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タンチョウ

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タンチョウヅルから転送てんそう
タンチョウ
タンチョウ
タンチョウ Grus japonensis
保全ほぜんじょうきょう評価ひょうか[1][2]
VULNERABLE
(IUCN Red List Ver.3.1 (2001))
ワシントン条約じょうやく附属ふぞくしょI
分類ぶんるい
ドメイン : かく生物せいぶつ Eukaryota
さかい : 動物界どうぶつかい Animalia
もん : 脊索せきさく動物どうぶつもん Chordata
もん : 脊椎動物せきついどうぶつもん Vertebrata
つな : とりつな Aves
: ツル Gruiformes
: ツル Gruidae
ぞく : ツルぞく Grus
たね : タンチョウ G. japonensis
学名がくめい
Grus japonensis (Müller, 1766)[3]
和名わみょう
タンチョウ[3][4][5][6][7][8]
英名えいめい
Japanese crane[1][5][6]
Manchurian crane[1]
Red-crowned crane[1][5][6]

タンチョウ丹頂たんちょう[4]Grus japonensis)は、とりつなツルツルツルぞく分類ぶんるいされる鳥類ちょうるい日本にっぽんづる総称そうしょうされる鳥類ちょうるいのうちでは大型おおがたで、代表だいひょうてきたねとされ、タンチョウヅルともばれる[9]

分布ぶんぷ

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大韓民国だいかんみんこく北部ほくぶ中華人民共和国ちゅうかじんみんきょうわこく朝鮮民主主義人民共和国ちょうせんみんしゅしゅぎじんみんきょうわこく日本にっぽん北海道ほっかいどう東部とうぶ)、ロシア南東なんとう[1]

たね小名しょうみょうjaponensisは「日本にっぽんさんの」の日本にっぽんでは明治めいじ乱獲らんかくにより絶滅ぜつめつしたとおもわれていた。北海道ほっかいどう東部とうぶ繁殖はんしょくする個体こたいぐんと、中華人民共和国ちゅうかじんみんきょうわこく北東ほくとうロシア極東きょくとう繁殖はんしょくする個体こたいぐんかれる[10]アムールがわ流域りゅういき繁殖はんしょくし、冬季とうきになると江蘇ちぁんすーしょう沿岸えんがん朝鮮半島ちょうせんはんとう南下なんかして越冬えっとうする[3]

日本にっぽんでは北海道ほっかいどう東部とうぶ道東どうとう)にしゅうねん生息せいそく留鳥りゅうちょう)し、襟裳岬えりもみさき以東いとう太平洋たいへいようきし根室海峡ねむろかいきょう沿岸えんがんオホーツク地区ちく、1982ねん以降いこう国後島くなしりとう[11]歯舞諸島はぼまいしょとう、2004ねん以降いこう宗谷そうや地区ちくでも繁殖はんしょくしている[3]越冬えっとうおも釧路くしろ湿原しつげん周辺しゅうへんだったが、近年きんねん十勝平野とかちへいや西部せいぶ根室ねむろ地区ちくでの越冬えっとうれい確認かくにん増加ぞうかしている[3]日本にっぽん野鳥やちょうかい観察かんさつによると、繁殖はんしょく道東どうとうから、かつて棲息せいそくしていた北海道ほっかいどう地区ちくひろがりつつあり、2020ねんには明治めいじ時代じだい以来いらいとなるウトナイ周辺しゅうへんでの繁殖はんしょく確認かくにん公表こうひょうした[12]道北みちきたサロベツ原野げんやでも2018ねん営巣えいそうあと発見はっけんされており、採取さいしゅされたはねミトコンドリアDNA解析かいせきにより、ユーラシア大陸たいりくから飛来ひらいした個体こたい北海道ほっかいどうない生息せいそくする個体こたいつがいをなした可能かのうせい指摘してきされている[13][14]

日本にっぽんもっと有名ゆうめい生息せいそく釧路くしろ湿原しつげん一帯いったいであるがごくまれ石狩平野いしかりへいや上空じょうくう飛来ひらいすることがあり、ごえかれる。2015ねん5がつ31にち札幌さっぽろ上空じょうくう飛来ひらい確認かくにんされた[よう出典しゅってん]

