入浴にゅうよく

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入浴にゅうよくする人々ひとびと
宇宙うちゅうステーションスカイラブ3ごううちのシャワーで水浴みずあびする宇宙うちゅう飛行ひこうジャック・ルーズマ(1973ねん

入浴にゅうよく(にゅうよく)は、おもひと身体しんたい清潔せいけつたもつことを目的もくてきとして、みず水蒸気すいじょうきなどにおもはだか身体しんたいひたすことをす。

入浴にゅうよく歴史れきし[編集へんしゅう]

中東ちゅうとう中央ちゅうおうアジア[編集へんしゅう]

古代こだいユダヤじんにとって入浴にゅうよく社会しゃかいてき義務ぎむであり、入浴にゅうよくによってからだ清潔せいけつたもつことはモーセのりつほうにもふくまれている。また、タルムードでは「ユダヤじんは、公共こうきょう浴場よくじょうのないまちにはまないこと」など、入浴にゅうよくかんするこまかな規定きていがされている。紀元前きげんぜん1055ねんダビデおうがエルサレムに建設けんせつ開始かいしした公共こうきょう浴場よくじょう「ミクヴァ」はソロモンおうだいになって完成かんせいした。古代こだいのミクヴァは6メートル四方しほう地下ちかしつで、からだだけでなく精神せいしん浄化じょうかする場所ばしょでもあった。ミクヴァは中東ちゅうとう以外いがいにもユダヤじん先々さきざきまちつくられた[1]

紀元前きげんぜん1世紀せいきごろから、中央ちゅうおうアジア風呂ぶろがあったとおもわれる。これは、高温こうおん加熱かねつしたいしみずをかけることで蒸気じょうき発生はっせいさせて入浴にゅうよくおこなった。燃料ねんりょうなどがすくなくて手軽てがる使用しようできたため、冷水れいすいによる入浴にゅうよくてきさない地域ちいきひろまった。中東ちゅうとうでは、この風呂ぶろ公衆こうしゅう浴場よくじょうハンマーム)となった。またロシア北欧ほくおうつたわりサウナ風呂ふろ原型げんけいともなった。つぎのヨーロッパの項目こうもく解説かいせつされているが、古代こだいマ帝国まていこく全土ぜんどひろまった公共こうきょう浴場よくじょうは、イスラームによるきたアフリカの地中海ちちゅうかい沿岸えんがん地方ちほうとシリア地方ちほう征服せいふくもイスラームけん保持ほじされ、中東ちゅうとう・イランでは現代げんだいいたるまでつづいている。公共こうきょう浴場よくじょうは、モスク・市場いちばならんでイスラーム都市とし基本きほん構成こうせい要素ようそとなった。

インド[編集へんしゅう]

モヘンジョダロだい浴場よくじょう

紀元前きげんぜん2600ねんころインダス文明ぶんめいモヘンジョダロや、ハラッパーひとししょ都市としは、だい規模きぼ公衆こうしゅう浴場よくじょう完備かんびしていた。古代こだいインドじゅうろく大国たいこくマガダこく首都しゅとおうしゃじょう現在げんざいビハールしゅうラージギル)は温泉おんせんおおく、おうしゃじょうそうされた仏教ぶっきょう最初さいしょ寺院じいんである竹林たけばやし精舎しょうじゃちかくに、温泉おんせんがある仏教ぶっきょう僧院そういん(Tapodarama)があった。湯治とうじ目的もくてきとしていたおもわれる。現在げんざい跡地あとちにはヒンドゥー寺院じいんてられるが、温泉おんせんいま健在けんざいである。ヒマラヤ山脈ひまらやさんみゃくがあるインド北部ほくぶの、ジャンムー・カシミールしゅうヒマーチャル・プラデーシュしゅうウッタラカンドしゅうなどは、温泉おんせんおおく、宗教しゅうきょう施設しせつなかや、その周辺しゅうへん源泉げんせんがあることがおおい。パールヴァティー渓谷けいこくにある温泉おんせん有名ゆうめいである。

ヒンドゥーきょうおおくは1にちはじまりに、寺院じいん貯水池ちょすいちかわ沐浴もくよくおこなう。あるいは毎日まいにち仕事しごとえたあと、1あいだほど時間じかんをかけて全身ぜんしんあらきよしめる[2]。ただし、沐浴もくよくするかわみずいちじるしく汚染おせんされている場合ばあいもある[3]シクきょうにも沐浴もくよく習慣しゅうかんがあり、アムリトサルにあるシクきょう総本山そうほんざん黄金おうごん寺院じいん周辺しゅうへんでは沐浴もくよくがよくおこなわれている。

