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1973ねんのピンボール

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
1973ねんのピンボール
著者ちょしゃ 村上むらかみ春樹はるき
イラスト 佐々木ささきマキ
発行はっこう 1980ねん6月17にち
発行はっこうもと 講談社こうだんしゃ
ジャンル 小説しょうせつ
くに 日本の旗 日本にっぽん
言語げんご 日本語にほんご
形態けいたい うえ製本せいほん
ページすう 208
コード ISBN 4-06-116862-2
ウィキポータル 文学ぶんがく
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1973ねんのピンボール』 (せんきゅうひゃくななじゅうさんねんのピンボール) は、村上むらかみ春樹はるきの2さく長編ちょうへん小説しょうせつ

概要がいよう

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文芸ぶんげい群像ぐんぞう1980ねん3がつごう掲載けいさいされ、同年どうねん6月17にち講談社こうだんしゃにより単行本たんこうぼんされた[1]表紙ひょうし佐々木ささきマキ1983ねん9月8にち講談社こうだんしゃ文庫ぶんことして文庫ぶんこされた[2]2004ねん11月16にち文庫ぶんこ新装しんそうばん出版しゅっぱんされた[3]

だい83かい芥川賞あくたがわしょう(1980ねん上半期かみはんき)の候補こうほさくとなった。

タイトルは大江おおえ健三郎けんざぶろうの『万延まんえん元年がんねんのフットボール』のパロディであるいうせつ[4]があったが、村上むらかみ自身じしんがその当否とうひについて言及げんきゅうすることはながらくなかった。しかし東京とうきょうFMのラジオ番組ばんぐみ村上むらかみRADIO」(2021ねん8がつ21にち放送ほうそう)で「『1973ねんのピンボール』。このタイトルは大江おおえ健三郎けんざぶろうさんの『万延まんえん元年がんねんのフットボール』のもじりですね。ちょっと拝借はいしゃくしました。」と発言はつげんした[5]

ねずみさんさく」の2さく1973ねん9月はじまり、11月わる。だい1しょうからだい25しょうまで、「ぼく」の物語ものがたりしょうねずみ物語ものがたりしょうかれ、ふたつの物語ものがたり系列けいれつがパラレル(平行へいこう)に進行しんこうしていく。

村上むらかみ当初とうしょ小説しょうせつリアリズムこうとしたが挫折ざせつし、「ねずみ」のしょうのみリアリズムでいたとべている[6]推敲すいこうなんかさねることでられる村上むらかみだが、終盤しゅうばん倉庫そうこ箇所かしょ一切いっさいなおしなしでいたという[7]

初期しょき長編ちょうへん2さく講談社こうだんしゃ英語えいご文庫ぶんこ英訳えいやくばん(『Hear the Wind Sing』と『Pinball, 1973』)が存在そんざいしていたが、村上むらかみ自身じしん初期しょき長編ちょうへん2さくを「自身じしん未熟みじゅく時代じだい作品さくひん」と評価ひょうかしていたため、ながあいだ日本にっぽん国外こくがいでの英訳えいやくばん刊行かんこう一切いっさいおこなわれていなかった[8]。2015ねん8がつ4にちにテッド・グーセンの新訳しんやくにより、『ふううた』との合本がっぽんHarvill Seckerから出版しゅっぱんされた。また同日どうじつオーディオブックはんもRandom House Audioから発売はつばいされた[9][10]

2016ねん7がつ1にち電子でんし書籍しょせきはん配信はいしん開始かいし

あらすじ

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ぼく」の物語ものがたり

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1973ねん大学だいがく卒業そつぎょう翻訳ほんやく生計せいけいてていた「ぼく」は、ふとしたことから双子ふたごおんな共同きょうどう生活せいかつはじめることになる。そんなある、「ぼく」のしんピンボールとらえる。1970ねんジェイズ・バーで「ねずみ」がこのんでプレイし、そのぼく」も夢中むちゅうになったスリーフリッパーのピンボールだい「スペースシップ」をさがはじめる。