形態けいたい

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全長ぜんちょう102 - 147センチメートル[3]つばさちょう64 - 67センチメートル[4]つばさひらきちょう240センチメートル[4]体重たいじゅう4 - 10.5キログラム[3]全身ぜんしんしろ[3][7][8]さきからのど・頸部にかけてはくろ[3][5][6][7][8]後部こうぶから頸部にかけて、しろ斑紋はんもんはい[7]つぎれつ風切かざきりさんれつ風切かざきりくろ[3][5][6][8]

頭頂とうちょうにはほぼ羽毛うもうがなくくろ剛毛ごうもうがまばらにえ、あか皮膚ひふ裸出らしゅつする[10]。タン()は「あかい」ので、頭頂とうちょう裸出らしゅつした皮膚ひふ由来ゆらいする[10]虹彩こうさいくら褐色かっしょく[6]くちばしながく、色彩しきさい黄色おうしょく褐色かっしょく後肢あとあしくろ[6]気管きかん胸骨きょうこつ竜骨りゅうこつ突起とっき)のあいだがりくねる[6]

生態せいたい

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湿原しつげん湖沼こしょう河川かせんなどに生息せいそくする[6]大陸たいりく個体こたいぐんは、700 - 2,300キロメートルの距離きょり移動いどうする[7]北海道ほっかいどう個体こたいぐん繁殖はんしょく越冬えっとう距離きょりおもに150キロメートル以内いないだが、ごく一部いちぶが300キロメートルを移動いどうすることもある[3]冬季とうきには家族かぞくぐんもしくは家族かぞくぐん合流ごうりゅうしたれを形成けいせいする[5][8]日本にっぽん個体こたいぐん大陸たいりくさん個体こたいぐんわしに差異さいがある[8]

しょくせい雑食ざっしょくで、昆虫こんちゅうやその幼虫ようちゅう、エビるいやカニるいなどの甲殻こうかくるいカタツムリるいタニシるいなどの貝類かいるい魚類ぎょるいドジョウるいコイヤチウグイヌマガレイなど)、エゾアカガエルなどのカエル鳥類ちょうるいアオジコヨシキリなど)のひなヤチネズミるいなどの哺乳類ほにゅうるいセリハコベなどのアシスゲフキなどのスギナくきフトモモミズナラなどの果実かじつなどをべる[10]

繁殖はんしょく様式ようしき卵生らんせい繁殖はんしょくに1 - 7平方へいほうキロメートル縄張なわば形成けいせいする[8]湿原しつげん北海道ほっかいどう個体こたいぐん塩性えんせい湿原しつげん繁殖はんしょくしたれいもあり)や浅瀬あさせくさえだなどをげた直径ちょっけい150センチメートル、たかさ30センチメートルにたっするさらじょうつくり、日本にっぽんでは2がつ下旬げじゅんから4がつ下旬げじゅんに1 - 2たまご[3][5][8]日本にっぽんではだい規模きぼ湿原しつげん減少げんしょうともない、河川かせん改修かいしゅうによってできた三日月みかづき河川かせんじょう流域りゅういきにある小規模しょうきぼ湿地しっちでの繁殖はんしょくれい増加ぞうかしている[3]雌雄しゆう交代こうたいだきらん[8]だきたまご期間きかんは31 - 36にち[4]ひな孵化ふかしてからやく100にち飛翔ひしょうできるようになる[7][8]

