ 生 せい が務 つと める。例外 れいがい は第 だい 77回 かい 大会 たいかい (2005年 ねん )の八重樫 やえがし 葵 まもる (元 もと 秋田放送 あきたほうそう →福島 ふくしま テレビ アナウンサー、起用 きよう 当時 とうじ は旧 きゅう 1年生 ねんせい )と第 だい 96回 かい 大会 たいかい (2024年 ねん )の生徒 せいと (開会 かいかい 式 しき 式典 しきてん 担当 たんとう 者 しゃ 共々 ともども 、起用 きよう 当時 とうじ は旧 きゅう 2年生 ねんせい 。前年度 ぜんねんど のNコン全国 ぜんこく コンクールにおいて入場 にゅうじょう 行進 こうしん 担当 たんとう 者 しゃ はアナウンス部門 ぶもん 、式典 しきてん 担当 たんとう 者 しゃ は朗読 ろうどく 部門 ぶもん で優勝 ゆうしょう したが、そもそも下級生 かきゅうせい がNコンを制 せい する例 れい は極 きわ めて少 すく ない)。なお兵庫 ひょうご 県 けん の高校生 こうこうせい は、県 けん 大会 たいかい 上位 じょうい 入賞 にゅうしょう 者 しゃ が選手権 せんしゅけん 大会 たいかい の司会 しかい を務 つと める関係 かんけい 上 じょう 、全国 ぜんこく コンクール優勝 ゆうしょう 者 しゃ であっても起用 きよう されないのが慣例 かんれい だったが、第 だい 89回 かい 大会 たいかい (2017年 ねん )開会 かいかい 式 しき では、第 だい 97回 かい 選手権 せんしゅけん 大会 たいかい (2015年 ねん )開会 かいかい 式 しき で司会 しかい を務 つと めた新卒 しんそつ 生 せい (2016年度 ねんど アナウンス部門 ぶもん 優勝 ゆうしょう )が入場 にゅうじょう 行進 こうしん 司会 しかい を務 つと めた。
^ うち1名 めい は第 だい 85回 かい 記念 きねん 大会 たいかい (2013年 ねん )まで基本 きほん 的 てき に開会 かいかい 式 しき 式典 しきてん と閉会 へいかい 式 しき を兼務 けんむ 。閉会 へいかい 式 しき は基本 きほん 的 てき に年度 ねんど をまたぐため旧 きゅう 2年生 ねんせい 以下 いか (旧 きゅう 1年生 ねんせい は第 だい 94回 かい 大会 たいかい (2022年 ねん )で初 はじ めて選出 せんしゅつ )の生徒 せいと に限 かぎ る。第 だい 86回 かい 大会 たいかい (2014年 ねん )以降 いこう は開会 かいかい 式 しき 式典 しきてん も基本 きほん 的 てき に新卒 しんそつ 生 せい (入場 にゅうじょう 行進 こうしん とは別 べつ の生徒 せいと )が担当 たんとう している。
^ ゲートは「セン(ここに大会 たいかい 回数 かいすう が入 はい る)バツ」。
^ 前年 ぜんねん 優勝 ゆうしょう 校 こう と前年 ぜんねん 準 じゅん 優勝 ゆうしょう 校 こう の同時 どうじ 連続 れんぞく 出場 しゅつじょう は第 だい 47回 かい 大会 たいかい (報徳 ほうとく 学園 がくえん と池田 いけだ )から第 だい 96回 かい 大会 たいかい (山梨 やまなし 学院 がくいん と報徳 ほうとく 学園 がくえん )まで途絶 とだ えていた。
^ 第 だい 87回 かい 大会 たいかい (2015年 ねん )では開 ひらけ 式 しき の辞 じ の時 とき に入場 にゅうじょう 行進 こうしん 司会 しかい 者 しゃ と共 とも に自己 じこ 紹介 しょうかい を行 おこ なった。