ねずみ」の物語ものがたり

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ねずみ1970ねん大学だいがくめて以来いらい故郷こきょうまちジェイズ・バーかよってバーテンジェイ相手あいて現実げんじつかんのない日々ひびおくっていた。1973ねん9月のはじめ、新聞しんぶん不要ふようぶつ売買ばいばいコーナーで電動でんどうタイプライターをつける。タイプライターのぬしおんなねずみ関係かんけいつ。

登場とうじょう人物じんぶつ

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ぼく
作中さくちゅうかた友人ゆうじん翻訳ほんやくせんもん事務所じむしょ設立せつりつし、英語えいご翻訳ほんやくをしている。郊外こうがいアパートんでいる。
双子ふたごおんな
ぼく」の同居どうきょじん。トレーナー・シャツのむねにある208と209のプリントでしか見分みわけがつかない。
友人ゆうじん
ぼく」と翻訳ほんやくせんもん事務所じむしょ設立せつりつし、フランス語ふらんすご翻訳ほんやくをしている。
事務じむいんおんな
ビジネス・スクールを卒業そつぎょうし、「ぼく」と友人ゆうじん事務所じむしょつとめる。
ねずみ
ぼく」の友人ゆうじん1970ねん大学だいがくをやめて以来いらい現実げんじつかん喪失そうしつしている。「ぼく」がそだった「まち」でらし、「おんな」と逢瀬おうせかさねるが、くるしみながらジェイに「まち」をていくことをげる。
ジェイ
ねずみ」のきつけのみせジェイズ・バーのオーナーけんバーテンダー中国ちゅうごくまれの中国人ちゅうごくじん片手かたてねこらしている。ジェイズ・バーにはかつてピンボールマシーン「スペースシップ」があり、「ぼく」もかつてはそこでビールをつづけていた。
ねずみおんな
突堤とっていちかくのアパートにむ。美術びじゅつ大学だいがく建築けんちく学科がっか卒業そつぎょうし、設計せっけい事務所じむしょつとめている。27さい
直子なおこ
1969ねんに「ぼく」と大学だいがくのラウンジで自分じぶんそだった「プラットフォームのはしからはしまでいぬがいつも散歩さんぽしているえき」があるまちについてはなした。「ぼく」は直子なおこのことをあいしていたが直子なおこはすでにんでいる。「ねずみさんさくでただ一人ひとり名前なまえ(本名ほんみょう)をになっている。
井戸いど職人しょくにん
井戸いどりの天才てんさい直子なおこが17さいあき列車れっしゃかれ死亡しぼう
直子なおこちち
ふつ文学ぶんがくしゃ大学だいがくしょくしてからはふる書物しょもつ翻訳ほんやくをしていた。
かみなが少女しょうじょ
ぼく」が大学生だいがくせいときおなじアパートにんでいた。1970ねん3がつ大学だいがくをやめ故郷こきょうかえる。
土星どせいまれのおとこ
大学だいがく一部いちぶ占拠せんきょする政治せいじてきなグループに所属しょぞく
ピンボール・マニアのスペイン講師こうし
大学だいがくでスペインおしえている。としは30をいくつかたあたり。
ピンボールのコレクター
かつて養鶏ようけいだった倉庫そうこに78だいのピンボール・マシンをあつめている。
スペースシップ