ヨーロッパ[編集へんしゅう]

カラカラだい浴場よくじょうあと ゆかうつくしいモザイクのタイルりであった

古代こだいギリシャひとはきれいきではあったが、ローマじんほど入浴にゅうよく熱心ねっしんになることはなかった。文明ぶんめい初期しょきにはあたたかいおかることは退廃たいはいてきなことだとかんがえていたが、紀元前きげんぜん4世紀せいきころのギリシャの都市としには公共こうきょう浴場よくじょう存在そんざいした。デルフォイにはだい規模きぼ温泉おんせん施設しせつがあり、プラトン時代じだいにはギムナシオン浴場よくじょう併設へいせつされていた[4]

マ帝国まていこく時代じだいには、かく植民しょくみん都市とし公共こうきょう浴場よくじょうつくられた。入浴にゅうよく様式ようしき風呂ぶろほかに、ひろ浴槽よくそうかる形式けいしきもあった。217ねんにつくられたローマのカラカラだい浴場よくじょうは、2000にん以上いじょう同時どうじ入浴にゅうよくできたといわれている。古代こだいローマ入浴にゅうよくは、官営かんえい病院びょういんたなかったローマじん感染かんせん予防よぼう施設しせつとしても使つかわれた。

ローマの公共こうきょう浴場よくじょう時代じだいながれとともに、大衆たいしゅう社交しゃこうじょう娯楽ごらく施設しせつとしての意味いみしてきた。一方いっぽう売春ばいしゅん飲酒いんしゅ蔓延まんえん怠惰たいだ温床おんしょうにもなった。

きたヨーロッパフィンじんサウナという公衆こうしゅう浴場よくじょう入浴にゅうよくした。古代こだいのサウナは社会しゃかいてきにはみそぎであり、死者ししゃ葬儀そうぎまえにサウナにれられ、悪魔あくまかれたとされたものはサウナで悪魔あくまばらけた。

初期しょきキリスト教きりすときょう厳格げんかく信者しんじゃからはローマしき入浴にゅうよくスタイルは退廃たいはいてき贅沢ぜいたくであるとされ、敬遠けいえんされるようになった。不潔ふけつさこそ聖人せいじん要件ようけんであり、自己じこ犠牲ぎせい敬虔けいけんいであるとしんじられた。入浴にゅうよくするにしてもふくこと論外ろんがいであり、異教徒いきょうとおな浴槽よくそうはいることもかんがえられないことであった[5]

楽園らくえんいずみ」15世紀せいき、イタリア

中世ちゅうせい初期しょき衰退すいたいした公共こうきょう浴場よくじょうわり木製もくせい円形えんけいたらい普及ふきゅうした。2人ふたり以上いじょうはいることができるおおきさで、経済けいざいてき労力ろうりょくてき理由りゆうから複数ふくすう人間にんげん同時どうじはいることがつねだった。入浴にゅうよく贅沢ぜいたく一種いっしゅであり、貴族きぞくたちのあいだではまねいたきゃく夜会やかいまえ入浴にゅうよくさせる「ドンネ・アラベール」とばれる習慣しゅうかん流行りゅうこうした。

十字軍じゅうじぐん時代じだい東方とうほうからハマーム慣習かんしゅうつたわり、かつての浴場よくじょうあとなどに公共こうきょう浴場よくじょう再建さいけんされた。しかし、羽目はめはずものこうたず、堕落だらく私生児しせいじ社会しゃかい問題もんだいとなった。教会きょうかいは「公共こうきょう浴場よくじょうでの入浴にゅうよく不道徳ふどうとく異教徒いきょうとてき」として非難ひなんし、教会きょうかいかねによって男女だんじょ入浴にゅうよく時間じかんけるなど積極せっきょくてき介入かいにゅうした。一方いっぽうムーアじん影響えいきょうにあったイベリア半島はんとうでは、洗練せんれんされたハマームでの入浴にゅうよく習慣しゅうかんつづいていたが、キリスト教徒きりすときょうとによる国土こくど回復かいふく運動うんどうによってうしなわれた。

