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硝子がらす少年しょうねん

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
硝子がらす少年しょうねん
KinKi Kidsシングル
初出しょしゅつアルバム『B album
リリース
規格きかく 8cmCD ('97)
12cmCD ('07)
ジャンル J-POP
時間じかん
レーベル ジャニーズ・エンタテイメント
作詞さくし作曲さっきょく 松本まつもとたかし作詞さくし
山下やました達郎たつお作曲さっきょく
プロデュース 藤島ふじしまメリー泰子やすこ
山下やました達郎たつお
ゴールドディスク
チャート最高さいこう順位じゅんい
  • 週間しゅうかん1(3しゅう連続れんぞくオリコン[2]
  • 1997ねん7がつ月間げっかん5(オリコン)
  • 1997ねん8がつ月間げっかん1(オリコン)
  • 1997ねん9がつ月間げっかん3(オリコン)
  • 1997ねん10がつ月間げっかん14(オリコン)
  • 1997年度ねんど年間ねんかん2(オリコン)
  • オリコン歴代れきだいシングルランキング41
  • KinKi Kids シングル 年表ねんぴょう
    硝子がらす少年しょうねん
    (1997ねん
    あいされるより あいしたい
    (1997ねん
    ミュージックビデオ
    硝子がらす少年しょうねん - YouTube
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    硝子がらす少年しょうねん」(がらすのしょうねん)は、KinKi Kidsデビューシングル1997ねん7がつ21にち8cmCD発売はつばい発売はつばいもとジャニーズ・エンタテイメント

    2007ねん12月26にちに12cmCD(マキシシングル)としてさい発売はつばいされている。

    解説かいせつ

    [編集へんしゅう]

    1993ねんからジャニーズJr.として活動かつどうしていたKinKi Kidsのメジャーデビューシングル作品さくひんであり[3]、1997ねん設立せつりつされたレコード会社かいしゃジャニーズ・エンタテイメント」からはじめて発売はつばいされた作品さくひんである[4]。また、ほんさくはアルバム『A album』と同時どうじ発売はつばいされた。

    初回しょかいプレスはほんさくとアルバムの『A album』がセットになった仕様しよう発売はつばいされた。ほんさく初回しょかいばん卓上たくじょうカレンダーきであり、このセット販売はんばい発案はつあんしゃ小杉こすぎさとし宇造である(韓国かんこくアイドルの発売はつばい形態けいたいいしずえになっている初期しょきでは『光GENJIひかるげんじ』など)。初回しょかいプレスすうは100まんまい製作せいさくされ完売かんばいしている。また初回しょかいプレスばんは、マキシシングルのジャケット仕様しように8cmシングルがおさめられている。

    シングルとアルバムが同時どうじ発売はつばいとなったのは、KinKi Kidsをデビューさせるために、ジャニー喜多川きたがわ意向いこうんだじょうでのもの。山下やました達郎たつお後日ごじつだんとして、「ジャニーさんは、かわいいやつはデビューさせたくないんです」とし、「キンキも『Kissからはじまるミステリー』でデビューのはずだったが、ジャニーさんがイヤだとった。デビューさせたくないと。で、つぎに『硝子がらす少年しょうねん』をいて、それもイヤだとって。(ジャニーは)アルバムでデビューさせたいとうので、しょうがないのでアルバムとシングルをどういちパッケージ仕様しようにした」とのこと[5]

    製作せいさく

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    すでにアイドルとしてキャリアがあったKinKi Kidsのまんもたしてのデビューシングルとなるほんさく製作せいさくにあたり、松本まつもとたかし山下やました達郎たつおにはジャニー喜多川きたがわらから「オリコンチャートでのはつ登場とうじょう1」と「ミリオンセールス」が必要ひつよう最低さいてい条件じょうけんとしてされた。そのため、山下やましたは「この楽曲がっきょく製作せいさくするときは、かなりのプレッシャーだった」とかたっている。

    松本まつもとたかしはジャニーズ事務所じむしょから「10代の少年しょうねんをテーマにしたきょくつくってほしい」と依頼いらいされた[6]。またジャニー喜多川きたがわからは、「このたちは人気にんきがあるからミリオンね」とだけ注文ちゅうもんけたという[7]

    しかし松本まつもと歌謡かようかい一線いっせんから7年間ねんかんとおのいていた時期じきであったため[7]、オファーをけたものの「松本まつもとたかし賞味しょうみ期限きげんれてるのではないか」と不安ふあんだったという[6]