^ 出席 しゅっせき できない場合 ばあい は副 ふく 大臣 だいじん 、政務 せいむ 官 かん が代理 だいり 。第 だい 90回 かい 大会 たいかい (2018年 ねん )は、文部 もんぶ 科学 かがく 省 しょう の外局 がいきょく であるスポーツ庁 ちょう から、長官 ちょうかん の鈴木 すずき 大地 だいち が出席 しゅっせき 。
^ 同 おな じ毎日新聞社 まいにちしんぶんしゃ 主催 しゅさい の全国 ぜんこく 高等 こうとう 学校 がっこう ラグビーフットボール大会 たいかい 開会 かいかい 式 しき でも同様 どうよう の選手 せんしゅ 退場 たいじょう 方法 ほうほう が採 と られている。
^ 第 だい 88回 かい 大会 たいかい (2016年 ねん )、第 だい 94回 かい 大会 たいかい (2022年 ねん )、第 だい 96回 かい 大会 たいかい (2024年 ねん )は3月 がつ 31日 にち で閉幕 へいまく したため、旧 きゅう 学年 がくねん を言 い った。
^ 第 だい 88回 かい 大会 たいかい (2016年 ねん )のNHKラジオ第 だい 1は、次 つぎ のファンファーレと閉式 へいしき の辞 じ まで収 おさ まった。
^ 同様 どうよう の措置 そち がとられた夏 なつ の第 だい 4回 かい 大会 たいかい の竜ヶ崎 りゅうがさき 中 ちゅう 、長岡 ながおか 中 なか 、今治 いまばり 中 ちゅう 以来 いらい 。竜ヶ崎 りゅうがさき 中 ちゅう 、長岡 ながおか 中 ちゅう は翌年 よくねん 夏 なつ の第 だい 5回 かい 大会 たいかい に出場 しゅつじょう しているが、今治 いまばり 中 ちゅう の次 つぎ の出場 しゅつじょう は45年 ねん 後 ご の第 だい 45回 かい 大会 たいかい であった(後身 こうしん となる今治 いまばり 西 にし として出場 しゅつじょう )。
^ 交流 こうりゅう 試合 しあい では加藤 かとう 学園 がくえん の他 ほか 、帯広 おびひろ 農 のう が甲子園 こうしえん 初 はつ 勝利 しょうり を挙 あ げている。
^ 本 ほん 旗 はた と異 こと なり大会 たいかい 名 めい に「全国 ぜんこく 」は付 つ かない。
^ 土曜日 どようび は13時 じ 50分 ふん 。日曜日 にちようび は13時 じ 。
^ 『天気 てんき 予報 よほう 』・12時 じ の『NHKニュース 』のほか、平日 へいじつ は『ひるのプレゼント 』『連続 れんぞく テレビ小説 しょうせつ (再 さい 放送 ほうそう )』・13時 じ の『NHKニュース』『銀河 ぎんが テレビ小説 しょうせつ (再 さい 放送 ほうそう )』、土曜日 どようび は『土曜 どよう ひる席 せき 』『連続 れんぞく テレビ小説 しょうせつ (再 さい 放送 ほうそう )』・13時 じ の『NHKニュース』『大河 たいが ドラマ (再 さい 放送 ほうそう )』、日曜日 にちようび は『NHKのど自慢 じまん 』のため(毎日新聞 まいにちしんぶん 縮刷 しゅくさつ 版 ばん 1974年 ねん 3月 がつ )。
^ 2019年 ねん は福山 ふくやま 雅治 まさはる 「甲子園 こうしえん 」のオルゴール版 ばん を使用 しよう 。
^ 『天気 てんき 予報 よほう 』『正午 しょうご のニュース』『ひるのいこい 』や、総合 そうごう テレビと同時 どうじ 放送 ほうそう の『NHKのど自慢 じまん 』など。(毎日新聞 まいにちしんぶん 縮刷 しゅくさつ 版 ばん 1970年 ねん 3月 がつ )
^ 第 だい 89回 かい (2017年 ねん )までは、平日 へいじつ の10時 じ と15時 じ は4分間 ふんかん 。