共同きょうどう浴場よくじょうは、コレラペスト梅毒ばいどくなどの伝染でんせんびょう温床おんしょうとなり、1350ねんせんペストの流行りゅうこうによりおおくの公共こうきょう浴場よくじょう閉鎖へいさされた。それ以後いご共同きょうどう浴場よくじょう実質じっしつてき売春ばいしゅん宿やどだけとなり、16世紀せいきには全面ぜんめんてき禁止きんしされるにいたった。結果けっかキリスト教徒きりすときょうとあいだでは社交しゃこうてき入浴にゅうよく享楽きょうらく象徴しょうちょうとみなされてきらわれ、自宅じたくでの個人こじん風呂ふろ主流しゅりゅうになっていった。

ルネサンスのヨーロッパ(とくにフランス)では「みずびると病気びょうきになる」としんじられた。ヴェルサイユ宮殿きゅうでんのバスタブは建設けんせつされた当初とうしょ使つかわれていたものの、そのマリー・アントワネットとつぐまで使つかわれなかった。王侯おうこう貴族きぞく入浴にゅうよくわりに頻繁ひんぱんシャツ着替きがえ、香水こうすい体臭たいしゅうをごまかすようになった。これがパリなどのフランスの大都市だいとし公衆こうしゅう衛生えいせい悪化あっか原因げんいんひとつとなった。

18世紀せいきイギリスジョン・ウェスレーによってこされたメソジストの「清潔せいけつ神性しんせいぐ」という主張しゅちょうと、「みず治療ちりょうほう」という民間みんかん療法りょうほう流行りゅうこうによって公共こうきょう浴場よくじょう入浴にゅうよく見直みなおされる機運きうんたかまった。コレラのだい流行りゅうこう反省はんせいからロンドンの上下水道じょうげすいどう完備かんびされ、1875ねんにイギリスで「公衆こうしゅう衛生えいせいほう」ができて入浴にゅうよく奨励しょうれいされるようになり、徐々じょじょにバスタブによる入浴にゅうよくおこなわれるようになった。さらに19世紀せいき、イギリスでシャワー発明はつめいされる。以後いご、シャワーによる入浴にゅうよく世界せかいひろまった。

日本にっぽん[編集へんしゅう]

もともと日本にっぽんでは、かわたきおこなわれた沐浴もくよく一種いっしゅおもわれるみそぎ(みそぎ)の慣習かんしゅうふるくよりおこなわれていたとかんがえられている。 紀元きげん3世紀せいき中国ちゅうごく大陸たいりくくにかれた歴史れきししょ日本人にっぽんじん徹底てっていした潔癖けっぺきせいについての記録きろくがある。

仏教ぶっきょう伝来でんらいしたとき建立こんりゅうされた寺院じいんにはどうよくどうとよばれる沐浴もくよくのための施設しせつつくられた。もともとは僧尼そうにのための施設しせつであったが、仏教ぶっきょうにおいてはやまい退しりぞけてぶく招来しょうらいするものとして入浴にゅうよく奨励しょうれいされ、『仏説ぶっせつ温室おんしつあらいよくしゅそうけい』とばれる経典きょうてん存在そんざいし、ほどこせよくによって一般いっぱん民衆みんしゅうへの開放かいほうすすんだといわれている。とく光明皇后こうみょうこうごう建設けんせつ指示しじし、貧困ひんこんそうへの入浴にゅうよく治療ちりょう目的もくてきとしていたといわれる法華寺ほっけじよくどう有名ゆうめいである。当時とうじ入浴にゅうよくにつかるわけではなく、薬草やくそうなどをれたかしその蒸気じょうきよくどうないんだ風呂ぶろ形式けいしきであった。またはこの風呂ぶろのことを風呂ふろんでいた。

平安へいあん時代じだいになると寺院じいんにあった風呂ぶろ様式ようしきよくどう施設しせつを、上級じょうきゅう公家くげ屋敷やしきない様式ようしきあらわれる。次第しだい宗教しゅうきょうてき意味いみうすれ、衛生えいせいめんくつろぎの色彩しきさいつよくなったとかんがえられている。

浴槽よくそうにおり、そこにからだかるというスタイルがいつごろ発生はっせいしたかは不明ふめいである。ふるくからおけみずれてからだあら行水ぎょうずいというスタイルと、風呂ぶろ融合ゆうごうしてできたとかんがえられている。この入浴にゅうよく方法ほうほうが、一般いっぱんしたのは江戸えど時代じだいはいってからとかんがえられている。