    その松本まつもと山下やましたは、すぐにきょくづくりのわせにはいり、二人ふたりは「ポップスの王道おうどうもどったきょくつくろう」という意見いけん一致いっちした。松本まつもとはインタビューで「いま当時とうじ)のポップスは全体ぜんたいてきに、デジタルされてサバサバしている。むかしのビートルズ、エルビス・プレスリーのように、情感じょうかんがあって、むねにキュンとくる、きれいなメロディーがかさなるうたもどってみようとおもったんです」とかたっている[6]

    当初とうしょは3rdシングルとなった『ジェットコースター・ロマンス』をデビューきょくとして提唱ていしょう事務所じむしょからも了承りょうしょうたが、山下やました自身じしんが「(このきょくでは)100まんまいかない」と納得なっとくがいかず、「もう1週間しゅうかんくれ」とってほんきょく製作せいさくされた[8]なお、デビューまえより披露ひろうされていた『Kissからはじまるミステリー』(1stアルバム『A album収録しゅうろく)もデビューきょく候補こうほであったが、ジャニーより却下きゃっかされている[9]

    山下やました作曲さっきょくにかなりの困難こんなんきわめたが、70~80年代ねんだい代表だいひょうするヒットメーカーで、ジャニーズでも近藤こんどう真彦まさひこ少年しょうねんたいなどのヒットきょく数多かずおお手掛てがけてきた作曲さっきょく筒美つつみ京平きょうへいいに「筒美つつみ京平きょうへいだったらどういうきょくくのか」という視点してん完成かんせいさせた[8][10]。また山下やましたは、それまでのジャニーズとKinKi Kidsの2人ふたりとはかなりちがうイメージをかんじ、光一ぴかいちごうこえれていて、それまでの開放かいほうかんのあるジャニーズの歌声うたごえとはちょっとちが印象いんしょうつよいたそうで、アイドルのデビューきょくにもかかわらず、あえてせつないマイナー調ちょうのメロディーにかかわ製作せいさくした、ある意味いみ確信かくしんはんてき製作せいさくした楽曲がっきょくである[11]

    関係かんけいしゃにデモテープをかせたさいには「くらい」、「古臭ふるくさい」、「おどれない」とう酷評こくひょう反対はんたいがあったが「ジャニーズの歴史れきしまえてイメージした楽曲がっきょくでもあり、二人ふたりったきょくはこれしかない!」と断言だんげん。デビュー・シングルの楽曲がっきょくとしてえらばれた[8][10]販促はんそくようのパンフレットには「フォーリーブスきたママたちと、いままさにKinKiをきるむすめたちとが、ときえてつながるなにかを表現ひょうげんできたらとおもい、このきょくつくりました」とのコメントをせている[6]。また、スタッフの感想かんそうきメンバーにん不安ふあんおぼえたが、山下やましたにんに「大丈夫だいじょうぶだよって。あなたたちが40さいになってもうたえるきょくだから」とつたえたそうである[8]

    松本まつもとは、対象たいしょう歌手かしゅから直感ちょっかんてき特徴とくちょうることができ、KinKi Kidsの2人ふたりはなつ「かがやきや独特どくとくあやうさ」をどのように表現ひょうげんするかかんがいたが、なんなおしてもジャニーズがわからなかなかOKがなかった[7]

    のテーマがなかなかまらずいちばんなやんでいたときに、テレビをつけたさい偶然ぐうぜんKinKi Kidsの2人ふたりがテレビにうつり、その姿すがたて「こわれやすそうだけど、したたかそうだな」[12]「あ、ガラスの少年しょうねんだ!」と直感ちょっかんし、いままでのなやみがうそのように「このたち、ガラスの少年しょうねんじゃないか!」とまえれ、さらにねてより「バスではわかれなどドラマがあるはずで、バスにまつわるうたきたい」とおもっていたことから「物語ものがたりたきのようにあふれてあっというあいだにできた」という[7]

    また、山下やましたの「素晴すばらしい出来でき」とひょうした原曲げんきょくき、KinKiの2人ふたり純粋じゅんすいさ、素直すなおさをかんじていた松本まつもとは、「このたちなら、ぜん世代せだいひとたちにけて、人間にんげんいまわすれかけているあいゆめ希望きぼうを、うた表現ひょうげんしてくれる」と確信かくしんしたという[6]