かつてジェイズ・バーにあった3フリッパーのピンボール。シカゴのギルバート&サンしゃせい日本にっぽんに3だいのみ輸入ゆにゅうされた。

登場とうじょうする文化ぶんか風俗ふうぞく

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アルテックA5 アメリカの音響おんきょう機器ききメーカー「アルテック」が発売はつばいしていた大型おおがたスピーカーシステムのひとつ。
土星どせいまれのおとこぞくするグループが占拠せんきょした大学だいがくきゅう号館ごうかんには、「せんまいのレコード・コレクションとアルテックA5をそなえた小綺麗こぎれい音楽おんがくしつ[11]があり、あきわりまでにはグループの全員ぜんいんがクラシック・マニアになっていたと「ぼく」はしるす。
ハロー・メリー・ルウ リッキー・ネルソンが1961ねん発表はっぴょうしたシングル「トラベリン・マン」のBめんおさめられたきょく。「トラベリン・マン」は全米ぜんべいチャート1記録きろくし、「ハロー・メリー・ルウ」はどう9記録きろくした。
じゅうとし直子なおこはこの土地とちにやってきた。。いちきゅうろくいちねん西暦せいれきでいうとそういうことになる。リッキー・ネルソンが『ハロー・メリー・ルウ』をうたったとしだ」[12]
ラバー・ボール ボビー・ヴィーが1960ねん発表はっぴょうしたシングルきょく
リチャード・ニクソン アメリカのだい37だい大統領だいとうりょう本書ほんしょでは2かい登場とうじょうする。1かいは「歴代れきだい大統領だいとうりょう銅像どうぞう全部ぜんぶてられるくらいの銅貨どうか」という比喩ひゆのあと。「ぼく」は「もっともあなたにリチャード・M・ニクソンの銅像どうぞうてるがあればのことだが」とべる[ちゅう 1]
2かい双子ふたごおどろくほど世間せけんらないと「ぼく」がかた場面ばめん。「ベトナムがふたつの部分ぶぶんにわかれて戦争せんそうをしていることを納得なっとくさせるのにさんにちかかり、ニクソンがハノイ爆撃ばくげきする理由りゆう説明せつめいするのにあとよんにちかかった」[14]
レフ・トロツキー ウクライナまれの革命かくめいソビエト連邦れんぽう政治せいじ本書ほんしょでは2かい登場とうじょうする。
勇気ゆうきある追跡ついせき 1969ねん公開こうかいのアメリカ映画えいがジョン・ウェイン、グレン・キャンベル出演しゅつえん西部せいぶげき
ペニー・レイン ビートルズが1967ねん発表はっぴょうしたシングルきょく事務じむいんおんなひととなりについて「ぼく」はこうべる。「いちにちじゅうかいも『ペニー・レイン』を(それもサビきで)くちずさむことをべつにすればこれといった欠点けってんはなかった」[15]
ウィリアム・スタイロン アメリカの小説しょうせつ随筆ずいひつ。『ソフィーの選択せんたく』(1979ねん)の著者ちょしゃとしてられる。
シンシナティ・キッド 1965ねん公開こうかいのアメリカ映画えいが本文ほんぶんかれてあるとおり[16]スティーブ・マックイーンエドワード・G・ロビンソン出演しゅつえんしている。
純粋じゅんすい理性りせい批判ひはん イマヌエル・カントの1781ねん著書ちょしょ。「ぼく」は双子ふたごのいれてくれたコーヒーをみながら『純粋じゅんすい理性りせい批判ひはん』をなんかえ[17]。 また、配電はいでんばん葬式そうしきさいのおいのりの言葉ことばとして、その一節いっせつ哲学てつがく義務ぎむは、誤解ごかいによってしょうじた幻想げんそう除去じょきょすることにある。」が引用いんようされている。(高峯たかみねいちやくもとづく独自どくじやく)
ケネス・タイナン 英国えいこく演劇えんげき評論ひょうろんげき作家さっかロマン・ポランスキーが1971ねん発表はっぴょうした映画えいがマクベス』の共同きょうどう脚本きゃくほんいている。
ぼく」の仕事しごとのひとつとして、「いちきゅうなないちねんきゅうがつごうの『エスカイヤ』にっているケネス・タイナンの『ポランスキーろん』」[18]登場とうじょうする。