だが、漢方かんぽうあいだでは入浴にゅうよく習慣しゅうかんひろまることに危機ききかんおぼえるものもいた。いわゆる後世こうせいばれる医師いしたちは、温泉おんせん療法りょうほう以外いがいによる入浴にゅうよく体内たいないみだしてからだ悪影響あくえいきょうあたえるとかんがえていた。貝原かいばら益軒えきけんの『養生ようじょうくん』にも10日とおかに1ぬるま沐浴もくよくすればく、それ以上いじょう入浴にゅうよくかえってどくとなるとかれている。だが、ふるかたとされる医師いしたちは実証じっしょう主義しゅぎ観点かんてんから適度てきど入浴にゅうよく循環じゅんかんくして体内たいない毒物どくぶつ外部がいぶ排出はいしゅつするのをたすけるとろんじ、蘭方らんぽう皮膚ひふあか付着ふちゃくすることの危険きけんせいろんじて、「入浴にゅうよく害毒がいどくろん」を批判ひはんしている。

現在げんざい世界せかいてきても日本人にっぽんじん入浴にゅうよく頻度ひんどはかなりたかい。江戸えど時代じだい一般いっぱんてき入浴にゅうよく頻度ひんどがそれほどたかくなく、銭湯せんとうなどの共同きょうどう浴場よくじょうでの入浴にゅうよく一般いっぱんてきだった一方いっぽうで、地域ちいき生活せいかつ水準すいじゅん、あるいはぶしによってまちまちであった。 毎日まいにち入浴にゅうよくする習慣しゅうかん全国ぜんこくてきになっていくのは、家庭かていないへガスによる瞬間しゅんかんにえ水道すいどうすい普及ふきゅうすすんだ高度こうど経済けいざい成長せいちょう以降いこうのことである。近年きんねんシャワー普及ふきゅうし、しょう人数にんずう世帯せたい増加ぞうかと、夏期かきいちにちふくすうかい入浴にゅうよくするためにシャワーのみびるというひとえた。また「高温こうおん入浴にゅうよく健康けんこうとく高血圧こうけつあつ)にわるい」「身体しんたいあたためるにはややぬるい風呂ふろながはいほう効果こうかてき」とかんがえて、ぬるめの入浴にゅうよくこの日本人にっぽんじんえるなど、入浴にゅうよく仕方しかた変化へんかあらわれている。

温泉おんせんがいでは、地元じもと住民じゅうみんかよゆたかたか共同きょうどう浴場よくじょうと、観光かんこうきゃくれるぬるめにした浴場よくじょうべつもうけられている地区ちくもある[6]

日本にっぽん入浴にゅうよく習慣しゅうかん[編集へんしゅう]

橋口はしぐち五葉ごよう「ゆあみ」(1915ねん)

一般いっぱん日本人にっぽんじん入浴にゅうよくとくたか温水おんすいでの入浴にゅうよくこのむとわれ、おおくの日本人にっぽんじんこの入浴にゅうよく温度おんどは40~43程度ていどである。『徒然草つれづれぐさ』にもまいはなつむねとすべしとあるように、日本にっぽん住居じゅうきょ日本にっぽん多湿たしつ気候きこう考慮こうりょして、風通かぜとおしの構造こうぞうこのまれていた。このため冬場ふゆば身体しんたいえるためにあつ温度おんど入浴にゅうよくこのまれるようになったというものである。

日本人にっぽんじん風呂ふろきとなった原因げんいんとして、ふゆ前述ぜんじゅつ理由りゆうから、なつ高温こうおん多湿たしつ気候きこうによりあせをかきやすく、火山かざんとうのため粘土ねんどしつでありほこりちやすいことなど、1ねんつうじて入浴にゅうよく必要ひつようとする日本にっぽん気候きこう風土ふうどげられる。また神道しんとう仏教ぶっきょう影響えいきょうけ、入浴にゅうよくによってあかとすことは浮世うきよよごれとともに、しんなかあか(いわゆる「煩悩ぼんのう」)をもあらながすとしんじられてきたことや、入浴にゅうよくによる心身しんしんにおける爽快そうかいかんという実体験じつたいけん慣習かんしゅうとして根付ねついたのだとする見方みかたもある。

これにたいして、たとえば中国ちゅうごくでは沐浴もくよくを5にちに1かいおこなうことが理想りそうとされてきたが、基本きほんてきには蒸気じょうきよく・あるいは行水ぎょうずいるいであったとかんがえられており、日本人にっぽんじん入浴にゅうよく特殊とくしゅであったことを物語ものがたっている。外国がいこく行水ぎょうずい、シャワーを使用しようするくにおおい。