名称めいしょう

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日本にっぽんでは1133ねんの『じょしゅう』が「丹頂たんちょう」という名称めいしょう初出しょしゅつ推定すいていされている[15]奈良なら時代じだい以降いこうたね区別くべつされずたんに「たづ」「つる」とされ、おもに「しらたづ」「しろつる」といえばほんしゅしていたがソデグロヅルふくんでいたと推定すいていされている[15]江戸えど時代じだいにはしろづるおもにソデグロヅルをすようになったが、ほんしゅしろづるとされるれいもあった[15]江戸えど時代じだい本草学ほんぞうがくでも、現代げんだい同様どうようづるといえばほんしゅれいおおかった[15]。1666ねんの『訓蒙くんもう』ではづる(くわく)の別名べつめいとして「つる、たづ、せん禽」がげられせん禽はほんしゅかんめいであること、不審ふしんてんはあるもののからづるといえばおもほんたねしていたと推定すいていされている[15]一方いっぽうで1695ねんの『頭書とうしょ増補ぞうほ訓蒙くんもう彙』ではわらないものの、ほんしゅではなくソデグロヅルかマナヅルしたとおもわれる本草ほんぞうもうからの引用いんよう訳文やくぶん推定すいていされる解説かいせつほお後肢あとあしあかい)がくわえられている[15]。1789ねんの『頭書とうしょ増補ぞうほ訓蒙くんもう大成たいせい』では解説かいせつわらないもののあらたにえがきおこされ、「たんてう(丹頂たんちょう)」の別名べつめい追加ついかされた[15]。『ほん朝食ちょうしょくかん』では「づるは『和名わみょう類聚るいじゅうしょう』にあるあしづる(あしたづ)で、俗称ぞくしょう丹頂たんちょうである」むね紹介しょうかいしている[15]ふるくはより広域こういき分布ぶんぷ一般いっぱんてきであったか、後述こうじゅつするように縁起物えんぎもの芸術げいじゅつ作品さくひんといった造形ぞうけいぶつにする機会きかいおおかったことからづるといえばほんしゅという認識にんしき定着ていちゃくしていったとかんがえられている[15]一方いっぽうふるくは現代げんだいよりも広域こういき分布ぶんぷしていたとはいえ日本にっぽん全体ぜんたいではほんたねることはまれであり、実際じっさいにはづるはマナヅルをしていたという反論はんろんもある[15]地域ちいきもあり、現代げんだい中国ちゅうごく地方ちほうぞくする備後びんごこく(『福山ふくやまこころざしりょう』1809ねん)や周防すおうこく(『周防すおう産物さんぶつ名寄なよせ』1737ねん)、長門ながとこく(『舟木ふなき産物さんぶつ名寄なよせちょう』1739ねん)の文献ぶんけんではづる別名べつめいを「マナツル」としており、これらの地域ちいきではづるはマナヅルをしていたと推定すいていされている[15]現代げんだい和歌山わかやまけんにあたる紀伊きいこくの『紀伊きいこくぞく風土記ふどき』(1839ねん)では、頭頂とうちょうしろほおあかいという特徴とくちょうからつるしろづる)はソデグロヅルをしていたと推定すいていされ、『さん禽類尋問じんもん』(年代ねんだい不明ふめい)では丹頂たんちょう飛来ひらいしないとする記述きじゅつがある[15]。 1708ねんの『大和やまと本草ほんぞう』には頭頂とうちょうあか後肢あとあしくろ松前まさき北海道ほっかいどう)に分布ぶんぷする「とり」という鳥類ちょうるい記述きじゅつがあるが、いろくろいとされている[15]小野おの蘭山あららぎやまによる1801ねんの『大和やまと本草ほんぞう批正ひせい』では「丹頂たんちょう」と「とり」を区別くべつし、「とり」は「げんづる」であるとしている[15]。「げんづる」にかんしては定義ていぎ不明瞭ふめいりょうなため同定どうてい困難こんなんで、オグロヅルカナダヅルクロヅルナベヅルナベコウセイケイげんづる別名べつめいあおにわとりとする文献ぶんけんがあるため)をすなど複数ふくすうせつがある[15]。「とり」をほんしゅとするかんがえもあり「とり」を「丹頂たんちょう」にえるれいおおられるが、ふるくは「とり」は複数ふくすう定義ていぎをもつかたりであったとかんがえられ、『だい戴礼』『あい嚢鈔』『和爾わにみやび』ではホタル別名べつめい、『本草ほんぞうもう目録もくろく啓蒙けいもう』ではキンケイかたりであったと推定すいていされている[15]。『かんぶん禽譜』ではほんしゅ朝鮮ちょうせんづる名称めいしょうをあてたれいもあるが、これはたんに「朝鮮半島ちょうせんはんとう由来ゆらいするづる」の推定すいていされている[15]