このタイナンの論文ろんぶん"Polish Imposition by Keneth Tynan"は"Esquire"1971.9ごう実際じっさい掲載けいさいされている。 明里あけさとせんしょうによれば、田山たやまつとむ哉が1972ねんの「キネマ旬報きねまじゅんぽう」と「映画えいが評論ひょうろん」にいた2ほんのポランスキーにかんする記事きじは、この論文ろんぶん無断むだんさい編集へんしゅう翻訳ほんやくしたものである。

フョードル・ドストエフスキー ロシアの代表だいひょうてき小説しょうせつのひとり。「『殆んどだれともともだちになんかなれない。』 それがぼくいちきゅうなな年代ねんだいにおけるライフ・スタイルであった。ドストエフスキーが予言よげんし、ぼくかためた」[19]
ミルドレッド・ベイリー 1930年代ねんだい活躍かつやくした女性じょせいジャズ歌手かしゅ。ベイリーの「イッツ・ソー・ピースフル・イン・ザ・カントリー」を「ぼく」が口笛くちぶえかいくと、双子ふたごおんなはいいきょくねとしょうめる[20]
ビックス・バイダーベック アメリカのジャズ・コルネット奏者そうしゃ。1931ねん8がつに28さいわかさでこのった。村上むらかみ和田わだまこととの共著きょうちょポートレイト・イン・ジャズ』(新潮社しんちょうしゃ、1997ねん12がつ)のなかでビックス・バイダーベックにれている。
マッカーサー・パーク ジミー・ウェッブ作詞さくし作曲さっきょくし、リチャード・ハリスうたったきょく。1968ねん全米ぜんべい2記録きろくした。ジェイズ・バーでかかる[21]
ジャン&ディーン アメリカの2人組にんぐみ音楽おんがくグループ。おもに1960年代ねんだい前半ぜんはん人気にんきはくした。問題もんだい自分じぶんった場所ばしょすべ時代遅じだいおくれになりつあることだ、とべたあとで「ぼく」はこうしるす。
「もうだれもミニ・スカートなんてはかないしジャンとディーンなんてかない。最後さいご靴下くつしたどめのついたガードルをはいたおんなたのはいつのことだったろう?」[22]

群像ぐんぞうばん単行本たんこうぼんと『村上むらかみ春樹はるきぜん作品さくひん』の本文ほんぶん異同いどう

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以下いかは『群像ぐんぞう』1980ねん3がつごう掲載けいさいばん単行本たんこうぼんと『村上むらかみ春樹はるきぜん作品さくひん1979~1989』の本文ほんぶん異同いどうである(おもなもののみ)。やま﨑眞紀子のりこちょ村上むらかみ春樹はるき本文ほんぶん改稿かいこう研究けんきゅう』(若草わかくさ書房しょぼう、2008ねん1がつ)にった。

群像ぐんぞう 単行本たんこうぼん 村上むらかみ春樹はるきぜん作品さくひん1979~1989』
タイトル『いちきゅうななさんねんのピンボール タイトル『1973ねんのピンボール 同左どうさ
ペプシのかみコップがひとかれていた かみコップがひとかれていた 同左どうさ
まるでチェシャねこのように まるで「不思議ふしぎくにのアリス」にてくるチェシャねこのように 同左どうさ
「トムとジェリー。」
「バットマンとロビン。」
削除さくじょ 削除さくじょ
えさにはリグレイのペパーミント・ガムを使つかった。 えさにはペパーミント・ガムを使つかった。 同左どうさ
はいをこじらせてんだ。 同左どうさ 肺炎はいえんをこじらせてんだ[ちゅう 2]
ジェームス・B・ハートレイはその哲学てつがくてきなピンボール研究けんきゅうしょ「ボーナス・ライト」の序文じょぶん ピンボール研究けんきゅうしょ「ボーナス・ライト」の序文じょぶん 同左どうさ
スティーヴ・マクイーン 同左どうさ スティーヴ・マクィーン[ちゅう 3]
すぐにラジエーターが故障こしょうするフォルクス・ワーゲン[ちゅう 4] 同左どうさ すぐにエンジンが故障こしょうするフォルクス・ワーゲン[ちゅう 5]
だれ受話器じゅわきらぬままにんだ。 だれ受話器じゅわきらぬままにんだ。 同左どうさ
何故なぜだかわからない。でもそれは馬鹿ばかていた。 でもそれは馬鹿ばかていた。 同左どうさ
もうだれにもなにあたえることはできないのかもしれない。パンのみみさえも……。 もうだれにもなにあたえることはできないのかもしれない。 同左どうさ
ティッシュ・ペーパーをこまかくいて 新聞紙しんぶんしこまかくいて 同左どうさ
そのとしふゆのことだった。 いちきゅうななねんふゆのことだった。 同左どうさ