日本人にっぽんじん入浴にゅうよくたい熱心ねっしんかつ真剣しんけんであるとわれる。「アメリカじんからだをきれいにするために風呂ふろはいるが、日本人にっぽんじんからだをきれいにしてから風呂ふろにはいる」とわれるほど浴槽よくそう衛生えいせい管理かんり使つかっている。日本にっぽんでは、浴槽よくそうはいまえ身体しんたいあらうか、よごれをながとすことがマナーとされる[7]日本人にっぽんじんおなじく入浴にゅうよく熱心ねっしんだったローマじんにとって、入浴にゅうよくはその活動かつどう準備じゅんびであり、そのためにからだをリフレッシュさせる手段しゅだんであるためせんちゅう入浴にゅうよくした。一方いっぽう日本人にっぽんじんいちにちつかれをやしぐっすりるためによる入浴にゅうよくする[8]

共同きょうどう浴場よくじょう銭湯せんとう[編集へんしゅう]

おんな
石榴口ざくろぐちつき銭湯せんとう

多数たすう他人たにん全裸ぜんら入浴にゅうよくをする共同きょうどう浴場よくじょうは、世界せかいてきめずらしい日本にっぽん独特どくとく入浴にゅうよくスタイルである。日本にっぽん以外いがい温泉おんせん公衆こうしゅう浴場よくじょうでは水着みずぎ前掛まえかけを着用ちゃくようしてはいるのが一般いっぱんてきである。日本にっぽんでも宝永ほうえい年間ねんかん以前いぜんまでは、おとこ風呂ふろふんどしおんな湯文字ゆもじという専用せんよう服装ふくそう入浴にゅうよくしていた[9]

公家くげ邸宅ていたく入浴にゅうよく施設しせつはじめた平安へいあん時代じだいごろから、集落しゅうらく密集みっしゅうした都市としには入浴にゅうよくをサービスとして提供ていきょうするまちあらわれたといわれている。

1591ねん伊勢いせ与市よいちによって江戸えどはじめての銭湯せんとうかれて以来いらい急速きゅうそく江戸えど市民しみん生活せいかつんでいった。江戸えど時代じだいはいると、銭湯せんとう大衆たいしゅうした。はじめは心身しんしんてき理由りゆう入浴にゅうよくすることがおおかった人々ひとびとあいだでも、次第しだいにおしゃれや娯楽ごらく社会しゃかいてきコミュニケーションのとして銭湯せんとうもの増加ぞうかするようになった。銭湯せんとうあかすりやかみすきのサービスを湯女ゆな(ゆな)にしてもらう湯女ゆな風呂ふろなどが増加ぞうかした。当時とうじ川柳せんりゅうに「銭湯せんとうかぬで下女げじょどくづかれ」と銭湯せんとうかないもの揶揄やゆするものがあらわれるのも、こうした時代じだい背景はいけいがある。松平まつだいら定信さだのぶ江戸えど銭湯せんとうでの男女だんじょ混浴こんよく禁止きんしする御法度ごはっとすなど、風紀ふうききびしいまりの対象たいしょうにもなった(この取締とりしまりは日本にっぽん狭小きょうしょう住宅じゅうたく事情じじょうもあり、銭湯せんとうがわ対処たいしょ湯船ゆぶね簡便かんべん仕切しきりをほどこしただけのれいおおかったため結果けっかてき浴室よくしつせまくなり、とく女性じょせいがわから苦情くじょうた)。その一方いっぽう幕府ばくふ低廉ていれん価格かかく維持いじ山東さんとう京伝きょうでんによればとおる年間ねんかんにおける入湯にゅうとうりょう大人おとな10ぶん子供こども8ぶんであったという)のわりに銭湯せんとう業者ぎょうしゃ保護ほごおこなっていた。なん銭湯せんとうかよきゃくのために、つき単位たんいとおしでれる木札きふだっていたともいう。