^ 当時 とうじ ハイビジョン普及 ふきゅう 協会 きょうかい が発行 はっこう し、家電 かでん 量販 りょうはん 店 てん などに配布 はいふ したパンフレットの番組 ばんぐみ 表 ひょう では、NHKとTBSテレビ (毎日放送 まいにちほうそう が属 ぞく しているJNN のキー局 きょく )の共同 きょうどう による責任 せきにん 枠 わく として表記 ひょうき されていた。
^ 『国会 こっかい 中継 ちゅうけい 』の場合 ばあい 、13時 じ 5分 ふん から『NHK手話 しゅわ ニュース 』を放送 ほうそう するため、2022年 ねん までは試合 しあい 展開 てんかい にかかわらず一時 いちじ 中断 ちゅうだん していた。2023年 ねん からはイニング終了 しゅうりょう 後 ご に変更 へんこう された。
^ 生 なま 中継 ちゅうけい の都合 つごう 上 じょう 放送 ほうそう できなかった場合 ばあい は、23時 じ 45分 ふん に緊急 きんきゅう 編成 へんせい し、終了 しゅうりょう 時刻 じこく は不定 ふてい である。
^ 千秋楽 せんしゅうらく 当日 とうじつ の総合 そうごう テレビでの中継 ちゅうけい は15時 じ まで。なお、ラジオ第 だい 1での中継 ちゅうけい は、2015年 ねん までの大相撲 おおずもう 本場所 ほんばしょ 中 ちゅう は17時 じ (千秋楽 せんしゅうらく のみ16時 じ )まで行 おこな われていた。
^ FM放送 ほうそう では試合 しあい が続 つづ いている場合 ばあい は延長 えんちょう して放送 ほうそう する。
^ ラジオ第 だい 1放送 ほうそう では18時 じ より「Nらじ 」を放送 ほうそう する関係 かんけい 上 じょう 、FM放送 ほうそう で試合 しあい 終了 しゅうりょう まで放送 ほうそう される。
^ なお、夏 なつ の大会 たいかい はNHK BS4Kでの中継 ちゅうけい は行 おこな われない。
^ 決勝 けっしょう が平日 へいじつ に行 おこな われる場合 ばあい 、Eテレ→総合 そうごう のリレー中継 ちゅうけい を極力 きょくりょく 避 さ けるため、総合 そうごう テレビの12時 じ の『NHKニュース 』の放送 ほうそう 時間 じかん を20分 ふん から15分 ふん に縮小 しゅくしょう (後半 こうはん 5分 ぶん のローカルニュース枠 わく は通常 つうじょう の平日 へいじつ と同 どう 体制 たいせい で放送 ほうそう )し、『連続 れんぞく テレビ小説 しょうせつ (再 さい 放送 ほうそう )』を通常 つうじょう より30分 ふん 繰 く り上 あ げて放送 ほうそう 。土曜日 どようび の場合 ばあい 、12時 じ 台 だい は平日 へいじつ と同 おな じ(土曜日 どようび ・日曜日 にちようび ・祝日 しゅくじつ における12時 じ の『NHKニュース』は通常 つうじょう 15分 ふん )であるが、13時 じ 5分 ふん - 13時 じ 50分 ふん に『大河 たいが ドラマ(再 さい 放送 ほうそう )』があるため、13時 じ - 13時 じ 50分 ふん (13時 じ の『NHKニュース』を含 ふく む)のみEテレで中継 ちゅうけい (例 れい :第 だい 89回 かい =2017年 ねん 、第 だい 95回 かい =2023年 ねん )。