    発表はっぴょう当時とうじの「援助えんじょ交際こうさい」が横行おうこうする時代じだいうれえて、松本まつもとは「ゆびひかゆびたまき そんなちいさな宝石ほうせきで 未来みらいごとわたきみかなしい」と歌詞かしつづり、KinKiがうたうこのメッセージを、少女しょうじょたちが真摯しんしめるねがいをめた。きずつきやすい少年しょうねん少女しょうじょおもいを「ぼくのしんはひびれただまさ」にたくしたという。アイドルという言葉ことばにはあるしゅかるひびきがあるが、KinKiの2人ふたりは、松本まつもとおどろ重厚じゅうこう説得せっとくりょくうたげた[6]

    だいヒットに松本まつもとは「ファッションは変化へんかしても、人間にんげんはおかねよりも大切たいせつな、純粋じゅんすいしん本質ほんしつてきっているんだなとかんじましたね。若者わかものから中高年ちゅうこうねんまで幅広はばひろひと共感きょうかんし、カラオケでうたってくれることがうれしい」とこたえている[6]

    山下やましたもこのきょくだいヒットをけ、山下やました楽曲がっきょく提供ていきょうしたきょく代表だいひょうさくとなり、自身じしんのライブにてなんもこのきょくをセットリストにくわえ、現在げんざい演奏えんそうしている。

    エピソード

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    KinKi Kidsは後日ごじつ「ターニングポイントとなったきょく」として、2001ねん発表はっぴょうした二人ふたりきょう作曲さっきょくあいのかたまり』とこのきょくの2きょくげている[13]。しかしこのきょく強烈きょうれつさが印象いんしょうのこりすぎて、11まいのシングル『ボクの背中せなかには羽根はねがある』と出会であうまで、当時とうじ方向ほうこうせいなやんでいたという[14]

    つよし当時とうじ先輩せんぱいかたのデビューきょくはキラキラキラってかんじの楽曲がっきょくってイメージがあり、ユーロビートとかが流行はやってた時代じだいだったためきゅうにマイナーコードの歌謡かようきょくテイストの楽曲がっきょくはいってきて、「これでデビューする!」となり、かなりおどろいたそうである。また、デビューきょくは、もっとあかるい、派手はでな、みたいなきょくであることをどもながらにおもっていたそうで、このきょくき「このかんじ?」という気持きもちがあったそうである。また、ジャニー喜多川きたがわも「このくらいのくの?っていう雰囲気ふんいきはあった」そうだが、スタッフとのはないのなか最終さいしゅうてきに「これできましょう!」と決定けっていしたそうである[15]

    後日ごじつのインタビューで、光一ぴかいちは「達郎たつおさんから、ぼくたちが30だい、40だい、50だいになってもうたえるきょくとしていただいたきょくで、本当ほんとうにその言葉ことばどおりになった。いまうたっても全然ぜんぜんずかしくない。でも、いつになってもうたうときに緊張きんちょうするきょく[16]。」、つよしは「いま大切たいせつうたわさせていただいていますけど、いまだにむずかしい。うたときはすごい毎回まいかい緊張きんちょうしてるし、今日きょうはなんかうまくいったなというときと、全然ぜんぜんアカンかったときとか、おまえ次第しだいやからなとわれてるかんじもあって、すごい勉強べんきょうになる[15]。」とこたえている。

    チャート成績せいせき

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    オリコン週間しゅうかんランキングで、はつしゅう31.5まんまいげ、はつ登場とうじょう1獲得かくとくした。CD累計るいけい売上うりあげは179.2まんまい(オリコン調しらべ)を記録きろくしており、シングルのなかでは自身じしん最大さいだいヒット作品さくひんである[17][18]。またジャニーズ事務所じむしょとしては、近藤こんどう真彦まさひこの『スニーカーぶる〜す以来いらい、2さくのミリオンセールスとなった。ジャニーズ事務所じむしょは、再度さいどミリオンセールスを達成たっせいすること悲願ひがんであったと同時どうじに、平成へいせい時代じだい最初さいしょのミリオンセールスとなった。

    当時とうじのCDシングルは1,000えん相場そうばだったが、カップリングきょく収録しゅうろくされないシングルは半額はんがくの500えん販売はんばいする方策ほうさく1995ねんころからCDシングル業界ぎょうかいおおれられており、ほんさく同様どうように500えん発売はつばいされた。初回しょかいプレスぶんは「硝子がらす少年しょうねん」と、同時どうじ発売はつばいのデビューアルバム『A album』が卓上たくじょうカレンダーと一緒いっしょにセット販売はんばいされ、100まんまい製作せいさくされ完売かんばいした。結果けっか、『A album』もおよそ100まんまいげ、オリコンチャートでどういちしゅうのシングル・アルバムどちらもまったおな枚数まいすうとなった。