浮世うきよ風呂ふろ』(式亭しきてい三馬さんば)のように文芸ぶんげい絵画かいが題材だいざいにもなった。

なお江戸えど時代じだい銭湯せんとう浴室よくしつ風呂ぶろねていた。くち柘榴ざくろこうばれるたかさがひく鴨居かもい湯気ゆげげないようにする構造こうぞうになっており、そのため浴室よくしつないはかなり薄暗うすぐらかった。そのため、浴室よくしつはいるときやるときには先客せんきゃくこえをかける(たとえば、はいときには「えものです」とう)のが礼儀れいぎとされた。なお、柘榴ざくろこう明治めいじ初期しょき衛生えいせいじょう問題もんだい理由りゆう政府せいふ命令めいれいによってはずされた。

明治めいじ以前いぜんにも男女だんじょ混浴こんよく風紀ふうきみだもととして禁止きんしれいされたこともあったが、効果こうかうすかった。明治めいじはいってから、男女だんじょべつよく徹底てっていされるようになった。また、トルコ風呂とるこぶろ現在げんざいソープランド)は日本にっぽん独自どくじ大人おとなせい風俗ふうぞく文化ぶんかとして花開はなひらいた。

地域ちいきにおける入浴にゅうよく習慣しゅうかん[編集へんしゅう]

四国しこく一部いちぶでは新築しんちくいえあるいは風呂ふろリフォームをしたさい一番いちばん風呂ふろとおかりのホームレス遍路へんろ四国八十八箇所しこくはちじゅうはっかしょめぐりの巡礼じゅんれいしゃ)、親族しんぞく老人ろうじんなどに使つかわせたうえ応接間おうせつま馳走ちそう(あるいはうどん)を振舞ふるまうと風習ふうしゅうがあるところがある。

医学いがくてき知見ちけん[編集へんしゅう]

一般いっぱん適度てきど入浴にゅうよく皮膚ひふ清潔せいけつたもち、心身しんしんストレスのぞ効果こうかがある。長期間ちょうきかん入浴にゅうよくせずシャワーもびなかった場合ばあい衛生えいせい状態じょうたいたもたれず皮膚ひふえん感染かんせんしょうこす可能かのうせいがある。
たとえば中世ちゅうせいごろにペストがだい流行りゅうこうしたとき入浴にゅうよく習慣しゅうかんのないヨーロッパじんあいだでは流行りゅうこうしたが、入浴にゅうよく習慣しゅうかん先祖せんぞからいできたユダヤじんはなかなか感染かんせんしなかった。このことから「ユダヤじんどくった」とうたがわれ、各地かくちでユダヤじんたいする虐殺ぎゃくさつきた[10]

1960年代ねんだいヒッピー文化ぶんか流行りゅうこうしたときには、現存げんそん文化ぶんか否定ひていしナチュラルにする意味いみ入浴にゅうよく歯磨はみが散髪さんぱつといった衛生えいせい概念がいねんをほとんどおこなわない習慣しゅうかん流行りゅうこうした結果けっか感染かんせんしょうひろまった[11]

入浴にゅうよくしたときあつくもかんじずつめたくもかんじない温度おんど不感ふかん温度おんどといい、36~37程度ていどである。この不感ふかん温度おんどでの入浴にゅうよくしたとき消費しょうひされるエネルギーがもっとすくない。不感ふかん温度おんどよりたかくてもひくくても入浴にゅうよくちゅう消費しょうひされるエネルギーは増加ぞうかする。また42以上いじょう高温こうおん入浴にゅうよくあらいすぎは皮膚ひふ角質かくしつそう破壊はかいし、かゆみや皮膚ひふえんつながる[12]

不感ふかん温度おんどよりも5以上いじょうたかい、あつ温度おんどのお入浴にゅうよくすると、入浴にゅうよく開始かいし直後ちょくご血液けつえきながれを皮膚ひふ表面ひょうめんからとおざけようとする身体しんたいてき現象げんしょう発生はっせいする。また水圧すいあつにより血管けっかんしつぶされ、心臓しんぞうくわわる負担ふたんおおきくなる。高血圧こうけつあつしょう心臓しんぞう持病じびょうひとあつ入浴にゅうよくすることをけるようにわれるのはこのためである。また入浴にゅうよく時間じかんながくなるにつれて、体温たいおん上昇じょうしょうはじまる。すると身体しんたい放熱ほうねつをするために血管けっかん拡張かくちょうがおこり、のう内臓ないぞうまわ血液けつえきりょう減少げんしょうする。これは血圧けつあつひくひと湯上ゆあがりのちくらみをこしやすい原因げんいんとなっている。

入浴にゅうよく介助かいじょ[編集へんしゅう]