日曜日 にちようび の場合 ばあい 、東日本 ひがしにっぽん 大震災 だいしんさい 発生 はっせい 直後 ちょくご に開催 かいさい の第 だい 83回 かい =2011年 ねん は『NHKニュース』を12時 じ 30分 ふん まで放送 ほうそう してから中継 ちゅうけい を開始 かいし し(『NHKのど自慢 じまん 』は翌週 よくしゅう より放送 ほうそう 再開 さいかい )、第 だい 71回 かい =1999年 ねん は12時 じ 10分 ふん から教育 きょういく テレビで放送 ほうそう した後 のち 『NHKのど自慢 じまん 』(同日 どうじつ 放送 ほうそう 分 ぶん は事前 じぜん 収録 しゅうろく )終了 しゅうりょう 後 ご の13時 じ から総合 そうごう テレビへ移行 いこう (ラジオ第 だい 1は12時 じ 15分 ふん 中継 ちゅうけい 開始 かいし で『NHKのど自慢 じまん 』を雨傘 あまがさ 番組 ばんぐみ に設定 せってい しなかった)。第 だい 96回 かい =2024年 ねん は12時 じ 20分 ふん からEテレで放送 ほうそう した後 のち 『NHKのど自慢 じまん 』(同日 どうじつ 放送 ほうそう 分 ぶん は生放送 なまほうそう )と13時 じ の『NHKニュース』終了 しゅうりょう 後 ご の13時 じ 5分 ふん から総合 そうごう テレビへ移行 いこう (ラジオ第 だい 1は第 だい 71回 かい と同 どう 対応 たいおう )。
^ 当時 とうじ 、通常 つうじょう は当該 とうがい 時間 じかん 帯 たい でBS1における再 さい 放送 ほうそう が行 おこな われていたが、期間 きかん 中 ちゅう は総合 そうごう テレビとの同時 どうじ 放送 ほうそう を避 さ けるため、BS1における再 さい 放送 ほうそう を10時 じ - 10時 じ 50分 ふん に繰 く り上 あ げていた。なお、本 ほん 放送 ほうそう はBS1で8時 じ - 8時 じ 50分 ふん に行 おこな われていた。
^ 本 ほん 放送 ほうそう は、BS1で8時 じ - 8時 じ 50分 ふん に行 おこな われていた。
^ その後 ご 『キャッチ!世界 せかい のトップニュース』は、2023年 ねん 4月 がつ 4日 にち よりBS1から総合 そうごう テレビに移設 いせつ し、定時 ていじ 化 か された。一方 いっぽう 『週刊 しゅうかん ワールドニュース』は、2023年 ねん 3月 がつ 25日 にち の放送 ほうそう を最後 さいご に終了 しゅうりょう した。
^ テレビはOPと当日 とうじつ の最終 さいしゅう 試合 しあい のEDが原曲 げんきょく 、中継 ちゅうけい 放送 ほうそう のEDはインストバージョン。ラジオはOPもEDもインストバージョン。中継 ちゅうけい のジングル や最終 さいしゅう 試合 しあい のEDは原曲 げんきょく 。ただし第 だい 72回 かい 大会 たいかい (2000年 ねん )、第 だい 73回 かい 大会 たいかい (2001年 ねん )(ジングルは「オブ・ラ・ディ、オブ・ラ・ダ 」)、第 だい 77回 かい 大会 たいかい (2005年 ねん )はOP・EDのみ大会 たいかい 歌 か を使用 しよう 。第 だい 74回 かい 大会 たいかい (2002年 ねん )〜第 だい 76回 かい 大会 たいかい (2004年 ねん )、第 だい 80回 かい 大会 たいかい (2008年 ねん )以降 いこう はジングルもインストバージョン。第 だい 91回 かい 大会 たいかい (2019年 ねん )のラジオは、2曲 きょく が組 く み合 あ わさった入場 にゅうじょう 行進曲 こうしんきょく (「世界 せかい に一 ひと つだけの花 はな 」「どんなときも。 」)の併用 へいよう が手間 てま であることから「今 いま ありて」(谷村 たにむら 新司 しんじ 歌唱 かしょう バージョン)のインストを前回 ぜんかい 大会 たいかい (入場 にゅうじょう 行進曲 こうしんきょく だった)に引 ひ き続 つづ き使用 しよう 。