翻訳ほんやく

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翻訳ほんやく言語げんご 翻訳ほんやくしゃ 発行はっこう 発行はっこうもと
英語えいご アルフレッド・バーンバウム 1985ねん9がつ 講談社こうだんしゃ英語えいご文庫ぶんこ
テッド・グーセン 2015ねん8がつ4にち Harvill Secker
フランス語ふらんすご Hélène Morita 2016ねん1がつ16にち Belfond
ドイツ Ursula Gräfe 2015ねん5がつ20日はつか DuMont Buchverlag
イタリア Antonietta Pastore 2016ねん5がつ24にち Einaudi
スペイン Lourdes Porta Fuentes 2015ねん10がつ1にち Tusquets Editores
ポルトガル Maria João Lourenço 2016ねん5がつ31にち Casa das Letras
ノルウェー Yngve Johan Larsen 2015ねん Pax forlag
ポーランド Anna Zielińska-Elliott 2014ねん5がつ Muza
ロシア Вадим Смоленский 2002ねん Eksmo
中国ちゅうごく (繁体字はんたいじ) よりゆきあきらたま 1992ねん2がつ25にち 時報じほう文化ぶんか
中国ちゅうごく (簡体字かんたいじ) はやししょうはな 2008ねん8がつ 上海しゃんはい訳文やくぶん出版しゅっぱんしゃ
韓国かんこく きむらんしゅう(キム・ナンジュ) 1997ねん1がつ15にち 열림원
ユン・ソンウォン 2007ねん12月 文学ぶんがく思想しそうしゃ
タイ นพดล เวชสวัสดิ์ 2002ねん11月 สำนักพิมพ์แม่ไก่ขยัน
ハンガリー Mayer Ingrid 2016ねん Geopen

脚注きゃくちゅう

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注釈ちゅうしゃく

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  1. ^ 村上むらかみがアメリカの大統領だいとうりょう比喩ひゆもちいたほかれい。「もちろんそれらがそれらなりに見事みごと光沢こうたくはなった日々ひびもあったのだろうが、そのようなかがやかしい日々ひびが、ジミー・カーター米国べいこく大統領だいとうりょう就任しゅうにんする以前いぜん時代じだいぞくするであろうことについては、いささかのかねけてもいいとぼくおもった。もちろん成立せいりつするとしてのはなしだが」[13]
  2. ^ 2004ねん11月に出版しゅっぱんされた改版かいはん文庫ぶんこは、『村上むらかみ春樹はるきぜん作品さくひん』とおなじく「肺炎はいえん」。
  3. ^ 2004ねん11月に出版しゅっぱんされた改版かいはん文庫ぶんこは、『村上むらかみ春樹はるきぜん作品さくひん』とおなじく「スティーヴ・マクィーン」。
  4. ^ フォルクス・ワーゲンきゅうビートル空冷くうれいしきエンジンのため、ラジエーターは存在そんざいしない。この間違まちがいにかんして読者どくしゃから手紙てがみたことを村上むらかみはエッセイにしるしている[23]
  5. ^ 2004ねん11月に出版しゅっぱんされた改版かいはん文庫ぶんこは、『村上むらかみ春樹はるきぜん作品さくひん』とおなじく「エンジン」。