人間にんげんとの関係かんけい

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食用しょくようとされることもあった。一方いっぽう日本にっぽんでは縁起物えんぎものとしておも食用しょくようとされたのはクロヅルやマナヅルで、ほんしゅかんしては江戸えど時代じだいには「べるひとすくない」「にくかた不味まずい」という記述きじゅつがある文献ぶんけんもあり、飼育しいくよう観賞かんしょうよう需要じゅようたかかったとかんがえられている[16]アイヌでは「サロルンカムイ」とばれ、これは「葦原よしわらかみ」のがある[10]縁起物えんぎものや、芸術げいじゅつ作品さくひんのモチーフとされることもある[15]縁起物えんぎものわせとして「松上まつがみづる」があり、実際じっさいにはじょうにはとまらないツルるいコウノトリ混同こんどうしていたとするせつもある[16]一方いっぽう文献ぶんけん調査ちょうさではすくなくとも江戸えど時代じだい博物はくぶつではツルるいおよびほんたねとコウノトリるい共通きょうつうする名称めいしょうはなく、分布ぶんぷ形態けいたい生態せいたい食用しょくよう薬用やくようとしての利用りようほう相違そういてんすで記述きじゅつされていることから、「形態けいたい類似るいじしている」という記述きじゅつ当時とうじからあったものの区別くべつされていたとするせつもある[16]いちれいとして当時とうじツルるいにはすでに「じょうにとまらない」とする記述きじゅつもあり、『飼籠とり』や『庶物しょぶつ類纂るいさん』などのように「松上まつがみづる」の構図こうず実際じっさいにはありえないと否定ひていしたり疑問ぎもんした文献ぶんけんもある[16]

すくなくとも日本にっぽんではソバトウモロコシなどを食害しょくがいする害鳥がいちょうとみなされることもある[17]牛舎ぎゅうしゃ侵入しんにゅうして家畜かちくおどろかせて怪我けがをさせたり牛乳ぎゅうにゅう生産せいさんりょう影響えいきょうあたえたりするほか、飼料しりょう発酵はっこうさせるためのラップサイロやバンカーサイロをくちばしやぶるなどの被害ひがい報告ほうこくされている[17]後述こうじゅつするようにこう病原びょうげんせいインフルエンザ口蹄疫こうていえきなどの感染かんせんしょう流行りゅうこうした場合ばあいに、家畜かちく感染かんせんしょう伝搬でんぱんさせることも危惧きぐされている[17]

アムールがわ流域りゅういきでは野火のびによる植生しょくせい変化へんかざい減少げんしょうにより、中華人民共和国ちゅうかじんみんきょうわこくでは農地のうち開発かいはつによる繁殖はんしょく破壊はかいなどにより生息せいそくすう減少げんしょうしている[5]。1975ねん絶滅ぜつめつのおそれのある野生やせい動植物どうしょくぶつたね国際こくさい取引とりひきかんする条約じょうやく(ワシントン条約じょうやく発効はっこうから、ワシントン条約じょうやく附属ふぞくしょIに掲載けいさいされている[2]