^ 近年 きんねん [いつ? ] はNHKテレビもOP・EDのテーマを省略 しょうりゃく する。EDは第 だい 80回 かい 大会 たいかい (2008年 ねん )が「一歩一歩 いっぽいっぽ 〜終 お わりなき道 みち しるべ〜 」(ONE☆DRAFT )、第 だい 81回 かい が「One 」(Aqua Timez )、第 だい 82回 かい 大会 たいかい (2010年 ねん )が「夢 ゆめ 追 お いの地図 ちず をひろげて」(MASH )、第 だい 83回 かい 大会 たいかい (2011年 ねん )が「春 はる 」(カラーボトル )、第 だい 85回 かい 大会 たいかい (2013年 ねん )が「ありがとう 」(FUNKY MONKEY BABYS )。
^ 2000年代 ねんだい 以降 いこう 、NHKで使用 しよう されているような一体 いったい 型 がた からハンドマイクを自在 じざい 式 しき スタンドに挿 さ したものに変更 へんこう 。
^ 第 だい 65回 かい 記念 きねん 大会 たいかい (1993年 ねん )開会 かいかい 式 しき テレビ中継 ちゅうけい では、実況 じっきょう アナウンサーの結城 ゆうき 哲郎 てつろう 、ゲストの阿久 あく 悠 ゆう 、谷村 たにむら 新司 しんじ 、三澤 みさわ 興一 こういち がインカムを装着 そうちゃく していた。
^ TBSテレビは、大相撲 おおずもう 三 さん 月 がつ 場所 ばしょ 期間 きかん 中 ちゅう にスポーツアナウンサー(一部 いちぶ を除 のぞ きプロ野球 やきゅう 実況 じっきょう も担当 たんとう )を朝 あさ のワイド番組 ばんぐみ のスポーツコーナーおよびラジオの素材 そざい 音源 おんげん 制作 せいさく 目的 もくてき で大阪 おおさか へ派遣 はけん しているが、三 さん 月 がつ 場所 ばしょ 終盤 しゅうばん に概 おおむ ね開幕 かいまく する当 とう 大会 たいかい には携 たずさ わらない。決勝 けっしょう 戦 せん テレビ中継 ちゅうけい のスタンドリポーター派遣 はけん 例 れい は、第 だい 87回 かい (2015年 ねん )の北海道放送 ほっかいどうほうそう が直近 ちょっきん 。なお技術 ぎじゅつ や制作 せいさく などのスタッフは、毎日放送 まいにちほうそう を含 ふく むJNN基幹 きかん 局 きょく の5局 きょく で派遣 はけん 。派遣 はけん スタッフが携 たずさ わる中継 ちゅうけい では、「FD●●●●●(氏名 しめい )〇〇〇(局 きょく )」という形式 けいしき の字幕 じまく をエンディングに表示 ひょうじ する。
^ 第 だい 88回 かい 大会 たいかい 現在 げんざい 、中継 ちゅうけい はほぼテレビのみで、1日 にち の試合 しあい 数 すう も3試合 しあい がほとんどである。そのため、仙田 せんた 和吉 かずよし (2001年度 ねんど 移籍 いせき 加入 かにゅう - 2020年度 ねんど 退職 たいしょく )が毎日放送 まいにちほうそう ・ラジオ関西 かんさい にて週末 しゅうまつ にラジオで放送 ほうそう される競馬 けいば 中継 ちゅうけい への出演 しゅつえん を優先 ゆうせん するなど、スポーツアナウンサーの人員 じんいん 配置 はいち に余裕 よゆう を持 も たせている。
