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千葉ちばしげるたね

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千葉ちばしげるたね
時代じだい 平安へいあん時代じだい後期こうき - 鎌倉かまくら時代ときよ前期ぜんき
生誕せいたん 久寿きゅうじゅ2ねん3月2にち1155ねん4がつ5にち
死没しぼつ たてたもつ6ねん4がつ10日とおか1218ねん5月6にち
幕府ばくふ 鎌倉かまくら幕府ばくふ
主君しゅくん みなもと頼朝よりともよりゆきじつあさ
氏族しぞく 房総ぼうそうたいら千葉ちば
父母ちちはは ちち千葉ちばたねただしはは上総かずさ広常ひろつねむすめ
つま 千葉ちばひじりひかり
胤綱たねつなむすめ結城ゆうき朝光ともみつしつ
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千葉ちば しげるたね(ちば なりたね)は、平安へいあん時代じだい末期まっきから鎌倉かまくら時代ときよ前期ぜんき武将ぶしょう千葉ちばだい5だい当主とうしゅ千葉ちばかいだい4だい当主とうしゅ千葉ちばたねただしなりたねは「しげたね」とよまれてきたが、「ぎょうたね」とかれた史料しりょうがあることから「なりたね」がただしい[1]

概要がいよう

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うけたまわ4ねん1180ねん)、石橋いしばしさんたたかやぶれたみなもと頼朝よりとも安房あわこくのがれたさい祖父そふ常胤つねたねちちたねせいとも頼朝よりともぐん参加さんかし、平家ひらか総帥そうすい清盛きよもりあね婿むこ藤原ふじわら親政しんせいなまとりこにするという快挙かいきょげ、うけたまわ寿ことぶきひさしらんせいする原動力げんどうりょくとなった。

吾妻あづまきょう』によると、叔父おじたねよりゆき安房あわこくのがれた頼朝よりともへの加勢かせい下総しもうさ目代もくだいちゅうすることを主張しゅちょう祖父そふ常胤つねたねもこれをみとめて頼朝よりともぐん合流ごうりゅうすること決定けっていし、9月13にちたねよりゆきなりたね千葉ちばそうのちにするにさい平家へいけかた下総しもうさ目代もくだいかん急襲きゅうしゅうしてった[2][注釈ちゅうしゃく 1]。そのため下総しもふさこく千田せんだそう領家りょうけすめらぎ嘉門かもんいん判官ほうがんだい藤原ふじわら親政しんせいせんひきいて千葉ちばそう侵入しんにゅう千葉ちばそうもどったなりたね合戦かっせんになった。わずかななむかったなりたね窮地きゅうちおちいるが、それでも親政しんせいなまとりこにしたと[3]親政しんせいなまとりこにしたことで様子見ようすみしていた上総かずさ広常ひろつねなど坂東ばんどう武士ぶしだんがこぞって頼朝よりともぐん合流ごうりゅう関東かんとうにおける頼朝よりとも軍事ぐんじりょく平家へいけかた勢力せいりょく上回うわまわことになった[4]

頼朝よりとも正室せいしつ政子まさこ懐妊かいにんさい着帯ちゃくたいたっては、祖母そぼ使つかいとして腹帯はらおび献上けんじょう[5][注釈ちゅうしゃく 2]安産あんざん祈願きがんのために、下総しもうさ香取かとりしゃ奉幣ほうへい使としてつかわされた[6]

文治ぶんじ5ねん1189ねん)、奥州おうしゅう合戦かっせんにもくわわってこうげた。たてひとし3ねん1203ねん)のちちにより、家督かとくいで当主とうしゅとなる。けんれき2ねん1212ねん)7がつ9にち将軍しょうぐん源実朝みなもとのさねともいのちによりさむらいしょみやつこがえ普請ふしんした[7]けんれき3ねん1213ねん)、いずみちかし衡のらん未然みぜんふせぐという武功ぶこうげた。同年どうねん和田わだ合戦かっせんにおいても北条ほうじょうよしときがわくみしてこうげた。

けん6ねん(1218ねん)4がつ10日とおか死去しきょし、あと長男ちょうなん千葉ちば胤綱たねつないだ。

脚注きゃくちゅう

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注釈ちゅうしゃく

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  1. ^ これは千葉ちばによる主体しゅたいてき反乱はんらん評価ひょうかするべきと指摘してきされている[1]
  2. ^ 吾妻あづまきょう』には「孫子まごこ小太郎こたろうたねせい」とあるが、たねせいたねせい)はまごではなくであり太郎たろうなのでなりたねあやまり。

出典しゅってん

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  1. ^ a b 野口のぐちみのる千葉ちば京都きょうと中世ちゅうせい前期ぜんき中心ちゅうしんに―」『千葉ちば史学しがく』72ごう、2018ねん 
  2. ^ 吾妻あづまきょううけたまわ4ねん9がつ13にちじょう
  3. ^ 吾妻あづまきょううけたまわ4ねん9がつ14にちじょう
  4. ^ 吾妻あづまきょううけたまわ4ねん9がつ20日はつかじょう
  5. ^ 吾妻あづまきょう養和ようわ2ねん3がつ9にちじょう
  6. ^ 吾妻あづまきょうことぶきひさし元年がんねん8がつ11にちじょう
  7. ^ 吾妻あづまきょうけんれき2ねん7がつ2にち・9にちじょう

関連かんれん項目こうもく

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