日本にっぽん

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生息せいそく環境かんきょう悪化あっか

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日本にっぽんでは1924ねん釧路くしろ湿原しつげんさい発見はっけんされるまでは絶滅ぜつめつしたとかんがえられていた[18]後述こうじゅつする冬季とうき餌付えづけが成功せいこうしたことで1960年代ねんだいまでは増加ぞうか傾向けいこうにあったが、1960年代ねんだい前半ぜんはん以降いこうおも電線でんせんとの衝突しょうとつによる事故死じこし(1964・1965・1972・1973ねん生息せいそくすうやく10 %が事故死じこしし、以降いこうとしあたりやく10事故死じこし)により生息せいそくすう減少げんしょうした[18]伊藤いとう良孝よしたか給餌きゅうじをはじめその日本にっぽん野鳥やちょうかい参加さんかしてだい規模きぼ給餌きゅうじ開始かいししたことから1970年代ねんだい後半こうはんからふたた生息せいそくすう増加ぞうかした[18]生息せいそくすう増加ぞうかする一方いっぽう人間にんげんへの依存いぞんたかくなり、生息せいそくすう増加ぞうかともな繁殖はんしょく不足ふそく問題もんだいとなっている[3][5][10][18]車両しゃりょう列車れっしゃとの交通こうつう事故じこうしよう屎尿しにょうめへの落下らっか事故じこ増加ぞうかなどの問題もんだい発生はっせいし、餌付えづカモるいカラスるいのようなたね鳥類ちょうるいふくめて過密かみつすることから感染かんせんしょう蔓延まんえん懸念けねんされている[3][17]えさづけのえさ目当めあてにあつまるキツネるいシカるいオジロワシオオワシなどとせっする機会きかいえるが、これらのうち捕食ほしょくしゃとなりうる生物せいぶつたいしては餌付えづじょう捕食ほしょくされることはないものの見慣みなれることで警戒けいかいしんがなくなってしまうことが懸念けねんされている[10]イヌやシカが湿原しつげん内部ないぶまで侵入しんにゅうしており、繁殖はんしょくへの影響えいきょう懸念けねんされている[10]

生息せいそくすう推移すいい

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北海道ほっかいどうでの1952 - 1953ねんにおける生息せいそくすうは33[5][18]1962ねんにおける生息せいそくすうは1721988ねんにおける生息せいそくすうは424[6]2004ねんにおける生息せいそくすうは1,000以上いじょう、2012ねんにおける確認かくにんすうは1,470生息せいそくすうは1,500以上いじょう推定すいていされている[3]。2008ねん繁殖はんしょくペアすうは285ペア、2010ねん繁殖はんしょくペアすうは345ペアが確認かくにんされている[3]北海道庁ほっかいどうちょうは1952年度ねんどから個体こたいすう把握はあく調査ちょうさつづけており(調査ちょうさ地点ちてんは2021ねん12月調査ちょうさでは40市町村しちょうそんやく300カ所かしょ)、2021ねん1がつ時点じてんでは飼育しいくふくめて1516調査ちょうさ開始かいし以来いらい過去かこ最多さいたであった[19]

絶滅ぜつめつ危惧きぐIIるい (VU)環境省かんきょうしょうレッドリスト[3]

日本にっぽんでは北海道庁ほっかいどうちょうにより1889ねん狩猟しゅりょう禁止きんしされ、1890ねん現在げんざい千歳ちとせ周辺しゅうへん禁猟きんりょう指定していされたのにつづき、1892ねん日本にっぽん国内こくないでのツルるい狩猟しゅりょう禁止きんし、1925ねんさい発見はっけんされた地域ちいき禁猟きんりょう指定していされた[18]1935ねん繁殖はんしょくふくめてくに天然記念物てんねんきねんぶつ1952ねんに「釧路くしろのタンチョウ」として繁殖はんしょくふくめて特別とくべつ天然記念物てんねんきねんぶつ1967ねん地域ちいきさだめずたねとして特別とくべつ天然記念物てんねんきねんぶつ指定していされている[18]1993ねんしゅ保存法ほぞんほう施行しこうともない、国内こくない希少きしょう野生やせい動植物どうしょくぶつしゅ指定していされている[20]北海道ほっかいどうでは自然しぜん保護ほご団体だんたいなどによる繁殖はんしょくげ(ナショナルトラスト運動うんどう)や、冬季とうき穀物こくもつ給餌きゅうじしている[3][17]初期しょきにもセリの移植いしょく、ドジョウの放流ほうりゅうやソバの散布さんぷ、1940ねんにはえさうばほか鳥類ちょうるい駆除くじょなどの保護ほご対策たいさくおこなわれたが、冬季とうき食糧しょくりょう不足ふそくから生息せいそくすうはほとんど上昇じょうしょうしなかった[18]。2015年度ねんどには環境省かんきょうしょうにより、冬季とうき給餌きゅうじりょう段階だんかいてき減少げんしょうさせる方針ほうしんされている[7]。1952ねん大雪おおゆきともな人里ひとざとちかづいた個体こたいたいし、阿寒あかんむら鶴居つるいむら餌付えづけに成功せいこうした[18]日本にっぽん野鳥やちょうかいでも啓蒙けいもう活動かつどうやナショナルトラスト運動うんどうすすめられ、1987ねんには鶴居つるい伊藤いとうタンチョウサンクチュアリを開設かいせつしている[17]おも釧路くしろ動物どうぶつえんなどでは野生やせい怪我けがったり病気びょうきになった個体こたい収容しゅうようし、野生やせい復帰ふっきさせるこころみがすすめられている[17]死亡しぼうしてしまう個体こたいや、救命きゅうめいできても野生やせいへの復帰ふっき困難こんなん義足ぎそくをつけて釧路くしろ動物どうぶつえん飼育しいく展示てんじされる個体こたいもある[21]