^ a b 済 すみ 美 び と愛工大名電 あいこうだいめいでん が決勝 けっしょう に進出 しんしゅつ した2004年 ねん の第 だい 76回 かい は、先述 せんじゅつ の通 とお り雨天 うてん で試合 しあい 開始 かいし が遅 おく れたため、地元 じもと 系列 けいれつ 局 きょく でも放送 ほうそう せず。
^ 『ひるおび! 』のネットを13時 じ で降 お りて放送 ほうそう 。
^ 2000年代 ねんだい 以降 いこう 、TBSテレビのエリア以外 いがい でネットしなかった例 れい としては中国放送 ちゅうごくほうそう (第 だい 75回 かい ・2003年 ねん 、広陵 こうりょう 。1991年 ねん の第 だい 63回 かい はネット)、南日本放送 みなみにほんほうそう (第 だい 77回 かい ・2005年 ねん 、神村学園 かみむらがくえん )、静岡放送 しずおかほうそう (第 だい 79回 かい ・2007年 ねん 、常葉 ときわ 菊川 きくかわ )、RKB毎日放送 まいにちほうそう (第 だい 83回 かい ・2011年 ねん 、九州国際大 きゅうしゅうこくさいだい 付 づけ )、CBCテレビ(第 だい 91回 かい ・2019年 ねん 、東邦 とうほう 。2015年度 ねんど 以降 いこう は平日 へいじつ 13:55放送 ほうそう 開始 かいし の同局 どうきょく 制作 せいさく ワイドショー『ゴゴスマ -GO GO!Smile!- 』のネット局 きょく が増加 ぞうか したうえ、2018年度 ねんど までは裏 うら 送 おく り非 ひ 対応 たいおう という事情 じじょう を抱 かか えていた)、テレビ山梨 てれびやまなし (第 だい 95回 かい ・2023年 ねん 、山梨 やまなし 学院 がくいん )がある。
^ プロ野球 やきゅう 経験 けいけん 者 しゃ でないプロ野球 やきゅう 解説 かいせつ 者 しゃ では、スポーツ新聞 しんぶん 記者 きしゃ 出身 しゅっしん の有本 ありもと 義明 よしあき がNET・東京 とうきょう 12チャンネルとのネット時代 じだい に本 ほん 番組 ばんぐみ の解説 かいせつ に出演 しゅつえん した例 れい がある。なお、赤星 あかほし は毎日放送 まいにちほうそう ・MBSラジオの専属 せんぞく 解説 かいせつ 者 しゃ ではないが、雨天 うてん 順延 じゅんえん 等 とう で他 た 局 きょく のプロ野球 やきゅう 解説 かいせつ と干渉 かんしょう した場合 ばあい は本番 ほんばん 組 ぐみ への出演 しゅつえん を優先 ゆうせん している(例 れい :2017年 ねん 。逆 ぎゃく に『みんなの甲子園 こうしえん 』は他 た 局 きょく の仕事 しごと よりも優先 ゆうせん 順位 じゅんい が下 した )。
^ ただしNHKラジオでは11時 じ 50分 ふん から12時 じ 20分 ふん は天気 てんき 予報 よほう および正午 しょうご のニュースを放送 ほうそう するため、試合 しあい 中継 ちゅうけい は中断 ちゅうだん 。
^ 土曜日 どようび 開催 かいさい となった第 だい 95回 かい 大会 たいかい (2023年 ねん )では、11:30からの『それゆけ!メッセンジャー 』(前日 ぜんじつ に収録 しゅうろく )を短縮 たんしゅく 放送 ほうそう ではなく休止 きゅうし とし(YouTube配信 はいしん のみ実施 じっし )、放送 ほうそう 席 せき にマイクを渡 わた すまで本社 ほんしゃ スタジオから「関西 かんさい 高校 こうこう 野球 やきゅう 三羽烏 さんばがらす 」(実質 じっしつ MBSラジオ限定 げんてい ユニット)を形成 けいせい する市川 いちかわ いずみ 、森本 もりもと 栄 さかえ 浩 ひろし (毎日放送 まいにちほうそう アナウンサー)、かみじょうたけし の進行 しんこう で、大会 たいかい の振 ふ り返 かえ りおよび決勝 けっしょう 戦 せん の展望 てんぼう を語 かた った。土曜日 どようび 開催 かいさい が当初 とうしょ 予定 よてい だった第 だい 96回 かい 大会 たいかい (2024年 ねん )でも同様 どうよう の対応 たいおう が予定 よてい されていた。