出典しゅってん

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  1. ^ 『1973ねんのピンボール』(村上むらかみ春樹はるき)|講談社こうだんしゃBOOK倶楽部くらぶ
  2. ^ 『1973ねんのピンボール』(村上むらかみ春樹はるき, 佐々木ささきマキ):講談社こうだんしゃ文庫ぶんこ講談社こうだんしゃBOOK倶楽部くらぶ
  3. ^ 『1973ねんのピンボール』(村上むらかみ春樹はるき):講談社こうだんしゃ文庫ぶんこ新装しんそうばん)|講談社こうだんしゃBOOK倶楽部くらぶ
  4. ^ 谷行たにいきじん終焉しゅうえんをめぐって』福武書店ふくたけしょてん、1990ねん5がつ
  5. ^ 村上むらかみ春樹はるき小説しょうせつふううたけ』『1973ねんのピンボール』、貴重きちょう執筆しっぴつ秘話ひわ自作じさく朗読ろうどくをラジオで披露ひろう
  6. ^ 「ききがき 村上むらかみ春樹はるきこのじゅうねん 1979ねん~1988ねん」『村上むらかみ春樹はるきブック』(『文學ぶんがくかい』1991ねん4がつ臨時りんじ増刊ぞうかん)。
  7. ^ 村上むらかみりゅう村上むらかみ春樹はるき 『ウォーク・ドント・ラン』前掲ぜんけいしょ、117ぺーじ
  8. ^ 都甲とこう幸治こうじにせアメリカ文学ぶんがく誕生たんじょう』(水声すいせいしゃ)。
  9. ^ “Haruki Murakami's first novel to be retranslated and republished in English”. ガーディアン. (2014ねん9がつ5にち). http://www.theguardian.com/books/2014/sep/05/haruki-murakami-first-novel-retranslated-english-hear-the-wind-sing 2014ねん9がつ18にち閲覧えつらん 
  10. ^ Pinball, 1973 by Haruki Murakami - Random House Audio
  11. ^ 本書ほんしょ講談社こうだんしゃ文庫ぶんこ旧版きゅうばん、6-7ぺーじ
  12. ^ 本書ほんしょ講談社こうだんしゃ文庫ぶんこ旧版きゅうばん、16ぺーじ
  13. ^ もしぼくらのことばがウィスキーであったなら新潮しんちょう文庫ぶんこ、97-100ぺーじ
  14. ^ 本書ほんしょ講談社こうだんしゃ文庫ぶんこ旧版きゅうばん、38ぺーじ
  15. ^ 本書ほんしょ講談社こうだんしゃ文庫ぶんこ旧版きゅうばん、32ぺーじ
  16. ^ 本書ほんしょ講談社こうだんしゃ文庫ぶんこ旧版きゅうばん、33ぺーじ
  17. ^ 本書ほんしょ講談社こうだんしゃ文庫ぶんこ旧版きゅうばん、34ぺーじ
  18. ^ 本書ほんしょ講談社こうだんしゃ文庫ぶんこ旧版きゅうばん、35ぺーじ
  19. ^ 本書ほんしょ講談社こうだんしゃ文庫ぶんこ旧版きゅうばん、39ぺーじ
  20. ^ 本書ほんしょ講談社こうだんしゃ文庫ぶんこ旧版きゅうばん、53ぺーじ
  21. ^ 本書ほんしょ講談社こうだんしゃ文庫ぶんこ旧版きゅうばん、91ぺーじ
  22. ^ 本書ほんしょ講談社こうだんしゃ文庫ぶんこ旧版きゅうばん、101-102ぺーじ
  23. ^ 村上むらかみ朝日あさひどう逆襲ぎゃくしゅう新潮しんちょう文庫ぶんこ、120-122ぺーじ

関連かんれん項目こうもく

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