    また、デビューシングルとファーストアルバムの両方りょうほうミリオンセールスを達成たっせいしたのは、DEENつづいて2くみとなった。

    収録しゅうろくきょく

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    1. 硝子がらす少年しょうねん [4:43]
      作詞さくし松本まつもとたかし 作曲さっきょく編曲へんきょく山下やました達郎たつお
      ほんさく発売はつばいされた翌年よくねん1998ねん)の『だい70かい選抜せんばつ高等こうとう学校がっこう野球やきゅう大会たいかい入場にゅうじょう行進曲こうしんきょく採用さいようされた。
      発売はつばい19ねん2016ねん)の『だい67かいNHK紅白こうはく歌合戦うたがっせん』にはつ出場しゅつじょう歌唱かしょうした[19]演奏えんそう編曲へんきょくは、KinKi Kids出演しゅつえんフジテレビけい音楽おんがくバラエティ番組ばんぐみLOVE LOVE あいしてる』のアレンジャーだった吉田よしだけん担当たんとうした[20]
      自身じしん2007ねんベスト・アルバム39発売はつばいのファン投票とうひょうで7にランクインした。
    2. 硝子がらす少年しょうねん(オリジナル・カラオケ) [4:39]

    出版しゅっぱんしゃ:ブライト・ノート・ミュージック

    参加さんかミュージシャン

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    ※クレジットは『KinKi Single Selection』より

    2002ねん12月26にち発売はつばいされた、タッキー&つばさのライブDVD『「Hatachi」deデビューGiants Hits Concert with all ジャニーズJr.』に収録しゅうろくされている「Johnny's Jr. Concert タッキー&つばさ ジャニーズJr.そう出演しゅつえん!」公演こうえんパートにてどうグループがメドレーの序盤じょばん披露ひろうした。

    どうグループは2012ねん9月11にち発売はつばいの『TEN』の10 PESTばん付属ふぞくされたDVD収録しゅうろくのデビュー10周年しゅうねん記念きねんライブイベントにてメドレーにてカバー披露ひろうした。

    2012ねん9月26にち発売はつばいされた山下やました達郎たつおのベストアルバム『OPUS 〜ALL TIME BEST 1975-2012〜』の初回しょかい限定げんていボーナスディスクには、山下やましたうたうバージョンが収録しゅうろくされている。これは、デモ・ボーカルにKinKi Kidsのカラオケをかさねたテイクで、過去かこすうかいラジオ放送ほうそうされていたものである。また、堂本どうもと光一こういち所有しょゆうしていた「硝子がらす少年しょうねん 練習れんしゅうよう」として山下やました達郎たつおからジャニー喜多川きたがわ経由けいゆでKinKi Kidsにわたされたデモテープの一部いちぶが、KinKi Kids出演しゅつえんフジテレビけいバラエティ番組ばんぐみKinKi Kidsのブンブブーン』2020ねん6がつ6にち放送ほうそうぶんにて放送ほうそうされた。なお練習れんしゅうようデモテープでは、現在げんざい歌詞かし一部いちぶちがっている。

    収録しゅうろくアルバム

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    映像えいぞう作品さくひん

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    脚注きゃくちゅう

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    注釈ちゅうしゃく

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    1. ^ 2003ねん6がつまでのきゅう基準きじゅん最低さいてい累計るいけい正味しょうみ出荷しゅっか枚数まいすう160まんまい以上いじょう作品さくひん適用てきよう