^ 同 どう CMのBGMは第 だい 89回 かい 大会 たいかい (2017年 ねん )まで入場 にゅうじょう 行進曲 こうしんきょく の原曲 げんきょく を使用 しよう していたが、第 だい 90回 かい 大会 たいかい (2018年 ねん )以降 いこう は「今 いま ありて」(谷村 たにむら 新司 しんじ 歌唱 かしょう バージョン)を使用 しよう (第 だい 90回 かい 大会 たいかい では「今 いま ありて」が入場 にゅうじょう 行進曲 こうしんきょく 。第 だい 91回 かい 大会 たいかい (2019年 ねん )では「世界 せかい に一 ひと つだけの花 はな 」と「どんなときも。」の併用 へいよう や組 く み合 あ わせが手間 てま 、第 だい 92回 かい 大会 たいかい (2020年 ねん =大会 たいかい 中止 ちゅうし 発表 はっぴょう 以前 いぜん にCMは放送 ほうそう )・第 だい 93回 かい 大会 たいかい (2021年 ねん )では「パプリカ 」が「〈NHK〉2020応援 おうえん ソングプロジェクト」という本来 ほんらい の使用 しよう 目的 もくてき 故 ゆえ に告知 こくち CMで使 つか いにくいという事情 じじょう があった。結局 けっきょく 、第 だい 94回 かい 大会 たいかい (2022年 ねん )以降 いこう も谷村 たにむら 歌唱 かしょう の「今 いま ありて」使用 しよう を継続 けいぞく )。また、締 し めの台詞 せりふ 「MBSは、高校 こうこう 球児 きゅうじ の春 はる を応援 おうえん します。」は、ラジオ事業 じぎょう 分社 ぶんしゃ 後 ご の2023年 ねん から「MBSラジオは…」に変更 へんこう された。
^ 朝日放送 あさひほうそう テレビ・ラジオでは2005年 ねん 以降 いこう 「ABC高校 こうこう 野球 やきゅう 統一 とういつ テーマ曲 きょく 」(2010年 ねん 以降 いこう は「ABC高校 こうこう 野球 やきゅう 応援 おうえん ソング」)として同 どう 一 いち 楽曲 がっきょく を使用 しよう 。
^ 大会 たいかい 日程 にってい とGAORAプロ野球 やきゅう 中継 ちゅうけい (阪神 はんしん ・日本 にほん ハム主管 しゅかん 試合 しあい )の中継 ちゅうけい 時間 じかん 帯 たい が重複 じゅうふく した場合 ばあい 、プロ野球 やきゅう 中継 ちゅうけい を優先 ゆうせん し高校 こうこう 野球 やきゅう は途中 とちゅう で終了 しゅうりょう 、重複 じゅうふく 分 ぶん は録画 ろくが 中継 ちゅうけい (基本 きほん 的 てき に、生 なま 中継 ちゅうけい 終了 しゅうりょう 時点 じてん からの再開 さいかい ではなく、その試合 しあい の最初 さいしょ から放送 ほうそう し直 なお す。但 ただ し4試合 しあい 開催 かいさい 日 び や試合 しあい 時間 じかん が伸 の びた場合 ばあい はその限 かぎ りではない)となる。