入浴にゅうよく介助かいじょとは自力じりきでの入浴にゅうよく行為こういいちじるしく困難こんなんものたいし、他者たしゃ介助かいじょおこなうことである。高齢こうれい障害しょうがいなどにより入浴にゅうよく介助かいじょ必要ひつようとするひとおおい。身体しんたい清潔せいけつにするほか精神せいしんてき肉体にくたいてき苦痛くつう緊張きんちょう緩和かんわさせる、排泄はいせつ作用さよう促進そくしんさせる、にゅうねむりたすけるなどの効果こうかがあるが上述じょうじゅつほかにも転倒てんとう意識いしき喪失そうしつなどのリスクもあり福祉ふくし介護かいごにおける専門せんもんせい要求ようきゅうされる重要じゅうようなサービスのひとつである。

入浴にゅうよく介助かいじょにはほぼ自立じりつできるひと対象たいしょうとした見守みまもり、かた麻痺まひのあるひと対象たいしょうとした入浴にゅうよく介助かいじょ、シャワー入浴にゅうよく介助かいじょたきりやくるまいすにったままおこなえる機械きかいよく介助かいじょなどがある。

動物どうぶつ入浴にゅうよく[編集へんしゅう]

ペットぬしれてあらうことも「入浴にゅうよく」「風呂ふろれる」と表現ひょうげんされることがある[13]。また日本にっぽんでは、野生やせいまたは飼育しいくにつかるニホンザルがおり、「温泉おんせんざる」として観光かんこうきゃくらに注目ちゅうもくされている[14][15]

イノシシやシカなどは、沼田ぬまたじょうどろびる。バッファローは、バッファロー・ワローどろびをする。うまなどはすなおこなう。ほとんどのとりぞうなどはみずびるが、とり場合ばあい行水ぎょうずいしながらばたいたさい発生はっせいするみず飛沫しぶきびることおおい。ぞう水溜みずたまりなどのみずはな吸引きゅういんし、そのままシャワーやホースのようはなからみず噴射ふんしゃして自分じぶん身体しんたいにかける様子ようすられる。

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ クルーティエ 1996, pp. 141–142.
  2. ^ NHK BSプレミアム 名作めいさくせん HVスペシャル「だい沐浴もくよく ~インド・3000まんにんいのりの」2014ねん6がつ11にち さい放送ほうそう
  3. ^ せいなるかわ人間にんげんおな権利けんりみとめられない、インド最高裁さいこうさい判断はんだんフランス通信つうしんしゃ(AFP)日本語にほんごばん、2017ねん7がつ10日とおか
  4. ^ クルーティエ 1996, pp. 132–134.
  5. ^ クルーティエ 1996, pp. 142–143.
  6. ^ 共同きょうどう浴場よくじょう飯坂いいざか温泉おんせんオフィシャルサイト(2017ねん12月21にち閲覧えつらん
  7. ^ 銭湯せんとう児童じどうに「よくいく」マナーまなべて、よく効果こうかも? 朝日新聞あさひしんぶんデジタル(2017ねん6がつ29にち
  8. ^ クルーティエ 1996, pp. 166–167.
  9. ^ 岩井いわいひろし日本にっぽん伝統でんとうく:らしのなぞがく青春せいしゅん出版しゅっぱんしゃ、2003ねんISBN 4413040686、p.141.
  10. ^ 『ユダヤのちから(パワー)-ユダヤじんはなぜあたまがいいのか、なぜ成功せいこうするのか!』(知的ちてききかた文庫ぶんこ加瀬かせ英明ひであき ちょ
  11. ^ Zablocki, Benjamin. "Hippies."
  12. ^ ふゆはだ大敵たいてき=あやまった入浴にゅうよく方法ほうほうかゆ
  13. ^ いぬのお風呂ふろ頻度ひんど注意ちゅういてんは?(2017ねん12月21にち閲覧えつらん
  14. ^ 地獄谷じごくだに野猿やえんこうえんについて(2017ねん12月21にち閲覧えつらん
  15. ^ かわ熱帯ねったい植物しょくぶつえんの「サルやま温泉おんせん物語ものがたり 函館はこだて公式こうしき観光かんこう情報じょうほうはこぶら(2017ねん12月21にち閲覧えつらん

参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]

  • アルヴ・リトル・クルーティエ ちょ武者むしゃ圭子けいこ やくみず温泉おんせん文化ぶんか三省堂さんせいどう、1996ねんISBN 4385355037 

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]