飼育しいく

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日本にっぽんでは江戸えど時代じだいには寺院じいんなどで飼育しいくされることもあり、明治めいじ大正たいしょう時代じだいだい世界せかい大戦たいせん以前いぜんにもすでおお飼育しいくされ、飼育しいく繁殖はんしょくにも成功せいこうしていたとされる[22]具体ぐたいれいとして恩賜おんし上野動物園うえのどうぶつえん上野動物園うえのどうぶつえん)では1875ねん飼育しいくされ、1913ねんには京都きょうと動物どうぶつえんで10、1923ねんには上野動物園うえのどうぶつえんで11飼育しいくされていたという記録きろくがある[22]おそくとも1895ねんには、上野うえの動物どうぶつえん新宿しんじゅく御苑ぎょえんでは飼育しいく繁殖はんしょく成功せいこうしていたとされる[22]戦前せんぜん朝鮮半島ちょうせんはんとうから輸入ゆにゅうされた個体こたいが、おも飼育しいくされていた[22]。1950年代ねんだいには上野動物園うえのどうぶつえんなどで人工じんこう孵化ふか人工じんこうそだてひななどのこころみがすすめられるようになった[17]戦後せんご中華人民共和国ちゅうかじんみんきょうわこくから輸入ゆにゅうされた個体こたい由来ゆらいする個体こたいが、おも飼育しいくされている[23]

岡山おかやまけんでは岡山おかやま後楽園こうらくえん宝永ほうえい元年がんねん(1704ねんごろわれるなど江戸えど時代じだいから飼育しいくされており、2022ねん3がつまつ時点じてん、4施設しせつ合計ごうけい57がいる[24]どうけんは「タンチョウ将来しょうらい構想こうそう」で自然しぜんとの共生きょうせいのシンボルと位置付いちづけており、岡山おかやまけん自然しぜん保護ほごセンター和気わきまち)は、飛翔ひしょう可能かのう状態じょうたい飼育しいくしているのは北海道ほっかいどう以外いがいでは岡山おかやまけんのみと説明せつめいしている[24]昭和しょうわ初期しょきには皇居こうきょのつがいをおくられたことがあり、だい世界せかい大戦たいせん飼育しいく一時いちじ途絶とだえたものの、1955ねん12月に、当時とうじ中国科学院ちゅうごくかがくいん院長いんちょう岡山おかやま旧制きゅうせいだいろく高等こうとう学校がっこうまなんだことのある郭沫若かくまつじゃくより後楽園こうらくえんへ2寄贈きぞうされて飼育しいく再開さいかいした[24][25]

画像がぞう

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江戸えどのタンチョウ

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広重ひろしげは『名所めいしょ江戸えどひゃくけい』のなか江戸えど飛来ひらいしていたタンチョウをえがいている。だい蓑輪みのわ金杉かなすぎ三河そうごとう」。