実例 じつれい として2010年 ねん ・第 だい 82回 かい 大会 たいかい の決勝 けっしょう は雨天 うてん 延期 えんき が相次 あいつ いだため、4月 がつ 3日 にち に延期 えんき されたが、GAORAは当日 とうじつ はプロ野球 やきゅう 「日本 にほん ハム対 たい 西武 せいぶ 」の放送 ほうそう が予定 よてい されていたため、当日 とうじつ の生放送 なまほうそう ができず、4月 がつ 5日 にち の録画 ろくが 中継 ちゅうけい が初回 しょかい 放送 ほうそう となった。また、2014年 ねん ・第 だい 86回 かい 大会 たいかい も3月 がつ 29・30日 にち (30日 にち はもともと休養 きゅうよう 日 び だったが、雨天 うてん 中止 ちゅうし による延期 えんき で開催 かいさい 日 び となった)に予定 よてい されている試合 しあい が、プロ野球 やきゅう 「日本 にほん ハム対 たい オリックス 」の中継 ちゅうけい と重複 じゅうふく する日程 にってい となったため、プロ野球 やきゅう を優先 ゆうせん し、高校 こうこう 野球 やきゅう は当日 とうじつ 夜 よる ~翌朝 よくあさ のニアライブ録画 ろくが となった。
^ 前年 ぜんねん の甲子園 こうしえん 高校 こうこう 野球 やきゅう 交流 こうりゅう 試合 しあい の中継 ちゅうけい から同様 どうよう の措置 そち が取 と られていた。
^ 石井 いしい 薫子 かおるこ の回 かい はポスター制作 せいさく 後 ご に大会 たいかい 中止 ちゅうし 。小泉 こいずみ のんの出演 しゅつえん 有無 うむ は不明 ふめい 。
1920年代 ねんだい 1930年代 ねんだい 1940年代 ねんだい 1950年代 ねんだい 1960年代 ねんだい 1970年代 ねんだい 1980年代 ねんだい 1990年代 ねんだい 2000年代 ねんだい 2010年代 ねんだい 2020年代 ねんだい 地方 ちほう 別 べつ 成績 せいせき 秋季 しゅうき 大会 たいかい 楽曲 がっきょく 関連 かんれん 項目 こうもく
1942年 ねん から1946年 ねん は中断 ちゅうだん 。取 と り消 け し線 せん は開催 かいさい 中止 ちゅうし 。
1920年代 ねんだい 1930年代 ねんだい 1940年代 ねんだい 1950年代 ねんだい 1960年代 ねんだい 1970年代 ねんだい 1980年代 ねんだい 1990年代 ねんだい 2000年代 ねんだい 2010年代 ねんだい 2020年代 ねんだい
主要 しゅよう 大会 たいかい
統括 とうかつ 組織 そしき 関連 かんれん 項目 こうもく
本社 ほんしゃ 支社 ししゃ ・本部 ほんぶ 現在 げんざい の刊行 かんこう 物 ぶつ 過去 かこ の刊行 かんこう 物 ぶつ 系列 けいれつ 新聞 しんぶん 社 しゃ 関連 かんれん 放送 ほうそう 局 きょく 広告 こうこく 関連 かんれん 不動産 ふどうさん 関連 かんれん スポーツ 関連 かんれん 歴史 れきし ・事件 じけん 関連 かんれん 人物 じんぶつ 関連 かんれん 項目 こうもく
脚注 きゃくちゅう
1 JNN加盟 かめい 局 きょく における友好 ゆうこう 会社 かいしゃ としての関係 かんけい (主要 しゅよう な局 きょく のみ掲載 けいさい )
2 マスメディア集中 しゅうちゅう 排除 はいじょ 原則 げんそく において「支配 しはい 」に当 あ たる10%を超 こ える議決 ぎけつ 権 けん を有 ゆう している局 きょく
3 グループ会社 かいしゃ
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