    出典しゅってん

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    1. ^ 日本にっぽんレコード協会きょうかい 認定にんてい作品さくひん 1997ねん9がつ認定にんてい作品さくひん閲覧えつらん。 2017ねん12月11にち閲覧えつらん
    2. ^ KAT-TUN、00年代ねんだいデビュー・アーティストはつ快挙かいきょ達成たっせい!”. ORICON STYLE (2006ねん4がつ10日とおか). 2015ねん11月29にち閲覧えつらん
    3. ^ 『Get the KinKi』集英社しゅうえいしゃムック、1995ねん5がつISBN 9784081020119 
    4. ^ “ジャニーズがレコード会社かいしゃ設立せつりつ. zakzak. (1997ねん5がつ30にち). オリジナルの2004ねん2がつ18にち時点じてんにおけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20040218151621/http://www.zakzak.co.jp/geino/n_May97/nws880.html 2013ねん8がつ18にち閲覧えつらん 
    5. ^ 山下やました達郎たつお「ジャニーさんはかわいいやつはデビューさせたくないんです」硝子がらす少年しょうねん秘話ひわかた 日刊にっかんスポーツ 2023ねん2がつ18にちづけ 2023ねん2がつ18にち閲覧えつらん
    6. ^ a b c d e f g KinKi Kids「硝子がらす少年しょうねん」にたくされたおも”. 日刊にっかんスポーツ特別とくべつ取材しゅざいはん. 日刊にっかんスポーツ (2020ねん8がつ2にち). 2020ねん9がつ7にち閲覧えつらん
    7. ^ a b c d KinKi Kids『硝子がらす少年しょうねん』は松本まつもとたかしにも“転機てんき”だった ジャニーさんの注文ちゅうもんは「ミリオンね」”. TechinsightJapan編集へんしゅう 真紀まき和泉いずみ. Techinsight (2017ねん2がつ26にち). 2020ねん9がつ7にち閲覧えつらん
    8. ^ a b c d 山下やました達郎たつお、KinKi Kids「硝子がらす少年しょうねん制作せいさく秘話ひわかす ジャニー喜多川きたがわさんからの“大変たいへん”なオーダーとは?”. モデルプレス (2021ねん6がつ27にち). 2022ねん7がつ2にち閲覧えつらん
    9. ^ せきジャム』山下やました達郎たつおかた自戒じかいおおくのミュージシャンたちにさる“いちもんひゃくとう”. exiteニュース. モデルプレス (2021ねん6がつ27にち). 2022ねん7がつ2にち閲覧えつらん
    10. ^ a b 『HITSTORY 筒美つつみ京平きょうへい ULTIMATE COLLECTION 1967 - 97』のブックレットない山下やました達郎たつおインタビュー記事きじより抜粋ばっすい
    11. ^ 山下やました達郎たつお「KinKi Kids」のデビューきょく硝子がらす少年しょうねん」は「内輪うちわからはかなりブーイング」あった”. スポニチAnnex. エキサイト (2022ねん7がつ3にち). 2022ねん7がつ9にち閲覧えつらん
    12. ^ NHK 音楽おんがくのチカラ 2010ねん5がつ27にち放送ほうそうぶん
    13. ^ 【エンタがビタミン♪】KinKi Kidsの“大切たいせつうた”『硝子がらす少年しょうねん』と『あいのかたまり』 2人ふたりしか到達とうたつできない世界せかい表現ひょうげん”. TechinsightJapan編集へんしゅう 真紀まき和泉いずみ. Techinsight (2016ねん11月19にち). 2020ねん9がつ7にち閲覧えつらん
    14. ^ KinKi Kids転機てんきとなったきょくとは…!? 堂本どうもとつよしちがみちつくってくれた」堂本どうもと光一こういち「われわれのうたう」”. 中日ちゅうにちスポーツ. 中日新聞社ちゅうにちしんぶんしゃ (2021ねん7がつ21にち). 2021ねん9がつ26にち閲覧えつらん
    15. ^ a b 堂本どうもとつよし デビューきょく硝子がらす少年しょうねん歌唱かしょういまだに緊張きんちょう「おまえ次第しだいやからなとわれてるかんじもあって」”. Sponichi Annex. スポーツニッポン (2021ねん10がつ11にち). 2022ねん7がつ10日とおか閲覧えつらん
    16. ^ 堂本どうもと光一こういち、「硝子がらす少年しょうねん」は「いつになってもうたうときに緊張きんちょうする」”. マイナビニュース. マイナビ (2022ねん7がつ2にち). 2022ねん7がつ10日とおか閲覧えつらん
    17. ^ KinKi Kids、デビューの“苦難くなんえて受賞じゅしょう! オリコン 2015ねん12月25にち閲覧えつらん
    18. ^ 【オリコン】秋元あきもとやすし作詞さくし売上うりあげ日本一にっぽんいちそう売上うりあげ6859.1まんまい阿久あくゆうさん上回うわまわ オリコン 2018ねん5がつ27にち閲覧えつらん
    19. ^ 紅白こうはくだいトリはあらし確実かくじつ はつ出場しゅつじょうkinkiはデビューきょく硝子がらす少年しょうねんうた スポニチ 2016ねん12月25にち記事きじ
    20. ^ 2017ねん1がつ14にち放送ほうそう NHK「SONGS KinKi Kids Spin off  ~いつも わらず 2人ふたりで~」より。
    21. ^ 内沼うちぬまうつかたるレコーディング・エンジニア スタジオと録音ろくおん技術ぎじゅつ進化しんか50ねん』 2019ねん9がつ 出版しゅっぱんしゃDU BOOKS、246ぺーじ

    関連かんれん項目こうもく

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    外部がいぶリンク

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