江戸えど時代じだいには、江戸えど近郊きんこうさん河島かわしまむら現在げんざい荒川あらかわ荒川あらかわ近辺きんぺん)にタンチョウの飛来ひらいがあり、手厚てあつ保護ほごされていた[26]。 タンチョウは毎年まいとし10がつから3がつにかけてられたという[26]江戸えど幕府ばくふ一帯いったい竹矢来たけやらいかこみ、「鳥見とりみ名主なぬし」のほか給餌きゅうじがかり野犬やけん見張みはる「いぬばん」をいた[26]給餌きゅうじさいささららしてタンチョウをんだが、タンチョウがないときは荒川あらかわこうや西新井にしあらい方面ほうめんにまでさがしにったという[26]。タンチョウは午後ごご6ごろからあさ6ごろまではどこかへるので、そのあいだ矢来やらいないはいることをゆるされた[26]近郷きんごう根岸ねぎし金杉かなすぎあたりではタンチョウをおどろかさないようにたこげも禁止きんしされていたという[26]

こうした“つる飼附じょう”では将軍しょうぐん鷹狩たかがりによってづるらえる「つる御成おなり」もおこなわれた。

文化ぶんかなかのタンチョウ

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ひがしアジアにおいてはふるくから、タンチョウはその清楚せいそからだしょく気品きひんのあるからだつきによりとく神聖しんせいされ、みずとりとされ[27]、ひいては縁起えんぎ意匠いしょうとして、文学ぶんがく美術びじゅつのモチーフに多用たようされてきた[27]。また、「皇太子こうたいしくるま」をして「づる(かくが)」と[28]ように、高貴こうき象徴しょうちょうともされた。

道教どうきょうてき世界せかいかんなかではとく仙人せんにん仙道せんどうむすびつけられ、タンチョウ自体じたい大変たいへん長寿ちょうじゅであるとかんがえられた[注釈ちゅうしゃく 1]ほか、寿ことぶきほし老人ろうじんせんづるって飛来ひらいするとか[30]しゅうれいおう太子たいしすすむ仙人せんにんとなってしろづるってった[28]といった説話せつわつたえられている。

なお、古来こらい日本にっぽんで「はな」といえばうめしたのとおなじように、伝統でんとうてきには、中国ちゅうごく日本にっぽんたんに「づる」とえばタンチョウをしているのが通常つうじょうである[27][31]

またふるくはづるして「たづ」ともんだ。

難波なんばかた しおちくらし ころも たみののしまに たづわたる (びとらず、『古今ここん和歌集わかしゅう』⑰ざつじょう #913)

日本にっぽん

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8世紀せいき皇族こうぞく長屋王ながやおう邸宅ていたく跡地あとちからはタンチョウらしきづるえがかれた土器どき出土しゅつどしており、これが現在げんざいられているなか最古さいこのタンチョウをえがいた文物ぶんぶつである[32]平安へいあん時代じだいから室町むろまち時代ときよにかけてはかがみ装飾そうしょくづるぶん(つるもん)がおお使つかわれた[30]

づるほど広範囲こうはんい様々さまざま意匠いしょうもちいられているモチーフれいがない[30]鎌倉かまくら時代ときよ太刀たちきゅう(おい)、平安へいあん貴族きぞく歌人かじん紀貫之きのつらゆきもちいた和歌わか料紙りょうし厳島いつくしま神社じんじゃ蒔絵まきえしょう唐櫃からびつ日光にっこう東照宮とうしょうぐう陽明ようめいもん丸柱まるばしら仁阿弥にんあみ陶器とうきうみ長者ちょうじゃ大漁たいりょういわ沖縄おきなわ紅型びんがため、久留くるべいかすり修学院しゅうがくいん離宮りきゅう茶室ちゃしつられる羽子板はごいたかたち七宝しっぽう引手ひきて光琳こうりんぐんづるぶん蒔絵まきえすずりはこ江戸えどがま名越なごや善正よしまさづる亀甲きっこうきくぶんぶた茶釜ちゃがまなど、その実例じつれいげるにおよんでは枚挙まいきょひまがない[30]

室町むろまち時代ときよはい前後ぜんごからそうもと時代じだい中国ちゅうごくから花鳥かちょう習俗しゅうぞく日本にっぽんはいってくると、優美ゆうび姿すがたのタンチョウはこのんでえがかれるモチーフのひとつとなった。江戸えど時代じだい絵師えし伊藤いとう若冲じゃくちゅうのような画風がふうことなるものもふくめ、おおくの画家がかによって現在げんざいまで多数たすう作品さくひんえがかれている。

通俗つうぞくてきには、「かめまんねんよわいづる千代ちよをやおもぬらん」とのうきょくつるひさし』や地唄じうたにもうたわれるように、づるかめはいずれも長寿ちょうじゅのシンボルとされ、往々おうおうにしてセットでえがかれてきた。また花鳥かちょう以来いらい伝統でんとうとして松竹梅しょうちくばいなどとあわせてえがかれることもおおい。花札はなふだやくさつまつづる」などもこうしたながれのものであるということができる。

アイヌ民族みんぞくあいだにはタンチョウのまいをモチーフにした舞踊ぶようなどもつたえられている[33]

近年きんねん文化ぶんかじょう事例じれいとしては、1964ねん昭和しょうわ39ねん)、北海道ほっかいどうみちとり指定していされている[34]ほか、1984ねん昭和しょうわ59ねん)に発行はっこうされたせんえん紙幣しへい裏面りめんにタンチョウの意匠いしょうもちいている。 日本航空にほんこうくうのシンボルマークはいわゆる「鶴丸つるまる」だが、これはタンチョウのイメージにせてもちいられている[35]

中国ちゅうごく

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中国ちゅうごくもっと初期しょきづるかたどった文物ぶんぶつといえば春秋しゅんじゅう戦国せんごく時代じだい青銅器せいどうきはちすづるかたつぼ中国語ちゅうごくごばん」がよくられているが、さらにふるいんしょう時代じだいにも墳墓ふんぼからづるかたどった彫刻ちょうこく出土しゅつどしているという[よう出典しゅってん]

史記しき』や『ひだり春秋しゅんじゅう』によるとまもる懿公づる愛好あいこうし、大夫たいふくるませ俸禄まであたえたことがある。

道教どうきょうでは、前述ぜんじゅつのとおり、タンチョウは仙人せんにん不老ふろう長寿ちょうじゅ象徴しょうちょうとされ珍重ちんちょうされた[27]一方いっぽう俗信ぞくしんとしては、タンチョウの頭頂とうちょうからは猛毒もうどく物質ぶっしつれるとされ、「づるいただきべに」「丹毒たんどく」などとばれることがあった[36][注釈ちゅうしゃく 2]

2007ねん中華人民共和国ちゅうかじんみんきょうわこく国家こっか林業りんぎょうきょくが、同国どうこく国鳥こくちょうにタンチョウの選定せんてい提案ていあんし、国務こくむいんれたが、タンチョウの学名がくめい英名えいめいともに「日本にっぽんづる」を意味いみすることから、のち議論ぎろんぶこととなった[37]中国ちゅうごくでは先述せんじゅつのとおり、ふるくからタンチョウがしたしまれあいされてきた経緯けいいがある。選定せんていさいにはインターネットでのアンケートを参考さんこうにしており、ぜん510まんひょうのうち65%を獲得かくとくするという圧倒的あっとうてき得票とくひょうりつであったという[37]

参考さんこう文献ぶんけん

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出典しゅってん

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注釈ちゅうしゃく

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  1. ^ 淮南ワイナンせつはやしさとしに「つる寿ひさし千歲ちとせ、以極其遊。蜉蝣かげろう朝生あそう而暮、而尽其楽」とある[29]
  2. ^ 実際じっさいにはこれらのあつかわれていた物質ぶっしつは“べにしんせき”(さん酸化さんかヒ素ひそ主体しゅたいとする鉱石こうせき)であったという。

関連かんれん項目こうもく

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外部がいぶリンク

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